第十一話「ドラゴンの卵」

「ニコラス・フラメル?」

 ハリーの口から出た名前にハーマイオニーは首を捻った。

「うん。実は皆が家に帰ってる間、僕達何度かハグリッドの小屋に行ってたんだ」
「そこで、ハリーが新聞の切抜き記事を見つけたんだよ」
「新聞の切り抜きって?」
「これだよ」

 ハリーはよれよれな新聞の切れ端を見せた。
 見出しには【グリンゴッツ侵入される】と大きな文字が躍っている。魔法省は犯人が未知の闇の魔法使い、もしくは魔女の仕業では無いかと考えているらしい。

「実はこの侵入された日付けは僕がハグリッドと一緒にグリンコッツに行った日なんだ。その日、ハグリッドはホグワーツの仕事で何かを金庫から取り出したんだ」
「何かって?」

 ハーマイオニーが聞いた。

「それはまだ分からない。でも、覚えてるかい? 四階の禁じられた廊下の事」
「忘れたくても忘れられないわよ」

 ハーマイオニーは身震いをしながら言った。

「君、あそこに居た三頭犬が足元の扉を護っているって言ったよね?」
「ええ、言ったわ」
「それで、僕考えたんだ。もしかしたら、ハグリッドはこの侵入した闇の魔法使いから奪われる前に間一髪でこの何かを回収して、あの扉の向こうに隠したんじゃないかって……」
「……一応、筋は通るわね。だけど、推測に過ぎないわ。それに、仮にそうだとして、そのニコラス・フラメル……? はどう関係してくるの?」

 ハーマイオニーの疑問に答えたのはロンだった。

「ハグリッドが漏らしたんだよ。あの犬が護っているのはダンブルドアとニコラス・フラメルに関係しているって」

 ハーマイオニーは難しい顔をして黙り込んでしまったけど、しばらくして降参だとばかりに首を振った。

「ユーリィも心当たりはない?」

 ハリーの言葉に俺は少し考え込んだ。ここで情報をハリー達に教えていいのか、という疑問だ。もちろん、教えた方がハリー対クィレルの決戦という方向には持って行きやすい。
 クィレルを倒せる可能性が一番高いのは他の誰でも無いハリーなのだから、ここで一気にクィレルに近づいてもらうのは悪い手では無いだろう。
 だけど、それは同時にハリーを、ひいては皆を危険に近づける行為だ。万が一にもヴォルデモートとの決戦で命を落とす者が居ないとも限らない。

「ユーリィも知らないか……」

 俺は小さく首を振った。

「ニコラス・フラメルは賢者の石の製作者だよ」

 俺の言葉にハリー達は驚いたような表情を浮かべた。
 迷った挙句に出した答えはこれだった。結局、どうあっても正しい答えなんて出ない。もう、とっくに本の通りには進んでいないのだから、結局は出たとこ勝負で挑むしかないのだ。
 俺は自分の事をそれなりに理解している。俺の性格は臆病で、視野が狭い。生まれ変わって、十一年の年月を重ねて、漸く俺は少しずつ分かってきた気がする。
 虐められて当然の人間だった。いつも俺は回りに対して猜疑心を抱いていた。嫌われないようにどうすればいいか、そういう卑屈な事ばかりを考えて、自分を取り繕って生きて来た。
 必死に作った偽者の自分を周りの人達は簡単に見抜いてしまう。そして、嫌われる。
 素の自分を隠して、薄ら笑いを浮かべて、その癖内心では人を疑う事しかしない人間を誰が好きになる?
 それが答えだ。両親だってそう。こんな人間が自分の子だなんて、苛立って当然だ。
 だから、もうあまり考えるのはよそう。ただ、努力しよう。この優しくて、笑顔が溢れている世界がどこまでも続いていくように努力しよう。
 危険は避けられない。だから、戦おう。戦う為の手段はあるのだから。そして、備える為の手段があるのだから……。

「賢者の石……?」

 アルは首を傾げた。周りを見ると、ハーマイオニー以外はみんな目を丸くしている。
 俺は小さく深呼吸をすると言った。

「賢者の石は錬金術師が一種の到達点として定めた物質なんだ。投射の粉末、ラピス、万能第五要素、色々と呼び名があるけど、その力はあらゆる金属を純金に変え、病人を治癒し、命を永らえさせる事が出来るそうだよ」
「凄いね、ユーリィ。よく、そんな事知ってるね」

 ネビルの賞賛の眼差しがちょっと嬉しかった。
 ハーマイオニーは少し悔しそうにしている。自分の知らない事を誰かが知っているのが我慢出来ない性格なのだろう。
 アル達は目を丸くしたままだ。

「じゃあ、あの犬が護っているのは賢者の石なのか……?」

 ロンが言った。

「それは分からないけど、賢者の石はニコラス・フラメルとダンブルドアが共同で研究したものなんだ」
「つまり、可能性は極めて高いというわけね」

 ハーマイオニーの言葉にみんな一斉に頷いた。

「でも、そんな物を一体誰が狙ってるんだろう?」

 ハリーの問いに応える者は居なかった。
 
第十一話「ドラゴンの卵」

 授業が始まるまではまだ一日猶予があった。
 大広間で食事を取り、廊下で明日からの授業についてハーマイオニーと話しながら歩いていると先の方が騒がしくなっていた。
 何事かと思って駆け寄ると、信じ難い光景が広がっていた。
 そこにはネビルとマルフォイ、それにマルフォイの仲間達が居た。マルフォイはニヤニヤと笑いながらネビルに杖を向けて呪いの呪文を唱えていた。
 まるでタップダンスを踊るかのように必死に呪いを避けるネビルにマルフォイ達はおおいに笑っている。その光景に鳥肌が立った。
 もう十一年も経つのに記憶に焼きついて離れない生前の記憶。
 エアガンを持った同級生に的にされて、止めて、と泣き叫んで懇願しても止めてもらえなくて、全身が痣だらけになった事が何度もあった。
 心臓を握り締められるような感覚に俺は吐き気がした。

「あんた達、何してるのよ!?」

 真っ先に動いたのはハーマイオニーだった。だけど、ハーマイオニーがマルフォイの杖を取り上げようとすると、グラップとゴイルが立ちはだかった。

「何してるのかって? ちょっと、試してみたい呪文があってね。ロングボトムに協力してもらってるのさ」

 愉快そうに言うマルフォイにハーマイオニーは拳を振り上げようとしたけど、クラップとゴイルに逆に押さえ込まれてしまった。

「覚えたばっかりの呪いを試してやるよ。光栄に思えよ? ロングボトム」

 悪意に満ちたマルフォイの言葉に俺は無意識に杖を握っていた。
 マルフォイが呪いの呪文を唱えると同時に俺はネビルに向けて杖を向けた。

「プロテゴ!!」

 ネビルの周囲に目に見えない膜のようなものが現れ、マルフォイの呪いがそのままマルフォイに跳ね返った。
 すると、マルフォイが悲鳴を上げてひっくり返り、クラップとゴイルが真っ赤な顔をして襲い掛かって来た。 
 頭がガンガンする。ただ、分かるのはこれで標的が俺になったという事だ。なら、それでいい。
 少なくとも、これでネビルに何かをされる事は無くなったと考えるべきだろう。

「ハーマイオニー。ネビルと一緒に先に戻ってて」

 妙に頭の中が冷静になった。ゴイルの拳が振り上げられるのを見つめながら、そんな台詞が吐けるくらいに。

「ユーリィ!!」

 ハーマイオニーが悲鳴を上げた。
 殴られた。ゴイルに殴られて、俺は地面に倒れた。
 懐かしい感覚だ。
 生前に慣れ親しんだ感覚だけど、生まれ変わってから、こうして誰かに殴られたのは初めてだった。
 いや、そんな事無いか……。
 昔、生まれ変わってから一度だけ、同じような事があった気がする。
 いつの事だったかな……?

「止めて!! 止めなさいよ!!」

 ハーマイオニーの絶叫を聞きながら、俺はただ黙って殴られた。
 痛いけど、これでネビルやハーマイオニーが傷つかなくて済むなら、ずっとマシだ。
 でも、ちょっと情け無い気持ちになった。
 生前、好きな女の子が居た。だけど、その子の前で俺は今みたいに何も出来なくて、ただ黙って殴られた。俺を見るあの子の目は今でも覚えてる。
 ダサい。情け無い。男の癖に。そんな言葉が篭められた冷たい目だった。
 ああ、痛みが酷くなって来た。もう、意識が飛びそうだ。その時だった。唐突に痛みの連鎖は止まった。
 どうしたんだろう? 瞼が腫れて、よく見えない。全身が痛い。耳も少しおかしくなってる。
 誰かが必死に俺の名前を呼んでる気がする。まるで水中に居るみたいに酷く濁った声だけど、なんとなく声の主が分かった気がする。

「ア……ル……」

 突然、浮遊感に襲われた。誰かに抱えられている。この臭いはアルだろうか?
 俺の体重は平均より軽いくらいだけど、それでもこんな風に軽々持てるなんて驚きだ。
 いつの間にこんなにたくましくなったのだろうか。俺は不思議な安心感に包まれながら意識を手放した。

 目が覚めたのはお馴染みの保健室だった。
 俺はこのたった三ヶ月の間に何度マダム・ボンフリーの手を煩わせているのだろう……。
 
「ああ、目が覚めたのね?」

 俺が目を覚ましたのを確認すると、ボンフリーは俺の全身のあちこちを触ってチェックした。

「もう、大丈夫みたいだわ。まったく、入学早々でこんなに保健室に通う子はそうは居ませんよ?」

 そう言うと、ボンフリーは俺に寮に戻って大丈夫と言ってくれた。前みたいに骨折したり、闇の魔術の影響があったりするわけじゃないから痛みが残っていなければ問題無いそうだ。
 窓の外はもうすっかり暗くなっていた。どうやら、もう就寝時間まで一時間あるかないかという時間らしい。
 動く階段が中々動いてくれないせいで、余計に時間が掛かった。
 寮に入ると、暖炉の前で見知った顔が揃っていた。

「みんな、まだ起きてたんだ」

 俺が声を掛けると、皆が一斉に振り向いた。

「ユーリィ! もう大丈夫なの!?」

 ハーマイオニーは読んでいた本を放り出して駆け寄って来てくれた。
 ハリーとロンも対戦中のチェスを放棄して駆け寄って来てくれた。
 アルとネビルは酷い顔をしていた。顔色が悪いし、酷く陰鬱な顔をしている。

「うん、もうすっかり大丈夫。心配掛けてごめんね」
「まったくだよ。無茶し過――――」

 ロンが溜息混じりに口を開くと、言葉を遮るようにアルが俺の前に来た。
 びっくりしてアルの顔を見上げると、その顔は怒りに満ちていた。
 こんなアルの顔を俺は見た事が無かった。

「僕、言ったよね? もう無茶するなってさ」

 そう言われて、さすがにちょっとムッとなった。

「だって、あのままじゃ……」

 ネビルが虐められていた。そう言い掛けて、思わず口を噤んだ。これだと、ネビルのせいにしているみたいだったからだ。
 だけど、今度はネビルまで怒り心頭な顔で口を開いた。

「もう、僕の事なんて放っておいてよ」
「……え?」
「ちょ、ちょっと、ネビル!?」

 ハーマイオニーが止めようとするけれど、ハリーが待ったを掛けた。

「あんな無茶な事されるんなら、もう、君とは友達で居られない……」
「な、なんで……? なんで、そんな事言うの……?」

 泣きそうになりながら聞いた。
 分からなかった。
 間違った事をした気は無かった。折角出来た友達の為に助けに入っただけだ。
 それなのに、どうして離れて行くのか理解出来なかった。

「お、俺、何か悪い事したの?」
「とにかく、僕の事はもう放っておいて」

 そう言うと、ネビルは背を背けて寝室の方へ行ってしまった。
 追いかけようとしても、足に力が入らなかった。
 漸く出来た友達だったのに、嫌われてしまった。その事実があまりにも重くのしかかってきた。

「僕、ちょっと話してくるよ」

 ハリーはそう言うとネビルを追って寝室に向かった。

「ま、まあ、ネビルもちょっと気が立ってたんじゃないかな?」

 ロンはなんとか場の空気を変えようとしているのか、少し軽い口調で言った。

「そ、そうよ。一日置いて話せばきっと大丈夫よ」
「ほんと……?」

 俺が聞くと、ロンもハーマイオニーも力強く頷いた。
 少しだけホッとすると、アルが大きな溜息を零した。

「アル……?」
「君はさ、頭良いけど、バカだよね」
「……えっと?」
「本当、こっちの気持ちをもっと察して欲しいよ」
「えっと……、その、ごめん」
「謝って欲しいんじゃないんだよ」

 呆れたように言うアルに俺はどうしたらいいのか分からなかった。

「僕もネビルも君が怪我をするのが嫌なんだよ」
「……アル」
「それも、自分のせいで君が怪我をした、なんて最悪だ。自分が殴られた方がずっとマシだよ」
「それは……」
「もう、頼むからこれっきりにしてくれ。どうしても、助けたいっていうなら、僕を呼んでくれよ。ただ、無防備になって殴られるなんて、絶対に止めてくれ」
「……でも」
「でもじゃない。君がそんなんじゃ、僕は何のために……」

 アルは何かを言い掛けて止めた。代わりに大きな溜息で自分の胸に詰まった何かを吐き出したかのようだった。

「とにかく、一人で無茶をするのだけはやめてくれ。頼むから……」
「……う、うん」

 俺が頷くと、アルは「約束したからな」と睨み付けてきた。
 なんだか、今日のアルは怖い。俺はもう一度小さく頷いた。

「ほ、ほら、マシュマロがあるの。一緒に焼いて食べましょうよ」

 ハーマイオニーの言葉に頷いて、俺は一緒にマシュマロを暖炉で焼いて食べた。
 他にもパンやクラッカー。焼ける物を何でもかんでも焼いて食べていると、アルの機嫌も少しは良くなったみたいだ。
 まだ、よく分かっていないのだけど、明日朝一番にネビルに謝ろうと思う。
 きっと、仲直り出来る。俺は自分にそう言い聞かせて、朝を迎えた。
 
「昨日はごめんよ」

 目が覚めて直ぐ、ネビルに先制されてしまった。
 謝ろうと思っていたのに謝られてしまって、口を開いたまま固まっている俺にネビルは重ねるように言った。

「助けて貰ったのに本当にごめん。僕、どうかしてたよ……」
「ううん。俺の方こそ……」
「謝らないで。全部僕が悪いんだ。お願い……」
「……うん」

 嫌な沈黙が続いた。その沈黙を破ったのはハリーだった。

「今日さ、皆でハグリッドの所に行こうよ」
「え……、あ、うん」

 俺はネビルを見た。申し訳無さそうにしている彼に俺は小さく深呼吸をするとニッコリ笑った。

「一緒に行こうね」
「……うん」

 
 休暇明け最初の授業でも、先生達はまったく手加減無しだった。宿題もドッサリ出て、また忙しくなりそうだ。
 放課後になって、俺達はハグリッドの小屋に向かった。
 今回はハーマイオニーも一緒だ。大人数で押し掛けて迷惑じゃないかとも思ったけど、ハグリッドならきっと歓迎してくれる筈、というハリーの意見を採用する事となった。
 ハグリッドの小屋に到着すると、何だか様子が以前と少し違っていた。

「なんか変じゃないか?」

 ロンが言った。
 俺も同意権だ。ハグリッドの小屋は窓が全てカーテンで締め切られている。
 ハリーがノックをすると、ハグリッドはまるで何かを警戒しているかのように小さく扉を開き、来訪者の顔を一つ一つ確認した。

「お前さんらか。何か用か?」
「あ、僕達、ちょっと遊びに来ただけなんだ。その……、迷惑だったかな?」

 ハリーが言うと、ハグリッドは少し迷うような素振りを見せ、渋々といった感じに扉を開いた。

「まあ、入れや」

 ハグリッドに誘われて中に入ると、中はもわっとするような暑さだった。
 茹るような熱さに皆が呻き声を上げると、ハグリッドが焼き立てらしいソーセージを人数分出してくれた。

「そっちの子は初めましてだな」

 ハグリッドがハーマイオニーを見ると、ハーマイオニーは緊張した面持ちで背筋を伸ばした。

「は、初めまして、ハーマイオニー・グレンジャーです」
「よろしくな。知っとるだろうが、ルビウス・ハグリッド。森と領地の番人だ」

 ヒゲをいじりながら誇らしげに言うハグリッドにロンはうんざりした様子で窓を見た。

「ねえ、ハグリッド。窓を開けていい? このままじゃ茹っちゃうよ」

 すると、ハグリッドは焦ったように「いかん!」と言った。
 突然の大声にびっくりする俺達を尻目に、ハグリッドの眼差しは暖炉へ向けられていた。
 よく見ると、暖炉には鍋が掛けられていて、その中に黒い卵があった。

「大きいね。ダチョウの卵?」

 俺が言うと、ロンは「馬鹿言うな!」と興奮した様子で言った。

「ハグリッド。これ、ドラゴンの卵だろう? どこで手に入れたの!? 凄く高かっただろう」

 ドラゴンの卵、という事はこれがノーバートの卵という事か。
 ドラゴンの卵はもっと大きいと思ってたから間違えてしまった。
 ハグリッドは賭けで手に入れた、というけどもうクィレルに三頭犬の攻略法を教えてしまったという事だろう。
 もう、あまり時間が無いらしい。

「この【趣味と実益を兼ねたドラゴンの育て方】ってので勉強しとるんだ」

 ハグリッドは分厚い――ハグリッドが持ってると小さく見えるけど――を見せながら言った。

「なんでも、卵は母竜が息を吹き掛ける様に卵は火に置けとある。そんで、孵った時にはブランデーと鶏の血を混ぜて三十分ごとにバケツ一杯飲ませろとある。それとここんとこ見てみろ」

 ハグリッドは卵の見分け方という欄を俺達に見せた。

「これによると、俺のはノルウェー・リッジバックという種らしい」

 ハグリッドがご満悦そうな顔で言うので、水を差すのは気が引けたけど、今の内に言っておいた方がいいだろう。

「ハグリッド」
「なんだ? ……ユーリィだったな」
「うん。ハグリッドはノルウェー・リッジバックがどういうドラゴンか知ってるの?」
「いや、よく分からん。だが、ちゃんと勉強して、立派に育ててみせる」

 期待に満ちた顔で言うハグリッドに俺は罪悪感を抱きつつ言った。

「ハグリッド。ノルウェー・リッジバックはハンガリー・ホーンテイル種の次に凶暴で、時には人を食べる事もあるんだよ?」

 俺が言うと、ハグリッドは目を泳がせた。
 ハーマイオニーはきつい目をハグリッドに向けた。

「孵ったら大変じゃない!? 今すぐにドラゴンの保護地区に送るべきだわ!!」
「俺もそれがいいと思う。残念だと思うだろうけど、どちらにせよノルウェー・リッジバックは北国に生息するドラゴンだから、ここでは生きていけないよ」

 俺の言葉にハグリッドはしどろもどろになった。

「しかしだな。折角、手に入ったわけだし、それに……」
「森と領地の番人!!」

 ハーマイオニーは声を張り上げた。

「番人が中に人喰い竜を解き放つなんてナンセンスだわ!!」
「育つのもかなり早くて、一ヶ月で火を吐けるようになっちゃうんだ。卵の内になんとかするべきだよ」
「も、もう直ぐ孵るんだ!! い、今放り出したら、卵の中で死んでしまうかもしれんじゃないか!!」
「孵ってからじゃ遅いのよ!?」
「か、孵ったらキチンと保護地区に送る。しかしな、今の状態では放り出すわけにはいかん。さあ、もう遅い時間だ。お前さんらも帰った方がええ」
「だ、だけど、ハグリッド!」
「さあ、帰っとくれ」

 俺達はハグリッドに追い出されてしまった。

「まずいよ。ドラゴンを許可無く飼うのは犯罪なんだ。このままにはしておけないよ」

 ロンの言葉に俺達はハグリッドの小屋を見つめた。
 

第十二話「ノーバート」

 翌日、俺達はまたハグリッドの小屋を訪れた。だけど、ハグリッドは俺とハーマイオニーを見た途端に急に忙しくなって俺達を追い出した。

「あれは完全に二人の事、警戒してるって感じだね」

 ロンが言った。

「二人には申し訳無いけど、ハグリッドの小屋には僕達だけで行った方がいいと思う」

 ハリーの言葉に俺とハーマイオニーも同感だった。確かに、昨日の俺達の言葉はハグリッドにとって残酷とも言えるものだったかもしれない。
 嫌われるのは当然だ。ハーマイオニーも顔を顰めながら肩を竦めた。

「私達はドラゴンをどうするかを考えましょう。まだ、孵るまでは時間があるでしょうし」
「そうだね」

第十二話「ノーバート」

 更にその翌日、俺達はハグリッドの小屋に行く班とドラゴンの対処を考える班に別れた。と言っても、後者は俺とハーマイオニーだけだ。
 図書室でドラゴンの保護地区の場所を調べていると、ハーマイオニーが本に視線を落としながら言った。

「やっぱり、先生方に言うべきだと思うわ……」
「俺も同感。だけど、ハグリッドが追い出されたらって思うと……」

 それがネックなのだ。

「ダンブルドア個人に伝えられればいいんだけど……」

 ダンブルドア個人ならばハグリッドが不利にならないように対処してくれるだろうけど、マクゴナガルやスネイプが係わって来た場合、どうしたってハグリッドの処遇を考えなければいけないだろう。
 もしも、他の生徒に知られれば親にも伝わって、それこそハグリッドが追い出されてしまう可能性が極めて高い。

「……試しに行ってみる?」

 俺が言うと、ハーマイオニーは少し迷いながらも頷いた。

「ダンブルドアに直談判ね」

 俺達は頷き会うと校長室に足を向けた。
 ハグリッドには悪いと思うけど、例え嫌われてもこうするのが最善だと思う。だって、こうしなければハリー達はロンのお兄さんのチャーリーにノーバートを頼む事になって、夜の城内を徘徊し、大きな減点を与えられ、更に禁じられた森で危険に晒される。
 ひょっとするとクィレルを倒すチャンスになるかもしれないけど、その為にクィレル以外にも危険が多く存在する禁じられた森に彼らを行かせたくはない。
 ハーマイオニーの先導で校長室の入り口であるガーゴイルの像の前までやって来た。ホグワーツの今昔に載っていたらしい。

「来たはいいけど、合言葉が分からないと校長室には入れないわ」
「ここで校長先生が出て来るのを待つ……?」
「……それしかないわね」

 その時だった。何の前触れも無く、突然ガーゴイルの像が動き出した。
 ガーゴイルはまるで命が吹き込まれたかのように自然な動作で脇に避けた。すると、背後の壁が二つに割れ、螺旋状の階段が現れた。階段はまるでエスカレーターのように動いている。
 しばらく待つと、なんとダンブルドアが降りて来た。
 あまりにもいきなりの事だったものだから、俺もハーマイオニーも緊張して言葉が出なかった。
 ダンブルドアは俺とハーマイオニーを見ると、ニッコリと微笑んだ。見る者に安心感を与える優しい笑みだった。
 おかげで緊張が解れた。

「わしに何か用かのう?」

 ダンブルドアの声は凄く穏やかで、俺達はついホッと息を吐いてしまった。
 ハーマイオニーに目配せをして、少し戸惑いを残しながら俺は言った。

「校長先生。実は相談があってきました」
「そうじゃろうな。でなければ、このような殺風景な場所にわざわざ来たりはせんじゃろう。して、相談とは?」
「あの……、ハグリッドがドラゴンの卵を孵そうとしているんです」
「ほう……、ドラゴンとな」

 ダンブルドアはどちらかと言うと好奇心に満ちた笑顔を浮かべた。

「そのドラゴンの卵はノルウェーリッジバック種なんです」

 ハーマイオニーが言った。

「人を食べた例もある獰猛な種ですし、成長も早いからとても危険です」
「それに、元々北国に住む種ですから、ここでは生きていけないと思います」

 俺も重ねるように言った。
 ダンブルドアは顎鬚を弄りながら「ふむ」と俺達の話を黙って聞いてくれた。

「なので、卵が孵る前にどこかの保護区に移送して欲しいんです」
「なるほどのう。じゃが、それはハグリッドが自身の手で行うべきではないかのう?」

 もっともだと思うけど、ハグリッドの性格を知っていればそれが如何に難しいか分かる筈だ。
 意外と意地悪なのかもしれない。

「ハグリッドはドラゴンを手放すのを嫌がってるんです。だけど、ダンブルドア校長先生の言葉なら聞くと思います。ドラゴンが卵から孵ったら、ハグリッドは勿論、他の生徒達にとっても危険なんです。でも、私達だけだとどうにも出来ないんです」
「お願いします」

 二人で頭を下げると、ダンブルドアは愉快そうに笑った。

「ハグリッドは慕われておるのじゃな。よろしい。ドラゴンの事は任されよう。これからハグリッドを説得しに行って来るでな。お主達は寮に戻りなさい」
「……いえ、お供します」
「……私も一緒に行きます」

 俺達が言うと、ダンブルドアは顎鬚を弄りながら言った。

「そうなると、お主達がわしに……まあ、言葉を悪くすれば告げ口した事がハグリッドにバレてしまうぞ?」
「でも、事実です。それに、無責任に放りだしたくありません」

 ハーマイオニーの言葉にダンブルドアはニッコリと微笑んだ。

「わかった。では、お主達……」
「ハーマイオニー・グレンジャーです」
「ユーリィ・クリアウォーターです」
「うむ。一緒に行くとするかのう。グレンジャーさん。クリアウォーター君」

 ダンブルドアに連れられて、俺とハーマイオニーはハグリッドの小屋へ向かった。
 禁じられた森に近づくに連れて、心臓が高鳴った。間違いなくハグリッドは俺達の事を憎むだろう。それに、この選択をハリー達は非難するかもしれない。
 同じ事を考えているのだろう。ハーマイオニーは真っ青な顔で手を震わせている。
 小屋の前まで行くと、中はなにやら騒がしかった。ダンブルドアがノックをすると、中でドタドタと音がして、直ぐにしんと静まり返った。
 再びダンブルドアがノックをすると、ハグリッドはゆっくりと扉を開いた。
 ハグリッドはダンブルドアの顔を見た途端に顔を青褪めさせ、俺達に視線を向けた今度は真っ赤な顔になった。

「お前さんら……!」
「よさぬか、ハグリッド。中に入れてもらえるかのう?」
「……はい、先生」
「お主らも。さあ」

 ダンブルドアの後に続いて俺達も小屋の中に入った。小屋の中はハグリッド一人だけだった。
 ハグリッドの憎しみの篭った目に俺達は恐怖でガチガチになってしまった。まるで、ハロウィンの日に出会ったトロールのようだ。

「さて、それがドラゴンの……おお、孵る途中じゃったか」

 ダンブルドアの言葉に釣られて視線を暖炉に向けると、火の中で卵がゆっくりと割れている途中だった。
 ダンブルドアは興味深そうにドラゴンが孵るのを見つめているけど、ハグリッドがずっとこっちを睨み付けてくるからとてもそっちに気が回らない。
 しばらくして、ドラゴンが産声を上げると漸くハグリッドの注意が逸れてホッとした。

「あの……、先生。餌をやってもええでしょうか……?」

 ハグリッドは弱弱しい声で言った。

「勿論じゃよ。可愛い子じゃ……おっと」

 ドラゴンはくしゃみをするように火を吐いた。

「ほっほ、もう火が吐けるようじゃのう」
「へえ、美しいやつでさ」

 しばらくハグリッドの餌やりを見物していると、ダンブルドアは言った。

「ハグリッドや。わしはお前さんを罰しようとは思っておらんよ」
「先生……」
「無論。そのドラゴンはこのまま学校に置くわけにはいかん。理由は分かるのう?」
「……へい。その子達に説教されやした……」
「ほっほ、賢い子達じゃ。それに、比類なき優しさを持っておる。この子達はお主の為に動いたのじゃ。それも分かるのう?」
「……へい」
「そして、お主の為だけでなく、そのドラゴンのためでもあった。そのドラゴンはここでは生きられぬ」
「……へい」

 ハグリッドは震えた声で頷いた。そのあまりにも哀しそうなハグリッドの様子に俺は見て居られなかった。

「……じゃが、直ぐにというわけにはいかん」
「……へ?」

 ダンブルドアの言葉にハグリッドはポカンとした表情を浮かべた。

「ドラゴンの保護区に“たまたま発見された野性の”ドラゴンを引き受けて貰うには、少々申請に時間が掛かるのでな。それまでの間、お前さんには“不運にも迷い込んできてしまった”ドラゴンの世話を頼みたいんじゃ」
「せ、先生!?」

 ダンブルドアの言葉に真っ先に反応したのはハーマイオニーだった。ハーマイオニーは凄い剣幕でダンブルドアに近づこうとするが、ダンブルドアは微笑みを絶やさずにハーマイオニーに顔を向けた。

「無論。万全の対策を施す。ハグリッドや、そのドラゴンを連れてきてくれるかのう?」
「へ、へい!」
 
 ダンブルドアに連れられて、俺達はハグリッドの小屋から出た。ハグリッドはドラゴンを四苦八苦しながら外に連れ出した。

「ここでいいじゃろう」

 ダンブルドアは小屋から少し離れた場所に杖を振るった。すると、いきなり地面が捲れ上がり、土くれがレンガに変わり、瓦に変わった。
 あっと言う間に、さっきまで何も無かった空間に巨大な建物が出来てしまった。
 目を丸くする俺達を尻目にダンブルドアは更に杖を振るった。

「万全の護り、指定人物以外の進入禁止線、指定生物の外界との隔離線を敷いた。ここで育てるならば、そのドラゴンが生徒達に危害を加える事は無いじゃろう。ああ、ハグリッドや、一つ頼みがある」
「な、なんでしょう?」
「そのドラゴンに名前を付けてやってほしいんじゃよ。ほれ、あそこ」

 ダンブルドアが杖で指し示した方向に視線を向けると、そこには何も記されていない無地の看板があった。

「あそこに刻むべき名前が必要なんじゃ。どうかのう?」
「へ、へい! じ、実はもう決めてあるんでさ。ノーバートって言うんです」
「そうか、いい名前じゃな。わしも出来る限りの事をするでな。しばしの間、ノーバートを頼む」
「へい!!」

 ハグリッドは心底嬉しそうにノーバートを見つめた。ノーバートはゲップをするみたいに火を吐いてハグリッドの口ひげを燃やした。
 
「お前さんら……」

 ハグリッドは気まずそうに俺達を見た。
 体を強張らせながら、俺はハグリッドの言葉を待った。
 怒られたり、責められたりする覚悟は決めてあったけど、やっぱり怖い。
 ハーマイオニーも不安そうな顔をしている。

「すまんかったな」
「……え?」

 ハグリッドは頭を下げた。俺とハーマイオニーは顔を見合わせた。

「お前さんらが全て正しかった。おかげで俺はノーバートと……少しの間かもしれんが一緒に居られる。それに、ダンブルドア先生のお墨付きも貰えた。本当に感謝しとる」
「……ハグリッド」

 ハグリッドは照れたように巨大な手を差し伸べてきた。指の一本一本が俺の腕くらいある。

「俺達こそ、ちゃんと話もせずに勝手に動いてごめんなさい」
「私達、ノーバートのお世話を手伝うわ。ノルウェー・リッジバックについてはたくさん本で読んだから、助けになると思うの」
「お前さんら……。ありがとな。そんじゃ、まあ、頼むわ……」
 
 俺とハーマイオニーはハグリッドの大きな手に両手を添えて握手をした。
 ダンブルドアは満足そうに頷いて言った。

「万事解決じゃな。しばしの間、ノーバートの事は任せるぞ」
「へい!」
「ではのう」

 そう言って、ダンブルドアが去ろうとするのを俺は慌てて止めた。

「ま、待ってください!」
「……うむ? まだ、何かあるのかね?」

 振り向いたダンブルドアに小さく頷くと、俺はハグリッドに言った。
 この瞬間しかないと思ったんだ。ダンブルドアの目の前にいるこの瞬間こそ、最大最後のチャンスなのだ。
 俺は大きく深呼吸をして言った。

「ハグリッド。ノーバートの卵をくれた人について、もう一度話して」
 

 

第十三話「秘密の罠D」

「卵をくれた人だと……?」

 ハグリッドは面食らったような表情を浮かべた。
 当たり前だと思う。ドラゴンの卵を賭けてゲームを行ったという事はダンブルドアの言う“野生のドラゴンがたまたま侵入した”という言い分を覆すものだ。ハグリッドにとっては蒸し返されたく無い話だろう。
 だけど、どうしてもダンブルドアの前でそのドラゴンの卵の売人についてと、そして、売人に何を言ったのかを吐いてもらう必要がある。
 大丈夫。情報を引き出すための鍵はこの時点で全て出揃っている。

「ハグリッド。あなたはドラゴンの卵を前から欲しがっていたって聞いたんだけど、あってるかな?」
「……ん、ああ。そりゃあ、まあ、ガキの頃からな」
「そんなあなたの前に偶々ドラゴンの卵を持った人が現れた……」

 俺の言葉にハーマイオニーは訝しげな表情を浮かべた。

「何だか、ちょっと変な話ね……」
「しかも、ドラゴンの卵なんて、ロンが言ってたけど、凄く高いものなんでしょ? きっと、正規の物じゃないからおいそれと手が出せる値段じゃない筈。それをパブでたまたま会ったハグリッドとのゲームの賭け札にするなんて、変な話じゃない?」

 言葉を慎重に選びながら言う。
 ハグリッドは困惑した表情を浮かべている。俺の意図を掴みかねているのだろう。反対にハーマイオニーの顔には焦燥の色が浮かんでいる。ここ数日中に得られた情報と上手く結び付けてくれたのだろう。

「ハグリッド……。聞きたい事は一つだけなんだ」
「な、なにが聞きたいんだ?」

 俺は言った。

「その人にさ、何か喋っちゃいけない事を喋らなかった?」
「しゃ、しゃべっちゃならん事だと? そ、そんな事……」
「例えばだけどさ……、賢者の石を護っているあの三頭犬を退ける方法とか」

 俺が言うと、ハグリッドは大きく目を見開いた。さすがに突っ込んで聞き過ぎたかもしれない、と思ったけど、ここでハグリッドに口を濁されると意味が無い。
 ダンブルドアの前で白状して貰う必要があるのだから。
 固唾を呑み込んでハグリッドの言葉を待った。
 しばらくして、ハグリッドはチラチラとダンブルドアを見ながら渋々と応えた。

「あ、ああ……いや、その……、ホッグズ・ヘッドで飲んどったら、話掛けられてな。顔は……フードで隠れてて分からんかったんだが、そいつが俺に何の仕事をしているのか、と聞くもんだから、森の番人をしていると答えたんだ。そしたら……、その、どんな動物を飼っているのかって話になって……、そんで……、どんどん酒を奢ってくれるもんで、つい、今のホグワーツで一番厄介なのはフラッフィーだって答えてしもうたんだ。そしたら、奴はフラッフィー……、お前さん達が言う三頭犬に興味を持って……、そんで、三頭犬はすげー珍しい生き物で、世界中探してもそう何匹も居ねーから、宥め方を知ってるのも俺を含めてそう何人も居ないと言ったんだ。そんで、そんで……、宥める方法は簡単だって……ちょいと、音楽を聞かせてやれば、すぐに寝んねするって……その……」
「教えちゃったんだね……」

 ハーマイオニーは信じられないという表情を浮かべて言葉を失っている。
 ダンブルドアも先ほどまでの穏やかな微笑みを消し、険しい表情を浮かべている。

「先生! 前にグリンゴッツを襲撃した何者かは賢者の石を狙ったんですよね? そして、その同一人物が今度はホグワーツで賢者の石の番犬をしているフラッフィー? の退き方を暴いたのだとしたら!!」

 ハーマイオニーの言葉にダンブルドアは深く頷いた。

「ハグリッドよ。己が如何に軽率な真似をしたかは分かるのう?」

 ダンブルドアの眼差しをハグリッドは直視出来ずに俯きながら頷いた。

「すいやせん……」
「反省をしたならば、次に同じあやまちを犯さぬよう心がける事こそが肝心なのじゃ。それを忘れるでないぞ?」
「へ、へい!」
「さて……」

 ダンブルドアは不意に誰も居ない空間に目を向けた。

「事が事じゃ。お主達も出てまいれ」

 ダンブルドアの言葉に呼応するように、突然、何も無かった筈の空間が歪み、そこからハリー、ロン、ネビル、アルの四人の姿が現れた。
 驚いて瞬きする俺達にハリーが「透明マントなんだ」と教えてくれた。
 透明マントの存在を知ってはいたものの、いきなり景色が歪んで中から人が出て来る光景はかなり異様だった。
 ダンブルドアは俺達を一人一人見つめると言った。

「さて……。少し話をしなければならんな。ハグリッドや、一度小屋に戻るとしよう」
「へ、へい!」

 ハグリッドが先導し、俺達はハグリッドの小屋へと戻った。

第十三話「秘密の罠D」

 小屋に戻ると、ダンブルドアは杖を一振りして、人数分の椅子を出した。
 俺達に座るように言い、ダンブルドア自身も椅子に腰掛けた。ハグリッドは窓際の一際巨大な椅子に座っている。

「まず、お主達には現状を理解してもらう必要があるじゃろう。クリアウォーター君とグレンジャーさんはもう分かっているようじゃが、皆にもその情報を共有する時間を与えて欲しい。いいかのう?」

 ダンブルドアの問い掛けに俺とハーマイオニーは一も二も無く頷いた。

「まず、賢者の石については既に情報を共有しておると見ていいかのう?」
「……はい」

 ハリーが代表して答えた。

「そして、禁じられた廊下についての情報も共有しておる」
「……はい」

 本来、生徒が知ってはいけない情報を知っていると答えるのは酷く心臓に悪かった。
 皆一様に顔を青褪めさせている。
 ダンブルドアはそんな俺達の顔を一望すると、杖を一振りした。
 すると、目の前に甘いチョコレートの香りが漂うカップが現れた。

「少し、落ち着く時間が必要じゃな。まずはそのチョコレートを飲みなさい。それから話を続けよう。それと、この件に関して、お主達を罰しようなどとは思っておらんから安心しなさい」

 ダンブルドアの言葉に漸く俺達は人心地つくことが出来た。
 チョコレートを飲むと体中がじんわりと暖かくなった。
 全員がチョコレートを飲み干したのを確認すると、ダンブルドアは再び杖を一振りしてカップを消した。

「では、話を再開するとしよう。お主達も既に分かっておるじゃろうが、四階の禁じられた廊下の奥に封じておる賢者の石を狙っておるのは闇の魔法使いじゃ。それも、とびきり恐ろしい力を持った者がその背後にはおる」

 ダンブルドアの言葉にハリーはハッとした表情を浮かべた。

「ヴォルデモート」

 ハリーの零すような言葉にダンブルドア以外の全員が身じろぎした。
 多くの人を殺戮した闇の魔法使いの代名詞的存在の名であり、人々の心の底に刻まれた恐怖の単語でもある。
 ロンなどはただ名前を言っただけのハリーをまるで犯罪者を見るかのように責めるような眼差しを向けた。
 ダンブルドアはハリーをジッと見つめると、やがて静かに頷いた。

「隠す事に意味は無いじゃろう。さよう。背後にはヴォルデモートの姿がある」
「で、でも、例のあの人はハリーが倒した筈じゃ……」

 ロンは真っ青な顔で言った。

「確かに、ハリーによってあやつの肉体は十一年前に滅び去った。じゃが、あやつの邪悪な魂は今尚現世を漂っておる。そして、復活の時を待っておるのじゃ」
「そんな――――ッ」

 悲鳴はロンだけではなかった。ハグリッドやハリーを含めて、皆がダンブルドアの言葉から目を背けたがっている。
 ダンブルドアの言葉でさえなければ、否定する事が出来るのに、という思いが誰の胸にも募っている。

「賢者の石があやつの手に渡れば、再びあやつは肉体を取り戻し、この世を暗黒の時代へと逆戻りさせる事じゃろう」

 ダンブルドアの言葉にハグリッドは椅子から転げ落ちるように頭を下げた。

「も、申し訳ありやせん。お、俺……、何て馬鹿な真似を……」
「頭を上げよ、ハグリッド」

 涙で顔をくしゃくしゃにするハグリッドにダンブルドアは優しく微笑んだ。

「先も言ったじゃろう? 誰しもあやまちを犯してしまう事はある。肝心なのは、それをどう活かすかじゃよ」
「先生……」
「肝心なのは、これからじゃよ。恐らく、数日中、あるいは数ヵ月後か。ハグリッドに取り入った犯人はわしをここから遠ざけようとする事じゃろう。その時こそ、逆に犯人を追い詰めるチャンスじゃ」

 ダンブルドアは俺達に顔を向けた。

「その日まで、お主達にはこの事を秘密にしてもらいたい。秘密と言っても、皆が知るべき秘密と知るべきではない秘密がある。賢明なお主等はこの秘密がどちらなのか、言わずとも分かるじゃろうな?」
「はい!」

 俺達は一斉に頷いた。

「先生。僕達に出来る事は何かありませんか?」

 ハリーの問いにダンブルドアはきらきらとしたブルーの瞳を優しげに細めて言った。

「無論、あるとも。……犯人に気づかれぬよう、普段の生活を維持する事じゃ。とても難しく、大事な任務じゃ」

  
 それから、瞬く間に時間は過ぎていった。俺はと言うと、胸に燻っていた不安の種が取り除かれた事でホッとしていた。
 ダンブルドアが犯人から賢者の石を護るだけではなく、犯人を捕らえる為に動き出した。もしかしたら、もう賢者の石を破壊して、四階の禁じられた廊下は犯人捕縛用の罠に早変わりしてるかもしれない。
 俺とハーマイオニーは意気揚々と図書館で試験勉強に勤しんでいた。息抜きにはノーバートの飼育の手伝いで汗を流している。
 何だか、凄く充実している気がした。

「っだあああああああ!!」

 そんなある日だった。俺とハーマイオニーが先生役になって、普段勉強をサボり気味なアル達に勉強を教えていると、突然ロンが叫び声を上げた。

「ど、どうしたの?」

 ロンの隣でハーマイオニーに試験範囲を教わっていたハリーは若干引きながら聞いた。

「どうしたもこうしたもないよ!! あれから、本当に僕ら蚊帳の外じゃんか!!」

 どうやら、ダンブルドアから賢者の石について何も教えて貰えないのが不満なようだ。ハリーやアル、ネビルの三人も「あー、たしかに」とか同意を示しいる。
 まあ、恐らくは試験勉強が嫌になって逃避してるだけだろうけど。

「蚊帳の外で結構です。相手は例のあの人の配下の死喰い人なのよ? 私達が何かしようとしても先生方にとって邪魔にしかならないわ」
「そうだよ。そんな事より勉強勉強。学生の本分は勉強だよ。アルもネビルもまだ試験範囲の半分も覚えられて無いじゃない」

 俺とハーマイオニーの言葉にブーイングが殺到したけど無視を決め込んで勉強を無理矢理再開させた。
 下手に好奇心を刺激すると、こっそり俺達も賢者の石の防衛部隊に参加しようぜ、イエイ! みたいな事を言い出しかねない。

「ほらほら、魔法史の勉強も手付かずでしょ?」

 とにかく、俺とハーマイオニーはタッグを組んで、この冒険心に満ちた少年達の心が賢者の石に向かないように苦心した。
 その為に俺はついにあの部屋を皆の共有財産とする事を決意した。
 正直、凄くい惜しい気持ちが強いけど、下手に突っ走られるよりは断然良い。

「ねえ、ここなのかい?」
 
 アルは何も無い壁の前で立ち止まった俺に問い掛けた。
 みんなには隠し部屋を見つけた、と言って連れて来た。 
 念入りに秘密にしてね、と言ったところで明日には皆の知るところになりそうだけど、背に腹はかえられない。

「ちょっと待っててね」

 俺はとりあえず呪文の修行用の部屋をイメージして廊下を三周した。
 アル達は何してるんだ? って怪訝な顔をしているけど気にしない。
 三周し終えると、壁の中央に扉が出来上がった。
 アル達はびっくりして目を丸くしている。
 中に案内すると、一斉に歓声を上げた。

「凄い! 何なのこの部屋!?」

 ハーマイオニーは驚いたように生前と並べられた呪文書の棚や修行用の器具を眺めた。

「ここって、一体……?」

 もったいぶっても仕方ない。俺はハリーの疑問に答えた。

「ここは“必要の部屋”。さっきの壁の所で、どういう部屋が必要かをイメージしながら三周すると、ここにイメージした通りの部屋が出来上がるんだ。今回、イメージしたのは呪文練習部屋だよ」
「こんな部屋があったなんて……知らなかった」

 ネビルはおっかなびっくりといった様子で空中をふわふわ踊っている人形を触っている。

「もしかして、ここで料理の修行とかしてたの?」

 アルの問いに俺は小さく頷いた。

「ごめんね。内緒にしてて……」
「別にいいけど……いや、良く無い」
「……え?」

 アルはいきなり俺の頬を抓ってきた。凄く痛い。

「なにすんの!?」

 慌てて突き放すと、アルは不機嫌そうに睨んで来た。
 
「アル……?」

 不安になって名前を呼ぶと、アルは唇を尖らせて言った。

「僕にまで内緒にするのはなんかむかつくよ」
「……ごめん」

 考えてみれば当たり前だ。こんな便利な部屋をずっと独り占めしていたんだ。アルにとてみれば、いいや、アルだけじゃなくて、皆から見て、どう考えても面白く無い筈だ。
 俺は少し浮かれていた。悩みが一気に解消されて、トントン拍子に全てが上手く行っていると錯覚してしまった。
 ちょっと考えれば、こうなる事が分かっていたのに……。

「別に謝って欲しいんじゃ無い」
「アル……?」
「ただ、あんまり僕にまで秘密を持たないでほしい」

 アルは目を細めて睨みながら言った。

「最近、君が何を考えてるのか分からない時があるよ」
「アル……」
「とにかく、頼むよ?」
「……うん」

 俺達はその日から時間があれば必要の部屋に入り浸った。
 真っ先に皆に知らせると思っていたロンがこの部屋を秘密にしようと提案したおかげで、ここの秘密は何とか守られている。
 この部屋を俺達だけの秘密基地にしたいみたいだ。
 その日から試験勉強の練習の合間にノーバートの世話の他に授業で習っていない呪文の練習に明け暮れた。
 俺のとっておきの使い方であるところのお風呂はハーマイオニーしか喜んでくれなかった。
 正直、みんなで風呂に入るのはそれはそれで楽しみだったから、風呂に入るのを嫌がるアル達にはガッカリだった。
 そうこうしている内に月日が経ち、期末試験も何とか乗り越えた頃、俺達はダンブルドアに呼ばれた。
 どうやら、全部終わったらしい、との事だった。
 ハリー、ロン、アル、ネビルの四人は不完全燃焼でガックリしていた。
 
「結局、犯人は何者だったんですか? やはり、死喰い人ですか?」

 ハーマイオニーが聞くと、ダンブルドアは包み隠さずに答えてくれた。
 犯人はクィレルであると聞いた時は皆一様に驚いていた。死喰い人という単語から、外からの侵入者だと信じていたらしい。内部犯の候補としてはスネイプが挙げられていたけど、本であったハリーの箒に細工をしたり、クィレルと密会しているのを目撃したりという事が無かったから、そこまで重要視されてなかったみたいだ。
 賢者の石はとうの昔にニコラス・フラメルとの協議の結果、破壊する事になり、もうこの世には無いそうだ。
 クィレルが侵入すると思われる日、賢者の石の保管場所だった地下の奥深くには一時的にここ数ヶ月ですっかり大きくなったノーバートが待ち構えていたらしい。まさか、三頭犬を攻略したと思ったら凶暴なドラゴンが待ち構えてるとは思わなかっただろう、クィレルは重傷を負い、今は隔離した場所で拘束し、治療しているらしい。ただ、ダンブルドアの話を聞く限り、ヴォルデモートの魂については分からなかった。
 秘密にしているのか、それとも逃がしてしまったのか、それは分からない。ただ、俺達の一年目はトロールの襲撃というハプニングはあったものの、実に平和に過ごす事が出来た。

第十四話「エピローグ」

第十四話「エピローグ」

 ノーバートはすっかり大きくなって、今にも人を丸呑みしそうだった。最初にダンブルドアが作った犬小屋ならぬドラゴン小屋は更に巨大に拡張され、場所も禁じられた森のすぐ目の前に移設された。餌やりも相当危険な作業になり、ダンブルドアの敷いた隔離線の外から投げつけるように与えている。
 保護地区への受け入れの申請は既に通ったそうで、ダンブルドアが言うには、夏休みの間に専門の魔法使い達が移送を行うそうだ。正直、愛着などハグリッドを除いて誰も持ってなかった。
 正直、怖過ぎる。目は肉食獣の眼光を惜しみなく発しているし、鋭い牙は人間の骨も容易く砕きそうな程頑強で、分厚い鱗は死の呪いでさえ防ぎそう。轟く雄叫びは学校のどこに居ても聞こえ、世話係りなどに立候補するんじゃなかったと心の底から後悔させる勇ましさがあった。
 ハグリッドはおいおいと泣き叫びながらノーバートとの別れを惜しんでいるけど、肝心のノーバートはハグリッドを餌としか認識していないようで、丸焼きにする為に絶えず炎を吐き続けている。ハグリッドの目にはそれが別れを惜しむ悲しみの炎に見えてるそうだけど……。
 
「ハグリッド!! 死んじゃうからもう少し後ろに退がって!!」
「ノーバートォォォオオオオ!!」

 俺達六人がかりで必死に引き止めるけど、ハグリッドはその力を余す事無く発揮して暴れ回った。仕方がないのでハーマイオニーがハグリッドに浮遊呪文を掛けようとしたけど、上手く掛からなかった。
 一応軽くは出来たみたいで、何とか引き離す事が出来たけど、まったくもって心臓に悪い。
 ハリーが必死に慰めているけど、ハグリッドは悲しみに暮れる毎日を送りながら、自分の命を危険に晒していた。
 まあ、ダンブルドアもその辺の事は考慮してくれていて、ハグリッドがノーバートの炎の射程範囲内には入れないように魔法を掛けているから、そこまで心配はしていないのだけど……。

「でも、ハグリッドには参っちゃうよなー」

 勉強に特化した必要の部屋でハーマイオニー先生主催による一年の総復習をしていると、ロンが伸びをしながら言った。

「はい、脱線しなーい」

 ハーマイオニーは手馴れた様子でロンを窘めた。こうしてロンがこの勉強部屋――ロン曰く拷問部屋――から抜け出そうとするのは今日だけで十回目だった。
 ロンだけでなく、ハリーやアル、ネビルの三人も負けず劣らずうんざりした表情を浮かべている。 
 結局、その後直ぐに皆が根を上げてしまい、ハーマイオニーの総復習計画は頓挫してしまった。
 代わりに皆で呪文の訓練を積む事にした。これは皆乗り気で、必要の部屋の蔵書の中にある呪文を片っ端かた試した。
 俺も幾つかの呪文を習得しようと躍起になった。理由は一つ。来年のバジリスク対策だ。
 バジリスクの脅威を取り除くにはジニーからトム・リドルの日記を取り上げるのが最善だ。恐らく、それで問題は無いだろう。問題はその日記を使えるかどうかだ……。
 スリザリンの継承者……、トム・リドルの日記を使い、バジリスクからどうにか牙を得たい。牙そのものが手に入れば、グリフィンドールの剣に毒の力を付与するなんて回りくどい真似をするよりも確実だ。
 問題はヴォルデモートの魂の断片の封じられた分霊箱であるところの日記をどうやって思い通りに扱うか、という点と、ある程度無効化出来たとしても、バジリスクは無防備に屍になってくれたりはしないだろうという点だ。
 日記はある意味でヴォルデモート自身とも言える。故に開心術の達人である彼の力も日記は持っている。必要なのは閉心術だ。まず、それを取得し、その後にバジリスクを殺す手段を取得する。
 それが俺の掲げるバジリスク対策だ。
 幸い、閉心術に冠する本も確り用意されていた。
 本によれば、閉心術とは心を御する力の事らしい。呪文は存在せず、いかに自身の心を自身と切り離して御する事が出来るかが肝心だという。
 原作ではハリーはシリウスの死やドビーの死を悼む思いによってヴォルデモートの開心術を防ぐ術を身に付けた。愛する者に対する絶対的な思いが分厚い壁となり、侵入者を阻んだ。
 愛する者の死。俺にとって、愛する者とはソーニャであり、ジェイクであり、アルの事だ。ハリー達の事ももちろん大好きだけど、この三人とは比べようもない。
 だけど、この三人を失わない事こそが俺にとって一番大切な目的だ。故に愛する者の死を悼む事で得られる閉心術では意味が無い。
 もっと、違うアプローチが必要だ。
 心を御するのは感情なのだろう。
 安心、不安、緊張、感謝、驚愕、興奮、好奇心、冷静、焦燥、幸福、尊敬、親愛、憧憬、恐怖、勇気、快感、後悔、満足、不満、嫌悪、羞恥、軽蔑、嫉妬、罪悪、殺意、期待、優越、劣等、怨嗟、苦難、悲哀、憎悪、憤怒、諦念、絶望、恋愛、性愛、空虚。
 感情には色々とある。
 その中で自身の心を御する事が出来る感情とは他者への思いと自己への思いが両立した感情なのだそうだ。
 それは、あるいは他者の死に対する悼みの感情。これは死者に対する悲しみと、残された自身に対する悲しみを同時に内包している。
 同様の感情として、嫉妬、軽蔑、罪悪、性愛などが挙げられている。
 嫉妬とは、相手に対して優れていると感じ、自身を劣っていると感じる二つの相反する感情が両立している。軽蔑はその逆。
 罪悪は他者に対する負い目があり、自己に対する不安や恐怖、怒りがある。
 性愛もまた、相手の快楽と自己の快楽の両方を渇望する感情だ。
 この中で更に悼むという感情と類似する感情は性愛だった。
 物語の中で、ハリーはダンブルドアならば人の死を悼む心を愛であると称するだろうと考えた。
 ある意味で的を射ていると思う。
 愛には種類がある。
 自己愛と他者愛とを持つ両立タイプ。
 自分自身に対する愛のみを持つ利己主義タイプ。
 自分以外の存在に対する愛のみを持つ自己犠牲タイプ。
 自己愛と他者愛を両方とも持たない欠乏タイプ。
 この中で悼むという感情は確かに両立タイプの愛であると言えよう。
 悼みは悲しみ。性愛は快楽への渇望。他者に対しても、自己に対しても同一の感情を持つ事により、他者の心を鏡のようにして、自己の心を識る事が出来る。それが心を御する感情というものなのだろう。
 ひょっとすると、人によって閉心術のそれは愛とはかけ離れたものだったりもするかもしれないけれど、俺は閉心術という術の事が分かった気がした。
 ならば、俺の閉心術とは何だろう?
 他者と自己。両方に抱く同一の感情。そんなものがあるのだろうか?
 俺は俺自身を愛してはいないし、人に狂おしい程の悲しみを抱いたり、憎んだりした事は無い。
 俺はそれを見つける事こそが閉心術の取得に繋がると感じた。

 それから更に月日は流れた。
 一年が終わり、学年末パーティーが開かれた。
 
「また、一年が過ぎた」
 
 壇上でダンブルドアがほがらかに言った。

「皆、ご馳走に手を伸ばす前にこの老いぼれの戯言に耳を傾けて頂きたい」

 ダンブルドアの口から寮対抗杯の表彰が行われた。
 一位はスリザリン。クィディッチで常に一位を独占した結果だろう。ハリーがシーカーになり損ねたせいだと分かっているが故に胸が痛んだ。
 グリフィンドールは何とか二位に落ち着き、レイブンクローとハッフルパフがその後に続いた。
 みんな、スリザリンの優勝に不満を言いつつも、一年の終わりに盛大な祝杯をあげた。
 そして、最後の日がやって来た。
 俺達はノーバートに最後の別れを言いにハグリッドの小屋を訪れた。
 ダンブルドアが刻んだノーバートの家の看板を見つめ、その奥でいびきを掻く、ヴォルデモートの尖兵すら軽くあしらった密かな英雄に別れを告げた。
 
「これであのトカゲ野郎ともお別れか……」

 ロンは何だか寂しそうに言った。

「なんだかんだで、長い付き合いになったもんね」

 アルも少し寂しそうだ。

「保護地区に行っても虐められないといいんだけど……」

 とハーマイオニー。

「虐められるわけないよ。あんなに逞しいんだもん」

 とハリー。

「向こうについたらボスの座に君臨しちゃうかも」

 ネビルの言葉に俺達は吹き出してしまった。
 世界中の魔法使いが揃って恐怖する悪の親玉が逃げ帰る程の彼の事だから、あながち冗談では無いかもしれない。
 
「夏休み、みんなうちにおいでよ」
 
 ロンの提案にネビルや俺達も続いた。
 来年はロンの家。その次は俺達の家。その後はネビルの家に夏休みは集まろうという計画となった。
 そして、俺達はあの真紅の列車に乗り込み、ホグワーツ魔法魔術学校を後にした。
 一年目が終わった。
 そして、これから……二年目が始まる。

第一話「屋敷しもべ妖精」

「えっと、ここでいいんだよね?」

 俺は地図とプリペット通り四番地と書かれた看板を交互に見比べながら呟いた。
 どうやら、無事に目的地に辿り着いたらしい。
 俺はハリーの住むダーズリー家を尋ねる為にはるばるウェールズから遠く離れたロンドン郊外のプリペット通りまでやって来た。
 事の発端はロンからのフクロウ便だった。よぼよぼのフクロウが持って来た手紙によれば、ハリーからの手紙が一向に来なくて心配だとの事だ。恐らく、ドビーの仕業だろう。
 ロンには直ぐに手紙を送った。ハリーは俺が迎えに行くから、軽はずみな真似はしないように、と。
 確か、ロンは父親のアーサー・ウィーズリーが密かに改造した車でハリーをダーズリー家から連れ去ろうと計画している筈だ。正直、マグルに発見される危険があるし、やらないにこした事は無いと思う。
 ソーニャとジェイクにハリーの家庭環境について話して、場合によってはロンの家に伺うまでの間、ハリーを泊めてもいいか? と聞いたら、二つ返事で了承してくれた。二人共、魔法界を救った英雄であり、俺の友達でもあるところのハリーに会う事が楽しみで仕方ないという様子だった。
 アルには秘密にした。アルはエドのおかげである程度マグルの常識にも精通しているけど、電車の乗り方みたいな一般常識を全て理解出来ているとは言えない。あのダーズリー家の人々を相手にそんな魔法族らしい一面を少しでも見せたら面倒な事になる。

「あそこか……」

第一話「屋敷しもべ妖精」

 ダーズリー邸はレンガ作りの落ち着いた作りの家だった。普通というものをこよなく愛するダーズリー家らしいと言える。
 俺は深く深呼吸をして、扉の横の呼び鈴を鳴らした。しばらく待っていると、ほっそりとした女性が扉を開けて顔を見せた。

「どなたかしら?」

 女性はじろりと俺を値踏みするように見つめた。ここで怖気づいてはいけない。
 俺は頭を深く下げて言った。

「こんにちは。突然お邪魔して申し訳ありません。俺、ポッター君の友達で、ユーリィ・クリアウォーターと言います」
「あの子の……?」

 女性は険しい表情を浮かべると、忌々しそうに俺を睨み付けた。

「そんな子はここには居ませんよ。家を間違えたんでしょうね」

 予想通り、かなりガードが固い。だけど、ここで諦めるわけにはいかない。ハリーの為にも、この家の窓枠の為にも。
 どうしようかと迷っていると、運良く階段から良く知った顔が降りて来た。
 ハリーは俺の顔を見ると、パッと顔を輝かせて降りて来た。

「ユーリィ!!」

 どたどたと降りて来るハリーに女性は苛々したように舌を鳴らした。
 ハリーはこの家で生まれてからずっと生きて来たんだ。そう思うと、なんだか自分が少し情けなくなった。
 ハリーを取り巻く環境は生前の俺より間違い無く酷いものだ。それなのに、ハリーは誠実で優しい人格者に育った。全てから逃げ出して死を選んだ俺とは雲泥の差だ。
 俺は少しハリーの事が羨ましくなり、すぐにそんな考えを恥じた。なんて、愚劣で卑しい事を考えるんだろう。俺は首を振ってもやもやする気持ちを打ち消し、ハリーに笑顔を見せた。

「ハリー。こんにちは」
「こんにちは!」

 ハリーは予想外な程嬉しそうに俺の手を掴んだ。

「会えて嬉しいよ!」
 
 その言葉に思わずドキッとしてしまった。会えて嬉しいなんて言葉、生前生後合わせても初めて言われた。
 いけない、と思いつつも頬が緩んだ。

「俺も嬉しいよ、ハリー」

 俺達が再会を喜んでいると、女性が腹立たしげに鼻を鳴らした。

「あ、そうだ」

 俺は慌てて背負っていたナップザックを開いた。
 中にはウェールズの特産の高級なお菓子を入れていた。

「ダーズリーさん。こちらをどうぞ」
「……あら、……どうも」

 女性はお菓子の銘柄を見ると、少しだけ険しさが晴れた感じがした。

「玄関で立ち話も何でしょう。お構いは出来ませんけどね」
 
 そう言って、女性は俺を中に招き入れてくれた。
 中に入ると、奥の方から太った男の子が顔を出した。

「あ、お邪魔してます」

 俺が頭を下げると、男の子は困惑した表情を浮かべた。ジロジロと値踏みするように見られて、何だか落ち着かない。
 それを察してくれたのか、ハリーは俺の手を取って、部屋に連れて来てくれた。

「ごめんね。うちの家族が失礼な態度をとって……」

 ハリーは苦々しい表情を浮かべて言った。
 
「ううん。いきなり訪問したのは俺の方だし、無理ないよ。それより、久しぶりだね、ハリー」
「うん……久しぶり。でも、僕もびっくりしたよ。いきなりだったし、それに……」
「どうしたの……?」

 俺が聞くと、ハリーは少し不満そうに言った。

「どうして、僕の手紙に返事をくれないんだい?」

 ハリーの言葉に俺は首を振った。

「俺もアルもロンも皆、ハリーに手紙を送ってたよ?」
「え? でも、一通も来てないよ。本当に、誰からも、一通も……」
 
 ドビーが止めてるから、という事は知っているんだけど、それを教えられないのが歯痒い。
 今もどこかに居るのかな?

「俺にもさっぱりだよ。それよりさ、ハリー。うちに泊まりに来る気ない?」
「……え!? ユーリィの家に!?」
「うん。ロンの家に行くまでの間だけ。どうかな?」
「……いいの?」
「もちろん。ママもパパも歓迎してくれるよ」

 俺の提案にハリーは乗り気になって頷いた。
 この家を抜け出せるのが嬉しくてたまらない様子だ。
 その時だった。突然、バチンという大きな音がした。びっくりして顔を向けると、そこには奇妙な生き物が居た。蝙蝠の羽のような耳と垂れ長な鼻、ギョロッとした大粒の瞳の奇天烈な姿をしている。

「屋敷しもべ妖精……?」
「……ドビーにございます」

 ドビーはハリーをその大きな瞳で見つめた。
 自分の姿が映り込む大きな瞳にハリーは何も言えずに黙り込んだ。

「ハリーポッター。あなた様にお目にかかる日をずっと夢見ておりました。……とても光栄です」
「えっと……、ありがとう」

 ハリーは苦笑いを浮かべながら俺に視線を向けた。
 ドビーも俺にギョロッとした目を向け、思いつめた様子でハリーに言った。

「ハリーポッター。あなた様はホグワーツへ行ってはいけません」
 
 開口一番のドビーの言葉にハリーは困惑した。無理も無いだろう。突然現れた異形の存在に、現在、ハリーにとっての唯一の拠り所である筈のホグワーツへ行くなと言われて、困惑しない筈が無い。
 戸惑うハリーにドビーは畳み掛けるように言葉を重ねた。

「今、ホグワーツには危険が迫っております」

 ドビーの言葉にハリーは目を見開いた。

「……君は一体……?」
「ドビーはハリーポッターに警告を申し上げにまいりましたのです。……ドビーは……」

 ドビーは瞼を閉じ、よろよろと箪笥に向かって歩き、いきなり箪笥の角に頭をぶつけ始めた。

「ドビーは悪い子! ドビーは悪い子!」

 ドビーの奇行に一瞬、俺とハリーは凍りついた。

「ま、まって、どうしたの!?」

 ハリーが慌てて羽交い絞めにすると、ドビーはしくしくと泣き始めた。

「ドビーは自分をお仕置きしなければならないのです。ドビーはドビーのお仕えする家族の意向に背いてここに来てしまっているのです」
「家族って?」

 ハリーの質問には俺が答えた。ドビーに答えさせると、また自分をお仕置きするかもしれないからだ。

「屋敷しもべ妖精は特定の魔法使いを自身の主人として扱うの。その主人や家族に一生涯仕え、日常の家事や雑用などの労働奉仕を行うんだ。家族っていうのは、仕えてる主とその家族の事だよね?」

 俺が問い掛けると、ドビーは恐る恐るといった感じに頷いた。酷く怯えているように見える。

「それで、ホグワーツに迫っている危険って何の事かな?」

 俺は出来る限り優しい口調を心がけて問い掛けた。

「それは……それは……うぅぅ」

 ドビーは必死に恐怖に抗おうとしているけれど、ついに自分の頭を床に叩きつけ始めた。俺は慌ててドビーを抱き抱えるようにして拘束した。
 
「ごめんね。あんまり騒ぐと、家の人に迷惑だから……」

 俺に抱きすくめられて完全に動きを封じられると、ドビーは瞼をきつく閉じて体を震わせた。
 
「その……、ドビー。どうか、気を悪くしないでほしいんだけどさ」
「き、気を悪くするですって!? そんな事、あり得ません!」

 キーキー声で喚き立てるように捲くし立てるドビーにハリーは困り顔で言った。

「……僕はホグワーツに戻らないといけないんだ」
「い、いけません!!」
「新学期に学校に行けないなんて事になったら、僕耐えられないよ。君には分からないだろうけど、ここに……僕の居場所は無いんだ」

 ハリーの悲痛な言葉にドビーは大きく首を振った。

「駄目です! なりません! ハリーポッターは安全を保障された場所に居なければなりません!! あなた様は偉大なお方!! この世で失われてはいけない最も尊き命なのです!! ハリーポッターがホグワーツに戻れば死の危険が襲い掛かります!!」

 それはドビーにとって血を吐くような言葉だったのだろう。自分をお仕置きしなければならないという本能が頭をどこかにぶつけようと頭をぶんぶんと振り回させている。
 本当なら、屋敷しもべ妖精の身で話してはいけない事なのだろう。
 
「でも、僕は……!!」

 俺は叫び出しそうなハリーの口に人差し指を当てた。
 困惑するハリーをよそに、俺はドビーを抱き締めながら問い掛けた。

「ホグワーツに危険が迫っているのは本当なんだね?」
「……そうでございます」

 ドビーはハッとした表情で再び自分を罰しようともがき始めた。
 こうなると、もはや発作のようなものに見えた。

「でも、誰がどうやってホグワーツに危険を齎すのかは言えない……」
「……そうなのでございます」

 ドビーはじわりと涙を浮かべた。そして、バチンという音と共に俺の腕の中から姿を消し、直ぐ目の前に再び姿を現した。

「ハリーポッター。どうか、ホグワーツに行かないと約束して下さい」
「出来ない……。出来ないよ、僕。ホグワーツに行かないなんて、そんなの……」
「……友達からの手紙や贈り物が来なければ、孤独に思いホグワーツへの未練が無くなると思ったのに……」

 ドビーの零すように呟いた言葉にハリーは大きく反応した。

「それは、どういう事? 君が僕に手紙が届かないようにしていたの?」

 険しい顔で問い詰めるハリーにドビーは哀しそうな顔をした。

「仕方なかったのでございます。ドビーはなんとしても、ハリーポッターをお守りしなければなりませんでした」
「だからって……!!」
「待って」

 ドビーに掴みかかりそうになるハリーを俺は寸での所で押し留めた。

「でも……でも!!」
「待って、ハリー。それに、ドビーも」

 ドビーは俺に不安と苛立ちの篭った視線を向けてきた。
 俺はドビーにとって、自分の計画を台無しにした悪魔に見えているのかもしれない。

「ドビー。君の話を俺はダンブルドア校長先生に話してみる」
「……はえ?」

 ドビーは大きな目を更に大きく見開いた。

「知ってるだろうけど、ダンブルドア校長先生は例のあの人すら手が出せなかった偉大な魔法使いなんだ。ダンブルドア校長先生が脅威を察して動いて下さるなら、いかなる脅威も脅威では無くなる。ドビーが脅威を教えてくれたおかげで、ハリーはホグワーツに行っても安全が保障されるんだよ」
「し、しかし……、如何にアルバス・ダンブルドアと言えど……」
「もう一度言うよ、ドビー。ダンブルドア校長先生は全盛期の例のあの人すら手が出せなかった偉大な魔法使いなんだ」
「しかし……」
「何が不安なの?」
「こんな卑しい……屋敷しもべ妖精の言葉を……あの偉大なるアルバス・ダンブルドアが取り合って下さりますでしょうか?」

 ドビーは今度は不安と恐怖の入り混じった目で見つめてきた。

「大丈夫だよ。ダンブルドア校長先生はあらゆる人や種族の言葉を聞き、吟味して下さる。ハリーの為に動いてくれた君の言葉をダンブルドア校長先生は必ず聞いてくれる」

 俺の言葉にドビーは深く瞼を閉じた。

「……約束……していただけますか?」

 ドビーは大粒の涙を零しながら問うて来た。

「必ずや、アルバス・ダンブルドアにこのドビーめの言葉を伝えてくださると……」
「約束する」

 俺はドビーの骨ばった手を両手で包み込みながら言った。

「君の言葉を必ずダンブルドア校長先生に伝える」
「あ……ああ、なんと……こんな……卑しい屋敷しもべ妖精などに……魔法使いのお方が……約束……約束を……ああ」

 ドビーは突然、ハリーの机の上に登り、そこに置いてあった鋏を手に取ると、自分の手の甲に振り下ろそうとした。

「だ、駄目だ!!}

 ハリーは咄嗟に動き、ドビーの手を掴み取った。

「駄目だよ、ドビー!」
「離してください!! ドビーは悪い子なのでございます!!」

 ハリーはドビーを抱き抱えて、自分にお仕置きを出来ないように拘束した。
 ドビーはハリーの腕の中で暴れ回った。

「ドビー。必ずダンブルドア校長先生に伝えるから、もう……」

 ドビーはハリーと俺に目を向けた。そして、泣きながら震える声で言った。

「……秘密の部屋……が……開かれます」

 それだけを言い残し、バチンという音と共にドビーの姿は消え去った。

「秘密の部屋……?」
 
 ハリーはドビーに言い残した言葉に首を傾げた。
 

第二話「ダーズリー家」

 ドビーが霞のように消えて直ぐ、扉をノックする音が聞こえた。どうやら騒がしくし過ぎたみたいで、誰かが登ってきたらしい。
 少しして扉が開き、俺を家に招き入れてくれた女性……ペチュニア・ダーズリーが顔を見せた。じろじろと部屋を見回して、ドビーが自分をお仕置きする為に暴れた時に倒してしまった椅子に目を止めた。

「何をしていたか知りませんけどねぇ。あまりに目に余るようなら……」
 
 俺は慌てて頭を下げた。出来るだけ悪印象を持たれるのは避けなければいけない。ダーズリー夫妻はとにかく普通を尊ぶ人達だ。元々、バーノン・ダーズリーは会社社長であり、ペチュニア・ダーズリーは社長婦人だ。一般的なマグルよりもずっと社会常識や礼節を弁えている。魔法というマトモという言葉からかけ離れたものの臭いを出来るだけ抑え、礼儀正しく接すれば、ある程度は譲歩してくれる筈だ。
 その証拠に本で読んだ限りでも、しっかりとしたマグルの社会人としての常識的な立ち居振る舞いをしたキングズリー・シャックルボルトに対しては僅かばかりではあったものの敬意を払って接していた。
 ハリーを家に招待するにあたって、キチンと夫妻の了承を得る事が重要だ。一度許可を貰えれば、今後も無駄な軋轢を作らずにハリーを招き易くなる。
 無許可で連れ去ろうものなら、それはマトモではない。如何にハリーを疎んでいようとも、その手段がマトモでないなら、夫妻にとって、それは我慢ならないものとなる。ハリーが家を出る事すら許してもらえなくなるだろう。それにハリーに対しての風当たりは一層強いものとなるだろう。
 夫妻はダンブルドアも言う通り、ハリーにとって唯一の肉親なのだ。関係を少しでも悪化させるような事はしたくない。改善出来るようならそれに越した事は無い。
 出来る限り礼儀正しくあろうと心掛けてペチュニアに謝ると、それ以上は何も言わずに鼻を鳴らして出て行った。やはり、礼節に対して無闇に罵声で返すような人では無いらしい。
 ペチュニアが去った後、ハリーは深く深呼吸をしてから口を開いた。

「……それで、さっきのドビーが言ってた事だけど」

 ハリーは半信半疑のようだった。無理も無い。突然現れた奇妙な生き物に突然、自分にとって唯一の拠り所であるホグワーツに戻るな、と警告された。いきなり信じろと言う方が無理な話だ。
 だけど、俺はそれが事実であると知っている。ドビーは自身の屋敷しもべとしての本能や主人への忠誠から背を向け、危険を犯して主であるルシウス・マルフォイの計画を報せに来てくれたのだ。
 ドビーの行為は報われるべき事だ。そして、ドビーにとって、報われるとはハリーに信じて貰う事。そして、ハリーを危険から遠ざける事。

「ハリー。秘密の部屋を知ってる?」

 俺が問うと、当然ながらハリーは首を横に振った。
 俺は秘密の部屋について語れる限りを語る事にした。
 ホグワーツの創設者の四人の事に始まり、サラザール・スリザリンと他の三人の創設者達の確執。そして、サラザール・スリザリンがホグワーツに遺した秘密の部屋の伝説。
 俺の話を聞くハリーはまるで絵本を読んでもらっている子供のように瞳を好奇心に輝かせていた。ついつい楽しくなってしまって、気が付いたら空が茜色に染まり始めてしまった。

「もうこんな時間……。ハリー。うちに来る事、叔父さんと叔母さんに話しに行こう」
「え……? で、でも……」
「ちゃんと許可をもらって、送り出してもらおうよ」

 色々な感情が入り混じった表情を浮かべるハリーに俺は出来る限り優しい口調で言った。
 ハリーにとって、叔父と叔母に何かを頼む、という事はとても難しくて、とても辛い事なのだろう。
 それでも、俺はハリーにちゃんと家族に送り出してもらって欲しかった。取り返しがつかなくなってから、後悔しても遅いから……。
 どれだけ溝があっても、家族はやはり家族なのだ。血よりも濃い繋がりはあるかもしれない。けど、血の繋がりはただそれだけで固い絆になる。

「叔父さんと叔母さんにちゃんと話そう」
「……でも、きっと許してくれない」
「許してくれなかったら、その時はその時だよ」

 俺の言葉にハリーは首を傾げた。
 俺はニッコリと笑って言った。

「その時は俺がハリーを無理矢理攫っていくよ。だから、まずはちゃんと話をしようよ。俺も一緒に居るから」
「……分かったよ」

 ハリーは深い溜息を零しながら頷いた。その後ももたもたするハリーを引っ張って、俺は一階に降りた。

第二話「ダーズリー家」

 居間の方で声がする。俺はゆっくりと居間に近づいた。
 ドキドキする。ハリーにはああ言ったけど、俺もダーズリー夫妻と話すのはちょっと怖い。
 だけど、これはハリーが感じている恐怖とは別種のものだ。要は友達の両親と話をするのだから、緊張するのは止むを得ない事だと思う。

「失礼します」

 居間に入ると、さっき会った丸顔の少年……ダドリー・ダーズリーが父親と思しき人物とテレビを見ていた。
 二人は俺の存在に気が付くとギョッとした表情を浮かべた。
 怖がっている。その事に気がつくと、俺は二人の気持ちが少し分かった気がした。
 十二歳の子供を相手に恐怖する。その理由は魔法がそれだけ得体の知れ無いものだからだ。拳銃のように人を殺すかもしれない。薬剤のように人を惑わすかもしれない。
 マトモじゃないから……。それだけでは無い。魔法の得体の知れ無さが二人に……否、ダーズリー家の人々にとってあまりにも大きな不安の種になっているのだ。
 考えてみれば当たり前だ。魔法について詳しく知らない彼等にとってみれば、俺に常に拳銃の銃身を向けられているように感じるだろう。そんな状態で会話をするなど到底無理な話だ。
 ただ礼儀正しいだけでは駄目だ。下手に出て、安心を与えないと、会話をする事すら出来ない。
 俺は深々と頭を下げた。

「この度は突然訪問してしまい、申し訳ありませんでした」

 俺の言葉にバーノンは目を丸くした。ダドリーは未だに警戒心を顕にしながらバーノンの後ろに隠れている。
 バーノンが落ち着くのを待って、俺は言った。

「実はこの度、ハリーを私の家にお招きしたく思いまして、その許可を頂きたく……」
「な、ならん!!」

 慌てたようにバーノンは立ち上がり俺の所まで駆け寄って来た。

「ならんぞ!! ただでさえ、あのいかれた学校でいかれた勉強をしているんだ。この上、貴様のようないかれた友達などと――――!!」

 バーノンの言葉を遮るようにハリーが後ろから飛び出して来た。憎しみの篭った形相にバーノンは思わずたじろぎ、その隙にハリーはポケットに手を突っ込んだ。
 何をする気なのかは直ぐに分かった。俺はハリーの腕を取って、最悪の事態を防いだ。

「ハリー。話をするんだよ?」
「でも!! こいつら――――ッ」
「こいつら、なんて言っちゃ駄目。ハリーの叔父さんと叔母さんなんだから、そういうのは駄目だよ」

 諭すように言うと、ハリーは渋々といった感じで杖を納めてくれた。

「あの、ダーズリーさん」
「な、なんだ!!」

 俺が声を掛けると、バーノンは飛び上がりそうな程驚いた顔で声を張り上げた。
 俺以上にいっぱいいっぱいになっているバーノンのおかげで努めて冷静になる事が出来た。

「不躾な事を申してしまい、大変申し訳ありません」

 俺が再び頭を下げると、バーノンは困惑したような表情を浮かべた。

「ですが、どうしてもハリーと一緒に夏休みを過ごしたいんです。どうか、ハリーの外泊を許して頂けませんでしょうか? お願いします」

 更に深々と頭を下げると、漸くバーノンは警戒心をやわらげてくれたのか、鼻を小さく鳴らし、俺に観察するような視線を向けた。

「……ああ、名前は何と言ったかな?」
「ユーリィです。ユーリィ・クリアウォーター。名乗りが遅れまして、大変申し訳ございません」
「……小僧をお前の家に招きたいと言ったな?」
「はい」
「……そこでまた怪しげな呪いや儀式に耽るというわけか、え?」
 
 バーノンの言葉に俺は少し安堵の笑みを浮かべた。バーノンは明らかに態度を軟化させてくれた。
 なら、後は出来る限り誠実に話をするだけだ。

「ハリーが家に来てくれましたら、手料理を振舞おうと思ってます」
「手料理だと?」

 ポカンとした表情を浮かべるバーノンに俺は頷いた。

「手料理が趣味でして、家族以外の感想を聞きたいと常々思っておりまして……。是非、ハリー君に……と。それに、我が家の敷地の裏には私有の山がありますので、そこでキャンプを予定してるんです。水の澄んだ川も流れているので美味しい魚が取れるんです」
「ほう、私有の山か……。それにキャンプとは……、悪く無い趣向だな……。しかし……お前さんらの料理や釣りは杖を振り回すだけなんじゃないのか?」
「料理に杖の出番はありません。振るうのは包丁と鍋ですよ。それに、釣りは釣竿を使ってこそじゃありませんか?」
「……料理の腕前とやらに余程自信があるようだな?」
「色々な国の料理を個人的に学んでいますが、和食に最近凝っておりまして、少なからず自信があります」
「……日本のか……。アメリカに尻尾を振るだけが脳の国だが、食に関しては認めざる得んな」
 
 少しカチンと来たけど、表情に出さないように努めながら俺は話を続けた。

「ハリーにも是非日本食の素晴らしさを知って頂きたいと思っています」
「……なら、小僧に仕込んでやってくれんか?」
「……ええ! 是非!」

 バーノンの言葉に俺は一も二も無く飛びついた。後ろでハリーが驚いたように息を呑む音が聞こえる。

「……我が家では小僧に食事の準備をさせる事があるが、いかんせん上達せんでな」
「では、僭越ながら指導させて頂きます」
「……で、いつ連れて行くんだ? なんなら今すぐ連れて行っても構わんぞ」
「よろしいのですか? では、是非。一刻でも長く、ハリーと一緒に夏休みを過ごしたく思いますので」

 バーノンは少し驚いたようだけど、特に異論は挟まないでいてくれた。
 俺はおどおどとソファーに隠れているダドリーとキッチンから睨むように視線を向けてくるペチュニアに頭を下げて、ハリーを連れてハリーの部屋に戻った。

「信じられない……。あの叔父さんが許可をくれるなんて……」
「良かったじゃない。とにかく、荷物を纏めちゃおうよ。叔父さんの気が変わらない内に」

 二人掛かりで荷造りをすると、ものの三十分程で終わってしまった。
 忘れ物が無いかをハリーに確認してもらって、一階に降りると、バーノンとペチュニアが居た。その遥か後ろでダドリーが廊下を覗き込んでいる。

「くれぐれも! 近所で箒に乗ったり、怪しげな呪文を唱える事だけはせんように」
「もちろんです。帰りはパディントン駅からカーディフ駅まで電車を使います」
「……ならばいい。ではな」

 ぶっきらぼうなバーノンの一言にハリーは心底驚いた表情を浮かべた。
 呆気に取られた表情を浮かべるハリーの手を引いて家を出ると、ハリーはポカンとした表情を浮かべて言った。

「信じられない……」

 プリペッド通りからウェールズの中心街から少し外れの位置にある我が家までたっぷり四時間も掛かってしまった。
 出た時はまだ五時を回ったばかりだったんだけど、空はすっかり暗くなってしまっている。
 玄関を開けて中に入ると、途端に美味しそうな臭いが漂って来た。帰りの道中で電話――エドが便利だからと昔設置させたらしい――を掛けて、ハリーを連れて行くと報せておいたから、ハリーの分も準備している筈だ。先に家に上がると、俺は振り返っておどおどとしているハリーに手を差し伸べた。

「我が家にようこそ。いらっしゃいませ、ハリーポッター君」
「えっと……、お邪魔します」

第三話「クリアウォーター邸」

第三話「クリアウォーター邸」

 玄関に一歩足を踏み入れると、ハリーはまるで道の迷宮に迷い込んでしまったみたいに不安そうな顔をした。その顔を見て、俺はハリーが他人の家に入るのが初めてなんだと気が付いた。他人の家というのは学校やコンビニのような公共の場所とは違う他人の生活領域だ。そこにはそこに住む人だけの空間が広がっている。
 他人の領域に土足で足を踏み入れる事に躊躇いを覚えているハリーの手を取って、中に招き入れた。

「あ、ちょっと……」

 ハリーは慌てたように声を上げた。ずり下がった眼鏡を直しながらおどおどと視線をさりげなく動かしている。
 ジロジロ見ては失礼だという気持ちがあるのだけど、やはり気になってしまうのだろう。しっかりと靴の汚れを落とそうと玄関マットで念入りに土汚れを落とそうとしているハリーに俺は声を掛けた。

「そんなに念入りにしなくても大丈夫だよ。そのマットには魔法が掛かってるんだ。一回、軽く擦ってあげればいいんだよ。それで汚れ一つ無くなるんだ」

 ハリーは感心したようにマットを見た。自宅で見た事のあるような物にも魔法が掛かっている。その事が新鮮なのだろう。
 
「これは何?」

 ハリーが指差したのは時計だった。ハリーが気にするのも仕方が無い。この時計には数字が書いていないのだ。代わりに家、仕事、学校、遊興などの文字が躍っている。そして、針の数も普通の時計よりも一つ多い。それぞれの針には名前が書いてあって、俺の名前が書いてある短い針は今、外出中から家に向かって動いている最中だ。
 家族の現状を簡単に知る事が出来る魔法界で人気のアイテムなのだ。尤も、このアイテムが人気になった理由は嘗ての暗黒の時代に端を発しているのだけど……。
 当時はこの時計には死や致命傷、危機が迫るなどの物騒な文字が多数躍り、針はそれらを行ったり来たりするのが日常だったそうだ。いつ、家族が死ぬかわからない時代。誰もがその時計を恐怖しながら手放すことが出来なかった。朝、その時計を見て僅かな安堵と恐怖を得るか、深い絶望を得るか、そのどちらかだったのだ。
 暗黒の時代は終わった。そう考えた魔法界では死などの文字を取り払った時計が大半となっている。
 ただ、うちの時計には死の文字がある。その理由は隣人にある。アルの父のエドは闇祓局で働く闇祓いだ。嘗て、闇の勢力との戦いの最前線を戦い抜いた経験が【油断大敵】という言葉を彼の脳裏……否、魂に刻み込んだ。
 うちの両親は二人揃って温和な性格だ。誰に対しても優しくて、そんな二人をエドも心から慕ってくれている。だからこそなのだ。慕うからこそ、彼は二人に常に【油断大敵】の言葉を口にする。用心を怠ってはならない、と我が家の防犯設備や防犯呪文にもかなりの労力を裂いてくれているそうだ。魔法界の主要機関程では無いにしろ、我が家を敵意を持って襲撃しようものなら、襲撃者は痛い目どころでは済まないらしい。
 ハリーは我が家の魔法道具に興味津々だった。玄関の中だけでも様々な魔法道具がある。一つ一つを説明する度に目を輝かせるハリーに俺は楽しくなってしまった。
 玄関でもたもたしていたら、居間の方からソーニャがやって来た。ソーニャの顔を見るといつも安心する。もう30台も後半だというのに若々しくて、美人だけど、ソーニャの魅力はやはり彼女の発する優しい空気だ。怖い事があっても、辛い気持ちになっても、ソーニャが傍に居るとそれだけで心が落ち着く。ちなみに、ソーニャの容姿はソーニャを知る人皆に言われるけど俺にソックリだ。髪はふわふわの栗色で、普段はシュシュでゆったりと纏めて肩から前に出している。目の色は藍色で、大粒の瞳には常に優しさが篭められている。そして、その瞳で今は真っ直ぐに俺とハリーを見つめている。

「ああ、やっぱりだわ。帰ってきたら、ちゃんとただいまをしなきゃ駄目よ?」
「ごめんなさい、ママ。ただいま」
「はい、おかえりなさい。それで……、あなたがハリーね?」

 ソーニャの視線がハリーに注がれると、ハリーは緊張した様子で頷いた。ハリーは決して人見知りの激しいタイプじゃない。
 人見知りが激しかったら、まず初対面でハグリッドについて行こうという思考には至らない筈だ。それに初対面でも割と誰とでも気さくに話している。そこが俺との大きな違いだと思う。
 小さく息を吸って、ハリーは「お邪魔しています」と挨拶をした。この礼儀正しさはきっと、ダーズリー夫妻の教育の賜物なのだろう。接し方はキツイけれど、夫妻は少なくともハリーが社会に出て行った後、一人で生きていけるように必要な事を教えている。それは厄介物を追い出したい一心ではとても出来ない事だ。
 そもそも、ハリーを本当にただの厄介物だと思っているなら、ハリーはとうの昔に追い出されている筈だ。なにせ、脅されているのは本で読んだ限りペチュニアだけで、それをダーズリー氏は知らなかったようだ。ダーズリー氏が知らない、という事は夫妻の間でハリーを本気で追い出そうという会話をした事が無いという事だ。そこには歪ではあっても、確かな愛情を垣間見る事が出来た。
 三人で居間に向かうと、途端に美味しそうなご馳走の香りが溢れていた。テーブルにはパーティーのようなご馳走が並べられていて、マチルダが忙しそうに動き回っている。
 ベランダの向こうの庭を見ると、ジェイクとエド、それにアルの三人が机を並べてバーベキューの準備をしているのが見える。
 マチルダは俺とハリーを交互に見ると、ニンマリと笑みを浮かべた。

「ゲストの御到着だわ」

 エプロンを外しながら杖を一振りしてテーブルの上の皿を次々に庭の机に飛ばしていき、マチルダは俺達の方に歩いて来た。 

「おかえりなさい、ユーリィ。それと、あなたがハリーね」

 マチルダはソーニャとは反対に眼差しが鋭いからハリーはすっかり恐縮してしまった。マチルダもソーニャとは別ベクトルに美人だ。情熱的な性格によく映える赤い髪は腰まで伸びていて、ブラウンの鋭い瞳は知性を感じさせる。夫のエドと同じく闇祓いだった彼女は凄むと本気で怖い。
 
「歓迎するわ。今日はあなたの為にみんなでパーティーを開いたのよ。お腹一杯食べてちょうだい」
「あ、ありがとうございます」

 ソーニャとマチルダは料理に戻り、俺も手伝おうかと思ったけど、ゲストのおもてなしが最重要任務だ、とハリーと一緒に庭に追い出された。後ろから次々に飛んで来る料理の皿を避けながらアル達の下に向かうと、アルはハリーに一言挨拶をしてからムッとした顔で向き直って来た。
どうやら、また俺は彼を怒らせてしまったらしい。

「また、僕に内緒で動いたね」

 そう、アルは言った。必要の部屋を内緒にしていた時のように突き刺すような視線で俺を見つめるアルに対して、俺は言葉を簡単に見つける事が出来ないでいる。
 適当に流す事も軽く言い訳を返す事も出来ない。それが余計に彼を怒らせる事に繋がると分かっていても、黙って時が過ぎるのを待ってしまう。それが一番卑怯で、一番苛々させてしまう行動だと理解していながらそれを選択してしまうのが俺なのだ。

「一言くらい、相談してくれてもいいじゃないか!」

 事情がある。だけど、話せない。俺にしか無い知識で、俺以外に話せない知識を下にしての行動だから、俺以外に説明が出来ない。
 それを言い訳にして自分の行動を正当化しようと必死になっている自分が酷く醜く感じる。
 アルが苛々を募らせているのが分かる。何か言わないといけない。それが分かっているのに、何も言えない。

「そのくらいにしておけよ」

 結局、また誰かに助けてもらった。黙って時間が過ぎるのを待って、相手が折れるか、誰かに仲裁してもらう事で解決を量る。最低な手段をまた取ってしまった。
 見るに見かねたらしいエドはアルの頭に手を置いて、からからと笑いながら仲裁に入ってくれた。

「な、何をするんだ、父さん!」

 アルはエドの手を振り払おうともがいた。けれど、歴戦の闇祓いであるエドの引き締まった肉体はまさに鋼というに相応しく、子供がどんなに暴れてもびくともしない。
 改めて見ると、アルは本当にエドに似ている。二人共、短く切り揃えた金髪を後ろに流していて、緑色の瞳は吸い込まれそうになるほど綺麗だ。
 アルもこのまま成長すれば、エドのように映画俳優も顔負けのハンサムな男になる事だろう。

「はは、まだアルフォンス君もエドには敵わないか」

 ジェイクはからかうように言った。
 ジェイクもよく見ればとてもハンサムな顔をしている。オーランド・ブルーム似でパッと見はとてもイケてる感じがするんだけど、性格的にどうしても三枚目という感じになってしまう。
 まあ、そんなジェイクが大好きなのだけど……。

「あんまりユーリィを虐めるなよ。嫌われちまうぞ?」
「べ、別に虐めてないよ! まったく。行こう、ユーリィ。ハリーもこっちだ! 母さん達のミアとポールを見せてあげるよ」

 エドの言葉にアルは顔を真っ赤にして反論した。怒りの矛先が変わってホッとしてエドを見ると、思わず男の俺でもクラッとしてしまう魅力的なウインクを向けて来た。
 ウインクがこうまで似合う人間も珍しいと思う。俺もいつかはエドのようになりたい。ジェイクには悪いのだけど、俺にとってエドこそが理想の男なのだ。

「任務ご苦労さん。ハリーポッターを招待するなんて上出来だ。俺もマチルダも彼の大ファンなんだ。っと、置いてかれるぞ? 行った行った!」

 ソッとそう言いながら、エドは俺の背中を押した。お礼を言って、アルとハリーを追いかける。いつの間にか二人は庭の隅でころころしている毛玉で遊んでいた。
 毛玉の正体は魔法界で常にトップの人気を誇る愛玩ペットのパフスケインだ。
 世話をするのはすこぶる簡単で、放置してればネズミや虫といった害虫や害獣を勝手に探して食べてくれるから家の掃除にも重宝されている。見た目もまん丸で柔らかい毛に覆われているから凄く可愛い上に人間に対しての忠誠心が厚く、ドッジボールのボール扱いしても懐いて来る。
 ちょっと大きいのがオスのポールでマチルダのペット。小さいほうはミアでソーニャのペットだ。ミアはソーニャが昔家で飼っていたパフスケインの子供でおばあちゃんの家に行けばまだミアの両親が家の庭でころころしている。ポールの方はミアを見て一目で虜になったマチルダが飼い始めた。
 折角なら子供が出来るようにとオスを飼ったらしく、目論見通りにミアとポールは熱々のカップルになった。いっつも寄り添っている仲良しの二匹を見ていると羨ましくなるほどだ。

「可愛いだろ? こいつらパフスケインって言うんだ」

 自慢そうに言うアルにハリーは興味深そうにパフスケインを見つめた。

「うん……。これは可愛いね」

 我が家の……否、魔法界全体のアイドルであるパフスケインの魅力を前にハリーもすっかりノックアウトされてしまったらしい。ポールのふわふわな毛皮を抱えながら頬を緩ませている。

「でも、パフスケイン投げは出来ないんだ。母さん達が凄い怒るからね」
「パフスケイン投げって?」
「こいつらを交互に投げ合う遊びさ」
「キャッチボールみたいなもの?」
「そんな感じかな。そう言えば、昔、アルが木の剣でポールをぶっ飛ばした時のマチルダおばさんは怖かったね……」
「あれはな……」

 三人で他愛無い話をしていると、パーティーの準備が整った。庭に並べられた料理にかぶりつきながら、皆でハリーの来訪を祝福した。
 ミアとポールはハリーを気に入ったらしく、すりすりと彼の足に擦り寄って愛嬌を振り撒いた。試しに餌として肉を与えると、けもくじゃらの中から細い下が伸びて肉を絡め取り、それがおかしかったのか、ハリーは二匹への餌やりに夢中になった。
 エドとマチルダは闇の帝王を滅ぼしたハリーの大ファンだったみたいで、少しでもハリーの皿が減ろうものなら直ぐに山盛りにした。困った顔をしながらも頬が緩んでいたから悪い気はしていないのだろう。
 パーティーが終わると、ハリーは我が家の来客用の部屋に泊まってもらう事になった。元々はおじいちゃんやおばあちゃんが泊まりに来る用の部屋だからソーニャは常に掃除を欠かしていないのでかなり快適に過ごせる筈だ。

 瞬く間に数日が経過した。その間、三人で宿題を終わらせたり、山の中を駆けずり回った。特に山の中で箒の練習をするとハリーは大喜びだった。学校の指定の箒とは全然違う素晴らしい乗り心地に夢中になり、金庫の中の予算と箒の値段を頭の中で何度もすり合わせていた。
 急降下や急上昇、クイックターン。俺もアルも思わず舌を巻くくらいハリーは見事に箒を乗りこなした。試しにクィディッチの練習をやって見ると、どんな方向にクァッフルに見立てたボールを投げても一瞬で追いついてボールを捉えて捕らえる。その姿を見ている内、また罪悪感が込み上げてきた。
 ハリーは天才だ。箒に乗る事に掛けては誰にも負けない才能がある。クィディッチこそ、ハリーの生きる道といっても過言では無いのかもしれない。
 本の中では闇の勢力との度重なる戦いの経験から闇祓いの道を歩んだけれど、クィディッチのプロになる事の方がハリーにとって良い事なのではないだろうか? そう、思わずには居られない。
 箒に実際に乗ったからこそ分かる。地面すれすれまで急降下したり、一瞬で最高速度を叩き出すセンスは箒に乗り始めてから授業の僅かな時間だけで体得出来るレベルじゃない。
 七月の最後にはネビルとハリーの誕生日がある。ちなみに、ハリーの誕生日の二日後は俺の誕生日だ。それぞれの誕生日のプレゼントを用意する為に俺達三人は一日中通販のカタログを見つめていたけれど、俺もアルもハリーへの贈り物は一瞬で決まった。そして、ハリーの誕生日がやって来た。
 ソーニャとマチルダの合作の巨大なケーキや目移りする豪華なディナーの並ぶテーブルの横に並ぶハリーへのプレゼントの数々。その中で一際目立つ大きな箱に俺とアルは見覚えがあった。
 つまり、ハリーの飛行技術に目を付けたのは俺達だけじゃなかったって事だ。両親の居ないハリーにソーニャ達は惜しむ事無く最高のプレゼントを用意した。
 包みを開きながら震えるハリーの瞳に移ったのは滑らかな木の肌だった。
【ニンバス2000】。俺とアルとお揃いの箒だった。信じられないという顔でソーニャやジェイク、マチルダ、エドの三人を見つめるハリーにソーニャが代表して言った。

「あなたの箒に乗るセンスは類稀なものよ。そのセンスを是非磨いて欲しいと思ったの」

 その言葉に続けるようにエドが言った。

「ハリー。君はきっと世界中の誰よりも高く、速く飛べるようになる筈だ。俺は君の歳でこれまで君ほど上手く箒を乗りこなした者を見た事が無い。君が飛ぶ姿は本当に圧巻だった。君のご両親があの光景を見ていたなら、間違いなくコレを君に贈っていた筈だと断言する。だから、どうか受け取って欲しい」
「ホグワーツでクィディッチの選手に立候補してみたらどうかな? きっと、君はエースになれるよ」

 エドとジェイクの畳み掛けるような絶賛の言葉にハリーは箒を手にとって頷いた。

「ぼく……僕、嬉しいです。こんな……、だって……、こんな……」

 ハリーの瞳には涙が溢れていた。生き残った男の子。ただそれだけじゃないと、そう認められたのだと、ハリー自身が分かったのだ。贈られたニンバス2000こそがその証なのだと理解した。
 
「僕だって、負けないよ? 僕もクィディッチの選手になりたいんだ。だから、ライバルだよ?」

 アルの言葉にハリーは慌てたように涙を袖で拭い頷いた。

「うん。僕、なってみせる。負けないよ、アル!」
 
 ニヤリと笑みを浮かべて言うハリーにアルも笑い返した。

 それから俺の誕生日パーティーや山でのクィディッチの練習で瞬く間に日にちが経ち、ロンの家に行く日が来た。既にネビルとハーマイオニーはロンの家に泊まっているらしいとフクロウ便で報せてくれた。
 ロンの家のある隠れ穴へは煙突飛行粉を使う事になり、俺はハリーにやりかたを説明した。咳き込まないコツを特に入念に……。
 暖炉に煙突飛行粉を一掴み投げ入れて炎が緑色になるのを確認すると、出発の間際にエドとマチルダにキスをして、最初にアルが出発した。
 その次はハリーだった。炎が緑色になるとハリーは俺達の家族に振り向いて、深々と頭を下げた。マチルダが力強く抱き締めると、ハリーは真っ赤になりながらも焦らずに目的地を言って出発した。
 最後は俺の番だった。これでお別れなわけじゃない。学校へ出発する日はちゃんとキングス・クロス駅に来てくれる事になっている。だけど、しばらく離れ離れになる。俺は最後にもう一度ソーニャとジェイクに抱き締められ、深く二人の香りを吸った。二人から頬にキスをされて、俺もキスを返し、隠れ穴へ出発するギリギリまで目を閉じずに四人を見つめた。
 やがて視界がグルグルと回転し、気が付くと、俺はロンの家の暖炉に到着した。暖炉を出ると、狭い部屋に所狭しと人が居て、皆一斉にニッコリ笑った。

「いらっしゃい!」

 俺も負けじと笑顔を浮かべた。

「お邪魔します!」

第四話「隠れ穴」

 悲鳴が響いている。巨大な力を前に逃げ惑う者、抗おうとする者、皆一様に最後には嘆きと絶望の悲鳴をあげる。彼等の敵の力はあまりにも強大で、力の差は蟻と象ほどもある。そして、俺はそんな彼等の敵だった。彼等の少し力を加えれば潰れてしまいそうな小さな頭を摘み、そのまま彼等の体をグルグルと回転させる。今にも首がねじ切れて、頭と体が分離してしまいそうだ。俺は指を離した。彼らの脆弱な肉体は天高く舞い上がり、遥か彼方へ飛んで行く。
 助けを求める懇願も憎しみの篭った怨嗟の声もただの耳障りなBGMでしかない。ただ淡々と同じ作業を繰り返す。
 俺達は今、庭小人の駆除をしていた――――。

第四話「隠れ穴」

 ウィーズリー家に来てから既に数日が経っていた。隠れ穴には今、ウィーズリー家の人だけでもロンの母親のモリー、パーシー、フレッド、ジョージ、ロン、それにロンの妹のジニーの六人が居る。他の兄弟は家を離れているから居ないけど、今はそこに俺とアル、ハリーがお邪魔して居る。それに、先客としてハーマイオニーとネビル、それにフレッドとジョージの親友のリー・ジョーダンまで居る。合計十二人だ。大家族のウィーズリー家と言えど、許容オーバーだ。
 寝室の数もまったく足りず、リーはフレッドとジョージの部屋で寝泊りする事になり、ネビルはロンと一緒に寝る事になった。俺達が来る前にもう部屋割りが決まっていたらしく、俺とアルとハリーは三人一組でロンの兄の部屋に押し込まれた。ちなみにハーマイオニーは女の子だから、ともう一人の兄の部屋を頂戴していた。
 賑やかを通り越して騒々しくなった隠れ穴では食事の準備も大変だった。とてもモリーだけでは手が足りず、俺とハーマイオニーが手伝いを申し出た。俺とハーマイオニーは魔法を使った料理に中々馴染めなかったものの、モリーからの指導を受けながら何とかこなした。
 他の家事も三人で手分けをして動き回ったから、ここ数日で俺達三人は一番長く一緒の時間を過ごし、色々な壁を越えた友情を育んだ。それほど大変だったのだ。
 ハリーやアルが手伝いを申し出てくれはしたのだけど、服の洗い方があまりにも雑だし、掃除をすればよけいに汚くするだけで完全に戦力外……どころか足手まといでしかなく、モリーによってウィーズリー家家事担当部隊から追い出されてしまった。
 何とか家事が一段落すると、今度は庭小人の駆除にみんなで繰り出しそれが終わったらすぐまた家事に戻る。そんな日々だった。

「僕達クィディッチの練習に行って来るね!」

 そう元気良く言うアルに思わず夕食に使うかぼちゃを投げつけてやろうかと思った。
 最初こそ家事に追われる俺達に気を使っていたけど、ここ最近はそんな気遣い一切無い。どうやら、こっちはこっちで楽しくやっているものだと思っているらしい。
 ハーマイオニーも苛々した調子で、

「料理にタバスコを一瓶入れてやろうかしら」

 と言った。冗談めかして言ってるけど、目が本気だった。
 あの連中と来たら、掃除をしない代わりに掃除した端から家中を盛大に汚し、真心篭めて作った料理には不満をばら撒き、干した洗濯物に体当たりをかまして台無しにしてくる。
 特にフレッドとジョージとリーの三人は常にみんなを驚かそうと企み、こっちの仕事を盛大に増やしてくれる。掃除をしないアル達は大喜びで三馬鹿を絶賛するものだから余計に腹が立つ。
 ハーマイオニーも俺もふつふつとどす黒い感情が湧き起こるのを抑えられなかった。
 爆発させないで居られるのは単に同じ境遇の存在が居るという事と、もう一つ、モリーが常に冷静だったからだ。勿論、モリーは毎日怒声を上げているけど、決して家事に手を抜く真似はしなかった。料理にもたっぷりの愛情を篭めているのが凄くよく分かり、どんなに大変で、どんなに腹立たしく感じても俺達も家事の手伝いを放棄する気にはならなかった。
 どうして、この状況で平気で居られるのか、と聞くと、モリーは困った様な顔をして言った。

「それは私が母親だからだよ」

 そう言われてしまうと何も返せなかった。ただ、母は偉大、という言葉の意味が凄くよく分かった。
 
「とりあえず、私達もあの馬鹿連中の事を一端同世代として扱うのやめましょ」

 ハーマイオニーの提案に頷いた。幼稚園児の世話をするつもりになると、焼け石に水を掛けるくらいにはマシになった。
 クソ爆弾をよりにもよって台所で爆発させた三馬鹿は洗濯物と一緒に逆さ吊りにしたりもしたけど、折角作った料理を嫌いな物が入ってるからと言って吐く真似をした猿の為に翌日から猿の嫌いな物だけを用意したけど、洗濯物に箒で突っ込んで泥だらけにしたガキ共に延々終わらない庭の草むしりをさせたりしたけど、実に心穏やかに過ごす事が出来た。
 ウィーズリー家での日々は多忙の毎日で、いつの間にか新学期が目前に迫っていた。新学期の報せがフクロウ便で届き、どういう訳か、俺とハーマイオニーにへりくだる皆と一緒に明日、ダイアゴン横丁へ行く事になった。
 
「じゃあ、また庭の草むしりお願いね」

 夕飯が終わり、テーブルを片付けながら言うと、アルは決意を篭めた表情で立ち上がった。

「あ、明日ダイアゴン横丁に行くんだし、今日はゆっくりと……」
「やってね?」
「あ……、はい」

 素直で大変よろしい。逃げ出そうとする三馬鹿にはハーマイオニーが振り向きもせずに足縛りの呪いを掛け、とどめにモリーが渾身の睨みを利かせると、みんな静かに庭に出て行った。
 テーブルや食器を片付け終わり、全部の部屋のベッドメイクも終わらせて、シャワーも浴び終わると、俺はハーマイオニーと一緒にモリーに自慢のコレクションをみせてもらった。
 ギルデロイ・ロックハート。今、魔法界で大人気のアイドル魔法使いにモリーはメロメロだった。彼の著書もたくさんあって、俺も暇さえあれば読んでいる。彼のプロマイドを見ると、映画とは顔が少し違っていたけど、文句なしのハンサムな男だった。
 彼の真実を知った上で彼の著書を読むとちょっとむず痒い感じもしたけど、本の内容事態はティーンエイジャーの心を狙い打つものだった。夢中になっている内にすっかり彼のファンになってしまった。
 元々、映画や本で読んだロックハートは嫌いじゃなかった。ナルシストでお調子者な彼のキャラクターは見ていて飽きない。友達として接するにはちょっとアレだと思うけど、アイドルや俳優としては文句なしだと思う。
 それに、こうして一晩中語り明かしても語り足りないと思うくらい楽しい話題を友達と共有出来た事が嬉しかった。生前、誰かと共通の話題で一晩語り明かすなどなかった。
 実は明日、ダイアゴン横丁でロックハートのサイン会が行われる。本で行われる事だけは知っていたけど、日付までは知らなかったからウィーズリー家に届けられる日刊預言者新聞を毎日入念にチェックしていたおかげで分かった。ハーマイオニーは色紙に書いてもらうか、彼のプロマイドに書いてもらうか、それとも彼の著書の代表作に書いてもらうかで迷っていた。

「やっぱり、ここは本に書いてもらうべきじゃない?」

 俺の言葉にハーマイオニーは実に真剣な顔で頷いた。

「ここは王道で行きましょう」

 よく考えたら先生としてホグワーツに来るんだから、サインはいつでももらえる、という事に気づいたのはダイアゴン横丁のフローリシュ・アンド・ブロッツ書店で彼を見た時の事だった。

 翌朝、煙突飛行粉で無事にダイアゴン横丁に到着すると、皆バラバラになり、最終的にフローリシュ・アンド・ブロッツ書店で落ちあう事になった。俺はアル、ハリー、ロン、ネビル、ハーマイオニーと一緒にダイアゴン横丁の散策に繰り出した。六人でぞろぞろと歩いていると、ギャンボル・アンド・ジェイプスいたずら専門店でフレッド、ジョージ、リーの三人が【ドクター・フィリバスターの長々花火―火なしで火がつくヒヤヒヤ花火】を買い溜めしていて、アル達も目を輝かせて中に入ろうとしたから「家では絶対に使わないでね」と釘を差しておいた。ハーマイオニーがジロリと睨み付けると、三馬鹿はさっさと逃げて行ってしまった。
 小さな雑貨屋ではパーシーが小さな本を熱心に読んでいた。からかおうとするロンをハーマイオニーが止めて、邪魔をしないようにさっさと移動する事にした。ロンはパーシーが嫌いらしく、如何に彼が優秀さを鼻に掛けた鼻持ちならない性格かをとうとうと語ったけど、ハーマイオニーは

「パーシーは努力をしたのよ」

 と一言でバッサリだった。

「なんか、二人共僕達に対して刺々しくない?」

 とアルが言うから、

「パーシーは誰かみたいに家事の邪魔をしないからね」

 とニッコリ返しておいた。
 モリーが言ったのだ。

『どんなに仲の良い友達でもちゃんと線引きをしないといけないの。どんな事をしても許していたらお互いに成長が無いし、いつかは関係が壊れてしまうものなのよ? 喧嘩をしたら仲直りをすればいいのよ』

 その言葉を聞いて、俺はよく考えたらアルと喧嘩をした事が無い事を思い出した。いつも俺はアルの真っ向からぶつけられる気持ちから逃げてばかりいた。それは生前も同じだった。
 ぶつかる事を恐れて逃げてばかりいたら、誰もぶつかって来てくれなくなる。そうなったら終わりなのだ。
 だから、ちょっとだけ意地悪をしてみたり、こっちからぶつかってみる事にした。
 それに、正直家事を邪魔されて苛々したのは事実だった。

 その後、薬問屋や鍋屋、マダム・マルキンの洋装店で学校で必要な物を揃えて、イーロップのふくろう百貨店でナインチェ用の餌を買った。フローリシュ・アンド・ブロッツ書店に行くまでは時間があったから、フローリアン・フォーテスキュー・アイスクリームパーラーでサンデーを食べながら時間を潰し、時間になったらから高級クィディッチ用品店で足を止めかけたアル達を引っ張り、フローリシュ・アンド・ブロッツ書店にやって来た。
 サイン会は既にスタートしていて、書店の外まで行列が出来ていた。うんざりした顔を浮かべるアル達を尻目に俺とハーマイオニーは書店の前に陳列されたロックハートの著作を手にとって既に並んでいたモリーの下へ向かった。書店の奥はまさにアイドルのサイン会みたいになっていた。ロックハートのチャーミングな笑顔が所狭しと並んでいて、草色のローブを纏った本人は一人一人に丁寧に対応をしている。
 日刊預言者新聞の記者が忙しく写真を撮っているのを尻目にロックハートはバッと立ち上がり、ハリーの下へ一直線に歩いて来た。

「もしや、ハリーポッターでは?」

 ロックハートはハリーの手を掴むと、奥へと連れ込んでいってしまった。それから始まったのはハリーにとっての公開処刑……写真撮影会だった。心底嫌そうな顔をするハリーとニッコリ爽やかな笑顔の眩しいロックハートの二人は実に対照的で、ハリーには悪いと思うけど、見ていて面白かった。
 ロックハートが重大発表と銘打って報告した、ホグワーツの教師就任の一言を聞いた時のハリーの絶望的な表情は忘れられない。ハーマイオニーの黄色い叫びについでに便乗してみると、アルとロン、ネビルの凄い嫌そうな顔が目に映った。ロックハートが先生なんて、凄く楽しそうなんだけどな……。
 ハリーが戻って来ると、いつからそこに居たのか、マルフォイがニヤニヤしていた。

「良い気分だったろう、ポッター?」
「あれ? マルフォイ君もサインもらいに来たの?」

 俺が言うと、何か言いかけていたマルフォイは凍りついた表情を浮かべて俺を見た。

「君、まさか……」
「俺、最新作に書いてもらうんだ」
「まあ、ユーリィ! 彼の自伝に書いてもらうべきだわ!」
「でも、自伝でも最新版が出たりするじゃない? それならどれに書いてもらってもいいかなって」

 俺がどれにサインをもらうかハーマイオニーと話していると、マルフォイは視線をハリーに戻した。

「まったく、あんなののサインをもらう為に並ぶなんて正気とは思えないね」

 呆れたようにマルフォイがそう口にすると、書店に居た全ての客の視線がマルフォイに集中した。
 
「こらこら、ドラコ。書店で騒ぐものじゃない」

 そう言って、マルフォイの肩に手を掛けたのはマルフォイに良く似た中年の男性だった。

「息子が騒いでしまい申し訳無い」

 マルフォイ氏が上品な顔立ちで頭を下げると、みんな肩を竦めながら顔の位置を元に戻した。
 丁度、俺の順番が回って来たので、俺もマルフォイ達から視線を逸らした。
 日記を手に入れるにしても、まずは日記が一度ジニーの手に渡らないといけない。今、なすべき事は……、

「あ、ユーリィ君へって、お願いします」

 サインを貰って、握手をしてもらう事だ。

「私、しばらく手を洗わない……」
「それはさすがにどうかと思うよ……」

 ハーマイオニーにツッコミを入れていると、ウィーズリー氏とマルフォイ氏の言い争う声が聞こえた。
 それにしてもロックハートのサイン会の日を調べておいて良かった。別の日に来ていたらマルフォイ氏からジニーの手に日記が渡る事は無かったわけだから……。
 ロックハートに感謝だ。

 何だか喧嘩に発展しそうになっていたけど、途中で乱入したハグリッドによって喧嘩は強制終了した。

「また、学校でね!」
 
 と、父親と去っていくマルフォイに言うと、アルに叱られてしまった。

「去年、あいつが君に何をしたのか忘れたのか!?」

 カンカンに怒るアルに許して貰おうと、今日の夕食はアルの好物にすると言うと、瞬く間に機嫌が戻った。
 思ったより、チョロイな、と思ってしまったのは内緒にしておかないとね……。
 帰る途中、重たそうにしていたからジニーから鍋を受け取った。アルが「僕が持つよ」と言ったけど断って、俺はさっさと目的を果たした。
 本当にあるのか自身は無かったけど、鍋の中には一冊の黒い表紙の薄くて小さい日記帳があった。
 これで……、第一の条件はクリア出来た。俺は……第一の分霊箱【トム・マールヴォロ・リドルの日記】を手に入れた。
 本当にロックハートには感謝だ。サイン会を開いてくれて、ありがとう。
 

第五話「アンノウン」

 これは夢……。100%に限り無く近い確信がある。俺は椅子に座っていて、目の前には父さんが居る。ジェイクじゃない。俺の……日本人だった頃の父さん。新聞を読み耽っているその姿は記憶にあるままで、凄く懐かしい。父さんの後ろには台所に立つ母さんが居る。包丁を軽快に振って、調理をしている母さんの後姿に涙が零れた。
 声を掛けたい。なのに、声が出て来ない。言葉が出ない。
 昔は違ったんだ。学校であった事を話して、母さんは笑って聞いてくれた。父さんも困った顔をしたり、笑ったりしながら聞いてくれた。
 どうやって話していたんだろう?
 違う。そうじゃない。どうして、俺は母さんや父さんと……どうやって、どんな言葉で会話をしようか、なんて考えているんだろう?
 
第五話「アンノウン」

 窓から差し込むくすんだ白い光で目が覚めた。瞼を開いて最初に目に映ったのはアルの寝顔だった。ロンの兄のウィリアムの部屋は長男の部屋なだけあって、ウィーズリーの家の中でも夫妻の部屋に次いで特に大きい作りになっている。それでも三人で寝泊りするには無理がある。ベッドに一人、床に敷いた毛布に二人という組み合わせで寝るしかなく、毎日ジャンケンでベッドの所有権を争う日々が続いた。
 アルとハリーを起こさないように毛布から抜け出し、俺は庭に出た。そんよりと曇った空に朝日はまだ登ったばかりで、他に誰も起きてくる気配は無い。
 今日、いよいよ夏休みが終わってホグワーツに出発する。やるべき事は二つある。一つは日記帳の力を利用してバジリスクを倒す。二つ目はバジリスクの牙で日記を破壊する。
 日記はトランクの中に既に確保してある。去年から続けている閉心術の訓練も形になってきている。とは言え、実践で使ってみなければ確証は無いのだけど……。
 他人の心は鏡であり、鏡を通して己の心を識り、覆い隠す。言葉にすれば容易く、実践しようとすればとても難しい。
 イメージは出来ている。自分の心を自分と切り離して視る感覚。思いも記憶も何もかも真っ黒に塗り潰して誰にも見えないようにするイメージ。それが俺の閉心術だ。
 ぶっつけ本番は怖いけれど、やるしかない。

 洗面所で鏡を見ると、酷い顔だった。白い肌に緊張のせいで皺が出来ている。緊張さえ解ければ消える筈だけど、リラックスなんてとても出来そうに無い。眉も不安そうな瞳の上でギュッと寄ったまま動く気配が無い。
 落ち着け。そう何度も自分に言いきかせた。顔を水でばしゃばしゃ洗っていると背中に気配を感じた。ハッとなって振り返ると、アルが立っていた。

「どうしたの?」

 心配そうに見つめてくるアルの顔を見て、浮かない気分を少し忘れる事が出来た。
 大丈夫だよ。そう言おうとして、無理に笑顔を作ろうとしたら、アルは俺の瞳を覗き込むようにエメラルドの瞳を向けて来た。

「泣いてたの?」

 心臓がギュッと締め付けられた。ヤバイ。今、心を揺さぶられるのはヤバイ。

「ただ、顔を洗ってただけだよ」
「おい!」

 誤魔化すように背中を向けると、腕を掴まれて振り向かされて、壁に押し付けられた。

「何度言わせるつもりなんだ?」

 言って、アルは溜息をつく。ジロリと睨まれて身震いする。
 
「ユーリィ。僕が優しく聞いてる内に答えてくれないか? 強硬手段に訴えかけたくなんかないんだ」
「なにを言って……」
 
 何とか逃げ口を探そうと視線を彷徨わせていると、アルは俺の顔の直ぐ横の壁を殴った。鈍い衝撃音に呼吸が乱れ、体が凍りついた。アルの体は十二歳の誕生日を迎えてから成長期に入ったらしく、身長が伸びて、筋肉もついてきている。まだ、成長期の始まらない俺との体格差は開くばかりで、凄まれると、あっと言う間に体が恐怖で支配されてしまった。
 モリーから逃げずにぶつかれ、と言われたのに、ぶつかる勇気があっと言う間に折れてしまった。

「誤魔化すのは無しだ。これ以上内緒事を増やすって言うなら――――」
「……増やしたらどうだって言うの?」

 目尻に堪っていた涙が堪え切れなくなり、頬を伝って床に滴る。日記の事やバジリスクの事で気が気じゃなかったのに、理不尽な言葉を浴びせ掛けられて堰を切ったように言葉が飛び出した

「俺はアルの何? 自分の行動を逐一報告しなきゃいけない義務なんて無い筈でしょ? もう、構わないでよ!」

 言ってから後悔の波が一気に押し寄せた。憂鬱だった気分に任せて酷い事を言ってしまった。
 アルは心配して俺に声を掛けてきてくれているのに、その気持ちを台無しにして、あろう事か八つ当たりをしてしまった。
 謝らなきゃ。謝って、許して貰わないと、そう思って顔を上げると、アルはもう俺を見て居なかった。

「アル……、あの……、ごめんな――――」
「謝るなって、これも何回言ったっけな」

 俺の言葉を遮るようにアルは言った。唇をきゅっと結んで俺を一瞥すると、アルは洗面所から出て行ってしまった。慌てて追いかけようとして、足を縺れさせて転んでしまった。
 惨めだった。自分の都合で勝手にキレて、八つ当たりして、とうとうアルに愛想を尽かされてしまった。
 鼓動が耳にうるさいくらいに響く。片手を胸に当てると、心臓が掌の下で激しく脈打っている。座りこんで、感情の波が静まるのを必死に待った。こんな顔で皆の前に出て行くなんて出来ない。
 頭の中では一つの単語だけがぐるぐると回っている。

――――嫌われた。

  
 荷物を纏める間もキングス・クロス駅に向かう道中でも、9と3/4番線のホームで見送りに来てくれたソーニャ達やモリーに別れを告げている時もアルは許しを与えてはくれなかった。
 みんなもさすがに俺とアルとの間で起きている冷戦に気づいたみたいだけど、アルはそっけなく返すだけで、俺もその事に触れようとすると舌に呪いを掛けられたみたいにまともに話す事が出来なくなって、やむなく様子見に徹する事にしたらしい。
 ドビーはどうやら俺を信じてくれたらしく、ハリーをホグワーツ特急に乗せないという荒業に打って出る事は無かった。
 哀しくて、その日の記憶は曖昧だった。ハーマイオニーが気を使って話しかけてきてくれたけど、生返事を返す事しか出来なかった。
 そして、深夜――――、俺は夢を見た。
 怖い夢だった。みんなが離れていく夢。ソーニャとジェイクが俺を突き飛ばし、追いすがろうとする俺から目を背けて去って行く。アルもハリーもネビルもハーマイオニーもロンもみんな去って行く。
 置いて行かないで。独りにしないで。何度叫んでも、誰も振り返ってはくれない。
 寂しくて、哀しい夢だった。
 夢はその日だけじゃなかった。翌日も翌々日も同じ夢を見た。その理由に気が付いたのはホグワーツが始まってから五日後の事だった。毎日悪夢に魘されて睡眠不足だった俺は独りで窓の外の星を眺めていた。その時に不意に思い出したのだ。ダイアゴン横丁で手に入れたリドルの日記の存在を……。
 分霊箱はヴォルデモートの半身だ。不世出の開心術の達人であるヴォルデモートは他人の心の闇を容易くからめとる。どうやら、俺は先手を許してしまっていたらしい。トランクから日記帳を取り出すと、俺はそっと寝室を抜け出して談話室に降りた。黒い皮表紙の小さな日記帳には間違いなくリドルの名があった。
 心がざわめく。この日記帳のページを一枚捲った瞬間、もう後戻りは出来なくなる。閉心術が上手くいかなければ、日記の中のヴォルデモートに俺の全てを知られてしまう事になる。物語としてのハリーポッターの出来事を知られれば、それはあらゆる意味で致命的だ。
 英国を恐怖のどん底に叩き落とした暗黒の魔法使い。その名が宿す恐怖の言霊に俺は心臓を鷲掴みにされたかのような錯覚を覚えた。
 何も怖がる必要なんて無い。そう、自分の心にいいきかせた。何度も深呼吸をして、俺は日記の表紙に手を掛けた。

「あれ? ユーリィ?」

 びっくりして日記帳を落としてしまった。
 慌てて後ろを振り向くと、そこにはロンが立っていて、眠たそうに目を擦っている。

「どうしたの? こんな時間に」
「なんだか眠れなくてさ」

 ロンは欠伸を噛み殺しながら俺の横に座った。

「あれ? 何か落ちてるよ? 日記?」

 床に落ちた日記を拾おうとするロンに慌てて俺はストップを掛けた。

「だ、大丈夫。自分で拾うから!」

 日記帳をポケットに押し込んで漸く一安心すると、ロンは怪訝な顔を向けて来た。

「君、本当にどうしたんだい? アルともあんなに仲が良かったのに、最近、君達が話してる所を見た事が無いよ」
「べ、別にどうもしてないよ……」
「ふーん」

 ロンは立ち上がると寝室の方に歩き始めた。

「お、おやすみ」

 ロンは片手を振りながら寝室に戻って行った。 
 俺も何だか眠くなって来てしまった。
 日記はまた明日にしよう。寝室に戻って、みんなを起こさないように静かに瞼を閉じた。
 そして、また夢を見る。いつもとは違う夢だった。
 生まれる前の記憶。
 俺がまだ日本人だった頃の記憶。

――――誰もお前を愛していなかった。

 母さんは成績が悪いと怒る。けど、成績が良かった日も「そう」としか言ってくれない。運動会や文化祭にも来てくれない。授業参観にも来てくれない。
 父さんは俺に興味が無かった。テレビドラマであるようなキャッチボールをした事も無い。
 友達は誰もいなかった。
 周りに居たのは俺を日頃のストレスを発散するためのサンドバックとしか思っていない人達ばかりだった。

――――お前の人生は無意味だ。

 毎日殴られて、毎日罵られて、毎日誰かの機嫌を伺う日々。
 誰も俺を見てくれない。誰も俺を愛してくれない。誰も俺を……。

――――お前はまた独りになる。

 いじめっ子の顔はいつの間にかアルやハリー達の顔に変わっていた。
 父さんと母さんの顔はソーニャとジェイクの顔になっていた。

――――お前に生きている価値は無い。

 止めて。

――――お前の事を愛する人間なんて居ない。

 止めて。止めて。

――――お前は永遠に一人ぼっちだ。

 止めて。止めて。止めて。

――――お前は独り寂しく死ぬ運命にある。

「ユーリィ!!」

 頬に感じた衝撃で目が覚めた。瞼を開くと、アルの顔があった。久しぶりに見るアルの顔は酷く心配そうだった。
 俺の事を心配してくれたの? そう思うと、俺は我慢出来ずにアルの胸にしがみ付いて泣いた。幸か不幸か、寝室にはもうアル以外は残っていなかった。
 アルは俺が泣き止むまでずっと胸を貸してくれた。
 乱れた心が静まるまでかなりの時間を要した。
 漸く泣き止んだ俺にアルはホッとした表情を浮かべた。

「怖い夢見たのか?」
「……うん」
「そっか……」

 アルは何も言わずにポンポンと俺の背中を叩き、「そうか」と繰り返した。

「アル……」
「……ん?」
「……ごめんね」
「……俺もごめん」

 アルと俺はしばらくそのまま口を閉ざした。
 
「朝ごはん……食べに行こう」

 アルの言葉に俺は頷いた。
 ほぼ一週間振りの俺とアルの和解にハリー達は心底安堵した表情を浮かべた。
 申し訳無いと思う気持ちの他に、ハリー達の気持ちが嬉しかった。そのせいで、俺は浮かれてしまっていた。
 日記の事を忘れ、俺は日々を過ごした。悪夢も見なくなり、平穏な日々が過ぎていった。
 
 日記が無くなっている事に気が付いたのはハロウィンの前日だった。
 ハリーがゴーストのほとんど首なしニックの誘いで絶命日パーティーに参加する事になったと聞いて、分霊箱の事を思い出し、俺はその日の夜に慌てて日記を探した。最初はどこかに紛れ込んでしまったのかと思った。だけど、どんなに探しても日記は見つからなかった。
 最後に見た時の事を思い出そうにも、悪夢の事やアルとの確執の事で頭がいっぱいだったせいで思い出せない。
 ハロウィンの当日、俺は絶命日パーティーには後で合流すると言って、日記を探した。寝室にはどこにも無かった。

「一体、どこに……?」

 焦っていると、寝室にロンが入って来た。

「どうしたの?」

 慌てた様子の俺にロンは驚いたような顔を向けて来た。
 そう言えば、最後に日記を見たのはロンと話をした時だった気がする。その時、俺は談話室に居たと思う。
 俺は慌てて談話室に降りて日記を探した。談話室に残っていた生徒達は何事かと目を丸くしたけどそれどころじゃない。
 日記が見つからない。それはつまり、ヴォルデモートの分霊箱を紛失させてしまったという事だ。泣きそうになって探していると、ロンが俺の肩を叩いた。

「一体、どうしたんだい? 何か探し物?」
「あの……おれ、日記を探してるんだ。その……、このくらいのサイズの黒い表紙のなんだけど……」

 駄目元で聞いて見ると、驚いた事にロンは見た事があると答えた。

「少し前だったかな……。黒いそのくらいのサイズの手帳を誰かが持ってたのを見たよ」
「本当!? それは誰!?」

 俺は掴みかからん勢いで問い掛けた。
 ロンはううん、と眉を寄せて記憶を辿り、アッと声を上げた。

「そうだ。ディーンだよ」

 ロンの言葉に談話室中を見回した。ディーンの姿は無い。もしかしたら、ハロウィンパーティーにもう行っているのかもしれない。
 ディーンは談話室に落ちていた日記を偶然見つけたのだろう。そして、それを自分用の日記にしようと決めたに違いない。勇猛果敢なのと同じくらい軽率な性格なのがグリフィンドール生だ。

「ディーンならさっき大広間に向かってるのを見たよ」
「本当!?」
「急いでるなら、最近近道を見つけたんだ。それで行こう」
「うん!」

 ロンの後に続いて俺は走った。
 ロンが目撃してくれていて本当に良かった。
 日記が無くなったら、最悪ヴォルデモートを倒せないかもしれないところだった。
 ロンは廊下の途中で急に立ち止まると、石像の裏の壁に手を突っ込んだ。

「ほら、ここが近道になってるんだ。先に通って!」
「う、うん!」

 驚いた。まるで9と3/4番線のホームの入り口みたいになっている。中は円形の作りになっていて、走って通り抜けると、人気の無い廊下に出た。
 一瞬、ここがどこだか分からなかった。

「ロン。大広間へはどっ――――」

 その瞬間、俺の体は激しい衝撃と共に宙に浮かんだ。
 地面に叩き付けられ、息が止まった。直後、真紅の閃光が走り、全身を引き裂かれたかのような激しい痛みが走った。

「これ……は……?」

 意気絶え絶えに状況を確認しようとすると、目の前にロンが立っていた。
 何者かの襲撃。このままだとロンまでが危険に晒される。

「ロン……にげ、て!!」

 必死に叫ぶ俺を尻目にロンはゆったりと膝を屈めて、俺の髪を掴むと顔を上げさせた。

「愚かだね。ユーリィ・クリアウォーター。まったく、お粗末な閉心術で僕を利用しようと企むなんて……なんて愚かなんだ」

 ゾッとした。ロンじゃない。見た目はロンだけど、中身はまったくの別人だ。

「だれ……だ?」
「とっくに分かっているんだろう? まあ、敢えて聞きたいというなら構わない。名乗ってあげようじゃないか。僕の名は……ヴォルデモート卿だよ。愚かなクリアウォーター」

 息が詰まった。ばれていた。俺の計画がバレてはいけない人物に知られてしまった。
 何とかしないと、そう考える頭とは裏腹に体はピクリとも動かなかった。

「みんなハロウィンパーティーに向かってる。好き好んで来る奴は居ない。どういう事かわかるかい?」

 ロンの皮を被った若かりし頃のヴォルデモート……リドルは笑顔を浮かべながらいった。

「助けには誰も来ない。実を言うと、僕も君の心を全て読めたわけじゃないんだよ。肝心な部分が閉心術のせいで読めない。だから……」

 リドルはロンの杖を俺の腕に押し付けた。

「君の口から直接聞く事にした。まあ、磔の呪文を使うのが手っ取り早いのだが……、折角の手駒を使い潰すわけにもいかないからね。すぐにバレないよう、少々スマートとは言えないやり方をさせてもらおう」
 
 そう言って、リドルは俺の腕を切り裂いた。あまりの痛みに意識を失いそうになり、リドルは気付けの呪文を俺に掛けた。

「さあ、話す気になったかい? ん?」

 俺が黙っていると、リドルは容赦無く今度は俺の指を手で掴むと無理矢理曲がらない方向へ折り曲げた。
 絶叫が轟いた。それが俺の声だと気づくのにしばらく掛かった。痛い、苦しい、助けて、俺の頭の中にあるのはそれだけだった。

「助かりたいなら言いたまえ。もっとも、言わないなら別にそれでも構わないよ。そうなったら、次は君の秘密を知っていそうな奴を拷問にかけるだけだ」

 その言葉を聞いた瞬間、俺は痛みも忘れて杖を抜いた。明滅する視界の中に存在するロンの姿に俺は石化の呪文を唱える。

「まったく、友人になんて真似をするんだ。最低だな、クリアウォーター」

 嘲るように言うリドルに俺は必死に呪文を唱えた。
 だけど、ふらつく体では狙いも定まらず、逆に俺の体は削られ、燃やされ、穴を空けられていく。

「まったく、なんて強情さだ。だが、許そう。ヴォルデモート卿は勇敢さを賛美する。手向けだ。貴様の為にゲストを呼んであるぞ」

 その言葉が何を指し示すかは直ぐに分かった。バジリスクを呼ぶ気だ。
 死ぬ。それが分かった瞬間、俺の脳裏はやけに静かになった。やるべき事は一つだ。俺は最後の力を振り絞って、自分の体に杖を向けた。
 最後に目に映ったのは――――窓ガラスに反射した黄色い瞳だった……。

「っち、確実に殺しておきたかったのに」

 それが俺の耳が最後に捉えた音だった。

――――俺は……失敗した。

Side out…

第六話「アルフォンス・ウォーロックⅠ」

第六話「アルフォンス・ウォーロック Ⅰ」

もう直ぐニックの絶命日パーティーが始まるって言うのに何をしているんだろう? 忘れ物を取りに行くと言ったっきり、ユーリィが戻ってくる気配が無い。亡霊達の宴会なんて面白くもなんともないだろうけど、ユーリィが約束事をすっぽかすとは思えない。

「俺、ちょっと様子を見てくるよ」

ハリー達に断って寮への道を引き返す途中、上階から微かに悲鳴が聞こえ、俺の全身は冷や水を浴びせられたように震えた。声の主が誰なのか直ぐに分かった。
途中ですれ違う奴等を押し退けて、悲鳴のした場所に向かうと、誰かが倒れているのが見えた。
最初はただ転んで倒れてしまっただけだと思った。
ほんの一歩、進んだ瞬間にそれが間違いだと気が付いてしまった。むせ返るような血の臭いが鼻腔を突き、目の前が真っ白になった。
獣の雄叫びのような声が轟いた。それが俺の声だと気づいたのは血だらけになり、呼吸も心臓も止まったユーリィの死体の傍に膝を落とした時だった。喉が潰れるのも構わず俺は吼えた。感情が制御出来ない。怒りや悲しみや絶望や寂しさ。もう、今俺が感じてるのはどんな感情なのかすら分からない。ただ叫んだ。叫び続けた。
俺の声を聞きつけた誰かがやって来て悲鳴を上げた。悲鳴は悲鳴を呼び、瞬く間に俺とユーリィは多くの生徒と先生によって取り囲まれた。
誰かがユーリィに触れようとしやがった。俺の感情は【怒り】に収束し、拳を振り上げた。

「ユーリィに触れんじゃねえ!!」

どよめく声にも構わず、俺はユーリィの死体を抱き締めた。力の限り殴ってやったのに、手の主は懲りずにまた俺からユーリィを奪おうとした。
指一本でも触れてみろ。その瞬間にテメエを殺してやる。そのくらいの勢いで俺は再び拳を振り上げた。だけど、今度は別の誰かに止められた。

「止さぬか!! 誰に拳を向けておるのか分かっておるのか!?」

それが誰の声だったかも忘れた。ただ、邪魔をするならこいつも殺すだけだ。俺からユーリィを奪った奴を殺してやる。逃げても追いかけて殺してやる。出来る限りの苦痛を与えてから嬲り殺しにしてやる。

「止めるのはお主の方じゃ、セブルスよ。今、この子は全てが敵に見えておる。致し方無い事じゃ。殴って冷静さを取り戻せるならば、ワシは幾らでも殴られようぞ」

誰かの手が頭に載せられた。そこで漸く、俺は目の前の人物がダンブルドアである事に気が付いた。
拳を振るった事も忘れて、俺は頭を地面に擦りつけた。

「助けて……くれ、先生。ユーリィを助けてくれ、先生」
「ああ、分かった。クリアウォーター君は必ず救うと約束しよう」

そう、ダンブルドアはアッサリと答えた。

「……え?」

間抜けな声を上げて顔を上げる俺をダンブルドアは優しく抱き締めた。その暖かさに俺は少しずつ冷静さを取り戻す事が出来た。

「お主の気持ちは痛い程によくわかる。じゃが、今はクリアウォーター君を医務室に運ばなければならぬのじゃ。ついて来てくれるのう?」
「助かるんですか!? ユーリィは助かるんですか!?」

俺はダンブルドアに掴みかかるように問いただした。背後で誰かが静止する声が聞こえたが、ダンブルドアは俺ではなく、静止の声を抑え、力強く頷いた。

「クリアウォーター君は死んでは居らぬ。仮死状態になっておるのじゃ。癒す方法もある」
「ほんとうに……?」
「ワシの言葉では信ずるに値せぬかね?」

俺は首を力の限り横に振った。ダンブルドアなら助けてくれる。そう信じた。いや……、縋った。

「お願いです……、ユーリィを助けて下さい」

頭を下げる俺にダンブルドアは深く頷いた。

「誓おう」

ユーリィの体はスネイプが運んでくれた。いつもは嫌味な先生だけど、ユーリィの体に傷を付けないように丁寧に運んでくれた。保健室に向かう途中、小言を言われたけど、右から左に流れていった。
運ばれるユーリィの体は酷い有り様だった。右腕は千切れかけ、左手の指は半分以上が奇妙に折れ曲げられている。体のあちこちには火傷や凍傷、傷口が無数にあって、何が起こったのかは明白だった。
保健室に着き、ポンフリーはユーリィの容態を見るや否や恐ろしい形相を浮かべた。よく見れば、マクゴナガルやあのスネイプまでが憎悪に顔を歪めている。

「こんな、子供に拷問を行うなど……ッ」

ポンフリーは怒りで声も出ない様子だった。

「先生。助けてくれよ。こんな傷、先生なら治してくれんだろ!?」

俺の言葉にポンフリーは瞼を固く閉ざし、怒りをやり過ごそうとしている。

「ええ、もちろん。傷一つ残しませんとも! ええ、傷は癒せます。でも、心は癒せません!!」

ポンフリーの怒声に俺は思わず言葉を失った。
マクゴナガルやスネイプも僅かに目を見開いている。

「十二歳の!! こんなか弱い子に!! 拷問!! 心に傷を負ったに決まっています!!」

怒りで顔を真っ赤にしながらポンフリーは杖を振って様々な薬品を奥の部屋から運んだ。

「さあ、出て行ってください!! 直ぐにでも治療を開始しなければ!!」

俺は一秒でもユーリィと離れるのは嫌だったけど、ダンブルドアに手を引かれ、渋々廊下に出た。

「ミネルバ。今すぐにあの廊下を調査するんじゃ。セブルス。君はスプラウト先生にマンドレイクの生育状況を聞いてくるんじゃ」

二人の先生は頷くと同時に駆け出した。後に残された俺はダンブルドアを見上げた。その時になって、ダンブルドアが常の穏やかな笑顔を消し去り、険しい表情を浮かべている事に気づいた。

「マダム・ポンフリーの仰られた通りじゃ」

ダンブルドアは言った。

「心の傷は彼女でも癒せぬ。癒せるとすれば、それは愛情や友情をおいて他に無い。マンドレイクさえ収穫出来れば、クリアウォーター君も目を覚ます事じゃろう。その後はお主等の仕事じゃ。分かったのう?」
「……はい」

俺が頷くと、ダンブルドアはニッコリと微笑んだ。

「まず、彼を治すのはマダム・ポンフリーの仕事じゃ。今日のところはお主も寮に戻るが良い」
「……俺、ここに残ります」
「いつまで治療に時間が掛かるか分からぬぞ?」
「それでも……傍に居たいんです……」
「……ならば止めはせぬよ。ワシから深夜の外出許可を与えよう。くれぐれも体を壊さぬようにのう?」
「……はい。それと……」
「なんじゃ?」
「さっき、殴ってしまって……その、ごめんなさい」

頭を下げる俺にダンブルドアは優しく微笑んだ。

「友を思っての拳じゃ。お主はそれを振るう資格があり、わしはそれを受けねばならぬ義務があった。校長でありながら、校内でみすみすこのような事態を許してしまったのじゃからな」
「……先生」
「さて、まずは君達のご両親にフクロウ便を送らねばな」

そう言いながら、ダンブルドアは杖を一振りした。
すると、保健室の前に大きくてふかふかのソファーとブランケットが現れた。
もう一振りすると、ソファーの横に机が現れ、その上に湯気のただようホットチョコレートのカップが五つ現れた。
チョコレートの数が五つもある理由はすぐに分かった。廊下を走ってくるハリー、ロン、ネビル、ハーマイオニーの四人の姿があったのだ。
四人とも血相を変えた様子で駆け寄って来た。

「アル!! ユーリィは!?」

真っ青な顔をしてハリーが口を開くと、同時に保健室の扉が開いた。
騒ぎすぎたのだろうか? ポンフリーは険しい顔で俺達を見回すと、ダンブルドアに言った。

「校長先生。こちらに来ていただけますか?」
「俺も!!」
「なりません!!」

慌てて追いかけようとする俺にポンフリーは怒鳴り声を上げた。ポンフリーの怒鳴り声に凍りつくハリー達を尻目に俺はダンブルドアを見つめた。

「なりません!!」

再びポンフリーは叫んだ。

「マダム・ポンフリー。この子達はあの子の事が心配なんじゃ。通してやってはくれぬか?」

ダンブルドアの言葉にポンフリーはふるふると首を振った。

「なんでだよ!?」

苛々して叫ぶと、ポンフリーは苦渋に満ちた表情で言った。

「あんな物を子供に見せるわけにはいきません」
「あんな物……? あんな物ってなんだよ!?」

俺はポンフリーに掴みかかった。ハーマイオニーが慌てて止めに入ろうとするけど、ハリーが押し留めてくれた。

「まさか、ユーリィに何かあったんじゃないだろうな!?」
「そうじゃありません!! とにかく、中に入る事は許しません。あなた達は寮にお戻りなさい!!」

そう言うと、ポンフリーはダンブルドアだけを中に入れて扉を閉ざしてしまった。あまりの怒りに俺は扉を思いっきり蹴っ飛ばしたけど、魔法で閉ざされた扉はびくりともしない。

「ちくしょう!!」

ソファーに座りこむと、誰もが黙り込んだ。誰も彼もがユーリィの無事を祈り、ただ時が経つのを待っている。
しばらくして、ハーマイオニーがおもむろに口を開いた。

「それにしても、あの血文字は何だったのかしら?」
「血文字……?」

何の事かさっぱりだった俺にハリーが教えてくれた。
俺がユーリィを探しに行ってしばらくして、上の方が騒がしくなったのを聞きつけたハリー達は俺がユーリィを見つけた廊下に行ったらしい。そこには夥しい量のユーリィの血が散乱し、壁に一部分には文字が書いてあったそうだ。

「『秘密の部屋は開かれたり。継承者の敵よ、気をつけよ』って書いてあったんだ」

ハリーの言葉に俺は壁を力の限り殴った。
あまりにもふざけている。

「拷問しただけじゃ飽き足らずにユーリィの血でそんな悪ふざけしやがったってのか!?」
「……でも、秘密の部屋って一体……」

眉を顰めるハーマイオニーにハリーはハッとした表情で言った。

「そう言えば、ドタバタしてて忘れてたけど、僕、ユーリィが家に迎えに来てくれた日に――――」

ハリーが言葉を言い終わる前に、突然保健室の扉が開いた。
中から現れたダンブルドアは俺とハリーの手を取ると、「来なさい」とだけ言って中に招き入れた。
ハーマイオニーとロン、ネビルの三人が慌てて後を追おうとしたけど、彼等の目の前で扉は勢い良く閉ざされた。
ダンブルドアは俺達をユーリィの下へ連れて来た。ユーリィの体は廊下で発見した時に比べて格段に綺麗になっていた。
千切れ掛けていた腕はぴったりとくっつき、折れ曲がっていた指も真っ直ぐになっている。白く滑らかな肌には穴が空いていた痕跡すら残っていない。ユーリィの体は完璧な治癒を施されていた。
ある一点を除いて……。

「これは……?」

ユーリィの胸から腹部に掛けて、奇妙な傷があった。ほぼ消え掛けているものの、まるで文字のように見えた。

「これはポンフリーに頼んで君達に見せるために敢えて残して貰ったものじゃ。後でこの傷も完璧に消して貰う事になっておる」
「この傷はなんなんですか? まるで、文字みたいな……」

ハリーの言葉にダンブルドアが頷いた。

「然様……。これは文字じゃよ」

文字と言われても見た事の無い文字だった。韓国のハングルや日本のひらがなに似ている気もするけど……。

「これは日本で使われておるカタカナというものじゃ」
「カタカナ……?」
「日本という国は世界で尤も複雑な言語を操る民族でな。普段、日常の中で漢字、ひらがな、英語、カタカナを使い分けておる」
「よ、四種類の言語をですか?」
「正確には四種類の文字体系じゃな。特にカタカナは余程日本という国に精通していなければ判読が難しい。クリアウォーター君は咄嗟に暗号としてこのカタカナを利用したのじゃろう」
「ユーリィが!? じゃあ、まさか、この傷は!?」

俺は言葉を失った。ユーリィの体に刻まれた痛々しい傷の文字はユーリィ自身が刻んだものだと言うのだ。

「なんて……、なんて書いてあるんですか?」
「傷はこう読む事が出来る。『敵 ヴォルデモート。手段 日記とバジリスク。狙い ハリー。アル 逃げて』とな」

俺もハリーも言葉を失った。ユーリィが自身に刻んだ文字の意味はあまりにも信じ難く、恐ろしい内容だった。
だと言うのに、俺の心に湧き起こった感情は俺自身理解出来ないものだった。
俺は歓んだのだ。敵の正体が分かった事に歓んだ。

「ヴォルデモート。ユーリィをこんな目に合わせやがったのがヴォルデモートだってんなら、殺してやる」

俺の言葉にハリーはギョッとしたように目を見開いた。

「殺してやる。絶対に殺してやる。ユーリィをこんな目に合わせやがって!! どこに逃げても探し出して殺してやる!!」

ヴォルデモートという名前に対する恐怖すら無かった。ただ、どんな手を使ってでも殺してやる。それだけが俺の頭を埋め尽くしていた。

Side out…