第十一話「魔刻」

「ミスタ・マルフォイ」
 考え事をしながら廊下を歩いていると、不意に背後から声が掛かった。
 振り向くと、意外な事に立っていたのはマクゴナガル教諭だった。
 授業中以外で彼女と話す事は極めて稀だ。普通、教師から生徒に話がある場合、寮監を通すもの。僕の場合はスネイプだ。
「どうしました?」
「ハリー・ポッターの第二の試練について話があります。ついて来なさい」
 ああ、そういう事か……。
 ダンスパーティーも無事終わり、いよいよ第二の試練が数時間後と迫っている。
 対策として、鰓昆布をスネイプ教授から譲ってもらった。
 今のところ、問題と言えば魔法界のパパラッチこと、リータ・スキーターが些か鬱陶しいくらいだ。
 品性を持たない女は醜悪の極みだ。
 奴はハリーがスリザリンに入寮した事を面白おかしく記事にしようとしていた。
 さすがに影響力の強い名家の人間が多く在籍しているスリザリンを挑発する真似は出来ず、記事は穏便なものに差し替えられたようだが。
「ミスタ・マルフォイ?」
「あ、すみません」
 いけない。考え事は後にしよう。
 打てる手は全て打った。後は天命に任せるのみ。
 しかし、試練で救出する人間はダンスパーティーのパートナーが担うものだと思っていたがアテが外れたな。

 結局、第二の試練も問題なく終わった。鰓昆布の力は絶大で、ハリーは一番乗りでゴールした。
 物語のように他の『人質』を救出する為に待機する事もなく、淡々と水面まで浮上したようだ。
 クラムのパートナーがハーマイオニーでは無かった事や、チョウ・チャンとあまり親しくなかった事も要因の一つかもしれないけど。
 チョウといえば物語中ではハリーの初恋の相手だった女生徒だが、ハーマイオニーとルーナの虐めの件があって、ハリーはレイブンクローの生徒をあまり好ましく思っていないみたいだ。
 それにしても、万が一に備えてリジーやシグレを待機させていた甲斐が無かった。
 もっとも、最悪の場合、ハリーはメガネを装着しているからバジリスクの魔眼で全てを死滅させる事も考えていただけにホッとしている部分もある。
「それにしても、奴の狙いは何なんだ?」
 第三の試練まで一週間と迫る日の茶会の席でノットが言った。
「僕達の支援で作戦が上手くいっていない……、という事では?」
「そうなると、ますます奴の暴走という可能性が高まるな。奴の行動が帝王からの密命を受けてのものなら妨害している僕達に何らかのアクションがある筈だ」
「だけど、第一、第二の試練で何も行動に移らなかった理由は? 支援と言っても、危害を加えようと思えば幾らでも……」
「ただ臆しただけの可能性は?」
「馬鹿な……。奴が十四年前に何をしたのか知らないのか? 大胆不敵とは奴のためにある言葉だぞ」
 議論は何も進展を見せない。
 欠片でも奴の計画の片鱗が見えれば話も違うのだが、奴は試練に対して傍観を決め込んでいる。
 やはり、最後の試練に的を絞っているのか?
「炙り出そうとしている?」
 一人の生徒がポツリと呟いた。
「どういう事?」
 近くの女生徒が尋ねる。
「僕達を泳がせているのかも……。反乱因子を見つけ出す為に」
「だから、それはあり得ないってば。ハリーの事はドラコに一任されてるんだから」
「でも……。他に思いつかないよ」
「とりあえず……」
 僕は一同を見回して言った。
「最後の試練に備えよう。気の緩みかけている今この瞬間を狙ってくる可能性もある。油断大敵だ」

 ついに最後の試練の日がやってきた。
 競技場に作られた大迷宮。そこに得点が高い順に入って行き、最初に突破した人間が勝者となる。
 僕は試合開始の直前、ハリーを呼び止めた。
「ハリー。これを持って行ってくれ」
「これは?」
「お守りみたいなものさ」
 渡したのはキーホルダー。何が起きるか分からない状況だから、僕はリジーに変身呪文を掛けた。
 緊急時には正体を明かしてハリーを守るよう命じてある。
 水中戦である第二の試練ならともかく、こんな場所でシグレを使う事は出来ない。
「……油断をしないでくれ。十中八九、罠を仕掛けた者はこの試練の間に仕掛けてくる筈なんだ」
「うん。わかってる。安心してよ、ドラコ。僕は必ず無事に試練を潜り抜けてみせる」
「ああ……」
 試練自体に不安はない。ハリーは勉強会や試練に向けての訓練で既に最終学年の魔法も取得している。
 知識も知恵も十分。
「頑張れ、ハリー」
「うん!」
 ハリーは颯爽と選手の集合場所へ向かっていく。

 現在の順位はハリーがトップだ。第一の試練ではカルカロフのクラム贔屓によって二位に甘んじたが、第二の試練を一番乗りでゴールした事で一気に他を引き離した。
 トップバッターとして、大迷宮に入って行くハリー。
 此処から先はもう見守る事しか出来ない。
「ハリーは大丈夫かな?」
「心配すんな! 彼はハリー・ポッターだぞ!」
「頑張れ、ハリー!」
 スリザリン寮の生徒達が声を張り上げてハリーを応援する。
 その声に続くように他の寮の生徒達もハリーの名を叫ぶ。
「ゴー! ゴー! ハリー!!」
「頑張れ、ハリー!!」
「いけぇぇぇぇ!!」
 そして、二番手のセドリックが出発する。
「セドリック!!」
「がんばれぇぇぇ!!」
 すると、今度はハッフルパフを中心にセドリックコールが始まる。
 その後のクラムとフラーが出発した時もそれぞれの学校の生徒達が声を張り上げた。
 もはや、自分の声すら判別出来ない程の声の嵐。
 そして――――、

 光が大迷宮の上空へ放たれた。
 何事かとざわつく僕達にバグマンが嬉しそうな顔で宣言する。
『勝者が決まった!』
 みんなの目がバグマンに釘付けとなる。
『今、大迷宮の壁が崩れ、勝者の姿を我々に見せてくれるだろう!』
 彼の宣言通り、大迷宮の壁が崩れていく。
 その時になって気付いた。
「……クラウチはどこだ?」
 バグマンの近くにも、教師や闇祓いが座る席の近くにもいない。
 そうこうして、僕がクラウチを探している間に迷宮の壁が完全に消え去り、そして、誰もが言葉を失った。
 ゴールらしき台座にいるべき者がいない。
「何故だ……」
 問題が起きたのならリジーが転移を使う手筈になっている。
 なのに、何故すぐ戻ってこない?
 僕は気付けば駆け出していた。
「ハリー!!」
 バグマンの静止を振り切り、ハリーの姿を探す。
「どこだ、ハリー!!」
 物語通り、ボート・キーを使われたのか、それとも……。
 いや、いずれにしてもリジーの存在に気付ける筈がない。そして、気付けなければリジーの転移を妨害する事も不可能。
 どうなっている……。
「き、君、落ち着きたまえ!」
 バグマンが僕の肩に手を掛ける。その瞬間、バチンという音が響いた。
 目の前に血塗れの小人が姿を現す。
「リジー!?」
 駆け寄ると、リジーはゼェゼェと息を吐きながら必死に口を動かした。
「も、申し訳ありません。ハリー・ポッターをお守りする事が出来ませんでした。優勝杯がボート・キーだったのです。咄嗟にハリー・ポッターをお連れして転移しようと思ったのですが、奴が近すぎました」
「……すまない、リジー。もう一仕事してもらうぞ。まずは僕を奴の場所へ連れて行け」
「かしこまりました」
「待つのじゃ、ミスタ・マルフォイ!!」
 ダンブルドアが駆け寄ってくる。だが、待っている時間などない。
 リジーの手を掴むと、僕は次の瞬間、見知らぬ土地に立っていた。

◇◆◇

 最初、何が起きたのか分からなかった。僕は数々の障害を乗り越えて優勝杯に手を伸ばした。その瞬間、まるで何かに引っ張りあげられるみたいに空へ舞い上がり、見えない力の渦に呑み込まれた。そして、気が付けばここにいた。
 目の前には嬉しそうな顔で僕を見るバーテミウス・クラウチの姿。
 直ぐに理解した。
「……お前が罠を仕掛けた死喰い人か」
「大正解。素晴らしいぞ、ハリー・ポッター」
 瞬間、ドラコから貰ったキーホルダーが震え始めた。
「なんだ、それは――――」
 奴が手を伸ばした瞬間、キーホルダーは奇妙な生き物に変身した。
「屋敷しもべ妖精だと!?」
「ハリー・ポッター!! 離脱します!!」
 その生き物が何者なのか僕にはサッパリ分からなかった。
 だけど、疑う気持ちは欠片も湧かなかった。
「させるか!」
 僕と妖精の手が触れ合う寸前、クラウチが詠唱無しで放った赤い光によって妖精が吹き飛ばされた。
 妖精はすぐに起き上がると、クラウチに衝撃波を放ち、直ぐに僕の下へ戻ろうとする。
「ハリー・ポッター!! 御主人様……、ドラコ・マルフォイの下へ!!」
「あ、ああ!」
 僕も彼女の方へ走る。
「邪魔はさせんぞ、しもべ妖精!!」
 今度は僕の体が宙に浮かんだ。もがく暇も無く、離れた場所に放り出される。
 その間に妖精は赤い光に呑み込まれた。ふらふらになっていく彼女の姿に怒りが湧く。
 彼女の正体は分からないままだけど、少なくとも僕を助けようとしてくれている事だけは分かる。
 その彼女を痛めつけるクラウチの暴挙が許せない。
「やめろ!!」
 無言呪文なら僕にも使える。麻痺呪文を放ち、奴を妨害しようと試みた。
 だが――――、
「鬱陶しい!!」
 僕の呪文を飲み込み、紫の光が走る。
「いけない!!」
 バチンという音と共に目の前に妖精が姿を現す。その身で呪文を受ける。
 瞬間、彼女の全身に無数の切り傷が生まれた。
「あが……あぁぁぁ」
 地面を転がる妖精に僕が手を伸ばした瞬間、再び僕の体が浮いた。
「屋敷しもべ妖精め……。あの小僧の手先か。だが――――」
 殺される。このままじゃ、僕を助けてくれた妖精が殺されてしまう。
「逃げろ!! 僕に構うな!!」
「黙れ、ハリー・ポッター!!」
 僕の叫び声にクラウチが反応した。その隙をついて、妖精は立ち上がる。
「……直ぐに戻ります」
 バチンという音と共に妖精が姿を消した。
「しまった!!」
 憤怒に表情を歪めながら、クラウチは僕の下へやって来る。
「僕を殺す気か?」
「ああ、そうだ! 帝王に貴様の命を献上する」
 表情が歪んだ笑みに変わった。恍惚とした顔で僕を見つめる。
 狂っている。
「……お前は馬鹿だ。死んだ奴の為にこんな事――――」
「死んだ奴? ああ、お前は何も分かっていない」
 クラウチは心底おかしそうに笑った。
 背筋に冷たい汗が流れる。
「帝王はとっくの昔に復活している。今頃、アズカバンに囚われた盟友達を解放している筈さ」
 思わず、耳を疑った。
「馬鹿な……。そんな筈ない!! 奴は死んだ筈だろ!!」
「愚かだなぁ、ハリー・ポッター」
 クラウチは嬉しそうに僕に手を伸ばした。咄嗟に反撃しようと杖を振ると、逆に奴の放った呪文によって杖を弾き飛ばされてしまった。
 そのまま、奴の杖から飛び出したロープによって体を拘束されていく。
 もがくほど、ロープが締め付けてくる。
「いい格好じゃないか。実に扇情的だぞ」
「ふざけた事を――――」
 その瞬間、バチンという音が鳴り響いた。
 音の方向に顔を向けると、そこには豊かな金髪を夜風に靡かせる親友の姿があった。
 その顔は僕の知る彼のものではなかった。
「クラウチ……。やってくれたな、貴様」
 憎悪に満ちた声。
「ハッハッハッハ!! 手柄を取られる事が悔しいか、ドラコ・マルフォイ!!」
「手柄……?」
 僕が首を傾げると、クラウチは言った。
「ああ、哀れだなぁ。お前は何も知らない。帝王の復活の事も、親友と思い込んでいる男の企みも」
「な、何を言って……」
 嫌だ……。聞きたくない。
 何故か分からないけど、猛烈に嫌な予感がした。聞けば世界が崩壊してしまうような、そんな恐怖を感じた。
 だが、奴は口を閉ざさない。嬉しそうに、愉しそうに、奴は言った。
「ドラコ・マルフォイは帝王から命令を受けていた。お前を籠絡しろ、と」
「う、嘘だ!!」
 帝王の命令? 何を言っているんだ。そんな筈ない。
「本当だとも。こんな場所まで来るなんて、よほど焦っているんだな。ハリー・ポッターの命を帝王に捧げるのは自分だと思っていたのだろう。だが、残念だったな!! この者を殺すのは貴様ではなく、この俺だ!!」
 僕はドラコを見た。
 否定してくれ。そんなの嘘だと言ってくれ。
「……ハリー。奴の言葉に偽りはない」
 その言葉は容易く僕を絶望に追い込んだ。
 まるで、足場が崩れたみたいに起き上がり掛けていた体が地面に沈んだ。
「嘘だ……。嘘だ……。嘘だ……」
 帝王の命令……?
 僕を籠絡しろって言われた?
 その為に今まで……?

「そんなの……嘘だ」
「クハハハハハッ! 実に愉快だな。なるほど、この顔を見せれば帝王もさぞや喜ばれた事だろう。まるで、何もかも失った抜け殻のような顔。ああ、帝王がお前に期待を寄せる気持ちも分かる」
 クラウチは心底愉しそうにドラコとハリーの顔を見比べた。
「満たされていた心が一気に枯れ果てる程の絶望。ああ、認めよう。俺にもこんな芸当は出来ない。芸術家の如き才覚だ」
 闇に満たされた草原でクラウチは只管笑い続ける。
「だが、その成果を帝王に見せる事は叶わない。この小僧の命は俺のものだ」
「ハリーの事は僕に一任されている筈だぞ」
「ああ、その通りだな。だが、俺も帝王から命令を受けている」
「命令……?」
 クラウチは言った。
「帝王は今宵、アズカバンに囚われる盟友達を解き放つ。その為に騒ぎを起こせと命じられた。内容は俺に任せると……」
「だから、ハリーを殺すのか?」
「そうだ」
 ドラコは嗤った。
「なるほど……。僕達の考えはある意味で正解でもあり、間違いでもあったわけか」
「何の話だ?」
「別に……、こっちの話だよ。それよりもバーテミウス・クラウチ・ジュニア」
 ドラコは口元を歪めて言った。
「そろそろ返してもらうよ。僕の友達を」
「は?」
 バチンという音が鳴り響く。また、屋敷しもべ妖精かとクラウチは杖を握りながら周囲を見回した。
 だが、屋敷しもべ妖精の姿はなく、代わりに一人の女が立っていた。
「実戦データを取る良い機会だ」
 女は赤い瞳をクラウチに向けた。
 その手には細身の剣が握られている。片方にしか刃の無い奇妙な形状。
 クラウチは咄嗟に杖を振った。その直後、彼女は十メートル離れた場所に現れた。
 魔法による転移ではない。単純に速いのだ。何度呪文を放っても、魔法が届く前に大きく距離を取られている。
「馬鹿な……! アバダ・ケダブラ!!」
 緑の閃光が飛ぶ。だが、その閃光が杖から飛び出した時には既に女はクラウチの背後に回っていた。
「殺せ、マリア」
 間の抜けた顔。胴体から切り離されたクラウチの首は自分に起きた出来事を理解出来ずにいる。
 そのまま、首は地面を転がる。
「上出来だ」
 刃を収めるマリア・ミリガンにドラコは満足気な笑みを浮かべた。
「……さて、お前はリジーと秘密の部屋に戻れ」
「かしこまりました」
 バチンという音と共にリジーが現れる。
「リジー。すまなかったね」
 治癒呪文を施しながらリジーの頭を撫でる。
「お疲れ様。ゆっくり休んでくれ」
「……はい、御主人様」
 二人が転移するのを見届けた後、僕はハリーを見下ろした。
 涙を流しながら呆然と夜空を見つめている。
 僕はそんな彼の隣に腰を下ろし、同じように仰向けになった。
「ハリー。少し、話をしよう」

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