第三話『再会』

 荷物をまとめたトランクケースを転がしながら、僕はビルと一緒にキングス・クロス駅のホームを歩いている。

「あのリュックサックは持っていかないの?」
「う、うん。やっぱり、学校に持っていくのは恥ずかしいかなって……」
『……思春期か』

 魔王の呟きを無視して歩を進める。

「ワームテールはロンに返してあげた方がいいのかな?」

 ネズミの姿でポケットに入っているワームテールが『キュ!?』と声をあげた。

「一回、ワームテールに変身してもらえば大丈夫だと思うよ?」
『あの小僧がハゲ散らかしたおっさんをペットにしたいと思う特殊な人間でも無ければ、まず要らん心配だろうな』

 ワームテールは不満そうにキューキュー鳴いている。

「結構可愛いと思うけどなー。ねえ?」

 ポケットから取り出して顎の下をくすぐってあげる。とても気持ちよさそうだ。
 人間の時もネズミみたいな仕草をしている事がある。

『……お前が特殊な人間だと言う事は分かった。あまり人に言うなよ? 頭のおかしい人間だと思われるぞ』
「ええ!?」
「……何を言ったのかは分からないけど、多分、魔王が正しいよ」
 
 聞こえていない筈の魔王の言葉に同調するビル。ワームテールも両手をあげて不満を訴えている。

「ヘドウィグはどう思う?」

 トランクの上に乗せている鳥籠の中で澄まし顔のシロフクロウに問いかける。
 ちなみにヘドウィグの名前は魔法史の教科書を読んでいる時に見つけたもの。
 ヘドウィグはジッとワームテールを見つめる。目を細め、まるで獲物を見定める狩人のような表情を浮かべた。

「……美味しそうって事かな?」

 ワームテールはポケットの中に飛び込んだ。可哀想に、震えている。

「うーん、食物連鎖だね」
「うちのパン職人を食べちゃダメだよ?」

 ヘドウィグは小さくホーと鳴いた。分かってるわよ、と言っているみたいだ。

「おっと、見えてきた。あそこが9と3/4番線の入り口だよ」

 そう言って、ビルはタイル張りの柱を指差した。他の魔法族の家族連れが壁に溶けていく。前にも来た事があるけど、何度見ても奇妙な光景だ。
 ビルと一緒に壁の中へ入っていく。まるで、濃い霧の中に突入したような感覚。
 視界が晴れると真っ赤な車体のホグワーツ特急が眼前に現れた。

 第三話『再会』

 ビルと一緒に歩いていると、いきなり視界が真っ暗になった。

「えっ、なに!?」

 いきなりの事に動転していると、誰かに耳元で囁かれた。

「だーれだ?」
『……相変わらず、鬱陶しい奴だ』

 魔王には心当たりがあるみたい。
 鬱陶しい奴。魔王がそう例える人と言えば……。

「フレッド……?」

 背後で息を呑む声が聞こえる。
 次の瞬間、後ろからガバリと抱き締められた。

「ノエル!!」
「心配させやがって!!」

 前からもジョージが抱きついてきた。グルグル回されて目が回る。

「二年も雲隠れしやがって!!」
「どうしてくれようかって、いっぱい考えたんだぜ!!」
「でも、会った途端に頭から計画が全部吹っ飛んだ!!」
「会えて嬉しいぞ、バカヤロウ!!」

 まるで独楽になった気分。世界がグルグル回ってる。

「ぼ、僕も嬉しいよ」

 ビルに支えてもらいながら言うと、双子はニッコリと微笑んだ。

「ちなみに俺は?」
「フレッド」
「俺は?」
「ジョージ」

 それぞれの名前を言い当てると、二人は揃って大爆笑。相変わらず、とっても賑やかだ。

「ノエル!!」

 双子と話していると、人混みの中からモリーが現れた。

「モリーおばさん!」

 会うなり抱き締められた。

「ああ、本当にノエルだわ! でも、ハリーなのよね? ああ、どっちで呼べばいいの!?」
「うーん。ハリーがいいかな?」
「そうね! そうよね! これからはハリーと呼ぶわ! ああもう! 本当に嬉しいわ! ビルから話は聞いていたけど、実際に会わなきゃ不安が拭えなかった! また、うちにいらっしゃいね? また、一緒に料理を作りましょう!」
「は、はい」

 モリーは双子以上に激しかった。どうやら、あの後も家族の中で家事に興味を示してくれた人は居なかったみたい。

「誰も私の苦労を分かってくれないのよ! ああもう! どうして出て行ったのよ! スクリムジョールなんかぶん殴ってでもうちに置いていたのに!」
「ご、ごめんなさい……」
「あなたが謝る必要なんて一つも無いわ! 悪いのはあなたを不安にさせた私達だもの! 無事で良かった! ああ、ハリー」

 モリーには悪いけど、双子にグルグル回された直後だから吐き気が込み上げてきた。

「ストップ。母さん、そこまで! ハリーの顔色がまずい事になってる!」

 さすがビル。救世主だ。モリーから解放してくれた。背中を優しく擦ってくれる。
 危なかった。後少しでモリーの服に吐くところだった。

「あらやだ。ごめんなさいね、私ったらつい……」
「い、いえ、大丈夫です」
「……えーっと、大丈夫?」

 グッタリしている所に同い年くらいの男の子が話し掛けて来た。

「ロン?」
「そうだよ! ああ、良かった。忘れられてないかヒヤヒヤしてたんだ」
「忘れるわけないよ。君に返さないといけないものもあったから」

 そう言って、ワームテールをポケットから取り出す。

「スキャバーズ!?」
「ごめんね。逃げる時、僕のリュックサックの中に忍び込んでいたみたいなの……」

 本当は返したくない。二年間、ずっと一緒に頑張ってきた家族だもの。だけど、本当の飼い主はロンだ。

「ほら、御主人様だよ。挨拶して!」

 一応、魔王やビルに言われた通り、人間に変身させてみた。

「……え?」

 ロンが真っ白になった。ワームテールはおどおどした様子で手を振る。

「ど、どうも、御主人様」
「なにこれ」
「スキャバーズだよ。人間に変身出来るみたいなの!」
「……これ、スキャバーズ?」

 ロンが後退った。ワームテールがおずおずと近づく。ロンが更に後退する。

「ハリー」

 後からやって来たチャーリーとパーシーの後ろに隠れて、ロンは言った。

「スキャバーズは君にあげるよ!」

 すごく爽やかな笑顔だった。

「いいの?」
「うん!」

 安心した。ワームテールもどこかホッとした様子だ。

「やったね、ワームテール! これからも一緒だよ!」
「へ、へい、御主人様!」

 ネズミに戻ると、ワームテールはポケットに戻って行った。

「……君、あの姿を見て気持ち悪くないの?」

 パーシーは挨拶もせずにそんな事を聞いてきた。顔には嫌悪感がたっぷり浮かんでる。

「もちろん! ワームテールは大切な家族だよ!」
「……っていうか、人間に変身出来るネズミなんていないよ。そいつ、動物もどきじゃないの?」
「動物もどき……?」
「動物に変身出来る魔法使いの事さ。そいつは人間に変身出来るネズミじゃなくて、ネズミに変身出来る人間なんじゃないかな?」

 今にも吐きそうな顔でパーシーは僕のポケットを睨みつけた。

「そ、そんな筈はないよ! だって、初めの頃は言葉もまともに話せなかったんだよ!?」
「……だけど。いや、止そう。万が一にも僕の予想があたっていたら、僕はその男と何年も同じ部屋で過ごしていた事になる」

 ふらふらとパーシーはどこかへ消えた。

「……僕なんて、そいつと一緒にベッドで寝てたんだよ?」

 ゲンナリした表情を浮かべるロン。

「うーん……、さすがパーシー」

 ビルは頬を掻きながら困った表情を浮かべた。

「ビル……。ワームテールは……」
「あー……、パーシーが正解。ただ、重度の記憶喪失だったみたいでね。自分を本当にネズミだと思い込んでいるんだよ」
「そうなの?」
「……う、うん。魔王に聞いてごらん」
『……お、おう。そういう事だ。す、すまんな、事実を言うと接し辛かろうと思ってな』

 ビルを見る。目が若干泳いでる。

「ねえ、何かウソを吐いてない? 魔王も思いっきりどもってるし」
「ウ、ウソなんて吐かないよ。ただ、すごく言い難い事だったんだ。……その、分かるでしょ?」
『小僧の言う通りだ。言い難かったのだ!』
「……ふーん」

 ワームテールをポケットから取り出して持ち上げる。彼も困惑しているみたいだ。

「記憶喪失か……」

 頭を撫でてあげる。

「そういう事なら、ネズミ扱いは失礼だったかな?」

 ワームテールは首を横に振った。

「そう? なら、これからも今まで通りでいい?」

 ワームテールはぶんぶんと首を縦に振った。

「そっか。なら、いいや」
「いいの!?」

 ビルだけじゃない。双子やロン、モリーまでもが目を丸くした。

「人間でも、ネズミでも、僕はワームテールの事が好きだもん」

 ワームテールの瞳から涙が流れた。感動しているみたいだ。

「大袈裟だなー。これからもよろしくね!」

 ワームテールをポケットに戻す。
 丁度その時、汽車の汽笛が鳴った。

「あっ、もうこんな時間! そろそろ乗らないと!」
「じゃあ、荷物は僕が預けてくるよ」

 ビルが僕のトランクと鳥籠を持って人混みに消えていく。ちょっと寂しいけど、彼とはホグワーツでも会える。我慢だ。

「じゃあ、コンパートメントに行こう! 君の為に一室を確保しておいたのさ!」

 フレッドが僕の手を引き、ジョージが背中を押した。

「ハリー!」

 チャーリーが言った。

「そのネズミが動物もどきだとしたら、国に登録している筈だ! 俺が調べておくよ!」
「ありがとう、チャーリー!」

 チャーリーはウインクした。

「……あんなのと僕は」

 後ろからロンの暗い声が聞こえる。
 ワームテールの人間時の姿は彼に相当なトラウマを与えてしまったみたい。
 コンパートメントに入ると、僕は励ますように彼の背中を叩いた。

「ほ、ほら、ネズミの時は文句なしに可愛いでしょ?」
「……駄目だ。もう、ハゲたおっさんにしか見えない」

 悲しそうな瞳。絶望を噛み締めた表情。僕は彼を慰められる言葉を見つけられなかった。
 なんとも言えない空気のまま、僕達を乗せたホグワーツ特急は走り出した。

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