第二十五話『決戦』

第二十五話『決戦』

「楽しみだね、ハイキング!」
「そうね」

 今日は山に登る予定だ。その為のお弁当を作っている。一口サイズのオムライスに、アスパラのベーコン巻き、他にもいろいろ。
 過去を思い出す度に、今がどれほど幸せなのかを実感する。

「リン! チキンライスが出来たよ!」
「こっちも卵の準備オーケーよ!」

 大好きな友達と料理を作って、遊んで、思い出を重ねる。まさに夢のような日々だ。
 世界を滅ぼしたわたしに、そんな資格は無いと分かっているのに、わたしはこの幸せを手放す事が出来ない。
 もしも、わたしからリンを奪う者がいたら、きっと、わたしはすべてを壊してしまう。
 まるで、宝を守るドラゴンにでもなった気分。奪われる事を恐れて、必死に守ろうとしている。

「ねえ、アリーシャ」
「なに?」
「今度、京都に行きましょう」
「京都……?」

 随分と急な話に目を丸くすると、リンは言った。

「京都だけじゃない。大阪に、東京に、北海道に、沖縄。海外に行くのもいいわね。イタリア、フランス、イギリス、ドイツ……、貴女と行きたいところが山ほどあるの」
「リン……」

 嬉しくて、涙が溢れた。
 悲しくて、嗚咽が漏れた。

「ありがとう……、リン。でも、わたしは……」
「行くのよ、一緒に」

 リンは力強く言った。

「わたしは自分で決めた事を絶対に曲げたくない。だから、絶対に行くわよ」
「……うん」

 行きたい。わたしが一度壊してしまったもの。その本当の姿を視てみたい。
 それが自分の罪と向き合う事でも、リンと一緒なら乗り越えられる気がする。
 
「さあ、お弁当箱に詰めるわよ」
「うん」

 本当なら、わたしは今すぐに命を断つべきだ。それが世界の為であり、リンの為になる。
 だって、このまま行けば、わたしは再び世界に牙を剥いてしまう。あの滅びを繰り返してしまう。
 だけど、出来ない。リンと会えなくなる事が、自分の死よりも、世界を滅ぼす事よりも、父に殺される事よりも、なによりも恐ろしい。
   
「……リン。大好きだ」
「私も大好きよ、アリーシャ。だから、ハイキングを思いっきり楽しみましょう」
「うん!」

 二人で家を出て、円蔵山へ向かう。冬木が一年を通して温暖な気候と言っても、やっぱり二月は肌寒い。だから、なるべく二人でくっつく事にした。
 手を繋いで、寄り添って歩く。なんだか、恋人同士みたいで、少し照れくさい。

「着いたわね」

 前は戦う為に来た場所。壊れかけている石階段を登っていき、柳洞寺の脇を通り抜ける。
 今、この寺には誰もいない。キャスターに魔力を吸われた僧達は、今は新都の病院で眠っている。

「歌でも歌う?」
「いいね!」

 誰もいない。だから、羽目を外す事にした。
 青空の下、大きな声で歌う。こんな事、初めてだ。彼女と過ごすと、初めての事をたくさん経験する。

「――――随分と、楽しそうだな」

 柳洞寺の裏手まで来たところで、急に声を掛けられた。
 まるで、冷水を掛けられた気分。

「なんで、アンタがここにいるのよ」

 リンが嫌悪感を露わにしながら、現れた男を睨みつける。
 山の風景にまったく馴染む気のないカソックを身に着けた大男。
 彼の事は、イリヤスフィールの記憶で知っている。

「言峰綺礼……」

 人の不幸は蜜の味と言って憚らない、性格最悪の外道神父。
 わたしの中で、この男を殺せという声が響き渡っている。

「随分と嫌われているようだな」
「生憎、こっちはアンタの本性を知ってるもんでね」

 殺意を走らせるリンに、言峰は笑みを浮かべる。

「ならば、殺すがいい。だが、その前に忠告を聞いておけ」
「忠告……?」
「キャスターが衛宮士郎と手を結んだ。奴等は大聖杯を破壊する事で、聖杯戦争そのものを終了させる腹積もりだ」
「……ふーん、あっそ」

 リンは苛ついたように舌を打つと、わたしに念話を飛ばした。
 彼女の指示に従って、時を加速させる。リンを言峰の前に運ぶと、彼女は躊躇う事なく、その心臓に刃を差し込んだ。
 己の心臓に喰い込む儀式用の短剣を見て、一瞬目を見開いた後、言峰は笑った。

「……なるほど、とうに腹は決めていたか。少々、見誤っていたようだ」
「さようなら、綺礼」

 倒れ込む綺礼に、リンはもはや興味は無いとばかりに背を向けた。
 あの短剣は、あの神父がリンに贈ったもの。その剣で彼を殺す事で、彼女は決別の意を示した。

「リン……」
 
 声を掛けると、リンは申し訳無さそうな表情を浮かべた。

「ごめんね。ハイキングはここまでみたい」

 リンはわたしの手を握った。

「行くわよ、大聖杯の下へ」
「……リン。わたしは……」
「ほら、はやく」

 一緒に走り出しながら、わたしは涙を零した。

 ――――ああ、もう終わってしまう。

 この先、どんな展開になっても、わたしは消えてなくなってしまう。
 手から感じる彼女の温度を恋しく思いながら、必死に理性を働かせた。
 彼女を死なせたくなければ、選ぶべき選択肢は一つ。
 大丈夫だ。わたしからリンを奪う者は……、例え、それがわたし自身であっても許さない。
 彼女を死なせるくらいなら、わたしは……、

 ◇

 イリヤの案内で、俺達は円蔵山の地下へやって来た。
 ここに、聖杯戦争の大本である大聖杯がある。

「思ったより明るいな」

 辺り一面に薄っすら緑光を放つ光苔が生えている。

「さあ、あまりグズグズしている暇は無いわよ」

 先頭を歩くキャスターが言った。
 一同頷き合い、暗闇の洞窟を歩き始める。

「――――にしても、嫌な空気だな」

 歩きながら、呻くように呟いた。この空間に漂う空気は異常だ。吐き気がするような生々しい生命力が満ち溢れている。まるで、生き物の臓物の内側に居るかのような錯覚に陥る。
 歩けば歩くほど、その感覚が高まっていく。向かう先こそ、この穢らわしい生命力の源泉なのだろう。
 しばらく歩いていると、大きく開けた空洞に出た。生暖かい空気が体に重く圧し掛かる。

 ――――そこで止まりなさい。

 空洞を抜けようとした所で、その声に呼び止められた。
 振り返ると、そこには遠坂とアリーシャの姿があり、セイバーとバーサーカーが俺達を庇うように前へ躍り出る。

「……遠坂」
「やっぱり、衛宮くんはそういう選択をするのね」

 悲しそうに彼女は言った。

「ああ、俺は聖杯戦争を終わらせる。アリーシャを人類悪に覚醒させるわけにはいかない」
「……だから、この子を救おうともしないで、あの地獄へ送り返すの?」
「そうだ」

 心は決まっている。救うべき者は選んだ。そして、俺はアリーシャを救わない事に決めた。
 万に一つもない可能性に賭けて、人類全体を危険に晒すわけにはいかない。

「アリーシャ。俺を恨んでくれて構わない。だけど、俺は……」
「恨まないよ、お父さん」

 アリーシャの言葉に、一瞬、呼吸が止まった。

「……ここまでだね。大丈夫だよ。わたしも分かっているから」

 覚悟を決めた顔だった。嘗ての相棒の剣を取り出して、彼女は自分の首に宛がう。

「アリーシャ……」
「リン。今まで楽しかった。ありがとう! わたし、貴女のおかげで幸せに――――」

 すると、リンは微笑んだ。

「そんな事、させると思った?」
「え?」

 誰も止める暇が無かった。まさか、そんな暴挙に出るとは、誰も思わなかった。アリーシャでさえ……。

 ――――すべてを解放して、他のサーヴァントを駆逐しなさい。

「なんで……」

 遠坂は令呪を使った。その瞬間、アリーシャを中心に魔力が吹き荒れた。

「リン……。イヤだよ。わたし、リンを殺したくなんてない……」

 自分の体を抱きしめながら、必死に呑まれないように足掻くアリーシャ。

「……信じて、なんて言わない。だけど、わたしは諦めない」

 遠坂は言った。

「絶対に、アンタを救ってみせる。例え、何を犠牲にしたとしても!!」
「リン……。リン!! やめて……、逃げてぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

 そして、ソレは現れた。見た目は変わらなくても、さっきまでと中身が完全に異なっている。
 こうならない為に動き、キャスターは策を練っていた。それがすべて無駄になった。

「……もう、ここまでの力を」

 世界が一変する。炎の壁に覆われた荒野。本来、俺のモノである筈の世界が牙を剥く。
 無限の剣が一斉に浮上し、その矛先を俺達に向けた。

「走りなさい、エミヤシロウ!! 貴方なら、彼女を倒す事が出来る筈!!」

 キャスターの言葉に、俺は最後の一線を踏み越えた。
 聖杯戦争そのものを終わらせる事で、アリーシャを殺さなくて済む筈だった。だけど、こうなっては仕方がない。
 夢を通して理解した力を行使する。両の手に白と黒の短剣を投影して、アリーシャの下へ走り出す。
 すると、目の前に遠坂が立ちはだかった。

「そこを退け!! 自分が何をしたのか、分かっているのか!?」
「退くわけ無いでしょ。アンタこそ、自分の娘に何をする気よ!!」

 その手には、七色に輝く宝石を切り出した短剣が握られていた。
 その剣を解析した瞬間、思考する前に持ち得る中で最強の守りを投影する。

「|Es last frei.《解放》|Werkzung《斬撃》――――!」
「――――|熾天覆う七つの円環《ロー・アイアス》!!」

 彼女の握る宝石剣から放たれた極光はトロイア戦争で活躍した大英雄の盾を一瞬にして半壊させた。
 |宝石剣《キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ》 。|万華鏡《カレイドスコープ》と謳われる偉大なる魔法使いが設計した魔術礼装。その本質は、剣というよりも杖であり、限定的に平行世界から魔力を取り寄せる事が出来る。
 彼女が自力で辿り着いたわけでは無いだろう。だが、彼女の傍には、あの剣を作り出せる存在がいた。
 この聖杯戦争というシステムの構築には、かの魔法使いも関わっているとイリヤが言っていた。ならば当然、イリヤやアリーシャの祖であるユスティーツァも、その礼装と持ち主を直接視た筈だ。ならば、その魂を受け継ぎ、俺の固有結界を継承したアリーシャが、あの剣を投影する事も不可能ではない。
 細かい経緯は分からない。だが、あの剣がある限り、遠坂凛は英霊にも匹敵する力を行使する事が出来る。

「自分の娘も救えないようなヤツが、正義の味方なんて語るんじゃないわよ。消えなさい、衛宮士郎!!」

 セイバー達はアリーシャの相手で精一杯だ。既にバーサーカーの命がいくつも削られている。それでも抵抗出来ている事が異常なほど、アリーシャは強い。
 だから、この戦いの鍵は俺がアリーシャの下へ辿り着く事。
 人類を救う為に、目の前の障害を排除しなければならない。

『――――だが、どうするつもりだ? 貴様の力では、あの娘を倒すどころか、近づく事さえ出来まい』

 分かっている。セイバーの宝具にさえ匹敵する彼女の攻撃は防ぐ事さえ難しい。しかも、それが無尽蔵に振るわれる。
 アリーシャはおろか、遠坂の下へ辿り着く事さえ、今の状態では不可能に近い。
 だから、俺は――――、

『随分と待たせたものだ。力が要るのだろう? さあ、速やかに契約に移ろう』
「……ああ、俺は!!」

 天に向って、手を伸ばす。

「ダメよ、坊や!!」
「やめて下さい、シロウ!!」
「ダメ!! それだけはダメよ、シロウ!!」
「シロウ、それダメ!!」

 みんなの声が聞こえる。だけど、これ以外に方法なんてないじゃないか。
 俺は世界を救う。その為に、娘を殺す。その為に、遠坂を殺す。その為に――――、死後の己を捧げよう。

「契約する!!」
『……それで良い。さあ、これで力は貴様のものだ。存分に振るい、己の正義を貫くが良い』
「……ああ。行くぞ、遠坂!!」

 |体は剣で出来ている。《I am the bone of my sword.》

 ――――エラー発生。

 |血潮は鉄で、心は硝子。《Steel is my body, and fire is my blood》

 ――――ここは既にアリーシャの張った固有結界の内である。

 |幾たびの戦場を越えて不敗。《I have created over a thousand blades.》

 ――――ガイアの加護を受けたアリーシャの結界の方が優先度が上であり、上書きする事は不可能。

 |ただ一度の敗走もなく《Unaware of loss.》、|ただ一度の勝利もなし《Nor aware of gain》。

 ――――他の選択肢を検索。眼前のサーヴァントの能力を参考に、能力変化の可能性を模索。

 |担い手はここに独り。《With stood pain to create weapons.》|剣の丘で鉄を鍛つ《waiting for one’s arrival》。

 ――――アラヤの加護により、能力の変更に成功。形式を刀剣に決定。

 |ならば、我が生涯に 意味は不要ず。《I have no regrets.This is the only path》

 ――――能力名を変更。

 |この体には、無限の剣を内包する。《My whole life was “limited zero over”》

「|Gebuhr, zweihaunder《次、接続》.|Es last frei.Eilesalve《解放、    一斉射撃》――――!」

 降り注ぐ極光の雨を創り出した一振りの刀で切り裂く。
 如何に敵が強大な力を振るおうと関係ない。そうした理不尽を捻じ伏せてきたからこそ、英雄は覇名を轟かせる。
 この刀は、彼らの魂たる宝具を無限に内包し、その力を束ねる事が出来る。
 これが、アラヤの加護を受けた事で変化した、俺の新たなる力。
 固有結界の結晶化。無限にして、一なるモノ。

「……悪いな、遠坂。俺はもう、決めたんだ」
「あっそ。なら、来なさいよ」

 遠坂が宝石剣を振るう。遠慮も容赦もない攻撃の嵐だが、もはや俺には通じない。
 刀が内包する、無限の剣に宿る、無限の英霊達の戦闘経験が流れ込んで来る。
 本来ならば、とても耐えられない。魂が壊れる前に、肉体が壊れ、その前に精神が死ぬ。
 だが――――、

 ――――アレを排除するまで、壊れる事は許されない。

 アラヤによって、俺の崩壊は止められた。だが、それは密閉した鉄の箱の中で、ダイナマイトを次々に爆発させているようなものだ。
 おそらく、この戦いが終われば、俺は瞬く間に崩壊するだろう。
 これが代償だ。己の娘を切り捨てる父親に与えられた罰。恩人に牙を剥く者に与えられる罰。
 ならば、受け入れよう。彼女達を殺すのだ。己が生き残る資格などある筈がない。

「遠坂!!」

 極光を乗り越えた先、無防備な遠坂が立っていた。
 ここまで接近すれば、もはや彼女に勝ち目はない。その首目掛けて、刀を振るう。
 だが――――、

 ――――させねぇよ。

 その刀を見覚えのある剣が防いだ。

「……お前は」

 そこに現れたのは、紅い装束を纏う少女だった。セイバーにとてもよく似た……いや、瓜二つな顔を持つ、アリーシャの嘗ての相棒、モードレッド。

「――――さあ、始めるぞ。リン!!」
「ええ、やるわよ、モードレッド!!」

 遠坂が令呪を掲げる。それと同時に悲鳴が木霊した。
 振り向くと、バーサーカーが消滅していき、キャスターが肉塊に変えられていた。残るサーヴァントは、セイバー一人。
 そして、アリーシャは……、

「――――令呪をもって、命じる!!」

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