第五話「出陣」

 思わぬことに吸魂鬼が僕に接吻を行使しようとした件は大きな波紋を呼んだ。
「ドラコ!! 無事か!?」
 血相を変えた父上が真っ青な顔の母上を連れてホグワーツに乗り込んで来た。
 相当慌てていたらしい、いつもは完璧にセットしてある髪が乱れている。
「具合はどうだ? 苦しくないか!? 何か違和感があるなら直ぐに言うんだぞ!!」
「ああ、あの穢らわしい吸魂鬼!! わ、私達の息子に……ッ!」
 二人は本気で僕を心配してくれている。
 悪夢の余韻がスッパリ消え去る程、僕の心は喜びで満たされた。
 そこまでは良かった。
「ダンブルドアに抗議してくる」
 憤怒の表情を浮かべ、保健室から出て行く父上を僕は止めるべきだった。
 だけど、僕を心配し、僕の事を想って動いてくれた父上の好意を踏み躙る事は出来なかった。
 その結果、吸魂鬼はホグワーツから撤退した。
 元々、ダンブルドアも反対していたし、他の教師や生徒の保護者達も難色を示していた措置だった為に今回の事件が決定打となった。
 代わりに闇祓い局が動いてしまった。

 ホグワーツの三年目がスタートして二日目、授業は始まらず、代わりに生徒全員が大広間に集められた。
 何事かと戸惑う生徒達の前で壇上に上がったダンブルドアは咳払いの後に口を開いた。
「まずは諸君らに謝っておかねばならんな。みなが楽しみにしておった学年最初の授業を台無しにしてしまった事を深くお詫びする」
 幾人かの生徒のクスクスと笑う声が聞こえる。
「じゃが、諸君らにどうしても伝えておかねばならん事が三つある」
 ダンブルドアは言った。
「まず、一つ目は昨日申し上げた吸魂鬼の件を撤廃するという事」
 大広間がざわついた。
 昨日、始業式の場でダンブルドアはアズカバンから脱獄したシリウス・ブラックを警戒して、魔法省が吸魂鬼をホグワーツの警備に宛がう事を決定したと生徒達に伝えた。
 それが昨日の今日で撤回されるという異常事態に生徒達は顔を見合わせた。
 ダンブルドアは大きく咳払いをする事で生徒を静かにさせると、沈痛な面持ちを浮かべて言った。
「知っておる者も居ると思うが、昨日、吸魂鬼がホグワーツ特急の車両の抜き打ち調査を行った際、生徒の一人に害を為そうとした。彼の極めて優秀な友人達が咄嗟に吸魂鬼を退散させた事で事無きを得たが、これは由々しき問題じゃ。ホグワーツの理事達とコーネリウス・ファッジ魔法省大臣を交え、昨夜の内に話し合いが行われた。その結果、吸魂鬼の配備を撤回する事に決まったというわけじゃ」
「で、でも、それじゃあ、シリウス・ブラックの対策はどうなるのですか!?」
 生徒の一人が声を上げた。
 シリウス・ブラックと言えば、かの闇の帝王の片腕であり、十三年前に大量殺戮を行った巨悪な犯罪者だ。
 魔法省はその対策の為に吸魂鬼を導入しようと考えた。
 吸魂鬼という恐ろしい存在を子供達の近くに蔓延らせるという蛮行を『必要』と感じる程の脅威をシリウスに感じたからだ。
「無論、シリウス・ブラックに対する警戒は解かん。吸魂鬼に変わる警備員を雇い入れる事になった」
 吸魂鬼は魔法界の重罪人を監視する為に配備される凶悪にして、強力な魔法生物だ。
 その代わりとなる存在。
 生徒達は口々におぞましい魔法生物の名前を上げた。
 吸血鬼、人狼、亡霊、ドラゴン、ケルベロス。
 どれも吸魂鬼以上に意思の疎通が難しく、そして、同じくらい凶暴な生き物たちだ。
 生徒達は恐怖の表情を浮かべながらダンブルドアの言葉の続きを待った。
「これより、ホグワーツを守ってくださる警備員の方々を紹介しよう。みな、歓迎すべき人達じゃ」
 ダンブルドアは昨日、吸魂鬼の件を口にした時とは大違いの御機嫌な笑みを浮かべて言った。
「闇祓い局の方々の入場じゃ!」
 その言葉と共に大広間の扉が大きく開かれた。
 最初に入って来たのはライオンの鬣を思わせる髪が特徴的な男。
 彼に続くように次々に強面の男女が大広間を横切り、壇上へ上っていく。
「や、闇祓い局だって!?」
 生徒達は口々に囁き合う。
 闇祓い局といえば、魔法界における対テロ組織だ。
 闇の帝王が最盛を誇った時代、善なる者達を守る為に活躍した戦士達。
 生徒達は恐ろしさと頼もしさを半々にしたような気持ちで壇上に立ち並ぶ彼らを見た。
「諸君、静粛に!!」
 鬣の男の声は生徒達を一瞬にして黙らせた。
 まさに獅子の咆哮。
 生徒達は燃えるようなオーラを放つ男の次の言葉を待った。
「私は今日より、吸魂鬼に代わって君達の学園生活を守護する任に当たる事になった、闇祓い局局長のルーファス・スクリムジョール。以後、お見知り置きを願う」
 スクリムジョールは横に立ち並ぶ他の闇祓い達に視線を向けた。
 すると、彼のすぐ隣に立っていた青年が一歩前に出て口を開いた。
「私はガウェイン・ロバーズ。スクリムジョール局長の補佐官をしている。如何なる巨悪が相手だろうと、我々は君達に完璧で安全な学園生活を保障する。どうか、安心して欲しい」
 青い瞳の奥に強い意思の光が宿すハンサムな青年に女性達が歓声を上げた。
 清廉な空気を身に纏う、まるで騎士物語に登場する騎士のような男だ。
 彼に続き、紅いローブが印象的な強面の男が前に出た。体格とは裏腹にどこか神経質そうな顔をしている。 
「ロジャー・ウィリアムソン。君達に誰一人手出しをさせない。その事を心より誓う。よろしく頼むよ」
 そんなロジャーの挨拶が終わる前に快活な笑みを浮かべる黒人の魔法使いが前にズイッと躍り出た。
 ダンブルドアに次ぐ長身の持ち主で、やたらと目立つ男が張りのある声で生徒達に声を掛ける。
「俺はブラウドフットだ。ダリウス・ブラウドフット。気軽にダリウスでいいぜ? よろしくな、ボーイズアンドガールズ」
 ダリウスに対する反応はまちまちだった。
 本人は気にした様子も見せずに生徒達を視線で舐め回している。
 そんな彼を隣の女性が小突いた。
 コホンと咳払いをすると、赤毛の魔女が前に出る。
「アネット・サベッジよ。アネットでも、アーニャでも構わないわ。警備員としても頑張るけど、相談も受け付けるわよ。悩み事とかあったらいらっしゃい」
 実に魅力的な笑みを浮かべる彼女に男子生徒が元気な返事を返した。
 そんな彼らに手を振りながら一歩下がるアーニャの後に小柄な男が前に出る。
 まるで少年のような体躯。
 生徒が一人間違って壇上に上がってしまったのかと首を傾げる生徒達に彼は優しく微笑んだ。
「私はクリストファー・レイリー。クリスと呼んでくれ。これでも、この中ではかなり年長者だ。どうにも若く見られてしまうがね」
 多くの生徒が彼の横に並ぶ面々を見て、彼の発言をジョークと受け取った。
 皺も無ければ白髪も無い。黒髪の美少年という形容詞がこれ以上無くピッタリと当て嵌まるクリスに一部の女生徒達が熱い眼差しを向けた。
 次の男はロジャーよりも更に逞しい筋骨隆々という言葉がよく似合う男だった。
「俺はディエゴ・ヴァン・ルイス。よろしくな」
 顔にはいくつも痛々しい傷が刻まれていて、見る者に恐怖を与える。
 最後の一人はガウェインと同じくらいハンサムな男。ただし、目つきがかなり鋭い。
「エドワード・ウォーロックだ。もしかしたら、君達には少し窮屈な思いをさせてしまうかもしれない。だが、それも君達の安全のためだと理解して欲しい」
 エドワードは言った。
「まず、この学校には幾つか学外へ通じる抜け道があるが、全て閉鎖させてもらう」
 その言葉に何人かの生徒が悲鳴を上げた。
「それから、我々が定期的に校内をパトロールする事になる。極力、君達のプライバシーを尊重するつもりだが、違反行為などを発見した場合は教員各位に報告する義務があるから迂闊な行為は控えるように」
 今度は多くの生徒達が悲鳴を上げた。
 最後にスクリムジョールが宣言する。
「君達に相応の代償を払ってもらう以上、ここを世界のどこよりも安全な場所にすると誓う。そして、同時に逃亡犯であるシリウス・ブラックを一刻も早く逮捕し、不安の根を取り除く事を約束しよう!」
 スクリムジョールの言葉に生徒達の胸から不安や恐怖の感情がスッパリと消えた。
 ただ、一人を除いて……。

 最悪だ。
 原作でシリウスがホグワーツに乗り込めたのは警備が吸魂鬼だけだったからだ。
 これではシリウス・ブラックがホグワーツに来れなくなるかもしれない。
 来れたとしても、無罪を証明する前にアズカバンに送還される可能性が高い。
 ハリーとシリウスを家族にする。その為にはあまりにも大き過ぎる壁が立ちはだかってしまった。
 だが、絶対に諦めない。
「……計画を見直さないといけないな」 

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