第十一話「クリスマス」

 寒さで目が覚めた。窓の外を見ると、雪が振っている。
 身支度を整えて、ハリーの部屋に向かうと彼も起きていた。窓辺に佇む白い羽毛のふくろうから何かを受け取っていたようだ。
「やあ、メリー・クリスマス。ハリー」
「メリー・クリスマス。ドラコ」
「それは?」
 ハリーは木彫の筒のようなものを握っている。
 誰から何をもらたのか、僕は勿論知っているけど、知らない振りをした。
「ハグリッドからのプレゼント。自作の笛だってさ」
「彼らしいね」
 ハリーが試しに吹いてみると、耳心地の良い音が響いた。
「良い音色だね」
 言いながら、僕は用意しておいたプレゼントをハリーに渡した。
「これは?」
 プレゼントは分厚い冊子だ。だけど、ハリーは間違いなく喜ぶ筈。
「開いてみて」
 僕が言うと、ハリーは首をかしげながら冊子を開いて、大きく目を見開いた。
 そこには幾つかの写真が並んでいる。
「……ドラコ、これ」
 声が震えている。
 本当ならハグリッドが渡す筈だったもの。
 その前に『みぞの鏡』が見せる筈だったもの。
 僕がハリーにプレゼントしたものは彼の両親の写真。
「色々とコネを使って集めたんだ。そこに映っている人達は君の御両親だよ」
 それなりに苦労した。たくさんの人に手紙を何枚も送ったし、スネイプやマクゴナガルに頭を下げた。
 前にハグリッドがハリーを小屋に正体した時に付き添った理由も実はこれだ。彼を懐柔し、後々、このアルバムを作る為に協力してもらうためだった。
 こっそりと一人で彼の小屋に顔を出し、彼にも集められるだけの写真を集めてもらった。
「僕の……?」
 確認するように僕の顔をみるハリー。震えている。
「そうだよ。ほら、赤ん坊の君も映っているよ」
 笑顔を振りまく二人の男女。その間には無垢な笑顔を浮かべる赤ん坊。
「あっ……」
「……朝ごはんは遅らせてもらうよ」
 そう言って、僕は部屋から出て行った。
 扉の向こうから泣き声が聞こえる。
 苦労した甲斐があった。コレ以上の贈り物など無いだろう。
 僕は談話室へ向かった。そこにはプレゼントが山のように積み重なっている。
「さてさて……」
 僕自身への贈り物にはさして興味が無い。僕は目的のものを探した。
「……無いな」
 別に盗もうと思ったわけじゃない。これはただの確認だった。
 ダンブルドアがクリスマスにハリーへ贈る筈の『透明マント』が無い。
 もしかしたら、スリザリンの談話室に置いているのかもしれないけど、これで一つ分かった。
 ダンブルドアは僕を……、少なくとも、マルフォイ家を警戒している。
 ここがウィーズリーの家だったら、ダンブルドアはきっとハリーの下に透明マントを送った筈だ。
「面倒だな……」
 ダンブルドアが僕を警戒している。必要の部屋は常に誰もいない事を透視メガネやドビーを使って確認しているが、今後の使用には少し注意が必要かもしれない。
 相手は老獪だ。完璧に騙し通す事など不可能だと考えるべきだ。

 しばらくして、ハリーが部屋に入って来た。目元が赤い。
「ドラコ……、ありがとう」
「喜んでもらえて良かった。ほらほら、プレゼントは他にもたくさんあるよ」
 僕が言うと、ハリーは目の前のプレゼントの山に目を丸くした。
「そっちが君の分」
「ぼ、僕にもこんなに!?」
 ハリーの分もかなり大きな山が出来ている。
 これらは他のスリザリンの生徒達からだ。
「どうしよう、僕、みんなに用意してないよ!」
 ハリーは狼狽えた表情で僕を見た。
「ホグワーツに戻ったら感謝の一言でも言えばいいよ。みんなもお返しを期待しているわけじゃないからね」
 実際、これらは単なる献上品だ。ハリー・ポッターに名を覚えてもらうためのもの。
 ハリーだって、僕やいつも一緒にいるメンバーの分は用意していた。
 用意していないのは名前すら覚えていないようなその他大勢の分。
「で、でも……」
 弱り切った表情を浮かべるハリー。
「旧家の魔法使いほど、こういう機会にプレゼントをばら撒くんだ。言ってみれば、挨拶みたいなものだよ。日頃の感謝とか、友好を深めたいとかじゃなくて、縁を作っておきたいだけだから、そこまで気にする必要は無いさ」
 もっとも、相手は選ぶけどね。
「うーん……。なら、いいのかな?」
「いいんだよ。それより、さっさと開けよう」
「う、うん」
 気を取り直してプレゼントの開封に取り掛かると、途端、ハリーが声を張り上げた。
「ど、どうしたの?」
「スネイプ先生からだ!」
「え……?」
 一体、彼の中でハリーに対する好感度はどうなっているんだろう……。
 まさか、クリスマスプレゼントを寄越すとは思わなかった。
「な、何をくれたの?」
 ハリーが開いた包みを開くと、そこには様々な雑貨が詰まっていた。
「なにこれ?」
 思わず目を瞠ると、手紙が同封されている事に気付いた。
「えっと……」
 手紙を開いたハリーは口をぽかんと開けた状態で雑貨を見下ろした。
「どうしたの?」
「これ……。ママが学生時代に使っていたものなんだって……」
「え……?」
 まずい、スネイプの中のハリーへの好感度の上昇率と反比例して、ハリーの中のスネイプへの好感度が急降下しそうだ。
「な、なんで、先生がママの羽ペンとか教科書を持ってるの?」
 恐る恐る手紙を読み進めるハリー。
 僕はその様子を引き攣った表情で眺めていた。
 しばらくして、ハリーはほっと溜息をこぼした。
「どうだった?」
「これ、ママが学生時代に学校に置いていったもので、校内に保管されてたものなんだって」
「ああ、なるほど」
 教科書みたいな備品を買えない生徒や忘れた生徒の為に卒業生が自分の使っていた持ち物を学校に寄付するのはよくある話だ。
 原作でスネイプも魔法薬の教科書を学校に寄付している。
「相応しいものが持つべきだろうって書いてある」
「……そっか」
 粋な図らいというヤツだろう。
 ハリーは嬉しそうに教科書を開いている。
 僕としては非常に遺憾だ。僕のプレゼントしたアルバムの価値が若干下がってしまった。
「うわぁ……、走り書きだらけだ。でも、これがママの字なのかな? って、これはパパの字!?」
 どうやら、リリーの教科書にはジェームズからの愛の文章がそこかしこに残されていたらしい。
 そんな物を寄付するとは……。
「パパって……、こんな恥ずかしい事を言うタイプだったのか……」
 ハリーの顔が引き攣っている。
 横から見ると、その顔に納得。
「『君の笑顔は野原に咲き誇る花のようだ。ああ、この世界の誰よりも美しい』……」
「これ、寄付したんじゃなくて、廃棄しようとしたのを学校が回収しただけじゃ……」
「は、はは……」
 何も言えない。
「それにしても、七年生までの教科書が揃ってるね。君の母上は勉学に長けていたと聞くし、今後の授業で非常に役に立つと思うよ。そうだ! 今度の勉強会ではその教科書を使おう」
 名案だと思ったのだけど、ハリーは嫌そうな表情を浮かべた。
「パパの迷文を大衆に公開するのはお断りだよ」
「そっか……」
 しばらく二人でリリー・エバンスの教科書を読んだ後、他のプレゼントの開封にとりかかった。
 ハリーは包装を開ける度に悲鳴染みた声を上げている。
 スリザリンの生徒からの贈り物はどれもこれも高級品ばかりだからだ。
 庶民派の英雄には刺激が強過ぎたらしい。
「ほ、箒が三本もあるんだけど……」
 最新型のニンバス2000や長距離飛行に長けたコメット260、やたら値の張るツィガー90が並ぶ様は中々圧巻だ。
 他にも高級杖磨きセットや高級魔法薬調合セット、高級クィディッチ用品各種などなど。
 頭に高級とつかない物がほとんど無いという有り様だ。
 付き合いが疎遠になって尚、お菓子のセットをプレゼントしてくれたハーマイオニーが良心と言える。
 ちなみに、ニンバス2000を送ったのは僕の両親だった。まさか、箒が被るとは思っていなかったらしく、昼食の席で恐縮するハリーの前で若干二人の笑顔がひきつっていた。
 二人は僕にも同型を送ってくれて、屋敷の敷地内を二人で飛び回ったら中々快適だった。
「コメット260はまだしも、ツィガーを贈るなど、何も分かっていない愚か者だ。そういう輩とは距離を置きなさい」
 父上は時々大人げない姿を見せる。ハリーもその時ばかりは苦笑いを浮かべるしかなかった。

第十二話「一年目の終わり」

 クリスマス休暇が終わると、再びホグワーツでの生活が始まった。
 特に劇的な変化は無い。昼間は授業に出て、夕方までテキトウに時間をつぶし、談話室で勉強会を開く。その繰り返し。
 そう、何も変わらない。クィレルがヴォルデモートを後頭部に飼いながら暗躍している事を知りながら、僕は何もしていない。
 結局、透明マントは寮にも無かった。だから、ハリーが一人で寮を抜けだして『みぞの鏡』を見る事もなく、平穏な時間が流れている。
 もっとも、闇の魔術や治癒魔術の実験は順調だ。以前とは異なり、今はリジーに予め『必要の部屋』で必要な部屋を作ってもらい、そこに『付き添い姿現し』で移動している。
 ダンブルドアを警戒しての対策だ。屋敷しもべ妖精の魔法なら、加護が働いているホグワーツ内でも自由に移動出来るから実に便利だ。
 部屋の中にはたくさんの水槽と檻がある。水槽にはそれぞれ生き物の内蔵や死体が浮かんでいて、檻には生きた実験動物達が入っている。
 僕は今、一つの大きな計画を立てていて、その為の方法を模索している最中だ。

 闇の魔術は大きく分けて、三つに分別される。
 死の呪文を筆頭とした『霊魂』を弄るもの。
 磔の呪文を筆頭とした『精神』を操るもの。
 服従の呪文を筆頭とした『肉体』に干渉するもの。
 例えば、『悪霊の火』は名の通り、悪霊を呼び集め、その魂を燃やすことで発動する。つまり、『霊魂』の系統に属する闇の魔術という事になる。
 僕の目的は主に魂を弄る事で達成出来る可能性が高いと睨んでいる。 

 僕は一つの檻の前で立ち止まった。
 実験動物は虚ろな目を僕に向けた。ドビーが連れて来た屋敷しもべ妖精の片割れだ。
 もはや、自分が何者なのかも覚えていない。精神や脳ではなく、魂を刻み、撹拌し、磨り潰した結果だ。
 死んではいないけど、生きてもいない。魂の搾り滓が肉体を瀬戸際で維持しているだけだ。
 これから、彼で一つの実験をしてみようと思っている。
 それは僕の目的を達成する上でとても大切なものだ。
 きっと、彼も喜んでいる事だろう。だって、彼は言った。
『わたしを雇ってくださったドラコ坊ちゃまに忠誠を捧げます』
 そう、彼は僕に忠誠を誓った。だから、僕は彼の心意気に答えた。
 原作でマルフォイ家を裏切ったドビーや初めに反抗的な態度を取ったリジーとは違う。
 初めから謙虚な姿勢で忠誠を誓ってくれた年寄り妖精のラッド。彼の魂はその一片足りとも無駄にはしない。僕の役に立ててあげる。
 僕は近くの檻から一匹の蛇を取り出し、その首を撥ねた。同時に死体へ杖を向ける。
「セルビトゥテ スピリテニマ」
 呪文を唱えると共に蛇の肉体から白い煙のようなものが零れ落ちた。
 これは意図的にゴーストを作り出す呪文だ。
 闇の魔術の三系統はそのまま人間を構築する三つの要素に対応している。
 即ち、『霊魂』、『精神』、『肉体』。これを錬金術では三原質、十字教では三位一体などと呼ぶ。
 本来、霊魂と精神は肉体に宿っていて、肉体が滅びると共に精神と霊魂分かれてしまう。
 この不文律が乱れる事が稀にある。例えば、肉体から精神のみが失われた場合、『亡者』と呼ばれる存在になる。原作ではヴォルデモートの分霊箱を守っていた化け物だ。
 そして、肉体から抜け落ちた霊魂と精神が何らかの理由で結びついたままの状態を維持すると『ゴースト』になる。
 ちなみに、霊魂が失われた場合、精神も失われてしまう。霊魂とは精神の土台であり、精気の源だからだ。
 肉体を殺し、霊魂と精神を束縛する事で『蛇のゴースト』を創り出した僕はそのゴーストをラッドの中へ注ぎ込んだ。
 要はハリーとヴォルデモートの魂の断片との共生状態を意図的に作り出したわけだ。
「……さて」
 ここから先は未知の領域だ。
 ラッドは霊魂を限界まで削った状態。ここに蛇のゴーストが入り込んだ事でどうなるのか。
 知りたい事は三つ。
 一つ目は他者との霊魂を共有が可能かどうか。
 二つ目は霊魂が削られた場合、精神はどうなるのか。
 三つ目は蛇の精神が知性を持つ存在の中に入り込んだらどうなるのか。
 二つ目と三つ目は一つ目の疑問の結果に掛かっている。
「……ぁぁ」
 しばらく待つと、ラッドが僅かに目を見開いた。
「ラッド」
 僕は実験の成功を信じて声を掛けた。
 すると、ラッドは突然絶叫した。
「な、何をしたのですか!? わ、わたしに何を!? な、なんだ、これは!! あ、あが……あぎゃあああああああああああ!?」
 次第に体を檻の壁にぶつけ始め、しばらくすると、白目を向いて気絶してしまった。
「ラッド……?」
 違う。よく見ると、ラッドは死亡していた。
「……これは」
 完全に失敗だ。ラッドが意識を取り戻した理由は恐らく、肉体に残っていた魂の残滓が蛇のゴーストの侵入によって驚き、最後の一滴まで振り絞ってしまったからだろう。
「被験体が妖精だったからかな? それとも、異種族の魂は適合しないのか?」
 まあ、失敗という結果を得られただけでも上々か……。
「リジー。ラッドの死体を解剖するから準備して」
 リジーに命じると、彼女は直ぐに手術台と幾つかの水槽を用意してくれた。
 魂は使い切ったけど、肉体にはまだまだ利用価値がある。
 僕はまずラッドの首を切断した。
 治癒魔術の腕を上げる上で重要な事は生命について深く知る事だ。その為に生き物の構造を見る必要がある。
 初めはネズミだった。次に猫。そして、犬。順番に解剖していく内に手馴れてきたのか大分丁寧に解体する事が出来るようになった。
 取り外したパーツはどんどん水槽に入れて保管する。屋敷しもべ妖精の眼球はこれで五つ目になった。
 この調子なら人間も綺麗に解剖出来そうだ。 
 床や服に飛び散った血を綺麗にして、僕は余った肉を別の檻に入れている治癒魔術の実験用屋敷しもべ妖精に食べさせた。
 ラッドと違って、実に悪い子だったから丹念に躾をしたけど、未だに素直になってくれない困った子だ。
 既に目玉と歯と指と耳を失い、それでも僕の実験を嫌がるのだから……。
「美味しいかい?」
 痙攣したようにコクコクと頷きながら同族の肉を食べるペテル。
 食べ終わった頃を見計らって、また今日も実験を始める。
 耳障りな雑音を『声縛りの呪い』で防ぎ、僕はペテルの足を折る。それを癒やす。その繰り返しを十回。
 次に足に十センチ程の切れ込みを入れ、それを癒やす。その繰り返しを十回。
 次に腕に火を付けて、それを癒やす。同じく十回。
 そうして、様々な実験を繰り返して今日の日課を終える。不快に震えるペテルを蹴り飛ばして檻の奥へ戻すと、リジーを見た。
「そろそろ代わりが欲しいね。頼めるかい?」
「もちろんです、ご主人様」
 リジーはパチンという音と共に消える。彼女なら早々に結果を出してくれる事だろう。
 それにしても、屋敷しもべ妖精というのは不思議な生き物だ。一度主従の契約を結べば、例えどんな目にあっても主人に逆らおうとしない。
 よく分からない感覚だけど、それが生まれた理由だかららしい。だが、中途半端だ。
 それが存在理由なら、たとえ体をバラバラにされようと、主人の為なら歓喜に打ち震えるべきだろう。

 そのようにして日々を過ごし、やがて冬が終わり春が来る頃、一つの事件が起きた。
 その日、ハリーはクリスマスプレゼントのお礼を言うためにハグリッドの小屋を訪れていた。
 そこで暖炉に巨大な卵を置いているハグリッドの姿を目撃した。
 ハリーにはそれが何なのかサッパリ分からなかった。だから、勉強会の席で気軽に話してしまった。
 正直、ハグリッドに対して思い入れも無いし、ホグワーツを追い出されようがどうでも良かったけど、思いの外周囲の反応が慌ただしくなり青褪めるハリーが可哀想だった。
「この件は僕が預かる」
 これでも、勉強会に集まるメンバーのリーダーは僕だ。僕の言葉に真っ向から逆らえる人間はいない。
 それでも、人の口に戸は立てられない。明日には全校生徒が知る事となるだろう。
 そう予測して、すぐに校長室へ向かった。正直、頼りたくなかった。そもそも、彼とはなるべく接触したくなかった。
 だけど、ハグリッドを守る為にはダンブルドアに事情を説明する以外に道が無い。とりあえず、ハリーは置いてきた。
 ガーゴイルの銅像の前で少し待っていると、ダンブルドアが現れた。
「儂に何か用かな?」
 胡散臭い微笑みを浮かべながら訪ねてくるダンブルドアに僕はハグリッドがドラゴンの卵を孵化させようと企んでいる事。
 そして、その危険性を口にした。
「ドラゴンが孵化したら校内はパニックです。そうなると、ハグリッドの立場も……。どうか、孵化する前に彼を説得して頂きたいのです」
「ドラゴンの卵とは、相変わらずじゃな」
 本当は知っていたんじゃないかと思うほど手応えのない反応。
「あいわかった。ハグリッドとドラゴンの卵の事は任せておきなさい。悪いようにはせんよ」
「お願いします。……あと、せめて、ドラゴンに名前をつけさせてあげてもらえますか?」
「……君は優しいのう」
「本当に優しかったら、知っている人間の口止めをして、見ていない振りをしてますよ」
 おかしな事を口走った。そこまで言うつもりなんて無かったのに、僕は余計な事を口にしていた。
 焦りを覚えながらダンブルドアを見ると、彼のキラキラした瞳が僕をまっすぐに貫いていた。
「それはどういう意味かね?」
 その目に見られていると、自然と口が動いてしまう。
「例え、ドラゴンがこの地に適応出来ずに死んでも、ドラゴンに襲われる犠牲者がいくら出ても、ドラゴンが孵化して暴れ回る姿を見るのがハグリッドにとっての幸せなんだと思います。今の立場や人としての倫理なんて、彼にとって幸せを謳歌する為には邪魔でしかない。本当は人里離れた場所で動物や魔法生物に囲まれている方が彼にとっては良いんだと……」
 そこまでペラペラ喋って、ようやく口が止まった。
「……何をしたんですか?」
 体が震えるのを抑えながら、僕はつい聞いてしまった。
「……実に賢い。そして、その賢さの意味と隠す術を身につけておる」
 今直ぐ背を向けて走り出したい衝動に駆られた。まるで、僕の全てを知っているかのような目。それが堪らなく恐ろしい。
「ミスタ・マルフォイ。儂はいつでも君の味方でありたいと願っておる。そして、君にはその賢さをもって、皆の味方であり続けて欲しいと願っておるよ」
「……皆とは?」
「言わずとも、君ならば察せよう? さて、儂はハグリッドの小屋に行かねばならん。教えてくれた事、感謝しておるよ」
 そう言うと、ダンブルドアは僕の頭を撫で、背を向けて去って行った。
 肌が粟立つ。
 感情が制御出来ない。思わず、壁を殴りつけてしまった。
 怒りなのか、
 羞恥なのか、
 恐怖なのか、
 色々な感情が混ざり合って、わけが分からなくなっている。

 その後の経過は実にあっけないものだった。
 ダンブルドアはハグリッドにドラゴンが孵化するまで面倒を見る許可を与えた。
 ただし、場所は禁じられた森の奥に作った教師数人掛かりの強力な結界が張られた空間。
 そして、孵化したら直ぐにドラゴンの保護区に移送する事になっている。
 ダンブルドアはあろう事か僕の名前をハグリッドに喋ったらしく、ハグリッドから事の成り行きと感謝、そして、僅かな恨み事の書かれた手紙を貰う羽目に……。

 そうして、更に時が過ぎていく。春が過ぎ去った。
 結局、あれから警戒していたダンブルドアによるハリーへの接触は無く、ハリーは賢者の石の存在すら知らないまま事件が終わった。
 クィレルは学校を去り、『闇の魔術に対する防衛術』の授業が学年末まで休講になってしまった事を不思議に思いながら、生徒達は真実を何も知らない。
 当然、ハリーを含めて生徒は誰も賢者の石の防衛を行っていないから、劇的な逆転劇もなく寮対抗杯はスリザリンの圧勝だった。

第一話「日記」

 待ちわびた日が近づいている。この年、父上は憎しと思っているアーサー・ウィーズリーとダンブルドアの地位失墜を目論見、ちょっとしたイタズラを計画している。
 僕はそのイタズラに使う『小道具』を横から掠め取るつもりだ。
 今、僕が進めている計画が成功した暁にはダンブルドアでさえ手を出せない究極的に安全な実験場と実験動物を確保する手段が手に入る。
 使い方次第でダンブルドアをいつでも始末出来る程の強大な力と共に……。
 
 その日は晴天だった。父上と共にダイアゴン横丁を歩いていると、父上は何かを見つけたらしくほくそ笑んだ。
「ドラコ。次は教科書を揃えるとしよう」
「はい、父上」
 フローリシュ・アンド・ブロッツ書店。そこには長蛇の列が出来ていた。ギルデロイ・ロックハートのサイン会を開催している為だ。
 その列に赤髪の集団が紛れていた。
「ドラコ。リストは持っているな?」
「はい」
「よろしい。では、買い忘れなど無いようにな。私は少し野暮用がある」
「わかりました」
 父上がウィーズリー家の一団の下へ歩み寄っていくのを見送り、コッソリとリジーを呼び出した。
「リジー。父上が小さな手帳をあの中の誰かの荷物に紛れ込ませる筈だ。それを回収しろ」
「かしこまりました」
 リジーは優秀だ。僕が買い物を終え、父上とアーサー・ウィーズリーが乱闘を開始した直後、目的の物を僕の下に届けてくれた。
「素晴らしいよ、リジー」
 目的をアッサリと達成した僕はゆっくりとウィーズリー家の下へ向かった。
「やあ、ハグリッド」
 父上達の大人げない事極まりない喧嘩を仲裁していたハグリッドに挨拶をすると、ハグリッドも戸惑いがちに挨拶を帰してくれた。
「いや、父上もまだまだお若いな」
「ド、ドラコ・マルフォイ」
 髪を見出し、肩で息をしている子供っぽい父上の姿についつい頬を緩ませていると隣に居た少年にフルネームで呼ばれた。
「おや、ロナルドくん。そうか、あの方は君の父上だったんだね。ずいぶんと二人は仲が良いらしい」
 クスクスと笑うとロンはギョッとした表情を浮かべた。
「仲が良いだって!? 馬鹿も休み休み言えよ、マルフォイ!」
 いきなり喧嘩腰だ。彼自身に何かした覚えは無いが、恐らく父親からマルフォイ家に対して色々と言われているのだろう。
 だが、こちらにその気はない。
 ハリーと接触させるつもりはないが、僕は彼に一定の敬意を持っている。
 ハリー・ポッターを英雄に導く男。その生き様はダンブルドアなどよりもずっと勇ましくて素晴らしい。
 勇気とは恐怖に抗う強さの事。彼は物語の中で一度恐怖や嫉妬といった負の感情に負け、それでも尚、ハリーと共に巨大な悪に立ち向かった。
 絶対的な強さや特別な資質もなく、本来なら逃げ出しても誰も文句を言わない平凡な男。だからこそ、その勇気の価値は計り知れない。
 まさに勇者と呼ぶに相応しい存在だ。あまり嫌われたくない。
「喧嘩するほど仲が良いという言葉がある。本当に嫌い合っていたら互いに無関心になっている筈さ」
「はあ? 何を馬鹿な事を言って……」
「おい、ロン! 誰と話してるんだ?」
「おい、ロン! 誰と話してるんだ?」
 これは思った以上に奇妙な光景だ。まったく同じ顔の人間の口からまったく同じ声でまったく同じセリフが流れてくる。
 一瞬、言葉に詰まってしまった。
「いきなり割り込んでくるなよ!」
「いいじゃないか! 我らが父上は忙しそうだし!」
「その通り! 暇を持て余す我らを持て成すのが末弟たるロナウド・ウィーズリーの使命である!」
「ふっざけんな! 向こうに行ってろ!」
 実に愉快な人達だ。僕は双子に声を掛けた。
「お初にお目にかかる。僕はドラコ。ドラコ・マルフォイ。あそこで君達の御父君とじゃれ合っている人の息子だよ」
「え?」
「マジ?」
「マジだよ」
 双子にジロジロ見られるけど、あまり不快じゃない。驚きながら僕と父上を見比べている二人の様子は見ていて面白い。
「これはこれは! かの偉大なるドラコさまで御座いましたか!」
「お噂はかねがねと!」
「興味深いね。どんな噂を聞いているんだい?」
「ああ、なんでも――――」
「何をしている、ドラコ」
 双子が口を開きかけたところで父上がやって来た。
「教科書は揃えたな? では、行くぞ」
「はい、父上。それでは失礼するよ、ロナルドくん。そちらのお兄さん達もホグワーツで会いましょう」
「お、おう」
 父上は僕がウィーズリー家の息子達と話していた事が気に入らないらしく、如何にあの家の物が下賎であるかを丁寧に説明してくれた。
 どうやら、あの家の男は性欲旺盛との事。どの代でも子沢山で有名らしい。中にはマグルと結ばれた者も少なくないと言って、父上は面白い顔芸を披露してくれた。
 目的を達成出来たし、普段見れない父上の可愛らしい一面を見ることが出来たから大満足な一日だった。
 まったく、ウィーズリー家には感謝だ。

 屋敷に帰って来た僕は早速回収した一冊のノートを開いた。
 日記帳だ。この中には伝説の魔法使いであるヴォルデモートの若き頃の魂の断片が封じ込められている。
 本物の分霊箱を前に少し興奮しながら、僕は杖を振るった。強力な闇の魔術の結晶である分霊箱も言ってみれば魂の断片を特定の媒体に保管しているだけだ。
 如何に闇の魔術に精通しているヴォルデモートも学生時代の……、しかも、魂の断片では大した事も出来まい。
 油断するつもりはないけど、多少のリスクは飲み込むしかない。
「分霊箱。正確には『分裂した魂を隠すもの』。これがある限り、本体の魂は完全に消滅する事なく、現世に留まるという」
 分霊箱の保持者が死亡した場合、ゴーストとも異なるナニカになると言われている。
 僕は恐らく『霊魂のみの存在』になったのだろうと予想している。
 霊魂は精神の器。注がれるべきものが無ければ輪廻を転生し、新たな肉体の内で新たな精神を育む。
 転生した赤ん坊が前世の記憶を持たずに生まれてくる理由がこれだ。
 記憶や性格といった精神に由来するものは死によって霊魂から分かたれ消滅してしまうが故、人は生まれてくる度に経験を積み、精神を育まなければならない。
 その本来は永劫終わりなき苦行の輪からはじめて解脱を果たした人が釈迦だとされている。
 分霊箱はその輪廻転生の法則を歪める魔法だ。
 物語の中で分霊箱に封じ込められている魂には精神も宿っていた。恐らく、分霊箱のシステムとは、分霊箱に保存されている精神によって本体の霊魂を無理矢理現世に繋ぎ止めているのだろう。
 ならばやりようもある。確かに本体の魂を繋ぎ止めている分霊箱の精神を全て滅ぼし、現世に繋ぎ止める鎖を破壊した上で本体を滅するのもヴォルデモートを倒すのも有効的な手段の一つだ。
 だが、闇の魔術には霊魂に干渉する技術がたくさんある。今までは分霊箱の特性自体が殆ど知られていなかった上、それに対処する側が闇の魔術に対して無知だったからこそ方法が限定されていたに違いない。
「……分霊箱を破壊しなくてもヴォルデモートは始末出来る筈。なら、折角だ。道具は有意義に使わないとね」
 既に動物実験には成功している。あれからリジーに捕らえさせた屋敷しもべ妖精でも実験して成功しているし、上手くいく筈だ。
 杖を何度か振るった後、不意に日記のページがペラペラと開いた。
 そこに黒い文字が浮かんでくる。
『お前はなにものだ?』
 答える義理は無いし、答えた途端、形勢が逆転してしまう。
 日記に文字を書くという行為は霊魂を注ぎ込む事と同義だ。
 実験の結果、同種の生物なら霊魂をある程度共有出来る事が分かった。
 もっとも、これは物語中の描写で出来るとある程度の確信を持っていたからただの確認だったが……。
『何をするつもりだ?』
 答えない。僕は淡々と杖を振るい続けた。
『やめろ』
 僕が行っているのは精神に干渉する闇の魔術。中でもとびっきりの呪いだ。
 対象の最も悲惨な悪夢を反芻させ、その精神を自壊に追い込むもの。並大抵の魔法を跳ね返す分霊箱も強力な闇の魔術までは完全にシャットダウン出来なかったらしい。
 効果があるか確認し、無かったら暫し様子を見ようと思っていたのだが、これは行幸だ。
 徐々に浮かび上がる文字が支離滅裂になっていく。
『ぼくは違う。ぼくは特別だ。マイケルがぼくを侮辱したから犬をけしかけた。なにもしていない。なぜ、僕をしんじてくれないんだ? ぼくはただ……。違うちがうチガウ違うちがう……、こんな事を望んだわけじゃない。ただ、とくべつな血筋である事をしめしたかっただだだだけけで殺したかったわけじゃない。ちがうんだちがうんだ』
 文字の形が乱れていく。
 肉体が滅びる事ばかりが死ではない。
 精神が滅びても人は死ぬ。
 だが、精神は肉体よりも堅いもの。壊し、滅するまでには時間が掛かる。
 気長にやっていくしかないね。
 その霊魂の断片を貰い受ける、その日まで……。

第二話「友達」

 ホグワーツの新学期が始まるまでの間、僕はハリーに合わなかった。手紙だけを送りながら、彼の中でダーズリー家の人々に対する憎悪を深めてもらった。
 あの一家は良くも悪くもハリーの事をよく見ている。ハリーの中に芽生えた純血主義の萌芽に彼らは直ぐ気付くはずだ。敵意は敵意を煽り、それが更なる敵意を生む。
 既に怒りと憎しみの悪循環を繰り返している所へ燃料が投下されたわけだ。
 今、キングスクロス駅のホームで彼を待っているけど、果たしてどんな表情を見せてくれるか実に楽しみだ。
「ハリー……」
 彼が物語中で純血主義に反発した大きな理由は二つある。
 一つはロン・ウィーズリーの影響。彼が純血主義を悪と教えたから、ハリーはそれを信じた。
 もう一つは彼の中にダーズリー家での教えがあった事。
 ダーズリー家では『まともである事』こそが正義だと信じられている。それも、マグルとしてのまともさだ。
 赤ん坊の頃からその教えを受け続けたハリー。それはもはや洗脳と言っても間違いではない。
 だから、ハリーには常に『自分はマグルとしてまともでなければならない』という思考が働いていた。
 どんなにマグルに酷い目に合わされても、マグルを憎まなかった理由がそれだ。
 自分もマグルなのだという無意識下での自覚が彼にあったからだ。
 既に一つ目の条件を遠ざけ、二つ目の条件にも種を撒いた。
「来た……」
 遠くからハリーが歩いてくるのが見える。駆け寄ると、ハリーは嬉しそうに顔を綻ばせた。
 だけど、その瞳に昏い光が灯っている事に気付いた。
「どうかした?」
「え、どうして?」
 首を傾げるハリーの耳元に口を近づけて囁いた。
「友達だからね。分かるよ」
「……敵わないな」
「話はコンパートメントで聞くよ。おいで、随分と細くなってしまったみたいじゃないか」
 どうやら、随分酷い仕打ちを受けたらしい。よく見れば頬が痩け、全体的にもやせ細ってしまっている。
 可哀想に……。
「コンパートメントにお茶の用意をしてある。ゆっくり心と体を休めるんだ。話はそれからでもいい」
「うん」
 どうやら大分無理をしていたらしい。今では演技を止め、憔悴しきった表情を浮かべている。
 コンパートメントに移動すると、彼は紅茶を飲みながらダーズリーの家で行われた虐待の数々を口にした。
 部屋に鍵を掛けられ、窓にも鉄の柵をつけられたらしい。
 料理は一日に一回。扉に付けられた『餌入れ』から入れられるコップ一杯の水とパンくずのみ。それを忘れられた日もあるという。
 その上、彼の従兄弟が一日一回、まるで日課のトレーニングのようにハリーをサンドバッグにしたと言う。 
「すまない、ハリー。君がそんな辛い境遇にいた事も知らずに……。君からダイアゴン横丁に行けないという手紙を受け取って、何かあったのではと心配はしていたんだけど……」
 僕は涙をこぼした。
「君の学用品は全て揃えてある。だけど、そんな事じゃ、詫びにもならないね……」
 悲しげな顔を作って、僕はハリーを抱き締めた。
「……来年からは僕の家に泊まりに来ればいい。父上と母上も歓迎するよ」
「ありがとう……」
「それにしても酷いな……あまりにも」
 僕は涙を浮かべたまま、怒りに満ちた表情をつくり椅子に戻った。
「……『魔法使い』に生まれた事はそんなにも罪深い事なのかな」
 僕の言葉にハリーの瞳が揺れた。
「マグルと魔法使いは一緒にいるべきじゃないのかな……」
 僕は何も言わなかった。
 自分の中で答えを決定させる為に。

 ホグワーツの二年目は一つの衝撃的なニュースで幕を開けた。
 ギルデロイ・ロックハート。魔法界のトップスターがクィレルの後釜として『闇の魔術に対する防衛術』の教師に招かれたのだ。
「僕はストレスで頭がどうにかなりそうだ」
 取り巻きの一人、ダン・スタークが眉間に皺をよせて言った。
 彼はロックハートの最初の授業で使命を受けて――只管使えない呪文を繰り返すという――辱めを受けたのだ。
 しかも、呪文が発動しない事を彼の才能の欠如が原因と言われた。
「しかし、教師として最悪な部類だな。自己を過信した無能が教師とは……ハァ」
 いつも無口なエドワード・ヴェニングスまでが饒舌に彼を貶めている。
「嫌われてるね……」
 僕としては面白い人だと思っている。彼の書いた小説……いや、教科書は実に読み応えがあった。
「素直に小説家としてデビューしておけば良かったのにね」
 ハリーも中々辛辣だ。まあ、ハリーもダンと同じく公開羞恥プレイを強制された被害者だから仕方がない。
「クラッブとゴイルはどうだい? 彼のことをどう思う?」
 エドやダンに更に輪をかけて無口な巨漢二人組に問いかけると、二人揃って吐き気を催したような顔をした。
「……せめて言葉で表現して欲しかったな」
 僕は他のメンバーに視線を向けた。
「フリッカ。君はどうだい?」
 フレデリカ・ヴァレンタインは少し考えた後に言った。
「顔も良いし、小説家よりハリウッドスターになった方が良いと思う。サインの書き方も様になってるし」
 そう言って、ロックハートのサイン色紙をどこからともなく取り出すフリッカ。
 ほぼ全員がギョッとした表情を浮かべている。
「ふぁ、ファンなの?」
 ハリーが恐る恐る問いかける。
「別に彼の著作は初版で全巻揃えてるけど、それだけだよ?」
 結構コアなファンだった……。
 付き合いが長い方だけど、知らなかった。意外とミーハーなのか……。
「アンよりマシ。さすがにプロマイドまで手を出す気は無いもん」
「え?」
 全員が勉強会に参加している女性メンバー三人の内で一番真面目な少女を見つめた。
 アナスタシア・フォードはそっぽを向きながら頬を朱色に染め、ボソボソと答えた。
「……しゅ、趣味は人それぞれでいいじゃないですか」
「お、女はああいうのが好みなのか……」
 ダンががっくりと肩を落としている。まあ、ロックハートとはキャラが大分違うしね。
「いや、一緒にしないでよ。私は違うから」
 真顔で否定するアメリア・オースティンにエドが心から安堵した。
「あと、エドもタイプと違うから」
 いっそ清々しい容赦の無さだ。エドが実に悲しそうな表情を僕に向けてくる。
 後で少し慰めてあげよう。
「それよりドラコ。もうすぐ、シーカー選抜試験があるじゃない? 受けるの?」
「ああ、そのつもりだよ」
「どんまい、ダン」
 アメリアがケラケラ笑いながらダンに言葉の槍を投げはなった。
 ダンまで悲しそうな顔で僕を見てくる。
「ドラコが志願するなら辞退する」
 声が震えている。
 まったく、アメリアは厳しいんだか優しいんだか分かり難いな。
「だったら僕が辞退するよ。ただし、ハリーも志願するから簡単にはいかないと思うけどね」
「待ってくれ! そういうつもりでは!」
 ダンが立ち上がって声を張り上げる。
「ダン。僕もクィディッチが好きだし、選手になりたいとも思ってる。けど、どうしてもって程じゃないんだ。本気でなりたい君が僕に遠慮して辞退するくらいなら、僕が降りるよ。ただし……、これはハリーにも言うけど、シーカーになった暁には一度の敗北も許さないよ」
「ド、ドラコ……」
「ドラコ……」
 正直、僕はクィディッチなんてどうでもいいんだけど、この二人にとっては違う。
 折角だから二人の好感度を稼ぎつつ、無駄な体力を消費するイベントを避けたわけだが、二人は感動に打ち震えている。
 まったく、可愛いな。スポーツに燃える熱血は僕が愛おしく思う人間の美徳の一つだ。
 勇気とか熱血とか、僕は持っていないから羨ましい。
「そう言えば、選抜試験の受付は今日だったと思うけど、二人はもう申し込んだの?」
 フリッカの言葉にダンとハリーが顔を見合わせる。顔色がみるみる悪くなっていく。
「ああ、それなら……」
「ちょっと行ってくる!!」
「急ぐぞ、ハリー!!」
 飛び出して行ってしまった。
「……二人の参加についてはフリントに話を通してあるから僕の辞退について後で言っておくだけで良かったんだけど」
「二人はそれほど本気という事だな」
 エドの言葉に僕は思わず噴き出してしまった。実に熱血しているな。
「ドラコ」
 フリッカが僅かに声色を変えた。
「どうしたんだい?」
 僕の配下としての顔を見せるフリッカ。
「寂しい」
「え?」
 僕は思わずエドと顔を見合わせた。
「一年目は我慢したけど、もう少し私に構って欲しい」
 別に蔑ろにしたつもりはなかったんだけど……。
「ハリーはもうドラコにゾッコンだよ。だから……」
 この勉強会に参加しているメンバーはハリー以外、幼少期から一緒にいる。
 丹念に僕への忠誠心を植え付けてきた。だけど、まさか構って欲しいと頼まれるとは思わなかった。
「分かった。僕に出来る事なら何でもするよ。何をして欲しい?」
「……もっと、私を見て」
「見てるつもりなんだけど……」
「あなたが目的のために手段を選ばない事は知ってる。今はハリーの心を手に入れるために行動していて、その行動全てに計算が入っている事も……」
「僕の行動って、大体打算だって知ってるだろ?」
「知ってる。だから、そうじゃなくて……」
「……デートでもするかい?」
「する」
 どうやら、満足行く答えを返せたみたいだ。
「……エド達は何かあるかい? この際だから聞いてあげるよ?」
「私もデートでいいよ」
「……私もデートでいいです」
「俺もデートでいい」
「……オーケー。ダンにも聞いておこう」
 困った。口元が緩んでしまう。
「しかし、エドはアメリアが好きなんじゃなかったのかい?」
「たった今、振られた」
「うん……、悪かった」
「それにアメリアは好きだが、ドラコも好きだ」
「うん。僕も好きだよ」
 前はこまめにそれぞれと二人の時間を作っていたけど、その時間を今はハリーにばかり使っていた。
 その事を不満に思っていたらしい。まったく、愛しい友人たちだ。
「とりあえず、順番は先着順にさせてもらうよ?」
 だけど、これはハリーの籠絡に使える一手だ。
 敢えて放っておく事も愛を深める為に重要な事なのかもしれない。

第三話「エドワード・ヴェニングス」

 エドワード・ヴェニングスはヴェニングス家の四男として、この世に生を受けた。
 物心ついた時、既に母親の姿は無く、乳母に手習いなどを教わりながら育つ。
 十人を超える兄弟は全て敵だった。
 ヴェニングス家の当主、アラン・ヴェニングスは好色家として有名で、兄弟姉妹全員の母親が違うという恐ろしく複雑な関係を家庭内で築いた。
 その癖、家庭を顧みず、権力と金集めに執念を燃やす男だった。
 生まれた時から愛憎渦巻く修羅場の中で育った彼はドラコと出会った時、既に完全な人間不信に陥っていた。
 母親は父に愛想を尽かして出て行き、育ててくれた乳母は弟の母親になった途端彼を突き放し、兄弟姉妹は互いを憎み合っているのだから無理も無い。

 エドワードがドラコ・マルフォイと出会ったのは1987年6月5日の事。ドラコが七歳になった日だった。
 初めて、父親が外へ連れ出してくれた。その事が嬉しくて、エドワードは生まれて初めて笑顔を浮かべた日でもあった。
 アランはドラコの父、ルシウスの前で跪き、エドワードを差し出した。
『いいか、これからお前はドラコ・マルフォイに仕えるのだ。決して、彼の不興を買ってはならない。もし、彼に死ねと命じられたら、お前は死ななければならない』
 ルシウス・マルフォイに謁見する直前、アランは息子にそう言って聞かせた。
 媚を売り続けろ。ドラコ・マルフォイの関心を引け。いずれ、お前の妹を彼の下へ嫁がせ、マルフォイ家の血を我が血族へ取り入れる為に全てを捧げろ。
 お前の人生の価値はそれだけだ。
 それが最初で最後の父親との会話だった。要するに奴隷として売られたのだ。
 アランはルシウスが闇の魔術に耽溺している事を知っていた。そして、その実験台に使っても構わないとルシウスに許可を出した。
 まだ誕生日を迎えていない、六歳の幼子が理解してしまった。
 誰からも愛されていない。誰からも必要とされていない。ただ、道具として消費される日を待つだけの存在。
 それが自分なのだと悟った彼の心は壊れる寸前まで追い詰められていた。
「なら、僕に全てをくれ」
 ドラコ・マルフォイは彼の望んだ言葉を望むだけ与えた。
 必要として欲しい。愛して欲しい。道具としてでもいいから……、大切にして欲しい。
 そんな彼の切実な願いをドラコは聞き入れた。

 本来、ルシウスはエドワードをドラコに近づける気が無かった。
 アラン・ヴェニングスが如何に下劣な人間かを彼は理解していたからだ。
 物語中、息子がマグル生まれの女に負けたと聞いた時、彼はマグル生まれを貶めるのではなく、そんな女に負けた自らを恥じよと息子を叱った。
 純血主義であり、権力を愛し、闇の帝王に平伏した彼だが、その心は高潔であり、例え旧家の純血だろうと品性が下劣な者を彼は軽蔑する。
 だが、息子がエドワードを欲しがった。驚く程賢く育ち、我儘を滅多に言わない息子が『欲しい』と口にした。
 ならば、与えてみようと思った。そして、息子がエドワードをどう使うのか見てみようと思った。
 息子がヴェニングスの下劣な品性に染まるようなら突き返せばいいと考えた。

 ドラコはエドワードに対してとても親切に接した。
 孤独を癒やし、求めるものを与え、時には痛みを覚えさせ、彼の心を支配した。
 それがエドワードにとって幸福な事なのか、不幸な事なのか、彼自身でさえ分からない。
 ただ、ドラコの求めに応じる事が至上の喜びとなった。
 ドラコは全ての行動に計算を挟み込む。それはつまり、彼の行動に無駄な事など無いという事だ。
 彼が苦痛を与えてくるという事はそれが彼にとって必要な事だからだ。ならば、受け入れる。
 

 その日、俺はドラコに必要の部屋と呼ばれる部屋へ招かれた。
「明日はシーカーの選抜試験だね」
 生き物の死体が浮かぶ水槽に囲まれながら、ドラコはいつものように作り笑いを浮かべている。
「どっちがシーカーになると思う?」
 ハリーとダンの事を聞いているのだろう。
 上級生にもシーカーの席を狙う人間はたくさんいる。
 だけど、こういう言い方をするという事は彼が二人の内、一方がシーカーになる事を確信しているからだ。
 ダンには無理だ。彼には熱意がある。だが、技術は平凡なものだ。つまり……、
「ハリー・ポッター」
「……そう。きっと、ハリーがシーカーになる」
 これは単なる確認だ。俺が如何にドラコの事を理解出来ているのか試したのだ。
「ドラコ……」
「なんだい?」
「……俺は何をすればいいんだ?」
「座っているだけでいいよ。ただし、すごく苦しいかもしれないから、耐えろ」
「わかった」
 俺はドラコの道具だ。彼が必要としてくれる限り、生きる価値がある。
 痛みも、苦しみも、それがドラコにとって必要な事なら、俺は生きる実感を持てる。
「レジリメンス」
 それは未知の感覚だった。過去から現在に掛けての記憶が一気にフラッシュバックして、それをドラコに覗かれている。
 隅から隅まで覗かれて、生理的な嫌悪感に吐き気がした。
「……ああ、素晴らしい」
 呪文が終わった後、ドラコは愉しそうに嗤っていた。
「エドワード。君は心の底から僕を必要としている。そして、必要とされたがっている」
 分かり切った事を何故今更?
「……僕は割りと疑り深いんだ」
 知ってる。
「だから、開心術の実験ついでに『お前』の心を覗いた。嬉しいよ。お前は僕を裏切らない」
「当たり前だ。君が必要とする限り、俺は生きられる」
「ああ、必要だとも」
 ドラコの言葉に胸が暖かくなった。
「今、僕はちょっとした計画を立てている。それを手伝ってもらうよ」
「わかった。何でも命令してくれ」
「まだ、少し早いな。準備に時間がかかってね」
「なら、準備も手伝う」
「ダメだよ。今は僕にしか出来ない事ばかりだからね」
「……わかった」
「そう、悲しそうな顔をしないでくれよ。春が来る前には準備が終わる。その時になったら良い物を見せてあげるよ」
「わかった」
 ドラコはこの部屋で長い間、闇の魔術の研究をしていたらしい。
 わざわざ説明するという事は必要な事なのだろうから、その研究の内容を記憶に焼き付けておく。
「俺を実験台にすればよかったのに」
 屋敷しもべ妖精や動物を使うよりもずっと詳細なデータが取れた筈だ。
 ところが僕の言葉にドラコは首を振った。
「闇の魔術の多くは後遺症を伴う。それをお前達に使うわけにはいかないよ。クラッブやゴイルはともかく、特にお前は僕の重要な手駒だ」
「……なるほど」
「一応、フリッカにも協力させる予定だ」
「アン達は?」
「アンには何も教えない。アメリアは……、少し考える。ハリーとダンは論外だ」
「どうして?」
「アンはある意味で誰よりも信用出来るが、誰よりも信頼出来ない。アメリアはスイッチが入るとな……。ハリーは教育段階だし、ダンはあの性格だから緻密な計画に取り入れる事は出来ない」
「フリッカと俺は特別って事かい?」
「特別だ」
 即答だった。
「僕の本質を知りながら、心から忠誠を誓ってくれている。裏切る心配を欠片もしなくていい」
 ドラコは一枚の羊皮紙を持ち上げた。
「今、少し研究しているものがある」
「計画とは別にかい?」
「ああ。過去、ヴォルデモート卿が死喰い人達の腕に刻んだ刻印を知っているかい?」
「……いいや」
「彼が自らに忠誠を誓った者達に掛けた首輪のようなものさ」
「首輪……」
「とりあえず、模様を先に考えてみたんだ。どうかな?」
 ドラコが見せた羊皮紙には幾つもの人の影を抱きながら天を仰ぐ一匹のドラゴンの絵が描かれていた。
「……う、うーん」
「そ、そうか……。いや、みなまで言わなくていい」
 ドラコにデザイナーの才能が無い事だけは確かだね。
「術を刻印に練り込む方法はわかってるし、練り込む呪文の種類もある程度決まっているから、あとはデザインと最後の仕上げだけだったんだけどな……」
「えっと……、とりあえずフリッカに頼んでみたらどうかな? 彼女は絵心があるし……」
「グリとグラを体に刻まれたら僕は相手が何者であっても軽蔑すると思うよ」
「……お、俺も考えてみるよ」
 確かにフリッカの絵は絵本の挿絵みたいな柔らかいタッチだ。
 ドラコが配下の首輪として刻む刻印には似合わないか……。
「……り、力作だったのに」
 ドラコが聞こえるかどうかという小さな声で呟いた。多分、今のは本音だ。聞かなかった事にしよう。
 ドラコの紋章か……。

第四話「ダン・スターク」

 ダン・スタークは純血ながら反純血主義派である両親の間に生まれた。
 彼自身も純血主義ではない。マグル生まれだろうが、純血だろうが、彼にとって面白いと思えるかどうかが全て。
 ドラコ・マルフォイは彼を典型的な快楽主義者だと捉えている。
 人としての倫理観や一般常識、法律から逸脱した事でも彼自身が楽しいと感じる事は彼にとって全て『正しい事』になる。
 そんな彼の幼い頃の趣味は暴力だった。
「ヘイ! 可愛い子ちゃん、ちょっといいかい?」
 両親すら手を焼く乱暴者とドラコが初めて出会ったのはノクターン横丁だった。
 闇の魔術に関係する商品を取り扱う『ボージン・アンド・バークス』で父親が商談をしている間、暇になったドラコは店の近くを見て回っていた。
 ダンはいきなりドラコに殴りかかった。
 理由は特に無い。ただ、人を殴りたくなって、目の前に殴りやすそうな子供がいたから殴りかかった。
「……前にどこかで会ったかな?」
 あまりにも理不尽な暴力を前にドラコは不快に思うよりも先に疑問を抱いた。
 殴られたからには理由がある筈だと考えたのだ。
「無いぜ、多分。けど、オレは殴りたいんだ。誰でも良かったが、お前が最初に目に入った」
 生前、心理学や人類学の本も山程読み漁ったドラコだったが、衝動的過ぎるダンの行動原理を理解するのは至難だった。
 あまりにも野性的過ぎる。まるで、山から降りて来た猿や猪のようだ。
 だから、興味を惹かれた。
「なるほどね。一つ条件を呑んでくれるなら僕を好きなだけ殴っていいよ。ただし、顔だと父上にバレてしまうから首から下で頼む」
 その返答はダンにとっても予想外だった。たいてい、今まで殴ってきた人間は怒るか泣くかして反撃してきたり逃げたりした。
 自分を殴って良いと柔らかく微笑むドラコにダンもまた、興味を惹かれた。
「条件ってのは?」
「僕と友達になってくれ。君が望むなら暴力を好きなだけ振るえる機会を作ろう」
 それはドラコの屋敷の屋敷しもべ妖精ドビーにとって悪魔の契約だった。
 ドビーの躾はダンに感じたことの無い恍惚感を与えた。ただの暴力だけでは味わえない快楽に酔いしれた。
 ドラコ自身の体もダンが望む限り傷つける事を許した。ドラコ自身、興味があったのだ。人間はどう壊せば、どう感じるのか。
 リジー達を使った本格的な実験を始める前に既にある程度ドラコが治癒呪文に精通していた理由は自らの体で何度も試した結果だった。
 腕を折る痛み、肌に針を突き刺す痛み、火で肌を炙る痛み、爪を剥がす痛み、そして、それらを完璧に治癒する時の脳を焼くような痛み。 
 熟達すれば痛みを取り払う事も出来るのだろうが、幼い頃のドラコは高度な治癒を行えても痛みは残り、皮膚や骨が再生する時に強烈な痛みを覚えた。
 
 初めはダンも興奮し、楽しんでいた。人の壊し方に精通していく事を誇らしく思い、壊す事を許すドラコに感謝していた。
 ある日を境にダンの興奮が冷めてしまった。
 まるで、人形遊びをしているような気分になった。いくら壊しても、ドラコは面白がるように微笑むばかり。
「……つまんねぇ」
 ドビーへの躾もつまらないと感じるようになってしまった。
「君は張り合いを欲しているのかもしれないね」
 情熱が冷めてしまった理由に悩んでいると、ドラコが言った。
 彼はダンにマグルの格闘技やスポーツを薦めた。
 ドラコとの接触によって、対外的には大人しくなったように見えたダンに彼の両親は実に寛容だった。
 マグルの格闘技道場への入門を快く許したのだ。そこで初めて、誰かと競い合う楽しさを知った。強くなる事への興奮を知った。
 嬲るだけでは得られなかった快楽を知った。
「……けど、なんか物足りねぇんだ」
 ダンはつまらなそうな顔をして言った。
 足りないものがある。だけど、それが何なのかが分からない。
 ドラコなら答えを教えてくれる気がした。
「君に必要なものは恐らく目標だよ。ただ漠然と修練に勤しむなんて、ただの苦行だからね。君にとって、それはそれで楽しいのかもしれないけど、その修練によってどうなりたいか、何を得たいかを明確に決めた方がずっと身が入るし、楽しいと思うよ」
 まさに求めていた答えだった。ダンは早速、どうなりたいかを考えてみた。
「オレは最強になるぞ!」
 まずは道場で最強になる。そして、イギリスで一番になり、欧州で一番になり、やがて世界で一番強い男になる。
 そう野望に燃えた。だが、彼は肝心な事を忘れていた。
 彼は純血の魔法使いであり、当然、彼の両親も魔法使いだ。
 彼がマグルの世界で格闘技の世界チャンピオンを目指すと言った瞬間、道場を止めさせられた。
 嘆き悲しむダンにドラコは呆れてものが言えなかった。
「……いや、そうなるに決まってるじゃないか」
「だが、君が言ったんだぞ! 目標を定めろと!」
「せめて、両親に対する説明の仕方を考えるべきだったね。世界最強を目指すって目標は悪くないと思うけど……」
「だろう! 親父もお袋も頭が固すぎるんだ!!」
「いや、頭の固さはあまり関係ないと思うよ。魔法使いなのに魔法を捨ててマグルの世界で生きていくっていうのは君が想像してるよりずっと過酷だろうしね」
「だけど!! ……ックソ、オレはこれからどうすればいいんだ」
「別に格闘技に拘る必要は無いと思うよ?」
「どういう事だ?」
「言ったじゃないか。格闘技やスポーツがオススメだって」
「そうか、スポーツか!」
「魔法界のスポーツ。クィディッチなら、君の御両親も納得してくれると思うよ? それこそ、プロになれば収入も得られるし、世界最強を目指す事も応援してくれる筈さ」
 ドラコの言葉にダンは目から鱗が落ちる気分だった。
「ドラコ!! オレは決めたぞ!! クィディッチの選手になる!!」
「……薦めておいてアレだけど、他にも色々あると思うよ? もう少し、考えてみても……」
「いいや、ドラコが言うなら間違いなんて無い!! 今までだって、お前の言葉に間違いなんて一つも無かった!!」
 断言するダンにドラコは肩を竦めた。
「お褒めの言葉をどうも」
「ドラコ! オレは頭の出来が悪いから、これからもオレを導いてくれ!」
「構わないよ。君はいつも期待以上に僕を楽しませてくれるからね」
 ドラコは薄く微笑んで言った。
「たけど、君は僕に何かくれるのかい? まさか、何の代償も無く、これからずっと僕に面倒を見させる気かい?」
 ドラコの言葉にダンはニカッと笑った。
 この頃にはドラコがどういう人間なのか、ダンもよく知っていた。
 その残忍さ、悪辣さ、欲深さ。
「オレを好きに使っていいぜ。お前の目的の為に必要なら幾らでも力を貸す」
「いいね、その答え」
 ドラコが満足そうに微笑むと、ダンは「それに」と続けた。
「お前がオレ以外の誰かに壊されそうになったらオレが守ってやる」
 ダンは前に火で炙って自分の名を書いたドラコの右腕をさすった。
「お前に傷をつけていいのはオレだけだ。だから、他の誰にも傷をつけさせるな。それをオレを使う条件に付け加えておいてくれ」
「……オーケー。独占欲の強いやつだな。だが、だからこそ気に入ってるよ」
「独占欲についてはお前にとやかく言われたくねぇな」
「だけど、僕の手駒となるからには色々と勉強もしてもらうよ?」
 ウゲッとした表情を浮かべるダンにドラコは言った。
「格闘技にしても、スポーツにしても言葉遣いや知性は重要さ。まず、僕の事はこれから『お前』じゃなくて、『君』と呼ぶように」
「ヘイヘイ。了解だぜ、我が君」
「……結構、大仕事かもしれないな」

 スリザリンのクィディッチチームによるシーカー選抜試験の日がやって来た。
 僕は両親にせがんでニンバス2001を買ってもらった。クィディッチの選手を目指すと言った日から両親は全力で応援してくれている。
 ドラコが僕のために選抜試験を辞退した。なら、絶対に負けられない。
「ハリー」
 隣でニンバス2000を抱えるハリーに僕は宣戦布告した。
「絶対に負けないぞ」
 ドラコに散々言われて直した言葉遣いを今だけは封印する。
 ハリーの箒乗りとしての腕前は一流だ。いい子ちゃんの振りをしていて勝てる相手じゃない。
『獣染みた本性はここぞという時だけ見せるんだ。平時は感情を貯めて、いざという時に爆発させろ』
 ドラコ。今がその時だろう?
「オレがスリザリンのシーカーになる。そして、ドラコに勝利を捧げる!」
「……負けないよ、ダン。僕だって、シーカーになりたい。ドラコと肩を並べられるように」
 その瞳に静かな闘志が燃えている。
 笑っちまう。ドラコはハリーの気を惹こうとあらゆる手を尽くしているが、既にそんなものが必要無いところまで来ている。
 だが、負けない。
「オレは最強になるんだ。クィディッチだけじゃねぇ。どんな戦いでも負けねぇ、最強にな! 叩き潰してやるぜ、ハリー!」
「僕が勝つ」
 オレは本当ならダームストラング専門学校に入学する筈だった。ドラコも闇の魔術に理解あるダームストラングを選ぶと思っていたし、オレ自身の気質とも合うと思っていたからだ。
 だけど、ドラコがホグワーツに決めたからついて来た。
 選択は正しかった。オレはこの日、ハリーと競い合う事でその事を実感した。

第五話「シーカー」

 シーカー選抜試験のルールは単純明快。フィールドに放ったスニッチをキャッチするまでに掛かったタイムを競う。
 シンプルだけど、意外とえげつない。ルールの都合上、タイムリミットがどんどん減っていくのだ。
 最初の一人はスニッチを三十分で確保した。すると、次の挑戦者は三十分を超えた時点で失格となった。
 挑戦が終わった者は自分の叩き出したタイムを後続の挑戦者が塗り替えないように祈り、後続の挑戦者は最速タイムを塗り替える為に必死になる。
 タイムリミットが減る度に後続の挑戦者には大きなプレッシャーが襲いかかる。その逆境を跳ね除け、スニッチを最速で確保した者にシーカーの座が与えられるわけだ。
 現在の最速タイムは八分二十三秒。四年生のマイケル・ゲイシーが叩き出した。
 試合中とは違い、遮蔽物の無いフィールドでは意外とスニッチが見つけ易いとはいえ、そのタイムは圧倒的だった。
 次はダンの番。
「残念だけど、ダンには厳しいかもしれないね」
 エドが言った。否定する声は上がらない。
 フリッカ達もダンに記録を塗り替える事は出来ないと思っているみたいだ。
「……どうかな」
 ダンがニンバス2001に跨がり上昇していく。フリントがスニッチを放つと、空中でピタリと止まり深呼吸をした。
 一分経過、二分経過、三分経過……。
 他の挑戦者達は多かれ少なかれ動き回っていた。対して、身動ぎ一つしないダンの態度は異様だった。
 やる気を問う他の挑戦者達の声が飛ぶ。フリントが抑えるけど、彼も怪訝そうにダンを見上げている。
 五分経過、ダンが動いた。
 その動きはさながら獲物に食らいつく鷹のようだった。
 瞬きする間にダンはスニッチを確保していた。
 誰からも言葉が出てこない。
「お見事」
 僕の拍手は静かなフィールドに響き渡った。
 ダンがコチラに笑顔を向ける。少し懐かしい。僕の教育によって封じ込められていた獣が顔を出している。
 実に楽しそうだ。

 去年、ダンブルドアにハグリッドの事を聞かれた時、僕はこう答えた。
『今の立場や人としての倫理なんて、彼にとって幸せを謳歌する為には邪魔でしかない』
 恐らく、開心術を使われたのだろう。それは正しく僕にとっての本心だった。
 僕がそう思った理由はハグリッドをダンと重ね合わせたから。
 ダンにとって、僕が教えた倫理や常識は幸福を妨げる鎖でしかないのかもしれない。
 本当は彼の思うまま、自由に暴れさせてあげた方がいいのかもしれない。
「……ダン」
 だけど、彼の首輪を外すつもりはない。
 僕を裏切らないと確信をもって言える数少ない内の一人。
 手放す事など出来る筈が無い。
 だから、せめて発散出来る場を作ってあげよう。今はまだ無理だけど、いずれ時が来たら……。

 ダンの塗り替えたタイムは後続の挑戦者達を悉く振るい落とした。
 五分十七秒。スニッチを見つけるだけでタイムリミットを超えてしまう者が殆どだった。
 やがて、挑戦する前に棄権を宣言する者が出始めた頃、ハリーの番がやって来た。
「うそ……」
 誰の口から零れた言葉なのかは分からない。
 だけど、この言葉は僕を含めた全員の意思を代弁している。
 開始一分十三秒。ハリーは片手でガッチリとスニッチを掴んでいた。
「……天才ってヤツ?」
 アメリアが唖然とした表情でハリーを見上げる。
 他のみんなはフリーズしたまま動けずにいる。
「ハリー」
 降りて来たハリーに声を掛けると、ハリーは唇の端を吊り上げてスニッチを僕に見せた。
「僕がシーカーだ」
 異論など出る筈が無かった。もはや、このタイムを塗り替える事は他の誰にも不可能だ。
 上級生達でさえ、ハリーに畏敬の念を向けている。
 この瞬間、スリザリンの中でのハリーに対する評価は変わった。
「ブラボー」
 フリントは拍手をした。他のみんなも釣られたように拍手をする。
 ハリーにクィディッチの才能がある事は知っていた。だけど、ここまで圧倒的な才能とは思わなかった。
 このだだっ広いフィールド内を自由自在に飛び回る極小サイズのスニッチを一瞬で視界に捉え、見ると同時に箒を飛ばし、ぶんぶんと揺れ動く球体をすれ違いざまにキャッチする。
 マイケルやダンも十分過ぎるくらい凄かった。だけど、ハリーには及ばなかった。
 ダンは悔しそうに俯いて涙を零している。
「ハリー・ポッター。正直、君の事を見くびっていた。心の何処かで名前だけの男だとね。その非礼を詫びよう。今年から、我がスリザリンのシーカーは君だ。共に勝利しよう」
 フリントの言葉にハリーは力強く頷いた。
「スリザリンの名に泥を塗らないよう頑張ります」
 固い握手を交わす二人に観客席が一斉に湧いた。

 その日の夜は談話室でハリーのシーカー就任祝いのパーティーが開催された。
 主役のハリーはあちこちに引っ張りだこで、パンジー・パーキンソンをはじめとした女生徒達から熱い眼差しを向けられていた。
 上級生がどこからか拝借して来たバタービールを飲みながら、僕はその光景を横目で見つつ、選抜に落ちたダンを慰めていた。
「ちくしょう!! オ、オレだって、五分だったんだぜ!? 十分過ぎるくらい結果を出したぞ!! なんだよ、一分って!!」
「そう落ち込まなくても、シーカー以外のポジションなら来年空きが出るし、もう一度挑戦すればいいさ」
「オレはシーカーが良かったんだ!! ちくしょう!!」
 ざめざめと泣き叫ぶダンにフリッカ達も慰めの言葉をかけるが焼け石に水。
 そうこうしている内にハリーが戻って来た。
「ハリー!!」
 ダンはハリーの胸倉を掴んだ。
 ハリーは澄ました顔でダンの目を見つめている。
「いいか、絶対に負けるんじゃねぇぞ。オレに勝ったからには負ける事なんて許さねぇ!!」
「……もちろんさ」
 ハリーは言った。
「僕は負けない。ようやく、本当に誇れるものを持てたんだ。誰にも負けるもんか……」
 ハリーはダンの手を振り解いて僕の所にやって来た。
「ドラコ。僕は勝つよ。勝ち続ける。君に誇りに思ってもらえるように」
「ハリー……」
 なんて、嬉しい言葉だろう。
 ハリーはもはや僕の手に落ちている。それを今、実感出来た。
 今まで、ハリーが僕を盲信するように様々な手を尽くして来た。
 ハリーの知りたい事を僕は全て知っている。
 ハリーの出来ない事を僕は全て出来る。
 それは同時にハリーの中で劣等感を育てさせた。
 今、ハリーはクィディッチの才能によって劣等感を払拭する事が出来た。
 彼は僕と肩を並べる事が出来るようになったと考えているのだ。
 だからこそ、ハリーは勝つと声高に叫ぶ。僕に『誰にも負けない』と宣言する。
 
 本人が気付いているのかどうかは分からない。
 今、ハリーは自分の中で初めて見つけたクィデッチの才能という誇りを僕と肩を並べる為の道具にしている。
 ようやく手に入れた立場を維持しようと必死になっている。
 僕の手から抜け出そうとは微塵も考えずに……。

 喜びに打ち震えてしまいそうだ。
 あのハリー・ポッターの心を手に入れた。
「ハリー」
 僕は言った。
「僕に勝利を捧げてくれるかい?」
「ああ、もちろん」
 ハリーは僅かな疑問を挟む事すらせずに即答した。
「ハリー。とても嬉しいよ。シーカー就任おめでとう。ああ、僕は君が親友でとても誇らしいよ」
「……へへ」
 はにかむように笑うハリー。
 僕は今までよりも一層強く思った。
 誰にも奪わせてなるものか! ハリー・ポッターは僕のものだ!
 その為には手段を選ばない。誰が敵になろうと、僕のものは誰にも奪わせない。
 準備はちゃくちゃくと進んでいる。力を手に入れるための準備が……。
 

 
 クィデッチの試合が始まると、ハリーは獅子奮迅の大活躍だった。
 一度、スニッチが姿を現せば絶対に逃がさない。
 恐れを知らぬかの如き地面スレスレまでの急降下、時には相手のシーカーを弾き飛ばす力強いプレイ。
 ハリーを加えたスリザリンチームは正に歴代最強を名乗るに相応しい強豪チームへ進化を遂げた。
 圧勝につぐ圧勝。緑のユニフォームを纏い、スニッチを掲げるハリーを見て、誰もが思った事だろう。
 彼が自分達の寮に入っていてくれたら、スリザリンの連続優勝を阻止出来たかもしれないのに、と。
 誰もが認めた。
 ハリー・ポッターはただの名前だけ有名な無能ではない。最高のクィデッチ選手である。

第六話「秘密の部屋」

 ようやく念願が叶った。広々とした部屋の中心に置かれている一冊の日記帳から一つの『意思』が消滅したのだ。
 既に季節は春を過ぎ、夏を迎えようとしている。思った以上に時間が掛かった。
『僕はただ、認められたかっただけなのに……』
 精神が完全なる死を迎える直前、日記帳に刻まれた一文。それがゆっくりと消えていく。
 三位一体が崩れた事で日記自体に異変が起こり始めた。
 分霊箱を破壊する方法は分かっているだけで二つ。バジリスクの毒と悪霊の火だ。
 どちらも強力な守護を打ち破る『破壊の力』によって媒体を破壊する。
 分霊箱の媒体は三位一体の『肉体』の役割を担っている。それが壊れる事で分霊箱としての機能が失われるのだ。
 だが、どうやら『肉体』を破壊しなくても、三位一体を崩す事さえ出来れば分霊箱は破壊出来るらしい。
 日記帳から夥しい量のインクが溢れる。やがて、そのインクは人の形を作り上げた。
 虚ろな目をした青年がどこか遠くを見つめている。
 徐々にその体が空気に解けるように消えていく。
「……カプテムアニマ」
 呪文を唱えると、消滅する筈だったトム・リドルの霊魂が小さな光の玉になった。
 僕はその魂に杖を向け、ゆっくりと自分の胸へ誘導した。
 彼の魂が完全に僕の中へと消えた瞬間、目の前が真っ白になった。
 

 気が付いた時、僕はリジーに介抱されていた。
「何時間経った?」
「一時間程でございます」
 意外と短い。霊魂の融合は精神や肉体にも大きな影響を及ぼすから、適応までに時間が掛かる筈なのに。
 人間だったからなのか、分霊箱の霊魂があくまでも本体から切り離された一部だったからなのかは分からない。
 しばらくの間、僕は自問自答を繰り返した。今の僕が完全にドラコ・マルフォイであり、トム・リドルではない事を確認する為だ。
「……大丈夫そうだな」
 僕は杖を振った。
「サーペンソーティア」
 杖の先から一匹の蛇が飛び出す。
『な、なんだ!? ここはどこだ!?』
 僕は歓喜に打ち震えた。
 分かるのだ。召喚した蛇が驚きの声を上げている事が。
『おい』
『え? 今、お前、オイラに『おい』って言ったか?』
 蛇はギョッとした様子で体をのけぞらせた。
『僕の言葉が理解出来るか?』
『おいおいおい!! オイラ、お前の言っている事の意味が分かるぞ! どうなってるんだ!?』
 素晴らしい。僕は蛇に消滅呪文を掛けて処分しながら満面の笑みを浮かべた。
 ハリー・ポッターが蛇語を話せる理由はヴォルデモートの魂の一部をその身に宿していたからだ。
 だから、出来る筈だと思っていた。
 だけど、成功するかどうか、不安が無かったわけじゃない。 
「行くぞ、リジー」
 魂が抜け落ちた『分霊箱だったもの』をポケットに仕舞うと、僕はリジーと手をつないだ。
 パチンという音と共に目の前に鏡が現れる。
 視線を下げると、蛇の紋章が刻まれた蛇口。ここは3階の女子トイレ。別名『嘆きのマートルのトイレ』だ。
『ちょっと!』
 背後からキンキンとした声が響いた。振り向くと、そこには半透明な女の子が立っていた。
「マートル・エリザベス・ウォーレンか」
『あら? 私の事を知っているの?』
 フルネームで呼ばれた事にマートルは目を丸くしている。
 僕は今、とても機嫌が良い。彼女に杖を向けて言った。
「いつまでも縛られているのは辛いだろ?」
『ちょ、ちょっと、何をする気なの!?』
「イータアシエンション」
 柔らかい光が杖から伸びる。これは意図的に作り出したゴーストを消滅させる呪文だ。
 どうやら天然物にも効果があったようだ。
『なに、この光……。なんだか、すっごく……落ち着く』
 マートルは静かに光の粒になって消えた。
 分類的には闇の魔術に属しているが、これは効力的に考えると魔法使いよりも僧侶が使いそうな魔法だ。
「安らかに眠るといい」
 僕は光の粒が完全に消え去るのを待ってから蛇の刻印に視線を戻した。
「さてと……、『開け』」
 蛇口が白い光を放ちながら回転し始めた。
 みるみる内に洗面台が地面へ沈み込み、太い配管の丸い口が剥き出しになった。
 迷わずにリジーと共に穴へ飛び込むと、暗く長い滑り台を延々と下り続けた。
 やがて、管の勾配が平になった途端、広い場所に放り出された。
「ご主人様、ここが?」
「そうだ。 秘密の部屋だよ、リジー。さあ、奥へ進もう」
 仄暗い洞窟には動物の骨がそこかしこに散らばっている。
 しばらく進むと、巨大な蛇の抜け殻と直面した。
「こ、これは……」
「バジリスクの抜け殻だ。この部屋に封印されている魔獣だよ」
「バジリスクですか……? ご主人様はそれを……」
「ああ、手に入れる。もっとも、本当の目的は秘密の部屋自体だけどね。でも、バジリスクは色々と便利だ」
「は、はあ……」
 更に進んでいくと、そこに丸い扉が見えた。絡み合う二匹の蛇が刻印されている。その瞳には大粒のエメラルド。
「リジー。君はここで待っていてくれ」
「え? で、ですが……」
「一筋縄ではいかないかもしれないからね」
「……どうか、ご無事で」
「ありがとう」
 リジーは本当にいい子だ。目玉を僕に捧げた日から、その忠誠がブレた事は一度もない。
「さて……、『開け』」
 扉が開く。僕はリジーに軽く手を振りながら奥へと踏み込んだ。
「ここが秘密の部屋か……」
 ほのかに明るい部屋に出た。
 幾つもの石柱が立ち並んでいて、そこに二匹の蛇が絡み合う様が刻印されている。
 天井はあまりにも高くてよく見えない。
 一番奥へまでたどり着くと、壁を削って作った魔法使いの像が見えた。
『何者だ?』
 不意に声が響いた。辺りを見回しても声の主の姿はどこにも見当たらない。
『私を探しても無駄だ。それよりも答えろ。汝は何者だ? ここを偉大なる魔法使い、サラザール・スリザリンの領域と知って踏み入れたのか?』
『そうだ』
 僕は蛇語で答えた。
『僕の言葉を理解出来るな? 蛇の王よ』
『お前は私を知っているのだな。ならば、答えよ。汝は何者だ?』
『僕はドラコ。スリザリンの新たなる継承者だ』
 その瞬間、目の前の地面から巨大な生き物が現れた。巨大な蛇だ。
 念の為に目を瞑ると、バジリスクは言った。
『汝、双眸見開きて、我を見よ』
 僕はゆっくりと瞼を開く。すると、目の前に蛇の頭があった。
 瞼を閉じている。
『我は古の契約により、スリザリンの継承者に仕える。ドラコよ、汝は資格を示した。必要とあれば呼ぶがよい。我は常に汝の隣に潜んでおる』
 蛇が地面へ沈み、消えた。
 思わず、膝を屈してしまった。蛇の顔を見た瞬間、死んだかと思った。
 全身が震えている。
「クハッ」
 僕は嗤った。
「ハハ……、アハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
 手に入れた。最強の力と秘密の部屋。
 こんなにアッサリと。
『バジリスク。僕の声が聞こえているかい?』
『聞こえている。汝、何なりと命じるが良い』
『そうだな……。まずはお前に名前をつける。今後はそれを名乗れ』
『人は個を識別する為に記号を必要とする。汝の思うがままに』
『……お前の名は『シグレ』だ』
『承知した』
『シグレ。これより、この部屋の主は僕だ。これから客人を連れて来る事もあるが、その者達に危害を加える事を禁じる』
『承知した』
 僕はシグレに秘密の部屋の事を詳細に聞いた。
 蛇の王と呼ばれ、長い年月を生きたバジリスクは知性も相応に備わっているらしい。
 この部屋の成り立ちや使い方を色々と教えてくれた。
 どうやら、秘密の部屋へ入る方法はマートルのトイレ以外にも色々とあるようだ。

 僕はリジーを呼び、バジリスクに教えてもらった秘密の部屋にある継承者の部屋を訪れた。
 そこには大量の書物と実験に使われた器具や生物の標本が無数に飾られていた。
 本棚から適当に一冊引き出すと、そこには必要の部屋で手に入れた本以上の闇の知識が詰まっていた。
 他にも歴代の継承者が綴った研究資料や医学書などもあった。
 その部屋にいるだけで時間があっという間に過ぎてしまうくらい、素晴らしい空間だ。

 秘密の部屋内には他にも牢獄のようなものやスリザリンの遺した財宝があった。
 中には歴代の継承者が遺したものもあるみたいで、面白そうなものがわんさかある。
「リジー。ここに姿現しは出来そうかい?」
「大丈夫です」
「オーケー。じゃあ、明日までにマグルを一匹捕らえて牢獄に繋いでおいてくれ。出来るだけ遠くから攫ってくる事。いいね?」
「かしこまりました。性別や年齢はいかがしますか?」
「……そうだな。性別は不問とするが、年齢は十代後半から三十代前半までにしてくれ」
「かしこまりました。では、行ってまいります」
 バチンという音と共にリジーが姿を消す。
 僕は再び継承者の部屋に戻ると、緑の瞳を持った二匹の絡み合う蛇の刻印が刻まれている奥の扉に手を掛けた。
 脳裏にスリザリンの寮の近くにある秘密の抜け道を思い描き、扉を開いた。
 すると、扉の出口は秘密の抜け道の途中に出現した。扉を閉めると、一匹の蛇だけが壁にひっそりと残った。
 通路自体、光源が無いからとても暗く、よほど注意していても刻印の存在に気付けないだろう。
「二年目が終わる。来年、物語通りならシリウス・ブラックが動き、ピーター・ペティグリューを狙う筈。その結果、ピーターが逃げ出し、ヴォルデモートの下へ向かう筈」
 途中でイレギュラーが起こらない限り、ヴォルデモートはピーターが手元に戻った時点で復活を図る筈だ。
「さて……、これからどう動くべきかな」
 いずれにしても、力が必要だ。バジリスクを手に入れたが、それでもまだまだ足りない。
 あの継承者の部屋の知識を全て得る。その為に実験を繰り返す必要がある。フリッカやエドにも手伝ってもらわないとね。
 出来ればヴォルデモートとダンブルドアに互いを消耗させ合ってもらう。そして、チャンスが来たら両方を始末する。
 そして、僕は……、

「理想の世界を作る」

第七話「双竜」

 ロンドン南東部の街、ウーリッジ。そこは犯罪と暴力が渦巻く英国の吹き溜まり。
 人口の半数が移民であり、百以上の言語が飛び交う。
 貧困と格差、そして、宗教。争いの種は常にそこかしこに散らばっていた。
 ジェイコブ・アンダーソンはその街で育った。十二歳という若さで全身に無数の傷を刻んでいる。
 喧嘩に明け暮れる毎日。瞳をギラギラとさせながら、常に獲物を探している。抜身のナイフのような少年だ。
 そんな彼にも心を許す事が出来る人間が一人だけいる。
「ジェイクは相変わらず無茶ばっかりするね」
 マリア・ミリガンは自らの悲惨な境遇を物ともしない芯の強い少女だった。
 娼婦である母親から商売道具として育てられた彼女は人という種族の暗部をそれこそ、善悪の区別がつく前、物心ついた瞬間から理解していた。
 世の中には二通りの人間しかいない。
 道具と道具を使う人。彼女は自分自身を人に使われ、消費されるだけの道具なのだと考えていた。

 ジャイコブとマリアが出会ったのは母親同士の喧嘩が切欠だった。
 喧嘩の発端は驚くほど低俗な理由。
 当時、七歳のジェイコブは心の底から母親を軽蔑していた。どうか、取っ組み合いでもして、頭を路肩にでもぶつけて死んでくれと本気で願った。
 街灯に背を預け、醜い女同士の罵り合いを俯瞰していると、隣に一人の少女がしゃがみ込んだ。
「……わーお」
 一目見た瞬間、ジェイコブは恋に落ちた。
 マリアは生まれた瞬間から男を誑かすためだけに育てられて来て、当時既に男を知っていた。
 その色香はとても同世代の少女が出せるものではなく、粋がっているとは言え未成熟な少年であったジェイコブには抗い難い魅力を持っていた。
 親の喧嘩を無視してジェイコブはマリアに話し掛けた。
「君、名前は何て言うんだい? どこに住んでるの? 今、フリーかい?」
 捲し立てるように話し掛けて来るジェイコブにマリアは驚いていた。
 同世代の子供と会話をしたのはそれが初めての経験だった。
 夜の相手をしている大人達と比べて、格段に幼稚な言葉遣いと内容に思わず噴き出してしまった。
 それを話がウケたのだと勘違いしたジェイコブは有頂天になってマリアに抱きついた。
「ジェイコブ。私はいつも昼過ぎに一時間だけこの先の通りを抜けた所にいるわ。いつでも会いに来てちょうだい」
 別に話がウケたわけではないが、マリアもまたジェイコブを気に入っていた。
 彼の好意はあまりにもまっすぐで、そして、大人達が向けてくるものよりもずっと健やかだと感じたからだ。
 一日の内で貴重な休息の時間を彼との逢引に費やす程度の好意を抱いていた。

 そして、彼らの関係は今日で五年目になる。
 ジェイコブは既にマリアの仕事を知っている。
 彼女との逢瀬の一時間。それは他の顔も知らない男達が彼女に好き放題な事をしている合間の一時。
 その事に気が狂いそうな程苦悩し、そのストレスを暴力で発散していた。
 一度、彼女に仕事を辞めさせようと彼女の家に殴りこみを掛けた事がある。その時、彼は彼女の母親とその愛人達に立ち上がれなくなるほど殴られ続けた。
 そして、朦朧とする意識の中、彼女が嬲られる姿を見せられ、自分の非力さに絶望した。
 今日も哀しみと怒りを必死に心の底に仕舞い込みながら彼女との逢瀬の場所に向かった。
 だけど、そこに彼女の姿は無かった。
 彼女の家に決死の覚悟で突入しても、彼女の姿は無く、逆に彼女の母親から問い質され、血を吐くまで蹴られ続けた。
 ふらふらの状態で彼女を探したが、どこにもいない。
「マリア……。どこにいるんだ……」

 ◆

 秘密の部屋を訪れると、リジーは見事に仕事を完遂していた。
 スラム街に住む、移民の子供。居なくなっても誰も気にしない存在。パーフェクトな人選だ。
「……あなたは?」
 牢獄に足を踏み入れると、鎖に繋がれた少女は口を開いた。
「ここはどこ?」
「僕はドラコ。そして、ここは僕の研究施設だ」
 近づくと、何とも美しい娘だった。瑞々しい褐色の肌と大粒な黒い瞳。完成された美とはこの事だろう。
 リジーは審美眼も優れていたようだ。後で褒めてあげないといけないね。
 その瞳を見ていると吸い込まれそうになる。
 彼女にとって、今の状況はわけのわからないものだろうに、その瞳に揺らぎを一切感じられない。
「……驚いた。君は面白いな。この状況で恐怖を一切感じていない」
「感じる必要がありません」
「必要が無いだって? 誘拐された人間の言葉とは思えないな」
「だって、あなたは別に私に恐怖を感じてほしいなんて思っていないでしょ?」
 今度は本当に驚いた。意趣返しをされてしまった。
「なるほど……。僕も人間観察には自信を持っているが、君も中々だな」
「物心付いた時から仕込まれてきましたので」
 それから会話をしばらく続けていると、僕は彼女にどんどん興味が湧いた。
 驚く程豊かな知識と類稀な知性を持っている。話す度により長く話をしていたいと思わせる。
 そして、気付いた。
「……君は凄いな。まさか、この僕をマインドコントロールしようとはね。しかも、言葉だけで」
 僕の言葉に彼女は薄く微笑んだ。
「残念。あなたは思ったよりガードが堅い」
 まるで、母が子に向けるような優しい微笑み。敵意というものをまるで感じない、純粋な笑顔に僕はゾッとした。
 どうやら、リジーは思い掛けない大物を釣り上げてきたらしい。
「君の名前は?」
「……マリア。マリア・ミリガン」
「マリア。君は非常に興味深い存在だ。だから、その中身を見せてもらうよ」
「中身を……?」
 初めて、マリアは表情を強張らせた。
「安心しろ、マリア。別に頭部を切開するわけじゃない。それよりもずっと優しく、ずっと強制的な方法だよ」
 僕はマリアに杖を向けた。
「レジリメンス」
 呪文がマリアの心をこじ開け、彼女の精神が脳内に投影される。 
 エドワードに仕掛けた時よりも深く、彼女が生まれた瞬間から現在までの歴史を全て暴く。
 娼婦である母親が客の一人の子を孕み、その子供を商売道具として育てた十二年間のダイジェストを十分掛けて検分した。
 望まれずに生まれ、道具であれと育てられた歪な存在。
 それは僕がちょうど欲していたものだった。
「君を使い潰すのは惜しいな」
 僕はポケットから一枚の羊皮紙を取り出した。
 そこにはエドワードが考えてくれた美しい紋章が描かれている。
「お前を僕のペットにしてあげるよ。後遺症の残るような魔法は使わない。代わりに人を超えた存在にしてあげよう」
「魔法……? 人を超えた存在?」
 彼女の知性を持ってしても不可解な単語だったのだろう。
「光栄に思うがいい。この紋章を刻むのは君が最初の一人だ。ノータ インシグン」
 杖を彼女の腕に突き立て、呪文を唱える。
 すると、頭に思い描いた紋章がそっくりそのまま彼女の腕に刻まれていく。
 相当な痛みなのだろう、彼女は絶叫した。正体不明の存在に突然誘拐され、牢獄に繋がれて尚余裕を崩さなかった女の悲鳴。それは実に甘美なものだった。
 苦悶に歪める顔を愛でながら、僕は更に呪文を唱えていく。
「この紋章は首輪だ。君はもう逃れられない」
 刻まれた紋章に僕が触れると、彼女は再び絶叫した。
 紋章に注ぎ込んだ呪文の数は七つ。
 その内の一つが苦痛の再現と呼ばれる闇の魔術。人生の中で耐え難いと感じた痛みを脳内で再現する呪文だ。
 紋章を刻まれた者は僕が紋章に触れるか、眠る度にこの呪文が発動する。
 マリアは強い女だ。自らを道具であると自認しているが、その持ち主は母親のまま。
 手に入れるには今の持ち主が誰なのかを確りと理解させなければならない。
 更なる苦痛を覚えさせ、毎夜の如く濃厚な苦痛を思い出させ続ける。
「一月後、忠誠を問う。その時にお前が僕に永遠の忠誠を誓うなら、その苦痛を軽くしてやろう」
 僕は彼女の体に通電による痛みと火による痛みと窒息による痛みを教え、牢獄を後にした。
 一月後まで精神が壊れていなければ、彼女を使って色々と実験してみるつもりだ。人という種の限界を超える実験を……。
「期待しているよ、マリア・ミリガン」

 丸一日探し回っても彼女を見つけ出す事は出来なかった。
 ここはスラム。年若い女は格好の獲物だ。いつの間にか行方不明になっている人間なんて、幾らでもいる。
 それでも諦め切れなかった。彼女は生きている。そう信じ、オレは彼女を探し続ける。そして、見つけ出す。
 これから先、何年掛かろうと、必ず……。
 
 一年後、ウーリッジにジェイコブ・アンダーソンの姿は無かった。
 彼がドラコ・マルフォイと出会う日まで、後……、■■■■日。

第八話「ハーマイオニー・グレンジャー」

 魔法の世界はもっと夢と希望に溢れたものだと思っていた。
 レイブンクローに選ばれて、私は魔法使いもマグルと何も変わらない現実を知った。
 他の寮の事はよく知らないけど、この寮の生徒達はどいつもこいつも陰湿で嫌になる。
 一年生の時、二年生の先輩が虐められている所を目撃して口を出したのが運の尽き。それ以降、誰も私の名前を呼んでくれなくなった。
 前歯が大きい事をからかわれて、ついた渾名が『ビーバー』。物を隠される事も日常茶飯事。
 助けた先輩はと言えば、罪悪感など欠片も感じさせない顔で私をビーバーと呼びながら頭に紅茶を掛けてきた。
 レイブンクローは知性を重んじる寮だとホグワーツ特急で居合わせたドラコという少年が話していたけど、とんでもない。
 知性など欠片も感じない。あるのは貯め込んだ知識と他人を蹴落とすための悪知恵ばかり。
 ガリ勉のストレスを発散する為に毎年数名、新入生の中からサンドバックを選ぶ伝統なんて、とても知性のある人間が作るものとは思えない。
 今年も新入生の中からターゲットが選ばれ虐められている。ルーナ・ラブグッドという女の子。渾名は『ルーニー』。
 腰まで伸びるダークブロンドと銀色の瞳が特徴的な可愛らしい女の子だけど、格好が非常に奇抜だった。
 バタービールのコルクで作ったネックレスと蕪のイヤリングはさすがにセンスを疑う。
 彼女が物を盗まれたり、悪口を言われている所を見掛けても、私は動く気になれなかった。
 あの二年生の先輩みたいに恩を仇で返されるだけだと思い、気力が湧かなかった。
 授業が終われば図書館に引き篭もり、夜になったら虐められている後輩から目を背けてそそくさと寝室に潜り込み、嫌味を言うルームメイトを無視して眠る毎日。
 気がつけば頭の中は他人への恨み事でいっぱいになっていた。
 いつから私はこんなに狭量な人間になったんだろう。
「魔法の世界はもっと夢や希望に満ちたものだと思っていたのに……」
 魔法学校もマグルの学校と何も変わらない。
 杖を振って物を浮かせたり、針をネズミに変身させても心にもやもやが渦巻いていて、ちっとも楽しくない。
「……うーん、アンタにとっての夢や希望って、具体的に何なの?」
 図書館で黄昏れていると、突然頭の上から声が降ってきた。
 慌てて振り返ると、そこにはルーナ・ラブグッドが立っていた。
「みんなが手と手を繋いで笑顔を浮かべてる?」
 ルーナは羊皮紙の隅に描いた私の落書きを見て首を傾げた。
 恥ずかしさのあまり、叫びだしそうになった。
「み、見ないでちょうだい!」
「あ、ごめん。でも、いい絵だね」
「うるさいわよ! 私に何か用なの!?」
 ヒステリックに後輩を怒鳴りつける私。吐き気がする。
 一番嫌いなタイプの人間になってる。
「怒らせちゃったかな……。ごめん。一度、アンタと話がしてみたかったの」
「話って何よ? どうせ、私があなたを助けなかった事が不満なんでしょ! 自分も虐められてる癖に同じ苦しみを後輩が味わってる事を知りながら何もしない、最低最悪な女だって!」
「……そう思ってるんだ」
 消えてなくなりたい。一人で勝手に盛り上がって、馬鹿みたい。
 一歳年下の少女が憐れむような目で私を見ている。
 悔しくて涙が流れた。
「アンタみたいな人、あんまりいないよ」
「ええ、そうでしょうね。こんな――――」
「優しくてかっこいい」
「最低な……って、はぁ?」
 意味がわからない。
「アンタ、私が今まで見てきたどんな人より優しいし、かっこいいよ」
「……馬鹿にしてる?」
「なんで? アンタ、馬鹿じゃないでしょ?」
 彼女はまっすぐに私を見つめている。私は居た堪れなくなった。
「馬鹿にしてるわ。だって、私のどこが優しくてかっこいいの?」
「去年、虐められてる先輩を助けてあげたって聞いたよ」
「ええ、確かに去年、私をビーバー扱いして、紅茶をぶっかける先輩を助けてあげたわね」
「あんまり居ないと思うよ。虐められてるからって、年上の人間を助けようとするなんて」
「馬鹿だったのよ。魔法の世界に夢を見てたの。正しい事がまかり通って当たり前な世界だなんて、幼稚な考え方をしていたのよ」
「でも、アンタに助けられた先輩が言ってたよ。『あの子も別に何も言わないし』って」
「何の話よ……」
 ルーナは夢見るような眼差しで言った。
「アンタに助けてもらったのに、どうして虐めに加担するのか聞いてみたの」
「はぁ!?」
 馬鹿じゃないのか、この子。
 あまりの事に唖然としてしまった。
「そうしたら、『別に助けて欲しいなんて誰も頼んでないわよ。あの子も別に何も言わないし、どうでもいいでしょ』だってさ」
「あ、あなた、そんな挑発の仕方をしたら!」
「カンカンに怒ってた」
「なんて考え無しな事をしたの!? 次に会った時、あなた! 何をされるか分からないわよ!?」
「別に気にしないもん」
「気にしなさいよ! ああもう、何て事かしら……。あの人、平気で淹れたての熱い紅茶を掛けてくるのよ。火傷して、マダム・ポンフリーへの言い訳を考えるのが大変だったんだから」
「アンタ、やっぱり優しいね」
「茶化してる場合じゃないでしょ!?」
「ううん。茶化してなんかいないよ。邪魔してごめんね。バイバイ」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
 思わず大声で呼び止めてしまった。
 まずい、司書のイルマ・ピンスが厳しい目をコチラに向け歩いて来た。
「騒ぐのなら出て行きなさい!」
 追い出されてしまった。
「図書館で騒いだらいけないんだよ?」
「ええ、そうね。その通りだわ、オホホホホ」
 ルーニーの肩をガッチリ掴んで私は空き教室に彼女を引き摺り込んだ。
「あれ? なんだか目が怖いよ?」
「何でかしらねぇ? それより、ルーナ・ラブグッド」
「なーに? ハーマイオニー・グレンジャー」
「……あなた」
 彼女がやった事はやり方こそ少し違うけど、私が去年やった事と同じだ。
「どういうつもり?」
「なにが?」
「なにがって……、このままじゃ!!」
「うーん。失敗だったかもね」
「そうよ、大失敗よ! このままじゃ、去年の私みたいに……」
「話し掛けなければよかった」
 ルーナは溜息をこぼした。
「ハーマイオニー」
「な、なによ?」
「私は大丈夫だよ。だから、アンタも気にしないで放っておいてね」
 そう言って、ルーナは身を翻した。
「お・ま・ち・な・さ・い!」
 その腕を無理矢理掴んで引き戻す。
「えーっと……」
「ええ、あなたの言いたい事はとても良く分かるわ! 先輩達に喧嘩を打ったから助けて欲しいと!」
「別にそんな事言ってない……」
「リピート・アフター・ミー」
 彼女の両肩を掴み、極めて優れた発音で言った。
「私は助けて欲しい。はい、繰り返して!」
「……別に助けて欲しいわけじゃ」
「ノンノン。ルーナ。ルーナ・ラブグッド。そうじゃないでしょ? ちゃんとリピートしなさい。『私は助けて欲しい』」
「……ハァ。思ったより面倒な性格だね、アンタ」
「いいから、さっさとリピートしなさい!」
「……私は助けて欲しい」
「まったく、最初からそう言えばいいものを」
「とても不本意なんだけど、アンタ、どうするつもりなの?」
「もちろん、ルーナに対する虐めを止めさせます。ついでに私に対する誹謗中傷他色々全て!」
「どうやって?」
「それはこれから考えるわ。あなたと一緒に」
「わーお。レイブンクローの生徒とは思えない無計画っぷりにびっくり仰天!」
「そうと決まったら、さっさとアイデアを……」
 その時だった。急に教室の扉が開き、私は凍りついた。
「……あれ、ハーマイオニー?」
 ギギギと首を曲げて扉の方を見ると、そこには見覚えのある黒髪の少年が立っていた。
 ハリー・ポッターは私とルーナを見た。ちなみに今、私はルーナの両肩を掴み、顔を少し彼女の顔の方に寄せていた。
「……わーお。これはその……えっと、失礼しました」
 綺麗に腰を折り曲げてお辞儀をした後、ハリーは丁寧に扉を閉めた。
「…………私、すごく不本意な勘違いをされた気がするの」
 ルーナが哀しみに満ちた声で呟く。
 私は大急ぎで扉の外の勘違い男を部屋に引き摺り込んだ。
 間が良いのか悪いのか分からないけど、勝手な勘違いをして私達に不快な思いをさせた彼には少しの代償を支払ってもらいましょう。
 時間と知識を少々。
「あ、あの、僕は何も見てないよ? 本当だよ? あの、ドラコが待ってるからその……」
「シャラップ、ハリー・ポッター。シャラップよ。いいわね? お・だ・ま・り・な・さ・い!」
「イ、イエス、マム」
 ずり落ちたメガネを直して上げると、彼は全身をガタガタ震わせ始めた。
「と、ところで僕はこれからどうなるの? 生きて帰れるの? ねえ、何で答えてくれないの? 本当に何をされるの!? ああいや、やっぱり何も言わずに僕を寮へ帰して下さい!」
 あまりにもあんまりな反応に言葉を失っていると、ハリーはついに悲鳴を上げ始めた。
「ハーマイオニー。とりあえず、スマイル。顔が怖いってば」
 ルーナが言った。失礼な……。
 でも、確かにスマイルは必要かもしれない。ここ一年、硬い表情ばかりで笑顔を作った記憶が殆ど無い。
 満面の笑みを浮かべてハリーを安心させた。
「違う、そうじゃないよ」
 ルーナが戦慄の表情を浮かべる。どういう事だろう……。
 ハリーはもはやパニックを起こしている。
「助けて、ドラコォォォ!!」
「ちょ、ちょっと!?」
 すると、扉がバタンと音を立てて開いた。
「どうしたんだ、ハリー!」
 入ってきたのはドラコ・マルフォイだった。彼は教室の中の状況に目を丸くしている。
「え? これはどういう状況だ?」
 そのセリフは私が今まさに言いたくて堪らない言葉だ。
 本当にこれはどういう状況……?