深夜零時――――。
アストルフォは寝かせられていた洋室のベッドから抜け出した。こそこそと怪しい動きを見せる彼女にアーチャーが声を掛けた。
「なにをしている?」
「ほあ!?」
大袈裟に驚くアストルフォ。
「あ、アーチャー! びっくりしたじゃないか、もう!」
「……それで、何をしているんだ?」
「ひ・み・つ!」
「小僧の部屋に忍び込もうとしているのか?」
「……な、なんの事かなー」
目線を逸らすアストルフォ。アーチャーは呆れたように彼女を見つめる。
「何故だ?」
アーチャーが問う。
「何故、君はヤツに入れ込む? 召喚されてからまだ二日しか経っていない。命のやりとりがあったわけでもなく、どうしてなんだ?」
アストルフォは呆れたような表情を浮かべる。
「……キミって、めんどくさく考える天才だね」
「めんど……っ」
ショックを受けるアーチャー。だが、アストルフォはお構いなしだ。
「理由が無いと誰かと仲良くなっちゃいけないの?」
「そ、そうは言っていない……。だが、出会って間もない相手をそこまで気遣えるものか?」」
アーチャーの過去を夢で視た士郎を慰める為に一晩中彼を抱き締めたり、士郎の夢を後押ししたり、召喚されたばかりの筈の彼女の行動が彼にとって実に不可解なものだった。
「ボクの心はいつだってボーダーレスだよ! この世界の全てを愛しているんだ!」
アストルフォが言った。
「シロウはボクに好意を向けてくれている。だから、ボクは応える。簡単な話さ」
「それだけか……?」
「それだけだよ。それじゃあ、ボクは行くからね! バイバイ!」
そう言って、再びコソコソと移動を再開するアストルフォ。
彼女の背中を見て、アーチャーは漸く納得を得る事が出来た。
士郎の話によれば、召喚の時に彼は《シャルルマーニュの伝説短篇集》という本を読んでいた。恐らく、それが召喚の触媒となったのだろう。
だが、何故アストルフォだったのかが分からなかった。シャルルマーニュ伝説には数多くの英雄が登場する。
触媒が二人以上の英雄に縁を持っている場合、よりマスターと近しい性質を持った英雄がサーヴァントに選ばれる。
だが、士郎とアストルフォは似ても似つかない。そう思っていた……。
「この世界の全てを愛している……、か」
それはある意味でヒトデナシの考え方だ。
彼女は個ではなく、全体を愛している。士郎に向けられている好意もそうした全体に対する好意の一部でしかない。
個ではなく、全体に重きを置き、正義の味方を貫いたエミヤシロウの在り方に通じるものがある。
「……皮肉なものだ」
万象を愛する者。
彼女ほど英雄らしい英雄も少なかろう。
彼女の在り方こそ、正義の味方の理想と言える。
「鏡に映す理想としては完璧だな。だが……」
隣に立とうと思うなら一筋縄ではいくまい。
アーチャーは苦笑した。
「嘗ての己とはいえ、恋路にまで口を挟む筋合いは無いな」
見張りに戻ろう。アーチャーがそう考えて縁側から外に出るとアストルフォの叫び声が家中に響き渡った。
「ア、ア、ア、アーチャー!!」
「どうした!?」
突然のことに目を剥くアーチャー。
アストルフォは言った。
「シ、シロウがいないの!!」
「……なに?」
アーチャーは屋敷の屋根へ上った。
「これは……、あの間抜けめ」
月下の下、一筋の糸が屋敷の外から士郎の部屋に張られている。屋敷の結界すら欺く程の細い糸。
「アーチャー!! シロウは!?」
「……どうやら、魔女に魅入られたようだ」
「魔女!?」
アストルフォはアーチャーの視線の先を追う。そこには一際大きな山がある。
円蔵山。脳裏に山の名前とその中腹にある寺の存在が浮かび上がる。
「来い!!」
次元の亀裂から幻馬が現れる。その背に跨ると、アーチャーの静止も無視してアストルフォは上空へ飛翔した。
「シロウの下へ!!」
ヒポグリフに命令を下す。幻馬は嘶くと同時に宙を蹴った。
夥しい魔力によって汚染された山。その上空を渦巻くように怨霊が旋回している。
それらは山を根城にした魔女が街から掻き集めた魔力。剥離された精神が訪れたものを喰らう為に牙を剥く。
人もサーヴァントも関係ない。
否――――、その場所はサーヴァントにとってこその《死地》である。
ヒポグリフが嘶く。主に確認を求めるが如く。
幻馬の主は叫ぶ。
「シロウ!! 今、助けにいくからね!!」
予想通り。ヒポグリフは再び嘶いた。
今度の叫びは眼前に渦巻く怨霊に向けたもの。
――――そこを退け!! 我が主はその先に用がある!!
幻想種の嘶きによって怨霊達が道を開ける。だが、そこには更なる魔女の結界が存在する。
その視えざる壁に触れればサーヴァントであろうと消滅しかねない。
「キミの真の力を見せてみろ! 《|この世ならざる幻馬《ヒポグリフ》》!!」
それを理解して尚、ヒポグリフは恐れる事なく結界に向けて突き進む。
自暴自棄になったのではない。主の命令に盲目的に従っているわけでもない。
グリフォンと雌馬の間に生まれる半鷲半馬の幻獣ヒポグリフ。
神代の獣であるグリフォンの仔という《在り得ざる存在》である彼は真名をもってその在り方を誇示するほどに非実在性存在としての認識が強まり、この次元から昇華される。
その意味は――――、異次元への跳躍。
結界に触れる寸前、ヒポグリフと彼に跨るライダーの存在が完全にこの世界から消滅した。
魂だけが向かう事の出来る異次元世界。あらゆる事象、あらゆる観測の手を逃れ、幻想種の棲まう場所に踏み込んだ一騎と一匹はその直後、再び現世に姿を現す。
地上を見下ろすアストルフォ。彼女の視線は主である少年に向けられる。
「シロウ!!」
幻馬の疾走は止まらない。
己の構築した最上級の結界を破壊する事なく突破したライダーに|吃驚《きっきょう》するキャスターを踏み砕くべく降下していく。
音を彼方に置き去る神速。だが、神代の魔女も伊達ではない。咄嗟に転移の魔術を行使して難を逃れた。
「ライダー……」
キャスターは忌々しげにアストルフォを睨みつける。
フランスの英雄。シャルルマーニュ十二勇士が一人、アストルフォ。その英雄の真価は旅の途上で手に入れた数々の武器や道具にある。
彼女が開いた一冊の本。善の魔女と謳われるロジェスティラが与えた魔術の秘奥が刻まれている知恵の書。その本が開かれればあらゆる魔術が解かれてしまう。
だからこそ、彼女は士郎を攫ったのだ。アストルフォの宝具はセイバーが持つ対魔力などとは比べ物にならない程厄介なものだ。魔術師にとって、まさしく天敵と呼ぶほかない。
敵として現れれば、逃げる以外の選択が無い。だからこそ、手中に収める必要があった。
「シロウは返してもらうよ!」
高らかに宣言するアストルフォ。
キャスターは己の手駒を呼び寄せようとして、舌を打つ。
手駒は現在戦闘中。どうやら、山門にも別のサーヴァントが現れたようだ。
「行け、ヒポグリフ!!」
来た時同様、ヒポグリフは神代の魔女であっても手の出せぬ異次元を潜り抜け、魔女の領域から離脱した。
「忌々しい……」
まるで、己が構築した結界を嘲笑うかのように易々と突破し逃げていくアストルフォをキャスターはその姿が見えなくなっても睨み続けた。