第二話「クルセイダーズⅡ」

 世界は変わった。
 真実を知らない者達はヴォルデモートに憎しみと恐怖を抱きながら大きな波のうねりに身を任せている。
 真実を知る者は自らを特別な存在だと錯覚し、その地位に酔い痴れている。
 だが、いつの時代も運命に抗う者が現れる。

 嘗て、ドラコ・マルフォイは言った。
『万人が美しいと称する芸術を貶す者、万人が偉大だと褒め称える者を糾弾する者、万人が美味だと感じる食事を唾棄するもの。アンチテーゼを掲げる人間はどんな世界にも少なからず居る』
 それは時代や運命であっても同じ事。
 集合意識に依らず、個人の意識によって違和感を見出す者。
 時にそうした者は既成概念を打ち崩す『革命家』となる。
 時にそうした者は邪悪を討ち倒す『英雄』となる。

 ◆

 吐き気がする。どうして、こいつらは笑っていられるのかしら。
 ついさっきまで、地下で何をしていたか私が知らないとでも思っているの?
「あら、そうなの! 凄いわね!」
 なんで、私はこいつらに愛想を振り撒いているの?
 友達が辱められて、傷つけられて、殺されていく。目の前の化け物共の手で……。
 どうして、彼等の手を振り払えないの?
 どうして?
「……ごめんなさい。気分が悪くなっちゃった」
 間違っている事を間違っていると言えない。こんな世界でいいわけない。
 分かっている癖に、どうして私は流されるままでいるの?
「吐き気がするわ……」
 私自身に……。

「おい、大丈夫か?」
 昨夜は早い時間に寝てしまったから、夜も明けきらない時間に起きてしまった。
 談話室でのんびりしていると、不意に男の人の声がした。
 振り向くと、一つ上の兄が立っていた。
「大丈夫よ」
 ロンは今の状況をどう思っているのかな?
 彼が地下に向かったという話は聞かない。だけど、それは私が彼の妹だから、みんなが気を使った可能性もある。
 実の兄が欲望を満たす為に無抵抗の人間を虐げている話など誰も聞きたくない。
「ねえ、ロン」
 この兄は他の兄よりもずっと流されやすい性格をしている。
 確固たるものがない。だから、地下に行っていると言われても驚けない。
「地下の様子はどうだった?」
「地下? ……僕、行ってない」
 ムッとした表情でロンは言った。
 私は思わず彼の顔をまじまじと見てしまった。
 嘘を吐いていない事はすぐに分かる。伊達に長年、彼の妹をしていない。
「ロン!」
 気付けば抱きついていた。
「ジ、ジニー!? どうしたの!?」
「ロン! ああ、あなたを疑った私を許してちょうだい!」
 彼は地下と聞いて嫌悪感を露わにした。彼は地下の事に怒りを覚えている。
 その事が嬉しくてたまらない。
「……ジニー?」
 この世界は狂ってる。
 悪事が罷り通って当たり前なんて、間違ってる。
「泣いてるの? ……えっと、よしよし。大丈夫だぞ! 兄ちゃんがついてるからな!」
 いつもなら恥ずかしいから止めてって怒鳴りつけるところだけど、今日だけは甘えよう。
「……お兄ちゃん」
「ジニー。本当にどうしたんだい?」
「狂ってるわ……。みんな、狂ってる……」
「……うん」
 私はお兄ちゃんの胸の中で幼い頃に戻ったみたいにわんわんと泣いた。
 太陽が昇り、みんなが目を覚ますまで、そのぬくもりに包まれて、久しぶりに安心した。

 ◆

 全てが後手に回った。魔法省が完全に死喰い人の手に渡り、闇祓い局や不死鳥の騎士団も壊滅状態だ。
 もはや、誰が敵で誰が味方かも分からない。
 ドラコ・マルフォイの言葉が脳裏に浮かぶ。
「盤面の上に立つ資格の持ち主はアルバス・ダンブルドアのみ……、か」
 その通りだ。もし、ダンブルドアが生きていたら、彼の事だけは信じられた。
 彼の下に集う者も信じる事が出来た。
 何があっても失ってはいけない人だった。
「……俺達の敗北だな」
 あの小僧にまんまと嵌められた。気付いた時には遅過ぎた……。
 奴はヴォルデモートと組んでいる。恐らく、ハリー・ポッターも。
 信じてはいけない相手だと分かっていたのに、気付けばヤツの言うとおりに行動していた。
「笑うしかねぇな……」
 魔法界は徐々に追い詰められている。
 マグルが魔女狩りを始めた。俺は止めたのに、ガウェインのヤツがスクイプやマグル生まれの連中の住処の情報を流しちまったせいで、被害は甚大だ。
 あの頃、既にガウェインは操られていたのかもしれないな……。
「ッハハ、疑心暗鬼ってヤツか」
 何も信じられない。このダリウス・ブラウドフットともあろう者が、思春期のガキがほざきそうな言葉をほざきたくなってやがる。
「……ダンブルドアか」
 確か、彼には弟がいた筈だ。名前は確か……、

 ◆◇

「ドラコ……。これがあなたの本当の望みなの?」
 少女は一人呟く。
「戦争を引き起こして、本当にみんながあなたを愛してくれると思っているの?」
 少女は涙を零す。
「ねぇ、ドラコ……。そんなに顔も知らない人からの愛が大切なの?」
 少女は嗚咽をもらす。
「ドラコ……。私はこんなにあなたを愛しているのに……」
 少女は嗤った。

 ◇

 一人の哀れな少年がいた。彼は本に囲まれながら育ち、本を通して世界を見続けた。
 誰からも愛される事のなかった子供。心を与えられなかった子供。
 この世界の誰も、彼に悪意を向けなかった。
 父と母は惜しみない愛情を注ぎ、友は友情を示し続けてきた。
 誰も彼を裏切ってなどいない。
 その事に彼は気づかない。気付けないまま、悪魔になった。
 
 後に『とある男』が彼をこう評する。
『彼は良心を持たない。
 彼は他者と共感しない。
 彼は平然と真実を隠す。
 彼は自らの行動に責任を持たない。
 彼は罪悪感を持たない。
 彼は自尊心が高く、どこまでも自己中心的だ。
 
 だけど、彼は魅力的に見えてしまう。それが何よりも恐ろしい』

第一話「クルセイダーズⅠ」

 狂っている。誰が、ではない。誰もが狂っている。
 ホグワーツの中だけでも狂気は際限無く高まっている。マグル生まれへの虐待行為が常態化し、何人も死んだ。
 勇気ある生徒が彼等を救おうと動き、物言わぬ死体となってから、誰も救いの手を伸ばそうとしなかった。それどころか、当然の権利として受け入れて、虐待に手を染める者が後を絶たない。
 同じ寮に住み、共に学び、共に過ごした仲間を傷つけ、穢し、平然としている。それが当たり前となっている。
「……どうして、こんな事になったんだろう」
 自分の弱さに嫌気が差す。助けるべきだと思っているのに、行動を起こす事が出来ない。
 死喰い人によって死体を吊るし上げられた上級生の姿が瞼の裏に焼き付いて離れない。
「みんな、苦しんでいるのに……」
 父や母が今の僕の姿を見たら、どう思うかな……。
 苛烈な拷問に最後まで耐え抜いた勇敢な両親。彼等はきっと、僕を弱虫だと糾弾する筈だ。
 立ち上がれ。声を張れ。悪を許すな。そう、心が叫んでいるのに、頭が……|理性《よけいなもの》が邪魔をする。

《お前には何も出来ない》
    《ただ殺されるだけだ》
 《余計な事をして、また誰かの迷惑になるだけだ》
《いくじなし》
        《それでもグリフィンドールの生徒か》
《死にたくない》
  《意味もなく死にたくない》

 頭の中でグルグルと声が聞こえる。
「……イヤだよぉ」
 こんな状況を認めたくない。
 苦しんでいる人達を助けてあげたい。
 勇気が欲しい。
「――――そこで泣いているのは誰?」
 吃驚した。まさか、声を掛けられるとは思っていなかった。
「だ、誰!?」
 振り返ると、そこには見知らぬ女生徒が立っていた。
「ルーナ。ルーナ・ラブグッド」
「……えっと、君はここで何を?」
「お話しをしてるの」
「誰と?」
 他の人の気配は感じられない。
「彼女だよ」
 最初は誰の事を言っているのか分からなかった。だけど、暗がりに目を凝らすと、そこには確かに人がいた。
 人といっても、体が半分透けているけど。
「灰色のレディ?」
 確か、レイブンクロー寮のゴーストだ。
「そうだよ。彼女はいつもここにいるの。静かで良い場所だから。私も気に入ってるんだ」
「……ここには人が来ないからね」
 だから、僕もここにいたんだ。狂った友人達の姿を見たくなかったから。
「それより、どうして泣いているの?」
「それは……」
 言えない。今の状況を嘆いていると知られたら、死喰い人に通報されて処罰を受ける事になる。
 死喰い人の機嫌次第で処罰が処刑に変わる可能性もある。
「アンタも私と同じ?」
「……え?」
 ルーナは哀しそうに僕を見つめた。
「それとも、他の連中と同じ?」
「違う!!」
 気付けば声を荒げていた。
 ハッと我に返り、目の前で呆然とした表情を浮かべているルーナに慌てた。
「ご、ごめんよ。脅かすつもりは――――」
「そっか!」
「え?」
 何故か、ルーナは嬉しそうに顔を綻ばせた。
「アンタも同じなんだ!」
「えっと……、うん?」
「アンタも今の状況がイヤなんでしょ? ハーマイオニー達を助けたいんでしょ!」
 ハーマイオニー。それが誰の事か直ぐに分かった。
 だって、僕にとって彼女は初恋の相手だ。とても優しくて賢い女の子。
 一年生の頃、ホグワーツに向かう汽車の中で出会った彼女はカエルのトレバーを見失った僕の為に迷わず手を差し伸べてくれた。
「……そうだよ、助けたいんだ」
 涙が滲む。
「でも、助けられない……」
 死喰い人の耳に入れば処罰を免れないと知りながら、止まらない。
「みんなが苦しんでる。みんながおかしくなっていく。誰かが立ち上がらなきゃいけない……。僕は……例え、一人でも戦わなきゃいけない。そう思うのに……でも、怖いんだ」
 体が震える。刻一刻と死が広がる世界。目を逸らす事など出来ないのに、見えない振りをして生きている。それが耐えられない。
「……そんなの当たり前。一人じゃ無理だよ」
 ルーナが言った。
「アンタ、名前は?」
「ネビル……。ネビル・ロングボトム」
「ネビル。私は嬉しいよ! アンタと出会えて、やっと二人になった!」
「ル、ルーナ!?」
 突然手を握られて、僕はドギマギした。
 女の子に手を握られる事なんて滅多にない。去年のダンスパーティーも結局、パートナーを見つけられず仕舞いだった。
「二人になれたら、次は三人になる! それから、もっと増える!」
「ど、どういう事?」
「仲間を見つけよう! 私達と同じように戦いたいけど、怖くて震えている人がたくさん居る筈だよ!」
「で、でも……」
「ネビル! 戦おう!」
 僕がどんなに及び腰になっても、ルーナはどんどん迫ってくる。
 逃げられない。逃げ……あれ? どうして、ルーナから逃げるんだ?
「ネビル。一緒に、ハーマイオニーを助けよう! みんなを助けよう!」
 僕は誰が怖いんだ? ルーナが怖い? 違う。僕が怖いのは狂っていくみんな。狂わせている死喰い人。
 逃げたいのは誰から? ルーナから? 違う。僕が逃げたいのは……逃げたい? 違う。僕は……、僕は!
「死ぬかもしれないよ?」
「知ってる」
「死ぬより酷い目に合うかもしれないよ?」
「知ってる」
「僕は弱虫でドジで間抜けで……」
「戦う勇気を持ってる!」
 ああ、そうだよ。僕は逃げたいわけじゃない。
「……怖いんだ」
「知ってるよ」
「ルーナ。一緒に戦ってくれる?」
「もちろん!」
 僕は泣いた。今までとは違う涙を流した。
 やっと、僕は勇気を出せた。逃げたくないのに、逃げてしまう自分をルーナが引き止めてくれたから、背中を押してくれたから。
「……僕、戦うよ」
「うん!」
 
 ◆

 新聞とテレビが今日の死者数を発表した。
 毎日、人が死んでいる。一人二人じゃない。何十人も……。
「フェイロン……」
 事の要因を作り出した男。俺の家族。
 アイツがテロを起こした事を知ったのは事件の三日後。
 その間、俺はリズが借りたアパートメントで眠っていた。
「リズ。俺達はどうしたらいいのかな?」
 こんな気持ちは初めてだ。泣きそうになる。
「俺はこんな事、望んでなかった。ただ、マリアと会いたかった……。ただ、みんなの本当の笑顔が見たかった」
 気付けば、みんなの事が大好きになっていた。
 娼婦の息子に生まれ、スラムで喧嘩に明け暮れ、全てに絶望していた頃とは比較にならない程穏やかで幸せな日々をくれた探偵事務所のみんなの事が……。
「……私もだよ」
 顔に刻まれた痛々しい傷跡を指でなぞりながら、リズは財布の中の妹の写真を見つめた。
「ただ、妹に……、フレデリカに会いたかった。だから、必死にここまで来た。だけど、こんな風に誰かが不幸になる事なんて望んでなかった」
 涙を零すリズ。
「アイツを止めるのは私達の仕事だ……」
「……でも、もうフェイロンを止めても」
「ああ、世界はもう……、致命的に変わってしまった」
 魔法使いの存在が世間に認知され、時代は中世に逆戻りしてしまった。
 魔女狩りを謳い、魔法使いの疑いを掛けられた者を襲撃する者が後を絶たない。
 一体、どのくらい本物が混じっていて、どのくらい偽物が混じっているのか分からない。
「それでも、アイツは止めなきゃいけない。フェイロンだって、こんな事を望んでいたわけじゃない筈だ……」
 フェイロンはいつも言っていた。
『ファミリーが仲違いする事程哀しい事はない』
 マフィアの幹部で、汚い事も数え切れない程して来た筈だけど、こんな風に人と人が無意味に争う事を望むヤツじゃない。
 全ての責任は俺にある。俺がドラコと接触したから……、ヤツから手に入れた情報を考えなしに伝えてしまったから、アイツの闇が……。
「……泣き言なんて、言ってる暇は無いよな」
 俺達に出来る事なんて高が知れている。
 それでも、世界をこんな風にしてしまった責任を取らなきゃいけない。
 例え、この命を散らす事になっても……。

第十二話「理想郷」

 新月の晩……。
 暗闇を五台の車が走っている。その先頭の車両の窓が開く。
「魔法使いの家は魔法で隠蔽されているものらしい。だが、そこに存在しないわけじゃない」
 地球の面積を変えられるのならお手上げだが、そうじゃないなら隠れているだけだ。
 フェイロンは窓を開け、魔法使いの住処がある筈の場所に携帯対戦車グレネードランチャー、通称RPGを構えた。
 廃墟に見える空間へロケット弾が発射される。すると、奇妙な現象が起こった。
 ロケット弾が見えない壁にぶつかり爆発した。その衝撃は凄まじく、見えない壁にゆらぎを起こした。
「一撃では足りないようだな」
 二発目、三発目を着弾させると、見えない壁に亀裂が走った。
 壁が完全に砕け落ちると、さっきまで、廃墟だと思われていた場所に一軒の家が姿を現した。
「いくぞ」
 フェイロンは他の車から飛び出してきた目出し帽姿の男達に指示を出し、敷地内へ乗り込んだ。

 ガウェイン・ロバーズとリーマス・ルーピンから聞き出した情報。
 魔法使いは科学技術に対して無知であり、近代兵器への対策を殆ど取っていない。
 加えて、一般的な魔法使いは戦う為の魔法を殆ど覚えないまま一生を終えるらしい。
 家に敷くセキュリティの質にも差があり、特に血の浅い家の守りは脆弱と聞く。
 フェイロンは優先度をつける為と言って、セキュリティ強度の低い家を魔法使いにリストアップさせていた。

 玄関を爆破し、中に踏み込む。すると、恐怖に怯えた表情で杖を握る男がいた。
 銃声が響く。先頭の男が杖を持つ手を撃ちぬいた。続けて、他の男が家主と思しき男を手際良く拘束していく。
 拘束した男が身体検査を行う一方で、他の男達が別室を調べ始める。ものの数分で、その家の妻と幼い娘を拘束した。
「お、お前達は何者だ!? 何故、こんな事を!?」
「何故……? 何故と聞くのか……そうか、そんなに予想外か」
 フェイロンは娘と妻を拘束している男に指示を飛ばす。
「連れて行け」
「お、おい! 二人に手を出すな!!」
「それは君の態度次第だな。私達に協力するなら良し。さもなければ、あの二人の命は保障しない」
「ふ、ふざけるな! 誰が――――」
 フェイロンは銃の引き金を引いた。
「え?」
 銃声と共に倒れる妻の姿を見て、男は呆気に取られた。
「君が素直にならないと、次は娘の番だ。目が覚めたら返事をくれたまえ。あと、君以外にも何名かに同じお願いをするつもりだ。一番早く、我々の願いを叶えてくれた者以外、全員に死んでもらう予定だからあしからず」
 そう言って、男にスタンガンを押し当てた。
「ずらかるぞ」
「はっ!」
 男と娘を黒い袋に詰め、裏手に停めてある乗って来た車とは別の車に乗り込む。
 カモフラージュとして、乗ってきた車を別方向に向かわせ、用意したアジトの一つに向かう。
 道すがら、他の家を襲ったメンバーからの報告を受け取ると、どうやら『全て』うまくいったらしい。
 奇妙なほど、すんなりと事が進んだ。救出に来た魔法使いと戦闘になる事もなく、捕らえた魔法使いを脅迫したり、拷問しても、誰も助けに来ない。
 不気味に感じながら、フェイロンとその部下達は事を進めていった。

◇◆

「……よくやってくれたね、アーニャ」
 ドラコ・マルフォイは虚ろな目をした女性に言った。
 彼女の名前はアネット・サベッジ。『闇祓い局局員』と『情報屋』という二つの顔を持つ女。
「それにしても、君には色々と驚かされたよ」
 ドラコが彼女と出会ったのは二年前。
 彼女はシリウス・ブラックがアズカバンから脱獄を果たした時、ホグワーツの警備の為にやって来た闇祓いの一人だった。
 明るい女性。差別意識を持たず、マグル生まれにも、スリザリンの純血主義者にも、別け隔てなく優しさを振り撒く女。
 多くの生徒が彼女に悩みや相談を持ち掛けた。
 他の闇祓い達からの信頼も厚く、穢れた一面など、ある筈が無いと誰もが信じた。
「魔法使いを憎む魔法使いか……」
 彼女が闇祓い局に入った本当の理由――――それは、魔法使いを殺せるから。
 ただ、それだけ。
 裏ではレオ・マクレガー探偵事務所を始めとした一部のマグルに情報を流し、魔女狩りが横行した時代に戻そうと画策していた。
「裏稼業で本名を使うなんて、大胆不敵にも程があるよ」
 ジェイコブとの二度目の接触の時、ドラコは彼に開心術を使った。彼の持つ全ての情報を引き出すためだ。
 彼の記憶を都合のいいように改竄した後、レオ・マクレガー探偵事務所の人間全ての身元を洗った。
 その中に驚くべき素性を持つ者が“二人”いた。その内の一人が『情報屋のアネット・サベッジ』。
 ドラコは初め、単なる同姓同名の別人だと思った。
 彼の知るアネットが反魔法使い派の人間とは思わなかった上、情報屋などというアンダーグラウンドの稼業で本名を使う者が居るなんて想像もしなかったからだ。
「確かに、アネットの名前も、サベッジの姓も、どちらも珍しいものじゃないけど」
 マグルでは、魔法使いの個人情報に辿り着く事など不可能という事も織り込んでの事なのだろうが、それにしても感心してしまう。
「……しかし、君がレオ・マクレガー探偵事務所の者達と懇意にしてくれていた事が、今回大いに役立った」
 情報屋として動く時、彼女は他の魔法使いにバレないように慎重を期していた。
 だからこそ、リジーに攫わせるのは簡単だった。探偵事務所の人間と接触する瞬間を狙えばいいのだから。
 彼女を使ったおかげで闇祓い局の人間や不死鳥の騎士団の人間の半数以上を手中に収める事が出来た。
 フェイロンを唆し、力添えをしたのも彼女だ。
 魔法使いの家にはマグルが近づけないように魔法が掛かっている家が殆どだが、その結界を超え、守護を破れるように細工を施したのも彼女だ。
「い、言うとおりにしたわ……。だから……、こ、これをもう……」
「まだ、そんな事を言う余裕があるのか……」
 ドラコは嗤いながら腕を擦った。
 その瞬間、アネットは絶叫した。
 脳を焼くような痛み。
 スクリムジョールが味わった苦痛や彼女自身が味わった苦痛、他の者が味わった苦痛の記憶が彼女の脳に流れ込む。
 彼女には常に見張りの目がある。その目が彼女の裏切りを許さない。
「ゃめ……もぅぅ、ぃぁ……やめ……ぉねがぃ……」
 小さく身を屈め、必死に懇願する様は実に滑稽だ。
「君は自分の意思で魔法使いの道を選んだわけじゃない。ただ、魔法使いになれると言われ、親がノリ気になってしまったから、この世界に入る事になっただけ……。その上、選ばれた寮はスリザリン。マグルの友達と疎遠になり、マグル生まれという事で純血主義の者達に蔑まれ、不幸な青春時代を送った。確かに哀れだ……」
 ドラコは愉しそうに怯える彼女を見下した。
「その果てに魔法使いの身で魔法使いを憎むようになり、自分を偽りながら復讐を企て、そんな自分に酔っている……。こんな哀れな生き物は少ないよ。だから、これは慈悲だ」
 ドラコは杖を彼女に向ける。
「アバダ・ケダブラ」
 緑の光がアネットの体を貫き、その命を奪った。 
 ドラコは躯と化した女から興味を失い、マグルの新聞に視線を落とした。
 そこには数日前、テレビ放映された映像の真贋を議論する有識者達の写真が掲載されている。
 フェイロンは家族を人質に取り、魔法使いに全国ネットのテレビの前で魔法を使うよう命じた。その結果、世界中から映像の真贋を問う声が沸き起こっている。
 今はまだ、ただのガセであるという説が優勢だ。だが、今頃は街頭でも魔法使いが曲芸師のように人前で魔法を披露している筈。

――――娘を、息子を、母を、父を殺されたくなければ魔法を世間に公表しろ。

 その命令に逆らう者は殺され、従う者達はテレビや普及し始めているインターネット上の人気者になっている。
 同時に魔法使いの『悪行』が誇張して世間に流布され初めている。
「喜べ、アネット。お前の望みはもうすぐ叶うぞ」
 世間は魔法使いの存在を徐々に認知し始める。そして、魔法使いを悪と定め、攻撃を始めるだろう。
 そうなるように仕向けている。
「魔法使い達よ、選ぶがいい。滅びるか、団結するか……、残された道は二つに一つだ」
 
 人は裏切る生き物だ。ならば、裏切れないようにしてやればいい。
 革命家レフ・トロツキーは第二次世界大戦直前にナチス・ドイツが勢力を高めていく様を指してこう言った。
『ボリシェヴィズムかファシズムかという選択は多くの人々にとって、サタンか魔王かの選択と同じようなものである』
 結果、ナチスは絶望に苦しむドイツの人々によって勝利にまで押し上げられた。
 同じように絶望を突きつけてやればいい。
 悪意と悪意の狭間で押し潰されるか、一方の悪意に縋りつくか。
「裏切れば死ぬ。だから、誰も裏切れない」
 ドラコは嗤った。
 一度大きな傷跡を作れば、もはや世界が元に戻る事はない。
 魔法使いはマグルを憎み、マグルは魔法使いを憎む。
 共通の敵は団結を強めていく。
 魔法使いが魔法使いと、マグルがマグルと手を取り合い、一致団結する世界。
 戦争こそ、|理想郷《ユートピア》だ。

第十一話「王・飛竜」

 魔王の復活。『魔法使い』と再接触したジェイコブと摩耶が持ち帰った情報を聞くと、フェイロンは歓喜した。
 やり場のない怒り。その矛先を見つけたのだ。
「ジェイク。今後も魔法使い達と接触する事は可能かい?」
「う、うん。一応、一週間後に」
「そうか……。なら、次は俺が行くよ」
「え、フェイロンが!?」
 ずっと塞ぎ込んでいたフェイロンが急にやる気を出した事にジェイコブは驚いた。
 まだ、心の傷が癒えていない筈なのに大丈夫なのか? 
 言葉にはしないものの、彼は心配そうにフェイロンを見つめた。
「ジェイク。交渉事に関して、俺の右に出るものはいないよ。彼等の言葉の真贋、真実の場合の対策、他にもいろいろと話すべき事が山程ある。俺に任せろ」
「……わかったよ」
 ジェイコブは渋々頷いた。彼も交渉事が不得意というわけじゃない。だけど、得意というわけでもない。
 ダドリー・ダーズリーやドラコ・マルフォイを相手に見事情報を引き出してみせたが、それは状況が噛み合ったからこそだ。
「ありがとう、ジェイク」

 一週間後、フェイロンは護衛としてリーゼリットを引き連れ、魔法使いとの接触場所に赴いた。
 そこには既に二人の男が待っていた。
「やあ、君達がジェイクの言っていた魔法使いかい?」
「あなたは?」
「俺はワン・フェイロン。こっちはリーゼリット・ヴァレンタイン。よろしく頼むよ」
「私はガウェイン・ロバーズ。こちらはリーマス・ルーピンだ。こちらこそ、よろしく」
 互いに手を伸ばし、固い握手を交わす。
「ここでは話がし辛い。来てくれ。近くに行きつけの店がある。内緒話にはもってこいの場所なんだ」
 フェイロンは友好的な笑みを浮かべて彼等を自らのテリトリーに導いた。

 元中国マフィア『崑崙』の幹部、|王《ワン》・|飛龍《フェイロン》は組織内でも特別な立場にいた。
 他の組織とのパイプ役だ。その見事な交渉術で多くの組織を取り込み、『崑崙』を中国最大の犯罪組織に押し上げた。
 最初は田舎でちまちまと活動する小規模な組織だった。彼が育てたのだ。
 そんな彼から見た魔法使いはまるで子供のようだった。あまりにも純真で隙だらけ……。
「……それで、今後の事ですが」
 酒を飲ませ、誘導してやれば、彼等は簡単に情報を吐いた。
 魔法使いの事。魔法の事。魔法界の事。
 必要な事だ。誰にも話さない。信じて欲しい。そんな言葉を簡単に信じ込んだ。
 フェイロンの交渉術が巧みだった事もある。だが、なによりも彼等はフェイロンを……、マグルを見下していた。

 魔法使いとの接触は十度に及んだ。
 彼等の都合に合わせる形を取り、彼等を裏切る素振りを全く見せず、フェイロンは彼等から欲しい情報を欲しいだけ手に入れた。そして、同時に彼等の信頼を手に入れた。
「マグル生まれの魔法使い達を有事の際に避難させるにはルートの構築が不可欠です」
 そう言えば、魔法使いの住処を簡単に明かす程、彼等はフェイロンを信頼した。
 知り合いの殺し屋が嘗てフェイロンに言った言葉がある。
『知恵ある者は力で殺す。力ある者は知恵で殺す。なら、知恵と力の両方を持ち合わせた者はどうやって殺す? ……君はきっと、誰よりも怖い殺し屋になれるよ』

 魔法界でルーファス・スクリムジョールが捕らえられる二日前。
 フェイロンはジェイコブに問い掛けた。
「彼等の話では、こちら側の政府も魔王の手に落ちたようだ。フレデリックも警察組織全体の動きがおかしくなっていると言っていた。この後、何が起こると思う?」
「……嫌な予感がする。それだけは分かる」
「上等だ。そう、これから起こる事は惨劇だよ。魔王はマグルの存在を憎んでいる。マグル生まれの魔法使いさえ虐待し、死に至らしめる程に」
「まさか……」
「虐殺だよ、ジェイク。虐殺が起きる。ただ、魔法使いではないという理由の為に大勢が殺される。十六年前よりも更に多くの命が奪われる」
「そんな……」
「なら、どうすればいいと思う?」
 ジェイコブは眉間にシワを寄せながら唸った。
「……やっぱり、魔法使いと一緒に戦うしかない。魔王に抗う善の魔法使いと一緒に――――」
「ジェイコブ。お前は一つ勘違いをしている」
「え?」
 フェイロンは言った。
「善の魔法使いなんて存在しない」
「で、でも、実際に魔王と戦おうとしている奴等が……」
「それはあくまで魔王と敵対しているだけだ。いいか、ジェイコブ。俺は魔法使い共と接触して、確信したことが一つある」
「それは……?」
「奴等が俺達を見下している事だ」
 フェイロンは目を細めた。
「それに、十六年前の事を思い出してみろ。奴等が善の存在なら、どうして行方不明者を行方不明者のままにした? その頃、魔王は一度滅ぼされ、平和な世界になっていた筈だろ? にも関わらず、目撃者の記憶だけを消して、真実を隠した」
「……それは」
「奴等は根本的に俺達と相容れない存在なんだよ、ジェイク。ただ、奴等の都合で踊らされるだけの道化に甘んじるなど……、俺には我慢ならない」
 フェイロンは立ち上がる。
「フェイロン……?」
「ジェイク。お前にこれを渡しておく」
 そう言って、フェイロンはジェイクに一丁の拳銃を渡した。
「これは……」
「俺がずっと使ってきた愛銃だ。弾丸は俺の部屋にある」
「フェイロン!?」
 フェイロンは立ち上がるジェイクに向けて微笑んだ。
「ジェイク。マリアを見つけられるといいな。見つけられたら……、普通の子供にもどれ。学校に通って、一流の企業に就職して、結婚して、子供を作って……、天寿を全うしろ」
 フェイロンは音も無くジェイクに近寄るとその意識を刈り取った。
「愛しているぞ、我が若きファミリーよ。どうか、その未来に幸あれ」
 事務所を出ると、そこには元ドイツ傭兵部隊『イェーガー』のリーダー、マイケル・ミラーが待っていた。
「待たせたな、マイケル」
「……ジェイクは?」
「子供はおネムの時間だ」
「そうか……。いいんだな?」
「もちろんだ。俺は魔法使い共を許さない。奴等を一匹残らず駆除してやる」
 憎悪に燃える瞳を天に向け、フェイロンは歩き出す。
 しばらく進んだ先の広場に物々しい格好の集団が待っていた。
「さて、諸君。戦争を始めよう」
 その者達は嘗て『崑崙』と手を結んでいた犯罪組織のメンバー。
 その一部だ。他の者達はイギリス全土に散っている。
 百を超える犯罪組織が手を結び、この夜、多くの命を刈り取る事になる。
 それは更なる惨劇の呼び水。世界を巻き込む闘争の序曲だった。

第十話「魔帝」

 人は裏切る生き物だ。
 どんなに口で愛を語っていても、心が清らかでも、簡単に裏切る。
 それが僕の一度目の人生で得た結論。二度目の人生でも、結論は変わらない。
 秘密の部屋で何度も試した。
 愛とは装飾だ。利害の一致した者同士の関係を清らかなイメージで飾り立てる為の言葉。
 
 ヴォルデモートの作り上げた体制は完璧だ。彼自身が表舞台に出る事なく、全てが回るように出来ている。
 僕達は服従の呪文で従えた死喰い人達を使い、その体制を維持した。
 一方で、不死鳥の騎士団に死喰い人の情報を与えている。残忍なだけの者、下手に賢い者を彼等に始末させる為だ。
 役目を終えるまでは生かしておく。その後は……、態度次第かな。
「ドラコ! スクリムジョールを私のパパが捕まえたよ! どうする?」
 明るい笑顔でアメリアが言った。

 彼女の両親は不死鳥の騎士団に参加する程勇猛な性格ではないが、マグル生まれに対する差別の横行に難色を示すタイプだった。
 祖父の影響で純血主義に染まった彼女を両親は良く思わず、彼女も両親を軽蔑した。ある日、その溝が決定的な亀裂となり、彼女は家を飛び出した。
 当時、僕は彼女の家にいた。茶会の席で彼女に誘われたのだ。ところが、マルフォイ家の長男を連れ込んだ事に彼女の両親は激怒した。
『自分達はマグル生まれを差別するべきじゃないとか言っておいて、マルフォイ家だからって理由で差別するお前達は何なんだ!?』
 その言葉が致命的だった。どちらも苛烈な性格である事が禍し、決して言ってはいけない類の言葉を互いに何度も浴びせかけた。
 結果として、彼女を僕の家で匿う事になり、手駒が欲しかった僕は彼女にとても優しく接した。
 掲げる主張の違いから、両親と上手くいかず、愛情に飢えていた彼女の忠誠を手に入れる事は容易かった。
 
 幼い少女に金だけを握らせて放逐した人間が差別の反対を訴え、多くの支持を得る姿は見事というほかない。
 おかげでスクリムジョールの捕獲が容易だった。
「ありがとう、アメリア。彼と会わせてほしい」
「うん! あ、あとさ! もう、パパとママを殺していい?」
「いいよ。待たせて悪かったね。玩具は足りてる?」
「十分! ふっふっふ、この日の為に鍛え上げた治癒魔術の腕が鳴るわ!」
 楽しそうでなによりだ。
「ハサミで指を一本ずつ切り取って、それをママに食べさせるの! うーん、楽しみ!」
「眼球と耳は最後にしておきなよ? 楽しみが減る」
「わかってるって! ささ、スクリムジョールはコッチよ!」
 彼女に導かれて向かった先には裸で縛り上げられているスクリムジョールの姿があった。
 物語中でロックハートがハリーに施した治療もどきを真似て、彼の両腕と両足から骨を抜き取ってある。
 もはや、自分の力だけでは身動き一つ取れない無様な姿。
「久しぶりですね」
「……そうだな」
 この状況に驚いた素振りを見せない。鋭い眼光を向けながら、彼は言った。
「……殺せ」
「アッサリしてるね。命乞いでもすればいいのに」
「殺せ」
 取り付く島もない。
「お断りします。あなたには色々と――――」
「そうか、ならいい」
 そう言って、スクリムジョールは舌を噛み切った。
「無駄な事を……」
 治癒呪文を施す。
「自殺なんて、させると思いました?」
「……この人非人が」
「そう嫌わないで下さい」
 微笑みながら、彼の肌を撫でる。
「あなたは珍しい人だ。自他共厳格な態度を貫き、自らの信念を曲げない」
 その心を穢したい。
「アメリア。後で御褒美をあげるよ」
「ほんと!? やったー! じゃあ、私はパパとママで遊んでくるね!」
 陽気な笑顔で走り去る彼女を見て、スクリムジョールは苦い表情を浮かべた。
「狂っている……」
「そう思います?」
「あれで狂っていないとでも言うつもりか?」
「ええ、彼女は狂ってなんかいませんよ」
「……何故だ?」
 スクリムジョールは哀しそうに瞼を細める。
「何故、お前達は……」
「それをあなたが気にする必要はありません」
 僕は部屋の隅に置いてある箱を杖で呼び寄せた。
 蓋を開けると、そこには工具が並んでいる。
「……ルーファス」
 その中からハサミを取り出す。
 まずは親指からパッチン。
「グァァァッ!?」
 人差し指をパッチン。
「アァァァァァァァ!!」
 中指をパッチン。薬指をパッチン。小指をパッチン。
 両手両足の指が無くなる頃にはルーファスの喉が嗄れていた。
 痛みに喘ぐ姿は実に扇情的だ。だけど、まだまだ序の口。
 杖を傷口に向け、治癒呪文を掛ける。
 日記のヴォルデモートの魂を取り込んだ要領で、マダム・ポンフリーの魂を取り込み得た力だ。
 彼女の知識は素晴らしい。指を生やす事などお茶の子さいさいだ。
「な、なんだ、これは!?」
 その異様な光景にルーファスは悲鳴をあげる。
 ああ、素晴らしい。頑強な肉体と卓越した精神を持つ大人の男が幼子のように泣き喚く姿は最高だ。
 僕は何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も彼の指を生え変わらせた。
「やめ……やめてくださぃ。な、なんでもするから……もう、もぅ、やめてください」
「駄目だよ、ルーファス。そんなに簡単に折れたら、闇祓い局局長の肩書きが泣いてしまうよ? さあ、もっと続けよう」
 彼の眼球を潰す。マダム・ポンフリーの知識があれば眼球すら蘇る。
 だから、潰した目玉を食べさせても問題ない。
「ぃぁだ。もぅ、ぃあぁだぁぁあ」
「ああ、ルーファス。次は舌を切り取ろう。君の舌を何枚も重ねて首飾りを作ってあげる」
「ぁめて……。いあぁぁぁだぁぁぁぁぁ」
 僕は時間を忘れて楽しんだ。
 手足をもぎ、眼球を繰り抜き、その様を写真に撮ってから元に戻す。
 戻す時の絶叫は何度聞いても心地よい。
 ダルマ状態の自分の姿を写真で見た時の彼の顔は傑作だった。
「ころして……。おねがぃします、ころしてくらさぃ」
 呪文で正気を保たせていたけど、そろそろ頃合いかな。
「殺さないよ。ただ、君に刻印を刻むだけだ」
 エドがデザインした僕の印。腹を切り開き、その内側に刻む。
 今まで以上の悲鳴が轟いた。
「この刻印はいつでも君に痛みを思い出させる。試してみよう」
 僕は腕に刻んだ印をなでる。すると、ルーファスは悶え苦しみ始めた。
 今、彼の中で記憶のフラッシュバックが起きている。痛みすら再現する鮮明なものだ。
 これが刻印に込めた呪いの一つ。これを僕に従う者達や従わせた者達に刻んである。誰も僕を裏切る事が出来ないように……。
「君の痛みは刻印を通じて他の者の脳でも再現する事が出来る。ルーファス・スクリムジョールさえ屈服する痛みだ」
 いずれ、僕に従っている者達の心にも魔が差す時が来るだろう。その時こそ、ルーファスの記憶は役に立つ。
「君を死なせはしないよ。大切にしてあげる」
 涙を浮かべる彼に微笑みかけると、誰かが扉をノックした。
「どうぞ」
「入るよ」
 顔を見せたのはハリーだった。
「どうしたの?」
「とうとう、君の仕掛けた火種が本格的に燃え始めたみたいだよ」
 そう言って、彼は一枚の新聞を渡して来た。
 そこには杖を使って魔法を使う男の写真が掲載されている。魔法界の新聞ではなく、マグルの世界の新聞の一面に。
「いいねぇ。さて、それじゃあ……いよいよ、戦争を始めようか」

第九話「簒奪者」

「どうした? 何を驚いている? 私がここに居る事が不思議なのかな?」
 面白がるようにヴォルデモートは僕を見つめた。
「ハリー・ポッター。私はお前に会いたかった」
 ぞわりと鳥肌が立った。
「……っ」
 怒りで頭が真っ白になるところだった。ギリギリの所で踏み留まれた。
 ここでヤツを糾弾する事に意味はない。
 冷静に使う言葉を選ぶ。
「――――お会いできて光栄です、ヴォルデモート卿」
 練習した通りに傅く。その光景に周りの生徒達が一斉に息を呑んだ。
 ここにヴォルデモートがいる事自体は想定の内。

 今日はホグワーツの再開日。
 そして、スネイプ教授の処刑日でもある。
 この日、ヴォルデモートは世界に知らしめる気なのだ。

――――この世界に、もはや希望の光などない。

 もし、ここで反抗的な態度を取れば、僕は殺される。
 結果は同じだ。
 ヴォルデモートは反逆者達の希望の芽を摘み取る事だけを望んでいる。
 だから、ここで忠誠を誓っておけば殺されない。むしろ、ハリー・ポッターの名前を利用する為に保護してくれる筈だ。
「……素晴らしい」
 ヴォルデモートは言った。
「ならば、お前にスネイプ処刑の栄誉を授けよう」
「……ありがとうございます」
 満足そうに微笑むヴォルデモート。
「ドラコよ。どうやら、父親とは違うようだな。奴は私の信頼を裏切った。およそ、最悪に近い形で」
「……申し訳ありません、我が君。どうか、私に罰を」
 頭を下げるドラコ・マルフォイ。ヴォルデモートは言った。
「頭を上げよ。お前は優秀だ。まさか、ハリー・ポッターをここまで完全な形で手懐けるとは……。他の誰にも出来まい。大衆の前で私に傅く事の意味、分からぬ筈がない。今まで、その名を賛美していた者達が一斉に掌を返すぞ。裏切り者。悪魔。反逆者。恥知らず。口汚く罵られる事だろう。それを理解している筈だな? ハリー」
「勿論です」
「……結構。ならば、お前も頭を上げろ。そして、舞台の上に登るのだ」
 頭を上げると、大柄な男が目の前に立っていた。男は布地の袋を抱えている。人一人入りそうな大きい袋だ。
「よう、ポッター。俺はワルデン・マクネア。よろしくな」
 マクネアの後に続き、舞台の上にあがる。すると、マクネアは布地の中身を乱暴な手付きで取り出した。
 出て来たのは案の定、スネイプ教授だった。
 人の母親に横恋慕した末にダンブルドアに利用された哀れな男……。
 僕がこれから殺す男。
「……リリー?」
 虚ろな目が僕の目を捉えた途端、涙を流した。
「僕はハリーですよ、先生」
 彼に僕の声は届いていなかった。うわ言のようにリリーの名前を呼び続ける。
 執念深い情念……、気持ち悪い。
「おい、ポッター! そいつをコレに入れるんだ」
 鉄の処女の蓋を開け、その恐ろしい内装を露わにしながらマクネアが言った。
「最高だと思わねーか、おい。これを使う案を出したのは俺なんだ。死の呪文で小奇麗に殺してやるだけじゃ物足りないからよ。それに、こっちの方がガキ共への良い見せしめになるぜ」
「……そうですね」
 僕は無数の刺を見て微笑んだ。確かに、これから起こる惨劇を忘れられる生徒は多くない筈。
 二人がかりでスネイプ教授を拘束していく。
「や、やめて、ハリー! 自分が何をしているのか分かっているの!?」
 誰かが叫んだ。視線を向ければ、そこには涙を浮かべるハーマイオニーの姿があった。
 他の誰かが手を出す前に杖で失神させる。
「話し掛けるな、穢れた血め」
 出来るだけ、冷たく言った。まったく、心臓に悪い。
 眼下で我が親愛なる友人がいきり立つ死喰い人に何かを囁いている。これで生首になる事は免れそうだ。
 この状況で下手に勇気を振り翳さないで欲しいものだ。
「後は閉めるだけですね」
「……おう」
「どうしました?」
「いや、随分アッサリしてるなって思ってよ。仮にもお前の寮の寮監だった男だぞ?」
 笑ってしまった。今更、この男は何を言っているんだろう。
「偉大なる帝王に牙を剥いた男だ。殺されて当然……、違いますか? それとも、あなたも帝王に――――」
「そ、そんなわけないだろ!! 滅多なことを言うんじゃねぇ!!」
「……安心しました。スネイプ教授の後に、今度はあなたを一人で拘束するとなると……骨が折れそうだ」
 肩を竦ませながら微笑むと、マクネアは後ずさった。
「テ、テメェ……」
「さっさと済ませてしまいましょう」
「あ、ああ」
 重い石造りの蓋を閉める。聖母を象る石棺の中から微かにくぐもった断末魔の悲鳴が響いた。
 心が壊れていても、全身を針が貫く激痛には反応してしまうようだ。破損した『精神』の残滓が激痛によって一時的に増幅してしまうのかもしれない。
 これは面白い。今度、秘密の部屋で検証してみよう。
「……おお、生きてますね」
 血の涙を流す乙女に耳を近づけると、中からスネイプの息遣いが聞こえてくる。
 この中世の拷問器具の凄い所は対象を即死させないところだ。
 急所を悉く外し、これだけでは致命傷にならないのだ。しかも、針が突き刺さったままだから、出血多量でも死ぬ事が出来ない。
 お伽話のようなものだと思っていた。実際、ドイツの学者がこの器具の存在を『根拠のないフィクション』と断じている。
 そもそも、魔女狩りはキリスト教徒の手によって行われていた。彼等が敬愛する聖母を拷問器具の意匠に使う事などありえない。『鉄の処女』あくまでも伝説上のもの。
 だから、これはちょっとした感動だ。伝説の拷問器具が魔法使いに対して使われている。
「後は放置しておくだけ……。何時間生きていられると思いますか?」
「……お前、何を言ってるんだ?」
 マクネアは舌を打った。
「終わりました」
 マクネアの言葉に頷くと、ヴォルデモートは両手を高く掲げた。
「見たな?」
 その目がグリフィンドールに向けられる。
「見たな?」
 その目がレイブンクローに向けられる。
「見たな?」
 その目がハッフルパフに向けられる。
「見たな?」
 その目がスリザリンに向けられる。
「今、ダンブルドアが遺した最後の希望が潰えた。セブルス・スネイプは死に、ハリー・ポッターは我が軍門に下った!」
 生徒達の目に絶望の色が浮かぶ。
 ヴォルデモートの言葉が心を染め上げていく。
「さあ――――」
「うわぁぁぁぁぁぁ!!」
 悲鳴が上がった。
「助けて、お母さん!! お父さん!!」
 小柄な男の子。恐らく、一年生だ。
 彼は近くの死喰い人に持ち上げられた。
「こ、こんな所に来るべきじゃなかった!! イヤだ!! うちに帰らせて!!」
 死喰い人は少年を乱暴に投げ捨てた。
「アバダ・ケダブラ」
 誰もが言葉を失った。
「我が君の御言葉を遮るとは、不届き千万」
 物言わぬ躯と化した十歳の男の子。そのあまりの残酷さに生徒達は慄く。
 ここでは人の命が恐ろしく軽い。
 重い空気が流れる中、ヴォルデモートは素知らぬ顔で演説を再開した。
 誰が支配する者で、誰が従う者なのか、明確な線引が為された。

◇◆

 マグル生まれの子供は所属寮に関係なく一纏めにされ、地下牢に押し込められていく。
 これは教育。純血の者だけが重宝され、混ざり者は虐げられる。それを当然と生徒達に捉えさせるためのもの。

 スタンフォード監獄実験と呼ばれるアメリカ合衆国のスタンフォード大学で行われた心理学の実験がある。
 無作為に選ばれた二十一人の学生を看守役と受刑者役に分け、刑務所の環境を模した空間でそれぞれ演じさせた。
 実験が進むに連れ、学生達は次第に狂っていく。
 ただ、命じられた事だけをしていればいいのに、看守役の学生は受刑者役の学生の――存在しない――罪を糾弾し、暴行に及んだ。
 虐待行為が横行し、受刑者役の学生達は身も心も憔悴し切り、心を病む者も出始める。
 この実験は中止されるまでの僅か六日の間にこれ以上ない成果を上げた。
 元々の性格に依らず、強い権力を与えられた人間とあらゆる権利を奪われた人間が狭い空間内で常に生活を共にすると、次第に理性が麻痺し始め、暴走してしまう。
 人格とは肩書きや地位によって簡単に変わってしまう。
 
 ヴォルデモートが去った後、マクネアが生徒達に言った。
「不満があるなら穢れた血共で発散しろ。奴等を殴ろうが、穢そうが、殺そうが自由だ。お前達にはその権利がある!」
 その言葉の魔力が徐々に生徒達の心を穢していく。
 家畜の身分に堕とされた者と一定の権力を与えられた者。その心は徐々に歪んでいく。
 一人の男子生徒がマグル生まれの少年を殴った。だが、それを咎める者はいない。それどころか、彼は褒められた。
 それが二度、三度と続いていく内、マグル生まれに同情を寄せていた者達の心にも魔が差していく。
 僕達はその光景を他人事のように眺めていた。
 マグル生まれが死んでも、義憤に駆られた者が拷問されても、善人が罪人に堕ちていく様を見ても、僕達は何もしなかった。
 怒り、憎しみ、全てを心の底に貯めこんで、ただ、密やかに準備を進めていく。

 そして、冬が通り過ぎた日の事だった。準備は整ったところでヴォルデモートが僕達の前に姿を現した。
 僕とドラコは校長室に招かれた。
 ヴォルデモートの他にも側近の死喰い人達とその子供達がいる。
「よく来たな、ドラコ。そして、ハリー」
 ヴォルデモートは僕達に微笑みかけた。
「頃合いだ。ドラコよ、ハリーを私に捧げろ。さすれば、お前に格別の地位を授けよう」
「……かしこまりました、我が君」
 僕は隣の親友に杖を向けた。驚いている。演技が上手いな。
 失神呪文を掛ける。気を失った彼を尻目に僕はヴォルデモートに近づいた。
「我が君、お願いがあります」
「申してみよ」
「私にも闇の刻印を頂戴したいのです。父上のように」
 夢見るような眼差しを向ける。ドラコが当たり前のように使うものだけど、練習が中々大変だった。
「……クク」
 ヴォルデモートは嗤った。
「ああ、よかろう。近くに寄るがいい」
 僕は微笑んだ。素直にヴォルデモートに近づいていく。
 そして、その顔を掴んだ。
「――――なにっ!?」
 ああ、ドラコの言った通りだ。僕の手の中で急速に命が失われていく。
「な、なんだ、これは!?」
 ヴォルデモートが悲鳴をあげる。僕は笑いながら彼の杖を奪い取った。
 ニワトコの杖。最強の杖。僕はその杖をヴォルデモートの崩れゆく体に向けた。
 魂を束縛する呪文。あらかじめ用意しておいた宝石の中に彼の魂を封じ込める。
「はい、おしまい」
 振り返ると、自分達の親に服従の呪文をかけ終えた友人達が微笑んでいた。
 子供の居ない死喰い人は失神している。彼等から杖を取り上げ、ロープで縛っておく。
「やったな、ハリー!」
「早く、ドラコを起こしてあげましょう!」
「見たかよ、あのヴォルデモートのバカ面!」
 僕は僕の姿をしたドラコに気付けの呪文を唱えた。
 リジーに調合してもらったポリジュース薬で僕達は互いの姿を入れ替えていた。
 四ヶ月も自分じゃない姿で過ごすのは大変だったけど、これでおしまいと思うと寂しさも感じる。
「……終わった?」
「うん! バッチリだよ!」
 僕が手を貸して起こしてあげると、ドラコは欠伸をした。
「これで君の姿とおさらばかと思うと、ちょっと寂しいな」
 その言葉に僕は思わず吹き出した。
「どうしたの?」
「同じこと考えてるからさ」
「なるほど」
 僕達は嗤った。虚ろな顔を浮かべる大人達に囲まれながら。
「さて、始めようか! 老害は排除出来た事だし。僕達の手で理想の世界を作ろう」

第八話「魔王」

 ダンブルドアとコーネリウス・ファッジを殺し、魔法省を支配下に置いた。順調だ……、極めて!
 だが、問題はここからだ。一先ず、ヤックスリーに命じて、洗脳済みの魔法法執行部部長パイアス・シックネスを魔法省大臣の座に据えた。
 革命とは、既存の権力を打ち倒して終わりではない。打ち倒した後に新しく、恒久的な『世界』を作る事こそが革命なのだ。
 だが、新世界の創造には幾つもの難題を乗り越える必要がある。その一つが過去の権力への信奉者だ。
 ファッジはどうでもいい。問題はアルバス・ダンブルドアだ。死して尚、人々の心のなかに根付く、その英名が私の覇道を阻害する。
 マグルをまるで親しい友人のように語る『嘘つき共』。奴等の心を折る事は容易ではない。やはり、決定的なものを見せる他あるまい。
「スネイプ」
 私はダンブルドアをその手に掛けた男に微笑みかけた。拷問では口を割らなかったが、薬の魔力には敵わなかった哀れな男。
 ダンブルドアもよほど焦っていたのだろう。
 あの場でわざわざ自らを殺す役目をスネイプに割り振った事、このヴォルデモート卿が不審に思わないとでも考えたのだろうか? 
 真実薬によって齎された情報は実に有益なものだった。
「まずは貴様の真実を人々に語ってやろう。嬉しいだろう? お前を罪人だと信じる者達を驚かせてやるのだ」
 虚ろな顔。体は生きていても、心は既に壊れ切っている。今頃、愛しい女との妄想の世界を楽しんでいる事だろう。
「哀れな男よ。お前ほどの道化を私は知らない。だからこそ、これは慈悲と思え」
 男から取り上げた『最強の杖』を持ち上げながら、私は言った。
「私を裏切り、討ち倒す為に偽善を振り翳す老獪に忠誠を誓った半生を……私は許そう」

◇◇

 1995年8月21日――――。
 その日の日刊預言者新聞が報じたニュースに魔法界は再び揺れた。
 二ヶ月ほど前、アルバス・ダンブルドアを殺害し、死喰い人である事を表明したセブルス・スネイプの処刑日が告知されたのだ。
 一面を飾る青白い肌の男。彼の半生が記事に載せられている。
 赤裸々にされたスネイプ氏のプロフィールには彼が如何に哀れで、純朴で、愚かで、一途な人物であったかが事細やかに記されていた。
 誰もがヴォルデモートの腹心だと信じていた男の真実。愛した女性の息子を守る為に、その身命をダンブルドアに捧げていた事を知った者達は等しく衝撃を受けた。

 翌日、アルバス・ダンブルドアの真実と銘打たれた記事が一面を飾る。
 そこには善の体現者として知られていた彼の隠された過去が記されていた。
 大罪人ゲラート・グリンデルバルドとの秘密の関係が明らかとなり、更に彼の妹に纏わる醜聞が知れ渡った。

 人の心とは移ろいやすいもの。
 如何に絶対と信じるものがあっても、そこに僅かな罅が入れば一気に崩壊していく。
 瞬く間にダンブルドアの名は力を失っていった。

 そして、一週間が過ぎ、ホグワーツの再開が報じられた。
 二ヶ月前の事件から、生徒達は誰一人、家に帰っていない。
 最悪の事態を予期していた保護者達は一面に掲載された子供達の写真の中から自分達の子供の顔を血眼になって探した。

 その頃、ホグワーツでは生徒達が軟禁状態で過ごしていた。
 反抗する教師達は軒並み服従の呪文を掛けられ、生徒達には死喰い人による授業の受講が義務付けられている。
 純血主義の歴史。闇の魔術。マグルの愚かさ。
 その教えに反抗する生徒は徹底的に痛めつけられた。
 何度か学園に乗り込んで来た保護者の内、マグルと交わった者やマグルを賛美する者の前にはその生徒の生首が返還され、その保護者の遺体も家族のもとに花を添えられて送られた。
 同じ寮の生徒がアッサリと殺され、反抗すれば苛烈な拷問を受ける日々。
 中には精神に異常をきたす者も現れ始めている。
 校内では純血主義が正義となり、マグル生まれやマグルを賛美する者は攻撃の対象となった。
 窮屈な日々、恐怖の日々に対するストレスの捌け口として暴行を受ける生徒は助けを求めた|教師《死喰い人》によって処罰される。
 そのあまりにも捻れ狂った倫理の中で子供達は歪んでいく。
 
 そして、その状況の中で一つの群体が蠢く。

 9月1日――――。
 ハリー・ポッターとドラコ・マルフォイはキングス・クロス駅からホグワーツに向かった。
 他に誰も乗客の居ない空っぽの汽車の中で二人は呑気に笑い合う。
 二人が到着した時、空はすっかり暗くなっていた。
 湖にはダームストラング専門学校の船が変わらず停泊している。禁じられた森の方角にはボーバトン魔法アカデミーの馬車もある事だろう。
 両校の生徒も家に帰れぬ日々を過ごしている。
 二人を出迎えたのはドラコの父、ルシウスだった。二人の無事を確かめ、安堵した直後、帝王の機嫌を損ねた事について叱責した彼は二人を力強く抱き締めた。
 彼に付き添われ、ホグワーツの門を潜り、大広間に入ると、その中央に奇妙な舞台が用意されていた。
「……誰の趣味だ?」
 ドラコは思わずそう零した。
 その舞台には中世で活躍した処刑器具の一つ、『鉄の処女』が置かれていた。
「……おお、よく戻って来た。お前たちの無事な姿を見て、ホッとしているぞ」
 その舞台の先、壇上には一人の男が立っていた。
 蛇のようなのっぺりとした顔。二人はハッと表情を固くした。
「直接会うのはこれが初めてだな。私がヴォルデモート卿だ」

第七話「風雲」

 思わず笑ってしまいそうになった。僕が両親と敵対する? あり得ない
「……どうやら、あなた達は前提を間違えているようだ」
「なに?」
 本当に分かっていない様子だ。ガウェインだけじゃない。他の騎士団員達も困惑の表情を浮かべている。
「まさか、あなた達は闇の帝王と真っ向勝負でもする気ですか?」
「……今直ぐというわけではないが、いずれは――――」
「なら、はっきり言います。それでは死者を量産するだけだ。意味が無い」
 会話の主導権を握る為に少し強めの口調で言った。このままだと手駒にすらならない。
 案の定、彼等は険しい表情を浮かべた。
「どういう意味かな?」
 比較的冷静さを保ったルーピンが問う。
 他の人達が割って入る前に結論を言ってしまおう。
「ダンブルドアが死んだ以上、盤面は圧倒的に帝王が有利なんだ。だから、僕達は絶対に彼等と真っ向勝負をしてはいけない。さもなければ、待っているのは死だ」
「おい、ドラコ。それは言い過ぎだろ。確かにダンブルドアを失った事は痛手だ。だが――――」
「痛手どころじゃないんだ、ダリウス。前提を間違えていると言った筈だ」
「前提?」
 ダリウスが眉を顰める。
「そもそも、君達は盤面を『死喰い人の陣営』と『不死鳥の騎士団の陣営』に分けている。そこが間違いだ。盤面の上に立つ資格を持っているのは三人だけなんだよ」
「……三人ってのは?」
「無論、帝王とダンブルドア、そして、ハリーだ」
「ドラコ。その例えは間違ってるんじゃないか? 盤面で例えるなら、その上に立つのはやっぱり俺達だ。ダンブルドアやヴォルデモートは指し手だろ」
 ダリウスの言葉を支持するように他の人達も頷く。
「違うよ」
 僕は言った。
「確かに騎士団や死喰い人はダンブルドア達にとって重要な手駒だ。だけど、違うんだよ」
「何が違うんだ?」
「騎士団と死喰い人。言い方は悪いけど、結局は消費されるだけの物という事さ」
「……なんだと?」
 一斉に殺気立つ騎士団達。ハリーが咄嗟に僕を守ろうと動いた。
 だけど、必要無い。
「十五年前を思い出せば分かる筈だ。帝王亡き後、死喰い人達は為す術無く囚われた。ダンブルドアと帝王。どちらかが倒れた時点で勝負はほぼ決している」
「随分と断定的に言うね。勝負がほぼ決しているって? 冗談じゃない! ダンブルドア亡き今も、彼の意思を受け継ぐ者達がいる!」
「なら、ヴォルデモートが復活した方法を分かる人はいる? 二度と蘇らないよう、完全に消滅させる方法が分かる人は?」
 誰もが押し黙った。分かる筈がない。よほど、闇の魔術に精通している者でなければ、決して辿り着く事の出来ない解答だ。
「君には分かるとでも?」
 アーサーが言った。
「……さあ、それは僕にもわからない」
 失望したような視線が突き刺さる。だけど、これだけ言えば十分だろう。
「僕が言いたい事は一つ。少なくとも、ヴォルデモートが復活したメカニズムを解明するまでは手を出してはいけないという事だよ。さもなければ、殺しても蘇る不死の存在を相手に終わらない闘争を繰り広げる事になる。何人死ぬか想像もつかない」
「し、しかし! 放っておけば、マグル生まれやマグルが死ぬんだぞ!! 前回を知らないから悠長な事が言えるのだ!! 何人死んだと思っている!!」
 キーキー声でディーダラスが喚く。
「だから、みんな揃って自滅するの?」
「黙れ、若造!! 何も知らない子供が――――いや、お前はルシウス・マルフォイの息子だったな」
 憎悪に満ちた目を向けてくる。
「おい、ディーダラス!」
「騙されるな!! この小僧は我々を謀るつもりなのだ!! 帝王に通じておる!!」
 単細胞もここまで来ると笑えてくる。彼が必要以上に騒いでくれたおかげで他のメンバーが冷静になれた。
「待って、ディーダラス! だけど、この子の言葉には一理あるわ」
 エメリーンの言葉にディーダラスは顔を赤く染めた。
「何を言っておるのだ!! では、お前は戦わないと言うのか!? 何の罪も無い者達が無惨に殺されていく様を傍観すると!? そんな真似が出来る筈無い!! あんな哀しい光景を見てしまったら……」
 ディーダラスは涙を流した。
「分かっておる。何の策もなくヤツに挑む事は無謀だと……。だが……、だが……!」
「……何も挑むばかりが戦いじゃない」
「ドラコ。お前には何か考えがあるのか?」
「とりあえず、今はマグル生まれの魔法使いを保護する事に専念するべきだ。悲しきかな、純血の魔法使い達の多くは帝王の主張を多かれ少なかれ支持している。特に魔女狩りの時代の事を今に伝える一族は」
「バカバカしい! 時代は変わったのだぞ! もはや、純血主義など少数派だ!」
 豊かな髪を振り乱し、スタージスが言う。
「僕は事実を言っているだけだ。マルフォイ家の嫡男として、多くの旧家と付き合いがある。その中で知った事だけど、表向きはマグル生まれを賛美していても、裏では軽蔑している者が殆どだ。あなた達にも覚えがある筈だ。魔法力を持たないマグルやスクイプを見下す節が。その考えの行き着く先が純血主義なんだ」
「し、しかし――――」
「マグル生まれは決して純血主義と相容れない。故に大人しく排斥されるか、抗うしかない。まずは彼等を守るんだ。それこそが戦いの第一歩となる。その間に僕の方で帝王に探りを入れる」
「お前が?」
 ダリウスが怪訝そうに表情を歪める。
「信じるかどうかはそちらに任せるが、他に適任などいない筈だ」
 後は彼等の判断次第となる。ここで肝になるのはジェイコブの存在だ。
 彼と僕達が親しくなった事はハリーの口から伝えられている筈。大分言葉に気を使った上で……。
 僕がマグル生まれどころか、マグルと友好的に接している事はここで大きな判断材料となる筈。

 結果が出るまでに要した時間は二日だった。
「信じるぞ、ドラコ・マルフォイ」
 ガウェインの言葉に僕はしっかりと頷いてみせた。
 全てが変わった夜からほぼ一週間が経過し、世界はより一層絶望的な方向へと転がっていた。
 彼等の判断の後押しをしたのは日刊預言者新聞の一面だった。実質的な『魔法省の陥落』を意味する記事。
 もはや、猶予は残されていなかった。

◆◇

 探偵事務所の空気は最悪だ。俺がドラコ達から聞いた情報を伝えてから、みんな昏い表情を浮かべている。
 フェイロンは特に気が立っている様子で誰とも話をしようとしない。
 俺はみんなを刺激しないようにそっと席を立った。そういえば、昔はこんな気遣い出来なかったな。いつの間にか、すっかり文明人の仲間入りをしていた。
 ここのみんなには返し切れないくらいの恩がある。
 フェイロンはここのメンバーをファミリーと呼んでいるけど、俺にとってもそうだ。
「どこに行くの?」
 事務所を出た所でマヤと出くわした。
「あれ? 今日は仕事じゃなかったっけ?」
「仕事って言っても、記事を編集長に渡すだけだからね。それより、どこに行くつもり? なんか、顔が恐いよ?」
「ちょっと遊びに行くだけだよ」
「遊びに……ねぇ。じゃあ、お姉さんが一緒について行ってあげる」
「なんでだよ!?」
 意味がわからない。
「あれれー? お姉さんが一緒だと照れちゃうのかにゃー?」
「ウゼェ」
 そろそろ約束の時間が迫ってる。ここで長居しているわけにはいかない。
「いいから放っておいてくれよ。俺はこれでも忙しいんだ」
「遊びに行くのに?」
「遊ぶのに忙しいんだよ! 子供なら当然だろ」
 何がおかしいのか、マヤは吹き出した。
「あはは、そうだよね! ジェイクはまだまだ子供だもんね!」
「な、なんだ、その反応……」
「いやー、いっつも難しい顔してるし、子供っぽい所とか全然無いから……。うん! ちょっと、安心」
「……なんか、腹立つ反応だな。まあ、いいや。俺はこれから友達に会いに行くんだよ。だから、ついて来ないでくれ」
「はーい! そういう事ならついて行ったら悪いもんね!」
「そういう事。じゃあな!」
 俺はマヤから離れて待ち合わせ場所に急いだ。今日はドラコに渡したメモに書いた待ち合わせの日。
 一度は逃げられたけど、二度目があるか分からない。だから、誰にも今日の事は言ってない。
 ポケットには情報屋のアネットから貰った特別製のボイスレコーダーがある。何かあっても、これで情報を残せる筈だ。
 みんなが本当の笑顔を取り戻す為には、もっと世界の真実……その深層に踏み込む必要があると思う。
 ドラコが言っていた事が真実かどうかも分からない状態じゃ、今までと何も変わらない。

 待ち合わせの場所には予想通りというか、ドラコとハリーの他にも二人いた。
 大人だ。どちらも怪しい服装。
「よう! 一週間振りだな」
 景気付けに元気よく挨拶をすると、ドラコが苦笑した様子で手を振り返してきた。
 相変わらず、良い女だ。……いや、男だったな。
「相変わらず、元気だね」
「それが取り柄だからな。それより、そっちの二人は? お仲間か?」
「そうだよ。彼はダリウス」
 黒人の方を指差して言う。
「彼はシリウスだ」
 今度はやたらハンサムな白人男だ。
「ダリウスにシリウスか、よろしくな。俺はジェイコブだ」
「ああ、二人から話は聞いているよ。……本当にマグルなんだね」
 マグル……ああ、魔法族じゃない者って意味だったな。
「おう! 生まれも育ちもマグルだぜ。それで、ここに来たのは俺の記憶を消す為かい?」
「もちろん、違うよ。分かってるから顔を出したんでしょ?」
 ドラコの言葉に笑って答えた。
「記憶を消す為なら、姿を見せない方が効率良いしな」
「なら、無駄な説明は省こう。ジェイコブ。君の所属している組織の長に会わせてもらえないかな?」
「駄目だ」
「……どうしても?」
「当然だろ。お前達と会話するのも、取引するのも俺だけだ」
 軽く睨みつけながら言うと、ドラコはクスリと微笑んだ。
 嫌な笑い方だ。何かを企んでいる。
「……なら、せめて君の仲間と話をさせてくれ。別に危害は加えない」
 そう言って、ヤツは路地に視線を向けた。
 そこには険しい顔をしたマヤの姿があった。
「……来るなって言ったのに」
「ジェイコブ。これはどういう事?」
 どうやら、相当怒っているみたいだ。だけど、今は説教を聞いている場合じゃない。
「おい、ドラコ。マヤには手を出すな。お前が杖を抜く前に一人は必ず殺すぞ」
「おお、怖い。だけど、安心してよ。彼女に手なんて出さない。ただ、君以外の信用ある大人に話を聞いてもらいたかった」
「俺に信用が無いってのか?」
「子供が持てる信用なんて、君が思ってる程高く無いよ」
 この野郎、言ってくれるぜ。
「その通りだけど、むかつくぜ」
「ほらほら、リラックスしてよ。僕達は警告しに来ただけなんだ」
「警告? 俺達に何かさせたかったんじゃねーのか?」
「君達には僕達からの警告を広めて欲しい。その代わり、騒動が收まったら君達に助力を約束するよ。人探しとかに限られるけど」
「……それで、警告ってのは?」
 ドラコは言った。
「前に教えた魔王の事を覚えてるね?」
「おう」
「ヤツが魔法界の中枢を支配してしまった」
 ……関係ないが俺はマヤが貸してくれた日本のゲームが大好きだ。
 魔王か……。さて、ロトの勇者はどこにいるのかな? 

第六話「選択」

 一人になって漸く一息吐けた。思った以上に疲れている。
 不調という程じゃない。ただ、思考能力が低下していて、それを取り繕う為に神経を擦り減らしたからだ。殆ど取り繕えていなかったけど……。
「あの反応は予想外だったな……」
 僕の中でハリー・ポッターは正義の味方だった。友情や愛情を尊び、悪を決して許さない。まさに、英雄に相応しい人物。
 ハリーが開心術を使った時、驚きのあまり頭の中が真っ白になった。僕の中で彼のその行動は『絶対にあり得ない事』だった。だから、咄嗟に閉心術を使い、秘密を守る事も出来なかった。
 隅から隅まで覗かれ、秘密の部屋で行っていた非道の数々まで全て暴かれた時、絶望的な気分になった。
 嫌われたと思った。ずっと、会いたかった人。折角、手に入れた友達を失ったと思った。その喪失感は果てしなく……いっそ、彼をこのまま殺してしまおうかとさえ思った。
 殺して、永遠に僕の傍に置いておこうと思った。彼が僕を糾弾する前に、僕を軽蔑の目で見る前に……。
 だけど、出来なかった。
 杖を取り上げられていたからじゃない。僕はハリーを傷つける事が出来なかった。考えただけで怖気が走る程、僕にとってハリーは大切な存在になっていた。
「ぁぁ……」
 思い出しただけで悶そうになる。
 あのハリーが僕を受け入れた。全てを知りながら、尚も僕を友と呼んだ。
 その時の感情を言葉で表す事は容易じゃない。
 驚いた。
 悲しくなった。
 嬉しかった。
 憎らしかった。

――――そうじゃないだろ? 君は僕を許してはいけない筈だ。

 そうなるように仕向けておいて、実に我侭な事を思ってしまった。
 僕は彼に受け入れられた事を喜ぶと同時に、僕の理想だったハリーが正義に反する事を口にした事に哀しみと怒りを覚えた。
 その後はもう滅茶苦茶だ。ずっと、相反する感情がせめぎ合った。
「……ぅぅ」
 彼に滅茶苦茶にされたい。彼を滅茶苦茶にしたい。
 その手で殺して欲しい。この手で殺したい。
 その記憶を消して、英雄の道に引き戻したい。その精神を穢し尽くして、魔王の道に誘いたい。
「アハァ……」
 ああ、ハリー・ポッター。僕の友達。僕だけのもの。
 胸を掻き毟りたくなる。
 もっと、見たい。もっと、聞きたい。もっと、知りたい。もっと、味わいたい。もっと……もっと……もっと!
 彼には僕の知らない一面があった。
 彼が僕の言葉を逐一文献や他者の証言と照らし合わせていた事は知っていた。
 だけど、知らなかった。
 彼に……あんなにも情熱的な一面があった事を。
「僕の杖を取り上げ、僕の心を暴き立てるなんて……ぁぁ、ハリー」
 ああ、期待以上だ。
 あの時、僕は待っていた。
 裏切られたと感じた筈の彼が自ら僕に対する信頼感を回復するのを。
 それで漸く完成する筈だった。裏切られて尚、忠誠を誓う最高の友達が。
 まさか、ここまでとは思わなかったよ。良い意味でも、悪い意味でも裏切られた。ああ、悪いヤツだ。酷いヤツだ。
「さい、こう……。あぁ、だけど反省しないといけないね」
 心をかき乱されたまま、普段通りの態度を取ろうとして、無様な姿を晒してしまった。
 マグル相手に手玉に取られて、ハリーの前であんな醜態を晒す事になるとは……。
「焦り過ぎたな……」
 ジェイコブの言うとおり、脅迫など最後の手段にするべきだった。普段の僕なら絶対にしないミスだ。
 あの年頃の少年を篭絡する事なんて赤子の手を捻るよりも簡単な事だったのに、逆に唇を奪われ、弄ばれた。
 それでも、逆に彼を支配する事も出来た。だけど、ハリーの前で男を誑し込む事に抵抗を感じた。
 羞恥心なんて、今更過ぎる。この体も魂もとっくの昔に……。
「まあ、結果としては悪く無いか……」
 幸か不幸か、彼に好印象を植え付けられた。加えて、此方を御し易いと感じてくれた筈。少なくとも、魔法使いを絶対的な脅威と認識される事は避けられたようだ。
 この状況下でマグルに伝を持つ事は非常に有益だ。
 ポケットにいつの間にか忍ばせられていたメモには彼が指定した待ち合わせ場所と時刻が記されている。
「……マリアに会いたい、か」
 頬が緩む。
 ああ、会わせてあげるとも。最後の最後まで役に立ってもらった後でね。
「散々使い倒して、ボロ雑巾のように捨ててあげるよ」
 楽しみだ。

 さて、少し思考を切り替えよう。これからの事だ。
 今の僕は『死喰い人の一員の息子』という立ち位置。ハリーの友達としての実績もあって、いきなり拘束される事は無かったけど、不死鳥の騎士団達は僕から杖を取り上げ、窓のない鍵の掛かった部屋に監禁した。
 ルーピン教授やシリウス、ハリーは猛烈に反対してくれたけど、他の騎士団の面々が断固とした態度を貫いた。
 脱出する事は簡単だけど、ここで不死鳥の騎士団と完全に対立する事は無意味だ。
「クリーチャー」
 僕はこの家に“仕えていた“屋敷しもべ妖精を呼び出した。
「お呼びで御座いますか?」
「ああ、呼んだとも」
 クリーチャーは元々ブラック家に仕えていた。だけど、当代当主であるシリウスは家風に染まり、純血主義を掲げるクリーチャーを疎ましく思い、彼に辛くあたっていた。
 僕はシリウスを言葉巧みに唆して、クリーチャーを失職させた。その後で僕に仕えないかと声を掛けた。母上の事を話すと喜んで従ってくれた。
 完全なマッチポンプだが、クリーチャーの存在を野放しにしておく事は非常に危険だった。手元に置いておくに越した事は無い。
「少し情報を集めてきて欲しい。今この瞬間も魔法界の情勢は目まぐるしく変わっている筈だからね。状況に置いてけぼりを喰らいたくない」
「かしこまりました。……ですが、あの不埒者共を皆殺しにしてしまった方が早いのでは?」
 物騒な事を言う彼の目はどこまでも本気だった。
 僕を監禁している事に怒りを通り越して憎悪を抱いている。
「彼等は有益だ。……今のところは。だから、利用出来る内は殺せないよ」
「ですが……」
「ありがとう、クリーチャー。安心してよ。いつまでも監禁されたままじゃ、僕だって困る。手段を講じるさ」
「……差し出がましい事を申しました。どうか、お仕置きをして下さい」
「ああ、わかった」
 僕は彼の指を折り曲げた。骨を折る音というものは実に良いものだ。
 ある落石事故に巻き込まれた炭鉱夫は重い岩石に押し潰された時、全身の骨が折れる音が聞こえたと言う。その音は痛みを忘れる程の素晴らしい音だったという。
 乾いた破裂音が心地よい。気が付けば、彼の左手は奇妙なオブジェになっていた。
「……ぁりがと、うござい、ます」
「さあ、行っておいで」
 クリーチャーが去った後、再び静寂が訪れた。聴覚を拡大する魔法を使い、階下の声を拾う。五感を活性化させる呪文も分類上は闇の魔術になる。
 拾う音を取捨選択しないと頭が痛くなってくるのが難点だ。
 どうやら、僕の事を議論しているらしい。ハリーが賢明に僕の事を弁護してくれている。他のメンバーも僕の事を知っている者達は監禁に難色を示してくれている。
 だけど、全体的な感触としては芳しくない。
「……果報は寝て待てって言うけど、ちょっと焦れったいな」
 その後、ホグワーツの現状や今後の打開策についてなども話し合われた。
 
 結局、僕が解放されたのは四日後の事だった。
 僕は憔悴し切った表情を作って待ち構えていた。この四日間、彼等が用意した水や食料に一切手を付けていない。
 クリーチャーに色々用意してもらったから、別に空腹でもなんでもないけどね。
「ドラコ!」
 ハリーは知ってる癖に過剰に心配そうな表情を作って駆け寄ってきた。
「言ったのに! ドラコは大丈夫なんだ! 彼の覚悟が分かったでしょ!」
 ひどい茶番だが、ハリーの熱演の効果は凄まじかった。
 シリウスやルーピンが同調し始め、最終的にほぼ全員が僕を信用してくれた。
 まだ疑っているぞ、と脅しかけてくる者もいるにはいたが、その目には罪悪感がありありと浮かんでいた。
 元々、善人の集まりだから、子供を監禁する事に抵抗感を抱いていたのだろう。
「ドラコ、大丈夫かね?」
 シリウスは僕にスープをすすめてくる。
「ぁりがとう、シリウス」
 掠れた声を作って、彼の好意に甘える。
「すまなかった。だが、これで君に愚かな疑いを向ける者はいなくなった筈だ」
 ルーピンが心底申し訳無さそうに言った。
 他のメンバーを眺める。総勢十一名と闇の陣営に対抗する正義の団体にしては少ない気がするが、一部屋に押し込むには多過ぎる。。
 闇祓いのダリウスとガウェインは知っている。
 後のディーダラス・ディグル、エルファイアス・ドージ、スタージス・ポドモア、エメリーン・バンス、マンダンガス・フレッチャー、ヘスチア・ジョーンズ、アーサー・ウィーズリーの七人は初見だ。
「構いませんよ。僕を疑う事は仕方の無い事です。だけど、僕はハリーを守る為なら命だって惜しみません。この事だけは信じて欲しい」
「信じるとも!」
 アーサー・ウィーズリーが息巻いて言った。
「君は単身でハリーを救いに行き、見事助けだした! これ以上ない証拠だ!」
 驚いた。よりにもよって、父上と反目している筈のアーサーが僕の擁護に回るとは思っていなかった。
 僕の反応に気付いたらしく、アーサーは気まずそうに咳払いをした。
「あー……、息子が言っていたんだ。ロンやフレッド、ジョージの事は知っているね? あの子達が家で頻りに君の事を話題に出すんだ。悪口なんて一つも出ない。恥ずかしながら、私は君の父上の事で君にまで疑念を抱いていた。その事で息子達に叱られてしまったよ。私はあの子達の人を見る目を信じている」
「……フレッド達が」
 僕は心から喜んだ。彼等は僕の理想通りの動きをしてくれている。
「俺達もお前は大丈夫だって言ったんだぜ? だけど、頑固者が多くてよ」
 ダリウスが茶目っ気たっぷりな笑みを浮かべて言った。
 この男の言葉を額面通りに受け取ってはいけない。相手は闇祓い。しかも、彼の上司は僕を疑っている。
 恐らく、泳がせる意味合いが強い筈。逆に好都合だ。
「……さて、いきなりで悪いが君には一つ重大な選択をしてもらう事になる」
 闇祓い局局長補佐のガウェインが重苦しい口調で言った。
「君は御両親と敵対する事になっても、ハリーを守る為に戦えるかい?」

第五話「乱気流」

 妙な事になった。
「……えっと、元気だせよ。な?」
 何の因果か、俺は今、殴るつもりで会いに来た男を慰めている。
 ダドリーの言葉をそのまま伝えたらいきなり笑い泣きを初めて驚いた。
 どうやら、相当なショックを与えてしまったようだ。
「何も泣く事はないだろ……」
 参った。想像と違う。魔法使いはもっと凶悪で傲慢で俺達人間とは全く違う悪魔的な生物なんだと思っていた。
 ところがどっこい、ハリー・ポッターは俺以上に人間的だ。スメルティングズに通っている脳天気な奴等と同じ。
 普通に傷つくし、普通に涙を流す。どこにでもいる普通の少年だ。
「……ごめん。もう、大丈夫」
 しばらく背中を擦ってやっていると、ポッターはようやく顔を上げた。
 スッキリした顔をしている。泣いた事で気分が落ち着いたのだろう。
「とっくに吹っ切った筈なのに、中々思い通りにならないものだね」
「みたいだな」
 俺は立ち上がった。
「帰るよ」
「……帰る?」
「おう。なんか、思ってたのと違ったけど、答えは得られたし……」
 マリアを攫った妖精を特定する事は魔法使いにとっても難しい事らしい。
 仮に特定出来ても、生存している可能性は絶望的に低い。
 殴るべき相手も見つからず、虚しさだけが残った。
「それは駄目だよ、ジェイコブ。君を帰すわけにはいかない」
「ア?」
 気付けば背後にあの女が立っていた。そう言えば、名前を聞いていない。
 なんとなく、マリアに似ている気がする。顔も髪型も似ていない筈なのに、どうしてだろう……。
「君は知り過ぎた。魔法使いはマグルにその存在を気づかれてはいけないんだ。だから、このまま帰るのなら君の記憶を消さないといけない」
「あー……そっか、そうくるよな」
 あまりにも簡単に質問の答えを教えてくれるものだから、俺は失念していた。
 この世界の『真実』に触れた者は記憶を消される。
 知っていた筈なのに、俺は警戒を怠っていた。
「ジェイコブ。君には二つの道がある」
 危険な光を瞳に宿し、女は言った。
「一つは記憶を消され、このまま先も見通せない霧の中を歩き続ける道」
「……もう一つの道は?」
 ヤツは言った。
「僕の物になれ、ジェイコブ・アンダーソン」
 何言ってんだ、コイツ……。
「断る」
「そうしたら特別に見逃が――――は?」
「いや、なんでお前の物にならなきゃいけねーんだよ」
 どういう思考回路してるんだ?
「君は自分の立場を分かっているのかい?」
 冷酷な表情だ。俺の解答次第で記憶どころか命も消すって感じ。
 実際、こいつは俺を簡単に殺せるのだろう。記憶も弄り放題なのだろう。
「おう、分かってるさ」
「記憶を消されてもいいと?」
「駄目に決まってるだろ」
「……我侭だね、君」
 ひょっとして、魔法使い特有のジョークなのか?
「だけど、このまま帰るつもりなら記憶を消す。道は二つに一つだ」
「いいや、もう一つある」
「……逃すと思っているのかい?」
「誰が逃げるって言った?」
「え?」
 俺は不意打ち気味にヤツの唇を奪った。そのまま、口の中を掻き乱す。
「ちょっと!?」
 ポッターが目を見開いて止めようとするが、構う必要はない。
「おい! 何をしてるんだ!」
 怒りで顔を歪めるポッター。もしかして、こいつらはそういう関係だったのかもしれないな。
 だけど、俺だって記憶を消されるわけにはいかない。
「離れろ! さもないと――――」
 ポッターは杖を取り出した。魔法使いに杖……、なるほど。
 俺はヤツの腕を蹴りあげた。
 宙に浮いた杖を捕まえると、ポッターは狼狽した。実に分かり易い。どうやら、こいつが無ければ魔法は使えないみたいだ。
 そのままヤツの足を引っ掛けて転ばせ、その上に座る。もがいても、上に人間二人を乗せたうつ伏せ状態ではどうにもならない。
 さて、唇は十分に堪能した。俺は片手で女の服を弄った。案の定、杖が入っている。それを握ると――――、ん?
「や、やめろ!」
 放心状態だった女の意識がいきなり戻った。
 杖は確かにあった。だが、他にもおかしな手触りが……、あ。
「お前、男かよ」
「……そ、そうだ。だから、離せ」
「いや、離したら記憶消されちまうんだろ?」
 ある意味で好都合かもしれない。
 俺は手に力を込めた。
「な、やめっ」
「とりあえず、名前を教えろよ。じゃねーと、潰してマジで女にしちまうぜ?」
 必死になって抜け出そうともがくが、生憎ともやし二人に押し負ける程やわな鍛え方はしていない。
 とりあえず、反抗的な態度を改めさせる為に更に力を加えておく。
 ただでさえ青褪めて見える顔が更に白くなっていく。
「や、やめろ……」
「やめて欲しかったら、名前をいいな」
 唇を噛み締め、此方を睨んでくる。さっきよりも一層扇情的だ。
 まあ、本人は威嚇しているつもりなんだろうけど、急所掴まれた時点でどんなにかっこつけようとしても無意味だ。
「いいのか? 多分、メチャクチャいてーぞ?」
 可愛い子ちゃんは何回か痛みを与えてやると、ようやく名前を教えてくれた。
「ドラコか、随分と大層な名前じゃねーの」
 俺はドラコの髪を撫でながら、その顔の作りを観察した。
 間近で見ても女にしか見えない。
「僕の物になれだ? 逆だぜ。お前が俺の物になりな」
「なっ!?」
 俺はもう一度手に力を込めた。
「ひぐっ」
「その顔なら別に男のままでも一向に構わねーけど、お前の態度次第だな」
 笑い掛けると、尻の下でポッターが暴れ始めた。ドラコも必死に抵抗しようとする。
「ふ、ふざけるな! ドラコを離せ!」
「いや、ふざけてねーよ。正当防衛って奴だ」
 俺はもう一度ドラコの唇を塞いだ。一向に魔法で反撃される気配がない。
 やっぱり、魔法使いには杖が必要らしい。俺は二人の杖を遠くに投げた。
「あっ!」
 ポッターが声をあげる。
 こいつら本当に分り易いな。
「なあ、ドラコ。俺は別にお前と喧嘩がしたいわけじゃねーんだよ」
「ど、どの口が……」
 唇を開放すると、ドラコはわなわなと体を震わせた。怒りと羞恥で頬が赤い。
「お前が悪いんだぜ? 言い方ってものがあるだろ。俺にはお前達に恩義がある。色々教えてくれた恩義が」
 ああいう言い方をされたら抵抗しないわけにはいかない。
「友達になれって言えば良かったんだ。それなら、俺は快く了承したし、お前の為に何でもしてやる気になった」
「何を言って……」
 不思議そうな顔をするドラコ。
「お前が俺の事を欲しがる理由は何かをさせたいからだろ? なら、脅迫なんざ最後にとっとくべきだぜ。一端、お前の言葉に従っても、後で絶対反発する」
 どうやら図星のようだ。こういう行動の前に思考を置くタイプの人間はペースを乱してやれば簡単にボロを出す。
 人生経験が足りてないぜ、ドラコ。
「もう一度、言葉を改めな、ドラコ。そうしたら、俺は快く『イエス』と応えるぜ」
「……この状態で言えって?」
 ジト目で睨んでくる。
「おう、言え」
「……僕と友達になれ」
「断る」
 愕然とした表情を浮かべるドラコ。こいつ、面白いな。
「お、おい、ジェイコブ! 話が違うぞ!」
 ハリーが喚く。酷い誤解だ。
「俺は言葉を改めろって言ったんだぜ? 友達相手に命令形はないだろ。『卑しい僕とどうかお友達になって下さいませ、偉大なるジェイコブ様』。そのくらいへりくだるべきだ」
「それもなんか違うだろ!」
「オーケー。妥協してやる。『僕と友達になってください』。それでいいぜ。プリーズを忘れるな」
 ドラコは眉をピクピクさせながら深呼吸をした。
「……ぼ、僕と友達になってください」
「イエス。オーケーだ、ドラコ」
 解放してやると、ドラコはツカツカと杖を拾いに行った。
「これだけの事をして、まさか無事に帰れるとは思ってないよね?」
「思ってるさ。お前は邪悪だが、嘘は吐かない。友達に危害は加えないだろ?」
「……僕は思いっきり危害を加えられたんだが?」
「それは友達になる前の話だからノーカウントだ。それに脅迫したのはお前だぜ? 逆にあの程度で済んで御の字だろ」
 ククと笑いながら俺はドラコに言った。
「一つ、お前にアドバイスだ。相手を見下して行動するのはやめておけ。死角が増える。いつか手痛いしっぺ返しを受けるぞ」
「もう受けたよ……」
 イライラした表情を浮かべるドラコ。
「それで、俺に何をさせたかったんだ?」
 ドラコは押し黙った。実に疑わしげな表情を浮かべている。
「おいおい、信用しろよ。期待に応えてみせるさ。少なくとも、お前を裏切ったりしない」
「どうだか」
「あの程度で警戒し過ぎだろ。どんだけ初なんだ?」
「初とか関係ないだろ」
「もう一つアドバイス。喧嘩で相手の急所を狙うのは常套手段だ。実践的な武術には大抵そこを狙う技がある。どんなに頑丈なヤツでも、痛みに強いヤツでも、ここを狙われると耐えられないからな」
「君は武術を?」
「ボクシングと……他に幾つかな。ああ、そうそう。もう一つアドバイスだ。ハリーも聞いとけよ? 杖を堂々と相手に向けるな。蹴り飛ばしてくれって言ってるようなもんだぜ」
「……ああ、肝に命じておくよクソ野郎」
 どうやら、そうとう怒らせてしまったようだ。
「おい、頼むから信用してくれよ。しっかり、役に立ってみせるからよ。その代わり、マリア探しを手伝ってくれ! な!」
「……マリアにそんなに会いたい?」
「ああ、会いたいに決まってる。会って、返事を聞かねーと」
「……そうか。なら、馬車馬のごとく働く事だな」
「任せろ」
「いいだろう。なら、お前は――――」
 その時だった。いきなり、部屋の扉が開いた。
 何事かと驚くハリーの下に男が飛び掛かる。
「危ねぇ、ハリー!」
 咄嗟に回し蹴りを放った。カウンター気味に直撃した相手の男は悶絶しながら地面に蹲る。
「シ、シリウス!?」
「うわー……、キレイに決まったな……」
「あれ? 俺、やらかした?」
 その後からゾロゾロと怪しい団体が入って来る。
「ここに居たか、ハリー! それに、ドラコ!」
 一際ボロい服を着た男が笑顔を浮かべた。
「ああ、無事で良かった!」
「ル、ルーピン先生もよくぞご無事で……」
「無事……と言っていいかわからないが……」
 苦々しい表情を浮かべ、ルーピン先生とやらは口を濁した。
「とりあえず、現状を伝えよう。……既に知っているかもしれないが、ヴォルデモートが蘇った。それだけじゃない。落ち着いて聞きなさい……。実はダンブルドアが――――」
 俺はそっと窓辺に近づき、窓の鍵を開けた。
「我々はこれよりここを拠点として『不死鳥の騎士団』を再結成するつもりだ」
 盛り上がってるところで悪いとは思うが、さすがにこの状況を呑気に傍観していたらヤバい事は分かる。
 丁度、一団の一人が俺に気付いた。
「おや、君は?」
 やたら爽やかな伊達男が俺の服装を見て訝しむ。
「ハリー。君の友人かい?」
「あー、ガウェイン。彼は……」
 頃合いだな。
「おい、ドラコ! それに、ハリー! 話の続きは今度にしよう!」
 俺はドラコに向かってポケットをポンポン叩く仕草をして見せた後、窓を全開にした。
「お、おい、君!」
「あばよ!」
 俺は窓から身を投げた。魔法使い共が駆け寄って来るのが見え、その直後、地面に向かって急降下した。
 このままなら死ぬ。だが、もちろん死ぬつもりなんてない。
 窓の外にリズが居る事は確認済みだ。恐らく、俺を追い掛けて来たんだろう。
 飛行機事故の件で胸騒ぎを覚えて、今日ここで張り込みをしていたロドリゲス達の事が心配になり、居ても立っても居られなくて飛び出しちまったからな。
「リズ! 全速力で離脱だ!」
 俺が落ちながら叫ぶと、リズは悲鳴のような声を上げた後、俺を見事にキャッチして、人一人を抱えているとは思えないような圧倒的早さでグリモールド・プレイスを後にした。