あとがき

・あとがき

ここまでのご愛読、ありがとうございました。
今回は、Fate/Grand Orderをプレイしていて思いついてしまった人造人類悪設定を使ってみたくて書いてみました。
あと、メアリー・スーと呼ばれるような主人公で一度書いてみたかったのもあります。
感想でも指摘された通り、もう少し掘り下げても良かったかもしれないな、と反省しておりますOTL
ただ、士郎に対してアンチテーゼな感じになってしまい、書くのが辛くなってしまいまして……。
士郎がアリーシャの味方になるルートも考えてみたのですが、それだと本気で救いのないBADENDにしか行かなかったのでこうなりました。

こちらはアリーシャのステータスになります(活動報告で上げたモノの加筆版)。なんという、メアリー・スー。
ちなみに、彼女の本当の名前はシロウです。さりげなく、彼女の母の方のイリヤが死に際に名付けています。
タグのシロウルートの意味は、凛の視点で|シロウ《アリーシャ》ルートであり、イリヤの視点で|シロウ《士郎》ルートであり、アリーシャの人生が|正義の味方《シロウ》に至る|道筋《ルート》であるという意味です。

《キャラクター詳細》
真名:無銘
本来の名前:シロウ
凛が付けた名前:アリーシャ
クラス:アーチャー
身長:158cm / 体重:54kg
属性:秩序・善
性別:女性

《ステータス》
[初期]筋力:C+ 耐久:D 敏捷:B 魔力:A 幸運:E 宝具:不明
[霊基再臨ⅰ]筋力:B+ 耐久:A 敏捷:B 魔力:A 幸運:E 宝具:EX
[霊基再臨ⅲ]筋力:EX 耐久:EX 敏捷:EX 魔力:A 幸運:E 宝具:EX
      ※霊長の殺戮者(悪)によって、彼女のステータスは変動する。

《クラス別能力》
対魔力:B 単独行動:C

《保有スキル》
[初期]千里眼:B 魔術:A 心眼(真):D 怪力:C- 
[霊基再臨ⅰ]
・ネガ・マリス:A
悪意を抱くモノに対する殺害権利。
……この世に一欠片の悪意も抱かぬ者などいない。
つまり、このスキルは悪意という概念を生み出した人類という種、すべてに適応される。

・自然の嬰児:A
世界の裡で生まれ落ちた嬰児たち。
たとえ天然自然の生物ではなく、人の手によって造り出された命であろうとも、時に世界は多くの祝福を与え得る。

・自己改造:EX
内にサーヴァントの魂を取り込む度、彼女の霊基は変貌を遂げていく。
七つの魂を取り込み、満たされた時、そこには……、

[霊基再臨ⅱ]
・単独顕現:B
単体で現世に現れるスキル。このスキルがある限り、彼女はマスターが不在でも顕現し続ける事が出来る。

・嗤う鉄心:B
精神汚染スキル。通常の精神汚染と異なり、固定された概念を押しつけられる、一種の洗脳に近い。
与えられた思考は《正義の味方》という理想の体現者の精神性をモデルにしている。

[霊基再臨ⅲ]
・霊長の殺戮者(悪):EX
悪意を抱く存在を対象として発揮され、対象よりも一段階強くなる特性が付与される。

《宝具》
[第一宝具]
宝具名:|第八禁忌・人類悪《アンチ・アンリマユ》
ランク:EX
種別:対悪宝具
概要:一つの目的に特化した聖杯である彼女は、七体のサーヴァントの魂を取り込む事で完成する。
   人類を間引く為に作られ、ガイアによって肯定された彼女は、いずれ人類悪と呼ばれる存在に至る。
   未完成の状態でさえ、人間である限り、彼女に敵う者はいない。一部の例外を除いて……。

[第二宝具]
宝具名:|擬・叛逆の騎士《クラレント・モードレッド》
ランク:A
種別:対人宝具
概要:|燦然と輝く王剣《クラレント》を核に、聖杯が造り上げた、アリーシャの理想とするモードレッド。
   剣と騎士、二つの形態を持つ。

エピローグ『わたしと彼女の歩む先』

エピローグ

 あれから、数年の月日が経過した。
 オレは旅を続けている。メキシコの国境近くにある街や、中東の村を巡り、悪人を処理して回っている。
 悪が何処にいるのか、どのような悪が横行しているのか、すべて分かっている。
 オレがやっている事は、アリーシャが歩んだ軌跡をなぞる行為。彼女が殺す筈だった者を殺していく。

「ん?」

 テロリストの集団を皆殺しにした時、胸元が震えた。携帯電話を取り出すと、液晶に表示された名前に目を丸くした。
 通話ボタンを押すと、懐かしい声が聞こえた。

『……えっと、これでいいのよね? えっと、通じてる?』
「ああ、問題なく通じているよ。君から連絡が来るとは思わなかったな。何かあったのか?」
『アンタ、今どこにいるの?』
「フランスだよ。大衆を巻き込んだテロを計画している集団を処理していたところだ」
『……アンタが何してるのか、なんて聞いてないわよ。それより、日本に戻って来れない?』
「次は中国に向かう予定だったのだが……、どうかしたのか?」
『……アリーシャが生まれる』
「は? ……すまない。どういう意味だ?」
『だ・か・ら、イリヤが出産するって意味よ!』
「はぁ!? どういう事だ!?」
『アンタ、身の覚えはないわけ!?』
「無いぞ! どういう事だ!? いや、聖杯で出来るようにはなった筈だが……、本当に心当たりが無いぞ」
『え? でも、アンタの子だって言ってるけど……』
「ちょっと、待ってくれ。イリヤに代わってくれないか?」
『仕方ないわね。イリヤ! 愛しのシロウが代わって欲しいって!』

 しばらく待つと、遠坂は疲れたように言った。

『電話じゃ、嫌だって……』
「……了解した。とりあえず、日本に戻るよ。幸い、協力者も出来たのでね。中国の方は彼らに任せよう」
『……殺人集団なんて率いて、どっちがテロリストなのよ。正義の味方が聞いて呆れるわね』
「今更だな。己の娘に殺意を向けた時点で、オレに正義の味方を騙る資格など無い」
『だったら、なんで、そんな事続けてんのよ……』
「今日は随分としつこいな。声も聞きたくないのでは無かったのか?」
『うっ、うっさい! 捻くれた言い方するな!』
「はいはい。とりあえず、今はまだ忙しいから切るぞ。明日、日本に向かう。到着は明後日になると思う」

 深く息を吐いて、気を落ち着ける。
 正直に言って、何が何だか分からない。イリヤと最後に会ったのは二年も前だ。
 
「……イリヤ、元気かな」

 結局、生き方を変えられなかった。アリーシャが生まれた世界と同じように、オレはイリヤを置き去りにした。
 あの時は大変だった。イリヤには泣かれて、遠坂には怒られて、アリーシャには悲しまれた。
 だけど、起きると分かっている悲劇を、止められる力を持っていながら見過ごす事は出来なかった。
 我が事ながら、救いようのない愚か者だ。

 翌日、飛行機に飛び乗り、そのまま日本へ向かった。
 一日掛かって冬木市に入ると、思っていた以上に懐かしさが込み上げてきた。

「イリヤ……」

 海外にいた間に急激に背が伸びたせいか、故郷の風景が随分と違って見える。
 カタチの変わったバスに乗り込み、深山町に向かう。
 衛宮邸に到着すると、懐かしい顔が出迎えてくれた。

「おかえりなさい、シロウ」
「ああ、ただいま。セイバー」

 彼女は最後に会った時と何も変わっていない。
 セイバーはオレ達の事を心配して残ってくれた。今はマスター権をイリヤに移して、彼女を守ってもらっている。

「背が伸びましたね」
「少しな」
「……無茶を続けているようですね」

 オレの変色した皮膚に触れながら、彼女は痛ましそうに表情を歪めて呟いた。

「私のせいだ。私が貴方に覚悟を迫ったから……」
「これはオレが自分の意志を通した結果だよ、セイバー。君が気にする事じゃない。それよりも、イリヤに会わせてもらえるか?」
「……ええ、奥で休んでいます」

 セイバーに先導されながら、嘗て住んでいた家を歩く。なんだか、妙な気分だ。

「そう言えば、藤ねえはいるのか?」
「タイガは学校ですよ。今日は平日ですから」
「そっか……」
「今日、シロウが帰ってくると聞いて、喜んでいましたよ」
「そっか」

 奥の部屋に着くと、リーゼリットの姿があった。

「やっほー、シロウ。ひさしぶり」
「ああ、ひさしぶりだな。イリヤは中に?」
「うん。会ってあげて。イリヤ、よろこぶとおもう」

 中に入ると、そこには遠坂とアリーシャの姿もあった。イリヤは目を瞑っている。
 どうにも気まずい。

「……久しぶりだな」
「久しぶりね」
「久しぶり……」

 最後に二人と会った時は喧嘩別れに近いものだったから、中々会話の糸口が見つからない。

「……えっと、イリヤは寝てるのか?」
「さっきまで起きていたんだけど、疲れやすくなっているみたい」

 イリヤを見る。前に会った時よりも背が伸びている。妖精のような可憐さは、女神のような美しさに変わりつつある。
 思わず見惚れていると、彼女の瞼が動いた。

「イリヤ?」
「……シロウ?」

 オレに気付くと、彼女は心底嬉しそうに微笑んだ。

「おかえりなさい、シロウ」
「ただいま、イリヤ」

 視線を彼女の腹部に向ける。電話で遠坂が言っていた通り、大きくなっている。

「……イリヤ。その子はオレの子なのか?」
「そうだよ」
「だが……、君と最後に会ったのは二年前だぞ。それに、君とその……、そういう事をしたのは――――」
「ええ、聖杯戦争中の一回だけ。その時に、わたしの中に保存しておいたってわけ」

 呆然としてしまった。

「なんで……」

 オレはアリーシャを見た。
 不幸な人生を歩ませてしまった娘。一度は世界と天秤にかけて殺そうとまでした。
 とてもではないが、彼女の父親になる資格などない。それはイリヤも分かっている筈だ。
 それなのに、どうして……、

「……シロウ。ここに、命が宿っているの」

 お腹を触りながら、彼女は言った。

「アリーシャを通じて、わたしは彼女の母親である|イリヤスフィール《わたし》と繋がった。彼女は……、この子を愛していた」

 イリヤはアリーシャを見つめた。
 アリーシャはその視線から逃げるように顔を逸した。                                               

「産まない……、なんて選択は出来なかったの。リンには散々怒られたけど、それでも……」

 遠坂を見ると、彼女は気まずそうに視線を逸した。

「……あの時はカッとなって、悪かったわよ。母親の気持ちなんて……、あんまり考えた事が無かったから」
「ううん。結果として、アリーシャには不幸な人生を歩ませてしまった。選択肢自体が無かったけど、それでも産むべきじゃなかった事は分かってる。それでも……、この子が産まれてきてくれた事が、|イリヤスフィール《わたし》は嬉しくて堪らなかった。本当なら……、幸せにしてあげたかった」

 イリヤは涙を零しながら言った。

「……今更だって事も分かってる。一度はシロウと一緒に殺そうとしたんだもの。だけど、時が経つに連れて、彼女の母親と意識が重なって……、なんて酷いことをしたんだろうって……」
「お母さん……」

 イリヤは大きくなったお腹を抱きしめるように手を回しながら言った。

「シロウ。わたし達、間違ってた」
「イリヤ……」
「何があっても、この子の味方をしてあげなくちゃいけなかったの。だって……、母親なんだもの」
 
 その姿はとても弱々しくて、今にも折れてしまいそうだった。

「シロウ。少しの間でいい。この子が産まれてくるまで、ここに居て欲しい……」
「……ああ、分かったよ」

 安心したのか、それとも泣き疲れたのか、イリヤは再び眠ってしまった。

「母親か……」

 アリーシャを見ると、彼女もオレを見ていた。

「アリーシャ」
「なに?」

 謝って済む事じゃない。
 だけど……、

「すまなかった」
「……お父さん」
「オレは自分を曲げられなかった。お前に辛い人生を送らせておいて、また、イリヤを置き去りにした」
「酷い人だね……」
「ああ、まったくだ」

 クスリとアリーシャは微笑んだ。

「わたし、お父さんの事が大嫌いだよ」
「……ああ」
「だから……、今度産まれてくるわたしには、お父さんの事を大好きと思わせてあげて」
「アリーシャ……」
「娘としての、一生のお願い……。わたしは、お父さんとお母さんを愛したかったから……」

 涙を零すアリーシャの肩を遠坂がそっと支えた。
 責めるような目で見てくる。分かっている。向き合う時が来たという事だ。
 
「……ちゃんと、父親になるよ」

 イリヤを置き去りにしたのも、本当は逃げていただけなのかもしれない。
 己の罪の重さから目を背けて、楽な方に進もうとしていただけなのかもしれない。
 もうすぐ、目の前にいる娘が産まれてくる。一度は不幸のどん底に落としてしまった。二度も同じ轍を踏むわけにはいかない。

「必ず、家族を幸せにする。約束するよ」
「……うん」

 そして、一週間が過ぎた。
 病院で、元気な産声が響き渡る。
 イリヤそっくりな女の子だ。その無垢な顔を見た瞬間、オレは本当の意味で己の罪を理解した。
 これが父親になるという事。この小さな存在を守る事こそ、己の最大の責務であり、この子を不幸にする事だけは絶対にしてはならない事だ。
 ましてや、この子を殺すなど……、

「あっ、ぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああ!!」

 病室である事も気にしていられなかった。
 湧き起こる感情をひたすら叫び声に変えた。
 オレは……、間違えていた。

 ◇

 お父さんが|赤ん坊《わたし》を抱いている。
 涙を零しながら、心底愛おしそうに……。

「良かった……。ちゃんと、愛してくれてる」

 わたしの得られなかったもの。
 彼女はわたしが経験した事を知らないまま、わたしが経験しなかった事を経験して、大人になっていく。
 それが、堪らなく羨ましい。

「アリーシャ」

 リンが呼んでいる。
 わたしは名残惜しく思いながら、病室の窓から視線を逸した。

「……あの子だけじゃない。アンタも、これから幸せになるの」
「リン……」
「とりあえず、予定していた温泉旅行に出発よ!」

 わたしがあの子の得られる幸せを得る事は永遠に無い。
 だけど、わたしにはわたしの幸せがある。
 目の間にいる、最高の友達との絆。これだけは、きっと彼女も得られない。わたしだけの幸せ。

「うん! 行こう!」

 いつか、わたしの罪が裁かれる日が来るかもしれない。
 いつか、リンとの別れの日が来るかもしれない。
 それは避けようのないもの。だけど、それまでは……、

「ずっと一緒だよ、リン!」
「ええ、逃げようとしても、逃さないわよ、アリーシャ!」

 どんな終わりを迎えても、わたしと彼女の歩む先はきっと幸福なものに違いない。
 それだけは確信出来る。

 [END]

最終話『真相』

最終話『真相』

 ある人が言った。

『――――貴様等は、何度同じ轍を踏めば気が済むのだ!!』

 それは、わたしを創り出した錬金術師達に対する怒りだった。

『……貴女に罪は無い。それでも、貴女を完成させるわけにはいきません』

 彼女はわたしに『罪は無い』と言った。

『奈落の使徒よ。大いなる破滅を約束する少女よ! すまないが死んでくれ! それが我らの安寧なのだ! それが我らの望みなのだ!』

 彼は己の為にわたしを殺すと言った。

『……ああ、彼女の言った通り、君には何の罪もない。ただ、存在する事がこの世界にとって脅威なのだ。だから、私達は君を殺す。ああ、恨みたければ好きなだけ恨め。それは正当な権利だ』

 誰もが口を揃えて、わたしは悪くないと言う。それなのに、わたしの死を求めてくる。
 
 ――――わたしに罪が無いのなら、どうして、わたしを助けてくれないの?

 罪の無い人間を殺そうとしている癖に、彼らは揃って善人の振りをする。己こそが正義の味方だと言うかのように、勇ましい雄叫びまで上げて、殺意を向けてくる。

 ――――ふざけるな。わたしは何も悪くないのだろう? それでも、お前達はわたしを殺す。それを正義と謳うのなら……。

 六人目の敵を殺した時点で、わたしは自覚した。

 ――――わたしは世を呪い、人を憎んでいる。

 怒り、憎しみ、憎悪。それだけが積み重なっていく。
 最後の敵は、わたしが殺した。

『……マスター。オレは……、お前を……』

 腹部に突き刺さる宝剣を引き抜く。
 彼女はわたしを殺そうとした。だけど、わたしは生き残った。
 彼女の宝剣を聖杯の力で己の者にする。
 
 ――――わたしのセイバー。

 信じていたのに、裏切られた。彼女も、あの偽善者達と同じだった。だから、彼女の剣を核に、わたしの理想とするセイバーを作り直すことにした。
 わたしを裏切らない存在。わたしを救ってくれる存在。わたしを守ってくれる存在。
 わたしだけの味方……。

 ――――人間よ。そうまで望むのなら、お前達の望むままに正義を行使してやろう。

 正義とは、悪を打ち倒すモノ。悪とは、人類という種そのモノ。
 殺してやる。この世の全ての|悪《にんげん》を一匹残らず、駆逐してやる。

 ◇

 振り返ってみると、気付く機会は何度もあった。
 最初の夜に見た夢。憎悪と憤怒。その二つが交じり合う世界。アレはわたしの過去ではなく、本質を投影した夢だった。
 それに、ギルガメッシュと対峙した時、己の内から聞こえてきた声は言っていた。

 ――――そうあれと望まれ、仕組まれた運命を歩み、世を呪い、人を憎み、手に入れた正義の力。

 それだけじゃない。なによりも、アサシンを殺す時に使った宝具。|我が麗しき父への叛逆《クラレント・ブラッドアーサー》は本来、モードレッドが抱く、父への憎悪を魔力というカタチで|燦然と輝く王剣《クラレント》に注ぎ込み、発動させるモノだ。
 ソレを使えるという事は、わたしの中に、彼女に負けない憎悪が宿っていた証に他ならない。
 それでも、自分の本質に気づかなかった理由は……、気づこうとしなかった理由は……、 

「アリーシャ!!」

 リンの声が聞こえる。とてもじゃないけど、彼女の目を見ていられない。
 こんなわたしを救う為に頑張ってくれた人。
 優しくて、あたたかくて、とてもキレイな女の子。
 彼女の前では、|良い子《・・・》で居たかった。

「意識を取り戻したのね!?」
「……うん」

 満面の笑みを浮かべるリン。

「よーし! 後は取り込んだサーヴァントの魂を解放するだけよ! それで、アンタは――――」
「ごめんね、リン」

 わたしはリンの言葉を遮った。

「アリーシャ……?」
「わたし、その命令には従えない」
「……は? 何、言ってんのよ! あと一歩なのよ!? それで、アンタは救われるの! 馬鹿な事を言ってないで、始めるわよ!」
「リン。わたしは……」
「ウルサイ!!」

 リンは怒りに満ちた表情でわたしを睨みつけた。

「ガタガタ言うんじゃないわよ! アンタは救われなきゃいけないの! 正義の味方だとか、人類悪だとか、そんなのアンタに似合わないのよ! 良い子だから、ほら!」

 その言葉に、わたしは耐え切れなかった。

「良い子なんかじゃないよ!!」
「アリーシャ……?」

 言いたくない。だけど、言わないといけない。

「……リン。わたしはリンが思ってくれるような……、想ってもらえるような良い子じゃなかったの」
「アリーシャ……」
「わたし、流されてただけじゃなかった。最後の最後は、自分で決めたの」
「決めたって、何を?」
「|正義《じんるい》の|味方《てき》になる事だよ。……わたし、人間が憎くて仕方がなかった。だから、自分の意志で……、人類を滅ぼしたの」
「アリーシャ……」

 大きな音が響いた。視線を向けると、通路の方からシロウとセイバーが現れた。

「遠坂! アリーシャ!」

 わたしを殺しに来た人。わたしを殺す事が出来る人。

「……リン。今でも、わたしは人間が憎いの」

 ショックだったのか、リンは何も反応しない。
 だけど、シロウとセイバーは明らかに敵意を増した。

「わたしは再び、人類悪になる。そして、世界を滅ぼす。だから……」

 シロウが固有結界を結晶化させた刀を構えて、一歩ずつ近付いてくる。
 それでいい。あの時と一緒だ。
 わたしは人間が嫌いだ。わたしの運命を弄んだ錬金術師も、わたしを産んだ両親も、わたしを殺そうとした敵も、何もかも憎くて仕方がない。
 あの時……、《|擬・叛逆の騎士《クラレント・モードレッド》》の能力で一時的に自我を取り戻したわたしは父に殺された事を喜んだ。
 大っ嫌いな父親に、己の理想の結末を見せつけて、娘殺しの自責の念を植え付けて、誰もいない世界に取り残してやった。
 こんな事で悦ぶわたしは、やっぱり悪い子だ。それも、とびっきり底意地の悪いタイプ。

「……ねえ、アリーシャ」

 すぐ隣まで来ていたシロウを手で制して、リンは言った。

「言いたい事はそれだけ?」
「え?」

 そう言うと、彼女は一歩ずつわたしに近付いてきた。

「こ、来ないで!」

 咄嗟に剣を投影して射出した。それをシロウが刀で叩き落とす。

「いいから」

 リンは命の恩人である筈のシロウを押し退けて、立ち止まる事なく近付いてくる。

「来ないでよ! わたっ、わたしは!」
「憎いんでしょ? なら、殺しなさいよ」

 その言葉に、わたしは呼吸が出来なくなった。

「おっ、おい、遠坂!?」
「リン! 貴女はなにを……」
「うっさい! いいから、アンタ達は黙ってて!」

 リンはシロウとセイバーに睨みを利かせると、また一歩近付いてくる。

「……来ないで!!」

 剣を射出する。だけど、リンはわたしを見つめたまま、避ける素振りも見せない。

「どうしたの? 憎いんでしょ?」

 剣は彼女の両脇をすり抜けた。それでも臆さずに、リンは近付いてくる。

「前に言ったわよね? わたし、貴女に殺されるなら、それはそれで構わないからって」

 体が震えた。

「やめてよ……」
「もう一度言ってあげる。貴女がわたしを殺しても、わたしは貴女の事を嫌わない。だから、どうしても人間が憎くて堪らないのなら、遠慮なく殺しなさい。わたしだって人間よ。それも、とびっきりの悪党よ」
「リンが悪党なわけない!! お願いだから来ないで!! 救おうとしないで!! わたし……、わたしは、リンに救われる資格なんて無いの!! わたしは救われちゃいけない人間だったの!!」

 我武者羅に剣をばら撒いた。だけど、一つも彼女に当たらなかった。当てられる筈がなかった。

「……随分と、買い被ってくれちゃって」

 声は、いつの間にか目の前まで迫ってきていた。
 抵抗しようとして、出来なかった。だって、今のわたしの力だと、手加減が出来なくて、彼女を殺してしまうかもしれない。
 逡巡していると、リンはわたしを抱きしめた。

「ほら、殺すなら殺しなさい。簡単でしょ? この状態じゃ、抵抗なんて出来ないわ」
「……出来るわけ、ないでしょ」

 震えた声で言うと、リンはクスクスと笑った。

「人間が憎いんでしょ? 悪党は許せないんでしょ? わたしはどっちにも当て嵌まってるわよ」
「リンは悪党なんかじゃない!!」
「どこが? どうして、わたしが悪党じゃない、なんて思うの?」
「……だって、リンはこんなわたしを救おうとしてくれた。みんな、わたしを殺そうとするばっかりだったのに、リンだけは……、貴女だけは最後の最後まで……」
「ねえ、アリーシャ。わたしがどうして、アンタを救おうとしているのか、そこの所、分かってる?」
「それは……、リンが優しいから」

 わたしの言葉に、リンは深々と溜息を零した。

「リ、リン?」
「アンタ……、わたしを聖人君子かなんかと勘違いしてない?」
「わたしは……、だって、わたしにとってリンは……」
「ねえ、アリーシャ。もし、どうしても救われたくないって言うなら、それでも構わないわ」
「え?」

 その言葉に胸が痛んだ。なんて自分勝手なんだろう。救わないでって言っておきながら、救わないと言われたら傷つく。本当に度し難い……。

「どうしても地獄に戻りたいって言うなら、わたしも連れていきなさい」
「リ、リン!?」
 
 リンは一層強い力でわたしを抱き締めた。

「ダメ?」
「だっ、ダメに決まってるでしょ!」
「なんで?」
「なんでって……、だって!」
「ねえ、アリーシャ」

 リンはわたしから少し離れて言った。

「わたしが貴女を救おうとしているのは、別に貴女の過去に同情してるからじゃないのよ?」
「え?」

 戸惑うわたしの姿にクスリと微笑みながら、彼女は言った。

「貴女と一緒に料理をするのが楽しかったわ」

 その言葉を聞いて、彼女と一緒に作った料理の数々が頭に浮かんだ。

「貴女と一緒に買い物をして、水族館に行って、プラネタリウムに行って、ゲームセンターでプリクラまで撮って……。本当に楽しかった」

 涙が溢れてくる。
 彼女と過ごした日々を思い出すと、それはまるで……、まるで、宝石のように輝いている。

「貴女と一緒に、もっと料理がしたい。いろいろな所に行って、いろいろな経験をしたい。だけど、どうしてもって言うのなら、行き先が地獄でも構わない」
「……ダメだよ、リン。リンは……、リンだけは明るい世界で……」

 わたしの言葉を遮るように、リンがおでこにデコピンをした。地味に痛い……。

「アリーシャ。アンタ、ちょっと自分勝手じゃない?」
「ええ……、それはリンの方じゃ……」
「アンタ、自分が言ってる言葉の意味が分かってるの? 救うのもダメ、地獄に付き合うのもダメ……。つまり、わたしを一人ぼっちにしたいって事!? それに、わたしはアンタと一緒に居て、最高に幸せだったのよ!! つまり、アンタはわたしを不幸にしたいって事なの!? アンタ、わたしにどんな恨みがあるのよ!!」
「言ってる事が無茶苦茶だよ、リン!!」

 思わず悲鳴をあげると、リンに顔を掴まれた。

「リ、リン……?」
「ああもう、面倒だからシンプルにいくわ。アリーシャ……、アンタ!」
「は、はい!」
「世界とわたし、どっちが大切なの?」
「……ほえ!?」

 あまりにも突飛な質問に、思わず変な声が漏れた。

「言っておくけど、わたしはとうの昔に選んでるからね」
「なにを……?」
「世界とアリーシャなら、わたしはアンタを取るって事よ。その証拠に、わたしは世界が滅亡するリスクを背負いながら、アンタを救うためにここまで来たわ!! ほら、次はアンタの番よ!!」
「……リン」

 世界とリン。どちらが大切かなんて、考えるまでも無い質問だ。
 だけど、わたしは……、

「世界を滅ぼした負い目と、わたしを一人ぼっちにした挙句に不幸へ叩き落とす負い目! どっちが重いのかって聞いてんのよ! はやく答えなさい!!」
「はえ?! リ、リンです!!」

 思わず、本音を口走ってしまった。
 そして、言葉にして実感した。

「……そうだよ。わたしの中で、リン以上の存在なんていない」

 世界に対する怒りも、人間に対する憎しみも、なにもかもどうでもいい。
 リンと比べたら、どれも瑣末なものだ。
 とっくの昔に分かっていた事だ。ギルガメッシュと相対した時、既に自覚していた筈だ。

 ――――わたしにだって、自分の命より大切なものがある。
 ――――この世界の全てを敵に回してでも、守りたいモノがある。

 それがリンだ。

「リン……。わたし、わたしは……、世界を滅ぼしたけど……、いっぱい殺したけど……、でも……、でも…・…」
「それでも、わたしはアリーシャと一緒に居たい!! 償いたいって言うなら、わたしも付き合う!! だから――――、アリーシャ!! サーヴァントの魂を解放しなさい!!」

 その言葉に、わたしは抵抗する事が出来なかった。
 許されない事なのに、彼女と過ごした日々が理性を地の底に縫い止める。
 本能が……、彼女を求めてしまう。

「……リン」
「アリーシャ……」

 気付けば、わたしの中からサーヴァントの魂が全て消え去っていた。

「また、一緒に料理を作りましょう。それから、いろんな所に行きましょう」
「……うん」

 わたしは運命と出会ってしまった。決して、逃れられないもの。
 抱き締めあったまま、|イリヤスフィール《おかあさん》と|シロウ《おとうさん》が聖杯を起動させても、ガイアとの繋がりが途絶えても、肉体が実体を帯びても、ずっと……、わたし達は離れる事が出来なかった。

第二十六話『忌み子』

第二十六話『忌み子』

 ――――それは、モードレッドからアリーシャを救う術を教えてもらった時の事。

「――――聖杯を使う」

 モードレッドは言った。

「聖杯……? それって、アリーシャの事?」
「違う。冬木の聖杯戦争における、正式な聖杯の方だ。アリーシャを救う為には、聖杯の奇跡に頼る以外の方法がない」
「待って! それは無理よ……」

 たしかに、本物の聖杯なら可能だろう。アリーシャをガイアの鎖から解き放ち、この世界で二度目の生を謳歌した後に、完全なる終わりを迎える。そうした、ハッピーエンドを迎える事も出来たかもしれない。
 だけど、聖杯は穢れている。第三次聖杯戦争の時、アインツベルンの犯した反則行為によって、大聖杯の内部には|この世全ての悪《アンリ・マユ》と呼ばれる、ゾロアスター教の悪神が棲みついている。仮に、あの聖杯に何かを願ったとしても、その結果は災厄というカタチで具現化する。
 アリーシャを救えと願ったところで、アリーシャが殺すべき対象を先に殲滅するのが関の山だろう。その後の世界を一人で生きるなど、絶望以外の何者でもない。

「……ああ、今のままなら無理だ」
「何か、策があるの?」
「ある。アリーシャに、大聖杯に取り憑いている邪神を倒させるんだ」
「アンリ・マユを!? でも、そんな事が出来るの?」
「今のままでは無理だ。だが、アリーシャが第四段階まで覚醒すれば、あるいは……」

 モードレッドは語った。
 アリーシャの宝具《|第八禁忌・人類悪《アンチ・アンリマユ》》には、五つの段階がある。
 第一段階では生前のアリーシャの能力を扱える程度であり、第二段階に入って初めて悪意に対する特攻能力が付与される。ネガ・マリスというスキルがソレだ。
 更に、第三段階に入る事でマスターが不在でも顕現し続ける事が出来る能力と、ある種の固定概念による精神汚染スキルが付与される。
 そして、第四段階で彼女は人類悪の一歩手前まで状態が進み、悪意に対する反存在として覚醒し、対象よりも強くなるという特性を付与される。
 
「でも、アンリ・マユは人類の括りに入るの?」
「入るわけないだろ。アレは神だぞ?」
「えっ、なら……」
「勘違いするなよ。アリーシャは人類を滅ぼす存在って訳じゃない。結果として、人類を滅ぼしてしまう存在なんだ」
「つまり……?」
「アリーシャの能力の対象は人類じゃなくて、《悪》なんだ。悪という概念自体は人間が創り出したモノであり、それ故に人類という種はすべからく悪を内包している。だが、アンリ・マユも……少なくとも、大聖杯に宿る邪神は人々に《悪であれ》と望まれた存在だ」
「なるほどね。だから、アリーシャの能力の対象になると……」
「……おそらくな」
「曖昧ね……」
「言っただろ。勝ち目のない賭けになるって」
「……そういう事なのね」

 なるほど、確かに勝ち目が薄そうだ。アリーシャの能力でアンリ・マユを倒せなければ、その時点で計画は破綻する。

「これだけじゃないけどな」
「他にもあるの?」
「当然だ」

 モードレッドは言った。

「そもそも、この条件を満たす為には第四段階までアリーシャの宝具を解放しないといけない。しかも、その状態だとマスターの制御を受け付けない可能性がある。令呪が効かなければ、その時点で詰みだ」
「……他には?」
「アンリ・マユを滅ぼせたと仮定するが、その後に、もう一度令呪を使ってもらう。そして、ここが大一番だ」
「どうするの?」
「オレがアイツと同化する」
「同化……?」
「ああ、オレはアリーシャが宝具を解放する度に、アイツの人格のバックアップを保存しているんだ。それで、一時的にアイツを本来のアイツに戻してやる事が出来る。その隙に令呪でアイツからサーヴァントの魂を本来の聖杯に返還させるんだ」

 アリーシャが生前の最期に一瞬だけ元の人格を取り戻した理由がソレだとモードレッドは言った。
 ただし、元に戻っている時間はそう長くなく、その状態で無ければ令呪を使ってもアリーシャからサーヴァントの魂を解放する事は不可能に近いと言う。

「まあ、その状態でも五分五分って所だけどな」
「そこでもリスクがあるのね」
「まあ、そこまで成功出来れば、後は聖杯に祈ってアリーシャを自由にする事が出来る」
「……なるほど。確かに、勝ち目なんて殆ど無さそうね」
「それでも……、他に方法が無いんだ」

 分の悪い賭けを何度も繰り返さなければいけない。一度でも賭けに負ければ、取り返しのつかない事態になる。
 震えそうになる体を必死に抑えつけながら、わたしは一つ気になる事を訪ねた。

「ねえ、同化した後の貴女はどうなるの?」
「消える。ここに居るオレは、一種の亡霊だからな。役割を終えたら、それまでだ」
「それでいいの!? だって、貴女はアリーシャの為に身を張っているんでしょ! 一緒に居たいんじゃないの!?」

 モードレッドは微笑んだ。

「一緒に居たい。当然だろ? けど、それ以上に、アイツには幸せになって欲しい」
「どうして、貴女はそこまで……?」

 わたしも、モードレッドという英霊の伝承はそれなりに知っていた。なにしろ、アーサー王の伝説を終わらせた存在だ。魔道に生きる者の中で、彼女を知らない者の方が稀だろう。
 叛逆の騎士という汚名で知られる彼女の伝承と、一人の女の子の為に己すら使い捨てようとしている目の前の彼女の在り方がどうにも一致しない。
 まったくの別人だと言われたら、すんなり納得出来る程だ。

「……アイツは、そっくりなんだよ」
「え?」

 まだ時間があると、彼女は己の過去を話してくれた。
 
「オレも、同じなんだ。父であるアーサー王が知らない間に、母であるモルガンがオレを孕んだ。知っての通り、|アーサー王《ちちうえ》は女だけど、母上殿は魔術でどうにかしたらしい。詳しくは知らない。そんで、母上がオレに言ったわけだ。『いずれ王を倒し、その身が王となるのです』ってな。その結果、父上は魔術師の忠言で、オレと同じ日に生まれた子供を殺した。それでも生き残ったオレを父上は決して認めてくださらず、最期には……」
「それって……」

 同じだ。他人の都合で生み出されて、多くの命を背負わされて、勝手な理屈を押し付けられて、挙句の果てに破滅した。
 モードレッドという英雄の生涯は、アリーシャの歩んだ生涯とそっくりだ。
 だからこそ、アリーシャは彼女を召喚したのかもしれない。

「だから、かな。アイツの事は召喚された時から他人に思えなかった。同じ、ホムンクルス同士だったしな」
「貴女もホムンクルスなの!?」
「ああ、そうらしい」

 何から何までそっくりだ……。

「……オレには、信用出来る仲間も、信頼出来る友も居なかった。居たのはオレの立場を利用しようと企むゴミばかり。誰の事も信じられなくて、いつも俯いて、鬱屈した事ばかりを考えてたよ。積み重なっていく鬱憤や苛立ちを馬上槍試合などで晴らそうとしても、一時しのぎにしかならなかった。アイツには……、同じ思いをさせたくなくて、必要以上に近く接した」
「モードレッド……」
「気付いた時には、アイツを過去の自分と重ねていた。アイツに降りかかる理不尽が許せなくなった。アイツを生んだ親も、アイツを利用した錬金術師共も、アイツを傷つけようとする敵共も……、何もかもが許せなかった」

 その目がまるで燃え盛る炎のようだった。
 憎悪と憤怒が入り混じり、思わず息を呑んだ。

「……だから、アイツに殺される前に、|聖杯《アイツ》に願った」
「その結果が、この状況ってわけ?」
「ああ、オレは本体から完全に切り離された。今のオレは、アイツが人類悪として完成する度に零れ落ちるアイツ自身を拾い上げる外部記憶領域であり、イザとなればアイツを守る剣であり、そして……、アイツの宝具でもあるわけだ」
「……辛くなかったの?」
「オレは勝手にやってるだけで、辛いのはアイツだ」
「勝手にって……」
「勝手だ。オレは勝手に、アイツを自分と重ねている。自分勝手でくだらない、救い難い愚か者だ。だから、そんな顔をするなよ」

 皮肉気に笑うモードレッドをわたしは睨みつけた。
 気付けば、涙が頬を伝っている。

「わたし、そういう言い方……、嫌いよ。貴女はあの子を救う為に頑張ってるじゃない! 自分勝手だとか、愚か者だとか、そういう言葉で貴女の頑張りを否定しないで!」
「……へいへい」

 呆れたように肩を竦めながら、モードレッドは微笑んだ。

「なあ、リン。 アイツを……、アリーシャを救ってやってくれ。それで、オレも救われるんだ」
「モードレッド……」

 アリーシャとモードレッドは、その終わりまで似ている。
 アリーシャは世界を滅ぼし、父親に殺された。
 モードレッドは国を滅ぼし、父親に殺された。
 そして、二人はガイアに使役されて、終わりのない地獄を彷徨っている。
 
「……わたしは」
「頼む、リン。オレの望みは、アイツが救われる事だけなんだ。お前だって、いくつも掛け持ち出来るほど、器用じゃないだろ? だから、オレの事まで救おうとするな」
「モードレッド……」
「ありがとうな、リン。お前なら、きっとアリーシャを救える筈だ。信じてるぜ」
「……必ず」

 わたしの返事に満足したのか、モードレッドは笑みを浮かべた。

「っへ、これで、お前も共犯だ。地獄の底までついて来てもらうぜ、リン」
「……ええ、わかっているわ。これで、わたしも立派な人類に対する反逆者ね」

 ◆

 彼女のためにも、わたしはアリーシャを絶対に救わなければいけない。
 だから――――、

「――――令呪をもって、命じる!!」

 ここから先は賭けだ。

「大聖杯に宿る、|この世全ての悪《アンリ・マユ》を滅ぼしなさい!」

 これが第一の賭け。既に、ギルガメッシュを含めた六騎のサーヴァントの魂を取り込んでいる彼女は、人類悪としての覚醒一歩手前まで状態が進んでいる。
 この状態で令呪に従ってくれる可能性があるかどうか……。

「……どうにか、第一の賭けは成功だな」

 モードレッドの言葉通り、アリーシャは大聖杯に向かって走り出した。

「遠坂……、お前は何を……」
「決まってるでしょ。あの子を助けるのよ」

 呆けている衛宮くんを尻目に、わたしはモードレッドと並んで走り始めた。
 
「貴様、モードレッド!?」

 セイバーは不思議な光に守られていた。アリーシャと戦った筈なのに、傷を負った様子もない。

「リン! 父上は霊体化が出来ない筈だ!」
「そっか」

 セイバーが困惑した表情を浮かべると、モードレッドが斬り掛かった。

「無駄だ!」

 モードレッドの剣は彼女の体をすり抜けた。だけど、気にしている暇はない。
 わたしは持ち得る宝石をすべて強化に注ぎ込み、全速力で大聖堂に続く通路まで走り抜けた。
 
「モードレッド!!」

 叫びながら、宝石剣で天井を穿つ。崩れ落ちる天蓋を尻目に再び走り出すと、しばらくしてからモードレッドが追いついてきた。
 霊体化出来るモードレッドならば崩れた岩をすり抜ける事が出来るけれど、衛宮くんと霊体化の出来ないセイバーは別だ。
 時間稼ぎにしかならないだろうけど、今は一分一秒が惜しい。
 そうして、わたし達が大聖杯まで辿り着くと、そこには純白の光を放つ柱と、その前に立つアリーシャの背中があった。

「……さあ、仕上げだぜ。後は頼むぞ、リン!!」
「任せて、モードレッド!!」

 そして、モードレッドはアリーシャの無防備な背中に飛び込むと、その姿を一つに重ねた。
 そして……、

「……ああ、思い出しちゃった」

 後悔に塗れたアリーシャの声が響いた。

第二十五話『決戦』

第二十五話『決戦』

「楽しみだね、ハイキング!」
「そうね」

 今日は山に登る予定だ。その為のお弁当を作っている。一口サイズのオムライスに、アスパラのベーコン巻き、他にもいろいろ。
 過去を思い出す度に、今がどれほど幸せなのかを実感する。

「リン! チキンライスが出来たよ!」
「こっちも卵の準備オーケーよ!」

 大好きな友達と料理を作って、遊んで、思い出を重ねる。まさに夢のような日々だ。
 世界を滅ぼしたわたしに、そんな資格は無いと分かっているのに、わたしはこの幸せを手放す事が出来ない。
 もしも、わたしからリンを奪う者がいたら、きっと、わたしはすべてを壊してしまう。
 まるで、宝を守るドラゴンにでもなった気分。奪われる事を恐れて、必死に守ろうとしている。

「ねえ、アリーシャ」
「なに?」
「今度、京都に行きましょう」
「京都……?」

 随分と急な話に目を丸くすると、リンは言った。

「京都だけじゃない。大阪に、東京に、北海道に、沖縄。海外に行くのもいいわね。イタリア、フランス、イギリス、ドイツ……、貴女と行きたいところが山ほどあるの」
「リン……」

 嬉しくて、涙が溢れた。
 悲しくて、嗚咽が漏れた。

「ありがとう……、リン。でも、わたしは……」
「行くのよ、一緒に」

 リンは力強く言った。

「わたしは自分で決めた事を絶対に曲げたくない。だから、絶対に行くわよ」
「……うん」

 行きたい。わたしが一度壊してしまったもの。その本当の姿を視てみたい。
 それが自分の罪と向き合う事でも、リンと一緒なら乗り越えられる気がする。
 
「さあ、お弁当箱に詰めるわよ」
「うん」

 本当なら、わたしは今すぐに命を断つべきだ。それが世界の為であり、リンの為になる。
 だって、このまま行けば、わたしは再び世界に牙を剥いてしまう。あの滅びを繰り返してしまう。
 だけど、出来ない。リンと会えなくなる事が、自分の死よりも、世界を滅ぼす事よりも、父に殺される事よりも、なによりも恐ろしい。
   
「……リン。大好きだ」
「私も大好きよ、アリーシャ。だから、ハイキングを思いっきり楽しみましょう」
「うん!」

 二人で家を出て、円蔵山へ向かう。冬木が一年を通して温暖な気候と言っても、やっぱり二月は肌寒い。だから、なるべく二人でくっつく事にした。
 手を繋いで、寄り添って歩く。なんだか、恋人同士みたいで、少し照れくさい。

「着いたわね」

 前は戦う為に来た場所。壊れかけている石階段を登っていき、柳洞寺の脇を通り抜ける。
 今、この寺には誰もいない。キャスターに魔力を吸われた僧達は、今は新都の病院で眠っている。

「歌でも歌う?」
「いいね!」

 誰もいない。だから、羽目を外す事にした。
 青空の下、大きな声で歌う。こんな事、初めてだ。彼女と過ごすと、初めての事をたくさん経験する。

「――――随分と、楽しそうだな」

 柳洞寺の裏手まで来たところで、急に声を掛けられた。
 まるで、冷水を掛けられた気分。

「なんで、アンタがここにいるのよ」

 リンが嫌悪感を露わにしながら、現れた男を睨みつける。
 山の風景にまったく馴染む気のないカソックを身に着けた大男。
 彼の事は、イリヤスフィールの記憶で知っている。

「言峰綺礼……」

 人の不幸は蜜の味と言って憚らない、性格最悪の外道神父。
 わたしの中で、この男を殺せという声が響き渡っている。

「随分と嫌われているようだな」
「生憎、こっちはアンタの本性を知ってるもんでね」

 殺意を走らせるリンに、言峰は笑みを浮かべる。

「ならば、殺すがいい。だが、その前に忠告を聞いておけ」
「忠告……?」
「キャスターが衛宮士郎と手を結んだ。奴等は大聖杯を破壊する事で、聖杯戦争そのものを終了させる腹積もりだ」
「……ふーん、あっそ」

 リンは苛ついたように舌を打つと、わたしに念話を飛ばした。
 彼女の指示に従って、時を加速させる。リンを言峰の前に運ぶと、彼女は躊躇う事なく、その心臓に刃を差し込んだ。
 己の心臓に喰い込む儀式用の短剣を見て、一瞬目を見開いた後、言峰は笑った。

「……なるほど、とうに腹は決めていたか。少々、見誤っていたようだ」
「さようなら、綺礼」

 倒れ込む綺礼に、リンはもはや興味は無いとばかりに背を向けた。
 あの短剣は、あの神父がリンに贈ったもの。その剣で彼を殺す事で、彼女は決別の意を示した。

「リン……」
 
 声を掛けると、リンは申し訳無さそうな表情を浮かべた。

「ごめんね。ハイキングはここまでみたい」

 リンはわたしの手を握った。

「行くわよ、大聖杯の下へ」
「……リン。わたしは……」
「ほら、はやく」

 一緒に走り出しながら、わたしは涙を零した。

 ――――ああ、もう終わってしまう。

 この先、どんな展開になっても、わたしは消えてなくなってしまう。
 手から感じる彼女の温度を恋しく思いながら、必死に理性を働かせた。
 彼女を死なせたくなければ、選ぶべき選択肢は一つ。
 大丈夫だ。わたしからリンを奪う者は……、例え、それがわたし自身であっても許さない。
 彼女を死なせるくらいなら、わたしは……、

 ◇

 イリヤの案内で、俺達は円蔵山の地下へやって来た。
 ここに、聖杯戦争の大本である大聖杯がある。

「思ったより明るいな」

 辺り一面に薄っすら緑光を放つ光苔が生えている。

「さあ、あまりグズグズしている暇は無いわよ」

 先頭を歩くキャスターが言った。
 一同頷き合い、暗闇の洞窟を歩き始める。

「――――にしても、嫌な空気だな」

 歩きながら、呻くように呟いた。この空間に漂う空気は異常だ。吐き気がするような生々しい生命力が満ち溢れている。まるで、生き物の臓物の内側に居るかのような錯覚に陥る。
 歩けば歩くほど、その感覚が高まっていく。向かう先こそ、この穢らわしい生命力の源泉なのだろう。
 しばらく歩いていると、大きく開けた空洞に出た。生暖かい空気が体に重く圧し掛かる。

 ――――そこで止まりなさい。

 空洞を抜けようとした所で、その声に呼び止められた。
 振り返ると、そこには遠坂とアリーシャの姿があり、セイバーとバーサーカーが俺達を庇うように前へ躍り出る。

「……遠坂」
「やっぱり、衛宮くんはそういう選択をするのね」

 悲しそうに彼女は言った。

「ああ、俺は聖杯戦争を終わらせる。アリーシャを人類悪に覚醒させるわけにはいかない」
「……だから、この子を救おうともしないで、あの地獄へ送り返すの?」
「そうだ」

 心は決まっている。救うべき者は選んだ。そして、俺はアリーシャを救わない事に決めた。
 万に一つもない可能性に賭けて、人類全体を危険に晒すわけにはいかない。

「アリーシャ。俺を恨んでくれて構わない。だけど、俺は……」
「恨まないよ、お父さん」

 アリーシャの言葉に、一瞬、呼吸が止まった。

「……ここまでだね。大丈夫だよ。わたしも分かっているから」

 覚悟を決めた顔だった。嘗ての相棒の剣を取り出して、彼女は自分の首に宛がう。

「アリーシャ……」
「リン。今まで楽しかった。ありがとう! わたし、貴女のおかげで幸せに――――」

 すると、リンは微笑んだ。

「そんな事、させると思った?」
「え?」

 誰も止める暇が無かった。まさか、そんな暴挙に出るとは、誰も思わなかった。アリーシャでさえ……。

 ――――すべてを解放して、他のサーヴァントを駆逐しなさい。

「なんで……」

 遠坂は令呪を使った。その瞬間、アリーシャを中心に魔力が吹き荒れた。

「リン……。イヤだよ。わたし、リンを殺したくなんてない……」

 自分の体を抱きしめながら、必死に呑まれないように足掻くアリーシャ。

「……信じて、なんて言わない。だけど、わたしは諦めない」

 遠坂は言った。

「絶対に、アンタを救ってみせる。例え、何を犠牲にしたとしても!!」
「リン……。リン!! やめて……、逃げてぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

 そして、ソレは現れた。見た目は変わらなくても、さっきまでと中身が完全に異なっている。
 こうならない為に動き、キャスターは策を練っていた。それがすべて無駄になった。

「……もう、ここまでの力を」

 世界が一変する。炎の壁に覆われた荒野。本来、俺のモノである筈の世界が牙を剥く。
 無限の剣が一斉に浮上し、その矛先を俺達に向けた。

「走りなさい、エミヤシロウ!! 貴方なら、彼女を倒す事が出来る筈!!」

 キャスターの言葉に、俺は最後の一線を踏み越えた。
 聖杯戦争そのものを終わらせる事で、アリーシャを殺さなくて済む筈だった。だけど、こうなっては仕方がない。
 夢を通して理解した力を行使する。両の手に白と黒の短剣を投影して、アリーシャの下へ走り出す。
 すると、目の前に遠坂が立ちはだかった。

「そこを退け!! 自分が何をしたのか、分かっているのか!?」
「退くわけ無いでしょ。アンタこそ、自分の娘に何をする気よ!!」

 その手には、七色に輝く宝石を切り出した短剣が握られていた。
 その剣を解析した瞬間、思考する前に持ち得る中で最強の守りを投影する。

「|Es last frei.《解放》|Werkzung《斬撃》――――!」
「――――|熾天覆う七つの円環《ロー・アイアス》!!」

 彼女の握る宝石剣から放たれた極光はトロイア戦争で活躍した大英雄の盾を一瞬にして半壊させた。
 |宝石剣《キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ》 。|万華鏡《カレイドスコープ》と謳われる偉大なる魔法使いが設計した魔術礼装。その本質は、剣というよりも杖であり、限定的に平行世界から魔力を取り寄せる事が出来る。
 彼女が自力で辿り着いたわけでは無いだろう。だが、彼女の傍には、あの剣を作り出せる存在がいた。
 この聖杯戦争というシステムの構築には、かの魔法使いも関わっているとイリヤが言っていた。ならば当然、イリヤやアリーシャの祖であるユスティーツァも、その礼装と持ち主を直接視た筈だ。ならば、その魂を受け継ぎ、俺の固有結界を継承したアリーシャが、あの剣を投影する事も不可能ではない。
 細かい経緯は分からない。だが、あの剣がある限り、遠坂凛は英霊にも匹敵する力を行使する事が出来る。

「自分の娘も救えないようなヤツが、正義の味方なんて語るんじゃないわよ。消えなさい、衛宮士郎!!」

 セイバー達はアリーシャの相手で精一杯だ。既にバーサーカーの命がいくつも削られている。それでも抵抗出来ている事が異常なほど、アリーシャは強い。
 だから、この戦いの鍵は俺がアリーシャの下へ辿り着く事。
 人類を救う為に、目の前の障害を排除しなければならない。

『――――だが、どうするつもりだ? 貴様の力では、あの娘を倒すどころか、近づく事さえ出来まい』

 分かっている。セイバーの宝具にさえ匹敵する彼女の攻撃は防ぐ事さえ難しい。しかも、それが無尽蔵に振るわれる。
 アリーシャはおろか、遠坂の下へ辿り着く事さえ、今の状態では不可能に近い。
 だから、俺は――――、

『随分と待たせたものだ。力が要るのだろう? さあ、速やかに契約に移ろう』
「……ああ、俺は!!」

 天に向って、手を伸ばす。

「ダメよ、坊や!!」
「やめて下さい、シロウ!!」
「ダメ!! それだけはダメよ、シロウ!!」
「シロウ、それダメ!!」

 みんなの声が聞こえる。だけど、これ以外に方法なんてないじゃないか。
 俺は世界を救う。その為に、娘を殺す。その為に、遠坂を殺す。その為に――――、死後の己を捧げよう。

「契約する!!」
『……それで良い。さあ、これで力は貴様のものだ。存分に振るい、己の正義を貫くが良い』
「……ああ。行くぞ、遠坂!!」

 |体は剣で出来ている。《I am the bone of my sword.》

 ――――エラー発生。

 |血潮は鉄で、心は硝子。《Steel is my body, and fire is my blood》

 ――――ここは既にアリーシャの張った固有結界の内である。

 |幾たびの戦場を越えて不敗。《I have created over a thousand blades.》

 ――――ガイアの加護を受けたアリーシャの結界の方が優先度が上であり、上書きする事は不可能。

 |ただ一度の敗走もなく《Unaware of loss.》、|ただ一度の勝利もなし《Nor aware of gain》。

 ――――他の選択肢を検索。眼前のサーヴァントの能力を参考に、能力変化の可能性を模索。

 |担い手はここに独り。《With stood pain to create weapons.》|剣の丘で鉄を鍛つ《waiting for one’s arrival》。

 ――――アラヤの加護により、能力の変更に成功。形式を刀剣に決定。

 |ならば、我が生涯に 意味は不要ず。《I have no regrets.This is the only path》

 ――――能力名を変更。

 |この体には、無限の剣を内包する。《My whole life was “limited zero over”》

「|Gebuhr, zweihaunder《次、接続》.|Es last frei.Eilesalve《解放、    一斉射撃》――――!」

 降り注ぐ極光の雨を創り出した一振りの刀で切り裂く。
 如何に敵が強大な力を振るおうと関係ない。そうした理不尽を捻じ伏せてきたからこそ、英雄は覇名を轟かせる。
 この刀は、彼らの魂たる宝具を無限に内包し、その力を束ねる事が出来る。
 これが、アラヤの加護を受けた事で変化した、俺の新たなる力。
 固有結界の結晶化。無限にして、一なるモノ。

「……悪いな、遠坂。俺はもう、決めたんだ」
「あっそ。なら、来なさいよ」

 遠坂が宝石剣を振るう。遠慮も容赦もない攻撃の嵐だが、もはや俺には通じない。
 刀が内包する、無限の剣に宿る、無限の英霊達の戦闘経験が流れ込んで来る。
 本来ならば、とても耐えられない。魂が壊れる前に、肉体が壊れ、その前に精神が死ぬ。
 だが――――、

 ――――アレを排除するまで、壊れる事は許されない。

 アラヤによって、俺の崩壊は止められた。だが、それは密閉した鉄の箱の中で、ダイナマイトを次々に爆発させているようなものだ。
 おそらく、この戦いが終われば、俺は瞬く間に崩壊するだろう。
 これが代償だ。己の娘を切り捨てる父親に与えられた罰。恩人に牙を剥く者に与えられる罰。
 ならば、受け入れよう。彼女達を殺すのだ。己が生き残る資格などある筈がない。

「遠坂!!」

 極光を乗り越えた先、無防備な遠坂が立っていた。
 ここまで接近すれば、もはや彼女に勝ち目はない。その首目掛けて、刀を振るう。
 だが――――、

 ――――させねぇよ。

 その刀を見覚えのある剣が防いだ。

「……お前は」

 そこに現れたのは、紅い装束を纏う少女だった。セイバーにとてもよく似た……いや、瓜二つな顔を持つ、アリーシャの嘗ての相棒、モードレッド。

「――――さあ、始めるぞ。リン!!」
「ええ、やるわよ、モードレッド!!」

 遠坂が令呪を掲げる。それと同時に悲鳴が木霊した。
 振り向くと、バーサーカーが消滅していき、キャスターが肉塊に変えられていた。残るサーヴァントは、セイバー一人。
 そして、アリーシャは……、

「――――令呪をもって、命じる!!」

第二十四話『鉄の心』

第二十四話『鉄の心』

 朝食を食べながら、士郎は夢で視た内容をセイバーとイリヤ、リズの三人に語った。
 すると、イリヤは拳をテーブルに叩きつけた。

「……そういう事ね。まんまと利用されたわ」
「イリヤ……?」

 イリヤは水を飲むと、深く息を吸った。

「アーチャーがわたしとシロウの娘。……なるほどね。全部、繋がったわ」
「どういう意味ですか?」

 セイバーが尋ねると、イリヤは言った。

「……シロウ。わたし、シロウを愛しているの」
「え?」

 突然の告白に、士郎は目を丸くした。

「元々、シロウの事が大好きだった。料理を教えてくれたり、わたしを守りたいと言ってくれたシロウの事が……。だから、それが恋に変わっただけだと思ってた」
「……まさか」

 何かを察したらしいセイバーに、イリヤが頷く。

「たぶん、アーチャーを通して、彼女の母親になった|イリヤスフィール《わたし》の感情が流れ込んできたのよ」
「アリーシャの母親になった、イリヤ……?」
「英霊の魂で汚染されないようにブロックしていたつもりだけど……」
「完璧ではなかった……、という事ですか?」
「違うわ、セイバー。アラヤの意思よ。わたしに、アーチャーの母親の感情と同調させ、シロウとの間にパスを通させた。おそらく、シロウにアーチャーの過去を見せる為に」
「ちょっと待ってくれ! それ、どういう意味だ!? それに、アラヤって、人の名前か?」

 困惑する士郎に、イリヤは丁寧に説明した。

「シロウも魔術師なら知っている筈よ。集合無意識によって構築された、この世界の均衡を守るための大いなる力。魔術世界において、《|抑止力《カウンターガーディアン》》と呼ばれるもの。世界を滅ぼす要因の発生と共に起動するソレは絶対的な力を行使し、その要因を抹消する。その中でも、星を守るモノは《ガイア》と呼ばれ、霊長の存続を優先するモノは《アラヤ》と呼ばれる。未来のシロウの姿で現れたヤツの正体も、間違いなくアラヤよ」
「いや、でも、抑止力ってのはカタチのない力の渦だって聞いたぞ。あんな風に話し掛けて来るなんて事が……」
「ありえます」

 士郎の疑問に応えたのはセイバーだった。

「たしかに、本質的には無色透明。ですが、言ってみれば、あれは意識の集合体。無でありながら、有である存在です。ですから、必要とあれば言葉を使う事もある」

 セイバーは険しい表情を浮かべた。

「シロウ。アラヤの誘いを断った事は、正しい選択です。間違っても、アレの言葉に耳を貸してはいけません」
「え? いや、たしかに断ったけど、アレが抑止力なら……」

 それは世界を救う為に、世界が臨んだ事。
 アリーシャを殺せと言われて、感情的になってしまったけれど、断る事が本当に正しかったのか、判らなくなった。

「――――抑止力を都合の良いデウス・エクス・マキナだとは思わない事よ、坊や」

 揺らぐ士郎に声を掛けたのは、イリヤ達ではなかった。咄嗟に、セイバーが立ち上がる。

「キャスター!!」

 いつからそこにいたのか、全身をローブで覆い隠した魔女が縁側に腰掛けていた。

「刃を仕舞いなさい、セイバー。争いに来たわけではないの。……というより、もう争っている場合ではなくなった」

 キャスターは無防備な背中を晒したまま言った。

「私が消えれば、バーサーカーも消滅する。それは、彼女の完成が近づく事を意味している。それを理解して尚も斬りたいと言うのなら、好きになさい」
「……貴様は、どこまで掴んでいるのだ?」
「おおよその事は把握しているわ」

 キャスターは立ち上がって、フードを脱いだ。

「もう、いがみ合っている場合じゃない。手を組みましょう。さもなければ、人理が破壊され、人類史に終止符を打たれてしまう」

 キャスターの言葉に、セイバーはしばし黙した後、構えを解いた。

「……そうですね。もう、聖杯戦争どころではない」
「賢明で助かるわ」

 そう言うと、キャスターは居間に入って来た。
 イリヤが彼女を睨むと、キャスターは薄く微笑んだ。

「どうぞ」

 その言葉と共に、イリヤの目が大きく見開かれる。

「……バーサーカー?」

 イリヤが見つめた先には、庭の中央で静かに膝を折るバーサーカーの姿があった。

「マスター権を返却したわ。彼にも、十全に力を発揮してもらう必要があるから」
「……ふん」

 イリヤは不機嫌そうにキャスターを睨むと、そのまま庭へ出て行った。

「えっと、キャスター?」
「なにかしら?」

 士郎が話し掛けると、キャスターはきさくな態度で応えた。

「とりあえず、これからは仲間って事でいいのか?」
「ええ、そう捉えてもらって構わないな」
「……そっか。じゃあ、えっと、よろしくな」

 そう言って、手を伸ばす士郎にキャスターは小さく溜息を零した。

「キャスター?」
「……ええ、よろしくお願いするわ」

 士郎はキャスターの妙な反応に首を傾げながら、気になった事を聞いた。

「なあ、さっきのって、どういう意味だ?」
「抑止力の事?」
「ああ」

 キャスターは言った。

「抑止力を都合の良い存在とは思わないことねって意味よ」
「それって、どういう……」
「抑止力とは、人類の持つ破滅回避の祈り。即ち『阿頼耶識』による世界の安全装置の事。それだけだと、たしかに聞こえはいいわね。だけど、実際には世界を滅ぼす要因の発生と共に起動して、絶対的で要因となった全てを抹消するだけの暴力的なシステムよ。時には自然現象として全てを滅ぼしたり、時には滅びを回避させられる位置に居る人間を後押ししたり……」

 キャスターは士郎を真剣な眼差しで見つめた。

「坊や、覚えておきなさい。抑止力は機械仕掛けの神じゃない。ガイアにしろ、アラヤにしろ、結果的に人類の破滅を防ぐ事があるというだけの話。必ずしも人類にとって都合の良い希望を与える存在ではないの。仮に、アラヤが手を伸ばしてきても、決して安易な気持ちでその手を取ってはダメよ。確かに得るモノも大きいかもしれないわ。けれど、確実に与えられた以上のモノを奪われる」
「……心配してくれてるのか?」

 意外そうに聞く士郎にキャスターは肩を竦めた。

「世間知らずな子が、ずる賢い詐欺師に目を付けられている所を見掛けたら、忠告くらいしたくなるわよ」
「世間知らずって……。それに、詐欺師は言い過ぎなんじゃ……」
「いいから、アラヤと契約する選択は最後の最後まで取っておきなさい。そんな力技に頼らなくても、現状を打破する事は出来るのだから」
「策があるのか?」

 セイバーが尋ねると、キャスターは頷いた。

「とってもシンプルよ。大聖杯を解体するの」
「……大聖杯?」

 俺が首を傾げると、戻って来たイリヤが目を丸くした。

「そっか、その手があったんだ」
「え? どういう事だ?」
「簡単な話よ。アーチャーが人類悪として完成する前に、聖杯戦争そのものを終わらせるの。大本である大聖杯を解体してしまえば、サーヴァントは聖杯を介する事なく座に戻る事になる。アーチャーも例外じゃないわ」
「それって……、でも、それじゃあ、アリーシャやセイバーは……」

 この方法では、セイバーとアリーシャが消滅してしまう。
 たしかに、アリーシャが人類悪になる事だけは阻止しなければいけない。しかし、士郎にとって、アリーシャは未来の娘だ。そうでなくても、彼女と過ごした時間がある。
 彼女が生まれた理由や、彼女が歩んだ不幸な歴史も夢で視た。
 まだ、キチンと整理できたわけではないが、それでも、彼女が救われないままで良いとは到底思えなかった。

「……なあ、アリーシャを救う事は出来ないのか?」
「無理よ」

 キャスターがきっぱりと言った。

「坊や。アレはそういうモノなの。自分でも分かっているのでしょう? だから、さっきも迷った。アラヤの誘いに乗るべきでは無かったのかって」
「それは……」

 否定する事が出来なかった。
 士郎は、この聖杯戦争を通して、正義の味方という在り方を見つめ直す機会に何度も巡り合った。
 すべてを救う事は出来ない。大勢を救う為に、切り捨てなければならない少数がある。その事を嫌というほど思い知らされた。
 
 ――――ああ、分かっている。

 あの夢が|抑止力《アラヤ》に見せられたモノだと知り、心が揺れた。
 あの時、突っぱねる事が出来たのは、アレの正体があまりにも得体の知れないものだったからだ。
 世界を救う為に、|己の娘《アリーシャ》を切り捨てなければならない。それを理解し、半ば以上、受け入れてしまっている。

「……おい、巫山戯るなよ」

 吐き気が込み上げてきた。
 自分を好きだと言ってくれた女の子。藤ねえや、みんなを助けてくれた恩人。未来で生まれる己の娘。
 そのアリーシャを切り捨てる事を、仕方のない事で済ませようとしている自分に気付いて、立っていられなくなった。

「俺は……」
「……シロウ」

 蹲る士郎に、イリヤが声を掛ける。
 
「……わたしはシロウをきらわない。シロウが世界を選んでも、|私達の娘《あのこ》を選んでも、わたしはシロウの味方だよ」
「イリヤ……」

 士郎が顔をあげると、イリヤがその頭を抱きしめた。
 彼女の温もりを感じながら、士郎は瞼を閉じた。そして、己の原初を思い出す。
 炎に包まれた街を歩く自分。救いを求める手を払い除けて、救いを求める声から耳を塞いで、ただただ進み続けた果てに倒れ込み、そして救われてしまった。
 ならば、生き残った責任を果たさなければいけない。救わなかった分、救わなければいけない。

「どうして、イリヤは……」
「シロウが好きだからだよ。アラヤに利用された事はムカつくけど、それでも、シロウを愛している事は本当だもの。好きな子の事を守るなんて当たり前でしょ。そんなの、わたしだって知ってるんだから。だから、わたしはシロウに味方するの」

 誰かの味方。顔も知らない不特定多数ではなく、守りたいモノの味方をする動機を彼女はアッサリと口にした。
 正しい選択がどちらなのか、考えずとも分かる。いや、分からなければならない。
 人という生物を名乗るつもりなら当たり前のように彼女の言葉を受け入れるべきであり、優先すべきものも決まりきっている。
 だけど――――、出来なかった。

「……ごめん、イリヤ」

 己を生かすモノ。生かしてきてくれたモノに背を向ける事は出来なかった。
 ランサーを殺した時、既に心は決まっていた。

「みんな」

 立ち上がり、みんなを見る。誰もが痛々しいものを見る目を向けてくる。
 
「世界を救おう」

 そうして、衛宮士郎という人間は終りを迎えた。喉元まで迫っていた胃液も、煮え立った腸も、瞼を伝う涙も、なにもかも止まった。
 残ったモノは、枯れ果てた心と、己を突き動かす|衝動《りそう》のみ――――。

第二十三話『アラヤ』

第二十三話『アラヤ』
 
 その少女が最初に現れた場所は、メキシコの国境付近にある小さな街だった。
 麻薬カルテルによって支配された街は、まさに欲望の坩堝。人間の持つ悪性の具象。
 年老いた者は無価値と判断され、生きたまま土に埋められた。
 男は解体され、新鮮な臓器を金に変えられた。
 女は玩具にされ、死ぬまで弄ばれた。
 子供も、大半は玩具として使い潰され、残された者もカルテルの忠実な奴隷に変えられた。

 ――――殺せ。

 少女は内から響く声に従って、彼らに殺意を向けた。
 一人目は首を絞めて殺し、二人目は首の骨を折り、三人は頭部を拳で破壊した。
 落ちていた銃を撃ち、落ちていたナイフで斬り、落ちていた机を投げ、落ちていた弾丸を弾く。
 少しずつ、学んでいる。人を殺す方法を――――。

 ――――殺せ。

 街に居た人間を殺し尽くした彼女は、次に戦場へ移動した。
 兵士が数人がかりで少女を犯している。少年を銃の的に使っている。赤ん坊に爆弾を巻いている。
 一人目を殺した時点で、兵士達は彼女の存在を脅威と認識して抵抗をはじめた。その洗練された連携と技術を彼女は吸収していく。
 銃弾の雨に対処する為に、投影魔術と固有時制御を使い始めた。より確実に、より効率的に殺す方法を確立し始めている。
 次に標的に選ばれたのは、とある小国の独裁者だった。私腹を肥やすために国民から税を搾取し、見せしめに処刑を行う彼を彼女はナイフで斬り殺した。
 そのまま、独裁者の配下を次々に殺していく。
 独裁者の関係者をすべて根絶やしにした彼女は、今度はテロリストの拠点に現れた。
 檻に女子供が入れられ、値札を付けられている。
 新鮮な臓器が保存所へ運ばれていく。
 銃器の扱いを年端もいかない子供が仕込まれている。
 彼らを掃討する内、彼女がそうなってから一月が経過した。
 一月目に彼女が殺した人間の数は3000万人だった。
 そして、彼女は眠る事もなく、|二月目《ふたつきめ》を迎える。

 ――――殺せ。

 戦争を煽る者が殺された。
 武器を売る者が殺された。
 テロに走る者が殺された。
 マフィアに所属する者が殺された。
 政治を悪事に利用する者が殺された。
 そして、二月目が終わる頃には、死体の数が億を超えた。

 ――――殺せ。

 各国が世界規模で起きる異常事態に気付き始める中、彼女は歩きつづける。
 止める者など居なかった。そもそも、止められる者がいなかった。
 徐々に、彼女の狙う悪の概念が広がっていく。
 刑務所の受刑者を殺し、犯罪組織の人間を殺し、人の世に害をなす魔術師を殺していく。
 |三月目《みつきめ》で、あらかたの極悪人は淘汰された。同時に、その極悪人達が抜けた穴によって、社会のシステムにエラーが発生し始める。
 マフィアや極道と呼ばれる人々の不在は、それまで潜んでいた小さな悪意を産み出した。
 そして、四月目に彼らが刈り取られた。

 ――――殺せ。

 気付けば、総人口の約三割が死滅していた。
 社会は混乱し、物資の不足が各地で発生した。治安も悪化の一途を辿り、それまで暴力と無縁だった人々が他者から搾取する道を選び、そして……、彼女を呼び込んだ。
 巨悪が排除されれば、次なる悪が目を覚ます。それが人間という種であり、彼女の殺戮は止まらなかった。
 大人だけではない。貧困から、食べ物を盗んでしまった子供を彼女は殺した。無垢な赤ん坊も、いずれ悪へ至る存在として排除した。
 その時点で、彼女は人類そのモノを《悪》であると定め、《人類悪》として成立し、人類滅亡の要因と化した。

 ――――殺せ。

 五月目、総人口が半数にまで削られた時、魔術師達が重い腰を上げた。
 一つの街を悪意で染め上げる事で彼女を呼び寄せ、最大の戦力をもって迎え撃つ作戦を立て、その為にいがみ合っていた魔術協会と聖堂教会が手を組んだ。
 そして、ほとんどの魔術師が淘汰された。
 六月目、残された人類は決死の覚悟を決めて、彼女を討伐する為に団結した。その中には、真祖や死徒たちの大元である二十七の祖の一部も名を連ね、全世界から最新の兵器が動員され、核弾頭の配備もされた。
 だが、その時には既に手遅れとなっていた。もっと、はやくに団結する事が出来れば、違う道もあったかもしれない。
 けれど、ガイアが決断を下してしまった。
 彼女の殺戮によって、世界中の工場が機能を停止し、戦争が終結した。それは、星を傷つける要素の減少を意味した。
 人類という種が刻んできた疵痕。それが、より明確になった事で、ガイアは人類という種そのものを排斥の対象に定めた。
 人類にとって、その時点で敵は彼女だけでは無くなっていた。
 彼女が人類悪として完成した時点で、他の人類悪も連鎖的に各地で出現し、更にガイアの抑止力である英霊達が人類に牙を剥いた。
 それまで静観の構えを取っていた超越者達も動き出すが、全てが遅過ぎた。

 ――――ここに、正義は成る。

 最期の時、嘗てのパートナーが握っていた宝剣を片手に、彼女は彼の前に現れた。
 彼が逃げ回っていたのではない。彼女が彼から逃げ回っていたのだ。
 彼だけは殺す事が出来ない。そもそも、彼は排斥の対象に当て嵌まらない。なぜなら、彼は彼女の正義の原典だったから――――。

『……これが、正義か』

 男は握り締めた黒塗りの短刀を振り上げた。
 そして、彼女は抵抗する事なく、その刃に身を委ねた。

『……え?』

 男は崩れ落ちる少女に目を見開いた。

『何故だ……』

 困惑する男に、少女は微笑みかける。

『おとう、さん』

 正義の味方としての役割を終えた少女は、最期の時、わずかに本来の人格を取り戻していた。
 彼女はただ、父親に初めて会えた事が嬉しかった。
 死にゆく体で、痛い筈なのに、それでも無邪気な笑顔を浮かべる彼女に、男は崩れ落ちた。

『……オレは、なにをしているんだ』

 手を必死に伸ばしてくる少女。その手を掴みながら、男は震えた。

『……おとう、さん。わたし、うれしい』

 温度が失われていく。死が近付いている。
 正義を謳い、死を振り撒き、世界を滅ぼした魔人。己の血を引くからこそ、己が始末を付けるべきだと考えていた。
 けれど、握った手はあまりにも小さく、その心はあまりにも幼かった。
 彼女が排除するべき敵ではなく、救わなければいけなかった娘である事に、ようやく気付いた。

『すまない……』
『どうしたの? どっか、いたいの?』

 男は涙を流していた。身につけていた紅い礼装を少女の体に被せる。

『これを持っていろ。もしかしたら……』
『おとうさん?』
『ここに大切な物が入っているんだ』

 男は礼装の一部を指差して言った。

『オレには出来なかった。だけど、彼女なら……』

 そう呟くと、男は少女の手を握り締めた。

『すまない……。オレは、間違えていた』
『おとう、さん……?』

 少女の意識が薄れていく。

『すまない……』

 そして、彼女は終わりを迎えた。

 ◇

 目を覚ましたはずなのに、俺はまだ夢の中にいた。
 曇天の下に広がる荒野。空には巨大な歯車が回り、大地には無数の剣が突き立てられている。
 その向こうに、紅い背中があった。

「お前は……」

 男はゆっくりと振り向いた。
 夢で見た、アリーシャの父親。アリーシャを殺した男。未来の……、俺自身。

『……あの夢はすべてが真実だ』

 怖気が走った。
 違う……。この男は、何かが根本的に違う。

『このままでは、あの夢で起きた惨劇が現実の世界で再現されてしまう。お前には、それを阻止出来る可能性がある』
「……お前は、誰だ」

 その声はあまりにも無機質だった。まるで、台本を読み上げているかのようだ。

『私はお前だ。貴様がアレを視て、見て見ぬ振りなど出来る筈がない。ならば、力が要るだろう? さあ、契約だ』
「契約……?」
『なに、代価は後々で構わない。今は、己の正義を真っ当するがいい。契を交わした娘を守りたいのだろう? 偉大なる騎士の王と肩を並べたいのだろう? 罪無き人々を救いたいのだろう? それを為せる者は貴様のみ。さあ、正義の味方よ。この力を受け取るがいい』
「……それは、俺にアリーシャを殺せって意味か?」

 震えが走る。
 恐怖じゃない。心の奥底から、怒りが込み上げてくる。

『何を迷う必要がある。アレは人類を滅する悪の化身だ。他に道などあるまい。それとも、貴様は救う術を持ちながら、人類を見捨てる気か?』
「そうじゃない!! 殺す以外にも方法がある筈だ!!」
『そんなものはない』
「ウルセェ!!」

 頭の中が燃えたぎっていて、思考が纏まらない。
 感情がそのまま口をついて出てくる。

「消え失せろ!!」
『……真実から目を背けたところで、意味などない。それを、お前もいずれ気付くだろう。貴様がその気になれば、いつでも私は力を貸そう。願わくば、全てが手遅れになる前に決断して欲しいものだがね』

 世界が揺らいでいく。視界が黒一色に染まる。
 そして今度こそ、俺は目を覚ました。

「……俺とイリヤの、娘」

 畳を殴り、立ち上がる。ジッとしている暇なんて、もう一秒足りともない。

第二十二話『幕間』

第二十二話『幕間』

 赤い瞳に魅入られた。手足の感覚が無くなっている。
 
「イリヤスフィール!?」

 異変に気付いたセイバーが殺気を向けると、イリヤは言った。

「これはシロウのためよ。今のシロウには足りないものが多過ぎる。だから、わたしが補ってあげるの」
「補うって……、あっ」

 セイバーは何かを察したらしい。何故か、頬が赤い。

「……あの、大丈夫なのですか?」

 セイバーが心配そうに問い掛けている。

「どうかな。知識はあるけど、実践するのは初めてだもの。だけど……、うん。シロウが相手なら、痛くても大丈夫」

 何が大丈夫なのか教えて欲しい。イリヤが俺の頬に触れると、ビリッとした感触と共に視界が途切れた。
 意識は継続しているのに、何も感じる事が出来ない。完全な闇の中、強烈な閉塞感にパニックを起こしかけた。

 急に、白い光が飛び込んできた。
 体が熱い。五感が戻って来た。だけど、手足はいくら力を篭めても動かない。

「……シロウ」

 イリヤの声が聞こえた。随分と近い。
 視線が真上に固定されているせいで、彼女を探す事が出来ない。
 せめて、音で状況を分析しようと、耳を澄ませてみる。すると、聞こえてきたのは衣が擦れる音と、何かが床に落ちる音。
 何が起きているのか、さっぱり分からない。

「シロウ」

 イリヤが視界の中に現れた。
 彼女は……、何も身に着けていなかった。

「……戸惑ってる? 大丈夫だよ。シロウはジッとしてるだけでいいの」

 全然、大丈夫じゃない。イリヤが手を伸ばすと、まるで直に触れられたような感触が走った。
 おかしい。俺は服を着ている筈だ。

「それじゃあ、始めようか」

 何を始める気なのか、どうか教えてほしい。
 
「うん。まずは……、キスからだよね」

 彼女の顔が近付いてくる。
 なんとなく、嫌な予感がした。これから、なにか、とても大変な事が起きてしまう気がした。
 そして、俺はイリヤと……、

 ――――拝啓、親父殿。もう……、正義の味方になれないかもしれません。

 ◇

 終わった後、シロウは真っ白になって、部屋の片隅で蹲ってしまった。
 思っていたより痛かったけど、最終的には上手くいったと思う。 

「えーっと、終わったのですか?」

 リズに呼びに行かせたセイバーが入って来た。ベッドを一瞥して、真っ赤になりながら問い掛けてくる。

「ええ、バッチリよ。たしかに、わたしとシロウの間でパスが通ったわ。これで、いろいろと出来る事が増えた筈」
「そうですか……。シロウ、大丈夫ですか?」
「……俺は、……俺は、最低だ……」

 シロウはブツブツと独り言を呟いている。その態度にカチンときた。

「もう、シロウ! わたし、がんばったんだよ! 一言くらい、褒めてくれてもいいじゃない!」
「……俺ってヤツは」

 まるで聞いていない。

「落ち着いて下さい、イリヤスフィール。さすがに、仕方のない事かと……」

 頬を膨らませると、セイバーがやんわりと言った。

「まったくもう! それより、セイバーの方はどう? わたしの魔力が流れ込んでいる筈だけど」
「ええ、以前とは比べ物にならない量です。この分なら、わたしも全力を出す事が出来そうです」

 言葉通り、彼女のステータスが軒並みAランク以上に上昇している。

「なら、後は切り札ね」
「切り札……、ですか?」
「してる最中に確認したけど、やっぱり、シロウの中には聖剣の鞘が埋め込まれていたわ」
「鞘……、まさか、《|全て遠き理想郷《アヴァロン》》ですか!?」
「そうよ。きっと、キリツグが埋め込んだのよ。元々、前回の聖杯戦争でキリツグにあなたを召喚させる為に、アインツベルンがコンウォールから発掘したもの。シロウがあなたを召喚した時点で、身近な所に保管されているとは思っていたの。だけど、探してみても無いから、もしかしたらって」
「なるほど……」

 聖剣の鞘。アーサー王の助言者であった|花の魔術師《マーリン》は、聖剣よりも、むしろ鞘を大切にするよう、王に忠告した。
 担い手をあらゆる災厄から守る魔法の鞘。それは紛れもなく、セイバーの切り札になる。

「……問題は、シロウのメンタルですね」
「まったく、シロウにも困ったものね」

 シロウは亀のように頭を抱えて丸くなっている。
 三人掛かりでシロウを説得して、なんとか持ち直した頃には夜になってしまった。
 やる事がまだまだたくさんあるのに、困った子ね!

 ◆

 賑やかな喧騒を掻き分けて、わたしはアリーシャと一緒に遊び歩いた。
 冬木の観光スポットを見て回ったり、海浜公園でお弁当を食べたり、ゲームセンターというものにも、初めて入った。
 わたしは機械が苦手だ。だから、ここに来る事は生涯ありえないと思っていた。

「ねえ、リン! 二人でプリクラ撮ろうよ!」

 アリーシャは初めて触るものを何でも巧みに操る事が出来た。
 プリクラという小さな写真を、前に買ったお揃いのアクセサリーに貼り付ける。
 
「次は音ゲーやろうよ!」

 初めての事ばかりで、戸惑いも多い。だけど、楽しくてしかたがない。
 わたしは魔術師だから、今までは他の人との間に一線を引いていた。だから、本当の意味で友達と言える人間は、誰もいなかった。
 普通に友達と遊んでいるクラスメイトが羨ましくなかったと言えば、嘘になる。だけど、そういう幸せは、わたしじゃなくて、今は赤の他人になってしまった妹にって、そう思っていた。
 
「アリーシャ。負けないわよ!」
「かかってこーい!」

 対戦型の音ゲーで遊んだ後は、射撃ゲームに興じた。
 時間を忘れて楽しみ、気がつけば夕方になっていた。
 
「今日も楽しかったね!」
「そうね! さーて、夕食の材料を買いに行きましょう!」
「うん! 今日は何にするの?」
「鍋物なんてどう?」
「最高!」

 今日一日は何事もなく終わった。
 いずれ、敵がやって来る。それが、キャスターなのか、衛宮くんなのか、それは分からない。
 だけど、その時が来るまでは精一杯楽しもう。
 それが、今のわたしに出来る事。
 これが、わたしが彼女を救う為の道筋。
 絶対、この日々を絶望で終わらせたりしない。

 ◆

 ――――実に心踊る展開だ。
 
 何もしなければ、人類は終末を迎える事さえなく淘汰される。
 遠坂凛が召喚したサーヴァントは、そういうモノだ。あれは人の皮を被り、人を真似ているだけの獣であり、その在り方を世界に肯定されたモノ。
 
「文明より生まれながら、文明を滅ぼす魔性。人間が、自ら産み出した災厄。人類の自滅機構。それがアレの正体だ」

 目の前の女の表情が歪む。

「……冗談でしょ?」
「ああ、冗談だ。そう言えば、君は満足するのかね?」
「黙りなさい! 貴方、これがどういう事か、分かっているの!?」
「分かっているとも。人類の破滅は秒読み段階に入っている。ガイアが動く事はない。それは、ガイアに属するギルガメッシュが敗北を見れば明白だ。アレは彼女の存在を肯定している」

 そもそも、ガイアは星を守る為の抑止力だ。星にとっては無害な彼女の所業を阻む動機がアレには無い。
 彼女が牙を剥く対象は、人類が重ねてきた罪業。|救世主《メシア》が持ち去った七罪とは別の、知恵を持つモノ故の|性《さが》。全人類が等しく内包しているであろう、大いなる悪。
 ある意味で、彼女のソレは救済を意味している。

「……何故、笑っていられるの?」
「おかしな事を聞く。人が己の産み出した業によって焼き尽くされるのだ。これほど愉快な事も、そうはあるまい」
「他人事……って、雰囲気でも無いわね」

 顔を顰めて、女は言った。

「言峰綺礼。情報提供には感謝します。これは、わたしでは手に入れる事が出来なかったもの。……まだ、打つ手は残っている」

 そう言って、女は姿を消した。

「ああ、存分に足掻くといい」

 その分だけ、絶望は深くなっていく。

第二十一話『流れ込んだもの』

第二十一話『流れ込んだもの』
 
 シロウの家で一夜を過ごした。

「……なんか」

 どうしてだろう。胸がドキドキと高鳴っている。こんな感情、わたしは知らない。
 落ち着かなくて、割り当てられた部屋を飛び出した。当てもなく歩き回っていると、廊下の雰囲気が変わった。
 洋室のエリアから、和室のエリアへ移ったのだ。

「こういうのをワヨウセッチュウって言うんだっけ」

 そのまま歩いていると、なんだか奥の部屋が気になった。障子を開けると、布団で横になっているシロウを見つけた。
 ドキドキが大きくなっていく。

「これ……、なに?」

 心の赴くまま、わたしは部屋の中に入った。布団の横に立ち、しゃがみ込む。
 シロウの寝顔を見ていると、抱きしめたい衝動に駆られた。

「シロウ……」
「……ん。うん……?」

 どうやら、起きたみたいだ。ゆっくりと瞼を開いた彼は、ギョッとしたような表情を浮かべた。

「イ、イリヤ……?」
「おはよう、シロウ」

 そのまま、わたしはシロウの口を喋んだ。考えてした事じゃない。体が勝手に動いた。
 自分がキスをした事に気付いたのは、彼の口を一分近くも堪能した後の事だった。
 頬が熱くなって、わたしは彼から離れた。

「イ、イリヤ!? いきなり、何してんだ!!」

 真っ赤な顔で叫ぶシロウにわたしは答える事が出来なかった。
 だって、自分でも分からない。
 何してるの、わたし!?

「えっと……、おはようのキス?」
「おはようのキスって……。うーん、さすが外国人……」

 シロウが外国人に偏見を持っていて助かった。どうやら、納得してくれたみたい。

「あー、起こしに来てくれたんだよな?」
「え?」
「え?」
「……う、うん! そうだよ!」

 わたしは慌てて立ち上がった。すると、立ちくらみがしてシロウの下へ倒れ込んでしまった。
 
「イ、イリヤ!」

 咄嗟に受け止めてくれた腕が思いの外逞しくて、ドキドキが更にパワーアップした。
 今にも心臓が外に飛び出してきそう。なにこれ、わたし、死ぬの?

「えっと、大丈夫か?」
「……え、ええ、ありがとう。もちろん大丈夫よ、何も問題ないわ」
「そうか? じゃあ、先に居間に行っててくれ。直ぐに準備をして、朝食を作りに行くから」
「うん。……一緒に、だよね?」
「ああ、一緒に作ろう」
「うん! はやく来てね、シロウ! 待ってるから!」
「はいはい」

 わたしはシロウの部屋から飛び出した。
 顔が熱い。もう、どうしちゃったのかしら、わたしってば……。

「セラなら何か分かるかな?」

 そう口にして、浮かれていた気分が一気に冷めた。
 分からない事があった時、いつも答えを教えてくれるセラは、もういない。
 バーサーカーを奪われて、セラもきっと、殺された。

「どうしたんだ?」

 立ち尽くしているわたしに仕度を済ませたシロウが声を掛けた。
 
「シロウ……」
「イリヤ!?」

 気付いた時には彼に抱きついていた。

「ど、どうしたんだよ、イリヤ」

 困った表情を浮かべながら、彼はわたしの頭を撫でてくれた。
 やさしくて、大きな手。じんわりと、胸があたたかくなる。

「シロウ」
「どうした?」
「……わたし、ここに居てもいいの?」
「急にどうしたんだ? 居ていいに決まってるだろ」

 少し不機嫌そうに彼は言った。

「……ありがとう、シロウ」

 涙が収まった後、わたしは赤くなった目元を見られないように振り返った。

「行こう、シロウ」
「あ、ああ」

 わたしは漸く自覚した。
 ああ、この感情は……まさしく、

 ◇

「……それで、今後の事ですが」

 朝食を食べ終えた後、セイバーが口火を切った。

「今後の事?」

 シロウが首を傾げると、セイバーは言った。

「ええ、イリヤスフィールがここに居る時点で、貴方が聖杯戦争に参加した目的は達成されました。……そこで、提案があります」

 そう言えば、前にシロウにこの家に連れて来られた時、彼が言っていた。

 ――――俺はイリヤを戦わせたくないからマスターになったんだ!

 わたしを危ない目に合わせたくないって、その為なら何でもするとまで言ってくれた。
 あの時は受け入れる事が出来なかったけれど、バーサーカーを失った今、彼の差し伸べてくれた手を拒絶する理由がない。
 どうしても許せない筈だったのに、いつの間にか、わたしの中に彼への怒りは微塵も残っていなかった。

「シロウはここで聖杯戦争から降りるべきだ」
「……は?」

 セイバーの言葉にシロウは目を白黒させた。
 わたしも、セイバーの提案に驚いて唖然とした。

「なっ、何を言ってるんだ、セイバー! 聖杯戦争を降りるって……、一体」
「そのままの意味です。貴方の目的は達成された。ならば、これ以上身を削る必要も無いでしょう」
「ちょっと待ってくれよ、セイバー。いきなり、どうしてそんな事を言いだしたんだ? たしかに、イリヤを助けたくて参加したけど、俺は――――」

 シロウの言葉をセイバーは手で制した。

「ハッキリ言います。リンとアリーシャが離反し、バーサーカーがキャスターの手に堕ちた現状、わたしでは貴方達を守りきる事が出来ない」
「セイバー……?」

 セイバーの言葉にシロウが戸惑う。

「不甲斐ない話ですが、事実です。前にも言いましたが、わたしではアリーシャに勝つ事が出来ない。それに、ヘラクレスとメディアはどちらも難敵です。ハッキリ言って、勝率は零に等しい。だから、ここで私との契約を切り、貴方達は教会へ保護を求めに行くべきです」

 それが彼女の下した結論だった。彼女の判断は冷静かつ的確であり、彼女の言葉通りにする事がわたし達にとっての最善だった。
 それでも、シロウは首を横にふる。わたしにも、セイバーにも分かっていた事だ。

「それは出来ない。これは俺が自分の意思ではじめた事だ。それを途中で投げ出す事は出来ないし、セイバーを一人で戦わせるわけにもいかない」
「ですが、シロウ。それでは、イリヤスフィールを戦いから遠ざけたいという貴方の願いはどうなるのです?」
「……それは」
「シロウ」

 わたしは彼の手を握った。

「シロウはシロウが思った通りにすればいいのよ」
「イリヤ……?」
「だいじょうぶ。シロウがやりたい事をやれるように、わたしも協力してあげるから」

 わたしはセイバーを見つめた。

「セイバー。貴女もサーヴァントなら、マスターの事を最後までキッチリ守りなさい」
「……ですが、イリヤスフィール」
「言ったでしょ。わたしが協力してあげる」

 この胸の高鳴りに身を委ねよう。好きな子の為に頑張るなんて、当たり前。そのくらいの事、わたしだって知ってる。
 マスターでは無くなっても、小聖杯としての役目を真っ当出来なくても、出来る事は山ほどある。
 シロウの為に、わたしに出来る事をしよう。

 ――――これがわたしの聖杯戦争。

 たしかに、わたしはサーヴァントを失った。だけど、生きている。
 そう――――、まだ何も終わっていない。

第二十話『禁忌』

第二十話『禁忌』

「……アリーシャ、ごめんね」

 その言葉を聞いた瞬間、時が自動的に加速され、刹那が永遠に置き換わる。
 これまでの加速とは比較にならない。偶然近くを飛んでいた蜂の羽ばたきすら停止している。

『……どうした? 見ているだけか?』

 声が聴こえる。

『このままでは、彼女が殺されてしまうぞ』

 分かっている。だけど、あの男は強すぎる。

『だから、我が身可愛さに見殺しか?』

 そんな訳ない。敵わなくても、わたしが死ぬ事になっても、リンの事だけは絶対に助けたい。

『ならば、迷う理由などあるまい。守るべき者が窮地に陥り、眼前には倒すべき悪がある』

 そうだ。迷う理由なんて無い。たとえ、それでわたしが消えて無くなっても、彼女を失う事に比べたら断然マシだ。
 わたしにだって、自分の命より大切なものがある。
 この世界の全てを敵に回してでも、守りたいモノがある。
 
『さあ、身を委ねるがいい。そうあれと望まれ、仕組まれた運命を歩み、世を呪い、人を憎み、手に入れた正義の力。今こそ、解き放て――――!』

 この声に身を委ねたが最期、後戻りは出来なくなる。きっと、ギルガメッシュはこうなる事を止める為に現れたのだろう。
 たしかに、それは慈悲かもしれない。いっそ、ここで死んでいた方が良かったのかもしれない。
 それでも、わたしはリンを守りたい。彼女のいない世界なんて……、

「……リン」

 意識を己の中に埋没する。そして――――、空間が割れた。
 わたしは痛みの渦に呑み込まれた。ここがどこだか分からない。わたしが何者なのか分からない。今、するべき事が何なのかさえ、分からない。
 それでいい。ここより先は人の道に非ず。もはや、|表層人格《わたし》の出る幕は無い。

 ――――目標、英雄王ギルガメッシュの打破、及び|遠坂凛《マスター》の救出。
 ――――必要情報の検索を開始。
 ――――失敗。現機能では英雄王ギルガメッシュに対抗する事は不可能。
 ――――能力の拡張を申請。
 ――――規定条件をクリア。
 ――――霊基再臨を開始。
 ――――完了。保有スキル《ネガ・マリス》、《自然の嬰児》、《自己改造》を復元。
 ――――第二段階移行に伴い、一部機能を封印、不要な記録を消去。
 ――――割り込み申請。外部記憶領域にバックアップを作成。
 ――――目標達成まで、感情を一部封印。その他、全機能を戦闘行動に集中。
 ――――タスク形成、処理を開始。
 ――――宝具《|第八禁忌・人類悪《アンチ・アンリマユ》》……、起動。

 ◇ 

 まばたきの間に、世界は一変していた。
 目の前にあった筈の山が消えてなくなり、代わりに彼方まで広がる荒野が現れた。
 曇天の下、歯車が顔を出し、大地には無数の剣が突き刺さっている。

「固有結界……。これが、《|無限の剣製《アンリミテッドブレイドワークス》》」

 気付けばギルガメッシュの姿が無くなっている。何が起きているのか、理解が追いつかない。

「――――ようやく、会えたな」
「え?」

 声を掛けてきたのは、夢で視た|鎧の騎士《セイバー》だった。
 モードレッド。アーサー王伝説に登場する、叛逆の騎士。
 アリーシャが聖杯戦争で召喚した相棒。彼女を守り、彼女が殺してしまった大切な人。
 その顔は衛宮くんの召喚したセイバーと瓜二つだ。

「なんで……」
「オレがここにいるのかって? それはオレが願ったからだ」
「願った……?」
「ああ、聖杯に願った。結果、オレはここにいる」
「……聖杯って、アリーシャのこと?」
「そうだ。……アリーシャのことだ」

 モードレッドは頬を緩ませた。

「良い名前だな。アイツも気に入ったみたいだ。オレもそう呼ぶ事にするぜ」
「……わたしはどうなったの?」
「ギルガメッシュに首を刎ねられる直前、この世界に引き摺り込んだ。外の戦闘が終わったら、直ぐに解放してやるよ」
「外の戦闘って……、アリーシャが戦ってるの?」

 先刻の戦いで、アリーシャはギルガメッシュに手も足も出なかった。
 外の様子を知りたい。一人で戦わせたくない。
 殺されるなら、一緒に殺されてあげたい。

「心配はいらねーよ。今のアイツに勝てる人間は一人しかいない。アイツも、せめて真っ当な状態なら相手になったんだがな」
「……どういう意味?」
「それより、お前に話しておきたい事がある」
「ちょっと、はぐらかさないでくれる?」
「はぐらかしてるわけじゃない。アリーシャはそういう存在なんだ。アトラス院の錬金術師がアインツベルンと結託して造り上げた《正義の味方》という名のシステム。|この世全ての悪《じんるい》を滅ぼす為の殺人機構。いずれ、人類悪に至る人造のガイアの怪物。人である限り、アイツには勝てない。まあ、一部の例外を除いてな」
「ガイアの怪物って……」

 話には聞いた事がある。ガイアの抑止力であり、人類種に対する絶対的殺戮権を持つとされる存在。
 たしか、知り合いの話では死徒二十七祖の第一位がソレだと聞いた。

「生前、アイツはアラヤの抑止力に討たれたが、ガイアが拾い上げた。アイツは他のサーヴァントを取り込む事で、己を作り変える事が出来る。今は第二段階だが、最終段階になれば、完全に《霊長の殺人者》として覚醒して、また人類世界を滅亡させる。今の御時世、大抵のヤツがアイツの殺害対象に該当するからな。しかも、今回はガイアのお墨付きだ。今度こそ、人理を完全に破壊して、人類史に終止符を打つだろうな」
「ばっ、馬鹿言わないでよ! あの子がそんな事……ッ」
「ああ、本心から望んでるわけじゃない。だけど、アイツはそういう存在になっちまった」
「なによ、それ……」
 
 嘘だと言って欲しい。もう、十分過ぎる程、彼女は辛い目にあってきた。
 人の都合で産み落とされて、勝手な理由で戦わされて、理不尽な動機で人間を辞めさせられて、その上、また望まない人殺しを強要させられる。
 そんな事、認められる筈がない。

「……リン。お前には二つの選択肢がある」

 モードレッドは言った。

「一つ、衛宮士郎にアリーシャを討伐させる事」
「……なに、言ってんの?」

 怒りで頭がどうにかなりそうだった。そもそも、衛宮くんにアリーシャを殺せるとは到底思えない。

「現に、あの野郎は一度アリーシャを殺してる。要は、衛宮士郎がアリーシャにとって唯一の弱点なんだよ。あの錬金術師はアリーシャの目指す姿として、衛宮士郎をモデルにした。血を取り入れたのも、それが理由だ。己の正義の原典故に、アリーシャはあの野郎の事を否定する事が出来ない。悪と認識する事が出来なくて、力を振るえなくなる。だから、衛宮士郎ならアリーシャを簡単に討伐する事が出来るわけだ」
「……巫山戯んな!! そんな事、させるわけないでしょ!! あの子をまた父親に殺させるなんて……、そんな事!!」
「だが、人類史を救う為にはそれ以外の方法がない」
「なっ……」

 突きつけられた選択肢に、わたしの体は震えた。
 モードレッドの言う事が真実なら、彼女を衛宮くんに殺させなければ人類が滅ぶ。
 だけど、それはアリーシャを裏切る事。孤独のまま、終わらぬ地獄に戻す事。また、父親に殺される絶望を味合わせる事。

「……なあ、リン」

 モードレッドは言った。

「それでも、アリーシャを救いたいと思うか?」
「当たり前でしょ!!」

 涙が溢れ出した。あの子を救いたい。もう、あんな地獄に送り返したくない。
 たとえ、それで人類の歴史が終止符を打つとしても、それでも……、

「なら、アイツの為に地獄の底まで付き合えるか?」
「……そこに、あの子の救いがあるなら」

 その答えに、モードレッドは大口を開けて笑った。

「なっ、なによ、バカにしてるの!?」
「あ? ちげーよ。逆だ! あの野郎の言ってた通りだな、お前」

 そう、モードレッドは嬉しそうに言った。

「あの野郎って……?」
「アリーシャの親父だ。あの野郎はアリーシャを殺す時、万に一つにも満たない可能性に賭けた。『オレには出来なかった。だけど、彼女なら……』って、あのペンダントをアリーシャに持たせた」

 脳裏にアリーシャの身に着けている紅い装束が浮かぶ。アレに隠されていた、この世に二つと無い筈の赤いペンダント。

「まさか……、わたしに召喚される可能性に賭けたって言うの?」
「……ああ、情けない話だけどな。オレにも、あの野郎にもアリーシャを救う事は出来なかった。だけど、だけどな! お前なら……、アイツを救えるかもしれないんだ!」
「どういう……、事?」

 モードレッドはわたしの肩を掴んで言った。

「これは、ほとんど勝ち目のない賭けだ。負ければ、人類史が終止符を打たれる。それでも、お前はアリーシャの為に背負えるか!?」
「……背負えるわよ。あの子を救うって決めた時から、何もかも犠牲にする覚悟は出来てる!! だから、教えなさい!! わたしは何をすればいいの!?」

 モードレッドは言った。
 アリーシャを救う為の、たった一つの道筋。
 もはや、賭けが成立していないほど、理不尽な難易度だ。
 それでも、わたしは人類史よりも、あの子の救いを選んだ。

「これで、お前も共犯だ。地獄の底までついて来てもらうぜ、リン」

 叛逆の騎士と謳われた英雄が手を伸ばす。
 わたしはその手を力強く握り締めた。
 
「……ええ、わかっているわ。これで、わたしも立派な人類に対する反逆者ね」

 はじめは遠坂家の悲願である聖杯を求めて参加した戦い。
 だけど、蓋を開けてみれば、召喚したサーヴァントに振り回されっぱなしの毎日。
 それでも、振り返った日々をわたしは尊いものと感じている。
 確実に人類を救える道に背を向けて、父や先祖に背を向けて、この時の為に研鑽を重ねていた過去の己に背を向けて、勝ち目の薄い戦いに挑む。

 ――――これがわたしの聖杯戦争。

 わたしにだって、自分の命より大切なものがある。
 この世界の全てを敵に回してでも、守りたいモノがある。

 ◇

 ギルガメッシュは、掴んでいた少女の消失と、目の前のサーヴァントの異変を察知して、顔を顰めた。

「……愚かな。これで、貴様は哀れな娘ではなく、滅ぼされるべき災厄に成り果てた。もはや、貴様に与える慈悲は無い。我が全霊を持って滅ぼすとしよう」

 それは、最強の英霊が慢心を捨て、すべての力を解き放つ決意を固めた事を意味する言葉。
 サーヴァントという仮初の肉体を得て、一時の遊興に耽るのも悪くなかった。だが、コレが現れた以上、是非もない。
 嘗て、彼は超越者として世界に君臨していた。神々が人の世を裁定する為に地へ使わせた者、それが英雄王・ギルガメッシュ。
 宝物庫の扉を最大まで展開し、秘奥を握る。たとえ、この地を灰燼に帰す事になったとしても構わない。

「肉片一つ残らず滅ぼし尽くしてくれよう」

 彼が振り上げたそれは、英雄王・ギルガメッシュが持つ宝具の中でも別格である。元々の銘は無く、彼は便宜上、|乖離剣《エア》と呼んでいる。
 無銘にして最強の剣。円柱状の刀身を持つ、剣としては歪な形をしたソレは、星を生み出した力そのもの。
 あまねく生命が遺伝子に刻む、世界を破壊し、世界を創った原初の存在。一度振るえば、現世に地獄を現出させる神造兵器。

「さあ、|乖離剣《エア》よ。目覚めの時だ」

 主人の命に従い、乖離剣は軋みをあげる。誰が知ろう。これこそが、あまねく死の国の原典。生命の記憶の原初。
 ソレが齎すはあらゆる生命の存在を許さぬ地獄のみ。

「いざ仰げ! 《|天地乖離す開闢の星《エヌマ・エリシュ》》を!!」

 乖離剣が唸りを上げる。空気が……否、空間そのものが悲鳴を上げる。
 異変に気付いた冬木の人々が見たものは、天と地の始まりの光景。
 これが、|天地乖離す開闢の星《エヌマ・エリシュ》。上にある天が名付けられておらず、下にある地にもまた名が無かった時代。この世を構成する全てが母なる混沌より生まれ出でる前。水が混ざり合い、野は形が無く、神々すら生まれぬ原初の光景。
 滅びであり、創造。驚天動地の力。これが人類最古の英雄王の真の力。この宝具を評価出来る存在など天上天下に一人として存在しない。
 故にランクは|評価規格外《EX》。如何なる英雄だろうと、世界そのものに勝てる道理無し。その世界すら滅ぼす光に抗える道理無し。

「……無駄だよ」

 だが、その光が彼女に届く事はなかった。
 なにが起きたのか、それを理解した時、すでにギルガメッシュは致命傷を受けていた。

「――――貴様、既にそこま、ガッ」

 苦し紛れに飛んできた宝剣宝槍を躱し、アリーシャはトドメとばかりにギルガメッシュの首を刎ねた。
 消滅した彼の魂を取り込み、更に力を強める彼女の前に凛が現れた。

「……アリーシャ。終わったのね」

 ――――目標達成。感情の一部封印を解除。
 ――――霊基再臨中断。第三段階への移行に失敗。《単独顕現》、《嗤う鉄心》の復元失敗。

「……うん、終わったよ」

 少女は思う。この世界を敵に回しても、この少女の事だけは守ってみせよう、と。
 少女は思う。この世界を敵に回しても、この少女の事を救ってみせよう、と。
 
「帰りましょう。夕飯、何を作る?」
「……うーん、肉じゃが!」
「渋いわね……。まあ、いっか。じゃあ、帰りに商店街に寄りましょう」
「うん!」

 二人は歩いて行く。そこから先が地獄である事を知りながら、それでも前を向いて――――。