第九話「いじめ対策クラブ」

 油断していたのだろう。ハリーの献身と秘密の部屋の入手に浮かれていた。
 まさか、空き教室でハーマイオニーがルーナと密会していて、そこにハリーが突入するとは思わなかった。
「とりあえず、ハリーを解放してもらえるかな?」
 何故か分からないけど怯えきっている。
「え、ええ」
 ハーマイオニーが手を離すと、ハリーはよろよろと僕の所に歩いて来た。
「えっと……、どうしたの?」
「いや、雰囲気的にこういうノリがベストかなって」
「……そ、そう」
 ダンに毒されている。
 最近、秘密の部屋での実験に時間を掛け過ぎていて、ハリーとの交流の時間を中々取れずにいた。
 その間、ハリーはダンと一緒に居る事が多くなり、何というか、感覚的に動く事が多くなってしまった。
 僕が長い事時間を掛けて丁寧に染め上げたハリーをものの数日でフランクな性格に変えやがって……。
 クィディッチの事で話が盛り上がるらしく、気が付けば二人は旧知の親友同士のように仲が良くなっている。
「とりあえず、ノリで動くのは火傷の元だから程々にね?」
「う、うん。ドラコがそう言うなら……」
 良かった。まだ、僕の言葉は力を失っていない。
「それで、どういう状況なのか説明してもらってもいいかな?」
 僕が話の矛先を向けると、ハーマイオニーは少し迷う素振りを見せてから口を開いた。
「えっと……その、私達……実は……」
 歯切れが悪い。隣に立っているルーナが肩を竦めて彼女の前に躍り出た。
「私達、虐められてるんだよ。それをどうにかしたくて考えていた所にハリーが飛び込んできたの。だから、飛び込みついでに相談に乗ってもらおうと思ったわけ」
「ちょ、ちょっと、ルーナ」
 慌てるハーマイオニーにルーナがやれやれと首を振った。
「さっきまでの勢いはどこにいったの?」
「いや、あれはその……」
 ハーマイオニーとルーナの関係が面白い事になっているね。
 物語ではあまり絡みの無かった二人だけど、ルーナの方が大人びて見える。
 いや、むしろ、ハーマイオニーの方が子供っぽく見えるというべきかもしれない。
「虐めか……」
 しかし、これは参ったね。ここまでストレートに頼まれてしまったら、断ったりしたら僕のイメージに傷が出来る。
「そういう事ならもちろん相談に乗らせてもらうよ。何と言っても、僕達は友達同士だからね」
 正直言って、ハーマイオニーの存在は僕にとってどうでもいい。彼女は物語上、ハリーとロンが壁にぶつかった時の相談役でしかない。
 穢れた血な上、自我がこの上なく強い彼女は手駒にも不適当だ。
 だけど、こうなってしまったら仕方が無い。ここは僕が『マグル生まれに対しても優しい人間』というイメージを植え付けておこう。
 ハリーの純血主義教育にあまり良い影響を与えてくれるとは思えないけど……。
「友達……」
 ハーマイオニーは照れたように口をすぼめた。
「とりあえず、詳しい事情を教えてもらえるかな? その上で対策を練ろう。ハリーもそれでいいね?」
「う、うん。もちろんだよ」
 僕達は空き教室の椅子にそれぞれ腰掛けて二人の話を聞いた。

 レイブンクローは思った以上に陰湿だ。
 まあ、物語中でも最終決戦の前にこぞって逃げ出そうとした連中だ。自己愛の強い人間の集まりである事は知っていた。
 しかし、これは非常に難しい問題だと言わざるを得ない。
「とりあえず、取れる選択肢は三つだね」
 既に出来上がってしまっている人間関係にメスを入れるわけだ。
 生半可な方法で解決出来る事じゃない。
「凄いね。聞いただけで解決法を思いつくなんて」
 ルーナが感心してくれるけど、そう大した案じゃない。
「一つは先生に出張ってもらう事だ。むしろ、今まで寮監がこの問題を放置していた事が問題だし、僕からスネイプ教授を通してダンブルドアに言伝を頼んでもいい。僕の父上は学園の理事を兼任しているから、確実に動いてもらえる筈さ。最悪、寮監を変えられるかもしれないけど、これからは寮内の陰湿な伝統は撤廃される筈だよ。ダンブルドアに逆らってまで虐めを続けようとする程骨のある人間なら、そもそも虐めなんて下らない真似はしないだろうし、これが一番最適な解決策だと思う」
 問題は色々とあるけど、彼女達の学園生活はずっと快適になる筈だ。
「むしろ、他に解決策なんてあるの?」
 ハリーが首を傾げる。
「あるにはあるよ。一応、先生に言いつける案にもデメリットがあるから、三つとも聞いてからどうするかを考えてみてくれ」
 僕の言葉にハーマイオニーとルーナが揃って頷く。
「デメリットについては後で話すとして、二つ目はコネを使って上級生を無理矢理動かす方法だ」
「どういう事?」
 今度はハーマイオニーが首を傾げた。
「僕はこれでもマルフォイ家の次期当主だし、僕の友人には魔法界に強い影響力を持つ家の者が大勢いる。そのコネを使って、上級生の家に圧力を掛ける。この方法だと一つ目とは違うメリットとデメリットが発生する」
「それって?」
 ルーナが問う。
「質問は最後に受け付けるよ。三つ目は長期的な考えになるんだけど、虐められないようにする事」
「えっと……、虐められないようにする方法を話し合ってる筈なんだけど?」
 ハーマイオニーが困ったように言う。
「今言ったのは方法じゃなくて、手段だよ。要は誰にも虐められないくらい強くなるって事さ。なにも暴力的になれって言ってるわけじゃないよ? レイブンクローは知性を重んじる寮だからね。学業の成績で学年トップを取れば、それだけで大きな発言権を得られる。後はその発言権を上手く活かせれば誰も君達を虐める事なんて出来なくなる筈さ。まあ、これは確実とは言えない上に少なくとも一年以上の時間が掛かる長期的な考えだけどね」
「それで、それぞれの方法のメリットとデメリットって?」
「一つ目の方法のデメリットは生徒の自治区である寮に学校からの介入を促してしまう事。これは学校の伝統や生徒の自由とプライバシーが侵害される。それに寮内での規定を定められ、窮屈な学園生活を送る事になるかもしれない。それに他の寮やこれから入学してくる新入生達にも影響が及ぶかもしれないね」
 僕としては一番最悪な方法だ。スリザリンの寮にまでダンブルドアの介入を許す事に成り兼ねない。
 だから、この方法を出来る限り選び難いように誘導する。
「二つ目の方法のメリットは学校側の介入無しで実行出来る事だね。レイブンクローの寮生にも旧家の出身者が大勢居るから、迅速に行動出来る点も優れている」
「デメリットは?」
「寮内がとてもピリピリする事かな。今まで我関せずを通して来た人間を無理矢理舞台に引き摺り出す方法だからね。正義がどちらにあるかは明確でも意見が二つに分かれた時点で人は争いを始める。そこかしこに軋轢が生まれて喧嘩が日常茶飯事になるかもね。虐めなんかよりずっと健全だけど」
「うーん……、難しいね」
 ハリーが腕を組みながら考えこむ。
「どの方法にもメリットとデメリットがある上に代償が大き過ぎる」
「普通に考えたら二つ目がベストだけどね」
 僕は言った。
「そもそも、目の前で虐めが起きているのに、それを見て見ぬ振りをしている人間も実際に虐めを行っている人間と何も変わらない。巻き込んだところで良心を痛める必要なんて無い」
「……うーん。でも、それって完全に人任せな方法なのよね」
 ハーマイオニーが苦悩の表情を浮かべて言った。
「一つ目と二つ目。どちらを選んでも僕は全面的に協力するつもりだよ?」
「ありがとう、ドラコ。でも、やっぱり……」
 ハーマイオニーは横目でルーナを見つめた。
「……いえ、そうね」
 何かを決意したかのように僕を見つめて口を開くハーマイオニー。
 その彼女の口をルーナが隣から押さえ込んだ。
「もがっ……!? な、何するのよ、ルーナ!」
「ハーマイオニー。アンタ、三つ目がいいんでしょ?」
「え?」
 ルーナの言葉に図星をつかれた表情を浮かべるハーマイオニー。
「でも、私の事を考えて妥協したんでしょ?」
「そ、それは……」
「アンタはアンタの思う通りにした方がいいよ。だって、アンタは頭がいいもん。自分の考え方を押し通した方が最終的に良い結果になると思うの」
「でも、ルーナ。あなた、これからずっと……」
「私は気にしないもん」
「学年トップを取るのだって、大変な事なのよ!?」
「私、アンタと一緒になら頑張れる気がする」
「……ぅぅ」
 これは決まったね。ハリーもクスリと微笑んでいる。
 どうやら、彼女は素晴らしい後輩に恵まれたらしい。
 結局、ルーナがハーマイオニーの背中を押して三つ目の方法を取ることになった。
「学年トップ……、取れるかしら」
 不安そうなハーマイオニーに僕は助け舟を出した。
「協力するって言ったよ? ここには去年の学年トップが居るんだから、頼ってくれないかな?」
 彼女は運が良いと言えるかもしれない。
 僕は計画がスムーズに進んでいる事と可愛いペットを手に入れた事で結構機嫌が良いのだ。
「い、いいの?」
「もちろんさ」
「スリザリンはみんな大悪党って聞いてたけど、アンタ達は違うんだね」
「あはは……。ハリー・ポッターの寮だよ?」
「あ、そっか!」
 ルーナはハリーを見つめて満面の笑みを浮かべた。
「あーあ。私もスリザリンに入れば良かったー」
「……同感」
 二人の言葉にハリーが吹き出した。
 さて、面倒事を抱えてしまったね。
「とりあえず、学年末で首位を目指そうか。それだけだと足りないだろうけど、まずは足掛かりだ。それから来年、全試験で首位を取る。それで漸く第一段階クリアだ。大変だけど、覚悟はいいかい?」
「もちろん!」
「が、頑張るわ!」
 二人が元気いっぱいの返事をすると、隣でハリーがボソリと呟いた。
「つまり、ハーマイオニーはドラコに勝たないといけないわけか……」
「あ……」
 その点については僕も少し困っている。ハーマイオニーに負けるという事はドラコ・マルフォイが穢れた血に負けるという事。
 それは僕の評判に傷をつける。
「……まあ、学年トップじゃなくても、レイブンクローでトップを取れば問題無いさ」
「ま、負けないからね、ドラコ!」
「お手柔らかにね……」
 僕も勉強に少し本腰を入れる必要があるかもしれない。
 彼女は本気を出せば満点を超えた点数を平気で叩きだすからね。

第十話「人ならぬもの」

 勉強会のメンバーにハーマイオニーとルーナを入れた事にフリッカとアメリアが難色を示した。
 フリッカの方は単なるヤキモチだから問題無い。
 問題なのはアメリアだ。
 オースティン家は『聖28一族』にカウントこそされていないものの、魔法界でも有数の由緒正しい旧家だ。
 その家の長女であるアメリアは生粋の純血主義者であり、他のメンバーとは一線を画す程のマグル嫌いだ。
 ルーナはともかく、ハーマイオニーの事は『穢れた血のビーバーちゃん』扱い。
 ハリーの前では隠させているけど、彼女の本性は極めて苛烈だ。
「冗談じゃない。どうして、私達の輪に穢れた血を招かなければいけないの? 虐められている? 良い事じゃない。マグルの穢らわしい血が混じった魔法使いの紛い物なんて、ととこんまで追い詰めて自殺させるか自主退校に追いやるべきよ。ドラコ、あなたが応援すべきはあのビーバーちゃんじゃない。賢明なレイブンクローの生徒達よ」
 他人が聞いたらマグル贔屓じゃなくても眉を潜める内容だが、これが彼女の本心だ。
 無理に付き合わせたらハーマイオニーやハリーの前で何を口走るか分かったもんじゃない。
 彼女のマグル嫌いはもはや生理的嫌悪感を感じるレベルだからな……。
 僕だって、ゴキブリと仲良くなれと言われても無理だ。
「……だが、一度交わした約束を取り下げる事は僕の沽券に関わる」
「でも!」
「なら、こうしよう。勉強会は一度解散して……」
「どうして!?」
 アメリアが泣きそうな声を出して叫んだ。
「なんで、マグル生まれの女なんかの為に私達が犠牲を払わないといけないの!?」
「……アメリア。別に犠牲という程でも無いだろう」
「ド、ドラコにとって、私達ってそんな程度の――――」
「ストップ。勘違いをしないでくれ」
 激情家でもある彼女が一度ヒートアップしてしまうと手間が掛かる。
 僕は彼女の頬に手を当てて目線を合わさせた。
「勘違いって……?」
「元々、勉強会を一度解散するつもりだったんだ。君達……、アメリアとフリッカとエドの三人に頼みたい事があったからね」
「頼みたい事?」
 彼女はドビーの躾に誰よりも嬉々として参加するくらいの生粋のサディストだが、僕に対してだけは犬のように従順だ。
 マグルの利益になる事以外の頼み事なら心の底から嬉しそうな笑顔を浮かべて引き受けてくれる。
 そう躾けたからね。
「フリッカとエドも呼ぼう。良い機会だから君達に見せてあげるよ。僕の秘密基地を」
「秘密基地?」
 僕はアメリアを待たせてフリッカとエドにだけ声を掛けて呼び寄せた。幸い、ダンとハリーはフリントによるクィディッチ必勝講座に熱心な様子で耳を傾けている。
 アンは部屋に居るらしい。彼女には下手に秘密を打ち明けてはならない。

 三人を連れて、僕は秘密の部屋へ向かった。寮の近くの隠し通路に作り出した隠し扉を潜ると、三人は目を見開き、僕の解説を待った。
「諸君。ここが伝説に名高い『サラザール・スリザリンの秘密の部屋』だ。
「ひ、秘密の部屋!?」
 アメリアは慄くように部屋を見回した。
「……この部屋が君の言っていた『準備』ってヤツかい?」
 エドの言葉に「まあね」と答えておく。正確に言うと、あの時言った準備云々は日記の霊魂を僕の中に取り込む事だけど、結果を出すのはこれからだから間違ってはいない。
「ドラコ……。ここで私達は何をすればいいの?」
 フリッカが問い掛けてくる。
「研究の手伝いだよ。やっぱり、一人だと手が足りないからね。こっちだよ」
 僕は三人を右側の壁面へ連れて行った。何もないように見える。
「『開け』」
 蛇語で唱えると、壁がゆっくりと動き、瞬く間に中へ繋がる通路が現れた。
「今のって……ッ」
「蛇語さ。詳しい事は中で話すよ」
 通路を奥へと進んでいく。ネットリとした空気が肌に絡みつき、何とも言えない不快感が募る。
 しばらく歩くと、三つの扉が現れた。
 扉の手前にはそれぞれ赤、青、黄色のランプが取り付けられている。
 僕は赤いランプの扉を開いた。
 中に入ると、奥から人のうめき声が響いてくる。
「な、なに……?」
 フリッカが僕の腕に絡みつく。可愛い反応だ。女の子はこのくらい臆病な方が可愛げがある。
 その顔がこれから更に歪む事を想像すると心が沸き立つ思いだ。
 更に奥へ進むとそこには牢獄の扉が並んでいた。
 三人が息を呑む音が聞こえる。
「中を覗いてごらん」
 僕が促すと、フリッカは一瞬だけ表情を引き攣らせた。
 だが、僕の言葉には素直に応じる。恐る恐る、牢獄の扉を開いた。
 その瞬間、フリッカは恐怖の表情を浮かべ、口元を押さえた。
 彼女の後ろから覗き込んだエドも表情を凍りつかせている。
 ただ一人、アメリアだけは表情を輝かせた。舌舐めずりしながら、中の様子を見ている。
「なに……、これ?」
 フリッカがやっとの思いで声を吐き出す。
「リジーに命じて捕らえさせたマグルだよ。実験台に使っている。そいつは治癒魔術の実験台だ」
 牢獄の中には一人の男が繋がれている。
 一見するとのっぺらぼうに見える。眼孔も口も耳孔も鼻孔も無い。
 だが、よく見れば壁に釘打ちされている右手の掌に口があり、動いている。うめき声はそこから出ていた。
 目も膝の辺りをよく見れば発見する事が出来るが、鼻と耳は体内にあるから見えない。
 最も目を惹く所は何と言っても胸から腹部にかけての部分だ。そこには体内の様子が分かるように皮膚をそぎ落として、代わりにガラスが嵌めこんである。
 人体模型をイメージすると分かりやすいかもしれない。
「この状態でも生きていられるんだから、人間って凄いよね。ついでに精神強度の実験もしてるんだ。闇の魔術には正気を失わせるものも多いけど、逆に正気を保たせる呪いもあるんだよ。彼は今の自分の状態を確りと理解し、その救いがたい現状に絶望しながらも正気を失わずにいる。声を聞かせてあげようか?」
 僕が杖を振ると、うめき声は確かな声となって辺りに響き渡った。
 口の付いている手を打ち付けた壁には設置型の結界が張ってあり、それを解除したのだ。
「殺してくれ!! こんな状態はもう嫌だ。痛いんだ!! 苦しいんだ!! お願いだ、殺してくれ!! 血と糞尿の匂いが四六時中するんだ!! ゴロゴロと耳障りな音が止まないんだ!! どうして、俺は正気を失わないんだ!? こんなの嫌だ!! 苦しい!! 助けてくれ!! 殺してくれ!! 誰でもいいから俺を早く――――」
 再び結界を起動させると周囲が静まり返った。
「どうだい? 未だに彼は元気いっぱいさ」
 僕はその後も牢獄に繋いである実験体達を順繰りにフリッカ達に見せて回った。
 十八の人格による肉体の奪い合い。
 地獄の苦痛を受け続けながら正気を保たせ続けたらどうなるかの実験。
 五感を全て失った人間はどうなるかの実験。
 魔法薬の被験体。マグルの薬物の被験体。
「君達に頼みたい仕事はこれらの経過観察がまず一つ」
 アメリアは大層嬉しそうに引き受けてくれたが、フリッカとエドは少し涙ぐんでいる。
「次はこっちだ」
 一度、三つの扉の所まで戻って来た。
 次に青いランプの部屋に入る。そこは赤いランプの扉の通路よりも大きな牢獄が並ぶ通路だった。
「ここでは思考実験を行っている」
 ここの牢獄は壁にガラスが嵌め込まれている。
「まだ、一つの実験しか出来ていないんだ」
「な、中の連中は何をしているんだ?」
 エドはガラス越しに中を覗き込みながら恐れるように問い掛けた。
「殺し合いだ。この部屋の五人は他人同士。一人だけ助けると約束して殺し合いをさせている」
 隣の牢獄は仲の良い家族だった者達。此方はリジーも確保に手間取り、結局、移民の三人家族という些か物足りないサンプルしか手に入らなかった。
 その隣は恋人同士。
 この牢獄の間にはココと赤いランプの通路の牢獄に繋いである実験台と合わせて二十人が収容されている。
 スラムや各国の魔法省の息の掛かっていない周辺国からヒッソリと集めているから中々思うようにいっていないのが現状だ。
 だが、贅沢も言えない。下手に魔法省に気づかれでもしたら全てが終わりだ。
「な、なんで、こんな事を?」
 フリッカが涙目になりながら互いを殺し合う人間達を見つめている。
「人間の思考をより深く理解するためさ。一つ目の部屋は一般的な倫理観の限界。二つ目の部屋は家族愛の限界。三つ目の部屋は情愛の限界を確認出来る。二つ目と三つ目は全員が生き残っているけど、一つ目は床に死体が二つ既に並んでいるだろ? これが三日間観察した結果さ。面白いと思わないかい? 最初の一日目、彼らは互いに協力し合って、ここから出て行こうと一致団結していたんだ。なのに、二日目で一人が殺され、一気に疑心暗鬼に満ち溢れ、三日目で更に一人死んだ事で実に緊張感に溢れた空間が形成された」
「……ドラコ」
「君達の僕に対する忠誠心はこんな貧弱な物ではないと信じているよ」
 微笑みかけると、エドワードは瞼を閉じた。
「もちろんだ、ドラコ。僕に開心術を使ってくれ。これを見て、君が僕をこの状況に叩き込んだとしても、僕の忠誠心は変わらない」
「良い心がけた。レジリメンス」
 開心術を使うと、彼の言葉が正に本心である事を確信する事が出来た。
 素晴らしい。僕はアメリアを見た。
「君は? 僕に忠誠心を試させてくれるかい?」
「もちろん。むしろ、より深く忠誠を誓いたくなったわ。だって、ここは最高だもの」
 彼女の心もまた嘘偽りの無い本心を口にしたのだと実証してみせた。
「フリッカ」
「……ドラコ」
 フリッカの瞳は揺れていた。
「僕に愛を示してくれるね?」
「……はい」
 彼女の心は他の二人程完璧では無かった。彼女は罪悪感に苦しんでいる。今直ぐに彼らを解放し、その罪を自分の死で贖いたいとさえ思っている。
 だが、この状況は僕が望んだものだ。その事で彼女は苦悩している。僕の望みは彼女の中で何よりも優先されるのだ。
 例え、僕に理不尽な命令をされても……、それが『僕を楽しませる為に死んでみせろ』という命令であっても彼女は喜んで実行するだろう。
 それ程の深い愛情を抱いている。
 彼女の心は以前、粉々になるまで徹底的に壊された。それを癒してあげたのが僕だ。
 人としての倫理も良心も何もかも僕より優先すべきものなど存在しない。
 だから、彼女の事は誰よりも信頼出来る。
「……次だ」
 僕は最後の黄色のランプの部屋の扉を開いた。そこは一段と大きな部屋だった。部屋の中央には目と耳と口を塞がれ、全身を拘束具で包まれている一人の少女がいる。
 マリア・ミリガンはその状態にあって尚、僕達の来訪に気づき、僅かに動かせる首を振った。
「彼女は……?」
 フリッカの問いに僕は杖を振りながら答えた。
 呼び寄せ呪文によって、一冊の本が飛んでくる。
「彼女は実験体の中でも少し特別なんだ。というか、他の実験体は彼女を完成させる為のものなんだよ」
 本を開いて、フリッカ達に僕が書き込んだ実験内容を見せた。
「薬物の投与を行い肉体を強化し、魔法を使って強化のリスクを極限まで落とす。既に彼女は人を超越した身体能力を保有している。魔法を使わずに超人的な運動能力を発揮し、傷を負った猛獣の如き鋭い五感を持つ。もっとも、それでも魔法使いと戦わせたら負ける程度だ。だから、これから更に強化し、そして、精神に干渉して絶対に裏切れないように洗脳を施す」
「……ドラコ。あなたは何をするつもりなの?」
 フリッカが震えた声で問う。
 僕は微笑みながら答えた。
「もうすぐ……、後一年か二年でヴォルデモートが復活する。その時に戦力が必要になるからね。その用意というわけさ」

第十一話「アナスタシア・フォード」

 ドラコ・マルフォイの取り巻きの一人、アナスタシア・フォードは黒髪と金の瞳が特徴のフォード家の四女。
 ちなみにフォード家はハリー・ポッターの祖母であるユーフェミアの血族。
 当代当主がマグル生まれ支持者であった為に聖28一族入りを許されなかったが魔法界の旧家の一つでもある。
 彼女もマグル生まれを差別しているわけではない。
 真面目な性格故にどんな情報も直ぐには鵜呑みにせず、満遍なく収集してから結論を出す彼女から言わせれば、既にマグル生まれが魔法界の中枢に入り込み過ぎている。
 純血の魔法使いのみで魔法界を動かすのはもはや不可能。
 つまり、今更そんな主張を振りかざした所で手遅れなのだ。
 実に合理的な考えだが、彼女がその答えに至ったのは年齢が一桁の時だった。
 彼女の両親は生粋の純血主義であり、三人の姉と二人の兄も親の主張が正しいと信じている。
 幼さ故の迂闊。彼女は自分の主張を家族の前で披露してしまったのだ。
 それからは無惨なもので、ドラコと出会った時、彼女は手酷い虐待を受けていた。
 ドラコが父親の用事に付き添い、フォードの家を訪れた時に出会った彼女の顔は十一歳の子供が作る表情ではなかった。
 何もかも虚しいと感じる顔で折れた腕を庇っていた。
『その怪我は?』
 ドラコの問いに答えは返って来なかった。
 それが当時の彼には堪らなく不快で、無理矢理聞き出した。
『兄に折られました』
 話を聞く内に彼女の思考回路が常人とかけ離れたものだと分かり、ドラコは彼女に興味を示した。
 彼女にとって、全ての人間がどうでもいい存在なのだ。親兄弟姉妹友人全てがどうでもいい。
 今でもそうだ。彼女はある意味でドラコにもっとも近い存在。
 全ての行動に計算が挟まっている。
 彼への忠誠も生きる上でそれが一番不利益が少ないと判断したが故のもの。
 本心からドラコを慕っているわけではない。
 いつものオドオドとした態度も偽物。それが他者との軋轢を一番生み難いと判断して作った偽りの人格だ。
  

 
 最近、一人になる事が多くなった。
 ドラコはハリーやダンと共にレイブンクローの女生徒達との交際に励んでいるし、フリッカ達は三人でこそこそと何かをしている。
 ぽっかりと時間が空いてしまった。
 学年末試験が終わり、勉強をする気にもなれない。
 別に寂しいわけじゃないけど、暇だ。
 談話室でボーっとしていると、誰かに肩を叩かれた。
 振り向くと、ビンセント・クラッブとグレゴリー・ゴイルが手持ち無沙汰の様子で突っ立っていた。
 この二人は苦手だ。何を考えているのか分からない。この二人と比べたらドラコの方がまだ分かりやすい。
「……えっと、何か御用ですか?」
 問い掛けてみても、「うー」とか「がー」とか言うばかり、トロールだってもう少し感情表現豊かな筈だ。
 これで人間だと主張するなら、せめて人語だけでもマスターして欲しい。
 獣の唸り声を理解する
 二人は私達よりも先にドラコの側近となった。私達が知らない頃のドラコを知っている。
 彼らならドラコがああいう風になったルーツを知っているかもしれないけど、聞き出すのは骨が折れそうだ。
「とりあえず……、ソファーに座って下さい」
 二人は小さく頷くと素直にソファーに腰掛けた。
 ドラコ・マルフォイはとても危険な思想の持ち主だ。上手く立ち回れば甘い汁を啜える程度に有能だけど、あの精神構造には未知の部分が多過ぎる。何かミスをして、彼の牙が此方に向くような事だけは断固として避けなければいけない。
 彼は人間を同じ種族と見なしていない。恐らく、家畜程度の認識しか持っていない。かの闇の帝王だって、もう少し温厚だったと思う。少なくとも、自らに忠誠を誓う者には寛容だったと聞く。
 ドラコは彼に愛を捧げているフレデリカでさえ、いつか自分の為に殺してしまいかねない。
 悪辣とか冷酷とかではない。そこが何より問題だ。
 肉屋が家畜の肉を何の感慨も無く解体するように彼は人間を使い潰す。
 それを隠すだけの理性と知性を併せ持っているから厄介極まりない。
「あの……、二人に聞いてみたい事があるんですけど」
 彼の両親に何度か会った事がある。マルフォイ夫妻は至って普通の夫婦だ。純血主義者であり、貴族階級の人間としては至って平均的な人格を維持している。
 その二人の間で育った彼がどうしてああいう人格を形成するに至ったのか、その謎を捨て置く事は出来ない。
「二人はドラコと一番長い付き合いですよね? ちょっと、昔のドラコの事を聞いてみたいのですが……」
 いつもの演技の仮面を被りながら問い掛けてみた。
 すると、二人の顔が一瞬にして土気色に変わった。よく見ると、少し震えている。
「ど、どうしたんですか?」
 目を丸くする私の前でクラッブがゆっくりと口を開いた。
「ば……」
「ば?」
「化け物……」
 あまりにもストレート過ぎる言葉に私が狼狽えてしまった。
「化け物って……」
「あれは怪物。逆らえば殺される。殺されるよりも酷い目に合わされる」
 私は慌てて周囲に視線を走らせた。
 誰もいない。試験が終わった解放感から、みんな外に出て遊んでいる。
 安堵した。
「クラッブさん! 幾らなんでも言い過ぎですよ。こんな場所で……」
 こんな場所。その言葉にクラッブは恐怖の表情を浮かべた。
「ご、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
 ざめざめと涙を流し始めた。見ればゴイルも顔をくしゃくしゃにしている。
 私がドラコと出会った時、既に彼は言葉で人を誑し込む術を身に付けていた。
 だけど、その技術を身に付けたのはいつ? その前はどうやって人に忠誠心を植え付けたの?
 彼らはきっと、ドラコ・マルフォイの真なる闇を目撃した事があるに違いない。
「ごめんなさい。何か、悪い事を聞いてしまったみたいね。大丈夫よ。ここで聞いた事を私は他言しない。だから、あなた達も忘れてしまいなさい。今日、ここでは何も起こらなかった。そうでしょ?」
 二人は必死な顔で頷いた。
 あまり踏み込み過ぎるとドラコの逆鱗に触れ兼ねない。けれど、時間を掛けてでも聞き出すべきだと思った。
 今はここまででいい。
 別にドラコと敵対したいわけじゃない。私はドラコと良き友人関係を続けていきたいだけだ。
 彼が私に利益を齎してくれている限りは……。
「ところで、私に用があったのでは?」
 問いかけると、二人は再びトロールに戻ってしまった。
「さっき、普通に喋ってたじゃないですか!?」
「……ドラコに『お前達はアンと一緒に遊んでいろ』って言われた」
 ゴイルが言った。
 前から思っていた事だけど、ドラコの二人に対する態度はかなり冷たい。
 それでも裏切らないと信頼しているのかそれとも……。
 私に対してもフリッカ達と比べると冷たい気がするけど、そもそも私が本心から彼に従っているわけではないと、彼自身も知っているから仕方がないと理解している。
 けど、蔑ろにされている者同士、少しは優しくしてあげるべきかもしれない。
「チェスでもしますか?」
「……する」
「……うん」
 トロールから幼児レベルまで進化してくれただけ良しとしよう。
 ドラコ達が忙しくしている内に二人を完全に私の手駒にしておくのもいいかもしれない。
「ルールは知ってる?」
「……よく知らない」
「……ごめん」
「大丈夫ですよ。ちゃんと手解きしてあげます」
 ドラコの教育もあるのだろうけど、二人は実に素直だった。
 思ったよりも可愛げがある。私はジックリ丁寧に二人にチェスのルールを教えてあげた。
 それ以来、ドラコの命令が無くても、ドラコが居ない時は常に私の傍に控えるようになった。
 なんてチョロ……、良い子達なんだろう。
 

 学年末。寮対抗杯は当たり前のようにスリザリンが獲得し、他の寮の生徒達からいつものように敵意に満ちた視線を送られた。
 その翌日、荷物の整理を終えた私はドラコ達を待つために談話室で寛いでいた。
 そこに一人の少年が近づいて来た。
 セオドール・ノット。一匹狼の彼が話し掛けて来るとは驚き。
「アナスタシア・フォード。ちょっと、いいかな?」
「……どうしたのですか?」
 仮面を被って応対すると、やや予想外の事を言われた。
「夏休み中、君を我が屋敷に招待したいんだ」
「……私をですか?」
 目的が分からない。彼はドラコとさえ交流が殆どない人だ。
 私もこうして彼と会話をしたのはこれが初めての事。
「ああ、色々と話をしてみたくてね」
 怪しい。この男は頭が切れることでも有名だ。
 何か裏があるに違いない。
「……申し訳ないのですが」
「以前、ここで君は友人と何やら話し込んでいたね」
 鳥肌が立った。
「何の話ですか?」
「……別にドラコに密告しようとか、君を脅そうとか考えているわけじゃないよ。ただ、色々と話がしたいだけさ」
「話とは……?」
「いろいろさ」
「いろいろ……ねぇ」
 どうやら、私に拒否権は無いようだ。
 だが、ドラコとはまた別のベクトルで危険な香りのする男の家に一人で乗り込むのは不安で堪らない。
「友人を一緒に連れて行ってもいいですか?」
「……それは遠慮してほしいな。僕は君に来て欲しいんだ」
「……ですよね」
 ノットが去った後、私は深い溜息をこぼした。
 私の周りに居る男達はどうしてどいつもこいつも頭のネジが一本外れているような連中ばかりなんだろう……。

第十二話「真実を求める者達Ⅰ」

 この世には常識では説明出来ない摩訶不思議な事件が数多く存在している。
 例えば、十年ほど前の話になるが、いくつかの村から村人が集団失踪を遂げ、その行方は今も不明のまま。
 他にも飛行中に突如旅客機が消息不明になり、数日後にそこから数百キロも離れた場所で発見された例もある。
 これらはイギリス国内で起きた事だ。他国に目を向ければ、それこそ数え切る事など不可能な量だ。
 一連の事件には幾つかの共通点があり、殆どの場合、被害者及び周辺区域に住む住民の記憶に異常が見られる事。
 そして、警察組織及び、それに類する組織に圧力が掛けられ、捜査の続行を阻止される事だ。
「……胸糞が悪いな」
 ロンドン警視庁専門刑事部に所属するフレデリック・ベイン警視長は一冊の分厚いファイルに目を通しながら一人呟いた。
 若くして警視長の座についた彼には一つの目的があった。
 それは『真実』を識る事。
 十年前、村人が集団失踪を遂げた村の一つが彼の故郷だった。
 ゴーストタウンと化した村を彷徨い、廃墟と化した自らの生家を前に涙を流した。
 毎日大学に通い勉学に励む自分を尻目に幼馴染達は今も畑を耕し、面白おかしく生きている筈だと思っていた彼を打ちのめした事件。
 誰に何を聞いても理由を知る事は出来ず、失踪した村人達の消息も掴めなかった。
「そんな馬鹿な話があるものか! 百人以上の人間が失踪したんだぞ……」
 当時、他にも同じ事件が幾つも起きていた。
 事件の真相を掴むために警察組織に入った彼は当時を知る老齢の警察官に話を聞き、その事を知った。
 彼は悔しそうに顔を歪めながらフレデリックに話した。
『事件の糸口さえ掴めなかった。周辺の住民に聞いても村人の行方を何も知らないと言い張る。たった一晩で百人以上が集団失踪したのに、目撃情報一つ無いなどありえるものか!! 私は悔しかった。私だけでは無い!! ポールもマイケルもエドモンドもみんな躍起になって情報を探した。だが、何も見つからなかった!! 車は各家にそのまま!! 近くの山を虱潰しに探しても人影一つ見つけられない!! その内、上から急に捜査の中止を命じられた。理由は分からない。上司に抗議をしても無駄だった……』
 今読んでいる資料は彼から受け取った物だ。当時、彼が調べあげた内容や彼と親交のあった捜査官達の集めた情報をまとめたもの。
 他の資料を一切合切没収される前に密かに隠したものだと言う。
『国家ぐるみの犯罪かもしれん。故にこの資料の取り扱いには慎重に慎重を重ねなさい。君を真の正義を心に掲げる警察官だと信じて託すのだ。どうか、真実を解き明かしてくれ。私だけではない。当時の悔しさを知る多くの捜査官の願いだ。その為ならば我々は君に出来る限り力を貸す』
 資料を閉じ、フレデリックはいつものように地下に隠してある金庫の中へ資料を仕舞い込んだ。
 既に内容は頭の中に事細かく刻まれているが、資料を託してくれた先輩の警察官への恩義と自らの使命を忘れない為に時折こうして目を通している。
「……そろそろ出掛けないとな。今日はウーリッジの方に出向かねばならん……、頭が痛いな」
 ウーリッジ近郊は治安の悪さが尋常ではなく、無警戒に入り込めば身包みを剥がされ、下手をすれば躯を晒す事になりかねない。
 元々、軍需産業の工場が立ち並ぶ区域だったが、軍縮の煽りを受けて失業者が大量発生し、おまけに移民が大量に入り込んだせいで今や中国の九龍城と並ぶ程の魔都と化している。
 他の四人の警視長から『若者は現場を知るべきだ』という御高説と共に命じられたスラムの視察にフレデリックはついつい溜息をこぼしそうになる。
 だが、警察官としての勤めを疎かにするわけにはいかない。更に出世して、『真実』に手を伸ばす資格を得る為にもっと働かなくてはならない。気を引き締めた。

 フレデリックがウーリッジを視察する為にグリニッジ警察署を訪れると何やら揉め事が起きていた。
 どうやら、一人の少年が受付で何やら喚き立てているらしい。
「これは何事かな?」
 近くに居た署員に話しかけると、その内容は何とも物々しく、それでいて微笑ましいものだった。
 少年のガールフレンドが行方不明になったのだ。連れ去ったのは妖精らしい。
 受付の女性職員が困り果てているのを見て、フレデリックはお節介を焼く事にした。
 署長への挨拶とウージッリ近郊をパトロールしている警察官から話を聞く予定だったのだが、大分早く到着してしまい、どうしたものかと困っていた所だ。
「坊や、どうしたんだい?」
 声を掛けて、フレデリックは軽い驚きを覚えた。
 歳はまだ十歳前後だろうに、その目は子供とは思えない程ギラギラしている。
 とても『妖精』などというファンシーなものを信じているようには見えない。
「マリアが妖精に攫われたんだ!! 本当なんだよ、信じてくれ!! 目撃者が居るんだ!!」
 あまりにも必死な形相にフレデリックは表情を引き締めることにした。
 十年前。村が大きな事件に巻き込まれたに違いないと声高に叫ぶ彼の訴えを大人達は子供だからという理由で相手にしなかった。
 子供だから。そんな言葉を吐く者に真実を得る事など出来ない。
「詳しい話は私が聞くよ」
「あ、あんたは……?」
「私はフレデリック。これでも階級はこの署の誰よりも高いよ」
 そう肩の階級章を見せながら、フレデリックは少年に微笑みかけた。
 安堵と罪悪感の入り混じった表情を浮かべる女性署員に軽くウインクを飛ばし、フレデリックはそのまま少年を署から連れ出し、近くのレストランへ連れて行った。
「好きな物を選びなさい」
「い、いいのか?」
 疑わしそうな目を向けてくる少年にフレデリックは「もちろん」と答えた。
 料理とジュースが運ばれてくると、少年は初めて子供らしい表情を浮かべた。
「あの……」
「話は食事が終わってからにしよう」
「お、おう」
 よほど腹が減っていたのだろう。少年はゆうに三人分はあるだろう料理をペロリと平らげた。

 食後のコーヒーを啜りながら、フレデリックは彼から詳しい話を聞いた。
 少年の名前はジェイコブ・アンダーソン。ウーリッジのアパートメントに娼婦の母親と二人で暮らしているらしい。
 彼の子供とは思えない眼光の正体が分かり、フレデリックは少しだけ悲しくなった。
 親に無償の愛を注がれ、友人と共に夢を語りながら馬鹿な事をするべき年頃なのに、彼は並みの大人が経験するよりもずっと過酷な環境を生き抜いている。
「マリアの客の一人があの日見てたんだ。マリアを誘拐する妖精を……。最初はすっとぼけてやがったけど、足腰立たなくなるまで殴ってやったら吐きやがった。いっつも俺達が会っている所を見てて、その事をアイツに……」
「そうか……」
 聞いていて腸が煮えくり返ってくる。
 幼子が性を売り物にさせられるというスラムで常識的に起こっている事。それが堪らなく腹立たしい。
 人間とは理性を持つ生き物だ。力無き者を食い物にするなどあってはならない。それがフレデリックの信じる世界の真理だ。
「まあ、二度と使い物にならないようにしてやったけどな」
 悪辣に笑う少年にフレデリックは微笑みかけた。
「よくやった」
「……アンタ、警察官のくせにそれでいいのか?」
 呆れられてしまった。
「コホン。内緒にしておいてくれ。大人はあまり本心を顔や口に出してはいけないものだからね」
「あいよ」
「それで、妖精と言っていたが、具体的にはどんな姿だったのかな?」
「……こんなヤツ」
 ジェイコブは一枚のチラシをテーブルに乗せた。
 そこには奇妙な生き物が描かれている。
 耳が大きく、目がギョロっとしている。
「これが妖精か……」
 ディズニーのティンカーベルとは比べ物にならないくらい不細工だ。
 夢も希望もあったものじゃない。
「手掛かりとなりそうなものは他に無いかな?」
「……なんにも。色々なヤツ殴ったけど、出て来たのはそれだけさ。俺だって……、本当はあんまり信じてない。だけど、本当に他に何もないんだ。わけがわからねぇ……。表通りで店構えてる奴らも客待ちのババァ共も誰も見てないって言うんだ……。それどころか、その時何をしていたのかも覚えてないって……」
「なんだと?」
 気付けばフレデリックは少年の両肩を掴んでいた。
「そう言ったのか!? 記憶が朧げだと!」
「お、おう」
 常識ではあり得ない事件。その共通項は周辺住民の記憶の異常。
 妖精はさすがに目撃者が嘘を吐いているか、もしくは幻覚を見たのだろうが、この少年のガールフレンドの身に起きた事は間違いなく十年前の事件と同じ性質を持っている。
「クソッ、時間が……。ジェイコブ! 今から渡すメモの場所に行きなさい。そこに私の知人が探偵事務所を構えている。既に警察組織を引退した男だが、君のガールフレンドが巻き込まれたような事件を追っている。私も後で顔を出すから彼を頼れ。連絡は入れておく。これを持っていけ」
 フレデリックは腕時計を憎々しげに見た後、財布から札束を出し、一枚の名刺を少年に渡した。そこには『レオ・マクレガー探偵事務所』と書かれている。
「いいか、必ず行くんだ。君のガールフレンドは必ず助け出す。私を信じてくれ」
「……ああ、わかった! アンタは俺の話をちゃんと聞いてくれた。俺はアンタを信じる」
 フレデリックは力強く頷くと、彼に探偵事務所への行き方を詳細に伝えた。

 ジェイコブと分かれた後、フレデリックは拳を握りしめた。
 この事件が必ずや十年前の事件の解決に結びつく筈だ。
 幼馴染達や親兄弟の顔を頭に浮かべ、彼は決意を燃え上がらせる。
「必ず掴んでやるぞ、『真実』を!!」

第一話「アズカバンの囚人」

 三年目が始まった。僕がもっとも好きな『アズカバンの囚人』の年。毎日『日刊預言者新聞』に目を通し、ウィーズリー家の人々の笑顔が映っている記事を見つけた時の歓喜は忘れられない。
 現在アズカバンという魔法界の監獄に投獄されているシリウス・ブラック。十二年前に起きた大量殺戮の犯人とされている人物だ。
 実は彼は無実であり、自らを陥れた男の存在をこの年の『日刊預言者新聞』を読む事で知り、脱獄してくる。
「……ハリーの後見人。彼の無実は必ず晴らす」
 僕がいつも憧れていた光景。
 シリウスはハリーの両親からハリーの後見人になって欲しいと頼まれている。
 本当の家族を失い、愛のない親戚の家庭で育ったハリーが初めて得る『愛してくれる家族』。
 原作では離れ離れになってしまったが、必ず一緒に暮らせるようにする。
「ピーター・ペティグリューを捕らえる事が出来れば、ヴォルデモートの復活を遅らせる事も出来る筈だ。それだけ力を蓄える時間が得られる」
 日刊預言者新聞をクシャクシャに丸め、僕は決意を新たにした。
「絶対に逃さない。今の僕が使える全ての駒を使ってでも……」
 家族は一緒にいるべきなんだ。子供は愛されるべきなんだ。
 それを邪魔するなら、誰だろうと排除する。
 だが、短慮は禁物だ。
 ピーターを捕まえる事が目的じゃない。
 シリウスの無実を証明する事こそが大切なのだ。
 その為にはピーターとシリウスをよく知る人物達を巻き込む必要がある。
 それも決定的瞬間を目撃するように……。
 
 手始めにギルデロイ・ロックハートをホグワーツから追放した。
 これは別に難しくなかった。もしかしたら、僕が何もしなくても追放されていたのかもしれない。
 単にホグワーツの理事を親に持つ生徒達全員を炊きつけたのだ。
『来年もロックハートに授業を習いたいと思う?』
 誰も反対意見を出さなかった。清々しいくらいの満場一致。
 父上もロックハートの授業のあまりの杜撰さに呆れ返り、ダンブルドアに抗議の手紙を送ったほどだ。
 理事以外の親達からもダンブルドアに手紙がいっている筈。
 それでも継続して雇用したいと思う程の魅力がロックハートにあるとは思えない。
 ダンブルドアも賢明な判断を下す筈だ。
 これでシリウスの親友であるリーマス・ルーピンが来る事になった筈。
 後は立ち回り次第だ。
 僕はハリー・ポッターの親友。それが既にホグワーツの生徒達全員の共通認識となっている。
 だから、僕がハリーの両親の死について調べていても変に勘ぐられる事はない。
 目的達成の為には物語を読んで得た情報を改めて収集する必要がある。
 

 ある程度必要な情報が揃った頃、日刊預言者新聞がシリウス・ブラック脱獄のニュースを報じた。
 それから更に数日が経つと、ハリーから手紙が来た。
 物語中では親戚のマージョリー・ダーズリーを膨らませる事件を起こす筈だったが、ハリーには予め、どうしても我慢出来ない事があったら遠慮せずに頼ってくるよう伝えておいた。
 それが功を奏したのか、ダーズリー家は至って平和な様子。代わりにハリーの中でマグルに対する憎悪が一気に膨れ上がり、手紙には怨嗟の言葉が延々と綴られていた。
 素晴らしい。既にハリーはマグルを下に見ている。手紙にはマグルという種族そのものを軽蔑しているかのような言葉もあった。
 僕は口元が緩むのを抑えきれなかった。
「……だが、ここでマグルに手を出して下手に罪悪感など抱かれては台無しだ」
 僕は計画の第一歩としてハリーを屋敷に招待するべく、迎えに行く事にした。
 完璧なマグルの格好と態度で『完璧な』挨拶をしてこよう。ダーズリー家の人々がハリーの目の前でどんな対応の仕方をするのか楽しみで仕方がない。
 
 出来る限りダーズリー夫妻の不興を買うために敢えて来訪の知らせは送らなかった。
 ハリーにはサプライズのつもりだったと言っておけばいい。ついでに『魔法界で』大人気のお菓子の詰め合わせも用意した。
 プリペット通りに到着すると、目的の家はすぐに見つかり、僕は意気揚々とチャイムを鳴らさずに扉をドンドンとノックした。
 魔法使いとしては当然の、マグルとしてはまともじゃない来訪の仕方をコンプリートしてみせる。
 中から不機嫌そうな足音が響いてきた。扉が開くと、鼻の穴を大きく膨らませた不細工な女が現れた。
「やあ、どうも」
 僕は相手を見下しきった口調で先手を打った。そのまま、返事も聞かずに中に入る。
「ハリーはいるかい?」
 綺麗に掃除してあるフローリングの床に足跡をつけながら中に入ると、ダーズリー夫人がキチガイ染みた声を張り上げた。
 罵詈雑言の嵐を聞き流し、僕は丁寧に磨かれた調度品を素手で触った。
「安っぽいね」
 ヒステリックな悲鳴が木霊した。
 その声に反応して、上の階から誰かが降りて来た。同時に奥の扉も開く。
「ハリー!!」
 夫人が階段を降りてくるハリーに険しい視線を向けた。それに対して、ハリーは実に冷たい目を向け、その後に僕を見て目を大きく見開いた。
「ドラコ!?」
「やあ、会いに来たよ、ハリー。君を我が屋敷に招待しようと思ってね。来るだろ?」
「もちろん!」
「なりません!!」
 二つ返事をするハリーの声を遮るように夫人が叫んだ。
「こんな礼儀を知らないボンクラとの縁なんて切りなさい!!」
「なっ……」
 ハリーは夫人の言葉に絶句した。
 その間に夫人は僕に対する罵詈雑言をこれでもかと披露してくれた。
 そこにアシスタントの如く登場したバーノン・ダーズリーとダドリー・ダーズリー。
 三人が繰り広げる茶番劇に僕は笑いを堪えるのが大変だった。
 必死に吹き出しそうになる口を押さえて哀しそうな表情をハリーに見せつける。
 効果覿面。ハリーはみるみる内に顔を真っ赤にした。階段を駆け上がり、一分後にトランクをガタガタ言わせながら降りて来た。
「行こう、ドラコ!」
 僕の腕を掴むと、ダーズリー一家にコレ以上ない憎しみの視線を向けると、家を飛び出した。
 大成功。あまりにも思い通りに行き過ぎて頬が緩みそうになる。
 いけない。ここは確りと傷ついた振りをしておかないとね。
「ごめん、ドラコ。“あの人達”が君に失礼な事を……」
 僕の家族という言葉すら口にしたくないようだ。
 僕は首を横に振った。
「いいや、僕が悪いんだ。君から話を聞いていたのに、どうしても君と会いたくて……」
「ドラコ……」
 感じ入った表情を浮かべるハリーに微笑みかける。
「迷惑だったかい?」
「そんな筈ないよ。君の顔を見れて嬉しい」
「ありがとう、ハリー」
 クスリと微笑むと、ハリーも微笑んだ。

 電車を乗り継ぎ、僕の屋敷に到着すると両親は以前と同じように仰々しくハリーを出迎えた。
 だけど、今回ハリーは前回と違い少し嬉しそうな表情を浮かべていた。
 それからの数日、僕達は夏休みの課題を片付けたり、息抜きにクィディッチの練習をしたりした。
 フリッカ達も招き、実に健全で学生に相応しい休日を過ごした。
 ちなみに秘密の部屋に監禁したマグル達はマリアを除いて全員死んでしまい、マリアの世話はリジーにやらせている。
 そして、夏休みが終わるまで後2日と迫った日、僕は彼らと共に紅茶を飲みながらシリウスの話を切り出した。
「シリウス・ブラックの事は知ってるかい?」
「ああ、アズカバンから脱獄したって聞いた。そんな事、あり得るのかな……」
 エドワードが眉間に皺をよせて言う。
「どういう事?」
 ハリーが聞いた。
「アズカバンには吸魂鬼がいるのよ」
 アメリアが言った。
「吸魂鬼?」
 ハリーが首を傾げる。
「吸魂鬼っていうのは人の感情を食べる幽鬼の事だよ」
 エドワードの説明にハリーはますます不可解そうに首をひねった。
「感情を食べるって、どういう事?」
「うーん。言葉にするのは難しいな……」
 エドワードは救いを求めるように僕を見た。
「感情というより精神だね。人を構成する三つの要素の内の一つを彼らは食べる。それも陽の気を」
「陽の気?」
「陰陽道を知ってるかい?」
 ハリーが首を横に振る。
「中国から伝わった概念なんだけど、森羅万象は陰と陽の二つの分類にカテゴライズされるらしい。精神もそうだ。陰と陽の気が混ざり合う事で精神は構成されている。要は希望とか喜びの感情が陽の気で、絶望とか哀しみの感情が陰の気だと理解してくれればいい。この内、陽の気のみを吸魂鬼は吸う。すると、精神は陰の気に満たされてしまう。陰陽の均衡が崩れれば、後に待っているものは崩壊という結末だ。この場合は精神の崩壊だね」
 羊皮紙に陰陽の図を描きながら解説すると、ハリーはなんとなくだが理解出来たみたいだ。
「アズカバンに収容された者は四六時中吸魂鬼に精神を吸われ続ける。故に囚人達は早かれ遅かれ精神崩壊を起こす。吸魂鬼を出し抜いて脱獄する気力なんて残る筈がないんだ。だから、みんな驚いているんだよ」
「そうなんだ……」
「ハリー」
 僕はハリーの瞳を見つめた。
 ここからが重要だ。慎重に言葉を選ばなければいけない。
「シリウス・ブラックは……、君の両親の親友だった男なんだ」

第二話「シリウス・ブラック」

 シリウス・ブラックはハンサムで才気に溢れる人気者であり、僕の父親であるジェームズ・ポッターの親友だった男。
 彼らはいつも肩を並べて歩き、まるで兄弟のように通じ合う関係だったという。
 ドラコが口にするシリウスとジェームズの関係に僕は衝撃を受けた。
「シリウス・ブラックは犯罪者なんでしょ……?」
 大量殺戮の犯人。その恐ろしいイメージとドラコに貰ったアルバムの中で手を振るパパの親友というイメージが反発し合い、シリウス・ブラックという男の人物像が上手く想像出来ない。
 ドラコが僕の問い掛けた質問に深刻そうな表情で頷いた。
「……うん。しかも、彼は当時、闇の帝王の片腕として動いていたと言われている」
「闇の帝王って……、ヴォルデモートの!?」
 驚きのあまり声を張り上げてしまった。
 ヴォルデモート。僕の両親を殺した張本人だ。その片腕だった……? パパの親友が……?
 直後、頭の中に奇妙な声が響いた。
『リリー! ハリーを連れて逃げるんだ! ヤツだ! 僕が食い止める!!』
『どうして!? 何故、ここが……ッ』
『アイツが裏切ったんだ! それ以外に考えられない……、信じたくないが』
 それが誰の声だったのか考えつくより先にダンに肩を揺さぶられた。
「おい、大丈夫か?」
「え? あ、うん……」
 ダンに促されるまま椅子に腰掛ける。
 僕に紅茶を進めながらドラコが話を続けた。
「もっとも、帝王の片腕云々は逮捕後に広まった噂だから鵜呑みには出来ないけどね」
「でも、ブラックは大勢の人を殺害したんでしょ?」
 未だに脳内にこびり付く奇妙な声を振り払いながら尋ねる。
「……僕にはそれがどうしても信じられないんだ」
「どういう事……?」
 ドラコの言葉に驚いたのは僕だけじゃなかった。エドワード達も不思議そうな顔をしている。
 現行犯逮捕だったと言ったのは彼だ。死体の山の中で高笑いをしていたと……。
 だけど、ドラコの言葉だ。彼は軽はずみな言葉を使わない。彼がこういう事を言うからには確信を持つに至る何かを掴んでいるという事だ。
 つまり……、シリウスは無罪?
「ハリー。僕は君の御両親の事を少し調べていたんだ」
「え?」
 突然、話が切り替わった。一瞬、ボーっとしていたから、その間に話題がシフトしたのかとさえ思った。
「君に生前の御両親の話をしてあげたくてね……」
「ドラコ……」
 不意打ちはやめてほしい。嬉しさのあまり頭の中が一瞬真っ白になってしまった。
 考えるべき事が多い中で思考停止に追い込む悪行を働いたドラコを軽く睨むと、彼はクスリと微笑んだ。
 どうあっても敵わない……。
「……その時に信じられない話を聞いたんだ」
「信じられない話?」
 ドラコが信じられないという言葉を口にするからには相当衝撃的な事を知ったのだろう。
 僕は耳を澄ました。
「君の御両親の結婚式の日、シリウスは新郎の付き添い役をしていた。その時に御両親から君の後見人になって欲しいと頼まれたらしいんだ」
「こ、後見人!?」
 衝撃は予想以上だった。寝耳に水とはまさにこの事。
 後見人とは保護者みたいなものだ。
 これまでの十三年間を思い出す。ダーズリー家で虐げられ続けてきた十三年間を……。
 だけど、ブラックが犯罪を犯さなければ、もしかしたら違う人生があったのかもしれない。
「ジェームズ・ポッター。君の御父上は誰よりもシリウスを信頼していたらしい。ホグワーツ在籍時の彼らを知る人からすれば、ジェームズとシリウスはまさに一心同体。互いの事を何よりも想い合っていたという」
「シリウス……。パパの親友……」
 頭の中で魔法使いの保護者の下で過ごす十三年間を夢想した。
 理不尽な事など言われない。暴力を振るわれない。狭い物置に閉じ込められたり、食事を抜かれる事もない。
 美味しい魔法界の料理を食べて、義父から魔法の手解きを受けて、箒を幼い頃から乗り回し、ドラコとの関係も違ったものになっていたかもしれない。
 助けられるばかり、喜ばせてもらうばかり、僕から何も返せない、恩義ばかりが累積する関係。
 パパとシリウスのような関係になれていたかもしれない事に深い哀しみが湧いた。
「ハリー。調べれば調べるほど、僕にはシリウス・ブラックが殺人を犯すような人間には思えなかったんだ。しかも、例の事件で犠牲になった人の中には彼の旧友もいた」
「旧友?」
「ピーター・ペティグリュー。学生時代、ジェームズとシリウスを慕って行動を共にしていた男だよ。臆病で思慮の浅い劣等生だったと聞く。彼は当時、シリウスと言い争いをしていたらしいんだ」
「言い争いを……?」
「……詳しい事はさすがに分からなかった。ただ、その言い争いの後、シリウスはアズカバンに投獄され、ピーターは指を数本残して消し飛んだ」
 指を数本残して……。
 自分の手を見ながらゾッとした。
「あまりにも残虐な犯行だ。それ故にシリウスの人物像と一致しない。友情を何よりも大切にしていた男らしいからね」
「……つまり、君は事件の真相が別にあると睨んでいるわけだね?」
 僕の言葉にドラコは小さく頷いた。
 その時点で僕の中でシリウスは無実となった。
「シリウスはアズカバンから何らかの方法で脱獄した。なら、彼は真相が真実であれ、嘘であれ、必ず君と接触しようとする筈なんだ」
「僕と……?」
「真実なら、君を再び殺す為だ。本当にヴォルデモートの片腕なら、ヴォルデモートを倒した君を殺したいと願う筈だからね」
 恐ろしい事を平然と言う。だけど、それは彼が真実ではないと確信しているからだろう。
「嘘なら、君に会いたいと願う筈だ。君は親友が遺した子供であり、家族も同然と考えているだろうからね」
 ドラコは言った。
「どちらにせよ、いずれシリウスは君の前に現れる。その時に真相を知る為には色々と準備が必要なんだ」
「準備というと?」
 それまで黙って聞いていたエドが身を乗り出した。
 当然のように協力する態勢を整えてくれている。
 フリッカとダンも真剣な面持ちでドラコの言葉に耳を傾けている。
 アメリアは何かを考えこんでいる様子だけど、きっと彼女も協力してくれる筈だ。
 僕の後見人の無罪を証明する事に。
「一つ目は万が一の自体に備えてハリーを守る手段を構築する事。二つ目はシリウスが無罪だという証拠を探す事」
「万が一って言うのは真相が真実だった場合の事かい?」
 エドが問う。
「それもあるけど、父上によればシリウス脱獄の一報を受けた魔法省がホグワーツに吸魂鬼を送り込む事を決定したらしいんだ」
「吸魂鬼を!?」
 これには全員が一斉に声を上げた。
 その性質を聞いただけでも恐ろしい怪物がホグワーツを跋扈する。
 背筋が寒くなった。
「だから、まずは全員に『守護霊の呪文』を覚えてもらう」
「守護霊?」
 僕が聞くと、ドラコは杖を一振りした。
「エクスペクト・パトローナム」
 すると、杖の先から白い光が溢れだし、その光が一匹の美しい蛇になった。
「これが守護霊だよ。高等呪文の一つだから、取得が難しいものだ。だけど、これを全員に絶対に覚えてもらう。如何に魔法省が管理していても、奴らは人を襲う化け物だ。いつ何時、その本性を露わにして牙を剥いてくるか分からない。これについてはハリーを守る為だけじゃない。君達全員を守る為に必須の技能だ。取得出来なかったなんて言葉は聞かない。絶対に取得しろ」
 ドラコは本気で吸魂鬼を脅威と捉えているらしい。
 僕達は確りと頷き、ドラコから守護霊の手解きを受けた。

 守護霊の呪文は幸福な感情を浮かべながら、呪文を唱える。
 簡単な事に聞こえるけど、僕は中々上手く出来なかった。
 ダンやアメリアも梃子摺っている。
「エクスペクト・パトローナム」
「エクスペクト・パトローナム」
 エドとフリッカの二人だけはあっという間に取得してしまった。
 二人の杖から飛び出した狼とウサギが部屋の中を駆け回る姿に思わず羨望の眼差しを向けてしまう。
「いいかい? 最も幸福だと思う事をイメージしながら杖を振るんだ」
 ドラコの言葉に僕は今までの人生の中で幸福だと思った事を順番にイメージしながら杖を振った。
 だけど、ホグワーツに向かう日まで続けた練習の成果は靄が少し飛び出す程度だった。
 魔法の存在を知った日の事。
 初めて杖を振った時の事。
 初めて箒に乗った時の事。
 どれも素晴らしい幸福な記憶の筈。なのに、どうして上手くいかないんだろう。
「ねえ、二人は何をイメージしたの?」
 躍起になって杖を振っても全然進歩しない事に嫌気が差し、嫉妬心を押さえて成功している二人に聞いた。
 すると、二人は揃って同じ事を口にした。
「ドラコと出会った事」
 一字一句違わずにハモった二人の言葉に僕は衝撃を受けた。
 それは二人が如何にドラコを慕っているのかを知ったからじゃない。そんな事は先刻承知している。
 僕が驚いたのはその守護霊呪文成功の秘訣に何の疑問も抱かず納得した自分自身だ。
 試しに杖を振ってみた。
「エクスペクト・パトローナム」
 すると、今までとは全く違う光景が目の前に広がった。
 一匹の牡鹿が部屋の中を飛び回っている。
「成功した……」
 ドラコとの出会い。それが今までのどんな記憶よりも幸福な事。
 そう気付いた瞬間、あまりの照れ臭さに頭を抱えそうになった。
 初めて出来た友達。僕に魔法界の事を教えてくれて、困った時はいつでも助けてくれる。
 この世の誰よりも尊敬し、この世の誰よりも慕っている相手。
「おお、これは何というか……、照れくさいな」
 どうやら、ダンも成功したらしい。馬の守護霊が寄り添っている。
「わーお。私って、思った以上にドラコの事が好きだったのね……」
 アメリアも目の前のカラスに引き攣った笑顔を向けている。
「……これは中々、嬉しいような恥ずかしいような……うーむ」
 ドラコも頬を少し赤くしている。
「ま、まあ、結果オーライという事で……。ホグワーツに向かう前に全員が取得出来た事は素晴らしい結果だ。みんな、よくやった!」
「ああ!」
「はい!」
「う、うん」
「お、おう」
「えっと……、うん」
 エドとフリッカ以外の歯切れが悪い。僕も……。
 いや、この空気は中々恥ずかしい……。
「そう言えば、アンは大丈夫なの?」
 アメリアが空気を入れ替えるように話を振った。
 アンは今回招かれていない。ドラコも誘ったらしいけど、来れなかったみたいだ。
「アンは用事があるみたいだから、折を見つけて覚えさせるよ」
「ドラコよりも優先するべき用事……?」
 フリッカが中々怖い目つきをする。
 金髪に蒼い瞳の天使のような愛らしさを持つ彼女の怒り顔はそれもまた可愛らしいけど、ドラコの事で怒った時は別だ。
 結構、怖い。
「……アンはノットから先に招待を受けていたんだ」
「ノット……?」
 あの不気味なノッポの事かな?
「セオドール・ノットがどうしてアンを?」
 アメリアも眼差しを鋭くして問う。
「そう警戒する必要は無いよ」
「……でも、アイツは不気味なヤツだ。何を考えているのかサッパリ分からない」
 ダンの言葉に誰もが頷いている。
「ノットは割りと分り易いよ?」
 なのに、ドラコだけは気楽に構えている。
「アイツが分かり易い? 誰とも関わらないで、ロクに喋りもしないヤツだぜ?」
「ノットは基本的に他人を信用していないだけだよ」
 ドラコが言った。
「同時にとても賢い男だ。恐らく、アンと接触したのはアンの事をある程度分析出来たからだろう」
「何が目的でアンを分析なんて……?」
 アメリアの疑問にドラコはクスリと微笑んだ。
「僕に近づく為だよ。以前から、彼からの視線を受けていた。恐らく、魔法界の裏側の情勢に気付いて、僕の陣営に入りたいと思っているんだ」
「裏側の情勢……?」
 僕は何の事だかチンプンカンプンだった。
「……ハリー。一年生の時の『闇の魔術に対する防衛術』の先生を覚えてる?」
「う、うん。一応……」
 クィレル先生のあのオドオドとした態度と独特な喋り方は中々忘れられない。
 一年の終わりを迎える前に急にやめてしまって、そのせいでロックハートが来た。
 どっちの授業も杜撰な内容だったけど、まだクィレル先生のままの方が良かった。
「彼は死喰い人だったんだ」
「え?」
 あまりの事に言葉がすぐ出てこなかった。
「ど、どういう事!?」
「詳しい話は知らないけど、クィレルは死喰い人として行動し、当時ホグワーツの城内に隠されていた『何か』を盗もうと動き、ダンブルドアに返り討ちにされたらしい」
「うそ……」
「本当だよ。他にも色々と物騒な噂が水面下で流れている。きな臭いと感じている人間はノットだけに限らないと思うよ」
 ドラコはまるで睨むように窓の外を見た。
「ハリー達にも接触を試みる輩が現れる筈だ。その時に受けるかどうか、僕に相談して欲しい。悪しき思いを腹の底に隠している人間もいるだろうからね」
 僕は確りと頷いた。僕にはとうてい分からない大きな流れが生まれている。
 なら、僕よりも流れが見えているドラコに判断を委ねるべきだろう。
「ああ、三年目がはじまる。今年も楽しく過ごそう」

第三話「吸魂鬼」

 セオドール・ノットから招待……という名の脅迫を受けた後、私は素直にドラコに事の次第を話した。
 間違っても裏切ろうとしたなんて勘ぐられたら後が恐ろしい。 
 クラッブとゴイルに彼の過去を聞こうとした事も話した。ノットの口から彼に伝わるよりマシだと判断したからだ。
「……そんなに僕の事を知りたいなら言ってくれればいいのに」
 優しく微笑むドラコが心底恐ろしかった。
 思わず安堵してしまいそうになる優しい笑顔。作り物とは到底思えない自然な表情。
 目も口もきちんと笑っている。
「私はただ……」
「安心してよ、アナスタシア。君は何も悪いことなんてしていない」
「で、でも……、ごめんなさい」
 彼の言う通り、私は悪い事なんて何もしていない。
 だけど、謝らずにはいられなかった。親兄弟や教師にだって、ここまで心を込めた謝罪をした事は無かった。
 頭を深く下げる私にドラコは言った。
「アナスタシア。人という生き物は常に『安心』を求めて生きている。人は勉強したり、働いたり、時には悪事を働く。それらは総て、安心したいからなんだ」
 意識しなくても、一字一句聞き漏らすまいと耳を澄ませる。
 その声、その口調、その言葉。総てが暖かく私を包み込む。
 彼の本性を知り、彼の所業を知り、それでも尚、安心感を抱いてしまう。
 喉を掻き毟りたくなる程、私はその事実が恐ろしい。
「誰にも傷つけられたくない。だから、知識を蓄える。だから、金を求める。だから、暴力を振るう。アナスタシア、君もそうだ。僕を知りたいと思ったのは安心したいからなんだ。僕という存在に依存する為には僕の事を知らな過ぎる。だから、恐れている」
 体が震えている。涙が溢れだしている。
「それは人として普通の事だ。それは罪では無い」
 気づけば唇を塞がれていた。彼の舌が口の中に入り込んでくる。
 彼の唾液が流れこんでくる。そこに不快感はない。ただ、頭の芯がジンジンとして、思考が茹だっていく。
 ああ、この男は既に女を知り尽くしている。相手はフリッカだろうか? それとも、アメリア?
 それが心の底から残念だと、流す涙の意味が変わった。
「安心しろ、アナスタシア。お前が心から安心出来るようにしてやる」
 ドラコが微笑む。それだけで頭の中が花咲いたように幸福な気持ちになる。
「人間だから、不安になるんだ。だから、人間ではなくしてやろう」
 それは言葉通りの意味だった。家に帰って、両親に挨拶をした後直ぐに私は誰よりも早くドラコの屋敷へ向かった。
 両親は私に欠片も愛情を抱いていない。兄弟も……。
 私は今や彼らにとって、ドラコ・マルフォイの子種を孕み、フォード家にマルフォイ家の血を取り入れる為の道具でしかない。
 故にドラコの名前を出せば帰って直ぐに家を出ても誰も文句を言ってくれない……。
 そして、マルフォイ邸を訪れた後、私はドラコに奇妙な場所へ連れて来られた。屋敷しもべ妖精の『姿くらまし』で移動した先は真っ暗な部屋。
 そこで、私は人間ではない別の生き物にされた。そして、その事を心の底から幸福だと感じるように中身を変えられた。
 ノットの家に向かう日までの二週間。思考が抜け落ち、ただ本能のまま過ごした。
 
 今は頭の中も冷静で、以前の私と同じように思考する事が出来ている。だけど、それはドラコが居ないからだ。
 腕に刻まれたもの。彼が私につけた首輪は彼が望めば一瞬で私を人ではない別のなにかに変える。
 彼は暗闇の中で言った。
『アナスタシア。人間という生き物の最大の弱点は欲が深い事だ。麻薬や酒が人類史に刻んだものを見れば分かるだろ? その欲に浸け込めば、どんな人間も魂の抜けた人形となる。絶大な快楽は一度覚えてしまうと忘れる事など出来ず、それを失う事が他のどんなものよりも恐ろしくなってしまうからだ。例え、人間性を捨てたとしても求めずにはいられなくなる』
 もはや、ドラコの未知の部分を恐れる事もなくなった。
 それ以上にあの快楽を失う事が恐ろしいからだ。地獄の底のような這い上がれない程の快楽。
 刻み込まれたもの、注がれたものを忘れる事など出来ない。
 私にはもはや、ドラコを裏切る事は絶対に出来ない。
 セオドール・ノットとの会合の間、私が考えていたのは私自身の安全ではなく、如何にドラコに迷惑を掛けずに済むかという事ばかりだった。
 ドラコからノットがドラコと友好を結びたいと申し出てきたら頷いてもいいと言われている。
 案の定、彼の目的はドラコに接触する事だった。

 キングスクロス駅でドラコと合流し、その事を報告すると彼は優しく微笑んだ。
「パーフェクトだ。後で御褒美をあげないとね」
 その言葉で悶たくなる程嬉しくなる。
 そんな私を見て、ドラコは少しだけ哀しそうに表情を歪めた。
 どうして……?

 人間の人格とはいとも簡単に変わる。
 如何に勤勉で真面目な人間も宝くじがあたって、急に莫大な財を得れば仕事も勉強も放り出すだろう。
 如何に温厚で心優しい人間も理不尽な暴力を振るわれたり、大切な人を殺されたりでもしたら憎悪に身を焦がすだろう。
 どんな人間もドラッグを一度でも使えば廃人となる。
 確かに怠け者を勤勉な人間に変えたり、野蛮な者を温厚な人間に変える事はとてもむずかしい。
 だが、堕落させるだけならとても簡単だ。
 僕はアナスタシアを『堕落』させた。今後の事を考えて、イレギュラーの発生を抑えるためだ。
 だけど、変えてしまった事に一抹の寂しさを感じた。
 ただ、自らの欲を満たす事しか考えられなくなった彼女は以前のように物事総てを冷静に見極める力を失った。
 僕を第一に考えるとはそういう事。思考に偏りが出来た時点で彼女の長所は消え去るのだ。
「行こうか、アン。ハリー達がコンパートメントで待っている」
「うん、ドラコ」
 ウットリとした表情を浮かべるアン。もはや、彼女は友達でも仲間でもない。
 単なる家畜だ。
 もう少し愚かだったら、もっと長く友達でいられたのに、残念だ。

 コンパートメントに戻ると、合計七人になった。さすがに狭過ぎる。
 去年までは極力ハリーと二人っきりの時間を過ごす為にフリッカ達を別のコンパートメントに居させたのだが、今年は僕の屋敷で全員一緒に過ごした事もあって、同じコンパートメントに乗っていた。
「向かいのコンパートメントは空いてるかな?」
 僕が言うと、エドがすっと立ち上がり、向かいのコンパートメントの扉を開いた。
 中では一人の男が安らかに眠っていた。
 これは驚いた。別に意図したわけでは無かったが、ルーピンがいた。
 リーマス・ルーピン。ロックハートが退陣して、代わりに闇の魔術に対する防衛術の教師となる予定の男。
 ダンブルドアはやはり彼を雇ったらしい。
 既にアン以外には守護霊呪文を覚えさせてあるから、特に列車内で彼と接触する予定は無かったのだが、この際だ……。
「どうやら、次の闇の魔術に対する防衛術の先生のようだね。ルーピン先生か……」
「どうして、名前が分かるの?」
「荷物に名前があるよ。折角だから挨拶をしておきたいけど、グッスリ寝ているみたいだね……」
「とりあえず、ここを使わせてもらおう。騒がなければ怒られたりしないと思う」
「部屋割りはどうする?」
「別に気にしなくても適当でいいんじゃないか? 隣同士なんだし」
 ダンの言葉にフリッカとアンがニッコリと微笑んだ。
「じゃあ、ダンはルーピン先生のコンパートメントで決定!」
 そう言うとダンを除く全員が元のコンパートメントに帰っていく。
「……え!?」
 扉が閉まると、ダンの呆気にとられた声が響いた。
「……えっと、やっぱり一人は可哀想だよね」
 優しいハリー。苦笑いを浮かべながら、ダンのコンパートメントに戻って行った。
「……もうちょっと反応を楽しんでから行けばいいのに」
 アメリアがボソッと呟いた。
 
 汽車に揺られながら、僕達はお菓子を抓みながらチェスに興じて時間を潰した。時々、隣の様子を伺うと新発売の箒について暑苦しく語り合っていた。
 炎の雷の名を冠する史上最高の箒。それ一本で家が立つ程の値段。
 スポーツマンである二人にとって、なによりも価値ある逸品なのだろう。
 そうこうしている内に汽車が突然急停止した。
 どうやら、連中の到着らしい。
「全員、杖を抜いてくれ。僕は隣のコンパートメントにいく」
「ドラコ……」
 フリッカ達を手で制して廊下を横切る。遠くの車両から悲鳴が聞こえてきた。
「ドラコ!」
 ハリーとダンは既に杖を抜いていた。
「吸魂鬼だ。恐らく、シリウス・ブラックを探しているんだろう。だが、連中は油断出来ない」
 徐々に近づいて来る。突然、酷い耳鳴りが始まった。
 これは吸魂鬼の接近による影響か……?
 急に目の前に大きな影が現れた。扉をこじ開け、入って来る。そいつは僕とハリーだけを見ていた。
「……ぁ」
 油断していたつもりはなかった。だけど、対処法を身に付けている以上、問題はないと考えていた。
 だけど、甘かった。吸魂鬼という生き物が僕に齎す影響を深く考えていなかった。
 頭が痛い。嫌な記憶が過る。
 やめろ。見せるな。来るな。近づくな。見るな。聞くな。消え失せろ。違う。どうしてだよ。僕は何もしていない。違うんだ。
 止めて……。
「……ぉとう……さ」

第四話「悪夢」

 まるで冷水を浴びせ掛けられたかのような悪寒が走った。扉の向こうに吸魂鬼がいる。触れられたわけでも、その姿を見たわけでもないのに、壁を一枚隔てているというのに恐怖が全身を駆け巡る。
 だけど、その恐怖は次の瞬間消し飛んだ。
 悲鳴が聞こえたのだ。僕達の知る声が僕達の知らない声を発している。
「二人に近寄るんじゃねぇ!! エクスペクト・パトローナム!!」
 ダンの怒声と共に眩い光が扉の隙間からコンパートメントに入って来る。
 それを見て、ようやく体が動いた。
 扉を勢い良く開け放ち、目の前で苦悶する異形に対して、僕達は一斉に杖を向けた。
 一瞬にして頂点に達した怒り。
 目の前の異形が如何に恐ろしい生き物だろうと関係ない。存在する事自体が許せない。
「エクスペクト・パトローナム!!」
 三つの声が重なると共に白い光を纏う狼と兎と烏が異形を粉砕した。そのまま、光の獣達は汽車を取り囲む吸魂鬼達にも牙を剥き、次々に蹴散らしていく。
 だけど、その様子に目を向けている余裕など無かった。
「ドラコ!!」
 フリッカが倒れ伏すドラコに駆け寄り大声で泣き叫んだ。
 その向こうでダンが憤怒の表情を浮かべている。その更に隣ではルーピン教授が何故か狼狽えた表情で立っていた。
「ア、アイツ……、ドラコに近づいた。顔を寄せてた……、アレをやるつもりだったんだ!!」
 アレ。ダンの言ったソレが何を意味するのか僕達にはすぐに分かった。
 口にするのもおぞましい。
 吸魂鬼の接吻。対象の魂をその口で吸い込み、自らの仲間にするという……。
 怒りで頭がどうにかなりそうだった。
「……馬鹿な。生徒に接吻をするなど……」
 ルーピン教授が呟く。
 目の前で起きた事に動揺しているようだ。
「先生」
 吹き荒れる嵐のような感情を何度も呼吸する事で必死にやり過ごしながら、僕はルーピンに声を掛けた。
 吸魂鬼がドラコに与えた影響が不明な以上、一人は冷静さを保たなければならない。
 辛い。泣き叫びたい。僕の魂よりも大事な存在の命が脅かされた。
 穢らわしい口をドラコに近づけた吸魂鬼共を根絶やしにしてやりたい。
「ドラコとハリーは大丈夫なんですか?」
 ドラコの隣でハリーも気を失っている。
「あ、ああ。彼に吸魂鬼が触れる前に君達の守護霊がヤツを退散させたからね。しかし、その歳で守護霊をあそこまで完璧に使いこなすとは驚きだ」
「御世辞はいいから、二人を助ける方法を教えて下さい!!」
 呑気な言葉を口にするルーピン教授につい苛立ってしまった。
 だけど、僕だって必死なんだ。喚き散らしたいのを必死に堪えている。
「……すまない。だが、二人は大丈夫だ。ただ、精神的な負荷が掛かって、一時的に気を失っているだけだよ。とりあえず、これを」
 ルーピン教授は懐から何故かチョコレートを取り出した。
「こんなもの……ッ」
「食べなさい。精神への負担が和らぐ筈だ。彼らにも起きたら食べさせてくれ」
「……これで?」
 半信半疑のままチョコレートを受け取り、試しに一欠片食べてみた。
 すると、胸がじんわりと温まり、さっきまでの感情の嵐が少しだけ穏やかになった。
 驚いてルーピン教授を見ると、彼は優しく微笑んでいた。
「これでも私は今年から君達の先生になるんだ。生徒に嘘は吐かない。二人は大丈夫だ。だから、安心しなさい」
「あっ……」
 限界だった。涙が溢れだして止まらない。
「……ありがとぅ……、ごめんなさい」
 僕が泣きながら頭を下げると、ルーピン教授は表情を引き締めた。
「この事はダンブルドアに報告するよ。生徒に接吻を行使するなど……、絶対に許されない事だ。だから、反対だったんだ」
 拳を固く握り締め、ルーピン教授はフリッカ達が寄り添うドラコの体を持ち上げた。
 咄嗟に怒声を上げた彼女達にルーピン教授は言った。
「床に寝かせておくのは可哀想だ。せめて、椅子に寝かせてあげよう」
 その言葉に慌てて頷いている。
「あ、あの、ありがとうございます」
「あ、ありがとぅ……」
「ありがとうございます……」
 口々にお礼を言う彼女達に微笑んだ後、ルーピン教授は僕に顔を向けた。
「すまないが、君達の名前を教えてもらってもいいかな?」
「あ、僕はエドワードです。エドワード・ヴェニングス。それから――――」
 僕がそれぞれの名前を口にすると、ルーピン教授はまたしても驚いたような表情を浮かべた。
「マルフォイ……。それにフォード、ヴェニングス……という事は君達はスリザリンの生徒なのかい?」
「は、はい」
 スリザリンに悪感情を抱く人間は少なくない。
 親切にしてもらった相手からそういう感情を向けられるのは嫌だな。
 そう思っていたら、ルーピン教授は何故か嬉しそうな顔を浮かべた。
「そうか! セブルスは実に良い生徒達を獲得したものだね!」
「えっと……、スネイプ教授と親しいのですか?」
「親しい……とはちょっと言い難いかもね。少なくとも、僕は嫌いじゃないよ。だけど、向こうからは……うーん」
 どうやら、スネイプ教授から嫌われているらしい。
 よく見ると、ルーピン教授はスネイプ教授と歳が近そうに見える。
「もしかして、グリフィンドールだったのですか?」
「……あー、うん。その通り」
「なるほど……」 
 僕はあまり気にした事が無いけど、寮同士の諍いは根深いものだ。
 特にグリフィンドールはその気質がスリザリンと正反対の位置にあり、互いを嫌悪し合っている。
 下手にグリフィンドールと仲良くなってしまうと、寮内での立場が危うくなる程だ。
 だから、僕は以前、ドラコがグリフィンドールのネビル・ロングボトムを助けた時に一言彼に言った。
「セブルスは良い先生かい?」
「もちろんです。授業はとても分かり易いし、僕達にもとても良くして下さっています。……まあ、他の寮の人間が教授をどう思っているかは御想像にお任せしますが……」
 僕の言葉にルーピン教授は吹き出した。
「なるほど、彼は昔とちっとも変わっていないみたいだね。会うのが楽しみだ」
 なんとなく、スネイプ教授は嫌そうな表情を浮かべそうだと思った。
「じゃあ、私は車掌に報告してから先にホグワーツに向かうとするよ。ホグワーツ特急にのんびり揺られながら向かうのが楽しみだったのにな……」
 溜息を零しながら、ルーピン教授はコンパートメントから出て行った。
 僕はすぐにフリッカを挟んでドラコの表情を見た。苦悶の表情を浮かべている。
「みんな、これを食べておいてくれ。ルーピン教授に頂いた」
 みんなにチョコレートを配り、それからダンが見ているハリーの様子を伺った。
「ったく、炎の雷が如何に素晴らしい箒かハリーに説明してやっている最中だったのによ……、クソが」
 忌々しそうにダンは舌を打った。
「それにしても、一緒に居た君が大丈夫だったのに、ハリーとドラコだけが倒れたのは何故かな?」
 ダンはピンピンしている。それが不思議だ。
 単純にダンが単細胞だからかもしれないけど……。
「ルーピンに聞いとけば良かったな。まあ、ホグワーツに着いたら、誰か先生に聞けば分かるだろ」
「……そうだね」
 二人が目を覚ましたのはそれから半日も後の事だった。
 ホグワーツに到着した直後、ハグリッドが慌てた様子で迎えに来てくれた。
 一年の頃はその凶暴そうな姿に警戒心を持ったが、ハリーを通した付き合いを重ねる内に彼の為人を知り、それなりに心を許せるようになった。
 彼ならドラコとハリーを慎重に保健室まで運んでくれるだろうと信じられる程度に……。

 四方を真っ白な壁に囲まれた小さな部屋。
 それが僕の世界だった。
 物心付いた頃から僕の世界はこの個室の中だけで完結していた。
 原因は不明。高名な医者も匙を投げた。
 遺伝子に問題があるわけでも、ウイルスや細菌に感染しているわけでも、肉体的に問題があるわけでもない。
 なのに、僕は立って歩くことが出来ない。
 日に何度も発作を起こし、その度に気を失う毎日。
 いつも一人。生きているのか、死んでいるのか、それすら曖昧……。
 家族は僕の命を維持する事にウンザリしていた。意味の無い事に金を湯水の如く浪費していると……。
 妹は顔を合わせる度に僕を責めた。
『私のお小遣いが少ないのはアンタのせいよ!! 折角、友達と遊園地に行ったのに、私だけお土産が買えなかったのよ!! この穀潰し!!』
 それが僕の日常。
 
 その日も僕は考えていた。僕に生きている意味があるのかどうか。
 ただ、いつか死ぬ日を待つためだけに生きている。
 時々、発狂しそうになる。
 だから、僕は本を読んだ。本の世界に逃げた。そして、僕は少しだけ本の力を借りた。
 家族からも疎まれて、寂しかった。誰も優しくしてくれない世界に嫌気が差して、その文章を言葉にした。
 ただ、優しくして欲しかっただけ。

 最悪な夢見だ。保健室で目を覚ました僕は思わず近くにあった花瓶を地面に投げつけてしまった。
 吸魂鬼は最悪の記憶を呼び覚ます。
 最初に感じたのは死の苦痛だった。
 死のストレスを少しでも緩和する為に脳がドーパミンをせっせと吐き出すから、まるで自分の命が水底に消えていくような感覚だった。
 その恐怖と苦痛に一瞬で意識を持って行かれた。
 その後は悪夢の連続だ。
「……だが、あれはただの過去だ」
 僕は辺りを見回した。そこには僕の看病をしていたのだろう、エドワード達が眠っている。
 僕の愛しい友達。何よりも大切な仲間。最高の手駒。
「今の僕は幸福なんだ……。この幸福を絶対に壊してたまるか……ッ」

第五話「出陣」

 思わぬことに吸魂鬼が僕に接吻を行使しようとした件は大きな波紋を呼んだ。
「ドラコ!! 無事か!?」
 血相を変えた父上が真っ青な顔の母上を連れてホグワーツに乗り込んで来た。
 相当慌てていたらしい、いつもは完璧にセットしてある髪が乱れている。
「具合はどうだ? 苦しくないか!? 何か違和感があるなら直ぐに言うんだぞ!!」
「ああ、あの穢らわしい吸魂鬼!! わ、私達の息子に……ッ!」
 二人は本気で僕を心配してくれている。
 悪夢の余韻がスッパリ消え去る程、僕の心は喜びで満たされた。
 そこまでは良かった。
「ダンブルドアに抗議してくる」
 憤怒の表情を浮かべ、保健室から出て行く父上を僕は止めるべきだった。
 だけど、僕を心配し、僕の事を想って動いてくれた父上の好意を踏み躙る事は出来なかった。
 その結果、吸魂鬼はホグワーツから撤退した。
 元々、ダンブルドアも反対していたし、他の教師や生徒の保護者達も難色を示していた措置だった為に今回の事件が決定打となった。
 代わりに闇祓い局が動いてしまった。

 ホグワーツの三年目がスタートして二日目、授業は始まらず、代わりに生徒全員が大広間に集められた。
 何事かと戸惑う生徒達の前で壇上に上がったダンブルドアは咳払いの後に口を開いた。
「まずは諸君らに謝っておかねばならんな。みなが楽しみにしておった学年最初の授業を台無しにしてしまった事を深くお詫びする」
 幾人かの生徒のクスクスと笑う声が聞こえる。
「じゃが、諸君らにどうしても伝えておかねばならん事が三つある」
 ダンブルドアは言った。
「まず、一つ目は昨日申し上げた吸魂鬼の件を撤廃するという事」
 大広間がざわついた。
 昨日、始業式の場でダンブルドアはアズカバンから脱獄したシリウス・ブラックを警戒して、魔法省が吸魂鬼をホグワーツの警備に宛がう事を決定したと生徒達に伝えた。
 それが昨日の今日で撤回されるという異常事態に生徒達は顔を見合わせた。
 ダンブルドアは大きく咳払いをする事で生徒を静かにさせると、沈痛な面持ちを浮かべて言った。
「知っておる者も居ると思うが、昨日、吸魂鬼がホグワーツ特急の車両の抜き打ち調査を行った際、生徒の一人に害を為そうとした。彼の極めて優秀な友人達が咄嗟に吸魂鬼を退散させた事で事無きを得たが、これは由々しき問題じゃ。ホグワーツの理事達とコーネリウス・ファッジ魔法省大臣を交え、昨夜の内に話し合いが行われた。その結果、吸魂鬼の配備を撤回する事に決まったというわけじゃ」
「で、でも、それじゃあ、シリウス・ブラックの対策はどうなるのですか!?」
 生徒の一人が声を上げた。
 シリウス・ブラックと言えば、かの闇の帝王の片腕であり、十三年前に大量殺戮を行った巨悪な犯罪者だ。
 魔法省はその対策の為に吸魂鬼を導入しようと考えた。
 吸魂鬼という恐ろしい存在を子供達の近くに蔓延らせるという蛮行を『必要』と感じる程の脅威をシリウスに感じたからだ。
「無論、シリウス・ブラックに対する警戒は解かん。吸魂鬼に変わる警備員を雇い入れる事になった」
 吸魂鬼は魔法界の重罪人を監視する為に配備される凶悪にして、強力な魔法生物だ。
 その代わりとなる存在。
 生徒達は口々におぞましい魔法生物の名前を上げた。
 吸血鬼、人狼、亡霊、ドラゴン、ケルベロス。
 どれも吸魂鬼以上に意思の疎通が難しく、そして、同じくらい凶暴な生き物たちだ。
 生徒達は恐怖の表情を浮かべながらダンブルドアの言葉の続きを待った。
「これより、ホグワーツを守ってくださる警備員の方々を紹介しよう。みな、歓迎すべき人達じゃ」
 ダンブルドアは昨日、吸魂鬼の件を口にした時とは大違いの御機嫌な笑みを浮かべて言った。
「闇祓い局の方々の入場じゃ!」
 その言葉と共に大広間の扉が大きく開かれた。
 最初に入って来たのはライオンの鬣を思わせる髪が特徴的な男。
 彼に続くように次々に強面の男女が大広間を横切り、壇上へ上っていく。
「や、闇祓い局だって!?」
 生徒達は口々に囁き合う。
 闇祓い局といえば、魔法界における対テロ組織だ。
 闇の帝王が最盛を誇った時代、善なる者達を守る為に活躍した戦士達。
 生徒達は恐ろしさと頼もしさを半々にしたような気持ちで壇上に立ち並ぶ彼らを見た。
「諸君、静粛に!!」
 鬣の男の声は生徒達を一瞬にして黙らせた。
 まさに獅子の咆哮。
 生徒達は燃えるようなオーラを放つ男の次の言葉を待った。
「私は今日より、吸魂鬼に代わって君達の学園生活を守護する任に当たる事になった、闇祓い局局長のルーファス・スクリムジョール。以後、お見知り置きを願う」
 スクリムジョールは横に立ち並ぶ他の闇祓い達に視線を向けた。
 すると、彼のすぐ隣に立っていた青年が一歩前に出て口を開いた。
「私はガウェイン・ロバーズ。スクリムジョール局長の補佐官をしている。如何なる巨悪が相手だろうと、我々は君達に完璧で安全な学園生活を保障する。どうか、安心して欲しい」
 青い瞳の奥に強い意思の光が宿すハンサムな青年に女性達が歓声を上げた。
 清廉な空気を身に纏う、まるで騎士物語に登場する騎士のような男だ。
 彼に続き、紅いローブが印象的な強面の男が前に出た。体格とは裏腹にどこか神経質そうな顔をしている。 
「ロジャー・ウィリアムソン。君達に誰一人手出しをさせない。その事を心より誓う。よろしく頼むよ」
 そんなロジャーの挨拶が終わる前に快活な笑みを浮かべる黒人の魔法使いが前にズイッと躍り出た。
 ダンブルドアに次ぐ長身の持ち主で、やたらと目立つ男が張りのある声で生徒達に声を掛ける。
「俺はブラウドフットだ。ダリウス・ブラウドフット。気軽にダリウスでいいぜ? よろしくな、ボーイズアンドガールズ」
 ダリウスに対する反応はまちまちだった。
 本人は気にした様子も見せずに生徒達を視線で舐め回している。
 そんな彼を隣の女性が小突いた。
 コホンと咳払いをすると、赤毛の魔女が前に出る。
「アネット・サベッジよ。アネットでも、アーニャでも構わないわ。警備員としても頑張るけど、相談も受け付けるわよ。悩み事とかあったらいらっしゃい」
 実に魅力的な笑みを浮かべる彼女に男子生徒が元気な返事を返した。
 そんな彼らに手を振りながら一歩下がるアーニャの後に小柄な男が前に出る。
 まるで少年のような体躯。
 生徒が一人間違って壇上に上がってしまったのかと首を傾げる生徒達に彼は優しく微笑んだ。
「私はクリストファー・レイリー。クリスと呼んでくれ。これでも、この中ではかなり年長者だ。どうにも若く見られてしまうがね」
 多くの生徒が彼の横に並ぶ面々を見て、彼の発言をジョークと受け取った。
 皺も無ければ白髪も無い。黒髪の美少年という形容詞がこれ以上無くピッタリと当て嵌まるクリスに一部の女生徒達が熱い眼差しを向けた。
 次の男はロジャーよりも更に逞しい筋骨隆々という言葉がよく似合う男だった。
「俺はディエゴ・ヴァン・ルイス。よろしくな」
 顔にはいくつも痛々しい傷が刻まれていて、見る者に恐怖を与える。
 最後の一人はガウェインと同じくらいハンサムな男。ただし、目つきがかなり鋭い。
「エドワード・ウォーロックだ。もしかしたら、君達には少し窮屈な思いをさせてしまうかもしれない。だが、それも君達の安全のためだと理解して欲しい」
 エドワードは言った。
「まず、この学校には幾つか学外へ通じる抜け道があるが、全て閉鎖させてもらう」
 その言葉に何人かの生徒が悲鳴を上げた。
「それから、我々が定期的に校内をパトロールする事になる。極力、君達のプライバシーを尊重するつもりだが、違反行為などを発見した場合は教員各位に報告する義務があるから迂闊な行為は控えるように」
 今度は多くの生徒達が悲鳴を上げた。
 最後にスクリムジョールが宣言する。
「君達に相応の代償を払ってもらう以上、ここを世界のどこよりも安全な場所にすると誓う。そして、同時に逃亡犯であるシリウス・ブラックを一刻も早く逮捕し、不安の根を取り除く事を約束しよう!」
 スクリムジョールの言葉に生徒達の胸から不安や恐怖の感情がスッパリと消えた。
 ただ、一人を除いて……。

 最悪だ。
 原作でシリウスがホグワーツに乗り込めたのは警備が吸魂鬼だけだったからだ。
 これではシリウス・ブラックがホグワーツに来れなくなるかもしれない。
 来れたとしても、無罪を証明する前にアズカバンに送還される可能性が高い。
 ハリーとシリウスを家族にする。その為にはあまりにも大き過ぎる壁が立ちはだかってしまった。
 だが、絶対に諦めない。
「……計画を見直さないといけないな」 

第六話「三羽烏」

 闇祓い局の干渉によって、ホグワーツの環境は一変した。
 廊下を歩けば必ず闇祓いの顔がある。
 寮にも二人の闇祓いが常駐するようになり、息の詰まる日々が続いた。
 その日の朝、食事をしに大広間に行くと、全ての抜け道を封鎖された事に不満を爆発させているグリフィンドールのイタズラ好きトリオがいた。
 今の状況に一番影響を受けている三人だ。彼らが何か悪戯を実行しようとする度に優秀な闇祓い達が阻止してしまう。
 その度に説教を聞かされて、鬱憤が相当溜まっているようだ。
「全部だぞ、全部!! 我らが費やした多くの時間をたった一日で無にしたのだ!! このような横暴が許されていいのか!?」 
 フレッドが悲嘆の表情を浮かべながら叫ぶ。さながら、その姿は愛と孤独に苦悩するオペラ座の怪人のようだ。
「許される筈がない!! 我らだけの問題ではないぞ!! これから先、夢と希望を信じて探索に乗り出す筈だった後輩達から未来を奪ったのだ!!」
 まるで劇を見ているような気分だ。周りの生徒達も彼らを見てクスクス笑っている。
「でも、仕方ないわ。シリウス・ブラックから私達を守る為なんだから」
 トリオを諌めたのは赤毛の女の子。ジニー・ウィーズリーだ。
「だが、ジニー! 警備が吸魂鬼のままなら、このような悲劇は生まれなかった! それがどっかの誰かさんのせいで!」
 そう言って、トリオの一人、リー・ジョーダンが敵意に満ちた視線を僕に向ける。完全なあてつけだ。
 咄嗟にエドとダンがジョーダンを殴ろうとしたから慌てて二人の腕の腕を掴んで止める。
 今の彼らは大広間中の人間から注目を受けている。
 常駐している闇祓いや数人の教師も上座の方で食事を取っているし、ここで挑発に乗るメリットなど一つも無い。
「行くよ、みんな」
 そう言って、ジョーダン達に背を向けようとした時、さっきまで背後にいたハリーの姿が無い事に気付いた。
 ジョーダンの悲鳴が聞こえる。視線を向けると、ハリーがジョーダンを殴り倒していた。
「あっ……」
 あまりの事に一瞬思考が止まってしまった。
 僕だけじゃない。何しろ、あの有名なハリー・ポッターが公衆の面前で人を殴ったのだ。
 咄嗟に動けた人間など一人もいない。
「訂正しろ!!」
 ハリーは床に倒れこんだジョーダンに馬乗りになる。
 ジョーダンも呆然としている。彼は八つ当たりを兼ねたちょっとしたジョークのつもりで言ったのだろう。
 まさか、ハリーに殴り倒されるなど夢にも思っていなかったに違いない。
 僕もハリーが手を出すとは思っていなかったから驚いた。同時に堪え難い歓喜の渦が胸中で巻き起こった。
 だけど、このままではハリーが処罰されてしまう。僕はハリーを止めるためにエドとダンの腕を離してハリーの下に向かった。
「ドラコは殺されかけたんだぞ!! それをよくも!!」
 怒り心頭のハリーが更にジョーダンの顔面を殴ろうと腕を振り上げる。
 他の誰が止めるより先に僕がその腕をそっと掴む。
「そこまでだよ、ハリー」
「ド、ドラコ……」
「ありがとう。君の気持ちは嬉しい。だけど、暴力はいけないよ」
「……ごめん」
 僕はハリーの頭を優しく撫でた。
「謝る事じゃないよ。君は僕の為に怒ってくれた。とても嬉しかったよ」
 ハリーに微笑みかけてから、僕はジョーダンを見下ろした。
 相手にする価値も無い男。か弱い子犬がいくら吠えた所で怒る必要も理由も無い。
 だけど、こうなった以上、話は別だ。
「大丈夫かい?」
 ジョーダンに手を伸ばす。
 彼は呆然とした表情のまま僕の手を取って立ち上がった。
「怪我の具合はどうかな?」
 人をほんの一時操る程度なら呪文なんて必要ない。
 

 その光景の意味を真に理解出来た人間はいない。
 目撃した生徒達はドラコ・マルフォイの手を借りて立ち上がったリー・ジョーダンが反撃に打って出たのだと理解した。
 それは間違いではないが、正解でもない。
 リーに反撃の意図などなかった。その証拠にドラコを殴った直後、彼は呆然と自分の拳を見下ろしていた。
 彼は操られたのだ。ドラコは呪文一つ使わずにほんの一瞬、言葉を交わしただけで一人の人間に暴力を強要した。
「これで相子にしてもらえるかな?」
 口元から一筋の血が流れている。彼の取り巻きの生徒達は怒りを通り越して、リーに殺意を向けている。
 そんな彼らを手で制して、ドラコはリーに微笑みかけた。
 それは作られた美。魔法の助けを借り、十年近い歳月をかけて磨き上げられたもの
 ドラコにとって、肉体とは『人から愛されたい』という欲望を叶える為の道具であり、その為なら肌を焼かれようが、刻まれようが構わないと考えている。
 平均よりやや小柄な体躯。幼さが色濃く残るも整っている容貌。四肢もほっそりとしていて、爪一つ見ても優美である。
 その容姿に加えて、ドラコは表情や仕草、声色すら完璧に操る事が出来る。
 後はやり方だけだった。それもマリア・ミリガンの記憶が教えてくれた。
 生まれた時から男を誑かす事だけを教え込まれたマリアの記憶には男を籠絡する術が詰まっていた。
 リーはドラコの匂い立つような色香に思考回路を焦がされていく。流れ落ちる血すらも美しく感じてしまう。
「リー・ジョーダン」
 囁くような声に目眩を感じる。
「僕を許してくれるかな?」
 気付けば、リーは何度も首を縦に振っていた。その言葉に従いたいという抑えがたい欲求に翻弄され、無意識に体が動いていた。
 

 それが三日前の事。僕は一人で廊下を歩いていた。
 目的はこそこそ校内を動き回っている三人組に会う事だ。
 リジーからの報告でここに居る事は間違いない筈なんだけど、見当たらない。
 どうやら、どこかに身を隠しているらしい。先日の事があって、僕と顔を合わせ辛いと思っているのかもしれない。
 それは困る。わざわざジョーダンに僕を殴らせたのはグリフィンドールの寮内で動ける駒が欲しかったからだ。
 僕はポケットの中で杖を振った。耳に様々な音が飛び込んでくる。余計な情報は無視して、目的の音を探す。
『なんで、こんな所に?』
『っていうか、別に隠れなくてもよくね?』
『あーけど、殴っちゃったからなー……』
 声は前方にある銅像の物陰から聞こえる。三人がお喋りに夢中になっている間にそっと近づくと、彼らは一枚の羊皮紙を覗きこんでいた。
「さーて、そろそろ行ったかなー……って、おかしいな」
「どうしたんだい?」
「いや、なーんか、忍びの地図の表示がおかしいっていうか、ドラコが俺達の直ぐ傍にいるみたいっつーか……あっ」
 フレッドがようやく僕に気付いた。見上げる姿勢で固まっている。
 ジョージとリーもフレッドにつられて顔を上げ、同じような姿勢で凍りつく。
「こんにちは」
 ニッコリと微笑みかけると、三人の表情は面白いようにコロコロ変わった。
「え、えええええ!?」
「ド、ドラコ・マルフォイ!?」
「なんで、ここに!?」
「面白そうなものを見ているね。『忍びの地図』っていうのかい? これはホグワーツの地図に人の名前がいっぱい……。これは凄いね」
 三人の反応を無視して、僕は忍びの地図を食い入るように見つめる。
 実際、これは凄い道具だ。ホグワーツ内部に存在するあらゆる人間の動向を観察する事が出来る。
「なるほど、抜け道なんかも記入されているんだね」
「えっと……」
 未だに戸惑いが抜け切らない三人に僕は少し挑発染みた事を言った。
「なるほどね。君達が今まで見つけてきた抜け穴はこの地図に教えてもらってきたという事か」
「それは違う!!」
 フレッドが勢い良く立ち上がった。
「誤解してもらっては困るね! 我々の汗と涙の結晶たる抜け穴探索の日々はこの地図に頼り切りだったわけではないのだ!」
「まあ、結構助けてもらったけどね」
「特に外に繋がる抜け穴は自力じゃ分からないものばっかりだし……」
 そっと視線を逸らすジョージとジョーダンにフレッドはショックを受けた表情を浮かべる。
「いや、それはそうだけど……」
 シュンとなるフレッドに僕はクスリと微笑んだ。
「相変わらず陽気だね。ところで、こんな所に隠れて何をしていたの?」
「いや、えーと……」
 フレッドが助けを求めるようにジョージとジョーダンを見る。
「あー……、俺達は塞がれてない抜け穴の調査をしていたんだ」
「も、もちろん、ホグワーツの安全を守るためだぜ?」
 僕は興味を唆られた顔を作った。
「どういう事? 塞がれていない抜け穴なんてあるの?」
「あるさ! それもいっぱいね!」
「闇祓いも先生達も節穴揃いさ」
「なら、この前騒いでいたのは何だったの?」
「僕達程、この学校の抜け穴に詳しい人間はいないだろ?」
「その僕達が抜け穴を全部塞がれたと騒いだらどうなると思う?」
「……ああ、なるほど。大人達はもう抜け穴調査をしなくなるって事か」
「大正解! 実際は使える抜け穴が山程残ってる。試しにここのレンガを四回杖で叩いてみなよ」
 言われた通りに杖でレンガを叩くと、レンガがガタガタと音を立てて動き、あっという間にアーチ型のトンネルを作り出した。
「わーお」
「凄いだろ。ここは自力で見つけた抜け道の一つさ。この先は地下教室の通気口に繋がってる」
「よく見つけたね。凄いよ」
 これは本音。
 一体、どう探したらこんな抜け穴を見つける事が出来るのか不思議で堪らない。
「へっへー、そうだろう? 凄いだろ!」
「ここは特に苦労したものの一つだからね!」
「えっへん!」
 トリオは煽てられる事に弱いみたいだ。僕は心からそう思っているような表情を作りながら彼らを散々褒めそやした。
 するとあっという間に心を許してくれた。
 お調子者でノリがいいからこそなのかもしれないが、未だ嘗て、こんなにチョロいと思った相手はいない。
「前にフローリシュ・アンド・ブロッツで会った時も思ったけど、君って結構取っ付き易いね」
「我が父上が悪鬼羅刹と呼ぶマルフォイ家当主の嫡男とは思えぬ穏やかさだ」
「とりあえず、人の父上を悪鬼羅刹呼ばわりしないで欲しいね」
 僕の言葉に三人はゲラゲラ笑った。
「それにしても、この前は悪かったよ。ハリーが怒るのも無理無いや。ああいう事は言うべきじゃなかったよ、ごめん。それと殴った事も」
「構わないさ。あ、でも悪いと思うなら一個お願いしたい事があるけどいいかな?」
 大分空気が砕けてきた所で僕は言った。
「以前から君達に興味があったんだ。ホグワーツの暴走機関車トリオにね。だから――――」
 表情と仕草を入念に作り上げる。
「僕と友達になってくれないか?」