Act.29 《A boy meets a girl》

 どうにも視線が突き刺さる。

「私の格好はどこか変なのだろうか……」
「変? いいえ、とってもかっこいいですよ」
「そ、そうか?」
「そうです!」

 彼女がそう言うのならそうなのだろう。アーチャーのサーヴァントは頬を緩ませた。
 今、彼はマスターである少女とデートの真っ最中だ。

「……桜。次はどこに行く?」
「そうですねー……、うん! 海岸の方に行ってみましょう!」
「海岸? そんな所でいいのか?」
「いいんです! さあ、行きますよ!」
「お、おう!」
 
 海岸にやって来ると、二人は埠頭に向かった。おじいさんが一人釣りに励んでいる。
 どうやら、引き上げる準備をしているようだ。
 溜息を零している。あんまり成果が出なかったようだ。

「釣れなかったみたいですね」
「……みたいだな。この立地条件なら色々な獲物が手に入りそうなものだが」
「詳しいんですか? 釣り……」
「これでも慣らしたものだよ。昔、海外で活動していた時期があってね。サバイバルをする事もあった。その時に少々ね」
「ふーん。なら、釣り道具を持ってくれば良かったですね」
「いや、釣りは基本的に一人で黙々とするものだ。デートには向かないよ」
「そうですか? でも、私は見てみたかったなー」
「そうか?」
「はい」

 アーチャーは少し考えた後、「|投影開始《トレース・オン》」と呟いた。
 すると、彼の手の中に最新の釣具が現れた。

「そこまで言われたら披露しないわけにはいかないな!」

 そう言って、アーチャーは値段が一括で二十万とんで三千円もする釣具を使い釣りを開始する。
 それからの一時間、桜はあまりにも愉快なアーチャーの一面を愉しんだ。

「ッフ、イナダが釣れたぞ! これで十匹目、フィッシュ! まさか、冬木にこれほどの漁港があったとは! 面白いように魚が釣れる。っと、十一匹目フィィィィィイッシュ!」

 今度はサバが連れた。そこにアーチャーのサーヴァントはいない。いるのは|釣り師《グランダー》のサーヴァント。
 今まで見た事がないようなイキイキとした顔をしている。

「ハッハッハ! 見てくれ、桜! また、イナダが釣れたぞ!」

 ヒャッホーと子供のように歓声を上げている。
 桜は思った。彼に聞いた話によると、剣以外の投影は性質上難しい筈。よほど、その物の構造や性質を熟知していないと形だけで中身の無いレプリカになってしまうらしい。
 彼が今使っているリールやその他のオプションは電子制御の物も含まれている。専門の人でも無ければどういう構造をしているのかチンプンカンプンだ。

「好きなんですね、釣り」
「え? いや、これは生きる上で必要だったから覚えただけであってだな」

 どうやら正気に戻ったようだ。目を泳がせながら言い訳を始めた。

「そ、そうだ! 折角だし、釣った魚を食べてみるか?」
「え? でも、ここに調理器具は……」
「任せろ!」

 そう言って、アーチャーは「投影開始」とつぶやく。そして現れる調理器具の数々。
 まな板、包丁、七輪、赤い刀身の魔剣。

「……あの、この剣は?」
「炎を吐き出す魔剣だ。これが実に優秀でね。物資の補給がままならない地でのサバイバル中は重宝したものだよ。まるで最新のコンロのように火加減が自由自在なんだ」

 恐らく、この魔剣も名高き英雄のシンボルとして活躍していた時期もあったのだろう。
 まさか、港で七輪の底に置かれ、薪代わりにされるとは英雄も剣自身だって思わなかったに違いない。
 手際良く魚を捌いていくアーチャー。そこには職人の技があった。
 
「よし、食べてごらん」

 アーチャーに渡された焼き魚と刺し身を口に運ぶ。とても美味しい。
 
「投影魔術は実に便利だ。宝具クラスとなると難しいが、物体の構造を理解出来ていれば釣具程度ならばどこでも造り出す事が出来る」
「でも、凄いです。あのリールって電子制御なんですよね?」
「ああ、最新型だ。今の時代にはない未来の技術が詰まっているぞ」

 得意気な表情を浮かべるアーチャー。
 桜が食べている間、彼は饒舌に物体の構造についての持論を語った。
 
「私が見てきた物の中で最も美しいもの。それはハンドガンだ。その機能性……、まさに工夫と合理性を突き詰めた……、芸術だ」

 芸術……、芸術と言った。
 桜はポカンとした表情を浮かべた。

「分かるかい? 例えば、日本刀。アレが伝統と技術による工芸品なら、ハンドガンは正に技巧による工芸品だ。鉄と機能美が織りなす調和が実に素晴らしい。ライフルやマシンガンまでいくと、さすがに戦争兵器として言い逃れ不可能だが、ハンドガンには兵器としての合理性と道具としての芸術性がある」

 ただ、そのあまりにも楽しそうな語り口調に聴き惚れていた。

「その武器形態において、必要最低限の機能だけに留めたものには時に……、魂が宿る。江戸時代のサムライが使った刀然り、西部開拓時代のガンマンが使ったリボルバー然り、中世ヨーロッパの騎士達が使ったレイピア然りだ。殺し合いの道具だが、決闘の時は自らの誇りと出自を示すアートだった。まあ、命が安い時代だったからこそだろうけどね。己の命より、便りとする武器に高値をつける……」
「男の世界ですね……」

 少し困ったように言う桜。だが、アーチャーは嬉しそうに頷いた。

「ハンドガンこそ、遥かな昔に廃れていった、そうしたモノ達の生き残りだ。まさに、ロマンなんだよ」

 悩ましげに溜息を零すアーチャー。

「だが、ハンドガンも詰まる所は戦争兵器だ。第一に求められたものは耐久性。硬く、強いほどに一級品とされている。アートなどと謳っておきながら、無骨な話に聞こえるかもしれないが、これが実に不思議でね。耐久性だけを突き詰めて作られた銃身は――――、溜息が出る程に美しい」

 実際に溜息を零した男の言葉は説得力が違う。

「――――極限を求めた結果、そこには耐久性とは異なる別の価値が生まれる。それは鉄の滑らかさだけに留まらないんだ。単純化された内部構造の一分の隙もないアクション。僅か一ミリにかけた重心に対する想い。分かるかい? 多くの者を魅了するハンドガンのこのデザインは、その実、デザインから生まれたものではないんだよ」

 アーチャーの瞳の奥に炎が宿る。

「より安定した機能。より効果的な射撃を求めた結果、その姿となった。誰にも媚びず、あのカタチとして創造されたのだ。野生の生き物達と同じなんだよ。ただ、ある事が美しい……。無論、銃にもそれぞれ個性がある。例え、同じ銃種であっても、出来上がりによっては良品と粗悪品に別けられる。だけど、それがまたいいんだよ。ガンスミスによるワンオフも、マスプロによる量産品も共に違った味わいがある。前者は職人の技巧による奇跡。後者は工場が生む偶然の奇跡だ」

 気がつけば日が傾き始めた。
 ハッとした表情を浮かべるアーチャー。

「す、すまない! いつの間にか、こんなに時間が……」

 慌てた表情を浮かべるアーチャーに桜は嬉しそうな笑顔を向けた。

「先輩の新しい一面が見れて、とっても嬉しいです。先輩って、無趣味に見えるけど意外と趣味が多いんですね」
「……あー、うん。物体の解析は私の魔術を行使する上で重要な手順だ。だから、暇さえあれば機械なんかをバラしていた。分解して、再構築する。それが物事を理解する一番の近道だからね。そうしている内、器物に宿るモノが見えてきた。歴史や製作者の魂、存在理由。私達が普段使っている時計や掃除機などにもそうしたモノがある。それは確かな重みを感じさせてくれた。気付けば、夢中になってしまう程に」

 二人は後片付けを済ませると帰路についた。その間、桜はアーチャーにさっきの話の続きをせがんだ。
 困ったような、嬉しいような表情を浮かべ、彼女の希望に沿う。
 そうして楽しい時間を過ごしていると、急に声を掛けられた。

「あれー? もしかして、間桐さん?」

 そこには桜が通う高校の制服を着た女生徒達がいた。

「学校に来ないと思ったら、もしかして、デート? でも、なーんか怪しい感じ」

 そこに親愛はなく、女生徒達はどこか桜を蔑んでいる様子だった。

「もしかして、援助交際ってヤツ? いっけないんだー」
「おい、君達……」

 アーチャーが注意しようとすると女生徒達はケタケタと笑った。

「うわー、近寄らないでよ、おじさん。女子高生に手を出すとか、ロリコン?」

 あまりにもあからさまな悪意にアーチャーは目を見開いた。
 桜を見る。そこには怒りも悔しさもなかった。ただ、いつもある光景を見つめているような諦観の表情があった。
 アーチャーの表情が歪む。
 知らなかった一面。同じ高校の生徒に悪意を向けられる事をまるで日常茶飯事のように受け止めている姿に震えそうになった。

「おい、そこで何をしてるんだ?」

 その時、また違う方向から声を掛けられた。

「え?」
「あ……、間桐先輩」
「やばっ」

 慎二がいた。明らかに怒っている。

「お前等……、僕の妹に何をしてるんだ?」
「えっと……、別に」
「ち、違うんですよ、先輩! その……、間桐さんがイケない事をしてるから注意してあげてただけでー……」
「その男の事は僕もよく知ってる。その上で聞くけど、何してた?」
「あ、あの、私達用事があるので……」
「し、失礼しまーす」

 まるで気圧されたように女生徒達が去って行く。
 その背中を睨みながら、慎二は言った。

「まだ、あんなのが居たのか……」
「あの、兄さん……」
「あんな奴らに好き勝手言わせてるんじゃない!」

 慎二は怒鳴り声を上げた。

「あっ……」

 怯んだ様子を見せる桜を尻目に慎二はアーチャーを睨みつけた。

「言ったよな? 任せるぞって」
「……すまない」
「ったく、しっかりしろよな」

 溜息を吐くと、慎二は言った。

「後、デートで海岸に行くな。何時間も埠頭から動かないなんて、完全に事故だぞ」
「……うっ」

 呆れたように言う慎二にぐうの音も出ないアーチャー。

「あれ? どうして、兄さんがその事を知ってるんですか?」
「あっ……」

 途端、表情が崩れる慎二。

「……見てたんですか?」
「ち、違うぞ! 単に道端でお前達を見掛けて、どこに行くのか気になってだな……、えっと」
「見てたんですね」

 ジトッとした目で見られ、慎二はそっぽを向いた。

「お前等……、付き合ってんの?」
「はい!」

 笑顔で即答する桜に慎二は溜息を零した。

「嬉しそうに言いやがって……。ほらよ」

 慎二は桜に財布を押し付けた。

「え?」
「次はもっとマシな場所に行け」
「で、でも、兄さん! これ……」
「黙って受け取れよ、ノロマ。小遣いだ」
「兄さん……」

 慎二は再び溜息を零した。

「……桜」
「は、はい」
「……すまなかったな」
「え?」

 慎二の言葉に桜は目を見開いた。

「……償いはする。一生掛かっても償いきれないけど、必ず償う」
「に、兄さんが償う必要なんて……」
「あるに決まってるだろ!」

 慎二は叫んだ。
 固まる桜に慎二は声を抑えて言う。

「……桜。そっちでは楽しくやれてるか?」
「は、はい」
「そっか……。なら、いい。楽しく暮らせているなら何よりだ。こ、こんな事を言う資格は無いけどさ……。その……、幸せになれよ? その為なら、僕はなんでも協力する。そ、それだけだ!」

 そう言い残すと、慎二は走り去って行った。

「に、兄さん!」
 
 桜の呼び止める声も聞かず、彼は繁華街に姿を消した。

「兄さん……」

 立ち尽くす桜。その内、涙が溢れてきた。

「兄さん……」

 アーチャーに抱きつき、涙を流し続ける桜。
 
「慎二……。桜……」

 兄妹の間にあった歪みが正されようとしている。
 それはまさに奇跡だ。
 このまま、何事もなく聖杯戦争が終われば、まさにハッピーエンドが待っている。

「……ぁ、ぁぁ」

 アーチャーは桜に寄り添いながら衛宮邸に戻った。
 そして、彼女が眠った後、再び夜の街に出かけて行った。

――――なるものか!

 必死の形相を浮かべ、街中を飛び回る。
 
――――せて、なるものか!!

 折角、兄妹の絆が在るべき姿に戻ろうとしている。
 彼女はこれから幸福な人生を歩んでいける。

――――死なせて、なるものか!!!

 一週間の命だと!? ふざけるな!! そんな事、許せる筈がない!!
 あの男を探し出す。例え、相手がどんなに強大な力を持っていようが関係ない。必ず、彼女に飲ませた毒を解毒させる。
 どんな手段を使ってでも、必ず……。

「桜……。今度こそ、絶対に救って見せる!!」

Act.28 《Golden Days》

 夢を見ていた。遠い昔の夢だ。まだ、私に妹がいた頃の記憶。
 公園でお母様に見守られながら走り回った。時には取っ組み合いをした。宝石のような日々だった。
 ある日、妹は赤の他人になった。お父様の決定だ。魔術師の家に後継者は二人も要らない。先に生まれたからという理由で私は残され、妹は捨てられた。
 私はただ見ているだけだった……。

「……ここ、どこ?」

 遠坂凛は見知らぬ場所で目を覚ました。
 頭がボーっとする。体がダルい。

「えーっと……」

 なんとか前後の記憶を取り戻そうと眉間に皺を寄せる。
 寝起きは頭が働かない。もどかしく感じながら、唸り声を上げる。

「……あっ、そうだ! セイバー!」

 五分掛けて漸く頭が冴えてきた。記憶はセイバーと共に円蔵山へ向かった所で途切れている。
 山門で固まる三騎のサーヴァントに宝具を使った事までは覚えている。その後から現在に至るまでの記憶がない。

「……なるほど、負けたわけね」

 瞼を閉じる。魔術回路を起動し、全身の状態を確認する。回路、刻印、共に問題なし。

「逆に怖いわね……」

 周りを見回す。和風の部屋だ。

「柳洞寺……?」

 ゆっくりと立ち上がる。すると立ち眩みを覚えた。足に上手く力が入らない。

「肉体に異常は無い筈……。どのくらい寝ていたのかしら……」

 気合を入れなおして部屋を出る。すると、ここが柳洞寺ではない事が分かった。
 明らかに住宅街の一画だ。

「ここは……」

 何度か来たことがある。こっそりと中の様子を伺う為に……。

「桜が通っている……」

 一つ下の後輩が足繁く通う男の家だ。

「どうして……」

 分からない。どうして自分がここにいるのか、見当もつかない。
 
「……起きたか」

 突然、目の前に赤い外套を纏う男が現れた。

「サーヴァント!?」

 咄嗟に身構える。そして、漸く自分の身に起きた異変に気がついた。
 目を見開き、腕にある筈の刻印を探した。

「セイバー……?」
「彼女は死んだ」

 アッサリと男は言った。
 セイバー。十年待った彼女の聖杯戦争のパートナー。
 彼女が抱いていた理想を体現したような少女だった。最優のサーヴァントと呼ばれるに相応しい最高のサーヴァント。
 
「死んだ……? セイバーが……」
「私も詳しい事は知らない。故に推測が混じる事を許してくれ。君達は山門を宝具で消し飛ばした後にキャスターを討つべく柳洞寺に乗り込んだ。そこでキャスターと彼女のマスターである葛木宗一郎に反撃を受け、敗北した。あの男の拳法は少々特殊で、初見ではまず見切る事が出来ない。恐らくセイバーは彼に足止めを喰らい、その間にキャスターが君を拘束したのだろう。その後、奴の宝具によって君達の契約は断たれた。アレの宝具は《|破戒すべき全ての符《ルールブレイカー》》と言って、あらゆる魔術契約を解除してしまう。その後、君を人質に取られたセイバーはキャスターによって精神を汚染された」

 淡々とした口調で埋められていく空白の時間。
 嘘だ。そう叫びたかった。
 だけど、彼の話は筋が通ってしまっている。

「……セイバーを殺したのはアンタ?」
「違う。彼女は自らの手で命を絶った。敵対し、戦った事は事実だがね……」

 悔しい。セイバーが自害した。そんな結末を迎えさせてしまった事が腹立たしい。
 国の為に戦い続けた少女。例え自分の存在が歴史から消え去る事になっても、故国の繁栄を聖杯に願おうとした王。
 間違っていると思った。彼女は十分によくやった。なら、もう休んでいい筈だ。
 絶対考え方を改めさせてやる。そう思っていた。

「……冗談じゃないわ」

 サーヴァントの癖に食べる事が何より大好きな子だった。
 凛が作る料理に毎回瞳を輝かせ、お代わりを何回もして、その時ばかりは仏頂面が崩れる。
 その顔を見る事が何より楽しかった。

「冗談じゃないわよ!! なんで……、セイバー……」
「……ここは安全だし、その部屋は君の為に用意されたものだ。落ち着くまで休んでいるといい。必要なら食事を運ぶ」

 その言葉に凛は困惑した。

「安全……? ねえ、私はどうしてここにいるの?」
「桜が君を助けると決めた。そして、助けた。それだけの事だ」
「……桜が?」

 目を見開く凛にアーチャーが頷いた。

「桜が……、私を」

 立っていられなくなった。
 だって、それは理屈に合わない。

「あの子が……」

 間桐の家に引き取られていく背中を私は見ているだけだった。
 彼女と同じ学校に通うことになっても、私は彼女を見ているだけだった。
 
「どうして……?」

 赤の他人として接してきた。姉として、彼女の為に何かしてあげた事など一度もない。
 
「……知りたいのなら彼女自身に聞くことだ。今は朝食を作っている最中だから、その後ならここに呼ぶ事も出来る」
「桜が……、ご飯を?」
「食べるか?」

 凛はゆっくりと立ち上がった。

 ◇

 桜はいつも通り起きて、いつも通り朝食の準備に励んでいた。

「うん! 会心の出来!」

 スープの味見をしてガッツポーズを決める彼女の顔に悲壮の色は欠片も見えない。
 一週間後に死ぬ。そう告げられた筈なのに……。

「桜……」
「アーチャー。姉さんはどう……、姉さん」

 振り向くと、そこに姉がいた。不安そうな顔で桜を見つめている。
 桜はニッコリと微笑んだ。

「おはようございます、姉さん」
「桜……。お、おはよう」

 凛は泣きそうな顔で挨拶を返した。
 姉さん。再びそう呼んでもらえる日を何度も夢に見た。

「座って待ってて下さい。もうすぐ支度が出来るので」
「う、うん。分かったわ」

 素直に食卓の前で正座をする凛。何度も台所に視線を向けている。

「……手伝うよ」
「はい、お願いします」

 アーチャーは彼女が手渡す食器を机に並べていく。今日は洋食のようだ。
 
「アーチャー……」
「ん?」
「ありがとうございます。姉さんの事……」
「君の決めた事だ。サーヴァントとして、マスターの選択を尊重したまでだよ」
「……そこは『君のために頑張ったよ』くらい言って欲しいです」
「さ、桜!?」

 目を丸くするアーチャーに桜はクスクス笑った。

「抱きしめてくれましたね」
「……お、おう」

 スープを手渡しながら、桜は言った。

「私の勘違いじゃないですよね?」
「……う、うん」
「じゃあ、恋人同士って事ですよね」

 笑顔でとんでもない事を言い出す桜にアーチャーは咳き込んだ。

「違うんですか?」
「ち、ち、違わないぞ!」

 哀しそうな顔をされて、アーチャーは咄嗟に否定してしまった。

「良かった」

 途端に笑顔を浮かべる桜。

「……ず、ずるいぞ」
「だって、こうでもしないと誤魔化したり、無かった事にするでしょ?」
「そ、そんな事は……」
「だって、先輩だし」

 唇を尖らせる桜にアーチャーは負けた。
 こんなに可愛い顔をされたら、もう何も言えない。黙って従う以外の選択肢などない。

「……君のために頑張ってお姉さんを助けに行ったよ。これでいいか?」
「うーん。特別に合格点にしてあげます。でも、自分から言い出せなかったから赤点ギリギリですよ?」
「しょ、精進する」

 スープを乗せた盆を持って凛の待つ食卓に向かうと彼女はジトーっとした目でアーチャーを睨んだ。

「今の会話は何かしら?」
「……き、聞こえていたのか?」
「なんで聞こえてないと思うのよ……」

 凛は溜息を零した。

「……アナタ、サーヴァントよね?」
「そうだが?」

 凛はしばらくアーチャーを見つめた後、再び溜息を零した。

「なんでもない。今の言葉は忘れてちょうだい」
「ん? あ、ああ」

 凛はアーチャーが並べたスープを見つめながら思った。
 何を言うつもりだったの? そんな資格があるとでも思っているのかしら……。
 
「おはよー!」

 ドタドタと足音を立てて大河が現れた。

「やっほー、遠坂さん!」
「ふ、藤村先生!?」

 凛は目を丸くしながらアーチャーを見た。

「彼女は一般人だが事情を知っている」
「せ、先生が……」
「おはようございます、先生」

 驚く凛を尻目に台所から出て来た桜が大河に挨拶をする。
 すると、士郎とアストルフォが縁側の方の障子を開いて入って来た。

「おはよー!」
「おはよう、みんな。遠坂! 本当に無事だったんだな」
 
 揃って食卓に座る衛宮家の面々。凛は不思議な光景を見るような表情を浮かべた。

「どうした?」

 士郎が尋ねる。

「えーっと、なんでもない」

 まるで家族の団欒に紛れ込んでしまったような気分だ。
 桜の料理に釣られて来てしまった事を少し後悔した。

「それじゃあ、いっただきまーす!」

 大河の掛け声と共に食事が始まる。サーヴァントとマスターが当たり前の顔をして食事を取り、談笑している。
 戸惑いながら、凛は桜の料理を口に運び、セイバーと過ごした日々を思い出した。
 
「美味しい……」

 桜の料理は今まで食べたどんな料理よりも美味しかった。

「……姉さん。ありがとうございます」

 思わず漏れてしまった声を聞かれ、凛は顔を真っ赤に染め上げた。
 そして、桜の笑顔に曖昧な笑顔を返す。

「料理……、上手なのね」
「えへへ、先輩に教えてもらったんです」

 ドヤ顔を浮かべる桜に凛は目を丸くした。
 学校ではこんな表情を浮かべる彼女を見た事が無かった。

「うーん。でも、完全に追い越されたな……。洋食に関しては完敗だ……」

 へこむ士郎をアストルフォが「よしよし」と慰めている。

「世界中の料理を食べ歩いたものだが、桜の料理はまさしく絶品だ」

 真剣な表情を浮かべ、まるで戦いに挑むように料理を食べるアーチャー。
 その妙な迫力に凛は少し引いた。

「うんうん。サクラの料理は世界一!」
「桜ちゃんの料理が食べられるだけで私の世界は満天の青空よ!」
「照れちゃいます……。えへへ」

 嬉しそうな笑顔を浮かべる桜。
 
「そうだ! 藤村先生。その……、少しお願いがあるんですけど」
「なになに? なんでも言ってごらん! 桜ちゃんの為なら不詳藤村大河! なんでもする所存だぞー!」

 ドーンと胸を張る大河に桜は少し照れたような仕草をしながら言った。

「わ、私も……その、藤ねえって呼んでもいいですか?」
「……へ?」

 目を点にする大河。士郎達も固まっている。

「駄目ですか……?」

 哀しそうな表情を浮かべる桜。
 まさに一撃必殺。誰も逆らえない。

「だ、駄目じゃないですよ! も、もちろんオーケーよ! 他ならぬ桜ちゃんだもん! た、試しに呼んでごらん」
「は、はい! じゃあ、藤ねえ!」

 その瞬間、大河はよく分からない感情に襲われた。
 感動とか、感激とか、そういう言葉が脳裏を過ぎる。
 今まで彼女からは《先生》か《藤村先生》とばかり呼ばれていたから一気に距離が近づいたように感じた。

「も、もう一回」
「藤ねえ!」
「もう一声!」
「藤ねえ!」
「バイプッシュだ!」
「藤ねえ!」
「余は満足じゃー」

 至福の笑みを浮かべながら寝転ぶ大河。
 普段ならだらしないと叱る士郎も今回ばかりは目を瞑った。

「今日は元気だな、桜」
「……はい! 元気です、先輩」

 その笑顔に士郎も釣られて笑った。

Act.27 《Ordeal of love》

 教会を後にした士郎達はその足で円蔵山に向かっている。キャスターから聞いた遠坂凛の居場所はその地下に広がる龍洞。
 
「シロウ、大丈夫?」

 アストルフォが心配そうに声を掛ける。教会を出てから士郎の顔色が良くない。
 
「……少し診せてみろ」

 アーチャーは士郎のおでこに手を当てた。
 
「どう?」
「単純に魔力切れだな」

 その言葉にアストルフォは胸を撫で下ろした。

「なら、休ませてあげれば大丈夫なんだよね?」

 アーチャーが頷くと、アストルフォはヒポグリフを喚び出した。その背中に士郎を乗せる。

「……アス、トルフォ」
「シロウ。頑張ったね」
「お前こそ……」

 微笑み合う二人。

「……お前達は先に家に帰っていろ」
「え? でも、サクラのお姉ちゃんは……」
「彼女の事は私達に任せろ。キャスターとセイバーが脱落した以上、戦闘になる事も無かろう」
「うーん……」

 アストルフォは桜を見つめた。

「大丈夫ですよ、アストルフォさん」

 桜は言った。

「どうか、先輩をお願いしますね。助けてくれて、ありがとうございました」
「……サクラ」

 アストルフォは言った。

「任せて」

 片方は託し、片方は託された。
 アストルフォは自らもヒポグリフに跨ると天に向かって駆け出した。
 その姿を見つめながら、桜は寂しそうな表情を浮かべる。

「……桜」
「行きましょう、アーチャー」
「ああ……」
 
 しばらく歩いていると、桜が口を開いた。

「……もうすぐ、終わりですね」
「そうだな……」

 残る敵はバーサーカーのみ……。
 それは聖杯戦争の終わりが近い事を意味する。

「アーチャー」
「なんだ?」
「サーヴァントを聖杯戦争終了後も維持する方法はありますか?」

 士郎とアストルフォは愛し合っている。
 だけど、今の生活はやがて終りを迎える。
 
「……難しいな。アストルフォは比較的負担の少ないサーヴァントだ。だが、聖杯の補助無しに維持し続けるとなれば相当の魔力が必要になる」
「どのくらいですか……?」
「単純計算でも小僧の約二十倍。それでもギリギリだな」
「二十倍……」

 それはあまりにも絶望的な数字だ。桜の魔力をもってしても、|二騎《・・》の英霊を維持する事は不可能。
 暗い表情を浮かべる桜にアーチャーは困ったような表情を浮かべた。

「聖杯が正しく機能してくれていたら簡単に解決する問題なのだがね」
「でも……」
「ああ、聖杯は穢れている。第三次聖杯戦争でアインツベルンが犯した反則行為によって……」

 嘗て、アインツベルンは本来喚べない筈の神霊を召喚しようと企んだ。
 結果として、試みは失敗。|神霊《アンリ・マユ》の名を背負う一人の少年が喚び出され、開戦四日後に死亡する。
 その時、全ての歯車が狂ってしまった。
 魔王であれと願われた少年は聖杯の力で本物の魔王になった。その力に汚染された聖杯は全ての願いを呪いに変える魔の杯に変貌してしまった。
 
「……アーチャー」
「なんだ?」
「私は我儘になっちゃいました」

 桜は言った。

「私はアストルフォさんに残ってもらいたい。それに……、アーチャーにも」
「桜……。だが、私は……」
「先輩……」

 桜はアーチャーの胸に飛び込んだ。

「……あなたの夢を見ました」

 その言葉にアーチャーは苦悩の表情を浮かべる。

「異なる道を歩んだ私の未来も……。先輩がその事に苦しんだ事も……。全部、見ました……」
「だったら分かるだろ!」

 アーチャーは桜を引き離し、叫んだ。

「私が如何に救い難い愚か者か! 勝手に諦めて、君を……、君を斬り捨てた」

 あの時、本当に見捨てる以外の選択肢は無かったのか?
 この世界の己を見つめながら、アーチャーはいつも考えていた。
 
「散々苦しんだ君を殺し、自己満足に耽った男だ! 私が苦しんだ? 君の苦しみに比べたら、そんなものに価値などない!」

 もっと、努力していたら……。
 もっと、足掻いていたら……。
 もっと、考えていたら……。
 救えたかもしれない。その可能性を彼は見てしまった。

「本当なら君の傍にいる資格すらないんだ……」
「先輩」

 桜はアーチャーの手をから抜け出す。まるで壊れ物を扱うように触れるものだから簡単に振りほどく事が出来た。
 そのまま彼の傍に寄ると、爪先立ちになって、戸惑う彼の唇を啄んだ。

「さ、桜!?」

 目を白黒させるアーチャー。

「資格なんて要りません!!」

 桜は叫んだ。

「私を見てください!!」

 涙を流しながら、桜は訴えかけるように言った。

「私はあなたに何度も救われました! あなたがいたから、私はここにいるんです!」
「……違う。君の思っている男は私では――――」
「先輩です!」

 桜は言った。

「衛宮士郎! 私に料理を教えてくれた人です! 私に笑顔を教えてくれた人です! 私の為に泣いてくれた人です! 私の為に怒ってくれた人です! 私が好きになった人です!」
「違う……。違うんだ……。私は君を悲しませた。苦しませた。死なせてしまった……」
「一度もあなたに苦しめられた事なんてない!!」

 その言葉にアーチャーの目が見開かれる。

「あなたがいるから、私は笑顔になれるんです。どんなに苦しくても、辛くても、あなたに会えるだけで私は幸せになれるんです。あなたが斬った時、私は嬉しかった筈です。だって、他の誰でもない、あなたが私を終わらせてくれたから!」
「やめてくれ……。お願いだ……。オレは……、オレは……」

 アーチャーは顔を歪めた。まるで幼子がイヤイヤするように首を横に振り続ける。

「私の傍にいて下さい!」

 それは彼女が今まで内に秘めていた|本心《ことば》。
 
「私をもっと助けてください!」

 抑えていた蓋が外れれば、もはや止まらない。

「私を幸せにして下さい!」
「……桜」

 気付けば、アーチャーは桜を抱き締めていた。
 許されない。許されてはいけない罪。
 なのに、彼女は赦した。

「桜……。オレは……」

 桜を守りたい。
 桜を助けたい。
 桜を幸せにしたい。
 
「オレは……」

 その感情は果たして単なる義務感なのか……。
 否、そんな筈はない。
 むしろ、己を突き動かす|正義の味方《しょうどう》はその感情を否定する筈だ。
 不特定多数よりも個を尊重するなど、彼の歩んだ|理想《みち》は決して許さない。
 
 だから、この感情は彼にとって特別なもの。
 人間の振りをするロボットが初めて手に入れた|心《きもち》。
 人はそれを――――、《愛》と呼ぶ。

「――――ああ、実に感動的だ」

 その光景を嘲笑う者がいた。
 月の光を浴び、一人の少年が拍手を送る。

「貴様は――――ッ」

 アーチャーは桜を背中に庇い、干将莫耶を投影する。

「アーチャーのサーヴァントよ。キミでは役者が違う。力不足だ」

 少年は堂々とアーチャーに距離を詰める。なのに、アーチャーは迎え撃つ事が出来ない。
 足元から這い寄る暗闇が彼の体を縛っている。

「やあ、久しぶりですね」
「あなたは……?」
「以前お会いした時、ボクはこう言いました。『今のうちに死んでおけ』と」

 その言葉に桜は目を見開く。

「あの時の……? え、でも!?」
「今は若返りの秘薬を使っています。そんな事よりもコレを御覧なさい」

 そう言って、彼は一本の瓶を彼女に見せた。

「これを使えばアーチャーを受肉させる事が出来る」
「え?」
 
 それは今まさに桜が欲していたものだった。

「条件を呑み、ボクの頼み事を完遂してくれたら、これをアナタにあげましょう」
「条件……?」
「衛宮士郎とそのサーヴァントを殺しなさい」
「……え?」

 少年は言った。

「アナタを選ばなかった者とアナタから愛しい男を奪った者。躊躇う必要などない。彼等を殺せば、アナタはアナタを愛する男と共にいられるようになる」

 それは甘い言葉で人を誑かせる悪魔の囁きだ。

「お断りします」

 桜は言った。

「先輩の事も、アストルフォさんの事も私は大好きです! その人達を殺すなんて、出来る筈がありません!」
「……なるほど、まるで別人だ」

 嬉しそうに少年はクスクスと笑う。

「なら、仕方ありませんね」

 そう言って、影で彼女を縛ると、彼は別の瓶を彼女に飲ませた。

「桜!!」

 アーチャーが幾ら藻掻いても影はビクともしない。
 瓶の液体が彼女の体内に全て入ると、少年は言った。

「さっき、彼女に言った事を今度はアナタに言いましょう。アーチャーのサーヴァントよ。衛宮士郎とライダーのサーヴァントを殺しなさい。さもなければ……、一週間。それが期限です。時が過ぎれば君の愛する少女は死ぬ」
「なっ……!?」

 少年は微笑んだ。

「時間はたっぷりあります。精々、後悔しない選択をしなさい」

 そう言って、少年は闇の中に消えた。
 すると彼等を縛っていた影も消える。
 アーチャーは慌てて桜に駆け寄った。

「……先輩」
「桜……」
「……お願いします、先輩」

 桜は言った。

「一週間。ずっと私の傍にいて下さい。私が死ぬ時、一緒に笑顔で振り返る事が出来る一週間を過ごしましょう」

 その言葉と共に彼女は意識を失った。

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァ!!!!」

 アーチャーのサーヴァントの悲痛な叫び声が夜の闇に延々と響き渡った。

Act.26 《A journey of a thousand miles begins with a single step》

 勝敗が決した。セイバーのサーヴァントは観念したように頭を垂れる。

「お前達の勝利だ。……殺せ」

 その言葉に士郎は表情をこわばらせる。
 こうなると分かっていた筈だ。聖杯戦争の参加者として、敵のサーヴァントと戦う以上は殺すか殺されるかの二択を迫られる。
 そもそも魔術師とはそういう生き物だ。死を容認し、ヒトデナシとして生きる事を是とした者。
 この選択をアーチャーは何度も迫られた。その度により良い未来を信じて|間違い《えらび》続けた。
 
「シロウ」

 アストルフォが士郎に微笑みかける。

「キミはキミの思うままに」
「……ああ」

 どちらが正しい選択なのか、いくら考えても出てこない。
 そもそも正しい選択などあるのだろうか? 

『僕はね、正義の味方になりたかったんだ』

 一人の男は道半ばで諦めた。最後に望みを託した《奇跡》に裏切られた時、彼は立ち止まった。

『超えてみせろ』

 一人の男は迷い続けた。その果てに彼は己の《理想》からも裏切られ、絶望した。

「――――俺は」

 正道とは先人が切り拓いた道。その先人が迷い、立ち止まり、絶望に暮れている。ならば――――、

「殺さない」

 自ら新しい道を切り拓くしかない。
 それが如何に困難な道であろうと突き進む。
 それが如何に矛盾に塗れた思想だろうと貫き通す。

「馬鹿な……。ならば、どうするつもりだ?」
「こうするだけだ」

 士郎は刀をセイバーに突き立てた。
 セイバーの目が見開かれる。彼女の心を支配していた蜘蛛の糸が解けていく。
 
「セイバーのサーヴァント。お前には選択肢が二つある」

 士郎が告げる。

「このまま魔力切れで消滅するか、本来の主の下へ戻るか」

 セイバーは片腕を士郎に切り落とされた上、アストルフォの槍によって下半身が霊体化させられている
 主なき状態で肉体の修復を行えば魔力は一気に底をつく。だが、今の状態では新たな主を捜しに行く事など不可能。
 
「本来の主だと……?」
「俺達は遠坂を助けに来たんだ」

 ◇

 アーチャーはキャスターに数本の剣を突き刺した。
 それぞれが対象に縛りを与える呪詛の魔剣。
 魔力を封じられ、魔術の行使を阻まれ、魔術回路を乱され、肉体の自由を奪われた魔女にアーチャーが告げる。

「遠坂凛を解放しろ」

 その言葉に意表を突かれた魔女は目を丸くした。

「……お嬢さんを?」
「解放しろ」

 アーチャーは彼女の首筋に干将の刃を押し当てた。
 
「……滑稽ね」

 これ以上なく追い詰められた状況で尚、魔女は嗤う。

「よりにもよって、自分を捨てた姉を助けに来るなんて……」

 魔女の目はまっすぐに桜を射抜いた。
 心を見透かされたように感じた桜は目を見開く。

「どうして……」
「そんな事はどうでもいいわ。それより、どうして? 恨んでいる筈でしょ?」
「私は……」

 魔女の問いに桜は苦笑いを浮かべる。
 その反応がよほど予想外だったのか、キャスターはポカンとした表情を浮かべた。

「恨んでますよ」
「……あら?」

 更に予想外の言葉が返って来た。
 助けに来たのなら、恨んでいないと答える筈。
 
「なら、どうして?」

 アーチャーは奇妙に思う。何故、この魔女はそんな事を気にするのだろうか?
 策を巡らせている可能性がある。そう判断し、アーチャーは警戒心を強めた。
 壁に背を預け、此方を静観している葛木からも目を離さない。

「助けるって、決めたからです」
「はい?」

 意味がわからない。

「私は変わるって決めたんです。誰かを恨んで、妬んで、羨んで……。そんなウジウジした自分から卒業するって決めたんです」

 桜は言った。

「私は強くなるんです」
「そう……」

 この少女は自分を捨て、助けに来なかった姉を恨んでいる。それでも、彼女を助ける理由は一つ。
 彼女を許し、今までの自分から脱却する為だ。
 いっそ清々しい。彼女は自分の事しか考えていない。その為に愛する少年を危地に同行させ、自分は何もしないまま夢見がちなセリフを吐く。

「……そうなんだ」

 魔女は微笑んだ。その在り方は彼女が生前出来なかったもの。
 最期まで周囲を恨み続けた魔女が果たせなかった望み。
 
――――故郷に……。あの楽しかった日々に戻りたい。

 桜とキャスターの境遇はとても似ている。
 大きな力によって翻弄された人生。ある日突然幸福な生活から切り離され、苦難と絶望の毎日を送る羽目になった。
 
「羨ましいわ、お嬢さん……」

 心の底からそう思った。
 やり直すチャンスを得られた事。手助けをしてくれる人達がいる事。立ち上がる勇気を持てた事。
 何もかもが羨ましい。

「あなたのお姉さんは柳洞寺の地下にいる。生きているから安心なさい」
 
 そう言うと、キャスターはアーチャーを見上げた。

「マスターの命だけは助けてちょうだい」
「……了解した」

 裏切りの魔女メディア。
 英雄イアソンによって国から引き離され、長い放浪の果てに《裏切りの魔女》としての烙印をおされた悲運の女。
 彼女は旅路の果てに違う道を歩んだ己の姿を垣間見た。
 
「お嬢さん。もう、無くさないようにね……」
 
 そう呟くと、魔女は光となって消えた。
 桜は思わず手を伸ばしていた。そこに過去の己を見た気がした。
 異なる道を歩み、|アーチャー《せんぱい》に殺された己の姿。
 
「あっ……」

 涙が零れ落ちた。

「桜……」

 アーチャーは彼女を抱き締めた。肩を震わせる彼女に少しでも力を与えてやりたかった。

「……貴様のサーヴァントは消えた。もう、戦う理由は無い筈だが?」

 アーチャーは立ち上がった葛木に言った。

「戦う理由ならばある」
「彼女はお前を助けて欲しいと言った」
「それでも私は戦わねばならん。まだ、望みを叶えていないからな……」

 葛木が走る。アーチャーは桜を抱き締めたまま数本の刀剣を投影し、彼に向けて撃ち放った。

「キャスター……」

 倒れこむ彼の体から命が消えていく。
 それでも立ち上がろうとする。
 彼には叶えなければいけない望みがある。
 石階段の下で拾った女を故郷に返す。その為にまだ死ぬわけにはいかない。

「さらばだ、葛木宗一郎」

 意識が闇に溶けていく。魔女と過ごした日々を追憶しながら、男は眠りについた。

 ◇

 キャスターと葛木宗一郎の死を見つめ、セイバーは溜息を零した。
 己の刃を向けながら、彼等の死に哀しみを抱く少年を見上げ、彼女はつぶやく。

「嘆く必要はないぞ、メイガス。彼等は自らの意思を貫いた」

 魔女の末路を脳裏に浮かべる。あんな顔をされては恨む事も出来ない。
 結局、己の力不足によって二人の主を失った。
 
「これも私の意思だ」

 だが、一人目の主は生きている。彼等に任せれば憂う必要もない。
 セイバーは片手で自らの心臓を引き抜いた。

「……え?」

 目を見開く士郎にセイバーは告げる。

「少年よ。闇に身を窶した私の言葉では説得力が無いかもしれんが……。悩みながらも前に進み続ければ、やがてその道に真の光明が現れる。結果を焦る必要はありません」

 やがて、セイバーの体は光の粒子となり広がっていく。
 
「そうだ……。そう信じていた筈なんだ……」

 ◆

 これでセイバー、ランサー、キャスター、アサシンの四騎のサーヴァントが脱落した。
 残る|正規《・・》のサーヴァントは三騎。

「さて、そろそろ終わりも近い」

 原初の王は教会から出て来る四人の男女の姿を遙か天上から見下ろしている。
 
「……残る試練は二つ。その前に……」

 無邪気な笑みを浮かべ、少年は姿を消した。

Act.25 《All for one. One for all.》

 士郎が鍛え上げた太刀。その本質を真っ先に理解したのは士郎でも、彼と睨み合っているセイバーでも、彼の未来であるアーチャーでもなかった。
 キャスターのサーヴァントこそがアストルフォの足止めをしながら真実に気がついた。
 
「……嘘でしょ」

 あり得ない事が起きた。
 それは固有結界の亜種。術者の心象風景を《刀》として結晶化したもの。
 
「それって、つまり……」

 魔女は戦慄する。
 心象風景とはその者の心の奥底にある《無意識》を形に表したもの。
 家族や友人と過ごした時間。苦痛や苦悩を感じた記憶。心に刻まれた理想や信念。五感を通じて感じ取った世界。
 現在に至るまで、彼が歩んできた人生。その経験が反映されたもの。 
 その者が歩んできた歴史と言い換えてもいい。
 それが形を得たモノ。
 それを|魔術《この》世界では――――、

 《宝具》と呼ぶ。
 
「――――創ったというの? この時代の魔術師が!?」

 元々、士郎とアーチャーは宝具を造り出す事が出来た。
 だが、《|造る《コピー》》と《|創る《クリエイト》》では意味が全く違う。
 それはまさに人を超えた業。

「何者なのよ……、あの坊や」

 ◇

 リミテッド・ゼロ・オーバー。衛宮士郎が己の限界を超えて手に入れた新しい力。
 刀から伝わる真髄を汲み取り、士郎は目の前の魔神を睨みつける。
 
「行くぞ、騎士王」
「……来い」

 この刀は心象風景を結晶化したもの。その本質は《|無限の剣製《いぜん》》のまま。
 
――――選択する。

 目の前の敵に対して有効な武器。
 彼女は竜の因子を持つ。それ故に呼吸をするだけで莫大な魔力を精製する事が出来る。
 それ故に決定的な弱点を持っている。
 |エミヤシロウ《アーチャー》の記憶に保存されていた武器の記録から必要なものを選び出す。

 |幻想大剣・天魔失墜《バルムンク》。
 魔剣・グラム。
 |力屠る祝福の剣《アスカロン》。
 |刺突剣《ネイリング》。
 |天羽々斬剣《アメノハバキリ》。
 |無毀なる湖光《アロンダイト》。

 |竜殺し《ドラゴンキラー》と呼ばれる魔剣や聖剣を一刀の内に束ねる。
 竜の因子を持つ以上、影響が無い筈がない。
 
「……以前と同じ。二度は通じぬと言った筈だぞ、メイガス」

 だが、目の前の魔神はその道理を容易く捩じ伏せる。
 与えられる|恐怖《プレッシャー》を踏み越え、更なる殺意をもって魔剣を振る。

「同じじゃない」

 太刀はまるで来る事が分かっていたかのように魔剣を阻んだ。
 セイバーの目が見開かれる。
 彼女はキャスターから莫大な魔力を供給されている。更にその魔力が彼女の内に秘められた竜の炉心を通り増幅されている。
 極大の魔力が魔力放出のスキルによって付与された一撃だ。
 その威力は並のサーヴァントならば守りごと両断する。

 その一撃が防がれた。

 驚愕が刹那の空白を生み出す。
 士郎は|増幅《・・》された脚力で一気に踏み込む。

「ハァァァァァッ!!」

 アルトリア・ペンドラゴン。世に名高き騎士の王。|百鬼眷属《ワイルドハント》を束ねる頭領。
 シャルルマーニュ、イスカンダル、ヘクトール、カエサル、ヨシュア、ダビデ、マカバイ、ブイヨンと共に九偉人に数えられる大英雄。
 本来、士郎が相手にしていい相手ではない。その一振りは鉄を両断し、その踏み込みは音を置き去りにする。
 剣士としての格など、語ることすらおこがましい。

――――間違えるな。

 元よりこの身は剣士にあらず。剣技を競うなど、見当違いも甚だしい。
 衛宮士郎は魔術師だ。故に魔術をもって、目の前の敵を打ち砕く。
 本来、人の手は二つのみ。故に握る事が出来る剣も最高で二つ。だが、この刀はその条理を覆す。

 |力屠る祝福の剣《アスカロン》。
 |無毀なる湖光《アロンダイト》。
 |絶世の名剣《デュランダル》。
 |燦然と輝く王剣《クラレント》.

 一でありながら無限。無限でありながら一。
 その矛盾こそ、この刀の《真髄》。
 それぞれが担い手のステータスを向上させる能力を持つ至高の宝具達。その能力を束ねる。
 
――――|敵《おまえ》が一騎当千を謳うなら、|此方《おれ》は千騎を束ね、一と為す。
  
 今や向上された身体能力は人の域を脱し、遙か高みに君臨する王に刃が届く。
 
「――――舐めるな、メイガス!!」

 それがどうした。有象無象が集った所で、この身に傷一つつける事は叶わない。
 破格の|力《パワー》に研ぎ澄まされた|技術《スキル》が重なる。
 侮る無かれ――――。
 彼の者は敵が千の兵を揃えようと、万の軍勢を率いろうと、退く事を知らぬ常勝無敗の王。
 勝利を約束された聖剣の主。

「ウォォォォォオオオ!!」
「ハァァァァァアアア!!」

 戦いは一進一退。士郎がやや押されている。
 それは当然の結果。むしろ、今尚その命を繋ぎ止めている事実こそが奇跡。
 だが、それも長くは保たない。この攻防の結末は直ぐそこまで迫っている。
 残り七合。それでセイバーの勝利が確定する。
 時間にして二秒。
 
「セイバー」

 それで十分。

「俺達の勝ちだ」

 この戦いはチーム戦だ。士郎が勝つ必要などない。
 拮抗した戦況をいち早く誰かが崩せば勝敗が決する。
 アストルフォは桜や士郎をキャスターの魔術から守る為に動けない。
 キャスターもアストルフォの動きを縫い止める為に高ランクの魔術を発動し続けなければいけない。
 故に戦いの行末を決めるのは二騎のサーヴァント。

 本来、人間とサーヴァントではその圧倒的な実力差によって戦闘にならない。
 その条理を覆す化け物二匹。
 セイバーとアーチャー。どちらが先に目先の化け物を始末出来るか、それが全て。

 士郎がセイバーを相手に持ち堪えている間にアーチャーが体勢を立て直し、葛木の腕を切り落とした。
 如何にキャスターの魔術の恩恵を受けようと、生身で宝具の一斬を受け切る事など出来ない。
 そのまま葛木の体を壁に向けて蹴り飛ばし、同時に干将をキャスターに向けて投げる。

「ライダー!!」

 叫ぶと同時にアーチャーはキャスターに接近した。
 魔女は魔術で盾を形成し、アーチャーの莫耶を防ぐ。
 だが、この男の持つ双剣は二つで一つの夫婦剣。その手に莫耶がある限り、干将は必ず担い手の下に帰ってくる。
 キャスターには|死角《はいご》からの一撃を防ぐ事が出来なかった。
 背中を切り裂かれれば、魔術を維持する事も出来なくなる。アーチャーは容赦無く、その体を斜めに引き裂いた。

 ◇

「シロウ!!」

 アーチャーがキャスターを仕留めた事で自由を手に入れたライダーは一本の槍を握る。
 
「――――ッハ、その程度の技で」

 士郎の相手をしながら、セイバーは槍を避ける。
 まさに怪物だ。サーヴァントとサーヴァントに匹敵する化け物を同時に相手取り、尚も余裕の笑みを浮かべる。
 だが、二方向からの同時攻撃をいつまでも無傷で回避する事は出来ない。
 故に対竜宝具の力が宿る士郎の刀をより明確な脅威と判断し、セイバーはアストルフォの槍に対する優先度を下げてしまった。
 それが敗因。

 英雄アストルフォを英雄たらしめるもの。
 それは《|魔術万能攻略書《ルナ・ブレイクマニュアル》》ではなく、《|恐慌呼び起こせし魔笛《ラ・ブラック・ルナ》》でもなく、《|この世ならざる幻馬《ヒポグリフ》》ですらない。
 それは《|触れれば転倒!《トラップ・オブ・アルガリア》》。
 彼が偶然手に入れた魔法の槍。その力で彼は無数の|賞賛《かんちがい》を手に入れた。

 それは人を殺すものではない。故に殺意もない。だからこそ、彼女はより明確に殺意を纏う士郎の刀を優先してしまった。
 傷をつけられたわけでもない。優先度を下げたとはいえ、その肌に一筋足りとも切り傷など作らせない。
 だからこそ、セイバーは驚愕した。
 まさか、鎧に少し触れるだけで下半身が強制的に霊体化させられるなど誰が想像出来る?
 そもそも、彼女は本来の意味での英霊ではない。その実、死亡する前に世界と契約を交わした事で生きたまま聖杯戦争にサーヴァントとして参加している。
 無論、彼女に実体が在るわけではない。その身を構築するものは他のサーヴァントと同じエーテル体だ。だが、本当の意味で死亡していない彼女には霊体化する事が出来ない筈なのだ。
 
「何故だ……ッ」

 その驚愕は士郎が聖剣を持つ彼女の腕ごと両断するには十分過ぎる隙を生み出した。

「答えは一つ! ボク達がキミより強かった。それだけの事さ!」

 会心のドヤ顔だった。

Act.24 《Limited Zero Over》

 思っていた以上に疲弊していたようだ。目を覚ました時、外はすっかり暗くなっていた。
 アストルフォを起こして部屋を出る。居間に向かうと桜が夕飯の支度をしていた。

「あ! 起きたんですね、先輩」
 
 お玉を片手にニッコリと微笑む桜。いつもと少し雰囲気が違う。

「なんか、機嫌がいいな。何かあったのか?」
「いろいろと」
「そっか……。料理運ぶの手伝うよ」

 夕飯の準備が終わった頃、慌ただしく大河も帰って来た。
 アーチャーも実体化して桜の隣に座る。いつもの風景だ。
 三人で使っていた机が少しだけ小さく感じる。

「うーん! いつ食べても我が家のごはんは最高ね!」

 大河の言葉にアストルフォがうんうんと頷く。
 
「美味いな……」

 桜が来るようになる前は大河と二人きりだった。
 大河が教師になる前は彼女も忙しくて、一人の時間が多かった。
 家族がいる。それが如何に素晴らしい事か、今更になって気がついた。

「……先輩」
「ん? どうした、桜」

 夕飯を食べ終えた後、桜は意を決したように切り出した。

「今夜、キャスターの根城に踏み込みます」
「……え?」

 あまりにも唐突で、あまりにも物騒な、いつもの彼女からは想像も出来ない言葉が飛び出てきた。

「どうして急に? それに、キャスターの根城がどこにあるのか分かってるのか?」
「居場所に見当はついています。そこに……、姉さんもいると想うんです」
「姉さん……?」

 士郎は首を傾げた。桜に姉がいるなんて話は初耳だ。まさか、慎二が実は兄じゃなくて姉だったなんて事もあるまい。
 アストルフォの前例があるから完全に否定も出来ないが……。

「遠坂先輩です」
「遠坂……?」
「今まで黙っていましたが、私は養子なんです。幼い頃、遠坂の家から間桐の家に引き取られたんです」
「そうだったのか……」

 あの遠坂凛と桜が姉妹だったなんて全然気付かなかった。

「姉さんを助けたいんです。その為に……」

 桜は頭を下げた。

「私を助けてください、先輩」
「ああ、もちろんだ」

 迷うことなく、士郎は頷いた。
 予想通りの反応に桜はクスリと微笑む。

「ありがとうございます、先輩」

 ◇

 一時間後、衛宮邸の庭にヒポグリフが姿を現した。タクシーに乗っても多少時間が掛かる距離だが、ヒポグリフならば一瞬でたどり着ける。
 士郎と桜がそれぞれの相棒と共に彼の背中に跨る。

「みんな、気をつけてね!」

 心配そうに見つめる大河に手を振り、彼等は天高く舞い上がった。
 僅か一秒弱で目標地点の上空に到達する。

「どうやらビンゴのようだな。結界が張られている」
「ボクの出番だね!」

 アストルフォが善の魔女ロジェスティラから献上された知恵の書を開く。
 
「道を拓け、《|魔法万能攻略書《ルナ・ブレイクマニュアル》》!」

 それは知恵の書の本来の名前ではない。理性の蒸発しているアストルフォは宝具の真名を忘却してしまっている。
 だが、知恵の書は間違った名前で呼ばれて尚、その真価の一端を発揮する。
 ヒポグリフが近寄ると、知恵の書はあっという間に結界を破壊してしまった。

「さあ、キミの真の力を見せてみろ! 《|この世ならざる幻馬《ヒポグリフ》》!!」

 ヒポグリフが猛烈な勢いで疾走を開始する。
 その瞬間、地上に漆黒の騎士が姿を現した。莫大な魔力を剣に籠め、領空を犯す不届き者を睨みつける。

「――――|約束された勝利の剣《エクスカリバー・モルガーン》」
 
 嘗て、ブリテンを混沌の渦に貶めた卑王ヴォーティガーンに鉄槌を下し、国を再建した騎士の王アーサー・ペンドラゴン。
 その清廉なる身は魔女によって穢され、その魂は堕落した。
 暗黒に染まった聖剣。その剣に宿る力は嘗て彼女が討伐した魔竜の息吹と等しい。
 あまねく光を呑み込む暗黒が士郎達に迫る。

「行け!!」

 アストルフォの掛け声と共にヒポグリフが嘶く。
 暗黒が迫る寸前、彼は異世界に潜り込んだ。如何なる必殺も当たらなければ意味が無い。
 異世界から飛び出した彼は聖堂内に直接侵入した。

「なっ――――!?」

 結界やセイバーの存在をまるごと無視して最深部まで潜り込むというヒポグリフの暴挙に魔女は目を見開いた。
 その一瞬の間にアーチャーが動く。
 彼は確信した。彼女は奸計を巡らせる事に長けた優秀な魔術師だ。だが、戦上手ではない。

「ッハ!」

 弧を描き、|干将《つるぎ》がキャスターの首に向かって迫る。

「そうはいかん」

 その一撃はキャスターに命中する前に撃ち落とされた。
 驚愕は誰のものか――――、そこには誰にとっても予想外の人物がいた。

「葛木先生……?」

 桜が呆然とした表情を浮かべてつぶやく。
 その男の名は葛木宗一郎。士郎と桜が通う高校の教師だった。
 
「キャスター。さっさとマスターを狙え」

 葛木の指示を聞き、キャスターは咄嗟にAランクの魔術を発動する。ところが、その攻撃はライダーのサーヴァントによって防がれる。Aランクの魔術を持ってしても、彼女の対魔力を超える事は出来ない。
 だが、それで構わない。その一瞬が彼等にとって致命的なのだ。

 士郎達の目の前に魔神が姿を現す。
 アーチャーは葛木によって足止めされ、アストルフォもキャスターの魔術を相殺する為に動きを封じられている。
 この瞬間、マスターである二人は完全に無防備だった。

「桜!?
「シロウ!!」

 サーヴァント二人が叫ぶ。
 桜には何も出来ない。彼女は魔術師としての教育を全く受けていない。
 だから、現状を打破出来るとしたら、それは――――、

「体は剣で出来ている」

 桜を背中に庇い、士郎は撃鉄を落とした。
 
――――血潮は鉄で、心が硝子。

 炎の中から救い出され、進むべき|理想《みち》を教わった。

――――幾たびの戦場を超えて不敗。

 その理想の果てに待ち受ける苦難や絶望を見せられた。

――――剣を鍛えるように、己を燃やすように、彼の者は鉄を打ち続ける。

 この理想は現実の前ではあまりにも儚い。

――――収斂こそ理想の証。

 故に矛盾に塗れた心を鋼の刃に仕舞い込む。 

「|是、剣戟の極地也《リミテッド・ゼロ・オーバー》」

 前は無我夢中で造り上げたもの。
 今度は確かな信念の下に鍛え上げた。

「……二度も同じ手は通じん。それでも尚挑むというのなら、来るがいい」

 魔神は目の前の非力な少年を敵と定め、魔剣を構える。

「行くぞ、騎士王」

 士郎はゆっくりと刀を構えた。

Act.23 《Blood is thicker than water》

 衛宮邸に用意された自室の中で桜は物思いに耽っていた。
 数えるのも馬鹿らしくなるくらい溜息を零し、鼻を鳴らす。

「……私の方が先に好きになったのに」

 完全な負け惜しみだ。好きになった順番に意味などない。
 何も行動しなかった人間には結果に対して文句を言う資格などない。
 
「だって、私は穢れてるし……」

 もし、己の過去を彼に語ったとしても、嫌悪感など持たれなかった筈だ。
 彼はそういう人なのだ。知らなかった事、救えなかった事に後悔する事はあっても、失望したり、嫌悪するような人じゃない。
 それでも何も言えなかった。|臓硯《おじいさま》の影に怯えなくて済むようになった後も彼に自分を曝け出す勇気が持てなかった。
 綺麗だと思われたい。同情などされたくない。彼の方から愛してもらいたい。
 身の程も弁えず、我儘を押し通した結果がこれだ。勝手に期待して、願望を押し付けて、失望している……。

「最悪……」

 嫌いだ。臓硯よりも、鶴野よりも、遠坂の家の人達よりも、己自身の事が大嫌いだ。
 無意識の事とはいえ、臓硯から解放してくれたアストルフォに嫉妬して、恨んで、最低だ……。

『おーい、桜ちゃん』
「……先生?」

 コンコンとノックの音が聞こえ、大河の声が扉の向こうから聞こえてきた。

『ちょっとだけ、お話しない?』
「……ごめんなさい。今は一人になりたくて……」

 今だけはそっとしておいてほしい。今の自分は何を言うか分からない。
 大好きな人に最低の言葉をぶつけてしまうかもしれない。

『……桜ちゃん。あんまり、自分の事を嫌いにならないでね』
「……え?」

 桜は大きく目を見開いた。
 まるで、心を見透かされたのかと思った。

「どうして……」
『私は先生だけど、桜ちゃんの家族のつもりなの……。だから、桜ちゃんの事はなんとなく分かっちゃうんだ……』

 大河は言った。

『|理由《わけ》も知らない癖にって思われるかもしれないけど、それでもこれだけは伝えておきたいんだ』
「何を……、ですか?」
『私は桜ちゃんの事が大好き。士郎も同じ。桜ちゃんの好きとは違うけど、それでも士郎は桜ちゃんの事が大好きなの』
「……やめてください、先生」

 声が震える。涙が溢れてくる。

『桜ちゃんは良い子なの。優しくて、笑顔が可愛くて、努力が出来る子で、料理も上手になって――――』
「やめてください!!」

 怒鳴ってしまった。
 彼女は知らない。私が今までどんな人生を歩んで来たか……。
 彼女の知っている私はこの家で手に入れた仮初のものでしかない。
 先輩や先生から与えてもらった、この家や二人の前でしか被れない薄っぺらな仮面。
 良い子だなんて、とんでもない。本当の私は……。

『私の言葉は信用出来ない?』

 ずるい。あまりにも卑怯な言い回しだ。
 この世で私が信用出来る人間なんて数える程しかいない。
 藤村大河を信用出来なくなったら、他の誰も信用出来なくなってしまう。

「……卑怯です。そんな言い方……」
『えへへー、兵法と言って欲しいなー』

 大河は扉の向こうでコロコロ笑った。
 怒りや後悔の気持ちが薄くなっていく。この人の傍にいると、何もかも剥がされてしまう。取り繕ったものがボロボロと落ちていく……。

『この家にいる時の桜ちゃんは正真正銘の桜ちゃんだよ』
「……先生は心が読めるんですか?」
『生徒の悩みを分かってあげられない人に教師は務まらないのだよ!』
「……答えになってませんよ、先生」

 桜はクスリと微笑んだ。

『桜ちゃん。士郎はアストルフォちゃん……、くん? を選んだわ。だけど、桜ちゃんの事が嫌いになったわけじゃない。その事だけは勘違いしないでね』
「……はい」
『それだけ言いたかったのよ。ごめんね、お節介だとは分かってるんだけどさ。桜ちゃんが悲しんだり、苦しんだりするのはイヤなんだ……』

 そう言い残すと、大河は去って行った。

「先生……」

 桜は涙を拭った。
 簡単に自分の事を好きになる事なんて出来ない。だけど、彼女が好きだと言ってくれた自分を大切にしたい。
 この家で得たものを仮初のままにしたくない。
 もう、縛るものはなにもないのだ。なら、この家での自分を本物にしよう。

「……変わろう」

 士郎の笑顔を思い浮かべる。彼に憧れた。彼に恋した。そんな彼がここ数日で変わった。なら、自分も変わらなきゃいけない。
 誰かを羨んだり、妬んだり、自己嫌悪に浸る自分を卒業しよう。
 いつか、自分を褒めてあげられるように、自分を好きになれるように……。

「よーし、がんばるぞ!」

 桜は立ち上がった。向かう先は屋根の上。そこに己の相棒がいる。

「アーチャー!」
「ど、どうした!?」

 目を丸くする彼に桜は意を決して言った。

「姉さんを助けに行きます。力を貸してください!」
「……それは神代の魔女に挑むという事だぞ?」
「分かっています」

 ここ数日、遠坂凛は学校に来ていない。色々探ってみたけれど、彼女の行方は分からなかった。
 昨晩、士郎とアストルフォがセイバーに襲撃を仕掛けられるまでは……。
 彼女はキャスターに囚われたのだ。

「それでも、助けに行きます」

 桜は幼少の頃、遠坂の家から間桐の家へ養子に出された。
 遠坂凛は桜にとって実の姉にあたる人物だ。
 己を見捨てた人。助けてくれなかった人。それでも、桜は救けると誓った。
 桜は士郎が好きだ。そして、士郎なら凛を必ず助けようとする。だから、救ける。そうすれば、きっと自分を今より少しだけ好きになれる気がする。
 
「……桜」

 アーチャーは頬を緩ませる。
 彼は彼女の事情を知っている。それ故に、彼女の決断に秘められた思いを悟った。

「なんだか、少し変わったな」
「そ、そうですか? ……まだまだこれからです!」

 アーチャーは桜の前で跪いた。

「あ、アーチャー!?」

 目を丸くする桜にアーチャーは誓いの言葉を紡ぐ。

「了解した、我が主よ。君の道は私が開く。どんな敵が来ても、どんな苦難が待ち受けていても、必ず君を守るよ。だから、共に戦おう」
「あっ……うぅ……」

 桜は真っ赤になった。この人は時々すごくキザなことを言う。
 一体、どこでこんな悪い癖を覚えたのか先生と相談する必要があるかもしれない。
 そんな風に彼女が考えていると、アーチャーは笑った。

「なーんてな」

 彼は立ち上がるとポカンとした表情を浮かべる桜に言った。

「今のは単なる決意表明さ。相手は稀代の魔女。その守り手は騎士の王。挑む相手としてはコレ以上ない程の傑物コンビだ」
「……アーチャー」

 不安そうな表情を浮かべる桜にアーチャーは微笑みかける。

「安心したまえ。前にも言ったぞ。これでも強くなったんだ。大船に乗ったつもりでいてくれ。君は私を信じてくれさえすればいい」
「アーチャー……」

 桜は微笑んだ。

「はい、信じます」

 その笑顔は彼が生前見たものよりも、今世で見たどの笑顔よりも美しかった。
 ああ、なんてもったいない事をしたんだ、衛宮士郎。こんなにも素晴らしい女性が目と鼻の先にいたというのに……。

「ありがとう、桜」

 ◇

 その日の放課後、桜はアーチャーと共に街中を駆けずり回った。
 凛を救ける為にはまずキャスターの根城を特定する必要がある。
 
「柳洞寺にあれだけ人が集まっていたらキャスターも戻っては来ませんよね」

 一応、以前の根城である柳洞寺にも向かったが、そこには業者の人がたむろしていた。
 地滑りという事になった山門へ続く石階段跡地。そこを修復する為の人達だ。

「絶対とは言い切れないが、可能性は低いな。だが、そうなると……」

 雲隠れした魔女を見つけ出す事は至難の業だ。気配など微塵も見せない。

「……おい」

 困り果てていると、不意に声を掛けられた。
 顔を上げると、そこに立っていたのは桜の兄である慎二だった。

「道のど真ん中でボーっとするなよ。相変わらず愚図だな」
「に、兄さん……」

 慎二はジッと桜を見つめる。

「……どうかしたのか?」

 いつも浮かべる人を小馬鹿にしたような笑みは無かった。
 桜が目を丸くすると慎二は舌を打った。

「今のは忘れろ。じゃあな、桜。あんまりトロトロ歩くなよ」
「兄さん!」
「……なんだ?」

 桜は思わず呼び止めていた。
 心配してくれた。あの兄が……。

「兄さん……、助けてください」

 その言葉に慎二は目を見開いた。

「……実は今――――」

 桜は事の経緯を説明した。
 凛がキャスターの手に堕ちた事。彼女を救うためにキャスターの根城を探している事。

「……バカバカしい」

 慎二はそういい捨てた。

「あんなヤツを助けてどうすんだよ。そもそも、まだ生きてるって保証があるのか? セイバーを支配下に置いたのなら、マスターなんてさっさと始末している筈だろ」
「それは……」

 考えないようにしていた可能性。凛と桜の関係を知るアーチャーが提案しなかったのも、凛が既に死亡している可能性が高いと判断したからだ。

「でも、私は……」

 桜は真っ直ぐに慎二を見つめた。

「助けにいくって決めたんです」
「……そうかよ」

 その目を見て、慎二は舌を打つ。

「変わったな、お前……」
「え?」
「衛宮のヤツと上手くいってるのか?」
「いえ、その……。振られちゃいました」
「……え? はぁ!? どういう事だ!?」

 目を白黒させる慎二に桜は苦笑いを浮かべながら士郎とアストルフォの事を話した。

「ア、アイツ……ッ! 僕の妹よりも男を取ったのか!?」

 そう言って怒る慎二に桜は曖昧に微笑んだ。

「前々から怪しいとは思っていたんだよ。柳洞とも怪しい雰囲気だったし」
「それは冤罪だ! 撤回を要求する!」
「って、お前は桜の!?」

 いきなり実体化するアーチャーに慎二は驚愕した。

「あ、アーチャー……」
「よく聞け、慎二。別に男が好きなわけじゃないんだ。たまたま、好きになってしまった相手が男だったんだ。そこを履き違えてはいけない」
「な、なんなんだよ、お前!?」
 
 いきなり訳の分からない事を言い出すアーチャーに慎二が怯える。

「あー……その、アーチャーは――――」

 桜はアーチャーの事を説明した。説明が終わると、慎二は口をポカンと開けながらアーチャーを見た。

「お、お前が衛宮?」
「あ、ああ」
「……本当に衛宮か?」
「そうだ」
「……マジかよ」

 慎二は頭を抱えそうになった。
 あまりにも衝撃的な事実が多過ぎて処理に困っている。
 
「あー……、いいや。深く考えると頭が痛くなりそうだ。おい、桜」
「は、はい」

 慎二は言った。

「僕が以前調べた限り、この地には優秀な霊地が柳洞寺の他にも幾つか在る。遠坂邸や新都の公園、それに……、言峰教会だ。遠坂邸には行ったか?」
「は、はい。でも、特にキャスターの根城になっている様子はありませんでした」

 桜の言葉にアーチャーも頷く。

「……新都の公園は拠点にする上で不向きだ。言峰教会には行ったか?」
「いえ、行ってません」
「なら、そこに行ってみろ。一番可能性が高い」
「わ、分かりました!」

 桜があまりにも嬉しそうに笑うものだから、慎二は苦い表情を浮かべると逃げるように背中を向けた。

「ありがとうございます、兄さん!」
「……お前はトロいんだから、あんまり無茶すんじゃねーぞ。危なかったら直ぐ逃げろよな。あと、衛宮!」

 慎二はアーチャーを横目で睨みつけた。

「……その、頼むぞ」
「ああ、任せてくれ」

 アーチャーの返事を聞くと、慎二は去って行った。
 その後ろ姿を桜はいつまでも見つめていた――――……。

Act.22 《Confidence is a plant of slow growth》

 士郎が起き上がると、目の前にアーチャーが座っていた。

「随分と愉快な夢を見ていたようだな」
「……朝から何の用だ?」
 
 ムッとした表情で睨む士郎にアーチャーは肩をすくめた。

「ライダーに聞いたぞ。随分と無茶をしたようだな」
「ライダー……、そうだ! アストルフォは大丈夫なのか!?」

 士郎は昨夜の事を思い出し、アーチャーに詰め寄った。
 アストルフォは士郎を庇ってセイバーに斬られた。その時に飛び散った彼の血潮を思い出し、士郎は青褪めた。

「安心しろ。|全て遠き理想郷《アヴァロン》ほどではないが、治癒能力を持つ宝具を使った。回復のために眠っているが徐々に回復している。私のように部位欠損ダメージを受けたわけでもないからな。直に目を覚ます」
「そっか……。悪いな、アーチャー」
「気にするな。それより、ライダーが自慢気に話していたぞ。セイバーを撃退したらしいな」
「ああ……」

 士郎は体を起こすと右手に視線を落とした。
 あの時はアストルフォを救ける為に必死だった。
 一瞬の間にいろんな人の言葉を思い出し、気付けば宮本の下で鍛えた刀を投影していた。

「どうやら……、完全に道は分かたれたようだ」

 アーチャーは言った。

「思ったより、早かったじゃないか」
 
 詳しい原理は士郎も理解していない。だが、ただのナマクラでセイバーを撃退する事など不可能だ。
 あの時、士郎が投影した刀には特別な力が宿っていた。それはアーチャーの辿り着けなかった高み。
 
「嬉しそうだな」
「嬉しいよ。これで少しは希望が見えた」
「希望……?」

 アーチャーは言った。

「結局、私は偽物だ。借り物の理想に縋り、借り物の武器に便り、遂には絶望した。だが、お前は本物を作り出した。お前の手で鍛え、お前の魂が宿った真作を造り上げた。英霊の身となった私をお前は確かに超えたんだ。|衛宮士郎《オレ》にはこうなる以外の可能性があった。そう思うと、希望が湧いてくる」
「アーチャー……」
「ライダーには感謝しないといけないな」
「え?」
「彼女がお前の夢を支えると口にした時、私は賭けてみようと思えた。結果はご覧のとおりだ」

 そう言うと、アーチャーは立ち上がった。

「そう言えば、彼女に告白したらしいじゃないか」

 皮肉気に笑うアーチャー。

「随分と嬉しそうだったぞ」

 そう言い残すと、部屋を出ていこうとする。

「そう言えば……」
「ん?」

 士郎は赤くなった顔を手で覆い隠しながら言った。

「アストルフォって、男だったんだな。俺、全然気付かなくてさ……」
「……は?」

 アーチャーは士郎の下に戻るとおでこを触った。

「……ふむ、熱があるな。もう少し寝ていろ。まったく、彼女が男などと……。本人に聞かれたら嫌われてしまうぞ」
「いや、俺もキャスターが嘘を吐いたんだと思ってたんだけど……。さっきアストルフォの過去を夢で見て、確かにアイツは男だったんだよ」

 アーチャーの表情が歪んでいく。

「落ち着け。落ち着くんだ。そんなわけないだろう。あの可憐な顔を思い出してみろ。どう見ても女性じゃないか!!」
「うーん……。確かにそうなんだよな」

 その時だった。障子が勢い良く開かれ、アストルフォが飛び込んできた。

「シロウ!! 大丈夫!?」
「アストルフォ! お前こそ、大丈夫なのか?」
「ボクは大丈夫さ! そんな事より、どこか痛い? 気分はどう!?」
「うーん。少しボーっとするかな……」
「なら、ちゃんと寝てなきゃダメだよ! なんなら添い寝してあげるよ?」

 勢い良く現れたアストルフォに気圧されていたアーチャーだが、添い寝と聞いては黙っていられなかった。
 大きく咳払いをすると、アーチャーは言った。

「ライダー。君も女性なら節度というものを弁えるべきだ」
「え、そうなの? でも、ボクは男の子だから関係ないよね!」
「……え?」

 アーチャーは得体のしれない恐怖を感じた。言うなれば、数メートル先すら見通せない霧の中をアテもなく彷徨っていると、近くに崖があると教えられたような気分。
 そんな筈はない。冗談に決まっている。
 脂汗が流れる。鼓動が早まる。体が震える。

「……は、はは、中々面白いジョークだな。だが、君はどう見ても女性じゃないか」

 頑なに信じようとしないアーチャー。
 アストルフォは困ったように彼を見つめ、それから「よし!」と士郎の手を取った。

「ちょっ、アストルフォ!?」

 アストルフォはその手を自らの胸に誘った。

「どう?」
「どうって……、その……、うん」

 士郎は頬を赤くしながらアーチャーに言った。

「とりあえず、胸は無いみたいだな」
「……やめろ」

 アーチャーは声を震わせた。

「もう! ボクは男の子だから、節度なんて守らなくていいんだよ! だから、シロウと添い寝するの! なんなら脱いで……見せるのはイヤかな……、シロウ以外」

 その言葉に顔を真っ赤に染め上げる士郎。そして、青褪めるアーチャー。

「……男なのか?」

 アーチャーが問う。

「うん!」
「……本当に?」
「本当に!」
「……マジで?」
「マジで!」

 アーチャーは戦慄の表情を浮かべ、士郎を見た。

「男だそうだ」
「おう」
「……男なんだぞ?」
「お、おう」
「今でも好きなのか?」
「……おう」

 アーチャーは立ち上がると部屋を出た。そして、悲鳴を上げた。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 頭を抱え、無我夢中で走り回るアーチャー。
 彼の心にあるもの。それは恐怖だった。
 
「アイツは別人、アイツは別人、アイツは別人!!」

 そうだ。ついさっき納得した事じゃないか! アイツは全くの別人だ。オレを超え、超えちゃいけないラインまで超えた……、知らない人だ。
 無関係の別人。だから、アイツが男同士の不毛な恋愛関係になろうと、オレには何の関係もない。
 オレは女の子が好きだ。改めて考える必要すらない。生前はいくつものロマンスも経験している。

「……あれ? 馬鹿な……、甘い展開が一度もなかった……? いや待て、いくらんでもそんな筈は……!」
 
 過去のロマンスを思い出そうとして、アーチャーは頭を抱え始める。

「そ、そんな馬鹿な!? そんな筈があるまい!! 女性と付き合った事など幾らでも……」

 確かに女性と付き合った事はある。だが、学生時代を含めて半年以上もった相手は一人もいなかった事に気づき、アーチャーはうずくまった。

「嘘だ!! そんな筈ない!! あり得ない!! オレは……、オレは!!」

 その時だった。直ぐ傍の扉が開いた。ハッとして顔を上げると、心配そうな顔をした桜がいた。
 
「ど、どうしたんですか? アーチャー……」

 どうやら、彼女はお風呂に入っていたらしい。顔だけを出している。
 アーチャーは彼女を見つめた。そして、内なる衝動のまま扉を開いた。

「え!? きゃっ」

 そこにはバスタオルに身を包んだ桜の姿があった。

「ど、どうしたの、アーチャー!? なんか、凄い切ない叫び声が聞こえたわ……、よ?」

 その時、アーチャーの悲鳴を聞きつけた大河が現れた。
 彼女は見た。お風呂から出たばかりの桜と彼女をガン見している変態の姿。

「な、何してるの、アーチャー!」

 虎のように吠える大河。そんな彼女にアーチャーは言った。

「藤ねえ。オレ、大丈夫だった」
「……な、なにが?」

 あまりにも爽やかな笑みを浮かべるアーチャーに大河は少し引いた。

「オレ、ちゃんと桜を見て興奮出来た」
「何言っとるんじゃ、変態野郎!!」

 大河の拳が唸る。
 |変態《アーチャー》は宙を舞った。

「あ、アーチャー!?」

 桜が悲鳴を上げる。それほど見事な一撃だった。
 
 ◇

「……というわけで、小僧は男であるアストルフォと恋仲になったわけだ」
「そして、自分の性癖に不安を抱いてあんな蛮行に及んだと……」

 身支度を整えた桜と大河の前で正座になり、アーチャーは事情を説明した。
 彼の頭にはたんこぶが三つ在る。話を聞いてもらう為に受けた傷は大きい。

「……そうですか」

 桜は寂しそうな声で呟いた。

「先輩がアストルフォさんと……。そうなる気はしていました……。でも……、男の人だったんですね」

 重い空気を漂わせる桜。

「なんだろう……。どこにショックを受ければいいのか分からない……」

 大河は頭を抱えた。

「……先生は先輩とアストルフォさんの事、どう思います?」
「私は……、本人同士が納得している事なら見守ってあげたいと思うわ。けど……、桜ちゃんはどう?」
「私は……」

 愛しい人が他人に奪われてしまった。それだけでもショックだが、その相手が男だった。
 いろいろなダメージが重なって、桜は今の自分の感情を形容出来る言葉が見つけられなかった。

「……確かに私を超えろとは言った。だが……、そのラインは超えないでほしかった」
 
 顔を両手で覆うアーチャー。

「あ、アーチャー」

 桜はそんな彼が心配になり声を掛けた。

「……すまないな。このような事で動揺するとは鍛錬が足らないようだ」

 如何なる鍛錬を積めば今の状況で平静を保てるのかは疑問だが、桜は気にしなかった。

「私は大丈夫です。確かに、ちょっと……かなり……、すごくショックですけど……」

 若干涙ぐんでいる。

「でも、先輩は変わりました」
「あ、ああ。変わってしまったな……」
「あ、いや、そうじゃなくて!」

 沈痛な表情を浮かべるアーチャーに桜は慌てながら言った。

「明るくなったと思うんです」
「明るく……?」
「はい! えっと、別に今までが暗かったわけじゃなくて……、すごく幸せそうな笑顔を浮かべてくれるようになったなって……」
「幸せそうに……、か」
「先輩。いつも何かを押し殺しているみたいで……。でも、アストルフォさんと一緒に居る時は本当に嬉しそうに笑うんです! その笑顔を見てると……、嬉しくなります」
「桜……」

 桜は深く息を吸った。

「だから……、敵わないなって思いました」
「桜ちゃん……」
「桜……」
「……正直に言えば、私を選んで欲しかった。でも、相手がアストルフォさんなら……」

 泣きながら微笑む桜にアーチャーは何も言う事が出来なかった。
 
「……部屋に戻りますね」
「さ、桜……!」
「少しだけ……、一人にして下さい」

 桜が去って行った後、アーチャーは溜息を零した。
 なんだかんだ言っても、アストルフォの存在が士郎を大きく変えた。それによって、アーチャー自身も救われた部分がある。
 だから、彼等の関係に口を挟むつもりはない。
 それでも、桜を悲しませてしまった事が心を重くする。

「士郎」
「……アーチャーだ」
「さっき私の事を藤ねえって呼んでたわよね?」
「……なんだよ、藤ねえ」

 大河は微笑んだ。アーチャーはやはり士郎なのだ。

「桜ちゃん。ああは言っても色々考えちゃってると思うの……」
「……だろうな」
「だから、慰めてあげてよ」
「……私が何を言った所で」
「士郎」
「……なんだよ」
「士郎は桜ちゃんの事をどう思ってるの?」
「……さあな」

 まるで逃げるようにアーチャーは立ち上がった。

「ちょっと、士郎!」

 呼び止めようとする大河に士郎は言った。

「……藤ねえ。オレは一度桜を切り捨てたんだ」

 泣きそうな声で彼は言う。

「助けられた筈なのに、彼女の苦しみに気付く事も出来なかった」
「何を言って……」
「オレに彼女を想う資格は無いんだ……」

 そう言い残すと、アーチャーは姿を消した。

「……資格はない。つまり……、素直じゃないなー」

 大河はやれやれと肩を竦めた。

「やっぱり、いくつになっても士郎は士郎なんだねー」

Act.21 《Legend of Astolfo》

 英雄・アストルフォ。
 いつだったか《シャルルマーニュの伝説短篇集》を薦めてくれた友人が言っていた通り、彼の伝説は《奇抜で奇怪で奇矯》だ。

 イングランド王の長男として生まれた。彼は生まれた瞬間から神に愛されているとしか思えないほど恵まれていた。
 性格は自由奔放。その衝動の赴くままに大冒険を繰り返す。
 ナルシストであり、口だけ達者で腕っぷしはからっきしな彼は仲間の騎士達から敬遠されがちだった。
 そんな彼の旅路を支えたもの、それは――――、《美貌》と《財力》と《幸運》。
 勇気や武勇などではなく、この三つである。
 
 ある所にアンジェリカという類まれな美貌を持つ女がいた。
 彼女の為に生まれた戦乱は数知れず、狂人や死者が続出した程の美女だ。
 ある時、大帝シャルルが開催した御前試合に彼女が現れ、弟のウルベルトに負けた者は捕虜にする。逆に勝てたら己を差し出すと宣言した。
 実は彼女、アンジェリカというのは偽名であった。その正体は|遠い異国《スキタイ》の女王。ちなみにウルベルトも偽名であり、本名は《アルガリア》という。彼女は国王の命により、シャルルマーニュを堕落させる為に参上したのだ。
 彼女の正体に気付く者もいた。マラジジという名の魔法使いだ。他の者達が彼女の美貌に籠絡される中、女性に興味を持たない彼は彼女の真実を悟り、計画を阻止しようと動いた。
 そして、捕まってスキタイに送られた。計画を阻止するどころか、アッサリと捕虜にされてしまった。彼の勇敢な行動は誰にも気付かれず、結局、計画はそのまま進行する。

 そして始まる御前試合。最初に登場したのがアストルフォだった。
 彼は戦った。そして、一瞬にして負けた。御前試合に出るにはあまりにも弱過ぎた。
 だが、そんな彼に熱いまなざしを向ける者がいた。そう、アンジェリカことスキタイの女王である。
 捕虜になったアストルフォにとても手厚いもてなしを部下に命じ、試合そっちのけでアストルフォとお喋りをしていた。
 ところが、二番手として登場したフェローという戦士がアッサリとアルガリアを倒してしまった。突いたら確実に馬から落とすという馬上槍試合において反則的な能力を持つ武器を使っていたアルガリアだが、馬から落とされても『来いよ、ウルベルト。槍なんか捨てて掛かって来い!!』と挑発する彼に『野郎!! ぶっ殺してやらぁ!!』と折角の魔法の槍を捨てて剣を使って挑んでしまった事が運の尽き。フェローの圧倒的な力を前にアルガリアはアッサリと敗北してしまった。
 すると、アンジェリカはフェローと結婚する事を拒み、さっさと魔術で姿を消してしまった。こうなるとまずい立場に立たされたアルガリアも馬に跨がり必死の逃走。そんな事は許さんと鬼の形相でフェローが追い掛ける。
 取り残されたアストルフォ。アルガリアが投げ捨てた魔法の槍を勝手に使い、再開された御前試合で無双した。その後、彼が魔法の槍をアルガリアに返す事は無かった。彼は追いかけて来たフェローに殺されてしまったから仕方ない。
 ちなみに彼の従兄弟のローランやリナルドもアンジェリカに一目惚れしていた。くじ運悪く、順番が回ってこなかったが、フェローから逃げたという事は自分にもチャンスがある筈だと悟り、全力で彼女を追い掛け王の御前である御前試合の会場から脇目もふらずに走り去って行った。

 近くの森でローランとフェローとリナルドとアンジェリカが恋のバトルロイヤルを繰り広げる中、シャルルマーニュの国を付け狙う者達がいた。
 セリカンの軍が攻めてきたのだ。特に何の理由も無くスペインを滅ぼしたセリカン軍はシャルルマーニュに宣戦布告をする。
 いろいろあってアンジェリカが嫌いになり、更にいろいろあってアンジェリカから好意を抱かれ、彼女を振った後に森から戻って来たリナルド。早速出陣を命じられるが、いろいろあってリナルドが好きになったアンジェリカに決闘中に誘拐されて異国に持ち帰られてしまい、シャルルマーニュ軍は一気に劣勢になっていく。
 ローランもとっくに居なくなったアンジェリカを求めて森の中を走り回り戻ってくる気配がない。
 最期、シャルルマーニュ本人も敵の前に敗れてしまう。
 主君や仲間達が惨敗する中、戦力外通告を受けていたアストルフォが立ち上がる。

『ボクが相手だ!!』
『ハッハッハ!! 貴様のような雑魚にこのセリカン王グラダッソが負ける筈無い!!』

 そして、魔法の槍によって馬からアッサリと落とされるグラダッソ。
 魔法の槍というイカサマを知らない彼は素直に敗北を認めた。捕虜を解放し、颯爽と去って行く。
 救国の英雄になったアストルフォ。誰もが彼を讃えようとした。だが、彼は|従兄弟《リナルド》の愛馬・バヤールを主人の下に連れて行ってあげようと東へ向かい出発していた。

 旅の途中、何故かアストルフォに惚れ込んだサクリパン王にストーキングされつつ、道端で出会った騎士に決闘を挑まれた。
 騎士は出会ったら決闘するものなのだ。
 
『勝負だ!』
『いくぞ!』
『勝った!』

 名馬バヤールが巧みに騎士の槍を避け、その間に魔法の槍をてきとうに振って騎士を倒すアストルフォ。
 そのまま馬で東へ進む。
 そこには橋があり、その先には魔法の城があった。
 橋の上で乙女が言う。

『あの城で出された杯は飲んではいけません』

 乙女は通る者全てに忠告を与えていた。アストルフォは彼女の言葉に従い、城に行っても杯を断った。
 すると、忠告されたにも関わらず杯を飲んでしまった|ローラン含む騎士達《バカども》が現れる。

『友と戦うなど、ボクには出来ないよ! というわけで、さらば!』

 颯爽と逃げ去るアストルフォ。そこに躊躇いは無かった。
 そして、漸くリナルドがいるはずのアンジェリカの城に到着するが、そこにリナルドはいなかった。リナルドはとっくの昔に逃げ出していたのだ。
 するとアストルフォは何故かアンジェリカの軍に入ってしまう。そして、そのままアンジェリカの親衛隊に任命されてしまう。
 アンジェリカの親衛隊として戦うアストルフォ。その後、なんやかんやで敵として現れたリナルドを見て、アッサリとアンジェリカの下を去り、彼と共に国に帰っていく。本来の目的は忘れていなかった。
 
 ところが、帰る途中で魔女アルシナに出会う。そして、アッサリと彼女の甘言に騙されて身包みを剥がされ木に変えられてしまう。
 その後、ヒポグリフに乗ったロジェロという騎士が彼の前に現れる。リナルドから事情を聞き、数少ない心優しい人物であるロジェロは彼を助けようとする。
 だが、ロジェロもまた……、バカだった。
 魔女アルシナの悪行を散々聞かされていたにも関わらず――――、

『美人に悪い人なんかいるわけねーだろ!!』

 と、美人な魔女にアッサリ籠絡されてしまう。
 だが、彼には味方がいた。恋人と師匠が彼を救い、ついでにいろいろなものに変えられていた騎士達をも救った。
 アストルフォも救われた。
 道中で出会った善の魔女と謳われるロジェスティラ。彼女からあらゆる魔術の秘奥が記された知恵の書と窮地を打破する魔法の角笛をプレゼントされ、意気揚々と紆余曲折の後に巨人に襲われピンチになっているロジェロの下に向かう。
 ロジェスティラがくれた便利なアイテムと一生借りた魔法の槍を使い、彼はロジェロの窮地を救った。そして、ロジェロが乗っていたヒポグリフに勝手に跨がり飛び立っていく。
 近くにロジェロの恋人はいたが、彼女は何も言わなかった。
 ヒポグリフの行き先は誰も知らない。乗ってる主人すら分からない。だから、彼女は恋人にあまり乗らないで欲しかったのだ。アストルフォが乗ってくれて助かったとさえ思っている。

『アイツなら何処に行こうがどうでもいいしね』

 彼女は数少ないアストルフォよりも恋人を優先する女性だった。
 
 一方、主だった騎士達が国をほっぽり出して全く関係ない場所で大冒険なり、大恋愛などをしている間にシャルルマーニュの国は大惨事に見舞われていた。
 あまりにもまずい事態にシャルルマーニュを救うため、天から聖ヨハネがアストルフォの下へやって来る。
 異教徒であるアンジェリカに対してのストーキング行為が目に余った為に呪いを受けて正気を失ったローランの思慮分別を保存している月に取りに行って来いと命じられる。

『よーし! このアストルフォに任せたまえ!』
 
 そうして、彼は月に旅立った。
 それからも彼は波瀾万丈の大冒険を繰り返す。
 
 夢から起きた時、士郎は昨晩セイバーに斬られた所よりも腹筋が痛くて呻いたのだった――――。

Act.20.5 《Have an ulterior motive》

「バーサーカー!!」

 瓦礫と貸した城。そこで二騎の大英雄が戦闘を繰り広げている。
 
「……ふむ。さすがはヘラクレス。このボクがここまで手こずるとは」

 バーサーカーのサーヴァントは唸り声を上げる。
 この少年の姿をしたサーヴァントはあまりにも常軌を逸している。
 無数の宝具を操り、バーサーカーの命のストックを一つ、また一つと削っていく。まるで此方を弄んでいるかのように余裕を讃えた笑みを浮かべながら――――。

「なんなのよ……」

 イリヤは少年を睨みつける。

「なんなのよ、アンタは!!」
「……人形よ」

 少年は不快そうに表情を曇らせる。

「仮にも淑女なら慎ましさを覚えなさい。無闇に声を張り上げるものではありませんよ」
「――――ッ」

 完全に此方をコケにしている。

「……さて、目的は達成した」

 そう言うと、少年は虚空から鎖を引き出した。

「君達にはまだ役割が残っている。だが、それまでは大人しくしていてもらいますよ。この国では《鉄は熱いうちに打て》と言うそうですが、叩き折ってしまったら本末転倒だ」

 鎖がバーサーカーに巻き付いていく。

「バ、バーサーカー!?」
「コレは神を律する為だけにあるもの。神性が高い程、この宝具は効果を発揮する。暫くの間、ジッとしていて貰いますよ」

 幾ら身を捩ろうと、鎖はビクともせずに狂戦士を拘束した。
 イリヤが令呪を発動するが、それすらも無効化する。
 あまりにも圧倒的過ぎる力を前にイリヤは膝を折った。

「時が来たら解放してあげますよ。それまでは精々人並みの日常とやらを楽しむといい。では、ボクはこの辺で失礼します」

 言いたい事だけ言い終えると、少年は少女を置き去りにしてアインツベルンの城跡を後にした。
 物語には始まりと終わりがある。どちらが欠けても、物語は成立しない。
 人類最古の英雄王が集めた宝物は世界中に散らばり無数の伝説を築き上げた。
 そして――――、

「――――素晴らしい。なんという奇跡だ」

 少年は冬木全体を見通せる高層ビルの頂上に立つ。

「一騎当千、万夫不当の英雄達よ! 我は|原初の王《ギルガメッシュ》! お前達の綴った伝説はここに収斂される。積み重ねられた歴史の真価がここに問われるのだ!」

 哄笑する英雄王。彼の森羅万象を見通す眼はヒポグリフによって衛宮邸へ運ばれる主従に注がれている。
 
「ああ――――、楽しみだ」

 ◇

 アーチャーとアサシンの激闘は日を跨いで尚続いていた。
 決着をつけると言いながら、アサシンは奥の手を隠している。アーチャーに攻め入らず、引かせず、何かを待つように剣を振るう。
 だが、それもここまでだ。アサシンの剣筋が唐突に研ぎ澄まされた。アーチャーの双剣が彼の手を離れて天を舞う。

「――――待ちかねたぞ」

 主から許しが出た。時間稼ぎに徹しろという命令。それが今、解かれた。
 アーチャーのサーヴァント。数奇な運命の下で巡り会えた好敵手に対して、あまりにも非礼が過ぎる。
 これで心置きなく真剣勝負が出来るというもの。
 アサシンのサーヴァントは新たな双剣を投影するアーチャーに対して、あの時と同じ構えを取った。
 柳洞寺に続く石階段での死闘。その果てに披露する筈だった秘剣の構え――――。

「いざ――――」

 長刀が揺れる。一足で間合いを詰める。
 新たな双剣を構えるアーチャー。だが、如何に守りに特化した剣の使い手とて、この業の前では無力。
 佐々木小次郎という実在したかも曖昧な不透明の英雄の名を冠した無名の侍。
 彼がその存在全てを懸けて練り上げた究極。
 この秘剣の前ではあらゆる守りが意味を成さない。
 その秘剣の名は――――、

「――――燕返し」

 それはあり得ぬ剣筋。
 一振りの太刀が繰り出せる斬撃は一つ。それが条理というもの。
 にも関わらず、そこに三つの剣筋が同時に存在していた。
 一念鬼神に通じる。それは燕を断つという思い付きを為す為に剣を振り続けた男の起こした理不尽。
 サーヴァントすら凌駕する神域の業。逃げ場を断ち切る剣の牢獄。
 |多重次元屈折現象《キシュア・ゼルレッチ》。それが人の身で神仏に挑んだ男の魔剣の正体。魔術師でもない癖に第二魔法に至った剣鬼の秘剣。
 躱す事など不可能。かの騎士王のような卓越した剣技があれば、あるいは生き残る道もあったかもしれない。
 だが、生憎とアーチャーのサーヴァントに剣の才能など無かった。バーサーカーのような不死性もない。キャスターのように転移の魔術を使う事も出来ない。
 故に待ち受けているものは《不可避の死》。
 背後に庇う少女が悲鳴を上げる。

「――――さらばだ」

 アーチャーは口元に笑みを浮かべる。
 
「……なんと」

 アサシンは目を見開いた。
 彼の剣がアーチャーに届く事はなく、彼の背中に漆黒の刃が突き立てられていた。
 死者に剣は振るえない。

「さらばだ、アサシン」
 
 干将莫邪。アーチャーが最も信頼を寄せる双剣。
 中国の刀匠が己の妻を贄にして鍛え上げた離つ事無き夫婦剣。
 その性質は磁石のように互いを引き寄せる。
 アーチャーの手に干将がある限り、莫耶は彼の手に戻ってくる。
 アーチャーの手に莫耶がある限り、干将は彼の手に戻ってくる。
 必殺故に生じる隙。相手が勝利を確信した時こそ、エミヤという英霊の真価が発揮される。
 簡単な話だ。新たに双剣を投影した瞬間、アサシンが弾いた干将莫邪はアーチャーの手元に戻ろうと飛来し、その射線上にある障害物に突き刺さった。
 ただ、それだけの事。
 アサシンがアーチャーの双剣を弾いた時、既に決着はついていた。
 
「……ッハ。これだから双剣使いという輩は……」

 宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島での決戦は有名な逸話だ。実際に剣を交えたわけではないが、その逸話の中で武蔵は様々な奇策を用いたという。
 満足気に微笑むと、アサシンのサーヴァントは光になって消滅した。
 
 ◇

 拠点である教会に戻ったキャスターはその憤りをセイバーにぶつけた。
 片腕を失い、疲弊している彼女に容赦のない責め苦を与える。

「……赦さないわ。この私を二度も虚仮にした。あの主従だけは必ずこの手で殺す」

 魔術師として、士郎の作り出した太刀に興味がないわけではない。
 だが、それ以上の憎しみが彼女に殺意を抱かせる。
 
「この私に二度も屈辱を与えた事を後悔させてあげるわ」