第十二話「我龍転生」

 話をしよう。そう言っておきながら、ドラコはいつまで経っても口を閉ざしたままだ。
 眠ってしまったのかな? なら、仕方がない。
 星空を眺めながら、僕は笑った。
「どうかしたの?」
「なんだ、起きてたのか」
「起きてるさ。話し掛けておいて、眠ったりしたら、僕は失礼な奴になってしまうよ」
「ヴォルデモートの命令で僕を籠絡しようとしておいて、今更そこを気にするのかい?」
「ああ、気にするね。僕は礼儀正しい人間なんだ」
「そっか……」
 また、沈黙が続く。
「あ、流れ星!」
「え、嘘!?」
 時々、そうやって口を開くけど、それ以上の事は何も話さない。
 静かだ。とても、穏やかだ。
「ねえ、ドラコ」
「なーに?」
「僕の事を殺すの?」
「殺されたいのかな?」
「嫌だよ。僕はまだまだ生きていたい」
 そう思わせたのは君だ。
 ただ漠然と『死にたくない』と思いながら生きていた僕に君が生きる楽しさを教えてくれた。
 僕の居場所を作ってくれた。
「初めて出会った日の事を覚えてる?」
「もちろんさ。君は不安でいっぱいって顔をしてたね」
「そりゃそうさ! いきなり現れた大男に『お前は魔法使いだ』って言われて、そのまま魔法使いが跋扈する街に連れて来られたんだよ? まるで、夢の中を歩いているみたいな気持ちだった。いつ、目を覚ましてしまうか怖くて仕方がなかったんだ」
「その気持ちは僕にも理解出来るよ。今だって、僕は怖い。目を覚ましてしまうんじゃないかって……」
「あはははは。君は目を覚ましても魔法使いだろ? だって、あんな素敵なパパとママがいるんだから!」
「ああ、本当に素敵な人達だよ。だから、怖いんだ」
「どうして?」
「だって、目を覚ましてしまうかもしれないから……」
「言ってる意味がわからないよ」
「……うーん。説明し難いな」
「そっか……」
「そうなんだ」
 僕は月に向かって手を伸ばす。
「君は今が幸せなんだね」
「ああ、幸せだよ」
「僕もだよ。今が幸せなんだ」
 いつも、怯えていた。狭い個室の中だけが僕に安息を与えてくれた。
 蜘蛛の巣と埃だらけの物置。そこだけが僕の世界だった。
「ハリー」
「なーに?」
「僕を殺したい?」
「殺して欲しいの?」
「うーん、悩みどころだね」
「悩むんだ……。生きていたくないの?」
「……『最近』、生きていたくなった。うん。今はまだ生きていたいかな」
「変な答えだね」
「そう?」
「うん。とても変だよ。ある意味で君らしい」
「それは僕の事を変だって、言ってるの?」
「そうだよ?」
「え……」
 ショックを受けているみたいだ。どうやら、自覚が無かったらしい。
「君ほどの変人はそうそういないと思うよ」
「そうかな……」
「そうだよ」
「そっか……」
 哀しそうな声。思わず吹き出しそうになった。
 君は他の人と違う。何から何まで。
「試しに聞くけど……、どんな所が変?」
「そうだなー」
 僕は少し考えた後に言った。
「君って、嘘を吐かないよね」
「そう?」
「うん。君は敢えて言わない事はあっても、嘘を吐かない。それと……君って、僕が『教えられた事を何でも信じる素直な奴』って、思ってるでしょ?」
「うん。君は実に素直でいい奴さ」
「そのいい奴って言葉に何を含ませているのか、僕もさすがに気付いてるよ」
「え……」
「ほら、意外そうに……。褒めてるようで、実は馬鹿にしてるよね」
「いや、そんなつもりは……」
「まったく、酷い奴だよ」
 僕はクスクスと笑った。
「君に何かを教えられる度、僕は本を読んだよ。僕に声を掛けてくる人に逆に質問したよ。気付いてた?」
「え……」
 僕は大袈裟な溜息を零した。
「君は頭が良いけど、頭の良い君の考えが必ずしも世界の真実とは限らないんだよ」
 一年生の頃、スリザリンの他の寮生達は僕から距離を取っていた。あまりにもあからさまで分かりやすく避けられていた。
 マグルの学校に通っていた頃……、ダドリーが僕に友達を作らせない為に周りに距離を置かせていた頃の空気と同じだった。
 そんな状態を作る人間を僕は直ぐに信用する事が出来なかった。だから、ドラコの言葉の真贋を一つ一つ確かめた。『ハリー・ポッター』の名前に近づいて来るミーハーな生徒達にそれとなく話を聞き、図書館で魔法使いの歴史を学んだ。
 ドラコの言葉に嘘が一つも無い事が分かると、ようやく彼の思惑を理解する事が出来た。
「君は僕を独占したかった。だから、僕に他の友達を作らせない為に他の寮生達を僕に近づけなかった。違う?」
「うっ……」
 図星だね。
「怒ってる?」
「うん。僕は内心、とても寂しかったんだよ。折角、『この場所』で始められると思ったのにさ……」
「始める?」
「友達を作って、夢を持って、やりたい事をやる。僕は『幸せ』を始められると思っていたんだ」
「あ……」
「なのに、友達が全然出来ない。明らかに何か企んでる君としかまともに会話をする事も出来ない」
 責めるように言うと、ドラコは気まずそうに押し黙った。
「……ごめん」
「許して欲しい?」
「う、うん。出来れば……」
 僕は笑った。
「だーめ」
「……そっか」
「だって、別に怒ってないし」
「え……?」
 意外そうな声。
「君は僕の事を見ているようで全然見てないよね」
 クスクスと笑いながら言うと、彼は上半身を起こして僕を見下ろした。
 その瞳に宿っている感情を僕は確信を持って言い当てる事が出来る。彼は戸惑っている。
「ドラコ。君がクラウチの言葉を肯定した時、僕が何を考えたか分かる?」
「……裏切られた。そう思った筈だ。だけど――――」
 僕は爆笑した。涙が出る程笑った。
「うん。ちょっとだけ正解かな。一瞬、君が嘘を吐いたんだと思った。クラウチの言葉を真実だなんて思いたくなかったからね。だけど、直ぐに思い直したよ。やっぱり、クラウチの言葉は真実で、君も嘘なんて吐いてないって。それで、少し考えてみた。ヴォルデモートが君に僕を籠絡しろって命じた事は本当かもしれない。だけど、それはいつ? 数年前って事は無いよね。だって、その時はまだ復活出来ていなかった筈だ」
「ハリー……、君は」
 僕は唇の端を吊り上げて言った。
「これでも僕は君達と一緒に勉学に励んできたんだよ? この傷の痛みと共に見た夢が単なる妄想なんかじゃないって事くらい分かるさ。何と言っても、この傷は最悪の闇の魔法使いが最悪の闇の魔術で付けたものなんだから、ヴォルデモートと何らかのつながりが出来ていたとしてもおかしくない」
 ドラコが息を呑む音が聞こえる。やっぱり、僕が気付いていないと思っていたみたいだ。
 まったく、バカにして……。
「そうなると、君は少なくとも今年に入ってから命令を受けた筈だ。なら、少なくとも去年までの僕に対する態度は命令を遂行する為じゃなかったって事。違う?」
「違わないよ。今だって……」
 その言葉を聞いて、僕の心に歓喜が湧いた。
「君はこの世で誰よりも僕の事を理解していると思っているよね? だけど、それは違うよ。まったくもって見当違いだ」
 僕も上半身を起こし、彼を見た。
 その微笑みは誰よりも優しくて穏やかだ。その声に誰もが癒される。その顔は誰もが一目置かずにいられない。|完成さ《つくら》れた美。
 その姿はそのまま彼の在り方を示している。
「逆だよ。この世で誰よりも君の事を理解しているのが僕さ。だから、僕は君の考えている事を言い当てる事が出来る」
 僕はその頬に手を伸ばし、その耳元に口を寄せて囁いた。
「君はヴォルデモートを倒すつもりだ。だけど、今はその段階じゃない。チャンスを待っている。そうだろ?」
 まるでひきつけを起こしたみたいに彼は体を震わせた。
「ドラコ。君は僕を手に入れる為に頑張ってくれたんだよね。ヴォルデモートを倒すのも僕を手に入れる為だろ」
 僕に素直と彼は言った。だけど、それは違うよ。誰よりも素直なのは君だ。
 だって、こんなに分かり易い。
「僕はとっくに君のものだよ」
 ああ、口元が緩んだ。喜んでいる。
「だから、僕にも君をちょうだい」
 今度は戸惑っている。僕は彼の唇に人差し指をあて、微笑んだ。
「君の隠している事を全て教えてくれ」
 その手に握っていた杖を掴み取り、僕は彼に杖を向けた。
 咄嗟に抵抗しようとするけど遅い。
 駄目だよ。所有物が所有者に隠し事をするなんて。代わりに僕の全てを教えてあげるからさ。
「や、やめ――――」
「レジリメンス!」

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