エピローグ
あれから、数年の月日が経過した。
オレは旅を続けている。メキシコの国境近くにある街や、中東の村を巡り、悪人を処理して回っている。
悪が何処にいるのか、どのような悪が横行しているのか、すべて分かっている。
オレがやっている事は、アリーシャが歩んだ軌跡をなぞる行為。彼女が殺す筈だった者を殺していく。
「ん?」
テロリストの集団を皆殺しにした時、胸元が震えた。携帯電話を取り出すと、液晶に表示された名前に目を丸くした。
通話ボタンを押すと、懐かしい声が聞こえた。
『……えっと、これでいいのよね? えっと、通じてる?』
「ああ、問題なく通じているよ。君から連絡が来るとは思わなかったな。何かあったのか?」
『アンタ、今どこにいるの?』
「フランスだよ。大衆を巻き込んだテロを計画している集団を処理していたところだ」
『……アンタが何してるのか、なんて聞いてないわよ。それより、日本に戻って来れない?』
「次は中国に向かう予定だったのだが……、どうかしたのか?」
『……アリーシャが生まれる』
「は? ……すまない。どういう意味だ?」
『だ・か・ら、イリヤが出産するって意味よ!』
「はぁ!? どういう事だ!?」
『アンタ、身の覚えはないわけ!?』
「無いぞ! どういう事だ!? いや、聖杯で出来るようにはなった筈だが……、本当に心当たりが無いぞ」
『え? でも、アンタの子だって言ってるけど……』
「ちょっと、待ってくれ。イリヤに代わってくれないか?」
『仕方ないわね。イリヤ! 愛しのシロウが代わって欲しいって!』
しばらく待つと、遠坂は疲れたように言った。
『電話じゃ、嫌だって……』
「……了解した。とりあえず、日本に戻るよ。幸い、協力者も出来たのでね。中国の方は彼らに任せよう」
『……殺人集団なんて率いて、どっちがテロリストなのよ。正義の味方が聞いて呆れるわね』
「今更だな。己の娘に殺意を向けた時点で、オレに正義の味方を騙る資格など無い」
『だったら、なんで、そんな事続けてんのよ……』
「今日は随分としつこいな。声も聞きたくないのでは無かったのか?」
『うっ、うっさい! 捻くれた言い方するな!』
「はいはい。とりあえず、今はまだ忙しいから切るぞ。明日、日本に向かう。到着は明後日になると思う」
深く息を吐いて、気を落ち着ける。
正直に言って、何が何だか分からない。イリヤと最後に会ったのは二年も前だ。
「……イリヤ、元気かな」
結局、生き方を変えられなかった。アリーシャが生まれた世界と同じように、オレはイリヤを置き去りにした。
あの時は大変だった。イリヤには泣かれて、遠坂には怒られて、アリーシャには悲しまれた。
だけど、起きると分かっている悲劇を、止められる力を持っていながら見過ごす事は出来なかった。
我が事ながら、救いようのない愚か者だ。
翌日、飛行機に飛び乗り、そのまま日本へ向かった。
一日掛かって冬木市に入ると、思っていた以上に懐かしさが込み上げてきた。
「イリヤ……」
海外にいた間に急激に背が伸びたせいか、故郷の風景が随分と違って見える。
カタチの変わったバスに乗り込み、深山町に向かう。
衛宮邸に到着すると、懐かしい顔が出迎えてくれた。
「おかえりなさい、シロウ」
「ああ、ただいま。セイバー」
彼女は最後に会った時と何も変わっていない。
セイバーはオレ達の事を心配して残ってくれた。今はマスター権をイリヤに移して、彼女を守ってもらっている。
「背が伸びましたね」
「少しな」
「……無茶を続けているようですね」
オレの変色した皮膚に触れながら、彼女は痛ましそうに表情を歪めて呟いた。
「私のせいだ。私が貴方に覚悟を迫ったから……」
「これはオレが自分の意志を通した結果だよ、セイバー。君が気にする事じゃない。それよりも、イリヤに会わせてもらえるか?」
「……ええ、奥で休んでいます」
セイバーに先導されながら、嘗て住んでいた家を歩く。なんだか、妙な気分だ。
「そう言えば、藤ねえはいるのか?」
「タイガは学校ですよ。今日は平日ですから」
「そっか……」
「今日、シロウが帰ってくると聞いて、喜んでいましたよ」
「そっか」
奥の部屋に着くと、リーゼリットの姿があった。
「やっほー、シロウ。ひさしぶり」
「ああ、ひさしぶりだな。イリヤは中に?」
「うん。会ってあげて。イリヤ、よろこぶとおもう」
中に入ると、そこには遠坂とアリーシャの姿もあった。イリヤは目を瞑っている。
どうにも気まずい。
「……久しぶりだな」
「久しぶりね」
「久しぶり……」
最後に二人と会った時は喧嘩別れに近いものだったから、中々会話の糸口が見つからない。
「……えっと、イリヤは寝てるのか?」
「さっきまで起きていたんだけど、疲れやすくなっているみたい」
イリヤを見る。前に会った時よりも背が伸びている。妖精のような可憐さは、女神のような美しさに変わりつつある。
思わず見惚れていると、彼女の瞼が動いた。
「イリヤ?」
「……シロウ?」
オレに気付くと、彼女は心底嬉しそうに微笑んだ。
「おかえりなさい、シロウ」
「ただいま、イリヤ」
視線を彼女の腹部に向ける。電話で遠坂が言っていた通り、大きくなっている。
「……イリヤ。その子はオレの子なのか?」
「そうだよ」
「だが……、君と最後に会ったのは二年前だぞ。それに、君とその……、そういう事をしたのは――――」
「ええ、聖杯戦争中の一回だけ。その時に、わたしの中に保存しておいたってわけ」
呆然としてしまった。
「なんで……」
オレはアリーシャを見た。
不幸な人生を歩ませてしまった娘。一度は世界と天秤にかけて殺そうとまでした。
とてもではないが、彼女の父親になる資格などない。それはイリヤも分かっている筈だ。
それなのに、どうして……、
「……シロウ。ここに、命が宿っているの」
お腹を触りながら、彼女は言った。
「アリーシャを通じて、わたしは彼女の母親である|イリヤスフィール《わたし》と繋がった。彼女は……、この子を愛していた」
イリヤはアリーシャを見つめた。
アリーシャはその視線から逃げるように顔を逸した。
「産まない……、なんて選択は出来なかったの。リンには散々怒られたけど、それでも……」
遠坂を見ると、彼女は気まずそうに視線を逸した。
「……あの時はカッとなって、悪かったわよ。母親の気持ちなんて……、あんまり考えた事が無かったから」
「ううん。結果として、アリーシャには不幸な人生を歩ませてしまった。選択肢自体が無かったけど、それでも産むべきじゃなかった事は分かってる。それでも……、この子が産まれてきてくれた事が、|イリヤスフィール《わたし》は嬉しくて堪らなかった。本当なら……、幸せにしてあげたかった」
イリヤは涙を零しながら言った。
「……今更だって事も分かってる。一度はシロウと一緒に殺そうとしたんだもの。だけど、時が経つに連れて、彼女の母親と意識が重なって……、なんて酷いことをしたんだろうって……」
「お母さん……」
イリヤは大きくなったお腹を抱きしめるように手を回しながら言った。
「シロウ。わたし達、間違ってた」
「イリヤ……」
「何があっても、この子の味方をしてあげなくちゃいけなかったの。だって……、母親なんだもの」
その姿はとても弱々しくて、今にも折れてしまいそうだった。
「シロウ。少しの間でいい。この子が産まれてくるまで、ここに居て欲しい……」
「……ああ、分かったよ」
安心したのか、それとも泣き疲れたのか、イリヤは再び眠ってしまった。
「母親か……」
アリーシャを見ると、彼女もオレを見ていた。
「アリーシャ」
「なに?」
謝って済む事じゃない。
だけど……、
「すまなかった」
「……お父さん」
「オレは自分を曲げられなかった。お前に辛い人生を送らせておいて、また、イリヤを置き去りにした」
「酷い人だね……」
「ああ、まったくだ」
クスリとアリーシャは微笑んだ。
「わたし、お父さんの事が大嫌いだよ」
「……ああ」
「だから……、今度産まれてくるわたしには、お父さんの事を大好きと思わせてあげて」
「アリーシャ……」
「娘としての、一生のお願い……。わたしは、お父さんとお母さんを愛したかったから……」
涙を零すアリーシャの肩を遠坂がそっと支えた。
責めるような目で見てくる。分かっている。向き合う時が来たという事だ。
「……ちゃんと、父親になるよ」
イリヤを置き去りにしたのも、本当は逃げていただけなのかもしれない。
己の罪の重さから目を背けて、楽な方に進もうとしていただけなのかもしれない。
もうすぐ、目の前にいる娘が産まれてくる。一度は不幸のどん底に落としてしまった。二度も同じ轍を踏むわけにはいかない。
「必ず、家族を幸せにする。約束するよ」
「……うん」
そして、一週間が過ぎた。
病院で、元気な産声が響き渡る。
イリヤそっくりな女の子だ。その無垢な顔を見た瞬間、オレは本当の意味で己の罪を理解した。
これが父親になるという事。この小さな存在を守る事こそ、己の最大の責務であり、この子を不幸にする事だけは絶対にしてはならない事だ。
ましてや、この子を殺すなど……、
「あっ、ぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああ!!」
病室である事も気にしていられなかった。
湧き起こる感情をひたすら叫び声に変えた。
オレは……、間違えていた。
◇
お父さんが|赤ん坊《わたし》を抱いている。
涙を零しながら、心底愛おしそうに……。
「良かった……。ちゃんと、愛してくれてる」
わたしの得られなかったもの。
彼女はわたしが経験した事を知らないまま、わたしが経験しなかった事を経験して、大人になっていく。
それが、堪らなく羨ましい。
「アリーシャ」
リンが呼んでいる。
わたしは名残惜しく思いながら、病室の窓から視線を逸した。
「……あの子だけじゃない。アンタも、これから幸せになるの」
「リン……」
「とりあえず、予定していた温泉旅行に出発よ!」
わたしがあの子の得られる幸せを得る事は永遠に無い。
だけど、わたしにはわたしの幸せがある。
目の間にいる、最高の友達との絆。これだけは、きっと彼女も得られない。わたしだけの幸せ。
「うん! 行こう!」
いつか、わたしの罪が裁かれる日が来るかもしれない。
いつか、リンとの別れの日が来るかもしれない。
それは避けようのないもの。だけど、それまでは……、
「ずっと一緒だよ、リン!」
「ええ、逃げようとしても、逃さないわよ、アリーシャ!」
どんな終わりを迎えても、わたしと彼女の歩む先はきっと幸福なものに違いない。
それだけは確信出来る。
[END]