エピローグ『潜伏』

 ロンドンから遠く離れたウェールズの地。魔王が用意した隠れ家の一つがそこにあった。
 閑静な住宅街にあるアパートメントの一室。ダーズリー邸を離れて最初に向かった隠れ家と然程変わらない。

 エピローグ『潜伏』

「魔王。この指輪はなんなの?」

 ここに来る前、魔王はリトル・ハングルトという場所にある古びた洋館に僕を立ち寄らせた。初めはそこで暮らす事になるのかと思ったけど、魔王の目的は一つの指輪だった。
 指輪に嵌めこまれた石には奇妙な紋章が描かれている。正三角形の中に円が描かれ、その2つを貫くように鉛直な一本線が組み合わさったシンプルな図形。
 
『……死の秘宝。その内に我が力の片鱗が封じられている』
「どういう事?」
『この指輪自体は古来より伝わる強力な魔具だ。《蘇りの石》などとも呼ばれている。俺様は所有者だったモーフィン・ゴーントからこの指輪を奪い、《分霊箱》に変えた』
「蘇りの石……? それに、分霊箱って?」
『|蘇生《リザレクション》を謳いながら、随分とお粗末な能力だが、蘇りの石は死者との交信を可能にする。そして、分霊箱は己の魂を分割し、特定の器に封じる事で命のストックを作り出す禁術だ』

 命のストックを作り出す分霊箱も気になったけど、それ以上に死者と交信する事が出来るという蘇りの石の能力が気になった。

「死者との……?」
『使ってみるか? 言っておくが、蘇生させる事は出来ない。あくまで、一時的に交信する事が出来るというだけだ』

 使ってみたい。使いたくない。相反する感情が同時に沸き起こった。
 顔どころか声すら知らない両親に会えるかもしれない。それは確かに魅力的な話だ。
 
「……ううん。使わない」
『そうか……』

 もしかしたら、とても楽しい時間を過ごせるかもしれない。一時とは言え、本当の家族との幸せな時間を味わえるかもしれない。ダーズリー家のような偽物でも、ウィーズリー家のような仮初の物でもない本物の家族を知る事が出来るのかもしれない。
 だけど、僕は蘇りの石を使う事が恐ろしくて堪らなかった。まるで、底の見えない穴を覗いているような気分だ。好奇心が疼く。けれど、中に入ったら戻れない。

「魔王……」

 家族なんて必要ない。なにもかも魔王に捧げた。だから、何も望む必要なんてない。何も考える必要なんてない。

「この指輪をどうするの?」
『杖を向けろ』

 言われた通りにする。

「次は?」
『そのままでいい』

 杖の先から光が走る。次の瞬間、足元から悪寒が駆け上ってきた。
 指輪から白い靄が立ち上り、それは徐々に人の形を為していく。

「魔王……?」
『瞼を閉じろ』

 恐ろしい。だけど、それが魔王の命令なら……。
 僕は瞼を閉じた。すると、何かが僕の中に入って来た。まるで、冷水を浴びせられたような不快な感触。
 
『もういいぞ』

 瞼を開けると、そこには一人のハンサムな青年が立っていた。

「魔王……?」
『驚いたか?』
「う、うん」

 当たり前の顔をして、魔王は立っていた。

「ど、どういう事?」
『分霊箱は命のストックを作る物だと言っただろう。そのストックを取り込む事で力を増強したのだ。いや、取り戻したと言うべきか』

 魔王は自分の体の調子を確かめている。どうでもいいけど、何か着るべきだと思う。今の魔王は生まれたての姿だ。
 
『……おっと、あまり見せびらかすべきものでもないな』
「えっと、立派だと思うよ?」

 サインペンよりずっと太くて大きい。あれは標準サイズでは無いだろう。
 魔王は気まずそうに咳払いをすると僕から杖を取り上げた。一振りすると、黒い靄が彼を取り巻いた。

『やはり、ストック1つ分ではここまでか』
「どうしたの?」
『……完全な実体化は難しいな。魔力も乏しい。こうしていられるのも五分が限界だ』
「どうしたらいいの?」
『折を見て、他の分霊箱を回収するとしよう。……とは言え、現状取りに行けるものはサラザール・スリザリンのロケットだけか』
「どこにあるの? 僕、なんでもするよ?」
『……落ち着け。今直ぐにどうこう出来る物でもない。時期を見る必要がある上、色々と準備も必要なのだ。それより、今は目前に差し迫った問題を解決しなければならない』
「問題……?」
『……金だ』

 僕がイマイチ理解出来ていない事を悟ると、魔王は溜息を零した。

『闇祓い局が出張ってきた以上、魔法省も本気で貴様を探している。恐らく、アルバス・ダンブルドアも……』
「ダンブルドア……?」
『世界で一番厄介なヤツだ』
「なるほど……」
『……ダイアゴン横丁や他の魔法族の集落には近づかない方が無難だろう。だが、そうなると物資の補給が儘ならなくなる。マグルの金は用意していないからな……』

 ウィーズリー家を飛び出す寸前、魔王が|呼び寄せ呪文《アクシオ》を使って、僕のリュックサックを回収してくれたけど、そこにも魔法界のお金しか入ってない。
 確かに、これは差し迫った問題だ。

「どうしよう……」
『……困ったな』

 魔王は僕の顔を見ながら唸った。

『とりあえず、街に出てみるか……。最悪……いや、出来れば真っ当に稼ぐ方法を探ろう』

 魔王は一端僕の中に戻った。リュックサックを背負い、杖をポケットに仕舞って外に出る。
 ロンドンとは違って、時間の流れが緩やかに感じる街並み。僕はそっと足を踏み出した。

 ◆

 一日歩き回って疲れたのだろう。ハリーはベッドで泥のように眠っている。
 魔王はハリーの体から抜け出すと、うさぎのぬいぐるみと化したリュックサックの内ポケットに手を突っ込んだ。そこにはぐったりとしているネズミが入っていた。
 ウィーズリー家から逃げ出す時、魔王はリュックサックと共にこのネズミも回収していた。

『まったく、このドブネズミが俺様の生命線となるとは……』

 不快感を顕にしながら、魔王はネズミに杖を向ける。

『とりあえず、貴様の記憶と人格は消去させてもらうぞ。邪魔なだけだからな』

 ネズミが恐怖に引き攣った表情を浮かべる。だが、魔王は容赦なく杖を振り下ろした。
 光が瞬き、ネズミは見る間に姿を変えた。頭頂部のハゲた小太りな男が床で痙攣している。

『あまり時間がない。|服従せよ《インペリオ》』

 男の表情が夢現なものに変わっていく。

『さあ、これから馬車馬の如く働いてもらうぞ、ワームテールよ』

第一話『招待』

 閑静な住宅街。その一画を目指して、一人の青年が歩いている。
 ここに辿り着くまでにとても時間が掛かった。大通りから少し外れた場所にある一軒のパン屋。そこに探し求めていた人がいる。
 扉を開くと、鈴の音がした。板張りの床は掃除が行き届いている。明るい電灯に照らされた店内には所狭しとパンが置いてある。どれも食欲をそそる香りが漂い、思わず目移りしてしまいそうになる。

「いらっしゃいませ!」

 元気な声が飛んで来た。抱いていた一抹の不安が消し飛ぶ。顔を向けると、赤い髪の女の子が番重に載せたパンを品出ししながら笑顔を向けてくれた。
 苦労もあった筈なのに、その笑顔には陰りは見えない。街で評判のパン屋の看板娘として立派に働いている。

「……店員さん。おすすめは何かな?」
「そうですねー。今はクランベリーのパンが美味しいですよ! 丁度、焼き立てなので!」

 そう言って、もちもちのクランベリーパンを指差した。ほくほくと熱気を放つパン。クランベリーの甘酸っぱい香りとパン自体の香ばしい香りが絡み合い、なんとも言えない。

「うん。これをいただくね」

 トングで二つトレイに乗せ、レジに運ぶ。レジにはハンサムな青年が立っていた。

「おい、ワームテール! シチューパンが品切れしているぞ!」
「も、申し訳ありません! もうすぐ焼き上がりますので!」

 この店は奥に工房があり、出来立てのパンを提供している。コック帽を被った小太りの男が奥でせかせかと働いている姿が見える。

「これをお願いします」
「ああ、いらっしゃい」

 トレイを渡すと、青年は魅惑的な笑みを浮かべた。

「そろそろ来ると思っていたぞ、ウィリアム・ウィーズリー。まあ、貴様かダンブルドアのどちらかだと思っていた」
「ノエル……、ハリーの言っていた魔王か?」
「おいおい、回りくどい事は止せ。貴様が聞きたい答えは違うだろ?」

 パンを丁寧に包装しながら、男はレジを打っていく。

「ああ、80ペンスが二つで1ポンド10セントになるな。追加でミルクはどうだ? 切っ掛けがあって、ハリーが仲良くしている農場から仕入れているのだ。新鮮で美味しいぞ」
「……それも頼むよ」
「貴様には多少の恩義を感じている。だから、2ポンド20セントのところを2ポンドにまけてやろう」
「どうも……」

 2ポンドを渡し、パンを受け取る。

「さて、見計らったように昼休みの時間だ。特別に店内の特別スペースに案内しようではないか」
「ああ、頼むよ」

 魔王とウィリアムの奇妙なやりとりをハリーは呆れていた。

「……普通に話せばいいのに」

 第一話『招待』

 ウィリアムが来る事を予め魔王は予言していた。と言うより、そうなるように仕向けていた。
 目的は二つある。一つはホグワーツ魔法魔術学校に保管してある分霊箱を回収する為。もう一つは僕の為。
 魔王は僕に暗黒の道を歩ませると言いながら、将来の為に学校へ通えと言い出したのだ。

「はい、ビル」

 久しぶりの再会。ビルはますますハンサムになっていた。
 紅茶を二人の前に置く。

「ありがとう、ノエ……ハリー」
「ノエルでもいいよ? ここではそう名乗ってるし」
「そうなの?」
「うん!」

 ビルは紅茶を口に含んだ。

「美味しいよ」
「ありがとう!」

 嬉しい。紅茶の淹れ方は近所のアンネお婆ちゃんに教えてもらった。
 ワームテールの尽力のおかげで開店する事が出来たこの店のお客様第一号で、毎日お昼を過ぎた頃にバターロールとシチューパンを買ってくれる。
 さっき、魔王がワームテールを怒ったのも、アンネお婆ちゃんが来る前にシチューパンを補充する為だ。

「じゃあ、僕はワームテールを手伝ってくるね」
「いや、お前にとっても重要な話だ。一先ず、ここに座れ」
「う、うん」

 ワームテールが悲鳴をあげないか心配だ。実の所、彼は人間ではない。ウィーズリー家を出る時、たまたまリュックサックの中に忍び込んでいたロンのネズミだ。
 魔王は彼に魔法を掛けて人間の姿になれるようにした。初めの頃は無機質な性格で怖いと思った事もあったけれど、少しずつ人間味を増してきて、今ではおっちょこちょいのワームテールとして僕達の生活を支えてくれている。
 冷静に考えてみると、ドブネズミが作ったパンって大分問題な気もするけど、食中毒が発生した事は一度もない。それにワームテールのパンは街でも評判になって来ている。

「ごめんね、ワームテール! お手伝いに行けない!」
「だ、大丈夫ですよ! こちらはなんとか一人でも!」
「後で買い物に行くとき、美味しいチーズを買ってくるからね!」
「わーお! ありがとうございます!」

 やっぱり、本質はネズミみたい。彼はチーズが大好きだ。手先も器用。

「……さて、貴様の目的は二つ。一つはハリーをホグワーツ魔法魔術学校に招待する事。もう一つは俺様の存在の確認だな?」
「ええ、その通りです」
「ハリーの信頼を勝ち得ている貴様なら、下手に大人数で押し掛けるよりも確実に成果をあげられる。そう、ダンブルドアが判断した。故に貴様は一人でここに来た。そうだな?」
「……正確に言うと、外にもう三人います」
「ほう、外したか……。ダンブルドアならば、下手に此方を刺激しない為にも信頼の置ける部下一人に全てを委ねるかと思ったのだが」
「いくらなんでも伝説的な大悪党を僕一人に任せたりしませんよ」

 ビルの言葉がツボに嵌ったらしい。魔王は大爆笑した。

「それもそうだな。しかし、随分と遅かったじゃないか。おかげでハリーの学用品を揃える時間が殆ど残っていないぞ。店もしばらく休まねばならん。常連の者達に説明する余裕も無いではないか」
「それに関しては謝りますよ。というか、店は続けるつもりなんですか?」
「当然だ。ここまで店を盛りたてる為にどれほど苦労したか、貴様にはわかるまい! このヴォルデモート卿がビラ撒きまでしたのだぞ!」
「……いろんな人が泣くので、他ではしないで下さいね。その話」

 ビルは顔を引き攣らせた。

「それにしても、ダンブルドアの言っていた通りですね。闇の帝王がハリー・ポッターの為に動いている。初めは信じられませんでしたよ」
「だから、三ヶ月以上も監視に留まっていたわけか……。この臆病者共が!」
「無茶言わないで下さい! 相手があなたでは、慎重に慎重を重ねますよ。……って、三ヶ月前からの監視にも気付いていたんですか!?」
「当然だ。敢えてダンブルドアにだけ分かるような隙を作ってやったのだからな。もう少し早く接触してくるものだと思っていたからヤキモキしたぞ」
「……それはあなたが悪い。ダンブルドアも初めは困惑していましたよ。何か企んでいる筈だと確信して、信頼の置ける者を監視役に立てて監視し続けていたと言うのに、この店の評判は極めて良好。ハリー・ポッターと思しき少女は看板娘として街の人気者。魔法で探っても、悪い噂は一つも無い。そもそも、この店の結界以外、この街で魔法が行使された痕跡は全く無かった」
「いや、全くではないぞ。店を構えるに至って、役所や銀行、その他諸々に暗示を掛けて回ったからな」
「……役所や銀行は確認してなかった」
「おい、間抜けか貴様等! むしろ、そこが重要だろう!」
「いや、マグルのシステムは魔法界と比べて複雑だから……」
「貴様の父親はマグル贔屓ではなかったのか?」
「……ほら、日本好きなのに、日本にまだサムライがいるって勘違いしている人もいるじゃないですか」
「いないのか……?」
「え?」

 変な沈黙の間が生まれた。

「ニ、ニンジャはどうだ?」
「いませんよ。マホウトコロに所属している友人に聞いた事があります」

 魔王はとても悲しい表情を浮かべた。

「だ、大丈夫?」

 声を掛けると、魔王はテーブルに拳を打ち付けた。心の底から悔しそうだ。

「クソッ、手印で術を使うニンジャの技には興味があったと言うのに! これだから自国の文化を軽視する民族は!」
「……話を戻しても?」
「ああ、構わんぞ」

 ちょっと不機嫌になってる。後でスイートポテトを作ってあげよう。初めて作って以来、魔王はスイートポテトを甚く気に入っている。

「ともかく、ダンブルドアが決断に時間を要した理由はそんな所です。……ヴォルデモート卿。ダンブルドアと面会する気はありますか?」
「俺様から話す事は無い。だが、【全てイエス】だと伝えておけ。それで通じる筈だ。それでも用があるのなら、貴様の方から来いと伝えろ」
「……分かりました。では、ハリーのホグワーツ魔法魔術学校入学についての話をしても?」
「ああ、それこそが本題だ。一応確認するが、ダンブルドアは魔法省を黙らせる程度の権力を残しているのだろうな?」
「それは問題ありませんよ。ノエルが失踪した直後から、こうなる可能性も考慮に入れて、あの方は行動なされていましたから。第二のヴォルデモート卿になるか、善良なまま戻ってくるか、いずれにしてもある程度の権力が必要になると分かっていましたから」
「だったら、大臣にでもなっておけば良いものを」
「過ぎた力は諸刃の剣となる。あの方にとって、権力は必要に迫られたから持っているだけのものですから。発言権さえ確保出来れば十分だと」
「余剰を容認出来ない。それはむしろ己の心に余裕が無いと言っているようなものだ。相変わらずだな」
「……とりあえず、ノエルを入学という形で手元に置く事が出来れば、後はダンブルドアが何とかします。そもそも、二年前の事は闇祓い局の暴走に責があったという論調になっていますから。魔法省全体としてもハリー・ポッターがダンブルドアの庇護下に入った事を知れば満足するでしょう」
「なっています……? そういう論調に仕立てたのだろう。相変わらず、善良ぶっておきながら悪辣な手を使う」

 楽しそうに笑う魔王。機嫌は直ったみたいだ。

「……とりあえず、此方を渡しておきます」

 魔王はビルから封筒を受け取ると、そのまま僕に押し付けてきた。

「ホグワーツへの入学許可証だ。必要な物のリストも入っている。後日、買いに行くぞ」
「うん! ビルも一緒に行けるの?」

 僕が聞くと、ビルは嘗てのように優しく微笑んだ。

「そのつもりだよ。明後日には用意しておかないといけないから、明日早速行こう」
「……いや、明後日にしろ。言った筈だぞ。貴様等がタラタラしているせいで常連に説明する時間が無いと」
「あっ、農場の人にも話しておかなきゃ!」
「さすがに一日ではどうにも出来ん。買い物など、多少無理をすれば一日で終わるだろう」
「わ、分かりました。えーっと、何か手伝う事は?」
「何もない。強いて言うなら、閉店する時に店の掃除を手伝え」
「了解です」

 二年間だ。この店を魔王とワームテールと一緒に立ち上げて、忙しくも楽しい日々を過ごした。
 ダーズリー邸。隠れ穴。魔王の隠れ家。色々な場所に住んだけど、僕にとってはこの店こそが家だった。
 きゅっと胸が締め付けられる。生まれて初めての感覚だ。家と別れる事がとても悲しい。

「アンネお婆ちゃんやイザベラさんにも挨拶して来ないと……」

 基本的に高圧的な態度を崩さない魔王とネズミ故にコミュニケーション能力が低いワームテールに代わり近所付き合いをして来て、それなりに親しい人も出来た。
 また、戻ってくる。だけど、暫しのお別れだ。
 ああ、やっぱりちょっと寂しいな。

第二話『吐露』

 二年振りに訪れたダイアゴン横丁は記憶に残るままだった。魔王は僕の内側に戻り、ワームテールは店で留守番中。
 ビルは最初に僕を銀行へ連れて来た。

「これが君の鍵」

 僕の本当の両親が遺した遺産。その全てがこの銀行に預けられているらしい。
 正直な所、お金は魔王の貯蓄とパン屋の売上だけで十分なのだけど……。

「君の両親が君の為に遺したものだ。どうか、無駄にはしないであげて欲しい」

 僕は親不孝者だ。だって、両親を殺した人と一緒にいる。その人の事を誰よりも信頼している。
 パン屋を開業して、労働の大変さを知った。銀行に預けられているお金は両親が必死に働いて稼いだものだ。
 彼らを裏切っておきながら、そのお金を掠め取るなんて、罪深い事だと思った。
 銀行を管理するゴブリンに案内され、687番金庫に到着した時、そこにあった山のような金貨を見ても手に取る気持ちになれなかった。

「君の気持ちは分かるよ。だけど、君の両親は自分達だけじゃなくて、君の未来の為に用意した財産なんだ。君の歩む先、それが幸福なものになる事を祈っていた筈だ。そして、その一助となれる事を望んでいた筈だよ。全てを使わなくたっていい。だけど、彼らの気持ちを汲んであげるべきだよ」
 
 涙が流れそうになる。魔王が何かを言ってくれれば簡単に抑えられるのに、彼は黙っている。
 僕が両親を悼めば、それは魔王を責める事になってしまう。だから、両親の事では泣かないと決めている。
 それなのに、泣きたくなる。

「……パパ、ママ」

 魔王は何も言ってくれない。

「パパ……。ママ……」

 もう、ダメだ。雫が一滴、目元から零れ落ちた。
 
「お金なんかより……、一緒に……」

 立っている事も出来なかった。座り込んだ拍子に両目から涙がはらはらと流れ落ちた。

「い、一緒に……、居てほしかったのに」

 止める事が出来ない。魔王を責めたいわけじゃない。だけど、僕は両親とも一緒に居たかった。
 両親と魔王。どちらも大好きだ。それなのに、どちらかを思えば、どちらかを蔑ろにしてしまう。

「なんで……、なんで……」

 ビルは僕の隣に腰掛けると、肩を抱いてくれた。
 彼も何も言わない。魔王も何も言わない。
 結局、泣き止んだ頃には時計の長針が一周していた。

「……ごめんなさい」

 自分でも誰に向けていったのか分からない。
 待たせてしまったビルとゴブリンに対してなのか、裏切ってしまった両親に対してなのか、魔王に対してなのか……。
 財布に金貨を詰め込んで、僕達は銀行を出た。なんとなく、心の奥底で燻っていたものが消えたように思う。

 第二話『吐露』

 買い物をあらかた済ませると、僕達はフローリアン・フォーテスキュー・アイスクリームパーラーで一休みする事にした。

「……ビル。モリーおばさんやみんなは元気?」
「元気だよ。まあ、君が居なくなった時はちょっと大変だったけどね。特にフレッドとジョージが取り乱しちゃって、闇祓い局に乗り込もうとまでしたんだ」
「ええ!? 大丈夫だったの……?」

 あの二人ならやりかねない。

「二人を宥める為にダンブルドアまで直接やって来たよ。彼が必ず君を見つけ出すと約束したから、二人も渋々納得した感じ。だから、ホグワーツに到着したら、ちょっと覚悟が必要かもね。君が帰って来た時の為に歓迎の方法をたくさん考えているみたいだから」
「あはは……」

 どうしよう。急に不安が襲い掛かってきた。
 あの二人の魅力はよく知ってる。だけど、同じくらい問題がある事も知っている。僕がウィーズリー家に居た頃もユーモアの為にやり過ぎてしまう事が多々あった。

「言っておくけど、逃してあげないからね?」
「え?」

 ビルは僕の頭を撫でた。くすぐったい。

「僕も散々取り乱したよ。父さんを青痣が出来るくらい思いっきり殴ってしまった」
「ええ!?」

 優しくて紳士的なビルの行動とは思えない。目を白黒させる僕を彼は責めるように睨みつけた。

「君に会いに行く時も不安で仕方がなかったよ。もし、君が別人のように変わってしまっていたら……、そう思うと怖くて仕方がなかった。ねえ、ノエル。辛い目にはあわなかった? 怖い思いはしなかった? 悩みはない?」

 彼の瞳には不安の色がいっぱいに広がっていた。

「心配したんだ。気を悪くするかもしれないけど、魔王の事も信じていなかった。君が辛い目にあっているかもしれない。そう思うと、いつもグラつく椅子に座っているように心許なかった」
「……ごめんね、ビル。でも、僕は大丈夫だよ」

 彼の揺れる瞳を見つめながら、僕は言った。

「だから、安心してよ」
「……うん」

 サンデーを食べて、僕達は店を出た。

「そう言えば、誕生日のプレゼントを買わないとね」
「プレゼント……?」
「欲しい物はない? なんでもいいよ」
「え? えっと……、でも……」

 誕生日プレゼントと言えば、ワームテールが毎年ケーキを焼いてくれる。魔王も面白い魔法を教えてくれる。
 だけど、何かを買ってもらう事は無かった。そもそも、店の売上は共有資産……と言うより、殆ど僕の物になってる。
 返事に窮していると、ビルは僕の肩を掴んで不満そうな顔をした。

「君に贈り物がしたいんだ。二年もお預けを食らったんだよ? 出来れば、思い出に残るような物がいいな。……そうだ、ペットはどう?」

 有無を言わさぬ迫力に僕はコクコクと頷いた。
 イーロップのふくろう百貨店という店に連れて行かれて、どのふくろうがいいか選ぶ事になった。
 魔法使いにとって、ふくろうは欠かせない存在らしい。いろいろな種類がいて、思わず目移りしてしまった。
 最終的にリュックサックに合わせる形でウサギフクロウとシロフクロウの二種類に選択肢を絞った。

「どっちにしようかな……」

 悩んでいると、シロフクロウの方と目があった。
 まるで、自分を買えと催促しているようだった。

「……えっと、君にするね」

 満足そうにホーと鳴くシロフクロウをビルに買ってもらった。

「そう言えば、ビルはホグワーツで働いているの?」

 彼は既にホグワーツを卒業しているらしい。

「うん。名目上はダンブルドアの秘書だよ。彼の自由な手駒として、あくせく働いているんだ」
「そうなんだ。よかった……」

 ビルが居てくれるなら百人力だ。正直言うと、ホグワーツでの生活に一抹の不安を抱いていたんだ。

「ノエル。いや、もうハリーと呼ぶよ。明日から、君はホグワーツの生徒になるわけだからね。楽しみにしなよ? きっと、最高の学校生活が君を待っている筈だからさ」
「うん!」

第三話『再会』

 荷物をまとめたトランクケースを転がしながら、僕はビルと一緒にキングス・クロス駅のホームを歩いている。

「あのリュックサックは持っていかないの?」
「う、うん。やっぱり、学校に持っていくのは恥ずかしいかなって……」
『……思春期か』

 魔王の呟きを無視して歩を進める。

「ワームテールはロンに返してあげた方がいいのかな?」

 ネズミの姿でポケットに入っているワームテールが『キュ!?』と声をあげた。

「一回、ワームテールに変身してもらえば大丈夫だと思うよ?」
『あの小僧がハゲ散らかしたおっさんをペットにしたいと思う特殊な人間でも無ければ、まず要らん心配だろうな』

 ワームテールは不満そうにキューキュー鳴いている。

「結構可愛いと思うけどなー。ねえ?」

 ポケットから取り出して顎の下をくすぐってあげる。とても気持ちよさそうだ。
 人間の時もネズミみたいな仕草をしている事がある。

『……お前が特殊な人間だと言う事は分かった。あまり人に言うなよ? 頭のおかしい人間だと思われるぞ』
「ええ!?」
「……何を言ったのかは分からないけど、多分、魔王が正しいよ」
 
 聞こえていない筈の魔王の言葉に同調するビル。ワームテールも両手をあげて不満を訴えている。

「ヘドウィグはどう思う?」

 トランクの上に乗せている鳥籠の中で澄まし顔のシロフクロウに問いかける。
 ちなみにヘドウィグの名前は魔法史の教科書を読んでいる時に見つけたもの。
 ヘドウィグはジッとワームテールを見つめる。目を細め、まるで獲物を見定める狩人のような表情を浮かべた。

「……美味しそうって事かな?」

 ワームテールはポケットの中に飛び込んだ。可哀想に、震えている。

「うーん、食物連鎖だね」
「うちのパン職人を食べちゃダメだよ?」

 ヘドウィグは小さくホーと鳴いた。分かってるわよ、と言っているみたいだ。

「おっと、見えてきた。あそこが9と3/4番線の入り口だよ」

 そう言って、ビルはタイル張りの柱を指差した。他の魔法族の家族連れが壁に溶けていく。前にも来た事があるけど、何度見ても奇妙な光景だ。
 ビルと一緒に壁の中へ入っていく。まるで、濃い霧の中に突入したような感覚。
 視界が晴れると真っ赤な車体のホグワーツ特急が眼前に現れた。

 第三話『再会』

 ビルと一緒に歩いていると、いきなり視界が真っ暗になった。

「えっ、なに!?」

 いきなりの事に動転していると、誰かに耳元で囁かれた。

「だーれだ?」
『……相変わらず、鬱陶しい奴だ』

 魔王には心当たりがあるみたい。
 鬱陶しい奴。魔王がそう例える人と言えば……。

「フレッド……?」

 背後で息を呑む声が聞こえる。
 次の瞬間、後ろからガバリと抱き締められた。

「ノエル!!」
「心配させやがって!!」

 前からもジョージが抱きついてきた。グルグル回されて目が回る。

「二年も雲隠れしやがって!!」
「どうしてくれようかって、いっぱい考えたんだぜ!!」
「でも、会った途端に頭から計画が全部吹っ飛んだ!!」
「会えて嬉しいぞ、バカヤロウ!!」

 まるで独楽になった気分。世界がグルグル回ってる。

「ぼ、僕も嬉しいよ」

 ビルに支えてもらいながら言うと、双子はニッコリと微笑んだ。

「ちなみに俺は?」
「フレッド」
「俺は?」
「ジョージ」

 それぞれの名前を言い当てると、二人は揃って大爆笑。相変わらず、とっても賑やかだ。

「ノエル!!」

 双子と話していると、人混みの中からモリーが現れた。

「モリーおばさん!」

 会うなり抱き締められた。

「ああ、本当にノエルだわ! でも、ハリーなのよね? ああ、どっちで呼べばいいの!?」
「うーん。ハリーがいいかな?」
「そうね! そうよね! これからはハリーと呼ぶわ! ああもう! 本当に嬉しいわ! ビルから話は聞いていたけど、実際に会わなきゃ不安が拭えなかった! また、うちにいらっしゃいね? また、一緒に料理を作りましょう!」
「は、はい」

 モリーは双子以上に激しかった。どうやら、あの後も家族の中で家事に興味を示してくれた人は居なかったみたい。

「誰も私の苦労を分かってくれないのよ! ああもう! どうして出て行ったのよ! スクリムジョールなんかぶん殴ってでもうちに置いていたのに!」
「ご、ごめんなさい……」
「あなたが謝る必要なんて一つも無いわ! 悪いのはあなたを不安にさせた私達だもの! 無事で良かった! ああ、ハリー」

 モリーには悪いけど、双子にグルグル回された直後だから吐き気が込み上げてきた。

「ストップ。母さん、そこまで! ハリーの顔色がまずい事になってる!」

 さすがビル。救世主だ。モリーから解放してくれた。背中を優しく擦ってくれる。
 危なかった。後少しでモリーの服に吐くところだった。

「あらやだ。ごめんなさいね、私ったらつい……」
「い、いえ、大丈夫です」
「……えーっと、大丈夫?」

 グッタリしている所に同い年くらいの男の子が話し掛けて来た。

「ロン?」
「そうだよ! ああ、良かった。忘れられてないかヒヤヒヤしてたんだ」
「忘れるわけないよ。君に返さないといけないものもあったから」

 そう言って、ワームテールをポケットから取り出す。

「スキャバーズ!?」
「ごめんね。逃げる時、僕のリュックサックの中に忍び込んでいたみたいなの……」

 本当は返したくない。二年間、ずっと一緒に頑張ってきた家族だもの。だけど、本当の飼い主はロンだ。

「ほら、御主人様だよ。挨拶して!」

 一応、魔王やビルに言われた通り、人間に変身させてみた。

「……え?」

 ロンが真っ白になった。ワームテールはおどおどした様子で手を振る。

「ど、どうも、御主人様」
「なにこれ」
「スキャバーズだよ。人間に変身出来るみたいなの!」
「……これ、スキャバーズ?」

 ロンが後退った。ワームテールがおずおずと近づく。ロンが更に後退する。

「ハリー」

 後からやって来たチャーリーとパーシーの後ろに隠れて、ロンは言った。

「スキャバーズは君にあげるよ!」

 すごく爽やかな笑顔だった。

「いいの?」
「うん!」

 安心した。ワームテールもどこかホッとした様子だ。

「やったね、ワームテール! これからも一緒だよ!」
「へ、へい、御主人様!」

 ネズミに戻ると、ワームテールはポケットに戻って行った。

「……君、あの姿を見て気持ち悪くないの?」

 パーシーは挨拶もせずにそんな事を聞いてきた。顔には嫌悪感がたっぷり浮かんでる。

「もちろん! ワームテールは大切な家族だよ!」
「……っていうか、人間に変身出来るネズミなんていないよ。そいつ、動物もどきじゃないの?」
「動物もどき……?」
「動物に変身出来る魔法使いの事さ。そいつは人間に変身出来るネズミじゃなくて、ネズミに変身出来る人間なんじゃないかな?」

 今にも吐きそうな顔でパーシーは僕のポケットを睨みつけた。

「そ、そんな筈はないよ! だって、初めの頃は言葉もまともに話せなかったんだよ!?」
「……だけど。いや、止そう。万が一にも僕の予想があたっていたら、僕はその男と何年も同じ部屋で過ごしていた事になる」

 ふらふらとパーシーはどこかへ消えた。

「……僕なんて、そいつと一緒にベッドで寝てたんだよ?」

 ゲンナリした表情を浮かべるロン。

「うーん……、さすがパーシー」

 ビルは頬を掻きながら困った表情を浮かべた。

「ビル……。ワームテールは……」
「あー……、パーシーが正解。ただ、重度の記憶喪失だったみたいでね。自分を本当にネズミだと思い込んでいるんだよ」
「そうなの?」
「……う、うん。魔王に聞いてごらん」
『……お、おう。そういう事だ。す、すまんな、事実を言うと接し辛かろうと思ってな』

 ビルを見る。目が若干泳いでる。

「ねえ、何かウソを吐いてない? 魔王も思いっきりどもってるし」
「ウ、ウソなんて吐かないよ。ただ、すごく言い難い事だったんだ。……その、分かるでしょ?」
『小僧の言う通りだ。言い難かったのだ!』
「……ふーん」

 ワームテールをポケットから取り出して持ち上げる。彼も困惑しているみたいだ。

「記憶喪失か……」

 頭を撫でてあげる。

「そういう事なら、ネズミ扱いは失礼だったかな?」

 ワームテールは首を横に振った。

「そう? なら、これからも今まで通りでいい?」

 ワームテールはぶんぶんと首を縦に振った。

「そっか。なら、いいや」
「いいの!?」

 ビルだけじゃない。双子やロン、モリーまでもが目を丸くした。

「人間でも、ネズミでも、僕はワームテールの事が好きだもん」

 ワームテールの瞳から涙が流れた。感動しているみたいだ。

「大袈裟だなー。これからもよろしくね!」

 ワームテールをポケットに戻す。
 丁度その時、汽車の汽笛が鳴った。

「あっ、もうこんな時間! そろそろ乗らないと!」
「じゃあ、荷物は僕が預けてくるよ」

 ビルが僕のトランクと鳥籠を持って人混みに消えていく。ちょっと寂しいけど、彼とはホグワーツでも会える。我慢だ。

「じゃあ、コンパートメントに行こう! 君の為に一室を確保しておいたのさ!」

 フレッドが僕の手を引き、ジョージが背中を押した。

「ハリー!」

 チャーリーが言った。

「そのネズミが動物もどきだとしたら、国に登録している筈だ! 俺が調べておくよ!」
「ありがとう、チャーリー!」

 チャーリーはウインクした。

「……あんなのと僕は」

 後ろからロンの暗い声が聞こえる。
 ワームテールの人間時の姿は彼に相当なトラウマを与えてしまったみたい。
 コンパートメントに入ると、僕は励ますように彼の背中を叩いた。

「ほ、ほら、ネズミの時は文句なしに可愛いでしょ?」
「……駄目だ。もう、ハゲたおっさんにしか見えない」

 悲しそうな瞳。絶望を噛み締めた表情。僕は彼を慰められる言葉を見つけられなかった。
 なんとも言えない空気のまま、僕達を乗せたホグワーツ特急は走り出した。

第四話『ホグワーツ魔法魔術学校』

 特に問題も起こらず、ホグワーツ特急は走り続けている。
 コンパートメントには双子とロンがいる。パーシーは監督生になったみたいで、監督生専用のコンパートメントにいるらしい。
 他愛のない話をしていると、突然、コンパートメントの扉が開いた。

「ぼ、僕のカエルを見なかった?」

 困った表情を浮かべる男の子が泣きそうな声で言った。

「カエル?」
「居なくなっちゃったの?」

 僕が尋ねると、男の子は力なく頷いた。

「ちょっと待ってね」

 杖を取り出して、軽く振る。

「|カエルよ、来い《アクシオ・フロッグ》」
「それって、喚び寄せ呪文だろ! もう、使えるのかい!?」

 フレッドが驚きで目を丸くしている。

「難しい呪文なの?」
「四年生で習う呪文だよ!」

 ロンの質問にジョージが答える。ロンも目を見開いた。
 そうこうしている内にカエルが飛んで来た。キャッチして、男の子に渡す。

「どうぞ」
「あっ、ありがとう!」

 この二年間、魔王からたくさんの呪文を教えてもらった。早速役に立ってよかった。
 喜んでいると、廊下の向こう側から女の子が走って来た。

「ネ、ネビル! カエルが空を飛んでいたわ! ……あら? もしかして、その子がトレバー?」
「う、うん! 彼女が魔法で呼び寄せてくれたんだ!」
「あー……、彼女じゃなくて、彼だよ」

 ジョージが訂正する。

「え!?」
「うーん。髪を切った方がいいのかな。ビルは長くてもかっこ良かったのに……」

 ホグワーツで働く事になったからか、ビルは長かった髪をバッサリと切ってしまっていた。
 正体を隠す意味も含めて伸ばして来たけど、ノエル・ミラーというパン屋の看板娘としてではなくて、ハリー・ポッターという魔法使いとして生きるならもっと男らしくなる必要があるかもしれない。

「別にいいんじゃない? とっても似合ってるし」

 ジョージが言った。

「うーん。まあ、またお店を再会する時の事を考えたらこのままがいいのかな」
「お店って?」

 失言をしてしまった事に慌てているネビルを尻目に女の子が問い掛けてきた。

「ウェールズでパン屋を営んでいるの」
「ふーん。家の手伝い?」
「……似たようなものかな」

 オッホンとジョージがわざとらしい咳払いをした。気を遣ってくれたみたいだ。
 このまま会話が進むと両親の事にも触れないといけなくなりそう。そうなると、このコンパートメントの空気は一気に暗いものになってしまう。
 
「えっと、君は?」
「あっ、ごめんなさい。私はハーマイオニー。ハーマイオニー・グレンジャーよ。ネビルのカエルを一緒に探していたの。見つけてくれた事に私からも感謝しておくわ。えっと、あなたの名前は?」
「ハリー・ポッター」
「そう、ハリーね! よろし……、ん?」

 ハーマイオニーとネビルは首を傾げた。そして、徐々に目を見開いていく。

「ハ、ハリー・ポッター!?」
「本当に!?」

 なんだか新鮮な反応だ。
 
「あの有名な!?」
「ゆ、行方不明って聞いたよ!?」

 身を乗り出してくる二人に思わず吹き出してしまった。

「僕は紛れもなく本物のハリー・ポッターだよ。証拠は特に見せられないけど」
「証拠は無くても、証人ならここにいっぱいいるよ」

 フレッドが言った。

「えっと、兄弟? でも、ハリーの髪はみんなより深い色合いね」
「ハリー・ポッターに兄弟が居るなんて話、俺達は聞いた事も無いぜ。フレッドだ。フレッド・ウィーズリー。ハリーの友達さ」
「同じくジョージだ」
「えっと、ロン・ウィーズリー」

 それぞれの自己紹介が終わった頃、ホグワーツ特急は深い森の中へ突入していた。

 第四話『ホグワーツ魔法魔術学校』

 陽が完全に暮れた頃、ホグワーツ特急は速度を緩め始めた。

「そろそろ到着かな?」

 それぞれ、みんな制服に着替えている。

「みたいだね」

 ジョージの言葉と共に汽車が完全に停止した。
 ホグズミード駅に降り立つと、驚く程大きな背丈の男が手を振っていた。

「イッチ年生! こっちだ!」

 独特なイントネーションで一年生を集めている。

「ハグリッドだ。一年生は彼について行くんだ。後で会おう」

 ジョージはそう言うと僕の頭を撫でた。フレッドはロンと僕の背中を叩いてジョージの後に続く。
 僕はロンと顔を見合わせた。

「行こうか」
「うん」

 途中でハーマイオニーやネビルと合流し、ハグリッドの後を追う。
 鬱蒼と茂る木々の合間を抜けていくと、大きな川に突き当たった。
 ハグリッドが三人ずつボートに乗せていく。順番の関係でネビルとは別れる事になった。
 ロンとハーマイオニーと共にボートで揺られていると、不意に視界が開けた。
 そこには巨大な城が聳え立ち、僕達を待ち構えていた。

「あれが……」

 言葉が上手く見つからない。ただ只管歓声を上げる。月夜が照らす居城は今まで見て来た如何なる光景をも凌駕した。
 圧巻だ。マグルの世界では御伽話として語られている世界に足を踏み入れた事実を僕は漸く噛み締めた。

『……ああ、美しいな』

 魔王も感慨深げにつぶやいた。
 ボートは余韻に浸る僕達を城の地下へ導いていく。岩肌に囲まれた空間を歩き、石階段を昇って上を目指す。
 その先では一人の老婆が待ち構えていた。

「ようこそ、ホグワーツ魔法魔術学校へ!」

 出迎えた魔女は己をミネルバ・マクゴナガルと名乗った。城内へ僕達を招き入れて、僕達を狭い部屋に閉じ込めた。
 密閉空間で立ち尽くしていると、あちこちで囁き合う声が聞こえてくる。どれも、これから始まる学校生活への不安や組み分けについての会話だった。
 ロンやハーマイオニー、ネビルも不安でいっぱいの顔をしている。

『……無知というのも悪い事ばかりではないな。それ即ち、未知を識るという事だからな』

 魔王はよく分からない事を言った。魔王には単純な話も勿体振った言い回しにする悪癖がある。おかげで言葉の裏や含みを読めるようになってしまった。
 そうこうしている内に扉が開き、マクゴナガルが入って来る。

「さあみなさん、時間です。参りますよ」

 彼女に連れて来られた先は大広間だった。
 今度は声さえ出なかった。空中に浮かぶロウソク。天井に広がる夜空。聖堂の如き広間に集まる魔法使いの卵達。
 そして、歩く先には教師と思われる魔法使い達の姿もある。
 それと、何故か壇上にポツンと置かれた椅子の上に古びた帽子が乗っている。

「これから何をするのかな?」

 僕の質問に魔王が答えた。

『組み分けだ。さて、貴様はどこに選ばれるかな』

第五話『鎖』

 次々と組み分け帽子によって所属する寮を決められていく新入生達。選ばれた生徒の顔には不安と期待が、その生徒を迎える寮の生徒達の顔には喜色が浮かぶ。
 そうしている内に一人の生徒の順番が回って来た。その瞬間、それまである程度ざわついていた大広間内の喧騒がピタリと止まった。
 ハリー・ポッター。マクゴナガルの口から紡がれた名に生徒と教師、その全ての視線が壇上へ向かう。
 登って来たのは赤い髪の少女。いや、少女に見える少年。他の生徒達と比べると、緊張した様子もない。

「リ、リリー……」

 教師の一人、セブルス・スネイプは叫び出しそうになった。その容姿は彼のよく知る女性の幼少期の姿と瓜二つだったのだ。
 脳裏に焼き付いている彼女と似ていない部分を探す方が難しい。それほど、そっくりだった。
 
「あれが……」

 アルバス・ダンブルドアもまた、彼の容姿に驚いている。ビルから話は聞いていた。身を隠すために姿を変え、今日まで生きて来たと……。
 その異常性に真の意味で気付けた人間は彼一人だった。
 人間の自我とは、自己を肯定する事から始まる。それが出来なかった者は精神に異常をきたす。性同一性障害などはその最たるものだろう。自己の性別すら認められない程、自己に嫌悪感を抱く。その在り方は歪だ。
 マグルの世界では染色体や遺伝情報、あるいは環境によって起こる事象だと説明されている。

 嘗て、闇祓い局の局長ルーファス・スクリムジョールは言った。
 ダンブルドアがハリーをダーズリー家に預けた事は完全な失策だと……。

 リリー・ポッターがハリーに宿した愛の加護を拡大化する事で鉄壁の守りにする。それが最善の一手だと思った。だが、あの姿を見ると不安に駆られる。
 確かに、幼少期に起こる魔力の暴走を利用して容姿を変える方法は理論として理解出来る。
 感情に強く依存する為、その力は杖を使う以上に直接的で、暴力的で、混沌とした効果を発揮するが、その力の方向性を制御する事が出来ればあるいは……。
 とりわけ、自らの肉体を対象とした時、その効果は絶大だ。
 嘗て、その理論を下に幼児を兵器として扱った度し難き者達もいたと言う。だが、その試みは失敗に終わった。
 呪文とは心の所作。魔法とは精神に依存するもの。結局の所、その者自身が心から望まぬ限り、暴走状態と言えども魔法的効果が発現する事はあり得ないからだ。
 ハリーがあの姿になる為には彼自身が心から望まねばならない。それまでの自分を捨てる事、今の自分の姿を歪める事に同意しなければならない。だが、それは自己の否定に他ならない。
 それほど、彼は追い詰められていたという事だ。

「……ハリー」

 正しい事をした。あの判断が無ければ、ハリーは野心ある魔法使いや闇の魔法使いによって今以上に歪められていた筈だ。最悪、殺されていた可能性も高い。
 だが、それでも……。 
 
 ダンブルドアは苦悩する間にも組み分けの儀式は続いている。
 帽子が彼の頭に触れるか触れないかの刹那、帽子の声が轟いた。

『スリザリン!!』

 第五話『鎖』

 スリザリンの寮に選ばれた。特にこれと言った感慨は沸かない。ロンを含めて、ウィーズリー家の人達は全員がグリフィンドールだから、そっちの方が安心感はあった。だけど、スリザリンは魔王が所属していた寮だ。なら、何も不安なんてない。
 ロンとハーマイオニーがこの世の終わりのような顔をしているから、軽く手を振っておく。
 スリザリン寮の方に歩いて行くと、ひそひそ話が耳に入った。どれも僕がスリザリンに入る事を不安視している。スリザリンの生徒を見ても、友好的とは言えない雰囲気だ。

「やあ、ハリー・ポッター」

 一人の少年が話し掛けて来た。椅子を引いて、僕に座るよう促す。素直に座ると、少年は僕の隣に座った。

『……ふむ、ドラコ・マルフォイと呼ばれていたな。ルシウスの息子か……』
「君、ドラコ・マルフォイ?」

 僕が名前を呼ぶと、ドラコは口元を歪めた。あまりにも悪辣な笑顔で、一瞬、怒っているのかと思った。

「光栄だね。あのハリー・ポッターに名を覚えて貰えていたとは」
「さっきの組み分けで呼ばれてたからね」
「なるほど、記憶力がいいんだね」

 実際は魔王が教えてくれたからだけど、わざわざ訂正する必要もない。

「よろしくね、ドラコ」
「ああ、よろしく頼むよ」

 手を握り合う。その後新入生歓迎会の間、ドラコはひっきりなしに話し掛けて来た。
 とても新鮮な気分。ウィーズリー家の人達と違って、彼は下心満載だ。隠しているつもりだけど、魔王に比べたら格段に読みやすい。
 裏表の無い人の方が魅力的だけど、彼は彼で面白い。何もかもが格段に劣っているけど、魔王に似ている部分もある。
 新入生歓迎会が終わると、僕達はスリザリンの監督生に連れられて地下へ降りて行った。他の寮の部屋は上の方にあるみたいだけど、スリザリンは違うようだ。
 連れて来られた場所は窓一つない洞窟をくり抜いたような部屋。出来れば塔の高い所から周囲の景色を眺めて見たかったけど、こういう神秘的な空間も悪くない。
 監督生を初めとした上級生達から歓迎の言葉を送られた後、部屋割りを決める事になった。

「ハリー。僕と一緒の部屋にしない?」
「いいよ」

 魔王曰く、マルフォイ家は純血の名家。他の家よりも発言力が突出しているらしい。
 つまり、彼の言葉に逆らえる者は早々いないという事。

「よろしく、ドラコ。仲良くしようね」
「うん」

 ◆

 深夜、魔王は人知れずホグワーツの校内を歩いている。
 二年前は五分が限界だったが、色々と試した結果、魔力を無駄遣いしなければある程度実体化を維持出来るようになった。
 彼の足は迷いなく目的の場所を目指して進んでいく。その先にはガーゴイルの像があった。
 彼が立ち止まると同時にガーゴイルが動き出し、脇に退いた。そこには階段があり、登った先には校長室がある。
 中に入ると、待ち構えていたようにダンブルドアの姿があった。

「久しいな、ダンブルドア」
「……ああ、久しいのう。トム」

 当たり前の顔をして応接用のソファーに座る魔王。対して、ダンブルドアは紅茶を振る舞う。

「わざわざ出向いてくれるとはな」
「貴様に伝える事があったからな」
「……お主が本体では無い。そういう話かね?」

 ダンブルドアの問い掛けに魔王は笑った。

「その言い回しは変わらんな。全てお見通しという態度だ。だが、断定は出来ていない。だろう? それを確定情報にしてやる為にわざわざ来てやったのだ」

 嘲るような魔王の態度に眉一つ動かさず、ダンブルドアは紅茶を啜る。

「お主はどうするつもりかね? まさか、ハリーの為に本体を消すとでも?」
「さて、どうかな」
「明言しないと言うことはそういう事じゃろう。まったく、相変わらずじゃな」

 魔王は鼻を鳴らした。

「……賢者の石はここか?」

 床を指差す魔王にダンブルドアは微笑を浮かべる。

「さて、どうかな」
「……年甲斐もなく意趣返しとはな」

 呆れた表情を浮かべる魔王にダンブルドアは嬉しそうに微笑んだ。

「お主とこういう会話が出来る事は実に喜ばしい事じゃ」
「言っておくが、貴様と馴れ合うつもりはない」

 魔王の冷たい視線にも動じず、ダンブルドアは微笑み続ける。
 その笑顔に苛立ち、魔王は席を立った。

「俺様は貴様を殺したい程に憎んでいる。それは今も変わらん。その事を忘れるなよ」
「……ああ、もちろんだとも」

 魔王は舌を打つと姿を消した。来た時とは違い、文字通り霞の如く消え去った。

「……校長」

 透明マントで姿を隠していたスネイプが魔王の消えた場所を睨みながら口を開く。

「あれを信用するつもりですか?」
「するとも。しない筈がない」
「何故ですか!? 相手はあの闇の帝王なのですよ!?」
「何故か……。お主がそう問うとはのう」
「……何が言いたいのですか?」

 ダンブルドアは微笑む。

「あやつはハリーを愛してしまっている」

 その言葉にスネイプは言葉を失った。

「セブルスよ。愛とは偉大なものじゃ。如何なる悪人であれ、その感情を抱いてしまえば逃れられぬ。愛する者に害が及ぶ事を容認出来る者は多くない」
「……愛した者を殺す者もいます」
「悲しいことじゃ。だが、あやつに限ってはあり得ぬよ」
「何故ですか……?」
「あやつは愛を知らなかった。だが、今は知ってしまった。愛を捨てられる者はより大きな愛を持つ者だけじゃよ」

 スネイプは俯いた。その言葉は彼自身にも当て嵌まる。唯一無二の愛とは絶対的な鎖となる。
 彼自身、未だに愛から逃れられずにいる。一度は捨てようとしたが、結局は愛の下に戻って来た。
 愛から逃れられる者は多くない。そして、彼や魔王には決して逃れる事が出来ないのだ……。

第六話『戦友』

 スリザリンの生徒としての生活が始まった。授業に関しては何も問題ない。基本的には魔王から教わった事の復習。分からない事があっても、直ぐに魔王が教えてくれる。先生よりも魔王の方が詳しい事さえ多々ある。
 寮生との関係も良好だ。特に僕が何もしなくてもドラコが全てを整えてくれる。

「ハリー。このお菓子をどうだい? 母上が送ってくれたものなんだ」
「わーい! いただきまーす!」

 彼は僕をすごくちやほやしてくれる。自分から話題を振って話を盛り上げてくれるし、お菓子や紅茶を黙っていても用意してくれる。
 魔法界の英雄に取り入ろうと頑張ってくれている。

「ドラコ! 僕、今度はチョコレートのお菓子が食べたいなー」
「チョコレートか……。わかった、用意しておくよ」

 素晴らしい甲斐性だと思う。痒いところに手が届く感じ。闇の帝王を討ち倒した者に対して、思う所は人それぞれだと思うけど、彼は僕が煩わしい思いをしなくていいように周囲を諌めてくれさえする。
 一つ問題があるとすれば、それはグリフィンドールと会合した時だ。

 第六話『戦友』

 昼食を食べる為に食堂に向かうと、時々ロン達と遭遇する。

「やっほー!」

 僕が気軽に声を掛けると、ロン達はビクッとした態度を取り、ドラコは露骨に嫌そうな顔をする。

「ハリー。いつも言ってるだろう? 友人は選ぶべきだと」
「うん。選んでるよ?」

 時々、ドラコは人を博愛主義者みたいに言う。別に誰も彼もが大好きってわけじゃない。

「ロン。そっちはどんな感じ?」
「……えっと、いい感じかな。そっちはどうなの?」

 ロンはドラコを睨む。彼らは互いを毛嫌いしている節がある。

「ハリーは快適に過ごしているさ。貧乏人の君と違って、僕はハリーに全てを与えている」
「金で友情は買おうなんて、寂しいやつだな」

 二人共、中々に辛辣だ。そして、流れ弾が僕に当っている。お金目当てで友達を選ぶ人間だと思われてるのかな? 
 言い合いは次第にヒートアップし始めて、互いに杖を取り出した。これはまずいと思って、二人に武装解除呪文を使う。

「お、おい!」
「何をするんだ!」

 二人がムッとした表情を浮かべて僕を睨む。別に止めようとしたわけじゃないから怒るのは筋違いだ。

「魔法を使った喧嘩は校則違反だよ。だから、魔法を使わずに喧嘩をしたらいいと思うんだ」
「……え?」
「……へ?」

 周囲に出来つつあるギャラリーに一歩引いてもらい、僕は二人に笑いかけた。

「男同士は杖なんか使わないで、殴りあうべきだよ! そうして友情を深め合うんだ!」
「……はい?」

 ドラコが困惑している。何を言っているんだ、お前……。そういう顔をしている。
 ロンも似たようなリアクション。

「僕は思うんだ。このまま互いに鬱憤を溜め込んだまま進むと、いつか取り返しの付かない程関係が拗れるって!」

 二年間、パン屋の看板娘として多くの人と関わりを持った。そして、分かった事がある。
 人間は思い込みの激しい生き物だ。だから、一度相手に悪感情を抱いてしまうと取り払う事は難しくなる。
 ドラコとロンが互いに嫌悪している理由は互いの印象が最悪に近いから。だけど、本当の意味で相手の事を知っているわけじゃない。今の二人の関係は互いの両親の不和をそのまま受け継いでしまっている事が原因だ。

「ドラコ。ロンはすごく優しくて、とってもユーモラスなんだよ」

 ドラコを構えさせる。

「ロン。ドラコはとても賢くて、気遣いの出来る人なんだよ」

 ロンを構えさせる。

「お互いの事をもっとよく知れば、きっと二人は仲良くなれると思うんだ」
「……えっと、あの」
「ハリー……?」

 僕は満面の笑みでレフェリーを務めた。

「大丈夫。フレッドとジョージにお願いして、先生が来ないようにしてもらったから! 存分に殴り合えるよ!」
「え?」
「え?」

 周囲のギャラリーにはフレッドとジョージもいた。二人に事情を説明すると大喜びで協力してくれた。
 
 ◆

「おいおい、これから何が始まるんだ!?」
「ウィーズリーとマルフォイの決闘だってよ!」
「え!? 決闘は校則違反よ!」
「杖を使わない決闘らしいよ。だから、別に問題ないんじゃない?」
「え? いや、そうなのかな……?」
「どっちが勝つと思う?」
「俺はマルフォイに1シックル賭けるぜ!」
「私もマルフォイかな!」
「僕はロンに賭けるよ!」
「っていうか、なんで喧嘩してるの?」
「よく分からないけど、ハリーを取り合ってるっぽいぞ」
「あはは、楽しそう!」
「やれやれー!」
「一人を取り合い、二人の男が拳を振るう。絵になるわねー」

 周囲が好き勝手な事を言い出す。気付けば賭け事までし始めている者まで現れている。
 ドラコはハリーを見た。目をキラキラ輝かせている。これが正しい事だと信じている目だ。曇りの無い目で戦えと迫ってくる。
 ロンは周囲を見た。逃げ出すスペースなど欠片もない。そもそも、ここで逃げたら大顰蹙だ。それに、男としてのプライドもある。

「ファイッ!」

 そして、二人は《何故、こんな事に!?》と思いながら殴り合いを始める。確かに喧嘩を始めたのは二人だ。だが、これはいくらなんでも予想外の展開。
 とても痛い。そもそも、魔法使いは殴り合いなどしない。殴られた所はもちろん、殴った拳まで激しく痛む。だけど、止める事が出来ない。
 誰も止めてくれないのだ。

――――な、何故だ!? どうして、誰も止めないんだ!! クラッブとゴイルはどうした!?
――――ハーマイオニー!? 校則違反だよね、これ!!

 周囲は囃し立てるばかりだ。互いの顔が歪んでいく。

――――おい、ウィーズリーの顔が見えないのか!? こんなに顔が腫れて、とても痛そうじゃないか!!
――――マルフォイの顔を見て、何も思わないのか!? 折角の男前が鼻血のせいで台無しになっているぞ!!

 終わらぬ決闘。終わらせたいのに、終わらせてもらえない。

「ね、ねえ、二人を止めた方がいいんじゃない?」

 女神が現れた。

「ダメだよ。二人はまだ戦ってる。これは男同士のプライドを掛けた決闘なんだ! どちらかが倒れるまで、彼らは戦う。じゃないと、きっと納得出来ないと思うんだ!」

 魔王が女神を追い返した。男同士のプライドという禁断のワードを使われた事で、余計に止められなくなった。
 いつしか、互いの目には涙が浮かんでいた。これは痛みによるものではない。相手に対する哀れみの涙だ。
 痛くてたまらない。それは相手も同じだ。
 同じ痛みを共有する事で二人の間には一種の絆のようなものが芽生えていた。
 そして、倒れこむ二人。周囲は喝采を上げた。そして、先生が来た。みんなは逃げた。取り残された二人は教師に連行されていく。

 ◆

 二人の友情劇を見届けた後、僕は取り残されたパンジーやクラッブ、ゴイル、ハーマイオニー、ネビルと一緒に食事を取った。

「……こ、これで本当に良かったの?」

 ハーマイオニーが問う。

「こういう事は一度とことんまでやるべきなんだよ。ね?」

 僕は話の矛先をクラッブとゴイルに向けた。二人は笑いながら何度も頷いた。

「……ドラコは鼻から血を流していたのよ?」

 パンジーが怖い表情を浮かべる。

「でも、最後は二人共満足そうに倒れてたよ?」

 ネビルが言った。僕も同意見。
 レフェリーとして間近に居たからこそ倒れる瞬間の二人の顔を忘れられない。
 まるで、あらゆる憎悪や憤怒から開放されたような爽やかな笑顔だった。

「うん! きっと、二人は互いに吐き出したいものを全て吐き出せたんだと思うよ!」
『いや、あれは痛みから……。まあ、いいか……』

 その後、ロンとドラコの関係は劇的に改善された。後からドラコに聞いた事だけど、医務室でも色々と話をしたそうだ。
 互いに噛み付き合う事もなく、まるで戦場を共にした仲のように会う度挨拶を交わす関係となった――――。

第七話『魔王の失敗』

 少し、昔の夢を見た。昔と言っても、ほんの一年ちょっと前。僕はドラゴンを見た。
 物語の挿絵に描かれているような猛々しい姿に見惚れた事を覚えている。

『ヘブリデス・ブラック種と言う』

 そこは竜の渓谷と呼ばれる場所。魔法省が管理するドラゴンの棲息域の一つ。
 魔王の魔法でこっそりと侵入した僕達はこの傾国にひっそりと咲く一輪の花を摘み取った。
 アーメグラウスと呼ばれる藍色の花びらを持つ花。

『中々、見事だろう?』
「うん……、かっこいい」

 こういう景色を何度も見せてもらった。不自由にさせていると思っているのだろう。
 
『……そうだ。近くに淡い緑の花を咲かせる樹があった筈だ。その枝を一本持ち帰るぞ』
「枝を……?」
『これから作る魔法薬は難度の高いものだ。いきなりでは難しい。だから、一つ一つ手順を踏んでいく。まずは|魔具制作《マジック・クラフト》を経験してもらうぞ』

 その後も色々な場所へ行き、材料を集めたり、魔具を制作したりした。パン屋の二階の一番奥には僕の専用工房がある。
 振ると星屑が溢れ出す杖。歌に合わせて踊る人形。永遠に留まり続ける火。他にもたくさん作った。
 
 魔王はたくさんの世界を見せてくれた。
 その度に思う。

――――ああ、この人について来て良かった。

 第七話『魔王の失敗』

 ホグワーツに来て、二ヶ月が経とうとしている。その間、特に変わった事は何も起きていない。
 しいて挙げるなら一つ。グリフィンドールとの合同飛行訓練の日、ネビルが箒の制御に失敗して死に掛けた。
 
 浮き上がる箒の上で慌てふためくネビル。

「落ち着きなさい、ロングボトム!」

 フーチ先生が制御を取り戻すように指示を飛ばすけど、箒にしがみつく事でやっとなネビルには届かず、その間も箒は暴れ続けた。
 そして、当たり前のようにネビルは箒から落とされた。肉体労働など殆どした事のない十歳の少年の体力では暴れ馬を乗りこなす事など出来なかった。
 だから、杖を向けた。

「お願い」
『……仕方がない』

 魔王に体を委ねる。魔王は二年の間に主観時間を操る術の研究を重ねていた。
 元々、時を操る魔法は存在するらしく、その技術を汲む事で実用段階まで漕ぎ着けた奥義と呼べる技術。
 魔王の感じる世界を僕も感じる。風ではためくローブの動きが徐々にゆるやかになっていく。

『|落ちゆくものよ、とまれ《アレスト・モメンタム》』

 呪文が杖の先から溢れ出す。同時に時の流れが元に戻った。
 ネビルの体が空中で止まる。僕は杖に手を掛けると、浮上してネビルを捕まえた。

「大丈夫?」
「え? あれ!?」

 混乱しているみたいだけど、怪我はしていないみたい。

「先生。怪我はないみたいです」
「……え? あっ、一応医務室へ連れて行きます。見えない所に怪我を負っている可能性もありますから」

 そう言って、フーチ先生はネビルを連れて行った。
 その後は大騒ぎ。僕のネビル救出劇を見ていたみんなが褒め称えてくれた。実にいい気分。ドラコとロンはこぞって魔王が使った呪文を使いたがった。物体停止呪文自体は僕も使えるから教えてあげると、二人は代わりばんこに箒で浮上しては互いを止め合って笑った。
 そして、鬼の形相を浮かべるフーチ先生に連れて行かれた。

 ここ二ヶ月で起きた大きな事件といえばそれくらいだ。ロンとドラコはあれ以来更に仲が深まったみたいで、時々一緒にふざけ合う仲になった。まさに悪友という感じ。
 最近、フレッドとジョージ、それに、彼らの仲間のリー・ジョーダンが自分達の立場を脅かされるのではないかとヒヤヒヤしている姿を見かける。
 とても平和だ。魔法使いの世界。あのスクリムジョールのような人ばかりだと思っていた。本当は魔王やワームテールとあの店に居たかった。だけど、思っていたよりも居心地が良い。

「あれ?」

 授業を終えて大広間に向かう途中、見知った人影が見えた。
 今日はハロウィン。大広間ではパーティーが開かれる。なのに、彼女は大広間と反対の方角へ走っている。

「どうしたのかな?」

 追い掛ける事にした。小走りで廊下を進む。彼女にはすぐ追いつく事が出来た。

「どうしたの? ハーマイオニー」

 彼女は泣いていた。

「……ハリー?」

 とりあえず、落ち着かせる為に近くの教室へ入った。座らせて、理由を聞いてみる。
 どうやら、呪文学の授業でロンと喧嘩をしたらしい。お節介を焼いたら、ロンに酷い事を言われて、トイレで泣こうとしていたみたい。
 
「よしよし」
「……何してるの?」
「頭を撫でてるの」

 昔、僕は誰かにこうしてもらいたかった。
 ビルに初めて撫でてもらった時、僕はすごく嬉しくて、安心出来た。
 ハーマイオニーは戸惑いながらも安堵の表情を浮かべる。
 そう言えば、魔王が頭を撫でてくれた事は一度も無いな……。

 ハーマイオニーの涙が引っ込み、落ち着いた頃に教室を出た。
 まだ、ハロウィン・パーティは続いている筈。折角の御馳走を逃したくない。
 ハーマイオニーの手を取って、一緒に走った。
 ところが、角を曲がった所で異様な存在と出くわした。

「……え?」

 身の丈三メートルはありそうな巨人。その手には明らかに暴力的な目的で使うであろう棍棒が握られている。

「うそっ……、トロール!?」

 トロール。名前は聞いた事があるけど、実物を見たのは初めてだ。
 知っている事と言えば、ノロマで単細胞……そして、

「逃げて、ハーマイオニー!」

 とても凶暴。振り下ろされた棍棒を盾の呪文で防ぐ。

「で、でも!」

 追い掛けている時に見た感じ、ハーマイオニーは足が遅い。いくら相手がトロールでも逃げ切れない可能性がある。
 生憎、僕も彼女を背負って逃げ切れる程の体力自慢じゃない。
 
「いいから、先に行って! 先生を呼んで来て!」
「ハリーは!?」
「君が逃げたら逃げるよ!」

 そう言うと、漸く自分が足手纏になっている事に気付いてくれた。振り向いて走り去っていく彼女から目をそらし、代わりにトロールを見つめる。

「……出来れば、元の場所に帰って欲しい」
『無駄だ。アレは会話を解す程の知性もない。ただ、本能のままに暴れるだけの獣と同じだ』
「でも、ここに自分で来る事はあり得ないよね?」
『ああ、そうだな。間違いなく、何者かがここに招き入れた』
「なら、この仔に罪は無いよ」

 魔王は僕にたくさんの世界を見せてくれた。かっこいい生き物。かわいい生き物。優しい生き物。怖い生き物。たくさんの生き物を見て来た。
 そこに悪意があるなら立ち向かう。だけど、連れて来られただけのトロールを痛めつけたくない。
 棍棒を盾の呪文で防ぎながら、ハーマイオニーが逃げる時間を稼ぐ。

「……先生達が来たら、どうなるかな?」
『殺すだろうな。間違いなく』
「それは……、イヤだな」
『仕方のない事だ。害を及ぼすモノはそれが獣であれ、虫であれ、人であっても駆除するのが人間だ』
「でも……」

 迷っている内に背後が騒がしくなった。誰かが来たようだ。
 悲しい気持ちになる。僕にはどうする事も出来ない。ただ、連れて来られただけの仔が殺される。なんて、理不尽な話だろう。

「ただ、連れて来られただけなのに……」

 そこに存在する事が罪とされる。その苦しさ、絶望はよく知っている。

「……ごめんね」

 トロールの未来を悼む。すると、後ろから声が掛かった。
 その声は予想と違うものだった。

「ハリー!!」
「……え?」

 そこに居たのはロンとドラコだった。

「ど、どうして!?」

 わけがわからない。ハーマイオニーには先生を呼んでくるように伝えた筈だ。なのに、どうして二人がここに来るのか理解出来ない。

「ハリーから離れろ!」
「こっちだ、ウスノロ!」

 囮になるつもりなのか、二人はトロールを挑発する。

『……いかんな』

 全てがスローモーションに見えた。怒ったトロールが棍棒を二人に投げつけたのだ。予想外の事に二人は目を丸くしている。
 避けろと叫んでも、二人は縫い止められたように動かない。恐怖が彼らを縛っている。

「|盾よ《プロテゴ》!!」

 盾の呪文で二人を守る。

『馬鹿者!! 避けろ!!』

 魔王が叫ぶ。振り向くと、トロールの足が迫ってきていた。
 まるで、サッカーボールのように蹴られ、僕の体は冗談みたいに飛んで行く。いっそ、笑えてくる程見事に蹴り飛ばされてしまった。
 壁にぶつかると、呼吸が出来なくなり、全身に痛みが走った。急速に意識が遠のいていく。

『如何なる時も……』

 薄れゆく意識の中、魔王の声が聞こえる。

「如何なる時も自らを優先しろと教えてきた筈だぞ!」

 目の前に実体化した魔王の足が見えた。そして、僕の意識は闇に沈んだ――――……。

 ◆

 他人を蹴落とす事は教えられなかった。だが、常に自らの利益を優先しろと教えてきた。
 |あの愚か者共《ダーズリー》がハリーから奪ったモノは多い。その中にはハリー自身の自尊心もあった。
 常に見えない誰かに怯え、自分を価値の無い人間と思い込んでいた。
 多少は改善されたが、このような結果は許容出来ない。

「……後で小言の一つや二つは覚悟してもらうぞ」

 ハリーの魔法で守られながら、愚かにも目を瞑り怯えている小僧共を眠らせる。

「教師が来るまでに二分といったところか……」

 本当ならば嬲り殺しにしてやりたい。だが、それをハリーは望まない。
 
「……育て方を間違えたか」

 打算的に思考出来る癖に、肝心な所で感情を優先させる。
 もっと、冷酷で悪意に満ちた人間に育て上げる筈だったのに……。

「過ぎた事を言っても詮無き事か」

 トロールの下へ歩み寄る。棍棒は消滅させておいた。

「貴様は野へ帰るがいい」

 ホグワーツの校内では転移系の魔法が使えない。
 だから、壁を破壊し、トロールを遥か彼方に聳える山の中へ強引に吹き飛ばした。盾の呪文を施したから、死ぬ事は無いだろう。
 一仕事を終え、ハリーの中に戻ると、ちょうどウスノロ共がやって来た。
 崩れた壁を見て驚いている。まあ、この者達の事はどうでもいい。問題はトロールを招き入れた者だ。十中八九、これは囮だ。本命は恐らく……。

『まあ、どうでもいいか』

 少し疲れた。休むとしよう。

第八話『友達』

 週に一度、ビルから誘いの手紙が来る。四方の壁を無数の本で埋め尽くした図書館みたいな部屋。
 隅に置かれた机にはたくさんの写真がある。ビルには色々な国の友達がいて、その写真は彼らの国へ行った時に撮影したものらしい。
 
「……トロールの一件は大変だったね」

 ビルが紅茶を啜りながら言った。

「ちょっとビックリしちゃった。……けど、あの仔には罪なんて無いよ」

 あの仔をここに連れて来た存在がいる。見つかったら殺される事を分かった上で……。

「ハリー。怒ってる?」
「……生き物にはそれぞれ生きる場所がある。棲家を手放す事はそれだけで苦痛だし、新たな場所で苦境に遭えば、それは理不尽だよ。安息を与える努力もせず、殺されると分かって、ここに連れて来たのなら……。何を目的にしていたとしてもあの仔に対する悪意は許せない」

 ワームテールやヘドウィグは僕に懐いてくれている。だけど、彼らに真の意味で安息を与えてあげられているかは分からない。だからこそ、努力を惜しんではいけない。
 生き物を傍に置くという事はそういう事だ。
 魔王が僕にそうしてくれたように……。

「……ハリー。とても怖い目をしているよ」

 ビルは僕の頭を撫でた。

「初めて会った時と比べたら随分と明るくなったけど、そういう所は変わっていないね」
「……ごめんなさい」
「謝る必要はないよ。トロールを相手に憂慮出来る人間なんて稀だ。君の優しさは美徳だよ」
「別に優しいわけじゃ……」

 ビルは言葉を止めるように人差し指を僕の口に当てた。

「否定してはいけないよ。例え、それが共感によるものだとしても」
「でも……」
「ハリー。大切な事は共感した後にどんな感情や行動を繋げるかだよ。君は同じ境遇にあるモノをどのような存在であっても救いたいと願う。それは紛れもない優しさなんだ」

 優しいのはビルの方だ。以前、ウィーズリーの家で彼と寝ていた時、将来は遺跡の発掘や冒険をしたいと言っていた。
 それなのに、彼はここにいる。行方を眩ませた僕を見つける為に、僕を守る為に……。
 迷惑を掛けた筈なのに、謝ると哀しそうにする。僕の話を聞きたがる。僕の全てを認めてくれて、いつも頭を撫でてくれる。
 彼と話をする度にロンの事が羨ましくなる。この人をお兄さんと呼べる彼に嫉妬してしまう。

「ハリー。もうすぐクィディッチの季節だ。箒に乗った事はある?」
「あるよ。魔王に教えてもらって、箒を作った事もあるの!」

 ビルは驚いたように目を見開いた。

「箒を作ったのかい? それはまた……、器用だね」
「すごく遅いし、一メートル程度しか浮上出来なかったけどね」

 苦笑いを浮かべる僕に「それでも凄いよ」と彼は褒めてくれた。

「でも、クィディッチについてはよく知らないんだ。魔王に教えてもらった事はあるんだけど、いまいちピンと来なくて」
「まあ、実際に見てみないと分からないかもね。きっと、君も熱中する筈さ」
「ビルも熱中してるの?」
「もちろんだよ。チャーリーが羨ましかった。アイツはグリフィンドールのキャプテンを務めたんだよ」
「へー、すごいね」
「ああ、とても凄い事だよ。ここ数年はスリザリンが勝ち続けているけど、チャーリーがチームを引っ張っていた頃はグリフィンドールこそ最強だった」

 彼が何かを熱く語る姿は久しぶりだ。一緒に寝ていた時、寝物語として色々話してくれたけど、こういう時は少し子供っぽい表情を浮かべる。
 ビルがこれほど熱中するスポーツ。僕も興味が沸いた。

「楽しみだね、試合」

 第八話『友達』

 結論から言うと、確かに面白そうではあった。ただ、あまりにもスリザリンのチームが強過ぎた。
 グリフィンドールは割りと喰らいついてきたのだけど、最終的に勝利を収めたのはスリザリン。

「はっはっは! 所詮は永遠の二番手だな、グリフィンドール!」
「……クソッ、僕が必ずチームに入って糞ったれなスリザリンから優勝杯を奪い返してやる!」
「おいおい、僕を笑い死にさせるつもりか? 寝言は寝ている時に呟くものだぞ、ウィーズリー」

 試合後はドラコとロンがいつものように言い争いを繰り広げていた。二人共、決して杖は抜かない。口喧嘩だけだ。
 それも最初の数分だけで、気がつけば試合の感想や考察を言い合い、議論に変わっていく。
 最終的に二人共チームのメンバー入りを誓い合う。

「いいか! 必ずチームに入り、僕に倒されに来い!」
「君が泣いて悔しがる姿が瞼に浮かぶね!」

 ギラギラとした眼差し。そこには相手を認める気持ちと譲れないプライドが入り混じっている。
 
「……相変わらず、楽しそうね」
「そうだね」

 いつしか、ハーマイオニーはロンのお目付け役みたいになっていた。ロンがドラコと暴走しそうになると止めに入る。あの二人は相性が良すぎてバカになってしまう事が多い。
 先生に何度罰則を受けたか分からないくらいだ。

「ドラコはそっちの担当でしょ。たまには止めなさいよ」

 ジトッとした目で睨まれた。

「僕は普段の彼よりロンと一緒に暴走している時の彼が好きなんだ。だから、絶対止めない」
「……まあ、楽しそうだものね」

 寮にいる時より、ずっと楽しそうにしている。
 スリザリンとグリフィンドールは長い間対立していたらしい。その関係は山積した両者の敵意によって実に陰湿なものになっている。
 だけど、二人の間にある敵意はとても健全で爽やかだ。相手をただ陥れたり、傷つけたりしようとしているわけじゃない。認めているからこそ、共に競い合おうとしている。
 上級生の中には二人の関係を問題視する人もいる。だけど、マルフォイ家にわざわざ意見しようとする者はいない。なにしろ、別に仲良くしているわけじゃないからだ。
 これも僕が止めない理由の一つ。彼らは争うからこそ今の関係でいられるのだ。

 寮に戻り、寝室に行くとドラコは興奮した様子で未来の展望を語り始めた。

「見ていたまえ、ハリー! 来年、スリザリンとグリフィンドールはそれぞれシーカーの枠が空く。僕は必ずその枠を手に入れてみせる! まあ、ウスノロなウィーズリーには無理だろうけど、万が一にもヤツがシーカーの座を射止めたら、必ずや敗北の味を教えてやるよ」
「それは楽しみだね」

 最近のドラコは笑顔が多い。あの悪辣な笑みじゃなくて、自然な笑顔。
 やっぱり、男同士の友情は殴りあってこそなんだな……。

「ねえ、ドラコ」
「ん、どうしたの?」
「ちょっと、殴りあってみない?」

 ドラコの表情が凍り付いた。

「……え!? どうしたんだ、いきなり!?」
「折角だから僕もドラコともっと仲良くなりたいんだ」
「そ、それは嬉しいよ! けど、なんで殴りあうの!?」
「友情はやっぱり拳で深めるものなんだなって実感したから」
「そ、それは違うよ! 根本的な部分で何かを間違っている!」

 結局、僕がいくら誘ってもドラコは乗ってくれなかった。
 ドラコは僕と接する時、必ず一拍を置いている。言葉一つ一つを吟味して口にしている。
 どうせなら、ロンと接する時のようにもっと感情をぶつけて欲しい。
 
「……ハリー」

 寂しい気持ちになって俯くと、ドラコはため息混じりに言った。

「なに?」
「友情の形は一つじゃないと思うんだ」

 ドラコはベッドに腰掛けた。

「明日、一緒に外を歩かない? 敷地内を出なければ校則違反にはならない筈だから、ちょっと探検してみようよ」

 ドラコはいつもと違う笑みを浮かべている。裏の思考など介在しない、純粋な笑顔に見える。

「……僕もちゃんと君と友情を深めたい」
「殴り合いはダメ?」
「それは勘弁して欲しいな……」

 苦笑するドラコに僕も笑った。少しだけ、彼と距離が縮まった気がする。

第九話『怒り』

 第九話『怒り』

 ドラコと一緒に校内を探検している。思った以上に面白い発見がいくつもあった。

「ここにも抜け穴があるね」

 鎧の裏や絵画の一部が抜け穴になっていたり、扉を開けてみたらポルターガイストのピーブズが暴れ回っていたりと飽きる暇がない。
 ピーブズは僕達に絡んでこようとしたけど、魔王のアドバイスで撃退出来た。

『ヤツは|混沌《カオス》より湧き出た存在だ。それ故、対話をする事に意味は無い。秩序を乱す事こそ、ヤツにとっての存在意義だからな。だが、追い払う事は簡単だ。秩序を押し付けてやればいい。ヤツの生み出した混沌を肯定するだけで、ヤツは苦しみを覚える』

 彼の言う通り、彼が起こした事、口にした言葉を全て肯定すると、彼は苦痛に顔を歪めて逃げ出した。
 彼は自身の意思で僕達に害意を向けた。だから、憐れむ気もない。悪意を向けたら悪意で返される。当たり前の話だ。

「ねえ、暴れ柳を見に行かない?」

 校内をあらかた見て回った後、ドラコが言った。

「暴れ柳って?」
「校庭の一画に埋められている珍しい木だよ。近づくものを攻撃する習性を持っているみたいなんだ」
「それって、危なくない?」
「近づき過ぎなければ大丈夫だよ。どう?」
「……うん、行ってみる」

 外に出ると少し肌寒さを感じた。

「もうすぐクリスマスだね。ハリーはどうするの? 良かったら、僕の家に来ない?」
「ドラコの家? いいの?」
「もちろんだよ。父上や母上もお喜びになる筈さ」

 思った以上に嬉しい。友達の家に招待されるなんて初めてだ。
 
「ありがとう、ドラコ!」
「……そこまで喜んでもらえるとは思わなかった。精一杯歓迎するよ」

 話していると暴れ柳は見えてきた。

「うわー、凄いね」

 試しに小石を投げてみると、暴れ柳は一瞬で砕いてしまった。まるで生きているみたいに木の枝が動く。
 確かにこれは一見の価値が在る。

「暴れ柳は魔法界でもかなり貴重なものらしいよ」

 しばらく見つめていると、次第にどうでもよくなって来た。所詮、木は木に過ぎない。それも暴れ回る以外は普通の木に見える。

「そろそろ戻る?」
「うん。見に来て良かったよ。ありがとう、ドラコ」

 ドラコも飽きてきたみたい。

「そうだ。折角だから禁じられた森の方に行ってみない?」
「禁じられた森に?」

 そこはダンブルドアが最初に言った立入禁止区域の一つだ。

「中には入らないよ。近くに行くだけさ」
「いいよ。僕も興味があったし」

 探検の締め括りとしては悪くない。一緒に歩いて行く。獣の鳴き声や忌まわしき者の呻き声が響いてくる。

「そう言えば、ドラコは魔法生物ってどのくらい見た事あるの?」
「屋敷しもべ妖精くらいかな」
「そうなの?」

 意外だ。魔法界で生まれ育ったのなら、もっと色々と見ているものだと思った。

「魔力を持った生き物は総じて一定の危険性を秘めているからね。知識がつくまでは近づかせてもらないのさ」
「そうなんだ」
「ハリーにはあるのかい? 魔法生物に会った事が」
「あるよ。庭小人とか」
「それなら僕の家にもいたよ。魔法で蹴散らしてやったけどね」
「あれも魔法生物でしょ?」
「ああいうのは魔法生物っていうより、単なる害虫だよ」

 話している内に禁じられた森の近くまで来ていた。
 そこには絵本から飛び出したような小さな小屋がある。

「あれはなにかな?」
「ああ、召使いの小屋さ」
「召使い?」
「知らない? 汽車から降りた時に妙なイントネーションで喋るウスノロのデカブツがいただろ? アレだよ」
「ああ、あの人か」

 確か、名前はハグリッド。ビルから教えてもらった事は忘れない。

「ちょっと、寄ってみない? もしかしたら、禁じられた森について何か聞けるかもしれないよ」
「うーん。アイツは野蛮な男だって有名だよ?」
「でも、禁じられた森にどんな生き物が棲んでいるのか聞いてみたいんだ。ダメ?」
「……オーケー。ハリーが行きたい場所なら僕はどこまでもお供するよ」
「やったー! さすがドラコ!」

 近くまで行くと、思ったよりも大きかった。まあ、彼のサイズだと家もこのくらいの大きさは必要になるか。
 ノックをしてみる。

「こんにちはー」

 しばらくすると、扉が開いた。物凄い熱気が中から溢れてくる。

「うわっ、なんだ!?」
「あつっ」

 思わず後ろに下がると、ハグリッドは僕をジロジロと見つめてきた。

「……お前さん、ハリーか?」
「そ、そうですけど……」

 ハグリッドは嬉しそうに笑う。

「お前さんから会いに来てくれるとはな! 嬉しいぞ、ハリー! どうかしたんか?」

 びっくりするくらい馴れ馴れしい。

「えっと、禁じられた森の生き物について教えてもらいたくて……」

 僕の言葉にハグリッドは目を見開いた。

「なんと! お前さん、魔法生物に興味があるのか!?」
「え、ええ、まあ……」

 ちょっと後悔し始めた。ドラコを見ると、ほら見ろと言わんばかりに顔を引き攣らせている。
 なんというか、文化的という言葉から大きく外れた人のようだ。

「お前さんからの頼み事を断るはずが無い! もちろん、なんでも教えてやるぞ!」
「あ、ありがとうございます。でも、忙しいようなら日を改めて……」
「構わん! さあさあ、中に入れ! お茶を御馳走するぞ!」

 上機嫌で中に導こうとするハグリッド。中の熱気は相当なもののようで、離れた場所にいるのに汗が滲んでくる。

「ねえ、帰らない?」

 ドラコは小屋を睨みながら言った。

「で、でも、訪ねに来たのは僕達だし……」
「けど、アイツのハリーを見る目が尋常じゃなかったよ。危ないって」
「うーん……」

 僕達が話していると、ハグリッドが顔を出した。

「おーい、入らんのか?」

 ダメだ。さすがにここで帰ったら失礼過ぎる。

「……ドラコは先に帰ってもいいよ?」
「さすがに君だけ置いてはいけないよ」

 ため息混じりにドラコは歩き出した。嫌そうな表情を浮かべながら小屋に向かう。
 僕は感謝の気持ちを抱きながら後に続いた。

「ん? なんだ、お前さんは」

 ドラコの顔を見るなり、ハグリッドは首を傾げた。
 どうやら、僕以外の事は見えていなかったようだ。

「……ハリーの友達です」

 熱い上に湿度も高くて、まるでサウナのようだ。
 あまりにも不快過ぎて逃げ出したくなる。

「あれ?」

 ハグリッドが引いてくれた椅子に腰掛けようとして、不意に目に入った暖炉にあり得ないものを見た。

「……え? なんで……」

 暖炉に近づくと、それは間違いなく僕の知っている物だった。

「ああ、それには触れんでくれ」
「ねえ、ハグリッドさん……」
「ハグリッドでいいぞ! |さん《ミスタ》なんぞ要らん」

 上機嫌なハグリッドを僕は睨みつけた。

「ハグリッドさん……。これはなんですか?」
「ん? あー、それは……いや、お前さんには関係の無いものだ。あまり気にせんでくれ。それより、禁じられた森の生き物について聞きたいんだったな!」

 その態度で、彼がこれの正体を知っている事が分かった。

「ど、どうしたの、ハリー?」

 ドラコが駆け寄ってくる。

「……これ、ドラゴンの卵ですよね?」
「さ、さて、何の事だか……」

 ハグリッドの顔色がみるみる内に青褪めていく。ああ、全部分かっているんだ。
 分かった上で、この男はドラゴンの卵を温めている。
 
「ここで孵化させる気ですか?」

 ハグリッドは目を泳がせながら近づいてくる。

「す、すまんが今日は帰っとくれ。話はまた今度に――――」

 僕は彼の鼻先に杖を向けた。

「正直に答えてください。じゃないと、その鼻を消し飛ばしますよ?」
「ハリー!?」

 ドラコは慌てたように僕の肩を掴んだ。

「いきなりどうしたんだ!?」
「ドラコ……。あの卵はノルウェー・リッジバックの卵だよ」
「ノルウェー・リッジバック……? そう言えば、ドラゴンの卵って言ってたけど……」
「そうだよ。輸入も所持も禁じられているもの。それをこの男は孵化させようとしてるんだ」

 僕はハグリッドを睨んだ。

「この卵を孵化させて、どうするつもりですか? 売るつもりですか?」
「そ、そんな事をするもんか! お、俺が育てるんだ! ……その、子供の頃から夢なんだよ。ドラゴンを育てる事が……」
 
 渋々といった表情で白状する彼の言葉に僕は唇を噛み締めた。

「なら、そういう仕事につけばいいじゃないですか。ドラゴンの棲息域の監視とか、そういう……」
「……お、お前さんには関係無い事だ! さあ、もういいだろう! 今日は帰ってくれ!」

 僕は呪文を唱えようとした。

『よせ、冷静になるのだ』

 魔王が言った。

『このままダンブルドア……いや、スネイプに報せろ』

 僕はドラコの手を掴んで小屋から飛び出した。これ以上、あの男の顔を見ていたら何をするか自分でも分からない。

「は、ハリー!?」
 
 ドラコが困惑した表情を浮かべるけど、僕は爆発しそうな感情を抑える事に必死だった。
 城に戻り、地下を目指す。魔法薬学の教室近くにあるスネイプの部屋に行き、扉を叩いた。

「……騒がしい。一体、何の――――」

 スネイプは僕の顔を見た途端に目を見開いた。

「ポッター……。我輩に何か用かね?」
「……ハグリッドという男がドラゴンの卵を孵化させようとしています」
「……なに? 待て、それはどういう意味だ?」

 焦れったい。今直ぐ、あの野蛮人の企みを阻止して欲しいのに。
 魔王の言葉はいつだって絶対だ。だから、これで上手くいく筈なのに、スネイプの鈍い反応にイライラする。

「だから、ハグリッドがドラゴンを孵化させようとしているんです!! 棲息域でもない場所に!! 仲間も居ない、環境も全然違う場所で!!」
「お、おい、ハリー! ちょっと、落ち着くんだ!」

 ドラコは僕の肩を掴むと後ろにさがらせた。

「だ、だって! こんな場所で孵化させられたら、あの仔はどうなるの!?」
「いいから落ち着くんだ! 先生だって混乱してしまうよ。僕が話すから待ってくれ。ちゃんと、ドラゴンは棲息域に返す。それが君の望みなんだろ?」

 冷静なドラコの言葉に僕も少し頭が冷えた。

「う、うん……」
「ああ、まったく。君がこんなに熱くなるなんてね」

 ドラコはスネイプに振り返った。

「……それで、どういう状況なのだ?」
「スネイプ先生。ハリーも口にしていた事ですが、実は……」

 ドラコは事情を説明した。スネイプは僕とドラコを交互に見つめると、長い溜息を零した。

「……あの男はまたしても」

 また……。つまり、あの男は常習犯という事だ。

「まさか、あのトロールもあの男が!?」
「……それは違う。弁護するつもりはないが、あれは別の者が犯人だ。とりあえず、ドラゴンに関しては我輩が対処する」
「せ、先生! あの仔をちゃんと返してあげて下さい!」

 縋りつくと、スネイプは弱ったような表情を浮かべた。
 膝を折り、僕と目線を合わせる。

「……任せておけ。全て上手くいくようにする。絶対に」

 その瞳はどこまでも真摯だった。

「校内で犯罪行為が行われようとしていた。それを未然に防いだ功績として、一人につき十点与える」

 そう言って、スネイプは足早に去って行った。どうやら、直ぐに対処してくれるようだ。
 あの真摯な瞳を思い出して、僕はようやく安心した。

「……落ち着いた?」
「うん……。ごめんね、暴走しちゃって……」
「いいよ。君の意外な一面が見れたしね。……ドラゴンが好きなの?」
「ドラゴンは好きだよ」

 でも、聞きたい事はたぶん違うよね。

「……生まれた瞬間、自分の生きるべき場所から遠ざけられるなんて、許せない」
「ハリー……。大丈夫だよ。スネイプ先生は優秀な方だと父上が言っていた。信じて待っていれば君の望んだ形で決着を付けてくれる筈さ」

 数日後、ハグリッドはホグワーツから追い出された。そして、ドラゴンは孵化してしまったけど、直ちに棲息域へ移送されて行った。
 スネイプ先生が速やかに行動してくれたおかげだ。