第四話「真実」

 紅茶を淹れ、ソファーで寛ぐドラコ。彼に半ば無理矢理連れ込まれたジェイコブと名乗る少年は初めて見る魔法使いの家に興味を惹かれている様子だ。
 さて、奇妙な状況になった。
「ドラコ」
「なんだい?」
「どうするつもりなの?」
 僕は視線をジェイコブに向けた。
 ドラコの魅了に取り憑かれていた彼の瞳に正気が戻る。ようやく、自分の置かれた状況を理解したらしい。
 それでも、パニックを起こさずに己を律する胆力は大したものだ。
「俺を殺すのか?」
 ジェイコブの言葉にドラコはクスリと微笑んだ。
「殺して欲しいのかい?」
「自殺願望なんかねーよ」
「なら、野暮な事はなしにしよう。折角の出会いだ。嫌い合うより仲良くしたい」
「仲良く……。そうだな、仲良くしよう」
 ジェイコブはとても仲良くする気になったとは思えない程獰猛な笑みを浮かべた。
 たかがマグルと侮ってはいけない。そう、本能が囁いた。
 三大魔法学校対抗試合の第三試合で嫌というほど遭遇した凶獣達と同じ空気を発している。
「俺はお前達に聞きたい事がある」
「……答えられる範囲で答えよう。でも、あまり期待を持ち過ぎないようにね。僕達も全知全能ってわけじゃない。例えば、世界平和を実現する為にはどうしたらいい? なんて質問をされても答えられない」
「そんな質問しねーよ。人間を皆殺しにでもしなきゃ無理だろ」
「……なるほど、皆殺しにすれば世界は平和になる。君は頭がいいね」
「馬鹿にしてんのか?」
 ドラコは挑発しながらジェイコブという人間を量っている。
 ここで暴れ始めるようなら論外。目的を忘れるなら愚か者。
「さて、どうかな」
 ジェイコブを鼻を鳴らした。
「お前……、顔は可愛いけど性格は悪いな」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
 見る者全てを惑わす魅惑の微笑み。それが猛毒であると知っていても、耐える事は難しい。
「ああ、好みだ」
「……そ、そうなのか」
「おう」
 思わず噴き出してしまった。中々出来る返しではないと思う。
 ドラコもさすがに戸惑っている。イレギュラーに弱い所は直したほうがいいね。
「それより、そろそろ質問に答えてくれないか? 可愛い子ちゃん」
「う、うん」
 珍しい光景だ。ドラコが押されている。
 そう言えば、昨夜も僕が迫った時はしおらしい態度を見せた。
 なるほど、基本的に自分から攻めていくタイプだから、逆に攻められると弱いんだな。
 また一つ、弱点が分かった。結構、弱点が多いな、ドラコ……。
「……聞きたい事は山程ある。だから、一つ一つ聞いていくぞ。まず、『マリア・ミリガン』を知っているか?」
 初め、僕には何のことだかサッパリ分からなかった。ドラコも困惑の表情を浮かべている。
 けれど、一拍置いた後に思い出した。その名前はドラコが秘密の部屋に監禁している少女の名前だ。
「そのマリア・ミルガンがどうかしたのかい?」
「行方不明なんだ。目撃者から聞いた話だと、『妖精』に攫われたらしい」
 リジーの事に違いない。
「妖精か……。魔法界には人を攫う妖魔の類がそれなりにいるんだけど、特徴とかは聞いた?」
 実に白々しい態度だ。
「……いや、詳しくは聞いてない。ただ、妖精が攫っていったとだけ……」
「そのマリアと君の関係は?」
「友達だ。ただ、一方的に惚れてて告白もした。けど、返事を貰う前に攫われた……」
 そう、事も無げに言った。
「そうか……」
「とりあえず、妖精自体は実在するんだな?」
「うん」
「なら、一歩前進か……」
 気軽な調子で言う。
「他に質問は?」
「あるぜ。十五年前の事だ。幾つかの村で集団失踪事件が起きた。その事について知っている事を教えてくれ」
「十五年前か……。なら、十中八九、ヴォルデモート卿とその配下の仕業だね」
「ヴォルデモート?」
「ああ、魔法使いの中でもとびっきりの悪党さ。一度そこのハリーに殺されたんだけど、最近復活しちゃって、世間を騒がせている傍迷惑な大魔王さ」
 その言い方はあんまりだと思う。ジェイコブもあっさりと返って来た答えとその内容に面食らっている。
「一度死んで蘇った……? そいつ、キリストかよ」
「神と魔王は対をなす者だからね」
「……その理屈は合ってるのか?」
「さて、どうかな。実際、ヴォルデモート卿は蘇生した。今、ロンドンで起こっている事件も全て彼が元凶だよ」
 それにしても、ドラコはどういうつもりなんだろう? マグルに魔法界の情報を渡すなんて……。
「あれもか……」
 ジェイコブは頭を掻いた。
「飛行機の墜落事故で街一つが壊滅状態だ」
 その瞳に怒りを宿しながら、ジェイコブは窓の外を見た。
 遠くの空が赤く染まっている。火はまだ消えていない。
「最初はお前等が元凶だと思ってたんだけどな」
 溜息を零し、再びドラコに向き直る。
「他にも質問していいか?」
「もちろん」
「なら、八年前の香港で起きた事件についてだが――――」
 ジェイコブの質問は多岐に渡った。
 中国マフィア『崑崙』の内部分裂を裏で操った者。
 元ドイツ傭兵部隊『イェーガー』の乗っていた輸送機を襲撃した生物。
 日本で起きた猟奇殺人の真実。
 ワシントン郊外で起きた失踪事件の真相。
「中国の魔法使いはイギリスと違い、国が運用している。恐らく、その組織が国に害を為すと判断され、処理されたんだろう。輸送機を襲撃した生物は恐らくドラゴンだ。何かの拍子に輸送機が結界の中へ紛れ込んでしまったんだろう。ドラゴンは縄張りを犯したと判断して襲いかかったに違いない。アメリカの失踪事件については……、すまないが分からない。アッチは表世界同様に魔法界も混沌としているからね。魔法省と近しい組織はあるけど、完全に管理し切れていないと聞く。日本の件は……恐らく妖魔が関わっている。あの国は特に凶暴な妖魔が多く生息していると聞くからね」
「……なるほどね」
 望んでいた解答を聞けたはずなのに、ジェイコブの顔色は優れなかった。
「どうしたの?」
 僕が聞くと、ジェイコブは瞼を瞑った。
「全部、ヴォルデモートって魔王が原因だと良かったのにな」
「どういう事?」
 ジェイコブは曖昧に微笑む。
「フェイロンのファミリーは国に処理された。ミラーの輸送機を襲ったのは縄張りを守ろうとした動物。ロドリゲスの友達の失踪には犯罪者が絡んでいる。マヤのクラスメイトが皆殺しにされた事件は妖魔の仕業……。どっかで思ってたんだ。誰か一人を殴れば全て解決するって……」
「世の中、そう単純なものじゃないさ」
「だよな。中国って国に喧嘩を売るわけにもいかない。縄張りを守ろうとした動物に文句なんて言えない。アメリカの犯罪者や日本の妖魔なんて、俺達の手には負えない……」
 悔しそうにジェイコブは顔を歪めた。
「魔法使いが全て悪い。だから、そいつらをぶん殴る。それでみんな笑顔になれると思ってたんだけどな……」
「なら、殴る? 魔法使いを代表して、好きなだけ甚振っていいよ?」
「ちょっと、ドラコ!?」
 あまりにも軽はずみな言葉に僕は飛び上がった。
 確かにドラコは殴られるだけの事をしているし、ジェイコブには殴る権利がある。だって、マリアを攫ったのは実質ドラコだけど……。
「だったら、僕を殴ればいい。元々、君が探していたのは僕だろ? なら――――」
「いや、お前等殴っても意味ないし」
 折角覚悟を決めて言ったのに、ジェイコブの反応は実にアッサリとしたものだった。
 いや、意味なら多少はあると思う。だって、犯人はドラコなんだから。
「まあ、ダドリーに頼まれたから一発だけ殴っとくな」
「え? って、イタッ」
 人差し指でトンとおでこをつつかれた。
「これで良し」
「良しじゃないよ! ダドリーって、どういう事!?」
「お前の事やココの事はアイツから聞き出したんだよ。そん時に頼まれた。僕の家族をめちゃくちゃにした悪党をぶん殴ってくれって」
 いっそ清々しいと感じてしまった。
 そこまで憎まれていたのかと……。
 ジェイコブはダドリーが語った言葉を全て教えてくれた。
「そっか……」
 笑えてくる。僕がいたから、彼等は不幸だった。彼等は僕の存在を求めた事など一度も無かったのだ。ただ、無理矢理押し付けられて、魔法で脅されて嫌々育てただけ。
 本当なら楽しいだけの毎日を僕という存在がぶち壊しにした。抱えなくていいストレスを感じ、しなくていい喧嘩をした。
「あはは……」
「ハリー?」
「お、おい……、大丈夫か?」
「あはははははははははは」
 涙が出るほど滑稽だ。憎んだり、妬んだり、縋ったり……全て、筋違いだった。
「そっか……、そうだよね。あの人達にとって、僕は疫病神でしかなかったんだ! 最初から! あはははははははははは! 知ってた筈なのに、なんでこんな……あははははははは!」
 疎まれている事を知っていた。嫌われている事を知っていた。
 なのに、この期に及んで僕は……、
「なんで、ショックを受けてるんだろ。馬鹿過ぎるよ! あっはははははは!」
 僕だって嫌いだった。どんなに気を引こうとしても応えてくれない彼等の事が心から……、
「あはっ! あははははははははははははははははははははははははははは!」
 殴られた記憶。物置に押し込まれた記憶。髪を剃られた記憶。罵倒された記憶。家畜のような扱いを受け続けた記憶が蘇る。
 それでも、僕は……、

……『あの人達』に愛して貰いたかった。

第三話「魔都」

 世界が一変するまでに掛かった時間はわずか二時間だった。
 何処かへ消えたハリーとドラコの行方を探す為に闇祓い局は捜索隊を編成し、各地へ散った。それが失敗だった。
 ヴォルデモートが率いる死喰い人の集団がアズカバンを襲撃したのだ。闇祓い局が事態を悟った時には全てが手遅れとなっていた。
 大勢の邪悪な魔法使いが自由を手に入れ、同時に悍ましき魔法生物が世に解き放たれてしまった。
 それからの一時間――――、イギリスは阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。

 魔法省の制御から離れた吸魂鬼は無差別に人を襲い始めたのだ。
 マグルの目に彼等の姿は映らない。だが、その存在が齎す災厄に気付けない程、愚かでもなかった。
 初めにロンドンの中心部で百人を超すマグルが一斉に意識を失った。
 その直後、上空一万メートルを飛行していたジェット機が墜落した。
 そして、大勢の死傷者が運ばれた病院の機能が停止した。
 前代未聞の大事件。国民はパニック状態に陥り、政府は次々に報告される大規模な被害の対応に追われた。

 燃え盛る都市。人々の悲鳴。渦巻く絶望が吸魂鬼を更に活性化させていく。
 彼等は遠慮無く接吻を施していき、仲間を増やしていく。そして、更なる絶望を振り撒く。
 闇祓い局はドラコとハリーの捜索を中止せざる得なかった。直ちに全戦力を吸魂鬼の除去に充てねば人類史上に残る災禍を止める事が出来なかった。
 彼等の動きは迅速かつ的確だったが、全ての吸魂鬼を消滅させるまでに被害は大きく拡大してしまった。
 歴史的建造物が燃え尽き、万を超える人命が失われ、都市機能が完全に麻痺してしまった。今後も二次災害が増加していく事を考えれば、被害の全貌を測る事すら出来ない。
 それでも、彼等はよくやった。これ以上の結果など誰にも出す事が出来ない。それ程迅速に事を解決した。
 局長のルーファス・スクリムジョールは優秀だった。最善の手を打った。
 だから、彼等を責めてはいけない。彼等が居なくなった後のホグワーツで起きた事件の責任を追求してはいけない。
 なぜなら、彼等がホグワーツに戻れば、イギリス全土に更なる災禍が広がっていた筈だからだ。

 ホグワーツで大勢の死者が出た。その殆どが子供だった。そして――――、
「アルバス・ダンブルドアが亡くなりました」
 リジーは声を震わせた。
「不意打ちでした。帝王はアズカバンから解放した死喰い人達を伴い、ホグワーツに現れたのです。彼等の行動は迅速でした。初めに生徒を数人、人質にしたのです。彼等はマグル生まれでした。彼等が要求を告げる前に一人の生徒が殺され、残りの生徒は磔の呪文を受けました……」
 恐怖で身を震わせながら、リジーは自らが目撃した一連の流れをハリーとドラコに伝える為に頬を抓った。
「それを見て、生徒の家族が悲鳴を上げました。無防備の状態で死喰い人の前に飛び出し、アッサリと殺されました。そして、気付けば周囲を『悪霊の火』が取り囲んでいました」
 リジーは瞼を閉じ、当時の光景を脳裏に描く。
「恐ろしい光景でした。目の前に炎の壁が立ちはだかっている事を分かっていながら、それでも尚、恐怖から逃れる為に飛び出す生徒がいたのです。その生徒は絶叫しながら無惨な死を遂げました。やがて、死者の数が二桁に達した時、死喰い人達は要求を口にしたのです。『アルバス・ダンブルドア。今ここで自害しろ』……、と」
 呑める筈のない要求。唯一、帝王に対抗出来る力を持ったダンブルドアの命はなにものにも代えられない尊きもの。
 だが、パニックに陥った生徒や保護者達に道理など通じなかった。
「逃げるため、守るためにアルバス・ダンブルドアを守ろうと立ちはだかる教師達を打ちのめしたのです。一人は死に、他の者も大きな傷を負いました。やがて、彼等はダンブルドアの死を求め始めた。『命を差し出せ!!』。そう、死喰い人ではなく、生徒や保護者達が口を揃えて彼に言いました。狂気です……。狂気が蔓延していました。死喰い人が現れて、まだ一時間も経っていないのに、彼等は自らの命惜しさに希望の種を自ら摘み取ろうとしたのです」
 ダンブルドアに選択の余地は無かった。
 逃げる事は出来た筈だ。不死鳥の転移を使わずとも、ホグワーツの校長特権を使えば、『姿くらまし術』で何処へなりとも逃亡する事が出来た。
 だが、目の前で無惨に摘み取られていく命を見捨てる事は出来なかった。
 ダンブルドアは自らの杖をセブルス・スネイプに投げ渡した。
「その杖で自らを殺すよう指示しました。そして……」
 スネイプの放った『死の呪い』がダンブルドアの胸を穿ち、彼の絶命をその場にいた全ての者が目撃した。

「その後、死喰い人達は高笑いをしながらホグワーツの教師達を拘束し、城内に入って行きました。生徒達から杖を奪った上で……」
 あまりにも急転直下な展開にドラコとハリーは唖然としていた。
 まさか、ダンブルドアが殺され、イギリス全土でそこまでの規模の事件が起きているなど想定外だった。
「……いきなりホグワーツに襲撃をかけるなんて、大胆不敵というか……」
 ハリーの言葉にドラコは顔を顰めた。
 ヴォルデモートがここまで大胆不敵な行動に移れた理由は一つ。ハリーが僕を介して手元にあると思い込んでいるからだ。
 予言によって脅威であるとされたハリーが手の内にある事で、残る最大の不安要素の排除に全力を傾ける事が出来た。
「帝王にとっても賭けだった筈だ。だが、勝算は高いと判断したんだろう」
 今までアズカバンに収監されていた憔悴状態の軍勢を率いてでも、後々ダンブルドアに対策を練られてから行動するより勝算が高いと……。
 結果は大成功だ。ダンブルドア亡き後、ヴォルデモートに怖いものなどない。
「どうする?」
 ハリーがドラコに問い掛ける。
 ドラコは一呼吸置いてから言った。
「ヴォルデモートを殺す算段はついている。だけど、今はその時じゃない」
「殺す算段って?」
 ドラコはハリーの耳元に口を寄せると自らの考えを口にした。
 ハリーは大胆不敵とも思えるドラコの作戦に悲鳴を上げそうになった。
「で、でも、その作戦だと君に危険が――――」
「その程度のリスクも負えないようじゃ、帝王には勝てないよ。まあ、いずれにしても直ぐに行動を起こすわけじゃない。タイミングを見計らうんだ」
 ドラコはリジーに視線を向けた。
「フリッカ達はどこに?」
「一度、秘密の部屋に移動しましたが、今は他の生徒達と共に大広間にいます。姿が無い事を勘繰られては危険だとエドワード様が……」
「良い判断だ。君は僕達を……そうだな、グリモールド・プレイス12番地に届けた後、再び、みんなの守護にあたってくれ」
「承知しました」
 リジーは深々とお辞儀をした後に僕達をグリモールド・プレイス12番地に届けた。そのまま、再び姿を消す。
「どうして、僕の家に?」
「ある程度、状況が落ち着くまで身を隠しておいた方がいいと思ってね。ハリーを守る為にダンブルドアが色々と呪文を掛けてくれた。ここなら帝王にも直ぐには見つけられない筈さ」
「なるほど……。とりあえず、中に――――」
「おい!」
 二人がブラック邸に入ろうと歩き始めると、突然、後ろから声を掛けられた。
 振り返ると、そこには見知らぬ少年が立っていた。何故か怒気を表情に浮かばせている。
「えっと……?」
 困惑するハリーを尻目に少年は声を張り上げる。
「お前がハリー・ポッターだな!?」
 自分の名前を見知らぬ人が知っている。そんな奇妙な事がハリーにとっては日常茶飯事だった。
 闇の帝王を滅ぼした少年として、物心付く前から有名になってしまった弊害だ。
「そうだけど?」
 驚きもせず、普通に肯定してしまった。
「お前が……、魔法使い」
 その言葉を聞いて、初めて違和感を覚えた。
 ハリー・ポッターの名前は確かに有名だ。だけど、それは魔法界に限った話。
 目の前の少年の言葉は魔法使いの発する言葉というよりむしろ……、
「君はマグルだな」
 ドラコが言った。
「マグル!?」
「……な、なんだよ、マグルって」
「魔法族では無い者を僕達はそう呼ぶ」
「ド、ドラコ!?」
 ようやく、ハリーの頭が目の前の展開に追い付いた。
 目の前の少年はマグルであり、その少年に向かってドラコは自らの正体を明かしている。
 魔法使いの存在をマグルに教えてはいけない。それが魔法界でもっとも重要なルールなのだと教えてくれたのは彼なのに。
「ハリー。彼は君の名前を知り、『魔法使い』という単語に辿り着いている。なら、隠した所で無駄さ」
「で、でも……」
 ドラコは物言いたげなハリーの口に人差し指を当て、それから少年に向き直った。
 最大限、相手に好意を抱かせる顔を作る。
「それで、君はハリーに何の用なの?」
「あ、えっと……」
 ドラコが顔を寄せると、少年は狼狽した。
 勝負あり。ハリーは少年に同情を寄せた。
 男だと知っていても、フレッド達のように籠絡されてしまうドラコの呪文を必要としない魔術。性別を知らなければ対抗するのは更に難しい。
 初見でドラコの性別を見破るのはもはや不可能に近い。髪、顔、声、語り口調。何から何まで見事に中性的で本人の使い方次第でどちらにも見えてしまう。
「……落ち着いてよ。話がしたいだけなんだから。君もハリーに用事があるんでしょ? まずはリラックスして」
 聞いている内にこっちまでクラクラしそうになる。蜂蜜のように甘い声。耳を愛撫するような口調。
 見事だと拍手喝采したくなる。
「お、俺は……」
「ほら、リラックス。安心していいんだよ? ここに君を傷つける人なんて誰もいない。まずは君の名前を教えてほしいな」
「……ジェイコブ。ジェイコブ・アンダーソン」
「ジェイコブ……。うん。ジェイコブ。素敵な名前だね」
 薬も呪文も使っていない。ただ、語りかけているだけなのに、少年は蕩けるような表情を浮かべ、ドラコに支配されていく。
「とりあえず、家の中に入ろうか。そこでジックリ話を聞かせてよ」
「あ、ああ……」
 大人しく付き従うジェイコブにハリーは溜息を零した。
 なんだか、更に事態がややこしい方向へ滑りだした気がする。

第二話「Point of no return」

 ハリーがクラウチに連れて来られた場所。そこは驚くべき事に『クィディッチ・ワールドカップ』が行われる予定だった場所。
 会場自体は既に解体されていて、ただの草原が広がっている。だが、会場周辺に敷かれた大規模な結界は残っているようだ。
 効果は一年前と比べて格段に落ちている。時間経過と共に篭められた魔力が霧散していき、自然消滅するようになっているようだ。
「それにしても、一年近く経つのに残っているなんて凄いね」
 ハリーが言った。
「いや、恐らくクラウチが魔力の注ぎ足しをしたんだと思うよ。いくら何でも一年以上……あっ」
 下山ルートを探していると、二人は突然青白い光と遭遇した。よく見ると、それは人の形をしている。
 酷く虚ろな表情を浮かべ、ふわふわと空中に浮かんでいる。
「ゴースト……?」
「……そのようだね」
 しばらく見上げていると、ゴーストは急に見えなくなった。
 不思議に思いながら再び歩き始めると、しばらくして、また違うゴーストを見つけた。
「どうして、ゴーストがこんなに?」
 少し歩けばゴーストに出会う。その繰り返し。
 ハリーは首を傾げた。
「囚われているみたいだ」
「囚われてる……?」
 ドラコは興味深げに辺りを見回した。
「結界が死者の魂を囲い込んでしまっているんだよ。魔法省はよほど慌てて会場の解体作業を行ったみたいだね。三大魔法学校対抗試合の事もあったから仕方のない事かもしれないけど……」
 ハリーはドラコの言葉の意味がいまいち理解出来なかった。
 これは闇の魔術の深淵に触れた者にしか分からない事なのかもしれない。
「ハリー。魂は本来輪廻を転生するものなんだ。一部の例外もあるけどね」
「えっと……、仏教の概念だっけ?」
「仏教に限らないよ。世界中の宗教や文化にこの概念は根付いている。実際、人が死ぬと肉体から魂が抜け落ちる。そして、精神と霊魂の結びつきが解け、霊魂だけが次の肉体に宿る。これが輪廻転生のシステムなんだ。だけど、この結界が魂の檻となり、転生を妨害している」
 ドラコはゴースト達を見上げる。
「覚えてるだろ? 去年、ここで起きた惨劇の事。死喰い人の放った『悪霊の火』によって村一つが焼かれ、ワールドカップの観戦に訪れた数人の魔法使いが殺害された。彼等はその時の犠牲者達さ。ゴーストになる為には幾つかの条件を満たす必要があるんだけど……ここではその条件が揃ってしまう」
「条件って?」
「まず一つは現世に未練を持つ事。肉体を失って尚、現世に留まろうと思う程の強烈な未練が必要だ。ホグワーツのゴースト達を見れば分かるだろ? 誰一人、穏やかな死を迎えられた者はいない。『血みどろ男爵』も『ほとんど首無しニック』も凄惨な死を遂げたからこそゴーストになってしまった」
「……ビンズ先生は?」
 魔法史を担当しているカスバート・ビンズ教授もゴーストだが、ハリーにはとても凄惨な死を迎えた人物とは思えなかった。
 ドラコは押し黙った。
「……そう言えば、あの人もゴーストだったね。あれ……、おかしいな」
「よっぽど魔法史の授業が好きだったのかもね」
「あの内容で……?」
 大半の生徒が始まると同時に居眠りを始める程、ビンズの授業はつまらない事で有名だ。
「……あれー」
 ドラコは頭を抱えた。
「なんで、あの人……ゴーストになったんだろう。ホグワーツに居たからなのかな……? でも……条件は満たしやすいけど、やっぱり未練の無い魂は天に召される筈だし……」
 ハリーはクスリと微笑んだ。
 ドラコ・マルフォイという男は実に頭のいい人間だ。そして、その事を自覚している。だから、自分の考えている事が常に正しいものだと誤解している。
 今みたいに自分の考えている事に綻びを見つけると簡単に取り乱す。
「ドラコ。未練なんて、人それぞれだよ」
 ドラコには幾つか弱点がある。一つは自分の考えている事が世界の真実だと誤解している事。
 もう一つは、人の感情を知ってはいても、識ってはいない事。だから、ハリーの本心に気付けなかった。
「僕達にとってはつまらない授業でも、ビンズ先生にとっては最高に楽しい時間なのかもしれない」
「……なるほど」
 ドラコ――の前世の少年――は歪な環境の中で育った。
 本来、人と接しながら学んでいく筈の知識を本やテレビで学んでしまった。
 彼の弱点はそうした成長過程における歪みが齎した弊害だ。
「それで、他の条件っていうのは?」
 ハリーは内心喜んだ。今までは、何から何まで一方的にドラコから教えられるばかりだった。
 漸く、ドラコに教えてあげられる事が出来た。それは人の感情という実に曖昧で説明の難しいものだけど、それでも教えてあげようと思った。
 ドラコが長い時間を掛けて、様々な知識を教えてくれたように。
「もう一つは霊体を留めておく為の『場』を用意する事だよ」
「どういう事?」
「幽体は|霊子《エーテル》の集合体なんだ。要は細かい粒の集まりって事。人体でいう所の細胞にあたるものだね。これが肉体を離れると同時に失われていくんだ。だからこそ、霊魂は新たな肉体を求める。完全なる消滅を防ぐために」
「つまり、『場』は霊子の流出を止める為のもの?」
「そういう事。肉体の代わりを務めるのさ」
「ここの結界が『場』として機能してしまったから、死者の魂がゴーストになってウロウロしているって事か……」
「……ただ、ここの結界は少し弄られているみたいだ」
「弄られている?」
「ゴースト達の霊子が結界に奪われているんだ」
「……霊子を?」
「霊子……即ち、魔力を結界の維持の為に吸われ続けているんだ」
「え、霊子が魔力なの?」
 驚くハリーにドラコは言った。
「霊子って言葉でピンと来ないなら、記憶や精神力に置き換えてもいい。同じものだからね」
「そうなの?」
「霊子というものは魂を構成するものなんだ。そして、魂とは精神と霊魂が結びついたもの。ほら、闇の魔術を使うには強い精神力が必要だったり、守護霊の呪文を使うには楽しい思い出を振り返る必要があるだろ? それはつまり、精神力や記憶といった霊子の一部を消費して魔法を発動させているんだ」
「……それって、大丈夫なの?」
「大丈夫じゃなきゃ、魔法使いは滅んでるよ。霊子っていうのは生きている限り増え続けるものなんだ。細胞と同じようにね。記憶の積み重ねや感情の震えによって」
「なるほど……」
 ハリーは納得すると同時に眉を顰めた。
「生きている限りって事は……」
「そうだよ。ゴースト達の霊子は増えない。だから、結界に霊子を奪われて、消滅寸前の状態に陥っている」
「え……」
 ハリーは浮かんでいるゴーストを見た。ホグワーツのゴーストと比べると色合いが薄い。顔も虚ろだ。
「助けてあげられないの?」
「出来るよ」
 アッサリとドラコは言った。
「簡単さ。結界を解除すればいい。それでゴーストは輪廻の輪に戻る」
「なら……、早く助けてあげようよ」
「そう来ると思った」
 ニヤリと笑みを浮かべ、ドラコは杖を空中に向けた。
「フィニート・インカンターテム」
 その瞬間、空気がガラリと変わった。まるで、止まっていた時が動き出したかのような感覚。
 ゴースト達の姿が次々に消えていき、やがて静寂が訪れた。
「崩壊寸前の結界なら、停止呪文で十分なんだ。さて、思いがけず長居をしちゃったけど、そろそろ帰ろうか」
「……うん」
 ハリーは空を見上げた。あと少しで輪廻の輪に戻る事すらなく、彼等は消滅する所だった。
 そう仕向けたのはクラウチ。
「怒ってる?」
 ドラコが問う。
「別に……」
 クラウチはもう死んでいる。それに彼等と面識があったわけでもない。
 だから、怒りを感じる理由もない。
 そう、冷静に判断している自分にハリーは少し驚いた。ただ、それだけだった。
「助けられて良かったなって……」
「そっか」
 助けられて良かった。その言葉に嘘は無い。だけど……、それはドラコがそう考える事を期待していると思ったからだ。
 仮に助けられなかったとしても、本当は――――、

――――どうでも良かった。

「さあ、帰ろう」
 ハリーはドラコの手を取った。結界を消してしまった以上、魔法を使うことは出来ない。
 そもそも二人は『姿現し術』はまだ未習得だ。
「うん。と言っても、リジーを呼べば直ぐなんだけどね」
「あの屋敷しもべ妖精の女の子? そう言えば、お礼を言いそびれたな。ちゃんと、言わなきゃ」
「喜ぶと思うよ」
 クスリと微笑んでから、ドラコはリジーを呼んだ。
 けれど、いつまで経っても現れない。
「怪我の具合が酷いのかな?」
 ハリーは心配そうな顔を作って言った。
「癒やした筈だし、リジーなら怪我を負っていても僕の命令を優先する筈だ」
 ドラコは眉を顰めた。
「……もしかしたら、厄介な事が起きているのかもしれない」
「厄介な事?」
「リジーとシグレには万が一の時、『フリッカ達を守れ』と命じてあるんだ。その時は強制召喚命令以外を無視して構わないと言ってある」
「それは……」
「ホグワーツで何か起きているって事だね。まあ、リジーとシグレが付いているからフリッカ達の安全は保証されている。他の連中の事は分からないけど……」
「……どうする?」
「とりあえず、少し待ってみよう。命令は届いている筈だから、時間を置けば来てくれる筈――――」
 その言葉とほぼ同時にバチンという音が響いた。
 現れたリジーは頭を地面に擦りつけ、謝罪の言葉を叫んだ。
「申し訳ありません、ご主人様!!」
「謝罪は要らない。何があったか報告してくれ」
 リジーは隻眼に涙を浮かべながら語った。ホグワーツで起きた事件だけではなく、イギリス全土で起きている事件について……。

第一話「ウロボロス」

 その男の子は物心付いた時から病室にいた。
 窓の外には高層マンションが聳え、ロクに景色を拝む事も出来ない。
 テレビや本の知識だけが彼と世界のつながりだった。
 訪れる人間も少ない。医者と看護師を除けば両親と妹だけだ。
 学校どころか幼稚園にも通った事が無いのだから仕方がない。
 友達という言葉自体は知っていても、実際に友達付き合いなどした事もない。
『ぼくはなんのためにいきているんだろう』
 子供が口にするには重すぎる言葉。だけど、それが彼の口癖だった。
 たしかにもっともな言葉だ。彼が生きている事に意味など一つもない。
 むしろ、『生きているだけで両親の稼いだ給料を使い潰す疫病神』だ。
 実の妹から浴びせ掛けられた罵倒に何の疑問も湧かない。
 さっさと死んだほうがいい。
 それで初めて人の役に……いや、迷惑にならずに済む。

『ねえ、せんせー。ぼくはいつになったらしねるの?』
 何の気なしに呟いた言葉。
 それを聞いた医師は表情を強張らせた後に病室を後にして、二度と彼の前に姿を現さなかった。
 言葉が人に齎す影響をその時初めて知った。
 彼の言葉で医師は傷ついたのだ。
 その頃、もう両親と妹は彼を見放していた。罵倒を浴びせに来る事すら面倒になったのだ。
 ただ、世間体の為に生かしているだけで、心の底では彼の一刻も早い死を願っている。その事を彼もよく理解していた。
 実の家族から憎しみ以外の感情を受ける事無く育った彼は始めて経験する『言葉で他者に影響を与える事』に興味を示した。
 それまで内容がイマイチよく理解出来なかった小説を読む事も増え、担当の医師を相手に会話の練習をした。
 まともな会話をした事が殆どなかった男の子。その喋り方はあまりにもたどたどしく、内容もまとまりがない。だが、医師は辛抱強く彼に付き合った。
 やがて、流暢に会話が出来るようになると、彼は医師に愛を求めた。
『先生。僕を愛して』
 本の中で主人公はいつも愛に囲まれていた。
 どんな憂鬱な内容でも必ず一人、主人公を支える人がいた。
 実感は湧かなかった。けれど、それがとても良いものだという事だけは分かった。
 だから、欲しくなった。
『……あ、ああ、いいとも』
 初めはやましい事などなかった。
 家族からの愛に恵まれなかった少年に医師は必死に愛情を注いだ。
 病院食以外の食べ物を持ってきたり、彼の為に本を読んだり、時には頭を撫でる。
 医師が彼に愛情を示す度、男の子は嬉しそうに笑った。

 悲劇の切っ掛けを数えればキリがない。
 ただ、決定的だったのは看護師がお風呂に入れている時に彼が発作を起こした事。
 その時に見た彼の裸体を見た医師は過ちを犯してしまった。
 彼は別に医師を恨んでなどいない。
 看護師が告げ口をするまでの三ヶ月は彼にいろいろな事を学ばせた。
 人の欲望。
 言葉の力。
 体の使い方。
 痛みの意味。
 快楽の扱い方。
 顔立ちや髪型の重要性。
 ……愛の種類。

 後任の医師は厳格な男だった。試しに誘惑してみようと企んだ彼を叱った。
 その医師にも多くを学んだ。
 性格の違い。
 感性の違い。
 思考の違い。
 知性の違い。
 品性の違い。
 気付けば多くの感情を識った。

 美しい少年だった。哀しい少年だった。淫らな少年だった。恐ろしい少年だった。
 多くの人間が道を踏み外した。老いたもの、幼いもの、男も女も気付けば蜘蛛の巣に縛られていた。
 結果として、彼はたくさんの愛を手に入れた。
 だけど……結局、彼の死に際を看取ったのは一人だった。
 規律を尊び、彼のしている事にいつも目くじらを立てていた男だけが彼の死を悲しんだ。
 彼のお気に入りの本を朗読しながら涙を零した。
 彼は最後の最後でようやく本当の『愛』を知った。

――――欲しい。もっと……、欲しい。

 底すら知れない愛への渇望。それがドラコの心を占めていた。
 言葉が直ぐに見つけられない。
「……見たの?」
 泣きそうな声で彼は言った。
「うん。不思議な光景だったよ。君じゃない君がいた。そこでは僕の事が小説になっていた」
 あれは未来の光景なのか、それとも……。
 たぶん、考えても分からない事だ。それに大した問題じゃない。
「君の事はドラコでいいの? それとも……」
「ドラコだ!! 僕はドラコ・マルフォイだ!!」
 必死な形相。彼は今が幸せだと言っていた。
 ドラコ・マルフォイである今が幸せだと。
「分かったよ、ドラコ。それにしても、色々やってるみたいだね」
 思わず嗤いそうになる。可愛い顔して、裏でとんでもない事をやっていた。
「バジリスクに改造人間? ダドリーの好きなアメコミみたいな内容だね」
「……軽蔑したか?」
 鋭い眼差しを向けてくる。答え方次第で彼は僕をクラウチみたいに殺すだろう。
 少し、いじめ過ぎた。反省しないといけないね。
 クスリとほほ笑み、僕は言った。
「するわけないだろ? それとも、軽蔑した方がいいのかな? なんて、酷い真似をするんだ! ……って、君を糾弾した方がいいの?」
「だって……」
「ドラコ。僕は今幸せなんだ」
 ドラコは怪訝そうに眉を顰める。
 まったく……。これで僕の事を理解しているつもりだったのだから笑えてくる。
 ちっとも理解出来てないじゃないか!
「僕は不幸だったんだ。そう思う事すら出来ない環境だったよ。|ダーズリー《マグル》のせいで……」
 ドラコの記憶でマグルが悲惨な目に合っている光景を目撃しても、僕の心は哀れみを感じなかった。ただただ、いい気味だとしか思えなかった。
 生ぬるいとすら思えた。
「ドラコ。僕の今の感情を言葉で表現する事は出来ない。どんな言葉を使っても足りないからだ。だから、見てくれ」
 彼に杖を押し付ける。
「……レ、レジリメンス」
 ああ、僕の心がドラコに流れ込んでいく。僕の過ごした十四年間が……。
 見てくれ、ドラコ。ダドリーのお古をペチュニアおばさんが泥水に浸している。あれが僕の制服になる所だったんだよ。
 見てくれ、ドラコ。バーノンおじさんが僕の髪を丸刈りにしている。実に惨めな姿だろう。
 見てくれ、ドラコ。ダドリーに事ある毎に殴られ、存在自体を否定され、罵倒される日々を……。アイツの取り巻きにサンドバックにされている僕の姿を見てくれ。
「それでも僕は彼等を憎めなかった。心が否定していたんだ。だって、他に家族なんていなかった。友達もいなかった。彼等しかいなかった!!」
 気が付けば涙がこぼれていた。
「僕の世界は階段下の物置だけだった。分かるだろう? 君になら僕の気持ちが……。君だって、君を見捨てた両親を嫌いになれなかった筈だ」
「……ぁぁ」
 どうして、こんなにも彼の事が好きなのか分かった。
 どうして、こんなにも彼が僕に執着したのか分かった。
 あまりにも似ている。
 何も持っていない。誰からも愛されない。狭苦しい世界。
 僕だけが彼を理解出来る。彼だけが僕を理解出来る。
「……ようやく手に入ったんだ。僕達はようやく幸せになれたんだ」
 だからこそ、それを邪魔する存在が許せない。
「ヴォルデモートを殺そう。出来ない筈がない。僕と君が手を組んで、不可能な事なんて何もない」
 彼に手を伸ばす。
「……ああ、そのつもりさ」
 ドラコは優しく微笑み、僕の手を取った。
「僕達で――――」
 その瞳には穏やかな殺意が宿っている。
「ヤツを殺そう。他の邪魔者も全て消そう。僕達は幸せに生きるんだ」
「うん!」
 僕達は笑い合った。
 例え、何者が立ち塞がっても邪魔はさせない。容赦もしない。
 僕達の幸せを邪魔する者は一人残らず殺してしまおう。
 ああ、とても清々しい気分だ。まるで起き抜けにシャワーを浴びたみたいにスッキリとしている。
「とりあえず、帰ろうか」
「うん。みんなが待ってるしね」
「後で秘密の部屋を案内するよ」
「楽しみにしとく」

第十二話「我龍転生」

 話をしよう。そう言っておきながら、ドラコはいつまで経っても口を閉ざしたままだ。
 眠ってしまったのかな? なら、仕方がない。
 星空を眺めながら、僕は笑った。
「どうかしたの?」
「なんだ、起きてたのか」
「起きてるさ。話し掛けておいて、眠ったりしたら、僕は失礼な奴になってしまうよ」
「ヴォルデモートの命令で僕を籠絡しようとしておいて、今更そこを気にするのかい?」
「ああ、気にするね。僕は礼儀正しい人間なんだ」
「そっか……」
 また、沈黙が続く。
「あ、流れ星!」
「え、嘘!?」
 時々、そうやって口を開くけど、それ以上の事は何も話さない。
 静かだ。とても、穏やかだ。
「ねえ、ドラコ」
「なーに?」
「僕の事を殺すの?」
「殺されたいのかな?」
「嫌だよ。僕はまだまだ生きていたい」
 そう思わせたのは君だ。
 ただ漠然と『死にたくない』と思いながら生きていた僕に君が生きる楽しさを教えてくれた。
 僕の居場所を作ってくれた。
「初めて出会った日の事を覚えてる?」
「もちろんさ。君は不安でいっぱいって顔をしてたね」
「そりゃそうさ! いきなり現れた大男に『お前は魔法使いだ』って言われて、そのまま魔法使いが跋扈する街に連れて来られたんだよ? まるで、夢の中を歩いているみたいな気持ちだった。いつ、目を覚ましてしまうか怖くて仕方がなかったんだ」
「その気持ちは僕にも理解出来るよ。今だって、僕は怖い。目を覚ましてしまうんじゃないかって……」
「あはははは。君は目を覚ましても魔法使いだろ? だって、あんな素敵なパパとママがいるんだから!」
「ああ、本当に素敵な人達だよ。だから、怖いんだ」
「どうして?」
「だって、目を覚ましてしまうかもしれないから……」
「言ってる意味がわからないよ」
「……うーん。説明し難いな」
「そっか……」
「そうなんだ」
 僕は月に向かって手を伸ばす。
「君は今が幸せなんだね」
「ああ、幸せだよ」
「僕もだよ。今が幸せなんだ」
 いつも、怯えていた。狭い個室の中だけが僕に安息を与えてくれた。
 蜘蛛の巣と埃だらけの物置。そこだけが僕の世界だった。
「ハリー」
「なーに?」
「僕を殺したい?」
「殺して欲しいの?」
「うーん、悩みどころだね」
「悩むんだ……。生きていたくないの?」
「……『最近』、生きていたくなった。うん。今はまだ生きていたいかな」
「変な答えだね」
「そう?」
「うん。とても変だよ。ある意味で君らしい」
「それは僕の事を変だって、言ってるの?」
「そうだよ?」
「え……」
 ショックを受けているみたいだ。どうやら、自覚が無かったらしい。
「君ほどの変人はそうそういないと思うよ」
「そうかな……」
「そうだよ」
「そっか……」
 哀しそうな声。思わず吹き出しそうになった。
 君は他の人と違う。何から何まで。
「試しに聞くけど……、どんな所が変?」
「そうだなー」
 僕は少し考えた後に言った。
「君って、嘘を吐かないよね」
「そう?」
「うん。君は敢えて言わない事はあっても、嘘を吐かない。それと……君って、僕が『教えられた事を何でも信じる素直な奴』って、思ってるでしょ?」
「うん。君は実に素直でいい奴さ」
「そのいい奴って言葉に何を含ませているのか、僕もさすがに気付いてるよ」
「え……」
「ほら、意外そうに……。褒めてるようで、実は馬鹿にしてるよね」
「いや、そんなつもりは……」
「まったく、酷い奴だよ」
 僕はクスクスと笑った。
「君に何かを教えられる度、僕は本を読んだよ。僕に声を掛けてくる人に逆に質問したよ。気付いてた?」
「え……」
 僕は大袈裟な溜息を零した。
「君は頭が良いけど、頭の良い君の考えが必ずしも世界の真実とは限らないんだよ」
 一年生の頃、スリザリンの他の寮生達は僕から距離を取っていた。あまりにもあからさまで分かりやすく避けられていた。
 マグルの学校に通っていた頃……、ダドリーが僕に友達を作らせない為に周りに距離を置かせていた頃の空気と同じだった。
 そんな状態を作る人間を僕は直ぐに信用する事が出来なかった。だから、ドラコの言葉の真贋を一つ一つ確かめた。『ハリー・ポッター』の名前に近づいて来るミーハーな生徒達にそれとなく話を聞き、図書館で魔法使いの歴史を学んだ。
 ドラコの言葉に嘘が一つも無い事が分かると、ようやく彼の思惑を理解する事が出来た。
「君は僕を独占したかった。だから、僕に他の友達を作らせない為に他の寮生達を僕に近づけなかった。違う?」
「うっ……」
 図星だね。
「怒ってる?」
「うん。僕は内心、とても寂しかったんだよ。折角、『この場所』で始められると思ったのにさ……」
「始める?」
「友達を作って、夢を持って、やりたい事をやる。僕は『幸せ』を始められると思っていたんだ」
「あ……」
「なのに、友達が全然出来ない。明らかに何か企んでる君としかまともに会話をする事も出来ない」
 責めるように言うと、ドラコは気まずそうに押し黙った。
「……ごめん」
「許して欲しい?」
「う、うん。出来れば……」
 僕は笑った。
「だーめ」
「……そっか」
「だって、別に怒ってないし」
「え……?」
 意外そうな声。
「君は僕の事を見ているようで全然見てないよね」
 クスクスと笑いながら言うと、彼は上半身を起こして僕を見下ろした。
 その瞳に宿っている感情を僕は確信を持って言い当てる事が出来る。彼は戸惑っている。
「ドラコ。君がクラウチの言葉を肯定した時、僕が何を考えたか分かる?」
「……裏切られた。そう思った筈だ。だけど――――」
 僕は爆笑した。涙が出る程笑った。
「うん。ちょっとだけ正解かな。一瞬、君が嘘を吐いたんだと思った。クラウチの言葉を真実だなんて思いたくなかったからね。だけど、直ぐに思い直したよ。やっぱり、クラウチの言葉は真実で、君も嘘なんて吐いてないって。それで、少し考えてみた。ヴォルデモートが君に僕を籠絡しろって命じた事は本当かもしれない。だけど、それはいつ? 数年前って事は無いよね。だって、その時はまだ復活出来ていなかった筈だ」
「ハリー……、君は」
 僕は唇の端を吊り上げて言った。
「これでも僕は君達と一緒に勉学に励んできたんだよ? この傷の痛みと共に見た夢が単なる妄想なんかじゃないって事くらい分かるさ。何と言っても、この傷は最悪の闇の魔法使いが最悪の闇の魔術で付けたものなんだから、ヴォルデモートと何らかのつながりが出来ていたとしてもおかしくない」
 ドラコが息を呑む音が聞こえる。やっぱり、僕が気付いていないと思っていたみたいだ。
 まったく、バカにして……。
「そうなると、君は少なくとも今年に入ってから命令を受けた筈だ。なら、少なくとも去年までの僕に対する態度は命令を遂行する為じゃなかったって事。違う?」
「違わないよ。今だって……」
 その言葉を聞いて、僕の心に歓喜が湧いた。
「君はこの世で誰よりも僕の事を理解していると思っているよね? だけど、それは違うよ。まったくもって見当違いだ」
 僕も上半身を起こし、彼を見た。
 その微笑みは誰よりも優しくて穏やかだ。その声に誰もが癒される。その顔は誰もが一目置かずにいられない。|完成さ《つくら》れた美。
 その姿はそのまま彼の在り方を示している。
「逆だよ。この世で誰よりも君の事を理解しているのが僕さ。だから、僕は君の考えている事を言い当てる事が出来る」
 僕はその頬に手を伸ばし、その耳元に口を寄せて囁いた。
「君はヴォルデモートを倒すつもりだ。だけど、今はその段階じゃない。チャンスを待っている。そうだろ?」
 まるでひきつけを起こしたみたいに彼は体を震わせた。
「ドラコ。君は僕を手に入れる為に頑張ってくれたんだよね。ヴォルデモートを倒すのも僕を手に入れる為だろ」
 僕に素直と彼は言った。だけど、それは違うよ。誰よりも素直なのは君だ。
 だって、こんなに分かり易い。
「僕はとっくに君のものだよ」
 ああ、口元が緩んだ。喜んでいる。
「だから、僕にも君をちょうだい」
 今度は戸惑っている。僕は彼の唇に人差し指をあて、微笑んだ。
「君の隠している事を全て教えてくれ」
 その手に握っていた杖を掴み取り、僕は彼に杖を向けた。
 咄嗟に抵抗しようとするけど遅い。
 駄目だよ。所有物が所有者に隠し事をするなんて。代わりに僕の全てを教えてあげるからさ。
「や、やめ――――」
「レジリメンス!」

第十一話「魔刻」

「ミスタ・マルフォイ」
 考え事をしながら廊下を歩いていると、不意に背後から声が掛かった。
 振り向くと、意外な事に立っていたのはマクゴナガル教諭だった。
 授業中以外で彼女と話す事は極めて稀だ。普通、教師から生徒に話がある場合、寮監を通すもの。僕の場合はスネイプだ。
「どうしました?」
「ハリー・ポッターの第二の試練について話があります。ついて来なさい」
 ああ、そういう事か……。
 ダンスパーティーも無事終わり、いよいよ第二の試練が数時間後と迫っている。
 対策として、鰓昆布をスネイプ教授から譲ってもらった。
 今のところ、問題と言えば魔法界のパパラッチこと、リータ・スキーターが些か鬱陶しいくらいだ。
 品性を持たない女は醜悪の極みだ。
 奴はハリーがスリザリンに入寮した事を面白おかしく記事にしようとしていた。
 さすがに影響力の強い名家の人間が多く在籍しているスリザリンを挑発する真似は出来ず、記事は穏便なものに差し替えられたようだが。
「ミスタ・マルフォイ?」
「あ、すみません」
 いけない。考え事は後にしよう。
 打てる手は全て打った。後は天命に任せるのみ。
 しかし、試練で救出する人間はダンスパーティーのパートナーが担うものだと思っていたがアテが外れたな。

 結局、第二の試練も問題なく終わった。鰓昆布の力は絶大で、ハリーは一番乗りでゴールした。
 物語のように他の『人質』を救出する為に待機する事もなく、淡々と水面まで浮上したようだ。
 クラムのパートナーがハーマイオニーでは無かった事や、チョウ・チャンとあまり親しくなかった事も要因の一つかもしれないけど。
 チョウといえば物語中ではハリーの初恋の相手だった女生徒だが、ハーマイオニーとルーナの虐めの件があって、ハリーはレイブンクローの生徒をあまり好ましく思っていないみたいだ。
 それにしても、万が一に備えてリジーやシグレを待機させていた甲斐が無かった。
 もっとも、最悪の場合、ハリーはメガネを装着しているからバジリスクの魔眼で全てを死滅させる事も考えていただけにホッとしている部分もある。
「それにしても、奴の狙いは何なんだ?」
 第三の試練まで一週間と迫る日の茶会の席でノットが言った。
「僕達の支援で作戦が上手くいっていない……、という事では?」
「そうなると、ますます奴の暴走という可能性が高まるな。奴の行動が帝王からの密命を受けてのものなら妨害している僕達に何らかのアクションがある筈だ」
「だけど、第一、第二の試練で何も行動に移らなかった理由は? 支援と言っても、危害を加えようと思えば幾らでも……」
「ただ臆しただけの可能性は?」
「馬鹿な……。奴が十四年前に何をしたのか知らないのか? 大胆不敵とは奴のためにある言葉だぞ」
 議論は何も進展を見せない。
 欠片でも奴の計画の片鱗が見えれば話も違うのだが、奴は試練に対して傍観を決め込んでいる。
 やはり、最後の試練に的を絞っているのか?
「炙り出そうとしている?」
 一人の生徒がポツリと呟いた。
「どういう事?」
 近くの女生徒が尋ねる。
「僕達を泳がせているのかも……。反乱因子を見つけ出す為に」
「だから、それはあり得ないってば。ハリーの事はドラコに一任されてるんだから」
「でも……。他に思いつかないよ」
「とりあえず……」
 僕は一同を見回して言った。
「最後の試練に備えよう。気の緩みかけている今この瞬間を狙ってくる可能性もある。油断大敵だ」

 ついに最後の試練の日がやってきた。
 競技場に作られた大迷宮。そこに得点が高い順に入って行き、最初に突破した人間が勝者となる。
 僕は試合開始の直前、ハリーを呼び止めた。
「ハリー。これを持って行ってくれ」
「これは?」
「お守りみたいなものさ」
 渡したのはキーホルダー。何が起きるか分からない状況だから、僕はリジーに変身呪文を掛けた。
 緊急時には正体を明かしてハリーを守るよう命じてある。
 水中戦である第二の試練ならともかく、こんな場所でシグレを使う事は出来ない。
「……油断をしないでくれ。十中八九、罠を仕掛けた者はこの試練の間に仕掛けてくる筈なんだ」
「うん。わかってる。安心してよ、ドラコ。僕は必ず無事に試練を潜り抜けてみせる」
「ああ……」
 試練自体に不安はない。ハリーは勉強会や試練に向けての訓練で既に最終学年の魔法も取得している。
 知識も知恵も十分。
「頑張れ、ハリー」
「うん!」
 ハリーは颯爽と選手の集合場所へ向かっていく。

 現在の順位はハリーがトップだ。第一の試練ではカルカロフのクラム贔屓によって二位に甘んじたが、第二の試練を一番乗りでゴールした事で一気に他を引き離した。
 トップバッターとして、大迷宮に入って行くハリー。
 此処から先はもう見守る事しか出来ない。
「ハリーは大丈夫かな?」
「心配すんな! 彼はハリー・ポッターだぞ!」
「頑張れ、ハリー!」
 スリザリン寮の生徒達が声を張り上げてハリーを応援する。
 その声に続くように他の寮の生徒達もハリーの名を叫ぶ。
「ゴー! ゴー! ハリー!!」
「頑張れ、ハリー!!」
「いけぇぇぇぇ!!」
 そして、二番手のセドリックが出発する。
「セドリック!!」
「がんばれぇぇぇ!!」
 すると、今度はハッフルパフを中心にセドリックコールが始まる。
 その後のクラムとフラーが出発した時もそれぞれの学校の生徒達が声を張り上げた。
 もはや、自分の声すら判別出来ない程の声の嵐。
 そして――――、

 光が大迷宮の上空へ放たれた。
 何事かとざわつく僕達にバグマンが嬉しそうな顔で宣言する。
『勝者が決まった!』
 みんなの目がバグマンに釘付けとなる。
『今、大迷宮の壁が崩れ、勝者の姿を我々に見せてくれるだろう!』
 彼の宣言通り、大迷宮の壁が崩れていく。
 その時になって気付いた。
「……クラウチはどこだ?」
 バグマンの近くにも、教師や闇祓いが座る席の近くにもいない。
 そうこうして、僕がクラウチを探している間に迷宮の壁が完全に消え去り、そして、誰もが言葉を失った。
 ゴールらしき台座にいるべき者がいない。
「何故だ……」
 問題が起きたのならリジーが転移を使う手筈になっている。
 なのに、何故すぐ戻ってこない?
 僕は気付けば駆け出していた。
「ハリー!!」
 バグマンの静止を振り切り、ハリーの姿を探す。
「どこだ、ハリー!!」
 物語通り、ボート・キーを使われたのか、それとも……。
 いや、いずれにしてもリジーの存在に気付ける筈がない。そして、気付けなければリジーの転移を妨害する事も不可能。
 どうなっている……。
「き、君、落ち着きたまえ!」
 バグマンが僕の肩に手を掛ける。その瞬間、バチンという音が響いた。
 目の前に血塗れの小人が姿を現す。
「リジー!?」
 駆け寄ると、リジーはゼェゼェと息を吐きながら必死に口を動かした。
「も、申し訳ありません。ハリー・ポッターをお守りする事が出来ませんでした。優勝杯がボート・キーだったのです。咄嗟にハリー・ポッターをお連れして転移しようと思ったのですが、奴が近すぎました」
「……すまない、リジー。もう一仕事してもらうぞ。まずは僕を奴の場所へ連れて行け」
「かしこまりました」
「待つのじゃ、ミスタ・マルフォイ!!」
 ダンブルドアが駆け寄ってくる。だが、待っている時間などない。
 リジーの手を掴むと、僕は次の瞬間、見知らぬ土地に立っていた。

◇◆◇

 最初、何が起きたのか分からなかった。僕は数々の障害を乗り越えて優勝杯に手を伸ばした。その瞬間、まるで何かに引っ張りあげられるみたいに空へ舞い上がり、見えない力の渦に呑み込まれた。そして、気が付けばここにいた。
 目の前には嬉しそうな顔で僕を見るバーテミウス・クラウチの姿。
 直ぐに理解した。
「……お前が罠を仕掛けた死喰い人か」
「大正解。素晴らしいぞ、ハリー・ポッター」
 瞬間、ドラコから貰ったキーホルダーが震え始めた。
「なんだ、それは――――」
 奴が手を伸ばした瞬間、キーホルダーは奇妙な生き物に変身した。
「屋敷しもべ妖精だと!?」
「ハリー・ポッター!! 離脱します!!」
 その生き物が何者なのか僕にはサッパリ分からなかった。
 だけど、疑う気持ちは欠片も湧かなかった。
「させるか!」
 僕と妖精の手が触れ合う寸前、クラウチが詠唱無しで放った赤い光によって妖精が吹き飛ばされた。
 妖精はすぐに起き上がると、クラウチに衝撃波を放ち、直ぐに僕の下へ戻ろうとする。
「ハリー・ポッター!! 御主人様……、ドラコ・マルフォイの下へ!!」
「あ、ああ!」
 僕も彼女の方へ走る。
「邪魔はさせんぞ、しもべ妖精!!」
 今度は僕の体が宙に浮かんだ。もがく暇も無く、離れた場所に放り出される。
 その間に妖精は赤い光に呑み込まれた。ふらふらになっていく彼女の姿に怒りが湧く。
 彼女の正体は分からないままだけど、少なくとも僕を助けようとしてくれている事だけは分かる。
 その彼女を痛めつけるクラウチの暴挙が許せない。
「やめろ!!」
 無言呪文なら僕にも使える。麻痺呪文を放ち、奴を妨害しようと試みた。
 だが――――、
「鬱陶しい!!」
 僕の呪文を飲み込み、紫の光が走る。
「いけない!!」
 バチンという音と共に目の前に妖精が姿を現す。その身で呪文を受ける。
 瞬間、彼女の全身に無数の切り傷が生まれた。
「あが……あぁぁぁ」
 地面を転がる妖精に僕が手を伸ばした瞬間、再び僕の体が浮いた。
「屋敷しもべ妖精め……。あの小僧の手先か。だが――――」
 殺される。このままじゃ、僕を助けてくれた妖精が殺されてしまう。
「逃げろ!! 僕に構うな!!」
「黙れ、ハリー・ポッター!!」
 僕の叫び声にクラウチが反応した。その隙をついて、妖精は立ち上がる。
「……直ぐに戻ります」
 バチンという音と共に妖精が姿を消した。
「しまった!!」
 憤怒に表情を歪めながら、クラウチは僕の下へやって来る。
「僕を殺す気か?」
「ああ、そうだ! 帝王に貴様の命を献上する」
 表情が歪んだ笑みに変わった。恍惚とした顔で僕を見つめる。
 狂っている。
「……お前は馬鹿だ。死んだ奴の為にこんな事――――」
「死んだ奴? ああ、お前は何も分かっていない」
 クラウチは心底おかしそうに笑った。
 背筋に冷たい汗が流れる。
「帝王はとっくの昔に復活している。今頃、アズカバンに囚われた盟友達を解放している筈さ」
 思わず、耳を疑った。
「馬鹿な……。そんな筈ない!! 奴は死んだ筈だろ!!」
「愚かだなぁ、ハリー・ポッター」
 クラウチは嬉しそうに僕に手を伸ばした。咄嗟に反撃しようと杖を振ると、逆に奴の放った呪文によって杖を弾き飛ばされてしまった。
 そのまま、奴の杖から飛び出したロープによって体を拘束されていく。
 もがくほど、ロープが締め付けてくる。
「いい格好じゃないか。実に扇情的だぞ」
「ふざけた事を――――」
 その瞬間、バチンという音が鳴り響いた。
 音の方向に顔を向けると、そこには豊かな金髪を夜風に靡かせる親友の姿があった。
 その顔は僕の知る彼のものではなかった。
「クラウチ……。やってくれたな、貴様」
 憎悪に満ちた声。
「ハッハッハッハ!! 手柄を取られる事が悔しいか、ドラコ・マルフォイ!!」
「手柄……?」
 僕が首を傾げると、クラウチは言った。
「ああ、哀れだなぁ。お前は何も知らない。帝王の復活の事も、親友と思い込んでいる男の企みも」
「な、何を言って……」
 嫌だ……。聞きたくない。
 何故か分からないけど、猛烈に嫌な予感がした。聞けば世界が崩壊してしまうような、そんな恐怖を感じた。
 だが、奴は口を閉ざさない。嬉しそうに、愉しそうに、奴は言った。
「ドラコ・マルフォイは帝王から命令を受けていた。お前を籠絡しろ、と」
「う、嘘だ!!」
 帝王の命令? 何を言っているんだ。そんな筈ない。
「本当だとも。こんな場所まで来るなんて、よほど焦っているんだな。ハリー・ポッターの命を帝王に捧げるのは自分だと思っていたのだろう。だが、残念だったな!! この者を殺すのは貴様ではなく、この俺だ!!」
 僕はドラコを見た。
 否定してくれ。そんなの嘘だと言ってくれ。
「……ハリー。奴の言葉に偽りはない」
 その言葉は容易く僕を絶望に追い込んだ。
 まるで、足場が崩れたみたいに起き上がり掛けていた体が地面に沈んだ。
「嘘だ……。嘘だ……。嘘だ……」
 帝王の命令……?
 僕を籠絡しろって言われた?
 その為に今まで……?

「そんなの……嘘だ」
「クハハハハハッ! 実に愉快だな。なるほど、この顔を見せれば帝王もさぞや喜ばれた事だろう。まるで、何もかも失った抜け殻のような顔。ああ、帝王がお前に期待を寄せる気持ちも分かる」
 クラウチは心底愉しそうにドラコとハリーの顔を見比べた。
「満たされていた心が一気に枯れ果てる程の絶望。ああ、認めよう。俺にもこんな芸当は出来ない。芸術家の如き才覚だ」
 闇に満たされた草原でクラウチは只管笑い続ける。
「だが、その成果を帝王に見せる事は叶わない。この小僧の命は俺のものだ」
「ハリーの事は僕に一任されている筈だぞ」
「ああ、その通りだな。だが、俺も帝王から命令を受けている」
「命令……?」
 クラウチは言った。
「帝王は今宵、アズカバンに囚われる盟友達を解き放つ。その為に騒ぎを起こせと命じられた。内容は俺に任せると……」
「だから、ハリーを殺すのか?」
「そうだ」
 ドラコは嗤った。
「なるほど……。僕達の考えはある意味で正解でもあり、間違いでもあったわけか」
「何の話だ?」
「別に……、こっちの話だよ。それよりもバーテミウス・クラウチ・ジュニア」
 ドラコは口元を歪めて言った。
「そろそろ返してもらうよ。僕の友達を」
「は?」
 バチンという音が鳴り響く。また、屋敷しもべ妖精かとクラウチは杖を握りながら周囲を見回した。
 だが、屋敷しもべ妖精の姿はなく、代わりに一人の女が立っていた。
「実戦データを取る良い機会だ」
 女は赤い瞳をクラウチに向けた。
 その手には細身の剣が握られている。片方にしか刃の無い奇妙な形状。
 クラウチは咄嗟に杖を振った。その直後、彼女は十メートル離れた場所に現れた。
 魔法による転移ではない。単純に速いのだ。何度呪文を放っても、魔法が届く前に大きく距離を取られている。
「馬鹿な……! アバダ・ケダブラ!!」
 緑の閃光が飛ぶ。だが、その閃光が杖から飛び出した時には既に女はクラウチの背後に回っていた。
「殺せ、マリア」
 間の抜けた顔。胴体から切り離されたクラウチの首は自分に起きた出来事を理解出来ずにいる。
 そのまま、首は地面を転がる。
「上出来だ」
 刃を収めるマリア・ミリガンにドラコは満足気な笑みを浮かべた。
「……さて、お前はリジーと秘密の部屋に戻れ」
「かしこまりました」
 バチンという音と共にリジーが現れる。
「リジー。すまなかったね」
 治癒呪文を施しながらリジーの頭を撫でる。
「お疲れ様。ゆっくり休んでくれ」
「……はい、御主人様」
 二人が転移するのを見届けた後、僕はハリーを見下ろした。
 涙を流しながら呆然と夜空を見つめている。
 僕はそんな彼の隣に腰を下ろし、同じように仰向けになった。
「ハリー。少し、話をしよう」

第十話「真実を求める者達Ⅳ」

 迫る拳を紙一重で躱し、顎を撃ち抜く。奴のダンプカーのような巨体が崩れ落ち、勝敗が決した。
「……あ、あれ?」
 奴の取り巻きが困惑の表情を浮かべる。負けるとは欠片も考えていなかった。そう顔に書いてある。
 俺は床で目を丸くしているダドリー・ダーズリーの肩を揺すった。汗でベットリしている。ゲンナリしながらズボンで手を拭い、奴が自然に起きるのを待った。
 数秒後、漸く目を覚ましたダドリーは負けた事に腹を立て、掴み掛かって来た。
 馬鹿な奴だ。自分が何の勝負で負けたのかを忘れている。俺は奴の足を引っ掛けて転ばせた。コンクリートの地面に転がる奴の足を踏みつける。
 ここにレフェリーは居ない。ジムからの帰り道、突然、ダドリーが勝負を仕掛けて来た。思っていた以上の単細胞。だが、この状況は俺にとっても望んでいた事。
 ダドリーを観察する内に気付いた事がある。こいつは基本的に他人を見下している。こいつが他人の意見に耳を貸す事があるとしたら権力者や圧倒的な強者に対してだけだ。
 だから、ハリー・ポッターの事を聞き出す為には温厚な手段など取っていられない。一度、徹底的に痛めつける必要がある。
「おい、ダドリー。もちっと、本気を出せよ。じゃねーと、骨を折るぞ」
「ウガァァァァ!!」
 もはや人間というより野獣だ。言葉すら使わなったダドリーは単調な攻撃を繰り返す。
 奴は軽い挑発に全力で引っ掛かった。
 俺は一方的にダドリーを叩きのめした。奴がもはや反撃する気にもなれないくらい徹底的に。
 他の奴も逃げ出そうとしたから顔を判別出来ない程度に殴った。
 全員が俺に対して怯えている。だが、まだだ。この程度では意味がない。
 スラムで学んだ事だ。怯えている内はまだまだ序の口。
「オラッ」
 死なないように、後遺症を残さないように傷めつける技術は元々持っていた。
 殺される。そう、相手が確信するレベルの暴力。奴から必要な情報を得るにはそのくらい傷めつける必要がある。
「ダドリー。俺はお前に幾つか聞きたい事があるんだ。答えてくれるよな?」
「は……はぃ」
 呼吸をするだけでも辛い程の怪我を負いながら、ダドリーは必死に答えようとする。
 答えなければ殺されると本能レベルで悟ったのだ。殺さないけどな。
「単刀直入に聞く。ハリー・ポッターについて教えろ」
 その時の奴の顔は実に奇妙だった。
 恐怖、憎悪、憤怒、嫌悪。様々な負の感情が交じり合った悍ましい顔。
 死の恐怖の中で尚、奴はそれだけの感情を噴出した。
 ハリー・ポッター。一体、何者なんだ? 俺は奴に答えるよう強要した。
 だが、驚いた事に奴はこの状況で口を噤んだ。
「おいおい、俺の質問が聞こえなかったのか?」
 更に暴力を加えても、奴は答えなかった。ただ、その目がズタボロになっている取り巻きの連中を見ている事に気付いた。
 知られたくない。そう言っているような気がした。だから、俺は取り巻き連中の意識を刈り取った。
「別に殺しちゃいねーよ」
 思ったより仲間思いだったらしい。一瞬、殺意に満ちた視線を向けられた。
 一方的にボコられている状況でそれだけの意地を見せられる奴とは思っていなかったから、少し見直した。
「それで? 奴等に聞かれたくなかったんだろ。もう、今は俺以外誰も聞いてない。答えられるよな?」
 俺は奴の眼球近くに近くに落ちていた釘を向けながら言った。
「言わねーなら、二度と友達や家族の顔を見る事が出来なくなるぜ?」
 それがトドメになった。奴は漸く喋り始めた。
 俺の望んでいた答え。俺が恐れていた答え。この世の裏側に蔓延る『真実』。
 十四年前、ダーズリー家の玄関先に捨てられていた男の子。
 ダドリーの母の妹の子だと言う。
 ハリーは幼い頃から奇妙な力を持っていた。髪を短く切っても直ぐに元通りの長さに戻ってしまったり、気付けばあり得ない程遠い場所に瞬間移動していたり、数を上げていけば両手の指では足りない程、奇妙な事件を巻き起こした。
 そんなハリーの元に四年前、奇妙な手紙が届いた。ダドリーの両親はその手紙を恐れ、国中を駆け巡り逃げ続け、果ては孤島に身を寄せた。
 そこにハグリッドと名乗る巨漢が現れ、ハリーを魔法界に連れて行った。
 そう、ハリー・ポッターは魔法使いだったのだ。この国……いや、世界には魔法使いがたくさん居て、その子供達は魔法学校に通い力の扱いを学ぶらしい。
 魔法の杖を振り、箒に乗って空を飛ぶ。そんな化け物との生活はダーズリー家の人々にとって恐怖以外の何者でもなかった。
 少しでもまともに……人間になるよう必死に教育を施したが無駄に終わり、奴は何度も彼等を脅したという。
 やがて時が経ち、半年前。ハリーは監獄に入れられていた後見人と養子縁組を結び、姿を消した。清々するというより、恐怖を感じたとダドリーは呟いた。
 テレビでも散々報道されていた猟奇殺人鬼と手を組んだハリーがいつ彼等を殺しに来るか、その事が只管恐ろしく、彼は他者を傷つける事で恐怖を紛らわせていたという。
 そこまで聞き、俺は奴が急に哀れになった。
 ダドリーもまた、『真実』の被害者なのだ。
「ジェイコブ・アンダーソン。お前はどうしてハリーの事を聞くんだ? お前の目的は何なんだ?」
「……俺達の目的は『真実』を知る事だ。世の中の裏側に潜む理不尽の元凶を見つけ出す事。それが俺達の目的だ」
「怖くないのか?」
 まるで体の中に溜まっていた膿を吐き出したみたいに奴は晴れやかな表情で俺に問う。
「怖くない……と言えば、嘘になるな」
「なら、どうして奴等を追うんだ?」
「……取り戻したいからさ。理不尽に奪われたものを」
「そっか」
「おう」
 痛みが引いてきたのだろう。ダドリーはゆっくりと立ち上がった。
「僕は奴の事が心の底から憎い。アイツが居るから、パパもママも怯えていた。愛し合って、仲の良い二人がハリーの事で何度も喧嘩をしたし、何度も泣いた。その癖、勝手に居なくなって、僕達に恐怖の種だけ残していきやがった……」
 その瞳にはメラメラと燃える炎が宿っていた。
「僕の家族に散々傷をつけた奴を僕は許さない」
「……それで?」
「グリモールド・プレイス 十二番地」
「は?」
「グリモールド・プレイス 十二番地……。アイツは後見人と共に姿を消す前、そう呟いていた。もしかしたら、そこに住んでるのかもしれない」
「ダドリー……」
「奴に一発お見舞いしてくれ。お前の拳を! それで今日の事はチャラだ」
「……オーケー。了解だ」
 ダドリーは仲間を起こすと俺に向かって言った。
「また、ジムに来いよ? 次は僕がお前を叩きのめす番だ」
「……ッハ。また、地面を舐める事になるぜ?」
「次はリングの上だ。ルール無用の喧嘩じゃないんだぜ?」
「吹っ掛けてきたのはお前だろ……ったく、分かったよ。次はリングの上で勝負だ」
「おう!」
 俺はダドリー達と分かれた後、直ぐに探偵事務所に戻った。そこには驚いた事にメンバー全員が勢揃いしていた。

 所長のレオ・マクレガー。
 副所長のジョナサン・マクレーン。
 スカーフェイスの女、リーゼリット・ヴァレンタイン。
 元中国マフィア『崑崙』の幹部、ワン・フェイロン。
 元ドイツ傭兵部隊『イェーガー』のメンバー、マイケル・ミラー。
 日本人ジャーナリスト、マヤ・ハネカワ。
 アメリカ人バーテンダー、アレックス・ロドリゲス。
 情報屋、アネット・サベッジ。
 俺を含め、総勢九名からなる多国籍軍とロンドン警視庁のフレデリック・ベイン警視長を始めとした外部協力者達によって、この探偵事務所は運営されている。
「勢揃いなんて珍しいな」
「収穫があったもんでね」
 マヤと会うのは特に久方振りだ。彼女とロドリゲス、それにアネットは本業が別にある。
 マヤはジャーナリストとしてイギリス全土を飛び回っているから帰ってくるのは月に一度か二度程度。
 正式な所員になるまでの間、俺は彼女の帰りをいつも心待ちしていた。それというのも、彼女はロドリゲスと共にマリアの捜索を続けてくれていたからだ。
「そっちもか!」
「という事はそっちも?」
「おう!」
 どうやら期せずして同じタイミングで情報が揃ったようだ。
 幸先の良さを感じながら、俺はリズとフェイロンの間に座った。
 いつからか忘れたけど、気が付くとそこが定位置になっていた。
「ジェイクも帰って来た事だし、早速聞いてみて!」
 マヤはボイスレコーダーを取り出すと、スピーカーに接続した。
 再生ボタンを押すと、スピーカーからガヤガヤと音が響き始める。
 やがた、罅割れた音声の中に『魔法』や『ホグワーツ』、『9と3/4番線』、『魔法魔術学校』、『呪文』などという単語が混じり始め、やがて明確に『魔法界』という言葉が現れた。
「アーニャの情報は確かだったのよ!キングス・クロス駅には秘密の出入口があった!」
「魔法界……。魔法ねぇ」
 フェイロンは忌々しげにその単語を呟いた。
「ホグワーツってのは、そのいけ好かないペテン師共の巣窟ってわけだ」
 ロドリゲスが吐き気がするといった表情を浮かべて言い捨てた。
「魔法なんて、マジであんのかよ……」
 リズが半信半疑の様子で呟く。
「ある……、みたいだ」
 俺はダドリーから聞き出した情報を口にした。
「……とりあえず、敵の正体は分かった。その根城も」
 フェイロンは口元を歪めて言った。
「でかしたぞ、ジェイク。グリモールド・プレイス 十二番地か……。しばらく、そこを張ろう」
「一人だとさすがに危険だ。私も行こう」
 ジョナサンの言葉にロドリゲスが待ったを掛けた。
「爺さん、無理すんな! 俺が行くよ」
「私も行くよ!」
「俺も行くぞ!」
 漸く掴んだ敵の居所。留守番したいと思っている者は一人もいない。
 結局、話し合いの末にマヤとロドリゲス、フェイロン、ミラーの四人が当番制でグリモールド・プレイス 十二番地を監視する事に決まった。
 俺は反論したけど、奴等は頑として俺の言葉を聞き入れなかった。
「お前さんにはもう一つ仕事があるだろ?」
 ロドリゲスが言った。
「折角、ライバルが出来たんだろ」

 俺は任務が終われば学校を辞めるもんだと思っていた。だけど、俺の学生生活はまだまだ続くらしい。
 その事を嫌だと思えない自分に戸惑いながら、結局、次の日も登校する。その次の日も、そのまた次の日も……。
 やがて、ダドリー達と一緒に遊びに出掛けたり、まるで普通の子供のような生活を送るようになった。
 奇妙な日々が続く。
 違和感と幸福感に包まれながら日々を過ごしていく。
 やがて……、

第九話「オクラホマミキサー」

 歓声が響き渡る。『三大魔法学校対抗試合』の第一試合の内容はドラゴンから卵を奪取する事。クラムは結膜炎の呪いで見事にドラゴンを打ち破った。フラーは魅惑の呪文でドラゴンを眠らせたが、炎で服の一部を焼かれてしまった。セドリックは少し変わった手段を取り、岩を変身させた犬でドラゴンを撹乱して卵を奪った。
 そして、いよいよ最後の代表選手が登場する。全員が固唾をのむ。闇祓い達は最悪の事態に備えて臨戦態勢を整えている。
 生き残った男の子。箒乗りの名手。スリザリンの名シーカー。既に多くの二つ名で呼ばれている彼に今年、新たな名が追加された。
『選ばれる筈のない第四の代表選手』
 彼にとっての敵はドラゴンだけではない。何者かが彼を代表選手の座に押し上げた。その目的が善意のものであるとは誰も考えていない。
 明らかに罠だ。数ヶ月前、クィディッチ・ワールドカップで猟奇殺人を行った死喰い人。その仲間かあるいは……。
 闇祓い局局長補佐官という長い肩書きを持つ男、ガウェイン・ロバーズは険しい表情を浮かべながら敵の存在を探し続けていた。
「ああ、ハリー。なんと勇敢な姿だ……」
 隣で感動の涙を流しているハリーの名付け親を小突く。
「おい、ブラック! 試合に集中するな!」
「そ、そうは言うが……っと、おお! あ、危なかった!! ハリー!! 頑張れー!!」
「……親馬鹿め」
 義子の活躍に一喜一憂するシリウス・ブラックにガウェインは溜息を零す。
 十年以上も冤罪でアズカバンに入れられていた男。半年程前に晴れて無罪が証明され、親友の息子と養子縁組を結び、漸く輝かしい未来へ歩き始めたばかり。
 はしゃぐなと言うのはあまりにも酷だ。
 だが、今だけは心を鬼にしなくてはいけない。
 闇祓い局は陣営を二つに分けた。一方がハリーを守り、もう一方がイギリスを守る。
 その為にシリウス以外にも引退した者や信頼のおける協力者を総動員してメンバーを配分した。
 おかげで人数が大幅に拡充出来たが、やはりイギリスの国土全体を監視するには人出が掛かる。
 ハリーの守護に動員出来た者はわずか六名。ダンブルドアを始めとしたホグワーツの教師陣を含めれば少しはマシになるが一人足りとも遊ばせておく余裕など無い。
「お前の息子の命が掛かっているのだぞ!」
 その言葉にシリウスはハッとした表情を浮かべ、名残惜しそうにハリーを一瞥した後、敵の捜索を再会した。
「……すまん」
「いや、こちらこそすまなかった。どうかしていた……。ハリーの命が掛かっているのだ」
 獰猛な目つきで観客席を見回すシリウス。彼を監獄送りにしてしまった責任は闇祓い局にもある。
 彼の為にもハリーを絶対に守り切らねばならない。ガウェインは決意を新たにした。

 結局、クラウチは第一の試練で何もちょっかいを掛けて来なかった。
 ハリーは誕生日にシリウスが大枚を叩いて購入したファイア・ボルトを使い、見事ドラゴンを出し抜いてみせた。
 流れは物語と同じ。だからこそ、不安になる。第二、第三の試練の内容も分かっているから、アドバイスは簡単だ。
 だけど、クラウチの目論見が物語通りだとしたら、第三……つまり、最後の試練でハリーに勝利されると非常に不味い。 
「……いや、第二の試練も油断は出来ないか」
 何しろ、水中を舞台にした試合になる。ハリーを殺そうと思えば幾らでも方法が浮かぶ。
 どうしたものか……。
 悩んでいると、肩をポンと叩かれた。振り向くとハリーがダンと腕を組んでブイサインをして来た。
「その様子だと、オーケーをもらえたみたいだね」
 二人は迫るクリスマスのダンスパーティーに向けてパートナー探しに出掛けていたのだ。
 相手はハーマイオニーとルーナ。
 アンにはノットの心を繋いでおく為に彼と踊るよう命じてあるし、アメリアはエドをパートナーにしている。
 他にもスリザリンには女性がたくさんいるけど、二人にとって、フリッカ達の次に親しい女性はハーマイオニー達という事になるらしい。
 恋愛感情があるのか聞いてみたけど、二人は真っ赤な顔をしながら否定した。
 あの反応から察するに友情以上のものを感じてはいるけど、恋愛感情には至らないという実に甘酸っぱいものなのだろう。
 要するに、そういう方面では二人ともまだまだ子供という事だ。
 意外だったのはハリーがルーナを誘い、ダンがハーマイオニーを誘った事だ。逆だと思い込んでいた。
 どうやら、ダンがハーマイオニーをいたく気に入ったらしい。
「ダン・スターク!!」
 三人で会話に花を咲かせていると、急に怒声が飛んで来た。
 何事かと振り向けば、そこにはビクトール・クラムの姿。怒り心頭といった様子でズカズカとこっちにやって来る。
「どうしたんだい?」
 僕達がいるのは大広間。当然、他の生徒達も大勢いる。皆もびっくりした顔をしてこっちを見ている。
「ヴォ、ヴぉくと勝負しろ!!」
 訛りの酷い英語を解読すると、要するにこうだ。
『ハーマイオニーをダンスパーティーに誘ったら、先に君から誘いを受けて了承したと言われた。納得出来ないから決闘しろ!!』
 との事だ。
 アホらしい。
「先に彼女を誘ったのは俺だ!! お前が遅かったのが悪いんだよ、ノロマ!!」
「な、なんだと!? ヴォくは彼女に贈り物を見繕っていたんだ!!」
「はん! そんな小細工をしないと女一人も口説けないようならやめとけ! 彼女のハートを射止めるのは俺に任せな、トロール野郎!」
 ちなみに、このおもしろおかしい事態を当の本人であるハーマイオニーも入り口でルーナと聞いていた。
 おお、顔がみるみる真っ赤になっていく。
 あ、倒れた。
「とりあえず、ストップ。君達のアイドルがあそこで気絶してるよ」
 僕が言うと、二人はこの世の終わりかのような顔でハーマイオニーに向かって駆け出していく。
 二人共巨体だ。二人共強面だ。足跡はタッタッタ、じゃなくて、ドスドスドスだ。
「ハーマイオニィィィィ!!!!」
「ヴォォクのハームォウンニニー!!!」
「誰がテメェのだぁぁぁぁ!!!」
 周囲から『猪に好かれるビーバー』とか、『トロールにチヤホヤされていい気なものね!』とか、散々な嫌味が聞こえる。
「……青春してるね」
 ハリーが変な事を言う。
「青春……、かなぁ?」
 マッスル二人に担がれて保健室に運ばれていく様はまるで……いや、止めておこう。
「とりあえず、僕達も見舞いに行こうか。心配は欠片も要らないと思うけど……」
「っていうか、行ったら邪魔にならない?」
「程々に邪魔しておかないとハーマイオニーの身が危ないと思う」
「……同感」
 僕はハリーと一緒に保健室に向かって歩き出した。途中、大広間の入り口で放心状態になっているルーナに声を掛けると、
「ハーミィがゴリラに誘拐された!!」
 言っちゃったよ、この娘。
「っていうか、ハーミィって?」
「ハーマイオニーの事だよ。可愛いでしょ?」
「……うん。これからは僕達もそう呼ぶよ」
 とりあえず、三人で保健室に向かった。

 保健室では実に醜い争いが巻き起こっていた。
 本人の目の前で如何に自分が彼女を愛しているか熱弁している。
 どうやら起きているらしいハーマイオニーが顔を真っ赤に染め上げ、涙を浮かべてこっちに応援を求めている。
「ハーミィは俺が分からない所を丁寧に教えてくれた!! こんなに根っから優しい女は初めて見た!!」
「図書館で見た彼女の可憐な姿!! まるで一枚の宗教画のようだった!! こんなにうづくしいヒトを他に見た事がない!!」
 どうしよう……、非常に面白い。
「と、止めるべきなのかな……」
「私、こんなに楽しい光景、止めたくないよ」
「ああ、同感だ」
 ハーマイオニーが涙目のまま怒り顔になるが、この光景は些か面白過ぎる。
「彼女の為に俺は歌を作るぞ!!」
「ならば、ヴォくは詩を謳おう!!」
「俺はロンドンの広場のど真ん中でだって歌えるぞ!!」
「ヴォくは魔法省のど真ん中で!!」
 ヒートアップしていくゴリラ達。
「なんだか楽しそうだね!!」
 ルーナがウキウキした顔をしている。
「な、何故か参加したくなるね」
 ハリーが世迷い言を言い出した。
「やーめーてー!! お願いだからやーめーてー!! 恥ずかしくて死ぬ!! 死んじゃうから!!」
 ハーマイオニーが羞恥心で死にそうになっている。
 断腸の思いだが……、そろそろ止めるか。
 二匹に声を掛けようとしたその時……、
「あなた達!!」
 マダム・ポンフリーが仁王のような顔で登場した。
 雷鳴が轟く。
「騒ぐのなら出て行きなさい!! ここはオペラの舞台ではなく、医務室です!!」
 追い出された。
「貴様のせいだぞ!!」
「お前のせいだ!!」
 二人はバトル再開。そこに部屋からヌッと顔を出す般若。
「どうやらホグワーツから追い出されたいようね」
「滅相も御座いません!!」
 僕達の声が一言一句違わず重なった。全員が走る。息が切れるまで走り続ける。
 そして、
「ハーミィはヴォくのものだぁぁぁ!!」
「俺のだぁぁぁぁ!!」
 見た目だけじゃない。彼等は頭もゴリラのようだ。
「やれやれ!!」
 ルーナは実に楽しそうだ。
「あはは。負けるなー、ダン!」
 ハリーは煽りだした。
「……よし、頑張れ二人共!」
 なんだか僕まで楽しくなってしまった。
 そこに、
「あなた達……」
 マクゴナガル教諭が阿修羅のような表情を浮かべて現れた。

第八話「我が闘争」

 男は一冊の本を読んでいる。タイトルは『我が闘争』。著者はアドルフ・ヒトラー。
 約七十年程前、ヒトラーはクーデターを画策して失敗し、監獄に入れられた。その時、獄中で書いた物がこの本だ。
 後に世界を震撼させる独裁者の原点がここにある。
 本の中で彼は二つの敵を定めていた。
 ユダヤ人と共産主義である。

 当時は世界恐慌の真っ直中。人々は飢えと貧困に喘ぎ、絶望していた。
 ヒトラーにも強い影響を与えたアメリカの自動車王、ヘンリー・フォードは自社出版の新聞や本の中でこう主張している。
『拝金主義のユダヤ人こそ、金融界を牛耳り、共産主義を蔓延らせている元凶だ』
 反ユダヤ主義者として有名だった男。同時に世界的に発言力を持つ男でもあった。
 彼の言葉からインスピレーションを得たヒトラーはソ連を筆頭に広がりつつある共産主義とユダヤ人を敵として定め、覇道を歩き続けた。
 その結果がアウシュビッツ強制収容所であり、第二次世界大戦である。
 
 彼の掲げたファシズムは一定の成果を上げた。
 世界恐慌の中、ドイツは奇跡的な経済成長を遂げ、あらゆる技術で世界のトップに君臨した。
 現在、世界各地に配備されている大陸弾道ミサイルの原型たるV2ロケットを作ったのもナチスだ。
 独裁者による統治。あと一歩の所で彼はその成功例となれた。だが、他の独裁者……ベニート・ムッソリーニやヨシフ・スターリンと同じ末路を辿った。

 男と同じく革命家であり、独裁者だった彼等の失敗に彼は多くを学んだ。
 マグルを愚鈍な劣等種として軽蔑している彼が認める数少ない偉人。
 魔法という彼等には無かった技術を使い、一度は上手くいきかけた。
 だが、失敗した。彼等と同じ立場になる事すら出来なかった。
 たった一人の赤ん坊によって、彼の覇道は阻止された。
「……実に滑稽だ」
 並ぶ所じゃない。赤ん坊に滅ぼされた革命家など他に類を見ない。
「ハリー・ポッター……」
 ヴォルデモート卿は仇敵の名を口の中で転がす。味わうように、堪能するように、赤ん坊だった少年の顔を脳裏に浮かべる。
 今、かの少年は彼の手下の息子に傾倒していると聞く。ドラコ・マルフォイ。実に優秀な子供だと手下共は褒め称えていた。
 いずれにしても、今は手を出すべき時ではない。故に、その手腕を見守る事にした。
「知っているか、ハリー・ポッター」
 彼はペットの蛇を撫でながら囁く。
「魔法使いはマグルに怯えている。だから、隠れているのだ。虐げられた過去を忘れる事が出来ず、まるで肉食動物に見つかる事を恐れている仔ウサギのように……」
 帝王は言う。
「あまりにも惨めではないか……。あまりにも情けないではないか……。何故、かような劣等種が表通りを闊歩する? 何故、表通りだけでは飽きたらずに魔法界にまで手を伸ばす『奴等』の蛮行を許しておける?」
 帝王は呟く。
「目を覚まさねばならん。不当な扱いに屈してはならん。立ち上がらねばならん」
 彼がまだ学生だった頃、一人のゴーストに出会った。
 ほとんど首無しニックと呼ばれる男のゴーストは切れない斧で何度も首を切りつけられ、惨殺された。
 魔女狩りの時代。
 逃れた者と逃れられなかった者がいた。
 逃れられなかった者の多くは子供だった。杖を持たず、力を完璧に制御する事が出来なかった子供達はマグルに見つかり、虐待を受けた後に惨殺された。
 その歴史から目を逸らし、マグル生まれを迎え入れようとする者達。彼等こそ、魔法界を衰退させる元凶。マグル生まれ共々排除しなければならない癌細胞。
「マグルは変わらん。何時の時代も魔法使いを排斥しようとする」
 思い出すのは幼き日の事。孤児院で彼は世の理不尽を知った。
 怪物を見るような目。下劣な言葉。痛み。
「私が……、世界を変える」
 その為には力が必要だ。今のままでは足りない。
「まずは駒を揃えねば……」

「いよいよだね! 誰が代表選手に選ばれるのかな?」
 ハリーが夢見るような表情を浮かべて言った。
「ダンから聞いた話なんだけど、1792年のトーナメントではコカトリスが大暴れしたんだってさ!」
 最近、少し忙しく動いていたせいでハリーとの時間を取れなかった。
 久しぶりにジックリと会話が出来て楽しいと感じているのはハリーも同じみたい。
「コカトリスはとても凶暴な魔法生物だからね。ゾッとするよ」
「今回のトーナメントはどんな種目になるのかな?」
「うーん。きっと、歴代のトーナメントに負けず劣らずの派手な試合になると思うよ。ドラゴンと一騎打ちとか」
「ドラゴンと!?」
 それにしても、ハリーは実に表情豊かになった。出会ったばかりの頃とは比べ物にならない。
 僕とばかり行動を共にしていた頃とも違う。
 ダンの影響だ。彼はいつだって、自分の思うがままに行動する。
 最近、二人で格闘技の真似事をしている所をよく見かけるようになった。ちょっと複雑な気分。
「それかハグリッドの尻尾爆発スクリュートと一騎打ち」
「……それは嫌だな」
 去年からハグリッドが魔法生物飼育学の教師になり、色々と凶暴な魔獣を僕達にけしかけて来る。
 五体満足でいられる事が不思議な程、彼の授業は緊張感に満ちていて、スリザリンばかりではなく、全ての寮の生徒が彼の授業を恐れている。
 人柄だけで彼の授業は存続しているようなものだ。授業の内容もあまり将来の役に立つとは思えないし……。
「せめて、アドバイスを聞き入れてくれたら……」
 ハリーも若干ウンザリしている。何度か彼に授業の教材の事でアドバイスをしたのだけど、聞く耳持たずといった感じ。
 彼の凶暴な魔獣に対する愛は生徒の安全よりも大切らしい。ハーマイオニーやルーナも愚痴を零していた。
「おっと、そろそろみたいだね」
 皿から食べ物が綺麗さっぱり消え去った。
 二日に渡って開かれたハロウィンパーティーも終わり、ついに炎のゴブレットが代表選手を決定する時が来た。
 ダンブルドアが壇上に上がると、その両脇にボーバトン魔法アカデミーの校長とダームストラング専門学校の校長が立ち、その隣にバグマンとクラウチも続く。
「……あれ?」
 ダンブルドアが杖を振り上げた瞬間、ハリーが不思議そうに首を傾げた。
「どうしたの?」
「いや、あのクラウチって人と目が合って……」
 途端、大広間内の蝋燭の明かりが一斉に消えた。
 ただ一つ、青々としたゴブレットの炎だけが冴え冴えと輝いている。
 その光が一際強くなった時、焦げた羊皮紙がゴブレットから飛び出した。ダンブルドアがその長い手で掴み取り、名前を読み上げる。
「ダームストラング専門学校の代表選手はビクトール・クラム!」
 クィディッチのナショナルチームに所属しているクラムはホグワーツでも大人気だ。
 スリザリンの生徒も彼の活躍に期待を寄せている者が多い。
 ダームストラング専門学校は偉大なるブルガリアの魔女、ネリダ・ブルチャノバによって創立された。
 マグル生まれが入学する事を決して許さない徹底した純血主義を掲げていて、スリザリンの気質と非常に似通っている分、共感を示す生徒が多いのだ。
「ボーバトン魔法アカデミーの代表選手はフラー・デラクール!」
 ダンブルドアに名を呼ばれたボーバトンの女生徒はシルバーブロンドの髪を靡かせ、レイブンクローとハッフルパフの席の間を優雅に歩く。
 ハッとするような美人だ。確か、魅了の能力を持つ魔法生物との混血だった筈。
 その力は絶大で、彼女の歩みを目で追わない男子生徒が一人も居ない程だ。
「ホグワーツ魔法魔術学校の代表選手はセドリック・ティゴリー!」
 ハッフルパフの生徒が大歓声を上げた。
 これまで、影に隠れがちだった彼等の寮の生徒が栄光ある三大魔法学校対抗試合の代表選手に選ばれたのだ。
 寮の生徒全員が一斉に立ち上がり、絶叫した。拍手だけでは物足りぬとばかりに足で地面を踏み鳴らし、その振動で城全体が揺れているかのような錯覚を覚えた。
「結構! これで三名の代表選手が決まった。選ばれなかった生徒諸君もあらん限りの力を振り絞って、彼等を応援するのじゃ! 声援を送り、試練に挑む彼等に主等の力を貸し与え――――」
 その時、あり得ない事が起こった。
 炎のゴブレットが再び焦げた羊皮紙を吐き出したのだ。
 三人の代表選手が決まっている以上、もう新たな名前がゴブレットから飛び出す事は無い筈だ。
 全員の視線がダンブルドアに向かう。
「……ハリー・ポッター」
 長い沈黙の後、ダンブルドアが羊皮紙に記された名を読み上げた。
「……え?」
 誰も声を発しない。ただ、視線をハリーに向けている。
「どうやったんだ……」
「ち、違う! 僕は名前なんて入れてない!」
 僕が呟いた言葉にハリーが反応を示す。
「分かってる。ハリーじゃない。他の人間だ」
 僕の声が静まり返った大広間の中でよく響いた。
 予想外の事態だが、犯人の目星はついている。問題は他の生徒が騒ぎ出す事。良からぬ手段で代表選手の座を射止めたと勘違いした生徒達によってハリーが孤立する事を防がなければいけない。
 それはヤツの思う壺だ。
「炎のゴブレットには闇祓いが常駐していたし、年齢線もある。加えて、ハリーは僕かダンと四六時中行動を共にしていた。ハリーが自分で名前を入れる事は不可能だ」
「なら、他の人に入れてもらったんじゃ……。上級生とかに」
 恐る恐るといった様子で近くにいた生徒が囁く。
「それもない。炎のゴブレットには本人が名前を書いた羊皮紙を入れなければならない。上級生に頼んで入れて貰っても無意味だ」
「で、でも、実際にハリーの名前が!」
「だから、不思議なんだよ。少なくとも、学生には不可能だ。炎のゴブレットには強力な魔法が幾重も掛かっている。そのゴブレットを騙すとなると、高度な闇の魔術を使われた可能性が高い」
「ドラコ! なら、誰がハリーを代表選手にしたんだ? 何の目的で?」
 グリフィンドールの席からフレッドの声が飛んで来た。 
「ダンブルドアがやったのでは? ホグワーツの生徒を二人選出して勝利を確実のものにするために!」
 僕が答える前にダームストラングの生徒が荒々しい声で叫んだ。
「そんなワケないだろ! 相手を考えてから喋れよ、ウスノロ!」
「なんだと!?」
「っていうか、マジで誰がハリーを代表選手に?」
「そう言えば、クィディッチ・ワールドカップで闇の印が……」
「もしかして、死喰い人!?」
 生徒達が騒ぎ始めた。だけど、誰もハリーを責めていない。
 先手を打った甲斐があった。教員や闇祓い達もハリーを壇上に呼ぶ事無く、互いに囁き合っている。
「ハリー。炎のゴブレットに選ばれた以上、君は代表選手として試練に立ち向かわなければいけない」
「で、でも、僕……」
「古代の魔術による契約なんだ。拒絶は出来ない」
 ハリーに現状を説明しながら、僕は横目でクラウチを見た。
 どっちだ? ただの暴走か、それとも、帝王から密命を受けているのか……。
 判断材料が無い今、断定は出来ない。
 いずれにしても、僕はハリーの友人だ。この立ち位置は帝王が望んでいる事でもある。
 だから、今の行動で僕の立場が悪くなる事は無い筈だ。
「ハリー。これは十中八九、死喰い人が仕掛けた罠だ」
「なっ……!」
「僕達が全力でバックアップする。勝てなくてもいい。とにかく生き残るんだ。目的が何であったとしても、君の害となる事は間違いない」
 その後、やはりハリーの参加を取り消す事は不可能という結論が出て、ハリーは選手の控室へ連れて行かれた。そこで説明を受けるらしい。
 その間、大広間ではあれこれと憶測が飛び交い、軽いパニックを起こす者も出始めた。
 やむなくダンブルドアが爆音で無理矢理黙らせたが、それでもヒソヒソ声は止まらない。
 結局、その日は解散する事になった。

 スリザリンの寮に戻った僕達は談話室で今後の事を話し合った。
「クラウチの暴走。それが一番可能性として高いと思う」
「でも、ひょっとしたら帝王から密命を受けたのかも……」
「だが、今は水面下で勢力の拡大を図っている時期だろ?」
 話し合いの最中、様々な意見が飛び交った。
 だが、これだという意見は中々出て来ない。
 結局、ハリーが帰って来ても結論を出せないままだった。
 とりあえずの方針としては帝王から指示が下るまで、僕の主導でハリーのバックアップを行うという事で決まった。

第七話「龍脈」

 ホグワーツに到着した僕達を待っていたのは『三大魔法学校対抗試合』開催の報せだった。
 生徒達は大興奮だ。約百年もの永き眠りについていた歴史ある祭典の復活だ。しかも、生徒達こそが当事者となって、その祭典に参加する事が出来る。
 初め、クィディッチの試合が中止になると言われて頭を沸騰させていた生徒達も歓声を上げている。
 日を跨いでもその熱気は冷めず、我も我もと参戦の意思を表明し、抽選の時を待っている。
 
 ハロウィンの日、ボーバトン魔法アカデミーとダームストラング専門学校の代表団が到着し、いよいよ炎のゴブレットのお披露目となった。
 ハリーも壇上で誇らしげに演説を行っている魔法ゲーム・スポーツ部部長のルドビッチ・バグマンの一言一句を聞き逃すまいと耳を傍立てている。
 だけど、僕の目は彼の隣に向いていた。
 バーテミウス・クラウチ。国際魔法協力部の部長で、彼の隣ではパーシー・ウィーズリーがこれまた誇らしげな顔をしている。
 去年、ホグワーツを卒業したパーシーは魔法省に入省し、そこでクラウチの補佐官の座を射止めたのだ。
 可哀想に思う。彼が慕っている男は偽物だ。男の正体はバーテミウス・クラウチ・ジュニア。奴は帝王の為にと自らの父親を殺害し、その顔を剥いだ。ヴォルデモートが羨ましくなる程の狂心振りだ。
 奴に与えられた命令は『バーテミウス・クラウチ・シニアとして、魔法省内部に根を張り巡らせておけ』というもの。
 ハリーの事は僕が一任されている。奴がここに来た理由は端にバーテミウス・クラウチ・シニアとして行動した結果に過ぎない。
 闇祓いが警備している中、帝王も殊更騒ぎを起こそうとは思っていないようだ。
 今は力を蓄える時というわけだ。既に多くの死喰い人達が帝王の下に集まってきている。
 四年間で主たる死喰い人の縁者とつながりを作る事が出来た。おかげで情報が潤沢に集まってくる。
 大人達は子供の存在を軽んじていて、そのネットワークの早さと大きさを理解していない。
 
 その日の茶会はセオドール・ノットが主催者だった。
 最近の茶会はハリーと|比較《イト》的に仲の悪い生徒が主催するようになっている。理由は当然、ハリーに茶会で話す内容を聞かれない為だ。
 今頃、ダンと共にクィディッチの練習をしている事だろう。
 質の良い茶葉を淹れた紅茶を飲みながら、親達が隠したつもりでいる情報を交換する。
 茶会に参加しているスリザリンの生徒にとって、ヴォルデモートの復活は既に知っていて当たり前の情報と化していた。
「それにしても、両親が必死になって御機嫌伺いに奔走している姿は醜悪の極みだったね」
 ロジエール家の三男坊が生意気な口調で言った。
「……それは仕方の無い事だよ。相手は闇の帝王なわけだし……」
 神経質そうな顔立ちのドロホフ家の長男がボソボソと呟く。
「っていうか、本物なの? だって、『例のあの人』って、十四年前にハリーにやられちゃったんでしょ?」
 ヤックスリー家の長女が肩を竦めながら言った。
「偽物か……、その可能性もあるよな。普通、死んだ人間が生き返る事なんてあり得ない事だし」
「でも、相手は闇の帝王だよ?」
「ロートル共が昔の栄光を取り戻したくて嘘吐いてるだけじゃね?」
「うわぁ、マジであり得そうで困る……」
「おい、無礼だぞ!」
 ヴォルデモートの復活に対する子供達の反応は千差万別だ。中には帝王の復活自体に疑いを抱いている者もいる。
 そういう風に思想を誘導して来たからだ。
 元々、家同士の交流や社交界の練習の為だけの場だったスリザリンの茶会。そこに子供同士の情報交換というスパイスを加えた事で彼らは親兄弟や教師から教えられる一方通行な『情報』以外の『知識』を得られるようになった。
 僕が一度目の死を迎える前の世界。ネット社会という個人が無限に等しい情報を得られる環境にあった事で人々の思想は年を追う毎に多様化していった。
 多量の情報。
 多様な価値観。
 それらは社会に出た後で学ぶべきもの。
 与えられた『情報』による基礎に自ら得た『知識』を合わせる事で人は『知恵』を持つ。
 だけど、僕はその基礎の段階で知識を得られてしまう場を整えた。
 それは土壌を緩ませる行為。今や彼らは何事においても信疑の念を挟み悩むようになっている。時には嘘を真実と思い込み、時に真実を嘘と思い込む。
 彼らには確固として信じられるものが無いのだ。

 宗教が持て囃される理由。それは教えを絶対と信じる事で己の芯を作る事が出来るから。
 生まれ落ちた理由。罪を犯してはいけない理由。果ては人を愛する理由まで、あらゆる理由付けをしてくれるから、宗教は衰退する事なく受け継がれていく。
 教えの違いで殺し合う事もあるけれど、それは己の芯を守るため。
 そういう『芯』を持てない者はブレる。

「ねぇ、みんな。仮に帝王が復活したとして、これからどうなると思う?」
 僕はそんな疑問を彼等に投げ掛けた。
「これから? それはもちろん、帝王が死喰い人を率いて立ち上がり、再び魔法界を支配するのでは?」
 ノットの言葉に一部から反論の声が上がった。
「でも、一度失敗してるじゃないか」
「それはハリー・ポッターがいたからだ」
「今だって、ハリーは生きているわ!」
 話の中だけで聞くヴォルデモートと生身で四年間接し続けたハリー。
 大人達がこぞって怯える伝説の魔王とそれを滅ぼした若き英雄。
 実際にどんな事をしていたのかも分からない謎の人物とクィディッチの試合で大活躍する友人。
 親しみが湧くとしたらどちらか、答えるまでもない。
「何度復活したって、ハリーが居る限り、どうせまた尻尾巻いて逃げるのが落ちよ!」
 過激な意見も飛び出すが、それを窘める声の方が少ない。
 その光景はハリーが四年間スリザリンで過ごした結果だ。
 純血主義を謳い、闇の魔術に耽溺する者もヴォルデモートよりハリー・ポッターを選ぶ。
 芯が無い事は悪ではない。むしろ、芯を失った事で彼等は悪の化身を崇めるのではなく、身近に接した友を信じる。
「帝王が逃げたら……、その先はどうなるんだ?」
「そ、それは……」
「前回は帝王が滅んだ途端、闇の陣営は一気に崩壊した」
 エドの言葉に茶会の参加者達がざわめきだす。
「なら、今回も……?」
「そうなったら、僕達はどうなるんだ?」
「わたし、アズカバンなんて嫌よ!?」
「俺だって! でも、まさか……。親が勝手に帝王について行っただけだぜ?」
「でも、当時未成年だった魔法使いも死喰い人の疑いを掛けられて闇祓いに殺害された人もいるって聞いたよ」
「おいおい、冗談じゃないぞ」
 その光景こそ、僕が帝王の復活に対して準備していたものの一つ。
「みんな」
 僕の言葉に皆が口論を止める。
「流されるままで良いと思っている人はいないよね?」
 みんなが揃って頷く。僕は満足しながら言葉を続けた。
「この中でハリーの死を願っている者なんて、いないよね?」
 今度は少しバラついた。全員が頷くまでに掛かった時間は二秒。遅れた者達の名前と顔は覚えた。
「なら、僕達も行動しないといけないよね。僕達は親が帝王に貢ぐ為の献上品や功績を上げる為の道具じゃない。人間なんだ」
 僕は彼等一人一人の瞳を見つめる。
「世界を動かすべきは帝王やダンブルドアみたいな老害じゃない。僕達若者であるべきなんだ」
「で、でもさ……」
 一つ年下のジムロックが恐怖に慄く表情を浮かべる。
「相手は闇の帝王なんだよ?」
 その言葉に僕は笑顔を向ける。
「だけど、使っている物は同じだ」
「同じ……?」
 僕は杖を掲げた。
「マグルの世界には……、都市一つを丸ごと焼き尽くす兵器がある」
「え?」
「戦場を地獄に変える細菌兵器。死をバラ撒く毒ガス兵器。これらは単純に人を殺す事だけを目的に作られた物だ。一度発動すれば、死の呪文とは比較にならない広範囲に影響を及ぼし、万を超える人間に確実な死を与える」
「マグルの兵器が……? 冗談だろ?」
「本当さ。それも、作られたのは何十年も前の話。今はもっと画期的で恐ろしい兵器が続々と作られている。そういうモノを相手にするなら、僕達は彼等の使う知識や道具を理解しなければならない。だけど、ヴォルデモートが使うものは僕達が当たり前のように使っているものと同じなんだ」
 彼等を安心させる為に口調を緩める。
「一つの組織を纏め上げ、政府に対して反逆行為を行ったテロリストだけど、ヴォルデモートは僕達と同じ魔法使いだ。同じなんだよ」
「でも……、死の淵から蘇る事なんて、普通の魔法使いには……」
「出来ないと思う?」
「だって!」
「ヴォルデモートは神じゃない」
 脳裏に、心に刻むように僕は言った。
「彼の復活にもトリックがある。種明かしをしてしまえば簡単な事かもしれない」
「でも……」
「恐れる事は何もない。彼は人だ。僕達と同じ生き物だ。だから、ダンブルドアを恐れた。だから、ハリーに滅ぼされた。所詮、その程度なんだ」
 僕は一人一人の目をもう一度見てから言った。
「その程度の人間に僕達の未来を預けてもいいのかい? 命運全てを賭けられるのかい? 一度、敗れた者に」
「……よくない」
 誰かが言った。
「いいわけないよ!! そうだ、所詮は赤ん坊だった頃のハリーに負けた『負け犬』だ!」
「私達の未来は私達のものよ!」
「老害共になんて任せてられるもんか!」
 駒の用意は出来た。後は時が来るのを待つだけだ。
 ヴォルデモート。お前にハリーは渡さない。誰の命も心も体も渡さない。
 逆にその全てを奪ってやる。