Act.12 《There’s no way out》

「さて、君達はどうするのかね?」

 綺礼が問う。

「……帰るわ」

 イリヤは未だに突っ伏したままの士郎を複雑そうな表情で見つめて言った。
 立ち上がり、店を出て行く彼女を桜は警戒したまま見送る。その姿が完全に見えなくなって初めて安堵の表情を浮かべた。

「間桐桜だな?」

 綺礼はレンゲを持ち上げた。彼の前には四皿目の麻婆豆腐が置かれている。

「……食うか?」
「遠慮しておきます」
「そうか……。では、手短にいこう。監督役として、君を聖杯戦争におけるマスターと認める。以上だ」
「……テキトウですね」
「こんなものだ」

 桜は綺礼を警戒したまま士郎に近寄る。

「先輩。起きて下さい、先輩」
「うぅ、辛い……」

 グッタリした様子の士郎。桜は溜息を零し、隣で呻いているアストルフォに声を掛けた。

「起きて下さい」
「ぅぅ……、口の中に溶岩が……」

 こちらもグロッキーなまま。英霊すら沈黙させる泰山の料理に桜は顔を引き攣らせた。

「……タクシーを呼んだほうが良さそうですね」
「電話ならばトイレの横にあるぞ」
「ど、どうも……」

 店の構造を完全に把握している常連さんのアドバイスを受け、桜は電話を掛けに行く。
 すると入れ違いのように一人の少年が店内へ入って来た。

「……ほう」

 少年は桜の姿を見ると僅かに眉を上げた。

「どうした? 貴様がわざわざこのような場所まで足を運ぶとは」
「いやー……、ボクとしてもこんな場所には来たくなかったのですが……」

 少年の視線が綺礼の手元にある麻婆豆腐に注がれる。
 嫌そうな表情を浮かべ、少年は言った。

「ちょっと興味を惹かれまして」
「ほう……、貴様の興味を惹くものがここにあると?」

 綺礼は少し嬉しそうな声で麻婆豆腐を見つめる。

「違います」

 少年は笑顔でキッパリと否定した。

「……そこのお兄さんですよ」

 少年は言った。

「これは中々に興味深い。贋作風情が本物になろうとしている」
「どういう意味だ?」
「言葉の通りですよ。……うん。《あの人》はセイバーにしか興味がないみたいですけど、ボクは彼にこそ興味がある。アナタも余計な手出しはしないように」

 真紅の瞳が綺礼を見据える。

「……|全知なるや全能の星《シャ・ナクパ・イルム》か。どこまで視えている? いや、視えているのならば見る必要は無いのではないか?」
「情緒というものですよ。ラジオよりもテレビ。テレビよりも映画。映画よりも実体験。ボクは確かに座っているだけで森羅万象を見通す事が出来る。現在過去未来……果ては平行世界の可能性を視る事も出来る。でも、それではあまりにも無機質に過ぎる。面白みがない」
「なるほど……。全知全能も良い事ばかりではないという事か」
「そういう事です」

 見る者を惑わせる魔性の笑みを浮かべ、少年は踵を返す。

「見たいものは見れました。ボクは帰ります。アナタは……まあ、ごゆっくり」
「……これは?」

 テーブルには一本の瓶が置かれている。

「治癒の秘薬です。彼女に渡して下さい。要らぬ言葉で惑わせてしまった。それに、ボクの乾きを潤してくれたお兄さんへの感謝の|証《しるし》です」
「……なるほど、随分な入れ込みようだな」

 少年が去ると、丁度桜が戻って来た。

「先輩。もうすぐタクシーが来ますからね」

 士郎を介抱し始める桜。
 綺礼は少年の置いていった瓶を取り上げた。

「間桐桜」
「……なんですか?」
「これを渡しておく」
「これは……?」

 渡された瓶に首を傾げる桜。

「治癒の秘薬だ。これを飲めば、君の内にある穢れは浄化される」

 その言葉に桜は目を見開いた。

「何を言って……」
「疑うのならば捨てても構わん」

 そう言って、綺礼は席を立った。
 重ねられた麻婆豆腐の皿の数は六。綺礼の顔は実に満足気だ。

「……やはり、この店は至高だ」
「そ、そうですか……」

 価値観の違いがここまで決定的だと笑うしかない。
 桜は苦笑いを浮かべた。

「では、私も失礼させてもらう」

 そう言って、綺礼も去って行った。
 残された桜は渡された瓶を見つめる。

「……私の内にある穢れを浄化してくれる」

 桜は瓶を大切そうに鞄に仕舞いこんだ。

 ◇

 夜、士郎は気が付くと布団の中に居た。
 頭がボーっとする。

『■■■』

 ……これは、夢?
 体は眠っている。自分の意思では指一本、折り曲げる事が出来ない。
 それなのに、足だけが勝手に動いている。
 おかしな耳鳴りが響き続けている。

『■■で』

 寒い。
 まるで、北国に居るかのように寒気を感じる。
 身を切るような悪寒が走る。

『お■■』

 道を歩いている
 誰もいない。普段なら、真夜中であろうとそれなりに人の気配がある通りにも誰もいない。
 無人となった街を足が勝手に歩き続ける。

『おい■』

 喋る事さえ儘なら無い。
 衛宮士郎の意思を無視して、衛宮士郎の体は動く。

『お■で』

 辿り着いたのはクラスメイトの自宅近く。
 街のシンボルとも呼べる山。
 円蔵山の麓にある柳洞寺へ通じる石段を一歩、また一歩と足が登る。
 
『さあ、ここまでいらっしゃい、坊や』

 耳鳴りが確かな声に変化した。
 否、変化したのでは無く、意識が声を声であると漸く認識したに過ぎない。
 初めから耳鳴りは同じ文句を繰り返す女の声だった。
 頭蓋を埋め尽くす魔力を伴いし魔女の声。
 山門が見える。その奥に寺が見える。そこに何かがいる。
 駄目だ。あの山門を超えたら、もう、戻れない。生きて帰る事は出来ない。

――――アストルフォ。

 相棒の顔が脳裏を過ぎり、意識が一気に覚醒に向う。
 起きろ、そして、逃げろと叫ぶ。
 けれど、手足は士郎の意思に反して山門を潜った。

「――――……ぁ」

 寺の境内の中心に陽炎のように揺らめく影がある。
 影から現われたるは御伽噺の魔法使い。人ならざる気を放ちし、古の魔女。

「――――止まりなさい、坊や」

 女の命令に対し、士郎の体は従順に従った。
 まるで、自らの主が士郎の意思では無く、目の前の女の意思であるかのように――――。

「……ゥ」

 サーヴァント。恐らく、クラスはキャスター。魔術師の英霊。
 
「ええ、そうよ。私はキャスター。ようこそ、我が神殿へ」

 涼しげな声。
 必死に体を動かそうと力を篭めるが、身動き一つ取れない。
 アーチャーを超えると決意しておきながらこのていたらく。士郎が表情を歪めた。

「……っめる、な」

 意識を研ぎ澄ます。どんなカラクリであろうと関係無い。
 キャスターの呪縛から逃れる為には奴の魔力を体内から排除する必要が――――。

「可愛い抵抗だ事。でも、無駄よ。まだ、気付かないの? 貴方を縛っているのは私の魔力ではなく、魔術そのもの。一度成立した魔術を魔力で洗い流す事は不可能」

 馬鹿な……。
 奴の言葉が真実だとすると、己は眠っている間にキャスターに呪われたという事になる。
 けれど、魔術回路には抗魔力という特性がある。その為、魔術師が容易に精神操作の魔術を受ける事は無い筈だ。
 よほど、接近されて呪いを打ち込まれでもしない限り、あり得ない状況。

「それを可能とするのが私。理解出来たかしら、私と貴方の次元違いの力量の差が――――」
「……だま、れ」

 キャスターは嘲笑した。

「ああ、安心なさい。この町の人間は皆、私の物。魔力を吸い上げる為に容易には殺さないわ。最後の一滴まで搾り取らないといけないから」
「な、んだ……と?」

 聞き逃せない言葉があった。
 今、この女は冬木の街の住人達から魔力を吸い上げると言ったのか……?

「キャ、スター。お前、無関係な人間にまで手を――――」
「あら、知らなかったの?」

 口元に手を当て、わざとらしく言うキャスターに怒りが湧いた。

「キャスターのクラスには陣地形成のスキルが与えられる。魔術師が拠点に工房を設置するのと同じ事。違うのは工房の格。私クラスの魔術師が作るソレはもはや神殿と名乗るに相応しいもの。特に、ここはサーヴァントにとっての鬼門だから、拠点としても優れているし、魔力も集め易い。漂う街の人間達の欠片が分かるかしら?」

 目を凝らせば分かってしまう。そこに漂う魔力が人の|命《かがやき》によって出来ているという事が――――。

「キャスター!!」

 怒りを声に乗せて叫ぶ。だが、体はやはり動かぬまま……。

「さあ、そろそろ話もお仕舞いにしましょう。貴方の事を見ていたわ。面白い能力があるみたいじゃない。まずは令呪を引き剥がしから、適当に刈り込んで、投影用の魔杖にでも仕立て上げてあげるわ」

 何を言っているのか理解出来ないが、このままでは不味いという事だけは分かる。
 手足が千切れようと構わない。それだけの意思を篭めて暴れようとしているのに、手足がピクリとも動かない。

「あらあら、この期に及んでまだ抵抗する気力があるなんて……。ふふ、中々面白い坊やだわ。セイバーやバーサーカーを倒すために少しでも手駒を増やそうと思って招いたのだけど……、貴方も立派な武器として使ってあげる」

 手駒……。その言葉で魔女の真意が読めた。
 この女はアストルフォをセイバーやバーサーカーに対する捨て駒に使うつもりだ。
 炉に火が灯る。込み上げてくる途方も無い怒りに身を任せる。。
 キャスターが指先に禍々しい魔力光を灯して向けてくるが無視する。
 
「さあ、運命を受け入れなさい。坊や」
「――――ざける、な」
「あら……」

 投影する。アイツの剣を投影して、この女の首を切り落とす。
 躊躇いは無い。この女を今ここで確実に――――、

「可愛いわ。本当に、可愛いわ。まだ、そんな抵抗をしようだなんて……、ますます、気に入った」

 愕然となった。投影をしようと回路に魔力を流した瞬間、それを何かに塞き止められた。流れを歪められた魔力が全身を突き刺す刃となる。
 堪え切れず、吐き出されたのは赤い塊。

「でも、そろそろいい加減にしないと――――」

 その時だった。突然、キャスターが頭上を見上げた。
 そこに彼女がいた。

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