第三話「魔都」

 世界が一変するまでに掛かった時間はわずか二時間だった。
 何処かへ消えたハリーとドラコの行方を探す為に闇祓い局は捜索隊を編成し、各地へ散った。それが失敗だった。
 ヴォルデモートが率いる死喰い人の集団がアズカバンを襲撃したのだ。闇祓い局が事態を悟った時には全てが手遅れとなっていた。
 大勢の邪悪な魔法使いが自由を手に入れ、同時に悍ましき魔法生物が世に解き放たれてしまった。
 それからの一時間――――、イギリスは阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。

 魔法省の制御から離れた吸魂鬼は無差別に人を襲い始めたのだ。
 マグルの目に彼等の姿は映らない。だが、その存在が齎す災厄に気付けない程、愚かでもなかった。
 初めにロンドンの中心部で百人を超すマグルが一斉に意識を失った。
 その直後、上空一万メートルを飛行していたジェット機が墜落した。
 そして、大勢の死傷者が運ばれた病院の機能が停止した。
 前代未聞の大事件。国民はパニック状態に陥り、政府は次々に報告される大規模な被害の対応に追われた。

 燃え盛る都市。人々の悲鳴。渦巻く絶望が吸魂鬼を更に活性化させていく。
 彼等は遠慮無く接吻を施していき、仲間を増やしていく。そして、更なる絶望を振り撒く。
 闇祓い局はドラコとハリーの捜索を中止せざる得なかった。直ちに全戦力を吸魂鬼の除去に充てねば人類史上に残る災禍を止める事が出来なかった。
 彼等の動きは迅速かつ的確だったが、全ての吸魂鬼を消滅させるまでに被害は大きく拡大してしまった。
 歴史的建造物が燃え尽き、万を超える人命が失われ、都市機能が完全に麻痺してしまった。今後も二次災害が増加していく事を考えれば、被害の全貌を測る事すら出来ない。
 それでも、彼等はよくやった。これ以上の結果など誰にも出す事が出来ない。それ程迅速に事を解決した。
 局長のルーファス・スクリムジョールは優秀だった。最善の手を打った。
 だから、彼等を責めてはいけない。彼等が居なくなった後のホグワーツで起きた事件の責任を追求してはいけない。
 なぜなら、彼等がホグワーツに戻れば、イギリス全土に更なる災禍が広がっていた筈だからだ。

 ホグワーツで大勢の死者が出た。その殆どが子供だった。そして――――、
「アルバス・ダンブルドアが亡くなりました」
 リジーは声を震わせた。
「不意打ちでした。帝王はアズカバンから解放した死喰い人達を伴い、ホグワーツに現れたのです。彼等の行動は迅速でした。初めに生徒を数人、人質にしたのです。彼等はマグル生まれでした。彼等が要求を告げる前に一人の生徒が殺され、残りの生徒は磔の呪文を受けました……」
 恐怖で身を震わせながら、リジーは自らが目撃した一連の流れをハリーとドラコに伝える為に頬を抓った。
「それを見て、生徒の家族が悲鳴を上げました。無防備の状態で死喰い人の前に飛び出し、アッサリと殺されました。そして、気付けば周囲を『悪霊の火』が取り囲んでいました」
 リジーは瞼を閉じ、当時の光景を脳裏に描く。
「恐ろしい光景でした。目の前に炎の壁が立ちはだかっている事を分かっていながら、それでも尚、恐怖から逃れる為に飛び出す生徒がいたのです。その生徒は絶叫しながら無惨な死を遂げました。やがて、死者の数が二桁に達した時、死喰い人達は要求を口にしたのです。『アルバス・ダンブルドア。今ここで自害しろ』……、と」
 呑める筈のない要求。唯一、帝王に対抗出来る力を持ったダンブルドアの命はなにものにも代えられない尊きもの。
 だが、パニックに陥った生徒や保護者達に道理など通じなかった。
「逃げるため、守るためにアルバス・ダンブルドアを守ろうと立ちはだかる教師達を打ちのめしたのです。一人は死に、他の者も大きな傷を負いました。やがて、彼等はダンブルドアの死を求め始めた。『命を差し出せ!!』。そう、死喰い人ではなく、生徒や保護者達が口を揃えて彼に言いました。狂気です……。狂気が蔓延していました。死喰い人が現れて、まだ一時間も経っていないのに、彼等は自らの命惜しさに希望の種を自ら摘み取ろうとしたのです」
 ダンブルドアに選択の余地は無かった。
 逃げる事は出来た筈だ。不死鳥の転移を使わずとも、ホグワーツの校長特権を使えば、『姿くらまし術』で何処へなりとも逃亡する事が出来た。
 だが、目の前で無惨に摘み取られていく命を見捨てる事は出来なかった。
 ダンブルドアは自らの杖をセブルス・スネイプに投げ渡した。
「その杖で自らを殺すよう指示しました。そして……」
 スネイプの放った『死の呪い』がダンブルドアの胸を穿ち、彼の絶命をその場にいた全ての者が目撃した。

「その後、死喰い人達は高笑いをしながらホグワーツの教師達を拘束し、城内に入って行きました。生徒達から杖を奪った上で……」
 あまりにも急転直下な展開にドラコとハリーは唖然としていた。
 まさか、ダンブルドアが殺され、イギリス全土でそこまでの規模の事件が起きているなど想定外だった。
「……いきなりホグワーツに襲撃をかけるなんて、大胆不敵というか……」
 ハリーの言葉にドラコは顔を顰めた。
 ヴォルデモートがここまで大胆不敵な行動に移れた理由は一つ。ハリーが僕を介して手元にあると思い込んでいるからだ。
 予言によって脅威であるとされたハリーが手の内にある事で、残る最大の不安要素の排除に全力を傾ける事が出来た。
「帝王にとっても賭けだった筈だ。だが、勝算は高いと判断したんだろう」
 今までアズカバンに収監されていた憔悴状態の軍勢を率いてでも、後々ダンブルドアに対策を練られてから行動するより勝算が高いと……。
 結果は大成功だ。ダンブルドア亡き後、ヴォルデモートに怖いものなどない。
「どうする?」
 ハリーがドラコに問い掛ける。
 ドラコは一呼吸置いてから言った。
「ヴォルデモートを殺す算段はついている。だけど、今はその時じゃない」
「殺す算段って?」
 ドラコはハリーの耳元に口を寄せると自らの考えを口にした。
 ハリーは大胆不敵とも思えるドラコの作戦に悲鳴を上げそうになった。
「で、でも、その作戦だと君に危険が――――」
「その程度のリスクも負えないようじゃ、帝王には勝てないよ。まあ、いずれにしても直ぐに行動を起こすわけじゃない。タイミングを見計らうんだ」
 ドラコはリジーに視線を向けた。
「フリッカ達はどこに?」
「一度、秘密の部屋に移動しましたが、今は他の生徒達と共に大広間にいます。姿が無い事を勘繰られては危険だとエドワード様が……」
「良い判断だ。君は僕達を……そうだな、グリモールド・プレイス12番地に届けた後、再び、みんなの守護にあたってくれ」
「承知しました」
 リジーは深々とお辞儀をした後に僕達をグリモールド・プレイス12番地に届けた。そのまま、再び姿を消す。
「どうして、僕の家に?」
「ある程度、状況が落ち着くまで身を隠しておいた方がいいと思ってね。ハリーを守る為にダンブルドアが色々と呪文を掛けてくれた。ここなら帝王にも直ぐには見つけられない筈さ」
「なるほど……。とりあえず、中に――――」
「おい!」
 二人がブラック邸に入ろうと歩き始めると、突然、後ろから声を掛けられた。
 振り返ると、そこには見知らぬ少年が立っていた。何故か怒気を表情に浮かばせている。
「えっと……?」
 困惑するハリーを尻目に少年は声を張り上げる。
「お前がハリー・ポッターだな!?」
 自分の名前を見知らぬ人が知っている。そんな奇妙な事がハリーにとっては日常茶飯事だった。
 闇の帝王を滅ぼした少年として、物心付く前から有名になってしまった弊害だ。
「そうだけど?」
 驚きもせず、普通に肯定してしまった。
「お前が……、魔法使い」
 その言葉を聞いて、初めて違和感を覚えた。
 ハリー・ポッターの名前は確かに有名だ。だけど、それは魔法界に限った話。
 目の前の少年の言葉は魔法使いの発する言葉というよりむしろ……、
「君はマグルだな」
 ドラコが言った。
「マグル!?」
「……な、なんだよ、マグルって」
「魔法族では無い者を僕達はそう呼ぶ」
「ド、ドラコ!?」
 ようやく、ハリーの頭が目の前の展開に追い付いた。
 目の前の少年はマグルであり、その少年に向かってドラコは自らの正体を明かしている。
 魔法使いの存在をマグルに教えてはいけない。それが魔法界でもっとも重要なルールなのだと教えてくれたのは彼なのに。
「ハリー。彼は君の名前を知り、『魔法使い』という単語に辿り着いている。なら、隠した所で無駄さ」
「で、でも……」
 ドラコは物言いたげなハリーの口に人差し指を当て、それから少年に向き直った。
 最大限、相手に好意を抱かせる顔を作る。
「それで、君はハリーに何の用なの?」
「あ、えっと……」
 ドラコが顔を寄せると、少年は狼狽した。
 勝負あり。ハリーは少年に同情を寄せた。
 男だと知っていても、フレッド達のように籠絡されてしまうドラコの呪文を必要としない魔術。性別を知らなければ対抗するのは更に難しい。
 初見でドラコの性別を見破るのはもはや不可能に近い。髪、顔、声、語り口調。何から何まで見事に中性的で本人の使い方次第でどちらにも見えてしまう。
「……落ち着いてよ。話がしたいだけなんだから。君もハリーに用事があるんでしょ? まずはリラックスして」
 聞いている内にこっちまでクラクラしそうになる。蜂蜜のように甘い声。耳を愛撫するような口調。
 見事だと拍手喝采したくなる。
「お、俺は……」
「ほら、リラックス。安心していいんだよ? ここに君を傷つける人なんて誰もいない。まずは君の名前を教えてほしいな」
「……ジェイコブ。ジェイコブ・アンダーソン」
「ジェイコブ……。うん。ジェイコブ。素敵な名前だね」
 薬も呪文も使っていない。ただ、語りかけているだけなのに、少年は蕩けるような表情を浮かべ、ドラコに支配されていく。
「とりあえず、家の中に入ろうか。そこでジックリ話を聞かせてよ」
「あ、ああ……」
 大人しく付き従うジェイコブにハリーは溜息を零した。
 なんだか、更に事態がややこしい方向へ滑りだした気がする。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。