あとがき

これにて完結となります。
物語の合間の話や物語後の話など、サイドストーリー的なのは今後もちょこちょこ書くつもりですが、それはまたいずれ……。
それでは、長い間、ユーリィとアルフォンス、二人の物語にお付き合いいただき、ありがとうございました。

完結となりましたので、活動報告に掲載した裏話的なものをここにも……

実を言うと、幾つかエンディングを考えてたんだけど、一番ハッピーなエンディングになりましたー。
書きながら、実際にこの場面になったら主人公達はどういう選択をするかなーって考えながら書いていたら、この結末に辿り着いたよ@w@;
最悪なバッドエンドへの入り口はユーリィの性格を考えて書いてたら素通りしちゃった。
目覚めたユーリィが違う選択をしたら、アルとユーリィが殺し合って、グラストンペリー・トーが嘆きの丘になる予定でした・w・ン予言完全実現END
あと、アルが愛を本気で殺そうとした場合、吸魂鬼が出る前に愛を殺せて仕舞うので、そうなるとユーリィが自分の命を絶ってしまい、これまた嘆きの丘での予言完全実現ENDⅡ
キャラが勝手に動くって、こういう事なのかなって思いました。他にも色々バッドエンドフラグがあったんですけど、主人公達の現在の性格や心情を念頭に執筆していると、見事に回避していくんですよね……。
ヴォルデモートが生存した事で、真終章における最大のバッドエンドのユーリィ死亡も回避されちゃったし・w・実はヴォルデモートがハリー達との戦い死んだ場合、ヴォルデモートの魔法で肉体を作り上げたユーリィは数年後に体が崩壊を始めて、アルと死に分かれるというのを想定してました。
あの時、ヴォルデモートの勇気と勇敢さの違いについての語りでハリーが殺意を覚えるかどうかって感じだったんですけど、ハリーなら怒りはしても殺意なんて持たないなって思って、回避されちゃいました。校長先生も同様……。
いつか、面白いオリジナルの小説を書きたくて、実験も兼ねて、色々試行錯誤を作品中でしてたりするんですけど、今回のハリポタSSではミステリー要素を入れてみました。
伏線をいろいろ振り撒いて、最期に回収するのは雨生龍之介がバーサーカーを召喚したらでもやってたのですが、今回のは伏線から回収時の展開をある程度予想出来るようにするというのが課題でした。
真章にて明かされた全ての謎を真章を読む前に解けた人が居たらかなり嬉しいです。真剣に謎解きする読者が解けない推理小説は駄目だって、好きな作家さんが言ってたので……。
実はジャスパーの自分の名前が嫌いというのも、ジャスパーの正体にある程度気付いた段階の人に対する最期の秘密へのヒントだったりします。

敢えて、もう一度言うと、真序章に入る前に全ての謎を解けた人が居たら、それは最高の喜びです。

ではでは、ユーリィ・クリアウォーターという一人の少女?少年?の長い人生にお付き合いくださり、重ね重ね、ありがとうございました。

最終話「ユーリィとアルフォンス」

最終話「ユーリィとアルフォンス」

 電車に揺られながら、アリシアは初めて見る日本の風景に目を輝かせた。

「おい、あんまりはしゃぐなよ」

 ディビッドは座席に膝立ちになって歓声を上げる妹を叱り付けた。
 まったく、何がそんなに面白いのかディビッドには理解出来なかった。日本の町並みはセンスの欠片も無い。最新のデザインの建物と旧式デザインの建物が混在していて、凄くごちゃごちゃしている。
 料理は美味しい。それは認める。だけど、そんなの家でだって食べられるし、この国のレストランの味が母の料理の味を越えているとはとても思えない。
 折角、ホグワーツから帰って来て、家族揃って海外旅行をする事になったのに、こんな国より、中国とか、婆ちゃんの故郷のロシアに行ってみたかった。自国の分化を大切にしない国は嫌いだ。
 チラリと父母の方に視線を向けると、ディビッドは盛大な溜息を零した。結婚してからもう十九年も経つというのに、二人は見ていて恥ずかしいくらい愛し合ってる。もう、とっくにおっさんとおばさんだってのに、いい加減にして欲しい。年頃の息子に対する遠慮というものが全く無い。
 二人共、何かを囁き合いながら、窓の外の光景に夢中になっている。それより娘を注意しろってんだ。ほら、また騒ぎ始めた。

「デイブ、見て見て!!」
「静かにしろっての。何だよ?」

 妹は今年からホグワーツに入学する。こんな幼稚さでやっていけるのか不安で仕方が無い。何を見てるのかと思ったら、雲の形がウサギに見えると抜かしやがる。
 アルバスの所が羨ましい。少なくとも、弟が理性的だから責任を全部押し付けられる。自分はというと、悪夢の再来。アリシアに続き、母さんは悪魔をもう一人この世に誕生させた。
 母さんに腕に抱かれて眠っている赤ん坊の名前はアリアナ。癇癪持ちの女の子。
 もう、四十台の癖にどうしてこう、うちの両親は年甲斐ってのが無いんだ……。

「デイブ」

 自分の立場に苦悩していると、父さんが声を掛けて来た。

「次の駅で降りるから準備しろ」
「了解。ほら、アリシア。降りるぞ」
「はーい!」

 しっかり手を繋いでやらないと、この悪魔はさっさと一人で迷子になろうとする。
 鼻歌混じりで手をブンブン振り回すアリシアに溜息が零れる。

「なあ、父さん」
「なんだ?」
「こいつ、ちゃんとホグワーツでやってけるかな?」

 商店街らしき場所を歩いていると、アリシアはどう見てもつまらない物にまで興味を示し、目を輝かせている。不安だ。

「エルシーは好奇心旺盛だから、レイブンクローになるかもな。俺はまったく不安に思わないぞ」

 こいつがレイブンクローだって? 冗談言うなよ。
 知性を持ち合わせない野生動物のような妹がレイブンクローに行けるとは思えない。行ったとしても、絶対に上手く行く筈が無い。

「我が家のアイドルはホグワーツでもきっと人気者になるに決まってるさ。まあ、野郎が寄って来るのは歓迎出来ないがな」

 この駄目親父。人の本質ってもんを見抜けていない。この野生動物が人気者になるだって? 見世物小屋のライオン扱いが関の山だろう。

「母さんはどう思うんだ?」

 矛先を母さんに向けてみる。

「ママもエルシーは大丈夫だって思うわよ。デイブが心配するのも分かるけど、エルシーは上手くやるわ。ね?」
「うん」

 エルシーはくすくす笑いながら頷いた。聞いてたのかよ……。
 
「デイブ。安心しろ。エルシーはお前が思ってる以上にしっかりしてるよ」
「そうかなぁ」

 とてもそうは思えない。母さん似でおっとりしてるし、目を離したら虐められやしないだろうか……。

「まあ、どうしても不安ならしっかり守ってやれよ。お前はお兄ちゃんなんだからな」
「ったく、面倒臭いなぁ」

 お兄ちゃんって立場は本当に面倒だ。せめて、アリアナは知性的な女に育って欲しい。

 愚痴を零しながら妹の手を引いて先を歩く息子にアルフォンスは苦笑した。

「なんだか、昔の私達みたいだね」

 妻の言葉に「まったくだ」と返し、妻の胸でむずがる天使にちょっかいを出す。
 
「でも、本当に安心したわ……」

 アルフォンスを嗜めながら、ユーリィは言った。

「正直、妊娠した時はちゃんと産めるか不安だったもの……。この体はとても特殊だし、流産しちゃうんじゃないかって」
「まあ、その辺は奴に感謝してやらないとな。奴が儀式の詳細な情報を資料にまとめてくれたから、ユーリィはこうして生きてるし、こうして子供達に囲まれて一緒に居られる」

 アルの口にする【奴】とは勿論、嘗ての時代、闇の帝王と恐れられた魔法使い、トム・リドルの事。トムはアズカバンでは無く、ヴォルデモート卿の登場以前に史上最悪の闇の魔法使いと謳われたゲラート・グリンデルバルドが収監されている、彼自身の建てたヌルメンガードに入れられた。
 吸魂鬼が彼にとって脅威に当たらない事が最たる要因だ。彼は十年間、大人しく囚人生活を送った後、様々な論文を発表し、魔法界全体に様々な波紋を引き起こした。三桁を優に越える魔法や魔術に関する論文によって、彼の世間からの評価は少し改められる事となった。一般的な魔法使いが血筋を重ねて到達するであろう研究成果を彼は次々に発表し、過去の悪行に対する恐れは人々から薄れ、偉大な魔法使いの一人として認知され始めている。
 私の肉体は本当なら数年で朽ち果てる筈だった。元々、分霊箱という魔法と併用して使う魔法だったらしく、それ単体で作り上げた肉体は所詮仮初の物に過ぎなかった。
 にも関わらず、妊娠して、出産を経験し、今や三児の母となれたのは彼が己の研究を更に進め、私の肉体を完全な物とする方法を考案してくれたおかげだ。その為に、ダンブルドアも彼に協力を惜しまず、新たな儀式に必要な希少な素材を全て集めてくれた。その中には賢者の石の霊薬もあった。
 ヴォルデモート卿の名には恐れを抱き、トム・リドルの名には敬意を抱く。それが、今の魔法界の人々の彼に対する印象だ。

「……本当に感謝しなくちゃね。彼のおかげで、私はこんなにも幸せな人生を送れているんだもの」

 しみじみそう思う。一人目の男の子が生まれた時の痛みと衝撃、そして喜びは忘れられない。
 ディビッド・ジャイコブ・ウォーロック。名前の由来は【愛される者】。誠が生まれてくる赤ん坊の為に考えた【愛】という名前から考えた名前。ミドルネームのジェイコブはもちろん、パパの名前。
 二人目として産まれて来た娘にはアリシア・ソフィーヤ・ウォーロックと名付けた。アリシアは【誠実な者】という意味。誠の名前から考えた名前。そして、ミドルネームはママの名前。
 去年の冬に生まれた次女はママが名前を付けた。アリアナ・マチルダ・ウォーロック。【神聖なる者】という意味。数奇な運命の果てに産まれた子だから、とママは言った。
 出産の痛みは慣れるものじゃないけれど、それでもこの子達と出会う為の通過儀礼であるなら、と耐える事が出来た。もう、私もアルも四十歳のおばさんとおじさん。もう少ししたら、お婆ちゃんとお爺ちゃんって呼ばれる事になるかもしれない。
 
「もう直ぐ着くな……」

 孫に囲まれる余生を思いながら、ボーっとしていると、アルの声に現実へと引き戻された。
 そこはお墓だった。小さなお墓を前にデイブは不満そうだけど、我慢してもらう。お墓参りが終わったら、もっと観光地っぽい所に連れて行くから、と約束して、私達は彼女の墓の前に立った。
 墓標にはこう刻まれている。

《冴島 誠の墓》

 全てに一段落がついた後、私達は一度日本を訪れた。そして、私の記憶にある彼女の家の近くの寺に彼女の墓を作ってもらった。
 この世界はやっぱり、誠の世界とは少し違うみたいで、冴島という苗字の家は無かった。だけど、せめて生まれ故郷の日本に帰らせてあげたかった。辛い思い出もたくさんあるけど、ここは間違いなく、誠の故郷だから……。
 ここに来るのは凄く久しぶり。報告する事が山のようにある。骨があるわけじゃないけど、私は目を閉じて、誠に語り掛けた。
 結婚した事。子供が産まれた事。子供の名前の事。

「母さん……?」

 デイブは心配そうに近づいてきた。

「泣いてるの?」
「……あ」

 知らない内に涙が零れていた。

「大切な人だったの?」
「……そうよ。とても、大切な人。大切な……」

 誠と私の関係はとても複雑。だから、言葉で説明するのはとても難しい。
 だけど、確かに言える事がある。
 誠の存在は私にとって、かけがえのない存在だった。彼女が居なければ、私の今は無い。
 私は彼女の存在によって、数奇な運命を歩む事になった。彼女の存在のおかげで、愛する人との今がある。愛する子供達との今がある。
 悲しみや怒り、絶望の先に私は希望を得る事が出来た。そんな彼女をどう表現すればいいのだろう。
 親友?
 姉妹?
 家族?
 ドッペルゲンガー?
 どんな言葉をもってしても、表現なんて出来ない。

「大切な運命……かな?」
「……母さん、大丈夫か?」

 心配の方向性が変わったのが分かる。でも、敢えて訂正はしない。

「さあ、そろそろまた移動しましょう」

 私達はお墓を後にした。すると、一瞬、背後で誰かが微笑んだ気がした。
 振り返っても誰も居ない。
 だけど、確かにそこに黒い髪の女の子が居た気がした……。

 宿泊先のホテルで私は今日の出来事を日記帳に記した。新しい体になってから新たに加わった日々の習慣の一つ。最初は、トムが私の延命法を完成させられるか分からなかったから、私という存在を少しでもこの世に残しておこうと思って始めた事だった。
 今では恐ろしいページ数になってる。と言っても、日記帳には魔法が掛かっていて、見た目は薄さ一cm程度。見たい思い出を頭に浮かべながら開くと、そのページが開く。
 例えば、ハリーとハーマイオニーの結婚式やネビルとルーナの結婚式。それに、ロンとアステリアの結婚式。
 ハリーはホグワーツ卒業後に闇祓いでは無く、ウェールズ地方のケアフィリに本拠地を持つケアフィリー・カタパルツのシーカーとして活躍した。ハリー・ポッターの初試合の活躍を一目見ようと試合のチケットの奪い合いが起こり、プレミア価格にまで値段が張り上がったチケットを開始五分で無駄にした彼のプロ初試合超速攻勝利は今でも語り継がれる伝説の一つに数えられている。今は引退して、魔法省の魔法ゲーム・スポーツ部の部長に就任している。
 ネビルは最初、ジニーとお付き合いしていたんだけど、程なくして二人の関係は終わってしまった。その後、どういった経緯かは分からないけど、ルーナと一緒に居る事が多くなり、二人は一緒にホグワーツの教員となった。ネビルは薬草学で、ルーナは魔法薬学。二人の間にどんなロマンスがあったのかはネビルが必死に隠そうとするので分からず仕舞い……という事にしている。実はルーナがこっそり教えてくれたけど、彼のプライバシーの為に秘密にしておく。今もネビルは教師を続けている。
 ロンとアステリアの婚約には本当に驚いた。切欠はアステリアが闇の世界に行こうとしていた事だった。ドラコの死に絶望したアステリアは自暴自棄になっていた。その時に、闇祓いになったロンが彼女を引き止め、その後、ロンが強引にアステリアの相談役を買って出て、ついにゴールインした。ちなみに、息子の名前はドラコ・アーサー・ウィーズリー。
 日記帳には他にもたくさんの思い出が詰まっている。
 ジャスパーが癒者になると言い出した日や、本当に癒者となり、聖マンゴ魔法疾患傷害病院に就職し、そこで出会った女性と恋に落ちた経緯も詳細に記載されている。
 でも、一番多いのはアルとの思い出だ。アルと過ごした三十七年はまさに光り輝く日々だった。これからも、その日々は続いて行く。
 私は日記帳にあの台詞を刻んでいる。

 ※※※※

“My great miseries in this world have been Heathcliff’s miseries, and I watched and felt each from the beginning: my great thought in living is himself.”
――――“私にとっての苦しみはヒースクリフのものでもあったわ。どっちの苦しみも初まりから見て来た。味わって来た。生きていて、一番の心配事は彼自身の事”

“If all else perished, and he remained, I should still continue to be; and if all else remained, and he were annihilated, the universe would turn to a mighty stranger: I should not seem a part of it.”
――――“もしも、彼以外の全てが消えてなくなってしまったとしても、彼が残っていれば、私は存在し続ける。そして、彼以外の全てがあっても、彼が消えてしまったら、この宇宙は凄くよそよそしい存在になってしまって、私がその一部分だなんて、思えなくなる”

“My love for Linton is like the foliage in the woods: time will change it, I’m well aware, as winter changes the trees.”
――――“私のリントンへの愛なんて、森の木の葉みたいなものよ。私にはよく分かっているの。冬が来れば、木の葉が変わるように、時が経てば変わってしまうわ”

“My love for Heathcliff resembles the eternal rocks beneath: a source of little visible delight, but necessary.”
――――“でもね……、私のヒースクリフへの愛は、足下にある永遠の岩にも似たものなのよ。別に、見ていて楽しい物ってわけじゃないけど、無くてはならない物なの”

“Nelly, I am Heathcliff! He’s always, always in my mind: not as a pleasure, any more than I am always a pleasure to myself, but as my own being.”
――――“ネリー。【私はヒースクリフなのよ】。私は私自身にとって、必ずしも喜びを与えるものではないのと同じように、彼も喜びとしてではなく、私自身の存在として、彼はいつでも私の心の中にいるの”

 ※※※※

 彼女の生き方全てに共感を抱いたわけじゃない。だけど、キャサリンがヒースクリフを己自身だと言った思いには共感出来る。
 私にとって、アルは私自身だ。彼が苦しい時、私も苦しいと感じる。彼が悲しい時、私も悲しいと感じる。彼が幸せだと感じる時、私も幸せだと感じる。
 私はアルフォンス・ウォーロックを心から愛している。彼の存在は私の全て。彼に与えられた愛に私は生きる実感を得る。
 キャサリンのように離れる選択なんて、私には選べない。だけど、キャサリンがヒースクリフを無くてはならない物と称したように私もアルを無くてはならない物と思っている。
 酸素や水のように生きて行く上で必要不可欠なもの。
 例え、死が二人を分かとうと、この愛が消える事は無い。そう、私は信じている。

…END

第三話「ユーリィの願い」

第三話「ユーリィの願い」

 変身術の教室の隅に座るママはとてもやつれていた。私は皆に廊下で待っていて欲しいとお願いして、一人でママの前に立った。
 不安があった。私は変わってしまったから、ママに私が私なんだって、分かってもらえるか、凄く不安だった。グラストンベリー・トーに助けに来てくれたみんなは私の事を直ぐに分かってくれたけど、それはあの教会に居たのが私だけだったからかもしれない。
 いざ、ママに話し掛けようと思って、まごついた。どう、声を掛ければいいんだろう。つい、助けを求めてしまいそうになり、慌てて頭を振った。こんな時まで、アルに頼っちゃ駄目だ。深呼吸をして、ママに歩み寄った。すると、ママは私の存在に気が付いて、嬉しそうに顔を綻ばせた。

「おかえりなさい、ユーリィ」

 考えた台詞が一瞬で消し飛んでしまった。
 その後の事はあまり覚えていない。ママに抱き着いて、只管泣いていた気がする。気がついた時にはママの膝枕で眠ってしまっていた。
 誠の記憶のおかげで、女の子の体になった事を素直に受け入れられた。そう、勘違いしていただけだったんだ。本当は全然受け入れられてなんていなかった。
 ヴォルデモートに囚われているという極度の緊張が動揺を押さえ込んでいただけみたい。涙で爛れてしまった顔を洗おうとトイレで鏡を見た瞬間、私はパニックを起こして、ママに泣きついた。ママはずっと優しく撫でてくれた。ママとそっくりだった髪も目も全て変わってしまった私に変わらず接してくれた。
 ジャスパーの今後の事とか、いっぱい考えなきゃいけない事がいっぱいあるのに、私は幼い頃に戻ったみたいにママに甘えた。今日だけでいい。今日が終わったら、ちゃんとする。だから、今日だけはママに思う存分甘えたい。私の想いを察してくれたのか、連合の皆はそれぞれ突然仕事を思い出して、出て行ってしまった。
 
「ユーリィ」

 頭を撫でて貰っていると、ママは言った。

「あなたはこれからどうしたい?」
「これから……?」
「ママも……パパもユーリィの意思を何よりも尊重するわ。ユーリィがしたい事の為なら、何だって協力する。何か、やりたい事はある?」

 直ぐには答えられなかった。私はこれからどう生きて行けばいいんだろう。ユーリィ・クリアウォーターとして、生きて行っていいのかどうかすら分からない。
 だって、私の姿はすっかり変わってしまった。顔も体つきも完全に女性のものになってしまった。
 もう、学校にだって通えない……。

「何でもいいのよ。無理だって、自分で決めつけないで、言ってごらんなさい」

 まるで、見透かされているみたい。

「……学校に通いたいの」

 辛い事もいっぱいあったけど、私はホグワーツが好き。だって、ホグワーツには彼との思い出がたくさんある。
 彼とだけじゃない。ハーマイオニーやネビル、ロン、ドラコ。皆との思い出がいっぱいある。

「ユーリィ・クリアウォーターとして、生きたいの」

 ママとパパがつけてくれた私の名前。姿形は変わっても、私の名前は唯一つ。

「それに……」

 顔が赤くなるのを感じる。言うのが恥ずかしい。私は男の子だったのに、ママにこんな事を打ち明けるなんて、凄く気まずい。

「アル君とお付き合いしたいのね」
「マ、ママ!?」

 先に言われてしまった。恥ずかしさで死にそうになる。

「えっと……」

 ママは少し困ったような表情を浮かべた。

「アル君はユーリィの事を愛してるって、堂々と宣言してるわよ?」
「……え?」

 頭が真っ白になった。つまり、どういう事なの?
 ママは苦笑いを浮かべながら、私がヴォルデモートに攫われてからのアルの活躍や言動を語ってくれた。
 嬉しさ半分と、恥ずかしさ半分でのたうち回った。
 アルが私を愛してくれている。それは嬉しい。間違いなく嬉しい。だけど、そこまで堂々と公表しなくても良かったと思う。

「でも、少し前向きになれるんじゃない?」

 ママは言った。

「少なくとも、女の子になって、悪い事ばかりじゃないって事。アル君のお嫁さんになりたいんでしょ?」

 アルのお嫁さん。お嫁さん。

「お嫁さん……」

 真っ白なウエディングドレスを着た私と私を抱き上げるタキシード姿のアル。
 エプロン姿で彼にご飯を作って、彼と一緒に寝起きして、夜は彼と……子供は三人くらい欲しいかも。

「子供は三人くらい欲しいかも」
「……孫の名前は私も一緒に考えていいかしら?」

 そう言うママの顔はほんの少し、引き攣っていた。

「でも、アルのお嫁さんに……本当になれるのかな?」
「どうして?」
「だって、私って、今こんな状態だし……。法律上とか色々……」
「その辺りはきっと、スクリムジョールさんが何とかしてくれるわよ。なんていっても、あの人は今や魔法省大臣なんだし、きっと、相談に乗ってくれる筈だわ」
「……でも」
「アル君が本当にお嫁さんに貰ってくれるかが心配?」

 ママは苦笑いを浮かべている。
 私的には一番の懸案事項なんだけど……。

「アル君は間違いなくユーリィにゾッコンよ。それは間違い無いわ。まあ、告白してくれるかどうかは怪しいけど……。奥手とはとてもじゃないけど言えないけど、肝心な事を言わないタイプな気がするのよね、あの子。何て言うか、言わなくても伝わってんだろ! みたいな」

 出来れば、ロマンチックな告白とかされてみたい。だけど、アルにそういうのを期待するのは間違ってるのかな?

「試しに、彼に気持ちを聞いてみたらどうかしら? 同じタイプのエドにマチルダは熱烈アピールして、彼の心を鷲掴みにしたそうよ?」
「……それで、やっぱり元男は……って言われたら……」
「無いと思うけど……」
「だって、アルってモテるんだよ? 学年一の美人のパーバティが彼にアプローチしてるの」
「怖がっちゃだめよ。好きなら、彼の事を信用してあげなきゃ駄目。彼はユーリィを好きだと口にした。なら、その言葉を信じてあげなさい。彼はあなたを救う為に危険を冒して勇気を示したわ。なら、今度はユーリィが示す番じゃない?」
「……ママ」

 アルを信じる……。信じなかった事なんて無かったのに、初めて私は彼を疑っている。だって……、元々男だったなんて、あまりにもハードルが高い。
 どうして、初めから女の子として生まれてこなかったんだろうって、悔やみそうになる。でも、それは私を産んでくれたパパとママへの侮辱になってしまう。
 
「大丈夫」

 ママは私の頭を撫でながら言った。

「きっと、上手くいくわ。見た目は私にそっくりだけど、心はジェイクにそっくり。あなたの心にはジェイクから受け継がれた勇気がある。愛する人の心を得たいなら、戦いなさい」
「……パパ」

 涙が滲む。パパに会いたい。優しい笑顔で私の頭を撫でながら、私に愛を注いでくれたパパ。
 パパは私の為に勇気を示した。ヴォルデモートの心をも揺るがす勇気を示した。
 その息子なら……今は娘になっちゃったけど、勇気を見せなきゃ……示しがつかないよね。

「……頑張って見る」

 私は立ち上がった。私の勇気なんて、例えるなら今にも消えそうな弱々しい蝋燭の灯火。今、覚悟を決めなくちゃ。

「ママ……。わ、私、アルに会ってくる!!」

 ママは柔らかく微笑んで頷いた。

「二人でも、三人でも、それこそ四人だっていいから、ママに孫の顔を見せて頂戴ね」
「うん!!」

 元気良く頷くと、ママは拭き出した。何か、変な事を言っちゃったかな?
 とにかく、アルに会わないといけない。

「あ、少し待ちなさい」
「え?」

 立ち止まると、ママは杖を軽く振った。すると、顔の表面をふんわりした光が覆った。

「せめて、少しでも可愛くなってから行きなさい」

 泣きすぎてヒリヒリ痛んでいた目元からスッと腫れが引いていた。
 ママにお礼を言って、今度こそ、ママに言った。

「行ってきます!!」

 振り返って、扉から外に出て行く。外は暗くなっていた。
 もう、皆、寝静まっているのかもしれない。アルも、もう寝ちゃってるかも……。
 そう思って、グリフィンドールの寮の扉の前に立った。

「あらあら? 見掛けない子ね」

 太った貴婦人は目を丸くしながら言った。
 やっぱり、私がユーリィだと分からないみたい。当たり前だけど……。
 入ろうと思って、合言葉を口にしたけど、太った貴婦人は入れてくれなかった。合言葉は少し前に変わってしまったみたい。

「ユーリィ……?」

 困っていると、後ろから声を掛けられた。
 暗がりから姿を現したのはネビルだった。

「どうしたんだい?」
「あ、えっと……」

 ネビルの手には御馳走がいっぱい。

「あ、実は今、中でパーティーをしてるんだ。その……ヴォルデモートが倒された記念に。……素直に喜ぶ気になれないんだけど、ほら、皆の浮かれた空気に水を差したくないからさ」

 ネビルは言い訳染みた事を言った。

「あ、もしかして、中に入りたいの?」

 慌てて、私は頭を振った。パーティーの真っ只中にこんな姿で行けるわけがない。

「……えっと、アルを探してるの」
「……そっか」

 ネビルは少し寂しそうな顔をした。

「どうしたの?」

 尋ねると、ネビルはニコリと微笑んだ。

「アルなら、天文台に居るよ」
「天文台に?」
「パーティーには参加する気になれないってさ。あそこで本を読んでたよ」
「本を?」
「あんまり本を読むタイプじゃなかったと思うんだけどね」
「えっと、ありがとう、ネビル。私、行ってみるね」
「……ユーリィ」

 ネビルにお礼を言って、踵を返して天文台に向かおうとすると、ネビルが呼びとめた。

「なぁに?」
「……えっと、その……」

 ネビルは何かを言いよどんでいる様子だった。

「どうしたの? 具合……悪い? 大丈夫?」

 心配になって、近寄ると、ネビルは首を横に振った。

「……ユーリィ。僕も君が好きだったよ」
「え?」
「幸せになって欲しい。誰にも負けないくらい幸せになって欲しい。幸せで幸せで毎日が楽しくて仕方が無いって思える毎日を送って欲しい」
「ネビル……?」
「アイツが君を哀しませるような事をしたら言ってよ!! 僕、アイツをぶん殴ってやる」

 私、馬鹿だ。ネビルの思いに、今になって気付いた。でも、いつからだったのか分からない。私が女の子になったから? それとも、それよりも前から?
 ただ、言える事は一つだけ。私は彼に応えて上げられない。

「ネビル……」
「ユーリィ。君にはその資格がある。だって、世界を救ったのは実質的に君だ。君はヴォルデモートを救った。そして、世界を救った。だから、誰よりも幸せになって良いんだ。誰かが文句を言ったら、僕を呼んで!! 誰かが君の幸せを邪魔しようとしたら僕を呼んで!! 僕、戦うよ!! 君の為に戦う!!」
「ネビル」
「……僕じゃ、君に幸せはあげられない。だから、僕は祝福するよ。他の誰よりも祝福する」

 謝りかけた。だけど、必死に思い止まった。
 言い掛けた言葉を呑み込んで、違う言葉を口にした。

「ありがとう、ネビル。大好きだよ」
「……僕も大好きだ。行ってらっしゃい」
「うん。行ってきます」

 ネビルに手を振ると、彼は泣きそうな笑顔で手を振り返してくれた。
 こんな風に思ってくれる人が居たなんて知らなかった。ネビルの気持ちが凄く嬉しい。
 ネビルのおかげで、迷いは完全に絶ち消えた。
 必死に天文台に向かって走り、階段を駆け上がる。最後の一段を昇った瞬間、彼の姿が瞳に映った。
 月明かりを光源にして、一冊の本を読んでいた。あの背表紙は間違い無い。

「嵐が丘を読んでるの?」

 声を掛けると、彼は驚いた様子も見せずに頷いた。

「今まで、何度読んでも分からなかった」
「何が……?」

 アルは開いているページの一文を指でなぞりながら言った。

「ユーリィが気に入ってるって言ってた言葉……漸く、分かった気がする」

 アルは囁くような声で【その言葉】を謳いあげた。

“My great miseries in this world have been Heathcliff’s miseries, and I watched and felt each from the beginning: my great thought in living is himself.”
“If all else perished, and he remained, I should still continue to be; and if all else remained, and he were annihilated, the universe would turn to a mighty stranger: I should not seem a part of it.”
“My love for Linton is like the foliage in the woods: time will change it, I’m well aware, as winter changes the trees.”
“My love for Heathcliff resembles the eternal rocks beneath: a source of little visible delight, but necessary.”
“Nelly, I am Heathcliff! He’s always, always in my mind: not as a pleasure, any more than I am always a pleasure to myself, but as my own being.”

 そう、私の大好きな台詞。それは――――【I am Heathcliff】。

第二話「戦いが終わって」

第二話「戦いが終わって」

窓辺に立ち、アルと愛の戦いの顛末を見守りながら、私は私自身の事を思い返していた。結局、私は何者なんだろう。ずっと、冴島誠という少年が自分だと信じていた。でも、冴島誠は女の子だった。そして、自分とはまったくの別人だった。
 アルは私をただのユーリィだと言った。でも、ユーリィ・クリアウォーターは男の子であるべきだ。だけど、私はもう、自分を男だと思えない。性同一性障害というものなのかもしれない。今更、男として振舞えと言われても困る。だって、私はアルを……アルフォンス・ウォーロックを愛してしまっている。狂おしい程に彼を求めている。
 彼が私を助けに来てくれた時、嬉しくて仕方がなかった。こんな私の為に彼は命を賭けて救いに来てくれた。彼の命が危険に晒される恐怖よりも、私に対して怒りや憎しみを向けるかもしれないという恐怖よりも、喜びが先に立った。
 今更、アルを愛してはいけない、なんて言われても、無理だ。彼の事を思うだけで胸が苦しい。傍に居たい。一分、一秒だって、私は彼に寄り添いたい。
 私が何者であるか。その疑問に唯一答えられるとしたら、それは――――アルフォンスを愛する者。

「アル……」

 とても、魔法使い同士の戦いとは思えない爆発音の連続にハラハラしていると、空から吸魂鬼が現れた。アルと愛を襲おうとしている。
 無我夢中だった。ヴォルデモートがこの教会を去る前に返してくれた杖をポケットから取り出して、遥か上空に向けて振るう。

「エクスペクト・パトローナム!!」

 初めて使う呪文。だけど、使えないなんて思わない。私にとって、幸せな気持ちとは彼との時間。彼と過ごした一分、一秒が私にとって、何よりの幸福だった。この十五年間で感じてきた幸福な気持ちを杖に篭めると、ウサギの姿をした守護霊が飛び出してきた。
 ウサギ。ホグワーツに入学する前にアルがプレゼントしてくれたぬいぐるみ。彼は初めての魔法でぬいぐるみに命を与えてくれた。私が呟いた、ペットを飼いたいという願いの為に二年間も頑張って練習して、彼は私の願いを叶えてくれた。ナインチェを選んだのも、彼がくれたウサギのぬいぐるみみたいに愛くるしかったから。ウサギフクロウという名前に惹かれたのも理由の一つ。
 ウサギは私にとって、アルへの愛の象徴。私はもう、居ても立っても居られなくなった。
 傍に行きたい。もう、こんな場所に留まってなんて居られない。自分が何者であるかもどうでもいい。教会を出て、駆け寄ると、彼は愛を抱えながら、私に振り向いた。彼の微笑みはあまりにも魅力的だった。よく、私は今までこんなにも魅力溢れる男の子の傍に居て理性を保っていられたものだと思う。だけど、もう我慢の限界。ゆっくりと歩いてくる彼に私も歩み寄る一歩一歩、近づくごとに心臓が飛び跳ねる。

「ユーリィ」

 おだやかで心地良い声。距離にして一メートル。
 耐える事を私は放棄した。距離を自分からゼロにして、彼の唇に自分の唇を重ねた。彼は驚いたように一瞬、目を見開いた後、目を瞑り、私の口の中に舌を入れてきた。拒否する理由は無い。
 自分の中への侵入者を私は丁寧にお持て成しする。歯の裏をなぞって来る彼の唇の感触に脳髄が痺れる。なんて、気持ちが良いんだろう。彼の口の中を私も堪能したい。そう思い、彼の方に舌を入れようとすると、コホンという小さな咳払いが聞こえ、彼は私を遠ざけた。

「あ……」

 名残惜しさと、彼に遠ざけられたショックで、哀れっぽい声を出してしまった。

「邪魔をするようで申し訳無いんだけど、続きは二人っきりの時にやりなさいね」

 ハーマイオニーは呆れたように言った。途端に恥ずかしさが込み上げてきた。顔が真っ赤になる。
 
「ユーリィ」

 ハーマイオニーは私の顔を見つめながら微笑んだ。

「凄く、可愛いわね」
「……ありがとう」

 可愛いのかな。私には分からない。自分の顔の作りが誠とは違っている事は気付いていたけど、可愛いかどうかは自分だと判断出来ない。
 お世辞じゃないといいな。アルに愛して貰えるように、私は可愛くありたい。ヴォルデモート卿には感謝をしないといけないかも。少なくとも、服はとびっきり可愛い。彼のセンスなのだろうか? さすがは天才魔法使い。服飾にまで、その才能は及ぶらしい。
 その彼はというと、私達を穏やかな表情で見つめていた。杖を返して来てくれた時も同じ顔をしていた。

「あ、あの……」

 声を掛けようとすると、彼は踵を返し、マッドアイの下に向かった。

「どこへなりとも連れて行け。抵抗はせん」
「……分かった」
 
 マッドアイはヴォルデモートの手を取って杖を振り上げた。

「ま、待って!」

 慌てて呼びとめようとすると、彼は振り向かずに言った。

「……感謝する」

 次の瞬間には彼らの姿は掻き消えてしまった。姿くらましだ。アーサーも彼らを追いかけて姿をくらませた。
 
「君がユーリィ・クリアウォーターか」

 ハンサムな男の人に話しかけられた。誰だろう。見た事の無い人。

「私はシリウス・ブラック。君の話はよく聞いているよ」

 驚いた。彼があのシリウス・ブラックだなんて。映画だともっと野性味に溢れていたんだけど、実際に見る彼はとってもクール。

「……印象が君と直接会う前に二転三転してしまっていたが、まずは礼を言いたい」
「礼……?」
「私は君の証言のおかげでアズカバンの監獄から出る事が出来た。あまり、活躍出来なかったが、ハリーと共に戦う事も出来た。ありがとう」

 私は、彼に対して何て返せばいいんだろう。
 迷っていると、彼は更に続けた。

「それと、素直に尊敬するよ。君以外に、このような結果を齎せた人間は居ない。まさか、あの闇の帝王の心を陥落させてしまうとは……恐れ入る。ジェームズやリリーの敵を討てないのは心残りではあるがね」
「あの人はただ……」
「愛を求めていた。信じ難い話だが……それが事実なんだろうな。魔法界全体がとんだ茶番劇を演じたものだ。誰か一人でも、あいつに愛を教えてやってれば、それで全部解決していたなんてな……」
「シリウスさん……」
「だが、そんな真似が出来る人間はあまりにも稀であり、ヴォルデモートと近しい距離にあった人間の中には一人も居なかったという事なんだろうな」

 シリウスは溜息を零した。

「君も色々大変だったな。だけど、ここからは俺達大人が頑張る番だ。お疲れ様」

 シリウスは私の頭を優しく撫でると、アルに顔を向けた。

「幸せにしてやれよ」
「当然だ。言われるまでもない」

 頬が赤くなるのを感じる。幸せにするって、そういう意味だよね。
 
「ユーリィ」
「ひゃい!?」

 悶々としていると、ダンブルドアが話し掛けて来た。変な返事をしてしまった……。

「わしもお主を尊敬するよ」
「え?」
「わしは愛の力の信奉者じゃった。じゃが、真に理解はしていなかった。その事を痛感したよ。わしはヴォルデモートを君のように救う事が出来なかった」
「先生……」

 ダンブルドアは哀しそうに顔を伏せた。

「わしには機会があった。彼に愛を説く機会がのう。じゃが、わしは彼を疑い、機会をみすみす逃した。あまりにも愚かしい行いをしたと後悔しておるよ。その癖、わしはハリーに重責を担わせようとした。あまりにも罪深い……」

 ダンブルドアはいつもの活力に満ちた姿ではなく、どこか生きる事に疲れた老人を思わせた。

「グリンデルバルトに対しても、家族に対しても……わしは過ちを犯した。過ちだらけの人生じゃな」

 哀しそうに笑うダンブルドアに胸が締め付けられた。
 
「先生……」
「せめて、残り僅かな命……二度と過ちを起こさぬよう生きたいものよ」

 ダンブルドアは顔を上げると、言った。

「何はともあれ……ありがとう。トムを救ってくれた事に感謝する」
「先生……」

 何も声を掛けてあげられないのがもどかしい。でも、私に何も言う資格なんて無い。
 
「先にホグワーツに戻っておるよ。戦いは未だ、完全に終わりを迎えたわけではないのでな」
「先生!」
「お主はもう羽を休めるがよい。シリウスも言ったじゃろう? ここからは大人が頑張る番じゃと。お主が目を向けるべきはわしではない」

 そう言って、ダンブルドアは縛られている死喰い人達に向かって行った。

「この者達もわしが連れて行こう。シリウス、エドワード。子供達の事は任せる」
「お任せを……」

 エドが頷くと、ダンブルドアは死喰い人達と共に姿を消した。
 
「……ユーリィ」

 震えた声。ネビルだ。

「ネビル……」
「ユーリィ……なんだよね?」
「……うん」

 ネビルは深く息を吐いた。

「なんだか、凄く不思議な気分だよ」
「私もだよ。あんまり違和感とかは無いんだけどね……」
「そうなのかい?」
「誠の記憶のおかげかな。女である自分に拒否感とかは無い感じ。でも、やっぱり未だ慣れないな」
「……えっと、凄くその……」
「ん?」
「可愛いよ。うん、凄く可愛い」

 真っ直ぐに言われて、私はたじろいだ。

「あ、ありがとう」
「えっと、つまり……その……」
「ネビル?」
「ごめん。何だか、上手く言葉が出て来ないんだ。僕……」
「……ありがとう」

 ネビルは私の変化に途惑っているんだ。だけど、私を気遣って、戸惑いを必死に隠そうとしている。
 相変わらず優しい人。

「ネビルも助けに来てくれたんだよね。本当にありがとう」

 ネビルはお礼を言われて恥ずかしかったのか、顔を真っ赤にしながら頷いた。

「うん。僕……君を助けたかったんだ」
「ありがとう、ネビル」
「……ユーリィ」
「なぁに?」

 ネビルは口ごもりながら言った。

「ううん。何でも無い」
「ネビル?」
「それより、ロンも何か言いたいみたいだよ」
「あ、うん」

 ネビルに半ば押し切られる形で私はロンの前に立った。ロンはネビルを一睨みすると、困ったような顔を浮かべた。

「僕さ……、君に色々と迷惑を掛けてたじゃん」
「そんな事……」
「あるよ。僕のせいで、君は何度も酷い目に合った。だから、この戦いで少しでも償えるかと期待してたんだ。だけど、君ってば、肝心の敵の親玉を一人で倒しちゃってるんだもんな」
「償う事なんて無いよ。だって、ロンは全然悪くないんだもん。今だって、助けに来てくれて、凄く嬉しいよ」
「……君がそういう人だから、余計に辛いんだよ」
「え?」

 ロンは深々と溜息を零した。

「君を傷つける事がどれだけ罪深い事なのかを思い知らせてくれるよ。本当にすまなかった」
「ロン……」
「僕が時間を取るわけにはいかないから、そろそろ戻ってやれよ。一人で敵地に乗り込んじゃうくらい、君の事が好きで好きで仕方無い奴が居るんだ。ダンブルドアも言ってただろ? 君が目を向けるべきなのは僕達じゃない。ハリー達みたいに、二人だけの世界を堪能しなよ」
「……ロン」
「ハハッ、ネビルも言ったけど、君、本当に可愛いよ。性格だけじゃなくて、見た目までそう来ると、僕もちょっと揺らいじゃうな。そうなると、血を見る事になりそうだ。主に僕のね。それは怖いから、早く行ってくれ」
「う、うん」

 途惑いながら、ロンに押される形で私はアルの下に戻った。アルは愛を抱いたまま、ハーマイオニーとハリーと一緒にいた。足下には……ダリウスの遺体。

「ダリウス……」

 まるで、眠っているだけみたいに見える。今にも目を覚まして、冗談を飛ばしながらアルを訓練に誘い出しそうな、安らかな表情。
 彼の遺体を見つめるアルの瞳はとても辛そう。

「アル……」
「ったく、好き勝手やった挙句にアッサリ死にやがって……」

 アルは片手だけで愛の体――――つまり、私の元の体を支えると、杖を振るった。

「アクシオ。コルト・ガバメント」

 すると、黒光りする銃が飛んで来て、アルはダリウスの胸に置いた。

「アンタの事、許したわけじゃないけどよ……まあ、ゆっくり休めよな」

 アルはそれっきり、ダリウスから視線を外して私を見た。
 
「色々、話したい事があるんだけどな。まずは、こいつをどうにかしないとな」

 アルがかすかに愛の体を揺すった。

「うん」
「私達もホグワーツに戻りましょう。いつまでも、ここでグズグズしていても仕方が無いわ。学校の方がどうなっているかも気になるし」

 ハーマイオニーの提案で私達はホグワーツに戻った。すると、そこには夥しい巨人や狼男の死体があった。死喰い人らしき人達の死体もある。でも、幸いな事に生徒達の死体は見当たらない。
 マクゴナガル先生やスネイプ先生を初めとした、学校に残った連合の面々が奮闘したらしい。ヴォルデモートや主力となる戦力を欠いた死喰い人達は一方的にやられてしまったみたい。
 ちなみに、どうしてマッドアイ達が援護に駆けつける事が出来たのかっていう疑問の答えはマルフォイ夫妻のおかげだった。息子を死なせたヴォルデモートに対して、夫妻は嘗ての主君に対する恐れから完全に脱し、密かに情報収集の為にハリーを尾行させていたドビーから情報を掴んだ彼らはマッドアイ達に情報を伝えると、連合の一員として死喰い人達と戦ったそうだ。
 彼らに何てお詫びをすればいいんだろう。彼らの息子を死なせてしまった原因は私にもある。彼らの抱く絶望は計り知れない。
 
「言わない方がいいわ」

 ハーマイオニーは言った。

「彼らは怒りの矛先をヴォルデモートに向けた。だから、彼らの憎しみはこの戦いで完遂したのよ。なのに、また蒸し返したりしたら、いたずらに彼らを苦しめる事になる」

 ハーマイオニーの言葉に、私は迷いながら彼らと対面した。そして、ファイア・ボルトを返した。
 夫妻はとてもやつれていた。嘆きと哀しみに満ちた表情を浮かべている。
 謝るのは簡単だ。だけど、それで彼らを苦しめるなんて出来ない。だって、彼らはどんなに私を憎んでも、手を出す事が出来ない。元死喰い人という立場が許すという選択を彼らに強要してしまう。
 だから、私は何も言えなかった。二人と分かれる時、二人がファイア・ボルトを大切そうに眺めている姿に胸が締め付けられた。
 その直ぐ後に誠が目を覚ましたという話を聞いて、私は保健室で誠と会い、愛の事を託された。ロックハート先生が誠に忘却呪文を掛け、愛が目を覚ました。
 忙しく動き回り、気がつくと、空が茜色に染まっていた。

 私はまだ、ママに会っていない。

第一話「最後の真実」

第一話「最後の真実」

 とても哀しい気持ちになった。さっきまで、凄く楽しかったのに、今はもう全然楽しくない。
 吸魂鬼が私の幸福な気持ちを吸い取って行くせいだ。箒から落ちて、私は地面に真っ逆さま。あの時と一緒。また、死ぬんだ、私……。
 あの時も、本当は凄く怖かった。主人格の意思には逆らえなかったけど、本当は死にたくなかった。必死に手を伸ばした。だけど、誰も手を掴んでくれなかった。
 
「たす……けて」
「愛!!」

 私の名前を誰かが呼んだ。誰かが、私の手を掴んだ。
 主人格が……、ママがくれた私の名前を呼んでくれたのは、アル君だった。
 助けを求める私の手を掴んでくれた。愛しい愛しい勇者様が来てくれた。

「ああ、殺しに来てくれたのね」

 嬉しくて、涙が溢れた。身震いする程の悦びが全身に広がる。
 手に握っていた銃も杖も落としてしまった。涙で視界が歪んで、彼の顔が見えない。

「……お前、怯えてんのか?」

 アル君の酷く動揺した声が耳に入った。怯えてる。誰の事を言ってるんだろう。少なくとも、私じゃない。だって、私は快楽殺人鬼。そういう風に作られた人格。だから、殺し、殺される事が至上の悦び。
 この涙も震えも歓喜によるもの。

「助けてって、言ったよな……?」

 そんな事、言う筈がない。言う資格なんかない。

「愛……。お前は……」
 
 産まれた瞬間に血に塗れた私が誰かに助けを求めるなんて、許される筈が無い。
 私の役割はママの嫌な事を受け持つ事。ママは本当は誰かを傷つけるなんて嫌だった。知らない男の人に抱かれるのも嫌だった。傷つけられるのも嫌だった。
 だから、私が代わりになった。ママが傷つける代わりに私が傷つける。ママが抱かれる代わりに私が抱かれる。ママが傷つけられる代わりに私が傷つけられる。
 ママの代わりになる事が私の喜び。だって、私が代わりになれば、ママは幸せになれる。ママの幸せは私の幸せだ。だから、私は幸せなんだ。
 ママが死を願うなら、私も死を望む。
 でも、これが最期なら……少しだけ、我侭になってもいいよね。
 意識が薄れていく。吸魂鬼に襲われた影響が出ているのかもしれない。意識が完全に無くなったら、待ち受けているのは永遠の闇。もう、目覚める事の無い永久の眠り。
 完全に意識を失う前にこれだけは伝えたい。

「……ありがとう」

 言えた。私からお礼なんて言われても、きっと彼には迷惑でしかないだろうけど、それでも伝えたかった。
 ユーリィを救ってくれてありがとう。ママを救ってくれてありがとう。私の名前を呼んでくれてありがとう。私を助けてくれてありがとう。
 色々なありがとうが溢れて来る。

「お、おい!」

 ああ、もう意識が保てない。
 さよ……う……、なら。

 どうしてだろう。
 もう、二度と目覚める事が無い筈なのに、闇の中から私の意識は再び浮上した。死の間際に夢を見ているのかもしれない。
 薄っすらと開いた瞼の向こうから光が溢れ出し、その中にママの顔があった。

「マ……マ……?」
「……愛ちゃん」

 ママは微笑んでいた。ここはどこだろう。辺りを見渡すと、広々とした草原が広がっていた。
 これで、間違い無い。これは夢だ。だって、ママと私は同じ人間。同時に別の場所には存在出来ない。だから、こうして顔を見るなんて出来ない。
 生前の姿で私の隣にママは座った。
 ママが表に出ている間もママの存在やママの意思は伝わって来た。ママが表に出ている時、私は暗闇の底に居て、ママの声やママの聞く音、ママの見る景色を一緒に見聞きしていた。
 だけど、こんな風に同じ空間で隣同士で座るなんて状況はあり得なかった。
 話が出来る。一方通行じゃなくて、ここでなら、ママと話が出来る。例え、これが夢でも構わない。ママと話したい事がたくさんあった。
 
「ごめんね……、愛ちゃん」

 なのに、ママは私に頭を下げた。親子の会話が出来るかもしれないと、浮き立った心が萎んでいく。
 意味も分からない。ママが私に謝るなんて、道理に合わない。だって、謝る理由が無い。
 ママの姿はしていても、ママじゃない。夢の主である私すら騙せないなんて滑稽だ。

「私は全てをあなたに押し付けて、逃げてしまった……」

 こんなくだらない夢を最期に見る事になるなんて最低。
 
「本当にごめんなさい」

 止めてよ。こんな夢、もう見たくない。早く、終わらせて欲しい。

「愛ちゃん……」

 ママの偽者は私の頭をそっと撫でた。

「……あ」

 涙が出た。こんな風に頭を撫でられるのは初めての経験。
 優しい手つき。

「私が持って行くから……」
「……ママ?」

 ママは酷く嬉しそうな笑顔を浮かべた。

「ママ……かぁ」

 泣きそうな笑顔。だけど、とても嬉しそう。どうして、そんなに嬉しそうなんだろう。

「愛ちゃん……。私があなたに押し付けた怒り、哀しみ、絶望、全部持って行くから。だから、どうか……幸せになって」
「ママ……、何を言ってるの?」

 分からない。ママが何を言っているのか分からない。

「ロックハート先生は素晴らしい先生だね」

 ママは言った。ロックハート。闇の魔術に対する防衛術の先生の名前。
 どうして、今、彼の名前が出て来るの……?

「交代人格は感情や記憶が切り離されて、成長した存在。だから、根幹となる感情や記憶が消失すると、その存在も消えてしまう。救いを求める心や、逃げたいと思う心が満たされ、消失し、春と真紀は消えてしまった。この魂に残った人格は私とあなただけ……。だから、今度は私が消える番」
「……え?」

 何を言ってるのか分からない。だって、次に消えるのは私の番……というか、私はママと一緒に死ななきゃいけない筈。

「あなたは死なないわ」
「……え?」
「それに、消えるのは私」

 訳が分からない。そもそも、主人格が消えるなんて、ある筈が無い。
 だって、私や春や真紀の存在の根幹がママの感情や記憶なら、それらの根幹はママなのだから……。
 
「……感情や……【記憶】?」

 交代人格は感情や記憶が切り離されて成長した存在。
 頭の中で反芻する内に恐ろしい考えが浮かび上がって来た。

「……ママの方が……交代人格なの?」
「……気がついたのはついさっきだったわ」

 否定の言葉は返って来なかった。

「私は確かに冴島誠よ。その記憶と感情を全て持ち合わせている。ただ、殺意や悲しみや絶望だけを主人格であるあなたに残したまま、私は交代人格として育った。まるで、自分こそが主人格だと錯覚した」
「じゃあ……、私は……」
「あなたは残るわ。大丈夫。あなたの罪は私の罪。全部一緒に持って行くから、あなたは、ちょっと大変かもしれないけど、また一から頑張るの」
「……持って行くって、消えちゃうの?」

 不安と恐怖に押し潰されそうになる。私はママの為に人を殺し、男に抱かれ続けて来たのだと思っていた。
 それは間違いだった。私は私自身の為に人を殺して来た。男に抱かれて来た。
 嫌だ。一人になるなんて嫌だ。怖い。助けて、ママ。

「大丈夫」

 ママは私を抱き締めた。

「春や真紀に役割が与えられていたように、私にも役割があった。それは、冴島誠を人間に留める事。私の存在があるから、あなたは最後に死を選ぶ決断をした。でも、もう私の存在は必要無い。冴島誠は私が持って行くわ。だから、あなたは冴島愛として、新しく始めなさい」
「待って……」

 嫌だ。

「消えないで!!」

 一人にしないで。
 ママに向かって必死に手を伸ばす。だけど、ママの体が離れて行く。
 辺りが暗くなった。足下の草原もいつの間にか闇に変わっていた。沈んでいく。
 私の中から何かが消えて行く。
 ……私が消えて行く。あれ? 私って、誰だっけ……。

 ※※※※※

 ロックハート先生は杖を納めて立ち上がった。

「本当に、こんな事をして良かったのですか?」

 不安そうにダンブルドアに問い掛ける。彼は愛から誠の記憶を忘却術によって消し去った。
 それは、誠が求めた事だった。誠は自分ですら理解していなかった【最後の真実】に気がつき、愛を救う為に自分の根幹である冴島誠としての記憶の消滅を願った。
 ジェイクやドラコの死の原因を作った存在。多くの連合や死喰い人を死に追いやった原因を作った存在。けれど、ダンブルドアは躊躇うこと無く了承した。
 
【この子の決断は忘却による罪からの逃避では無い。愛する者の為に己の死を選んだ。それは覚悟と呼ぶんじゃ】
 
 忘却術の専門家を呼んだ。本職の人間以上に忘却術に秀でた教師がこの学校に一人居る。
 ロックハートは躊躇いながらも丁寧に記憶の除去を行った。対象となる記憶だけを消すのは容易では無く、繊細な術のコントロールが必要になる為にたっぷり一時間以上も掛かった。
 全ての処置が終わると、愛の瞼が動き出した。目覚める。

「愛ちゃん……」

 ユーリィが愛に声を掛けると、愛はゆっくりと瞼を開いた。
 キョロキョロと虚ろな目で辺りを見回す。

「ここは……どこ? わたし……あれ? わたし、誰……?」

 愛は不安そうに顔を歪めた。
 
「ジャスパー」

 俺は敢えて、愛をそう呼んだ。愛って名前は見た目に合わないし、記憶と殺人衝動の無くなった愛が本当に愛と言えるのか疑問だったからだ。

「ジャス、パー?」
「ああ、それがお前の名前だ。お前は記憶喪失なんだ」

 あらかじめ、決めていた台詞を口にすると、愛……いや、ジャスパーは目を丸くした。

「記憶喪失……? わたし……ジャスパー?」
「そうだよ。ジャスパー」

 ユーリィがジャスパーの手を取って言った。

「あなたは誰?」
「私はユーリィ。……あなたの家族だよ」
「家族……? わたしのお姉ちゃんなの?」

 お姉ちゃんと呼ばれて、ユーリィは少し驚いた様子を見せた。 
 だけど、すぐに冷静さを取り戻し、言った。

「そうだよ。私はあなたのお姉ちゃんなの。不安だと思うし、怖いと思うかもだけど、私がついているわ」
「……お姉ちゃん」

 ジャスパーは生まれたての赤ん坊のようにユーリィの手を胸に抱え込むと、涙を零し始めた。

「凄く……寂しいの。なんだか、分からないけど、寂しいの」
「……うん。分かるよ。でも、これからは私が居るからね」
「お姉ちゃん……」

 ジャスパーは泣き続けた。ユーリィはそれを見守り続けた。
 多くの人間が死に、絶望に陥った。誰かがジャスパーを責めるかもしれない。なら、俺が守ろう。
 誰だろうと、ジャスパーにもユーリィにも手は出させない。何と言っても、ユーリィがジャスパーのお姉ちゃんんあら、ジャスパーは俺の未来の弟になるわけだしな。

第十四話「エピローグ・愛と勇気が勝つストーリー」

第十四話「エピローグ・愛と勇気が勝つストーリー」

 ヴォルデモートとの戦いは一方的だった。ヴォルデモートは何故か死の呪文を使おうとせず、麻痺や武装解除ばかり使って来た。その悉くが僕に迫ると触れる事無く弾かれる。ユーリィの話で聞いた、母さんの守護が働いているんだ。
 長きに渡る因縁の決着としてはあまりにもアッサリとした終幕。
 ダンブルドアの圧倒的な力を前にヴォルデモートは為す術も無く膝を屈した。その瞬間、他の死喰い人達の戦意も喪失し、全員が杖を取り上げられた。これで、逃げられる心配も無い。
 ホッと、安堵の溜息を零すと、ダンブルドアがヴォルデモートに話し掛けた。その声には敵意は無く、まるで、先生が生徒の相談に乗ろうとしているみたい。

「トム。お主はどうして逃げなかったのかね?」

 それは僕にとっても疑問だった。ヴォルデモートには己の不利が分かっていた筈だ。僕の守護を克服する事も出来ず、ニワトコの杖も所有する最強の魔法使いを相手にヴォルデモートはどうして逃げなかったんだろう。
 普通に考えれば、彼は逃げるべきだった。戦力がガタガタになろうと、彼ならば瞬く間に新たな軍団を築けた筈だし、こんなにも不利な状況で戦う事にはならなかった筈だ。

「……ヴォルデモート卿は勇気を賛美する」

 ヴォルデモートは零すように呟いた。

「あの、ジェイコブという男は死を恐れなかった」

 ジェイクの名に僕は胸が締め付けられた。お前が彼の名を口にするな。そう、叫びたかった。
 ダンブルドアが肩に手を置き、僕を抑えなければ、きっと、僕はヴォルデモートに掴み掛かっていた筈。

「ジェイクは勇気を示したんじゃな」
「愛する息子の為、私に死の呪文を唱えた。だが、死の呪文を発動しなかった。あの男は心の底から善だったのだ。そんな男が己の死も顧みず、私に死を与えようと戦った。あの姿を私は賛美する」
「な、何を言ってるんだ。お前がジェイクの勇気を賛美するだって!? 今までだって、お前に立ち向かって死んでいった魔法使いは大勢居た!! 彼らの勇気も賛美したっていうのか!? なら、どうして、お前は――――」

 僕の叫びをヴォルデモートは嘲笑った。

「ただ、立ち向かって来るだけの者をヴォルデモート卿は賛美などしない。死の呪文というのは十分な魔力さえあれば、僅かな憎しみでも発動する呪文なのだ。スクイプでも無ければ、成人した男がただの一度も発動させられないなど、あり得んのだ」

 ヴォルデモートの言葉の真偽を確かめようとダンブルドアを見ると、彼は目を見開いていた。

「なんと……。それは、真か?」
「ああ、真実だ。死の呪文を私は誰よりも理解している。つまり、ジェイクという男は私に憎しみを抱いていなかったのだ。……いや、それは正確では無いな。少なくとも、奴は死の呪文を使う為に憎しみを一切篭めていなかったのだ。ならば、何を篭めていたのか……」

 僕は震えた。見れば、ダンブルドアも慄くような表情を浮かべている。

「ただ、只管に息子を守るという意思を篭めていたのだ。憎しみも怒りも恐怖も無く、あの男は息子を守るという意思のみで私に立ち向かった。敵を倒すという害意も持たず、ただ、守る為に遥かなる強者に立ち向かう。あの姿を勇気と呼ばずに何と称する? 私の配下にも、私の敵にも、あの男のような勇気を示した者は居ない。ただの生贄風情が私の賛美する勇気を示したのだ。ならば、あの男の息子を前に私は臆して逃げるなど出来はしない」
「それが……理由なんじゃな」

 ダンブルドアは深く息を吐いた。

「なんと……、気高き魂の持ち主だったんじゃな。ジェイクをわしは成績の振るわぬ落ち零れの生徒の一人としてしか見ておらんかった」
「僕の両親は……?」

 気がつくと、僕はそんな言葉を口にしていた。
 ジェイクが勇気を示したというなら、僕の両親だって、僕を護る為に命を賭けて戦ったのだから、勇気を示した筈だ。
 ヴォルデモートの賛美など欲しくない筈なのに……。

「ハリー・ポッター。お前の両親は勇敢だった」

 ヴォルデモートは言った。

「父は私に立ち向かい、母はお前の盾となった。ああ、私は賛美する。二人の勇敢さをな。だが、勇気と勇敢さは違うのだ、ポッター」
「どういう……意味?」
「四書のひとつ『論語』曰く、【徳ある者は必ず言あり。言ある者必ずしも徳あらず。仁者は必ず勇あり、勇者必ずしも仁あらず】とある。これが意味する所は【人格が優れた者であれば、その者の言葉は優れているだろう。だが、優れた事を言う者が必ずしも人格者であるとは限らない。人格者には必ず勇気がある。だが、勇敢な者が人格者であるとも限らない】というものだ。お前の父は私に対して憎しみや怒りを糧に戦った。お前の母は私に恐れを抱き、盾となった」

 ヴォルデモートの語るソレは侮辱では無かった。ただ、己に立ち向かう者の在り方を述べているに過ぎない。
 それでも、悔しかった。僕の両親は勇敢だった。勇気を持っていた。僕を守る為に戦った彼らがジェイクに劣るなんて……。

「間違えるでないぞ、ポッター。私にとって、ジェイコブ・クリアウォーターという男の在り方は新鮮なものだった。だからこそ、特別な敬意を払っているに過ぎん。勇気と勇敢さは違うと言ったが、優劣があると言ったわけではない。そうだな……石が敷き詰められた宝石箱の中に一際美しい宝石があったとしよう。それが、勇敢さだ。その中で一つ、色が異なっている物があった。それが勇気だ。美しさに優劣は無く、されども、色の違うソレは特別に思えてしまう。そういう話だ」

 まるで、僕を慰めるように語るヴォルデモートに僕は言葉が出なかった。
 代わりにダンブルドアが僕の気持ちを代弁してくれた。

「お主は……変わったようじゃな」
「……ダンブルドア。お前は昔、私に言ったな。どれだけ取り巻きに囲まれようと、私は孤独だと。今なら、その言葉の意味が分かる」

 ヴォルデモートは唇の端を吊り上げながら言った。

「私は常に敵意と畏敬に囲まれて生きて来た。誰一人、私を思い涙を流す者など居ないと思っていた。まったく、親も親ならば、子も子という事か」

 ヴォルデモートは噛み締めるように言った。

「ユーリィ・クリアウォーターは私を哀れみ、涙を流した。ヴォルデモート卿を哀れむなど、許されぬ事。そう、思っていたのだが……な」

 ヴォルデモートの言葉の意味を僕は量り兼ねていた。ただ、分かる事はユーリィが攫われてからの数日の間にユーリィとヴォルデモートとの間に交流があったという事。
 
「ユーリィはお主に愛を教えたのじゃな……」

 ダンブルドアは恐れるような口調で言った。

「お前達は私を倒し、勝った気でいるのかもしれんが……、貴様らがここに辿り着く前に私はあの親子に負けたのだ。父は勇気を示し、息子は愛を示した。私は……一体、何を求めていたんだろうな」

 疲れたような口調。まるで、憑き物が取れたような表情のヴォルデモート。
 信じられない思いだった。ユーリィは闇の帝王の心を開かせてしまったらしい。

「あやつの涙を見た瞬間、これまで築いて来た全てが無意味に感じられた。あの涙の前にはどのような宝石むくすんで見える」
「……トム」

 ダンブルドアは瞳を潤ませながら言った。

「お主は両親の愛を知らずに孤児院で育った。孤児院では、お主は自身の持つ破格の魔力によって、畏怖された。誰からも愛されず、孤独な少年時代を送り、お主は自己の才覚に呑まれてしまった。じゃが……、お主は飢えておったんじゃな。心の底で、お主は愛を求めておった。それを認めたくないが為に力に溺れ、より愛から遠ざかろうとした。自分を特別な存在と信じる事で、お主は胸の底に抱える孤独感に耐えておったんじゃな……」

 何だよ……それ。僕の全身から力が抜けて行くのを感じる。
 父を殺し、母を殺し、ジェイクを殺し、ドラコを殺し、多くの人間を殺し、多くの人間の人生を破滅に追いやった魔王が、ただの愛を求める哀れな男だっただって?
 じゃあ、誰か一人でも、ヴォルデモートに愛を示してやっていれば、僕の両親は死なずに済んだのか?
 ジェイクもドラコも死なずに済んだのか?

「わしは何と……愚かだったんじゃ」

 ダンブルドアは涙を零した。

「わしはお主を信じなかった。常に観察し、疑い続けておった。お主が本当に求めている物が何かも知らずに何と、愚かな……」

 辺りはいつの間にか静かになっていた。全ての戦いが終わり、連合も死喰い人もみんな、ダンブルドアの声に耳を傾けている。
 死喰い人達はまるで、魂が抜け落ちたような顔をしている。当然だろう。自分達の信じていた闇の帝王の正体を知ってしまったのだから。
 口を開くのも躊躇われる空気の中、突如、耳を劈くような爆発音が鳴り響いた。何事かと上空を見上げると、そこには信じられない光景が広がっていた。
 アルとユーリィが戦っている。アルは箒も無く空を飛び、二人は互いに銃やミサイルを撃ち合っている。魔法が飛び交うファンタジーの世界において、あまりにも血生臭い硝煙と銃弾の乱舞に僕達は呆気に取られた。

「……奴が【絶望】か」
「然様」
「……どういう事ですか?」

 アルと戦っているのはユーリィ……否、ジャスパー。彼は希望である筈だ。
 二人の言葉の意味を量り兼ねていると、ダンブルドアが教えてくれた。ユーリィとジャスパーの真実について。
 アルはこの事を知っているのか。そう尋ねると、ダンブルドアは頷いた。彼は自力で解答に辿り着いたらしい。正に愛の力によって。
 ダンブルドアの推理では、今戦っているのは冴島誠という少女が生み出した殺人鬼の交代人格。戦いの行く末がどうなるのか分からない。手助けをするべきなのか、それとも、二人で最期まで戦わせるべきなのか。迷っていると、突如、上空から吸魂鬼が現れた。
 どうやら、ヴォルデモートが上空に待機させていたらしい。ヴォルデモートの敗北によって、吸魂鬼の制御が効かなくなり、襲い掛かってきたらしい。吸魂鬼はジャスパー目掛けて殺到して行く。

「エクスペクト――――」

 気がつけば、体が勝手に動いていた。急転する事態に混乱する中、ユーリィの体を覆おうとする吸魂鬼を祓わなければという本能が働いた。

「パトローナム!!」

 まだ、一度も成功させた事の無い呪文。ユーリィの話では、僕は三年生で修得したらしいけど、実際に吸魂鬼と戦うのはこれが初めてで、練習の時は一度も完璧な守護霊を作り出す事が出来なかった。
 だから、僕の守護霊はずっと牡鹿だと信じていた。
 ユーリィの話では、父さんと同じ牡鹿の守護霊を使う筈だった。だけど、杖から飛び出したのは牡鹿ではなく、巨大な蛇だった。
 バジリスク……エグレだ。
 涙が零れた。エグレが吸魂鬼を蹴散らしていく。力強くて、美しい、蛇の王。僕が死なせてしまった、僕の友達。

「エグレ……」

 ダンブルドアと教会から飛び出してきたウサギの守護霊の援護によって、吸魂鬼はあらかた片付いた。だけど、一匹の吸魂鬼が守護霊の襲撃から逃れ、ジャスパーに襲いかかった。
 すると、ヴォルデモートが立ち上がり、僕の杖を取り上げた。エグレの姿が消えて行く。咄嗟にヴォルデモートに掴みかかろうと睨みつけると、ヴォルデモートは呪文を唱えた。
 逃げるためでも、攻撃するためでも無く、護る為の呪文を唱えた。

「エクスペクト・パトローナム」

 杖から一匹のひ弱な蛇が姿を現した。蛇は吸魂鬼を押し返し、その隙にアルがジャスパーの手を掴んだ。押し返された吸魂鬼は不死鳥とウサギの守護霊によって退散させられ、アルがジャスパーを抱きながら地上に降りて来た。

「ポッター」

 ヴォルデモートは僕の名を呼ぶと、杖をアッサリと返して来た。
 そして、それっきり大人しくなり、その視線は教会に向けられていた。
 彼の視線の後を追うと、教会から一人の少女が駆けて来た。黒い髪の可愛い女の子。誰なのか、直ぐに分かった。
 ジャスパーを抱き抱えたまま、アルは少女に向かって駆けて行く。

「トム……、あまりにも多くの罪を重ね、己の魂すら切り裂いてしまったお主はこれから、辛い日々を送る事になるじゃろう」

 ダンブルドアは言った。

「じゃが、お主がユーリィに教えられた愛を深く胸に刻み続けておる限り、いつの日か、お主の魂は救われる事じゃろう」
「……どうだかな」

 ヴォルデモートはジッと唇を重ね合うアルとユーリィを見つめていた。

第十三話「愛と誠」

第十三話「愛と誠」

 冴島誠は淡々とした口調で全てを語った。その瞳はジャスパーとは異なり、どこまでも澄みきっていた。
 全てを語り終えた後、誠は微笑んでいた。

「ちなみに、ジャスパーのあの変な話し方はダンガンロンパっていうゲームの登場人物を模してるんだよ。狛枝凪斗っていう子。昔、小早川君がデートの間中ずっと弄ってたのを隣で見てたんだ。小早川君はゲームやアニメに凄く詳しくて、デートの度にゲームのプレイを見せてくれたんだ」

 ゲームをプレイするのを横から見ていただけ。そんな、到底デートなどとは呼べないゴッコ遊びを彼女は大切な宝物を自慢するかのように語る。
 同情はする。彼女の過去はあまりにも不幸過ぎた。救いを求めるのが間違いなどと口が裂けても言えない。
 だが、それでも俺は銃を下げなかった。

「ごめんね、ユーリィ」

 誠はベッドで彼女の過去を思い涙を流すユーリィに頭を下げた。

「私はあなたの人生を滅茶苦茶にした。本来、あなたが歩む筈の未来をぶち壊しにした。謝って、許される事じゃないのは理解してるわ。だけど、ごめんなさい」

 深々と頭を下げる誠にユーリィはただ首を振るだけだった。喉がつっかえて、言葉が出ないみたいだ。

「アル君。お願いがあるんだ」
「……なんだ?」

 銃を降ろさずに眉を顰める俺に誠は薄く微笑んだ。

「私を殺してくれないかな?」

 無防備に銃の前で両手を大きく広げる誠に俺は息を呑んだ。
 穏やかな笑顔。その笑顔はあまりにもユーリィにそっくりで、ゾクリとした。
 よく見れば、少し体が震えている。死を恐れているのが伝わって来る。

「どういう風の吹き回しだ?」

 自分の顔が引き攣っているのが分かる。心臓が早鐘のように打つ。
 人を殺す事は娯楽だ。死の断末魔の叫びは心を癒す音楽だ。恐怖に引き攣る顔を見たい。
 そんな、俺の中の怪物的欲求が形を顰めてしまっている。
 人を殺す事が恐ろしい。死の断末魔の叫びを聞くなど耐えられない。恐怖に耐える姿など見たくない。
 初めて感じる殺人への抵抗感に俺は慄いている。

「あなたが私の全てを暴いてくれたおかげで、私の中から春の人格が掻き消えた。真紀も春も殺人鬼もみんな役割を担っているの」
「役割……?」
「そうよ。真紀は現実からの逃避の為に生み出した人格。だから、死によって現実世界を離れ、この世界に転生した時、真紀の役目は満了し、解消された。春は私の救いを求める気持ちが生み出した人格。だから、私が心に投影していたユーリィの救済を見れた事で春は役目を満了し、解消し掛けていた。でも、あなたがユーリィと私の真実に辿り着いてしまった事で、完全な満了にはならなかった。とは言え、既に春の人格は消え掛かっていたから、あなたがジャスパーという存在の正体を暴いたショックで掻き消えてしまったわ。だけど、まだ残っている人格があるの」
「快楽殺人鬼の人格か……」
「そう……。私はこの子を制御出来ない」

 誠は何故か慈しむような表情を浮かべ、自分の腹を撫でた。

「出来る筈が無いわ。あの子は春や真紀とは違う。あの子のしたい事は私のしたい事なのよ。それに、あの子は特別なの」
「特別……?」
「そうよ。私にとって、あの子は娘なのよ。アル君。覚えてる? ジャスパーが語った嘘の過去話」
「あの、覚悟を見る為とか言って語った創作話の事か?」
「あれ、実は完全な創作じゃないのよ」
「……どういう事だ?」

 誠は言った。

「私……というより、殺人鬼はあんまり頭の良い子じゃないの。そんな彼女がどうして、何年も司法の手を逃れられたと思う?」
「まさか……」
「そうよ。榊原明彦さん。ジャスパーの話にあった、私に援助交際を持ち掛けた男は実在したのよ。ええ、あの人との生活は実際にあった事よ。裏ビデオの撮影もアパートでの娼婦としての仕事も全部実際にあった事。私、一度妊娠してるのよ。その時にね。父親は誰か分からないわ。私にセックスを強要した人達は誰一人避妊具なんて使おうとしなかったし、経口避妊薬を飲む習慣がちゃんと身に着いていなかったから、出来たのも当たり前って感じ。でも、おろしちゃった。中絶手術を受けたわけじゃなくて、妊娠中も御構い無しにハードなプレイを求められちゃって、榊原さんの伝でちゃんと検査を受けた時には赤ちゃんがもう死んでたの」

 誠は未だ口元に笑みを浮かべている。だけど、目からは止め処なく涙を溢れさせている。
 俺は銃を持ち上げている事が出来なかった。冴島誠はジャスパーとは違い、ユーリィにそっくりだ。
 その口から語られる嘆きと哀しみに俺は殺意を保てなくなった。

「私の赤ちゃんはこの世に生まれてくる事も出来ずに死んじゃった。そう分かった瞬間、私は気付いたの。私、子供が欲しかったんだって。愛してくれない家族なんて要らないから、愛してくれる家族を作りたいと願っていたんだって、気付いた。でも、子宮から赤ちゃんの死体を取り出した時の手術のせいで、私はもう子供が産めなくなった」

 少しずつ、誠の瞳は光を失い始めた。暗く、淀み始めるその目を俺は直視するのが辛かった。

「手術のせいだけじゃなかったけどね。犬とか、豚とか、そういう趣味の人向けのビデオの為に動物と交尾したり、あまりにも滅茶苦茶な事をしてたから、私、心だけじゃなくて、体もボロボロになってたから。だけど、希望はあったわ。私にはもう一人赤ちゃんが居たから。私の中に」
「快楽殺人鬼の事を言っているのか……」
「そうよ。妊娠に気付いて、赤ちゃんが死んでると分かるまでの間に私は浮かれながら名前を考えた。今こそ、私はあの子にその名を贈る。私の狂気。私の苦しみ。私の悦び。あの子はレイプという性交によって産まれた。体を持って居ないだけで、間違いなく私の産み出した私の子供。私はあの子を愛している。だから、とても制御など出来ない。あの子を縛るなんて、出来ない。だから、あなたの手で終止符を打ってもらいたい。私の愛する娘を私と一緒に葬って欲しい」

 誠は薄く微笑んだ。

「この子の名前は……《愛》。愛と誠なんて、ベタ過ぎるかしらね。そろそろ、あの子が春と引き剥がされた事で受けたショックも醒める。最期まで迷惑ばっかり掛けてごめんなさい。よろしくね、アル君」

 その瞬間、誠は消えた。代わりに目の前に立っているのはジャスパーでも無かった。
 狂気に彩られた笑顔。その表情は紛れも無く、ジャスパーに見せられた過去の冴島誠。彼女の狂気の体現者・愛。

「アハッ」

 愛は零れるような笑みを浮かべ、俺を見た。

「さあ、殺し合いましょう」

 酷い奴だ。あんな過去話を聞かせた後で、自分共々、愛する娘を殺せだなんて、酷過ぎるだろ。
 お前を殺すってのは、つまり、ユーリィを殺すって事だ。
 ユーリィと冴島誠は別人だ。だが、この世での始まりは二人共同じだ。同じ記憶を持ち、同じ時間を共有し、今に至る。
 憂いの篩で冴島誠を見た瞬間にユーリィとの違いを見抜けたかったのは、二人があまりにも似通っていたからだ。ジャスパーや愛とは違い、誠は言ってみれば、もう一人のユーリィだ。
 
「……ぐぅぅぅぅうううおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 俺は全ての感情を吐き出すべく吼えた。
 俺の愛したユーリィと誠は別人だ。鏡合わせの存在だろうと、結局は別人なんだ。
 俺はベッドのユーリィに視線を向けた。黒い髪の女の子。その容姿は記憶で見た誠とは違う。瞳はずっとパッチリとしているし、顔立ちも一般的な東洋系の人種の顔の作りと比べるとずっとハッキリしていて、ハッキリ言って、文句無しの美少女だ。きっと、魂の本質って奴が影響しているんだろう。
 嘗て、ダンブルドアは言った。

【人を構成する要素は霊魂と肉体、そして精神の三つじゃ。これを三位一体、あるいは三原質と言う】

 霊魂が無意識であるとするならば、精神は意識とも言った。
 ダンブルドア曰く、あの儀式は【霊魂と精神】という設計図を元に肉体を作り上げる禁忌の術らしい。
 ユーリィの【精神】……即ち、【意識】は誠の記憶が流れ込んだ影響によって、限り無く誠に近くなっている。それ故に、新たな肉体は【日本人の少女】として再生した。
 だが、ユーリィの【霊魂】……即ち、【無意識】は【希望】と称されるに足る善性を持つイギリス人の少年であるが故に完全に冴島誠として再生されず、冴島誠に似た少女として再生されたのだろう。
 そうだ。やっぱり、ユーリィと誠は違う。俺が惚れたユーリィは唯一無二の存在なんだ。

「ああ、いいぜ。分かった」
 
 迷いは未だ、俺の胸に渦巻いている。
 だけど、それがお前の望みなら叶えてやるよ。
 だって、俺はお前の……友達だもんな

「友達として、お前に引導を渡してやるよ」
「それって、素敵ね」

 愛は懐から黒光りする拳銃を取り出しながら言った。コルト・ガバメント。ダリウスの愛銃だ。45口径が主流のアメリカ育ちのダリウスにとって、馴染み深い物らしい。
 ダリウスの死体から奪ったのだろう。よく見れば、愛の腰にはダリウスのガンホルダーが巻かれている。

「手癖が悪いな」
「だって、私は超高校級の絶望だもの」

 明るく言う愛に俺は苦笑した。

「ダンガンロンパか。日本に行ったら、プレイしてみようかな」
「発売まで、後十四年くらい掛かるけどね。きっと、嵌ると思うよ」
「そっか。じゃあ、楽しみに待つよ」

 俺はベレッタM92FSの銃口を愛に向けながら言った。

「じゃあ、始めるか」

 躊躇いはもはや無い。俺は片手でユーリィに盾の呪文を掛け、もう一方の手で銃の引き金を引いた。
 銃と銃の戦いは突き詰めれば相手の思考の読み合いだ。相手がどこを狙っているかを推理し、相手がどこに逃げるかを推理する。
 初撃は外れた。予想の範疇内だ。人を殺す事に特化して産み出された人格である愛はユーリィの肉体であるにも関わらず凄まじい身体能力を誇っている。
 精神と肉体の因果関係はとても密接だ。三百を越える人間を殺す殺人の才覚は身体能力すら向上させるらしい。ドラコがユーリィを攫った時に見せた驚異的な身体能力は愛の人格が肉体を支配した事によって可能とした技能だったんだ。どうすれば、より効率良く肉体を動かせるのかを本能で熟知している。
 
「ここだと狭いね」

 愛は軽やかに飛び跳ねると、窓を杖で開き、外に飛び出した。

「さあ、私を倒してごらんなさい。愛しい愛しい勇者様」

 まるで、お遊戯に興じる子供のようだ。
 きっと、その通りなんだろう。誠は愛を自分の子だと言った。愛にとって、殺人も性交もこの戦いも全て楽しいお遊戯なんだ。

「だったら、精々楽しませてやらないとな」
「アル……」

 ユーリィが囁くような声で俺を呼ぶ。

「……頑張ってね」

 その言葉の裏にどんな感情が秘められているのか、俺には分からなかった。
 ただ、ユーリィは止めなかった。謝らなかった。感謝もしなかった。ただ、応援した。
 だから、素直に受け取ろう。

「おう。もうちょっと、待っててくれよな? 俺の愛しいお姫様」
「……もう」

 ユーリィははにかむような笑みを浮かべた。だけど、瞳はどこか哀しそうだった。

「あの子をお願い」
「ああ」

 祈るように両手を組み、頭を下げるユーリィに俺は片手を上げて応えた。
 愛の待つ、夜空へと俺は飛び出した。
 愛は天高く空を舞い、手榴弾を放り投げて来た。容赦無しってわけだ。

「ッハ、どこに隠し持ってやがったんだよ」

 手榴弾の豪雨から必死に逃げ、俺はファイア・ボルトに跨る愛に吼えた。
 あれは、ドラコの箒だ。

「ドラコは必要の部屋にファイア・ボルトを隠してたの。いつか、ユーリィが使う時の事を考えて、誰にも見つからないように」

 あいつ、マジでユーリィに惚れてたんじゃないか? あんな良い箒を自分で使おうって気が全く無かったとかよ……。
 いや、それはないか。アイツはあのアステリアって女の子を愛していた。つまり、あのファイア・ボルトは奴の愛情じゃなくて、奴の友情ってわけだ。
 
「って、ごちゃごちゃ考えてる暇ねぇな」
 
 愛は楽しそうに手榴弾を投げて来る。プロテゴで必死に守りを固めるが、連続する爆発に盾が耐えられなくなってる。
 空を舞う鳥に地上を這う虫が勝てる道理は無い。なら、俺も飛ぶしかないよな。
 
「空を飛べるのが自分だけだと思うなよ」

 現在の所、箒無しに空を飛ぶ魔法は存在しないってのが、一般常識。
 クィディッチの今昔にも書いてある。
 だが、それはあくまで一般常識の話だ。今思えば、ダリウスはヴォルデモートからその呪文を教わったのだろう。ハリー・ポッターという物語の中で、スネイプが教わったように。
 ユーリィの話に出て来たヴォルデモートの飛行呪文についてを手掛かりに自分で見つけたと言って、ダリウスは俺に教えた。まったく、あの嘘つき野郎が!
 ヴォルデモート作の飛行呪文を唱えた瞬間、俺はまるで体全体を巨大な何かに掴まれるような感覚に襲われた。まるで、自分を自分で鷲掴みにしているような奇妙な感覚だ。最初の内はこの感覚に慣れず、まともに空を飛べなかった。だが、今は違う。俺は空を飛べる。

「わおぅ」

 漆黒の魔力に包まれ、空に舞い上がる俺に愛は大はしゃぎだ。ったく、調子が狂う。
 箒無しで空を飛ぶってのは消耗が激しい。しかも、ある程度、飛行の補助をしてくれる箒と違い、この呪文は自分の感覚が全てだ。空間認識能力をフルで働かせなければ直ぐに墜落してしまう。
 あまり、長期戦になるのは拙い。せめて、愛を地面に叩き落とす必要がある。

「おい、マジか?」

 そう思った矢先、愛は信じられない行動に移っていた。
 箒なんて不安定な物に乗りながら、奴が構えているソレはRPG-7。ソ連の開発した携帯対戦車擲弾発射器だ。構造単純かつ取扱簡便で、その上低コストという三拍子が揃った紛争地帯で大人気の兵器。
 簡単に言えば、普通は戦車に向けて撃つ小型のロケットランチャーだ。
 そんな凶悪なものを愛は躊躇い無く発射した。構造上、反動は少ないものの、不安定な空中で撃つなど正気じゃない。だと言うのに、発射されたロケット弾はブースターで加速しながら真っ直ぐに向かって来る。
 RPG-7は標的に衝突しないと爆発しないという特性があるが、問題は愛が魔法を使えるという事だ。ハッキリ言って、そんな特性に意味なんて無い。
 俺は飛行呪文を解き、一気に真下に落下した。RPG-7の弾に追尾機能は無い。だから、こうすれば避けられる。

「って、んな事承知の上に決まってるよな!?」
 
 そう来ると分かっていたのだろう。愛は俺目掛け、コルト・ガバメントを連射した。

「プロテゴ!!」

 盾の呪文で防ぎながら、ベレッタM92FSを愛に向けて発砲する。こういう状況での銃の使い方もダリウスの訓練は網羅している。
 正直、役に立つとは思っていなかったが、弾丸は真っ直ぐに愛に向かって飛んで行き、避ける為に愛は銃の連射を停止した。
 地面まで後僅か。ギリギリで飛行呪文を再開させると、俺は地上スレスレを飛びながらベレッタM92FSを発砲した。
 使い方が分かるだけで凄まじいが、愛は狙いが甘い。銃の扱いに関しては俺の方が優位に立てる。だが、ユーリィの跨っているのは世界最速の箒であるファイア・ボルト。名の通り雷の如き疾さで飛行するファイア・ボルトに狙いを定めるのは至難だ。しかも、杖で飛行を制御する必要のある俺とは違い、奴は両手が使える。

「おいおいおいおい!! マジか、テメェ!!」

 奴はAK-74を出して来た。ミハイル・カラシニコフが設計したアブトマット・カラシニコバ47の発展形。
 銃口部分に大型のマズル・コンペンセイターが取り付けられている為にフルオート射撃時のコントロール性が非常に良好という世界で最も支持されているアサルト・ライフルだ。
 通常の銃よりも連射性に優れるアサルト・ライフルの特性を遺憾なく発揮し、愛は俺に向けて銃弾の豪雨を浴びせてきた。狙いが甘い分、爆発によって効果範囲を広げるロケットランチャーよりはマシだが、あまり慰めにはならない。
 勝機を見出すべく、俺は敢えて弾幕へ飛び込む形で愛に迫った。さっきの盾の呪文はまだ持続している。完全に消滅するまでは時間がある。アサルト・ライフルの小口径の銃弾なら、ある程度は防いでくれる筈だ。

「って、逃げんな!!」 

 俺の行動の意図を読み、AK-74を乱射しながら、愛はファイア・ボルトを加速させた。
 ったく、RPG-7といい、AK-74といい、俺とダリウスの訓練を眺めていたユーリィはチンプンカンプンな顔を浮かべていたが、中に潜んでいた愛はしっかり使い方を学んでいたらしい。

「って、何だ!?」

 戦いは唐突に終わりを告げた。空から次々に怪物が現れ、愛に向かって殺到していく。
 あれは――――、

「吸魂鬼だと!?」

 吸魂鬼は愛に殺到していく。愛は必死に守護霊を呼び出そうとするが、杖からはぼやけた白い光が出るばかり。

「愛!!」

 俺が叫ぶと同時に四方から光の獣が飛び出して来た。
 バジリスクが巨大な体を波打たせながら吸魂鬼を蹴散らして行く。それでも諦めない吸魂鬼をウサギと不死鳥が退散させていく。

「愛!!」

 力無く落下して行く愛に俺は必死に手を伸ばした。すると、吸魂鬼の一体が尚もしつこく愛を狙って来た。
 その時、一匹の光の蛇が吸魂鬼に襲いかかった。酷く弱々しい貧弱な蛇は吸魂鬼を倒す事は出来なかった。それでも、俺の手は――――。

幕間「クライマックス再現」

幕間「クライマックス再現」

 冴島誠という少女の話をしよう。少女はどこにでも居る普通の少女だった。
 全てが崩壊したのは一人の少年を巡る友人とのトラブル。それにより、彼女は全てを敵に回してしまった。エスカレートする虐めは理性を伴わず、小学校を卒業する頃には既に誠は追い詰められていた。幼い心は耐性が低く、誠は日々の辛い記憶を直ぐに忘れるようになった。毎日をリセットし、明るい己を取り戻し、その度に壊される日々。
 止めを刺したのは誠の虐めの原因を作った少女だった。小谷真紀は卒業の日に彼女に事の全てを打ち明けた。黒幕として虐めを裏で操作していた事を誠に告げ、そのまま、彼女は誠とは違う中学に進学した。それまで、誠は真紀を親友だと信じていた。周りが敵意を向けて来る中、彼女だけは別だと思っていた。その彼女に裏切られた事で、誠はついに限界を超えてしまった。
 その翌日には、誠は小谷真紀という裏切り者を忘れた。代わりに、常に自分を見守り、助けてくれる真紀という仮想人格を作り上げた。自分を常に叱咤激励してくれる真紀の存在に励まされながら、誠は中学へと進学した。だが、そこには、真紀という傀儡子の糸から解き放たれたマリオネット達が居た。
 彼ら、彼女らは真紀の支配を脱した後も誠への虐めを止めなかった。弱者を甚振る悦びを知ってしまった彼らは麻薬患者の如く、己の快楽を満たす為に誠を傷つけ続けた。時には性的暴力を振るう事もあり、虐めは徐々にエスカレートしていった。初め、小早川春は誠を守ろうとした。しかし、彼は自身まで虐めの標的になる事を恐れた。そして、誠に対する虐めを見て見ぬ振りをする事に決めた。
 それでも、罪悪感からか、誠に請われれば彼はデートを拒まなかった。だが、おざなりのデートで満足する誠に対し、飽きもあったのだろう。彼は中学卒業と同時にアッサリと、誠を捨てた。そして、誠は再び仮想人格を作り上げ、逃避した。三人目の人格の構築により、誠自身の人格は大きく歪み始めていた。
 「解離性障害」担当委員会の議長スピーゲルは言った。

《この解離性障害に不可欠な精神機能障害は広く誤解されている。これはアイデンティティ、記憶、意識の統合に関するさまざまな見地の統合の失敗である。問題は複数の人格をもつということではなく、ひとつの人格すら持てないということなのだ》

 別人格を持つ事は自己の人格すら保てない状態に陥っているという事。
 そして、第四の人格が生み出される事件が起きた。
 誠はクラスメイトの男子にカラオケボックスでレイプされた。幼い子共が早過ぎる性行為を経験すると、その心が受ける傷は大人達が考えるよりも途方もなく深い傷となる。その上、己の快楽の為だけにクラスメイトの男子達は暴力的な性行為を強要し、処女を無惨に奪われた誠の精神は更に分割された。目を醒ましたのは快楽殺人鬼。自身が受けて来た苦痛を相手に対して味合わせたいという暴力的な感情が成長した人格がクラスメイトの男子達を殺した。
 小谷真紀。小早川春。そして、快楽殺人鬼。三つの人格を生み出した事で、冴島誠の人格は取り返しのつかない程に壊れてしまった。もはや、自分自身ですら自分をコントロール出来なくなり、自分の中の殺人鬼が次々に人を殺していくのを心の奥底で見せつけられ続けた。
 誠は自分自身が生み出した仮想人格によって、更に追い詰められてしまった。漸く、己の支配権を取り戻せたのは、あの長谷川との血の再会だった。誠は殺人鬼の人格をコントロールし、自分自身に終止符を打った。
 だが、冴島誠の物語はそれで終わりではなかった。
 死んだ筈なのに、誠の意識は一瞬の静寂の後、再び光の下に甦った。暗い闇を裂く光に意識を取り戻した誠は自身に起きた奇跡を理解した。そして、誠は無意識に自分が憑り依いた赤ん坊へと自分の記憶を流し込んでいた。敢えての行動では無かった。ただ、誠としては自分の生前の記憶を見つめ直していただけだった。
 異変に気付いたのは、赤ん坊が母親に抱かれ、自分の名前を囁かれた時だった。赤ん坊は高度な知性を既に有していた。それも、日本人としての知性をだ。
 少し様子を見ていると、赤ん坊は誠の記憶を自分の記憶だと思い込んでいる事に気が付いた。誠が心の中で回想した記憶は赤ん坊に流れ込んでいたのだ。誠はその事に気がつくと、慌てて回想を止めた。そして、赤ん坊の成長を見守り続けた。壊れてしまった誠にとって、時間に意味は無かった。快楽殺人鬼の人格を生み出してから死ぬまでの数年間と同様に心の奥底で誠は何も出来ずにただ見つめ続けた。
 だが、それは決して絶望ではなかった。それどころか、誠にとって、それは希望だった。少しずつ、両親や親友の愛によって、偽者の心の傷を癒すユーリィを見守る事で自分自身の心の傷を癒していた誠は既に小谷真紀という人格を解消し、小早川春と快楽殺人鬼の人格も解消しようとしていた。
 異変が起きたのはユーリィがクラウチによって拉致された時だった。恐怖と痛みと絶望によって、ユーリィの心の防壁が崩れ去った瞬間、誠はユーリィの肉体を支配した。だが、誠は己の仮想人格を未だ完全に解消し切れていなかった。解消し掛けていた二つの人格は肉体を得た事を切欠に統合し、ジャスパーとなった。ジャスパーはクラウチを殺し、散々死体を弄んだ後、その腹に一つの芽を植え込んだ。
 殺人に特化した快楽殺人鬼の人格と冴島誠を救う事に特化した小早川春の人格が統合されたジャスパーは己の主人格を救う為の布石を打った。
 ヴォルデモートに己とユーリィを分離する方法を授けたのはジャスパーだった。そして、その計り知れない負の意思によって、ジャスパーはユーリィの肉体を完全に己のモノとした。
 ジャスパーの目的は一つだった。己の主人格である冴島誠を救う。ただ、それだけの為に動いていた。
 ユーリィから肉体を奪い、そして、己を冴島誠だと思いこんでいるユーリィ・クリアウォーターをアルフォンス・ウォーロックに救わせる。その姿を見る事で、その光景を自身に投影し、冴島誠は完全に己の仮想人格を解消する事が出来る。
 つまり、冴島誠は救われる。
 それが全ての真相だった。

第十二話「クライマックス推理」

第十二話「クライマックス推理」

「茶番は終わりだ、ジャスパー。いや――――、【冴島誠】!!」

 アルフォンス・ウォーロックの言葉にユーリィ・クリアウォーターとジャスパー・クリアウォーターは揃ってポカンとした表情を浮かべている。彼の言葉の意図を量りかねている。
 アルフォンスはそんな二人の困惑にはおかまいなしに懐から銃を取り出した。窓から差し込む月明かりが反射して禍々しく黒光りするその銃の名はベレッタM92FS。彼が最も信頼を置く拳銃だ。反動が少なく、連射性に優れている。
 拳銃を向けられ、初めてジャスパーの顔に動揺が広がった。

「な、何を言っているんだい?」
「言葉の通りだ。お前の名はジャスパーでも、小早川春でも無い。お前の正体は冴島誠だ」
「ま、待って!」

 ユーリィがベッドから身を乗り出すようにして叫んだ。

「ジャスパーが私って、あなたは何を言ってるの!?」
「そうじゃない。ジャスパーがお前なんじゃない。ジャスパーは冴島誠なんだ」

 彼の言葉にユーリィとジャスパーは正反対の反応を示した。ユーリィが困惑を深め、迷い子のような表情を浮かべている。ジャスパーは何かを悟ったような苦笑いを浮かべている。
 彼は言った。

「お前は冴島誠じゃないんだ」
「……何を言ってるの?」

 世界が崩れ去る。確固たる秩序を持って、構成されている世界がバラバラに崩される。
 お前は冴島誠じゃない。その言葉はユーリィの全てを否定する言葉に他ならない。冴島誠である事。それがユーリィ・クリアウォーターを構成する根幹であり、秩序である。それを否定されれば、後に残るのは骨子無き肉塊のみ。

「ア、アル……?」
「転生っていう、奇天烈な現象に目を奪われて、俺達は目を曇らせていた。目の前にある不自然さ、曖昧さ、矛盾、誤魔化し、それら一切合財を俺達は無視していた」
「分からないな」

 ジャスパーはへらへらと笑いながら言った。

「分からないよ。アル君。君が何を言っているのか、サッパリ分からない。マコちゃんがマコちゃんじゃないって? 馬鹿馬鹿しい。それなら、そこにいる女の子は誰なんだい? まさか、その子の方が小早川春だとでも言うつもりかい? ナンセンスだよ。まったくもって、ナンセンス。もし、冗談だとしたら、こんな状況で不謹慎過ぎるよ? 凄く性格が悪いよ」
「……別に冗談なんかじゃないさ。勿論、ユーリィを小早川春だなんて言うつもりもない」
「じゃあ、そこに居る女の子は誰なんだい?」

 ジャスパーはチラリとユーリィに視線を向けた。当の本人は話の展開に付いて行けずに居る。
 アルフォンスはアッサリと言い放った。

「ユーリィはユーリィだ。それ以外の何者でも無い」
「どういう意味かな?」
「そのままの意味だ。元々、この世界に転生して来たのはお前一人だ。小早川春なんて奴はこの世に元から存在していない」
 
 アルフォンスの言葉にジャスパーは声を立てて笑った。

「何を言い出すかと思えば、小早川春が居ないだって? 生憎、ボクはここに居る。まったく、どこからそんな発想が湧いて来たのか不思議だよ。君、妄想癖なんてあったのかい?」
「誤魔化そうとしても無駄だ」
「根拠でもあるのかい?」
「ある」

 即答するアルにジャスパーはたじろいだ。

「じゃあさ、聞かせてよ。どうして、君がそんな妄想に憑り依かれたのか、その根拠をさ」
「ああ、構わないぜ。これが俺の出した結論だ」

 父さんやソーニャとの交流で視界の広がったアルフォンスが真っ先に疑問を感じた事。それは、ジャスパーが十年以上、ユーリィの為に自分を心の檻に封じ込めていたという点だった。
 ジャスパーは愛の力だと言ったが、幾ら愛しているとは言っても、自分の存在をアピールすらせずに身動きも出来ない牢獄に自分の意思のみで閉じ篭って居られるものだろうか? 仮に、ジャスパーの正体が小早川春だったとしよう。十七歳の少年が自分の生きた年月の半分以上を暗闇の中で過ごす事を決意出来るものだろうか? 出来たとしても、確実に気が狂う。
 気が狂った状態で尚も自分の意思で自分を閉じ込めておく事が出来る人間など居る筈が無い。そう考えた時、見落としていた事実が次々に浮かんで来た。
 ユーリィが憂いの篩を使い、アルフォンスに見せた過去の記憶。その世界で見た冴島誠をアルフォンスは【まるで腐った魚のような目の男】と称した。まだ、殺人鬼となる前の彼女を見て、そう思った。
 ユーリィの目はいつもキラキラと輝いていた。アルフォンスを虐めっ子から庇い、傷つけられていた時もユーリィの瞳は絶望などしていなかった。記憶が全て甦った今も、ユーリィの瞳は絶望に染まり切っていない。冴島誠の過去の記憶はユーリィを絶望に染め上げる事が出来なかったのだ。
 その時点で、アルフォンスはユーリィと冴島誠が別人であるという結論に達した。ならば、ユーリィは何者なのか? という疑問が湧く。最初はジャスパーの言うように、小早川春である可能性を考えた。そして、直ぐに否定した。小早川春は男だ。そして、冴島誠の恋人だった。そんな人間が過去の恋人を忘れ、男である俺を愛するなどあり得ない。そもそも、ユーリィは自分を冴島誠だと信じ込んでいた。ユーリィが小早川春ならば、そんな奇妙な勘違いが生まれる要素など無い。
 冴島誠でも、小早川春でも無い。ならば、ユーリィは何者だ? その答えは単純明快だ。ユーリィはユーリィなのだ。この世界に生まれたソーニャとジェイクの一人息子。転生などしていない、純粋無垢な魂の持ち主。なら、どうして、自分を冴島誠だなんて勘違いしてしまったのか。その答えはジャスパーの存在にある。
 ジャスパーの記憶がユーリィに流れ込み、そのせいで無色であった人格が無理矢理捻じ曲げられ、自分を冴島誠だと思い込むユーリィという人格が形成された。
 ジャスパーが冴島誠であると確信したのはソレが理由の一つだ。ジャスパーが男なら、肉体も男である以上、男である小早川春の記憶をそのまま流し込めばいい。わざわざ、女である冴島誠の記憶を捏造して流し込む意図が分からない。つまり、ジャスパーは冴島誠の記憶しか流し込めなかったという事だ。自身が小早川春ではなく、冴島誠であるが為に。
 根拠はそれだけじゃない。ジャスパーは小早川春の記憶については口頭でしか説明しなかった。にも関わらず、冴島誠に関しては憂いの篩で実際に見せた。覚悟を見たい云々で誤魔化されたが、あれはジャスパーが小早川春の記憶を持っていないが為に記憶を見せられなかった事が理由に違いない。

「どうだ? これでも、言い逃れしようってのか?」

 アルフォンスが真実を突きつけると、ジャスパーは薄笑いを浮かべたまま首を振った。

「そんなの根拠になんかならないよ。そういうのは単なる憶測って言うのさ」
「なら、小早川春の記憶をお前は見せられるのか?」

 アルフォンスの言葉にジャスパーは口を噤んだ。

「確かに、憶測の域を出ないかもしれない。だが、裏付ける方法が無いわけじゃない。俺の憶測が過ちだというなら、小早川春の記憶を見せてみろ。出来ないんだろ? お前は小早川春じゃないんだからな」
「……ぅぅ」

 ジャスパーはアルフォンスの言葉に気圧されたかのように後ずさった。

「さあ、出来るのか? 出来ないのか?」
「ぐぅぅぅうう」

 ジャスパーの口から漏れたのは否定の言葉では無く、深い苛立ちから来る唸り声だった。

「ボクは小早川春だ。君の言っているのはただの憶測だ」
「だったら、その証拠を見せろって言ってんだよ」

 ジャスパーは手を額に当て、顔を歪めた。ベッドで事の成り行きを見つめていたユーリィはまるで鬼のようだと思った。
 まさか、本当にアルフォンスの話は真実なのか? そう信じ掛けて、一つの疑問が生じた。

「……あの、アル」
「なんだ?」
「わ、私、小早川春の記憶を見たよ」

 アルフォンスは視線をジャスパーから逸らさずに言った。

「それは確かなのか?」
「う、うん。だって、そうとしか思えない」
「そうとしか思えない……か。お前のその記憶の中で、お前は確かに小早川春だったか?」
「え? だ、だって……」

 ユーリィの脳裏には必死にカラオケボックスを目指す小早川春の記憶が浮かんでいる。
 
「それは冴島誠の記憶じゃないか?」
「ち、違うよ! だって、私はこの手で血の海で立ち尽くしている……立ち尽くしている……あれ?」

 ユーリィは愕然とした表情を浮かべた。

「あれ……?」

 おかしい。ユーリィは記憶を必死に探りながら、一つの疑問についての解答を求めた。
 その疑問とは記憶にある光景がカラオケボックスを目指して走っている場面のみだという事。その後、カラオケ店で何が起きたのかは冴島誠の視点でしか知らない。
 確実にあの時走っていたのが小早川春だと言い切る根拠が無かった。

「で、でも、確かに春君だった筈だよ。だって、必死に私を助けようとしてたもの。必死に間に合えって、頭の中で考えていたもの」
「その疑問の答えは目の前にある」

 ユーリィの抱く疑問にアルフォンスはアッサリと答えを提示した。

「ジャスパーを冴島誠だと断定した後、俺にはどうしても疑問に思う事があった。ジャスパーはユーリィと違い、冴島誠同様に目が腐り切っている。だが、その口調や身のこなしがあまりにも違い過ぎる」
「え、それじゃあ……」
「それで、俺は一つの結論に至った」
「結論……?」
「ジャスパー。お前は多重人格だな?」

 アルフォンスの言い放った。
 正確には解離性同一性障害と言われる病気。本人にとって堪えられない状況を自分の事ではないと思い込んだり、その時期の感情や記憶を切り離して、それを思い出せなくする事で心のダメージを回避しようとすることから引き起こされる解離性障害。それが特に重い人間は時に切り離した感情や記憶を成長させてしまい、別の人格として本人とは別の意思を持たせてしまう事があるという。
 
「お前は拷問のような日々の虐めと家庭内での精神的苦痛で自分の人格を保てなくなった。それ故に、自分を守る為の人格を生み出した。小早川春だと主張するお前もその交代人格の一つに過ぎない」
「違うよ。そんな事、あり得ないよ」

 頭を掻き毟りながら、ジャスパーは禍々しい眼差しをアルフォンスに向けた。
 アルフォンスは涼しい顔でジャスパーの視線を受け止めて言った。

「俺は疑問だった」
「何がだい?」
「愛してる。十年以上も自分を心の檻に閉じ込める程の愛を持つ人間がどうして冴島誠を見捨てたのかが不思議で仕方無かった」

 ジャスパーの動きが止まった。目が零れ落ちそうな程大きく見開かれ、全身を震わせている。

「幾ら、傍目から見て沈静化したように見えても、それほどの愛があるなら傍に居ようとする筈だ。なのに、小早川春は冴島誠から離れた。なあ、本当はその時既に捨てられていたんじゃないか?」
「……ヤメロ」
「お前が人を殺した後じゃなく、もっと前にお前は小早川春に捨てられたんだ」
「ヤメテ」
「ユーリィの体験したカラオケボックスに駆けつけようとする小早川春の記憶ってのは、お前の想像上の存在。交代人格の一人が起こした行動だったんじゃないか?」
「チガウ」
「お前はカラオケボックスで確かに誰かに救われたかもしれない。だが、それは小早川春じゃなかった。恐らく、そいつはあの長谷川って奴だったんじゃないのか?」
「チガウ。チガウ。チガウ。チガウ。チガウ。チガウ。チガウ。チガウ。チガウ。チガウ。チガウ。チガウ。チガウ。チガウ」

 狂ったように頭を掻き毟り、ジャスパーは錯乱したように「チガウ。チガウ」と呟き続けた。
 アルフォンスはそんなジャスパーを冷たい目で見つめながら言い放った。

「お前は飛び降り自殺をする前に長谷川に言ってたな。【だって、私を助けようとしてくれて、本当に助けてくれたのはあなただけだったから……】と。あれは小早川春に連絡をして助けを呼んだという意味じゃなかった。長谷川は本当にお前を助けたんだ。カラオケボックスに駆けつけ、お前を罪から遠ざける工作をしたのは全て長谷川だったんじゃないのか?」
「ヤメテ。チガウ。ハル君はワタシをタスケテクれたんだ。ハル君だったんだ。キテくレタのはハルクんだったんだ」

 錯乱し、ジャスパーは自分の口で真実を告げてしまった。

「自白したな。お前が小早川春じゃないと」

 アルフォンスは言った。

「お前は親やクラスメイトや無関係の人間を殺し捲くった超高校級の絶望。冴島誠だ」
「アガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

 夜気を引き裂くかの如き絶叫が響いた。
 ジャスパーは口をだらんと開け、目を見開き、体を震わせている。
 
「……ああ、アハハ、アハハハハハハハハハハハハ」

 突然、ジャスパーは笑い始めた。

「アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」

 狂ったように笑うジャスパーにアルフォンスは咄嗟に杖を向けた。そんな彼にジャスパーはニッコリと微笑んだ。
 今までとは違う。とても純朴そうな笑顔でジャスパーは言った。

「大正解。うん。やっぱり、凄いね、アル君。全部見抜いちゃうんだもん。そうだよ。私が本当の冴島誠です。改めて言うと変な感じがするけど、初めましてって事でいいのかな?」

第十一話「真実」

第十一話「真実」

 月がやけに近く感じる。単独での姿現しは初めての試みだったが、どうやら成功したらしい。目的地である【グラストンベリー・トー】が遠目に見える。
 グラストンベリー・トーとはサマセットのグラストンベリー近郊にある丘の事。嘗て、丘を囲むサマセット一帯は水の底にあった。干拓され、人々が棲み始める以前、この地はケルト人にとっての聖地だったらしい。騎士物語の代表格である《アーサー王伝説》の終幕である《カムランの戦い》の後、致命傷を負ったアーサー王は妖妃・モルガンに導かれ、《アヴァロン》と呼ばれる楽園に向かった。グラストンベリー・トーこそが嘗て、アヴァロンと呼ばれていた楽園であり、頂上に建造された屋根の無い旧聖ミカエル教会はイエスがヨセフと共にアヴァロンに足を踏み入れた際に建てたというイギリスで最初の教会だ。
 偉大なる王の眠るこの場所は血生臭い戦いの決着をつけるには、あまり相応しくない気がする。だけど、この先にユーリィが居るというなら、俺は歩き続ける。会いたいんだ。もう、何日もアイツの声を聞いてない。笑顔を見ていない。まるで、水を与えられていない植物のように俺はユーリィを欲している。
 
「万全を期して来いって言っただろ……」

 丘をゆっくり登り始めると、ナショナル・トラストというマグルの環境保全団体の看板の前で奴は腕を組んで待っていた。その顔には困ったような笑みが浮かんでいる。
 
「お前はユーリィの事になると直ぐに熱くなる。どんな時でもクールになれと教えただろ?」
「……無駄話をするつもりはない。ユーリィはこの先に居るんだな?」
「居る。安心しろ。無事だ」

 ダリウスは銃も杖も持っていない。この寒空の下、服装もジーンズに薄いTシャツ姿。だけど、油断は出来ない。
 ダリウスは戦闘のエキスパートだ。僅かな油断が命取りになる。

「教えた通り、しっかりと警戒しているな」

 ダリウスは嬉しそうに言った。

「敵陣では誰が相手だろうと油断してはいけない。相手が裏切り者かもしれない。服従の呪文に掛けられているかもしれない。だから、相手が味方であろうと警戒を怠ってはいけない」

 ダリウスに教わった通りの言葉を口にすると、ダリウスは小さく頷いた。

「そうだ。多くの魔法使いが死喰い人を前に膝を屈した最たる要因はそこにある。信頼というのは諸刃の剣だ。相手が真の味方であるなら、力を相乗させるが、相手が裏切り者であるなら、あまりにも致命的な隙となってしまう」
「一つ聞かせろ」

 聞いても意味など無いかもしれない。だけど、どうしても聞きたかった。

「アンタは何がしたかったんだ?」

 ジェイクを死なせ、ドラコを死なせ、ユーリィを攫った。その癖、俺達にヴォルデモートの居場所を教えた。この男の行動は矛盾を孕み過ぎている。
 ダリウスは深く息を吐いた。そして、懐に手を入れた。咄嗟に杖を銃を取り出してダリウスに構えた。だけど、ダリウスが取り出したのは妙な機械だった。

「俺は俺の正義を貫いただけだ」
 
 ダリウスは電話のような形の機械を操作した。

「今、死喰い人の拠点を全て爆破した」

 事も無げに言い放つダリウスに俺は目を瞠った。

「俺はジェイクの野郎を死なせた。ドラコの事も……、まるで、家畜のように丹精込めて育てて死なせた」
「何が目的だったんだ?」
「言っただろう? 俺の正義を貫く為だ」

 正義という言葉がこうも寒々しく響くとはな。

「正義ってのは、倫理や法に公正である事だ。道徳的な正しさを意味する言葉だ。お前の行動のどこに正義なんてもんがあるんだ?」
「言っただろう? あくまでも、俺の正義だ。俺にとっての倫理では正しいのさ。俺の法では正しいのさ。俺の道徳的にも正しいのさ」
「お前は一体……」
「俺はヴォルデモートの絶対的な信頼を得る必要があった」

 ダリウスは語った。

「ユーリィの語った物語は所詮、この世界にあり得たかもしれない未来の一つだったに過ぎん。同じ道を選んだとしても、決して俺達は勝利を得られない。だから、確実に勝てる方法を選択したんだ」
「ヴォルデモートの信頼を手に入れ、拠点の場所を暴く為に……?」
「それも一つだな。だが、もっとも重要だったのは、ヴォルデモートの居場所を探る事だ。奴は典型的な【劇場型犯罪者】だが、馬鹿じゃない。無意味に自身の姿を晒す真似はしない。自分の配下にすら、自分の居場所を安易に教えない慎重さを奴は持っていた」

 確かに、連合が捕えた死喰い人は誰もヴォルデモートの居場所を知らなかった。敵でさえ知らない情報を俺達が知るのはほぼ不可能に近い。
 獅子心中の虫となる事が唯一の手段と言える。

「……そんな事の為にお前はジェイクやマルフォイを殺したのか……。ユーリィまで攫ったってのか!!」
「ジェイクの死。ドラコの死。ユーリィの拉致。この三つが帝王に俺を信じさせた」

 涼しげに話すダリウスに怒りが爆発しそうになる。
 三人の顔が次々に浮かぶ。俺とユーリィをいつも見守ってくれたジェイクの姿。俺達とぶつかりながら、ユーリィに対しては誠実であったドラコ。俺にとって、一番大切な存在であるユーリィ。
 帝王の信頼を得る為。そんな理由で犠牲にしていい筈が無い。
 
「それに、それだけじゃない」
「それだけじゃない?」
「俺の真の目的はユーリィからジャスパーを切り離す事だった」

 ダリウスは険しい表情を浮かべた。

「ジャスパーは危険だ。俺は奴が喋る度に奴への不信感を募らせ続けた。あまりにも……演技臭くてな」

 よく言う。自分だって、俺達を騙し、ヴォルデモートすら欺いておきながら。
 だけど、同感だった。今思うと、ジャスパーの言葉はどれも演技臭く、どれも嘘くさかった。その存在のあり方そのものがあまりにも頓珍漢であるが故に、俺は奴を信じてしまった。だけど、本当に信じるべきだったのは奴じゃない。俺は何があろうとユーリィを信じるべきだった。

「奴の存在がユーリィと共にある限り、この世界は暗雲に包まれる。あの予言を覚えているだろう?」

 覚えている。『希望を覆い尽くす絶望の足音が聞こえる。穢れた魂は八つ目の月が生まれる時、帝王に抗う純血の下に生まれるであろう。その者は希望を絶望へ変えるであろう。その者が在る限り未来は無い。その者を封じなければ、死が世界を覆うだろう。しかし、その者の死は新たなる絶望の呼び水となるであろう。その者の異界知識を帝王が手に入れた時、天秤は傾き、帝王の望む世界が不破なるものとなるであろう。されど、その世界に勝者は無く、敗者は一人……嘆きの丘で朽ち果てるであろう』というのがユーリィを指す予言の全文。
 
「ジャスパーの存在ある限り、この世界に待ち受ける未来は不破の暗黒時代だ。奴を封じなければならない。ヴォルデモートもこの件に関しては同じ見解を示している。その為にジェイクを死なせ、ドラコを死なせた。ユーリィごと、ジャスパーを殺すわけにはいかなかったからな……」
「ッハ、ジェイクやマルフォイを死なせた野郎が何を言うかと思えば」

 ユーリィを殺すわけにはいかない。そんな台詞が出て来るとは驚きだ。
 あまりにも滑稽で、殺意が湧く。

「ユーリィは特別だからな」
「特別だと?」
「そうだろ。お前にとって、ユーリィは特別な存在だ。だから、ユーリィを死なせるわけにはいかなかった。ユーリィの死は新たなる絶望の呼び水となる」

 ダリウスの言葉に俺は嘗て、ダンブルドアに言われた言葉を思い出した。

【あの予言の中の一節……【その者の死は新たなる絶望の呼び水となるであろう】という一文。新たなる絶望とはお主の事じゃろう】

 ダンブルドアに言われた。ユーリィの死によって俺は新たなる絶望となると。

「だからこそ、ヴォルデモートもユーリィを安易に殺さず、特別扱いをしている」

 ダリウスの言葉は重く響いた。ユーリィの死が俺を絶望に落とす。それは間違い無い。その後、自分がどうなってしまうのか、自分自身、想像も出来ない。

「まさか、【絶望】であるジャスパーじゃなくて、【希望】であるユーリィが切り離されるとは予想していなかったがな……」
「……やっぱり、そうなのか?」

 ダリウスの言葉には確信が満ちている。
 絶望はジャスパーであり、ユーリィは希望だと確信している。
 
「当たり前だ。ユーリィが絶望である筈が無い。あのヴォルデモートですらも、あの子に対して冷酷で居られなくなっている。服や食事は一級品を揃え、極力、不自由な思いをさせないようにしている。あの闇の帝王がだ」

 ダリウスは何がおかしいのか、唇の端を吊り上げた。

「闇の帝王すら、【希望】を持ち始めているんだ。お前だって、大量殺戮者としての素養を有していながら、【希望】を持ち続けているじゃないか。あの子の存在のおかげで」

 ああ、そうだ。どうして、こんな簡単に分かる事に気付けなかったんだろう。
 ユーリィが希望か絶望かなんて、迷う必要は無かった。だって、アイツは俺に希望をくれた。人を傷つけて楽しい。人を殺して愉しい。そんな異常者をまともな人間にしてくるアイツが絶望なんてあり得ない。

「すっげー。単純な見落とししてたんだな」

 俺の呟きに、ダリウスは微笑んだ。

「それに、今の状況を見てみろ。ユーリィが居なくなった途端、世界に死が溢れ出した。ジャスパーには人の死を誘導する才能があるんだ」
「この状況はジャスパーの誘導によるものだってのか?」
「その通りだ。実を言うと、俺は今でも連合とパイプがある」
「スクリムジョールか?」
「気付いていたのか」
「ああもあからさまに短期決戦を念頭に入れたプロパガンダをされたら、誰だって奇妙に思うさ。結論に至ったのはアンタの話を聞いてからだったけどな」

 ダリウスはまるで教師が優秀な生徒を誇るように笑みを浮かべた。
 なんだか、むず痒い気分になる。

「死が加速した要因は連合が死を受け入れた事にある」
「どういう意味だ?」
「お前達はジャスパーに煽られたんだよ。ユーリィの事で死喰い人に対する怒りのボルテージを上げさせ、殺人も視野に入れなければ不可能な提案をした」
「こちらから攻勢を掛ける事か……」

 ハリーからの分霊箱の摘出の提案。その点だけを見れば、何も間違った事はしていない。
 だが、見方を変えれば、俺達はジャスパーの提案によって、死喰い人に攻勢を掛けるよう誘導された風にも思える。

「ユーリィという希望が存在しなくなった事で、絶望は力を発揮し始めた。なあ、もう気付いているんだろう? 恐らく、ジャスパーは――――」

 その言葉の続きを聞く事は出来なかった。
 緑の閃光。既に見慣れた死の呪文だ。

「大丈夫だったかい!?」

 振り向かなくても分かる。ユーリィと同じ声をしながら、俺の神経を逆撫でするこの声の主の正体は誰かなんて、振り向く必要すらない。

「ジャスパー」
「危なかったね。まったく、こんな場所に一人で来るなんて無茶をし過ぎだよ。ボク、慌てて追い掛けて来たんだ。君はボクらの希望なんだから、もっと、自分の命を大切にしてよ。君はこんな裏切り者の手に掛かって死んで良い人間じゃないんだからね」
「なあ、ジャスパー」
「ん? なんだい?」
「お前さ、嵐が丘って知ってるか?」
「え?」

 俺の質問の意図を量りかねているのか、ジャスパーはギョッとした表情を浮かべた・

「あのぶっとんだ恋愛小説の事かい? ボクはあんまり好きじゃないかな。あんな、何を考えてるか分からない人間達の事なんてさ」

 戸惑いながら答えるジャスパーに俺は「そうか」と言った。
 
「そんな事より、早く行こうよ。ボクはこの目で早く希望が成就する瞬間を見たいんだ」

 もう、間違いない。俺は懐から銃を取り出そうとした。その瞬間、背後から人影が現れた。
 ハリー達だった。その直ぐ後にヴォルデモートも現れた。
 奴は俺とダリウスの話を聞いていたのだろうか。どうでもいい。俺はハリー達と増援に来た連合のメンバー達にヴォルデモート率いる死喰い人の相手を任せ、丘を駆け上がった。
 この先にユーリィが居る。ダリウスの死なんざ、もうどうでもいい。奴がした事は所詮一人善がりだ。ユーリィから愛する父を奪った事は決して許されない。
 
「ユーリィ」

 頂上に辿り着くと、俺は教会の中に足を踏み入れた。中は魔法使いのテントと同様に魔法で作られた空間が広がっていた。
 美しい調度品の並ぶ廊下を走り抜け、俺は一番奥の扉を開いた。そこに、二人の女が居た。一人は小柄な金髪の少女。そして、もう一人は黒髪の少女。その顔を見た瞬間に確信した。

「ユーリィ!!」

 驚き、目を見開くユーリィを俺は問答無用で抱き締めた。

「ア、アル……? え、嘘……え?」

 途惑うユーリィに俺は口付けをした。目を見開き、ジタバタと暴れるユーリィに構わず、俺はユーリィの唇を味わい尽くした。
 拒絶なんてさせない。お前は俺の物だ。
 散々、ユーリィの唇を蹂躙し尽くした後、俺は一つの質問を投げ掛けた。

「ユーリィ。俺を好きか?」

 顔を真っ赤にして、瞳を涙で潤ませ、ユーリィは口をわなわなと中途半端に開きながら、ユーリィは戸惑い気に頷いた。

「う、うん……え?」
「ああ、それを聞きたかった。愛してるぜ、ユーリィ。この世の誰より愛している。だから、ちょっと待ってろ」

 俺は近くにあったベッドにユーリィを押し倒し、踵を返してジャスパーを見た。

「さあ、そろそろ茶番は終わりにしようぜ、ジャスパー」
「えっと、茶番って? っていうか、いきなり凄い事するね、君……」

 困惑した表情を浮かべるジャスパー。だが、もう、お前の仮面に騙されたりはしない。

「こう言えば、分かるか?」

 俺は言った。俺が抱いた様々な疑問の答え。

「茶番は終わりだ、ジャスパー。いや――――、【冴島誠】!!」