第十一話『少年と少女』
食事を終えた後、俺達は二手に分かれて街の探索に出た。
遠坂の話では、学校の結界の件で敵もこちらをマークしている筈だから、単独行動を取れば二組の内、どちらかに接触してくる可能性が高いとの事。
本命は遠坂の方だけど、此方を狙ってくる可能性も十分にあるから警戒を怠るなと注意された。
「……遠坂とアリーシャは大丈夫かな?」
「問題無いでしょう。アーチャーとしての嗅覚、ステータスの差を引っくり返す|固有時制御《タイムアルター》。敵に回せば、アリーシャは間違いなく難敵です」
「ちなみにセイバーなら勝てるのか?」
その質問にセイバーは少し考え込んだ。
「……情けない話ですが、確実に勝てるとは言い切れませんね。いえ、正直に言えばまともに戦って勝てるイメージが湧かない。おまけに彼女は奥の手を晒していませんから」
「固有時制御だっけ……。アレって凄いよな」
「ええ、アレも魔法の一歩手前まで踏み込んだ領域の魔術ですから……」
あの時の光景は壮絶だった。数えたわけではないけれど、体感で数秒の間に全てが終わっていた。あそこまで速いと、対処のしようが無い気がする。
「……たしかに、あっちは心配なさそうだな」
「シロウ。それはわたしでは心配という事ですか?」
失言だった。セイバーはムッとした表情を浮かべていらっしゃる。
「いや、別にそういうわけじゃなくて……」
「シロウには一度わたしの実力を知って頂く必要がありますね」
別にセイバーが弱いサーヴァントだなんて思っていない。
アーサー・ペンドラゴン。その名を知らぬ者がいない、伝説の英雄。
十の歳月をして不屈、十二の会戦を経て尚不敗、その勲は無双にして、その誉れは時を越えて尚不朽。
結界に穴を穿つ為、彼女が解き放った風の魔力が隠していたモノ。あの黄金の輝きこそ、彼の王が戦場にて掲げた旗印。
過去から現在、そして、未来を通じて戦場に散っていく、全ての兵達が今際の際に抱く『栄光』という名の哀しくも尊きユメ。
清廉潔白の王。騎士の理想の体現。常勝無敗の覇者。それが彼女の正体だ。弱いはずが無い。
「本当にセイバーの事を不安だなんて思ってないよ。問題は俺の方だ」
ハッキリ言って、アリーシャの力は俺の理解の埒外にあった。そのアリーシャと同格のセイバー。そして、他のサーヴァント達。
セイバーが認める程の魔術師である遠坂と比べて、俺は未熟者もいいところだ。
「シロウ。貴方はマスターだ。前線で戦うのはサーヴァントの役目であり、貴方の役目は私を信じる事です。貴方が私を信頼してくれるのなら、私はその信頼に必ず応えてみせる。もし、貴方に害が及ぶとすれば、それは貴方のせいではなく、貴方の信頼に応えられなかった私の不甲斐なさのせいです」
「でも、遠坂なら違うだろ?」
「リンも同じですよ。サーヴァントの相手はサーヴァントが務める、これは鉄則です。如何に彼女が傑物であろうと、それは変わらない」
「なんでさ……。セイバーだって、遠坂の事は認めていたじゃないか」
「シロウ、貴方は勘違いをしている」
「勘違い……?」
セイバーは言った。
「例えばの話ですが、リンが持てる技術の全てを注ぎ込んだ大魔術を私に撃ち込んだとします。それでも、私には傷一つ負わせる事が出来ない」
「傷一つ……って」
「私を含めて、いくつかのクラスには対魔力というスキルが備わっている為です。私の対魔力は最高位の魔術師のソレをも阻む事が出来る」
セイバーは淡々とした口調でサーヴァントと人の違いを説明した。
「つまり、サーヴァントは人では無いのです。言ってみれば、怪物や化け物という呼称が正しい」
「怪物って、そんな……」
「やはり、一度戦いを経験した方が良さそうですね」
セイバーはやれやれと溜息を零した。まるで、俺が駄々をこねている子供みたいだ。
そのまま、俺達は深山町を歩き回った。
「……よく考えたら、昼間から襲ってくる事なんてあるのか?」
「分かりません。相手は真昼にあのような結界を発動させるような手合ですから」
「それもそっか……」
結局、そのまま正午を過ぎても敵とは遭遇しなかった。
「あれ?」
道の真ん中に見覚えのある後ろ姿が視えた。
「おーい、イリヤ!」
「え?」
振り返ったイリヤに手を振ると、彼女は目を大きく見開いた。
「シロウ……?」
「良かった。会いたかったんだ」
「会いたかったって……、わたしに?」
イリヤは一瞬戸惑ったような表情を浮かべた後、セイバーを見た。
「……たたかう準備ができたってこと?」
「何言ってんだよ。俺はイリヤと戦うつもりなんて無いぞ」
「……じゃあ、なに? せっかく見逃してあげたのに、わざわざサーヴァントをしょうかんして、たたかう以外になにがあるっていうの?」
イリヤはあからさまに不機嫌な表情を浮かべた。
「俺はイリヤを戦わせたくないからマスターになったんだ!」
「……いみがわからないわ。マスターになったいじょう、こんどは見逃してあげない。サーヴァントもろとも、踏みつぶしてあげる!」
「女の子が踏み潰すとか、そういう事を言うなよ!」
「むぅ……、うるさい! うるさい、うるさい、うるさい! なにも知らなかったくせに、なんで今さら!」
「俺はイリヤが危ない目に合うなんて嫌なんだよ! 話なら幾らでも聞く! 切嗣が裏切ったって話もちゃんと謝る! 俺に出来る事なら何でもするから、人を殺さなきゃいけないような事はやめてくれ!」
「うるさい!!」
イリヤの涙を浮かべながら怒鳴った。
「なんで……? なにも知らないままでいいじゃない! いまさら、知ろうとなんてしないで! かかわってこないで!」
「嫌だ!! 大体、関わるなって言うなら、もう手遅れなんだよ! 一緒に料理して、一緒に食べて! そんなヤツが殺し合いに参加してるって聞いて、黙っていられるわけないだろ!」
「わからずや!」
「わからずやはイリヤの方だ!」
イリヤが睨んでくる。俺も睨み返す。負けてたまるか!
「……だったら、わたしのものになってよ」
「……はい?」
「だから、わたしのものになってよ!」
「いっ、いきなり何言い出してんだよ!?」
「なんでもするって言ったじゃない!」
「それはそうだけど、人をモノ扱いするのはどうなんだ!?」
「いいから! シロウはわたしのものになるの! それなら殺さなくてもいいし、また一緒におりょうり出来るもの!」
「別に料理なんていつでも出来るだろ。それに、イリヤが殺したくないって思ってくれるなら、殺さなくてもいいじゃないか!」
「もう! なんでもするって言ったくせに!」
「だから、俺は――――」
その時だった。どこからかグーという音が聞こえた。
「ん? 今のは……」
振り返ると、セイバーが目を泳がせていた。
「……セイバー?」
「なんですか?」
キリッとした表情を浮かべるセイバー。色々と手遅れだ。
「腹……、減ったのか?」
「……えっとですね、これはその」
その時だった。今度は別の方向からグーという音が聞こえた。
「……イリヤ?」
「ちがうもん!」
「いや、今のは……」
「ちがうって言ってるでしょ! シロウにはデリカシーがないの!?」
涙目になって怒るイリヤ。
「……とりあえず、うちに戻ろう。イリヤも来いよ」
「だ、だめだよ。わたし、もう行っちゃダメなの!」
「……イリヤは来たくないのか?」
「そうじゃないけど……」
「なら来いよ。また、一緒に作ろう」
俺はイリヤの手を握った。問答無用だ。
「ちょっと、シロウ!」
「行くぞ、イリヤ!」
「……もう」
イリヤは観念したように溜息を零した。
その後ろでセイバーも溜息を零していた。
呆れたような二つの視線を無視して、俺は歩き続けた。
◆
家に着くと、遠坂達はまだ戻ってきていなかった。
イリヤにエプロンを渡して、冷蔵庫を開く。
「……シロウったら、顔に似合わずごういんなんだから」
ぶつぶつと文句を言いながらも、イリヤはしっかりエプロンを着てくれた。
「あれ? 前のと違う?」
「ああ、少し手直ししたんだ。また、イリヤと料理がしたかったからな」
「……ふーん」
イリヤはエプロンの裾を摘みながら唇を尖らせた。
「えっと……、とりあえず始めるぞ!」
「何を作るの?」
「オムライスだ」
家を出る前に炊飯器をセットしておいたからご飯はばっちり炊き上がっている。
「まずは玉ねぎを切るぞ」
「しかたないなー……」
「いいからいいから」
なんだかんだで料理をはじめるとイリヤは眉間のシワを取ってくれた。
玉ねぎを切った時の刺激に悲鳴を上げていたけれど、みじん切りにする作業自体は楽しかったみたいだ。
前よりも更に包丁の使い方が上手くなっている。俺は具材のカットをイリヤに任せて、その間にコーンの水切りをした。
「さーて、焼いていくぞ」
鍋にイリヤがカットした玉ねぎ、パプリカ、ベーコンを入れ、俺が水切りをしたコーンも入れる。
「先に具に味を付けるんだ」
塩コショウとケチャップを加えると、なんとも言えない香りが台所に漂った。
そこにご飯を加える。
「イリヤ。卵を混ぜてくれ」
「分かったわ!」
卵に牛乳と塩コショウを混ぜて、そのままイリヤに薄焼き卵を作ってもらう事にした。
真剣な表情でフライパンに向かうイリヤを横目に鍋の火を止める。
「できたわよ、シロウ」
「ありがとう。ここからは俺がやるよ」
炒めたご飯を少し冷まして、一口サイズに丸める。
それをイリヤに作ってもらった薄焼き卵で包めば完成。火傷しそうなくらい熱いけど、イリヤとセイバーの為に我慢だ。
「よーし、完成だ!」
「出来たのですか? シロウ」
セイバーは食卓でそわそわしていた。
「ああ、一口オムライスだ。たくさん作ったから、どんどん食べてくれ」
みんなで「いただきます」を言って、食べ始めた。これなら弁当に入れられるから、帰りにイリヤに持って行ってもらうつもりだ。
イリヤを見る。美味しそうに食べていた。セイバーもコクコクと頷きながら食べている。
これでいいんだ。イリヤに血腥い戦場なんて似合わない。こうやって、一緒に料理を作って食べていると強く実感する。
「イリヤ。よかったら、また明日も――――」
「ダメよ、シロウ」
イリヤは首を横に振った。
「イリヤ……?」
「シロウ。わたしは聖杯戦争をとちゅうで降りる気なんてない」
「……なんでだよ。なにか、叶えたい望みがあるのか?」
イリヤは言った。
「わたしに叶えたい望みなんてない。でもね、そういう事じゃないの」
「そういう事じゃないって、なら、どういう事なんだよ!? 叶えたい望みが無いなら、こんなバカげた戦いなんて――――」
「シロウ。そのバカげた戦いをはじめたのはわたしの一族なのよ」
まるで諭すようにイリヤは言った。
「……イリヤの一族が?」
「そうよ。聖杯を手に入れることはアインツベルンの悲願。だから、わたしはマスターである限り、たたかい続ける」
イリヤの顔はセイバーや遠坂と同じだった。絶対に意思を曲げるつもりが無い事が分かってしまう。
「……でも、俺はイリヤに戦ってほしくない」
「シロウ。わたしは郊外の森に住んでるの」
「イリヤ……?」
イリヤは立ち上がった。
「もし、どうしても止めたいのなら挑んできなさい。ただし、わたしのサーヴァントは強いわ。今のあなたとセイバーじゃ、絶対に勝てない。言っておくけど、容赦する気もないわ。その時は情け無く、躊躇い無く、確実に殺す」
「……イリヤのサーヴァントに勝ったら、聖杯戦争を降りてくれるのか?」
イリヤは溜息を零した。
「サーヴァントを失ったら、もう、わたしはマスターじゃなくなるもの。だけど、あなどらないでね。わたしのサーヴァントはヘラクレス。ギリシャ神話さいだいさいきょうの大英雄。シロウがかてる要素なんて一つも無いんだから」
イリヤはクスリと微笑んだ。
「それでも挑むって言うなら、待ってるから」
そう言うと、イリヤは居間から出て行った。
「見送りはいらないわ。またね、シロウ」
「……ああ、またな、イリヤ」
イリヤが去った後、俺はセイバーを見た。
「ありがとな」
「何の事ですか?」
「口を挟まないでいてくれただろ」
「……彼女が貴方の戦う一番の理由なのでしょう?」
彼女を召喚した時の事だ。俺はたしかに言った。
――――知り合いっていうか、まあ、そんな感じの女の子が参加してるっぽくて、あんまり危ない事は止めさせたいなーって思って。
あの時の言葉をセイバーは覚えていてくれたらしい。
「……イリヤというのですか?」
「あっ、いや、イリヤスフィールっていう名前だったと思う。ただ、ついイリヤって呼んでた。怒ってないといいけど……」
「怒ってなどいないでしょう。彼女は一度も訂正を求めませんでしたから」
「そっか……」
セイバーが立ち上がった。
「シロウ。彼女のサーヴァントに挑むのですね?」
「ああ、そのつもりだ」
「……それが貴方の意思なら、私は従うのみです。ただ、相手が彼女の言葉通り、ヘラクレスであるのなら、リンにも相談しておくべきでしょう。相手はギリシャ神話における大英雄。真っ向勝負では分が悪いでしょうから」
「わかった。相談してみるよ」
「では、午後も引き続き街を探索しましょうか」
「ああ!」
イリヤは『またね』と言った。そして、俺も『またな』って言った。
俺が聖杯戦争に参加したのも元はと言えばイリヤを止めるためだ。必ず、止めてみせる。
相手がどんなに強くても関係ない。
「待ってろよ、イリヤ!」