エドワード・ヴェニングスはヴェニングス家の四男として、この世に生を受けた。
物心ついた時、既に母親の姿は無く、乳母に手習いなどを教わりながら育つ。
十人を超える兄弟は全て敵だった。
ヴェニングス家の当主、アラン・ヴェニングスは好色家として有名で、兄弟姉妹全員の母親が違うという恐ろしく複雑な関係を家庭内で築いた。
その癖、家庭を顧みず、権力と金集めに執念を燃やす男だった。
生まれた時から愛憎渦巻く修羅場の中で育った彼はドラコと出会った時、既に完全な人間不信に陥っていた。
母親は父に愛想を尽かして出て行き、育ててくれた乳母は弟の母親になった途端彼を突き放し、兄弟姉妹は互いを憎み合っているのだから無理も無い。
エドワードがドラコ・マルフォイと出会ったのは1987年6月5日の事。ドラコが七歳になった日だった。
初めて、父親が外へ連れ出してくれた。その事が嬉しくて、エドワードは生まれて初めて笑顔を浮かべた日でもあった。
アランはドラコの父、ルシウスの前で跪き、エドワードを差し出した。
『いいか、これからお前はドラコ・マルフォイに仕えるのだ。決して、彼の不興を買ってはならない。もし、彼に死ねと命じられたら、お前は死ななければならない』
ルシウス・マルフォイに謁見する直前、アランは息子にそう言って聞かせた。
媚を売り続けろ。ドラコ・マルフォイの関心を引け。いずれ、お前の妹を彼の下へ嫁がせ、マルフォイ家の血を我が血族へ取り入れる為に全てを捧げろ。
お前の人生の価値はそれだけだ。
それが最初で最後の父親との会話だった。要するに奴隷として売られたのだ。
アランはルシウスが闇の魔術に耽溺している事を知っていた。そして、その実験台に使っても構わないとルシウスに許可を出した。
まだ誕生日を迎えていない、六歳の幼子が理解してしまった。
誰からも愛されていない。誰からも必要とされていない。ただ、道具として消費される日を待つだけの存在。
それが自分なのだと悟った彼の心は壊れる寸前まで追い詰められていた。
「なら、僕に全てをくれ」
ドラコ・マルフォイは彼の望んだ言葉を望むだけ与えた。
必要として欲しい。愛して欲しい。道具としてでもいいから……、大切にして欲しい。
そんな彼の切実な願いをドラコは聞き入れた。
本来、ルシウスはエドワードをドラコに近づける気が無かった。
アラン・ヴェニングスが如何に下劣な人間かを彼は理解していたからだ。
物語中、息子がマグル生まれの女に負けたと聞いた時、彼はマグル生まれを貶めるのではなく、そんな女に負けた自らを恥じよと息子を叱った。
純血主義であり、権力を愛し、闇の帝王に平伏した彼だが、その心は高潔であり、例え旧家の純血だろうと品性が下劣な者を彼は軽蔑する。
だが、息子がエドワードを欲しがった。驚く程賢く育ち、我儘を滅多に言わない息子が『欲しい』と口にした。
ならば、与えてみようと思った。そして、息子がエドワードをどう使うのか見てみようと思った。
息子がヴェニングスの下劣な品性に染まるようなら突き返せばいいと考えた。
ドラコはエドワードに対してとても親切に接した。
孤独を癒やし、求めるものを与え、時には痛みを覚えさせ、彼の心を支配した。
それがエドワードにとって幸福な事なのか、不幸な事なのか、彼自身でさえ分からない。
ただ、ドラコの求めに応じる事が至上の喜びとなった。
ドラコは全ての行動に計算を挟み込む。それはつまり、彼の行動に無駄な事など無いという事だ。
彼が苦痛を与えてくるという事はそれが彼にとって必要な事だからだ。ならば、受け入れる。
◆
その日、俺はドラコに必要の部屋と呼ばれる部屋へ招かれた。
「明日はシーカーの選抜試験だね」
生き物の死体が浮かぶ水槽に囲まれながら、ドラコはいつものように作り笑いを浮かべている。
「どっちがシーカーになると思う?」
ハリーとダンの事を聞いているのだろう。
上級生にもシーカーの席を狙う人間はたくさんいる。
だけど、こういう言い方をするという事は彼が二人の内、一方がシーカーになる事を確信しているからだ。
ダンには無理だ。彼には熱意がある。だが、技術は平凡なものだ。つまり……、
「ハリー・ポッター」
「……そう。きっと、ハリーがシーカーになる」
これは単なる確認だ。俺が如何にドラコの事を理解出来ているのか試したのだ。
「ドラコ……」
「なんだい?」
「……俺は何をすればいいんだ?」
「座っているだけでいいよ。ただし、すごく苦しいかもしれないから、耐えろ」
「わかった」
俺はドラコの道具だ。彼が必要としてくれる限り、生きる価値がある。
痛みも、苦しみも、それがドラコにとって必要な事なら、俺は生きる実感を持てる。
「レジリメンス」
それは未知の感覚だった。過去から現在に掛けての記憶が一気にフラッシュバックして、それをドラコに覗かれている。
隅から隅まで覗かれて、生理的な嫌悪感に吐き気がした。
「……ああ、素晴らしい」
呪文が終わった後、ドラコは愉しそうに嗤っていた。
「エドワード。君は心の底から僕を必要としている。そして、必要とされたがっている」
分かり切った事を何故今更?
「……僕は割りと疑り深いんだ」
知ってる。
「だから、開心術の実験ついでに『お前』の心を覗いた。嬉しいよ。お前は僕を裏切らない」
「当たり前だ。君が必要とする限り、俺は生きられる」
「ああ、必要だとも」
ドラコの言葉に胸が暖かくなった。
「今、僕はちょっとした計画を立てている。それを手伝ってもらうよ」
「わかった。何でも命令してくれ」
「まだ、少し早いな。準備に時間がかかってね」
「なら、準備も手伝う」
「ダメだよ。今は僕にしか出来ない事ばかりだからね」
「……わかった」
「そう、悲しそうな顔をしないでくれよ。春が来る前には準備が終わる。その時になったら良い物を見せてあげるよ」
「わかった」
ドラコはこの部屋で長い間、闇の魔術の研究をしていたらしい。
わざわざ説明するという事は必要な事なのだろうから、その研究の内容を記憶に焼き付けておく。
「俺を実験台にすればよかったのに」
屋敷しもべ妖精や動物を使うよりもずっと詳細なデータが取れた筈だ。
ところが僕の言葉にドラコは首を振った。
「闇の魔術の多くは後遺症を伴う。それをお前達に使うわけにはいかないよ。クラッブやゴイルはともかく、特にお前は僕の重要な手駒だ」
「……なるほど」
「一応、フリッカにも協力させる予定だ」
「アン達は?」
「アンには何も教えない。アメリアは……、少し考える。ハリーとダンは論外だ」
「どうして?」
「アンはある意味で誰よりも信用出来るが、誰よりも信頼出来ない。アメリアはスイッチが入るとな……。ハリーは教育段階だし、ダンはあの性格だから緻密な計画に取り入れる事は出来ない」
「フリッカと俺は特別って事かい?」
「特別だ」
即答だった。
「僕の本質を知りながら、心から忠誠を誓ってくれている。裏切る心配を欠片もしなくていい」
ドラコは一枚の羊皮紙を持ち上げた。
「今、少し研究しているものがある」
「計画とは別にかい?」
「ああ。過去、ヴォルデモート卿が死喰い人達の腕に刻んだ刻印を知っているかい?」
「……いいや」
「彼が自らに忠誠を誓った者達に掛けた首輪のようなものさ」
「首輪……」
「とりあえず、模様を先に考えてみたんだ。どうかな?」
ドラコが見せた羊皮紙には幾つもの人の影を抱きながら天を仰ぐ一匹のドラゴンの絵が描かれていた。
「……う、うーん」
「そ、そうか……。いや、みなまで言わなくていい」
ドラコにデザイナーの才能が無い事だけは確かだね。
「術を刻印に練り込む方法はわかってるし、練り込む呪文の種類もある程度決まっているから、あとはデザインと最後の仕上げだけだったんだけどな……」
「えっと……、とりあえずフリッカに頼んでみたらどうかな? 彼女は絵心があるし……」
「グリとグラを体に刻まれたら僕は相手が何者であっても軽蔑すると思うよ」
「……お、俺も考えてみるよ」
確かにフリッカの絵は絵本の挿絵みたいな柔らかいタッチだ。
ドラコが配下の首輪として刻む刻印には似合わないか……。
「……り、力作だったのに」
ドラコが聞こえるかどうかという小さな声で呟いた。多分、今のは本音だ。聞かなかった事にしよう。
ドラコの紋章か……。