第一話『招待』

 閑静な住宅街。その一画を目指して、一人の青年が歩いている。
 ここに辿り着くまでにとても時間が掛かった。大通りから少し外れた場所にある一軒のパン屋。そこに探し求めていた人がいる。
 扉を開くと、鈴の音がした。板張りの床は掃除が行き届いている。明るい電灯に照らされた店内には所狭しとパンが置いてある。どれも食欲をそそる香りが漂い、思わず目移りしてしまいそうになる。

「いらっしゃいませ!」

 元気な声が飛んで来た。抱いていた一抹の不安が消し飛ぶ。顔を向けると、赤い髪の女の子が番重に載せたパンを品出ししながら笑顔を向けてくれた。
 苦労もあった筈なのに、その笑顔には陰りは見えない。街で評判のパン屋の看板娘として立派に働いている。

「……店員さん。おすすめは何かな?」
「そうですねー。今はクランベリーのパンが美味しいですよ! 丁度、焼き立てなので!」

 そう言って、もちもちのクランベリーパンを指差した。ほくほくと熱気を放つパン。クランベリーの甘酸っぱい香りとパン自体の香ばしい香りが絡み合い、なんとも言えない。

「うん。これをいただくね」

 トングで二つトレイに乗せ、レジに運ぶ。レジにはハンサムな青年が立っていた。

「おい、ワームテール! シチューパンが品切れしているぞ!」
「も、申し訳ありません! もうすぐ焼き上がりますので!」

 この店は奥に工房があり、出来立てのパンを提供している。コック帽を被った小太りの男が奥でせかせかと働いている姿が見える。

「これをお願いします」
「ああ、いらっしゃい」

 トレイを渡すと、青年は魅惑的な笑みを浮かべた。

「そろそろ来ると思っていたぞ、ウィリアム・ウィーズリー。まあ、貴様かダンブルドアのどちらかだと思っていた」
「ノエル……、ハリーの言っていた魔王か?」
「おいおい、回りくどい事は止せ。貴様が聞きたい答えは違うだろ?」

 パンを丁寧に包装しながら、男はレジを打っていく。

「ああ、80ペンスが二つで1ポンド10セントになるな。追加でミルクはどうだ? 切っ掛けがあって、ハリーが仲良くしている農場から仕入れているのだ。新鮮で美味しいぞ」
「……それも頼むよ」
「貴様には多少の恩義を感じている。だから、2ポンド20セントのところを2ポンドにまけてやろう」
「どうも……」

 2ポンドを渡し、パンを受け取る。

「さて、見計らったように昼休みの時間だ。特別に店内の特別スペースに案内しようではないか」
「ああ、頼むよ」

 魔王とウィリアムの奇妙なやりとりをハリーは呆れていた。

「……普通に話せばいいのに」

 第一話『招待』

 ウィリアムが来る事を予め魔王は予言していた。と言うより、そうなるように仕向けていた。
 目的は二つある。一つはホグワーツ魔法魔術学校に保管してある分霊箱を回収する為。もう一つは僕の為。
 魔王は僕に暗黒の道を歩ませると言いながら、将来の為に学校へ通えと言い出したのだ。

「はい、ビル」

 久しぶりの再会。ビルはますますハンサムになっていた。
 紅茶を二人の前に置く。

「ありがとう、ノエ……ハリー」
「ノエルでもいいよ? ここではそう名乗ってるし」
「そうなの?」
「うん!」

 ビルは紅茶を口に含んだ。

「美味しいよ」
「ありがとう!」

 嬉しい。紅茶の淹れ方は近所のアンネお婆ちゃんに教えてもらった。
 ワームテールの尽力のおかげで開店する事が出来たこの店のお客様第一号で、毎日お昼を過ぎた頃にバターロールとシチューパンを買ってくれる。
 さっき、魔王がワームテールを怒ったのも、アンネお婆ちゃんが来る前にシチューパンを補充する為だ。

「じゃあ、僕はワームテールを手伝ってくるね」
「いや、お前にとっても重要な話だ。一先ず、ここに座れ」
「う、うん」

 ワームテールが悲鳴をあげないか心配だ。実の所、彼は人間ではない。ウィーズリー家を出る時、たまたまリュックサックの中に忍び込んでいたロンのネズミだ。
 魔王は彼に魔法を掛けて人間の姿になれるようにした。初めの頃は無機質な性格で怖いと思った事もあったけれど、少しずつ人間味を増してきて、今ではおっちょこちょいのワームテールとして僕達の生活を支えてくれている。
 冷静に考えてみると、ドブネズミが作ったパンって大分問題な気もするけど、食中毒が発生した事は一度もない。それにワームテールのパンは街でも評判になって来ている。

「ごめんね、ワームテール! お手伝いに行けない!」
「だ、大丈夫ですよ! こちらはなんとか一人でも!」
「後で買い物に行くとき、美味しいチーズを買ってくるからね!」
「わーお! ありがとうございます!」

 やっぱり、本質はネズミみたい。彼はチーズが大好きだ。手先も器用。

「……さて、貴様の目的は二つ。一つはハリーをホグワーツ魔法魔術学校に招待する事。もう一つは俺様の存在の確認だな?」
「ええ、その通りです」
「ハリーの信頼を勝ち得ている貴様なら、下手に大人数で押し掛けるよりも確実に成果をあげられる。そう、ダンブルドアが判断した。故に貴様は一人でここに来た。そうだな?」
「……正確に言うと、外にもう三人います」
「ほう、外したか……。ダンブルドアならば、下手に此方を刺激しない為にも信頼の置ける部下一人に全てを委ねるかと思ったのだが」
「いくらなんでも伝説的な大悪党を僕一人に任せたりしませんよ」

 ビルの言葉がツボに嵌ったらしい。魔王は大爆笑した。

「それもそうだな。しかし、随分と遅かったじゃないか。おかげでハリーの学用品を揃える時間が殆ど残っていないぞ。店もしばらく休まねばならん。常連の者達に説明する余裕も無いではないか」
「それに関しては謝りますよ。というか、店は続けるつもりなんですか?」
「当然だ。ここまで店を盛りたてる為にどれほど苦労したか、貴様にはわかるまい! このヴォルデモート卿がビラ撒きまでしたのだぞ!」
「……いろんな人が泣くので、他ではしないで下さいね。その話」

 ビルは顔を引き攣らせた。

「それにしても、ダンブルドアの言っていた通りですね。闇の帝王がハリー・ポッターの為に動いている。初めは信じられませんでしたよ」
「だから、三ヶ月以上も監視に留まっていたわけか……。この臆病者共が!」
「無茶言わないで下さい! 相手があなたでは、慎重に慎重を重ねますよ。……って、三ヶ月前からの監視にも気付いていたんですか!?」
「当然だ。敢えてダンブルドアにだけ分かるような隙を作ってやったのだからな。もう少し早く接触してくるものだと思っていたからヤキモキしたぞ」
「……それはあなたが悪い。ダンブルドアも初めは困惑していましたよ。何か企んでいる筈だと確信して、信頼の置ける者を監視役に立てて監視し続けていたと言うのに、この店の評判は極めて良好。ハリー・ポッターと思しき少女は看板娘として街の人気者。魔法で探っても、悪い噂は一つも無い。そもそも、この店の結界以外、この街で魔法が行使された痕跡は全く無かった」
「いや、全くではないぞ。店を構えるに至って、役所や銀行、その他諸々に暗示を掛けて回ったからな」
「……役所や銀行は確認してなかった」
「おい、間抜けか貴様等! むしろ、そこが重要だろう!」
「いや、マグルのシステムは魔法界と比べて複雑だから……」
「貴様の父親はマグル贔屓ではなかったのか?」
「……ほら、日本好きなのに、日本にまだサムライがいるって勘違いしている人もいるじゃないですか」
「いないのか……?」
「え?」

 変な沈黙の間が生まれた。

「ニ、ニンジャはどうだ?」
「いませんよ。マホウトコロに所属している友人に聞いた事があります」

 魔王はとても悲しい表情を浮かべた。

「だ、大丈夫?」

 声を掛けると、魔王はテーブルに拳を打ち付けた。心の底から悔しそうだ。

「クソッ、手印で術を使うニンジャの技には興味があったと言うのに! これだから自国の文化を軽視する民族は!」
「……話を戻しても?」
「ああ、構わんぞ」

 ちょっと不機嫌になってる。後でスイートポテトを作ってあげよう。初めて作って以来、魔王はスイートポテトを甚く気に入っている。

「ともかく、ダンブルドアが決断に時間を要した理由はそんな所です。……ヴォルデモート卿。ダンブルドアと面会する気はありますか?」
「俺様から話す事は無い。だが、【全てイエス】だと伝えておけ。それで通じる筈だ。それでも用があるのなら、貴様の方から来いと伝えろ」
「……分かりました。では、ハリーのホグワーツ魔法魔術学校入学についての話をしても?」
「ああ、それこそが本題だ。一応確認するが、ダンブルドアは魔法省を黙らせる程度の権力を残しているのだろうな?」
「それは問題ありませんよ。ノエルが失踪した直後から、こうなる可能性も考慮に入れて、あの方は行動なされていましたから。第二のヴォルデモート卿になるか、善良なまま戻ってくるか、いずれにしてもある程度の権力が必要になると分かっていましたから」
「だったら、大臣にでもなっておけば良いものを」
「過ぎた力は諸刃の剣となる。あの方にとって、権力は必要に迫られたから持っているだけのものですから。発言権さえ確保出来れば十分だと」
「余剰を容認出来ない。それはむしろ己の心に余裕が無いと言っているようなものだ。相変わらずだな」
「……とりあえず、ノエルを入学という形で手元に置く事が出来れば、後はダンブルドアが何とかします。そもそも、二年前の事は闇祓い局の暴走に責があったという論調になっていますから。魔法省全体としてもハリー・ポッターがダンブルドアの庇護下に入った事を知れば満足するでしょう」
「なっています……? そういう論調に仕立てたのだろう。相変わらず、善良ぶっておきながら悪辣な手を使う」

 楽しそうに笑う魔王。機嫌は直ったみたいだ。

「……とりあえず、此方を渡しておきます」

 魔王はビルから封筒を受け取ると、そのまま僕に押し付けてきた。

「ホグワーツへの入学許可証だ。必要な物のリストも入っている。後日、買いに行くぞ」
「うん! ビルも一緒に行けるの?」

 僕が聞くと、ビルは嘗てのように優しく微笑んだ。

「そのつもりだよ。明後日には用意しておかないといけないから、明日早速行こう」
「……いや、明後日にしろ。言った筈だぞ。貴様等がタラタラしているせいで常連に説明する時間が無いと」
「あっ、農場の人にも話しておかなきゃ!」
「さすがに一日ではどうにも出来ん。買い物など、多少無理をすれば一日で終わるだろう」
「わ、分かりました。えーっと、何か手伝う事は?」
「何もない。強いて言うなら、閉店する時に店の掃除を手伝え」
「了解です」

 二年間だ。この店を魔王とワームテールと一緒に立ち上げて、忙しくも楽しい日々を過ごした。
 ダーズリー邸。隠れ穴。魔王の隠れ家。色々な場所に住んだけど、僕にとってはこの店こそが家だった。
 きゅっと胸が締め付けられる。生まれて初めての感覚だ。家と別れる事がとても悲しい。

「アンネお婆ちゃんやイザベラさんにも挨拶して来ないと……」

 基本的に高圧的な態度を崩さない魔王とネズミ故にコミュニケーション能力が低いワームテールに代わり近所付き合いをして来て、それなりに親しい人も出来た。
 また、戻ってくる。だけど、暫しのお別れだ。
 ああ、やっぱりちょっと寂しいな。

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