第十一話「真実」

第十一話「真実」

 月がやけに近く感じる。単独での姿現しは初めての試みだったが、どうやら成功したらしい。目的地である【グラストンベリー・トー】が遠目に見える。
 グラストンベリー・トーとはサマセットのグラストンベリー近郊にある丘の事。嘗て、丘を囲むサマセット一帯は水の底にあった。干拓され、人々が棲み始める以前、この地はケルト人にとっての聖地だったらしい。騎士物語の代表格である《アーサー王伝説》の終幕である《カムランの戦い》の後、致命傷を負ったアーサー王は妖妃・モルガンに導かれ、《アヴァロン》と呼ばれる楽園に向かった。グラストンベリー・トーこそが嘗て、アヴァロンと呼ばれていた楽園であり、頂上に建造された屋根の無い旧聖ミカエル教会はイエスがヨセフと共にアヴァロンに足を踏み入れた際に建てたというイギリスで最初の教会だ。
 偉大なる王の眠るこの場所は血生臭い戦いの決着をつけるには、あまり相応しくない気がする。だけど、この先にユーリィが居るというなら、俺は歩き続ける。会いたいんだ。もう、何日もアイツの声を聞いてない。笑顔を見ていない。まるで、水を与えられていない植物のように俺はユーリィを欲している。
 
「万全を期して来いって言っただろ……」

 丘をゆっくり登り始めると、ナショナル・トラストというマグルの環境保全団体の看板の前で奴は腕を組んで待っていた。その顔には困ったような笑みが浮かんでいる。
 
「お前はユーリィの事になると直ぐに熱くなる。どんな時でもクールになれと教えただろ?」
「……無駄話をするつもりはない。ユーリィはこの先に居るんだな?」
「居る。安心しろ。無事だ」

 ダリウスは銃も杖も持っていない。この寒空の下、服装もジーンズに薄いTシャツ姿。だけど、油断は出来ない。
 ダリウスは戦闘のエキスパートだ。僅かな油断が命取りになる。

「教えた通り、しっかりと警戒しているな」

 ダリウスは嬉しそうに言った。

「敵陣では誰が相手だろうと油断してはいけない。相手が裏切り者かもしれない。服従の呪文に掛けられているかもしれない。だから、相手が味方であろうと警戒を怠ってはいけない」

 ダリウスに教わった通りの言葉を口にすると、ダリウスは小さく頷いた。

「そうだ。多くの魔法使いが死喰い人を前に膝を屈した最たる要因はそこにある。信頼というのは諸刃の剣だ。相手が真の味方であるなら、力を相乗させるが、相手が裏切り者であるなら、あまりにも致命的な隙となってしまう」
「一つ聞かせろ」

 聞いても意味など無いかもしれない。だけど、どうしても聞きたかった。

「アンタは何がしたかったんだ?」

 ジェイクを死なせ、ドラコを死なせ、ユーリィを攫った。その癖、俺達にヴォルデモートの居場所を教えた。この男の行動は矛盾を孕み過ぎている。
 ダリウスは深く息を吐いた。そして、懐に手を入れた。咄嗟に杖を銃を取り出してダリウスに構えた。だけど、ダリウスが取り出したのは妙な機械だった。

「俺は俺の正義を貫いただけだ」
 
 ダリウスは電話のような形の機械を操作した。

「今、死喰い人の拠点を全て爆破した」

 事も無げに言い放つダリウスに俺は目を瞠った。

「俺はジェイクの野郎を死なせた。ドラコの事も……、まるで、家畜のように丹精込めて育てて死なせた」
「何が目的だったんだ?」
「言っただろう? 俺の正義を貫く為だ」

 正義という言葉がこうも寒々しく響くとはな。

「正義ってのは、倫理や法に公正である事だ。道徳的な正しさを意味する言葉だ。お前の行動のどこに正義なんてもんがあるんだ?」
「言っただろう? あくまでも、俺の正義だ。俺にとっての倫理では正しいのさ。俺の法では正しいのさ。俺の道徳的にも正しいのさ」
「お前は一体……」
「俺はヴォルデモートの絶対的な信頼を得る必要があった」

 ダリウスは語った。

「ユーリィの語った物語は所詮、この世界にあり得たかもしれない未来の一つだったに過ぎん。同じ道を選んだとしても、決して俺達は勝利を得られない。だから、確実に勝てる方法を選択したんだ」
「ヴォルデモートの信頼を手に入れ、拠点の場所を暴く為に……?」
「それも一つだな。だが、もっとも重要だったのは、ヴォルデモートの居場所を探る事だ。奴は典型的な【劇場型犯罪者】だが、馬鹿じゃない。無意味に自身の姿を晒す真似はしない。自分の配下にすら、自分の居場所を安易に教えない慎重さを奴は持っていた」

 確かに、連合が捕えた死喰い人は誰もヴォルデモートの居場所を知らなかった。敵でさえ知らない情報を俺達が知るのはほぼ不可能に近い。
 獅子心中の虫となる事が唯一の手段と言える。

「……そんな事の為にお前はジェイクやマルフォイを殺したのか……。ユーリィまで攫ったってのか!!」
「ジェイクの死。ドラコの死。ユーリィの拉致。この三つが帝王に俺を信じさせた」

 涼しげに話すダリウスに怒りが爆発しそうになる。
 三人の顔が次々に浮かぶ。俺とユーリィをいつも見守ってくれたジェイクの姿。俺達とぶつかりながら、ユーリィに対しては誠実であったドラコ。俺にとって、一番大切な存在であるユーリィ。
 帝王の信頼を得る為。そんな理由で犠牲にしていい筈が無い。
 
「それに、それだけじゃない」
「それだけじゃない?」
「俺の真の目的はユーリィからジャスパーを切り離す事だった」

 ダリウスは険しい表情を浮かべた。

「ジャスパーは危険だ。俺は奴が喋る度に奴への不信感を募らせ続けた。あまりにも……演技臭くてな」

 よく言う。自分だって、俺達を騙し、ヴォルデモートすら欺いておきながら。
 だけど、同感だった。今思うと、ジャスパーの言葉はどれも演技臭く、どれも嘘くさかった。その存在のあり方そのものがあまりにも頓珍漢であるが故に、俺は奴を信じてしまった。だけど、本当に信じるべきだったのは奴じゃない。俺は何があろうとユーリィを信じるべきだった。

「奴の存在がユーリィと共にある限り、この世界は暗雲に包まれる。あの予言を覚えているだろう?」

 覚えている。『希望を覆い尽くす絶望の足音が聞こえる。穢れた魂は八つ目の月が生まれる時、帝王に抗う純血の下に生まれるであろう。その者は希望を絶望へ変えるであろう。その者が在る限り未来は無い。その者を封じなければ、死が世界を覆うだろう。しかし、その者の死は新たなる絶望の呼び水となるであろう。その者の異界知識を帝王が手に入れた時、天秤は傾き、帝王の望む世界が不破なるものとなるであろう。されど、その世界に勝者は無く、敗者は一人……嘆きの丘で朽ち果てるであろう』というのがユーリィを指す予言の全文。
 
「ジャスパーの存在ある限り、この世界に待ち受ける未来は不破の暗黒時代だ。奴を封じなければならない。ヴォルデモートもこの件に関しては同じ見解を示している。その為にジェイクを死なせ、ドラコを死なせた。ユーリィごと、ジャスパーを殺すわけにはいかなかったからな……」
「ッハ、ジェイクやマルフォイを死なせた野郎が何を言うかと思えば」

 ユーリィを殺すわけにはいかない。そんな台詞が出て来るとは驚きだ。
 あまりにも滑稽で、殺意が湧く。

「ユーリィは特別だからな」
「特別だと?」
「そうだろ。お前にとって、ユーリィは特別な存在だ。だから、ユーリィを死なせるわけにはいかなかった。ユーリィの死は新たなる絶望の呼び水となる」

 ダリウスの言葉に俺は嘗て、ダンブルドアに言われた言葉を思い出した。

【あの予言の中の一節……【その者の死は新たなる絶望の呼び水となるであろう】という一文。新たなる絶望とはお主の事じゃろう】

 ダンブルドアに言われた。ユーリィの死によって俺は新たなる絶望となると。

「だからこそ、ヴォルデモートもユーリィを安易に殺さず、特別扱いをしている」

 ダリウスの言葉は重く響いた。ユーリィの死が俺を絶望に落とす。それは間違い無い。その後、自分がどうなってしまうのか、自分自身、想像も出来ない。

「まさか、【絶望】であるジャスパーじゃなくて、【希望】であるユーリィが切り離されるとは予想していなかったがな……」
「……やっぱり、そうなのか?」

 ダリウスの言葉には確信が満ちている。
 絶望はジャスパーであり、ユーリィは希望だと確信している。
 
「当たり前だ。ユーリィが絶望である筈が無い。あのヴォルデモートですらも、あの子に対して冷酷で居られなくなっている。服や食事は一級品を揃え、極力、不自由な思いをさせないようにしている。あの闇の帝王がだ」

 ダリウスは何がおかしいのか、唇の端を吊り上げた。

「闇の帝王すら、【希望】を持ち始めているんだ。お前だって、大量殺戮者としての素養を有していながら、【希望】を持ち続けているじゃないか。あの子の存在のおかげで」

 ああ、そうだ。どうして、こんな簡単に分かる事に気付けなかったんだろう。
 ユーリィが希望か絶望かなんて、迷う必要は無かった。だって、アイツは俺に希望をくれた。人を傷つけて楽しい。人を殺して愉しい。そんな異常者をまともな人間にしてくるアイツが絶望なんてあり得ない。

「すっげー。単純な見落とししてたんだな」

 俺の呟きに、ダリウスは微笑んだ。

「それに、今の状況を見てみろ。ユーリィが居なくなった途端、世界に死が溢れ出した。ジャスパーには人の死を誘導する才能があるんだ」
「この状況はジャスパーの誘導によるものだってのか?」
「その通りだ。実を言うと、俺は今でも連合とパイプがある」
「スクリムジョールか?」
「気付いていたのか」
「ああもあからさまに短期決戦を念頭に入れたプロパガンダをされたら、誰だって奇妙に思うさ。結論に至ったのはアンタの話を聞いてからだったけどな」

 ダリウスはまるで教師が優秀な生徒を誇るように笑みを浮かべた。
 なんだか、むず痒い気分になる。

「死が加速した要因は連合が死を受け入れた事にある」
「どういう意味だ?」
「お前達はジャスパーに煽られたんだよ。ユーリィの事で死喰い人に対する怒りのボルテージを上げさせ、殺人も視野に入れなければ不可能な提案をした」
「こちらから攻勢を掛ける事か……」

 ハリーからの分霊箱の摘出の提案。その点だけを見れば、何も間違った事はしていない。
 だが、見方を変えれば、俺達はジャスパーの提案によって、死喰い人に攻勢を掛けるよう誘導された風にも思える。

「ユーリィという希望が存在しなくなった事で、絶望は力を発揮し始めた。なあ、もう気付いているんだろう? 恐らく、ジャスパーは――――」

 その言葉の続きを聞く事は出来なかった。
 緑の閃光。既に見慣れた死の呪文だ。

「大丈夫だったかい!?」

 振り向かなくても分かる。ユーリィと同じ声をしながら、俺の神経を逆撫でするこの声の主の正体は誰かなんて、振り向く必要すらない。

「ジャスパー」
「危なかったね。まったく、こんな場所に一人で来るなんて無茶をし過ぎだよ。ボク、慌てて追い掛けて来たんだ。君はボクらの希望なんだから、もっと、自分の命を大切にしてよ。君はこんな裏切り者の手に掛かって死んで良い人間じゃないんだからね」
「なあ、ジャスパー」
「ん? なんだい?」
「お前さ、嵐が丘って知ってるか?」
「え?」

 俺の質問の意図を量りかねているのか、ジャスパーはギョッとした表情を浮かべた・

「あのぶっとんだ恋愛小説の事かい? ボクはあんまり好きじゃないかな。あんな、何を考えてるか分からない人間達の事なんてさ」

 戸惑いながら答えるジャスパーに俺は「そうか」と言った。
 
「そんな事より、早く行こうよ。ボクはこの目で早く希望が成就する瞬間を見たいんだ」

 もう、間違いない。俺は懐から銃を取り出そうとした。その瞬間、背後から人影が現れた。
 ハリー達だった。その直ぐ後にヴォルデモートも現れた。
 奴は俺とダリウスの話を聞いていたのだろうか。どうでもいい。俺はハリー達と増援に来た連合のメンバー達にヴォルデモート率いる死喰い人の相手を任せ、丘を駆け上がった。
 この先にユーリィが居る。ダリウスの死なんざ、もうどうでもいい。奴がした事は所詮一人善がりだ。ユーリィから愛する父を奪った事は決して許されない。
 
「ユーリィ」

 頂上に辿り着くと、俺は教会の中に足を踏み入れた。中は魔法使いのテントと同様に魔法で作られた空間が広がっていた。
 美しい調度品の並ぶ廊下を走り抜け、俺は一番奥の扉を開いた。そこに、二人の女が居た。一人は小柄な金髪の少女。そして、もう一人は黒髪の少女。その顔を見た瞬間に確信した。

「ユーリィ!!」

 驚き、目を見開くユーリィを俺は問答無用で抱き締めた。

「ア、アル……? え、嘘……え?」

 途惑うユーリィに俺は口付けをした。目を見開き、ジタバタと暴れるユーリィに構わず、俺はユーリィの唇を味わい尽くした。
 拒絶なんてさせない。お前は俺の物だ。
 散々、ユーリィの唇を蹂躙し尽くした後、俺は一つの質問を投げ掛けた。

「ユーリィ。俺を好きか?」

 顔を真っ赤にして、瞳を涙で潤ませ、ユーリィは口をわなわなと中途半端に開きながら、ユーリィは戸惑い気に頷いた。

「う、うん……え?」
「ああ、それを聞きたかった。愛してるぜ、ユーリィ。この世の誰より愛している。だから、ちょっと待ってろ」

 俺は近くにあったベッドにユーリィを押し倒し、踵を返してジャスパーを見た。

「さあ、そろそろ茶番は終わりにしようぜ、ジャスパー」
「えっと、茶番って? っていうか、いきなり凄い事するね、君……」

 困惑した表情を浮かべるジャスパー。だが、もう、お前の仮面に騙されたりはしない。

「こう言えば、分かるか?」

 俺は言った。俺が抱いた様々な疑問の答え。

「茶番は終わりだ、ジャスパー。いや――――、【冴島誠】!!」

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