Act.20 《Over drive》

「――――さて、待たせてしまったかな?」

 学校からの帰り道、桜が衛宮邸に続く路地を通ると、そこには青い陣羽織を纏った侍が待ち受けていた。
 アーチャーが実体化して、干将莫耶を構える。
 油断なく睨みつけるアーチャーにアサシンのサーヴァントは心底嬉しそうな笑みを浮かべる。

「……どうやら、新たなマスターを見つけたようだな」
「ああ、雌狐などよりいくらか上等な主を見つけたよ。おかげで、こうしてお前と再び剣を交える事が出来る」

 あまりにも突然の事に動揺する桜を背に庇い、アーチャーは戦術を組み立て始める。
 一度戦った相手ならば、アーチャーは相手の性格や癖から勝利に至る道筋を見出す事が出来る。
 それの道筋を大抵のサーヴァントは乗り越えてくるが、この男はそれ以前の問題だ。
 この男の剣筋からアーチャーは癖や性格を見出す事が出来なかった。そんなモノを悟らせる程チャチな剣は振るっていないと言わんばかりの卓越した技ゆえだ。
 だが、関係ない。初見と変わらぬ相手だろうが、勝利するのがサーヴァントの役目。
 守ると誓った。

「貴様はここで倒す。いくぞ、アサシン!!」
「来い、アーチャー!!」

 二騎のサーヴァントの激突。それを遠目に見ながら、少年は微笑む。

「これで一人、邪魔者は遠ざけた。後は……、ボクも一仕事しますか」

 そう呟くと、少年は闇に紛れて消えた。

 ◇

 炉を片付け、宮本はトラックでマウント深山に帰っていった。
 家まで送ると言ってくれたが、歩きたい気分だと士郎達は断った。

「そうだ! 折角だし、お祝いをしようよ!」

 アストルフォが言った。

「お、お祝い?」
「うん! シロウの剣が完成したお祝い!」
「い、いや、そんな大袈裟にする必要は……」
「あるの! それとも、シロウはお祝い……、イヤ?」

 不安そうな表情を浮かべるアストルフォ。士郎の答えが決まっていた。

「イヤなわけない。……そうだ。イリヤもどうだ?」
「え?」

 目を丸くするイリヤ。

「その……折角だし、一緒にどうかな? 俺の家でパーティー」
「……わたしは」

 陽は落ちた。本来なら、ここに二人のマスターがいる以上、すべき事は一つ。
 だが、イリヤはバーサーカーを喚び出す気になれなかった。
 ずっと会いたかった相手。ずっと殺したかった相手。
 目の前にいるのに、彼と話した回数分、接した回数分、あまりにも純粋であまりにも儚くてあまりにも無防備な彼を殺したくなくなってしまう。
 
「……ええ、折角のお誘いだもの」

 イリヤは彼の手を取ろうとした。
 そして――――、

「……あっ」
「どうした?」

 突然、血相を変えるイリヤ。彼女の視線は遙か森の向こうを見つめている。

「バーサーカー!!」

 現れる巨人は士郎やアストルフォに目もくれず、イリヤを持ち上げると森の中へ走って行く。

「イ、イリヤ!?」
「ごめんなさい、シロウ! パーティーには出席出来ないわ!」

 そう言って去って行く彼女の後ろ姿を呆然と眺めていると、不意に尋常ならざる殺意を感じ取った。
 振り返ると、そこには見覚えのある少女が立っていた。
 だが、様子がおかしい。
 
「セイ、バー……?」
「逃げて、シロウ!!」

 セイバーが動く。咄嗟に士郎の前に割り込んだアストルフォの体から鮮血が飛び散る。

「あ……、え?」

 頬に付着した生温かい彼女の血液に目眩を感じる。

「アストルフォ……?」

 倒れこむアストルフォに士郎は呆然となった。

「簡単に殺してはなりませんよ、セイバー」

 頭上から降り注ぐ声には聞き覚えがあった。

「キャスター……」

 濃紫のローブに身を包んだ魔女が士郎を見下ろしている。

「ご機嫌よう、坊や。いつぞやの返礼をしに来たわ」
「なんだと……? また、アストルフォを手駒にしようとしてるのか!?」

 士郎の言葉に魔女は嗤う。

「もう、そんな雑魚に興味はないわ。ただ、私に屈辱を与えた罰を与えるだけよ」

 そう言って、魔女が降りてくる。士郎が掴みかかろうとすると、セイバーに殴り倒された。
 たったの一撃で呼吸が出来なくなり、士郎は立ち上がる事さえままならなくなった。
 そうしていると、魔女はアストルフォに手を伸ばす。

「ただでは殺さないわ。この私を愚弄した罪はその身で払ってもらいます。痛みと屈辱を存分に……、あら?」

 魔女は驚いたように言った。

「あなた……、男だったのね」

 魔女の蛮行に怒りを燃やしていた士郎はその言葉に目を丸くした。

「ああ、その様子だと坊やも知らなかったのね」

 アストルフォは魔女を睨む。

「とんだ英雄様ね。女の格好をして、あんな純情な坊やを誑し込むなんて」
「何を言って……」

 アストルフォが男。何を言っているのか、士郎には理解が出来なかった。
 だって、彼女は女だ。そうじゃなきゃおかしい。辻褄が合わない。

「なら、この場で脱がしてあげましょうか?」
「……やめ、ろ」

 アストルフォが拘束から逃れようと身を捩る。
 だが、セイバーから受けたダメージが大き過ぎる。苦痛に表情を歪め、悲痛な声をあげる。

「ア、アストルフォに手を出すな!!」
「あらあら。自分を騙していた相手を気遣うなんて、優しいのね。でも、残念ね。あなたの恋は決して叶わぬ禁断の――――」
「離せって言ってるんだ!!」

 士郎は起き上がった。魔女の言葉が真実かどうかなんてどうでもいい。
 それよりもアストルフォが苦しんでいる事が気に入らない。
 セイバーに与えられた痛みなど無視する。その程度で寝転がっている暇などない。 
 炉に火を入れるように、魔術回路に魔力を流し込む。

「呆れたわ。この期に及んで抗うなんて……」

 魔女はアストルフォの傷口に指を突き立てながら言った。

「遊んであげなさい、セイバー」

 アストルフォの苦痛の声が聞こえる。それだけで怒りが頂点に達した。
 
「やめろぉぉぉぉぉ!!!」

 作り出したのはアーチャーの双剣。
 干将莫邪で襲いかかるセイバーを迎え撃――――、

「その程度の宝具で我が剣の止められるとでも?」

 アッサリと砕かれた。そのまま、腕を掴まれて乱暴に振り回される。

「ぁ……」

 禍々しく変貌した嘗ての聖剣が士郎の体を引き裂く。舞い散る血潮に魔女は嗤う。

「どうかしら、ライダー。嬉しいでしょ。己を騙したあなたを必死に守ろうとして、彼は死ぬわよ」
「……ぃやだ。シ、ロ……ゥ……ヤダ、死んじゃ……」

 体を必死に動かそうとするが、魔女は彼女の足に精製した巨大な氷を落とした。
 強力な対魔力を持つアストルフォにも有効な一撃だ。
 悲鳴が響く。その声に士郎は再び立ち上がった。胴を斜めに斬られ、夥しい血を流しながら、それでも彼は新たな剣を投影する。
 
「……無駄な足掻きだ」

 セイバーは魔剣を振り上げた。
 再び砕かれる干将莫耶。
 死が迫る。今度こそ、彼女の魔剣は士郎の命を終わらせる。

 その瞬間――――、

             彼は己の中の時を止めた。
 

 衛宮士郎の内部を総加速させ、刹那を永遠に偽装する。
 最優のサーヴァント。この聖杯戦争において、紛れも無く最強の白兵能力を持つ彼女に衛宮士郎が勝てる道理などない。
 そんな事は先刻承知。それでも尚、抗わなければならない。
 一秒後に彼は死ぬ。これは確定した運命だ。
 この状況に陥った時点で詰んでいる。
 それでも尚、諦めてはならない。
 何故なら、彼の死は愛する者の苦痛に満ちた死を意味するからだ――――。

 撃鉄が落ちる。     

――――検索する。

 そんな暇はない。

――――アルトリア・ペンドラゴンに対向する手段を模索。

 そんな都合の良い物などない。

――――ならば、創り出せ。

 アストルフォを救いたい。その為の手段が存在しないなら、新たに創り出すしかない。
 
――――既にヒントは十分に得た。

 意識がぶれる。現実を見ながら、夢を見ている。
 迫るセイバーの魔剣。森の中にあるナニカ。
 
――――体は剣で出来ている。

 己を造り変える。

――――血潮は鉄で、心は硝子。

『超えてみせろ』
『今の貴様では精々一つの技術を身につける事が出来るかどうかだ。ならば、一つの最強を見つけてみろ』

――――幾たびの戦場を超えて不敗。

『ボク達人間はどこまでだって行けるんだ! 限界なんてどこにも無いよ!』
『誰かが誰かを助ける時、そこにあるのは感謝の気持ちだけさ』

――――剣を鍛えるように、

『日本刀を見た事があるか?』
『ならば、あの美しさも分かるか? 折れず、曲がらず、よく切れる。その三つの条件を追求した一種の芸術品だ。切れる為と曲がらない為には鋼は硬くしなければならん。だが、逆に折れない為には鋼を柔らかくしなければいけない。矛盾しておるだろ?』

――――己を燃やすように、

『この矛盾を解決する方法。それは炭素含有量が少なく柔らかな心鉄を炭素含有量が高く硬い皮鉄で包む方法だ』
『そこまでいけば、後はひたすら叩くだけだな。燃やし、叩き、冷やし、また燃やす。そして、打ち続ける。信じられるか? これは初め、単なる砂粒だった。無数の粒子が一本の刀に変わる』
『砂鉄をたたらで玉鋼にしてな。それを熱し、薄べったくのばす。そして、無数の断片に変え、その中から良質な材料となるものを選び焼き固める。見極めも大事だ』

 意識が遠のいていく。視界が真っ白にスパークする。
 気にするな。己の事など度外視しろ。お前が死のうと、アストルフォを救え。それ以外の事など考えるな。
 心を鋼で包みこめ、無数の粒子を見極め、一つに纏めろ。

――――彼の者は鉄を打ち続ける。

『……私の過去を見た筈だ。それをお前の中の|始点《ゼロ》にしろ。そこからどう限界を越えていくか、二人で相談でもするんだな』

 |限界《ゼロ》を超えろ。新しい世界を創造しろ。
 これは空の器。これは無限を内包する。
 無限にして、零。零にして、一。一にして、無限。

『私の剣技は確かに衛宮士郎にとって最適なものだ。だが、最強ではない』
『所詮、アレもコレもと手を出した挙句、何一つ芯を持てなかった半端者の業だ』

 選択肢は無限。されど、選べるものは一つのみ。
 ならば、その一つに全てを集約しろ。
 
――――収■こそ、理■の■。

 ここに幻想を紡ぐ。
 これこそが衛宮士郎に赦された魔術の真髄。
 魔術回路が臨界を超える。
 例え、このまま己が壊れても構わない。アストルフォを救ける。だって――――、

「俺はアストルフォが好きなんだ!!」

――――是、|■戟の■■也《リ■■ッド・■ロ・■ーバー》。

「――――な、に?」

 セイバーのサーヴァントは瞠目する。
 
「―――――ッ、セイバー!! 今直ぐに坊やを殺しなさい!! はやく!!」

 聖剣を阻んだもの。それは一振りの太刀だった。
 それは士郎が鍛えた剣。銘に彼の名が刻まれた不出来な真作。
 だが、セイバーはまるで威圧されたように後退る。
 
「ぁ……ぁぁ……ッ」

 細く、貧弱な太刀。
 だが、彼女の目には違うもの映り込んでいた。 
 竜の眷属を必ず殺す。一つや二つではない。無限の殺意が彼女に重圧を掛ける。
 そして――――、

「ァァァアアアアアアアアアア!!!」

 太刀はセイバーの片腕を斬り裂いた。

「――――馬鹿な!?」

 その瞬間、アストルフォは死力を尽くし、声を張り上げた。

「来い!!」

 次元の狭間から幻馬が飛び出す。
 幻想種の嘶きはキャスターのサーヴァントをわずかに怯ませ、その隙に主を攫った。

「……撤退よ、セイバー!!」

 キャスターが叫ぶ。セイバーは片腕でキャスターを抱えると猛スピードで士郎とアストルフォから離れた。
 片腕を失った今、あの得体の知れない力と戦うのは危険過ぎる。
 それは彼女の未来予知にも等しい直感の囁きだった。
 
「《|竜殺し《ドラゴンキラー》》……だと、馬鹿な」

Act.19 《Sunny days》

 前のように明確な目的があるわけじゃない。純粋なデート。バスで新都に向かいながら、士郎は激しく緊張していた。
 隣を見ると、前に士郎が選んだ洋服に身を包み、窓の外を眺めて楽しそうに笑うアストルフォがいる。
 
「シロウ! ねえ、シロウ! ここからの景色はやっぱり最高だね!」

 バスは冬木大橋の上を通り、新都に入ろうとしている。
 深山町と新都に挟まれた未遠川。その光景は冬木市でも三指に入る美しさだ。
 だけど、士郎の視線はより美しいものに縫い止められている。
 アストルフォの笑顔。眩しい程に輝く天真爛漫な彼女の表情は嘗て彼女と共に見た星の海すら凌駕する。

「シロウ? おーい! 反応が薄いぞー!」
「……キレイだ」
「でしょでしょ!」
「ああ、とっても……」

 バスに揺られること十分弱。駅前に到着すると、士郎は勇気を出してアストルフォの手を握った。

「シロウ?」
「デ、デ、デートの時は手をつなぐもんだ」
「そうなの? そうなのかー。うん! つなごう!」

 そう言って、腕に抱きついてくるアストルフォに士郎はただでさえ赤かった顔を熱でも出ているのかと心配になるほど真っ赤に染め上げる。
 必死に頭を働かせて、来る直前に頑張って考えたデートコースを思い出す。

「まずは水族館に行こう! て、定番だしな!」

 デートの達人である慎二のおすすめスポットだ。
 
「よーし、レッツゴー!」
「お、おー!」

 新都を歩く。そんな事、衛宮士郎にとっては日常茶飯事だ。
 バイトや買い物、それ以外の用事でもしょっちゅう来ている。
 なのに、そこにアストルフォがいるというだけで異世界のように感じてしまう。
 日常が非日常に成り代わる。
 
 もうとっくの昔に後戻り出来なくなっている。
 初めて彼女を見た時、既に恋をしていた。それから彼女と話す度、一緒にいる度にますます深みに嵌っていった。
 
 道行く人々は一人残らずアストルフォを見る。そして、士郎を見る。
 釣り合っていない。彼等の心の声が聞こえてくる。
 わかっている。それでも一緒にいたい。

「シロウ!」
「なんだ?」
「シ・ロ・ウ!」
「な、なんだよ」
「えへへー、呼んでみただけー」

 周りから凄い勢いで舌打ちの音が聞こえる。
 士郎は腕に抱きつくアストルフォの手を握りしめた。

「い、行くぞ!」
「オー!」

 水族館に対するアストルフォの反応は中々だった。
 水の中を優雅に泳ぐマンタやサメに歓声を上げ、ガラスにへばりつくタコを見て笑い、ふわふわと漂うクラゲを見て和んでいる。
 クラゲのアイスクリームなるものを売っていて、二人で食べた。コリコリとした食感が美味しい。
 士郎はバニラ。アストルフォはストロベリー。互いにアイスを分け合う二人に近くの老人が微笑んだ。

「次はどこに行くの?」

 水族館を後にすると、今度はゲームセンターに行く事にした。
 最新の設備が揃っている。格闘ゲームは操作の方法がよく分からず、シューティングやレースゲームを愉しんだ。

「ねえねえ! アレはなに!?」

 アストルフォが指差した先にあるのはプリクラだった。
 士郎が説明すると、アストルフォは瞳を輝かせる。
 知り合いの女生徒が目を丸くして見ている事に必死で気付かぬ振りをしながら士郎はアストルフォとプリクラを撮った。

「えへへー、星がいっぱいだね!」

 出来上がったシールを見つめながらニコニコと笑顔を浮かべるアストルフォ。
 士郎は知り合いに絡まれないようにそそくさとアストルフォを連れてゲームセンターから離脱する。
 それから近くのアクセサリーショップに入った。

「こ、これ、どうかな?」

 そこに桃色の石が入ったロケットがあり、士郎は奮発した。
 
「わー! わー! とっても嬉しいよ! ありがとう、シロウ!」

 士郎が慣れない手つきでロケットをアストルフォの首に掛けると、そこにさっき撮ったプリクラを入れた。

「わーい!」

 心底嬉しそうにロケットを見つめるアストルフォ。
 なんて幸せな時間だろう。このまま、永遠に時が止まってしまえばいいのに……。
 そう思わずにはいられない程の時間を過ごした。

「シロウ」
「な、なんだ?」
「笑顔がひきつってるぞー!」

 そう言って、士郎の頬をグリグリするアストルフォ。
 気付けば、士郎は泣きそうな顔をしていた。

 幸福を感じる程、死にたくなる。
 多くの命を見捨てた|お前《おれ》が幸せを噛みしめるなんて許されない。
 自分で自分の首を絞め殺してやりたくなる。
 それなのに、アストルフォと一緒に歩いていると、やっぱり幸せだ。
 どんなに自分を憎んでも、彼女と一緒にいたいという気持ちは変わらない。
 その後も士郎はアストルフォを連れて色々な場所を歩いた。
 趣味の骨董品屋、ぬいぐるみを売っているファンシーショップ。

 やがて楽しい時間も終わりを告げる。
 宮本と約束した時間が近づいてきていた。
 バスで揺られながら新都を後にする。

「シロウ」

 乗客は二人だけ。傾きかけた日差しが窓から差し込み、彼女をより輝いてみせる。

「楽しかったよ! ありがとう!」
「……アストルフォ」

 息苦しい程、刃を心臓に突き立てたい程、士郎は幸せだった。
 嬉しそうに、哀しそうに、苦しそうに涙を流し、笑う士郎。
 アストルフォはニッコリと微笑んだ。そして、そっと士郎の唇に自らの唇を押し当てた。

「な!? な、なな、何を!?」
「へっへー! 今日、楽しませてくれたご褒美だよ」
「ご、ご、ご褒美って……」

 顔を真っ赤にして動転する士郎。そこにさっきまでの昏い感情は鳴りを潜めている。
 コロコロと笑うアストルフォを軽く睨みながら、士郎は言った。

「……アストルフォ」
「なーに?」
「俺……、お前の事が好きだ」

 ムードもへったくれもないぶっきらぼうな告白。
 士郎は咄嗟に顔をそむけた。
 身の程知らずにも程がある。彼女は英雄。世界の誰よりも美しい人。
 とても釣り合わない。

「ボクも好きだよ、シロウ」

 勘違いするな。そう、自分に言い聞かせる。
 彼女の好きは己の好きとは違う。ラブじゃなくて、ライクだ。
 必死に心を宥めすかしながら、笑顔を浮かべる準備をした。
 そして、頭を上げると、呼吸が止まった。
 
「シロウ。ボクはキミが好きだよ」
「なんで……」

 抱き締められた。

「キミの過去をみた」

 アストルフォは士郎を抱き締めたまま言う。

「キミの未来をみた」

 アストルフォは声を震わせた。

「キミと今を過ごした」

 明確な理由を言葉にする事は難しい。
 全てを失った少年。崩れてしまった|積み木《じぶん》を必死に組み直している彼が真っ直ぐに好意を寄せてくれる。
 幸福を感じる度に苦痛を感じる彼がそれでも自分と一緒にいたいと思ってくれる。
 泣きそうな顔で、震えた声で、必死になって手を伸ばしてくれる。
 
「ボクはキミを愛しく思うよ」

 同情したわけじゃない。哀れんだわけじゃない。
 嬉しくおもった。
 だって、この世でこんなにも純粋な愛があるだろうか、こんなにも深い思いがあるだろうか――――。

「アストルフォ……。俺は……」
「ボクはずっとキミの傍にいる。キミを一人になんてさせてあげないよ」

 士郎は……、恋に落ちた。
 何度も何度も好きになって、彼はアストルフォを愛した。
 ガチャリと音を立てて歯車が動き出す。

 ◇

 宮本の鍛冶場に到着すると、そこには先客がいた。

「イリヤ?」
「あ、シロウ! 遅いじゃない!」
「え?」

 戸惑う士郎に宮本が笑う。

「はっはっは! お嬢ちゃんはずっとお前さんを待っていたんだぞ。ほれ、最後の仕上げを始めようじゃないか」

 士郎は厚手のエプロンを身につける。
 イリヤとアストルフォは揃って彼の作業を見つめた。
 本来敵同士である筈の彼女達。だが、今ここで争う気持ちにはなれなかった。
 だって、今この瞬間、衛宮士郎は変わろうとしている。
 贋作が本物に生まれ変わろうとしている。

「刀身に傷や割れ目がないかを入念にチェックするんだ。どうだ?」
「……うん。大丈夫みたいです」
「そうか! ならば、中心を鑢で仕立てるんだ」
「はい!」

 刀身は既に完成している。鑢を掛け終えると、目釘孔を入れた。

「よーし! いよいよ最後の工程だ! ここにお前さんの名前を入れるぞ」
「え!? でも、これは――――」
「お前さんのだ」

 宮本は言った。

「ここには作者の銘を入れるんだ。お前さんの名前を」
「……俺の名前」

 士郎は気を引き締め、丁寧に文字を彫っていく。
 衛宮士郎。その名が刻まれた刀身が月の光を受けて滑らかに輝く。
 白金、切羽、鍔、柄を付けていく。
 荒削りで、素人目で見ても酷い出来だ。それでも、初めて造り上げた真作。
 士郎は涙を流した。

「その様子だと楽しんでもらえたみたいだな」

 宮本は嬉しそうに笑った。

「一応、そいつを持って帰るには手続きが必要なんだ。それに、鞘も用意しないとならない。一旦預かるぞ」
「は、はい!」

 名残惜しそうに刀を宮本に渡す士郎。そこにイリヤとアストルフォが駆け寄ってきた。

「これがシロウの造った刀……」
「凄いわ、シロウ」

 二人共、感動したように士郎の刀を見つめる。

「あ、ありがとう」

 士郎は照れたように頬を掻いた。

Act.18 《Walls have ears; wall have ears, sliding doors have eyes》

 学校に辿り着くと、校門の傍に立っていた美綴綾子が桜に声をかけてきた。

「おーい!」
「美綴先輩。おはようございます」
「おう、おはよう! じゃなくて、どうしたんだ? 二日も続けて無断欠席なんて、らしくないじゃん。心配したんだからね?」
「すみません……。今日からは普通に登校しますので」
「まあ、深くは聞かないけどさ。それと、慎二の事で何か知らない?」
「……兄さんの事ですか?」
「うん。今日、誰よりも早く来て、ずっと弓を引いてるの。普段なら一年生をイビったりとか、やかましく女子とお喋りしてるのに」

 あんまりな物言いに苦笑しながら、桜は首を横に振った。

「私も詳しくはわかりません」
「そっか……。まあ、アイツの事だし単なる気まぐれかもね。それにしても、これで心配の種が一つ減ったよ」
「他にも何か?」
「衛宮と遠坂だよ。二人共……っていうか、衛宮についてはどうなの? 何か知ってる?」
「先輩ならちょっと用事があって……。病気とか怪我ではないのですがしばらく休む事になると思います」
「……慎二の事は知らなくて、士郎の事は知ってると」
「え!? いや、それはその……」

 真っ赤になる桜に綾子は遠い目をした。

「ついにあのブラウニーがキラーパンサーになったのかい?」
「違います! 何を想像してるか知りませんが、違います!」
「おやおやー? 私はドラクエの話をしてるだけだよ? なーんで、赤くなっちゃってるのかなー?」
「もう、美綴先輩! それより、遠坂先輩がどうかしたんですか?」
「おっ、強引に話を切り替えたね。いやー、大人になったんだねー。寂しいような、嬉しいような……」
「せ・ん・ぱ・い?」
「……えっと、遠坂の事でしたね」

 桜から得体のしれないオーラを感じ、綾子は冷や汗を流しながら言った。

「遠坂が来てないんだよ」
「来てない?」
「いつもならとっくに来てる時間なのに教室にもいないし……」
「たまたまじゃないんですか……?」
「……そうなのかもしれないけど、なーんか、胸騒ぎがするんだよね。虫の知らせってヤツ? だから、ずっとここで待ち構えてるわけよ」

 恐らく、聖杯戦争に関連している事は確実。
 最後に彼女が現れたのは士郎がキャスターに攫われた晩。その後の事は解らない。
 
「……心配ですね」

 あの人が易々と敗北するとは思えない。
 士郎の事が気に掛かる。ランサーを討伐し、バーサーカーと戦い、アーチャーとアサシンを纏めて消し飛ばそうとした。恐らく、キャスターとも戦った筈。
 彼女が戦っていない唯一の相手。それは士郎のサーヴァントであるライダー。
 もう少し校門で待ってみると言う綾子と別れ、桜はアーチャーに念話を送った。

『先輩の下に向かった可能性は?』
『……十分に考えられるな。あれだけ好戦的な性格だと何をしでかしても不思議じゃない。セイバーなら、大抵の敵と真っ向から打ち合っても負けないだろうしな。だが、ライダーの機動力なら特に心配する必要も無いだろう。異次元空間に潜るあの幻馬の疾走を止められる者はいない』
『でも……』
『言っておくが、君から離れる事は出来ない。マスターを狙う事は聖杯戦争の定石だ。特にキャスターには前科がある』
『……ここから先輩の居る場所は視えますか?』
『問題なく射程範囲内だ。いざとなれば逃走の猶予くらいは作れるさ』
『その時はお願いします』

 アッサリと言いのけるが、その視力の良さは尋常ではない。
 本当に人ではなくなってしまったのだと桜は胸を痛めた。
 夜、寝る度に彼の夢を見る。当然、己の末路も視た。この世全ての悪と呼ばれる存在と同化し、全てを壊そうとしていた。
 可能性の一つに過ぎず、今の自分がああなる事はないと分かっていても、恐怖で涙が零れた。
 
『アーチャー……』
『どうした?』
『……ありがとう』
『ん? あ、ああ』

 私を殺してくれて、本当にありがとう。あんな醜い姿になって、その挙句、先輩を傷つけたりしたら……。
 他の誰でもなく、彼が止めてくれたからこそ、|間桐桜《わたし》は救われた筈だ。
 
 私を殺した人。
 私を選んでくれなかった人。
 私を救ってくれた人。

 今度こそ守ると言ってくれた。私を選んでくれた。
 
『アーチャー』
『なんだ?』
『……ありがとう』
『ど、どうかしたのか?』
『ふふ……、なんでもありません』

 ラインを通じて彼の困惑が伝わってくる。彼の今の顔を思い浮かべると、自然と笑みがこぼれた。
 
 ◇

 昨日と同じように士郎は帰ってくると同時に布団に倒れこんだ。
 調子に乗って、行けるところまで行こうと躍起になった結果だ。
 後は曲がりや反りを直して鑢を掛けるだけだ。明日には完成品を拝む事が出来ると宮本に言われた。
 楽しみだと思った。こんな風に感じるとは思わなかったけれど、胸が高鳴っている。

「楽しみだね!」

 アストルフォは士郎の隣で寝転びながら言った。

「ああ!」

 アストルフォは思った。
 楽しみで仕方がない。

 何度も夢を視た。とても嫌な夢だ――――。
 嘆きと悲しみと苦しみばかり。
 炎の中を歩く少年。広い屋敷で一人過ごす男の子。 
 何度も抱きしめてあげたいと思った。慰めてあげたい。許してあげたい。一緒にいてあげたい。
 
 彼の未来を視た。とても嫌な未来だ――――。
 決して救われない、報われない人生。
 死後も永遠に終わらぬ苦しみを背負わされ、その果てに自らを憎むようになる。
 それは人として、哀しい程に|歪んで《くるって》いる。

「シロウ」

 アストルフォは言った。

「明日、デートしない?」
「デ、デート!?」

 おかしいくらい真っ赤になる士郎。
 アストルフォはクスクスと笑った。

「ボク、シロウとデートしたいなー」
「ぅぅ……、わ、分かった! デートだな! うん、行こう!」
「わーい!」

 もう、寂しいなんて思わせない。
 一人で苦しませたりしない。自分を憎ませたりしない。
 
『俺、お前と出会えて本当に良かった』

 あの時の言葉が心に染み渡る。

「一緒だよ! ボクと一緒だからね!」
「わ、わかってるよ。デートだもんな、うん」

 何があってもキミを守ろう。
 何があってもキミと共にあろう。
 ボクはシャルルマーニュ十二勇士。ボクはアストルフォ。ボクはライダー。ボクは……キミの、キミだけの|相棒《サーヴァント》だ。

 ◆

 魔女は嗤う。これで準備は整った。
 彼女の前には海を思わせる紺碧を闇を思わせる漆黒に塗り替え、聖剣を魔剣に貶めたセイバーの姿があった。
 魔女に心を壊され、その属性を反転させられた嘗ての騎士王はただ盲目的に主に忠誠を誓う。
 
「――――待っていなさい、ライダー。あの時の屈辱は何倍にもして返してあげる」

 魔女の掲げる水晶の中にはマスターと歩き笑顔を浮かべるアストルフォの姿があった。

 ◆

 生を受けたモノがやがて等しく死を迎えるように、始まりと終わりは同義であり、どんな旅もいつかは終わるもの。
 その結末を幸福なものに出来るか、不幸なものにしてしまうかは本人次第。
 ただ一つ。途上で足を止め、諦めてしまうモノには決して幸福など訪れない。

「さあ、試練の時ですよ、お兄さん」

 万物を見通す者。聖杯戦争において、あり得ない筈の存在。
 第八のサーヴァント。アサシンのマスター。原初の理を司る覇者。
 英雄王ギルガメッシュ。彼もまた手駒と共に動き出す。

Act.17 《Heaven helps those who help themselves》

 ――――夜が明けた。
 石室に差し込む微かな光が停止していた時間を緩やかに動かし始める。
 
「ん――――ッ、く……ぁ……」

 セイバーのサーヴァントは囚われていた。
 主を人質に取られ、魔女の苛立ちを晴らす為に恥辱を受け入れている。

 柳洞寺に攻め入った彼女達を待ち受けていた敵はキャスターだけではなかった。
 負ける筈が無いと高を括った挙句、サーヴァントではなくキャスターのマスターである人間に後れを取った。
 誰が想像出来る? たかが人間如きが最優のサーヴァントを相手に一歩も引かず、その首を鷲掴みにして投げ飛ばすなど……。
 時間にして一秒。セイバーが投げ飛ばされてから体勢を整えるまでに要した時間がそれだ。その一秒があまりにも致命的だった。
 凛は類まれな才能に恵まれた稀代の魔術師だ。だが、相手が悪過ぎた。
 キャスターのサーヴァント。彼女は女神ヘカテに教えを受けた神代の魔術師。彼女と凛を比べた場合、蟻と象を比べるよりも大きな差が開いている。
 アサシンを失い、拠点にも甚大な被害を被ったキャスターには後がなかった。故に弄ぶ事もせず、凛の自由を奪い、その身に宿る令呪を簒奪した。
 そのまま、彼女の身柄は何処とも知れぬ空間に封じられている。
 逆らえば、彼女は殺される。故にセイバーはキャスターの言いなりになる他ない。
 マスターとサーヴァントが戦えば、サーヴァントが勝利する。その条理を凛は覆す事が出来ず、セイバーは覆された。責を負うべきはどちらか……、セイバーは苦悶の表情を浮かべる。
 
「……ああ、可愛いわ」

 男として生きて来た少女。女としての歓びも知らず、ただ国の為に戦い続けてきた騎士の王。
 その凛とした表情が崩れる。自身が女である事を身に教えこまれ、耐え切れず口から零れた声に涙が零れ落ちる。
 ここに連れて来られて、丸一日が経過した。

「そうだわ……」

 まるで名案を思いついたとでも言うかのように、魔女は彼女の頭に手を乗せる。
 すると、セイバーの表情が大きく歪んだ。
 そこには、嘗て殺した者がいた。嘗て、共に戦場を駆け抜けた者達がいた。
 
「裏切り者。忠臣。敵。反逆者。師。義兄。貴女が歩んだ王としての道。彼等はその証」

 これはキャスターが見せる幻覚だ。だから……、本当に彼等に犯されているわけではない。
 理解していて尚、セイバーは狂ったように悲鳴を上げる。

「やめろ!! やめろ、キャスター!! やめてくれ……、こんな……くっ」

 キャスターは愉悦の笑みを浮かべる。凛を人質に取り、令呪で縛りを与えても、彼女の対魔力と英雄としての格は侮れない。
 だから、徹底的に壊す事にした。多少時間が掛かっても構わない。
 セイバーが完全に堕ちれば、この戦いは勝ったも同然だ。アサシンなどとは比較にならない戦力が手に入る。
 バーサーカーは油断ならないが、付け入る隙も大きい。脆弱なマスターを殺してしまえば、後は勝手に自滅する。

「嘗ての仲間から聞かされる恨み事はどうかしら? 高潔を謳う身が穢される気持ちは? 安心なさい。貴女の心が壊れるまで、悪夢は決して終わらない」

 如何に高潔であろうと、女は女。その心の壊し方など幾らでも識っている。
 魔女の根城と知りながら踏み込んだのはお前達だ。私の神殿を台無しにしたのもお前達だ。
 お前達のせいで拠点を移さなければならなくなった。
 お前達のせいでこんな場所に来る事になった。

 普段の彼女ならばここまではしなかった。心を壊すにしてもやり方を選んだはずだ。
 彼女の心を怒りで染め上げた原因はこの聖域にある。先ほど始末した神父が隠していた聖域にならぶ者達。
 体が溶け、腐臭を放ちながら、ただナニカに食べられる為に生きている死人達。
 趣味に合わないそれらを片付ける為に大きく消耗した。その憤りが彼女を凶行に走らせている。
 セイバーの口から零れ落ちる蠱惑的な声。魔女の心を慰める天上の調べを奏でさせる為に彼女は更なる責め苦を聖女に与え続ける……。

 ◇

 宮本の下での鍛冶体験に夢中になってしまい、士郎が帰って来たのは早朝だった。
 
「先輩。私、今日は学校に行きます」

 朝食を食べながら桜が言った。

「今更かもしれませんけど、藤村先生を一人にするのは危険かもしれないので……。それに、少し気になる事もありますし」
「そっか……。悪い、桜。今日は俺……」
「宮本さんの所に行くんですよね? 藤村先生から聞いています」
「ああ……。もう少しで何かを掴めそうなんだ」

 そう言って笑う士郎に桜は嬉しそうな表情を浮かべた。

「なんだか先輩、生き生きとしてますね」
「……そうかな?」
「そうですよ。それでは、行ってきますね」
「ああ、藤ねえの事を任せるぞ」
「はい! 任されます」
  
 登校する桜を見送った後、士郎は一度寝る事にした。
 一晩中夢中になって鍛冶に取り組んでいたから全身に疲労が溜まっている。

 昼過ぎになり、昼食をアストルフォと二人で食べると士郎は外に出た。
 昨日と同じ場所で宮本は待っていた。明らかに学校をズル休みしている士郎に宮本は何も言わない。
 この街を影から取り仕切っている藤村組の組長の娘であり、士郎の担任教師でもある大河のお墨付きがあるおかげだ。
 二人は早速昨日の続きを始めた。

「昨日は心鉄と皮鉄を組み合わせた。ここから素延べと火造りを行う」
 
 炉に既に昨日散々叩いた鉄の塊が入っていた。取り出し、再び叩く。 
 小槌で形を整えていく。

「センスが良いな! これを初めてでこなせる人間は早々いないぞ」

 感心したように褒める宮本。士郎は少しだけ頬を染めながら、懸命に、丁寧に、細心に、心を仕舞いこむように鉄を打ち続ける。
 素延べが終わると、次は火造りだ。

「日本刀には|棟《むね》、|鎬筋《しのぎすじ》、刃先の三つの線がある。ここからが正念場だぞ。まずは刃を薄くしていく」

 徐々に刀の形に整っていく。冷却する為に藁灰の中に入れ一息吐いていると、鍛冶場から少し離れた場所に見慣れた髪が視えた。
 隠れているつもりなのだろう。こそこそしている。
 士郎はそっと近づくと、声を掛けた。

「なにしてるんだ?」
「ほにゃ!?」

 可愛らしい悲鳴を上げるイリヤ。

「お、お兄ちゃん!?」
「お、おう。どうしたんだ?」
「……お、お兄ちゃんこそ何してるの?」
「何って……、鍛冶」

 イリヤはとても難しい表情を浮かべた。
 この場所は彼女の拠点から近い場所にある。本来ならバーサーカーを連れて、昨晩の内に襲撃を仕掛けても良かった。
 実際、従者である|ホムンクルス《セラ》がそれを進言して来た。
 だけど、イリヤは動かなかった。
 不思議だったのだ。一晩中、寝る間も惜しんで熱した鉄をトンカチで叩き続ける士郎の奇行が気になって仕方がなかった。
 使い魔を通して見たそれは本当に異様な光景だった。

「お兄ちゃん」
「ん?」
「今って、聖杯戦争中よね?」
「おう」
「お兄ちゃんって、魔術師よね?」
「おう」
「……なんで、鍛冶なんてやってるの?」

 怪訝な表情で言われ、士郎は頬を掻いた。

「説明すると時間が掛かるな。お茶飲みながらでいいか? 丁度、休憩中なんだ」

 そう言って、士郎はアストルフォが手を降っている方を指差した。

「……う、うん」

 宮本は一度店に顔を出すと言ってマウント深山に戻っている。
 この場所には士郎とアストルフォ、それにイリヤの三人しかいない。
 士郎はイリヤに持参して来たお菓子と紅茶を渡しながら口を開いた。

「俺の魔術って、剣を投影する事に特化してるんだ」

 イリヤは紅茶を吹き出した。

「ど、どうした!?」
「どうしたじゃないわよ! なんで、いきなり自分の魔術について語りだしてるの!?」
「え? だって、鍛冶をしてる理由が知りたいんだろ?」
「そ、そうだけど……。そっか、お兄ちゃんの魔術に関係する事なのね」
「そうなんだよ。俺の魔術は固有結界《|無限の剣製《アンリミテッド・ブレード・ワークス》》って言ってな。剣を無限に内包した世界を創る事が出来るんだ。投影もそこから取り出してるって感じかな」
 
 再びイリヤは紅茶を吹き出した。今度は更に咳き込んでいる。

「だ、大丈夫か!? 紅茶もお菓子もいっぱいあるから慌てなくても大丈夫だぞ」

 ハンカチを優しく口に添える紳士な士郎。
 だが、イリヤは爆発した。

「大丈夫じゃないのはお兄ちゃんの方よ! 固有結界!? 魔法に匹敵する大禁呪じゃないの! 例え本当だとしても、軽々しく口外するなんてもっての外よ! キリツグに教わらなかったの!?」
「え? いや、そうなのか……。俺、切嗣からはあんまりちゃんと習わなかったからな……。でも、全く知らないヤツに教えたりはしないぞ。イリヤなら教えても大丈夫だと思ったから教えたんだ」

 真っ直ぐな瞳でそんな世迷い言を言い出す士郎にイリヤは言葉を失った。
 体は幼いが、実は士郎よりも年上で乙女な彼女。
 ずっと会いたかった人、気になる人に『イリヤなら教えても大丈夫だと思ったから』と言われた。
 言ってみれば、クリーンヒット。

「……た、例え信用出来る相手でも無闇に教えちゃダメよ。約束しなさい、……シロウ」
「お、おう。って、呼び方……」
「トンチンカンな事をやらかす人をお兄ちゃんとは呼びません! これからはシロウって呼ぶわ」
「ト、トンチンカン……」

 ショックを受ける士郎にイリヤは微笑みかける。

「でも、わたしの事を信用してくれた事は評価してあげる」
「評価って、イリヤを信じるのは当たり前の事だろ?」
「……言ってくれるわね。そう言えば、わたしの事を知ってたのね。キリツグに聞いたの?」
「いや……、|切嗣《おやじ》はあんまり昔の事を話さなかったからな」
「なら、どうして?」
「……アーチャーって、俺なんだよ」
「……ごめん、何言ってるかわからないわ」

 イリヤは頭を押さえた。

「桜が召喚したサーヴァントなんだけど、召喚の時に俺が触媒になったみたいで、未来の俺が召喚されたんだ。なんでも、サーヴァントは現在過去未来とあらゆる時間軸から召喚されるらしくてさ。英霊になった俺が召喚されたんだ」
「……ごめん、ちょっと頭のなかを整理させて」

 本格的に頭を抱えだすイリヤ。
 凛を殺す邪魔をしたアーチャー。必ず殺すと決めていた相手が未来の士郎。士郎は殺す事になってるけど、でも殺したくない。アーチャーを殺さないと聖杯戦争は終わらないけど、アーチャーも士郎で、士郎が士郎で士郎も士郎で……。
 
「だ、大丈夫か?」
「大丈夫?」

 士郎とアストルフォが心配そうに声を掛ける。すると、イリヤは立ち上がった。

「……帰る。疲れたわ……」
「だ、大丈夫か? 家まで帰れるか? なんなら送るぞ」
「大丈夫よ……。ちょっと、一人になりたいの」
「そっか……」
「シロウ」
「ん?」
「……また来るわ。鍛冶……、頑張ってね」
「おう!」

 去って行くイリヤを見送った後、入れ違うように宮本が戻って来た。

「よーし! 今日はこのまま土置きと焼き入れまで演るぞ!」
「はい!」
「がんばれー!」

 奮起する士郎。応援するアストルフォ。その様子を使い魔越しに見つめながら、悩ましい表情を浮かべるイリヤ。
 そんな彼女を見つめる影が二つ。

「――――安心しました。ここでちょっかいを出すようなら退場してもらう予定だったけど、あの様子なら大丈夫そうですね」
「そのようだな。しかし、良いのか?」

 笑みを浮かべる少年に端正な顔立ちの男が問う。

「マスターがあの雌狐に殺されたというのに、あの少年の方が気になるのか?」
「ああ、あの人がそう簡単に死ぬわけありませんよ。結構しぶといから今頃こそこそ暗躍してると思います」
「なるほど、サーヴァントがサーヴァントなら、マスターもマスターという事か」
「そういう事です」

 少年は士郎を見つめる。

「あと一歩か……。行きますよ、小次郎。早ければ明日、遅くても明後日には働いてもらう事になります」
「……ふむ、それは重畳。待ち遠しいものよ」

 アサシンのサーヴァント《佐々木小次郎》は主に付き従いながら笑みを浮かべた。

Act.16 《Blade Works》

 森のなかを歩いている。木々が生い茂り、足元にも草花が咲き誇っている。
 鬱蒼としているが、木々の狭間から差し込む光のおかげで見通しは良い。
 ただ、とても静かだ。人の声も、獣や鳥の鳴き声も、風の音すら聞こえない。
 どこから来たのか、どこへ向かっているのかも分からない。
 いつしか、広々とした空間に出た。
 円形の広場の中心にはナニカがあった。
 不思議だ。そこにナニカが存在している事は分かる。だけど、解らない。
 それを形容する言葉が見つからない。目の前にある。見えている。なのに、理解出来ない。
 触れようと手を近づけると目眩がした。頭が割れそうな程に痛む。

――――体は剣で出来ている。

 ナニカが……、流れ込んでくる。

 記憶。記録。過去。現在。未来。宝具。アルトリア。桜。藤ねえ。切嗣。約束された勝利の剣。
 英雄王。勝利すべき黄金の剣。熾天覆う七つの円環。螺旋剣。慎二。正義の味方。
 竜の炉心。破戒すべき全ての符。ロンドン。後藤くん。アインツベルン。遠坂。マキリ・ゾォルケン。殺人。
 狙撃。心臓。カレン。サーヴァント。言峰。抑止力。シールダー。霊長の守護者。
 リーゼリット。イスラエル。エーデルフェルト。ロード・エルメロイⅡ世。根源。干将莫邪。
 料理。カレー。第七聖典。聖骸布。絞首刑。時計塔。死。宝石魔術。死徒。円卓。オセアニア。吸血鬼。英霊。
 クー・フーリン。赤原猟犬。聖杯。セイバー。ガラハッド。暗殺。大神宣言。
 弓。悪意。鶴翼三連。メデューサ。ナインライブズ。イリヤ。殺人貴。イラク。
 合衆国。アンリ・マユ。AK-47。戦争。平等。固有結界。世界。第六架空要素。座。
 森羅万象。投影魔術。王の財宝。ハルペー。デュランダル。聖痕。掃除機。
 壊れた幻想。宝石翁。魔術回路。風王結界。天の杯。鍛冶。佐々木小次郎。
 
――――血潮は鉄で、心は硝子。 

 違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う
 違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う
 違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う
 違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う

――――幾たびの戦場を超えて不敗。

 これは|アイツ《おれ》の|過去《げんかい》だ。
 今更、こんなモノに用はない。
 超えると誓った。アイツとは違う道を進むと決めた。

『誰かが誰かを助ける時、そこにあるのは感謝の気持ちだけさ』

 忘れるな。救うという事は救われるという事だ。
 人を救う事を義務にしてはいけない。《ありがとう》。その言葉の意味を重視しろ。
 
――――■を■■る■■に、

 暴風に押し返される。
 ここより先は未だ未踏の世界。これから歩み出す|未来《あした》。
 無限でありながら、ただの|伽藍堂《ゼロ》。
 
――――■を■■■■う■、

 遠ざかっていく。闇に飲み込まれていく。
 足りない。今のままでは辿り着けない。
 最善を捨て、最強に至る。その為には探さなければいけない。|無限《ゼロ》を超える術を……。

 ◇

 目が覚めると、既に正午を過ぎていた。
 結局、アストルフォと朝まで語り通してしまい、腕の復元が完了したアーチャーと入れ替わる形で布団の中に潜り込んだ。
 |全て遠き理想郷《アヴァロン》は再び俺の中に戻っている。

「……起きるか」

 居間に向かう。そこにはミカンを競うように食べているアストルフォと大河がいた。

「藤ねえ。ちょっといいか?」
「なになに?」

 アーチャーは自らの剣を指してこう言った。

『所詮、アレもコレもと手を出した挙句、何一つ芯を持てなかった半端者の業だ』

 だが、それが最善の道。才能など持たないエミヤシロウが最強に挑む為に組み上げた戦闘論理。
 完成された城郭を破棄し、同じ素材で全く違う建造物を組み上げるような作業。素材を熟知していなければ、完成するのは単なる劣化品。
 理解しなければならない。自分自身を……。

「士郎にとっての最強……、うーん」

 この世で最も己を理解してくれている人。
 笑われるかもしれない事を覚悟して聞いたが、彼女は真剣に考えてくれた。
 だが、一縷の望みを掛けて縋った相手は渋い表情を浮かべる。
 
「士郎。どうしても、剣じゃなきゃダメなの?」
「……そこまでか?」

 大河の言葉に士郎はへこんだ。

「シロウ」

 落ち込む彼にアストルフォが声を掛ける。

「ん?」
「シロウは剣士になりたいの?」
「え?」
「剣じゃなきゃダメなの?」

 大河と同じことを言う。

「でも、俺はアイツを超えるって決めたんだ。だから……」
「シロウはアーチャーの剣技を超えたいの?」
「……いや」

 違う。別に剣技でアイツを超えたいわけじゃない。
 
「士郎は剣よりも弓の方が合ってると思う」

 大河が言った。

「そうなの?」

 アストルフォが大河に問う。

「うん! 士郎ってば、剣の才能はからっきしだけど、弓は本当に神業染みてるのよ! 文字通りの百発百中!」
「……でも、それは」

 最強を追い求める事にはならない。何故なら、士郎にとって弓とは中って当たり前のもの。百発百中という事はつまり、既に上限に達しているという事。

「アーチャーも百発百中だ。それじゃあ、アイツを超える事にはならない……」
「……さらっと凄い事言うわね、士郎。世の弓道家が聞いたら怒るわよ?」

 大河がジトーっとした目で睨んでくるが、実際にそうなのだから仕方がない。
 
「……シロウは魔術師なんだよね?」
「あ、ああ」
「なら、魔術を極めればいいんじゃない?」
「魔術を……?」

 アストルフォは大きく頷いた。

「アーチャーも言ってたじゃない。『一つの最強を見つけてみろ』って。別に武術に限定する必要はないと思うけど?」
「……でも、俺の魔術は特殊なんだ。固有結界《|無限の剣製《アンリミテッド・ブレード・ワークス》》。一度見た《剣》を複製する事が出来る剣製の魔術。これをアーチャー以上のものに仕上げるなんて想像もつかない。それに、魔術を独学で研究するとなると……」

 士郎は手の中にアーチャーが好んで使う黒塗りの短剣を投影した。
 その光景に驚きながら、大河は言った。

「士郎。宮本さんに話を聞いてみたら?」
「宮本さん……?」
「商店街の金物屋さんよ。確か、趣味で鍛冶師みたいな事もしてるみたいよ。お爺ちゃんの部屋に飾ってある刀も宮本さんが造ったものらしいし。なにかヒントになるかも」

 なんだかどんどんあさっての方向に向かっている気がする。

「……そう言えば、中華包丁を見に行かなきゃいけないし、行ってみるか」
「行くなら、連絡しておいてあげようか?」
「うーん。じゃあ、頼んでいいか?」
「オッケー!」

 ◇

 まさに五里霧中。藁にもすがる思いで士郎はアストルフォと共にマウント深山の金物屋に向かった。
 ゴチャゴチャとした店内に入ると包丁類の並ぶスペースがあった。我が家の包丁は基本的に新都のホームセンターで購入している。だから、こうして金物屋を訪れたのは初めてだ。
 包丁というものは歴史を遡ると2300年も前の中国に行き当たる。庖丁と呼ばれる剣の達人だった料理人が愛用していた調理用の刀が庖丁刀と呼ばれるようになり、やがて現代の包丁になった。
 人類種にとって初めての料理は火で肉を焼くというもの。そこから無限にも等しい調理法が生まれた。
 その進化の歴史において、包丁の存在は欠かせない。人を殺す為の武器であった剣が人を生かす為の調理器具に姿を変え、人類種の歴史を支える礎の一つになった。
 その在り方は実に美しい。並べられた包丁に士郎は魅入られた。

「そんな目で包丁を見るヤツは初めてだな」

 しばらく見つめていると、店の奥から声がした。
 振り向くと、そこにはガタイのいい中年の男が立っていた。

「藤村組のお嬢から聞いてるぞ。鍛冶に興味があるんだってな!」

 嬉しそうに男は言った。

「は、はい。出来れば、少し教えてもらえたらなって……」
「遠慮をするな! 少しと言わず、確りと教えてやるよ。ついてきな!」

 顔を見合わせる士郎とアストルフォ。言われた通りについて行くと、店の外に出てしまった。

「おーい! 俺はちょっと出掛けてくるぞ! 店番を頼む!」
「はーい!」

 建物の二階から女性の声が返って来た。

「あの出掛けるって……?」
「少し離れた場所に鍛冶場があるんだ」

 トラックに乗せられ、揺られる事十分。気付けば田園地帯を抜けて郊外の森付近まで来ていた。
 そこに掘っ立て小屋と鍛冶場らしき場所があった。

「店では売っとらんが、趣味で色々造ってるんだ。結構面白いぞ」
 
 あれよあれよと言う間に厚手のエプロンを着させられ、士郎は炉の前に立たされた。

「えーっと……」

 士郎は困ったようにアストルフォを見る。すると、彼女は心底楽しそうに目を輝かせていた。
 鍛冶に興味津々のようだ。
 はたして、こんな事をしている暇があるのかと思いながら、士郎は宮本の指示に従っていく。
 
「日本刀を見た事があるか?」
「えーっと、ちょっとだけ」
「そうか! ならば、あの美しさも分かるか? 折れず、曲がらず、よく切れる。その三つの条件を追求した一種の芸術品だ。切れる為と曲がらない為には鋼は硬くしなければならん。だが、逆に折れない為には鋼を柔らかくしなければいけない。矛盾しておるだろ?」

 水へしや小割り、積み沸かしまでの工程は既に終わっている。元々、今日は鍛冶を行う予定だったようだ。
 宮本は鉄塊の炭素含有量を調整し、不純物を取り除く《鍛錬》と呼ばれる工程を士郎に見せながら語る。

「この矛盾を解決する方法。それは炭素含有量が少なく柔らかな心鉄を炭素含有量が高く硬い皮鉄で包む方法だ。これは日本独自の製法だぞ」

 誇らしげに語る宮本。

「柔らかな心鉄を硬い皮鉄で包む……」
「そこまでいけば、後はひたすら叩くだけだな。燃やし、叩き、冷やし、また燃やす。そして、打ち続ける。信じられるか? これは初め、単なる砂粒だった。無数の粒子が一本の刀に変わる」
「無数の粒子が一本の刀に……」
「砂鉄をたたらで玉鋼にしてな。それを熱し、薄べったくのばす。そして、無数の断片に変え、その中から良質な材料となるものを選び焼き固める。見極めも大事だ」
「無数の断片から見極める……」

 士郎の心に彼の言葉が染み渡っていく。

「やってみるか?」
「はい!」

 最初は乗り気ではなかった。
 だが、士郎は宮本の指示に従いながら夢中になって鉄を打った。
 打ち込む度、確かな手応えを感じる。何かを掴めそうになる。
 その日、士郎は日が暮れるまで鉄を打ち続けた。
 アストルフォはそんな退屈な光景を実に楽しそうに見つめていた。

Act.15 《The good you do for others is good you do yourself》

 ヒポグリフが下降を開始する。衛宮邸の庭に降り立つと、桜と大河が駆け寄ってきた。二人は士郎の無事を確認すると安堵し、アーチャーの姿を見て悲鳴を上げた。

「アーチャー……、その腕」
 
 桜は声を震わせながらアーチャーに近寄る。失われた腕。その痛々しい姿に涙が溢れた。
 
「すまない、しくじった。あの魔女は些か厄介だぞ」

 まるで片腕の欠損など大した事ではないとでも言うかのようにアーチャーは軽薄な口調で言った。
 だが、桜の表情は崩れたままだ。

「……元に戻るのか?」

 士郎が問う。

「難しいな……」

 アーチャーは桜と大河を見つめた。二人共、俯きながら恐怖と悲しみで身を震わせている。
 
「……少し付き合え」

 アーチャーは顎で土蔵を指し、歩き始めた。

「どうするんだ?」

 後を追い掛けながら士郎が問いかける。

「今のままでは戦闘に支障が出るし、なにより、あの二人の精神に負担を掛けてしまう。協力してもらうぞ」

 ◇

 士郎とアーチャーが土蔵に入った後、残された桜、大河、アストルフォの三人は様子が気になり入り口付近で待機する事にした。
 意気消沈している大河と桜。アストルフォも不安そうに扉を見つめている。
 誰も声を発しない。ただ、ジッと二人が出てくるのを待っている。
 風の音だけが響く。

『――――服を脱げ』

 そんなアーチャーの声が聞こえた。
 瞬間、ピシリと空気が凍りつく。三人は顔を見合わせた。

『……触るぞ』
「!?」

 中で何が起きているのか、三人はとても気になった。さっきまでの重たい空気が一転している。
 扉に耳をくっつけて、中の物音を拾う。

『……お、おい、アーチャー』
『やかましいぞ。黙って身を任せろ』
「!?!?」

 桜は顔を真っ赤にしながら両手を頬に当てている。
 大河は頭を抱えながら体を捩っている。
 アストルフォは更に中の様子を探ろうと扉の隙間に目を押し当てている。
 三人共、音一つ立てない。何故か、ここにいる事が後ろめたくなった。

『……く、は!?』
『変な声を出すな。痛みは無い筈だ』
『い、いや、だって……、入って』
「!?!?!?」

 桜は鼻血を出した。大河は地面を転がりながら悶絶した。アストルフォは明り取りから中を覗こうと壁を攀じ登っている。

『……出た』
「何をしているんですか、先輩!! アーチャー!!」
「え?」
「は?」

 ついに堪忍袋の緒が切れた桜。突入してきた桜に目を丸くする士郎とアーチャー。
 士郎は上半身裸で床に座り込んでいる。
 そして、アーチャーは……、

「あ、あれ?」
「どうした?」

 その手に黄金の鞘を持ち上げていた。

「ちょ、ちょっと、桜ちゃん! 中はどうなって……」
「うわぁ、キレイ!!」

 興味津々である事を悟られないように必死な大河を押しのけ、アストルフォが中に入って行く。
 アーチャーが持つ黄金の鞘に瞳を輝かせている。

「なにこれ!?」
「……|全て遠き理想郷《アヴァロン》。アーサー王が持つ聖剣の鞘だ」
「聖剣の鞘……?」

 桜が首を傾げる。

「ああ、これを小僧の体内から取り出していた」
「士郎の体内から?」

 大河は困惑している。明らかに人の体内に入るサイズや大きさではない。

「これは現存する数少ない宝具の内の一つだ。持つ者に加護と治癒能力を付与する。十年前、衛宮切嗣はコレを瀕死の小僧の体内に溶かし込んだ」
「それが……、聖剣の鞘」

 衛宮士郎の命を繋いだ騎士王の宝具。士郎はまるで魅入られたように鞘を見つめた。

「この聖杯戦争には持ち主であるアルトリアが現界している。おかげでアヴァロンも起動状態になっている。例え、彼女と契約していなくても持ち主を癒してくれる筈だ」

 鞘を己の胸元に近づけるアーチャー。すると、鞘は光の粒子に代わり、彼の体内に溶け込んだ。

「……さすがに一晩は掛かりそうだな」

 完全に起動していれば瞬く間に肉体を再生してくれた筈だが、それは贅沢な悩みというものだろう。
 
「ライダー。今晩は私に付き合え。さすがに今の状態では万全な警戒態勢を取る事が困難だからな」
「ノンノン! 怪我人はゆっくり休むがいい! この家の守りはボクにどーんと任せたまえ!」

 途端に不安そうな表情を浮かべるアーチャー。

「……見張り程度ならば今の私にも務まる。君はいざという時に三人を守れるよう待機してくれればいい」
「あー! ボクの事を信用してないなー!」
「いや、そういうわけではないが……」
「だったら怪我人は大人しくしなきゃダメ! 今の君にとっては安静にしている事も大事な仕事なんだぞ!」

 曇り無き善意の言葉にアーチャーは悩ましげな溜息を零した。

「しかし……」
「大丈夫!」

 アストルフォは言った。

「……もう、絶対にシロウを渡したりしない」

 アストルフォの瞳には静かに燃える決意の炎が宿っていた。
 アーチャーは諦めたように肩を竦める。

「了解した。だが、何かアレば必ず報せろ」
「オーケィ! その時はコレを使うよ!」

 そう言って、アストルフォは腰に提げた|角笛《ホルン》を手に取った。
 すると、ホルンはみるみる内に大きくなっていく。やがて、アストルフォの体を囲う程のサイズになった。

「……それはもしかして」

 顔を引き攣らせるアーチャー。

「そう! これぞ我が宝具《|恐慌呼び起こせし魔笛《ラ・ブラック・ルナ》》さ! これを一吹きすれば熟睡中の赤ん坊も眠れるお姫様もドラゴンだって飛び起きるよ!」
「却下だ!」
「えー!」
「えー、じゃない! ちょっと声を張り上げてくれれば分かる! そんな音響兵器を住宅密集地で使うんじゃない!」

 その後、ますます不安そうな表情を浮かべるアーチャーを桜が宥め、一同はそれぞれの部屋に戻って行った。

 屋根の上で腰に手を当て夜の街を見つめるアストルフォ。
 しばらくすると飽きてきたのか欠伸をし始める。

「おっと、ダメダメ!」

 気を引き締めるアストルフォ。だが、如何せん暇過ぎた。

「うー、暇だよー! でもでも、シロウをまた攫われたらイヤだし……」
 
 ジレンマだった。だが、これでも頑張っている方なのだ。
 理性が蒸発しているアストルフォにとって、こうして来るかも分からない敵を警戒し続ける事は苦行に等しい。
 そうしてしばらくジッとしていると誰かが母屋から出てくるのを感じ取った。
 梯子を掛けて登ってくる。

「シロウ?」

 登ってきたのは士郎だった。お盆の上にオニギリとお茶を乗せている。

「どうしたの?」
「夕方に結構寝ちゃったから、目が冴えちゃってさ。差し入れを作って来た」

 そう言って、士郎はオニギリをアストルフォに差し出した。
 瞳を輝かせ、彼女はオニギリを口に運ぶ。
 シンプルな料理。アーチャーが作った中華料理とは雲泥の差だが、アストルフォは心底美味しそうにオニギリを食べた。

「どうだ?」
「おいしい! すごくおいしいよ、シロウ!」
「そっか、ありがとな」

 お茶を注ぎ、士郎が湯呑みを差し出してくる。
 口に運ぶと広がる苦味に悶絶した。

「なにこれ、にがーい!」
「その苦味がいいんだけど、苦手だったか?」
「うーん……」

 アストルフォは渋い表情を浮かべながら湯呑みをすする。
 そして、オニギリの残りをがっつく。

「やっぱり苦いよー」
「そっか……。じゃあ、代わりにジュースでも持ってくるよ」
「……いい」
「え?」

 アストルフォは苦い苦いと言いながらも緑茶をすすった。

「苦手なんだろ?」
「でも、折角持って来てくれたんだもん」
「……そっか」

 士郎も自分の湯呑みに緑茶を淹れる。
 渋味を味わいながら、彼は言った。

「ごめんな、迷惑掛けて……」
「迷惑って?」
「……キャスターにむざむざ攫われた事」

 アストルフォは大げさな溜息を零した。

「な、なんだよ……」
「違うよ、シロウ」
「え?」
「そういう時は《ありがとう》って言うのさ!」

 アストルフォは言った。

「ボクは君を助けたいと思ったから助けたんだよ。だから、迷惑なんて掛けられてない」
「……アストルフォ。でも、俺は……」
「シロウ。キミは正義の味方を目指してるんだよね?」
「あ、ああ……」
「ねえ、キミは誰かを助けた時、迷惑だと感じるの?」

 士郎はハッとした表情を浮かべた。

「誰かが誰かを助ける時、そこにあるのは感謝の気持ちだけさ。キミはボクに《助けてくれて、ありがとう》って言うんだ。そうしたら、ボクはキミにこう言う」

 アストルフォは笑顔を浮かべて言った。

「助けさせてくれて、ありがとう」
「なんで……」
「キミが死んでしまったら、ボクはとても哀しい。キミが苦しんだら、ボクもとても苦しい。だけど、キミが無事ならボクは嬉しい! キミが幸せなら、ボクも幸せさ! もし、キミを助けられなかったらボクは絶望してしまう。だから、キミを助けられた事が嬉しくてたまらない! シロウ! 助けさせてくれて、ありがとう!」

 士郎は大きく目を見開いた。
 嘗て、己を救い上げる時に養父が見せた笑顔。いつか自分も……、そう思い続けてきた。
 その|笑顔《こたえ》が目の前にある。

――――ああ、それが答え。

 ただ、助ける事を義務だと感じている愚者には決して辿り着けぬ正解。
 それを彼女はアッサリと口にしてみせた。

「……アストルフォ」
「なーに?」
「助けてくれて、ありがとう」
「こちらこそ!」

 まるで、咬み合わないギアがカチリと音を立てて嵌ったような気分だ。
 荒野に草木が芽吹き始める。

「ありがとう……、アストルフォ。俺、お前と出会えて本当に良かった」
「……こちらこそ!」

 まるで、生まれて初めて笑ったような気分だ。あまりにも嬉しくて、思わず零してしまった本当の笑顔で士郎はアストルフォを見つめ続けた。
 そして、アストルフォも彼を見つめ続けた。
 夜が更けていく。
 士郎とアストルフォは一晩中語り合った。
 殆どが他愛のない話だ。
 今まで、こういう事があって楽しかった。こういう事があって辛かった。こういう事があって、嬉しかった。
 つまらない筈の時間が楽しくて仕方がない。気付けば、夜が明けていた――――……。

Act.14 《Fire is a good servant but a bad master》

「――――ッハ、小気味よい」

 雅な陣羽織に身を包む端正な顔の男。握る太刀の刀身は物干し竿に例えられる程長い。
 名は佐々木小次郎。此度の聖杯戦争において、アサシンのクラスを得て現界したサムライがその妙技をもって敵の境内への侵入を阻んでいる。

「――――どうやら、雌狐が一杯食わされたようだ」
「そのようだな」

 剣戟は止むことなく続いている。一手仕損じれば命を落とす激戦の真っ只中であるにも関わらず、門番と侵入者は軽口を叩き合う。
 
「しかし、二刀流と剣を交える機会を得られるとは」
「生憎、君の好敵手たる剣聖には遠く及ばぬ児戯に過ぎん」
「そのようにつまらぬ謙遜をするな。その首、六度は落としたつもりだが、未だついていようとは」

 アサシンの顔に浮かぶものは喜悦の笑み。召喚され、この寺の門番を任されて数日。槍を使うもの、岩を削った奇剣を振るものと戦った。
 だが、こうも胸が踊るのは相手が己と同じ剣の使い手であるからか――――、あるいは《実際には会った事もない》好敵手と同じ二刀流の使い手であるからか。
 否、己が全力を振るうに値する敵が現れたからこその愉悦。
 ランサーはマスターの命令によって縛りを受けていた。バーサーカーは狂気によって本来の精細な剣技を失っていた。
 どちらも紛れもない強者だったが、どちらも本力ではなかった。
 
「僅かに剣気が弱まったな、アーチャーのサーヴァントよ。目的は達せられたという事か?」
「君に見逃してもらえたらパーフェクトだな」
「……っふ、そうはいかんぞ。貴様のおかげで昂って仕方がない。之を鎮めるにはその首級を落とすほかあるまい」

 研ぎ澄まされた殺意に大気が凍てつく。気付けばアサシンとアーチャーは同じ段に立っていた。
 今まで常に有利な上段を決してアーチャーに譲らなかった彼がその優位を捨てた。
 その意味を悟り、アーチャーの表情が険しくなる。

「――――我が秘剣を披露しよう」

 この戦いが始まってから初めて見せる構え。それが必殺の構えである事に疑いの余地はない。
 一秒にも満たない刹那、アーチャーは思考する。
 回避は悪手。何処へ避けようと秘剣が繰り出される前に彼の間合いから逃れる事は不可能。
 ならば――――、

「秘剣――――」

 踏み込む。懐に入ってしまえば長刀はその長さが仇となる。
 その瞬間、アーチャーは凍りついた。
 その視線の先には彼を見下ろす魔女の姿がある。

「……余計な真似を」

 アサシンは激情に表情を歪めた。

「アサシン! その男を生かしたまま捕らえなさい! 両腕両足は切り落としても構いません!」

 その言葉にアサシンは舌を打った。

「……水を差しおって」

 構えを解き、アサシンは空間ごと体を縫い止められたアーチャーの片腕を切り落とした。
 更に反対の腕を切り落とす為に長刀を振り上げる。
 その時だった。

「……なっ!?」

 驚愕の声。その視線は石階段の遙か下方を見ていた。
 そこに輝ける剣を構えた騎士の姿があった。

「|約束された《エクス》――――」
 
 それはあまりにも彼女達にとって好機だった。
 なにしろ、敵のサーヴァントが三体も固まっている。加えて魔女の眼が目前の敵に絞られている。おまけに場所は石階段。射線上に憂うべき障害物はなにもない。
 魔女の根城故に寺そのものへの影響も考えずに済む。
 上空をアストルフォのヒポグリフが駆ける姿を見て、その目的地が柳洞寺である事を悟った彼女達は息を潜めてこの瞬間を待っていたのだ。
 気付いた時には既に遅い。

――――束ねるは星の息吹、輝ける命の奔流。

「――――|勝利の剣《カリバー》!!」

 眩い光が迸る。遠坂凛という最高クラスのマスターから潤沢に魔力を供給されたセイバーの宝具は極大の威力を発揮した。
 |約束された勝利の剣《エクスカリバー》。かの騎士王が湖の乙女より借り受けた星の鍛えし聖剣。
 その真名が解き放たれた時、究極の斬撃があまねく敵を斬り捨てる。
 小賢しい細工などこの一撃の前では無力。キャスターに出来た事と言えば転移によって自らの命を繋ぎ止める事のみ。
 それすらも間一髪。残されたアーチャーとアサシンには回避する術すらない。

「……ここまでか」
「すまない……、桜」

 キャスターが山門に置いた守護が斬撃を僅かに阻む。だが、それは刹那にも満たない一瞬。
 直後、彼等はチリ一つ残らず消滅する。
 万に一つも助かるまいと死を覚悟する二騎。そこへ――――、

「アーチャー!!」

 声と共に衝撃が走る。直後に視界が捉えた映像は光の斬撃などではなかった。
 そこは虹色の光に満たさえれた幻想の世界。伝説に謳われる魔獣、神獣の類が跋扈する異次元世界。
 
「これは……」

 一秒後、再びアーチャーの視界には現実世界の風景が映り込んだ。幻想種も虹色の光もない普通の光景。ただ一点、高度三千メートル上空という事を除けば。

「……令呪を使ったのか?」
「ああ……」

 アーチャーは過去の自分に腕を掴まれていた。その手の甲にあるべき三つの刻印の内一つが消えている。

 ◇

 セイバーの聖剣が煌めいた瞬間、士郎の眼はアーチャーの危機を捉えていた。その瞬間、アストルフォが彼に問いかけた。

――――どうする?

 答えは決まっていた。
 
「俺はお前を超えるんだ。それまで……、消えるなんて許さない」
「……愚か者め」

 互いに目を逸らす。その姿に笑う者が二人。

「アハハ、相変わらず仲良しだね!」
「はっはっは! なんとも青臭い光景だ」

 士郎とアーチャーは見つめ合った。

「ん?」
「あれ?」

 二人は揃って聞こえる筈のない声の方に顔を向けた。ヒポグリフの尾の先。そこに敵である筈のアサシンがへばりついていた。

「アサシン!?」
「何してんだ!?」
「助かったぞ、ライダーよ。いや、間一髪であった」

 アサシンはカカと笑った。どうやら、士郎とアストルフォがアーチャーを救出した際に便乗して離脱したらしい。

「おまけに山門が破壊されたおかげか雌狐の縛りも解けたようだ。うむ、一石二鳥とはこの事よな!」
「なんだかよく分からないけど、良かったね!」
「うむ! 重ね重ね感謝するぞ、ライダー」

 そう言うと、アサシンはヒポグリフの尾から手を離した。

「なっ!?」

 士郎が咄嗟に手を伸ばす。だが、アサシンは笑みを浮かべたまま夜の街へ落ちていく。

「アーチャーよ! 今宵の決着は次に預けようぞ!」

 その姿はまるで闇に溶けるかのように消えた。

 ◆

「……逃げられた?」
「そのようですね」

 凛は彼方を飛行するライダーの姿に地団駄を踏んだ。そこにはアーチャーとアサシンの姿が視える。
 目的は不明だが、倒せた筈の敵を横から掻っ攫われた事実は動かない。
 宝具を開帳して尚もお釣りが来る程の好機だった。にも関わらず、一騎も落とす事が出来なかった。

「ヒポグリフ……。あの少年が堂々と口にしていたライダーの真名は本当だったようですね」
「……あー、むかつく。絶対にこっちを揺さぶる罠だと思ってたのに! 今回の事も含めて倍むかつくわ!」

 悔しがる凛。セイバーも苦い表情を浮かべている。
 彼女にとって、宝具の真名開放は自身の名を明かすも同然の行為だった。
 故に戦果が一つも無い状況に苛立ちを覚えている。

「眼前には魔女の神殿……。どうします?」
「決まってるでしょ。こうなったら何が何でもキャスターを討つわ!」
 
 完全に隠れられたら厄介だが、これほどの拠点を早々簡単に切り捨てられるとも思えない。
 凛はセイバーの背中に捕まる。石階段は先の一撃で消し飛び、人間の足では登れなくなった。
 セイバーが数度の跳躍で山門があった場所まで到達するとそこに魔女が待ち構えていた。

「……計画変更。死になさい、お嬢さん」

Act.13 《Heaven helps those who help themselves》

 深夜零時――――。
 アストルフォは寝かせられていた洋室のベッドから抜け出した。こそこそと怪しい動きを見せる彼女にアーチャーが声を掛けた。

「なにをしている?」
「ほあ!?」

 大袈裟に驚くアストルフォ。

「あ、アーチャー! びっくりしたじゃないか、もう!」
「……それで、何をしているんだ?」
「ひ・み・つ!」
「小僧の部屋に忍び込もうとしているのか?」
「……な、なんの事かなー」

 目線を逸らすアストルフォ。アーチャーは呆れたように彼女を見つめる。

「何故だ?」

 アーチャーが問う。

「何故、君はヤツに入れ込む? 召喚されてからまだ二日しか経っていない。命のやりとりがあったわけでもなく、どうしてなんだ?」

 アストルフォは呆れたような表情を浮かべる。

「……キミって、めんどくさく考える天才だね」
「めんど……っ」

 ショックを受けるアーチャー。だが、アストルフォはお構いなしだ。

「理由が無いと誰かと仲良くなっちゃいけないの?」
「そ、そうは言っていない……。だが、出会って間もない相手をそこまで気遣えるものか?」」

 アーチャーの過去を夢で視た士郎を慰める為に一晩中彼を抱き締めたり、士郎の夢を後押ししたり、召喚されたばかりの筈の彼女の行動が彼にとって実に不可解なものだった。
 
「ボクの心はいつだってボーダーレスだよ! この世界の全てを愛しているんだ!」
 
 アストルフォが言った。

「シロウはボクに好意を向けてくれている。だから、ボクは応える。簡単な話さ」
「それだけか……?」
「それだけだよ。それじゃあ、ボクは行くからね! バイバイ!」

 そう言って、再びコソコソと移動を再開するアストルフォ。
 彼女の背中を見て、アーチャーは漸く納得を得る事が出来た。
 士郎の話によれば、召喚の時に彼は《シャルルマーニュの伝説短篇集》という本を読んでいた。恐らく、それが召喚の触媒となったのだろう。
 だが、何故アストルフォだったのかが分からなかった。シャルルマーニュ伝説には数多くの英雄が登場する。
 触媒が二人以上の英雄に縁を持っている場合、よりマスターと近しい性質を持った英雄がサーヴァントに選ばれる。
 だが、士郎とアストルフォは似ても似つかない。そう思っていた……。

「この世界の全てを愛している……、か」

 それはある意味でヒトデナシの考え方だ。
 彼女は個ではなく、全体を愛している。士郎に向けられている好意もそうした全体に対する好意の一部でしかない。
 個ではなく、全体に重きを置き、正義の味方を貫いたエミヤシロウの在り方に通じるものがある。
 
「……皮肉なものだ」

 万象を愛する者。
 彼女ほど英雄らしい英雄も少なかろう。
 彼女の在り方こそ、正義の味方の理想と言える。
 
「鏡に映す理想としては完璧だな。だが……」

 隣に立とうと思うなら一筋縄ではいくまい。
 アーチャーは苦笑した。

「嘗ての己とはいえ、恋路にまで口を挟む筋合いは無いな」

 見張りに戻ろう。アーチャーがそう考えて縁側から外に出るとアストルフォの叫び声が家中に響き渡った。

「ア、ア、ア、アーチャー!!」
「どうした!?」

 突然のことに目を剥くアーチャー。
 アストルフォは言った。

「シ、シロウがいないの!!」
「……なに?」

 アーチャーは屋敷の屋根へ上った。

「これは……、あの間抜けめ」

 月下の下、一筋の糸が屋敷の外から士郎の部屋に張られている。屋敷の結界すら欺く程の細い糸。

「アーチャー!! シロウは!?」
「……どうやら、魔女に魅入られたようだ」
「魔女!?」

 アストルフォはアーチャーの視線の先を追う。そこには一際大きな山がある。
 円蔵山。脳裏に山の名前とその中腹にある寺の存在が浮かび上がる。
 
「来い!!」

 次元の亀裂から幻馬が現れる。その背に跨ると、アーチャーの静止も無視してアストルフォは上空へ飛翔した。

「シロウの下へ!!」

 ヒポグリフに命令を下す。幻馬は嘶くと同時に宙を蹴った。
 夥しい魔力によって汚染された山。その上空を渦巻くように怨霊が旋回している。
 それらは山を根城にした魔女が街から掻き集めた魔力。剥離された精神が訪れたものを喰らう為に牙を剥く。
 人もサーヴァントも関係ない。

 否――――、その場所はサーヴァントにとってこその《死地》である。
 
 ヒポグリフが嘶く。主に確認を求めるが如く。
 幻馬の主は叫ぶ。

「シロウ!! 今、助けにいくからね!!」

 予想通り。ヒポグリフは再び嘶いた。
 今度の叫びは眼前に渦巻く怨霊に向けたもの。

――――そこを退け!! 我が主はその先に用がある!!

 幻想種の嘶きによって怨霊達が道を開ける。だが、そこには更なる魔女の結界が存在する。
 その視えざる壁に触れればサーヴァントであろうと消滅しかねない。

「キミの真の力を見せてみろ! 《|この世ならざる幻馬《ヒポグリフ》》!!」 

 それを理解して尚、ヒポグリフは恐れる事なく結界に向けて突き進む。
 自暴自棄になったのではない。主の命令に盲目的に従っているわけでもない。
 
 グリフォンと雌馬の間に生まれる半鷲半馬の幻獣ヒポグリフ。
 神代の獣であるグリフォンの仔という《在り得ざる存在》である彼は真名をもってその在り方を誇示するほどに非実在性存在としての認識が強まり、この次元から昇華される。

 その意味は――――、異次元への跳躍。

 結界に触れる寸前、ヒポグリフと彼に跨るライダーの存在が完全にこの世界から消滅した。
 魂だけが向かう事の出来る異次元世界。あらゆる事象、あらゆる観測の手を逃れ、幻想種の棲まう場所に踏み込んだ一騎と一匹はその直後、再び現世に姿を現す。
 地上を見下ろすアストルフォ。彼女の視線は主である少年に向けられる。

「シロウ!!」

 幻馬の疾走は止まらない。
 己の構築した最上級の結界を破壊する事なく突破したライダーに|吃驚《きっきょう》するキャスターを踏み砕くべく降下していく。
 音を彼方に置き去る神速。だが、神代の魔女も伊達ではない。咄嗟に転移の魔術を行使して難を逃れた。

「ライダー……」

 キャスターは忌々しげにアストルフォを睨みつける。
 フランスの英雄。シャルルマーニュ十二勇士が一人、アストルフォ。その英雄の真価は旅の途上で手に入れた数々の武器や道具にある。
 彼女が開いた一冊の本。善の魔女と謳われるロジェスティラが与えた魔術の秘奥が刻まれている知恵の書。その本が開かれればあらゆる魔術が解かれてしまう。
 だからこそ、彼女は士郎を攫ったのだ。アストルフォの宝具はセイバーが持つ対魔力などとは比べ物にならない程厄介なものだ。魔術師にとって、まさしく天敵と呼ぶほかない。
 敵として現れれば、逃げる以外の選択が無い。だからこそ、手中に収める必要があった。

「シロウは返してもらうよ!」

 高らかに宣言するアストルフォ。
 キャスターは己の手駒を呼び寄せようとして、舌を打つ。
 手駒は現在戦闘中。どうやら、山門にも別のサーヴァントが現れたようだ。

「行け、ヒポグリフ!!」

 来た時同様、ヒポグリフは神代の魔女であっても手の出せぬ異次元を潜り抜け、魔女の領域から離脱した。

「忌々しい……」

 まるで、己が構築した結界を嘲笑うかのように易々と突破し逃げていくアストルフォをキャスターはその姿が見えなくなっても睨み続けた。

Act.12.5 《Spare the rod and spoil the child》

 士郎がアストルフォとデートをしている頃、桜は傍にアーチャーを従え間桐邸に帰って来ていた。
 数百年もの間、一人の老獪に支配されてきた伏魔殿。

「行きますよ、アーチャー」
「……ああ」

 間桐臓硯の生死を確かめる。その為に彼女は忌まわしい記憶に満ちたこの屋敷に帰って来た。
 玄関ホールを通り過ぎ、奥へ向かう。

「あれ?」

 応接室から光が溢れていた。
 アーチャーが無言のまま扉に近寄り、音もなく開く。
 そこには一人の少年がいた。

「兄さん……」
「……お前!」

 桜の兄、間桐慎二は桜の顔を見るなり立ち上がった。
 その形相は怒りと憎しみで歪んでいる。
 振り上げられる拳をアーチャーが抑えた。

「な、なんだよお前!」
 
 途端に怯えた表情を浮かべる慎二。アーチャーは溜息を零した。
 嘗て、彼とは親友同士だった。昔から口が悪く、奸計を巡らせる事に長けていたが心根の優しい男だった。
 魔術師の家系に生まれながら魔術師としての才能に恵まれず、養子である桜に後継者の座を奪われた事。それが肥大化した自尊心の持ち主である慎二の心を大きく歪ませてしまった。
 悲しく思う。魔術の才能が無かろうと、彼は天性の才に恵まれている。それこそ、どんな事でも極めようと思えば極められてしまう程の逸材だ。
 彼が桜を救うために行動していたのなら、あるいはとっくの昔に桜は救われていたかもしれない。

「は、離せよ! 離せって言ってるだろ!」
「……離してあげてください、アーチャー」
「いいのか?」
「はい……」

 アーチャーが手を離すと、慎二は桜を見た。
 その瞳を見て、彼は怒りに震える。

「またかよ……。また、僕をそんな目で見るのかよ!!」

 桜の瞳にあったもの。それは哀れみだった。
 嘗ては彼女の兄として彼女を守ろうとした事もあった。
 だが、間桐の後継の座を奪われた時、彼女に向けられた哀れみの目が彼を決定的に歪ませた。
 謝り続ける彼女に彼は怒り、憎み、鬱憤をぶつけた。

「やめろよ……。僕をそんな目で見るな!!」

 桜を殴る慎二。
 異様な光景だ。殴った慎二は逆に追い詰められたような表情を浮かべ、殴られた桜は慎二に対して申し訳無さそうにしている。
 これが間桐の兄妹の関係。二人の傍に居たくせに、その歪みに気付いてやる事が出来なかった。
 
「……妹を殴るなよ、慎二」
「な、なんだよ、馴れ馴れしく僕の名前を呼ぶな!!」

 虚勢を張る慎二にアーチャーはつぶやく。

「兄妹は仲良くするべきだ」
「う、うるさいぞ! これは僕達兄妹だけの問題だ! 部外者は黙ってろ!」
「……そうはいかない。部外者だろうと、君達二人をこれ以上放っておく事は出来ない」

 ジッと慎二を見つめるアーチャー。

「君達は互いに唯一無二の兄妹なんだ。失ってから気付いたのでは手遅れになるぞ」
「うるさい!! 黙れよ!! 黙れ!!」

 喚き立てる慎二。アーチャーは尚も口を開こうとして、桜に止められた。

「……アーチャー」
 
 桜は言った。

「少しだけ、二人で話をさせて下さい」
「しかし……」
「お願いします」

 桜の瞳には固い決意が秘められていた。
 アーチャーは溜息を零すと頷いた。

「了解したよ、マスター。私は少し席を外す」

 アーチャーはそう呟くと姿を眩ました。
 サーヴァントがいなくなり、圧迫感が幾分か和らいだ室内。
 慎二は桜を睨みつけた。

「……なんだよ」
「兄さん……。お祖父様は死にました」
「……は?」
「今日、ここに来たのもお祖父様が完全に死亡した事を確かめる為です。……今、アーチャーから報告がありました。やはり、地下からも魔性の気配が消えていると……」
「嘘だろ……」
「本当です」
 
 呆然とした表情を浮かべる慎二に桜は言った。

「兄さん……。私はこの家が嫌いです……」

 その言葉に慎二は大きく目を見開いた。

「……知ってるよ」

 臓硯の死。その衝撃が彼の感情を抑制している。
 何時以来だろう。こうして桜と《会話》をするのは……。

「ここに連れて来られた日の事を今も鮮明に覚えています。何も説明されないまま、地下に連れて行かれて……、そこで蟲に……」

 それは今まで語られる事の無かった桜の本音だった。
 怖かった。辛かった。悲しかった。寂しかった。苦しかった。助けて欲しかった。
 それは彼がずっと聞きたかった言葉だった。もし、もっと早く、その言葉を口にしてくれていたら……。
 慎二は黙って彼女の言葉を聞いていた。
 
「私はもう……、この家には戻りたくありません」
「そうか……。衛宮の所に行くんだな?」

 桜は頷いた。いつもなら激昂した筈だ。ふざけるなと怒鳴りつけていた筈だ。
 だけど、慎二はただ「そうか」とつぶやくだけだった。

「桜……」

 慎二は言った。

「僕もお前が大嫌いだ」

 その言葉に桜は頷いた。

「……知っています」
「いつも下ばっかり向いて……。本音を隠して……。僕を哀れんで……」

 その言葉に桜は体を震わせた。

「……行けよ」
「兄さん……?」
「何処へでも行っちまえ! もう二度と戻ってくるな!」

 慎二の言葉に桜は涙を流した。
 この家は嫌いだ。だけど……、

「兄さんの事だけは……、嫌いじゃありませんでした」
「……早く行けよ」
「はい……」

 声を震わせながら去って行く桜。
 その後姿に何度も手を伸ばしかけた。
 
「……ちくしょう」

 桜の姿が見えなくなってからしばらくして、慎二は絞り出すような声で呟いた。

「僕だって……」

Act.12 《There’s no way out》

「さて、君達はどうするのかね?」

 綺礼が問う。

「……帰るわ」

 イリヤは未だに突っ伏したままの士郎を複雑そうな表情で見つめて言った。
 立ち上がり、店を出て行く彼女を桜は警戒したまま見送る。その姿が完全に見えなくなって初めて安堵の表情を浮かべた。

「間桐桜だな?」

 綺礼はレンゲを持ち上げた。彼の前には四皿目の麻婆豆腐が置かれている。

「……食うか?」
「遠慮しておきます」
「そうか……。では、手短にいこう。監督役として、君を聖杯戦争におけるマスターと認める。以上だ」
「……テキトウですね」
「こんなものだ」

 桜は綺礼を警戒したまま士郎に近寄る。

「先輩。起きて下さい、先輩」
「うぅ、辛い……」

 グッタリした様子の士郎。桜は溜息を零し、隣で呻いているアストルフォに声を掛けた。

「起きて下さい」
「ぅぅ……、口の中に溶岩が……」

 こちらもグロッキーなまま。英霊すら沈黙させる泰山の料理に桜は顔を引き攣らせた。

「……タクシーを呼んだほうが良さそうですね」
「電話ならばトイレの横にあるぞ」
「ど、どうも……」

 店の構造を完全に把握している常連さんのアドバイスを受け、桜は電話を掛けに行く。
 すると入れ違いのように一人の少年が店内へ入って来た。

「……ほう」

 少年は桜の姿を見ると僅かに眉を上げた。

「どうした? 貴様がわざわざこのような場所まで足を運ぶとは」
「いやー……、ボクとしてもこんな場所には来たくなかったのですが……」

 少年の視線が綺礼の手元にある麻婆豆腐に注がれる。
 嫌そうな表情を浮かべ、少年は言った。

「ちょっと興味を惹かれまして」
「ほう……、貴様の興味を惹くものがここにあると?」

 綺礼は少し嬉しそうな声で麻婆豆腐を見つめる。

「違います」

 少年は笑顔でキッパリと否定した。

「……そこのお兄さんですよ」

 少年は言った。

「これは中々に興味深い。贋作風情が本物になろうとしている」
「どういう意味だ?」
「言葉の通りですよ。……うん。《あの人》はセイバーにしか興味がないみたいですけど、ボクは彼にこそ興味がある。アナタも余計な手出しはしないように」

 真紅の瞳が綺礼を見据える。

「……|全知なるや全能の星《シャ・ナクパ・イルム》か。どこまで視えている? いや、視えているのならば見る必要は無いのではないか?」
「情緒というものですよ。ラジオよりもテレビ。テレビよりも映画。映画よりも実体験。ボクは確かに座っているだけで森羅万象を見通す事が出来る。現在過去未来……果ては平行世界の可能性を視る事も出来る。でも、それではあまりにも無機質に過ぎる。面白みがない」
「なるほど……。全知全能も良い事ばかりではないという事か」
「そういう事です」

 見る者を惑わせる魔性の笑みを浮かべ、少年は踵を返す。

「見たいものは見れました。ボクは帰ります。アナタは……まあ、ごゆっくり」
「……これは?」

 テーブルには一本の瓶が置かれている。

「治癒の秘薬です。彼女に渡して下さい。要らぬ言葉で惑わせてしまった。それに、ボクの乾きを潤してくれたお兄さんへの感謝の|証《しるし》です」
「……なるほど、随分な入れ込みようだな」

 少年が去ると、丁度桜が戻って来た。

「先輩。もうすぐタクシーが来ますからね」

 士郎を介抱し始める桜。
 綺礼は少年の置いていった瓶を取り上げた。

「間桐桜」
「……なんですか?」
「これを渡しておく」
「これは……?」

 渡された瓶に首を傾げる桜。

「治癒の秘薬だ。これを飲めば、君の内にある穢れは浄化される」

 その言葉に桜は目を見開いた。

「何を言って……」
「疑うのならば捨てても構わん」

 そう言って、綺礼は席を立った。
 重ねられた麻婆豆腐の皿の数は六。綺礼の顔は実に満足気だ。

「……やはり、この店は至高だ」
「そ、そうですか……」

 価値観の違いがここまで決定的だと笑うしかない。
 桜は苦笑いを浮かべた。

「では、私も失礼させてもらう」

 そう言って、綺礼も去って行った。
 残された桜は渡された瓶を見つめる。

「……私の内にある穢れを浄化してくれる」

 桜は瓶を大切そうに鞄に仕舞いこんだ。

 ◇

 夜、士郎は気が付くと布団の中に居た。
 頭がボーっとする。

『■■■』

 ……これは、夢?
 体は眠っている。自分の意思では指一本、折り曲げる事が出来ない。
 それなのに、足だけが勝手に動いている。
 おかしな耳鳴りが響き続けている。

『■■で』

 寒い。
 まるで、北国に居るかのように寒気を感じる。
 身を切るような悪寒が走る。

『お■■』

 道を歩いている
 誰もいない。普段なら、真夜中であろうとそれなりに人の気配がある通りにも誰もいない。
 無人となった街を足が勝手に歩き続ける。

『おい■』

 喋る事さえ儘なら無い。
 衛宮士郎の意思を無視して、衛宮士郎の体は動く。

『お■で』

 辿り着いたのはクラスメイトの自宅近く。
 街のシンボルとも呼べる山。
 円蔵山の麓にある柳洞寺へ通じる石段を一歩、また一歩と足が登る。
 
『さあ、ここまでいらっしゃい、坊や』

 耳鳴りが確かな声に変化した。
 否、変化したのでは無く、意識が声を声であると漸く認識したに過ぎない。
 初めから耳鳴りは同じ文句を繰り返す女の声だった。
 頭蓋を埋め尽くす魔力を伴いし魔女の声。
 山門が見える。その奥に寺が見える。そこに何かがいる。
 駄目だ。あの山門を超えたら、もう、戻れない。生きて帰る事は出来ない。

――――アストルフォ。

 相棒の顔が脳裏を過ぎり、意識が一気に覚醒に向う。
 起きろ、そして、逃げろと叫ぶ。
 けれど、手足は士郎の意思に反して山門を潜った。

「――――……ぁ」

 寺の境内の中心に陽炎のように揺らめく影がある。
 影から現われたるは御伽噺の魔法使い。人ならざる気を放ちし、古の魔女。

「――――止まりなさい、坊や」

 女の命令に対し、士郎の体は従順に従った。
 まるで、自らの主が士郎の意思では無く、目の前の女の意思であるかのように――――。

「……ゥ」

 サーヴァント。恐らく、クラスはキャスター。魔術師の英霊。
 
「ええ、そうよ。私はキャスター。ようこそ、我が神殿へ」

 涼しげな声。
 必死に体を動かそうと力を篭めるが、身動き一つ取れない。
 アーチャーを超えると決意しておきながらこのていたらく。士郎が表情を歪めた。

「……っめる、な」

 意識を研ぎ澄ます。どんなカラクリであろうと関係無い。
 キャスターの呪縛から逃れる為には奴の魔力を体内から排除する必要が――――。

「可愛い抵抗だ事。でも、無駄よ。まだ、気付かないの? 貴方を縛っているのは私の魔力ではなく、魔術そのもの。一度成立した魔術を魔力で洗い流す事は不可能」

 馬鹿な……。
 奴の言葉が真実だとすると、己は眠っている間にキャスターに呪われたという事になる。
 けれど、魔術回路には抗魔力という特性がある。その為、魔術師が容易に精神操作の魔術を受ける事は無い筈だ。
 よほど、接近されて呪いを打ち込まれでもしない限り、あり得ない状況。

「それを可能とするのが私。理解出来たかしら、私と貴方の次元違いの力量の差が――――」
「……だま、れ」

 キャスターは嘲笑した。

「ああ、安心なさい。この町の人間は皆、私の物。魔力を吸い上げる為に容易には殺さないわ。最後の一滴まで搾り取らないといけないから」
「な、んだ……と?」

 聞き逃せない言葉があった。
 今、この女は冬木の街の住人達から魔力を吸い上げると言ったのか……?

「キャ、スター。お前、無関係な人間にまで手を――――」
「あら、知らなかったの?」

 口元に手を当て、わざとらしく言うキャスターに怒りが湧いた。

「キャスターのクラスには陣地形成のスキルが与えられる。魔術師が拠点に工房を設置するのと同じ事。違うのは工房の格。私クラスの魔術師が作るソレはもはや神殿と名乗るに相応しいもの。特に、ここはサーヴァントにとっての鬼門だから、拠点としても優れているし、魔力も集め易い。漂う街の人間達の欠片が分かるかしら?」

 目を凝らせば分かってしまう。そこに漂う魔力が人の|命《かがやき》によって出来ているという事が――――。

「キャスター!!」

 怒りを声に乗せて叫ぶ。だが、体はやはり動かぬまま……。

「さあ、そろそろ話もお仕舞いにしましょう。貴方の事を見ていたわ。面白い能力があるみたいじゃない。まずは令呪を引き剥がしから、適当に刈り込んで、投影用の魔杖にでも仕立て上げてあげるわ」

 何を言っているのか理解出来ないが、このままでは不味いという事だけは分かる。
 手足が千切れようと構わない。それだけの意思を篭めて暴れようとしているのに、手足がピクリとも動かない。

「あらあら、この期に及んでまだ抵抗する気力があるなんて……。ふふ、中々面白い坊やだわ。セイバーやバーサーカーを倒すために少しでも手駒を増やそうと思って招いたのだけど……、貴方も立派な武器として使ってあげる」

 手駒……。その言葉で魔女の真意が読めた。
 この女はアストルフォをセイバーやバーサーカーに対する捨て駒に使うつもりだ。
 炉に火が灯る。込み上げてくる途方も無い怒りに身を任せる。。
 キャスターが指先に禍々しい魔力光を灯して向けてくるが無視する。
 
「さあ、運命を受け入れなさい。坊や」
「――――ざける、な」
「あら……」

 投影する。アイツの剣を投影して、この女の首を切り落とす。
 躊躇いは無い。この女を今ここで確実に――――、

「可愛いわ。本当に、可愛いわ。まだ、そんな抵抗をしようだなんて……、ますます、気に入った」

 愕然となった。投影をしようと回路に魔力を流した瞬間、それを何かに塞き止められた。流れを歪められた魔力が全身を突き刺す刃となる。
 堪え切れず、吐き出されたのは赤い塊。

「でも、そろそろいい加減にしないと――――」

 その時だった。突然、キャスターが頭上を見上げた。
 そこに彼女がいた。