第二十六話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した為に漸く動き出すチーム・アインツベルン!!

 今日、また一人この蟲蔵に連れて来られた。
 ヒステリックな悲鳴が喧しく、耳に障る。
 皮さえ残せば後は好きにして構わないと言われたから、好きにしよう。
 昨日はおじさんが魔力を沢山持って行ったから丁度お腹が空いていた。

「いただきます」

 とりあえず喉笛から食べよう。
 この喧しい喚き声を聞かずに済むように――――。

 雁夜はセイバーを引き攣れ臓硯の部屋の扉を叩いた。

「臓硯、どういう事か説明してもらうぞ!!」

 扉の奥で臓硯は部屋の中央の机の上に何かを広げていた。
 鼻孔を刺激する鉄錆に似た臭いに雁夜は思わず後ずさった。

「おお、帰ったか、雁夜よ」
「臓硯、それは……」

 雁夜は声を震わせながら机の上の物体を指差した。

「ソフィアリ家の女よ。尤も、中身は粗方蟲共が食い荒らした後だがな」

 雁夜はおろか、セイバーまでもが生理的嫌悪感に顔を顰めた。そこに横たわっているのは紛れも無く数時間前に戦ったランサーのマスターの婚約者だ。
 生きていた頃の彼女を見たのはあの戦いの最中に一時だけだったが、貴族としての品格を備えた氷の如き美貌はとても印象的だった。だが、今の彼女の相貌を一言で表わすならば面妖としか言いようが無かった。顔の輪郭は大きく変わり、まるで骨にそのまま皮を貼り付けたような有様だ。眼球のあるべき場所には闇が蠢き、口元には芋虫の巨大な尾がはみ出ている。鼻の穴からも触手のような細長いものが垂れている。体の方も頭部と変わらず、時折、何かが移動しているらしく、皮が持ち上がるが、基本的には骨に皮を被せただけのような状態だ。
 言葉が出てこない。
 ここに来るまでに浮かんでいた疑問があまりの衝撃に吹き飛んでしまった。

「皮だけであっても使いようはある。ほれ、こうして……」

 臓硯は口元を歪めながら机を数回叩いた。
 すると、どこから湧き出したのか、無数の蟲が床を這いずり回り、机の上に登り、ソラウの口や鼻、耳、目、膣、肛門とあらゆる場所からソラウの体内へと入り込んでいく。
 想像を絶するおぞましい光景に雁夜は立っていられなくなり、セイバーの体にしがみ付いた。
 骨と皮だけになっていたソラウの体は肌色は死者のソレであったが、まるで風船を膨らませる様に膨らみ、元の彼女の体つきへと変化した。
 臓硯が更に机を叩くと、ソラウは自然な動作で立ち上がり、雁夜に向かってニッコリと微笑んだ。
 そのあまりの気色の悪さに雁夜はついに堪えきれなくなり、嘔吐した。
 すると、口の中からはセイバーと一緒に食べたレストランの料理に混じって雁夜の体内に潜む蟲の残骸が床に零れ落ちた。
 その光景に雁夜は忘れていた嫌悪感を思い出し、狂騒に駆られた。

「雁夜殿、失礼致します」

 髪を掻き毟り、奇声を上げる雁夜の意識をセイバーは咄嗟に刈り取った。

「臓硯……」

 セイバーは怒りに満ちた眼差しを臓硯に向けると、そのまま部屋を後にした。
 疑問は解決した。
 恐らくはライダーのマスターもまた、あの憐れな女と同じ末路を辿ったのだろう。
 死者に鞭打つ度し難い行いだが、今は手を出す事が出来ない。
 主と桜の命をあの妖怪が握っている内は――――。

 ランサーがケイネスの指示に従い郊外の森の入口へと着地するとそこには一人の女が居た。
 黒い髪に黒い瞳でパッと見は日本人のように見えたが、よく見れば肌の色や顔立ちが日本人とは幾分か異なっている事が見て取れた。

「お待ちしておりました」

 女が頭を垂れるとケイネスは鷹揚に「ああ」と応えた。

「アーチボルト家九代目頭首、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトがここに推参仕る。アインツベルンの者で相違無いな?」
「はい。私は久宇舞弥。貴方様をおもてなしするよう命じられております」
「案内してくれたまえ」
「こちらでございます」

 舞弥の後に続こうとケイネスが歩を進めようとすると、ランサーが慌てた様子で静止した。

「お待ち下さい、ケイネス殿!」
「なんだ?」
「アインツベルンと手を組むと申されるのですか!?」

 アインツベルンといえば、遠坂、間桐と同じ御三家の一角であり、紛れも無く聖杯戦争を競い合う敵である筈だ。
 そのアインツベルンと手を組むなど何を考えておられるのか、とランサーは瞠目した。

「その通りだ」
「なっ……」

 アッサリと肯定するケイネスにランサーは言葉を失った。
 ランサーが知る限り、ケイネスはとてもプライドの高い男だ。
 そんな彼が敵対関係にある者と手を組むなど考えられない。
 まさか、とランサーは舞弥を見た。

「貴様、ケイネス殿に何を――――ッ」
「止めぬか、ランサー」

 双槍を顕現するランサーにケイネスの鋭い声が飛んだ。

「しかし!」
「この上貴様の無能振りを私に見せるでない!!」
「ケイネス……殿」

 ケイネスの言葉にランサーは言葉が出なかった。

「私を疑う前に己の不甲斐なさを反省せよ。よいか、ランサー。現在、遠坂陣営は三騎士の一角たるアーチャーと間諜の英霊たるアサシンを、間桐陣営は同じく三騎士の一角たるセイバーと機動力に優れたライダーをそれぞれ保有しておる」
「アーチャー……? アーチャーはアインツベルンのサーヴァントではなかったのですか?」
「昨晩、アインツベルンから連絡を受けてな。同盟の申し出と共にアインツベルンのサーヴァントがキャスターであると伝えられた。であれば、あの赤いサーヴァントはキャスターでは無くアーチャーだったのだろう、というだけの話だ。それよりもだ」

 ケイネスは鼻を鳴らし言った。

「肝心なのは戦力が集中しているという点だ。遠坂と間桐。御三家がそれぞれ三騎士を含め二体のサーヴァントを保有している。この現在の戦況では一騎しかサーヴァントを保有していない我々とアインツベルンは明らかに不利だ。であれば、我々も同盟を組む他あるまい」

 ケイエンスは言いながらランサーに近づくと囁く様に言った。

「尤も、貴様がセイバーを倒せるだけの技量を見せれば、この様な無様な選択をせずに済んだのだがな」

 ケイネスの言葉にランサーは屈辱に濡れた表情を俯く事で隠した。

「了解……致しました」
「話は終わりだ。待たせたな、案内を頼む」
「かしこまりました。どうぞ、こちらへ」

 森の中へと足を踏み入れ、ケイネスとランサーは一路アインツベルンの冬木における居城へと歩を進めた。

 同時刻、と言っても、既に深夜二時を回っている日本とは時差の違いがあり、未だ空が茜色に染まったままのドイツにあるアインツベルンの城では切嗣が妻のアイリスフィールと娘のイリヤスフィール、サーヴァントのキャスター、そして、道中の護衛の為にとキャスターによって調整されたホムンクルス三体を伴って出口へと向かっていた。
 その表情は険しく、見送りに現れたホムンクルス達の声も一様に届かぬようだった。
 城外へと出て、門の前まで来ると、切嗣はイリヤに言った。

「行って来るよ、イリヤ」
「……行ってらっしゃい。お父様。お母様」

 アイリスフィールが最後にイリヤを強く抱き締め、一行は冬の城を後にした。
 アインツベルンの土地を離れ、首都であるベルリンに到着すると、飛行機の出立時刻まで時間があり、空港近くの喫茶店に寄る事にした。
 四人掛けの席に切嗣とアイリスフィール、キャスター、そして、三体のホムンクルスの内の少女型のホムンクルスが座り、残る成人女性型と成人男性型のホムンクルス二体は別の席に座った。

「作戦大成功じゃな」

 席に座ると、途端にキャスターは笑い出した。
 机を叩きながら目尻には涙まで浮かんでいる。
 切嗣とアイリスフィールの顔からも緊張の色が消えた。

「ねえ、キャスター。もう、元に戻ってもいい?」

 少女型のホムンクルスは自らの金色の髪を抓みながら言った。

「いかん。まだ、どこにアインツベルンの目があるか分からぬでな」

 少女型ホムンクルスの頭をポンポンと叩きながらキャスターは言った。

「とりあえず、日本に出立する前にそれぞれの設定を改めて確認するぞ」

 キャスターの言葉に切嗣とアイリスフィールは神妙な面持ちで頷いた。

「まず、切嗣はイギリスにある小さな会社で働いておった日本人。名前は秋山勲。偶然知り合った女性と恋に落ち、そのまま入籍。日本に一軒家を買い引っ越す事になる」
「了解だ」

 切嗣改め、秋山勲が頷くのを確認し、キャスターはアイリスフィールに顔を向けた。

「次はアイリスフィールじゃな。お前はイギリス出身の箱入り育ちのお嬢様だ。名前はキャサリン・ハウエル・秋山だ。愛称はキャシー。偶然暴漢に襲われている所を秋山勲に救われ恋に落ち、そのまま入籍。髪色と目の色はイギリスに到着したら変更するからな」
「ええ、了解よ。でも、ここまでする必要があるの?」
「あるに決まっておるだろう。この程度の手間を惜しんで後々後悔する羽目になるのは御免だぞ」
「そ、そうね、ごめんなさい」

 キャスターに鋭い眼差しを向けられ、アイリスフィール改めキャシーはシュンと俯いた。

「お母様、元気を出して」

 少女型のホムンクルスがアイリスフィールに声を掛けると、アイリスフィールは少し気を取り直した様子だった。

「次にイリヤ。お前だ」

 次いで、キャスターは少女型のホムンクルスに声を掛けた。

「はい!」

 少女型ホムンクルスの正体は切嗣とアイリスフィールの娘のイリヤスフィール・フォン・アインツベルンだった。
 元々はアインツベルンの冬の城に残していく筈だったが、キャスターの案で連れ出す事にしたのだ。
 今現在、城内に残っているのはイリヤの姿形をしていて、イリヤと同じ受け答えが出来るようにプログラムされたキャスター製のホムンクルスだ。
 代わりにイリヤにはキャスターが魔術による変装を施し、アハト翁を含め、アインツベルンの面々に招待を気付かれない様に細工した。

「それにしても、本当に見事よね。キャスターの変装魔術」

 アイリスフィールはキャスターの変装の魔術によって変身した愛娘の顔や髪をしげしげと見つめながら呟いた。

「当然よ。姉上の命でアーサーを騙したり、ペレス王の娘に請われ、あの鈍感色男……ランスロットを騙したりもした実績ある魔術だからな。尤も、あの馬鹿に関しては使わなきゃ良かったと後悔しておるが……」
「キャスター?」
「ああいや、とにかくだ。脳味噌が筋肉で出来ているような奴等ばかりだったとは言え、円卓の騎士を悉く欺いた我が魔術は現代の魔術師は愚か、並みのサーヴァント如きに見破れるものではない。だから、安心しろ」
「……ええ、ありがとう」
「それより、イリヤ。お前は秋山勲とキャサリン・ハウエル・秋山の娘だ。名前はレベッカ・ハウエル・秋山」
「レベッカ・ハウエル・アキヤマ……。うう、なんか、かっこ悪い……」

 イリヤスフィール改めレベッカは唇を尖らせた。

「仕方あるまい。東洋人の名前はどうにも西洋のソレとは合わぬようだからな。我慢しろ。とにかく、自分の設定を頭に叩き込んでおけ。間違っても真名を名乗るでないぞ。それでは、彼奴らに切嗣とアイリスフィールの名を名乗らせる意味が無くなるでな」

 そう言って、キャスターが後ろの席に座る二人のホムンクルスに顔を向けるとホムンクルス達は身じろぎ一つせずに向かい合っていた。

「まあ、指令は出しておらんしな……。そら、長旅になるのだし、腹ごしらえをしておこうぞ」
「切嗣! イリヤはパスタが食べたい!」
「わかったわかった。好きな物を幾らでも注文しなさい」

 髪色が変わっていても切嗣にとってイリヤはイリヤだった。
 顔をだらしなく綻ばせて店員を呼ぶ姿は魔術師殺しとは縁遠い一人の父親の姿だった。

「切嗣、私はケーキが食べたいわ」
「切嗣、妾はこのシチューが食べたいぞ」

 切嗣は苦笑しながら頷いた。

「了解だ」

 キャスター召喚から五日目の日本時間で午後1時頃、一台のタクシーが冬木市深山町にある一軒の武家屋敷の前で止まった。
 タクシーの中からはトレーナーに着古したジーンズという装いの日本人男性が最初に降り、その後に可愛らしい服装の金髪の女性が続き、その後にまるで、女性をそのまま小さくしたかのような幼く愛らしい少女が降りた。
 運転席の反対側のドアからは女性と同じく金髪の髪を編み込んだ高校生くらいの少女が降り立った。

「こ、これが妾……私達の家……?」
「ボロい!」

 高校生くらいの少女は思わず項垂れた。
 幼い少女は逆に「ボロい! ボロい!」とはしゃいでいる。

「これは……予想以上だな」
「あ、こんにちは!」

 男が武家屋敷のボロボロな門を眺めていると、高校の制服を着た少女が駆け寄って来た。
 何者だろうか、と男がソッと身構えると、少女はペコンと頭を下げた。

「私、隣の家に住んでる藤村大河って言います」
「あ、僕……いや、私は秋山勲と申します。こっちは妻のキャサリン。それに、娘のレベッカ」

 切嗣は名乗ると同時にアイリスフィールとイリヤスフィールを大河と名乗る少女に紹介した。

「それと、こちらが妻の妹の――――」

 切嗣の言葉を遮り、髪を編み込んだ少女、キャスターは愛想のいい微笑みを浮かべた。

「ジェニファー・ハウエルです。よろしく」

 キャスターが手を差し出すと、大河はニッコリと笑みを浮かべながら握り返した。

「――――ッ」

 手を握った瞬間、大河は目を見開き、次の瞬間には小首を傾げながら、

「よろしくね!」

 と返した。

「日本語上手だね。ねえ、ひょっとして同い年くらいじゃない? 幾つ?」
「今年で17歳だ」
「凄い! 同い年じゃない! 学校はもう決まってるの!?」
「い、いや、まだそういうのは……」
「じゃあさ、じゃあさ!」
「そ、それより……、えっと、大河と言ったか?」
「何?」

 首を傾げる大河の瞳をキャスタージッと覗き込んだ。

「――――大河、そろそろ家に帰る時間ではないか?」

 キャスターの言葉に大河は虚ろな表情で頷いた。

「じゃあな、大河。また、今度ゆっくりと話そう」

 キャスターが言うと、大河はハッとした表情で頷いた。

「うん! じゃあね、ジェニファーちゃん!」
「ジェンでよいぞ!」
「うん! またね、ジェン!」

 走り去って行く大河にキャスターは疲れたように溜息を吐いた。

「元気な娘だ……」
「お、お疲れ様、キャス……ジェン」

 アイリスフィールの労いの言葉に礼を言いながらキャスターは「そろそろ入るか」と皆を促がした。
 門の向こうは想像以上の光景が広がっていた。

「凄いな、これは……」

 家は埃が積もっていて、庭には草が生え放題だった。

「最初はお掃除からね……」

 苦笑いを浮かべるアイリスフィールにキャスターは項垂れた。

「魔術で焼き払ってしまいたい……」
「それは駄目だ。さっきの暗示も感心はしないな。作戦上、僕達はあくまでも一般人を装わなければならないんだ」

 切嗣の吐く正論にキャスターは心底嫌そうな顔をしながら庭や家屋の中を一瞥した。

「分かったよ! まったく、お前もしっかり働くのだぞ!!」
「すまない。僕は先に舞弥と連絡を取らなければならないんだ。他にも色々と動かないといけない」
「おい!!」

 携帯電話を片手に出て行く切嗣にキャスターは唖然とした表情で凍りついた。

「さ、さあ、ジェン。一緒にお掃除頑張りましょう!」

 苦笑いを浮かべながら言うアイリスフィールにキャスターはガックリと項垂れた。

「くぅ、家政婦用にホムンクルスを一体連れて来るんだった……」
「ほら、キャスター頑張ろう!」

 イリヤがキャスターの手を引っ張りながら言うと、キャスターは渋々といった様子で頷いた。

「大河を帰らせるのではなかった……」

第二十五話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した為に始動する思惑 セイバー「魔力放出があるといつから錯覚していた・・・? あれは筋肉だ!!」

――――消えて行く。

 自分を構成していたモノが零れ落ちていく。
 目に見えているモノの意味が理解出来なくなっていく。
 怖くて怖くて仕方が無い。
 崩壊したのは目の前の女が原因だった筈なのに、その女が何者なのかも分からない。
 ただ、何か大事なものを失いかけている事だけは分かった。

「た、すけ……て」

――――消えた。

 女の息が止まり、心臓の音が止まった瞬間、何か、大切なものがなくなってしまった。何がなくなったのかも分からない。ただ、ずっと胸の奥に仕舞い続けていた大切なナニカが永遠に思い出せなくなった。
 頭に残ったのは毎日繰り返される拷問の事ばかり。痛いと言えば更なる苦痛を与えられる毎日、息をするのすら許可が無ければ嬲られる毎日。痛みと苦痛の無い時間など無い。食事の時間すら毒と汚物の苦痛と悪臭に苛まされる。助けを求めるのもそこで止めた。
 だって、意味が無い。助けを求める相手が居ない以上、どうあっても助けてなんてもらえない。だから、死にたかった。死ねば楽になれると思った。何も無い、ただ、苦痛を感じるだけの生ならばせめて、苦痛の無い何も無い死に逃げ出したかった。だけど、それも許されない事だった。
 息をどんなに止めようとしても、自分の首を締めようとしても、体内の蟲が生という鎖で己を縛る。逃げる事すら許されない。だって、■してしまったから。だから、夢を見よう。せめて、夢の中で幸せになろう。最近、夢の中でいつも一人の男の人が現れる。
 男の人は己を救おうと頑張ってくれている。それが少しだけ救いになる。

 ドイツ、アインツベルン城。
 衛宮切嗣は冬木に派遣している偵察からの定時連絡を受けていた。

『セイバーの召喚者、間桐雁夜は本日セイバーと共に新都を練り歩いていました。恐らく、他のサーヴァントを炙り出そうという狙いだと思われますが、現在、他のマスター達は沈黙を保つ方針の様です』
「間桐雁夜は積極的に動くタイプか、成程。舞弥、先日送ったホムンクルスの様子はどうだ?」
『よくやっています。正直、私だけでは情報収集にも限りがありましたが、特にキャスターが調整したという索敵特化型ホムンクルスは優秀です。おかげでライダーのマスターの死亡及び間桐の頭首の動向を掴む事が出来ましたから』
「そうか……。作戦の首尾はどうなっている?」
『既に実行し、先程結果が届きました。どうやら無事に事を運べたようです』
「そうか。舞弥、引き続き情報収集並びに作戦の進行を頼む」
『了解。今朝届きました新たな100体のホムンクルスも今、昨日届けられました50体のホムンクルス達と共に起動させ、今は個々の命令をそれぞれに伝えてもらっています。これで作業効率は更に上がり――――』
「舞弥?」

 突然舞弥の声が途切れ、切嗣は舞弥の名前を呼んだ。
 しばらくして、謝罪と共に舞弥の声が戻った。

『問題が起こりました。どうやら、冬木ハイアットホテルに間桐雁夜が襲撃を仕掛けた様です』
「……それは拙いな。作戦に支障が出る。舞弥、索敵特化型ホムンクルスを使って監視しろ。場合によっては戦闘特化型ホムンクルスの使用も許可する。最低限、ランサーを死なせるな。僕達も今日の便で発つ。そっちの時間で明日の昼頃には到着する予定だ。それまで頼む」
『了解。失礼します』

 電話を切ると、切嗣は資料に目を落とした。
 キャスター召喚から四日目。
 既に聖杯戦争は動き始めている。

「切嗣よ、出立まで時間がある。イリヤと遊んでやったらどうだ?」

 部屋に入って来たキャスターに切嗣は適当な返事をしながら立ち上がった。
 資料をキャスターの手に渡し部屋を出る。
 横切り際に切嗣はキャスターに一言だけ言った。

「……ありがとう」

 その一言にどれだけの思いが篭められているのかは分からない。
 ただ、その一言が誰あろう切嗣の口から飛び出した事にキャスターは笑みを零した。

「素直じゃないのう」

 切嗣が顔を見せるとイリヤは花が咲いた笑みを浮かべた。

「キリツグ!!」

 駆け寄って来るイリヤに頬を緩ませる切嗣目掛け、イリヤは思いっきり助走を付けてぶつかって行った。
 飛び込んでくる白銀の弾丸に切嗣は思わず「もぎゃ」と悲痛な悲鳴を上げた。
 イリヤは倒れ込む切嗣の上に倒れ込む。
 切嗣はまるで押し潰されたカエルのような声を出して「参った」と言った。

「勝った勝った! イリヤの勝利!」

 キャッキャと喜びながら切嗣の上で跳ね回るイリヤにアイリが慌てて駆け寄って来た。

「ほら、イリヤ。切嗣の上で遊んじゃいけません」
「キャー、お母様が怒った! 切嗣、お馬さんになって! 逃げるわよ!」
「ははあ、お姫さまのご命令のままにー」

 切嗣は四つん這いになるとイリヤを乗せて部屋の外へと走って行った。

「もう! 切嗣!」

 プンプンと頬を膨らませるアイリスフィールに切嗣と入れ替わりで入って来たキャスターは笑いを噛み締めながら声を掛けた。

「最強の魔術師殺しも娘には勝てぬらしいな。アイツに辛酸を舐めさせられた者共があの姿を見たらどう思うか、想像するだけで腹が捩れるぞ」
「もう、キャスターってば……」

 困った様に微笑むとアイリスフィールは言った。

「きっと、勝てるわよね、私達」
「ああ、勝つさ。その為に私は居るのだ。まあ、いざとなれば私には一発限りだが最強無敵の一撃必殺宝具がある。勝利は揺るがぬさ」

 胸を剃り返しながら自信たっぷりに言うキャスターにアイリスフィールは微笑んだ。

「ええ、信じているわ。貴女の事も、切嗣の事も」
「ああ、任せておけ」

 セイバーは冬木ハイアットホテルの間近に聳える建設途中のビルの屋上に降り立った。
 己が誇る二つの宝具を封じ、顕現させた第三の宝具の能力をいつでも解放出来るよう己が剣を構え、背後に佇む主の号令を待っている。
 雁夜は高鳴る心臓を押さえ、前方に佇む冬木ハイアットホテルを睥睨した。
 これまでは終始戦闘をセイバーに任せて来た。
 だけど、今日この戦いから己も戦に臨む。
 己の武器となる翅刃虫を待機し、雁夜はセイバーに顔を向けた。

「必ず、桜ちゃんを助ける。往くぞ、セイバー!!」
「ハッ!!」

 主の号令と共にセイバーはビルの屋上を駆け、大きく跳躍した。
 最上階には届かないが、ホテルの壁に着地すると、一気呵成にセイバーはホテルの壁を駆け上がった。
 重力という概念を無視した暴挙を平然とこなしてみせる様はさすがは英霊といったところだろう。
 セイバーが最上階に到達する目前で部屋の窓を突き破り赤と黄の双槍を握るランサーが現れた。
 互いに交わす言葉は無く、垂直にそそり立つホテルの壁を足場に二人の英霊の戦端が切って落とされた。
 駆け巡る二つの騎影。
 まるで重力の方向が変わってしまったかのように自在に壁を足場に駆け回る二人の英霊に常識などという言葉は今や無意味と化していた。
 幾度となく衝突する白銀と翡翠の影は地上から見上げる者が居たとすればピンボールを連想したかもしれない。
 尤も、その激突を視認出来る者がいればの話だが。
 両者のぶつかり合いは人の肉眼で捉えられるものではなく、かろうじて衝突の瞬間の刹那の停滞を捉えられる程度の死の演舞だった。

「まったく、こんな足場を戦場とするなど戯れが過ぎるのではないか? セイバー」
「いや、貴殿がそこまで空中戦に長けていたとはな」

 苦々しい表情を浮かべながらセイバーは言う。
 セイバーは無毀なる湖光によって強化されたAランクの筋力によって壁を蹴り移動しているが、その軌道はあくまでも直線的なものだった。
 それに反し、ランサーのサーヴァントは片方の槍で壁に自身を縫い止める事でまるで重力の縛りなどないかのように垂直な壁という足場を縦横無尽に駆け回る。
 ランサーの拠点を襲撃するに辺り、問題となったのはその場所だった。
 ホテルという場所は一般人があまりにも多く、下手に宝具化した物体を投擲しようものなら要らぬ犠牲者を生みかねなかった。
 故に壁を駆け上がると言う暴挙とも言える行動を取ったのだが完全に裏目となってしまった。

「っ――――」

 セイバーはとにかく平坦な足場を目指し、体を傾け、壁を蹴る。
 真横に移動していたセイバーの軌道が直角に曲がり、垂直に屋上へと向かう。
 宝具・無毀なる湖光の効果によって能力を底上げしているものの、以前の令呪によって強化されていた時とは違い、敏捷性においてセイバーはランサーに対して大きく劣っている。
 だが、こと瞬間的な爆発力においてはセイバーはランサーの上を行く。
 その果てにあるのはケイネスとソラウの拠する最上階フロアだ。
 ランサーはセイバーを追い、再び壁を蹴る瞬間を狙い己が赤槍を突き出す。
 真下からの攻撃という通常在り得ぬ方向からの攻撃を剣で弾き飛ばし、セイバーは更なる跳躍を行うが、ランサーの追撃は休む事無く襲い掛かる。

「慣れぬはお互い様だ。だが――――」

 ランサーはそう口にしながらセイバーに追い縋る。

「上に行かせるわけにはいかん!」

 呵成と共にランサーはセイバーの着地点目掛け己が黄槍を投擲した。
 セイバーは咄嗟に体を捻り黄槍を躱すが、そのほんの僅かな一瞬の隙にランサーはセイバーの一歩前を行き、黄槍を壁から引き抜くと、セイバー目掛け疾走した。

 ホテルの壁を舞台に激突する二体のサーヴァントを尻目にケイネスは雲泥たる面持ちで礼装による武装を固めていた。
 金額にものを言わせて借り切ったフロア一つ分に仕掛けられた罠の数々は完全に無駄となってしまった。

「ソラウ、どうだ?」
「発見したわ。隣にある建造中のビルの階段を降りている最中みたいね。でも、この男は……」
「ソラウ?」
「どうやら、私達は思い違いをしていたらしいわ」
「どういう事だ?」
「セイバーのマスターを私達は遠坂時臣だと思い込んでいたけど、彼は――――」
「遠坂時臣ではないのか!?」

 驚き目を瞠るケイネスにソラウは「ええ」と頷いた。

「相貌がかなり変化しているから確証は無いけれど、恐らくは間桐雁夜ね」
「間桐……雁夜、確か、魔道の道から逃げ出した落伍者だったか?」

 ケイネスは鼻を鳴らし侮蔑の篭った声で言った。

「未熟者以下の出来損ないが、身の程というものを教えてさしあげようではないか。ソラウ、君はここから奴の居場所を教えてくれたまえ」
「了解よ。いってらっしゃい、ケイネス」

 雁夜がビルの階段を駆け降り、外に出て頭上を見上げると、二体のサーヴァントは建物の壁や屋根を飛び跳ねるように移動しながら未遠川の方角へ向かっているようだった。
 雁夜は急いで後を追い駆けた。

 二つの流星が未遠川の沿岸の公園に落下した。
 二人の間の距離はおよそ三十メートル。
 それをランサーは一息の内にゼロにしてセイバーに襲い掛かる。
 セイバーはランサーの繰り出す双槍を己が聖剣でもって弾き飛ばす。

「つっ――――」

 ランサーはセイバーから距離を取った。
 丸一日回復に専念したが、ライダーの宝具、遥かなる蹂躪制覇の余波を受けた傷は癒えきっていなかった。
 だが、距離を取ったのはそれが理由では無かった。

「セイバー、お前は――――」

 言葉尻を浮かせて言い澱むランサーの表情には苦々しいまでの当惑と苛立ちの色が浮かんだ。
 今宵のセイバーの剣戟は初戦の時のソレと比べて僅かながらも明らかに軽かった。
 動き全体も鈍く、それを見逃すランサーではなかった。
 それが消耗によるものなのか判断がつかず、胸中に苛立ちが募った。

――――お前までが私の武を侮るというのか?

 そう、問わずにはいられなかった。
 そんな、ランサーの心中を知ってか知らずか、セイバーは猛然と剣を振るった。
 戦いにおいて、一瞬の迷いが致命的な隙となる。
 ランサーは受け止めた双槍ごと吹き飛ばされた。

「くっ――――」

 ランサーの姿勢が崩れた瞬間をセイバーは見逃さずに更なる追撃を加えた。
 避ける間も無く、ランサーは双槍でもってセイバーの斬撃を受け止める。
 確かに、セイバーの剣はあの時よりも軽い。
 だが、それでもセイバーの剣戟の重さ、技の鋭さは舌を巻く程のものだった。
 劣化して尚、全力を持って受け止めなければ防げぬ即死の突風であった。
 解せぬ思いはあれど、眼前の敵は紛れも無い強者だ。
 ランサーは己が胸に燻る苛立ちを振り払い、セイバーの剣を弾くと、セイバーを上回る圧倒的な敏捷性を活かし距離を取った。
 だが――――、

「クッ」

 Aランクの筋力が生み出す爆発的な加速力によって、セイバーは刹那の間に距離を縮める。
 ランサーはセイバーの剣戟に対し、受けに回る事を余儀なくされた。
 敏捷性というステータスにおいてはランサーはセイバーの遥か上を行き、距離を一旦は離す事が出来るが、セイバーの強靭なる筋力が生み出す爆発的な加速力が為にセイバーを完全に引き剥がす事が出来ず、また、剣戟においても一撃一撃にセイバーの筋力に更なる重みと速さを加えている。

「ハッ――――」

 セイバーの圧倒的なまでの強さを前にランサーの胸は否応にも奮い立った。
 これぞセイバー。
 最優と謳われるサーヴァント。
 この清廉なる剣筋を受けていれば分かる。
 セイバーの剣は確かに軽くなっているが、セイバーは決して己を侮っているわけではないのだと。
 恐らくは何か理由があるのだろうが、もはやランサーにとってはどうでもいい事だった。
 ただ、己が剣を交えし敵の澄み渡るような闘志に心地の良い痺れを感じながらランサーは吼えた。

 雁夜がその場に辿り着いた時、既に勝負は決していた。
 ランサーは大地に伏し、セイバーはその首に剣を突きつけている。
 雁夜は顔を綻ばせた。

「勝った。勝ったんだな!! やっぱり、俺のサーヴァントは最強だ!!」

 歓喜する主にセイバーは微笑をもらし、ランサーに言った。

「最後に貴殿の名を問うてもいいか?」

 それは確認作業のようなものだった。
 だが、互いに剣を交えた目の前の男の名を彼の口から聞きたかった。

「……フィオナ騎士団。ディムルッド・オディナ」

 観念した様子で応えるランサーにセイバーは言った。

「貴殿の名はこの胸にしかと刻みつけた。貴殿を下した事、この身の誉れとさせて頂こう。さらばだ、ディムルッド郷」

 セイバーがランサーの首を刎ねようと剣の刃を返したその時、

「そこまでだ、セイバー!!」

 轟くような声が響いた。
 雁夜は身動き一つ取れずに居た。
 何故なら、雁夜の首には銀色に輝く鋭い水銀の刃が突き立てられていたからだ。

「雁夜殿!!」

 セイバーは咄嗟にランサーから離れ、距離を取った。
 ランサーは弾かれたように立ち上がると双槍を持ち直した。

「主、感謝致します」

 間一髪を救われたランサーはケイネスに礼をしながらも浮かない表情を浮かべた。
 それを見咎めるとケイネスは侮蔑の篭った声で言った。

「卑劣な手段だとでも言いたげだな、ランサー」
「その様な事は……」
「まったく、キャスターに遅れを取り、ライダーを取り逃がし、この上、セイバーにも劣るか」

 ケイネスは額に手を当てるとやれやれと首を振った。

「もはや期待はしていなかったが、こうも圧倒され、私の手を煩わせるとはな」
「……申し訳御座いませぬ」

 頭を下げるランサーを尻目にケイネスは雁夜に向けて言った。

「さて、セイバーのマスターよ。雁夜と言ったか? セイバーに自害を命じよ」
「なんだと……っ」

 ケイネスの言葉に雁夜は憤慨したが、水銀の刃に押され息を呑んだ。

「雁夜殿!! 寄せ、ランサーのマスター!!」

 セイバーは咄嗟に踏み込もうとするがランサーが間に立った。

「セイバーよ。貴様がランサーを下し、私に到達するまでと私がこの男の首を刎ねるまで、どちらが速いか考えてみよ」
「貴様!!」

 セイバーは烈火のごとく瞳を燃え上がらせ、ランサーを睨み付けた。

「ランサー、貴殿は――――」
「すまぬな、セイバー」

 ランサーは顔を顰めながら双槍をセイバーに向けた。
 敗北した以上は潔く負けを認めるのが騎士としての道理というものだが、主に対する忠義との合間に挟まれ、ランサーは道理を捨て、主への忠義を取った。

「さあ、間桐雁夜。セイバーに自害を命じよ。さすれば命だけは助けてやらぬ事も無い」
「そ、そんな事……」
「ならば、死ぬが良い」

 迷う素振りを見せる雁夜に、ケイネスは容赦無く死刑宣告を行った。
 その瞬間、突如頭上に雷鳴が轟いた。
 何事かと月霊髄液から意識を離し、頭上を見上げたケイネスの目に一頭の神牛が牽くチャリオットの姿が映った。

「馬鹿な……、なんで、アイツが!?」

 驚愕は雁夜のものだった。
 思わずセイバーを見ると、セイバーも何が何だかといった表情を浮かべている。
 そして、ライダーが大地にチャリオットを着陸させると、ケイネスの眼にあってはならぬ光景が映りこんだ。

「ソ、ソラウ……」

 ライダーの駆るチャリオットの御者台の上にソラウの姿があった。
 ソラウは首筋にライダーの剣を当てられ恐怖の表情を浮かべている。

『ケイネス・エルメロイ・アーチボルト』

 ライダーの御者台から一匹の蟲が飛び出した。
 蟲からは男なのか女なのか、老人なのか、若者なのかも分からぬ不気味な声が発せられた。

「何者だ?」

 ケイネスが問うと、蟲は言った。

『今直ぐ、間桐雁夜を解放しろ。さもなくば、貴様の婚約者の命は無い』
「貴様……」

 険しい表情を浮かべるケイネスに見せ付けるかのようにライダーは腰剣でソラウの首の薄皮を切った。
 一筋の血が流れ、ソラウは悲鳴を上げる。

『こちらにはライダーとセイバーが居る。万に一つもランサーに勝ち目は無い』

 ケイネスは舌打ちをした。
 確かに、例え――ケイネス・エルメロイ・アーチボルトが愛した――婚約者を見捨てたとしてもランサーではセイバーとライダーを同時に立ち回る事など不可能だ。

――――ここで、ランサーを失うわけにはいかない。

 ケイネスは苛立った表情を浮かべながら月霊髄液を下げた。

「何故、ライダーが……」

 弱々しい足取りでセイバーの下まで歩くと雁夜は困惑した表情で呟いた。

『ライダーのマスターの死後、その所有権を剥奪しただけの事。さて、ランサーのマスターよ。婚約者を救いたくばこの場で――――』
「ランサー」

 蟲が言葉を紡ぎ終える前にケイネスはランサーに向かって言った。

「私を連れて離脱しろ」
「あ、主……?」

 ケイネスの口から発せられた言葉にランサーは動揺した。
 ソラウは信じられないという面持ちで叫んだ。

「な、何を言っているの、ケイネス!!」
「ランサー。二度言わせるでない。私を連れて離脱しろ」

 重ねられた命令にランサーは「しかし」とソラウを見た。

「貴様は命じられた事も遂行出来ぬ木偶なのか? 私はこう言っているのだ。ソラウを見捨て、私を逃がせ、とな」

 刹那の迷いが生じたものの、ランサーはケイネスの命令に今度こそ従った。
 完全な手詰まりであったからだ。
 セイバーとの戦闘で疲弊していた己ではセイバーとライダーを同時に相手して勝利するなど不可能であり、ソラウが人質に取られている以上はそもそも戦うという手段を選択する事は許されない。
 そして、仮に己が倒れたとしても、敵がケイネスとソラウを生かして返す保証はどこにも無い。
 故にケイネスの判断は最善と言えた。
 背後に響く己が護らねばならなかった女性の悲鳴が無ければ……。

「主、どちらへ?」

 ランサーは主に問うた。
 ケイネスを抱え、大地を駆るランサーだったが、どこへ向かえばいいのか皆目検討がつかなかった。
 拠点であったホテルで敵の襲撃を受けた以上、同じ場所を拠点とするわけにもいかない。
 ケイネスは昨晩、ランサーがライダーと追跡劇を演じた国道を指差して言った。

「郊外の森へ向かう」

第二十四話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した為に意志の疎通をする彼ら

 暗く澱んだ空気が満ちる地下の蟲蔵の一角に一際巨大な体躯を持つ男が居た。
 男の顔には憤怒、屈辱、憎悪と様々な感情が浮かんでいる。
 壁に磔にされ、時折赤い閃光をその身から迸らせている。

「気分はどうだ?」

 嘆きの声や悲鳴ばかりが木霊するこの空間に明確な意味を持つ声を発する存在がライダーの下を訪れた。
 男はその声を聞くと歯軋りをし、獰猛な眼差しを来訪者に向けた。

「ライダー、お前も強情だよな」

 ライダーの視線の先には一人の少年が立っていた。

「坊主!!」

 ライダーは吼えるように少年の事を呼んだ。
 途端、赤く激しい閃光が肉体を蹂躪した。
 肉体を構築するエーテルそのものを令呪の縛りによって蹂躪されながらもライダーはその顔を憤怒のみで染め上げ、一切苦悶の表情を見せる事無く耐え忍んでいる。
 彼のその様を見て、嘗て彼の主であった少年は嘲笑した。

「いい加減、素直になれよ。対魔力Dのお前じゃ、気合だけでそう長くは耐えてられないだろ? どうせ屈服する事になるんだ、早く楽になっちまえよ」

 男の良く知る声、喋り方で少年は男を甘言で誘惑する。
 男は獰猛な唸り声を上げ、赤い閃光を迸らせ、光源の僅かな地下を真紅に照らす。
 少年はその様子を可笑しそうに見つめながら言った。

「まったく、強情な男よな」

 少年の喉下から唐突にしわがれた老人の声が飛び出した。

「あまり時間を掛けている余裕は無いのでな。更なる令呪を持って命じよう」
「その意味を分かっておるのか?」

 ライダーは少年を睨みながら問うた。

「坊主の残した令呪は二つ。貴様が余に使った令呪は一つ。残る一つを使えば、余は確実に貴様の首を刎ねるぞ」

 男は己を拘束する鎖を引き千切らんとばかりに体を前方に逸らし、尋常ならざる殺意を持って少年に向け宣告した。
 少年は老人の声で嗤い、少年の声で自分の胸に手を当てて言った。

「この身は紛れも無く貴様の主の物だ。それを貴様は斬ると申すか」
「ああ、その方が坊主の為だ。貴様のような化生に操られ、生き恥を晒すくらいならばな!!」

 ライダーの吼えるような声に少年の表情に鬼気が灯る。

「まさしく英雄よな、ライダー。その傲慢、その思考、もはや人のソレではない」
「なんだと?」

 少年の口元が歪む。

「死ぬのが小僧の為。その様な戯言を本気で信じているなら、およそ、貴様は人の情というものを見失っておるわ」

 少年は堰をするように背中を震わせ哄笑をあげた。

「人という生き物にはな、死に増さる無念などありはしないのだ。例え、他者の操り人形になったとしても、例え、蟲の苗床になったとしても、己が存在の消滅、即ち死に比すれば蚊ほどのものではない」
「笑わせるな。それこそ貴様の様な亡者の思考ではないか!! 断じて人間の思考などでは無いわ!!」

 ライダーは己が主を侮辱する目の前の化生に猛然と怒気を放った。
 少年はそれを鼻で嗤うと言った。

「死を恐れぬ者こそ人間では無い。自己の存続こそが苦しみから逃れ得る唯一無二の真理なのだ。死ねば楽になる? 死を恐れてはならぬ? 己が命よりも護るべきものがある? その様な蒙昧なる戯言を持って人民を死地へと誑かす貴様の様な英雄が――――」

 ライダーは唐突に言葉を切った少年に訝しむ表情を見せた。

「そのような戯言が口に出来るなど、貴様が生前も生きてはいなかった証よ。人間が真に持つ欲望を貴様は知らぬのだ。それで征服王とは」
「我が王道を戯言と言うつもりか?」
「そうは聞こえなんだか? ああ、ならば言ってやろう。戯言よ。王道、騎士道、武士道、どれも皆一様に戯言よ。死という恐怖、生という欲望を塗り潰すための言い訳に過ぎぬわ。真の欲望を持たぬ人の道を外れた外道の倫理よ。人を理解出来ぬ愚者の戯言よ」

 少年が言葉を発した瞬間、暗闇に満ちた地下が真紅に染まった。
 令呪の縛りを受けながら尚、ライダーは鎖を引き千切り、少年の体を踏み砕かんと動いた。
 だが、

「令呪を持って命ずる」

 二つ目の令呪がライダーに更なる縛りを与えた。
 ライダーはしかし、「愚か者が!!」と嗤った。
 少年の持つ令呪は残り一画しか残されていなかった。
 それを使った以上、もはや少年に令呪は無く、己を自害させる手段は少年にはもはや無い。
 この二重の令呪の縛りは確かに煩わしいが、屈する前に少年を妖怪の呪縛から解き放つくらいは出来よう。

――――巻き込めるだけ巻き込み大暴れしてくれるわ!!

 そう、己が宝具を発動しようとするライダーに少年は不気味な笑みを浮かべ、令呪のあった方とは逆の手をライダーに向けた。

「重ねて令呪を持って命ずる」

――――馬鹿な!?

 二重の令呪によって、もはや言葉を発する余裕すら失ったライダーの耳に在り得ぬ言葉が届いた。
 そして、更なる令呪の縛りがライダーの精神を蹂躪した。
 もはや、思考は死に、暴れようという意志は消滅した。
 途端に大人しくなったライダーに少年は言う。

「確かに、この小童の令呪は残り一つだ。だが――――」

 少年の顔に似合わぬ醜悪な笑みを浮かべ、本来令呪の無い方の手を掲げて見せた。
 ライダーは驚愕する感情も既に失っていたが、感情があったならば目玉が飛び出すほどに驚いた事だろう。
 少年の手には在る筈の無い物があった。
 半円を描く様な図形のそれは、紛れもない――――令呪だった。

「ウェイバー・ベルベットの令呪はもう残っておらぬ。それは事実よ。だがな、儂にはバーサーカーのマスターより奪いし令呪があるのだ。実はな、バーサーカーのマスターは聖杯戦争の正式な開戦前に既に殺害されておったのだ。その死体を儂は聖堂教会の輩に回収される前に手中に収めた。知っておるだろうが、令呪とはマスター、あるいはサーヴァントが消滅した時点で聖杯の下に戻る。じゃが、何事にも抜け道というモノはある」

 もはや返答も無いというのに、ウェイバーは饒舌に喋った。
 己が所業を誇るように。

「令呪とはそもそもこのマキリ・ゾォルケンが構築したシステムだ。資格者無き令呪を聖杯から引き寄せるなど容易き事」

 言って、ウェイバーは老人の声のまま蟲の海へと視線を向けた。
 すると、蟲の波が起こり、中から一人の少女が現れた。

「ライダーよ。貴様にはこの娘の護衛を命ずる。この娘の言に従うのだ」

 汚泥の如く腐り濁った瞳の少女にライダーは同じく生気を失った虚ろな瞳で頷いた。

「桜よ。ソレはお前の好きにして構わぬ。ではな」
「はい、お爺様」

 ウェイバーはライダーと桜を後に残し、蟲の海へと沈んで行った。
 最期にライダーを一瞥し鼻で笑った。

「もっとも、この小僧はとうの昔に死んでおるがな」

 ライダーの人質として使えるかと思いウェイバーの死体をきぐるみのように纏ったが、ライダーに対しては余興程度の価値しか無かった。

「まったく、令呪を無駄に消費させおって」

 そう呟くと、ウェイバーの令呪の宿る手だけがウェイバーの体から切り離され、瞬く間に蟲共がその腕と共に小さな体躯の老人の姿を作り出した。
 残りのウェイバーの肉体は蟲共が貪り、後には何も残らなかった。

 眼を覚ますと、セイバーは既に戻って来ていた。
 今はあの剣道少女の姿では無く、常の白銀鎧を身に纏った騎士の姿に戻っている。
 重い瞼を気合で押し上げ体を起こすとセイバーは実体化した状態で雁夜の小説を読み耽っていた。
 雁夜がセイバーに声を掛けると、セイバーは余程集中していたらしく、驚いたように眼を丸くした。
 己の不覚を恥じ、頬を赤く染めている彼の表情は男の雁夜から見ても思わず見惚れてしまいそうな程美しかった。

「何を読んでいたんだ?」

 セイバーは読んでいた本のページにしおりを挟み、表紙が雁夜に見えるように本を掲げた。

「推理小説か」

 セイバーは頷き返した。

「この時代は実に娯楽が揃っていますね」
「お前の時代には無かったのか?」
「ええ、こういった書籍はあまり……。ディナダン郷のジョークが我々にとっては至上の娯楽でした」
「そっか……」

 雁夜は思った。そう言えば、こうしてセイバーの話を聞くのはこれが初めてだったと。
 召喚直後は余裕が無くてとにかく聖杯戦争に勝利する事ばかりに囚われていたけれど、己は今伝説の騎士と対面しているのだ。
 そう考えると、なんだか不思議な気分になった。

「なあ」

 だから、ちょっと気紛れを起こした。
 千年以上もの時空の壁を越えて出会った騎士の事を知りたい、もっと話をしたい、そう考えたのだ。
 だって、自分はもう直ぐ死ぬ。
 だったら、最期に奇跡のような出会いをしたこの男と人生の最後を楽しみたい。
 そう思ってしまっても仕方の無い事だ。

「ちょっと、街に出てみないか?」
「街に……ですか?」
「ああ、折角だからさ、現代の街を案内するよ。今の時代の娯楽って奴を教えてやるさ」

 雁夜の言葉にセイバーは驚いた顔をした。

「よろしいのですか……?」
「ああ、お前は一仕事して来たんだし、ちょっとは休息も必要だろ? もし敵が襲って来てもお前なら絶対負けやしない。それに――――」

――――俺も最期の時間を楽しみたいんだ。

 そう言われてしまえば、セイバーに拒否するなどという選択肢は無かった。
 この目の前の主は己の死を既に容認してしまっているが、それは死に対する恐怖を克服したという訳では無い。
 主は英雄などとは程遠い酷く平凡な男だ。
 寿命や病以外の死などメディア媒体の向こうの世界の話であり、肉体は脆弱で技に優れているわけでもない。
 そんな男が一人の少女を救う為に己の命を使い捨てると決意した。
 それがどれほど辛く苦しい選択であったかなど、死が常に隣人であった時代の人間である己には知る術を持たない。
 無論、死なせるつもりなど毛頭無いが。
 もし、敵が襲って来たとしても己が剣で薙ぎ払うのみ、今は主の思うままに……。

「わかりました。私も現代の街並みに興味があります」
「よし、そうと決まればまずは着替えだな」

 雁夜とセイバーは新都にやって来た。

「主、私は何かおかしいのでしょうか?」

 セイバーは周囲の視線を気にしながら顔を顰めた。

「おかしいって言うなら俺の方だと思うよ。こんな顔じゃな。お前の場合は多分、モデルかなんかと間違えられてるんじゃないか?」

 パーカーで顔を隠しながら雁夜はクスクスと笑った。
 隣に立つセイバーは雁夜の渡したジャケットをラフに着こなしている。
 買ったはいいけど服の丈が雁夜には大き過ぎてそのままクローゼットの肥やしになっていたものだ。
 日の目を見る機会に恵まれて服も喜んでいることだろう。
 長髪の男は大抵だらしなく見えるものだが、不思議とだらしなさを感じさせない辺りはさすが騎士様というべきか。

「主、おかしいなどと……。あなたの相貌は桜殿の為に戦う戦士の証。何も恥じる事など――――」
「ありがとな。それとさ、前々から思ってた事なんだけど……」
「なんでしょう?」
「その、主って呼び方」
「不快でございましたか?」
「不快っていうか、気恥しいっていうか、せめて街中では普通に名前で呼んでくれないか?」
「……では、雁夜殿とお呼びさせて頂きましょう」
「殿も要らないんだけど……ま、いっか。とりあえず、飯にしよう。セイバーも食べるだろ?」
「私は……はい、雁夜殿」

 サーヴァントに食事は必要無い。
 故に断ろうかと思ったが、主は己に現代の娯楽を教えるためにこうして時間を割いて下さっている。
 それに、食事とは一人よりも二人で摂った方が美味しいものというのは時代が違えど同じ事。
 セイバーは素直に従う事にした。
 身長が190センチ以上もある外国人の男とパーカーを被ってる醜男が並んで歩いている様子は周りからはさぞ奇妙に映っている事だろうな、そんな事を考えながら雁夜はセイバーを連れて近くのレストランに入った。
 蟲が大人しくなってくれたおかげで普通の食事も苦痛ではなくなった。
 久しぶりのまともな食事にありつけるとあって、雁夜は内心心を躍らせていた。
 レストランに入ると案内係の女の子がセイバーにばかり目を奪われてくれたおかげで悶着無しに席に座る事が出来た。
 小奇麗な内装で周囲の席から美味しそうな臭いが漂ってくる。
 メニューを開いてどれにするか悩んでいると、セイバーは困った顔をしていた。

「どうしたんだ?」

 雁夜が声を掛けると、セイバーは言った。

「あまりに種類が多く、目移りしています。どれも私の時代には無かった品ばかりだ」
「セイバーの時代の食べ物ってどんなのだったんだ?」

 好奇心に駆られ、雁夜が尋ねると、セイバーはあからさまに顔を顰めた。

「雑でした……」
「そ、そうか……」

 聞いてはいけなかったらしい。
 あからさまにテンションの下がった調子で答えるセイバーに雁夜は言った。

「どれでも好きなの注文しろよ。お金なら十分にあるし、なんだったら全部喰ってもいいんだ」

 どうせ、もう使う事も無いのだから。
 口には出さずにそんな事を考えながら雁夜は店員を呼んだ。
 とりあえず、美味しそうな物をどんどん注文し、皿が無くなったらまた注文する事にした。

「いただきます」

 雁夜はセイバーに日本式の食事の挨拶を教えながら箸を手に取った。
 セイバーに箸の持ち方を教えてやろうかと思ったけれど、セイバーは巧みに箸を操り、並べられた料理に手をつけた。
 聖杯からの知識という事らしい。何とも便利な事だ。
 このレストランは和洋中様々な料理が揃っていて、どれも凄く美味しい。
 だけど、雁夜を楽しませたのはそれらの料理に一々眼を輝かせるセイバーだった。
 堅そうなイメージだったセイバーは料理を口に運ぶ度に頬を綻ばせ、一心不乱に箸を、レンゲを、スプーンを、フォークを動かし続けている。

「こ、これが料理という物なのですね……」

 結局、本当に全メニューを制覇してしまった。
 セイバーの食べる姿があまりにも可笑しく、雁夜は次々に注文をして、途中から店員さんもある程度食べ終わるのを見計らってはやって来るようになった。
 さすがは英霊である。
 あれだけ食べて少しも苦しそうな表情を見せない。

「か、雁夜殿。つ、つい……」

 食べ終わり、幸せそうに溜息を吐いた後、セイバーは顔を真っ青にしながら謝って来た。
 雁夜が笑いながら「良い食べっぷりだった」と言うと、今度は顔を赤くした。

「それにしても、そんなに美味かったのか?」

 あまりに美味しそうに食べていたセイバーに雁夜は問い掛けた。

「それはもう。我々の食事と言えば、ただ肉を焼くだけというのが殆どでしたので……。陛下も食事の時ばかりは顔を曇らせておられた……」

 そう言って、セイバーは頭を振った。
 相当酷かったらしい。
 雁夜は苦笑いしながら会計を済ませた。
 常なら目玉が飛び出しそうなほどの額だったが、貯金を全額下ろした今は余裕綽々だった。

「次はゲームセンターにでも行ってみるか」

 雁夜はそれからも様々な場所にセイバーを連れて行った。
 最期の時間を精一杯楽しむ為に、セイバーに現代の娯楽を教える為に。
 ゲームセンターでセイバーが身体能力を駆使して粗方のゲームの最高得点を叩き出し、セイバーの服を新調し、端から見るとまるでデートのようだと嫌な考えが浮かびながら必死に考え無い様にして雁夜はセイバーを引っ張りまわした。

「ここは書籍を売っているのですね」

 陽が落ち、聖杯戦争の時間となる前に最後に雁夜はセイバーを本屋に連れて来た。

「ああ、ここなら色んな本があるから好きなの買っていいぞ。俺も買いたいのがあるし、しばらく自由に見ててくれ」

 そう言って、雁夜は海外ファンタジーと看板に記されている方へと歩いて行った。
 セイバーは今日一日の事を思い出しながら適当に本の背表紙を眺めた。
 今日一日、主に連れられ現代の世界を見て回ったが、やはり己の居た時代とは何から何まで全てが異なっていた。
 それは何も目に見える街並みの情景や技術的な事ばかりではない。
 寒さに震え、餓えに苦しむ者が居ない。
 盗賊に襲われる事も、魔物に襲われる事も無い。
 民草の一人一人が己の幸せを当然のように享受している。
 主や桜はこの光景の中で生きるのが当然であった筈だ。
 その道理が悪意によって捻じ曲げられている。
 ならば、その道理を正す事こそ己がこの世界に召喚された理由なのではないか、セイバーはその様に考えながら店の窓に目をやった。
 外は茜色に染まり始めている。
 そろそろ、平穏な時間は終わりらしい。
 主の下に向かうと、主は一冊の本を熱心に読み耽っていた。

「雁夜殿」

 セイバーが声を掛けると、雁夜は驚いた様に顔を上げた。

「何を読んでいらっしゃったのですか?」

 セイバーが尋ねると、雁夜は照れた様に本のタイトルを見せた。

「アーサー王の物語だよ。昔、読んだ事があったんだけど、もう一回読み直そうかと思ってさ」

 雁夜は片手に買ったばかりの本を携えセイバーと共に新都と深山町を結ぶ橋を歩いていた。

「雁夜殿……、貴殿は私の事をどう思っておられますか?」
「え?」

 唐突なセイバーの問い掛けに雁夜は質問の意図が分からず首を捻った。
 ただ、セイバーがあまりにも必死な表情を浮かべるから思った事を口にした。

「頼りになる奴……かな?」
「頼りに……? ですが、雁夜殿も私の過去を知っておられるのでしょう?」

 セイバーの言いたい事を今度は察する事が出来た。
 セイバーの真名は湖の騎士・ランスロットだ。彼の騎士には誉れ高き英雄譚と共にもう一つ、不名誉な物語がある。それは己が主たるアーサー王の妃に恋をし、それが円卓の崩壊を招いたというものだ。だけど、人を愛する事がそんなにいけない事なのだろうか?
 雁夜は思った。ランスロットは確かにアーサー王の妻であるグィネヴィアに恋をした。でも、彼は彼女に決して手を出さなかったし、伝説の中でアーサー王も彼らの仲を許していた。彼は彼女の夫である前に王であったが為に彼女を妻として甘えさせる事が出来なかった。故にランスロットの彼女に向けた無償の愛が彼女の救いとなると考えたのだと言われている。

「別にお前が悪いわけじゃないだろ? そりゃ、主君の妻を好きになっちゃったっていうのは、まあ、何だけどさ……。けど、お前はただ愛情を彼女に対して向けただけで手を出したわけじゃない。それなのにモードレッドやアグラヴェインのせいで――――」
「彼らに罪はありません」

 セイバーは激しい口調で言った。

「彼らはただ、己が正義を全うしようとしただけなのです。それを私は……」

 深い罪悪感を滲ませた声でランスロットは言った。

「全ては私が悪いのです。雁夜殿……、私は本当に彼女を愛していたわけではないのです……」
「どういう事だ?」
「私は唯、理想の騎士でありたかった。雁夜殿、私にとって、彼女は理想の騎士に最も相応しい女性だったのです」

 己の醜さを吐き捨てるようにセイバーは語った。

「私は女性に対する愛を武術や騎士道と同列に考えてしまっていた。理想の愛とは追い続けるだけの者であり、受け入れられてはならぬもの。陛下の奥方である彼女程それに相応しい女性は居なかった。私は彼女を愛していたのではないのですよ。私は理想の騎士として無償の愛を向ける手の届かない女性を欲していたに過ぎないのです。私は愚かだった。理想の騎士でありたい、そんな事の為に彼女を苦しませ、彼等を苦しませ、陛下を苦しませ、円卓を……滅ぼした。私程信用に値しない男は他に居ないでしょう」

 セイバーの独白を聞き、雁夜は「それでも」と言った。

「お前は彼女を愛してたんだろ?」
「私は……」
「だって、そうじゃなかったら森の中で二年間も放浪したりしないだろ」
「そ、それは……」

 己の恥しい過去にセイバーは顔を赤くした。

「お前がお前自身を信用出来ないってんなら、俺が信用するよ」
「雁夜殿……」
「お前は誰にも負けない。絶対俺を勝たせてくれる。桜ちゃんを助けてくれる。何てたって、俺のサーヴァントは最強なんだ」

 笑みを浮かべて断言する雁夜にセイバーは一時の間放心した。
 そして、深く息を吸い、深く吐いた。

「雁夜殿」

 セイバーはその場で雁夜に頭を垂れた。

「セ、セイバー!?」

 雁夜が慌てるのも構わず、セイバーは言った。

「我が剣に誓い、このランスロット。必ずや御身に勝利を捧げると今一度お誓い申し上げます」
「わ、分かった! 分かったから立ってくれ! 誰かに見られたらどうするんだ!?」

 慌てる雁夜にセイバーはクスリと笑い立ち上がった。

「雁夜殿。必ず勝利致しましょう」

 セイバーは片手を雁夜に向けて差し出した。

「あ、ああ」

 雁夜は照れた表情でその手を取った。
 その時だった。

「随分と帰りが遅いと思えば、この様な場所に居ったか」

 しわがれた老人の声が耳に届き、セイバーは咄嗟に雁夜を庇った。

「臓硯!!」

 橋を渡りきった先に老人が立っていた。

「そう警戒するでない。あまりに帰りが遅いのでな。こうして息子を心配し迎えに来たに過ぎぬ」
「戯言を……、何用だ」

 セイバーは殺意を漲らせ、臓硯に問うた。
 臓硯はカカと笑いながら言った。

「ふむ、それほど元気がありあまっておるならば、一つ良い事を教えてやろう」
「なんだ?」

 警戒心を顕にしながら雁夜は尋ねた。

「冬木ハイアットホテルにランサーのマスターが拠点を置いておる」
「ランサーのマスターが!?」

 驚き目を瞠る雁夜に臓硯は「ああ」と頷いた。

「ランサーめはライダーとの戦いで疲弊しておる筈だ。倒すならば今しかあるまい」

 臓硯の言葉に雁夜はセイバーを見た。
 セイバーは臓硯を警戒しながらも雁夜に頷いて見せた。

「ではな。武運を祈っておる」

 そう言い残し臓硯は消え去った。
 丁度、太陽が水平線上に沈んだ。
 雁夜はセイバーに尋ねた。

「いけるか?」
「無論!!」

 セイバーは次の瞬間には今日買ったばかりの服から白銀の鎧にその装いを変え、雁夜を抱え上げると同時に大地を蹴った。

――――あの時の決着を着けようぞ、ランサー!!

第二十三話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した為に夢見る少女と平穏の時間の幕切れ

――――I am the bone of my sword.

 気が付くと、焼け野原に立っていた。火事が起きたらしい、どこか見慣れた風景が一面廃墟に変わっていて、まるで、母親や妹と一緒に見た戦争映画の空爆された街並みの様だった。ポツポツと雨が降り始めた。不思議と冷たさを感じない。周りの火が徐々に雨によって鎮火されていく。あれほど高く燃え上がっていた炎の壁も低くなり、漸く目を焼く赤色は落ち着いた廃墟の色へと変わっていった。
 奇妙な気分だった。これだけの惨状の中で自分だけが原型を留めてこうして立っている事が。この周辺で立っているのは自分だけ、他に生きている人の気配は――――いいや、居た。
 生きている人が居た。自分と同じくらいの年の頃の少年が横たわっている。でも、そう長くは持たない。少年の命の灯はさっきまで赤々と燃えていた炎の如く、まるで同様に雨に鎮火されたとでも言いたいかのように小さく、弱々しくなっていっている。このままでは死んでしまう。必死に叫んだ。誰か、この少年を助けて、と。そして、その祈りは届いた。
 一人の男が歩いて来た。酷く虚ろな表情で廃墟の中をふらふらと歩き、まるで浮浪者のようだった。男はふと少年を見つけ、慌てた様に駆け出した。少年の息を確かめ、酷く嬉しそうな笑みを浮かべると、自分の胸に手を当て、光を取り出した。光をそのまま少年の胸に注ぎ入れると、少年を抱き抱えて歩き出した。

――――Steel is my body, and fire is my blood.

 次の瞬間、少年は先程までの廃墟とは打って変わって清潔感に満ちた、まるで病院の一室のような部屋に居た。

『どこだろう、ここ……』

 少年はキョトンとした顔で頭を左右に振る。そこに居たのは少年だけでは無かった。何人もの子供がベッドに横になっている。きっと、あの火事の中で助けられた子供達だろう。
 どれほどの犠牲者が出たのかは想像も出来ない。だけど、こうして生きている子供達が居てくれた事に何だかホッとした。目の前の光景は酷く目まぐるしく移り変わった。まるで、ビデオを早回しで見ている気分だ。不意に時間の流れがゆっくりになると、少年の下をあの男が尋ねて来た。
 しわくちゃの背広にボサボサの髪はそのままだった。

『率直に聞くんだけど、君はこのまま孤児院に預けられるのと』
 初めて会ったおじさんに引き取られるの、どっちがいいかな?そんな、とんでもない事を男は言い出した。
 常識で言ったらありえない。見ず知らずの男の下に行くなんて、女じゃなくても身の危険を感じてしまうだろう。だけど、少年は無垢な表情であっけらかんと頷いた。
 頷いた少年に対して酷く嬉しそうな表情で男は少年に身支度をするよう言った。自分も手伝おうとするけれどお世辞にもその手際は良いとは言えず、かえって少年の邪魔をしてしまっていた。その様子があまりにもおかしく、少年と一緒になって笑ってしまった。
 荷物が纏め終わり、部屋を出て、しばらく二人は無言で歩いていたけれど、誰も居ない待合室みたいな所で男は突然とんでもない事を少年に打ち明けた。

『ああ、大切な事を言い忘れていたよ。家に来る前に一つだけ、どうしても教えておかないといけない事があるんだ』

 少年が首を傾げると、男は言った。

『僕はね、魔法使いなんだ』

 そんな、魔術師の不文律を鼻で笑うかのような事を平気で口にしたのだ。
 出会って間もない少年に自分は魔術師――正確には魔法使い――と名乗るなんて正気じゃない。
 だけど、

『へえ、爺さん凄いんだな』

 少年は少年でそんなとんでも告白をあっさり受け入れてしまった。
 なんだか焦っている自分が逆に馬鹿馬鹿しくなって来た。

――――I have created over a thousand blades.

 どのくらい時間が経ったのだろう、少年は男から魔術の手解きを受けていた。と言っても、自分の父親とは比べ物にならない程拙い教え方だ。あの程度なら、きっと自分の方がうまく少年に教えてあげる事が出来るのに、そう不満に思う程だ。
 必死に魔術の修行に打ち込む少年の姿はなんだか今の自分に似ているようでなんだか微笑ましかった。そんな時、男は突然海外に行くと言い出した。まだ幼い少年をほっぽりだして『世界中を冒険してくるよ!』なんて、子供みたいに瞳を輝かせる男に心底呆れてしまった。
 それから時間は加速した。まるでつまらない映画を早回しでみているような感じ。早回しの間は殆ど同じ光景ばかりだった。
 少年がたった一人で留守番している。一人で食事を作って、一人で食べる。時々、騒々しい女性が顔を見せるけど、なんだか凄く寂しい光景が続いた。住んでいる家があまりにも広い武家屋敷だから、余計にそう思うのかもしれない。

――――Unknown to Death.

 月の綺麗な夜に時間の流れがゆるやかとなった。
 男と少年は並びながら縁側に座っている。
 二人して着物を着て、なんだかとっても親子をしている。
 血は繋がっていない筈なのに、二人は不思議な程親子だった。

『子供の頃、僕は正義の味方に憧れてた』

 そう、男は寂しそうに言った。
 それが酷く気に入らなかった。

『なんだよ、それ。憧れてたって、諦めたのかよ』

 少年も同じ気持ちだったらしく、ムッとした表情で言い返した。
 男はすまなさそうに笑いながら月を見上げた。

『うん。残念だけど、正義の味方っていうのは期間限定でね。大人になると名乗るのが難しくなるものなんだ。そんな事、もっと早くに気付けば良かった』

 納得いかない。そう不満に思っていると、少年は己とは違う見解だったらしい。

『そっか。それじゃしょうがないよな』

 そう、冷たく突き放すように言った。

『そうだね。本当にしょうがない』

 相槌を打つ男は酷く寂しそうな顔をしている。
 もっと言い方があるだろう、そう怒鳴ってやろうと思っていると、少年は言った。

『しょうがないから、俺が代わりになってやるよ。爺さんは大人だからもう無理だろうけどさ、俺なら大丈夫だろ? 任せとけって、爺さんの夢は――――』

 少年の言葉が終わる前に男は微笑んだ。
 少年が何を言いたいのか分かったからだろう。

『ああ、安心した――――』

 そう言って、静かに瞼を閉じた。それがあまりにも自然だったから分からなかった。
 朝になれば起きるんじゃないかと思う程穏かで、それが彼の最後なのだと気付く事が出来なかった。ただ、少年が取り乱しもせず、広い武家屋敷にポツンと住んでいる姿が酷く悲しかった。

――――Nor known to Life.

 時間の流れは加速し、ゆるやかになったのはそれからずいぶんと経ってからの事だった。それまでの少年の人生を一言でまとめるなら、やんちゃ坊主だ。
 少年は正義の味方になろうとしているのだろう。虐められている子がいれば虐めっ子をボコボコに殴り、溺れている子がいれば迷わず飛び込んで一緒に溺れそうになる。そんな場面が途切れ途切れに視界に映りこんだ。どうしようも無く、馬鹿で、どうしようも無く愛おしかった。
 少年は大きくなり、一人の少女と出会った。その少女の姿に思わず呼吸が止まったかのような錯覚に陥った。
 髪の色はまったく違うけれど、その顔や髪に着けているリボンは間違いなく大切な妹のものだった。妹はまるで感情をどこかに置き忘れたかのように無表情だった。まるで人形のようで、見ているのが辛かった。
 だけど、少年と少年の家に遊びに来る女性との交流の中で笑顔を見せ始める。それからの時間は加速しても常に少年の傍に妹が居た。モノクロだった少年の家は色鮮やかな色を持ち始めた。妹と少年はまるで兄弟か恋人同士のように仲睦まじく共に時間を過ごした。

――――Have withstood pain to create many weapons.

 やがて、再び時の流れが緩やかになり、少年は更に成長していた。少年は暗い土蔵の中で一人の騎士と対面していた。
 その姿に思わず見惚れてしまった。その姿がただ無情で、どこまでも凛々しくて、そして、あまりにも美しかったから……。
 戦いが始まった。
 それがどういう戦いなのかはもうよく分かっている。聖杯戦争が始まったのだ。時々ゆっくりと時間が進むかと思えば、何が何やら分からない程に時間が加速したりもする。
 その中で印象深いと感じたのは己の存在だ。遠坂凛は金色のサーヴァントと共に在った。弓を持っていたからアーチャーのクラスなのだろう。どうにも己はアーチャーと縁があるらしい。ただ、アーチャーが彼では無い事が残念だったような、ホッとした様な不思議な気分。
 綺礼が生きていたのは嬉しいような残念なような、不思議な気分だった。少年と己、そして、綺礼が三人で森を駆けているのは後ろに迫る魔獣を見なければどこか滑稽だった。
 少年のセイバーはどこまでも気高くて、どこまでも強かった。だけど、少年が未熟なせいで宝具を最後の一回しか使えなかった。遠坂凛のアーチャーは悪い奴じゃないけど、とっても唯我独尊で、だけどとても強かった。自分を最強だと名乗り上げ、弱っているとはいえ、セイバーが居るのにバーサーカーに単騎で戦いを挑むのはちょっと馬鹿っぽくて、でも凄くかっこ良かった。
 不思議だったのは魔獣を従えるサーヴァントだった。正体が何故か見えなかった。その主の姿もまるでそこだけがモザイク処理されているみたいに見えない。
 少年や遠坂凛がソレの主の名前を言ってもそこだけが聞き取れない。ただ、魔獣使いと共にもう一体のサーヴァントが居て、そのサーヴァントは姿も分かるし、クラスもわかった。
 綺麗な女性のライダーだ。戦いの終結はアーチャーが宝具を使って円蔵山の五分の一ごと魔獣を吹き飛ばして、セイバーがライダーを止め、少年が魔獣使いの主を殺した。
 少年は慟哭し、そのあまりにも悲しそうな声に自分も泣いてしまった。遠坂凛も泣いている。
 残されたライダーが少年を殺そうとするのをセイバーが止めて、アーチャーが止めを刺した。
 凄く激しい戦いが終わって、魔獣使いが消えた後、残されたセイバーとアーチャーは雌雄を決しようとしていた時に綺礼が現れた。
 綺礼の眼は凄く怖かった。髪は真っ白になっていて、眼は黒く染まっていた。そして、胸の辺りから嫌な魔力を発していた。
 酷い悪夢を見ているかの様な光景だった。
 少年と少女が必死に戦って倒してきたサーヴァント達が綺礼の胸から零れる黒い魔力の塊から現れて襲って来る。赤槍のランサー、黒い巨体のバーサーカー、いかにもな格好の魔女や侍。それに魔獣使いと一緒に居たライダー。魔獣使いの魔獣のように復活したサーヴァント達に生気は無く、全身が黒く染められていた。
 セイバーとアーチャー、それに遠坂凛と少年も全力を尽くして戦った。結果を言えば少年と少女の勝利だった。
 セイバーとアーチャーも現界ギリギリまで削られながら生きていた。でも、綺礼は死んでしまった。
 狂ったように吼える綺礼の姿が見たくなくて目を背けている内にセイバーが彼を両断した。変わり果てた綺礼の姿に泣き叫んだ。
 早く終わってくれと、こんなのもう見たくないと、だけど時間は流れ続ける。最後、セイバーとアーチャーはギリギリの状態で互いの剣をぶつけ合い、セイバーが勝利した。

――――Yet, those hands will never hold anything.

 聖杯戦争は終結し、再び時間は加速した。次に緩やかになったのは禍々しい洞窟の中だった。
 大人びた遠坂凛が居る。
 黒い髪の男性が居る。
 白い髪の少女が居る。
 少年は謝り続けている。
 白い髪の少女は少年を慰め、禍々しい魔力の渦に足を踏み入れていく。酷い光景だ。
 少女は少年にとって大切な家族だというのに……。

――――So as I pray

 時間は再び加速する。それまでの比じゃないくらいに時間は飛んだ。
 その間、垣間見たのは延々と戦場ばかりだった。
 少年は髪の色も眼の色も変わっていた。その姿は紛れもなく己の召喚したアーチャーの姿だった。
 アーチャーは英霊では無かった。小さな村を絶望から救う為に世界に死後の己を明け渡してしまったのだ。
 抑止の守護者として招かれる事を条件にアーチャーは村を絶体絶命の危機から救えるだけの力を得た。

――――“unlimited blade works”.

 最後は加速する時間の中で親しげに話をしていた男に裏切られて牢獄に入れられ、末世の階段を登った。
 一歩登るごとに恐怖が倍増する。行かないで、止めて、逃げて、そう叫ぶが、アーチャーには届かない。
 アーチャーは首に縄を掛けられる最中もあの余裕を伺わせる笑みを見せた。

『アイツ、気にしないといいな』

 最後の言葉は裏切った親友に宛てただろう言葉だった。
 そして、凜は眼を覚ました――――。

 遠坂家の台所は今やサーヴァントの独壇場であった。

「ハサン、ソレを取ってくれ」
「ほれ」

 アレとかソレで意志を通じ合っている己がサーヴァントと妹弟子のサーヴァントに綺礼は微妙な表情を浮かべた。
 主から奇異の眼で見られていると知ってか知らずかアサシンはアーチャーの調理を手伝いながらふとこんな事を言い出した。

「エミヤ、頼みがあるのだが」
「頼み?」
「ああ、実は――」

 アサシンが言い切る前に階上から突然凜の泣き声が響いた。
 アーチャーは迷い無く霊体化すると天井をすり抜けて凜の部屋に向かった。
 アサシンもその後に続き、綺礼も読んでいた資料を手放し部屋を飛び出した。

「凜、何があった!?」

 アーチャーとアサシンが部屋に実体化すると凜は泣きながらアーチャーに枕を投げつけた。
 枕だけじゃない、手近にある物を滅茶苦茶に投げ続けた。
 アーチャーは困惑した顔で投げつけられる物が壊れないようにキャッチをしては手近な机に置いた。

「お、落ち着いてくだされ、お嬢様!」

 アサシンは宥めようと必死に言葉を探すが、稚児をあやした事すら経験に無いアサシンには無理と言う他無かった。

「お、落ち着くんだ凜! な、何があったんだ!?」

 泣き喚きながらいよいよ投げる物が無くなり、机を持ち上げようとする凜にアーチャーは慌てて駆け寄った。
 ちょうど、部屋の中に綺礼が入って来た。

「何事だ、凜!」

 すると、今度はアーチャーをポカポカと叩いていた手を休め、綺礼を見ながら凜は更に泣いてしまった。
 アーチャー、アサシン、綺礼の三人はどうすればいいのだ、と互いに顔を見合わせうろたえた。

「り、凜、プ、プリンを作ってやる。大きいやつだ。だから、泣き止んでくれんか?」

 アーチャーは食べ物で宥めようとするが柳に風といった具合に凜は泣き止まなかった。

「お、お嬢様、ア、アサシンめが芸を!」

 アサシンは混乱しているのか己が武装たるダークと呼ばれるナイフでジャグリングを始めた。

「凜、レ、レディーたるもの人前で安易に泣くのはだな……」

 綺礼はわけのわからない説教を始めた。

「何をしているんだね?」

 大の男が三人もあたふたしている光景に後からやって来た時臣は呆れた表情を浮かべた。

「まったく、もう少し余裕を持ちたまえ」

 生前に覚えた凜の好物のお菓子を並べ立てるアーチャー。
 ダークを今や十本も使いジャグリングをするアサシン。
 真面目な顔をして淑女のなんたるかを朗々と騙り続ける綺礼。
 三人共余裕を持って優雅たれを信条とする遠坂家の者としては些か以上に余裕が足りていなかった。時臣はそっと凜に近寄り、声を掛けた。

「凜、そのように大きな声で泣くなど感心しないな。何か嫌な夢でも見たのかい?」

 時臣の声を聞いて漸く落ち着いたのか、凜はぐずりながらも時臣に向かって小さく頷いた。

「アーチャーが……」
「アーチャーがどうかしたのかい?」

 問い掛けながら、時臣は凜が見た夢に当りをつけていた。
 サーヴァントとマスターはラインを通じて互いの過去を夢に見る事があると聞く。
 英雄の過去など子供にはあまり愉しくない内容が殆どだろう。
 責任を追及する事では無いが、娘を泣かせたアーチャーに若干の憤りを感じた。

「アーチャーがね、上っちゃダメって、行っちゃヤダって言ったのに、行っちゃうの……。帰って来てって言ったのに!!」
「私の最期を見たのか……」

 凜の言葉にアーチャーは顔を顰めた。

「すまなかったな」

 アーチャーが謝ると凜は余計に泣きそうになった。

「なんで、逃げなかったの!?」
「凜……」
「アーチャー、なら、逃げ、ぅぐ、られたでしょ?」
「逃げる理由が無かったんだ。凜、私の過去を見たのならば分かるだろう? 私がどれほど度し難い愚か者であったか。あれほど私に相応しい末路は無かったんだ」

 アーチャーは肩を竦めながら言った。
 凜はそれが嫌で堪らなくなり、アーチャーに「馬鹿!」と叫んだ。

「何が相応しい末路なのよ!? あんな、友達に裏切られて……」
「裏切られたわけじゃない。あれは私の自業自得というものだ。それに、彼の判断はあの場では最善だった。皆の憎悪の矛先が私に全て向かう事であれ以上戦火が広がるのを抑える必要があったんだ」
「アーチャーは――――」

 凜は口をパクパクさせるが感情が溢れ過ぎて言葉を発する事が出来なくなってしまった。
 怒りのあまりに癇癪を上げ、アーチャーはそんな凜を必死に宥めようと髪を梳く。

「すまないな、凜。嫌な思いをさせて……」
「謝らないでよ……」

 泣きじゃくる凜に綺礼はいつの間に淹れたのか紅茶を差し出した。

「飲むといい。気分が落ち着く」

 綺礼が言うと、凜は再び泣いた。
 綺礼は困惑した表情を浮かべながらハンカチを凜に差し出した。

「眼の周りが赤くなってしまっているぞ。涙を拭え、凜」
「綺礼……死んじゃった」
「はあ?」
「髪、真っ白になって、胸から黒いの流して、死んじゃった!」
「い、いや、死んでないぞ、凜」

 綺礼は凜の言葉に思わずアーチャーに視線を向けながら宥めるように言った。

「でも、死んじゃった! 綺礼が、死んじゃ、や、だ……」

 しゃくり上げながら言う凜の言葉に綺礼は眼を見開いた。
 そして、硬い笑みを浮かべると凜に言った。

「安心しろ、凜。私は死なない。少なくとも、お前の前では決してな」
「ほんとに?」
「ああ、本当だ」

 凜が落ち着くのを待って、綺礼は意地の悪い笑みを浮かべた。
 アサシンは悟った、これは何かをするつもりだ、と。

「しかし、嬉しいな、凜」
「え?」
「まさか」

 ククッと綺礼は笑みを浮かべながら言った。

「それほどまでに君が私を好いていたとはな」

 そう、満面の笑みで言った。
 アーチャーは思わず親指を上げた。
 アサシンは呆れた様におでこを押さえた。
 時臣は今日の凜の修行について考えていた。

「う、五月蝿い!! このどぐされ神父!!」

 顔を真っ赤にする凜を見てアーチャーと綺礼は愉快そうに笑った。
 アサシンは呆れて朝食の準備に戻って行った。
 時臣はもう大丈夫だな、と部屋を出て行った。

 遅れてしまった朝食の準備を進めていると、アーチャーは思い出したように隣で箸の準備をするアサシンに問い掛けた。

「そう言えば、さっき何を言いかけていたんだ?」
「ん?」
「ほら、凜の泣き声が聞こえる前」
「ああ、ちょっと頼み事をと思ってな」
「頼み事? 何だね?」
「ああ、私に料理を教授願えぬかとな」
「料理を?」

 意外そうな口調で言うアーチャーにアサシンは頷いた。

「どうしていきなり?」

 アーチャーが尋ねるとアサシンは食卓で待つ時臣、凜、綺礼の三人に視線を向けて言った。

「お前の料理は素晴らしい。お前の料理を食べている時は時臣殿もお嬢様も主も皆一様に晴れやかな顔をしておられる」
「それは褒め言葉として受け取っておくが……」
「ああ、褒め言葉だ。私はな、それが羨ましいのだ」
「羨ましい?」
「ああ、私は生前、誰かのああした顔を見た事が無かった。見るものと言えば、恐怖や憎悪、悲哀、といった負の感情ばかりだ。だから――――」
「了承した。ならば、時間のある時にでも教鞭を振るわせて貰うとしよう」

 アーチャーの言葉にアサシンは仮面の向こう側で笑みを浮かべた。
 アーチャーはその事に気付かぬまま料理に戻った。

「感謝するぞ、エミヤ」

 フッと笑みを浮かべるアーチャーが差し出す料理をアサシンは食卓に運んだ。
 アーチャーの料理は今日も好評だ。
 あの常に硬い表情を崩さない時臣や綺礼までもがいつもよりも穏かな顔をして見えるのもこの料理のおかげだろう。

――――本当に、羨ましい……。

「アサシン!」
「なんでございますか? お嬢様」

 凜に呼びかけられ、アサシンは振り向いた。

「ねえ、アサシンとアーチャーも一緒に食べない?」

 凜の言葉にアサシンは首を振った。

「いいえ、私共サーヴァントは食事を必要とはしませんので……」
「私が一緒に食べたいの!」
「お、お嬢様……」

 アサシンは助けを求めるように綺礼を見た。

「好きにするがいい」

 我関せずと言ったご様子だ。
 時臣を見る。

「君の主は綺礼だ。それに、アーチャーの主は凜だ。私は口を挟まぬよ」

 こちらも相変わらず戦略についての話以外ではマスターとサーヴァントの関係には我関せずを貫いていらっしゃる。

「アーチャー、お前からも……」
「主からの命では致し方ない」
「お前……」

 アサシンはアーチャーの裏切りに愕然とした。

「何、私の料理を食してみろ。まずはそれが指南の第一歩だ。どういう味のものを作るか、それは結構重要だぞ」

 アーチャーはククッと笑いながら言う。
 アサシンは降参だとばかりに項垂れ、準備の出来た食卓にアーチャーと共に椅子を運び座った。
 そして、

「何ですかな、お嬢様?」

 いただきます、と凜が言った後、何故か凜はアサシンの顔をジッと見つめていた。
 顔を逸らしても、視線はジッとアサシンに向いている。

「ほら、アサシン」

 凜は言った。

「早く食べましょう」

 好奇心に満ちた声で言った。
 それで分かった。
 ああ、なるほど、つまりお嬢様は……。

「あまり、食卓にお見せ出来る顔ではありませぬ故……」

 アサシンはわずかに仮面をずらし、顔で口元を覆いながら一口アーチャーの料理を口に含んだ。
 凜が至極残念そうな顔をしているが、そんな事は今はどうでもいい。

「口に合ったか? アサシン。……ああいや、その様子ならば問題無いな」

 アーチャーの言葉は殆ど耳に入らなかった。
 アサシンはパクパクと箸を休めずにアーチャーの作った料理を口に運んでいる。
 一心不乱なその様はいつかの光景を思い出すようだった。

「アサシンってば、何だかんだでアーチャーの御飯食べたかったんじゃない」

 その様子を凜はニヤニヤと笑いながら観察した。
 アサシンは思った。

――――これが、料理というものか……。

 生前は薬や最低限の水だけで生きて来たアサシンはアーチャーの料理をじっくりと味わった。

 朝食が終わり、アーチャーは凜と共に凜の部屋に居た。

「どうやら、気分はもう良いようだな」

 アーチャーの言葉に凜は頷いた。

「ええ、もう大丈夫よ」
「それは何よりだ。君に涙は似合わないからね」
「ふんだ。それより、聞きたい事があるんだけど」
「何だね?」
「アーチャーの夢の中で聖杯戦争の頃のがあったんだけど……」
「聖杯戦争当時のか……、あまり覚えていないのだが」
「アーチャー、魔獣使いのサーヴァントを覚えてる?」
「……は?」

 凜の言葉にアーチャーは凍りついた。

「ほら、黒い魔獣に追われて森の中をアーチャーと大きな私と綺礼が……」
「すまない。覚えていない」
「え?」

 凜は首を傾げるが、アーチャーは酷くうろたえた表情を浮かべた。

「記憶が磨耗しているせいか、思い出せないな。まあ、大した事では無かったんだろうさ。それより、そろそろ修行の時間だぞ、凜」
「あ、本当だ! 急がなきゃ!」

 慌しく部屋を出て行く凜を見送りながらアーチャーはコメカミに手を当てた。

「魔獣使い……?」

 ――――■■、もし■が悪い人になったら。
 アーチャーは頭を振るった。
 どうせ、思い出せないならば大した事じゃない筈だ。
 そう気を取り直し、部屋を出た。

第二十二話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した為に苦しい思いをする人達の話

 ケイネスが部屋に入ると部屋の中央に置かれたベッドがカタリと音を立てた。ベッドに横たわる女はその瞳を真っ直ぐにケイネスに向けている。
 幾重にも魔術的拘束を掛けられているにも関らず、その瞳には恐怖の色も焦りの色も見えない。黒の髪、黒の瞳、人ならざる美しさを称える顔立ちを持つ女がベッドに縛り付けられている。

――――数時間前の事だ。

 ウェイバーを追い詰めていたケイネスはアーチャーに介入され、姿を晦まさず得なかった。だが、ただ姿を隠しただけでは無い。彼の最強の礼装はただ物を斬り、貫くだけが能では無いのだ。
の足では追い付けぬ速度で逃走するアーチャーを月霊髄液は見失う事無く追跡した。
 アーチャーは未だ人通りの多いショッピングモールに紛れ、姿を変えたが、月霊髄液は目で対象を追うのでは無く、対象の音や温度を感知し追跡する。服装だけでなく、髪色から目の色まで変貌させたアーチャーはショッピングモールを出ると人通りの少ない通りを歩きながら郊外に通じる国道へ向かった。
 その時点でケイネスはアーチャーがどこに向かおうとしているのかを掴んでいた。セイバー、キャスター、アサシンは遠坂陣営が保有し、ライダーはウェイバーの手にある。ランサーは己が所有している以上、残るバーサーカーとアーチャーの内のどちらか、または両方を所有しているのはアインツベルンをおいて他に無い。
 郊外に通じる国道を行った先にはアインツベルンが所有している土地があり、そこに強力な結界が張り巡らされているだろう事は予想に難くない。アーチャーはアインツベルンのサーヴァントである。その情報を得られた以上、追跡を続ける事に旨みは無い。ならば、せめて手数の一端程度は見定める。無論、サーヴァントを相手に人間の魔術など児戯にも満たないだろう事は承知の上だ。
 それでも手札を一枚程度は切らせて見せる。そう意気込み、ケイネスは月霊髄液にアーチャーを襲わせた。結果はご覧の通りだ。確かに抵抗はあった。人外染みた力と速さを誇っていた。だが、それはサーヴァントという怪物達と比すればあまりにも非力かつ鈍足であった。
 確かに、初めから違和感があった。目的云々の話では無い。何故、己を直接狙わなかったのか、という点だ。あの時、アーチャーがウェイバーを援護しようと動いたのは確定的に明らかだ。だが、それならば狙うは月霊髄液ではなくケイネス自身にすべきだ。納得出来る理由があるとすればそれは聖杯戦争を長引かせる為、両者共に生かす必要があったからと考えられる。だが、そこに納得がいっても、まだ納得出来ない点がある。それはアーチャーの矢だ。
 英霊の放った矢、それもアーチャーのクラスに召し上げられる程の英霊の矢ならば例え宝具でなくとも強大な力を持っていて当然。にも関らず、アーチャーの矢は月霊髄液の軌道を変える事は出来ても粉砕する事は出来なかった。両者を生かしたいならば月霊髄液を破壊するべきだろう。でなければいつまで経っても状況は変わらない。その点について納得出来る考えがケイネスには思い浮かべる事が出来なかった。だが、その理由も捕らえた今ばアッサリと解明する事が出来た。
 そう、このアーチャーを騙る人形はそもそもサーヴァントなどでは無かったのだ。ホムンクルスと呼ばれる存在。人間を模して作られた人形。それがこの者の正体だった。つまり、ケイネスの月霊髄液を破壊しなかったのではない、破壊出来なかったのだ。

「アインツベルンのホムンクルス。よもや解剖出来る日が来ようとはな」

 アインツベルンは永きに渡り外界との繋がりを断って来た筋金入りの魔術師の家門だ。
 彼の家門の魔術の秘奥たるホムンクルスをこうして手に入れる事が出来たのはまさにこの国の言葉で言う所の棚から牡丹餅といった所だろう。

「さあ、見せてもらおうか、アインツベルンの秘奥を」

 ケイネスは魔術師としての好奇心を露わにし、ホムンクルスにメスを入れた。

 主が拠点とする冬木ハイアットホテル最上階にランサーが帰還したのは深夜0時を過ぎた頃だった。
 彼を出迎えたのは主の怒号では無く、主の婚約者たる女性の驚愕だった。ランサーの体は酷く疲弊していた。片腕は皮一枚で繋がっている状態であり、胴体の所々には酷い火傷の跡や切り傷が目立つ。ライダーの追跡の折、彼の宝具の真名解放の余波を受けたダメージは甚大であり、霊殻こそ無事ではあるが、サーヴァントと戦うには些か以上にハンデが大き過ぎる。拠点に戻るのがこうまで遅くなったのもそれが原因だ。
 現界ギリギリまで削られた分を回復しなければならなかったのだ。

「なんて酷い……、今直ぐ治癒の魔術を掛けるわ。横になって頂戴」

 ソラウに促がされながらランサーはソファーに横たわった。
 今は一刻も早く回復に努めなければならない。
 今敵に襲われればまともに時間稼ぎが出来るかどうかも怪しい。

「ソラウ殿」
「何かしら?」
「ケイネス殿は何処に?」
「その話は後で。今はそれよりも貴方の体の治癒が最優先。話していると手元が狂うわ」
「申し訳御座いません。感謝致します」

 ソラウの手当てを受けながら、ランサーはライダーを取り逃がしてしまった事に対する悔しさと己に対する憤りに顔を歪めながら押し黙った。
 ランサーは何とか落ち着こうと瞼を固く閉じた。
 ケイネスが部屋に現れたのは丁度ランサーの傷が癒えた頃合だった。

「戻っていたか」

 顔を顰めながらケイネスはランサーを睨み付けた。

「ライダーを取り逃がしたな」

 ケイネスの言葉にランサーは顔を歪めた。
 折角の主より与えられた名誉挽回の好機を無駄にしてしまった己に対する憤りに気が狂いそうになる。
 ケイネスはそんなランサーの胸中を見透かすか如く言った。

「もはや、貴様には何も期待出来ぬな」
「ケイネス殿……」
「言い訳は出来ぬぞ、ランサー。今宵の戦は前回とは異なリ、誰の横槍があったわけでもなく、純粋に貴様の力量不足故の結果であったのだからな」

 ケイネスの言葉にランサーは返す言葉も無く黙り込んだ。

「ケイネス、それ以上は……」

 ソラウがケイネスを宥めようと口を挟むがケイネスは鼻を鳴らしてランサーを見下した。

「使えぬ駒もそれなりに使い道を考えてやらねばな。ランサー、これからの戦いでは常に敵に一撃を加える事だけを念頭に入れよ」
「ケイネス殿?」

 ケイネスの言葉の意味を捉えきれずランサーは問い返した。

「一撃、必滅の黄薔薇にてダメージを加える事。それ以外の一切を禁ずる。一撃を加えたならばどれほど優勢であろうと――――そんな戦況が貴様の腕でありえるのであればだが、逃走するのだ。貴様の敏捷を活かし、逃げに徹するならばそう難しい事では無いだろう。全てのサーヴァントを少しずつ削り、必勝を期するまでに削り取れたならば刈り取る。それがこれからの我々の方針だ」
「なっ、何を仰られるのですか、ケイネス殿! そ、その様な――――」
「姑息な、そう言うつもりか? ランサー!!」

 ケイネスの怒号にランサーは喉下まで迫っていた言葉を飲み込んだ。

「誰のせいでこのような姑息な手段に訴えなければならなくなったと思っているのだ!? 私がその様な手段を嬉々として取るとでも思っているのか!?」

 ケイネスの言葉にランサーは沈痛な面持ちで俯いた。
 ランサーとて分かっているのだ。ケイネスはプライドの高い男だ。そんな彼がこのようなせせこましい手段を提案せざる得ないのはひとえに己の不甲斐なさ故なのだと。

「もはや、手段を選んでいる場合ではない。令呪を二つ既に消費しているばかりか、貴様が三騎士どころかライダーやキャスターにまで遅れを取るような出来そこないのサーヴァントである以上、策を弄さずに勝ち抜く事など出来ぬ!! 遠坂の陣営にはサーヴァントが三体。ウェイバー・ベルベットにはあのライダーが付いておる。未だ見ぬバーサーカーとて油断出来るクラスでは無く、アインツベルンめもホムンクルスを使い策を弄している以上、こちらももたもたしては居れぬ。反論は許さぬぞ!!」
「……過ぎた事を言い申し訳御座いませんでした」

 ケイネスは舌を打つと立ち上がった。

「私は解剖部屋に戻る。人形の解剖も粗方済ませたが、まだ色々と検分したい部分がある」

 ケイネスがそう言い残し部屋を出た後、ランサーはソラウに尋ねた。

「人形とは?」
「ケイネスがアインツベルンのホムンクルスを捕らえたのよ。ライダーのマスターとの戦いに横槍を入れられて、追跡して捕らえたらしいわ」

 ソラウの言葉にランサーは拳を固く握り締めた。主が戦果を上げられたというのに己はただ失態を重ねるばかり。
 これでは役立たず呼ばわりされて当然だ。ランサーは不甲斐ない己に只管怒りを募らせた……。

――――臭い。

 酷い臭いがする。
 金気の多い、血の臭いが充満している。

「ぁ、ぁ、ぁ、ぁ、ぁ、ぁ」

 蟲が大人しくなり、僅かに意識を取り戻すと、あまりの悪臭に息を吸う度に酷い吐き気を催し、うっかり咳き込むと堰と一緒に胃の中身を吐き出してしまう。白い液体と赤い肉が混じり合った吐瀉物が床にばら撒かれ、直ぐに消える。
 自分の吐瀉物を貪る蟲共に対する感傷も最早無い。ただ、口の中がごわごわとして、気持ちが悪い。

「食事だ」

 誰かが来た。誰だろう、昔は名前を知っていた気がするけれど、思い出す事が出来ない。ただ、この人が来たら食事の時間なのだという事だけは脳裏の片隅に刻まれていた。
 体中に纏わりついていた蟲が離れて行き、白い粘着性のある液体を流し込まれるままに飲み込み、ぷよぷよとした肉片を口の中に含ませられるままに咀嚼する。
 苦味が強く、初めはこれがとても嫌いだった気がする。今はもう慣れてしまったけれど、この味は何の味だっただろう。
 お腹がいっぱいになる事は無い。常に空腹感を感じているから、口の中にどれだけお肉を詰め込まれても大丈夫。
 頭痛が酷い。この臭いのせいだ。腐臭と血の臭いが混じり合った臭いが吐き気と頭痛の原因だ。
 折角食べたのにまた口から白い液体と赤い肉が飛び出してしまった。
 ガツンと殴られた。液体と肉を吐いてしまった事を責めているらしい。床に引き倒された。顔をしたたか地面に打ち付けてしまった。痛くて顔を歪めると、吐いた肉を口の中に入れられた。咀嚼出来ないで居るとまた殴られた。痛いのは嫌だから必死にぐちゃぐちゃになった肉を咀嚼して飲み込む。
 肉を全て飲み込んだら、今度は吐いた液体が散らばる床に顔を押し付けられた。舐めなければいけないらしい。さっきまで吐瀉物を片付けてくれていた蟲達は遠巻きに蠢いている。この人が命じているのだろう。
 床が綺麗になると、また、全身に蟲が纏わりついた。頭がぷっくりと膨らんだ男性の陰茎を彷彿とさせる形状の芋虫は体の隅々に触手を伸ばし、毒を与えてくる。
 快楽という抗いようの無い毒を――――。
 股間の陰裂は既に蟲が入り易いように湿り気を帯びていて、あっさりと蟲の侵入を許してしまう。膣に数匹の蟲が入り込み、尿道にも小さな蟲が入り込んだ。
 肛門にも尻にぬるっとした感触が走ると同時に入り込んできた。また、止め処なく快楽の波に襲われ、数回目のオーガニズムと共に意識を手放した。

 湿った密室に風が吹き込んだ。少女の吐息と蟲の這い回る音の他にコツコツという杖を突く音が混じり、蟲に嬲られ意識を失った少女の姿に興奮し、はち切れんばかりに膨れ上がった己の陰茎を慰めようと下半身を露出した男は体を強張らせ、恐々とした表情で不意に開かれた扉に視線を向けた。

「桜の具合はどうだ?」

 暗い密室に老人の低い声が不気味に響いた。
 少女の健康状態を心配しているわけではない。
 少女の調教具合について老人は尋ねているのだと男は理解している。

「まだ、戦闘には耐えられないかと……」

 男は老人に報告した。
 老人に少女の調整の方針転換について聞かされてから数日が経過したが、完成には程遠いその事が老人の反感を買ってしまったのではないか、そう考えると、男は震えを止める事が出来ず、同時に憎しみを募らせた。
 老人に対してではない。この様な悪臭に満ちた場所までわざわざ降りてきて調整をしてやっているというのに老人の機嫌を損ねかねない不出来な少女に対し、男は憎しみを募らせていた。

「明日から桜に蟲の使い方を教える。それまでにある程度で良い。動けるように仕上げておけ」

 そう言うと、老人は姿を眩ませた。後に残された男は蟲に包まれた少女に更なる責め苦を与えた。
 仕上げるためだけではなく、己が鬱憤を晴らす為に快楽では無く苦痛を与える。口元に愉悦を称える男による拷問によって地下の霊廟は少女の悲痛な叫びがこだまし続けた――――。

 酷い吐き気に襲われた。
 己がサーヴァントと共有していた視覚を無理矢理断ち切ったせいで視覚がストロボを焚かれたかのように白濁としている。
 横たわっていた体は汗に塗れ、少しでも呼吸をしようものならば途端に喉元まで胃の中身が逆流してくる。
 部屋を飛び出し、洗面所に駆け込むと堪らず洗面台に胸に渦まく物を吐き出した。

「く、ぁ――――」

 俯いたままの状態で肩を上下させる。

「殺した……。人を――――ッ!」

 呆然と呟く。
 実際に手を下したのはセイバーだが、命じたのは己だ。非力な少女を守ろうと必死になって震えていた少年を背中から刺し殺した。そのあまりの嫌悪感と罪悪感に正気ではいられなかった。
 映像は瞼に焼き付いてしまった。今でも少年の最後の姿が思い浮かぶ。ライダーのマスターは酷く困惑した様子で己――少女に化けたセイバー――を見返していた。

「殺して、しまった――――」

 なんと、愚かな男だろう。己が願いの為、他者を蹴落としていく。そんな事、初めに理解していた筈なのに、覚悟していた筈なのに、人の死を直視し押し潰されそうになっている。
 ライダーの慟哭が耳に残っている。己が主を殺された事に対する怒りと憎しみの想念が心に直接叩き込まれたかのようだ。

「く、か――――ぅく、ぁぁ――――」

 吐き気は止め処なく襲ってくる。
 胃の中が空になっても収まる気配は無い。
 洗面台が胃液と血に染められるのを見つめながら雁夜は己の仕出かした罪を頭に刻み込んだ。

――――忘れてはいけない。
――――お前は人を殺したのだ。
――――これで本当に後戻りは出来なくなった。
――――殺した人の命を無駄にしてはいけない。
――――歩みを決して止めてはいけない。

 そう、強迫観念に突き動かされるように雁夜は顔を上げた。

「何が何でも桜ちゃんを助けなきゃ……」

 その先が行き止まりであると分かっていて尚、雁夜には既に戻る道など残されてはいなかった。

第二十一話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した為に……中盤戦へと至る聖杯戦争

 雑木林を抜けると、背後で大気を振るわせる雷鳴が轟いた。

「な、なんだ!?」

 咄嗟の事に身を強張らせ、振り返ると、先程出会ったばかりの少女が慌てた様子で両手を後ろに回し、直後、まるでガトリングガンを耳元で連射した様な暴力的な音が降り注いだ。
 ビリビリと体に衝撃が走ると同時に突然視界が真っ白になった。音は更に大きくなり、もはや音というよりも衝撃となってウェイバーと少女を襲った。そして、直後に巨大な地響きがなったかと思うと地面に亀裂が走り、ウェイバーは足を取られ転びそうになった。
 咄嗟に少女が支えようとするがバランスを崩し、結局二人揃って地面に倒れこんでしまった。唐突に音が止み、光が消え去った。顔を上げると、そこには見知った顔があった。

「おお、坊主!! 無事であったか!!」
「ラ、ライダー!?」

 視線の先には見覚えのあるチャリオットとそれを牽く神牛の姿があった。

「話は後だ。乗れ。そっちの小娘も連れて来い。急いでこの場を離脱するぞ」
「あ、ああ!」
「え、ちょっ、痛ッ!?」

 ウェイバーはハッとした様子で頷くと少女の手を引っ張ってライダーの宝具、神威の車輪――――ゴルディアスホイールに乗り込んだ。
 少女は戸惑った様子を見せるがウェイバーに構っている余裕は無かった。ライダーが手綱を握ると神威の車輪を牽く神牛、飛蹄雷牛――――ゴッドブルは唸り声を上げ駆け出した。

「逃がすと思うか、ライダー!!」

 飛蹄雷牛の蹄が打ち鳴らす雷鳴の音の中でその怒号は寒気がする程によく響いた。

「しつこい奴だな」
「お、お前、倒したんじゃないのかよ!?」

 ウェイバーが慌てふためきながら叫ぶと同時にガクンと衝撃が走った。
 神威の車輪が高台から飛び出し、舗装された壁沿いを駆ける。
 その背後にランサーが赤と黄の槍を構え迫って来る。

「って、何で空飛ばないんだよ!?」

 ウェイバー達を乗せた神威の車輪は深山町を西へ抜ける国道線に乗り、飛蹄雷牛は蹄でコンクリートを踏み砕きながらチャリオットを牽き駆け抜ける。

「さっきランサーの奴に飛蹄雷牛が一撃をもらってな。幸い黄色い方では無かったが、飛翔するにはもうしばし回復に時間が掛かるのだ」

 言いながらライダーは背後を見やる。

「しかし、敏捷A+は伊達ではないな。まずは見事と称えておこう!!」

 嘯きながら、ライダーは持ち前の獰猛な笑みを隠そうともせずに言った。

「だが、生憎此方のコレは戦車であってな。余の後塵を拝すると申すならば決死を覚悟せよ!!」

 御者台は防護力場によって風圧などから護られている為にあまり実感は湧かないが、神威の車輪は既に冬木の市街の光を背に今だ開発の及んでいない山林エリアへと入っていた。その背後を尚もしつこくランサーのサーヴァントは追い続ける。
 時折、ランサーが赤と黄の槍を振るってはライダーが手綱を巧みに操りランサーの攻撃を回避する。尋常ならざるその手際はさすがは騎乗兵のサーヴァントと言ったところか――――。

「アアアアララララライッ!!」

 ライダーは神威の車輪を真横に滑らせた。
 何をするつもりなのかと思えば、神威の車輪の両側面に固定されている禍々しい造形の大鎌でもって、道路の両脇に鬱蒼と茂る原生林の木々を切り倒した。いまや時速に換算し時速400kmに達する速度で疾走するランサーは神威の車輪の暴虐に寄って粉塵と化した樹木の散弾を浴びせかけられた。
 いかに英霊であろうともただではすまない――――そう、ウェイバーは思った。だが、現実はウェイバーの予測をアッサリと裏切った。
 ランサーのサーヴァントは樹木の散弾の嵐の中を掻い潜り、尚も速度を上げ神威の車輪へと差し迫った。

「お、おいライダー!! 来てるぞ!! まだ、飛べないのか!?」
「大方回復したが、今の段で飛翔しようとすればランサーの奴に隙を曝す事になるわ!!」

 ライダーは言いながら手綱を操り今度は道路の反対側へとチャリオットを滑らせた。いつしか風景が変わり、真横に見えるのは原生林では無くコンクリートで塗り固められた壁面であった。どうやら、冬木を遥かに離れ、別の街へと到達し掛けているらしい。
 神威の車輪の大鎌は樹木よりも遥かに強度の高いコンクリートの壁面を軽々と粉砕し、コンクリート製の散弾へと変貌させた。只人ならば当れば即死は免れぬ時速400kmオーバーのコンクリートの散弾。されど、ランサーは臆する事無くその豪雨の中を突き進む。
 その様はウェイバーを見惚れさせるほどに勇ましかった。

「これは……まずいな」

 大鎌でコンクリートや樹木を粉砕した事によって、神威の車輪の加速度は伸び悩んでいた。その間にもランサーは人智を遥かに超越した速度で迫る。
 そして、ついにランサーは神威の車輪の御者台へと到達した。

「オオオオオオオオオオオオオォォォォォォオオオオオオオ!!!」

 一気呵成にランサーは破魔の紅薔薇を振るった。防護力場によって護られている筈の御者台は何の抵抗も見せる事無くランサーの槍の一撃を受け大きく破損した。
 ウェイバーは慌てて隣に座る少女を抱き抱えながらライダーにしがみ付いた。少女は気を失っているらしく何も反応が無かったが構っている余裕は無い。

「坊主!! 男ならば護ると決めた女を死ぬまで離すでないぞ!!」
「わ、分かってる!!」

 ライダーはウェイバーと少女を片腕で抱き抱えるように支えながら叫び、ウェイバーは無我夢中で叫び返した。
 隣町が視界に映ると同時にライダーは手綱を操り更なる加速を飛蹄雷牛に課した。
 御者台は大きく破損したとは言え車輪は未だ健在だが、次の攻撃に耐えられる保証は無い。

「ライダー、固有結界は駄目なのか!?」
「無理だな。ランサーには一度見られている。展開の隙を見過ごす筈が無い」

 ライダーの言葉にウェイバーは己の愚かさを罵った。ライダーの固有結界はまさに切り札だったのだ。それを序盤も序盤に開帳してしまった。
 己がライダーを信じず、恐怖に駆られ、後先を考えずに令呪を使ってしまったが故に。

「ごめん……」
「謝るな。例えどのような結果になろうと、己の決断を後悔してはいかん。それよりも、己の決断を無駄にせずに次に繋げる努力を致せ」

 ライダーの言葉にウェイバーは弱々しく頷いた。

「案ずるな。準備は整った!!」

 ライダーは獰猛な笑みを浮かべると後方に迫るランサーに向かって叫んだ。

「ではな、ランサー!!」
「逃がすものか!!」
「往くぞ、ゼウスの仔らよ、神威の車輪を牽きいて我が覇道を突き進め!! 遥かなる蹂躪制覇――――ヴィア・エクスプグナティオッ!!!」

 瞬間、莫大な魔力が神威の車輪を包み込んだ。直後、ウェイバーは強烈なGによって、強制的に意識を飛ばされた。
 高度三千メートルまで上昇し、ライダーは神威の車輪を滞空させながら舌を打った。

「ランサーめ……」

 遥かなる蹂躪制覇の発動の瞬間、ランサーは破魔の紅薔薇を投擲していた。破魔の紅薔薇は莫大な魔力の中を一直線に突き進み、神威の車輪を牽く二頭の飛蹄雷牛の内の一頭の心臓を貫いた。
 心臓を貫かれた飛蹄雷牛はライダーを上空へと逃がした直後、その存在を灰燼に帰した。今は一頭の飛蹄雷牛のみでチャリオットを率いている状態だ。もはや、常の超高速移動は望めない。

「すまぬな」

 相方を失い、瞳を潤ませる残った方の神牛にライダーは労わりと謝罪の旨を告げ、マッケンジー邸へとチャリオットを進ませた。

「チャリオットの修復にも些か時間が掛かるか……」

 戦果は無く、損害ばかりを被ってしまったが、ライダーの顔に憂いは無かった。
 隣に座るウェイバーに目を向けると、彼は気を失いながらも少女を手放さずに抱き抱えていた。

「少しは男を上げおったか」

 カラカラと笑いながらライダーは帰還の途についた。

 ウェイバーが目を覚ましたのは丁度神威の車輪がマッケンジー邸にほど近い広場に降り立った時だった。
 頭をトンカチで殴られたような鈍い痛みとケイネスにやられた傷の痛みにウェイバーは顔を歪めた。

「ここは……、逃げ切れたのか?」
「ああ、何とかな。それより坊主、怪我の具合はどうだ?」
「大した事無い。それより、こいつ、どうしよう……」

 ウェイバーの視線の先で少女は気持ち良さそうに眠っている。
 聖杯戦争を目撃してしまった以上、そのまま帰すわけにはいかない。
 暗示を掛けて今夜の事を忘れさせるにしても、ウェイバーの力量ではちょっとした拍子に思い出してしまうかもしれないし、忘れたままであってもケイネスが口封じに動く可能性を否定出来ない。

「教会に保護を求めるしかないか……」
「それが打倒だろうな。だが、今宵は動かぬ方が良いだろう。他のマスター共も動き出しているようだしな」
「ああ、とりあえず明日の朝になったら教会にこいつを連れて行こう。教会に借りを作るのはあんまり乗り気がしないけど、見捨てるわけにもいかないしな。おい、起きろよ」

 ウェイバーは少女を起こしながら生きているのだと改めて実感した。ランサーが現れ、あのケイネスと一対一で戦い、結果生き残れたのだ。色々な要因が重なった結果とはいえ、生き残れたという事実に思わず笑みが零れた。
 神威の車輪を異空間に戻しているライダーを見つめながらウェイバーは思う。やっぱり、この大男を召喚して正解だったのだと。あの背中を見て、自分の弱さを見つめ直し、今日、その弱さをほんの一歩程度は克服出来たと思う。

――――話をしよう。

 彼が聖杯に何を願い、この戦争に参加したのかを。それだけじゃない、聞きたい事は山ほどある。生前はどんな戦いを経験したのか、どんな事を思い生活していたのか。

――――僕はお前に認めてもらえる立派なマスターになってみせる。

 ウェイバーは心中で固く決意を固めた。
 そして、

「ギ――――――――」

 ウェイバーは口から夥しい量の血を撒き散らした。

「な、んで?」

 最後にウェイバーの目に映ったのは自分の胸元から生える血に濡れた剣先だった――――。

――――数時間前。

 雁夜が目を覚ました後、街中を探索していたセイバーはサーヴァント同士の交戦を確認した。人払いの結界が張られていたが、サーヴァントの侵入を阻む程の強度は無く、アッサリと侵入する事が出来た。気配を遮断し、ライダーとランサーの戦いを観察していると、マスター同士も戦闘を開始した。
 尤も、それは戦闘などと呼ぶのもおこがましい一方的なものだった。だが、それが功を奏したのか、圧倒的な強者であるランサーのマスターは弱者たるライダーのマスターを一思いに殺す事無く嬲り続けた。それがどれほど愚かしい事かも理解せずにだ。
 ランサーとライダーの戦いは拮抗している。だが、ライダーにはランサーと戦い、逃走するに至る切り札がある筈である。でなければ、ここに再びライダーとランサーの戦端の火蓋が切られる筈が無いのだから。そうそうにライダーのマスターを始末しなければライダーは再びマスターを引き攣れ逃亡を図る可能性は十二分にある。そうなれば再び聖杯戦争は停滞してしまうだろう。
 それでは困る。主の命は刻一刻と削られているのだ。願わくば一刻も早く終結してもらわなければならないのだ。見たところ、ランサーのマスターは戦闘者として未熟であり、ライダーのマスターはそもそも魔術師として未熟。どちらも消すのは容易いだろう。だが生憎、ランサーのマスターには実体が無い。辺りは暗いがよく見れば彼が歩いた所にある草花に踏まれた様子は無く、彼が幻影であると教えてくれている。このままではライダーは離脱してしまう。ならば、とセイバーはマスターに許可を貰い一計を案じた。
 己が栄光のためでなく――――フォー・サムワンズ・グロウリー。セイバーの宝具の一つであるそれはセイバーの姿を白銀の鎧の騎士からここに来るまでに擦れ違った少女の姿に変えた。ステータスを隠蔽し、サーヴァントである事を秘し、少女の思考回路をトレースする。
 手近な木の枝を折り、少女が愛用している竹刀に偽装し、非力な少女を装いながらライダーのマスターをランサーの目の届かない場所へ誘導した。結果的にはどういう意図かは図れなかったが、アーチャーの横槍によって目的を達成する事が出来た。
 始末する前にライダーが追って来て宝具に乗せられたのは想定外だったが、最終的にライダーのマスターを手段を他の陣営に知られぬように殺すという目的を達成する事が出来た。暗殺者紛いのやり方に不快感はあるが、手段を選べる程に恵まれた立場では無い。目の前には咄嗟に腰の剣を引き抜き迫るライダーの姿があるが、セイバーは少女の姿のまま雑木林の中へと駆け込んだ。
 劣化している現在の敏捷はCだが、敏捷Dのライダーよりは速度で増さる。宝具たるチャリオットを再び喚び出し、騎乗し、駆け出すまでのアクションの間にセイバーは雑木林を抜け、霊体化し、手近な民家に侵入すると、再び己が栄光のためでなくを発動した。既に侵入した一家は眠りに落ちていた。
 窓辺に近寄ると、ライダーが宝具で上空を疾走する様子が見えた。正々堂々と刃を交えずにこのような結末に至ったとなれば、その胸中の憤りは察して余りある。深い罪悪感を感じながらセイバーはライダーがセイバーの捜索を諦め、マスターの遺体の場所に戻るのをジッと待ち続けた――――。

 ライダーは深い憤りと羞恥に顔を歪めながら神威の車輪をマッケンジー邸近くの広場に再び着陸させた。己の現界していられる時間はそう残されてはいない。
 マスターが死亡した状態で無理に宝具を解放した為に残存していた魔力が瞬く間に底をついてしまったのだ。ウェイバーを貫いた剣は紛れも無くセイバーのもの。恐らくは擬態する類のスキルか宝具だったのだろうが、よもやセイバーがあのような手段を取るとは思いもしなかった。
 否、もはや見苦しい言い訳など意味は無い。常に警戒を怠ってはならなかったのだ。己の失態が原因でウェイバーを死なせ、件の下手人を捕らえる事も出来なかった。故、ならばせめてと、守ってやる事の出来なかったマスターを埋葬しようと戻って来たのだ。

「すまんな、坊主。仇を取る事は――――ッ!?」

 神威の車輪を消し、ウェイバーの遺体の場所に歩を進めたライダーの目に驚愕の色が浮かんだ。
 先ほどまでそこに横たわっていた筈のウェイバーの遺体が姿を消していたのだ。

「坊主……?」

 訝しむライダーの声が夜の雑木林にこだました……。

第二十話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した為に悩みを抱える彼らの話

 遠坂邸の二階に用意された自室で言峰綺礼は衛宮切嗣の資料を読んでいた。

「お前は……、私とは違うのか」

 衛宮切嗣の資料に記された彼の苛烈としか言い様の無い人生の還歴。己が利を度外視した修験者の如き彼の在り方を綺礼は己と重ねていた。故に、アインツベルンとの邂逅と共にピタリと止まった彼の歩み。それは彼が答えを見つけたからに他ならないのではないか? そう考えていた。
 まるで恋焦がれる乙女の様に綺礼はあの男を思っていた。

――――会いたい。

 彼の口から彼が何を思い、行動し、どんな答えを得たのか、それを知りたかった。未だ、答えを出せぬ己に道を指し示して欲しかった。理想を持てず、迷う苦しさから己を解き放って欲しかった。
 言峰綺礼という男には生まれながらに目的意識というものが精神から抜け落ちていた。どのような理想も崇高とは思えず、どのような快楽も、どのような娯楽も安息を齎す事は無かった。世間一般から乖離した己の価値観に悩み、嘆き、綺礼はこれまでずっとその理由を模索し続けた。漸く掴み掛けた答えに至る道筋は再び綺礼の前から霞の如く消え去った。
 二日前の作戦会議での凜の言葉が甦る。例え多くの人間には理解されずとも、衛宮切嗣によって救われた者の中には必ず理解者が居た筈だと凜は言った。あの男の行動理念が正義の味方であるなら、確かにその通りだと綺礼も思った。だが、己は違う。
 父も愛した女も己を理解してくれた事など無い。そもそも、己自身が己を理解出来ていないのだから、他者に理解出来る筈が無い。そんな人間としての欠陥品を理解出来る者など……居る筈が無い。

「また、私は……」

 苦悩に苛まされ、眉間に皺を寄せる綺礼の耳に不意に物音が響いた。

「戻ったか」

 綺礼は大きく息を吸い、表情を取り繕いながら振り向いた。
 振り向いた先には赤と白の帯を両腕に巻いた暗殺者が立っていた。
 白い仮面には表情は無く、目の前に居るというのに、その気配はあまりにも儚い。

「それで、キャスターの陣地は掴めたか?」

 綺礼はあまり期待した様子も見せずに問うた。
 案の定、アサシンは首を振り謝罪した。

「申し訳ありませぬ。キャスターめは人混みに紛れ姿を消しました。魔力や気配も完全に人混みに溶け込ませ、追跡する事が出来ませんでした」
「……間諜の英霊たるアサシンの追跡を撒くとはな。さすがはキャスターと言ったところか」
「面目次第も御座いませぬ」
「報告御苦労。引き続き、市内の情報収集に当れ」
「御意」

 頷きながら、退出しようとするアサシンを言峰は「待て」と呼び止めた。

「アサシン。貴様は聖杯に何を願う?」

 綺礼の問いにアサシンは「何も」と応えた。
 それは二日前の作戦会議の時と同じ答えだった。

「私は聖杯に願う望みを持ち合わせてはおりませぬ」
「……サーヴァントは触媒となる聖遺物が無い場合、召喚者の気質と似通った英霊がランダムに召喚される。私は召喚の際、クラスをアサシンに固定したが、英霊召喚用の触媒は用意しなかった。故に、召喚されたお前は私と似通った性質を持つ筈だ」

 綺礼は落胆した様子で言った。

「だから、お前が聖杯を欲する程に願う望みが何であるかを知れば、私自身が何を望んでいるのか、私自身が気付かぬ心の奥底にがる願望の正体が掴めるのではないか、そう思ったのだがな……」
「綺礼殿……。貴殿は……」
「アサシン。私はな、自分というものが何者なのかが分からんのだ」

 己を嘲る様に笑いながら綺礼は言う。

「私と言う男がな、アサシン。愛する妻が死んだ時に何を考えたと思う?」

 戸惑った様子のアサシンに構わず、綺礼は言葉を続けた。
 自分が何を言おうとしているのかも分からず、自然と言葉が零れ落ちた。

「この手で何をしたいと……願ったと思う?」
「マスター」

 アサシンの呼び声に綺礼はハッとした顔をした。

「私は嘘を吐いた」
「……なに?」
「私は聖杯に願う望みは無いと言ったが、あれは正確では無い」
「では、望みがあるというのか?」

 綺礼はアサシンに詰め寄り、その両肩を掴んだ。
 鬼気迫る表情を浮かべる綺礼にアサシンは首を振った。

「私も分からないのです」
「……なんだと?」

 アサシンの言葉に拍子抜けしたように綺礼はアサシンの肩から手を離した。

「少し、昔の話を致しましょうか……。二日前は適当に暈しましたが、マスターである貴殿には話しておくべきでしょうな。私という存在を」

 そう前置きをして、アサシンは語った。
 全てを無くし、己を探求し続けた一人の狂信者の物語を――――。

 アサシンのサーヴァントは他のクラスと大きく異なる点がある。それはアサシンのクラスとして召喚される英雄が必ずハサン・サッバーハであるという点だ。尤も、ハサン・サッバーハという英霊の名は正確には個人を示す名では無い。
 イスラム教の伝承に残る暗殺教団の教主達、それが、山の老翁――――ハサン・サッバーハだ。代々の教団の教主達がこの名を継承してきた。
 アサシンたるハサン・サッバーハもまた、そうした山の老翁の一人だった。
 幼少の頃の記憶は無い。気がつけば、アサシンは全てを失っていた。

――――薬と洗脳によって己の過去を消し去られた。
――――耳を削がれ、鼻を削がれ、瞼を剥がされ、唇を焼かれ、骨を砕かれ、顔を失った。
――――男であったならばある筈の性別の象徴も切り取られた。

 尤も、男であったのか、女であったのかも分からなかったが――――。
 叶えるべき願いも尊ぶべき理想も持たず、ただ只管に人を殺す。それがハサン・サッバーハとなった暗殺者の日常だった。殺人のための技巧を磨き、己の肉体を極限に至るまで研磨した。逃げる者をどこまでも追い詰め、反撃する者の手足を捥ぎ、懇願する者の喉笛を切り裂き、只管殺す。
 そこに感情の入り込む余地など無く、そこにあるのはただ殺しという行為を実行する絡繰のみ。だが、いつしか絡繰にも疑問が湧いた。

『私は何だ?』

 それが死を運ぶ亡霊の如き暗殺者の抱いた生涯唯一の疑問だった。探求の果てにあったのは信仰であった。
 答えを見出したわけではない。他に無かったのだ。ただ、信ずる対象を求め、その為に殺した。
 一切の情けも掛けず、一切の殺意も持たず、ただ、機械的に人を殺した。己の居場所を、存在意義を信仰に求めた。だが、所詮は己の悲嘆を慰める為の代替物に過ぎない。
 紛いものに縋り続けた暗殺者はやがて精神を病み、やがて…………。

「恐らく、貴殿と私は似ているのでしょうな。己が存在意義が見えず、代替物に縋り、己を慰める様は生前の私そのものだ」
「……なるほど、確かにその通りだ」
「疑問を常に抱き続けるが宜しいかと。そうでなければ、紛い物に縋り続けた果てにあるのは破滅だけでございます」
「……ああ、そうだな。お前のようになっては仕舞いだ」
「ええ、その通り。我が生前は貴殿が歩みし時の果ての一つの終着点であると考えるが宜しいかと」
「心得ておこう」
「では、私はこれにて――――」

 アサシンは今度こそ姿を消した。空っぽの部屋の中で唯一人、綺礼は溜息を零した。結局、探求の道は今また再びその道筋を閉ざした。だが、少しだけ心が晴れた気がした。
 理解者は居ない。意義は見つからない。けれど、少なくとも今ここには、同じ悩みを共有出来る者が居る。

「疑問を抱き続ける……か」

 綺礼は呟きながら窓の外に視線を移した。

 同時刻、綺礼の部屋からわずかばかり離れた場所にある凜の居室にて、部屋の主である凜は自分のベッドに座りながら己がサーヴァントを出迎えていた。

「お疲れ様」

 凜が労いの言葉を掛けると、アーチャーは肩を竦めた。

「私は結局情報収集のみだったがね。それで、修行の方はどうだったんだ?」

 アーチャーの問いに凜は「あんまり」と応えた。

「まあ、そう気を落とすな。時間はまだあるのだからな」
「でも、急いで強くならなきゃいけないのに……」

 シュンとする凜にアーチャーは頬を掻きながら言った。

「焦るな、と言っても無駄か」
「アーチャーは私の未来を知ってるんでしょう?」
「ん? まあな」
「じゃあ、私がどうすれば強くなれるかとか分からないの?」

 凜の言葉にアーチャーは申し訳なさそうに首を振った。

「何しろ、私は未熟だったものでね。それに、凜は出会った時にはもう類稀な才覚を十全に発揮していたんだ」
「本当に……私はアーチャーの知ってる遠坂凜になれるのかな……」
「どうしたんだ? 凜らしくもない」

 気落ちした様子で呟く凜にアーチャーは凜の隣に腰掛け優しく語り掛けた。
 ところが、凜は唇を尖らせ、不機嫌そうな表情を浮かべた。

「私は元々こうだもん」
「凜?」
「凜らしくないって言われても……、私はこうだもん」

 修行が上手くいかなかったからなのか、どこか情緒が不安定になっているらしい。
 凜は泣きそうな声で言った。

「どうして?」

 凜はアーチャーの顔を見上げながら尋ねた。

「どうして、アーチャーの話す遠坂凛と私は違うの?」
「違うって……?」

 凜の言葉に眉を寄せるアーチャーに凜は癇癪を起こした。

「だって、アーチャー言ってたじゃない! 遠坂凜は凄かったって! 誰よりも卓越した魔術師だって!」
「あ、ああ……」

 ベッドから立ち上がり、涙を流しながら叫ぶ凜にアーチャーは戸惑った。

「上手くいかないの……」
「凜……」
「私は遠坂凛なのに、上手く出来ないの!!」

 凜の叫びにアーチャーは己の失態に気が付いた。

「宝石に魔力を流してもいつも失敗しちゃう……。アーチャーに偉そうな事を言ったのに、強化の魔術にだって失敗しちゃうのよ!?」

 凜は、この幼い少女は遠坂凛であって、アーチャーの知る遠坂凛では無い。アーチャーの知る遠坂凛とは、この幼い少女が辿る一つの未来に過ぎないのだ。
 父を失った遠坂凛が只管に己を磨き続けた姿。それこそがアーチャーの知る唯一無二だった遠坂凛だった。
 二日前の作戦会議の時、アーチャーは己の魔術の師が凜である事を明かした。魔術師として華々しく活躍する凜の事を語った。アーチャーにとって、凜と過ごした日々は嘗て召喚し、共に戦場を駆け抜けた少女との日々と同等か、それ以上に輝いていたが故に磨耗した記憶の中でも色濃く残り続けていたからだ。
 だが、幼い凜にとって、そんな未来の自分の姿は幻のようなもの。今の己にはあまりにも遠い理想の姿。アーチャーが幼い頃に夢見た義父の背中の様に遠く大きな手の届かない存在。
 だが、そこに理想が存在する。理想と己の現実の狭間に否応にも溝があり、それを埋めようともがく……、それは、アーチャーが生前に経験した修羅の道だった。

「どうして、出来ないの? 未来の私には出来るのに、私にはどうして!?」

 焦りと苛立ち。幼い凜の今感じている思いは嘗ての己が抱いた感情だった。
 救っても救っても、手から零れ落ちていく救われなかった人々。全てを救いたいと願いながら少数を犠牲にするという矛盾。
 そうじゃない。出来る筈なのだ。そう、憧れた理想を追い求めるあまりに自分を追い詰めていく。

「凜」

 アーチャーはそっと凜の頭を撫でた。

「子ども扱いしないで!!」

 凜はアーチャーの手を振り払おうとするが、アーチャーは知った事かと言わんばかりに頭を撫で続けた。

「凜。私の知っている凜だって、幼い頃は未熟だったんだぞ?」

 凜は体を震わせた。
 分かっているのだろう。
 分かっているが、己と完成された己を比べてしまうのだろう。

「凜は私の若い頃にそっくりだな」
「……アーチャーの若い頃?」
「ああ、私もいつもこうじゃないのにな、もっと上手く出来る筈なのにな、そんな事を考え続けていたよ」

 過去の己を抹消する。
 そんな愚かしい望みを抱く己の言えた事では無い。
 そう思いながらもアーチャーは言った。

「だけどな。諦めずに歩み続けるんだ」

 結局、己は理想に成れなかった癖に、何を言っているのだろうな。
 そう自嘲しながら、アーチャーは諭すように語る。

「歩みを止めなければ、いつかはきっと……」

――――ああ、オレは一体何を言っているんだろうな。

「きっと、理想に辿り着ける」

 自分は理想に絶望した癖に、何を言っているのだろう。

「だから、泣く必要なんかない。今、凜が歩んでいる一歩一歩は……」

 自分を殺して、全て無かった事にしようとしている己が何を言っているのだろう。

「きっと、無駄なんかじゃない。ああ、でも、勘違いはするな。君は今抱いている思いだって、歩みの一歩なんだ。だから……」

 凜はいつしか泣き止んでいた。慰める事が出来たのだろうか?
 アーチャーは微笑みながら言った。

「その思いだって、間違いなんかじゃないんだからな」
「アーチャー」
「ん?」
「……泣かないで」
「……え?」

 凜の言葉にアーチャーは戸惑った。何を言っているのか一瞬分からなかった。
 ただ、凜が小さな手をアーチャーに伸ばすのを目を丸くしながら見つめた。

「アーチャー……、泣きそうだった」
「何を……」

 何を言っているんだ? そう、問おうとするが、凜が小さな手で必死に己の頭を撫で、慰めようとしているのを見ると、何も言えなくなった。
 何をどう勘違いしたのかは分からないが、端から見たらなんとも微笑ましい光景に映るのではないかと思った。
 思わずククッと笑ってしまったアーチャーに凜は剥れた。

「な、何よ! 人が折角慰めてあげようとしてるのに!」
「ああいや、すまないな。十分慰められたよ。ありがとう、凜」

 素直に感謝の言葉を告げると凜は驚いた様に目を丸くし、顔を赤くしながらもじもじと「別に」と言った。

「焦るな、とは言わないが、自分を駄目だとは言わない事だ」
「諦めなきゃ、いつかは辿り着く……でしょ? わかったってば」
「それはなによりだ」

 皮肉気に口元を歪めるアーチャーに凜は唇を尖らせるが、自然と頬が緩み、思わず笑ってしまった。
 アーチャーもそんな凜に釣られて笑い、互いに晴れやかな表情を浮かべた。

「ねえ、もっと聞かせてよ」
「なにをだ?」
「未来の私の話」
「構わないが……どういう風の吹き回しだ?」
「別に。ただ、理想は出来るだけハッキリさせた方がいいでしょ? 目指すにしてもさ」
「……ふむ。では、色々と語らせてもらおうかな。遠坂凛の武勇伝を――――」

 アーチャーは凜が眠くなるまで凜の武勇伝を語り続けた。
 大英雄ヘラクレスを相手にぶちかましたり、神代の魔女を相手に刹那とは言え魔術戦を繰り広げたり、ライバルである少女と格闘戦を繰り広げたりと、凜に纏わる話は不思議な程すらすらと喉元を飛び出した。
 夜も更け、凜はベッドの中でまどろみながらアーチャーに眠たそうに尋ねた。

「アーチャーは遠坂凛をどう思ってたの……?」

 その問いにアーチャーが応える前に凜は眠ってしまった。

「さてな。理想とする人は居た。憧れた人も居た。親友と呼べる者も居た。尊敬する人も居た。慕った人も居た。守りたいと思った人も居た。そうだな、愛おしいと思った人は……一人だけだったな」

 聞こえていないだろう凜にアーチャーはクツクツと笑いながら語りかけ、その姿を消した。
 その日、凜は夢を見た。一人の少年が生涯を懸けて夢を追う夢を――――。
 朝になれば忘れてしまう事になるが、その姿に凜は眠りながらこう呟いた。
 がんばって……、と。

第十九話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した為に目的を変えた男の話

 第四次聖杯戦争の終結。それが同時に衛宮士郎のはじまりだった。冬木の街は炎に包まれた。後に分かった事だが、あの火災は聖杯によって齎された災害だったらしい。大勢の人間が灰になっていく様を目に焼きつけながら衛宮士郎は衛宮切嗣によって救われ、生き残った。
 当時の記憶は殆ど残っていない。けれど、炎の中で死を待つだけの少年を救い出した時に切嗣の見せた笑顔だけは今尚鮮明に脳裏に浮かぶ。まるで、救われたのは己の方だとでも言うかのようにとても嬉しそうな笑顔だった。その笑顔があまりにも眩しく、少年はその笑顔に憧れた。

――――それからの数年間は割愛しよう。

 紆余曲折があって、切嗣の養子となった少年は五年後に切嗣が亡くなった後もそれなりに平凡な生活を送っていた。魔術師としての時間よりも少年は普通の人間としての時間を多く過ごした。その為、魔術の修業を始めてから十年経っても魔術師としては半人前のまま。
 凛に怒鳴りつけられるまで、魔術回路を毎回一から作り上げるなんて愚かな真似をしていた程だ。そんな未熟者が第五次聖杯戦争なんて畑違いも甚だしい魔術師同士の殺し合いの渦中に巻き込まれたのはまったくの偶然だった。
 正しい順番は思い出せない。記憶はあまりに遠く、朧になり、あの頃の心の在り方も今では手が届かない程に遠い。だが、あのたった十五日ほどの、或る聖杯を巡る、たった七人の魔術師による殺し合いは――――あの少女と出会ったあの夜は、紛れも無く、少年にとって運命の夜だった。

「昔の事は殆ど覚えていないが、凜の事はよく覚えている。この宝石はまだ聖杯戦争について何も知らなかった頃、聖杯戦争に巻き込まれ、死に瀕していた私の命を救う為に凜が使った物だ。これを私は生涯肌身離さず持ち続けていた」
「だから、凜はお前を召喚出来たというわけか……俄かには信じ難い話だな」

 時臣の言葉にアーチャーは気負った様子も無く「だろうな」と苦笑を洩らした。

「まあ、宝石だけで信じろとは言わないさ。精々、仮定の話として聞いてくれればいい」

 アーチャーは己の生前について語った。
 深く語るのではなく、ただ淡々と伝えるべき事のみを耳を傾ける凜、時臣、綺礼、アサシンの四人に伝える為に。

――――冬木の火災。
――――養父に救われた事。
――――十年後に起こった第五次聖杯戦争の覚えている限りのあらまし。
――――聖杯戦争終結後に凜と共にロンドンに渡った事。
――――凜の後見人の力を借り、聖杯を解体した事。

「まあ、その後も色々とあってね。世界と契約し、守護者となり、こうして凜のサーヴァントとして召喚されたというわけだ」

 アーチャーが語り終えると、凜は直ぐには口を開く事が出来なかった。時臣もまた、アーチャーの話の内容に戸惑いを隠せずに居た。
 その原因は何もアーチャーが未来の英霊であるからだけでは無い。アーチャーの話の中には遠坂の魔術師として看過出来ない内容が多分に含まれていた。

「正直な所、半信半疑だが、一つ聞きたい。聖杯が汚染されているというのは事実なのか?」

 最初に口火を切ったのは綺礼だった。

「ああ、と言っても、この世界ではどうか分からんがね」
「どういう意味だ?」
「第四次聖杯戦争については詳しくないが、それでも確実にセイバーはランスロットでは無かった筈だ。それに、凜が第四次聖杯戦争に参加したという話は聞いた事が無い。恐らく、平行世界という奴なのだろうな」
「つまり、聖杯が汚染されていない可能性もあるという事か?」

 時臣が問うた。

「分からんよ。円蔵山の地下にある大聖杯を調査すれば確証を持てるだろうが……」
「あまり、現実的な手段とは言えないな。円蔵山は天然の結界に護られている。自然霊以外の霊体が入り込もうとすれば手痛いしっぺ返しを喰らう事になるだろう。かと言って、我々だけで乗り込もうとすれば、他のマスター達の格好の標的となってしまう」

 時臣の言葉にアーチャーも同感だと頷いた。

「私もまだ半信半疑だが、宝石の件もある。万一にも聖杯が汚染されているとなれば遠坂の頭首としては……」
「前回の聖杯戦争の記録からすると、確かにアインツベルンがイレギュラークラスを召喚し、早々に敗退したのは事実です。それが、アーチャーの言うこの世全ての悪――――アンリ・マユであるかは判りませんが」

 綺礼はアーチャーの話途中で取りに言った第三次聖杯戦争の資料を手に言った。
 第三次聖杯戦争については言峰璃正が若かりし頃にしたためた記録があるのみだったが、その中には確かにアインツベルンがイレギュラークラスを召喚した旨が記されている。

「ここは、事実であると考えるのが得策か……」

 時臣が言うと、アーチャーはあっけらかんとした言い方で言った。

「まあ、そう気にする必要は無いだろう」
「何言ってんのよ。アンタの言葉通りだったら、下手したらアンタの生前みたいに冬木がッ!」

 軽い口調のアーチャーに凜は憤然たる面持ちで叫んだ。
 だが、アーチャーは「問題無い」と笑った。

「聖杯を手にするのが他の愚か者であるならば確かに問題だ。だが、聖杯を手にするのは凜だ。ならば、聖杯が汚染されているか否かを考える必要など無いだろう? 汚染されているならば破壊するだけ、正常ならば凜の望みを叶えるだけだ。ほら、問題など無いだろう?」

 アーチャーの言葉に凜はポカンと口を開けた。

「なるほど、確かに問題無いな」

 そう言ったのは綺礼だった。

「汚染されていようが、いまいが、凜が勝利すればいいだけの話。実に簡単な事だ」
「だろう?」

 ククッと笑い合うアーチャーと綺礼に凜はハッとなり慌てた様子で言った。

「勝利すればいいって、もし、負けちゃったらどうする気よ!?」

 凜の言葉にアーチャーは事も無げに言った。

「それは万が一にも無いな。勝利するのは我々だ」
「何で、そんな事が言えるのよ!」

 剥れた顔で尋ねる凜にアーチャーは言った。

「私が君を勝者にするからだ」
「……はい?」
「確かに未熟なマスターを持って、些かハンデが大きいが、サーヴァントには相応しいオーダーというものだ。任せておけ、私は確実に君に聖杯を届けるよ」

 少し間が空いて、ほんの僅かに別の言葉を期待していた凜の怒声が居間に響き渡った。
 時臣に宥められるのを苦笑しながら見つめるアーチャーにアサシンは呆れた口調で言った。

「趣味が悪いな、アーチャー」
「なに、凜は実にからかい甲斐があるものでね」
「それが趣味が悪いと言っている……」

 それから少しして、凜の怒りが治まったのを確認すると綺礼が口を開いた。

「ともかくだ。お前が未来の情報を持っているというのであれば、全て開示しろ。情報は一つでも多い方が良い」
「構わないが、第四次についてはさっきも言ったがあまり詳しくない。だが、現時点の情報に捕捉する事があるとすれば一つだけ、キャスターについては推測する事が出来る。衛宮切嗣の使用した媒体が同じ物であるとするなら、召喚される可能性がある英霊は限られてくるのでね」
「聞かせてもらおうか?」

 時臣の言葉に頷き、アーチャーは言った。

「衛宮切嗣が用意した英霊召喚用の聖遺物は彼の騎士王の鞘、全て遠き理想郷――――アヴァロンだ。全て遠き理想郷を媒体として召喚出来るのは騎士王か、あるいはその助言者。もしくは、鞘を盗んだ魔女。アインツベルンの陣営のサーヴァントがキャスターであるとすれば、騎士王は該当しない。魔術師マーリンか妖妃モルガンのどちらかだろう」
「騎士王の鞘か……、アインツベルンもいよいよ本気と言うわけだ。しかし、魔術師マーリン。それに、妖妃モルガンか……。どちらも魔術師のクラスに該当するには確かに相応しいな」
「どちらにせよ、問題なのは衛宮切嗣という男との組み合わせだ」
「どういう事?」

 凜が首を傾げる。

「衛宮切嗣という男は目的の為には手段を選ばない男だ。まあ、その辺はあまり人の事を言えた義理では無いが、通常の魔術師とは違い、キャスターというクラスは最大限に活かしてくるだろう。キャスターは最弱のクラスとされているが、それはあくまで直接的な戦闘に限った話だ。運用法を間違えなければあれほど厄介なクラスも無い」
「警戒すべき相手という訳だな」

 時臣は険しい表情を浮かべ言った。

「一つ、聞きたい事がある」

 唐突に綺礼が口を挟んだ。

「なんだ?」

 アーチャーが顔を向けると、綺礼は眉間に深い皺を刻みながら言った。

「この男……衛宮切嗣はお前の養父だったな?」
「ああ、その通りだ」
「ならば、聞きたい」
「なんだ?」
「この男は一体何を思い行動しているんだ?」

 綺礼の問い掛けに凜は首を傾げ、時臣は訝しむような表情を浮かべた。

「何か気になる点があったのかい? 綺礼」

 時臣が問い掛けると、綺礼は「いえ、少し……」と誤魔化す様に視線を逸らした。

「衛宮切嗣が何を思い、行動していたのか……。何故、それが気になるんだ?」

 アーチャーが問うと、綺礼は言葉に詰まった。何故気になるのか、そう問われれば、答えは至極単純だった。己との間に超えようの無い一線がある師の忌避する人物であるからだった。
 いや、それは正確では無い。正しく言うならば、衛宮切嗣という男が己と同じ線のこちら側に属する人間なのではないかと考えたからだ。だが、それを師の前で口にする事は躊躇われる。

「いや、すまない。どうにも衛宮切嗣という男の人物像が掴めなかったものでな」
「まあ、強いて言うならば衛宮切嗣は――――」

 アーチャーの言葉に綺礼は耳を疑った。

「なん……だと?」
「正義の味方だ。もっとも、正確に言うならば正義の味方に憧れた者だがね」

 アーチャーの評した衛宮切嗣の人物像に綺礼だけではなく、時臣までもが訝しむ声を上げた。

「あの衛宮切嗣が正義の味方だと?」
「ああ、衛宮切嗣の行動理念はまさにそれだ」

 綺礼はアーチャーの言葉を聞きながら手元の衛宮切嗣の資料に目を落とした。

――――衛宮切嗣の遍歴。

 それを年代順に追っていくと、その行動には常にリスクが伴われていた。利益に対し、あまりにも大き過ぎるリスクだ。アインツベルンに招かれる以前のフリーランス時代の切嗣のこなした数々の任務は常に複数の任務を同時進行で行っていたとしか思えない程の数だ。その上、それに平行し、壊滅的なまでに戦況が激化した紛争地帯にも出没している。
 綺礼は切嗣の資料を初めて読んだ時、切嗣は死地へと赴く事に、何らかの脅迫観念があったのではないかと考えた。明らかに自滅的なその行動原理に。間違いなく言える事は、この切嗣という男に利己と言う思考は無く、彼の行動の実利とリスクの釣り合いは完全に破綻しているという事だ。ただの金銭目当てのフリーランスではないと読んではいたが、それが正義の味方だと?
 綺礼には到底信じる事が出来なかった。

「馬鹿な……、そんな筈が……」
「衛宮切嗣がこの聖杯戦争に参加するのもそれが理由だろう。直接聞いたわけでは無いが、恐らく聖杯にこう願うつもりなんだろうさ。世界から争いを無くして欲しい、とな」
「傑作だな」

 時臣が言った。

「あの魔術師の面汚しが……、あの暗殺者が世界から争いを無くして欲しいなどと」
「お父様、アーチャーのお父さんなんですよ!」

 凜が言うと、時臣は慌てて「すまない」と謝罪した。

「いや、そう思われても仕方ないだろう。切嗣の理想は他者が理解出来る類のものではない。それは私自身、よく分かっているよ」
「どういう事?」

 凜が尋ねた。その瞳には気遣うような感情が篭められていた。

「正義の味方というのは結局はただの掃除屋だ。ただ、多数を救う為に少数を切り捨てる。そこに感情が入り込む余地など無く、故に理解など得られる訳も無い」

 肩を竦めながら嘲る様に言うアーチャーに凜は唇を尖らせた。

「でも、助けられた人は居るわけでしょ?」

 凜の言葉にアーチャーは驚いた様に目を丸くした。

「ん、それは、まあ……な」
「だったら、ただの掃除屋なんかじゃないと思うわ。きっと、助けてもらった人の中にアーチャーのお父さんの事を正義の味方だって、ちゃんと分かってくれた人も居た筈よ」
「しかしな、凜……」
「第一、 自分の父親を馬鹿にするみたいな事言っちゃいけないのよ! 分かった?」

 立ち上がり、腰に手を置きながらまるで学校の先生のように諭すように言う凜にアーチャーは参ったという表情を浮かべた。

「分かったよ。君が正しい。確かに……、そうだな。誰か一人くらいは理解してくれていたかもしれないな……」

 敵わないな、アーチャーは苦笑しながら思った。どうにも、己はこの少女には勝てない運命らしい。
 本当はこの機会に目的を達成してしまおうかとも考えた。だが、そんな事は不可能だと直ぐに悟った。冬木の聖杯戦争にサーヴァントとして召喚される。あり得ないと判っていながら待ち続けたが、奇跡か、はたまた最後のダメ押しなのかはわからないが、今、こうしてアーチャーのクラスを得て冬木の地に現界している。
 
――――過去の改竄。

 それがアーチャーのサーヴァント・エミヤシロウの望みだった。エミヤシロウという歪みを己の手により糾す事。それだけがエミヤシロウに残されたほんの小さな希望だった。だが、召喚されたのは己が運命が定まったあの第五次聖杯戦争では無く、何の因果か、第四次聖杯戦争だった。
 エミヤシロウという歪みが存在するより前の時間軸。もはや、この世界の果てにエミヤシロウという男が存在する可能性は限りなく低いだろう。衛宮切嗣が勝利する未来も、冬木が炎に包まれる未来も、衛宮切嗣がたまたまシロウという名を持つ空っぽの少年を見つける未来も、もはや霞みのようなものとなった。
 そもそもエミヤシロウが存在しない世界だ。確かに、シロウという名の少年は居るかもしれないが、それはエミヤシロウとは違う存在だ。過去の改竄という願いは凜に召喚された時点で既に破綻していた。故に、己が為すべき事は唯一つ。
 
――――凜を勝者とする事だ。

 凜を勝者にすれば、冬木の火災も起こらないだろう。皆が死ぬ事も無くなる。シロウという少年が正義の味方などに憧れる事も無くなる。
 正に一石二鳥というものだろう。

「凜を勝者にするのは中々に骨が折れそうだがな」

 ライダーが宝具を発動した後、戦いは長くは続かなかった。
 ランサーが辛うじて一矢報いたようだが、ライダーは逃走し、ランサーもまた姿を消した。

「ライダーは予想以上に強力なサーヴァントらしい。しかし……」

 アーチャーはククッと笑った。

「サーヴァントには相応しいオーダーだ」

 そう呟くと、アーチャーは顕現させていた弓と矢を消し去った。

「それにしても……、若い頃からああだったのか、藤ねえ」

 そう言い残し、アーチャーは新都センタービルから姿を消した。

第十八話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した為に忘れた振りをしなくても特に問題無くなった人の話

――――二日前。

「では、今後の方針について話そうか」

 時臣の言葉に綺礼、凜、アーチャー、アサシンは揃って頷いた。談話室の机を取り囲むように五人は椅子に腰掛けていた。アサシンは主と同じ席に座する事を始めは良しとしなかったが凜に「立っていられると鬱陶しい」と言われた為に今は座っている。
 机の上には資料が並べられている。凜にも分かり易いように綺礼によって暗号化した文章も日本語に書き換えられ、漢字には振り仮名が振られている。僅か一日で見事な手際だとアーチャーは感心した。

「まず、それぞれの陣営について情報を共有しておこう。綺礼、頼む」
「承知しました」

 綺礼は資料を読み上げた。
 初めはセイバーの陣営。
 マスターは不明であり、アインツベルン、あるいはマキリではないかと目されるが詳細な情報は得られていない。

「セイバーならば捕捉したい事がある」
「なんだ?」

 アーチャーの言葉に綺礼は言葉を切り視線を向けた。時臣、凜、アサシンの三人もアーチャーに視線を向ける。
 四人の視線を受け、アーチャーは言った。

「セイバーの真名は恐らく湖の騎士・ランスロットだ」

 アーチャーの言葉に時臣は目を瞠った。

「どういう事だ? 何故、セイバーがランスロットだと分かった?」

 時臣の問いにアーチャーは肩を竦めて言った。

「解析の魔術は私の数少ない得意分野でな。それに、私の魔術師としての属性は剣なのでね。事、剣に限れば創造理念、基本骨子、構成材質、製作技術、成長経験、蓄積年月、担い手の技量に至るまで解析可能だ。その上で言うが、セイバーの握っていた剣。あれは紛れも無く、嘗て円卓の騎士の中でも最強と謳われた騎士の握った聖剣、無毀なる湖光――――アロンダイトだ」

 断言するアーチャーに時臣は難しい表情を浮かべた。

「投影魔術に加えて解析の魔術、加えて属性が剣とは、お前は本当にアーチャーなのか?」

 時臣の問いにアーチャーは苦笑した。

「私は特化型という奴でね。キャスターのクラスに該当するには未熟も良い所だ。剣や槍を握った事もある。馬に乗ったり、暗殺者紛いの真似をした事もある。狂っていたと言えば狂っても居た。だが、どれも些か中途半端でね。私が呼ばれるとすればアーチャー以外はあり得んよ」

 時臣はアーチャーの言葉に納得いかなげな表情を浮かべるが溜息を一つ零すと綺礼に視線を向けた。

「アーチャーについては後にしよう。序盤でセイバーの真名が分かったのは行幸だ。円卓の騎士とは恐れ入るが対策を練る時間はある」

 綺礼は頷くと「私もセイバー陣営に関し補足が」と言った。

「先程、父に聞きました所、セイバーの降臨地点は間桐の屋敷であったとの事。その事から考えるにセイバーのマスターはマキリの魔術師、間桐雁夜であると考えられます」
「雁夜おじさんがセイバーのマスター!?」

 綺礼の言葉に凜は驚きの声を上げた。

「知っているのか?」

 アーチャーが問い掛けると、凜は頷いた。

「お母さんの幼馴染の人なの。ずっと海外でお仕事していて、時々帰って来て私や……、私にお土産を買って来てくれるの。凄く優しい人よ」
「間桐雁夜は一度魔道の道から逃げ出した落伍者だ」

 高評価の凜の言葉に反し、時臣はどこか軽蔑するような響きを言葉に滲ませて言った。

「逃げ出した?」
「本来は間桐の後継者となる筈の男だったが、間桐の家を飛び出し、海外でフリーのルポライターとして働いていたらしい」

 綺礼の言葉にアーチャーは「なるほど」と頷いた。

「それが何故、今になって聖杯戦争のマスターなどに?」

 アーチャーの問いに綺礼は首を横に振った。

「分からん。どうにも奴の意図は読めない。だが、碌な修行もしていない以上、マスターとしては最弱と考えていいだろう」
「だが、セイバーは強敵だ。真名がランスロットである以上、セイバーとしてはおよそ考えうる限り最強の駒を手にしていると考えていいだろう」

 時臣の言葉にアーチャー、アサシン、綺礼は揃って頷くが、凜はポツリと呟いた。

「だから、あの時セイバーが私達を助けてくれたんだ……」
「どういう事だ?」

 綺礼が問い掛けた。

「あの時、アーチャーは後一歩でランサーにやられてた。でしょ?」

 凜に問い掛けられ、アーチャーは不満そうな表情で渋々と頷いた。

「でも、セイバーがランサーに向かっていってくれたおかげで私達は逃げられた。あの時、セイバーは最初からランサーを狙ってたわ。きっと、おじさんが私を助けてくれたのよ」
「そんな事、ある筈が無い」

 時臣は呆れたような口調で言った。

「どうしてですか?」

 凜が尋ねると時臣は諭すように言った。

「聖杯を手に入れる事が出来るのは唯一人だ。その為には全てのマスターを倒さねばならない。例外はあるがね」

 そう言って、時臣はチラリと綺礼を見た。

「マキリも聖杯を悲願とする御三家の一角だ。敵である遠坂のマスターを救うなど考えられない」
「で、でも……」
「いや、恐らくは凜が正しい」

 父の言葉に凜が反論しようとする前にアーチャーが言った。

「あの時、セイバーが乱入する事に益があったのはどう考えても我々だけだ。何せ、放っておけば我々はランサーに倒され、ランサーが隙を見せるまで待つ事が出来た筈だ。なのにあのタイミングでの乱入」

 アーチャーは時臣に視線を向けた。

「私が最初にセイバーが君のサーヴァントだと考えたのもそれが理由だ。それに、間桐雁夜は最近まで魔道から離れた生活をしていたのだろう? ならば、目的の為に手段を選ばぬ普通の魔術師とはその精神構造が違うのだろうさ。恐らくだが、ただ単純に凜の危機にセイバーを動かしたのだろう」
「馬鹿な。聖杯を望むマスターでありながら敵マスターを救う為に動くなど……」

 理解出来ぬと時臣は眉間に皺を寄せた。それもそうであろう、雁夜の意図は通常の魔術師の常識を大きく逸脱している。
 いつか打ち滅ぼさねばならぬ敵を救うなど、その行動は矛盾しているし、己の首を絞めるだけだ。

「人並みの良識があるという事だろう。ならばこそ、色々と打てる手段もある。搦め手を上手く使えばそう強敵にはならんだろう」
「同感だが、間桐は御三家の一角だ。侮るには些か危険な相手だ」
「肝に銘じておこう」

 綺礼の言葉に頷きながらアーチャーはしばらくの間間桐雁夜の資料に目を通し沈黙に徹した。綺礼はセイバーの資料に幾らかの書き込みをすると別の資料を手に取った。
 ランサーの陣営の資料だ。マスターはアーチボルト家九代目頭首ケイネス・エルメロイ・アーチボルトだ。風と水の二重属性を持ち、数多くの分野で功績を残した時計塔の神童。ロード・エルメロイと呼ばれる彼の魔術師としての力量は間違いなく今聖杯戦争において最強である事は疑いようがない。

「ケイネスが此度の聖杯戦争に参加した理由は己に足りぬ武功という名の功績を得るためだそうです」

 綺礼の言葉に凜は頬を膨らませた。

「何よそいつ、嫌な感じね!」
「凜。そういう言葉遣いをしてはいけないよ」
「……はい」

 凜が大人しくなった所で綺礼は言った。

「確かに高慢な考えではあるが、それを実現するに足る実力の持ち主である事は間違いない。引いたカードも三騎士の一角たるランサー。本来ケイネスが召喚する筈だった英雄は教え子のウェイバー・ベルベットに盗み出されたそうだが、それでも十分に強力なサーヴァントです」

 綺礼の言葉に時臣は頷いた。

「ケイネスを相手にする際は此方も相応の準備が必要となるだろう」
「ランサーの真名は恐らくはフィオナ騎士団の輝く貌のディムルッドだろう」

 アーチャーの言葉に時臣は鼻を鳴らした。

「よりにもよってディムルッド・オディナとはな。セイバーとして召喚されなかっただけ行幸か……」
「ディムルッド・オディナ……?」

 溜息を零す時臣に凜は首を傾げた。

「輝く貌のディムルッド。ケルト神話に登場する妖精王オェングスに育てられたフィオナ騎士団随一の騎士だ」
「正直言って、ランサーのクラスであっても厄介だ。奴の双槍の呪いは伝承通りのようだからな」
「どういう事?」

 問いを投げ掛ける凜にアーチャーは言った。

「奴の朱槍は破魔の紅薔薇――――ゲイ・ジャルグ。その能力は私の推測が正しければ魔力の流れを断つというものだ」
「魔力の流れを断つ? あ、そう言えば、ランサーと戦っている時にアーチャーの双剣が何度も砕かれてたっけ」
「砕かれていたのは別だ。あれは奴に次なる一手が無いと思わせる為にわざと砕かせた。尤も、魔力を温存する為に囮に使った分は魔力をケチッた欠陥品だったがね」

 だが、とアーチャーは苦い表情を浮かべた。

「奴が宝具を解放した後、あの朱槍が私の干将を貫いた時、干将を構築する大本との繋がりが切り離された」
「大本……?」
「ああ、まあ、私の魔術については後で話そう。次はライダーか?」

 アーチャーが目を向けると綺礼は頷いた。

「ライダーのサーヴァントは正体不明。マスターのウェイバー・ベルベットがケイネス・エルメロイ・アーチボルトから盗み出した聖遺物はマケドニア方面から届けられた物であると報告はありましたが……」
「マケドニア出身の英雄という事しか分かっていない現状では特定は難しいな」

 時臣の言葉に綺礼も頷く。

「ええ、ですが、ライダーは元々ケイネスの召喚する筈だった英霊。あの男が並のサーヴァントの聖遺物を用意するとは思えません」
「マスターは未熟も良い所だが、サーヴァントは侮れぬか……」
「狙うとすればマスターだな」
「ふむ、暗殺ならば任せておけ」
「本職が居るのは心強いな。だが、私とて遠距離からの狙撃こそが本業のアーチャーだ。任せきりにするつもりはないよ」
「ふふ、頼もしい事だ」

 互いに苦笑し合う二人だが、その内容はあまりにも物騒なものだった。

「アーチャー、アサシン!」
「む、何だね? 凜」
「どうしました? お嬢様」

 互いに友好を深め合う弓兵と暗殺者に凜は剥れた顔で言った。

「暗殺なんて回りくどいし、全然優雅じゃないわ! やるからには真正面から正々堂々に決まってるじゃない!」
「……お、お嬢様」
「凜……、我々のクラスと現状を忘れたのか……」

 意気消沈する暗殺者たるアサシンの肩を軽く叩きながらアーチャーは呆れたように言った。

「でも、こそこそ動き周るなんて……」
「ならば、君が早く一人前になる他あるまい」

 不満を口にする凜にアーチャーは言った。

「私は今の状況では狙撃に徹する他無い。白兵戦で臨むには魔力が足り無過ぎる。現状を打破するには君の成長速度に期待する以外には無いんだ」
「…………ごめんなさい」
「常に余裕を持って優雅たれ……だろう? 焦りは禁物だ」
「……うん」

 アーチャーは穏かに笑うと頷く凜の頭を優しく撫でた。
 凜は一瞬驚いた様に目を見開いたが、アーチャーの手を払い除けはしなかった。

「残るはキャスターか?」

 アーチャーが問い掛けると綺礼は頷いた。

「キャスターについてはマスターがアインツベルンの陣営だろうという推測のみ。未だに姿を現していない以上は情報は皆無と言っていいだろう。ただ、マスターについては幾らか情報がある」
「衛宮切嗣。アインツベルンが数年前に招いた外来の魔術師だ」

 時臣の口から発せられた衛宮切嗣という名前を聞いた瞬間、アーチャーの表情が硬くなった事に凜は気が付いた。

「魔術師殺しという悪名で有名な男だ。こと戦闘においては遺憾ではあるがある意味でケイネス以上の脅威となる可能性が高い」
「衛宮切嗣に関しては様々な情報が飛び交っているが、信憑性を欠く物ばかり。だが、手段を選ばぬ魔術師である事だけは一致している」

 綺礼は手元の資料にある衛宮切嗣の写真に視線を落としながら言った。

「油断ならぬ男だ」
「衛宮……切嗣か……」

 自分の分の資料に目を通しながらアーチャーは反芻するように呟いた。

「アーチャー?」

 凜が首を傾げるがアーチャーは応えなかった。

「敵陣のサーヴァントについてはこのくらいだな」

 時臣の言葉に綺礼が頷くと時臣はアーチャーとアサシンに視線を向けた。

「まずはアーチャー、幾つかの質問に答えてくれ」
「ああ、何でも聞いてくれ」

 アーチャーの落ち着き払った言葉に頷き、時臣は綺礼に視線で合図を送った。
 綺礼は頷くと新たな資料を手に取り口を開いた。

「ステータスの穴を一つ一つ埋めていく。まずは真名だな」
「真名はエミヤだ」
「エミヤ……?」

 綺礼は咄嗟に未だに手元にある資料に目を落とした。
 そこには衛宮切嗣の名前がある。

「ああ、衛宮切嗣は私の養父だ」

 アーチャーの言葉に綺礼は再び資料に目を落とし、時臣はいかにも不可解だと眉間に皺を寄せ、凜はよく分かっていないのか首を傾げている。

「これを見せれば話が早いか」

 アーチャーは言いながら懐から赤い宝石を取り出した。
 時臣はアーチャーの取り出した宝石を見ると目を瞠った。

「すまない。少し、席を外す」

 時臣はそう告げると慌てた様子で部屋を出て行った。ものの数分で戻って来ると、時臣の手にはアーチャーの手にある物とまったく同じ宝石があった。

「そっくり……」

 凜が呟くとアーチャーは笑った。

「そっくりではない。まったく同じ物だ」

 アーチャーの言葉に時臣は信じられないといった様子で目を見開き、綺礼は眉間に皺を寄せ、アサシンは「なるほど……」と納得がいった様子で頷いた。

「つまり、お前は……」

 時臣の言葉にアーチャーはどこか悪戯に成功した子供のように笑みを浮かべ頷いた。

「ああ、私は過去では無く、未来から召喚されたサーヴァントだ」

第十七話 雨生龍之介がバーサーカーを召喚した為に巻き込まれた嵐を呼ぶ少女TF

「Scalp」

 ケイネスが低い声で唱えると、彼の魔術礼装・月霊髄液は水銀の表面をざわめかせたかと思うと一部がくびれ、細長い帯状に伸び上がり、穂先を刃のように尖らせたかと思うと、途端に鞭のように唸りを上げてケイネスの眼前で立ち尽くすウェイバーへと叩きつけられた。
 ウェイバーは咄嗟に防御の術式を張るが、ケイネスの月霊髄液の前ではまったく意味が無かった。
 直前に厚さを数ミクロンまで圧縮された水銀の刃を伴う鞭はウェイバーの体にあっさりと赤い線を描いた。

「う、うわあああああああああああ!!」

 己の張った防御結界をアッサリと越えて己の体を切り裂いた水銀にウェイバーは悲鳴を上げた。先程まであった勇猛さはそのお欠片に至るまで悉くケイネスの一撃によって消し飛ばされた。ウェイバーはケイネスに背を向けると震える足に鞭を打って駆け出した。逃げる為に――――。
 水銀が切り裂いたのは薄皮一枚に過ぎないというのにこの醜態。ケイネスは悲鳴を上げ、逃げ出すウェイバーに侮蔑の視線を向けた。

「醜い。仮にも魔術師を名乗りながらそのような無様な醜態を晒すとは――――。致し方ない。アーチボルト家九代目頭首としてでは無く、降霊科の講師として、君を指導しようではないか。魔術師とはどうあるべきかを」

 ケイネスは逃げ去ろうとするウェイバー目掛け、月霊髄液を作動させた。

――――風と水。

 二重属性を持つ類稀な才覚を持つケイネスの最も得意とする流体操作の術式は魔力を充填した水銀を用いる事で圧倒的なまでの攻撃力と防御力、そして応用力を揃えている。
 鞭となり槍となり盾となり足場となる。

「クソッ!!」

 ウェイバーは何とか反撃しようと攻撃魔術を使うが悉く月霊髄液の自立防御壁によって防がれてしまう。

「その程度で我が月霊髄液の自立防御を突破する事は出来ぬ」

 盾の形状に変化した水銀は縦に裂け、無数の細い糸状に分かれ、ウェイバーに向かって襲い掛かった。無数の糸状の水銀がまるで雨のようにウェイバーの体を貫こうとしたその時、不意にケイネスの注意が逸れ、水銀の動きが止まった。
 何事だろうかとケイネスの視線の方角へとウェイバーが視線を走らせると、ウェイバーと同じくらいの背丈の人影があった。誰だろう、咄嗟の事態に理解が追いつかず、ウェイバーはうろたえるばかりだった。

「私の結界内に入り込んだだと? 冬木の地は没落した魔術師も多く居ると言うが、他のマスターの尖兵という可能性もあるか……」

 ケイネスは舌を打つと月霊髄液の矛先をウェイバーから結界への侵入者へと変えた。

「な、なにを……?」

 うろたえるウェイバーを尻目にケイネスは人影の方に歩き始めた。

「不運な目撃者であろうと、敵マスターの尖兵であろうと同じ事。始末するに決まっているだろう? まったく、指導の最中だと言うのに、余計な手間を掛けさせおって」
「始末って、殺す気なのか!?」

 ウェイバーの言葉にケイネスは眉を顰めた。

「当然だろう。ウェイバー君。君には魔術師としての初歩の初歩から講義せねばならぬのかね?」

 呆れた様にケイネスは言った。ウェイバーとて、頭の中では分かっている。魔術というのは秘匿するものだ。魔術を知らない一般人に魔術の存在を教えてはならず、気付かれてもいけない。それが魔術師の常識であり、魔術師が最も厳守するべき決まりだ。
 もし、一般人に魔術の存在を知られてしまった場合、速やかに記憶を消すか、あるいは存在そのものを抹消しなければならない。さもなくば、魔術協会が黙っていない。

「だからって……」

 ケイネスは鼻を鳴らすと人影へと再び歩き出した。
 その人を殺す為に。
 魔術師としての常識だから。

「やめ――――」

 恐怖に震えながら、ウェイバーは足を動かした。眼の前で人が殺されようとしている。それが他のマスターなら別に構わない。それが魔術師なら別に構わない。何故なら、彼等は覚悟しているから。殺し殺される存在であると魔術師ならば理解している。
 だけど、魔術師じゃなかったら? 魔術を知らず、ただ平々凡々と生きているだけの一般人だったら?
 ウェイバーの脳裏に何故かマッケンジー夫妻の姿が浮かんだ。幸せに日々の生活を営む人達。
 魔術師達とはまったく異なる生き方をする人達。ウェイバーの常識とは違う生き方。殺し、殺される覚悟など持ち合わせていない……そも、持ち合わせる必要の無い人達。そんな人達を殺していいのか? ただ、自分達の自分達だけに許された秘技を知られたくないからといって、本当にいいのか?
 ウェイバーは駆け出した。ほんの数日過ごしただけなのに、マッケンジー夫妻との生活が嫌になるほど次々と浮かぶ。自分を孫と錯覚し、親しげに接してくる二人。不名誉な勘違いもされたけれど、結局はウェイバーの為に心を尽くしてくれる人達。そんな人達がもし、魔術を知ったというだけで殺されたら――――。

「そんな、馬鹿な事があるか!!」

 ウェイバーはケイネスの前へと回り込んだ。
 ケイネスはウェイバーの不可解な行動に眉を顰めた。

「何のつもりかね? ウェイバー・ベルベット君」
「や、やめろよ」

 やはり、恐怖は拭い切れない。
 足はガタガタと震え、呼吸は荒くなり、目元には涙が滲んでいる。
 ケイネスは侮蔑の視線をウェイバーに向けた。

「堕ちる所まで堕ちたか、ウェイバー・ベルベット」

 ケイネスはもはや言葉は要らぬとばかりに月霊髄液の鞭をウェイバーに振るった。鋭く尖った刃を持つ一本の銀の鞭がウェイバーに襲い掛かる。
 ウェイバーは死を覚悟して目を閉じた。来るであろう衝撃に体を震わせながら――――。

「ちょいや――――ッ!」

 その掛け声と共にウェイバーは予想外の衝撃を受けた。斬撃では無く、衝撃。目を開けると、そこには見知らぬ少女が居た。
 ブロンドの髪を年頃の少女にしては随分と簡素な紐で縛っている。それでもオシャレに気を使っているのか、髪に可愛いヘアピンを着けている。
 少女は片手に模擬刀らしき物を持っていた。柄の部分にはなにやら虎の人形が結わえられている。

「大丈夫!?」

 少女の口から響く大き過ぎる声にウェイバーは我に返った。

「お前、は?」
「立てる?」
「え、うん」
「じゃあ、行くよ!!」
「へ?」

 少女はウェイバーの手を握ると、その細い体からは想像出来ない力強さでウェイバーを起こし、駆け出した。

「ま、待て!」

 ケイネスもまさか一般人が飛び出してくるとは考えていなかったのか、面食らった表情を浮かべていたが、二人が逃げ出すと我に返り月霊髄液の鞭を二人に向けて放った。

「なんなのよ、これ!?」

 少女は悲鳴染みた声を上げるが、ウェイバーの手を引きながら巧みに水銀の鞭を回避し走り続ける。
 その様子にケイネスは驚きに目を瞠り、鞭を細分化し、雨の様に銀の糸を走らせた。

「こっち!!」

 少女はウェイバーの手を引きながら雑木林の中へと疾走する。強化していて尚、ウェイバーには少女の足に付いていくのがやっとだった。
 他に何かをする余裕も何かを言う余裕も何かを考える余裕も無い。雑木林の中へ入るとケイネスは再び水銀を鞭に変え、木々を伐採しながら二人を追う。

「どこへ行こうと言うのかね? ウェイバー君」

 憤然たる面持ちでそう言いながら追って来るケイネスにウェイバーは内心で叫んだ。

――――僕が知るもんか!!

 少女はどこかへ向かっているらしい。
 だが、ケイネスは既に間近まで迫って来ている。

「お、おい、このままじゃ!!」
「分かってる!! 冬木の虎を舐めるんじゃないわよ!!」
「はあ!?」

 少女は更に速度を上げたがケイネスは水銀の円盤に乗り、それ以上の速度で二人を追跡する。
 銀の鞭が伸び、ウェイバーと少女の首を切り飛ばそうと迫る。
 水銀の速さは目に追えるものではないにも関らず、少女はそれらを的確に躱した。

「お、お前、何者だ!?」

 ウェイバーが堪らずに尋ねるが少女が答えるより先にケイネスに回りこまれてしまった。

「さて、そろそろ追いかけっこは止めにしようか、ウェイバー君」

 言って、ケイネスは少女に視線を向けた。
 その瞳には侮蔑の色がありありと浮かんでいる。

「まったく、魔術の心得も無い真の知恵無き愚か者がこの私にこのような労をさせるとは。恥を知りたまえ」

 ケイネスの言葉に少女はムッとした表情を浮かべながら、ウェイバーをそっと背中に隠し、模造刀――――竹刀をケイネスに向けた。

「知るかってのよ!!」

 ウェイバーが止める間も無く、少女は竹刀片手にケイネスへと向かって行った。
 無謀過ぎる行為にケイネスすらも驚く表情を浮かべるが少女は構わずにケイネスに向かって竹刀を振り下ろした。
 だが、月霊髄液の自立防御は少女の竹刀を受け止め、次いで鞭による斬撃によって竹刀をバラバラに解体した。

「あ……、ああ、わ、私の虎竹刀が……」

 バラバラになった己の愛刀を見て言葉を失う少女にケイネスは月霊髄液の矛先を向けた。

「まったく、手間を掛けさせるでない」

 ケイネスの号令と共に月霊髄液の鞭が少女とウェイバーに向かって襲い掛かる。

――――ああ、死んじゃうんだ、俺達。

 ウェイバーがそう悟った時だった。
 目の前に幾重もの閃光が走った。
 それらは悉くケイネスの水銀の鞭を弾き飛ばした。

「え?」

 戸惑う少女の手をウェイバーは咄嗟に引っ張った。

「に、逃げるぞ!!」
「え? あ、うん」

 少女とウェイバーが逃げ出そうとするのを咄嗟に追おうとするケイネスの眼前に再び閃光が降り注いだ。

「矢……? まさか、アーチャーか!?」

 降り注いだ閃光の正体は矢であった。
 ケイネスは矢の降り注いだ方角に目を向けるがそこには人影は無い。
 狙撃主に狙われている。その事実だけを理解し、ケイネスは舌を打った。他のマスターの乱入は想定内であったが、このタイミングは想定外だった。
 ケイネスは月霊髄液を全てどこかへと走らせると、その姿をおぼろの如く消し去った。

――――数分前。

「一般人だ」

 そう呟いたアーチャーの声にアサシンは違和感を覚えた。アーチャーの言葉に含まれた感情。それが焦りであると看破したからではない。それ以上に違和感があったのは、アーチャーがウェイバー・ベルベットと共に雑木林へ駆け込んだ少女を一般人だと断言した事だ。
 今、ランサーとライダーの戦う戦場にはケイネスの張り巡らせた結界がある。結界内に居た人間を何故一般人などと断言出来る?普通ならばコチラ側の人間だと考えるのが常道である筈にも関らず。そう、まるで――――あの少女を知っているかのように。

「アーチャー、お前は……」

――――あの少女を知っているのか?

 アサシンがそう問い掛けようとするより早く、アーチャーは主からの指示を受けても居ないのにその手に弓と矢を顕現させた。

「すまないな。振り切った筈だったのだが……」

 アーチャーは謝罪を口にしながら弓を引き絞った。

「なッ――!?」
「どうした?」

 アーチャーは突然動きを止め、ある一点を凝視していた。
 望遠鏡を向けるが、妙なものは見当たらない。

「高台から少し外れた電気塔だ」

 アーチャーの言葉に望遠鏡の向きを変えると、そこにありえる筈の無い存在が立っていた。
 肉眼ならばいざ知らず、望遠鏡では辺りが暗いためにその相貌までは見て取る事が出来なかったが、電気塔に立つ存在はその手に本来ならば隣に立つ赤い男が持つべき武具を握っていた。

「馬鹿な、アーチャー……だと? いや、あれは――――ッ」
「恐らくキャスターだな。どうやら、ケイネスの勘違いを利用するつもりらしい」

 現在、アーチャーが知っているサーヴァントはセイバー、アーチャー、ランサー、ライダー、アサシン、バーサーカーの六体だ。
 そのどれでもないのならば答えは明白だった。視線の先でアーチャーに扮したキャスターらしき存在はアーチャーを騙るに相応しく、一息の内に十を超える矢を放った。
 矢はウェイバー達とケイネスの合間に降り注ぎ、ウェイバーは少女の手を取り逃走した。

「我々と同じ方針を取っているという事か……。キャスターは時間を置く毎に戦力を増強させるクラスだ。此方も対策を練る必要があるな」
「ならば、キャスターは私が追跡しよう」
「ああ、最低限、拠点さえ掴めれば最悪、拠点ごと宝具で消し飛ばす事も出来る。一番厄介なのは行方を晦まされる事だ」
「任せておけ。追跡は暗殺者の得意分野だ」
「頼むぞ、ハサン」
「そちらも任せたぞ、エミヤ」

 アサシンが音も無く消えると、アーチャーは番えていた矢を消した。視線の先でケイネスは姿を消した。どうやら、幻影だったらしい。
 キャスターはケイネスが消えたと同時に離脱したが、アサシンが追跡している。アサシンならば如何にキャスターであろうとその追跡を逃れるのは困難な筈だ。視線をライダーとランサーに固定し、アーチャーは情報収集に努めた。

「あれがライダーの宝具か――」

 視線の先では戦いが大きく動いていた。