最終話「本当に……、愛している」

 廊下が随分と騒がしい。権威ある魔術協会の総本山で一体どこの馬鹿が暴れまわっているんだろうか?
 
「ファック……」

 響いてくる声の主に心当たりがあり過ぎて、思わず呻いた。
 しばらくして、部屋の扉が大きく開かれると同時に手近にあったオレンジを投げつける。

「あいたー!?」

 呻き声を上げるのは一人の青年。名はフラット・エスカルドス。
 私が抱え込んでいる数多くの問題児の一人だ。

「廊下で騒ぐんじゃない」
「だって、これ見てくださいよ!!」

 フラットが見せてきた一冊の書物に私は思わず目を丸くした。
 随分と懐かしいものを見つけ出してきたものだ……。

「“聖杯戦争”って、知ってますか?」

 知らない筈が無い。もう、十年以上前の話になるが、私はこの戦いに実際に参加した事があるのだ。

「聖杯戦争がどうかしたのか?」
「ここッスよ! ここ!」

 フラットが開いたページにはサーヴァントに関する記述があった。

「英霊をサーヴァントにして一緒に戦う! すっげー、燃えるじゃないッスか!」

 相変わらずの単細胞振りに溜息しか出て来ない。

「ああ、そうだな。それで?」
「俺、聖杯戦争に参加して来ようと思うんです! まだ、詳しい日程とか知らないんですけど」

 馬鹿が馬鹿な事を言っている。
 頭を抱えそうになりながら、私は言った。

「無理だ」
「何がですか? グレートビッグベン☆ロンドンスター」
「本人に対して二つ名で呼ぶんじゃない!! しかも、よりにもよって、そんな二つ名を選びおって!! 馬鹿にしてるのか!? いや、絶対に馬鹿にしてるよな!!」

 肩で息をしながら顔を手で覆う。

「……聖杯戦争はとっくに終わってるんだよ」
「終わってる?」
「割と最近の話になるんだが……、っていうか、聞いてないのか?」

 まあ、分からないでも無いか……。
 フラットのガールフレンドは私が抱える問題児の一人であり、あの“聖杯戦争”の関係者の一人だ。
 
「さて……、私の口から話していいものか……」
「いいと思うよー、マスター・V!」
「ファック! お前達は揃いも揃って……」

 陽気な笑顔で部屋に侵入して来た銀髪の少女。フラットのガールフレンドはケタケタと笑いながらフラットに抱きつく。

「ここは逢引の場所じゃないぞ!」
「いいじゃん、いいじゃん! それより、フラットにも話してあげてよ、マスター・Vが体験した聖杯戦争の事」
「……だから、二つ名で呼ぶんじゃない。いいのか?」
「うん! 正直、フラットには知ってて欲しいし……、でも、自分の口から語ろうとすると……どうしても、つっかえちゃうし」

 瞳を揺らす少女にフラットが心配そうな顔を向ける。
 溜息が出た。そんな言い方をされたら話さざる得ないじゃないか……。

「私も興味があるな」
「お前もか……」

 三人目の問題児登場。金髪を靡かせ、背後にメタリックカラーのメイドを侍らせる彼女の名はライネス・エルメロイ・アーチゾルテ。
 嘗ての聖杯戦争が原因で没落の一途を辿ったアーチボルト家の現当主であり、我が部屋に平気な顔して乗り込んでくる問題児達の内の一人だ。

「浮かない顔だな。可愛い妹が兄に顔を見せに来てやったのだぞ? 茶と菓子を用意し、咽び泣きながら歓迎するのが世の理というものではないかね?」
「そんな世の理は存在せん」

 本日何度目かになる溜め息を零した後、人数分の紅茶を淹れる為に席を立つ。
 この流れはきっと、他のも来る流れだ。

「あら? これは何の集まりかしら?」

 四人目登場。

「おや、凛じゃないか。これから兄に過去を赤裸々に語ってもらう所だ。君もどうだ?」
「……面白そうね」
「折角だし、他の二人も呼んだら?」

 余計な事を言うな小悪魔!!
 フラットのガールフレンドが余計な事を口走ったせいで、赤い悪魔がその気になってしまった。
 しばらくして、悪魔の妹と彼氏が登場。
 それなりに広いつもりの部屋が一気に狭くなった。

「あ、手伝います」

 溜息混じりに増えた人数分の紅茶を淹れようとすると、唯一の良心が手伝いを申し出てくれた。
 悪魔の妹とは思えない健気な性格をしている少女。涙が出て来る。

「さあさあ、聞かせて下さい、プロフェッサー・カリスマ!!」
「話すの止めるぞ!!」

 問題児軍団に囲まれながら、私は渋々語り始めた。
 恥ずかしくもあり、恐ろしくもあり、悲しくもあり、輝かしくもあった、数日間の物語。
 まるで、老人が孫を囲って昔話に興じているかのような感覚を覚える。私も歳を取ったものだ……。

 さて、どこから話したものか……。
 とりあえず、こう言って、話し始めるとしよう。

「全ては私の愚かな誇大妄想から始まった」
 
 私を囲む問題児達の多くは……というより、フラット以外は皆、聖杯戦争によって運命を大きく歪められた者達だ。
 個別に語り聞かせた事は何度かあったが、こうして一堂に会した状態で語るのは初めてだ。
 まあ、一人足りていないが……。
 
『問おう。汝が我を招きしマスターか?』

 あの光景を私は生涯忘れる事が無いだろうと確信している。
 満月の夜だった。木々がざわめく中、私は彼を召喚した。
 私の平凡な運命が終わりを告げ、激動の運命の始まりを告げた夜。
 
 私が召喚したのはライダーのサーヴァント。名は征服王・イスカンダル。
 最初は何て恐ろしい奴なんだと思った。そして、次に何ておかしな奴なんだと思った。
 彼が最初に口にしたのは『書庫へ案内せい』だったのだ。
 夜とは言え、堂々と街中を鎧姿で練り歩き、閉じている書店から本を強奪するとんでもない男。
 
 序盤にして、ランサー、アーチャー、ライダー、バーサーカーという四騎の英霊が揃い踏むという異常事態が発生した。
 ランサーと謎のホムンクルスが戦いの火蓋を開け、ライダーが私を連れて戦場に乱入し、アーチャーとバーサーカーが現れた。
 思い出すのは光。夜闇を照らす極光。何もかもを呑み込む破壊の力。
 私たちは飛んで火に入る夏の虫だったのだ。
 セイバーのサーヴァントは我々が一箇所に集まった瞬間を狙い、宝具を発動した。
 私は運良く令呪を使い逃走する事が出来たが、ランサーとバーサーカーは巻き込まれて消滅してしまった。
 アーチャーだけが怒りの形相を浮べ、セイバー討伐に向ったが、既に逃走した後だった。
 
『実に見事』

 ライダーがそう呟いたのを覚えている。
 彼は自分の呼び掛けに応えなかった事を非難しながらも、その戦術と戦略の確かさを称賛した。
 セイバーは自らの正体や実力を一切秘匿した状態で二騎の英霊を葬ったのだ。
 当時はキャスターかもしれないと思っていた。そして、あの光に恐怖した。

『如何にも、俺がセイバーだ。どうやら、君達も目的は同じらしいな』

 初めて顔を合わせたのはキャスターの根城の前だった。
 私は拙い錬金術を使い、キャスターの拠点を突き止める事に成功し、浮き足立っていた。
 けれど、彼女と出会った時、何もかもが吹き飛んだ。衝撃的だった。

『なるほど、優れたメイガスのようだ』

 まるで、男のような言葉遣いをする彼女の顔に思わず見惚れた。
 だって、あんなに綺麗な顔の女にそれまで出会った事が無かったんだ。
 人形のように無機質では無く、さりとて、アイドルや女優のような美しさとも違う。
 
『成長途上というわけか……、末恐ろしいな』

 出会った当初、私はただただ情け無い姿を晒すばかりだった。
 けど、彼女は私に言った。

『君は若い。逃げて、未来に生きるのも一つの選択だ。とても、勇気の要る選択だが、君は将来必ず大物になる』

 彼女の言う通り、果たして私は大物となれたのだろうか?
 その時の私は彼女の言葉を単なる意地で跳ね除けた。

 私とライダーは彼女と共にキャスターの根城に入り、そこで地獄を見た。
 地獄の内容については秘密だ。犠牲者達の尊厳の為にも語るわけにはいかない。
 ただ、そこは地獄だった。魔術師として、凄惨な状況を幾度も見た私が断言する。
 あれほどの地獄は他に無かった。
 そして、彼女は涙した。その時だった。私が彼女から目を離せなくなったのは……。

 キャスターの根城の前で別れた後、直ぐに彼女はアーチャーに襲われた。
 本来は助ける道理なんて無いのだが……、気がつけばライダーに彼女を救うように命じていた。
 彼はそんな私の判断を是としてくれたよ。

 アーチャーとの戦いの最中、ライダーとセイバーは互いの切り札を切った。
 そして、私達は彼女の正体がアーサー王である事を知ったんだ。
 ライダーはあの時、酷く不機嫌になっていたよ。

『あのような小娘がアーサー王だと?』

 アーサー王の伝承を知っていれば、誰もが思っただろう。
 セイバーは……、生身の彼女はどこでも居る普通の女の子だったんだ。
 そんな女の子が王という重責を荷い、国を守り、国に滅ぼされた。
 それを彼は許せないと言った。

『この上……、静かな眠りを拒絶し何を願っておるのだ?』

 ライダーは彼女の祈りを知りたがっていた。
 そして、その為にとんでもない暴挙に出た。

『今残っているのは暴れ回っておるキャスターを除くと、セイバー、アーチャー、アサシン、そして、ライダーたる余の四騎にまで絞られたわけだ。ここいらで、一献交し合い、宴を開こうではないか!!』

 それは残る全サーヴァントを招いての宴会だった。
 アサシンだけは反発したけど、驚くべき事にアーチャーまでもが宴会に参加し、語りに参加した。
 そこで明かされたセイバーの祈りは驚くべきものだった。

『美味しい御飯を食べて、遊んで、学んで、働いて、恋人でも作って、子を為して、そして、静かに眠る。それが俺の叶えたい望みだ』

 そう、彼女は言った。 
 普通に生きる事。それが彼女の望みだと知ったライダーは自らの祈りを捨て、彼女の願いを叶える決断を下した。
 
 セイバーの様子がおかしくなったのはその直後だった。
 キャスターの討伐に向った私達の前で彼女はキャスターをアーチャー討伐の駒とするべく唆したのだ。
 そして、そのまま遠坂邸へと乗り込んでいった。
 その時点で彼女は聖杯の汚染が進行していたのだ。
 
「彼女の過去について私が語るのはフェアじゃない。だから、言える事は……、彼女は聖杯にサーヴァントの魂が満ちる程、精神を汚染されていく状況にあったという事だけだ」

 キャスターがアーチャーに討伐された後、彼女は完全に錯乱状態になっていた。
 アサシンを笑いながら皆殺しにし、猟奇的な趣味を持つようになった。
 恐らく、キャスターの蛮行も彼女の精神汚染の原因の一端を担ったのだろう……。

 その時、私とライダーはアーチャーと交戦状態に入っていた。
 と言っても、完全に一方的な展開となっていた。
 王の軍勢を展開したライダーは決死の思いで戦ったけど、結局……。

「まあ、後一歩のところでアーチャーが強制召喚され、ライダーは消滅を免れた」

 まさにギリギリのタイミングだった。
 ライダーはアーチャーの危険性を明確に理解し、同時にセイバーを心配した。
 その結果、彼が下した決断はセイバーのマスターと接触する事だった。

 一度、体を休める為にマッケンジー邸に戻った私達はどうやってセイバーのマスターと接触するかを悩んだ。
 ところが、機会は向こうの方からやって来た。
 セイバーのマスター、衛宮切嗣が同盟を申し出て来たのだ。
 彼と正式な同盟を結んだ後、セイバーがアーチャーに囚われた事を知った。
 即座に救出に向かったが、驚いた事にセイバーは自力で脱出に成功していた。
 
 けど、悦んだのも束の間、彼女は自らのマスターの妻の心臓を抉り出した。

『たくさんの人間《おもちゃ》で遊びたいんです。だから、聖杯にお願いするんです。この世の全ての人類を私の玩具にして下さいって』

 錯乱状態のセイバーはそう言って、心臓を……アインツベルンが用意した小聖杯を持って逃亡した。
 あの時程、絶望に暮れた事は無い。
 
『このままではイカンだろう。聖杯が如何なるものであれ、あのように錯乱した物の手にあっては……』

 そう言って、ライダーはセイバーの討伐を決意した。
 彼女を救う。そう言っていた彼が諦めを口にした。その事がどうしても許せなかった。
 なんとも自分勝手な事を口走ったものだが、私はどうしても諦め切れなかった。
 彼女を救いたい。そう思って、切嗣と共に策を講じた。
 最終的に私達が用意した策は殆ど役に立たなかったが、結果、彼女を救う事には成功した。
 けれど、犠牲も大きかった。

「衛宮切嗣はセイバーを救う為に自らを犠牲にしたんだ。そして、娘を彼女に託した」

 私はそっとフラットのガールフレンドに視線を向けた。
 彼女は今にも泣きそうな顔をしている。
 
「そして、彼女は彼の願いを叶える為に聖杯に受肉を願ったんだ」
「そ、それで、どうなったんスか!?」

 フラットが身を乗り出して聞いて来る。

「……答えは君の直ぐ後ろに立っている」

 私の言葉にフラットはキョトンとした表情を浮かべながら振り向く。
 そこに彼女は立っていた。手にはいっぱいのお菓子がある。

「アルトリアさん……?」

 セイバーはそこに居た。
 全てが終わった時からずっと、そこに居る。

「まあ、隠しているわけでも無いからな。色々と悶着があったが、彼女こそがセイバーのサーヴァント。アーサー王だ」
「えっと……、何の話? ウェイバー」

 困ったように頬を掻く彼女に肩を竦める。

「昔話をせがまれてな」
「ア、アルトリアさんが……、アーサー王!? ええ!? 時計塔随一のハーレム野郎の奥さんがアーサー王!?」
「最悪な二つ名をアルの前で使うんじゃない!!」

 驚愕に顔を歪めるフラットにデコピンを喰らわせると、ガールフレンドが助け起こす。

「……イリヤ。ガールフレンドならキッチリ躾けろ」
「ムリムリ。それに、フラットはこういう所がいいんだもーん」

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。衛宮切嗣が死に際にアルに託した娘もまた、ここに居る。
 
 聖杯に受肉を祈った後、彼女は溢れ出した泥を浴びた。この世全ての悪に汚染された黒い泥を全て身に受けた彼女はしばらく動かなかった。
 あの時の数分が私には数時間、数日、数年にも感じられた。
 漸く動き出した彼女はこう言った。

『イリヤを助けに行って来るよ、ウェイバー』

 全てはアヴァロンのおかげだった。
 魔力を流され、起動状態にあったアヴァロンは彼女を汚染しようとする聖杯の呪いを片っ端から浄化した。
 結果、彼女は汚染される事無く、受肉を果たしたのだ。
 現代に甦ったアーサー王を止められる者は存在しない。
 ただでさえ、現代の如何なる魔術も通さぬ絶対的な対魔力を持つ彼女が聖剣と鞘を手に向って来るのだ。
 アインツベルンに出来た事は全滅を防ぐ為にイリヤを差し出す事だけだった。
 次の聖杯戦争の聖杯の器となるべく調整を受けていたイリヤは寿命を大きく削られていたが、その後知り合った人形師によって、命を存える事が出来た。
 帰って来たセイバーは私に言った。

『俺は……君の事が嫌いじゃないよ。でも、君に相応しい人間じゃない』

 そう言って、私を振った。
 そして……、

『俺のやるべき事はもう無い。だから、最後に君の手で引導を渡してくれないか? 自分でやるのは……ちょっと、怖いんだ』

 そんな馬鹿な事を口にした。
 だから、私は散々彼女に対して口汚い言葉を発した。
 その上、あまり思い出したくないが、無理矢理迫った。
 だって、諦め切れなかったんだ。折角、生きている彼女が目の前に居るのに自制している余裕なんて無かった。
 
『……意外と大胆だな、君』

 唇を奪った後、彼女は拒絶する事も無く、おかしそうに笑った。

『……俺は君が思っているような人間じゃないよ? そもそも、女じゃないんだ』

 そして、彼女は私に語った。
 他の誰にも話していない彼女の秘密。彼の秘密。
 正直、彼女の神経が参ってしまったのかと思った。それくらい、話の内容は信じ難いものだった。
 もしかしたら、私に諦めさせる為に作り話を語っているのでは、と疑った程だ。
 だけど、彼女の瞳に嘘は無かった。
 彼女はアーサー王でもあり、ただの青年でもあった。

『君の子供を産んでやるわけにもいかない。そもそも、女として愛してやれるかも分からない。加えて、この身は別の男に愛を捧げた少女のものだ』

 肩を竦める彼女に私はその時何も言えなかった。

『だから、俺の事は諦めろ。君には将来、俺なんかよりずっと綺麗な心を持った美人が何人も現れる筈さ。偽物のアーサー王なんかよりずっと良い女がたくさん……』
『……あの涙も偽物なのか?』

 私が口にした言葉に彼女はギョッとしたような表情を浮かべた。
 
『あの時のお前の言葉はアーサーのものだったのか!?』

 その時の私はただ悔しがっていただけだった。
 彼女と過ごした日々や彼女と交した言葉の数々がまるで全て嘘だったかのように思えたのだ。
 だから、彼女を問い詰めた。
 そして、彼女は言った。

『あれは確かに俺の涙だった。俺の言葉だったよ……。でも……』
『お前は僕をどう思ってるんだ!?』

 その問いに彼女は直ぐに応えなかった。
 あの時、否定的な言葉が返って来ていたら、自分はどんな決断をしていたのか分からない。
 ただ、あの時彼女はこう言った。

『……言っただろ? 嫌いじゃないよ……』
『それは……、好きって言葉として捉えてもいいのか?』
『いやいや、それは早計だろう。っていうか、言ったじゃないか。俺は男だよ? 確かに、君に対して言葉で表現し難い感情を抱いてはいるよ。俺の覚悟を受け止めてくれた君に対しては……けど』
『……なら、好きにさせてやる』
『……はい?』

 自分でも、どうしてあんな決断をしたのか分からない。
 当時の私はただただ困惑するばかりだった筈だ。
 なのに、私は叫んでいた。

『お前が僕を好きになるようにさせてみせる!! だから、それまで僕の傍に居ろ!!』
『ま、待て、落ち着け、ウェイバー。言っただろ? 俺は……』
『仕方無いじゃないか!! もう、どうしようも無く、好きになっちゃったんだよ!! 責任取れよ!! ずっと、傍に居ろ!!』

 その時の彼女の顔は忘れられない。
 顔を真っ赤にして、目を見開く彼女の顔。
 あの時、私は改めて彼女を愛するようになった。
 私の告白を受けて、動揺してくれた彼女を……、私は愛した。

 それから十年。二人で奔走する毎日だった。
 師であるケイネス・エルメロイ・アーチボルトの死の要因の一端を担ってしまった私はアーチボルト家の再興に手を貸す事にした。
 それと同時に引き取ったイリヤスフィール・フォン・アインツベルンの体の調整を行う為に様々な方面に頭を下げて回った。
 更に、父と兄弟子を聖杯戦争で失った遠坂凛をセイバーの希望で世話する事になり、その上、その過程で固有結界の術者という破格な才能を持つ一般人の少年の事も世話する事になってしまった。
 波乱万丈な五年間が過ぎ、漸くアーチボルト家の再興の目処とイリヤの体の調整を行ってくれる封印指定の人形師との接触に成功した私はいつしか魔術協会の名物教師と呼ばれるようになっていた。
 英霊を相棒としているが故に様々な悶着もあり、休めぬ毎日が続いた。一度は彼女を引き渡すように言われた事もある。
 まあ、その時は彼女が直々に黙らせに行ったが……。それ以来、誰も何も言わなくなった。
 魔術が一切通用しない上に時計塔を一撃で消滅させられる受肉した英霊。正に最強だった。
 更に月日は流れ、聖杯が再起動したとの一報を受けた。
 聖杯戦争終了当時の私には大聖杯を止める程の手腕が無く、彼女の宝具では何が起こるか分からなかった為、霊脈に仕掛けを施し、時間を掛けて停止させる手段を取る他無かった。
 だが、それを間桐の老人が取り除き、再起動を果たさせてしまったらしいのだ。
 まあ、結局大事には至らなかった。機に乗じて聖杯を狙おうとする輩も居たが、封印指定の執行者、バゼット・フラガ・マクレミッツの協力を得て、聖杯戦争を一気に終結させる事が出来た。
 その際、実に奇妙な出会いを果たしたりもした。
 兎にも角にも、我々は十年越しとなったが、大聖杯を完全に停止させる事に成功した。
 その結果、間桐の老人が急激に老け込み隠居してしまい、その時の縁で間桐の後継者であった間桐桜が私の門下生の一人として加わった。
 それから数年。漸く、私達の激動の運命も停滞期に入ったらしく、静かな日々が続いた。
 とは言え、フラット、イリヤ、凛、士郎、桜、ライネス他、様々な問題児達を抱え込み、心労は絶えない。
 けれど、彼女が居るおかげでめげずに居られる。
 大聖杯を停止させた後、私は改めて彼女にプロポーズした。

『……あの可愛かったウェイバーがすっかり立派になっちゃって』

 私のプロポーズに苦笑で返した後、彼女は言った。

『十年か……。さすがに……、こうまで一途に思われちゃうとな……』

 頬を赤らめながら、視線を逸らす彼女に私は言った。

『愛しているんだ。頼む。私と結婚してくれ!!』

 遠まわしな言い方が出来る程、私には余裕が無かった。
 だから、直球勝負で告白した。 
 すると、彼女は困ったような顔をして言った。

『俺でいいの? 前にも話したけど、俺は……』
『君じゃないと駄目なんだ!! だから、頼む!! 俺と――――』
『わ、分かった!! 分かったから……、もうあんまり、その……、恥ずかしいだろ』

 唇を尖らせる彼女に私は歓喜しながら抱きついた。
 ああ、実に恥ずかしい思い出だ。あの後、全員にからかわれた。
 フラットなんぞは聖杯戦争の事情も知らない癖に協会中に話を広め、私の形見を狭くした。

「まったく……」

 私は部屋に集った一同を見渡す。
 聖杯戦争の始まりの御三家の末裔が勢揃いしているだけでも異常な光景だ。
 そこにライネスや士郎という問題児が加わり、私の周囲は毎日が賑やか過ぎる程に賑やかだ。

「さあ、話は終わりだ。フラット。他に気になる事があればガールフレンドに聞け。私は話し疲れた」
「はーい!」

 深刻な話も多々あった筈なのだが、問題児達は暗い表情を一切見せない。
 あの戦いで両親を失ったイリヤ。
 父と兄弟子、そして、魔術刻印を失った凛。
 当主が死に、没落の一途を辿るアーチボルト家の当主の座を押し付けられたライネス。
 青春を奪われた桜。
 最初に出会った時、彼女達はいずれも暗い表情を浮かべていた。
 
「……良い表情をするようになったな」

 呟くと、アルが「そうだね……」と同調した。

「初めは君を散々敵視していたな」
「当然だよ。俺はイリヤの母と凛の父を殺した張本人なんだから」

 彼女達に対して、私達に出来た事は殆ど無かった。
 ただ、彼女達の為に出来る事を探して、奔走するばかりだった。
 彼女達が今のような笑顔を向けてくれるようになったのは何時の頃からだっただろうか……。

「……俺の罪は決して赦されるものじゃない。だから、彼女達に殺されても文句は言えない」
「そんな事は……」
「あるよ。君だって、ライネスや凛に対して同じ事を思ってるだろ?」

 図星だった。ケイネスの死の要因の一端を担った事や凛の兄弟子を殺した事。
 彼女達から恨まれる理由は十分にあった。
 
「だけど、彼女達は今、俺達と笑顔で接してくれている。彼女達がどんな葛藤を抱いているかは分からないけど……」

 アルは私の手を取って言った。

「きっと、あの時死を選んでいたら、彼女達の笑顔を見る事は出来なかった。逃げずに留まれたのは君が俺を捕まえていてくれたおかげだ……」

 アルは目を細めた。それは合図だった。
 軽いキスをした後に彼女は言った。

「俺を愛してくれてありがとう、ウェイバー。子供を作ってやる事は出来ないけど、俺の残りの人生は全て君のものだ」
「……ああ、そして、私の人生は君のものだ」

 抱き合っていると、扉の向こうに気配を感じた。
 アルから離れ、扉に向って魔弾を放つ。すると、蜘蛛の子を散らすように問題児共が逃げていく。

「アイツ等は……」
「アハハ……、皆、愉快な性格になっちゃったね」
「全部、フラットのせいだ。そうに違いない!! 私はちゃんと教えてきたつもりだ!!」

 魔術師としての在り方を懇切丁寧に教えてきた自覚がある。
 あんな風に陽気な性格になったのは私の責任じゃない。

「どうかなー。君って、意外と熱血な所があるしねー。そういう所、ライダーと似てるもん。きっと、フラットもイリヤも凛も桜も士郎もライネスも皆、君の影響を受けたんだよ」
「止めてくれ……。私はあそこまでお馬鹿じゃなかった筈だ」
「いいや、お馬鹿だったよ」

 アルは苦笑しながら言う。

「だって、俺なんかを好きになって、あんな無茶を繰り返したんだもん。そんな君を見て、彼等は育ったんだ。だから、ぜーんぶ、君のせいだよ」
「……酷い言われようだな。だが、まあ……悪くは無いか。少なくとも、悪人は一人も居ない」

 それで良しとしよう。
 
「ついでに言っとくと、俺が君に惚れちゃったのも君のせいだ。だから、ちゃんと責任取ってくれよ?」
「ああ、勿論だ。……けど、まだ明るいか」
「良いじゃないか。そういうのも盛り上がる」
「……せめて、仕事が終わるまでは待ってくれ」
「了解。奥さんらしく、君の為に美味しいクッキーでも焼いて待っているよ」
「ああ、ありがたいな。君の料理は年々美味しくなっていく」
「練習したからね。君への愛の証としてさ」
「……本当にありがたいな」
 
 もう一度、彼女の唇を啄んだ。

「愛しているよ、アル」
「ああ、俺も……、結崎或《ユイザキ アル》も君を愛しているよ」

 互いに笑みを浮かべる。
 始まりは“偽りの憧れ”と“偽りの好意”だった。けれど、今、二人の間にあるのは確かな“愛”だ。

「本当に……、愛している」

第十七話「聖杯よ……、俺を受肉させてくれ」

 ウェイバー・ベルベットの叫びに言峰綺礼は一度だけ立ち止まり、振り向いた。
 けれど、一瞥だけすると、彼は再び走り出してしまった。彼がウェイバーの乗る車を狙った理由は恐らく切嗣の存在。
 話によると、アーチャーとその新たなマスターである少女は彼の拠点に身を置いているとの事。つまり、彼はアーチャーのマスターの代理として、セイバーのマスターである切嗣と戦おうとしているのかもしれない。
 元々、言峰綺礼は遠坂時臣と同盟を結んでいたらしいし、あり得ない話じゃない。ならば、やはり止めるべきだ。
 人間の足では自動車で先を往く切嗣には絶対に追いつけない。けれど、彼には聖堂教会というバックがある。新たな足を調達する事は彼にとって難しい事じゃない可能性がある。
 ただでさえ、慎重に事を進める必要があるのに、あんなイレギュラーを乱入させるわけにはいかない。

「……けど、どうすればいい?」

 相手は聖堂教会の代行者。さっきのカーチェイスでも実力の差をこれ以上無く見せ付けられた。
 絶対に敵わない。サーヴァント程では無いにしろ、あの男は次元が違う。あの男に比べたら、まだ師であるケイネス・エルメロイ・アーチボルトの方がマシに見える。
 けど――――、

「迷ってる時間なんて無い!!」

 ウェイバーは走り出した。何か策を閃いたわけでも無く、ただ、我武者羅に走った。
 息を切らしながら走るウェイバーの耳に電子音が鳴り響く。それは切嗣から預けられた無線機だった。
 走りながら無線機に応答すると、返って来たのは女性の声だった。

『ウェイバー・ベルベットですね?』
「ああ、そうだよ!! 何の用だ!?」
『現在、此方から貴方と言峰綺礼の姿を確認出来ました。此方からの要求は一つです。一瞬、彼の注意を引き付けて下さい』
「それでどうにかなるのか!?」
『――――してみせます。ただ、その為に貴方の命を危険に晒す事になりますが……』
「構わないよ!! アイツを止められるなら何でも良い!! 僕はアイツを止めなくちゃいけないんだ!! じゃなきゃ、イヴがやった事が無意味になっちまう!!」
『――――了解。現在地より百メートル先にある郵便ポストを右に曲がってください。そこに足を用意してあります』
「オーケー!!」

 ウェイバーは顔を真っ赤にしながら百メートルを走り抜き、指示通りに郵便ポストを曲がった。
 すると、そこには一人の少女が居た。銀色の髪の少女。

「お待ちしておりました、ウェイバー様」

 少女の傍には一台のバイクがあった。

「後ろにお乗り下さい。直ぐに出発します」
「……ああ、分かった」

 少女の後ろに乗り込み、彼女の腰に手を回す。
 酷く華奢な体つきだ。
 イヴもこんな感じだったのかもしれない。セイバーだって……。

「……なあ、アンタの名前は?」
「私に固有識別名称は存在しません。お呼びする際はA4と……」
「じゃあ、適当に付けるぞ! アンタはステファニーだ!!」
「ス、ステファニーですか……?」

 キョトンとするステファニーにウェイバーは大きく頷いた。

「これから一緒に命を賭けて戦うんだ。識別記号なんかで呼びたくない」

 イヴの事を思いながら、ウェイバーは言った。

「ステファニー……、“勝利の冠”ですか……」

 ステファニーは反芻するように呟いた後、眩しい笑みを浮かべた。

「感謝します。この名に賭けて、貴方に勝利を捧げましょう。参りますよ、ウェイバー様!」
「ああ、全速力で突っ走れ!! ステファニー!!」

 やっぱりだ。彼女達には一人一人人格がちゃんとある。触れた箇所から彼女の生命力を感じる。
 奴を止める為に犠牲になった多くのホムンクルス達を思う。
 彼等の犠牲を無駄にする事だけはしたくない。その為にステファニーを危険に晒す事になるが、今度こそ、イヴのように死なせたりはしない。
 ウェイバーは残り一角となった令呪を掲げた。
 
「やってやるさ!!」

 バイクは瞬く間に最高速度にまで加速し、遥か前方を往く綺礼と距離を詰める。
 瞬く間に距離は縮み、ついに彼を追い抜く事が出来た。しかし、その瞬間、綺礼は黒鍵をウェイバーとステファニーに向けて投擲して来た。

「落ちないよう、しっかり掴まっていて下さい!!」

 ステファニーはバイクの車体を大きく傾け、黒鍵を回避する。そのまま、黒鍵の射程範囲外まで駆け抜けると、一気に速度を緩めた。

「ステファニー。君は離れてろ」
「いえ、そんな訳には――――」
「大丈夫。僕にだって、考えくらいあるさ。ちゃんと、役割を果たす」
「ウェイバー様……。どうか、御武運を……」
「ありがとう」

 ステファニーが去り、安堵の溜息を零す。
 
「止まれ、言峰綺礼」

 ウェイバーは迫り来る綺礼に令呪を掲げて呟いた。

「……ウェイバー・ベルベット。お前に用は無い。道を開けろ」
「断る! そこから一歩でも動いてみろ、ライダーを召喚してお前を殺す!」

 目論見通り、綺礼の動きが停止した。彼にとって、ウェイバーのハッタリは効果的だった。
 彼にはサーヴァントが居ない。協力関係にある英霊は一人居るが、わざわざ此方の窮地を感じて駆けつけるような殊勝な性格では無いし、そもそも、今、当人は戦闘の真っ最中だ。
 故に、サーヴァントを召喚される事は彼にとって致命的とも言えるのだ。
 
「……解せんな。私はとうに脱落した身だぞ?」
 
 いけしゃあしゃあと口走る綺礼をウェイバーは油断無く睨んだ。
 よく考えてみれば、ウェイバーにとって、言峰綺礼という男は初対面だった。敵対するマスター同士だったとはいえ、直接対峙した事は今に至るまで一度も無く、因縁と言えるものが全く無かった。
 現状も端から見れば逆恨みに近い。それでも、ウェイバー・ベルベットは視線を逸らさない。
 小さな器しか持たなかった少年はこの聖杯戦争という数日間の戦いで成長したのだ。
 彼の背中を押すのは初恋の少女の顔であり、潜伏先に選んだ家の老夫婦の顔であり、自らが名付けた二人のホムンクルスの顔だった。
 そして、彼が胸に抱くのは一人の男との絆。共に戦場を駆け抜けた盟友であり、尊敬すべき王。
 まるで、測ったかのようなタイミングで彼の思念がウェイバーに届いた。

『では、後は頼むぞ。さらばだ、今生のマスター、ウェイバー・ベルベットよ』

 それは死を覚悟した者が告げる別れの言葉であり、自らの思いを託す言葉だった。
 彼はウェイバーに対して、『頼む』と言った。そして、『マスター』と呼んだ。
 偉大なる王であり、大きな男であったライダーの言葉がウェイバーの心に浸透し、勇気を与える。

「お前はここで倒す!! この僕とライダーの力でだ!!」

 ウェイバーの真に迫る演技に綺礼は戦闘態勢に入る。

「令呪を持って命じる!! ライダー!!」

 高らかに叫ぶウェイバーに綺礼はついに周囲への警戒心を解き、全神経をウェイバー一人に傾けた。
 作戦成功。ウェイバーはハッタリを綺礼に信じ込ませる事が出来た。
 瞬間、四方八方から人影が現れた。
 ウェイバーに向って攻撃モーションに入っていた綺礼は反応が遅れた。
 降り注ぐ銃弾。綺礼は常人離れした身体能力で回避行動を取るが、頭部への致命傷を防ぐ事で精一杯だった。
 
「ウェイバー様!!」

 後ろから声が響いた。振り向くと、ステファニーが戻って来た。バイクを止めると、ステファニーはウェイバーを後ろに乗せた。

「では、切嗣様を追いますよ、ウェイバー様!」
「ああ、たの――――」

 背筋が凍り付いた。
 それは殆ど反射に近い動きだった。恐怖を感じると共にステファニーを押し倒し、バイクから転がり落ちた。
 刹那、黒鍵が奔った。

「う、そだろ!?」

 言峰綺礼は怪物だ。そんな事、分かっていた筈だが、幾らなんでも……。
 圧殺するかの如く降り注ぐ銃弾の雨を受けながら、綺礼は尚も戦意を喪失していなかった。
 何が彼をそうまで突き動かすのかは分からない。
 分かる事は彼があの状態でウェイバーとステファニーを殺そうとした事。
 そして、殺そうとした理由が円蔵山へ辿り着く為の足を奪う為である事。
 光が迸る。綺礼が上空に打ち上げた黒鍵から眩い光が迸り、銃撃が止んだ。その一瞬の隙を突き、言峰綺礼はステファニーのバイクを奪った。
 走り出す言峰綺礼。後を追おうと立ち上がるウェイバーをステファニーが止めた。

「な、なんで――――」
「チェックメイト!!」

 振り向いたウェイバーが見たのは勝利を確信したステファニーの顔。
 彼女はその手に握る機械のスイッチを押した。
 瞬間、バイクが爆発した。

「な、なな、なにいいぃぃぃぃいいい!?」

 信じられない。さっき、共に乗っていたバイクが爆発したのだ。
 破片が飛んでくる。その中には人の腕があった。

「お、おお、おおおい!? どういう事だ!?」
「ウェイバー様。敵を騙すにはまず味方からという諺がこの国にはありまして……」
「また、僕を囮に!?」
「いえ、いけに……、えっと……」
「生贄って言おうとしたよな!? 僕ごとアイツを爆殺しようとしたのか!?」
「大丈夫です、ウェイバー様」
「ぼ、僕が死んでも切嗣がセイバーを助けるって言いたいんだろ!? もう、お前等の思考なんて読めてるんだからな!!」

 喚き散らすウェイバーにステファニーは言った。

「まったくもって、その通りなのですが、それでも貴方は生きております。勇敢な方……。絶対に爆散する運命だろうと思っていたのに、貴方はその運命を乗り越えた……」
「お前等、もうちょっと言葉をオブラートに包めよ!? 褒めてるつもりで言ってるなら、それは勘違いだぞ!!」
「……ウフ」

 まるで誤魔化すかのようなステファニーの微笑みにウェイバーはがっくりと肩を落とした。
 
「もういいよ……。とにかく、円蔵山へ向うぞ。足は他にあるのか?」
「勿論でございます。ウェイバー様、共に行きましょう」
「ま、また、囮に使ったりするなよ?」
「…………ええ、それは……はい」
「断言してよ!?」

 溜息を零しつつ、ウェイバーは爆散したバイクの方を見た。
 そして、言葉を失った。
 そこに言峰綺礼は立っていた。手足は捥がれ、内臓は露出し、足も奇妙な形に捻じ曲がっている。
 にも関わらず、彼は立っていた。
 理解不能な事態に息を呑むウェイバーの耳に彼の呟きが聞こえた。

「……わた、しは……答えを……得られ……なかった」

 そう言って、彼は倒れこんだ。傍に寄るまでも無く、絶命している。

「至近距離であの爆発を受けて尚生きているとは……、やはり、切嗣様の懸念は正しかったようですね」
「あ、ああ……」

 自分が生き残っている事は奇跡だ。それでも、生き残ったのは自分だ。ウェイバーは強く思った。
 
「ぼ、僕の勝ちだ……、言峰綺礼」

「風王鉄槌《ストライク・エア》!!」

 エクスカリバーに纏わせていた風を解き放ち、セイバーは地面を抉った。
 舞い上がる砂埃がアーチャーとセイバーの間に壁を作り出す。けれど、アーチャーはそんな物存在せぬとばかりに宝具を放つ。
 けれど、狙いが甘い。セイバーは切嗣を抱えると、走り出した。
 
「切嗣さんの事だから、必ず……」

 境内の外円部に向うと、案の定、待機していたホムンクルスが現れた。

「切嗣さんを頼む!!」

 返事を待たずに切嗣の体をホムンクルスに預けると、セイバーは即座に戦場に戻った。
 逃げるという選択肢は無い。自分が逃げれば、切嗣が殺される。
 それだけは駄目だ。切嗣を助け、彼をイリヤの下に帰す。それだけがセイバーにとっての心の支柱だった。

「アーチャー!!」

 砂埃は既に晴れていた。アーチャーは獰猛な笑みを浮かべると共に宝具を降らせる。
 降り注ぐ魔弾を前にセイバーは驚く程冷静だった。
 直感スキルによる恩恵か、はたまた、別の要因が関係しているのか、それは分からない。
 ただ言える事は一つ。彼女には魔弾の軌道が見えていた。そして、迫る魔弾に対処する動きが出来た。
 全て遠き理想郷《アヴァロン》を使った直後から、身体能力が大幅に向上している。全身に行き渡る魔力も今までの比では無い。
 加えて、剣を操る技術が急激に向上している。魔力放出の扱いも今までのような力任せな使い方では無く、より緻密な操作が可能となっている。
 それは新たに身に着けたというより、過去に身に着けた技術を思い出したという感覚に近かった。

「ッハァァァアアアア!!」

 自分のものでは無い記憶が甦ってくる。
 それはアーサー王の記憶だった。
 それは本物のセイバーの記憶だった。
 どうして、自分がこんな風になったのかをセイバーは漸く理解した。

 聖杯とは根源へ至る為の架け橋だ。願望機としての機能など、その副産物に過ぎない。
 本物のセイバーが絶望に暮れ、聖杯に手を伸ばした時、聖杯は彼女に何をしたのか?
 単純な事だ。聖杯は本来の役割を果たしたに過ぎない。セイバーは根源の渦に至ったのだ。
 根源の渦とは、万象の基点となる座標を指す。万物の始まりであり、終わりである。
 世界の外側にあるとされる、次元論の頂点にある力。
 根源の渦に至るという事は、即ち、世界の外側へ逸脱するという事に他ならない。
 そこで彼女は俺と出遭った。

――――そうだ、思い出した。

 俺は元々、死んでいたんだ。
 新卒カードでよりにもよって、ブラック企業に就職してしまった俺は嫌な上司に虐められて、自殺した。
 俺の人生の終わりを説明すれば、それだけで事足りてしまう。
 最初に切嗣さんに冷たくされてプッツンしてしまったのも、それが原因だ。上司を殴るか、この世から逃げるかの二択で、俺は逃げたんだ。
 情け無い事この上無い話だ。
 死亡して、肉体から魂が抜け出た俺は暗闇の中に居た。あれが恐らく無という奴なのだろう。
 目も見えない。音も聞こえない。何も触れない。自分自身すら無い。けど、それを苦に思う感情も無い。
 そんな場所に彼女の魂は現れた。互いに明確な意思は無く、外因によって、俺達の魂は融合してしまった。
 ある種の二重人格に近いのだと思う。二つの魂が融合した存在故にどちらでもあって、どちらでも無い状態に陥っているのだ。
 基本的に優先されるのは感情が強い方の魂の意思だ。
 セイバーさんは自らの抹消を願うほど、精神を磨耗させていた。故に感情の起伏が弱く、殆どの意思を俺に委ねている。
 だが、アーチャーに対しては憤怒と憎悪の感情を浮き上がらせ、俺の意思を奪う。
 
 俺が彼女の能力を違和感無く使える理由は恐らく、魂が融合しているが故に起きた精神の混合が原因だと思う。
 今ほど鮮明では無いにしろ、俺には彼女の記憶や経験がおぼろげではあったにしろ、確かに存在した。
 例えば、キャスターの魔物に体を嬲られた時、俺は知らない筈の女としての快楽を知っていた。本来、それが性感であると理解していても、いきなり快楽に感じる事は無い筈だ。
 それ以外にもアーチャーに対して感じた怒りを俺は紛れも無く自分の怒りだと感じていたし、切嗣さん達が認める程の王としての采配を為す事が出来た事もセイバーさんの経験が流れ込んできたからだろうと推測出来る。
 今、俺はセイバーさんであり、セイバーさんは俺なんだ。
 実に奇妙な状態だけど、アヴァロンによって、余計なモノ……聖杯の穢れが取り払われた事で状況を理解するに至った。
 共に互いに対し迷惑を掛けたと謝罪の気持ちでいっぱいなのがおかしかった。
 セイバーさんの意思を感じる。
 俺の意思がセイバーさんに伝わっている事を感じる。
 二人の意思は一致していた。

――――何としても、アーチャーを倒そう。そして、切嗣さんを助けよう。
――――ええ、全てに決着をつけましょう。

 もはや、俺達は同一人物だ。今の意思確認も自問自答に近い感覚だ。
 けれど、今に至って、俺《ワタシ》は漸く全ての鎖から解き放たれた事を感じた。
 ここでアーチャーを倒し、聖杯を完全に破壊すれば、シロウが不幸な運命を歩む事が無くなる。
 ここでアーチャーを倒し、切嗣さんを助けられれば、イリヤとの約束を守る事が出来る。

「だから、その為に――――」

 セイバーは聖剣の鞘へ手を伸ばした。アヴァロンが無数のパーツに分解され、その身を妖精郷へと隔離する。
 アーチャーの表情が苛立ちによって彩られている。その最中、セイバーは聖剣を構える。
 魔力が現界を超えて注ぎ込まれ、剣が眩い光を放つ。

「――――セイバー!!」

 アーチャーが痺れを切らし、乖離剣を抜き放つ。回転する三つの円柱。
 世界を滅ぼす魔剣を前に、恐怖は無い。

「天地乖離す開闢の星《エヌマ・エリシュ》!!」

 発動した原初の剣。けれど、その破滅の光は――――、

「無駄な事を――――」

 セイバーは剣を振り上げる。
 乖離剣の一撃を受けて尚、アヴァロンは担い手を守り通した。
 平行世界からの干渉すら寄せ付けない究極の守りは世界を滅ぼす英雄王の剣をも阻んだ。

「約束された《エクス》――――」

 瞬間、アヴァロンが解除される。しかし、アーチャーにはその隙に付け入る余裕が無かった。
 振り下ろされる極光剣をアーチャーは憤怒の表情で睨み付ける。

「セイバー!!」
「――――勝利の剣《カリバー》!!」

 エクスカリバーの極光に飲み込まれるアーチャー。
 彼に向かい、セイバーは更なる追撃を加える。
 元々、鞘があれば、セイバーはエクスカリバーの真名解放を三回連続で使う事が出来る。
 加えて、今の彼女にはホムンクルスからの魔力供給がある。
 その意味は――――、

「消し飛べ!!」

 光が晴れた先に佇むアーチャーへ二度目のエクスカリバーを叩き込む。
 けれど、二度目の斬撃は彼に当たる事無く虚空を裂く。

「馬鹿な――――」

 アーチャーは気がつくと目の前に居た。
 その真紅の瞳を輝かせながら、セイバーを睨む。

「調子に乗り過ぎだぞ、女!!」

 宝具の解放直後で動けないセイバーにアーチャーが手を伸ばす。
 しかし、その時、あり得ない事が起きた。
 セイバーの体を膨大な魔力が包み込み、あり得ない挙動を強要した。

「令呪だと!?」

 硬直を強制的に解除され、三度目の真名解放を振り向き様に発動する。
 その暴挙にアーチャーは目を剥き、そんな彼に対して、セイバーは更なる追撃を加える。

「終わりだ、アーチャー!!」

 鎧を解除し、残る全ての魔力をエクスカリバーに注ぎ込む。
 四度目の真名解放。それは今度こそ、アーチャーの鎧を粉砕し、彼の肉体に致命傷を与えた。
 何かを語る暇すら無く、アーチャーの魂は消滅を迎える。
 それは全ての終わりを意味した。

「……切嗣さん」

 セイバーは踵を返し、切嗣の下に向った。
 階段の中腹に彼は居た。

「切嗣さん!!」

 声を掛けると、彼は小さな声で呟いた。

「……よくやった」
「切嗣さん。今直ぐにアヴァロンを埋め込みます。大丈夫です。助かりますよ!!」
「……ああ、すまないな」

 セイバーは急いでアヴァロンを切嗣の体に埋め込み、魔力を流した。
 これで大丈夫な筈だ。そう思い、彼の顔を見た瞬間、セイバーの表情は凍り付いた。
 慌てて、彼の口元に耳を寄せ、彼の脈拍を測る。

「……う、嘘だ!!」

 必死に心臓マッサージと人工呼吸を行う。
 運転免許を取るときに習った方法で、間違っていない筈だ。
 なのに、彼は息を吹き返さない。

「な、なんで!?」

 アヴァロンを埋め込んだのだ。腹を吹き飛ばされても、アヴァロンなら治してくれる筈なのだ。
 なのに、どうして、彼は息をしてくれないのだろう?

「切嗣さん!! 起きて下さい、切嗣さん!!」

 切嗣は目を覚まさなかった。
 息を切らせながら階段を上がってきたウェイバーが見たのは、涙を流しながら、必死に彼に声を掛け続けるセイバーの姿だった。
 衛宮切嗣は死亡した。それはセイバーにとって……、彼女の魂と融合した一人の男にとって、自らの存在理由が消えてしまった瞬間でもあった。
 ウェイバーやステファニー、他のホムンクルス達も黙って彼の死体と泣き叫ぶセイバーを見つめた。
 邪魔をする者は居なかった。何故なら、全てが終わったからだ。もう、生き残っているサーヴァントはセイバーだけだ。
 勝者はただ、死者に縋って泣き叫ぶばかり……。

「……セイバー」

 漸く、彼女の泣き声が小さくなった頃を見計らい、ウェイバーが声を掛けた。
 そんな彼に彼女は言った。

「ウェイバー……、お願いがあります」
「な、なんだ? 何でも言えよ」
「……私のマスターになって下さい」

 その意味をウェイバーは直ぐに理解出来なかった。

「……えっと、どういう意味?」
「これから、私は聖杯を使います」
「聖杯を使うって……、まさか、また人類全てを玩具にするとかそんなッ」

 慌てふためくウェイバーにセイバーは首を振った。

「違います。ただ、私にはまだやるべき事が残っているのです。だから、その為に後少しだけ、命を存える必要がある」
「やるべき事……?」
「イリヤを……、切嗣さんの娘を助けに行かなきゃいけないんです。だから、俺は聖杯を使って受肉する。その後、俺は狂ってしまうかもしれないけど、その時は君に令呪で自害を命じて欲しい。もし、狂わなかったら……、俺を行かせて欲しい」
「……なあ、お前は僕の気持ちを知ってるか?」
「貴方の気持ち……?」

 キョトンとした表情を浮かべるセイバーにウェイバーは頭を抱えた。

「マスターになってやってもいいよ。ただし、絶対に自分を見失うな。絶対にイリヤって子を救出して、二人で戻って来い。それと、一つ言っておく」

 顔を真っ赤にするウェイバーにセイバーは首を傾げた。

「僕はお前が好きだ」
「……え?」

 目を丸くするセイバーにウェイバーは顔を背けた。

「ああ、身の程知らずって事は分かってるさ!! でも、好きになっちゃったんだ!! だから、絶対戻って来い!! そんで……、僕を盛大に振れ!! それまでは僕は……勝手に期待するから。お、お前、僕がマスターになってやるんだから、僕を一生道化のままにさせるなよ!? ちゃんと、僕の期待を粉々にぶっ壊せよ!!」

 大きな声で叫ぶウェイバーにセイバーは笑った。
 天使のような笑顔にウェイバーはつい見惚れてしまう。

「ああ、帰って来たら、ちゃんと返事をするよ。俺が……」

 そして、少年と少女は階段を上る。目の前で完全な裏切り発言を聞いたホムンクルス達も静かに付き従う。
 柳洞寺の境内の中心にセイバーはアイリスフィールの心臓を掲げる。すると、アサシンとライダー、アーチャーの三騎の魂を呑み込んだ聖杯が光を灯し始めた。
 三騎のみとは言え、その内の一騎は大英雄クラス。その魂は英霊二騎分にも相当する。聖杯を起動させるには十分だった。
 とは言え、所詮は四騎分。聖杯の力は酷く弱々しかった。だが、それはむしろ都合が良かった。
 これならば、冬木市に災害を齎すような事は無いだろう。
 セイバーは呪われた杯を手に、呟いた。

「聖杯よ……、俺を受肉させてくれ」

***
次回、最終回です(∩´∀`)∩お付き合い頂きまして、ありがとうございます。

第十六話「行かせないぞ、言峰綺礼」

 それはセイバーとアーチャーが刃を交える三十分前の事。
 ライダーは堂々とアーチャーが拠点を構える言峰教会の前に戦車を降ろした。

「ようよう! ここに居るのであろう? アーチャー!」
「何用だ? 生憎、今の我に貴様を構っている暇は無いのだが?」

 ライダーが大声で呼び掛けると、私服姿のアーチャーが間を置かずに入り口から姿を現した。

「うん? どこぞかに出掛ける所だったのか?」
「そんな所だ。それより、用件を言え。戦いに来たわけでは無いのだろう? 申してみよ。暇は無いが、今の我は機嫌が良い。もっとも、下らぬ用件であったなら、この場で斬首するがな」
「ちと、相談があってな」
「相談だと?」

 眉を潜めるアーチャーにライダーはセイバーが錯乱状態にある事とセイバーの手に聖杯が渡った事を伝えた。
 アーチャーは眉一つ動かさずに「そうか」とだけ呟くと、教会に視線を向けた。

「それで? 貴様は我に何を求めているのだ?」
「余と共にセイバーの討伐に乗り出してもらいたい」
「断る」

 アーチャーはライダーの申し出を一蹴した。
 
「……分かっているとは思うが、今の状況は非常に切迫しておる」

 険しい表情で言い募るライダーに対して、アーチャーは嘲笑うかのような笑みを浮かべた。

「分かっていないのは貴様の方だ、ライダー」
「……どういう事だ?」
「アレがただ錯乱しているだけだと本気で思っているのか?」

 アーチャーの問いにライダーは二の句を告げなかった。
 
「図星か……。どうやら、我は貴様を過大評価していたらしい」

 呆れたように肩を竦めるアーチャー。
 そんな彼にライダーは説明を求めた。

「少し考えれば分かる事だ。如何に小娘と言えど、奴も『王』だぞ? 千を超える屍の山を築いた殺戮者だ。それがキャスターの稚拙な拷問現場を見たくらいで精神など病むものか」
「……ならば、あの豹変振りは――――」
「例えばだ、ライダー。透明な水に泥を加えればどうなる?」

 不意打ち気味な問いにライダーは途惑いながら答える。

「……そんなもの、淀むに決まっておる」
「その通りだ。如何に不純物の無い純水も泥を加えれば、瞬く間に淀む。如何に曇り無き美しさを持つ宝石でも泥を浴びせれば穢れる」
「……つまり、セイバーは」

 ハッとした表情を浮かべるライダーの思念に別れた筈のマスターの声が響いた。それはたった今、アーチャーが口にした例えを具体的にしたもの。
 豹変したセイバーの真実。そして、彼女を救う方法。
 あまりの事にライダーは哄笑した。そんな彼をアーチャーは眉一つ動かさずに見つめている。

「どうやら、余は相当な間抜けであったらしい。坊主などと侮っていたマスターの方が余程賢かったというわけだ」

 ライダーはアーチャーを見返す。

「真実を識る貴様はこれからどうするのだ?」
「決まっている。穢れを祓い、我のモノとするのだ」
「……貴様のモノに?」

 それは聊か予想外の言葉だった。

「お前さん、あの小娘を煙たがっておらんかったか?」
「ああ、直接手に取るまではな……。だが、奴を組み敷いた時、奴の奥底に眠る輝きを見た。穢れさえ祓えば、アレ程の上物は滅多に無い」

 歯を剥き出しにして獰猛な笑みを浮かべるアーチャー。そこに浮ぶのは子羊を狙う獣の眼光。

「……そうか」

 それはいかん、とライダーは己が主の顔を心中に浮かべる。
 未熟だとばかり思っていたマスターが恋い慕う少女の為に見つけ出した救済の方法。その鍵はアーチャーが握っている。
 けれど、アーチャーにはのプランとは別の方法も持ち合わせているように思える。
 どちらにせよ、アーチャーがその気になっている時点でセイバーの救済は確定したも同然。
 問題はその後だ。

「……良かろう。余の方もセイバーをこの世全ての悪から解放出来ればそれで良い。後はお前さんの好きにしたらいい」

 ここから問題となってくるのは立ち位置だ。セイバーの救済の場にアーチャー一人を行かせるわけにはいかない。
 そうなれば、この男はあの小娘を我が物としてしまう。
 それは面白くない。

『普通に生きたいんだ』

 彼女の言葉が脳裏に甦る。
 王として、国を守る為に奔走した少女が抱いた祈りであり、ライダーはそんな彼女の願いを聞き入れ、叶えると言った。
 一度は諦め、破り捨てた約束。けれど、己のマスターは諦める事を良しとせず、道を切り拓いて見せた。
 何と言う様だ、征服王。ライダーは自らの愚かしさを嘲笑した。自らのマスターの諦めの悪さを讃えた。

「だが、せめて見守らせてくれぬか?」

 今度こそ、あの娘を救い、願いを叶えさせる。聖杯が使えない以上、他の手を考える必要があるが、それでも二度と、諦めを口にする事は許されない。
 
「ッハ、好きにするが良い。奴を手中に収めるまではこれ以上、サーヴァントを脱落させる事も出来ぬしな」

 言葉を重ねる必要は無かった。どうやら、アーチャーは本当にご機嫌らしい。
 奴はセイバーを純水や宝石に例えた。それはつまり、セイバーが奴にとって煌く宝石と同等の価値があるという事。
 それが愛なのか、はたまた別の何かなのかは分からない。
 あるいは、アーチャーに抱かれ、快楽に溺れる方がセイバーにとって幸せな事なのかもしれない。
 けれど、それは逃避であって、救いでは無い。
 己の罪業と向き合い、尚生きる。その果てにこそ、救いがある筈なのだ。
 小娘が一人で歩むには厳し過ぎる道だが、二人でなら……。

「……感謝する」

 二騎のサーヴァントは各々の飛行宝具を取り出し、天空を翔ける。
 アーチャーは既に目的地を把握しているらしい。雷鳴が轟く戦車の上でライダーは主に思念を送る。
 僅かなやり取りの後、ライダーは表情を引き締め、前方を飛行するアーチャーを見据える。

「……期待しておるぞ」

 それが誰に向けられたものかを知る者はライダー当人を除いて誰も居ない。
 アーチャーの宝具が下降を初め、ライダーも戦車を着陸態勢に入らせた。
 セイバーが居たのは円蔵山の中腹に存在する柳洞寺。

 一方、ライダーのマスター、ウェイバー・ベルベットは自動車の助手席に居た。
 ライダーから送られた思念に短く応え、運転席でハンドルを握るセイバーのマスター、衛宮切嗣を見る。

「……ライダーが了承してくれたよ」
「分かった。なら、作戦通りに行動しよう。まずは、アーチャーにセイバーの汚染を祓わせる」

 切嗣は懐から無線を取り出しながら言った。
 アーチャーがセイバーの現状を把握していた。ライダーから届けられた一報を二人は重く受け止めた。
 セイバーを聖杯から解放するという最大の難問がアッサリと解決したのは良い。
 アヴァロンを使わせる。ウェイバーの発案は悪くは無かったが正直なところ、現実的では無かった。
 切嗣の令呪とセイバーの繋がりが未だ健在であったなら話は簡単だったのだが、生憎、今は繋がりが切れている。
 そうなると、セイバー自身の意思で発動させるより他に方法が無く、その為にはアーチャーにセイバーを完膚なきまでに叩きのめしてもらう必要が出て来る。
 
「ライダーの宝具じゃ、どっちを使ってもセイバーにアヴァロンを使わせる事は出来ないだろうからな……」

 悔しいが、ライダーはセイバーと相性が悪い。最強宝具である固有結界・王の軍勢も対城宝具が相手では軍勢が一掃されて終わりだし、戦車もエクスカリバーの斬撃には耐えられない。
 
「どちらにせよ、セイバーを聖杯から引き剥がすにはアーチャーを利用するしかない。問題はその後だ」
「……セイバーと聖杯の繋がりが切れるか、十分に弱まった時点でライダーに王の軍勢を使わせる。それで一時的にアーチャーをセイバーから隔離し、その間にアンタがセイバーに近寄り再契約を行う。その後、令呪でアヴァロンを使わせ、完全に汚染を除去する」
「最後にして、最大の障害はアーチャーだな。恐らく、ライダーではもって数分と言った所だろう」

 ウェイバーは悔しさに下唇を噛み締めた。
 切嗣が口にしている事は紛れも無い真実だ。
 ライダーではアーチャーに決して勝てない。この作戦を決行するという事は彼が死ぬという事だ。
 そして、ウェイバーは決して彼に直接別れを告げる事が出来ない。万が一にも此方の狙いを悟らせるわけにはいかないからだ。
 それでも、ウェイバーに迷いは無い。思念による短い会話で別れは済ませた。
 彼はウェイバーに問うた。

『あの小娘が歩むであろう修羅の道を共に歩む勇気はあるか?』

 ウェイバーは応えた。

『……勇気なんて無い。でも、意地はある』

 ライダーは『それで十分だ』と笑った。
 互いの意思はそれだけで伝わった。
 だから――――、

「アヴァロンを使って尚、セイバーがアーチャーに勝てる可能性は低いだろう。だから、少しでも勝率を上げる為に僕は死ぬ」

 切嗣は言った。

「限り無く真に迫る死の演出を行う必要がある。でなければ、最強を打ち倒す為の布石にならない」
「……だから、奴の攻撃を受けるってのか?」
「ああ、そうだ。奴を挑発すれば、攻撃の矛先を向けさせる事は十分可能だろう。その際、アーチャーの性格を考慮すると、強力な宝具を向けられる可能性は低いと思う」
「思うって言っても、そんなの希望的観測だろ? 本当に即死させられたらどうするんだよ?」
「そこは天に祈るしかないな」
「お、おい……」

 不安そうに瞳を揺らすウェイバーに切嗣は微笑んだ。

「そう簡単に死ぬ気は無いさ。やるべき事がまだまだたくさんあるからね。僕はある程度、自分の中の時間を操作出来るんだ。だから、真名解放もされていない剣や槍に突き刺されても、急所をずらすくらいなら出来る筈だ。即死さえ防げれば、作戦は成功したも同然さ」
「……真名解放されたら?」
「終わりだ。そうなったら、君の出番だ。次善の策として、君にはホムンクルス達を使い、最大限にセイバーを援護して欲しい。ジャミング弾を使い、アーチャーの視覚や聴覚を一時的に麻痺させれば、セイバーに勝機を作り出す事が出来る筈だ」

 そう言って、切嗣は無線をウェイバーに投げ渡した。

「周波数は頭に叩き込んだな?」
「……当然だ」
「結構」

 それっきり、二人は口を閉ざした。
 異変が起きたのはそれから二分後の事だった。
 ミラーに切嗣達の車を追う黒い車が見えた。

「な、なんだ?」

 ウェイバーが窓を開けて後ろを見ると、黒い車の窓が開き、そこから男が屋根に上がった。
 一瞬、ウェイバーの目が点になる。
 あり得ない光景がそこにあった。

「どうした、ウェイバー?」
「……神父が車の屋根に立って、ナイフを振り上げてる」
「言峰綺礼か!?」
「なんで、分かるの!?」

 切嗣は懐から拳銃を取り出して顔も向けずにミラーを見ながら発射した。
 対して、乗用車の屋根に上るという暴挙を為した神父は銃弾を真っ向から受け止め、お返しとばかりに赤い柄のナイフを投擲した。
 刀身の長いそれは黒鍵と呼ばれる教会の代行者が使うマイナー武器だ。
 一体、いかなる力と技で打ち出されたのか、時速百キロを超えて疾走する自動車のタイヤを自動車の屋根という不安定な足場に立ちながら狙う。
 切嗣は舌を打ちながらハンドルを切るが、その隙に車間距離を詰められる。

「来てる!! 屋根の上に乗った神父が来てる!!」
「頭を下げていろ、ウェイバー!!」

 ウェイバーは只管絶叫し続けた。彼が突発的な出来事に弱いからでは無い。
 乗用車の屋根に乗りながらナイフを投げて来る神父と拳銃を乱射する相棒との板ばさみにあっては、如何に魔術師と言えど、出来る事は身を低くして悲鳴を上げる事のみ。

「言峰綺礼……。何故、このタイミングで……いや、愚問か」

 切嗣は頭を抱えるウェイバーの腕を引っ張った。

「な、なに!?」
「少し、ハンドルを固定していてくれ」
「ええ!?」

 切嗣は問答無用でハンドルから手を離すと、無線機を取り出した。
 切嗣が無線を使っている間、自動車の運転などした事が無いウェイバーは涙目になっていた。

「よし、もういいぞ」

 切嗣にハンドルを返した時、ウェイバーは心から安堵した。
 何せ、切嗣ときたら、無線使用中も普通に発砲するのだ。眼と鼻の先で拳銃が火を噴く恐怖は中々のものだ。

「車を乗り換える。合図をしたら飛び降りろ」
「ええ!?」

 切嗣はいきなり狭い路地に入った。避けるスペースの無い場所に入り込んだ事で綺礼の黒鍵が吸い込まれるようにタイヤを射抜く。
 ソレと同時に切嗣は車のロックを解除した。

「飛び出せ!!」
「本気かよ!?」

 涙目になりながら飛び出すウェイバーを後続から飛び出して来た綺礼の乗る車が通り過ぎてゆく。
 その反対方向から白い影が疾走して来て、ウェイバーを落下直前で掴み、横から走ってきた青いスポーツカーに流れるような動きで放り込んだ。
 混乱する彼を尻目に走り出すスポーツカー。運転席には見知らぬ金髪の女性。どこか、セイバーに似ている気がする。

「って、また追って来てるぞ!!」

 何とか起き上がると、綺礼がウェイバーの乗るスポーツカーを追って来ている。

「ってか、切嗣は!?」
「切嗣様は別ルートです。我々はこれより言峰綺礼を引き離します。その為に、ウェイバー様には此方に御乗車頂きました」

 すらすらと語るセイバー似の女性。
 聡いウェイバーは瞬時に悟った……。

「僕を囮にしやがったな、あの野郎!!」

 ウェイバーの絶叫を聞き流し、セイバー似の女性は言う。

「御安心下さい。貴方が死亡しても、切嗣様が必ずやセイバー様を……」
「安心出来ないよ!!」

 ウェイバーが叫んだ瞬間、後方から魔人が黒鍵を投擲して来た。
 
「ウェイバー様。彼を牽き付けている間、出来ましたら死なないで下さい!!」
「もうちょっと、言い方無いの!?」

 左右に揺れ動く車の車中で振り回されながら、ウェイバーは泣いた。
 確かに、セイバーを救う為に命を張る覚悟はした。けれど、まさかこんなカーチェイスに巻き込まれるとは思わなかった。
 くだらないと思いつつ、時々テレビで見ていたハリウッド映画の世界に彼は居る。

「僕、ここで死ぬのかな? こんなカーチェイスに巻き込まれて死ぬのかな?」
「大丈夫です」

 セイバー似の女性が言う。

「貴方が死んでもセイバー様は必ずや切嗣様が――――」
「それはもういいよ!!」

 慈母のように微笑む彼女にウェイバーは絶叫した。
 その時、対向車線から複数の車が現れた。

「あ、あれは?」
「言峰綺礼迎撃用に手配された部隊です」
「凄い数居るんだけど……」

 車の数は一台や二台じゃない。十代近くが迫って来ている。
 彼女の言う通り、まさしく部隊と呼ぶに相応しい数だ。
 
「言峰綺礼は必ず抹殺しろとの御命令ですので」

 綺礼の車を取り囲むように、部隊は展開した。
 それぞれの車中から銃器を手にしたホムンクルス達が姿を現す。

「お、おい! あれって、ロケットランチャーじゃないのか!?」
「ええ、正確にはRPG-7。ソ連の開発した携帯対戦車擲弾発射器です。構造単純かつ取扱簡便で、その上低コストという三拍子が揃った紛争地帯で大人気の兵器ですよ」

 物騒な事をまるで買ってきたばかりのブランドの財布の説明をするように語る女性にウェイバーは「そうなんだ……」としか返せなかった。
 背後で爆発音が鳴り響き、車体が揺れる。一体、いつの間に自分は紛争地帯に紛れ込んでしまったのだろうか? ウェイバーは頭を抱えた。

「……化け物ですね」

 何が? 振り向き様にそう問おうとしたウェイバーの表情が凍りつく。舞い上がる炎の中から言峰綺礼は飛び出して来た。

「アイツはターミネーターか!?」

 空中で体を捻りながら三百六十度に黒鍵を投擲する。
 まるで吸い込まれるように銃器を構えるホムンクルス達の胸が撃ち抜かれていく。
 着地と同時に前転すると、綺礼は“時速百キロで走行中の車から飛び降りた直後”にも関わらず、普通に走り出した。
 ホムンクルスが騎乗する車の一台に向かい黒鍵を投擲すると、硬いガラスを打ち破り、中の運転手の脳天を破壊した。
 車から飛び出して来た他のホムンクルス達も綺礼に触れるより先に殺された。

「な、何なんだよ、アレ!?」

 人間じゃない。アレでは殆どサーヴァントも同然ではないか!
 車を奪った綺礼が再び走り始める。
 邪魔だとばかりに扉を蹴り飛ばし、そこから此方に向けて黒鍵を投擲して来る。

「拙いですね……」

 運転席のホムンクルスが呟く。

「此方が囮である事に気付かれぬよう、遠回りではあれ、円蔵山に向うルートを使っていたのですが、橋を渡れば後は一本道です……」
「……だったら、迎え撃つしかないんじゃないか?」

 ウェイバーは言った。あんな怪物に立ち向かうなど正気の沙汰では無いが、それ以外に奴を足止めする方法が無い。
 
「とにかく、まずは足を破壊するんだ。何か、方法は無いか? 例えば、もう一度、ロケットランチャーで……」
「アレを移動中に中てるにはさっきみたいに包囲して動きを止める必要があります。走ってる最中では到底命中させる事は叶いません……」
「だったら、何か方法は……」
「そうだ、一つあります! ただ、ウェイバー様」

 運転席から顔だけを後部座席に向けるホムンクルス。
 彼女は真っ直ぐにウェイバーを見つめて言った。

「恐らく、この方法を実行すれば、貴方は高確率で死亡します」
「……さっき、散々人に死ぬ死ぬ言ってた人が今更何言ってるのさ」

 ウェイバーが苦笑いを浮かべると、ホムンクルスは静かに笑った。

「……御覚悟を、ウェイバー様」

 視線を前方に戻し、ホムンクルスは無線で連絡を取った。

「切嗣様。プラン-DBの許可を願います」

 プラン-DB。その詳細が気になったが、背後から迫る綺礼の猛攻にそれ所では無くなった。

「口を閉じていて下さい。最高速度で最短距離にて、冬木大橋に侵入します!!」
「冬木大橋に? ってか、お前は一体、何をするつもりで――――」

 ウェイバーの言葉が途中で途切れた。グンと背凭れに体を押し付けられ、息も出来なくなる。
 そして、車は冬木大橋に突入した。
 途端、ホムンクルスは何を思ったか、いきなり背凭れを倒した。そのまま、奇妙な道具でハンドルを固定すると、後部座席に移動した。

「お、おい、何してるんだよ!?」
「いいから、私を信じて掴まっていて下さい」

 ホムンクルスは扉を蹴破ると、ウェイバーを抱えた状態で後方を見た。
 急加速によって、二つの車の間に生まれた距離は百メートルちょっと。
 その距離が徐々に詰められていく。

「お、おい、どうする気なんだよ!?」
「こうするのです!!」

 ホムンクルスは無線を取り出すと、叫ぶように言った。

「条件は全てクリア!! プラン-DB発動!!」

 瞬間、ウェイバーは理解した。
 プラン-DBとは、即ち“Drop the bridge《橋を落とせ》”という意味だったのだ。
 次々に鳴り響く爆発音と共に冬木大橋が大きく歪んでいく。
 それはセイバーがまだドイツのアインツベルン城に居た時の事。彼女が口にした作戦の一つ。
 切嗣は周到に準備していたのだ。
 コンクリートに皹が入り、車は大きく蛇行を始める。
 瞬間、ホムンクルスは跳んだ。
 ウェイバーを抱えて跳躍し、崩落を開始する橋の上に降り立つ。

「足を奪えとは言ったけどさ……」

 ウェイバーは真っ青な表情で己を抱える少女を見た。

「足場を奪えとまでは言ってないよ……」
「ですが、これが最も確実な方法です。上手くいけば、この崩壊に巻き込まれ、言峰綺礼は死ぬ。仮に生き延びたとしても、もう彼に足は無い。辿り着く頃には全ての決着がついている筈です」
「……ハハ、極端過ぎる。神秘の秘匿とかどうすんだよ……」
「不思議な事を言いますね」

 ホムンクルスはウェイバーの言葉に実に不思議そうに首をかしげた。

「神秘など一切使っていないではありませんか。この橋の崩壊を招いたのは爆薬とそれを扱う知識です。つまり、魔術協会も聖堂教会も文句は言わない筈です」

 キラリと瞳の端を輝かせるホムンクルスにウェイバーは溜息を零した。

「……ホムンクルスって、意外と個性があるんだね」
「いいえ、私達は所詮消耗品ですので、個性など……」
「十分あるよ!! ったく、それより、僕達はどうするんだ?」

 ホムンクルスは会話をしている間も崩落する足場を器用に踏んで橋の反対側を目指している。
 けれど、到底間に合わない。このままでは、二人揃って川に落ち、上から落下してくる橋の残骸によって死ぬ事になる。
 
「なるべく、頑張って向こう岸を目指します。ですが、死んでしまったら申し訳ありません」
「縁起でも無い事言うなよ!!」
「……では、話題を変えましょうか」
「へ?」

 急な話の切り替えにウェイバーは口をポカンと開いた。
 そんな彼にホムンクルスは言った。

「私に名前を与えてもらえませんか?」
「名前……?」
「ええ、私の同型機はセイバー様から大事の前に名前を頂いたそうです。ですので、私も……。名前を頂ければ、もっと頑張れる気がするのです」

 ホムンクルスの言葉の意味をウェイバーは理解した。
 彼女の言う同型機とは、間違いなくマリアの事だろう。そして、彼女は名前を欲しがっている。
 それで思った。彼女達は生きているんだ。ホムンクルスでも、確かに生ある存在なんだ。
 ウェイバーは自身に対して、死ぬ死ぬと連呼する彼女の本心に触れた気がした。
 彼女も恐れているのだ、自らの死を――――。

「……イヴってのは?」
「……イヴ。“命ある者”ですか……」

 イヴは嬉しそうに顔を綻ばせた。

「ありがとう、ウェイバー様」

 イヴは加速した。一体、どうやって生み出したのか理解出来ない程、彼女の体は強大な魔力を迸らせた。
 瞬く間に向こう岸が見えてくる。

「す、凄いぞイヴ!! ってか、こんな事出来るならもっとはや――――」

 違った。
 ウェイバーは彼女の感情の昂ぶりがこの驚愕のスピードを生み出したのだろうと勘違いした。
 彼女は使ってはいけない魔力を使ってしまった。彼女の瞳から光が失せている。

「イ、イヴ!?」
「ウェイ、バーさま。かん、しゃ致し……ます。切嗣さ、まとセ……イバー様をおね、がい……致します」

 それが彼女の最後の言葉となった。
 機能停止する直前、彼女はウェイバーを投げ、反対側の岸へと辿り着かせた。
 そして、彼女自身は崩落する残骸と落下していった。

「お、おい、嘘だろ!?」

 地面を二回跳ねて、全身から血を流しながら、ウェイバーは彼女が落ちた先を見た。
 そこには残骸の山が出来ていた。

「ま、待てよ……。だって、お前……だって」

 彼女が死んだ。彼女が生ある存在だと理解したばかりだったにも関わらず、自身を活かす為に死んだ。
 その事実にウェイバーは堪らず絶叫した。
 けれど、彼に休む暇は無かった。
 不吉な音がした。何かが水の中から出て来る音だ。
 イヴかもしれない。そう思い、顔を向けたウェイバーの瞳に映ったのは額から血を流しながらも未だ健在な言峰綺礼の姿。
 彼は円蔵山を見ると、何事も無かったかのように走り出した。
 今更、人の足で間に合う距離とも思えない。だけど、ウェイバーは思った。

――――このまま、奴に行かせるわけにはいかない。

 それは単なる維持だった。自分が名付けた少女の頑張り。それがまるで無駄だったかのような言峰綺礼の後姿にウェイバーは意地を張った。
 それこそ無駄な行動かもしれない。それでも彼は叫んだ。

「行かせないぞ、言峰綺礼!!」

****
残り二話です(∩´∀`)∩
・゚・(つД`)・゚・ ちょっと風邪気味で更新が遅れちゃいました。すみません。

第十五話「決着をつけてやるよ、アーチャー!」

 楽しいなー、楽しいなー、楽しいなー。
 メリーゴーランドにように世界が回っている。クルクル回っている。
 天に昇るは黒い月。真紅の燐光を発する黒い月。
 地に広がるは黒い泥。一切の光を呑み込む黒い泥。
 狭間にたゆたうは黒い私。ドレスも鎧も泥に染まった黒い俺。
 瞼を閉じれば愛しい人達が手を振っている。親父もお袋も姉貴も同級生も皆が手を振っている。
 瞼を閉じれば愛しい人達が手を振っている。義父も義兄も異母姉も騎士達も皆が手を振っている。
 愛しくて愛しくて堪らない。
 殺したくて殺したくて仕方が無い。
 愛する人を愛したい。愛する人を殺したい。
 けれど、彼等は愛《殺》せない。彼等はここに居ないから。
 だから、他の人で満足しよう。たくさん、殺して満足しよう。

「はーやく、来ないかなー」

 後一人殺せば願いは叶う。アーチャーでも、ライダーでも、どっちでも良い。
 でも、出来ればライダーが良い。俺の崇高な願いを叶える最後の生贄は彼の方が良い。
 いっぱいいっぱい、愛してあげよう。

「AAAAAAAALALALALALALALALAie!!」

 天上より零れ落ちた二つの星。雷鳴轟く戦車と黄金の輝舟が大地に降り立つ。
 歓迎の準備は万全だ。黒い泥が俺に力を貸してくれる。
 
「往け、バーサーカー」

 大地に染み渡る泥が人型を創り出す。漆黒の甲冑を身に纏う魔剣士が黄金の弓兵目掛けて疾走する。

「――――下らんな」

 弓兵は己が蔵から無数の宝具をばら撒く。

「おい! そやつにソレは悪手だろう……」
「いいや、問題無い」

 バーサーカーが降り注ぐ宝具を躱し、奪う。そして、防ぐ。
 アーサー王伝説最強の騎士の冴え渡る剣技は魂を汚染されて尚、健在。
 むしろ、未熟なマスターから解き放たれ、聖杯そのものからバックアップを受ける今の彼は倉庫街での戦い以上のポテンシャルを発揮している筈。
 アーチャーは数で圧倒すれば容易いと侮ったのだろうが、それはバーサーカーを舐め過ぎで……、

「狂犬如きが我が財宝に触れた罰を受けよ」

 何が起きたのか理解出来なかった。いきなり、バーサーカーが苦悶の声を上げて四肢を崩壊させたのだ。

「な、なんだぁ!?」

 ライダーが叫ぶ。

「担い手を滅ぼす魔剣、呪剣の類よ。手に取り、己が物とした時点で破滅が確定している」
「……そんなもんまで入っとるのか」
「当然だ。我の蔵には古今東西のありとあらゆる宝具の原典が内包されているからな。まあ、我自身も手に取れぬ故、使う事は無いと思っていたが、思わぬ所で日の目を見る機会を得たな」

 ほくそ笑むアーチャー。

「さて、次は貴様の番だ、セイバー」

 紅眼をもって、我を睨めつけるアーチャーに思わず頬が緩む。

「その表情、いいねー」

 パキンという音と共に何かが崩れ去る。

「……ランサーか」

 アーチャーの発動した結界宝具がランサーの槍によって瓦解する。
 彼が居る限り、前回の焼き直しにはならない。

「次から次へと男を乗り回すとは、淫売振りに拍車が掛かったのではないか?」

 アーチャーとライダーを取り囲む黒い影の一団。アサシン達がそれぞれダークと呼ばれる短剣を手に二騎を睨み付ける。
 バーサーカーの修復も完了。一度回収してしまえば、幾らでも復活させられる。
 無限に等しい魔力に物を言わせ、バーサーカーをより最強の騎士に仕立て上げる。

「王様からの命令だよ、ランスロット。アーチャーを捕まえろ」

 傲慢不遜な彼の顔を屈辱に歪めさせたい。

「キャスター。最凶の魔を頼みますよ?」

 キャスターが自らの魔本を掲げる。膨大な魔力を贄として、泥の中から巨大な魔物が這い出て来る。
 
「ッハ」

 バーサーカーに迫られ、地面からは巨大な魔物が触手を伸ばす。
 にも関わらず、アーチャーがした反応は嘲笑。
 
「貴様等には上等過ぎる得物だが――――、クラウ・ソラスよ」

 光が瞬いたと思った瞬間、既に全てが終わりを告げていた。
 バーサーカーも魔物もキャスターもランサーもアサシンも全てが一撃で葬り去られていた。
 光の神が所有する究極宝具の一つ、クラウ・ソラスは一度抜けば世界を刹那に三周し、威力を増大させて敵を討つ。
 魔性であろうと、英雄であろうと、その剣の前では無力に等しい。

「けど、何度滅ぼしたって無駄だよ……」

 滅んだら、また甦らせれば良い。
 甦るサーヴァント達にアーチャーが浮かべるのはやはり嘲笑。

「無駄な事を繰り返すな、阿呆が」

 そう言って、アーチャーが取り出し樽は細長い水瓶に収められた槍。

「――――Ibur《開錠》」

 水瓶から一人でに引き抜かれる黄金の槍。五つの穂先を持つ槍が真っ直ぐに飛んだ。
 飛び散る雷。奔る光弾。貫く熱閃。駆ける稲妻。
 槍そのものに触れる事無く、サーヴァント達が消滅していく。最後にランサーを刺し貫き、槍は再びアーチャーの手元に戻った。
 その槍もまた、光の神が所有する究極宝具の一つ。名はブリューナク。たった一度の投擲で数千の魔を焼き滅ぼした太陽の槍。

「――――ッ」

 忌々しい。此方には聖杯の無限の魔力があるのだ。それに、四騎もの英雄を従えているのだ。
 負ける筈が無い。

「バーサーカー!!」

 再度復元されるバーサーカーにアーチャーは呟いた。

「いい加減、飽きて来たな」

 バーサーカーが虚空より伸びる鎖に繋がれる。

「貴様とて、無意味な死を繰り返すのは苦痛であろう。故にこれは英雄王の慈悲と心得よ」

 彼が手に取ったのは巨大な鎌だった。
 禍々しいというより、神々しさを感じる。なのに、どうしてか不吉な予感が胸を締め付ける。

「世に言う“死神の鎌”の原典だ。本来は豊穣の神が持つ物なのだが――――」

 鎌の刃をバーサーカーに向けるアーチャー。

「この鎌が刈るは稲や麦では無い。時を刈り、魂を刈り入れる為のものだ。これに刈られたものの魂はもはや聖杯には還らぬ。天に戻るが良い――――」

 バーサーカーの首が落ちる。同時に深い喪失感を覚えた。
 彼の命がこの世を離れたのだ。もはや、甦らせる事は不可能。何故なら、彼はもう聖杯の中にすら居ないから……。

「う、嘘……、嘘だ、こんなの!! ランサー!!」
「聖杯などという身に余る力を手に入れた事で思い上がったな、小娘。覚えて置く事だ。所詮、人が如何なる力を得ようと、この英雄王には決して敵わぬという真実を!!」

 ランサーの魂が天に還る。再び襲い来る喪失感に心が乱れた。

「嘘だ……。嘘だ、こんなの!! 反則だ!! なんで、そんな、お前ばっかり、そんな力を持ってるんだよ!?」
「それは我が英雄王だからだ」

 答えになってない。同じサーヴァントの癖に一人だけチートを使ってゲームをプレイしているみたいじゃないか。

「ふざけるな!! ふざけるなよ!! ふざけんな!! キャスター!!」

 サーヴァントで直接攻撃するのが無理なら魔物を使うだけだ。

「戯け。出した時点で終わりなのだと、未だに理解出来ぬのか?」

 鎖が伸びて、キャスターを捉える。
 もはや、それは戦いでは無く、作業だった。

「まったく、我の慈悲を安く見ているのでは無かろうな? 聖杯を取り上げた後で貴様にはたっぷりと代償を支払ってもらうぞ」

 キャスターの命が還っていく。瞬く間に俺を守る者がアサシンだけになってしまった。
 おかしい。体の震えが止まらない。
 心を奮い立たせていた何かが零れ落ちてしまったかのように恐怖の芽が顔を出す。

「どうした? 怯えているのか? 聞かせてみろ、今の貴様の心の声を」

 いつしか、天に浮んでいた筈の黒月が縮んでいる。未だ、起動状態を維持しているとはいえ、聖杯が内包しているのはアサシンの魂のみ。
 今の状態でアサシンを出現させようとしたら、聖杯は完全に停止してしまう。そうなったら、アサシンは再び聖杯に還るだけだ……。
 
「く、来るな……」

 輝舟から降り、此方に一歩ずつ近づいて来る脅威に体が縮こまった。
 何かが飛んでくる。飛来したのは一本の槍だった。

「ひぅ!?」

 真っ白な槍だった。僅かに脈動していた穴がそれで完全に消滅する。
 代わりに小さな塊が落ちて来た。黒ずんだ小さな塊。手に取った瞬間、それが何であるかが分かった。

「……あ」
「どうした?」

 アーチャーが眼と鼻の先に立っていても、俺にそれを気にしている余裕など無かった。
 アイリスフィールの心臓を手に震える事しか出来なかった。
 分からない。さっきまで、これが愛おしくて堪らなかった筈なのに、今は恐ろしくて堪らない。

「ッハ、聖杯の力が失われ、正気を取り戻しつつあるといったところか」

 アーチャーが何か呟いている。けれど、聞こえない。
 瞼を硬く閉じる。これ以上、何かを見たり聞いたりしたら、とても怖い事が起きる。
 何故か、そう強く確信があった。
 
「恐ろしいか? 汚染の度合いが弱まり、自らの行いに恐怖しているのか?」

 持ち上げられた。

「あぅ……、やめ……」
「ッハッハッハッハ! 良い! 良いぞ、その表情! 自らの悪行を悔いる罪人の顔では無いなぁ。自らの過去から必死に目を逸らす咎人の顔だ!」
「や、やめ……」

 瞼を無理矢理開かせられた。紅の瞳が俺の眼を覗きこんでいる。

「清廉なる魂が汚泥に塗れ、自らの咎から目を逸らす醜悪さ! 実に見応えがあるぞ」

 まるで、丸裸にされた気分だ。俺の全てを覗かれている。

「……しかし、未だ穢れは拭いきれておらぬか。どれ、貴様にこびり付いた錆を掃ってやろう」

 彼が手に取ったモノ。それは小瓶だった。

「飲み干せ。それで、貴様の穢れは完全に掃われる。その後、貴様は真なる絶望を味わう事になるだろう」
「い……、いや……」

 恐怖が全身を覆った。その小瓶が今迄彼の蔵から現れた他のどんな宝具よりも恐ろしかった。
 それを飲んだが最後、自分が自分で居られなくなるという確信があった。 
 いや、それよりもずっと恐ろしい事が起こる……。

「イヤだ!! ヤメて!! それを近づけないで!!」
「喚くな」

 冷たい言葉と共に俺の体は地面に押し付けられた。腹に足を乗せられ、彼の蔵から四本の細い槍が姿を現す。
 彼が何をするつもりなのか瞬時に分かり、俺は必死に抵抗しようと暴れた。けれど、体に思うように力が入らない。

「この痛みはこれから貴様が味わう事になる悦楽の前金だとでも思え」

 襲い来るであろう痛みに耐える為に瞼を閉じた。

「……あれ?」

 けれど、幾ら待っても痛みが来ない。

「何のつもりだ?」

 苛立ちに満ちたアーチャーの声に瞼を開く。 
 そこには槍を剣を抜き去ったライダーの姿がある。

「……貴様はよくやってくれた。多少煽ったとはいえ、ここまでキッチリと仕事をこなしてくれるとはな」

 困惑する俺を尻目にライダーは呟く。

「では、後は頼むぞ。さらばだ、今生のマスター、ウェイバー・ベルベットよ」
「貴様――――」

 一瞬だった。僅かに光が煌いたかと思うと、ライダーとアーチャーが姿を消した。
 代わりに駆け寄ってくる影が一つ。

「セイバー!!」
「き、切嗣さん……?」

 駆けつけて来たのは切嗣さんだった。
 
「時間が無い。今直ぐ、僕と再契約してくれ」
「え? あ、えっと、あの……」
「頼む! ライダーではアーチャーには敵わない。もって数分かそこいらで奴が戻って来る。その前に早く!」

 一方的に捲くし立てる切嗣さんに俺は呆気に取られながら頷いた。
 それにしても、再契約だなんて……、いつ、契約が切れたんだろう?

「告げる。汝の身は我の下に、我が命運は汝の剣に。聖杯のよるべに従い、この意、この理に従うのならば我に従え。ならばこの命運、汝が剣に預けよう」
「えっと、かしこまりました……」

 何だか置いてけぼりを喰らった気分だ。だけど、しばらくすると不思議と気分が良くなった。
 怖い事を遠ざける事が出来た気がする……。

「端からそういうつもりだったか、雑種」

 不吉な声に鳥肌が立った。振り返ると、そこにライダーの固有結界に閉じ込められた筈のアーチャーが居た。

「ラ、ライダーは……?」
「生憎、今の我の興味は貴様にのみ向けられている。故、奴には早々に退場してもらった。だが、しまったな……、勢い余って天に還す前に聖杯に送ってしまった」

 アーチャーの瞳が俺を真っ直ぐに射抜く。

「だがまあ、問題無かろう。今程度の汚染具合ならばどうとでもなる。さあ、そこを退け、雑種。その娘は我が持ち帰る」
「……断る。セイバーを渡す事は出来ない」
「き、切嗣さん!!」

 慌ててエクスカリバーで放たれた剣を弾く。

「理解出来なかったのか、雑種。我は退けと命じたのだ。ならば、疾く死ぬが道理であろう」
「……悪いが、まだ死ねない。まだ、やらなきゃいけない事があるんでね」
「……我の手を煩わせるな、雑種」

 放たれた殺気に体が竦んだ。

「令呪をもって、命じる」
「切嗣さん!?」

 切嗣さんが令呪を掲げると同時にアーチャーの表情が一変した。
 殺到する宝具の数は十。俺が捌き切れる数じゃない。
 けど、逃げるなんて選択肢は無い。だって、俺の目的は――――、切嗣さんをイリヤの下に帰す事だけだから。

「切嗣さん、俺の後ろに!!」
「――――全て遠き理想郷《アヴァロン》を発動しろ」
「……え?」

 俺の体は勝手に動き出した。持っていたのに、何故か使う気になれなかった……、それどころか魔力すら篭めなかった聖剣の鞘。
 そうだよ。これを使えばアーチャーにだって負けなかった筈だ。なのに、どうして俺はこれを今迄……、

「あれ?」

 殺到した宝具が俺の体をすり抜けていく。アヴァロンの能力は担い手を妖精郷に隔離する。
 五つの魔法、並びに六次元までの交信を完全に遮断する究極の守り。これを突破しようと思えば、それこそ神霊の力が必要となる。
 如何に神の力を有しようと、担い手が人の身であるなら、この守りを打ち破る事は出来ない。
 乖離剣の最大出力に対してでさえ、鉄壁を誇るこの宝具を何故、今迄使わなかったんだろう……。
 そもそも、魔力を篭めるだけであらゆる傷や呪いを防げた筈。アーチャーの結界宝具に囚われる事も無かった筈だ。
 でも、今はそんな事を考えていられる余裕が無かった。
 俺の体をすり抜けた宝具が俺の背後に立つ切嗣さんに殺到したのだから――――。

「切嗣さん!?」

 十の宝具に刺し貫かれた切嗣さんは虫の息だった。
 むしろ、この状況で未だ生きている事が不思議なくらいだ。

「な、なんで、こんな事……!」
「……君を、すく……いた、かった」

  途切れ途切れに呟く切嗣さん。

「待ってて! 直ぐにアヴァロンで治癒を!!」
「……いいんだ。それ……より、まだアー、チャーが……健在だ」
「で、でも、だって……」
「アイリを……無意味なこ、との為に……犠牲にして、しまった。だか……ら、彼女のねが、いを叶えたか……った」

 切嗣さんの声が小さくなっていく。

「待って!! 駄目だよ!! 切嗣さんは生きるんだ!! 生きて……、イリヤに会いに行くんだ!!」
「……イリ、ヤ。……セイバー、お願いだ」

 切嗣さんは最後の力を振り絞って呟いた。

「イリヤを助けてくれ……」
 
 そう言って、切嗣さんは瞼を閉じた。
 
「……うそでしょ?」 

 死んだ。こんなに呆気無く、守り通す筈だった人が息絶えた。
 
「嘘だ……、嘘だよ……。ねえ、切嗣さん……、起きてよ……、ねえ」

 手を触れようとして、すり抜けてしまった。
 
「……ま、まだ、間に合う」

 アヴァロンを解除し、切嗣の体に押し付ける。必死に魔力を篭めて、切嗣の体を癒そうとするが、一向に癒える気配が無い。
 そもそも、宝具を他者に貸し与える方法なんて分からない。
 小説では、切嗣は鞘をアイリスフィールやシロウの体に溶かし込んでいた。けど、そんな事、どうやってやればいいのかが分からない。

「や、やだ……、切嗣さん」

 助けられない。
 イリヤに切嗣さんを返してあげられない……。

「そんなのヤダ!!」

 何かある筈だ。こんな結末、認められる筈が無い。

「……茶番はその辺にしておけ」

 冷たい声。振り返ると、そこにアーチャーが居た。
 彼に対する恐れや憎しみがその瞬間、キレイさっぱり消え去った。
 
「ア、アーチャー……、お願いします!! 切嗣さんを助けて下さい!!」

 頭を地面に押し付けて懇願する。目の前の英雄王なら、何らかの宝具で切嗣さんを助けられるかもしれない。

「戯言を弄するな、小娘。何故、我がそのような雑種に施しを与えてやらねばならんのだ?」
「な、何でもします!! だから、お願いします!!」
「それが戯言だと言うのだ。貴様は今より我の所有物となるのだ。その貴様が何でもするなどと口にしたところで、そんな当たり前の事の為に何故我が動かねばならんのだ?」

 彼の表情を見て愕然となった。彼は本気でそう思って口にしている。
 これから彼に何をされるのか、そんな恐怖は微塵も無い。ただ、切嗣さんをイリヤの下に返せない。その恐怖の方が遥かに大きかった。
 だって、その約束だけが“俺を活かす唯一の柱”なのだから……。
 
「お願いします、アーチャー!!」
「クドイ!! それ以上喚き立てるならば、その雑種の肉体も焼き滅ぼしてやろう。それで、貴様の未練も断たれるであろう?」
「……なんだと?」

 アーチャーが炎を纏う剣を蔵から取り出す。

「や、止めろ、アーチャー!!」
「退いていろ、セイバー。直ぐに終わる。貴様はその後に相手をしてやる。骨の髄にまで我を刻み付けてやる故、しばし待て」

 向かって来るアーチャーに俺はエクスカリバーを向けた。

「何のつもりだ?」
「それはこっちの台詞だ!! 切嗣さんを焼き滅ぼすだなんて……、そんな事は許さないぞ!!」
「ッハ! この英雄王を利用しようとした罰を与えるだけだ。王に対する敬意を持たぬ者を生かしておく理由は無い」
「近づくな!!」

 俺が叫ぶと同時に俺の中で俺のものとは違う鼓動の音が聞こえた。

――――まさか……。

「退け、セイバー」
「……分かった」
「聞きわけが良くなったな。調教の際もあまり手を煩わせるなよ? 手酷く扱われたいならば、話は別だがな」
「……もういい、お前は死ね」

 エクスカリバーを振るう。アーチャーは間一髪で回避した。

「……何のつもりだ?」
「お前は邪魔だ。この場で倒して、切嗣さんを助ける!!」
「……なるほど、感心する生き汚さだ」
「黙れ!!」

 睨み合いは長くは続かなかった。

「我に敵うつもりか?」
「ああ、決着をつけてやるよ、アーチャー!」

第十四話「君こそ、まさに正義の味方と呼ぶに相応しい男かもしれない」

「いいのかよ、これで!?」

 ライダーが立ち去った後、ウェイバーは誰にともなく怒鳴った。

「いいも何も無い。ライダーの判断は適切だ……」
「本気で言ってるのかよ!?」

 俯く切嗣にウェイバーが詰め寄る。
 納得がいかない。彼の瞳はそう訴えている。
 けれど、切嗣はそんな彼の瞳を冷たく見下ろすばかりだった。

「今のセイバーは正気を失っている。もし、彼女が聖杯を使えば、恐ろしい事が起こる。多くの人が死ぬんだ」
「でも……、だけどさ……」

 感情を持て余すウェイバーに切嗣は溜息を零した。若さ故の感情を優先した言動。普段であれば一蹴していたであろう、彼に切嗣は何となしに口を開いた。
 それはついさっき視た、彼女の夢の内容。語った理由は少年に理解を促す為。どうにもならない現実を教える為。
 アーサー王伝説に始まる、英霊・アルトリアという少女の生きた軌跡。

「……ソレがセイバーの過去なのか?」

 彼女の過去を聞き終えた彼の胸に去来する感情が如何なるものか、切嗣には容易に想像出来た。
 憐れな境遇に対する同情。理不尽な運命に対する怒り。そして、恋した少女が既に男を知っているという現実に対するやるせなさ。
 これで話は終わりだ。自分がこの国に来た意味は一つも無かった。ただ、悪戯にこの街の住人の運命を翻弄し、愛する妻を死なせてしまった。
 後はやるべき事をやるだけだ。セイバーが死に、聖杯が破壊された後、娘の救出に向かう。それが如何に無謀な事かは理解している。けれど、衛宮切嗣に残された選択肢は一つしか無かった。
 結局、正義の味方になれなかった愚者は娘を助ける事すら出来ずに野垂れ死ぬだろう。

「ああ、それが僕の知る彼女の全てだ……。僕は間違えたんだ。彼女に戦いを任せるべきじゃなかった。アイリスフィールと離すべきじゃなかった」

 国の為に自らを犠牲にしようとした少女。戦いの果てに手に入れた小さな幸福さえ踏み躙られ、最期には自らの存在の抹消を願った少女。
 そんな少女を使い潰し、結果、壊してしまったのは他ならぬ自分だ。
 何て様だ、衛宮切嗣……。これが、正義の味方を志した人間の結末だというのか……。

「……なあ、その話って、ちょっとおかしくないか?」

 顔に暗い影を落とす切嗣に対して、ウェイバーは言った。

「おかしい……?」

 顔を上げる切嗣にウェイバーは頷いた。

「だって、セイバーが自らの抹消を願ったのなら、今、ここに居るセイバーは何者なんだ? それに、どうして、彼女の記憶をアンタは見る事が出来たんだ?」

 それはあまりにも単純な見落とし。冷静さを欠かなければ、切嗣自身が気付いた筈の事実。
 もし、セイバーが自らの存在を抹消したのなら、ここに彼女は居ない筈なのだ。なのに、彼女はここに存在する。その矛盾にウェイバーが切り込む。

「そもそも、セイバーの祈りは過去の改竄だ。そんなもの、五つの魔法に匹敵する奇跡に違いない。いや……、アーサー王ほどの有名な英雄の存在を抹消したりしたら、魔法どころの騒ぎじゃない。そんな事が出来るとしたら、それはもう……、神の領域だ」

 ウェイバーは顎に手を置きながら呟く。

「いくら何でも、そんな奇跡を起こせる程、この地の聖杯が凄い物だなんて思えない。だって、この地にある聖杯は所詮、人間が作り出した紛い物だ」
「……ああ、確かにそうだ。元々、冬木の聖杯は根源へ至る為の架け橋だ。アインツベルンと遠坂、マキリがそれぞれの抱く悲願を達成する為に作り上げたシステムだ」

 彼等が目指したのは根源への到達。その先にある五つの魔法の取得だ。
 
「聖杯は元々、万能の願望機じゃない。それは聖杯にくべる生贄《サーヴァント》を召喚する為の協力者を呼び込む為の触れ込みだ。そんな物にアーサー王の抹消などという規格外の奇跡を叶える力など無い」
「それに、アンタの話が確かなら、聖杯はこの世全ての悪《アンリ・マユ》によって汚染されている筈だよ。そんな異常をきたしてる物がまともに機能するとは思えない」
「なら、聖杯は彼女に何をした?」

 彼女の願いを聖杯は何らかの形で叶えようとした筈だ。だが、実際に何をしたのかが分からない。

「……駄目だ。ヒントが足りない。なあ、もっと情報は無いのかよ!?」

 切嗣に詰め寄るウェイバー。彼は静かに語った。彼女を召喚したその日から、今日に至るまでの彼女の残した軌跡を語った。
 無意味などとはもう思わなかった。目の前の少年は諦めていない。だからこそ、諦めてしまっていた切嗣に見えなかった真実を彼は捉えようとしている。
 彼ならば……、そう期待してしまう何かが少年にはあった。もしかすると、衛宮士郎という自身の未来の義子を彼に重ねているのかもしれない。
 
「……何かある筈だ。セイバーを救う為の鍵が何か……」

 ウェイバーは大きな紙に切嗣が語った情報を書き出し、思考をフル回転させた。
 多過ぎる情報量。けれど、その中に必ずヒントはある筈だ。そう、彼は信じた。信じたかっただけかもしれないが、彼は諦めなかった。
 彼の背中を押すものは多かった。
 一つ目は救うべき少女の姿。初めて会ったのはキャスターの工房前だった。結局、彼女の考えは真っ黒だったけど、それでも……、キャスターに弄ばれた子供達に対して見せた彼女の涙は本物だった。
 そして、その時既にウェイバーの胸には彼女の姿が焼きついて離れなくなった。それを恋と呼べるかどうかはウェイバー自身にも分からない。けれど、彼女を救いたいと思う心は確かにあった。
 二つ目は己の相棒の姿。奔放な性格でウェイバーを終始振り回し続けた大男。けれど、彼はウェイバーの力を認めてくれた。誰にも認めて貰えなかったウェイバーの力を歴史に名を残す程の大英雄である彼が認めてくれた。
 それが如何に嬉しかったか、きっと彼には分からない。なのに、その彼が諦めを口にし、自らの決め事を破ろうとしている。それがどうしても納得いかなかった。

「諦めないぞ……。僕は絶対……、諦めないぞ!!」

 そして、彼は見つけ出した。決定的な情報《ヒント》を見つけ出した。

「これだ!!」

 ウェイバーは白紙の紙に時系列順に彼女の行動を書き込んだ。そして、脱落したサーヴァントのクラスを書き込んでいく。

「これは……」

 ウェイバーが示そうとしている真実に切嗣も漸く辿り着こうとしている。

「召喚当時のセイバーはまるで子供みたいだった。そう、アンタは言ったよな?」

 ウェイバーの問いに切嗣が頷く。

「ホムンクルスからの報告でも、彼女は最初の倉庫街での戦闘までは犠牲を出す事に躊躇いを見せていた。マリアを囮にする作戦を立案しても、立候補者が出ない事を願っていた節があると……」
「ああ、そう聞いている。彼女は『見つからなかったらそれでも構わない別の策を練る』と言っていたそうだ。本当なら実行したくなんて無かったんだろう」
「マリアを殺す事に対して、セイバーは最後まで苦悩していたらしい。けど、倉庫街でランサーとバーサーカーが倒れた後、彼女は子供達を贄とする作戦を考案し、実行した」
「ああ、状況から見て、彼女がキャスターの蛮行を知っていた可能性が高い。その上で奴等を泳がせたと考えられる」

 互いに表情を歪めながら、話を進める。

「ホムンクルスを殺す事に対してですら躊躇っていたセイバーがここに来て、冷酷さを一気に増したように思う。それに、思えば最初にキャスターの根城へ足を踏み入れた時も正気を失い掛けていた。あれは惨たらしい惨状を見たせいだと思っていたけど……」

 いや、それは早計だろう。

「キャスターの拠点で見た惨状や公開処刑を見た事が彼女の心に少なからず影響を与えた事は確かだと思う」
「……だよな。でも、決定的なのはキャスターが脱落する前後だ」

 キャスターはアーチャーと戦闘状態になって、ものの数分で肉塊に変えられた。
 むしろ、あの戦力差でそこまで耐えられた事に驚きだ。

「確かに、キャスターが倒される前もセイバーの様子はおかしかった。けど、キャスターを嗾けた後、彼女はライダーを後ろめたそうに見つめていた。あの時まではまだ正気を保っていたんだ」

 ウェイバーはキャスター消滅の前後を記述した部分を指差す。

「キャスターが消滅した直後にセイバーはアサシンと戦闘になった。その時、明らかにおかしくなっていた。ホムンクルスの報告によれば、彼女はアサシンを殺す事に悦びを得ていたという。この前後の違いはあまりにも異常だ。そして、アサシンが倒れた後……、セイバーは今の状態に陥った」

 サーヴァントが倒れる度にセイバーから正気が失われていく。その事実に切嗣は戦慄した。

「つまり……、セイバーは……」
「聖杯が力を増すごとに正気を失っていく。……いや、違うな。正確には本来の在り方に戻っていくんだと思う」
「……この世全ての悪」

 切嗣が口にした言葉にウェイバーが頷く。
 それが彼の下した結論だ。

「自らの抹消を願ったセイバー。この世の全ての悪によって汚染された聖杯はそんな彼女の祈りを叶える為に彼女を穢したんだ。要は、彼女を彼女で無くしてしまえばいいと考えたんだと思う。その結果、彼女はアンタが召喚した直後の性格に変わった。加えて、汚染によって聖杯とも繋がりが出来たセイバーは聖杯戦争が続くに連れて汚染の度合いを増していく」

 それがあのセイバーの豹変振りの正体。

「……だが、それが分かったところでどうなる?」

 問題はここからだ。原因が分かっても、彼女を救う手立てが見つからない事に変わりは無い。

「あるじゃないか、方法が!!」

 そんなウェイバーの言葉に切嗣は瞠目した。
 まさか、見つけ出したと言うのか? この少年はセイバーを救う方法を……。

「全て遠き理想郷《アヴァロン》だ。五つの魔法すら寄せ付けない究極の守りであり、あらゆる傷や呪いを癒す宝具。アレをセイバーに使わせるんだ」
「ま、待て、そんな単純な話では無いだろ。そんな事でどうにかなるのなら……」
「ああ、普通ならとっくにどうにかなっていた筈だ。何せ、そんな究極宝具を所有しているならとっくに戦闘で使っている筈だからな」

 けど、とウェイバーはセイバーの行動を記した紙を指差す。

「彼女は使ってないんだ。これは明らかにおかしい……」
「……そういう事か」

 確かに、彼女は鞘を使う必要に迫られた事は無かった。けれど、それでも一切使わなかったというのはおかしい。

「あれほど、策謀に長けたセイバーが絶対防御なんていう反則染みた宝具を何故使わないんだ? どんな状況であれ、行動する度に発動させておけば、彼女は如何なる干渉も受けずに戦いを制していた筈だ」
「魔力を温存……というのはあり得ない。彼女にはマスターである僕とは別個に大容量の魔力タンクと繋がっているからな……」
「なのに、使わなかった。その挙句、アーチャーに一度は捕縛された。最初から使っていれば、そんな事にはならなかった筈だ」

 そこに答えはある筈だ。ウェイバーと切嗣の見解は一致していた。

「彼女が聖杯を求めた理由もきっと、『人類全てを玩具にしたい』なんてもんじゃない。彼女自身、気付かない内に聖杯の中のこの世の全ての悪に操られているんだ。だから、正気を失いながら、あんな風に“ある意味で正しい行動”が出来たんだ。聖杯を抜き取り、巧みに逃走する事が出来たんだ!!」

 決まりだった。彼女を救う手立てがある。なら、ここにこうして居る理由はもはや存在しない。
 衛宮切嗣はウェイバー・ベルベットに手を伸ばす。

「感謝する、ウェイバー・ベルベット。正直言って、君を侮っていた」
「……べ、別に僕は……、セイバーを助けたかっただけだ」

 手を取りながら、自分より明らかに格上である魔術師に褒められ、ウェイバーは頬を赤らめた。
 そんな彼に苦笑しながら、切嗣は言う。

「君のおかげで一人の少女を救いだせるかもしれない。それに、もしかすると、より多くの人命を救えるかもしれない」

 切嗣は言った。

「君こそ、まさに正義の味方と呼ぶに相応しい男かもしれない」

第十三話「余はこれより、アーチャーと同盟を結ぶ」

 仮眠のつもりが深く寝入ってしまっていた。

「今のは……、セイバーの過去か」

 マスターとサーヴァントの間には霊的な繋がりがあり、互いの過去を夢という形で視る事がある。
 けれど、その内容はあまりにも衝撃的過ぎた。到底、直ぐには信じられない程に……。

「……セイバー」

 彼女は初めて会った時から妙な行動が見受けられた。
 アーサー王らしからぬ、子供っぽい言動や行動。
 その理由が聖杯を使った事に由来するとしたら……。

「……情報を整理する必要がある」

 たかが夢と思考を放棄するわけにはいかない。
 あの夢は確かにあった出来事なのだ。
 溢れるような情報量だが、重要なものを幾つかピックアップしてみよう。

「何より重要なのは、聖杯に関してか……」

 あの夢の中で、言峰綺礼は『聖杯が汚染されている』と語った。
 だから、夢の中の僕は聖杯を拒絶した。しかし、セイバーに小聖杯を破壊させた事で僕は脱落者となり、言峰綺礼が勝者となってしまった。その為に既に現界していた聖杯が奴の願いを汲み取ったのだろう。
 衛宮士郎が生まれる切欠となる災厄。その引き金を引いたのは言峰綺礼だったが、元を正せば、その罪の所在は僕自身にある。僕が破壊するべきは小聖杯では無く、聖杯の本体だったのだ。
 
「パラレルワールドの可能性もあるから、断言は出来ないが……。聖杯は汚染されているものと考えた方がいいか……」

 溜息すら出なかった。最後の希望と信じて縋った聖杯。それが使い物にならないと分かったのだ。落胆するなと言う方が無理だ。
 けれど、思考を休ませるわけにはいかない。

「このまま、戦いを続ければ、この世界でも災厄が発生する可能性がある」

 現状、生き残っているサーヴァントは三体。夢の中での第四次聖杯戦争の終盤と同じ顔触れだ。
 運命とでも言うのか、このままでは単なる焼き直しになってしまう。

「……防ぐにしても、まずはセイバーと話をする必要があるな。それに、三竦みの状態では大聖杯にも手を出し難い……。ライダー陣営との同盟はセイバーを救出する為の一時的なものにするつもりだったが……」

 昨夜、セイバーがアーチャーに囚われたという報告をホムンクルスから受けた時点で令呪を発動させようと試みた。
 だが、令呪は発動すらしなかった。何らかの方法で繋がりを断たれたらしく、完全にセイバーとの繋がりを切れ、令呪が休眠状態になってしまったのだ。幸い、彼女を甚振ろうとでもしたのか、魔力を供給するパスまでは断たれておらず、彼女の無事は確認する事が出来たし、令呪を無駄に消費する事にならなかった事は不幸中の幸いだったが、如何にセイバーを救い出すかがネックとなった。
 何故なら、セイバーが自力で脱出する事は不可能だと思われたからだ。その理由は単純明快。ホムンクルスからの報告によれば、セイバーはアーチャーに手も足も出なかったらしい。両者の間には実力の開きが大き過ぎるのだ。
 故に悩んだ末、切嗣はライダー陣営が拠点としているマッケンジー邸を訪れた。取引材料として、情報と……、最悪令呪を提供する予定だったのだが、ライダーは僕に対し『一度だけ殴らせろ』と言って、頬を殴ってきた。相当手加減をしていたのだろう。僕の顔は僅かに腫れただけだった。
 
『あのような小娘を一人矢面に立たせるとは男としてあまりにも情け無い』

 それが彼の言い分だった。同盟を組むにしても、先に気合を入れてやる必要があると踏んだらしい。
 いい迷惑だったが、この程度で同盟を組めるなら安過ぎるくらいだ。
 ライダーが僕を受け入れると、マスターであるウェイバーも警戒しつつ僕を受け入れた。
 主従揃って、甘い考え方だが、その時の僕にとっては何より都合が良かった。
 ところが、同盟を結ぶにあたり、色々と決め事を話している最中、アーチャーが新たに拠点として定めた言峰教会を張らせているホムンクルスから報告があった。
 教会内部で異変が起きている。その一報を受けた時点でホムンクルスにセイバーの逃走手段の準備をさせた。
 元々、何れかの方法でセイバーを救出出来た際に使う逃走手段を複数用意させておいた事が功を奏した。
 結果、ライダー陣営と同盟を結んだ事にあまり意味は無かったが、セイバーを取り戻す事が出来て現在に至る。

「それでも、アーチャーは難敵だ。セイバーですら、手も足も出なかった以上、ライダーと共同で討伐に向かったとしても果たして……」

 他にも問題は山積みだ。
 仮にアーチャーを斃し、大聖杯の下へ向かったとして、大聖杯をどうやって解体するかがネックだ。
 それに、大聖杯を解体するとなれば、御三家はおろか、魔術協会や聖堂教会も黙ってはいないだろう。
 何より、イリヤの身が心配だ。大聖杯が解体されれば、イリヤは次期聖杯候補としての価値を失う。そうなれば、裏切り者の僕達の変わりに罪を償わされるかもしれない。

「……それだけは」

 拳を握り締め、壁を叩く。
 夢の中ではアインツベルンの手先として、衛宮士郎を付け狙いながら、彼の優しさに触れ、人としての幸せを掴み掛けていた。
 その可能性すら潰える選択を自分に出来るのか?

「だが、やらねば聖杯から泥が溢れ出す……」

 正義の味方が選択するべきは多くの人命。そうでなくとも、娘一人の為に犠牲にして良い数では無い。
 しかし……、

「……まずはセイバーに話を聞こう」

 結局、出した答えは結論を先延ばしにする事。
 あまりにも情け無い話だ。けれど、容易に答えを出せる問題では無い。

「……ここまで、弱くなっていたのか」

 セイバーに戦場を任せきりにしていたツケが回って来た。
 弱りゆくアイリを看病しながら、安全な場所で指示を出すだけの現状がいつしか僕の牙を丸めていたらしい。
 額に手を当てながら、セイバーとアイリの部屋に向かう。
 
「セイバー、少し話が……」

 部屋に入った途端、言葉を失った。
 何が起きているのか、一瞬、理解出来なかった。
 目に映るのは鮮烈な赤。出所は愛する妻の胸元。

「……なに、を」

 セイバーが脈打つ真紅の塊を大切そうに抱えている。
 それがアイリの心臓である事に気付いたのは一瞬後だった。

「何をしているんだ、セイバー?」

 感情を殺す。今、取り乱すわけにはいかない。
 状況を正確に見極め、対処しなければならない。
 
 アイリがセイバーに殺された。

 その事実を飲み下し、セイバーに問う。

「……エヘヘ。綺麗ですよねー」

 その瞳を見た瞬間に解ってしまった。
 彼女と合流した時は報告にあったような錯乱振りは見受けなかった。
 それを僕は勝手に落ち着いたのだろうと解釈した。
 とんでもない勘違いだ。セイバーは完全に正気を失っている。瞳に宿るのは根深い狂気の光のみ。
 アイリが心配していた通りになった。彼女は言っていた。

『セイバーは無理を重ねているわ。このままじゃ、あの子はいずれ壊れてしまう気がする……』

 アイリはセイバーに会いたがっていた。彼女を慰めたいと僕に懇願した。
 けれど、僕はそれを許さなかった。
 勝利の為にセイバーとアイリの接点を出来るだけ作りたくなかったからだ。
 けれど、それが完全に裏目に出た。
 セイバーを救えたとすれば、それはアイリを置いて他に居ない。そのアイリをセイバーは殺した。
 それはつまり、後戻りの出来ないところまで、彼女の狂気が心を満たしてしまった事に他ならない。

「……それをどうする気なんだ?」
「使うに決まってるじゃないですかー。だって、これは聖杯ですよ? 何でも願いを叶えてくれる魔法の杯なんですよ?」
「わかってるよ。僕が聞きたいのはそういう事じゃない。君はそれが純粋に願いを叶える物では無いと知っている筈だ」

 僕の言葉にセイバーはうんうんと頷いた。

「でも、俺の願いはちゃんと叶えてくれる筈です!」
「……普通に生きたい、だったな? けど、その聖杯では……」
「違いますよー。嫌だなー。そんなつまらない願いに聖杯を使ったりしませんよー」

 狂気に満ちた笑みを浮かべるセイバー。

「なら、君は何を願うつもりなんだ?」

 セイバーに問う。

「簡単ですよ。もっと、たくさんの人間《おもちゃ》で遊びたいんです。だから、聖杯にお願いするんです。この世の全ての人類を私の玩具にして下さいって」

 そんな馬鹿げた事を彼女は満面の笑みを浮かべて言った。

「……それは看過出来んな」

 そう言ったのはいつの間にか室内に現れたライダーだった。

「貴様が一人の少女として生きたいと願うなら、余は聖杯を貴様にくれてやるつもりだった。だが、そのような野望を抱かれてはな」

 腰に差した剣を手に取り、ライダーは言う。

「アハハー、俺に敵うとでも思ってるのー?」
「生憎、錯乱している小娘相手に不覚を取るほど耄碌はしておらんさ」

 そう呟くや否や、ライダーは瞬時にセイバーとの距離を詰めた。
 目を丸くするセイバーの胸元にライダーが手を伸ばす。

「……駄目だよ」

 突風が吹き荒れる。
 セイバーが風王結界を解き放ったのだ。一瞬の隙を突き、セイバーは窓から外へ飛び出す。

「これは誰にもあげない。俺の物だ。私が使うんだ」
「待て、セイバー!!」

 令呪を発動しようとして舌を打った。彼女との繋がりは断たれたままだ。直ぐに繋ぎ直そうと思っていたのだが、合流してから移動中は周囲の警戒でそれどころでは無く、拠点に辿り着いた後はセイバーがアイリの下を離れようとしなかった為に出来なかった。
 少し待って、落ち着いてから繋ぎ直そうと、その間に仮眠を取った結果がこれだ。
 魔力の供給自体に問題は無いからと、これほど重要な事を後回しにした自分の迂闊さに頭が痛くなる。

「お、おい、どうなってんだよ、これ!?」

 後から入って来たウェイバーが叫ぶ。

「どうもこうも無い。どうやら、あやつの心は既に壊れてしまっておるようだ」
「何を言って……」

 ライダーはセイバーが飛び出していった窓の外を眺めて言った。

「このままではイカンだろう。聖杯が如何なるものであれ、あのように錯乱した物の手にあっては……」

 その通りだ。既に聖杯には四騎の英霊の魂が取り込まれている。
 未だ起動していない状態とはいえ、何が起きても不思議では無い。
 
「ど、どうする気なんだよ?」
「決まっておるだろ。セイバーを斃す」
「なんだって!?」

 ウェイバーはライダーの言葉に取り乱した。

「な、何言ってんだよ!? セイバーを助ける筈だろ!? どうして、アイツを斃すだなんて――――」
「それしか無いのだ。良いか、坊主。既に事は急を要する事態に陥っておる。同じ王として、一人の男として、あの小娘を救ってやりたい気持ちは確かにある」

 だがな、とライダーは諭すように言った。

「王である前に、男である前に、余は英霊なのだ。世界の破滅を水際で防ぐが英霊の役割だ。余はこれより本来の在り方に立ち戻り、あやつを斃す。それで仕舞いだ」
「そ、そんな……、そんな事」
「ここまでだ、坊主。状況がこうなってしまった以上、もはや聖杯戦争は終わりだ。貴様は故郷に帰れ」
「なんだよ……、それ」

 ウェイバーは歯を食い縛りながらライダーを睨み付けた。

「お前らしくないぞ!! 何を諦めているんだ!? 一度、アイツを救うと決めたなら、救えよ!! 途中で自分の言葉を翻すなよ!! ぼ、僕が憧れたライダーって、サーヴァントはそんな諦めの良い奴じゃないぞ!!」

 真っ向から糾弾するウェイバーにライダーは僅かに微笑んだ。

「ああ、そうだ。征服王イスカンダルは貴様の思うとおりの英雄だ」
「だったら――――」
「だが、今の余は多くの者に憧れを抱かせた英雄では無い」

 ライダーはウェイバーから顔を背けて言った。

「あの小娘を救う事はもはや誰にも叶わぬ。アイリスフィールと言ったな? その娘が死んだ時点で可能性は潰えたのだ。救うなら、もっと早く、その娘をセイバーと引き合わせるべきだった。だが、全ては手遅れだ。余はただの英霊として、自ら決めた事すら守れず、あの小娘を打ち滅ぼす。すまんな……」
「あ、謝るなよ……。ふざけんなよ……。ふざけんな……。何だよ、これ……」

 壁に背を預け、倒れ込むウェイバー。

「切嗣よ。貴様も異論は無いな? 聖杯も余が破壊する」
「……ああ、すまないな」

 ライダーは窓の外に戦車を呼び出した。
 御車台に乗り込むライダーにウェイバーはぼそりと呟く。

「……これから、お前はどうする気なんだ?」
「……まずはセイバーを追う」
「それで? セイバーに勝てるのか? お前の宝具……、対城宝具であるエクスカリバーを持つセイバーとはあんまり相性が良く無いだろ?」

 ウェイバーの言葉にライダーは微笑んだ。

「坊主。そこまで見据えられるようになったか……。ああ、その通りだ。余ではあやつに勝てぬかもしれん」
「なら、どうするんだ?」
「決まっておる。戦力を整えるのだ」
「どうやって?」

 ライダーは渋い顔をしながら言った。

「余はこれより、アーチャーと同盟を結ぶ」

第十二話「ごめんなさい」

 岩に突き刺さった美しい剣がある。
 その前には可憐な少女と魔術師。
 魔術師が少女に忠言する。

『その剣を岩から引き出したる者、即ちブリテンの王たるべき者。アルトリアよ、それを取る前にもう一度よく考えてみるが良い。その剣を手にしたが最後、君は人ではなくなるのだよ』
『はい、私は望んでこの剣を抜きに参りました』

 魔術師の忠告に少女は不適な笑みを浮べ返した。剣の柄に手を掛ける。
 数多の勇者が挑戦しては跳ね除けられた選定の剣。
 少女はそれをアッサリと引き抜いた。

 アーサー王が活躍したとされる五世紀の中頃、今日ではイギリスと呼ばれているブリテン島は混乱の時代を迎えていた。
 四百年程前からこの地を支配していたローマ帝国が各地で相次ぐゲルマン民族の侵入に手を焼き、撤退してしまったからだ。
 ローマ帝国の属州となってローマ的な生活を送って来たブリテンのケルト人達は襲い来るアイルランド人やピクト人、アングロ=サクソン人の猛威に突如晒される事となった。
 加えて、国内でもローマ帝国の後継者として、多くの諸侯がブリテン全土の支配権を手に入れようと動き出し、激しい内乱状態が続いた。
 内戦が続くブリテンは外敵に対して脆い状態に陥り、いつブリテンが異民族に支配されるか分からない状態になっていた。
 その混乱を鎮め、王となった男が居る。アーサー王の父、ウーサー・ペンドラゴンだ。
 彼は勇敢かつ高潔な人物であり、前ブリテン王の弟でもあった。彼は反発する諸侯を次々に支配下に置き、圧倒的なカリスマ性でブリテンを収めるに至った。
 けれど、ただ一人。ゴルロイス公爵だけが彼に服従する事を良しとしなかった。彼はただ、ウーサーの友であり続けたかっただけだったが、彼の存在がウーサーの覇道を阻む事となる。
 覇王は一人の女に恋をした。けれど、その女はゴルロイスの妻だった。彼は助言者である魔術師、マーリンの手を借り、妻を奪う事に成功するが、多くの諸侯からの信頼を喪い、最期は反逆者の罠に掛かって死んだ。
 覇王亡き後のブリテンを覆う混乱は嘗て以上だった。次なる王が誰になるか、それを識る唯一人を除き、多くの人々が争い合った。
 そして、月日は流れる。ウーサーがゴルロイスの妻、イグレーンに産ませ、マーリンが連れ去り、エクターという騎士に預けられた少女。アルトリアが十五歳の誕生日を迎えた日に選定の剣が現れた。
 
 選定の剣を抜いたアーサーを待ち受けていたのは熾烈な戦いの日々だった。
 騎士の従者でしかなかった十五歳の少年。それも、ウーサー・ペンドラゴンとコンウォール公の妻との間に生まれた不義の子供。そんなアーサーを王として認めようとしない諸侯も多かったのだ。
 その中心的存在はオークニー王ロットとゴア王ユリエンス。そして、彼等を筆頭とする十一人の諸侯がアーサーの敵に回った。
 ロットとユリエンスはウーサーが謀殺したゴルロイスの娘を妻としていたのだ。ゴルロイスの娘達はアーサーを王とする事を頑なに認めなかった。一人は憎しみの為、一人は愛の為……。
 
『私よりも倍以上も年上の偉大な騎士達が私を王として認めないというのに、小娘に過ぎなかった私に何が出来るというのか……』

 ある日、アーサーはマーリンにそう呟いた。

『だが、その一方で多くの騎士や民が国を救ってくれと私に願うのだ……。私はどうしたら……』

 思い悩む若き日のアーサー。彼にマーリンは昼夜を問わず、熱心に教育を施した。
 アーサーは王の資質と無垢な若さと逼迫した状況だという認識から、マーリンの教えを次々に呑み込んだ。
 王としての在り方を学んだアーサーはその年の聖霊降臨祭に正式なブリテンの王となるべく、戴冠式を行った。
 戴冠式は彼女が王である事をブリテン全土に宣言する式典であると同時に、敵と味方の立場を明らかにし、戦いの幕を開いた日でもあった。
 
『これより、私は正義をもって、王政を執り行う』

 そう、彼女は戴冠式で宣言した。騎士も貴族も、庶民でさえも、アーサーが公平に裁き、その誠実さをもって、『アーサーのブリテン』の規範であると定めだのだ。
 同時に、この宣言はアーサー王に歯向かう十一人の諸侯に『正義に背くもの』として反逆者の烙印を押すものでもあった。
 そして、戴冠式が終わるより先に戦いの幕は開いた。 
 堅牢な城に立て篭もるアーサーと城を取り囲む十一人の諸侯。先手を打ったのは、アーサーだった。
 劣勢であるアーサーが自ら仕掛けるとは思っていなかった諸侯は完全に不意を衝かれた形となる。
 アーサーは先陣を切り、戦った。激戦となり、最初はアーサーの有利に進んでいた戦況も五分にまで持ち込まれた。
 その時、アーサーは選定の剣を振り上げた。眩い輝きが戦場を照らし、敵の目を眩ませた。同時に、味方の士気を高揚させた。
 戦いはアーサーの勝利に終わり、その後の戦いでも常に勝利し続けた。戦いの最中、敵対していた諸侯達も徐々にアーサーを認め、忠誠を誓うようになっていく。
 やがて、圧倒的に不利な戦況……、後に『ベドグレインの戦い』と呼ばれる戦場を巧みにしのいだアーサーは『唸る獣』と呼ばれる幻獣を追うペリノア王と出会う。
 勇猛果敢な冒険好きのペリノア王はアーサーをブリテン王とは知らずに彼女から馬を奪う。それに激昂した彼女の部下が彼に挑み、破れ、その敵を撃つ為にアーサーはペリノアと一騎打ちで戦う事となる。
 その戦いの結末は選定の剣が折れ、アーサー王の敗北に終わる。けれど、その戦いでアーサーは完全な王となり、ペレノア王はアーサーの味方となった。
 優れた王が味方となった事でアーサーはブリテンの統一を果たす。
 そして、戦いは内から外へと舞台を移す。

『アーサー王は戦いの神! 常に先陣に立たれ、敗北を知らぬ!』
『アーサー王の行く手を妨げる者など存在せぬ!』
『その姿は選定の剣を抜かれた時から不変だ!』
『王は年も取らぬ』
『まさに、竜の化身よ!』

 騎士達はアーサー王を讃えて声高に叫んだ。
 騎士達ばかりでは無い。多くの民が王を讃えた。

 時代は移り変わる。アーサー王の施政の下、ブリテンは嘗て無い繁栄振りを見せていた。
 ところが、その繁栄をよく思わぬ者が居た。
 魔女・モルガン。アーサーの異父姉である彼女は様々な策を弄しては、円卓の騎士達を分裂させようと企んだ。
 その結果、一人の騎士が生まれる。モルガンが妖術によって手にしたアーサーの精子と自らの卵子を融合させ、作り上げたホムンクルス、モードレッドである。
 彼は自らを『王になるべき者』と信じて疑わず、王に自らを後継者と指名するよう言い募った。しかし、王は彼の言葉を切り捨てた。
 決して、不義の子であるからという理由では無い。単にモードレッドに王の資格が無かっただけの事。
 けれど、その一件が後々の禍根となり、終にはブリテンという国を滅ぼす災厄にまで成長するとは、誰も考えていなかった。

 一人の道化が居た。アーサー王が愛し、多くの騎士達が愛した男。ディナダンという男が居た。
 彼はその類稀な道化の才能で円卓を纏め上げ、友情と言う絆で結束を齎した。 
 そんな彼をモードレッドは殺害したのだ。
 ディナダンという男は卑しい人物の秘密や企みを悉く暴き、問題にならない内に笑いにして解決してしまう能力があった。
 それが彼には邪魔だったのだ。
 ディナダン亡き後の円卓からは笑いが喪われ、悲しみだけが残った。偉大な道化が築いた友情という名の結束の力が永久に喪われたのだ。

 やがて、ディナダンが健在であったならば解決出来たであろう事件が起こる。
 ランスロットとアーサーの妻、グィネヴィアとの不義の愛がモードレッドとアグラヴェインの策略により世間に露呈してしまう。
 アーサーは個人としては妻であるグィネヴィアに愛を与えてくれたランスロットに感謝すらしていたのだが、王として、二人を裁かなければならなくなった。

『すまない、ランスロット。すまない……、グィネヴィア』

 不義の愛に溺れ、死罪を言い渡されたグィネヴィアを救う為、ランスロットは同胞であった多くの騎士を葬った。
 一度入った亀裂は閉じる事が無く、瞬く間に大きくなった。
 そして、アーサーは最期の時を向かえる。
 息子であるモードレッドが反旗を翻したのだ。多くの騎士達の骸が並ぶ丘でアーサーとモードレッドは向かい合った。

『どうだ! どうだ、アーサー王よ! 貴方の国はこれで終わりだ! 終わってしまったぞ! 私が勝とうと貴方が勝とうと――――最早、何もかも滅び去った! こうなる事は分かっていたはずだ! こうなる事を知っていたはずだ! 私に王位を譲りさえすれば、こうならなかった事くらい……! 憎いか!? そんなに私が憎いのか!? モルガンの子であるオレが憎かったのか!? 答えろ……答えろ、アーサーッ!!』

 激情のままに叫ぶモードレッドに対して、アーサーは眉一つ動かさずに槍を振るった。
 
『アーサーッ!!』

 結果は両者相打ち。共に致命傷を受け、二人は倒れた。
 衛宮切嗣にとって、それは些細な差こそあれ、アーサー王物語に記された通りの内容だった。
 けれど、彼女の物語はそれで終わりでは無かった。

『……これが結末か?』

 彼女は問う。見渡す限りの死体の山。こんなモノは、彼女にとって日常だった。
 独り残った心には何も無い。選定の剣に身を委ね、一度大きく息を吐いて、肩の力を抜いた。

 彼女が目指したのは理想の王だった。
 彼等が指示する条件も理想の王だった。
 そして、彼女は確かに理想の王だった。だが、あまりにも……完璧過ぎた。

 効率良く敵を斃し、戦の犠牲となる民を最小限に抑えた。如何なる戦であろうと、それが戦いならば当然、犠牲が出る。ならば前もって、犠牲を払い軍備を整え、無駄なく敵を討つべきだと考えた。
 戦いの前に一つの村を枯れさせ、軍備を整え、異民族に領土が荒らされる前にこれを討ち、十の村を守る。
 それは当時において最善の策であった。けれど、騎士達は不満を抱いた。
 モルガンやモードレッドの策略だけで滅びたのではない。ランスロットとグィネヴィアの不義の愛が滅びを招いたわけでもない。

 ある騎士が言った。

『アーサー王は、人の気持ちが分からない』

 それが結論。まったく、笑い話にしかならない。
 人であったは理想の王になどなれない。だが、彼等は王に人の心を期待する。
 故に、破綻は必然だったのだ。

『――――岩の剣は、間違えて私を選んでしまったのでは……』

 滅び行く国を見据え、死の間際に彼女は呟く。
 そして、彼女は手を伸ばす。伸ばしてはいけないモノに手を伸ばす。

『……契約しよう。死後にこの身を明け渡す代償をここに貰い受けたい』

 アーサーは聖杯を欲した。
 滅び行く国を救う為、聖杯が必要だった。
 それが何を意味するのか理解しながら、彼女は躊躇い無く、契約した。

――――ああ、こんな馬鹿な話があるか……。

 彼女の治めた国はとうの昔に滅んでいる。その滅びを無かった事にするという彼女の願いは過去の改竄だ。
 そんな願いを叶えてしまったら、彼女自身の存在だって、消えてしまうだろう。それでも、彼女は契約に従い、英霊として世界に使われる事になる。
 自分の存在が無かった事になった世界で……。
 もしかしたら、アルトリアという少女があくまで騎士の従者として生涯を終える事になるかもしれない。もしかしたら、見知らぬ男と恋仲となり、結婚し、子を宿すかもしれない。
 けれど、アーサー王となったアルトリアは消えてしまうだろう。仮に、再びアルトリアが王となっても、それはやはり別人だ。
 
――――こんな願いは間違っている。これでは、彼女があまりにも報われない。

 けれど、悪夢は終わらない。死後も国の為に自らを犠牲にしようとした少女が次に目を開いた時、そこに居たのは衛宮切嗣自身だった、
 困惑する彼を尻目に夢は続く。
 彼が知る彼女とは全く違う性格。夢の中の切嗣は彼女を厭い、言葉を交す事すらしなかった。
 本来、実行しようと考えていた作戦が夢の中では実行されている。
 セイバーはアイリスフィールと共に戦場を駆け抜け、勝利を目前にまで手繰り寄せた。けれど、聖杯を前にして、夢の中の切嗣は信じ難い行為に走った。

『令呪をもって、我が従僕に命じる。聖杯を破壊しろ、セイバー』
『何故だ……、切嗣!?』

 彼女の悲痛な叫びに応えは返らず、彼女は血塗られた丘へと送還された。
 けれど、聖杯を得られぬ限り、彼女は何度でも『聖杯を得られる可能性』に呼び寄せられる。
 そして、彼女は少年と出会う。

『――――問おう。貴方が、私のマスターか』

 少年との日々はそれまでの記憶を遥かに凌駕する色彩の多さだった。
 
『召喚に従い参上した。これより我が剣は貴方と共にあり、貴方の運命は私と共にある。――――ここに、契約は完了した』

 自分達との初対面とは随分と違う凛とした態度。
 やはり、自分の知る彼女とは大きく違う。

『――――その時は私が死ぬだけでしょう。シロウが傷つく事ではなかった。繰り返しますが、今後、あのような行動は慎むように。マスターである貴方がサーヴァントである私を庇う必要はありませんし、そんな理由も無いでしょう』

 少年の名は衛宮士郎。自分と同じ性を持つ少年。
 将来、自分が育てる事になる義理の息子を切嗣は呆然と見つめた。
 己の夢を受け継いだ少年。己以上に歪な在り方。

『ですから――ー―、そんな人間が居るとしたら、その人物の内面はどこか欠落しています。その欠落を抱えたまま進んでは、待っているのは悲劇だけだ』

 己が裏切った正義を胸に戦う少年。彼を守り、少女は戦う。

『――――貴方が戦わないというのなら、いい』

 戦いは熾烈を極めた。青き槍兵、門を守る侍、剣技に長けた弓兵。
 敵はこの第四次聖杯戦争に召喚されたサーヴァント達とも負けず劣らずの英傑揃い。
 未熟なマスターと共に戦い抜くのは至難だった。けれど――――、

『違うわ、セイバー。士郎はサーヴァントを侮っているわけじゃない。その辺りを誤解しちゃうと話が進まないわ』

 少年は徐々に騎士の心を開いていく。

『――――だから、無茶でも戦う。勝てないって判っていながら、勝とうとする。その結果が自分の死でも構わない』

 遠坂時臣の娘が自分の義子を語る光景というのも奇妙な光景だった。
 けれど、それは……、

『いや――――来い、セイバー!!』

 戦いと共に彼等、彼女等が築いていく絆。
 それは自分が本来目指していた理想では無かったか?
 本来敵同士である筈にも関わらず、助け合い、理解し合おうとする姿があまりにも眩しかった。

『……はぁ。その頑なさは実に貴方らしい』

 夢の中のセイバーの表情が増えていく。王であった年月、第四次聖杯戦争に参加した数日間。それらを合わせても、これほど彼女が表情を目まぐるしく変える事は無かった。
 
『まったく、今更答えるまでも無いでしょう。私は貴方の剣です。私以外の誰が、貴方の力になるのですか? シロウ』

 王はやがて、少女へと戻っていく。少年の頑なさは固く閉ざした彼女の心の壁を打ち破ったのだ。

『いい、セイバー? デートっていうのはね、ようするに逢引の事なのよ。士郎は遊びに行くって言ったけど、要は男の子が好きな女の子にアピールするチャンスってわけ』

 何とも甘酸っぱい光景だった。
 少年は少女を楽しませようと四苦八苦する。
 そんな彼に少女は微笑む。
 
『王の誓いは破れない。私には王として、果たさなければならない責務があるのです……。アーサー王の目的は聖杯の入手です。それが叶おうとも、私はアルトリアに戻る事は無いでしょう。私の望みは一つだけ。――――剣を手にした時から、この誓いは永遠に変わらないのですから』

 しかし、少女の祈りは変わらない。

『――――シロウなら、解ってくれると思っていた』

 それは彼女が初めて抱く種類の哀しみ。
 少女はその時既に、少年に恋をしていたのだろう。だからこそ、哀しみを抱いた。

 そして、夢は終わりに向かう。
 そこは死臭漂う地下空間だった。そこに、少年は胸から血を流して立っていた。
 少年は見覚えのある神父と共に居た。

『私が選定役だと言っただろう。相応しい人間が居るのならば、喜んで聖杯は譲る。その為に――――、まずはお前の言葉を聴きたいのだ、衛宮士郎』

 神父は少年の過去を掘り返し、痛みを与えた。
 それは見覚えのある生きて見る地獄だった。
 いくら救いを請われても、頷く事は出来ない。出来る事があるとすれば、それはただ、終わらせる事だけ。
 生かされている死体という矛盾を正に戻す。この地獄を作り上げた原因に償いをさせる。自分に出来る事があるとすれば、それだけだ。
 神父は語る。この夢の時間より十年前の出来事。それは衛宮切嗣の罪。聖杯に仕掛けられた悪意。
 慟哭すべき出来事、非業なる死、過ぎ去ってしまった不幸。それを元に戻す事など出来はしない。
 
――――正義の味方なんてものは、起きた出来事を効率よく片付けるだけの存在だ……。

 突きつけられた真実に目を背けそうになった。
 けれど、もし……、その不可能を可能とする『奇跡』があるとしたら……。
 衛宮切嗣はそれを目の前にして、自分がどう選択するかを理解している。
 何故なら、彼はその奇跡を使う為に聖杯戦争に参加したのだから――――。

『――――いらない。そんな事は、望めない』

 少年の言葉に少女は息を呑む。そして、それは衛宮切嗣も同様。
 少年は真っ直ぐに『自らの過去』を見て、歯を食い縛りながら、否定した。
 胸が痛い。少年の言葉が、思いが、その姿が……、胸に突き刺さる。
 少年は強かった。騎士王よりも、魔術師殺しよりも、ずっと強かった……けれど、

『――――では、お前はどうだセイバー。小僧は聖杯など要らぬと言う。だが、お前は違うのではないか? お前の目的は聖杯による世界の救罪だ。よもや、英霊であるお前まで、小僧のようにエゴはかざすまい?』

 その問いに少女は狼狽した。当然だろう。求め続けて来た聖杯を神父は譲ると言っているのだ。
 拒む理由などない。その為だけに彼女は時を越えて戦場を駆け抜けたのだから。

『では、交換条件だ。セイバー。己の目的の為、その手で自らのマスターを殺せ。その暁には聖杯を与えよう』
『え――――?』

 少女は口をポカンと開けて目を見開いた。
 その様は、自分が良く知る少女を彷彿とさせる。

『どうした? 迷う事はあるまい。今の小僧ならば、死んだという事にも気付かない内に殺せるぞ。……第一、もはや助からぬ命だ、ここでお前が引導を渡してやるのも情けではないか?』

 神父が少年の下へ道を開く。彼女の前には地下墓地に通じる扉と、その奥で蹲る少年が居る。

『あ……、あ』

 吸い込まれるように少女は歩く。
 神父の前を歩き、湿った室内に入って行く。
 そこは地獄だった。この中で、少年はのた打ち回り、自らの闇を切り開かれたのだ。
 なのに、それでも尚、少年は神父の言葉を跳ね除けた。

『あぅ……』

 少女が剣に手を掛ける。足下には苦しげに呻く主の姿。
 
『あ……ぁ』

 長かった旅が終わる。自らを代償にして願った祈りが漸く叶う。
 ただ、剣を振り下ろすだけで叶う。
 それは誰に責められる事でも無い。

『――――、え?』

 呆然と、少女は足下に転がるモノを見た。
 自分が何をしたのか、理解出来ずに居るらしい。

『ぁ……ぁぁ、いやぁぁぁぁああああああ!?』

 瞳に絶望の色が浮び、彼女は悲鳴を上げた。
 ただの少女として、愛した男を自らの手で殺めた事実に絶叫した。

『――――シロウ?』

 彼女はほんの少し思っただけだった。
 ただ、一瞬だけ、聖杯を求めただけだった。
 その願いは直ぐに消え、彼女は何より少年の命を優先させた……筈だった。
 けれど、魔が入り込む隙があった。
 たった、一度思うだけで十分だった。
 長く、長く疲労し、磨り減っていた彼女の心は些細な弱さに負けてしまった。

『違う……、嘘だ、シロウ』
 
 息絶えた主に手を伸ばす。その亡骸を抱き上げる姿に嘗ての気高さは何処にも無い。

『――――よくやった、セイバー。その慟哭、聖杯を受け取るに相応しい』
 
 神父が言う。茫然自失となった少女はただ導かれるままに差し出される聖杯に手を伸ばし――――、

『それではツマラン』

 その手を黄金の足に踏み躙られた。

『中々に面白い見世物ではあったが、この女は我のものだ。貴様の愉しみの為に使い潰されては困る』
『……ふむ、別に構わん。だが、飽きたら返せ。今のこの女が聖杯を使い、何を為すか、実に興味深いからな』
『まあ、飽きたらな。それまでは我が愉しむとする。ああ、この小僧も借りるぞ。死体とはいえ、利用価値は十分ある』

 アーチャーはそう言うと、自失したセイバーを自室へと引き入れた。
 そこからは目を覆うばかりの陵辱の日々だった。
 アーチャーはセイバーの自我を取り戻させる為、衛宮士郎の死体に仮初の命を与えた。
 無論、彼を甦らせたわけでは無い。だが、セイバーにとって、それは微かな希望となってしまった。
 アーチャーの目論見通り、僅かに自我を取り戻したセイバーを前にアーチャーは何度も彼を殺した。
 度重なる恋人の死に少女は追い詰められ、男に屈服した。
 強引に唇を奪われ、咄嗟に抵抗しようとすれば……、

『抵抗するのは構わんぞ。だが、あの小僧が――――』

 と返ってくる。そうなれば、もはや抵抗など不可能。
 ただ、憐れみを乞うばかり……。

『やめて……、お願いします。どうか、シロウにこれ以上……』
『ならば、分かっているな?』
『……はい』

 セイバーの瞳から涙が流れる。アーチャーは彼女の頬に唇を落とすと、そのまま涙を舐め取った。

『セイバー、お前が望むならば何時でもお前達は自由の身となれる。にも関わらず、未だに決断出来ずにいるのか?』

 部屋に入って来た神父が問う。

『無粋な事を言うな、綺礼。貴様も、今は我だけを見ていろ』
 
 抵抗する事も出来ず、ただ絶望に沈んでいくばかりの日々。
 そして、彼女はこう思ってしまった。

『私なんかが居たから、シロウが……。私なんかが居たから、ブリテンは……』

 セイバーは神父に言った。

『聖杯を下さい』
『ああ、構わんぞ。なあ、アーチャー?』
『ああ、そろそろ飽きて来たところだ』
『随分とアッサリしているな。あれほど欲していた女だと言うのに』
『手に入らぬが故の美しさだった……、というわけだ。手に入ってしまえば、どうでも良くなる』

 聖杯をセイバーに投げ渡し、男達は軽口を叩き合う。
 けれど、彼女にとってはどうでも良い事だった。
 恋人の死体に近寄り、少女は呟く。

『私さえ居なければ、貴方はきっと、もっと……ウフフ』

 聖杯を掲げ、セイバーは願いを紡いだ。

『聖杯よ……。私という存在を抹消してくれ』

 そして、セイバーは聖杯から溢れ出した泥に呑み込まれた……。
 視界が漆黒に染まる寸前、切嗣はセイバーの悲しみに満ちた声を聞いた。

『シロウ、ごめんなさい……』

第十一話「……会いたい」

 宝具とは、英雄が生きた証である。その者が何を為したかは問題では無い。例え、悪竜を滅ぼした聖人であろうと、圧制者を殺した革命家であろうと、偉大な功績を残した賢者であろうと、国を支配した王であろうと、悪行を働いた罪人であろうと、その時代に“名”を轟かせたなら、その者は英雄だ。
 アーチャーのサーヴァント、ギルガメッシュの宝具は彼が生前収集した財宝を納める蔵である。その蔵の中には古今東西の宝具の原典が納められている。
 重要な事は一つ。彼の蔵に納められている宝具が『武勇を極めた勇者の武器』ばかりでは無いという事だ。
 例えば、アーチャーが倉庫街でセイバーの二撃目のエクスカリバーを防げたのは、彼が咄嗟に『叫ぶオハン』と呼ばれる盾の宝具を展開したからである。アルスター伝説に名を馳せる英雄、コンホヴァル・マク・ネサが所有していたとされる黄金の盾。コンホヴァル・マク・ネサが英雄、フェルグスと戦った時、カラドボルグの一撃を受けて尚、傷一つ付かなかったとされる究極の守りの一つである。
 他にも、彼の蔵には様々な種類の宝具が内包されている。
 気配すら遮断する『ハデスの隠れ兜』、神を縛る『天の鎖』、天を自在に舞う『天翔る王の御座』。これらを初めとした無数の宝具が彼を最強足らしめている。
 もっとも、並みの英霊を相手に……否、彼が認める程の大英雄であろうと、彼の蔵の真価を拝む事は稀だろう。
 理由は単純明快。ただ、剣や槍を雨のように降らせる。ただ、それだけで如何なる英雄も為す術無く倒れる事になるからだ。問題なのは、その蔵に収められた財宝の量。そして、万物を見通す英雄王の眼。
 アーチャーはその類稀な眼力をもって、敵の正体を看破し、その弱点までもを見通す。そして、その相手が最も苦手とする宝具を選択して放つ事が出来るのだ。
 加えて、彼の逆鱗に触れてしまった相手はアーチャーの蔵に収められし、究極の一の下に敗北を余儀なくされる。ライダーの宝具である『王の軍勢』と呼ばれる固有結界を一撃で滅ぼした最強の剣、『乖離剣・エア』。防ぐ事も回避する事も不可能な滅びの力を持つ剣である。

 さて、何が言いたいかと言うと、彼が本気を出した場合、如何なる存在も相手にならないという事だ。戦いにすら至らない。
 セイバーとて、例外では無い。如何に究極宝具の一つ、『全て遠き理想郷』を持っていようと、蔵の真価を発揮させたアーチャーの相手にはならないのだ。
 もし、アーチャーがセイバーを殺すつもりだったなら、話は違ったかもしれない。彼が彼女を殺すつもりなら、初手から乖離剣を使っていた事だろう。そうなれば、彼女の宝具はその真価を発揮し、アーチャーを返り討ちにする事も出来たかもしれない。
 けれど、彼の目的は彼女を殺す事では無かった。言ってみれば、悪戯心。気を違えたとは言え、清廉なる王であった筈の女。屈服させてみるのも一興かと思ったに過ぎない。
 戦闘が始まると同時に彼がした事は一つ。

「動くな」

 という命令。それで勝負は決した。
 英雄の持つ宝具とは千差万別。その中には空間を支配する結界宝具というカテゴリーのものまで存在する。
 強力な対魔力を持つセイバーに対して、殆ど無意味と思われる宝具だが、それでも一瞬、動きを鈍らせる事は可能。
 その一瞬が命取りとなる。四方八方から飛び掛る拘束宝具を打ち払う事は出来ず、捕縛され、そこに魔力を封じる矢が突き刺さる。
 ものの数秒。指一本すら動かせなくなったセイバーに対して、アーチャーは囁いた。

「感謝するが良い。この我に抱かれる栄誉を賜るのだからな」

 乱暴に担がれても、抵抗一つ出来ないセイバー。そのあまりにも圧倒的過ぎる戦力差に納得出来なかった者が一人。

「アーチャー!!」

 遠坂凛がアーチャーを睨んだ。

「どうした、凛?」
「あ、貴方は……、それほどの力がありながら、どうして!?」

 涙を溢れさせながら、凛は叫ぶ。
 何が『どうして!?』なのかは本人すら理解出来ていない。
 ただ、沸き立つ感情が収まらない。

「簡単な話だ。奴より貴様を気に入った。ただ、それだけの話だ」

 凜は何かを叫ぼうとして、止めた。
 必死に感情を殺そうとしている。

「セイバーはどうするの?」
「この女は既に敗者だ。勝者が敗者をどう扱おうが、どうでも良かろう?」
「で、でも――――」

 その時、凛が脳裏に浮かべたのは深夜の森での光景。
 涙を流し、自分達の命乞いをするセイバーの姿。

「間違えるなよ、凛」

 アーチャーは言った。

「この女は貴様の敵だ。情を抱く必要など無い」
「……分かってるわ。でも、敗者だからって、尊厳を踏み躙って良い事にはならない」

 キッと睨む凛にアーチャーは嘲笑った。

「生憎だが、その命令は聞けんな。貴様に聖杯をくれてやるとは言ったが、従順な僕になるとまでは言っておらん」
「なっ――――、アーチャー!!」

 それでは、約束が違う。父が何の為に死んだのかを思い、りんは声を荒げた。
 けれど、アーチャーはセイバーを抱えたまま歩き出す。

「全てのサーヴァントとマスターは我が殺す。そして、聖杯は貴様にくれてやる。時臣との約定もそこまでだ。敗者の使い方は我が決める。文句は言わせん」

 さっさと先を行くアーチャーに凛は再び口を開きかけ、その前にアーチャーが言った。

「貴様は既にマスターだ。早々に殺し、殺される側に立った事を自覚しておけ。ついて来るなら早くしろ。さもなければ置いて行くぞ」

 凜は怒りで下唇を噛み締めながら、アーチャーの後に続いた。
 魔術師としての冷静な思考が彼について行かなければ、自分が死ぬという単純明快な図式を彼女自身に理解させた。

 辿り着いたのは言峰教会だった。
 内部に堂々と侵入するアーチャーを璃正神父が止めようとするが、彼に一睨みされると黙り込んだ。
 そのまま、奥へと進むと、そこに脱落したアサシンのマスターであり、遠坂凛の兄弟子である言峰綺礼の姿があった。

「アーチャー……お前が抱えているのはセイバーか? それに、凛まで一緒とは……。一体、何があったのだ?」

 事情説明を求める綺礼にアーチャーは事も無げに言った。

「時臣には自害を命じた。そして、今は凛をマスターにしている。セイバーはその過程で捕らえただけだ」
「師父に……、自害だと? 貴様、どういうつもりだ!?」

 アーチャーに詰め寄る綺礼に凜は目を丸くした。
 常に冷静沈着で、父親からも期待されているいけ好かない男。それが凛の綺礼に対する評価だった。
 けれど、父の死に憤慨する今の彼に凜は評価を改め、感極まった表情を浮かべた。

「落ち着け、綺礼。わけは後で話してやる。それより、我はセイバーに用があるのでな。貴様は凛の相手でもしていろ」
「待て、話は終わっていないぞ!!」

 尚も詰め寄る綺礼にアーチャーが凛に聞こえぬよう小声で囁いた。

「貴様の本命は時臣ではあるまい。奴は奴なりに価値を示したが故、慈悲をくれてやっただけの事。弟子に裏切られて殺されるなどという結末はあまりにも憐れだったからな」

 愉快気に笑うアーチャーに綺礼は顔を歪めた。

「案ずるな。奴よりも娘の方が貴様も愉しめる筈だ。既にお前好みのシチュエーションが整っているからな」

 そう呟くと、アーチャーはセイバーを抱えたまま、部屋の更に奥へと向かった。
 綺礼は深く息を吐くと、凛を見下ろした。何故か、感極まった表情を浮かべる彼女にわけを聞くと、自然と頬が緩んだ。
 なるほど、これは愉しめそうだ。抱いた希望が絶望に変わる時、彼女はどんな表情を浮かべるのだろうか?
 師父をこの手で殺す事が出来なかったのは残念でならないが、我慢するとしよう。

「凛。君も疲れているだろう? 部屋を用意するから、今日は休むと良い」
「……ええ、分かったわ」

 部屋に案内すると、凜は恥ずかしそうに頬を赤らめながら綺礼を見上げた。

「さ、さっきはありがとう……。お父様の事で怒ってくれて……」
「……弟子として、当然の事だよ」
「そ、そうよね……。お、おやすみ、綺礼」
「ああ、おやすみ、凛」

 部屋の扉を閉ざすと、綺礼は早足で自室へと戻った。そして、抑え切れぬ感情を破裂させた。
 魔術で防音にした部屋に彼の笑い声が響く。

「……父母を失い、奪った相手と共に戦う最中、頼れるのは兄弟子一人。その男の本性を知った時、凛はどんな表情を浮かべるのだろうか」

 愉しみでならない。これが愉悦というものか……。

 アーチャーに乱暴にベッドへ放り出された俺の顔が近くの鏡に映り込んでいる。酷く、虚ろな表情だ。
 魔力封じの矢によって、常日頃から感じていた強大な力が喪われ、その喪失感に感情の昂ぶりも一気に醒めてしまった。
 やった事は無いけど、きっと、ダウナー系のドラッグを決めたらこんな感じになるのだろう。
 これから、何が行われるのかも理解している。自分が逃げられない事も……。
 別に構わない。朦朧とした意識の中、溜息混じりに思った。
 犯されて、穢されて、殺される。それが俺には相応しい死に様だと思った。
 死は恐ろしいものだと思っていたけど、この悪夢から解放されるなら、むしろ歓迎すべきものだ。

「なんだ? 随分としおらしいな。さっきまでの威勢はどうした?」

 アーチャーがベッドに腰掛けて俺を見下ろす。まるで、少し前に見た夢のようだ。
 漸く分かった。あの時の男はアーチャーだったのだ。真紅の瞳に見つめられ、体の奥が疼いた。

「まさか、期待しているのか? まったく、狂人かと思えば、淫売の類であったか……。騎士王はその清廉潔白さによって、円卓を取り纏めていたと聞いていたが、よもや、その身を使い、騎士共に忠誠を誓わせていたのか? まったく、とんだ堕落国家よな、貴様の統べたブリテンという国は」

 吐き捨てるようにアーチャーが言った。
 それが不思議と苛立った。俺自身はアーサー王本人じゃないし、何を言われても関係無い筈なのに、怒りが込み上げた。

「訂正しろ……」

 無意識に言葉が口を衝いて出た。

「ほう、いい表情をするではないか」
「訂正しろと言ってるんだ……」
「何を訂正しろと? 淫売が統べた国を堕落国家と呼んで何が悪いのだ? 貴様に傅いた騎士共も、夜灯に群がる羽虫同然だな。所詮、淫売にうつつを抜かす愚者共よ」
「違う!!」

 目の前が真っ白になった。激しい怒りが理性を吹き飛ばし、体に動けと指示を出す。
 
「“私”の事は良い!! だが、騎士達を侮辱する事は許さない!!」
「ほう? 許さない? 許さなければ、どうするのだ? 貴様に何が出来る? そもそも、貴様の存在が己の騎士達を貶めている事実から目を逸らし、他者に責任を押し付けるとは……、ますますもって、度し難い女よな」

 口元を歪めて笑うアーチャーに果てしない怒りが湧いた。

――――■■■を傷つけたばかりか、騎士達の事まで愚弄するか!!

 怒りが己の深遠に眠る竜を呼び起こす。瞬時に魔力が矢へ向かい逃げていくが、一瞬だけ十分な魔力が全身に行き渡った。
 咄嗟に矢を掴み、引き抜く。その途端、体の重みが消えた。

「アーチャー!!」
「貴様――――」

 風王結界を解き放つ。完全に無力化したと思い込んでいたらしく、鎧すら脱ぎ去った状態のアーチャーに対して、風王結界の風が直撃する。
 そのまま、エクスカリバーを振り上げた。

「約束された《エクス》――――」
 
 アーチャーが咄嗟に蔵から何かを取り出すのが見えたが、躊躇い無く剣を振り下ろした。

「――――勝利の剣《カリバー》!!」

 光がアーチャーを呑み込む。光はそのまま窓と壁を粉砕し、夜天に浮ぶ雲を裂いた。
 けれど、アーチャーは健在だった。彼が咄嗟に展開したのは盾だった。
 怒りに満ちた頭に僅かな冷静さが戻る。このままでは、さっきの状態の焼き直しだ。
 
「クソッ!!」

 選んだのは撤退だった。彼の体勢が整う前に離脱しろ。
 本能や理性を超えた何かが叫んでいる。
 外に出ると、そこには一台のトラックがあった。その荷台には見覚えのあるバイクがある。
 迷う暇は無かった。バイクに跨ると、既にエンジンが掛かっていた。ハンドルには一枚の紙が貼り付けてある。

「拠点C1……」

 それは切嗣さん達と合流する為の場所だった。
 本来なら、聖杯戦争の終盤、殆どのサーヴァントを駆逐した後、聖杯降臨の儀式上を占拠した後に合流を果たす為の拠点だ。
 いや、既にランサー、アサシン、バーサーカーが脱落している。それに、恐らくキャスターも……。キャスターが存命であったなら、時臣があんなにも堂々としていられる筈が無い。
 つまり、残るサーヴァントは三騎にまで絞られた事になる。
 合流するタイミングとしてはまずまずだ。だけど、本当に合流していいのだろうか? 今のアーチャーに狙われている状況で……。
 
 迷っている間にもバイクを走らせる。風王結界を纏わせ、限界を超えた速度で疾走する。
 アーチャーが追って来る気配は無い。何か意図があるのかもしれないが、今は全速力で逃げる事に集中しなければ……。
 海浜公園までやって来たところで漸くエンジンを切った。合流地点に向かうべきかどうかを考える為だ。
 だが、いざ考えを纏めようと思った時、頭上から雷鳴が轟いた。
 何事かと顔を上げると、ライダーの戦車が降って来た。

「のわあああああ!?」

 慌てて避ける。
 バイクが粉砕。
 
「お、俺のビートチェイサーがあああああ!?」

 初めて見た時、いつか絶対、『金のゴウラム合体ビートチェイサーボディアタック』をやろうと心に決めて密かにつけていた名前を叫んだ。
 
「……えっと、すまん」

 涙を流して部品を持ち上げる俺にライダーがバツの悪そうな顔で謝って来た。

「お、俺のビートチェイサー……。俺の……」
「お、おい、凄いショック受けてるぞ」
「いや、まだ感情が昂ぶっとるかもしれんから、牽制した方が良いと申したのは貴様ではないか!!」
「そ、そうだけど、あんなギリギリまで近づく事無かっただろ!!」
「いや、だって、セイバーなら対魔力があるし……」
「バイクには無いんだよ!!」
「バイク……があるとは思わんかったし……」

 後ろで怒鳴りあう二人に呆然となった。

「……俺を殺しに来たの?」

 俺が問うと、ライダーはバッと戦車から降りて来て、俺のおでこにデコピンをした。
 凄く痛い。火花が出た。

「にゃ、にゃにをする!?」
「馬鹿もん!! 殺しに来たのなら、さっき既に殺しておるわ!!」
「俺のビートチェイサー壊したじゃん……」
「……いや、それは……うむ、すまんかった。だが、余も坊主も貴様に危害を加えるつもりは無い」
「……じゃあ、何をしに来たの?」

 俺が問うと、予想外の方向から答えが返って来た。

「そこから先は僕が説明するよ、セイバー」

 そこに立っていたのは切嗣さんだった。
 驚き、目を瞠る俺に切嗣さんは言った。

「まずは拠点C1に向かおう。そこでアイリが待っている」
「ま、待って!! どうして、切嗣さんがライダー達と一緒に居るの!?」
「その理由も後で話す。まずは君をアイリと会わせる」
「だ、駄目だ!! 今はアーチャーといつ交戦状態になってもおかしくないんだ!! だから、アイリスフィールに会うわけには……」
「それが……、アイリの最期の願いなんだよ、セイバー」
「……え?」

 途惑う俺に切嗣さんは言った。

「……アイリはもう、声を発する事も難しくなってる。それでも、君に会いたがってる。君の為に出来る事をしたいと願っている」
「ア、アイリスフィールが……?」
「君はアイリに会わなければいけない。君自身の為にもだ……」
「アイリスフィール……」

 アイリスフィールの事を思った途端、涙が出た。
 
「……会いたい。アイリスフィールに……」

第十話「犬のように傅かせてあげる」

 最期の一人だったらしい。それまでと違い、アサシンは血を噴出す事も無く、光の粒子に変わった。とても残念だ。
 命は一度失われると二度と甦らない。当たり前の事を実感し、涙が出た。
 もっと、彼等の恐怖の悲鳴を聞きたかった。もっと、彼等の苦痛に歪む顔を見たかった。

「ああ、もっと、殺したかったのになー」

 遠坂邸を見上げる。

「まあ、いっか……。遠坂時臣さん! 居ますよね? 一分以内に出てきて下さい! じゃないと、宝具を撃ち込みますよー! 神秘の秘匿とかの為に大人しく出て来てもらえませんかー?」

 エクスカリバーを振り上げながら叫ぶと、しばらくしてから玄関の扉が開いた。
 
「……セイバー」

 外の惨状は目にしていた筈だけど、彼の瞳に恐怖の色は見えない。
 涎が出そうになる。アサシン達も決して悪い素材じゃなかったけど、所詮は十把一絡げ。どいつもこいつも反応が似たり寄ったりだった。
 けど、この人なら新鮮な死に様を見せてくれるかもしれない。

「……素敵」
「……は?」
「顔も良いし、俺を前にしても臆さない姿勢がとってもグッドだよ、時臣さん。とっても、殺し甲斐がありそうだ」

 口元が歪む。彼を殺せる機会を得られた事に歓喜している。
 まずは裸に剥いてみよう。陰茎を切り落としたら、この美丈夫の顔がどう歪むのか楽しみで仕方が無い。
 目玉をくり貫き、舌で味わってみたい。皮膚をまるごと剥いでみたい。

「うーん、迷うなー。折角なら、屈辱に塗れた顔とかも見てみたいしー」

 お尻の穴に手でも突っ込んでみたら、どんな顔をするかな? 喘ぎ声とか出してくれたら最高。
 母親や娘の前で尻を弄られ喘ぐ父親とか素敵だと思う。
 屈辱を与え終わったら、目の前で母子を出来るだけ残酷な手口で殺し、絶望を与えてみよう。
 自分から殺してくれって、懇願して来たらどうしようかな?

「アハハ、夢が広がるー」
「……貴様、狂人の類か」

 恋する乙女のように頬を赤らめる俺に対して、時臣さんが顔を歪める。そんな顔もとっても素敵だけど、ちょっとつれないと思う。

「狂人なんかじゃないよー? だって、俺は王様だもん。民は等しく王の玩具なんだから、君だって、俺を愉しませる為に体を張らなきゃ駄目なんだよー?」

 腰に手を当てて叱り付ける。教育はしっかりしないといけないよね。

「……話にならんな」
「えー、もっと、お話しようよー。殺す前に君でどうやって遊ぶか悩んでるんだー。ちょっとずつ、君の指とか腕をスライスして、君自身に食べてもらうってのはどうかな? あとあとー、駅前の広場で犬と公開セックスとかどう? いやいや、両腕両脚を捥いで、冬木市のオブジェにするっていうのも捨て難いかなー」

 夢いっぱいの空想に笑みが零れる。
 お腹を抱えて笑っていると、一台の自動車が遠坂邸の門の内側へと入り込んで来た。
 
「ま、まさか――――」

 時臣さんの表情が驚愕に歪む。
 自動車から出て来たのは切嗣さん――――に、良く似たホムンクルス。彼は車内から時臣さんの妻と娘を乱暴に取り出して地面に放り投げた。
 口をガムテープで止められているせいか、二人はくぐもった悲鳴を上げるのみ。

「……遠坂時臣。此方からの要求は一つだ。令呪を使い、アーチャーに自害を命じろ」
「何を馬鹿な……」

 銃声が鳴り響く。葵と凛はくぐもった悲鳴をあげる。
 物足りなさを感じるものの、これはこれで悪くない気がする。

「イエスかノーかで答えろ。イエスならば、令呪を使え。それで、母子は解放する。ノーならば、母子を殺す。さあ、どっちだ?」

 ちょっと、ワクワクする。時臣さんがどんな表情を浮かべるのか気になる。
 
「……質問の意図が分からんな」
 
 予想外の答えに目を丸くする。
 時臣さん。意外と物分りが悪い人なのだろうか?

「令呪でアーチャーに自害を命じろと言ったんだ。さもなければ、遠坂葵、遠坂凛の両名を殺す」

 ホムンクルスが強い口調で言う。
 すると、時臣さんは令呪を掲げた。どうやら、漸く理解してくれたらしい。
 まあ、アーチャーを殺したら、皆殺しにする予定なんだけど……。

「令呪を持って、奉る。英雄王よ、我が眼前の敵を排する為に御助力を」

 膨大な魔力が時臣の腕から噴出し、黄金の輝きが彼の前に顕現する。

「……御無礼を働きました事、深くお詫び申し上げます」

 現れたアーチャーに、時臣さんは平伏する。

「我を令呪などで強制的に呼び付けた事は不快だが、まあ、良い。薄汚い鼠とは言え、見栄え自体は悪くない。手癖の悪い女を躾けるのも男の甲斐性というものだ」

 アーチャーが俺に熱い眼差しを向けて来る。
 時臣さん以上に美味しそうな男だ。屈辱を与え、憐れな命乞いをさせてみたい。
 エクスカリバーの柄に力を篭めると、銃声が鳴り響いた。
 遠坂葵の頭部から血があふれ出し、体が痙攣している。
 
「……次は遠坂凛を殺す。アーチャーが彼女を救出するより、僕が彼女を殺す方が早いぞ」

 そう言って、ホムンクルスは遠坂凛の口を覆うガムテープを引き剥がした。
 母を失った悲しみとガムテープを剥がされた痛みと次は自分であるという恐怖に彼女は涙を流す。

「お父様……」
「……分からんな」

 時臣さんが言う。

「何故、凛を救出する為に聖杯戦争を降りなければならんのだ?」

 実に不可解だと彼は首を傾げる。

「……この娘はお前の後継者だろう?」
「その通りだ。だが、この状況では優先順位というものが発生する」
「優先順位……?」

 銃口を遠坂凛に向けながら、ホムンクルスが問う。
 凛は目を大きく見開きながら父を見ている。
 アーチャーはつまらなそうに事の成り行きを見ている。
 俺もちょっと退屈になって来た。

「最優先は聖杯を遠坂が取る事だ。現状、私は聖杯に手が届く位置に居る。ならば、後継者よりも私自身の命と聖杯戦争の参加資格を優先するのが当たり前だ」
「……娘を見殺しにすると言うのか?」
「ああ、その通りだ。凛も魔術師の娘であるなら理解している筈だ。何をもっとも優先すべきなのか……、そうだろう? 凛」

 時臣さんの視線を受け、遠坂凛は顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら頷いた。

「その通りです!!」

 叫ぶ凛にホムンクルスはギョッとした表情を浮かべた。
 俺とアーチャーも彼女を見て、僅かに目を見開く。退屈と思っていた時間が急激に色を取り戻した。

「今、もっとも重視すべきはお父様の命!! そして、お父様の参加資格です!! だから……、アーチャー!!」

 遠坂凛がアーチャーを見る。

「……なんだ?」
「さっさと、この男とセイバーを殺しなさい!! 負けるなんて許さない。アンタはお父様に勝利を捧げるのよ!!」

 自分の命が危機に晒されていると言うのに、遠坂凛はそう言った。
 時臣さんとは比べ物にならない美しさをその少女に感じた。涙が顔にこびり付いているが、それはさっきまでのもの。
 今の彼女は泣いていない。己の運命を受け入れている。

「……凛。英雄王に対し、そのような物言いは」

 そんな彼女とは反対に時臣さんは実につまらない事を口にした。

「……凛と言ったな?」

 アーチャーが凛に言葉を掛ける。

「そ、そうよ。アンタのマスターの娘よ」

 睨むように見え返す凛にアーチャーは笑みを浮かべた。

「お前にとって、もっとも優先すべき事は何だ?」
「お父様の命よ!! 決まってるでしょ!!」
「そうでは無い。それは過程だろう? お前が最優先にすべき事は違う筈だ」
「……何を言って」
「聖杯を取る。それが時臣と貴様、双方が最も優先する目的な筈だ」

 キョトンとした顔で「あ……」と口にする凛にアーチャーは笑った。

「さあ、もう一度申してみよ。貴様の最優先すべき事は何だ?」
「聖杯よ!! 聖杯を手に入れる事!!」
「ならば、その為に何もかもを犠牲にする気概はあるか?」
「あるわ!! 遠坂が聖杯を手に入れられるなら、私自身の命だって、惜しく無い!!」
 
 その言葉と共に地面から一本の槍が飛び出した。狙いはホムンクルス。銃を撃つ間も無く、彼は消し飛ばされた。
 同時に鎖がアーチャーの蔵から伸びて、凛を捕獲する。凛を捕まえたアーチャーは言った。

「気に入ったぞ、娘」

 凛を地面に降ろすと、アーチャーは何を思ったか、短剣を時臣に渡した。

「え、英雄王……、娘を救って下さり感謝致します。ところで、これは……」
「自害しろ、時臣。自らの腹をそれで割くのだ」

 そんな素敵な提案をした。
 目を丸くする凛を尻目に彼は言う。

「貴様との契約はここまでだ。だが、己のサーヴァントに裏切られて死ぬというのも哀れだからな。自らの意思でその命と契約を断つが良い。それが英雄王の慈悲である」
「……しかし」
「案ずるな。聖杯は貴様の娘にくれてやる。我はこの娘を気に入ったからな」

 快活に笑って言うアーチャーに時臣は視線を凜に向ける。

「お、お父様……」

 首を振る凛に時臣は言った。

「……これも運命か。凛、聖杯を必ず遠坂の物としろ」
「だ、駄目、お父様!!」
「後の事は綺礼に任せる。彼を頼れ!!」

 時臣はそう言うと、自らの腹に短剣を突き立てた。
 凛の悲鳴が響き渡る。
 
「え、英雄王……」
「なんだ?」
「どうか、凛に聖杯を……」
「ああ、任せておけ、時臣。最後の最後で貴様は我の期待に応えた。故、貴様の願い、聞き入れよう」

 時臣の体が崩れ落ちる。
 命が終わる。勿体無い……。

「どうせ、捨てるなら俺にくれればいいのに」
「ッハ、貴様如きには上等過ぎるわ、戯け! 身の程を弁えよ」
 
 アーチャーは時臣の体に火を放った。
 凜は顔を歪めながらアーチャーを睨む。

「……許さない」
「ほう? ならば、どうする。我を殺すか?」

 からかうように問うアーチャーに凜は首を振った。

「アンタを殺したら聖杯が手に入らない。だから、アンタをこき使ってやるわ!!」
「ほう、我をこき使うと?」
「使い潰してやるから覚悟なさい!!」

 アーチャーは腹を抱えて笑い出した。

「な、何よ!?」
「いや、この我に対して、そのような啖呵を切った女は貴様が始めてだ。良かろう!! やれるものなら、やってみろ!! この英雄王を使い潰せるというのならばな!!」

 そう言って、アーチャーは俺を見据える。

「さて、待たせたな、セイバー。今宵は気分が良い。我が本力をもって、貴様を躾けてやるとしよう」
「……俺を躾ける? 違うよ。俺が君を躾けるんだ、アーチャー」

 時臣で遊べなかった事は非常に残念だったけれど、まだ、彼が居る。
 時臣さんよりも美しい顔。プライドに満ちた心。歪ませてみたい。

「男に屈服する悦びを教えてやろう」
「犬のように傅かせてあげる」

第九話「ねえ、君は何になりたい?」

 キャスターの拠点に乗り込んだ俺達を待っていたのは一人の少年だった。
 肌着すら身に着けずに、少年は虚ろな表情で俺を見つめている。

「ジャンヌ様……?」

 か細い声で少年が問う。否定する事に意味は無い。
 キャスターにとって、俺はジャンヌ・ダルクなのだ。

「そうだよ。俺がジャンヌだ。君は……」
「奥に連れて来るよう言われました。ついて来てください」

 少年は淡々と言葉を口にし、踵を返した。ライダーと顔を見合わせ、俺達は戦車に乗ったまま少年の後に続いた。
 この先に何が待ち受けているのか、大よその見当はついている。

「坊主。それに、セイバー。お前達は瞼を閉じておけ」
「……そんな事、許される筈無いだろ」

 見ないなどという選択肢は存在しない。だって、この先にあるのは俺自身の罪だ。

「……ボクだって、目を背けるつもりは無い」

 ウェイバーが声を震わせながら言った。前に見た、キャスターの工房での惨状を思い出しているのだろう。
 唇を噛み締め、前を向く。奥へ進むと、そこは地獄の再現だった。
 最初に目についたのは腹部を割かれ、中に蝋燭を立てられた少女だった。次に目に付いたのは、頭蓋骨を切り取られ、脳が露出している少年。脳にはまるで生け花のように複数の花が差してある。
 人の腕で出来た長椅子があった。その上に仲睦まじい少年少女が座っている。彼等は腹部から飛び出す腸で二人の絆を示している。複雑な結び目で、決して解ける事は無いだろう。
 足下を見た。そこには生首の絨毯が広がっていた。一体、何十人……、何百人の首だろうか? 処狭しと並べられた首は一つ残らず恐怖の表情を浮かべている。
 天井から吊り下がる無数の死体には首と手足が無い。まるで、解体されたばかりの牛や豚のようだ。
 目を背けるなど不可能。四方八方に地獄が広がっている。
 右の壁には杭で標本のように打ち付けられた子供達。
 左の壁には傘や楽器に変えられた子供達が棚の上に転がっている。
 天上には目玉を電球に変えられた人間電灯が一つ、二つ、三つ、四つ……。

 誰かが笑っている。こんな光景を見て、どうして笑っていられるんだ?
 ライダーじゃない。ウェイバーでもない。なら、俺達を案内した少年か? それとも……、

「セイバー!!」

 ウェイバーに肩を掴まれた途端、笑い声が止んだ。彼の瞳に映る俺は笑っていた。

「気を確り持て!! ここは敵地なんだぞ!!」
「……ぅぁ」

 まともに答える事が出来なかった。

「坊主。セイバーの手を握っていろ。キャスターごとき、余の力だけで十分だ」

 怒りに満ちた声。ライダーは鬼のような形相で辺りを見回している。
 ウェイバーは俺の手を握り締めた。弱々しい力。けど、振り払えない。

「……ぅぅ」

 彼等の多くはまだ生きている。体を好き勝手に弄り回された挙句、苦痛を引き伸ばされている。
 俺がキャスターを逃がしたから、彼等は今、地獄を彷徨っている。

「ぐぐ……ぅぐ、ぐ」

 歯を噛み締めながら瞼を開く。
 見なければいけない。知らなければいけない。彼等が何をされたのか、全てを記憶しなければいけない。
 何の意味も無い自己満足だけど、無知である事だけは赦されない。

「……キャスターはどこだ?」

 奴の姿が見えない。

「ジャンヌ様」

 俺達をここまで案内して来た少年が言った。

「あの壁を御覧下さい」

 少年に促され、見上げた先にあったのは地図だった。
 肉片や皮膚、骨、眼球、内臓。人を構成するあらゆる要素によって描かれた地図。
 地図を両断する黒い線。その上に舌を繋ぎ合わせて作ったハートマークが飾られている。

「……未遠川か」
「来いって事なのか……?」

 ウェイバーとライダーの会話が頭に入って来ない。
 この地図を作る為に如何なる惨劇があったのだろうか……。

「ジャンヌ様」

 少年は俺の前までやって来ると、言った。

「助けて下さい……」

 咄嗟に手を伸ばした。けれど、俺の手が少年に触れるより早く、少年の体は大きく膨れ上がり、弾けた。
 少年だけじゃない。部屋中の死体や生者が一斉に破裂した。そして、変わりに魔物が姿を現した。
 足下から這いずり上がって来るものと、天上から降り注ぐもの。少年に手を伸ばそうと、戦車から身を乗り出していた俺の体はあっと言う間に魔物の海に飲み込まれた。
 ライダーとウェイバーの無事を確認する暇も無い。魔力放出で吹き飛ばそうにも、量が多過ぎる。二人がどこに居るかも分からない現状、エクスカリバーを使うわけにもいかない。

「……ぅく」

 体中を這い回る触手に鳥肌が立つ。
 あの夢のせいか、こんな異常な状態にも関わらず、体が性的快楽を欲している。
 男では感じえない、突き抜けるような快感。嫌悪感に満ちた思考とは裏腹にあの快感を得たいと体が疼く。

「……ぁが」

 呑まれそうになる。このまま、与えられる快楽に身を委ねそうになる。
 怒りも憎しみも嘆きすらも、快楽の前では無に等しい。
 抗うには強靭な精神力が必要だ。だけど、俺にそんなものは無い。

「……そうか」

 今になって気が付いた。俺には何も無かったんだ。
 殺す覚悟も殺される覚悟も持っていなかった。いつだって、汚れ仕事は他人に押し付けてきた。
 マリアを殺した時も彼女の死に様が見えない遠距離から宝具を放っただけだ。
 策略だとか、かっこいい事を言って、結局俺は何の覚悟も抱いていなかったんだ。
 だから、こんなにも簡単に快楽などに屈してしまう。罪悪感すら、思考の彼方へ流して……。

「……なんて、醜い」

 マリアを殺した癖に、子供達を犠牲にした癖に、アイリスフィールを見殺しにする癖に、こんな惨状を作り上げた癖に、覚悟の一つも持ち得ない。
 クズだ。最低最悪なクズだ。こんな醜い人間を他に見た事が無い。
 笑いが込み上げて来る。
 覚悟も無く、人の人生を歪める存在。人はそれを悪魔と呼ぶ。
 キャスターなど、まだマシな方だ。俺に比べたら、自らの意思で殺戮を行う彼の方がずっとマシだ。

「……アハ」

 怖いと思ってた。アーチャーもキャスターも他のサーヴァント達やそのマスター達の事も皆、怖いと思ってた。
 けど、本当に怖いのは彼等じゃない。彼等は皆、英雄。物語の主幹を担うヒーロー達。
 怖いのは俺。醜悪この上無い、欲求ばかりを振り撒く、悪魔。

「アハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」

 魔力放出の仕方を変える。ただ、周囲に撒き散らすんじゃない。自らの動きを加速させる為に使う。
 やってみると、簡単だった。まるで、慣れ親しんだ動きのように、自然に出来た。
 一振りで山を築く妖魔の群を吹き飛ばし、地面を蹴る。高々と跳躍し、周囲を見渡すと、ライダー達を発見した。
 神牛が纏う雷に恐れをなしたのか、彼等の周囲に魔物は近づけずにいる。

「ライダー!!」

 魔力放出を使い、空中で方向転換した。戦車の前に降り立つと、剣を振るう。

「俺が先導する。脱出するぞ」
「あ、ああ。無事で何よりだ。頼むぞ、セイバー」

 頷き、妖魔の群を見る。動きが遅い。こんな奴等、恐れる必要は無い。

「風王鉄槌《ストライクエア》!!」

 エクスカリバーに纏わせていた風の守りを解き放つ。
 風の刃は妖魔を次々に切り刻み、道を開く。

「往くぞ!!」

 体は思い通りに動いてくれた。どう振るえば、敵を切り裂けるのかが自然と分かる。
 まるで、何度も何度も反復練習したかのように、自然に動ける。

「よし、飛ぶぞ、セイバー!!」

 ライダーの号令と共に跳躍する。御車台に乗ると同時にライダーは建造物の中から外に出て、そのまま天を目指して戦車を加速させた。

「あ、あそこはあのまま放置でいいのか!?」

 ウェイバーが俺に抱きつきながら問う。
 急な加速に腰が引けている。

「あれは一々倒していてもキリが無い。それよりも、本体であるキャスターを叩いた方が早い」
「そういう事だ。さあ、往くぞ!! キャスターめに引導を渡すのだ!!」

 戦車が急降下し始める。ウェイバーが俺にしがみつく。
 あまり、悪い気分じゃなかった……。

 戦車が地上に近づくと、そこには異常な光景が広がっていた。川の上にたくさんの子供達が浮んでいるのだ。
 川の沿岸では子供達の家族と見られる人々が悲痛な叫びを上げている。見れば、警察の姿まである。 
 神秘の漏洩など欠片も気にしていないらしい。

「キャスターはどこだ?」

 川の周囲を見渡すが、奴の姿が見えない。

「一体……」

 ライダーが戦車を地上に降ろすと、周囲はパニックを起こした。
 けれど、彼等を気に掛けている暇は無い。

「キャスター!! どこにいる!?」

 息を大きく吸い込み叫ぶ。すると、虚空からねっとりとした気味の悪い声が響いた。

『おお、お待ちしておりました、聖処女よ!! 皆の者、見るが良い!! 彼女こそが救世の巫女にして、勇猛なる英雄!! ジャンヌ・ダルクである!!』

 キャスターの叫びに周囲の人々の視線が集中する。
 狂人の戯言が状況の異常さによって、一種の催眠術のように人々の思考を淀ませる。
 だが、そんな事はどうでもいい。キャスターが俺をジャンヌ・ダルクだと信じ込んでいるなら、利用するまでだ。

「ジル!! 姿を見せなさい!!」

 俺が名を呼ぶと、奴はアッサリと姿を見せた。目を見開き、狂気に満ちた笑顔を浮かべている。

「おお、ジャンヌ。怒りに燃える貴女の瞳は実に美しい。ああ、戦場での貴女の活躍が鮮明に浮びます。多勢に無勢の窮地においても、決して臆せず、屈せず、ひたむきに勝利を信じて戦う貴女を私はいつも見ていた……。貴女は変わらない。その気高き闘志、尊き魂の在り方は如何なる非道をもってしても曇らない宝石のよう。ああ、愛おしき方」

 恍惚の表情を浮かべ、朗々と語るキャスター。彼に対して、俺が言うべき事は一つ。

「そんなに私が愛おしいですか? ジル……」
「ええ、勿論でございます。貴女の為に用意したのです。この愛の祭壇を!!」

 キャスターは大仰な仕草で空に浮かぶ少年少女を指し示した。

「……ならば、その愛をもって、私の願いを叶えなさい」
「貴女の願い……?」
「お、おい、セイバー?」

 ウェイバーが戸惑いに満ちた声を発する。
 ここまでだ。彼等との友好はこれで終わる。
 惜しむ気持ちがある。けど、それは単に利用し難くなる事が惜しいだけだ……。

「ジル。私はある男に命を狙われています」

 一歩、キャスターに歩み寄り、彼の手を取った。

「助けて下さい、ジル。貴方が頼りだ……」

 傷ついた女を演じる事は容易い。なんせ、あのライダーですら、俺に聖杯を捧げるなどと口にした程だ。
 この演技にだけは自信がある。

「誰ですか……? 我が愛しのジャンヌ。貴女を狙う不届き者の名を仰って下さい」
「アーチャーのサーヴァント、ギルガメッシュ。ジル……、貴方の私に対する愛が本物であると言うのなら、『ソレ』を使って、アーチャーを殺して下さい」
「セイバー……、お前」

 後ずさるウェイバー。俺は彼に言った。

「言った筈だよ? 勝つ為には手段を選ばないって」

 キャスターの頬を手で包む。躊躇いは無かった。
 彼の唇を啄み、言った。

「私の願いを聞いてくれますね? ジル……」
「……はい。貴女の……、仰せのままに!! アーチャー如き、この私の敵ではありません。必ずや、奴の首級を貴女に捧げて――――」
「そこまでにしておけ、雑種共」

 天上から降り注ぐ声に視線を向ける。
 アーチャーのサーヴァントは黄金の船の舳先に立ち、俺達を見下ろしている。
 周囲の人々のパニックは最高潮となった。

「黙れ」

 その一言で、群集のパニックは鎮まった。誰もがアーチャーの発する気に中てられ、恐怖している。
 呪いの如き圧倒的カリスマ性。誰も彼もが彼に平伏そうとしている。

「……ジル。よもや、恐れてなどいませんね?」
「勿論で御座います、ジャンヌ。嘗て、共に戦場を駆け抜けた友の力を御疑いになるのですか?」
「まさか……。頼りにしていますよ、今も……、昔も」
「退がっていて下さい、ジャンヌ。奴はこのジル・ド・レェめが倒します」
「お願いします……、ジル」

 ああ、本当に馬鹿な生き物だ。別人である事にも気付かずに、愛を証明する為に叶う筈の無い相手に挑む。
 こんな滑稽な生き物もそうは居ない。

「切嗣。作戦は成功しました。自分でも驚くくらい、呆気無く……」
『それは重畳。こっちも準備完了だ。合流地点はB8に変更する。直ぐに来れるかい?』
「ええ、大丈夫です」

 無線を仕舞い、キャスターを見る。人の皮で作った魔術書を手に、彼は言う。

「我が愛を示す為、貴様は死ね」
「……醜悪の極みだな」

 川の水面が光る。真紅の極光が宙に浮ぶ子供達を呑み込む。アーチャーは嘲笑と共にキャスターを串刺しにするが、ソレは単なる影に過ぎなかった。
 俺は踵を返し、走り出す。ウェイバーはあたふたとしているが、ライダーは静かに視線を向けるだけ……。
 この世界で初めて、俺を助けようとしてくれた人。彼はもう、二度と俺の手を取ってはくれないだろう……。

「勝つんだ……、俺は」

 大回りして、川を走って渡り、合流地点に到着すると、そこには一台の車が止まっていた。

「遠坂邸へ向かえ」
「了解」

 指示を出すと同時に運転手のホムンクルスが車を静かに加速させ、住宅街を駆け抜ける。起きている人間は皆、川の方へ向かっていて、俺達はノンストップで辿り着く事が出来た。

「来たな……」

 あと一歩の所でアサシンの集団が現れた。数は三十。最低限の監視網を残し、俺を迎撃する為に呼び集めたらしい。
 無駄な事だ。

「お前は離脱しろ」

 天井を切り、車外へ飛び出す。
 アサシンによる出迎えは想定の範囲内だ。こうして、真正面から襲い掛かれば、アーチャーがキャスターに足止めを喰らってる今、奴等が迎撃に出るしかない。

「ッハ――――」

 一人目を殺す。
 初めて、人を斬り殺した。
 二人目を殺す。
 肉を斬る感触は妙な懐かしさを覚える。
 三人目を殺す。四人目を殺す。五人目を殺す。
 アサシンは弱かった。人間を遥かに越えた存在な筈なのに、剣なんて一度も握った事が無い俺にアッサリと殺された。

「ッハハ……、アハハハハハハハハハハ!!」

 笑いが込み上げて来る。殺す事が怖い事などと、どうして思ったんだろう。
 だって、人を斬るのはこんなにも楽しい……。

「逃げるなよ」

 撤退しようとするアサシンの一体の首を掴み、魔力放出を利用してへし折る。
 楽しい。

「逃がさない。お前達をただの一人も逃がさない」

 逃げ惑うアサシンを一人一人狩って行く。
 時間が無いから迅速に首を切り落とす。女も男も小さな子供も関係無い。
 奴等はアサシン。サーヴァント。殺しても良い存在。

「ハハハハハハハハハハハハ!! 死ね、死ね、死ね!!」

 血の美しさに感動する。
 肉を斬る感触に打ち震える。
 命を奪う事に歓喜する。

「……もう、終わりか」

 もしかしたら、何体か逃がしてしまったかもしれない。
 でも、構わない。

「守り手が居ないなら、君達の事を殺しちゃうぞ?」

 遠坂邸の玄関を吹き飛ばす。中に入ると同時にアサシンに囲まれた。今度は逃げる素振りを見せない。

「よしよし、良い子達だ」

 今度はしっかり、令呪を使ってくれたらしい。これで、邪魔物は居なくなる。
 アーチャーを殺す。その為に必要な第一歩だ。

「楽しいなー。楽しいなー。楽しいなー」

 襲い掛かって来るアサシンを殺す。次々殺す。その度に血飛沫が舞う。
 キャスターの気持ちが分かったかもしれない。
 人を殺すのって、凄く楽しい事なんだ。だから、その行為をより楽しくする為に彼等は探求していたんだ。

「俺もやってみたいなー」

 一体のアサシンの頭を掴む。心臓を避けて胸を貫き、一気に股まで裂く。

「人間コンパスー、なんちゃってー。アハハハハハハ!!」

 さて、次は何を作ろうかな?
 襲い掛かってきたアサシンに聞いてみる事にした。

「ねえ、君は何になりたい?」