第十六話「行かせないぞ、言峰綺礼」

 それはセイバーとアーチャーが刃を交える三十分前の事。
 ライダーは堂々とアーチャーが拠点を構える言峰教会の前に戦車を降ろした。

「ようよう! ここに居るのであろう? アーチャー!」
「何用だ? 生憎、今の我に貴様を構っている暇は無いのだが?」

 ライダーが大声で呼び掛けると、私服姿のアーチャーが間を置かずに入り口から姿を現した。

「うん? どこぞかに出掛ける所だったのか?」
「そんな所だ。それより、用件を言え。戦いに来たわけでは無いのだろう? 申してみよ。暇は無いが、今の我は機嫌が良い。もっとも、下らぬ用件であったなら、この場で斬首するがな」
「ちと、相談があってな」
「相談だと?」

 眉を潜めるアーチャーにライダーはセイバーが錯乱状態にある事とセイバーの手に聖杯が渡った事を伝えた。
 アーチャーは眉一つ動かさずに「そうか」とだけ呟くと、教会に視線を向けた。

「それで? 貴様は我に何を求めているのだ?」
「余と共にセイバーの討伐に乗り出してもらいたい」
「断る」

 アーチャーはライダーの申し出を一蹴した。
 
「……分かっているとは思うが、今の状況は非常に切迫しておる」

 険しい表情で言い募るライダーに対して、アーチャーは嘲笑うかのような笑みを浮かべた。

「分かっていないのは貴様の方だ、ライダー」
「……どういう事だ?」
「アレがただ錯乱しているだけだと本気で思っているのか?」

 アーチャーの問いにライダーは二の句を告げなかった。
 
「図星か……。どうやら、我は貴様を過大評価していたらしい」

 呆れたように肩を竦めるアーチャー。
 そんな彼にライダーは説明を求めた。

「少し考えれば分かる事だ。如何に小娘と言えど、奴も『王』だぞ? 千を超える屍の山を築いた殺戮者だ。それがキャスターの稚拙な拷問現場を見たくらいで精神など病むものか」
「……ならば、あの豹変振りは――――」
「例えばだ、ライダー。透明な水に泥を加えればどうなる?」

 不意打ち気味な問いにライダーは途惑いながら答える。

「……そんなもの、淀むに決まっておる」
「その通りだ。如何に不純物の無い純水も泥を加えれば、瞬く間に淀む。如何に曇り無き美しさを持つ宝石でも泥を浴びせれば穢れる」
「……つまり、セイバーは」

 ハッとした表情を浮かべるライダーの思念に別れた筈のマスターの声が響いた。それはたった今、アーチャーが口にした例えを具体的にしたもの。
 豹変したセイバーの真実。そして、彼女を救う方法。
 あまりの事にライダーは哄笑した。そんな彼をアーチャーは眉一つ動かさずに見つめている。

「どうやら、余は相当な間抜けであったらしい。坊主などと侮っていたマスターの方が余程賢かったというわけだ」

 ライダーはアーチャーを見返す。

「真実を識る貴様はこれからどうするのだ?」
「決まっている。穢れを祓い、我のモノとするのだ」
「……貴様のモノに?」

 それは聊か予想外の言葉だった。

「お前さん、あの小娘を煙たがっておらんかったか?」
「ああ、直接手に取るまではな……。だが、奴を組み敷いた時、奴の奥底に眠る輝きを見た。穢れさえ祓えば、アレ程の上物は滅多に無い」

 歯を剥き出しにして獰猛な笑みを浮かべるアーチャー。そこに浮ぶのは子羊を狙う獣の眼光。

「……そうか」

 それはいかん、とライダーは己が主の顔を心中に浮かべる。
 未熟だとばかり思っていたマスターが恋い慕う少女の為に見つけ出した救済の方法。その鍵はアーチャーが握っている。
 けれど、アーチャーにはのプランとは別の方法も持ち合わせているように思える。
 どちらにせよ、アーチャーがその気になっている時点でセイバーの救済は確定したも同然。
 問題はその後だ。

「……良かろう。余の方もセイバーをこの世全ての悪から解放出来ればそれで良い。後はお前さんの好きにしたらいい」

 ここから問題となってくるのは立ち位置だ。セイバーの救済の場にアーチャー一人を行かせるわけにはいかない。
 そうなれば、この男はあの小娘を我が物としてしまう。
 それは面白くない。

『普通に生きたいんだ』

 彼女の言葉が脳裏に甦る。
 王として、国を守る為に奔走した少女が抱いた祈りであり、ライダーはそんな彼女の願いを聞き入れ、叶えると言った。
 一度は諦め、破り捨てた約束。けれど、己のマスターは諦める事を良しとせず、道を切り拓いて見せた。
 何と言う様だ、征服王。ライダーは自らの愚かしさを嘲笑した。自らのマスターの諦めの悪さを讃えた。

「だが、せめて見守らせてくれぬか?」

 今度こそ、あの娘を救い、願いを叶えさせる。聖杯が使えない以上、他の手を考える必要があるが、それでも二度と、諦めを口にする事は許されない。
 
「ッハ、好きにするが良い。奴を手中に収めるまではこれ以上、サーヴァントを脱落させる事も出来ぬしな」

 言葉を重ねる必要は無かった。どうやら、アーチャーは本当にご機嫌らしい。
 奴はセイバーを純水や宝石に例えた。それはつまり、セイバーが奴にとって煌く宝石と同等の価値があるという事。
 それが愛なのか、はたまた別の何かなのかは分からない。
 あるいは、アーチャーに抱かれ、快楽に溺れる方がセイバーにとって幸せな事なのかもしれない。
 けれど、それは逃避であって、救いでは無い。
 己の罪業と向き合い、尚生きる。その果てにこそ、救いがある筈なのだ。
 小娘が一人で歩むには厳し過ぎる道だが、二人でなら……。

「……感謝する」

 二騎のサーヴァントは各々の飛行宝具を取り出し、天空を翔ける。
 アーチャーは既に目的地を把握しているらしい。雷鳴が轟く戦車の上でライダーは主に思念を送る。
 僅かなやり取りの後、ライダーは表情を引き締め、前方を飛行するアーチャーを見据える。

「……期待しておるぞ」

 それが誰に向けられたものかを知る者はライダー当人を除いて誰も居ない。
 アーチャーの宝具が下降を初め、ライダーも戦車を着陸態勢に入らせた。
 セイバーが居たのは円蔵山の中腹に存在する柳洞寺。

 一方、ライダーのマスター、ウェイバー・ベルベットは自動車の助手席に居た。
 ライダーから送られた思念に短く応え、運転席でハンドルを握るセイバーのマスター、衛宮切嗣を見る。

「……ライダーが了承してくれたよ」
「分かった。なら、作戦通りに行動しよう。まずは、アーチャーにセイバーの汚染を祓わせる」

 切嗣は懐から無線を取り出しながら言った。
 アーチャーがセイバーの現状を把握していた。ライダーから届けられた一報を二人は重く受け止めた。
 セイバーを聖杯から解放するという最大の難問がアッサリと解決したのは良い。
 アヴァロンを使わせる。ウェイバーの発案は悪くは無かったが正直なところ、現実的では無かった。
 切嗣の令呪とセイバーの繋がりが未だ健在であったなら話は簡単だったのだが、生憎、今は繋がりが切れている。
 そうなると、セイバー自身の意思で発動させるより他に方法が無く、その為にはアーチャーにセイバーを完膚なきまでに叩きのめしてもらう必要が出て来る。
 
「ライダーの宝具じゃ、どっちを使ってもセイバーにアヴァロンを使わせる事は出来ないだろうからな……」

 悔しいが、ライダーはセイバーと相性が悪い。最強宝具である固有結界・王の軍勢も対城宝具が相手では軍勢が一掃されて終わりだし、戦車もエクスカリバーの斬撃には耐えられない。
 
「どちらにせよ、セイバーを聖杯から引き剥がすにはアーチャーを利用するしかない。問題はその後だ」
「……セイバーと聖杯の繋がりが切れるか、十分に弱まった時点でライダーに王の軍勢を使わせる。それで一時的にアーチャーをセイバーから隔離し、その間にアンタがセイバーに近寄り再契約を行う。その後、令呪でアヴァロンを使わせ、完全に汚染を除去する」
「最後にして、最大の障害はアーチャーだな。恐らく、ライダーではもって数分と言った所だろう」

 ウェイバーは悔しさに下唇を噛み締めた。
 切嗣が口にしている事は紛れも無い真実だ。
 ライダーではアーチャーに決して勝てない。この作戦を決行するという事は彼が死ぬという事だ。
 そして、ウェイバーは決して彼に直接別れを告げる事が出来ない。万が一にも此方の狙いを悟らせるわけにはいかないからだ。
 それでも、ウェイバーに迷いは無い。思念による短い会話で別れは済ませた。
 彼はウェイバーに問うた。

『あの小娘が歩むであろう修羅の道を共に歩む勇気はあるか?』

 ウェイバーは応えた。

『……勇気なんて無い。でも、意地はある』

 ライダーは『それで十分だ』と笑った。
 互いの意思はそれだけで伝わった。
 だから――――、

「アヴァロンを使って尚、セイバーがアーチャーに勝てる可能性は低いだろう。だから、少しでも勝率を上げる為に僕は死ぬ」

 切嗣は言った。

「限り無く真に迫る死の演出を行う必要がある。でなければ、最強を打ち倒す為の布石にならない」
「……だから、奴の攻撃を受けるってのか?」
「ああ、そうだ。奴を挑発すれば、攻撃の矛先を向けさせる事は十分可能だろう。その際、アーチャーの性格を考慮すると、強力な宝具を向けられる可能性は低いと思う」
「思うって言っても、そんなの希望的観測だろ? 本当に即死させられたらどうするんだよ?」
「そこは天に祈るしかないな」
「お、おい……」

 不安そうに瞳を揺らすウェイバーに切嗣は微笑んだ。

「そう簡単に死ぬ気は無いさ。やるべき事がまだまだたくさんあるからね。僕はある程度、自分の中の時間を操作出来るんだ。だから、真名解放もされていない剣や槍に突き刺されても、急所をずらすくらいなら出来る筈だ。即死さえ防げれば、作戦は成功したも同然さ」
「……真名解放されたら?」
「終わりだ。そうなったら、君の出番だ。次善の策として、君にはホムンクルス達を使い、最大限にセイバーを援護して欲しい。ジャミング弾を使い、アーチャーの視覚や聴覚を一時的に麻痺させれば、セイバーに勝機を作り出す事が出来る筈だ」

 そう言って、切嗣は無線をウェイバーに投げ渡した。

「周波数は頭に叩き込んだな?」
「……当然だ」
「結構」

 それっきり、二人は口を閉ざした。
 異変が起きたのはそれから二分後の事だった。
 ミラーに切嗣達の車を追う黒い車が見えた。

「な、なんだ?」

 ウェイバーが窓を開けて後ろを見ると、黒い車の窓が開き、そこから男が屋根に上がった。
 一瞬、ウェイバーの目が点になる。
 あり得ない光景がそこにあった。

「どうした、ウェイバー?」
「……神父が車の屋根に立って、ナイフを振り上げてる」
「言峰綺礼か!?」
「なんで、分かるの!?」

 切嗣は懐から拳銃を取り出して顔も向けずにミラーを見ながら発射した。
 対して、乗用車の屋根に上るという暴挙を為した神父は銃弾を真っ向から受け止め、お返しとばかりに赤い柄のナイフを投擲した。
 刀身の長いそれは黒鍵と呼ばれる教会の代行者が使うマイナー武器だ。
 一体、いかなる力と技で打ち出されたのか、時速百キロを超えて疾走する自動車のタイヤを自動車の屋根という不安定な足場に立ちながら狙う。
 切嗣は舌を打ちながらハンドルを切るが、その隙に車間距離を詰められる。

「来てる!! 屋根の上に乗った神父が来てる!!」
「頭を下げていろ、ウェイバー!!」

 ウェイバーは只管絶叫し続けた。彼が突発的な出来事に弱いからでは無い。
 乗用車の屋根に乗りながらナイフを投げて来る神父と拳銃を乱射する相棒との板ばさみにあっては、如何に魔術師と言えど、出来る事は身を低くして悲鳴を上げる事のみ。

「言峰綺礼……。何故、このタイミングで……いや、愚問か」

 切嗣は頭を抱えるウェイバーの腕を引っ張った。

「な、なに!?」
「少し、ハンドルを固定していてくれ」
「ええ!?」

 切嗣は問答無用でハンドルから手を離すと、無線機を取り出した。
 切嗣が無線を使っている間、自動車の運転などした事が無いウェイバーは涙目になっていた。

「よし、もういいぞ」

 切嗣にハンドルを返した時、ウェイバーは心から安堵した。
 何せ、切嗣ときたら、無線使用中も普通に発砲するのだ。眼と鼻の先で拳銃が火を噴く恐怖は中々のものだ。

「車を乗り換える。合図をしたら飛び降りろ」
「ええ!?」

 切嗣はいきなり狭い路地に入った。避けるスペースの無い場所に入り込んだ事で綺礼の黒鍵が吸い込まれるようにタイヤを射抜く。
 ソレと同時に切嗣は車のロックを解除した。

「飛び出せ!!」
「本気かよ!?」

 涙目になりながら飛び出すウェイバーを後続から飛び出して来た綺礼の乗る車が通り過ぎてゆく。
 その反対方向から白い影が疾走して来て、ウェイバーを落下直前で掴み、横から走ってきた青いスポーツカーに流れるような動きで放り込んだ。
 混乱する彼を尻目に走り出すスポーツカー。運転席には見知らぬ金髪の女性。どこか、セイバーに似ている気がする。

「って、また追って来てるぞ!!」

 何とか起き上がると、綺礼がウェイバーの乗るスポーツカーを追って来ている。

「ってか、切嗣は!?」
「切嗣様は別ルートです。我々はこれより言峰綺礼を引き離します。その為に、ウェイバー様には此方に御乗車頂きました」

 すらすらと語るセイバー似の女性。
 聡いウェイバーは瞬時に悟った……。

「僕を囮にしやがったな、あの野郎!!」

 ウェイバーの絶叫を聞き流し、セイバー似の女性は言う。

「御安心下さい。貴方が死亡しても、切嗣様が必ずやセイバー様を……」
「安心出来ないよ!!」

 ウェイバーが叫んだ瞬間、後方から魔人が黒鍵を投擲して来た。
 
「ウェイバー様。彼を牽き付けている間、出来ましたら死なないで下さい!!」
「もうちょっと、言い方無いの!?」

 左右に揺れ動く車の車中で振り回されながら、ウェイバーは泣いた。
 確かに、セイバーを救う為に命を張る覚悟はした。けれど、まさかこんなカーチェイスに巻き込まれるとは思わなかった。
 くだらないと思いつつ、時々テレビで見ていたハリウッド映画の世界に彼は居る。

「僕、ここで死ぬのかな? こんなカーチェイスに巻き込まれて死ぬのかな?」
「大丈夫です」

 セイバー似の女性が言う。

「貴方が死んでもセイバー様は必ずや切嗣様が――――」
「それはもういいよ!!」

 慈母のように微笑む彼女にウェイバーは絶叫した。
 その時、対向車線から複数の車が現れた。

「あ、あれは?」
「言峰綺礼迎撃用に手配された部隊です」
「凄い数居るんだけど……」

 車の数は一台や二台じゃない。十代近くが迫って来ている。
 彼女の言う通り、まさしく部隊と呼ぶに相応しい数だ。
 
「言峰綺礼は必ず抹殺しろとの御命令ですので」

 綺礼の車を取り囲むように、部隊は展開した。
 それぞれの車中から銃器を手にしたホムンクルス達が姿を現す。

「お、おい! あれって、ロケットランチャーじゃないのか!?」
「ええ、正確にはRPG-7。ソ連の開発した携帯対戦車擲弾発射器です。構造単純かつ取扱簡便で、その上低コストという三拍子が揃った紛争地帯で大人気の兵器ですよ」

 物騒な事をまるで買ってきたばかりのブランドの財布の説明をするように語る女性にウェイバーは「そうなんだ……」としか返せなかった。
 背後で爆発音が鳴り響き、車体が揺れる。一体、いつの間に自分は紛争地帯に紛れ込んでしまったのだろうか? ウェイバーは頭を抱えた。

「……化け物ですね」

 何が? 振り向き様にそう問おうとしたウェイバーの表情が凍りつく。舞い上がる炎の中から言峰綺礼は飛び出して来た。

「アイツはターミネーターか!?」

 空中で体を捻りながら三百六十度に黒鍵を投擲する。
 まるで吸い込まれるように銃器を構えるホムンクルス達の胸が撃ち抜かれていく。
 着地と同時に前転すると、綺礼は“時速百キロで走行中の車から飛び降りた直後”にも関わらず、普通に走り出した。
 ホムンクルスが騎乗する車の一台に向かい黒鍵を投擲すると、硬いガラスを打ち破り、中の運転手の脳天を破壊した。
 車から飛び出して来た他のホムンクルス達も綺礼に触れるより先に殺された。

「な、何なんだよ、アレ!?」

 人間じゃない。アレでは殆どサーヴァントも同然ではないか!
 車を奪った綺礼が再び走り始める。
 邪魔だとばかりに扉を蹴り飛ばし、そこから此方に向けて黒鍵を投擲して来る。

「拙いですね……」

 運転席のホムンクルスが呟く。

「此方が囮である事に気付かれぬよう、遠回りではあれ、円蔵山に向うルートを使っていたのですが、橋を渡れば後は一本道です……」
「……だったら、迎え撃つしかないんじゃないか?」

 ウェイバーは言った。あんな怪物に立ち向かうなど正気の沙汰では無いが、それ以外に奴を足止めする方法が無い。
 
「とにかく、まずは足を破壊するんだ。何か、方法は無いか? 例えば、もう一度、ロケットランチャーで……」
「アレを移動中に中てるにはさっきみたいに包囲して動きを止める必要があります。走ってる最中では到底命中させる事は叶いません……」
「だったら、何か方法は……」
「そうだ、一つあります! ただ、ウェイバー様」

 運転席から顔だけを後部座席に向けるホムンクルス。
 彼女は真っ直ぐにウェイバーを見つめて言った。

「恐らく、この方法を実行すれば、貴方は高確率で死亡します」
「……さっき、散々人に死ぬ死ぬ言ってた人が今更何言ってるのさ」

 ウェイバーが苦笑いを浮かべると、ホムンクルスは静かに笑った。

「……御覚悟を、ウェイバー様」

 視線を前方に戻し、ホムンクルスは無線で連絡を取った。

「切嗣様。プラン-DBの許可を願います」

 プラン-DB。その詳細が気になったが、背後から迫る綺礼の猛攻にそれ所では無くなった。

「口を閉じていて下さい。最高速度で最短距離にて、冬木大橋に侵入します!!」
「冬木大橋に? ってか、お前は一体、何をするつもりで――――」

 ウェイバーの言葉が途中で途切れた。グンと背凭れに体を押し付けられ、息も出来なくなる。
 そして、車は冬木大橋に突入した。
 途端、ホムンクルスは何を思ったか、いきなり背凭れを倒した。そのまま、奇妙な道具でハンドルを固定すると、後部座席に移動した。

「お、おい、何してるんだよ!?」
「いいから、私を信じて掴まっていて下さい」

 ホムンクルスは扉を蹴破ると、ウェイバーを抱えた状態で後方を見た。
 急加速によって、二つの車の間に生まれた距離は百メートルちょっと。
 その距離が徐々に詰められていく。

「お、おい、どうする気なんだよ!?」
「こうするのです!!」

 ホムンクルスは無線を取り出すと、叫ぶように言った。

「条件は全てクリア!! プラン-DB発動!!」

 瞬間、ウェイバーは理解した。
 プラン-DBとは、即ち“Drop the bridge《橋を落とせ》”という意味だったのだ。
 次々に鳴り響く爆発音と共に冬木大橋が大きく歪んでいく。
 それはセイバーがまだドイツのアインツベルン城に居た時の事。彼女が口にした作戦の一つ。
 切嗣は周到に準備していたのだ。
 コンクリートに皹が入り、車は大きく蛇行を始める。
 瞬間、ホムンクルスは跳んだ。
 ウェイバーを抱えて跳躍し、崩落を開始する橋の上に降り立つ。

「足を奪えとは言ったけどさ……」

 ウェイバーは真っ青な表情で己を抱える少女を見た。

「足場を奪えとまでは言ってないよ……」
「ですが、これが最も確実な方法です。上手くいけば、この崩壊に巻き込まれ、言峰綺礼は死ぬ。仮に生き延びたとしても、もう彼に足は無い。辿り着く頃には全ての決着がついている筈です」
「……ハハ、極端過ぎる。神秘の秘匿とかどうすんだよ……」
「不思議な事を言いますね」

 ホムンクルスはウェイバーの言葉に実に不思議そうに首をかしげた。

「神秘など一切使っていないではありませんか。この橋の崩壊を招いたのは爆薬とそれを扱う知識です。つまり、魔術協会も聖堂教会も文句は言わない筈です」

 キラリと瞳の端を輝かせるホムンクルスにウェイバーは溜息を零した。

「……ホムンクルスって、意外と個性があるんだね」
「いいえ、私達は所詮消耗品ですので、個性など……」
「十分あるよ!! ったく、それより、僕達はどうするんだ?」

 ホムンクルスは会話をしている間も崩落する足場を器用に踏んで橋の反対側を目指している。
 けれど、到底間に合わない。このままでは、二人揃って川に落ち、上から落下してくる橋の残骸によって死ぬ事になる。
 
「なるべく、頑張って向こう岸を目指します。ですが、死んでしまったら申し訳ありません」
「縁起でも無い事言うなよ!!」
「……では、話題を変えましょうか」
「へ?」

 急な話の切り替えにウェイバーは口をポカンと開いた。
 そんな彼にホムンクルスは言った。

「私に名前を与えてもらえませんか?」
「名前……?」
「ええ、私の同型機はセイバー様から大事の前に名前を頂いたそうです。ですので、私も……。名前を頂ければ、もっと頑張れる気がするのです」

 ホムンクルスの言葉の意味をウェイバーは理解した。
 彼女の言う同型機とは、間違いなくマリアの事だろう。そして、彼女は名前を欲しがっている。
 それで思った。彼女達は生きているんだ。ホムンクルスでも、確かに生ある存在なんだ。
 ウェイバーは自身に対して、死ぬ死ぬと連呼する彼女の本心に触れた気がした。
 彼女も恐れているのだ、自らの死を――――。

「……イヴってのは?」
「……イヴ。“命ある者”ですか……」

 イヴは嬉しそうに顔を綻ばせた。

「ありがとう、ウェイバー様」

 イヴは加速した。一体、どうやって生み出したのか理解出来ない程、彼女の体は強大な魔力を迸らせた。
 瞬く間に向こう岸が見えてくる。

「す、凄いぞイヴ!! ってか、こんな事出来るならもっとはや――――」

 違った。
 ウェイバーは彼女の感情の昂ぶりがこの驚愕のスピードを生み出したのだろうと勘違いした。
 彼女は使ってはいけない魔力を使ってしまった。彼女の瞳から光が失せている。

「イ、イヴ!?」
「ウェイ、バーさま。かん、しゃ致し……ます。切嗣さ、まとセ……イバー様をおね、がい……致します」

 それが彼女の最後の言葉となった。
 機能停止する直前、彼女はウェイバーを投げ、反対側の岸へと辿り着かせた。
 そして、彼女自身は崩落する残骸と落下していった。

「お、おい、嘘だろ!?」

 地面を二回跳ねて、全身から血を流しながら、ウェイバーは彼女が落ちた先を見た。
 そこには残骸の山が出来ていた。

「ま、待てよ……。だって、お前……だって」

 彼女が死んだ。彼女が生ある存在だと理解したばかりだったにも関わらず、自身を活かす為に死んだ。
 その事実にウェイバーは堪らず絶叫した。
 けれど、彼に休む暇は無かった。
 不吉な音がした。何かが水の中から出て来る音だ。
 イヴかもしれない。そう思い、顔を向けたウェイバーの瞳に映ったのは額から血を流しながらも未だ健在な言峰綺礼の姿。
 彼は円蔵山を見ると、何事も無かったかのように走り出した。
 今更、人の足で間に合う距離とも思えない。だけど、ウェイバーは思った。

――――このまま、奴に行かせるわけにはいかない。

 それは単なる維持だった。自分が名付けた少女の頑張り。それがまるで無駄だったかのような言峰綺礼の後姿にウェイバーは意地を張った。
 それこそ無駄な行動かもしれない。それでも彼は叫んだ。

「行かせないぞ、言峰綺礼!!」

****
残り二話です(∩´∀`)∩
・゚・(つД`)・゚・ ちょっと風邪気味で更新が遅れちゃいました。すみません。

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