最終話「藤ねえルート」

 稜線の向こう側から太陽が姿を現し、闇が晴れていく。山門の向こう、セイバーとライダーが激突した筈の戦場には戦前と変わらぬ穏やかな田園風景が広がっている。
 まるで、全てが嘘偽りであったかのように、あの戦いの痕跡が欠片も残っていない。
「……師匠」
 また、届かなかった。泣きそうな笑顔で見送る|師匠《アンリ・マユ》をまた置き去りにしてしまった。
 大河はやり場のない感情の矛先を足元の石ころに向けて蹴っ飛ばした。
 すると、唐突に割れた空間の狭間から姿を現したセイバーのおでこに石ころが命中。
「……おい、貴様」
 般若の形相を浮かべるセイバー。その顔を見た瞬間、大河は駆け出していた。
「セイバーさん!!」
 セイバーの後ろには鎖に巻かれた男女が転がっていた。
「士郎! イリヤちゃん! 遠坂さん! 間桐くん!」
 四人は呻き声をあげている。大河はなんとか鎖を解こうとするが、ビクともしなかった。
「阿呆。神獣をも縛る天の鎖を魔術師ですらない非力な人間に解けるものか」
「えっと、これも宝具なの?」
「そうだ。我が至高の逸品だぞ」
 自慢気なセイバー。大河は「ふーん」と呟くと辺りを見回した。
「ウェイバーくんとコンカラーさんは?」
「……あそこだ」
 興味を示さない大河に少しムッとしながら、セイバーは少し離れた場所で寝転がっている二人を指さした。
「元々、アンリ・マユによって構築された位相空間内で固有結界を使った為、先に排出されたようだ」
「固有結界……?」
「術者の心象風景を具現化する魔術。アーチャーも使える。本来、固有結界を含めた《異世界》は《世界》による修正の対象となる。故にヤツは崩壊の瞬間、その《一秒間》だけ存在出来る異世界を造り上げた。内部の時間の流れだけを操作する事で修正を免れていたわけだ。だが、その中で更に固有結界を使われれば世界は違和感に気付いてしまう。抑止の力が動けば如何に神霊が築いた城塞だろうと瞬く間に崩壊してしまう」
 セイバーは微笑む。
「その程度の事、ヤツは端から知っていた筈だ。その上で貴様にアーチャーを割り当て、ウェイバー・ベルベットにはコンカラーの召喚を許した。|時臣《リン》に我を召喚させた事といい……、まったく素直ではないな」
「そっか……」
 大河はセイバーの言葉の真意に気付いた。
「師匠は……、初めから脱出の鍵を持たせてくれていたんだね」
「貴様に絶望を与えようとしていた事も事実だ。その為に茶番の下準備を整えていたからな。だが、それは本意ではない。この世全ての悪という性質に乗っ取った《正しい目的》の為だった。ヤツの本当の目的はーーーー」
「わたしと会う事……」
「そうだ。ヤツはこの世全ての悪と呼ばれた存在。だが、そうなる前はどこにでもいる普通の人間だった。人里離れた村で行われた因習。人間の持つ根源的な悪性を一人の人間に押し付ける事で自らを善であると肯定するもの。その生贄に選ばれてしまった不運な人間だ」
「……ひどいよ」
「タイガ」
 セイバーは何処からか取り出した小さな杯を大河に投げ渡した。
「うわっとと、なにこれ?」
「聖杯だ」
「……はえ?」
 戸惑う大河にセイバーは微笑みかける。
「此度の戦いの勝者は貴様だ。ならば、聖杯に祈りを捧げる権利も貴様にある」
「……勝者って、わたしはーーーー」
「我も……、|ライダー《アンリ・マユ》も、コンカラーも誰も貴様に勝てなかった。紛れも無く、貴様が勝者だ」
「だって、わたしはゲームで勝っただけだよ!?」
 結局、聖杯戦争とは名ばかりのゲーム大会だった。ただただ楽しかっただけの時間。
 辛い事も、怖い事も、なにもなかった。
「タイガ。言っておくが、殺し合う事だけが聖杯戦争ではない。聖杯を求め、争う闘争全てが聖杯戦争なのだ。そして、貴様は聖杯を求める者達がこぞって参加した闘争に勝利した。……まあ、それでも要らないと言うのなら処分してしまうが?」
 大河は手の中に収まっている綺麗な杯に視線を落とした。
 どんな願いも叶えられる万能の杯。それが手の中にある。
 何を願ってもいい。億万長者にも、不老不死にも、何にでもなれる。
「ねえ、セイバーさん」
「なんだ?」
「これを使えば、どんな願いも叶うんだよね?」
「そうだ」
「……じゃあ、それならーーーー」
 大河は杯を掲げる。
 使い方なんて知らない。だから、ただ思いを篭めて呟いた。
「……師匠ともっと一緒にいたいよ。一人ぼっちは寂しいもの」
 他にも願うべき事は山程ある。だけど、大河は選ぶ事もしなかった。思うままに願いを口にした。
 聖杯が光を放つ。多くの人、多くの時間、多くの犠牲を支払い作り上げられた万能の願望機がその真価を発揮する。
 
 地下、崩壊し始めた空洞内に聖なる光が満ち溢れた。
 空間一面に張り巡らされた聖女の魔術回路が中心部に収束していく。
 本来、聖杯とはアインツベルンが第三魔法を再現する為に造り上げた装置だ。
 大河の託した祈りは偶然にも聖杯の真価を最大限引き出すものだった。
 魂の物質化。無形の呪詛であるアンリ・マユが実体化を開始する。
「もっと一緒に……、か」
 実体化した少女は苦笑する。そして、その身は崩壊する洞窟から柳洞寺の境内へ移動した。
「上手い言い回しね、ぜっちゃん」
 大河はその少女を見て大きく目を見開いた。
 姿形はイリヤスフィールと似ている。肌が褐色である事を除けば同一人物かと思う程似ている。
「師匠……?」
「非力な貴女と一緒にいる為には私自身も非力になるしかない。そして、善良である貴女と一緒にいる為には……」
 アンリ・マユは大河の頬を引っ張った。
「まんまと人間に戻してくれたわね、ぜっちゃん。この責任は取ってもらうからね」

 本来、アンリ・マユに自我などない。その全てを生前奪われてしまったからだ。
 それでも、確かに彼、あるいは彼女は存在していた。
 無形である魂は大河と共に過ごした時間の中で培ったものを主軸に再構築され、生まれ変わった。
 あるいは、それはアンリ・マユを悪に貶めた過去の人々と同じ事をしたのかもしれない。
 だが、根本にあるものは変わらない。悪性に身を窶しても、再構築されても……。
「おい、アンリ・マユ」
 体を光の粒に変えながら、セイバーは問う。
「不服はあるか?」
「……全部見透かしたようなアンタの目。それだけね」
 生意気な表情を浮かべるアンリ・マユにセイバーは苦笑する。
「最後まで可愛げのないヤツだ。だが、良い。それでこそ人間というものだ。精々、人として幸福に生きろ。それが我の裁定だ」
 彼は言った。
《この|聖杯戦争《キセキ》に感謝する事だな、アンリ・マユよ。貴様の前には|王《オレ》がいる。我が人類の欲望を律してやる》
 今、この世全ての悪を背負わされた哀れな子羊は人類の|欲望《あくい》から解放された。
 ここに王の裁定は成った。役目を終えた彼はもはや用は無いと言わんばかりに呆気なく、その姿を光に変えて消滅した。
「……セイバーさん」
 人類最古の英雄王。彼の行動は終始、この結末に至るためのものだった。
「あなたは凄い人だわ……」
「すご過ぎよ。本当に腹が立つわ」
 
 ◇

 戦いは終わりを告げた。
 大聖杯無き後、ウェイバー・ベルベットに大英雄の現界を維持するだけの魔力を用意する事は出来なかった。 
 それ故に……、
「マスター! フラットが言ってたんだけど、絶対領域マジシャン先生ってニックネームなんだって? 僕もこれからそう呼んでもーーーー」
「いいわけあるか!! さっさと次の講義の準備を始めるぞ!! それから、あの馬鹿を後で部屋に来るよう言っておけ!!」
「わー、マスター・Vが怒ったー」
 コンカラーは少年時代の姿に戻っていた。魔力の消費を極限まで抑える事でどうにか現界を維持し、受肉の方法を探っている。
 世界征服もいいが、それは彼の生涯を見届けた後にするつもりだ。既に少年時代とは比較にならない成長振り故に今後が楽しみで仕方がない。
「はっはっは、伝説の英雄を叱り飛ばすとは、さすがだな」
 水銀のメイドを従える少女は自らが兄と崇める男をからかう。
 大聖杯を停止させるという暴挙に出た彼に粛清の手が伸びかけたが、コンカラーの存在が彼の教え子達の尽力と合わさり事なきを得た。
 多くの者から尊敬を集めるようになった彼の日常はコンカラーの存在によって更に面白おかしいものになっていく。
 それはまた別のお話……。

 ◇

 大聖杯解体の事後処理が終わり、衛宮士郎が冬木に戻って来たのは一ヶ月後の事だった。
 彼にとって不安の種だったアンリ・マユと呼ばれた少女は相変わらず大河やイリヤスフィールと騒がしい日々を送っているようだ。
「イリヤちゃん! クロエちゃん! 士郎が帰って来たよー!」
 肌が黒いからクロエと安直に懐けられた少女は士郎を見ると嫌そうな表情を浮かべた。
「正義の味方はわたしの敵なんだけどなー」
 その在り方は確かに正義の味方の対極にある。
 危険な存在だ。いつ、大河に牙を剥き、全人類に宣戦布告をするか分からない。
 正義の味方として、殺すべき対象だ。
「ダメよ、クロエちゃん! 士郎はわたしの大切な弟分なんだから!」
「はーい」
 バカバカしい。士郎は起動しかけた魔術回路を静まらせた。
 彼女は人間だ。生物学上も魔術的な視点から見ても、それは間違いない。
 魔術回路もなく、肉体も脆弱で、十歳前後の少女並の運動能力しかない。
 それに、この一ヶ月の間、どうしても大河を護衛出来る人間が居なかった時期がある。その間、彼女が大河に危害を加えた事は一度もない。
「……藤ねえ」
 だけど、どうしても怖い。彼女の身に危険が及ぶ可能性が1%でも存在する事が恐ろしくてたまらない。
 これはきっと、アーチャーのせいだ。あの泡沫の夢の中で士郎はアーチャーになっていた。彼の経験や記憶を自分のものとして感じていた。
 大河と再開した時の感情。大河の身に危機が押し寄せた時の感情。
「相変わらず、元気だな」
 彼女と過ごす時間を英霊・エミヤは全身全霊で喜んでいた。
 それほど、彼女が彼にとって大切な存在なのだと自覚させられた。
「もちろん、お姉ちゃんはいつだって元気いっぱいだよ! それより、士郎! もう一段落ついたんだよね?」
「ああ」
「なら、久しぶりに士郎の御飯を食べさせてよ!」
「はいはい。まったく、仕方がないな」
 彼女の笑顔が曇らないか不安で堪らない。見ていない間に彼女の身に何か起きないか心配で堪らない。
 藤村邸から衛宮邸に移動して、キッチンに向かう。冷蔵庫には食材が詰まっていた。
 大河が用意したものだ。
「……バカだな、藤ねえ。こんなにいっぱい……」
 彼女の真意は分かっている。
「俺は……」
 材料を適当に見繕い、調理を進めていく。
 気付けば彼女の好物ばかり山のように作ってしまった。
「出来たよ、みんな」
 料理を並べ終えると、士郎は三人に声を掛けた。
「ねえ、士郎……」
 大河は振り向かずに彼の名を呼ぶ。
「なんだ?」
 彼女が言おうとしている言葉が脳裏に浮かぶ。
 行かないでくれ。ここにいてくれ。
 きっと、彼女もアーチャーの正体に気付いている。士郎が今後どのような道を歩んでいくのかも……。
 だからこそ、引き止める。だからこそ、士郎は唇を噛み締めた。
 
ーーーーごめん、藤ねえ。

「士郎……」
 大河は言った。
「結婚しない?」
「いいよ」
 この間、五秒。

 そして、一ヶ月後、藤村大河は衛宮大河になった。
 遠坂、間桐、アインツベルンの末裔が鬼の形相を浮かべて暴れまわる珍事などもあったが、衛宮士郎は妻を愛しながら彼女を支える為に消防署に就職し、世のため人のため、そして妻の為に頑張るのだった。
 ジャンジャン!! END

第二十話「弟子零号」

 嘗て視た光景そのままだ。偉大なる王に従う万夫不当の英雄達。
 対する者は無数のホムンクルスや亡霊達。
「……素晴らしい」
 亡霊の一人が喜色を浮かべてつぶやく。その圧倒的な光景を前に笑う胆力にイスカンダルもまた喜んだ。
「貴様は他の亡霊共とは一味違うようだな。名は何と?」
「生憎、名乗れる名など持ってはおらんよ」
 剣として振るうにはあまりにも長過ぎる刀身を持つ太刀を握り、飄々とした態度で侍は群体の先頭に立つ。
「だが、あまり舐めてくれるなよ、紅毛渡来の王よ」
「敵ながら天晴なヤツよ。たしか、この国に古来存在した傭兵、侍であったな! お主、余に仕える気はないか?」
「宮仕えも悪くないが、そういった話はとりあえず死合った後にしよう」
「好戦的なヤツだ。気に入った! では、蹂躙して我がモノとする事にしよう!」
「いざーーーー、尋常に勝負!」
 侍が動くと同時に戦闘が始まった。
 結界内に取り込まれた敵の数は思いの外多い。
 数だけならイスカンダルが率いる無数の軍勢に引けをとらない。
 だが、質の方は段違いだ。
「蹂躙せよ!!」
 イスカンダルの掛け声と共に動き出すヘタイロイ。
 一方的とも思える戦いの中で、あの侍だけは異様に元気いっぱいだ。
 対峙している兵士達も実に活き活きと戦っている。
「フハハハハハッ!! 見ておるか、坊主!! 我が勇姿、しかとその脳裏に刻んでおけ!!」
「はいはい……」
 もう、とっくの昔に刻んだよ。
 ウェイバー・ベルベットは嘗て憧れ、今尚尊敬している王の勇姿を見つめ続ける。
 未熟だった頃を追体験させた事には物申したい気分だが、この再開に関してだけは巻き込んでくれた邪神にも感謝しよう。
 もう、見る事も、語り合う事も無い筈だった王に彼はひっそりと臣下の礼を捧げた。
 時間にして数分。されど、ウェイバーにとって泣きたくなる程嬉しい時間が過ぎ去ったーーーー……。

 ◇

 生ある者がやがて死に至るように、始まりと終わりは同義である。
 アインツベルンの千年にわたる妄執。
 マキリの五百年にわたる悲願。
 多くの魔術師と英雄達の祈り。
 それら全てに決着がつこうとしている。
「ーーーー幕引きだ」
 街の様相が変化しても、己の召喚者が姿を転じても、セイバーのサーヴァントは変わらない。
 ただ、少しだけ残念そうだ。
「結局、お前だけだったな」
 ここには歴戦の英雄達が集まっている。なのに、心行くまま戦えた相手はライダー一人。
 アーチャーと宝具の撃ち合いをしてみたかった。
 ランサーやアヴェンジャーと武勇を競いたかった。
 コンカラーの軍勢を打ち破りたかった。
 アサシンにもその本領を存分に発揮してもらいたかった。
 その悉くを凌駕し尽くし、最強の名を知らしめたかった。
「だが、良い。思いの外、楽しむ事が出来たからな」
「……良かったな」
「互いにあの娘には勝てなかったな」
「そうだな……」
 片や、黄金の輝きを持つ双剣を変形させた弓を構える。
 片や、暗黒の輝きを持つ槍を構える。
「さあーーーー、心して受け取るが良い!」
 |弓兵《セイバー》が弦を引き絞る。同時に弓の先に魔法陣が展開する。
 今、セイバーが誇る最強の宝具が発動した。弦より放たれた一本の矢がライダーに向かう。それを彼女は当然の如く弾くが、弾かれたと同時に光へ転じて天空へ昇る。
 代わりに衛星軌道上に浮ぶ七つの光が一本の巨大な光の剣と成って降りて来る。
 終末剣・エンキは上空で破裂すると巨大な魔法陣を展開した。一瞬後、魔法陣は空間を巻き込んで崩壊する。まるで、ガラスをハンマーで叩き割ったかのように崩れた空間の向こうから巨大な波が押し寄せてくる。
 万物全てを洗い流そうと亜空の向こう側から押し寄せてくるナピシュテムの大波。その絶望的な光景を前に暗黒の騎士は苛烈な笑みを浮かべる。
「ーーーーこの程度か」
 本来、アーサー・ペンドラゴンが持つ《聖槍》は世の裏側である神代と現実である人の世を繋ぎ止める《光の柱》である。
 一度解かれれば、この物理法則によって成立している世界の均衡は一気に崩れ落ち、今世に幻想の法則が現出し、神代に逆戻りしてしまう禁断の宝具。
 だが、ライダーの振り翳した《魔槍》はむしろ、《闇の柱》。
 あらゆる色を世界から奪い去る純黒の光が迸る。
「吠えたな、名も無き|この世全ての悪《アンリ・マユ》を背負いし人間!!」
「ーーーー|万象を呑み込む悪性《擬・ロンゴミニアド》!!」
 頭上を覆うは人類に対する神々の裁き。
 抗うは、人類が堆積したあまねく悪性。
 彼等は互いに、この世の全てを背負った者。|評価規格外《Ex》の一撃同士が交差する。
 その光景を目撃した者全員に等しく《死》を予感させた一瞬。無限にも等しい1秒の間に二人は武器を持ち替えた。
「ーーーー考える事は同じか」
 ライダーは嗤った。
 闇の柱は大波を消し飛ばした。だが、それだけだった。
 評価規格外の宝具同士の激突は両者相打つ形で霧散した。
 それは両者が共に予想していた通りの事。その直後の激突こそ英雄としての格が命運を分けた。
「ではな、騎士王」
 刹那の剣戟を制したセイバーは|敗北者《ライダー》に背を向ける。
「……最後まで、そう呼ぶのだな」
「見事、最後まで演じ切った貴様への最大の賛辞だったのだが、不服か?」
「ぬかせ、邪魔ばかりしおって……」
 全ての元凶はセイバーだ。
 如何に神霊でも、無防備な状態で彼の宝具の干渉を受ければ無事では済まない。
 彼が大聖杯に干渉した時、アンリ・マユは小聖杯に逃げ込んだ。
 そして、彼を戦いから排除する為に記録されたアルトリア・ペンドラゴンの能力を120%まで引き上げた状態で|複写《コピー》し、分霊をライダーのサーヴァントとして現界させた。
「我の召喚を許した貴様の落ち度だ」
「以前の貴様なら自らの手を患ってまで大聖杯を元に戻そうなどとしなかった筈だ」
「それは召喚者の問題だな。皮は同じでも、中身が違えば引力の向きも変わる」
 セイバーは結界によって守られた空間内で眠る時臣だった少女、遠坂凛を見る。
「あの娘が召喚者だったからこそ、我はこの姿で喚ばれただけの事」
「……本当に運が無いな、私は」
 そう呟くと、ライダーは光の粒子になって消えた。
 
 ◇
 
 大河は不思議な空間にいた。空には巨大なスクリーンがあり、そこでセイバーとライダーが戦っている。
 目を覚ました時、彼女は既にそこにいた。アーチャーはいない。代わりに夢の中で言葉を交わしていた赤毛の少年が眠っている。
 その向こう側に見知った少女が立っていた。
「あーあ、ライダーが負けちゃった」
 イリヤスフィールは溜息を零した。
「……みたいだね」
「これで殆ど素寒貧よ。まったく、やれやれってヤツね」
 その姿を今度は彼女の母親であるアイリスフィールに変えて言う。
「……イリヤちゃん?」
「なんだ?」
 全身に刺青が走り、髪が黒に染まった少女が応える。
「あなたは誰?」
 大河の問いにイリヤスフィールが答えた。
「アンリ・マユ」
「……でも、アンリ・マユはライダーさんなんでしょ?」
「ざっくりと説明すると、アレはオレの一部なわけよ」
 姿を何度も変えながら彼女は言う。
「この街自体もそうだ。この街の住民も殆どがオレの一部。正真正銘の本物はマスターとサーヴァントだけさ。もっとも、一部のマスターとアーチャー、それにライダーはちょっと違うけどな」
「どういう事……?」
「ライダーは分かるだろ? アイツはオレの一部だった。それに、アーチャーはそこで寝っ転がってる正義の味方だ。オレが招待したアンタ以外にあの場に居たのは六人だけで、一人足りなかったんだよ。だから、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトもオレの分霊で補ったわけ」
「あの場って……?」
「大聖杯の解体現場」
 尚も首を傾げる大河にアイリスフィールの姿をしたアンリ・マユは不満そうな表情を浮かべた。
「もう、ぜっちゃんってば、昔より頭の回転遅くなってるわよ!」
「ぜ、ぜっちゃん?」
 目を丸くする大河にアンリ・マユは寂しそうな表情を浮かべた。
「……話を続けるわ」
 アンリ・マユは言った。
「聖杯の解体に携わった人間は五人。イリヤスフィール・フォン・アインツベルンとウェイバー・ベルベット、遠坂凛、衛宮士郎、間桐慎二だ。そんで、間桐桜は大聖杯の影響を受ける事が案じられて遠ざけられていたけど、臓硯の方は解体を阻止する為に忍び込んでいた。結果、臓硯はあの四人に手も足も出ず、|大聖杯《オレ》も為す統べなく解体される所だった。だから、最後にちょっとだけ悪足掻きをした」
「あなたは何がしたかったの?」
「……なんだろうね。最初の計画ではぜっちゃんに聖杯戦争を体験してもらって、最後の一人になった所でネタばらしをするつもりだったんだ。多くの屍を超えて勝ち抜いたのに、実は殺した相手マスター全員が元生徒や知人だったって知った時の貴女の絶望を見たかったのよ。そして、最後に|聖杯《わたし》を使わせる筈だった」
「……でも、わたし達ずっとーーーー」
「そう、遊んでばっかり」
 イリヤスフィールの顔でアンリ・マユは苦笑した。
「だって、楽しくなっちゃったんだもん」
 泣きそうな笑みを浮かべるアンリ・マユ。
「あの|英雄王《バカ》のせいよ。いきなり城に乗り込んできて、あなたと遊ぶから一緒に来いだなんて……。そもそも、アイツが大聖杯に干渉なんてしなければ……」
 アンリ・マユは微笑った。
「あの男、初めから全部知ってた。全部分かってた。そもそも、この世界が作り物だって事も、私の祈りも……、全部。本当にむかつくわ」
 どういう事か、などと大河は聞かなかった。
「セイバーさんは……だから、あの宝具を……」
 七日後に全てを滅ぼす凶悪無比の宝具。一週間、共に過ごした彼は罪のない人を悪戯に殺そうとする人じゃなかった。
 彼があの宝具を使った真相。それはこの世界が作り物で、この世界の住人も全て偽物だと分かっていたから。
「冗談じゃないわよ。あんな宝具を使われたら、それで終わっちゃうじゃない……。おかげで力の大半をライダーに注ぎ込む事になったわ。乖離剣よりマシだけど、結局根こそぎよ……。コンカラーにも余力を回したせいでこの世界の維持に回せるリソースも残ってない」
「……あなたの祈りって、なんですか?」
 大河の問いにアンリ・マユが歪んだ笑みを浮かべた。
「貴女に絶望して欲しかった。貴女に……、嫌ってもらいたかった」
 そのあまりにも哀しそうな顔を見て、不意に大河は遠い日の記憶を思い出した。
 どうして忘れていたのか分からない。
 彼女は以前、アンリ・マユと遭った事がある。それは運命の悪戯による数奇な出会い。本来、起こりえない奇跡による会合。
「……アイリ師匠」
 それが出会った時の彼女の呼び名。不思議な空間で不思議な時を彼女と共に過ごした。
 最後の時、彼女を外に連れだそうとしたけれど、その手を振り解かれてしまった。
 どうして、忘れていたんだろう……。
「私は消えるわ。この戦いがどういう結末で終わっても、既に解体作業は終了している。この空間は外と異なる時間の流れの中にあるけれど、そう長くは保たない。だから、私を救おうとしてくれた唯一無二の存在である貴女に嫌って欲しかった。絶望して欲しかった……」
「どうして……」
「だって、耐えられないもの」
 アンリ・マユは涙を零した。
「この世全ての悪を背負わされた時から私を救おうとする者なんて一人もいなかった。利用しようと企む人はいたけど、救うために外へ連れだそうとしてくれた人はぜっちゃんだけだったわ。だから、未練が残ったの……」
「師匠……」
「なのに、全部台無し。だけど、どうしてかしら……」
 地面が大きく揺れた。
「……安心して、ぜっちゃん。この世界が終わろうとしているだけよ。貴女は外の世界に戻される」
「師匠はどうなるんですか……?」
 アンリ・マユは答えなかった。
 かわりに穏やかな微笑みを浮かべる。
「ぜっちゃん。貴女と過ごした一週間。楽しかったわ」
「……ここから出ようよ。また、一緒にあそぼうよ!!」
「前にも言ったでしょ。それは無理なの」
 崩れていく。世界そのものが……。
「待ってよ!! わたしは師匠と一緒にもっとーーーー」
「ぜっちゃん。あの時も、今も……、ありがとう!」
 地面が割れる。大河が慌てて手を伸ばすが、アンリ・マユからどんどん体が離れていく。
「ヤ、ヤダ!! 一緒に、もっと……、一緒に!!」
「バイバイ。|この娘《イリヤ》の事、お願いね」
 アンリ・マユの体が二つに割れる。片方はイリヤスフィールの姿。もう片方はアイリスフィールの姿。
 アイリスフィールはイリヤを「よいしょ」と大河に投げた。
「うわっ!?」
 大河は慌ててキャッチしたが、そのまま倒れこんでしまった。
 そして、気付けば見知った寺の境内にいた……。

第十九話「Sei personaggi in cerca d’autore」

 アーチャーはその闇の光を以前にも二度目撃していた。その暗黒を最初に目撃した日、彼は全てを失い、二度目に目撃した時は……。
「投影開始」
 創り上げる。あれが本格的に活動を開始すれば手遅れになる。
 ウェイバーの推理は正しかった。アサシンのマスターは間桐であり、おそらくは《あの老獪》も動いている。
「イリヤ……」
 投影した宝具を弦に番えながら、囚われている筈の少女の泣き顔を想像してしまう。
 苦悩がその手を絡めとる。一度救えなかった少女。もしかしたら、救えるかもしれない大切な人。
 彼の心はいつの間にか生前の頃……それも、まだ未熟だった若い頃の状態に戻っていた。心を鉄に、体を剣に、ただ悪夢の元凶となるものを取り除く装置に戻るには少しの時間が必要だった。
 その僅かな時が全ての明暗を分けた。
 間桐邸に立ち上った闇が一気に広がり、彼の意識は途切れた。

 ◆

ーーーーそして、わたしは目を覚ました。
 いつ眠ったのかも、今どこで寝ていたのかも分からない。
「起きろー、タイガ!」
「え? え?」
 目を開けると、そこにはたくさんの人がいた。
「まったく、藤ねえは……。寝るならせめて炬燵じゃなくて、布団で寝てくれよ」
 知らない男の人が困ったように言う。
「先輩! 藤村先生はずっと待っててくれたんですよ!」
 知らない女の子が怒っている。
「はいはい、そこまでにしてやってよ桜。そいつもそいつなりに色々頑張ってたわけだし」
 知らない女性が二人を宥めている。
「ねぇ、タイガ」
 知っている女の子がたった数時間見ない内に急成長を遂げていた。
「折角、シロウが帰って来たんだよ? はやく起きてよ!」
「イリヤ……ちゃん?」
「もう、寝ぼけてるの?」
 目を擦りながら周りを見る。
 知らない場所で知らない人達に囲まれている。だけど、何故か気持ちが落ち着く。
 まるで、漸く居るべき場所に帰ってくる事が出来たような気分。
「……大丈夫か?」
 赤毛の男性が心配そうに私を見つめる。
「あ……っ」
 何故か、彼と会えた事が嬉しくなった。
 涙が溢れる。
「士郎!! もう!! もう!! 全然帰って来ないから、お姉ちゃんは心配してたんだぞ!!」
 気が付けば、そんな言葉を口にして、彼に関節技を決めていた。
「イテェェェェ!! 痛い!! たんまたんま!!」
「タンマなど聞かん!! ええい、このお姉ちゃん泣かせ!! 絶対に許さんぞ!!」
 周りの人は私達を見てやれやれと肩を竦めている。まるで、それが日常の一コマであるかのように……。
「それにしても、お姉ちゃんは安心したよ! どこかで危ない事でもしてるんじゃないかって、ずっと心配してたんだから! これからはどうするの? また、ここで暮らすの?」
「……いや、ちょっと用事を片付けに来ただけなんだ。そうだ、知り合いを紹介するよ。入って来てくれ!」
 士郎は部屋の外で待っていたらしい年配の男の人を呼んだ。
 長い髪、鋭い眼光、ちょっと怖い感じのお兄さんだ。
「紹介するよ。向こうで世話になった人で、ウェイバー・ベルベットさんだ」
 知っている名前。だけど、面影があるだけで見た目が全然違う。
「どうも」
「あ、こちらこそどうもです。えっと、私はこの子の保護者のようなもので、藤村大河と申します」
「聞き及んでおります」
「えっと、いつも士郎がお世話になっているようで、ありがとうございます」
 頭を下げると、ウェイバーは苦笑した。
「彼にはさほど……。そちらのお嬢さんには散々手を焼かされたがね」
「ちょっ、どういう意味ですか、プロフェッサー!」
「戯け、貴様とあのツインドリルがしでかした馬鹿騒ぎ、忘れたとは言わせんぞ」
「うっ……」
「遠坂……」
 ウェイバーの言葉で小さく縮こまる遠坂と呼ばれた少女。彼女の苗字には聞き覚えがある。
「もう、リンってばかっこわるーい」
「うるさいわよ、イリヤスフィール!」
「もう、遠坂先輩も大人げないですよ!」
「ぅ、ぅぅ、私の味方はいないの!?」
「居ないよ」
「居ません」
「居るわけなーい」
 彼等の掛け合いに思わず吹き出してしまった。
「あはは、みんな変わらないわねー」
 懐かしいやりとりだ。少し前まで、それが日常だった。もう戻ってこないのかもしれないと思っていたけど、ちゃんと戻ってきてくれた。
 安心した。
「えっと、ところで用事って?」
「ああ、それはーーーー」
 
 ◇

 こんな筈ではなかった。息を潜め、必勝の時を待っていた老獪は目の前の光景に呆然としている。
 アサシンを差し向けて、アヴェンジャーを追跡した結果、思わぬ収穫があり、勝利を確実なものに出来たと確信していた。
 漸く、五百年掛けたマキリの悲願を達成する事が出来ると思った。
「図りおったな……、アインツベルン」
 憎々しげに間桐臓硯は暗黒を従える聖女を睨みつける。その為の|部分《パーツ》は辛うじて残されている。
 腐敗する身体、溶けていく魂、その苦痛を一欠片でも相手に味あわせようと憎悪を向ける。
「ーーーーバーカ。この期に及んで、まだ分からないのかよ」
 幼い少女が口汚く罵る。闇に染まる髪、一層赤みを増す瞳。その肌には奇妙な刺青が浮き上がる。
「耄碌したな、マキリ」
 次の瞬間、彼女の髪は白かった。瞳は赤いままだが、肌は透き通るように白い。刺青など痕跡一つ存在しない。
「我が仇敵よ。汝には分かっていた筈だ。だからこそ、あの夜、あの場所に赴いたのだろう?」
 その鈴の音のような声はマキリという名の老魔術師にとって、懐かしいものだった。
 数百年を経てなお、心の中で些かも色褪せぬ乙女。アインツベルンの黄金の聖女。第三魔法を再現する為に創り出された始まりのホムンクルス。
 二百年前に大聖杯を完成させる為、自らを礎とした|天の杯《ユスティーツァ》が、彼の焦がれて止まなかったあの日の瞳を向けている。
「……分からぬ」
 本当に分からなかった。何故、あの夜、あの場所を訪れたのか、その事を思い出せない
「何故、貴様はよりにもよって、《そんなモノ》に……」
「見てみたかった」
 少女の声はあどけないものに変わる。
「見てみたかったのよ」
 また、声色が少しだけ変わる。少し大人びた声だ。
「あの子が全てを知った後に選ぶ選択を見届けたかったの」
「何故だ?」
 マキリは問う。
「何故、それほどあの娘に入れ込む?」
「だって、あの子は否定したもの」
 聖女は言う。
「《師匠を泣かせる悪いやつは全部わたしがやっつけるのです!》」
 その彼女らしからぬ言葉遣いに老魔術師は困惑する。
「あの子の真似よ。あの子は私を連れだそうとしてくれた。あの人のように、《わたしはわたしの信じた道を行きたいのです!》って……、連れだそうとしてくれたのよ」
 その髪が再び闇に染まる。
「そんな優しい子がどんな風に歪むか見てみたいと思ったわけよ。だから、この茶番劇に招待したわけ」
 歪んだ笑み。
「……お前は何者だ?」
「とっくにご存知なんだろう? 既に《|完成した《おわった》筈の物語》を畳もうとする生真面目共にちょっかいかける物好き。そんなもの、《オレ》以外にいると思うか?」
「|この世全ての悪《アンリ・マユ》……」
「大正解」
 アンリ・マユが指を鳴らす。すると、闇が広がり、同時に街に変化が起き始めた。
「なんだ、これは……」
 目の前で倒れている間桐雁夜だったものが全く違う人間に作り変わっていく。
 否、それは元に戻っただけの事。役者は役という名の仮面を剥ぎ取られた。
 雁夜だった青年の真名は間桐慎二。この年の年号は2010年。爆破解体されたホテルは二十年前にも爆破された経緯を持つ冬木ハイアットホテル。
 今は第四次聖杯戦争の真っ最中などではなく、それどころか第五次聖杯戦争の終結から十年後である事を臓硯は思い出した。
 
 大聖杯を解体する為に戻って来た遠坂と衛宮の倅達。そして、時計塔にその名を馳せる|ロード・エルメロイⅡ世《ウェイバー・ベルベット》。
 彼等が大聖杯の下へ向かった晩、臓硯もまたひっそりと大空洞に潜り込んでいた。五百年の悲願を台無しにされては堪らぬが故に。
 争いは起こらなかった。起こる前にソレが起きた。
 脈動する大聖杯。天蓋にまで届く闇の柱が彼等を呑み込んだ。十年前、決着がつかないまま戦いは終わった。その時の魔力が消費されぬまま残っていたのだ。
「どうせ、黙ってたら破壊されるんだ。なら、最後にオレがオレ自身の願いを叶えたっていいだろ?」
 悪魔は嗤う。
「だが、それもここまでだな。見ろよ、ジジイ」
 悪魔の指さした先で暗黒の光と黄金の光が煌めいている。
「オレの中に刻まれた|十三日に及ぶ戦い《第五次聖杯戦争》。その期間がまんま戦いの期限だった。それ以上先の事はオレも知らないからな。あれがその幕引きの|闇《ひかり》だ」
 そう言うと、アンリ・マユは臓硯から視線を外し、歩き出した。
「どこへ行くつもりだ?」
「まだ、ちょっと用事があるんでな。お姫様を迎えに行くぜ」
 そう言って、間桐邸を後にした彼はすぐに足を止める。
 そこに不機嫌そうな顔の男が立っていたからだ。
「ファック。今の今まで……、種明かしをされるまで気付け無いとはな」
「あらら、御機嫌斜めか? ロード・エルメロイ二世」
「……口を閉じろ。その顔、その声で貴様の下劣な性根から出る腐ったような言葉を吐くな」
「ヒッデー。それが一週間苦楽を共にした仲間に言うセリフか?」
「一週間、我々を嘲笑っていた性悪には相応しい言葉だと思うが?」
 睨み合う二人。やがて、アンリ・マユの方が音を上げた。
「嫌な成長遂げやがって。ファックはこっちのセリフだっつーの。お前の相手なんかしてる暇はねーよ。こいつ等に遊んでもらえ」
 そう言って、アンリ・マユが指を鳴らすと彼等の周囲に無数の影が現れた。
「……ふーん。そんな悪霊や人形如きで僕の相手が勤まると思ってるんだ」
 そう言って、コンカラーがロード・エルメロイ二世の前に躍り出る。
「馬鹿にするなよ、征服王。中にはサーヴァント級も混じってる。っていうか、そこの侍は一応サーヴァントとして戦った実績の持ち主だ」
 青い陣羽織を羽織る侍が口元に笑みを浮かべてコンカラーの前に立つ。
「雌狐の後は仔狸だ。まったく、因果なものよ」
 侍は言う。
「だが、折角だ。存分に死合おうではないか」
「やれやれ……、本当に舐めてくれるね」
 そう言うと、コンカラーは天に手を翳す。
「|神の祝福《ゼウス・ファンダー》」
 神の祝福が彼を包み込む。
「んじゃ、自由にやってろ。あばよ!」
 その間にアンリ・マユはスタコラサッサと離脱した。
「あっ、ちょっと!! 変身中はーーーー」
 コンカラーの叫びが掻き消える。白き雷が彼の姿を変化させていく。
 現れ立つ巨漢にロード・エルメロイ二世は懐かしむと同時に悲しくなった。
「お前、あれがどうしてそうなるんだ?」
「……そうあからさまに嫌そうな顔をするでない。余はこっちの方がイケてると思うのだが?」
 その漢の名は征服王・イスカンダル。主が少年から大人に変わったように、|少年《アレキサンダー》は成熟し、その本来の力と姿を取り戻した。
「まあ、あっちにはアーチャーもおる。まずは任せるとしよう。先にこっちだ。こやつらを始末してからでなければ面倒な事になる」
 そう言って、イスカンダルはロード・エルメロイ二世の頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でた。
「おい、何をする!!」
「ハッハッハ!! なんとなくだ!! それより、刮目せよ!! 我が最強宝具を!!」
 刮目する必要などない。ロード・エルメロイ二世は心の中で呟いた。
 何故なら、その最強の姿を彼はとうの昔に見ている。
「|王の軍勢《アイオニオン・ヘタイロイ》!!」
 そして、世界が一変した。

第十八話「かっこいいッス!」

 最初にマスター達へ及んだ危機を感知したのはコンカラーだった。主の受けた苦痛がラインを通じて彼に届く。
「ーーーーマスター!!」
 コンカラーの表情が歪む。今直ぐにマスターの下へ駆けつけなければいけない。だが、既に戦闘が始まってしまっている。
 セイバーの性格上、一度始まった戦いを中断してくれる筈がない。
 降り注ぐ無数の宝具。ブケファラスの疾走を止めれば、瞬く間に肉塊へ変えられてしまう。
 如何にセイバーと言えども、三対一では一方的な勝負になると思っていた。ところが、蓋を開けてみれば有利である筈のコンカラー達が押されている。
 あの化け物染みた戦闘力を持つライダーと打ち合いながら、コンカラーを逃さない為に宝具の豪雨で檻を構築し、遠方から飛来するアーチャーの狙撃を盾の宝具で完璧に防ぎ切っている。
 隙が全く無い。次元が違う。まるで、神に挑んでいるかのようだ。
「ブケファラス!!」
 それでも、この戦線から離脱して主の下へ向かわなければいけない。彼の命が一秒毎に弱まっていく。
 縦横無尽に飛び交う宝具の嵐は掠るだけで消滅を免れない凶悪なものばかり。
 だが、幸か不幸かセイバーはコンカラーに対して逃がさない程度の注意を向けているだけだ。
 さすがに包囲網を抜けようとしたら気付かれて、仕留める為の攻撃にシフトするだろうがーーーー、
「マスターを助けに行くぞ!!」
 コンカラーは天を仰ぐ。
「偉大なる|我が父《ゼウス》よ、御身の力を貸し与え賜えーーーー、雷霆招来!!」
 雲一つ無い空に一筋の亀裂が走る。その彼方より、白き雷が降り注ぐ。
 神の雷はセイバーのAランクを超える宝具すら寄せ付けず、真っ直ぐにコンカラーへ向かう。
 轟く轟音にセイバーとライダーの動きが止まり、同時に光の中からブケファラスに跨る赤毛の青年が現れた。
「|神の祝福《ゼウス・ファンダー》!!」
 それは|神《ゼウス》の子としての自己認識。ゼウスの加護を受けたコンカラーの体は精悍な若者へと成長を遂げさせた。
 それに応じてステータスが書き換わる。
「行くぞーーーー、|始まりの蹂躙制覇《ブケファラス》!!」
 神の加護は一時的に彼の愛馬にも適用され、その能力を向上させた。
『Baooooooooooooooooooooooooooーーーー、
 今や、音の疾さを超え、迅雷と化したブケファラスの疾走はセイバーによる宝具の射出速度を上回る。
 まるで時が止まったかのようにブケファラスは感じ、己の主人を目的の場所へ到達させる為のルートを導き出した。
ーーーーooooooooooooooooooooooooooo!!!』
 セイバーは咄嗟にコンカラーを撃墜しようとするが、その圧倒的なスピードを前に諦めた。
 代わりに賞賛を贈る。
「あれがヤツの真の疾走か……、実に素晴らしい」
 願わくば、その疾走をもって挑んでもらいたかった。
「貴様はいいのか?」
 セイバーはライダーに問う。
「行かせてくれるのか?」
 ライダーはクスリと笑った。
「駄目だな。貴様は逃がさん」
 セイバーはニヤリと笑う。
「本当によくぞ参戦してくれたな、騎士王よ」
「……未だに、私をそう呼ぶのだな」
 ライダーは不機嫌そうに呟いた。
「今の貴様は騎士王で間違いなかろう。例え、それが仮初のものであろうと、貴様はその姿を選び、その在り方を真似た。ならば、何も問題などあるまいよ」
 セイバーの言葉にライダーは舌を打つ。
「……お前は姿形がいくら違っても、やはり嫌なヤツだよ」
 ライダーは言った。
「そう嫌うな。我は貴様の事を気に入っている。よくぞ……、逃げも隠れもせずに参戦してくれた。一度口にした言葉を違えば、我の王としての威厳に水を差す事になる」
「戯言を……。貴様だけは何としても排除しなければならない。ただ、それだけの事だ!」
「ならば、全霊をもって挑め!」
「そのつもりだ!」
 二人の王の戦いは苛烈を極めていく。さっきまでの戦いが単なる遊びだったかのように、天候を掻き乱し、大地を焦土に変え、それでも尚、際限など無いかのように疾く、重く、激しく剣を振るう。
 片や相手を滅ぼす為に、片や相手を律する為にーーーー……。

 ◇

 コンカラーがマスターの下に辿り着いた時、既にアーチャーが到着して傷を負ったマスター達の治療に当たっていた。
「アーチャー! マスターは!?」
「……不幸中の幸いというやつだな。二人共急所を外している」
 手当が終わったらしい。ウェイバーと大河は穏やかな寝息を立てている。
「治癒魔術の心得が?」
「そんなものは無いさ。それに近い事が出来る宝具を使った」
「あはは……、便利だね」
 主が無事だった事に安堵の表情を浮かべるコンカラー。だが、直ぐに気がついた。
「二人……?」
 嫌な予感がした。
「ねぇ、イリヤはどこ?」
「……奪われた」
 怒気を滲ませてアーチャーは言った。
「アサシンだ。二人にトドメを差す直前だった……」
 アーチャーは近くの机から宝石を取り出した。
「まったく、こんな事だろうと思った」
 その宝石は以前、セイバーが大河に渡した宝具だった。
「身に付けていなかったのかい!?」
「ああ、そのようだ。起きた後、返すつもりで外したのだろう」
 アーチャーは宝石を眠る大河の首に掛けた。すると、ゆっくりと彼女のまぶたが動き始めた。
「タイガ!」
 アーチャーが声を掛けると、大河は目を覚ました。
「……あ、れ?」
 自分が眠っていた事、目の前にアーチャーとコンカラーが武装した状態でいる事に戸惑っている。
「わ、たし……どうして……、あっ」
 急速に記憶が蘇る。
 刺されたウェイバー。そこに現れた骸骨の仮面を被る黒衣の男。
 男は彼女にもナイフを突き立て、更にその首へ凶刃を向けた。
 そして……、
「イリヤちゃんは!?」
 大河はアーチャーを見た。意識を失う直前、彼が現れたのを覚えている。
「すまない……」
「うそ……」
 イリヤが攫われた。魔術師ではない大河にも、ここ数日の間に知った知識を下に推測する事は出来る。
 攫われたマスターがどんな目に合うか……。
「助けに行かなきゃ!!」
 飛び出そうとする大河の襟をコンカラーが掴む。
「はい、ストップ。どこに居るのか見当でもついてるの?」
「わ、わかんないけど……、でも!!」
 必死な表情を浮かべる大河。
 イリヤの身に危険が迫る。その事を想像すると寒気がする。首を切り落とされそうになった時よりもずっと怖い。

ーーーーじゃあ、わたしもタイガの事、シショーって呼んでもいい?

 彼女と過ごした一週間が脳裏を過る。
「イヤだ!! イリヤちゃんにもしもの事があったら……、そんなの絶対にイヤだ!!」
 大河は泣き喚いた。コンカラーに離してくれと懇願した。
 その騒ぎでウェイバーも目を覚ます。
「……なにごと?」
 アーチャーは手短に事情を説明した。
「アサシンか……」
 ウェイバーは慌てふためく大河を見て、少し冷静に考える事が出来た。
 今の段階で彼らが把握しているサーヴァントはセイバー、アーチャー、ランサー、ライダー、コンカラーの五体だった。それぞれのマスターも遠坂時臣、藤村大河、ケイネス・エルメロイ・アーチボルト、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン、ウェイバー・ベルベットだと判明している。
 残る二体のサーヴァントとは未遭遇。その内一体は確実に御三家の一画である間桐のものだ。
「コンカラー」
 ウェイバーは大河を掴んでいるコンカラーに声を掛けた。
 前よりも背が高く、顔も精悍になっている。恐らく、以前聞いた二つ目の宝具を使ったのだろう。魅了のスキルがダウンする代わりに神性とステータスが永久的に上昇するものだ。
「なんだい?」
「今から間桐邸に強襲を掛ける。出来る限り不意を突きたいから、僕が先行して、令呪を使うよ」
「え?」
 その言葉にコンカラーだけではなく、大河やアーチャーまでもが困惑の声を発した。
「な、なんだよ……、その変な反応は」
「いや……、どうして間桐邸なんだ?」
 アーチャーの問いにウェイバーは逆に首を傾げた。
「後、サーヴァントが判明していないマスターの内、拠点が判明している場所がそこしかないからだよ。完全なバクチになるけど、モタモタしている時間はない。間桐邸が違うなら、そこからは街中を虱潰しで探すしかないんだ。正解でも不正解でも、とにかく動かないと間に合わなくなる」
「どうしちゃったの、マスター。なんか、すごくかっこいいよ」
 以前までの彼ならともかく、頬を赤らめながら乙女みたいな仕草をされると若干気持ち悪い。
 ウェイバーはゲンナリしながら言った。
「別に……、あんなチビっ子が危ない目に合うのってなんか……アレだと思ったんだよ! ほら、そこをどいてくれ!」
 魔術師として失格だが、それでも思ってしまったのだ。敵なのに、魔術師なのに、助けたいと……。
 傍若無人な王様達とお姫様に振り回され、過ごしたこの一週間は本当に楽しかった。英雄達がこぞって戦いを先延ばしにする程、誰にとっても楽しい一週間だった。
 陰湿な魔術世界では味わえない穏やかな時間。
「それにアイツは僕を刺したんだぞ! やり返してやらなきゃ気が済まないね!」
 そう言って出て行こうとするウェイバーの腕を大河が掴んだ。
「待って!」
「なんだよ? 言っておくけど、お前は連れて行かないぞ。令呪も使えない以上、お前に出来る事は何もない」
 冷たく言い放つウェイバー。その本音が分かってしまうが故に大河は涙を流した。
「……連れて帰って来てね?」
「当たり前だろ」
 外へ飛び出していくウェイバーを大河は追わなかった。ついて行けば邪魔になる。それを理解出来てしまう自分が腹立たしい。
「……大丈夫だ、マスター」
 アーチャーは言った。
「彼はいずれ偉大になる素質を持っている」
「……ずいぶん、詳しいんだね」
 まるで彼の未来を知っているかのようなアーチャーの口振りにコンカラーがつぶやく。
「彼とよく似た人物を知っているだけだよ。誰からも慕われ、大きな力を持つようになる。本人の望んだものとは違うかもしれないがね」
「ふーん……。そっか、見てみたいな」
 コンカラーは微笑んだ。
「願いなんて無かったけど、あの英雄王や君がそこまで太鼓判を押すなら、マスターの歩む道を見守りたくなっちゃったよ」
「きっと、彼は君の期待を裏切らないよ」
 アーチャーの言葉にコンカラーは頷いた。
「さっきの彼は凄くカッコ良かった。……さて、そろそろかな」
 ここは深山町にある藤村の家。ここから間桐邸までの道のりは魔力で強化した魔術師にとってそう遠くない。
 コンカラーは大河を見つめた。
「待っててよ。必ずお姫様を助けだしてくるからさ」
「……うん。お願いね、コンカ……ううん、アレキサンダー」
 コンカラーがニッコリと微笑むと同時に光が走った。令呪による強制召喚だ。
「さて、私も援護に回ろう」
 アーチャーは弓を投影すると、窓から屋根に上った。
 そしてーーーー、視た。 
「……あれは」
 間桐邸に立ち上る暗黒の光を……。

第十七話「暗黒神殿」

 地獄とは人が創り出した概念だ。今の世の地獄に対するイメージはダンテ・アリギエーリの神曲による影響が大きい。
 人は死後、地獄に落ちる。それは宗教に縁の浅い者でさえ心のどこかで信じている。
 どんなに品行方正で清貧な生き方をしていても、人は後ろめたさを感じる生き物だからだ。
 その罪悪感が悍ましい世界を空想させる。いずれ、己の罪を精算する為の場所を求め、それに相応しい痛みや苦しみを夢見る。
 結局、《地獄》も《地獄のような光景》も創り出すのは人間だ。
「……はは」
 アヴェンジャーはこの光景を前にも見た事がある。
 全てが終わった跡。誰一人救えず、誰一人守れず、ただただ、失われたモノに涙を流す事しか出来ない。
 そこに死者は一人もいない。だが、生者も一人としていない。
「ははは……ッ、アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」
 楽器がある。家具がある。他にもたくさん。
 全て、人間を材料にして作られている。
 もはや、人としての原型など一切留めていない。なのに、彼等は生きている。生かされている。生かされながら、殺されている。
「なんという事だ……、なんという事だ!!」
 アヴェンジャーは喜んだ。
 この世にはこれほどの悪がいる。それがどれほど嬉しい事か他人には到底理解出来ないだろう。
「ーーーーああ、私などよりもずっと罪深い」
 裏切り者。不埒者。痴れ者。多くの罵倒を浴びた。それだけの事をして来たのだから、仕方のない事だ。
 口元が歪む。
「騎士として、許し難い蛮行だ」
 穢れに満ちた剣を振り上げる。
「哀れな者達よ。必ずや、君達の無念は私が晴らす」
 彼は復讐者。彼の望みは罪を濯ぐこと。騎士の誇りを取り戻すこと。
 |悲劇の主人公《マスター》と|ヒロイン《桜》を救うよりも、この地獄を造り上げた悪を滅ぼす方が騎士の名誉を取り戻すのに相応しい。
「だから、待っていてくれ」
 アヴェンジャーは地獄の底へと進んでいく。殺してくれと懇願する者を無視して、助けてくれと縋る者をはね除けて、彼は自らの騎士道を貫くために突き進む。
 そこには一人の聖女がいた。両腕両足をもがれ、石版に埋め込まれながら呻き声をあげる白い髪の女。
 その前にあの男が立っていた。アヴェンジャーが第七のサーヴァントに関係する者だと当たりをつけていた男。
 アヴェンジャーをこの地獄に連れて来るなり、手錠を掛けるだけで奥に引っ込んでいた彼は楽しそうに拷問器具を見繕っていた。
「あれ? あんた、誰?」
 アヴェンジャーは微笑んだ。
「……そうだな。正義の味方とでも名乗っておこうか」

 ◇◆◇

 もうすぐ、日付が変わる。静かな夜。黄金の鎧を纏うサーヴァントが円蔵山の麓にある柳洞寺の山門に立っている。
 ここが監督役の指定した戦場だ。
「時臣よ」
 セイバーは背後に控える自らの召喚者に笑い掛けた。
「楽しかったぞ」
 その言葉に時臣もまた、微笑む。
「それは何よりでございます」
 時臣はセイバーが現世の娯楽にうつつを抜かす事を終始咎めなかった。それは彼が約束を守ってくれているからだ。
 戦場を用意するまで、大人しくしている。戦闘を望み召喚に応じた彼にとって、それが如何に意にそぐわぬ事か彼の記憶を夢で見た事で知ったからだ。
 彼は超越者として世界に君臨していた。神々が人の世を裁定する為に地へ使わせた者、英雄王・ギルガメッシュ。
 誰もが彼に傅く世界。彼は常に退屈していた。
 その退屈を紛らわせたのが彼の親友であるエルキドゥ。彼との出会いが退屈を持て余していた王を冒険に駆り立てた。
 友と共に駆け抜けた黄金の日々。彼の隣には常に親友の影がある。この戦いは彼にとって、あの日々の冒険の続きなのだ。
 だからこそ、時臣は彼の望む事に何も口出しをしなかった。ただ、彼の為に戦場を整えた。王が思うがままに戦えるよう、この地の周辺から人を余さず退去させてある。
「どうか、御身の心行くままに」
 世界を支配した王。そのカリスマは魔術の世界にどっぷりと浸かり続けてきた堅物をも虜にした。
「我が召喚者よ。よくぞ、我をこの戦いに招いてくれた! そしてーーーー」
 セイバーは眼下に立つ英雄達を見下ろした。
「よくぞ来たな、歴戦の英雄達よ!」
 この六日間。彼等と過ごした時間は確かに楽しかった。
 現世の娯楽は素晴らしく、飽いてる暇など無かった程だ。
 それもここまでーーーー。
「天を見よ! 滅びの火は満ちた!」
 セイバーが指差す先、そこには黄金の光が浮かんでいる。《眼》の良い者は気付く。それが衛星軌道上にある事を。
 午前0時、そこに最後の火が灯る。
「この街を守りたければ、祈りを叶えたければ、我と決着をつけたければ挑むがいい!」
 彼の背後の空間が揺らぐ。黄金の水面から顔を出す無数の宝具はどれもAランクを超える一級品ばかり。
 それが彼の示す、彼等との日々に対する返礼。
 今宵、最強の英霊は一欠片の慢心も無く、一欠片の油断も無く、全身全霊を戦いに注ぎ込む。
「さーて、行こうか、ブケファラス! 蹂躙を始めようじゃないか!」
 コンカラーは愛馬の首を撫で、爛々と瞳を輝かせる。
 偉大なる人類最古の王。彼が夢見た世界の全てを手に入れた覇王。これ以上、蹂躙のし甲斐がある相手などいまい。
 彼の愛馬にして、英霊であるブケファラスもまた、その闘争心を燃え上がらせている。
「さて、回り道をさせてくれた返礼をしてやらねばな、ラムレイ」
 ライダーは竜を思わせる全身鎧を纏い、魔馬の腹を蹴る。その仮面の内側で禍々しき形相を浮かべながら、剣に纏わせていた風の守りをラムレイに纏わせる。
 そこから数キロ離れた場所ではアーチャーが弓を構えている。
「……英雄王よ。生前に出会った君はまさしく暴君だった。苦い思いを散々させられたよ」
 アーチャーはこの一週間を思い出して微笑む。
「君のおかげで藤ねえは凄く楽しそうだった。その君が戦いを望むなら、私も全霊でお相手しよう」
 今日までの楽しかったとさえ思える日々が異常なら、この戦いもまた異常だ。
 そこに恨みも怒りもない。なのに、手を抜く気など一切起こらない。
「……ああ、これが英雄の戦いなのだな」
 その果てに求めるものなどない。その戦いこそが求めるものなのだ。
 それが英雄と呼ばれる者達の戦場。セイバーが望んだもの。戦いという者を人という種が延々と続ける理由。
 人を殺す事は悪であり、糾弾されるべきだ。
 それは戦争も例外ではない。多くの人間を殺し、英雄と呼ばれた者も結局は罪人なのだ。
 それでも、人は剣をとる。
「幼い子供は些細な事で喧嘩をするものだ。でも、それは大人になっても変わらない……、そういう事だな」
 それが人の本質なのだ。互いの意思をぶつけ合う為に言葉や体を使う。
 エスカレートしてしまえば悲劇を生み出すだけの災厄になり下がるそれも、人が人である為に欠かせないものなのだ。
 それを躍起になって取り除こうとしてもうまくいく筈がない。
 散々迷い、尚至れなかった答えにこんな喜劇のような状態で気付く事になるとは……。
「正義の味方……か、笑ってしまうな」
 それを目指すなら、まずは《人》を知らなければいけなかった。
 それが《正義の味方》の第一歩。それを教えてくれる人はとても近くにいた筈なのに。

 英雄達はそれぞれの思いを胸に動き出す。
 この日、全ての決着がつく。
 
 ◇◆◇

 戦いの音が聞こえる。イリヤスフィールの魔術で眠らされた大河は自宅のベッドで目を覚まし、二人から事の経緯を聞いた。
 アーチャー達はセイバーと決着をつけにいった。出発した後に起こされた理由は彼女自身も分かっている。
「止めちゃいけない事なのかな……」
 涙を浮かべる大河にウェイバーは困り果てた。
 彼女が至って普通の……とは言い難いかもしれないが、魔術の世界とは無縁に生きてきた事はこの一週間でよくわかった。
 芯が強くて、心優しい、普通の女の子に殺し合いを肯定させる言葉など思いつかない。
「タイガはやさしいねー」
 ウェイバーが悩んでいると、イリヤスフィールに先を越された。
「思ったとおりだよ」
 ニコニコと笑顔を浮かべる小さな妖精。ウェイバーは少しホッとした。彼女ならうまく大河を慰める事が出来るだろうと。
 だから、咄嗟に動く事が出来なかった。
「……は?」
 腹部に深く突き刺さる刃。痛みが遅れてやってくる。
 なんらかの魔術を仕込まれたのだろう。彼の意識は一瞬で闇に呑まれた。

Interlude

 ランサーのマスターだった男は恋人と共に縛り付けられていた。逃げ出そうにも、生命活動ギリギリまで魔力を絞り取られている為に魔術を使う事も出来ない。
 ただ、この屈辱を与える目の前のサーヴァントを睨む事しか出来ない。
「すまないな。だが、君もマスターになると決めた時点で覚悟は決めていた筈だ」
 アヴェンジャーは彼と彼女から供給される膨大な魔力をマスターとその姪の治療の為に使いながら言った。言峰綺礼の尽力によって一命を取り留めたものの、二人は予断を許さない状態。聖杯戦争が終結するまで、その生命を繋ぎ留めておく為には定期的に治癒魔術を掛ける必要がある。
 ランサーを討伐した後、彼が直前に見ていた《崩落するホテル》に向かって走り、そこで魔術を行使している男女を見つけて拉致した。彼等と半ば強引にラインを結び、魔力の貯蔵タンクになってもらっている。時計塔のエリートと言えど、湖の妖精から直接魔術の手解きを受けた彼と比べれば稚児同然。抗う事は出来なかった。
 ネックだった魔力の問題が解決した事でアヴェンジャー次なる行動を思案している。ランサーが脱落した後、他の陣営は監督役から命じられた任務を遂行する為に街中を駆け回っている。一見すると不意打ちが容易に見えるが、あの四騎のサーヴァントを同時に相手取る事など自殺行為でしかない。だが、今宵必ず機会が訪れる。セイバーの宝具発動を阻止するためにライダー達がセイバーと戦う筈だ。最強のセイバーといえど、三騎のサーヴァントと戦えば無事では済まないはず。どちらが生き残っても、彼等は満身創痍になっている事だろう。そこを狙うつもりだ。
 問題となってくるのは最後の一体。恐らく、街を騒がせている失踪事件の犯人は未だ姿を見せない七体目のサーヴァントだ。キャスターか、アサシンか、あるいはバーサーカーかもしれない。彼自身やコンカラーのように基本のラインナップから外れたイレギュラーの可能性もある。いずれにしても、表舞台に引き摺り出す必要がある。万が一、一騎打ちで敵わない相手の場合、セイバー達を倒した後では厄介な事になる。マスター達の為にも敗北は決して許されない。
 セイバー達が犯人探しに奔走している間、彼も手掛かりを探し歩いていた。その結果、一人の男にあたりをつけた。街中で頻繁にナンパをしていた軽薄な男だ。魔力を使った形跡があったわけじゃない。ただ、その目を見た瞬間、彼はその男を《人殺し》だと判断した。嘗て生きた戦場で、人を殺す快楽に取り憑かれたものを何人も見てきた。あの男はそうした者達と同じ目をしている。
「待っていてくれ、マスター」
 アヴェンジャーはケイネスを魔術で眠らせると、夜天の下で動き出した。使い魔に波長を合わせる。すると、脳裏に使い魔の視界が映り込んだ。
 現在の時刻は20:00ジャスト。セイバー達の戦いが始まる前に敵の正体を暴き出す。
「|己が栄光の為でなく《フォー・サムワンズ・グロウリー》」
 彼の姿が変化していく。またたく間に一人の可憐な少女に変身したアヴェンジャーは容疑者の下へ向かった。

 男は街灯の下で道を歩く若い女性を品定めしていた。アヴェンジャーはただ彼の前を通り過ぎるだけで良かった。それだけで彼は動いた。
「ねぇ、君」
 男は雨龍龍之介を名乗り、道案内を求めてきた。怪しまれないよう、多少抵抗する素振りを見せると、彼は警戒心を解く為に世間話を始めた。
 見事なものだと感心する。彼の言葉は実に巧みだ。そうと知らなければ、気付かぬ内に心を開いてしまう。彼に口説かれた女性は旧来の恋が実ったように錯覚する筈だ。
 アヴェンジャーは彼の思惑に乗ることにした。恋する乙女を演じ、彼が導くまま、街を歩いた。
 脆弱な肉体。少し力をこめるだけで容易く肉塊に出来る。だが、彼がマスターだという確証がない。姿を隠している第七のサーヴァントを視界に収めるまで、仮初の恋人を演じるとしよう。
 
 ◇

 アヴェンジャーが第七のサーヴァントの捜索に出掛けた直後、間桐邸の地下では一人の少女が目を覚ましていた。
「……アサシン」
 少女が呼び掛けると、暗闇にぼんやりと白い骸骨の面が浮かび上がった。
 まるで、《死》そのものが実体を持ったかのような、その存在こそが第七のサーヴァント。
 アヴェンジャーが探し求めていた筈の姿なき最後の敵は彼がさっきまでいた空間内にずっといたのだ。
「アヴェンジャーを今失うわけにはいかん。隠れて追跡し、万が一の場合は援護せよ」
 髑髏は少女の命令に応え、闇に溶けていく。
 残された少女は寝息を立てているケイネスとその恋人であるソラウを見下ろした。
 少女が浮かべるにはあまりにも不釣り合いな禍々しい笑みを浮かべ、その体に指を這わせる。
「良い素材だ。あやつが戻ってくるまえに仕上げてしまおう」
 そのまま、少女の指が女の皮膚を突き破り、肉をかき分け内部へ侵入していく。その激痛を受けて、ソラウは目を覚ます。
 だが、その口が開く事はない。既に肉体の支配権は少女に移っている。
「良い顔だ」
 少女の指が動く度に脳髄を焼くような痛みが走る。涙を浮かべる事さえ許されず、ただ弄られ続ける。
 やがて、少女が指を離すと、女はその傷口を見て意識を失った。傷口から男性の陰茎を模した芋虫が這い出て来たのだ。しかも、一匹や二匹ではない、ぞろぞろと湧き出てくる。
 女はその激痛で再び目を覚ましてしまう。そして、気付く。内側から食べられている事に……。
「上質な素体のおかげで十分な量を確保する事が出来たな」
 女は皮膚と骨を残して全て蟲に変えられた。その内の一匹を眠り続ける雁夜の口に運ぶ。そして、ケイネスの口にも。
「さて、お前達にも働いてもらうぞ。休息は十分にとれたはずだ」

第十六話「イヤッス!」

 犯人捜しは思うように進まなかった。なにしろ手掛かりが少な過ぎる。魔術の痕跡を辿ろうと試行錯誤を繰り返しているけど、いまいち成果が上がらない。
 今はウェイバーくんの提案で川を調べているところ。そこから糸口が見つかるといいけど……。
「ねぇ、タイガ!」
「わっ!? な、なに?」
 川の水を採取しているウェイバーくんの背中を見ていると、急にイリヤちゃんが飛び掛ってきた。
「喉乾いちゃったー」
「ありゃりゃ。じゃあ、ジュースでも買ってくるね」
「わたしも一緒に行くー!」
 さすが外国人。スキンシップが実に情熱的。サーヴァント達がゲームに興じている間、ずっとわたしが相手をしてあげたからか、随分と懐いてくれたみたい。
 背中に抱きつく《子泣きじじい》が落ちないように手を回し、わたしはアーチャーに声を掛けた。
「ちょっと、ジュース買ってくるね!」
「それなら、私もついて行こう。二人だけでは危険だ」
「えー、いいよ別に。すぐ近くの自動販売機で買ってくるだけだし」
「しかしな……」
 難色を示すアーチャー。すると、セイバーさんが蔵から何やら綺麗な宝石を取り出した。
「おい、タイガ」
 放り投げられた宝石を慌ててキャッチすると、彼はそれを首にかけろとジェスチャーした。
 言われた通りに掛ける。
「それを身に付けておけ。一回限りだが、如何なる災厄からも貴様を守る」
「い、いいの?」
「駄目なら渡さん。貴様に死なれては困るからな」
「困るって……?」
 セイバーさんは微笑んだ。
「貴様にはまだ負け越しているからな。我が勝つまで死ぬ事は許さん」
 それっきり、セイバーさんは持参した小説を読み始めた。
 既に捜査開始から三日が経過している。初日こそ張り切っていた彼だけど、二日目からは飽きてきたらしく、暇さえあれば読書に没頭している。シャーロック・ホームズシリーズにハマってしまったみたい。
 コンカラーくんも彼と背中を合わせて別の小説を読んでいる。彼はイーリアスにご執心だ。
「これがあれば安心だよね?」
 宝石を指でつつきながら言うと、アーチャーは渋い顔をした。
「しかし……」
「アーチャー」
 尚も渋るアーチャーにライダーさんが言った。
「しつこい男は嫌われるぞ」
 その言葉に彼はショックを受けた表情を浮かべた。
「それじゃあ、ちょっと行ってくるね!」
 わたしはイリヤちゃんを背中に抱えたまま走りだした。
 アーチャーの気持ちは嬉しいけど、彼は少し過保護過ぎる。たまには息抜きをさせて欲しい。
 四六時中《心配オーラ》を向けられ続けるのは結構キツイ。
「飛ばすよー!」
「わーい!」
 イリヤちゃんと二人っきりになると、大分肩の力が抜けた。
 近くにある筈の自動販売機に向かって走ると、心が晴れやかになった。
「イリヤちゃんは何が飲みたい?」
「うーん。今の気分はオレンジジュースかなー」
「オレンジね」
 自動販売機に到着すると、私は大変な事に気がついた。
 その自動販売機にはオレンジジュースが無かったのだ。その事を彼女に伝えると、途端に癇癪を起こした。
「ヤダヤダ! わたしはオレンジジュースが飲みたいの!」
「わー、わかったよ! 他の自動販売機を探そう!」
 慌ててなだめすかしながら、他の自動販売機をあたる。ところが運の悪い事にどれも外れ。
「ねー、どうしてもオレンジジュースじゃなきゃダメ? リンゴジュースとかコーラじゃ……」
「ダメなの! ダメダメ! わたしはオレンジジュースがいいの!」
 気が付けばみんなのいる場所から随分と遠ざかってしまった。
「ーーーーねえ、君達」
 漸く、オレンジジュースが売っている自動販売機を発見して喜んでいると、急に声を掛けられた。
 どこか軽薄そうな男の人。年齢はわたしよりも少し年上に見える。
「な、なんスか?」
「ちょっと、道を聞きたいんだけど」
 ホッとした。いつの間にか人気のない場所に来ていたから、変な人に絡まれてしまったのかと思った。
「いいッスよ。どこに行きたいんスか?」
「地図を見てもよく分からなくてね。ここなんだけど」
 そう言って、彼はポケットから地図を取り出した。その一点を指さしている。
 よく見ようと彼に近づくと、わたしは咄嗟に飛び上がった。
「あれ?」
 足払いに失敗した彼は戸惑っている。
 前言撤廃。どうやら、変な人に絡まれてしまったみたいだ。
 彼の瞳を見る。そこには値踏みするようなイヤラシさが垣間見えた。
「悪いけど、ナンパはお断りだよ」
 伸ばしてきた手を蹴りあげ、そのまま彼の脇腹を蹴り飛ばす。
 手加減はしたから怪我はしていない筈。
「行くよ、イリヤちゃん」
 わたしは返事を聞かずに走りだした。
 気づけばみんなが待っている川辺の近くまで戻って来ていた。
「すごいよ、タイガ!」
 疲れ果ててイリヤちゃんを降ろすと、彼女は興奮したように瞳を輝かせていた。
「ビシッ、バシッって、魔術師でもないのに!」
「えへへ、これでも武闘家だからね」
「すごいすごい! ねぇ、わたしにも出来るかな? こう、バシッと!」
 さっきのわたしの真似をして蹴りのポーズを決めるイリヤちゃん。
「もっと、脇を締めて。こうだよ!」
 褒められて嬉しくなり、わたしはついつい藤村家に代々伝わる門外不出の藤村殺法を一つ伝授してしまった。
 夢中になっていると遠くからアーチャーが駆け寄ってきた。
「遅いじゃないか」
「あはは、ごめん。ちょっと、イリヤちゃんにキックの仕方を教えてて」
「キック……?」
 困惑しているアーチャーにイリヤちゃんはニヤリと笑い、教えたばかりのキックを放った。
「といやー!」
 可愛らしい掛け声と共にアーチャーの股間を蹴り上げる。
 ところが、アーチャーは悲鳴一つあげない。
「……タイガ。それに、イリヤ」
 ゾクッとした。彼の顔を見上げると、そこには笑顔があった。ただ、笑顔なのに凄く怖い。
「淑女としての嗜みについて、一つ説教してやる必要がありそうだな」
 結局その後、ウェイバーくんの調査が終わるまで延々と私達はアーチャーのお説教を聞かされ続けた。
 涙目になるわたし。すると、イリヤちゃんがわたしの脇を小突いた。
「タイガ。日本では武道の先生をシショーって呼ぶのよね?」
「そ、そうだけど……」
「じゃあ、わたしもタイガの事、シショーって呼んでもいい?」
「し、師匠? わたしが……?」
「うん! シショー!」
 その響きはとても心地よいものだった。
 師匠。なんと甘美な……。
「もちろんいいよ! じゃあ、イリヤちゃんはわたしの弟子一号って事だね!」
「弟子一号かー……。うん! わたし、弟子一号!」
 そんな風にわたし達が楽しく話していると、ウェイバーくんは落胆した様子で川の調査の結果を口にした。
 結局、今日も進展無し。明日で四日目だ。
 あれ? 何か忘れているような……。

 ◆

「明日で七日だな」
 帰り際、セイバーさんがつぶやいた。
「ここまでか……、存外悪くない時間だったが」
 その言葉の意味をわたしは思い出した。
 アーチャーから聞いた話だ。彼は六日前の晩、宝具を発動した。それは七日以内に決着がつかなければ全てを破壊するもの。
 その期限がついに明日切れる……。
「セイバーさん……?」
 そんなの冗談に決まってる。数日一緒に過ごして、彼の人となりは分かったつもり。
 悪い人じゃない。それどころか、陽気でやさしい。そんな人が街を……何の罪も無い人達を殺す筈がない。
「今夜、我は監督役が指定する戦場で待つ。我が宝具を止めたければ、挑むがいい。さもなければ、明日、この地は滅び去る事になる」
「ま、待ってよ! 冗談なんだよね!?」
「冗談?」
 わたしの叫びに対して、セイバーさんは苛ついた表情を浮かべた。
 尻込みしそうになるけど、わたしは必死に声を振り絞った。
「セイバーさんは戦いが好きだから、みんなのやる気を出させる為に大げさに言っただけなんだよね?」
「タイガ」
 セイバーさんはわたしに今まで見た事のない冷たい視線を向けた。
「我が嘘をついた事があるか?」
「で、でも……、だって!」
「この街の者を見捨てるつもりなら、そのまま愚かな妄想に浸っていろ。その果てで貴様が如何に後悔しようが我には関係がない」
「だって、まだ犯人を見つけてもいないんだよ!? 捜査はどうなるの!?」
 セイバーさんは嗤った。とても、とても怖い笑顔を浮かべた。
「知りたいのなら、我を倒してみろ」
「え?」
「我が宝具からこの街を救い、尚この街に忍び寄る悪意を打ち払いたくば、貴様が挑め」
「どういう事……?」
 まるで、犯人を知っているかのような物言いだ。
「前に言った筈だぞ、我は全知全能だと」
「知ってたって事……? なら、どうして……」
「これも言った筈だ。存外、悪くない時間だったと……」
「セイバーさん……」
 セイバーさんはいつものように微笑んだ。
「先に言っておいてやろう。知れば、貴様は確実に後悔する。それでも、真実を求めるのなら止めはしない。その力の限りを我にぶつけることだな」
 それだけを言い残すと、セイバーさんはわたし達に背中を向けた。
「待ってよ! わたしに勝つって言ってたじゃない!?」
 返事は返ってこなかった。彼は背中を向けたまま歩き去り、そのまま姿を消した。
 取り残されたわたし達は互いに顔を見合わせた。
「どうしよう……」
「どうするって……、アイツと戦うしかないだろ」
 ウェイバーくんが言った。
「だって、相手はセイバーさんだよ!? 一緒に、いっぱい遊んだ友達だよ!?」
「友達じゃない」
 そう言ったのはアーチャーだった。
「タイガ。奴はあくまでも私達の敵だ。ライダーとコンカラーも。それを忘れるな」
「敵じゃないよ! だって、あんなに楽しかったじゃない!!」
 気づけば涙が溢れていた。
「友達だよ!! 一緒に笑ったり、遊んだりする人を友達って言うんだよ!!」
「タイガ……」
 イリヤちゃんが蹲るわたしの頭を撫でた。
「少し休んだ方がいいわ」
 不思議な感覚。まるで、闇の中に沈んでいくかのような気分。わたしは意識を失った。

第十五話「聖杯問答?」

 監督役による緊急招集を受けた日の翌朝、タイガ達は冬木市市民会館前に集合していた。
「それじゃあ、犯人探しに出発よ!」
 イリヤスフィールがライダーに肩車をされながら言った。
「ふふふ、事件の真相は我が解き明かす」
 昨日、聖杯戦争を再開すると宣言していたセイバーは虫眼鏡片手にノリノリだ。
「犯人探しと言っても、どこから探せばいいんだ?」
 ウェイバーはもはや敵同士が普通に待ち合わせしている事に何も突っ込まなかった。
「聖堂教会がわざわざ参加者に捜査を命じるくらいだ。恐らく、犯人は聖杯戦争の参加者だ」
 アーチャーの言葉に大河が驚きの声をあげる。
「参加者って、マスターやサーヴァントがやってるって事!?」
「それ以外に考えられん。わざわざ監督役が我々を捜査に動員する理由など」
 手掛かりはない。分かっている事は犯人が聖杯戦争の参加者である可能性が高いという事のみ。
「ふはははは! いいか、犯人探しの基本を教えてやる!」
 楽しそうにシャーロック・ホームズを読んで齧った俄仕込みの探偵知識を披露するセイバー。イリヤとタイガが楽しそうに聞いている手前、アーチャーとライダーも止められない。
 コンカラーはセイバーが持ってきた単行本を読むのに夢中。
「……いつ、出発するんだ?」
 ウェイバーの呟きに応える声は無く、彼等が出発する頃には正午になっていた。

「そう言えば、お前等は聖杯に何を願うんだ?」
 結局、捜査を始める前に腹拵えをする事になり、近くのファミリーレストランにやって来た一行。
 ウェイバーはハンバーグを食べながらおもむろに問いかけた。
 なんとなく、気になったのだ。
「そういう貴様の望みはなんだ?」
 まずいまずいと笑いながらコーンスープを啜るセイバーの言葉にウェイバーは墓穴を掘ったという表情を浮かべる。
「背を伸ばす事だよね?」
「違うよ!! 勝手に決めるな!!」
 コンカラーの口を塞ぐウェイバーに「じゃあ、何を望むの?」とイリヤ。
「ぼ、僕は正当な評価を得るために参加したんだ」
「正当な評価って?」
 大河が聞くと、ウェイバーは時計塔で受けた不当な仕打ちについて語り始めた。
 折角寝ずに書き上げた論文。それをよりにもよって授業中に取り上げ、笑い者にした教師。
 彼は立ち上がった。魔術師の才能は血で決まるのではないという主張を記した論文の正しさを証明し、教師の鼻をあかすために。
 聞けば聞くほどみみっちい。
「そ、それで聖杯戦争に?」
 大河でさえ、その理由はあんまりだと思った。
「そうだよ!! 悪いか!?」
「悪くないけど……」
 大河とイリヤは呆れている。コンカラーは腹を抱えて笑い、ライダーは端からウェイバーに興味がないらしく延々とパスタを食べ続けている。
「……鼻をあかすか」
 セイバーとアーチャーだけが表情を変えずにウェイバーを見ていた。
「な、なんだよ……」
 彼等にも馬鹿にされると思っていたウェイバーはセイバーとアーチャーの反応に戸惑った。
「ウェイバー・ベルベット。君の望みは生き残りさえすれば叶うだろう」
「え?」
 アーチャーの言葉に首を傾げる。
「ああ、貴様は勝者になる必要が無いな。もう少し成長すれば、貴様を笑う者はいなくなる」
「……て、適当な事言って内心馬鹿にしてるだろ」
 真剣な表情で何を言うかと思えば……。
 不貞腐れたようにウェイバーが言うと、セイバーは笑った。
「信じる信じないは貴様の勝手だ」
 そう言って、セイバーは笑っているコンカラーを見た。
「それで、貴様は何を願う?」
「僕? 僕は……、とくに無いかな」
「なんだと?」
 コンカラーはコーラを口に含みながら言った。
「もっと大人になった僕なら受肉でもして、再び世界を征服しようとしたかもしれない。でも、今の僕はそれほど聖杯を求めていないんだ。こうして、一時の夢を楽しむだけで満足してしまう。ある意味、マスターが召喚してくれた時点で僕の望みは叶ってしまっているんだ」
「コンカラー……」
 召喚される事自体が望み。そうした例は珍しくない。アーチャーの経験した聖杯戦争では戦いそのものを望み参加するサーヴァントもいたし、彼自身も目的は聖杯というより、聖杯戦争に召喚される事で《機会》を得る事が目的だ。
「そういう君は? 僕としては英雄王の抱く願望に興味があるんだけど、聖杯に何を願うつもり?」
 話を振られたセイバーは鼻を鳴らした。
「聖杯自体には我も興味など無い。万能の願望機など無くとも、我に叶えられぬ望みなど無いからな」
 そう言った後に彼は笑みを浮かべた。
「だが、この戦い自体は素晴らしい。そうだな、貴様と同じだ。我も召喚された時点でほぼ望みが叶っていると言える。群雄割拠の時代を生き抜いた英傑達と矛を交える機会なんぞ、そうそう無いからな」
 クククと笑うセイバーにウェイバーは呆れた。
「戦闘狂かよ」
「そう邪険にするな。英雄の性というものだ」
 コーラを一気飲みし、「たまらん」と満面の笑みを浮かべ、セイバーは十回目のおかわりをしようとしているライダーを睨んだ。
「おい、腹ペコキング。貴様はどうだ? 何を願い、参加した?」
「……モキュモキュ」
「一端、喰うのを止めろ! 貴様も王ならば、もう少し上品にだな……」
 眉間に皺を寄せるセイバーにライダーは舌打ちをした。
「まったく、静かに食事も出来んのか、貴様等」
 イラッとする物言いだ。セイバーの皺が一層深くなる。
「それで、願いだったな。私も特に無い」
「え?」
 意外そうに声を上げたのはアーチャーだった。
 彼の知る彼女は確かに願いを持って聖杯戦争に参加していた。その願いは尊くも悲しく、愚かなものだったが、その祈りを持って戦う彼女に憧れた身としては、ライダーの言葉を捨て置くことが出来なかった。
「本当に無いのか?」
「《聖杯》に託す|願い《もの》などない。私の今の目的はイリヤを勝者にする事だけだ」
 嘘をついているようには見えなかった。彼女は心から聖杯を無用と考えている。
 そんな馬鹿な……。アーチャーはライダーから目をそらす事が出来なかった。
 彼女と彼が知るアルトリアとの違いは今までも幾つかあった。だが、これはあまりにも……。
「それより、私はお前の願いに興味がある」
 そう言って、ライダーが見たのは大河だった。
「え、わたし?」
 ライダーは頷いた。
「イリヤも気になっているのだろう? この話題になってから、ずっと彼女を見ているじゃないか」
「……ええ、とっても興味があるわ」
 それはまるで|天使《■■■》のような微笑み。とても愛くるしくて、とても優しくて、何故か大河は|既視感《デジャビュ》に襲われた。
「わ、わたしは……」
 大河は言った。
「ただ、この街を守りたいだけ……。この街に生きる者として、この街に根を張る極道の娘として、なによりーーーー」
 ノイズが走った。何かを喋ろうとして、その瞬間脳が揺さぶられた。気持ち悪い。吐き気がする。
「ご、ごめん。トイレ行ってくる!」
「タイガ!?」
 タイガは慌てたようにトイレに駆け込む。慌てて追いかけようとするアーチャーをイリヤスフィールが止める。
「ちょっと、アーチャー。デリカシーが足りないわよ? わたしが見てくるわ」
 そう言うと、彼女は立ち上がって大河を追いかけた。
「ま、待て、イリヤ」
 彼女の背を追いかけようとして、ライダーに腕を掴まれた。
「まあ、イリヤに任せておけ」
「……私のマスターに何か仕掛けたのか?」
 体調の急変。それはイリヤスフィールと彼女の質問が切っ掛けだった。
 殺意を向けるアーチャーにライダーは嗤った。
「私達は何もしていない。それにこれからも彼女に何かするつもりはない」
「なに……?」
 その言葉はあまりにも不可解だった。聖杯戦争において、マスターを殺す事は定石の一つだ。それをイリヤとアルトリアが否定するなど、彼の常識からは考えられない事だ。
「そう、不思議そうな顔をするな。彼女はあくまで迷い込んできただけの一般人だ。巻き込まれただけの人間に手を下さなければ勝てない程、私達は弱くないというだけの事だ」
 それは強者としての自覚と自信によるもの。確かに、彼女ならばそれだけ言っても大言壮語にはならない。
 だが、妙に違和感を感じる。まるで、汚泥が絡みついてくるかのように得体のしれない恐怖を覚える。
 そう、それはまるで……、
「おい、いつまでくだらん事を話しているんだ?」
 セイバーが口を挟んだ。
「女二人が便所に行っただけだぞ。その程度で騒ぐな戯け共。それより、午後からは本格的に調査を開始するぞ。やはり、捜査の基本は聞き込みだ」
 有無を言わさぬ語気で話を変えるセイバー。アーチャーとライダーの不穏な空気を払拭すべく、ウェイバーも乗っかかる。
「聞き込みって、そんなの聖堂教会が粗方済ませてるだろ」
「貴様、この我に意見するつもりか?」
 睨まれて、ウェイバーは慌ててコンカラーに縋り付いた。
「あはは、あんまり僕のマスターを怖がらせないでくれないか?」
 コンカラーは微笑みながら言った。笑顔なのに、不思議と寒気がする。
「可哀想に、怯えてしまったじゃないか」
「べ、別に怯えてなんか!」
 顔を真っ赤にして反論しようとするウェイバーの口に人差し指を当てるコンカラー。
「強がりは無駄だよ、マスター。君って、かなり分かり易いからね。それと、聞き込みが全くの無駄って意見には反対だな」
「ど、どうしてだよ?」
 ウェイバーが聞くと、コンカラーは言った。
「そもそも、聖堂教会は本格的な調査なんてしていないと思うよ」
「え?」
 不思議そうな顔をする主にコンカラーは微笑みかける。
「彼等はあくまでも傍観者だ。この街の守護者でも、聖杯戦争の参加者でもない。加えて、この時期にこの地で大量の失踪者を出すなんて、参加者以外にあり得ない。人の身では決して敵わない英霊を従えるマスターを止めるために進んで自分の身を投げ出す事なんてしないさ。そんな事をする聖者がいるなら、そもそもこの聖杯戦争自体を止める為に動いている。こうして聖杯戦争が続行している時点でそんな聖者はいないという事さ」
「な、なるほど……」
「マスターの相手は同じくマスターにしか務まらない。失踪事件の犯人を見つける事も、捕まえる事も僕達にしか出来ないわけさ」
 コンカラーは言った。
「そういうわけだから、地道に頑張ろうよ、マスター」

第十四話「楽しいッス!」

 ざわついている。さっきまでテトリスで一喜一憂していた聖杯戦争の参加者達がキッチンを覗き込みながら囁き合っている。
「すごいノリノリだな」
 セイバーは鼻歌混じりで鍋を振っているアーチャーに呆れている。
「しかし、良い香りだ……」
 ライダーはお腹を押さえた。それでも漏れ聞こえる腹の虫の鳴き声にイリヤスフィールは苦笑いを浮かべている。
「ライダー。恥ずかしいよ、もう……」
「っていうか、サーヴァントが料理って、どうなんだ?」
 ウェイバーは慣れた手つきで料理の盛り付けを行うアーチャーに困惑している。
「人それぞれだとは思うけど、現代の調理器具をあそこまで巧みに扱うとは……。ちょっと、欲しくなっちゃうな」
「あ、あげないッスよ!?」
 不穏な事を口ずさむコンカラーに大河は慌てた。
 そうこうしている内に調理が完了したらしく、アーチャーは満面の笑顔で振り返った。
 良い笑顔過ぎて全員がちょっと引いた。
「待たせたな! 夕食の時間だ!」
 アーチャーはもはや諦めていた。敵であるサーヴァントが戦いもせず、ゲームに興じている現実と戦う事を諦めた。
 だから、料理に励んだ。調理実習三年間無敗記録の保持者にして、世界中を旅して回る途上で一流ホテルのシェフ達とメル友になった彼の全身全霊を掛けた料理。
ーーーー貴様等がゲームで勝敗を決めようとするのなら、オレは料理で貴様等を打ち倒してみせよう。
 ちょっとキメ顔を浮かべ、内心でそんな事を考えながらアーチャーは盛りつけた料理をテーブルに並べていく。
「……た、食べてもいいのだな?」
 ライダーは目を血走らせている。
「ステイ! ステイよ、ライダー! 両手でフォークを握っちゃ駄目! 淑女としての嗜みがなってないわ!」
 記憶の中では箸を上品に使っていた筈なのだが、目の前で獣の如く料理を睨みつけているライダーの姿に気品は一切感じられなかった。
「ッハ、貧国の王はこの程度の料理で我を失うか……。哀れなものだな」
「いや、これは結構いい線いってると思うよ? 僕の専属料理人にしてもいいかなって思うくらい」
 さっきテトリスで連敗したウサを晴らすかのようにライダーを嘲笑うセイバー。対して、コンカラーは熱い眼差しをアーチャーに向けている。
「ねぇ、僕のものにならない?」
 あざといくらい可愛らしい表情を浮かべて勧誘するコンカラー。
「駄目って言ってるッス! アーチャーはわたしの! わたしのだから!」
「えー。それはアーチャーが決める事だよ? ねぇ、一晩だけ貸してくれない? それでも彼が心変わりしなかったら諦めるからさ」
「何をする気ッスか!?」
 色っぽい表情を浮かべるコンカラーに大河は危機感を募らせ、ワイングラスを並べているアーチャーの前に立ち塞がった。
「ガルルルルル!!」
 唸り声をあげる大河の頭にポンと手を乗せ、アーチャーは言った。
「そう必死になるなよ、マスター。私は君以外に付き従うつもりなどない。君以外のマスターなど考えられない」
 そのキザったらしいセリフに免疫の無い大河は一瞬で真っ赤になった。
 その様子があまりにも可愛らしく、アーチャーは頬を緩ませた。
「……ああ、これは無理そうだね」
 残念そうにつぶやくコンカラー。割と本気で勧誘していたのだが、アーチャーの反応に自分の不利を悟った。
「ええい、アーチャー! いいから、そろそろ食べさせろ!」
 もはや幻滅の域に達した獣にアーチャーは泣きたくなった。
「もうちょっと上品になれんのか、君は! ワインを注いで乾杯したらすぐだ! もう少し待て!」
 そう言って、大河を席に戻してからそれぞれの前にワイングラスを並べ終えたアーチャー。彼がワインを注ごうとすると、突然セイバーが待ったをかけた。
「おい、貴様! どういうつもりだ? 事と次第によっては我が宝具をここで……」
「落ち着け腹ペコキング。凡愚ながら、それなりの品を用意したアーチャーに我なりの敬意を払ってやろうと思ったまでだ。それに貴様も飲みたかろう? 神代の酒を」
 そう言って、セイバーは己の蔵から黄金の酒瓶を取り出した。それをアーチャーに渡す。
「天上の美酒だ。それを注ぐがいい」
「断る」
「なに!?」
 まさか断られるとは思っていなかったセイバー。
「私は葡萄酒や葡萄ジュースに合う料理を作ったのだ。天上の美酒を振る舞うのは結構な事だが、それは食後にしてもらおう」
「ック……、この我の慈悲を無碍にするとは……。ええい、ワインなら良いのだな!? ならば、こっちだ!」
 今度は翡翠の酒瓶を取り出した。
「ワインだ! これなら文句あるまい!」
「……ああ、間違いなくワインだな。しかも、これほど香り高いものはお目に掛かった事がない」
「当然だ。本来、人の身で飲む事など許されぬ楽園のもの。存分に酔い痴れるがいいぞ、お前達」
「おい、御託はいいからさっさと注げ」
 気持よく薀蓄を垂れようと思っていたセイバーにライダーがかみつく。
 殺気立つライダーが持ち上げたグラスにアーチャーは「あ、はい」とワインを注いだ。
 全員のグラスにワインと特製ぶどうジュースを注ぎ終わったアーチャーは大河の隣に座る。
「それでは乾杯といこう」
「ふむ、ならば音頭は英雄王たる我がーーーー」
「いただきます!! これでいいな!? よし、食べるぞ!」
 ワイングラスを掲げて口を開きかけていたセイバー。
 それをガン無視して料理に齧り付こうとするライダー。
 その瞬間、空気が凍りついた。別にセイバーが怒って出した殺気が原因でも、ライダーの非常識にも程がある振る舞いが原因でもない。
 言峰教会の方角から魔力の波動が放たれたのだ。
「ど、どうしたの?」
 ただ一人、状況が分からずにいる大河はみんなの様子がおかしい事に気づき困惑している。
「監督役による緊急招集だ」
 ウェイバーが言った。
「……どうやら、食事は中止だな」
 セイバーは立ち上がりながら呟いた。
「くだらん。監督役の招集など無視すればいい」
 そう言って、ライダーは食事を再開しようとするが、セイバーの殺気によって止められた。
「この招集は我のマスターも一枚噛んでいるらしい。行くぞ」
「何故、貴様のマスターの思惑に私達が乗らねばならんのだ?」
「決まっている」
 セイバーは言った。
「奴は我に相応しき戦場を用意すると言った。だから、それまでの間は大人しくしていた。約束をしたからな」
 そこにさっきまで呑気に笑い合っていたセイバーはいなかった。代わりに絶対的な覇者としての彼がいた。
「拒否は許さん。さあ、聖杯戦争を再開するぞ」
 逆らえば殺す。彼の瞳はそう宣告していた。
 ライダーは舌を打つと立ち上がる。イリヤスフィールを抱き上げ、惜しむようにアーチャーの手料理を眺めた。
 コンカラーとアーチャーも続く。大河は場の空気が一変した事に気づきながら、目の前で湯気を立てている料理を哀しそうに見つめた。
「……待って欲しいッス」
「拒否は許さんと言った筈だが?」
 さっきまでとは一転してしまった彼の態度に怯えそうになるが、それでも大河は言った。
「あ、アーチャーが折角作ってくれたんス。だから……、無駄にしないで欲しいッス」
「……そうか」
 セイバーは舌を打つと椅子に座った。
「はえ?」
 戸惑う大河。
「おい、どういうつもりだ?」
 ライダーが問う。
「……|勝者《タイガ》の言葉には逆らえん」
「セイバー……?」
 大河は不思議そうに彼を見つめる。
「未だ、我は貴様に勝てていない。その貴様が初めて口にした命令だ。それもまた、無碍には出来まい。これだけ食べたら出掛けるぞ」
「……っふ、そうだな。勝者には従わねばならん」
 ライダーは再びお腹を鳴らしながら席についた。
「あはは。|英雄王《ギルガメッシュ》に|騎士王《アーサー》、それに|征服王《ぼく》。三人の偉大な王に同時に命令を下した人間なんて、現在過去未来、どの時間軸を探しても君くらいなものだと思うよ」
 楽しそうにコンカラーは言って席に座った。
「ある意味大物だな……」
 ウェイバーは乾いた笑みを浮かべながらコンカラーに続く。
「では、今一度乾杯といこうか。音頭は勝者たる君に頼むよ、マスター」
「えっと……、うん!」
 アーチャーに促され、大河はぶどうジュースの入ったグラスを持ち上げる。
「かんぱい!」
 楽しい宴会。それは彼女にとって生涯忘れられないものになる。
 例え、その後に待ち受けるものがなんであれ、その時の彼女は間違いなく幸福だったのだ。
 だからこそーーーー、彼女は選択した。

 ◇

 月明かりに照らされた教会内。そこにアーチャーは大河と共に訪れた。セイバー、ライダー、コンカラー、イリヤスフィール、ウェイバーも一緒だ。
 残るサーヴァントの影は無く、代わりに使い魔がいる。
「ーーーーよく集まってくれた」
 監督役である璃正神父の声が響く。
「少々、急を要する事態が発生した。よって、もったいぶった挨拶は省略させていただく。現在、諸君らの悲願へと至る道である所の聖杯戦争が重大な危機み見舞われている」
 璃正の言葉によれば、聖杯戦争の舞台である冬木が群衆の注目を浴び過ぎているとの事。
 それに際してのルール変更の告知が主だった。
 サーヴァント戦を深夜0時から夜明けまでに定め、場所も聖堂教会が指定するフィールドを使う事。
 大規模な破壊工作などは禁止。
 そして、昼間は全員で一つの事件を解決へ尽力する事。報酬は令呪一画。
 セイバー、ライダー、コンカラーの三名には不満などないようだ。実際、いつでもどこでも真っ向勝負で勝ちを狙える彼等にとって、このルールの変更は些細なことでしかないのだろう。
 アーチャーにとっては戦術面を考えると迷うところだが、街の被害が最小限に抑えられる事や拒絶する事で大河が罰則を受ける事を考えると異議を唱える事は出来なかった。
「さて、君達に解決してもらいたい事件についての詳細を伝えておこう。新聞やニュースなどで知っている者もいると思うが、ここ最近失踪事件が相次いでいる。被害者の多くが幼子であり、下手人は調査の結果魔術師である事が分かった……」
 璃正はサーヴァントやマスター、そして使い魔達を見回してから言った。
「目的は知らないが、これ以上聖杯戦争の存続が危うくする要素は容認出来ない。君達にはコレの排除を頼む。それでは、諸君の健闘を祈る」

Interlude

 屍が積み上がっている。老いた者、若い者、女、男、そこにはあらゆる死が重なっていた。
 その上で嗤う影がある。
「ハッハッハァ! 愉しいなー! 最高に愉しい!」
 小物染みた下衆な笑みを浮かべ、ソレは久しぶりの生を楽しんでいる。
「COOL! 最高だ!」
 悪魔があげる歓喜の声に応える者が一人いる。彼は悪魔と共に死を愉しんでいた。
 治癒魔術を掛けられ、致命傷を受けても死ぬ事が出来ない状態の幼子にいくつの針を突き刺せるか実験中の彼。実験台にされた少年は動く事も出来ず、さりとて正気を失う事も魔術によって禁じられ、ウニのように無数の針が突き刺さっている。その出来栄えは素晴らしく、もはや新たな針を突き刺す隙間も無い程だ。彼はその作品を《ウニ人間》と名付け、ガラスのケーズに閉じ込めた。彼が飽きるまで、少年が死に逃避する事は許されない。
 その横には全身の肌を削がれ、あちこちにサインペンで落書きをされた《人体模型》というタイトルの少女がいる。更にその隣には両腕両足を切り取られ、代わりに犬や猫の脚を繋ぎ直された《キメラ》がいる。
 山になる程積み重なった失敗作の肉を材料達に食べさせながら、彼は新たな作品のアイデアを考える。
「なあ、次は何を作るんだ?」
 悪意の塊が問う。
「うーん、ちょっと考え中。家具とか楽器でも作ってみようかな?」
「それはいいね」
「……なあ、アンタも何かアイデアねーの?」
 彼はこの|地獄《てんごく》に連れてきて来れた|天使《あくま》の創り上げる|死体《アート》に興味がわいた。
「オレか? オレのアイデアか……」
 悪魔は悪意を総動員した。人類が行使出来る悪行。その殆どをやりつくした。粗方の苦痛を再現して味わった。
 だから、ソレも彼と同じく新鮮さが足りないと感じていたところだった。
「……そうだなー。ちょっと、趣向を変えてみるか?」

 ◇◆◇
 
 遠坂凛は苛立っていた。友人が行方不明になったのだ。一人や二人じゃない。今日、いつものように登校して来た2組の生徒は彼女を含めて十人ちょっと。他のクラスも似た感じだ。
 先生達が登校して来ない生徒の親に電話をしたけど、全て留守番電話。
 授業どころじゃなかった。先生達は慌てふためき、生徒達を体育館に集めた。何の説明も無く、生徒達は只管体育座りを続けた。時計の針の動きを目で追いながら、周りの囁き声を聞く。皆、不安がっている。
 数時間後、体育館に大勢の人が流れ込んできた。生徒達の保護者が迎えに来たのだ。凛の母親の姿もあった。酷く狼狽えている。
「大丈夫ですか?」
 少女が問う。すると、彼女の母である遠坂葵は気丈な笑みを浮かべた。魔道に生きながら、魔術師では無い彼女は些細な異変に対しても過敏に反応する。なのに、娘の不安を払拭しようと必死に勇気を振り絞っている姿はとても健気で愛おしい。
 実のところ、生まれた時から魔術師であった凛の視点から見ると、母のそういう姿はどこか奇妙で、間に見えない壁があるように感じる事がしばしばだった。でも、最近、少しずつだけど、普通の人の感覚というものが理解出来るようになり、その壁も少しずつ薄くなっていると実感している。
 彼女の反応こそが当たり前であり、凛は彼女のような普通の人が恐れる世界の住人なのだ。だからこそ、此方側の人間として責任を持たなければいけない。
《余裕をもって優雅たれ》
 それが遠坂家の家訓だ。恐れられる者であり、外れた者である事を自覚し、それでも尚、余裕を持ち優雅に振る舞えという意味。とても難しい事だけど、いずれ遠坂家の当主となるなら、この家訓を実践し続けなければならない。
 凛は母親の手を握った。
「帰りましょう、お母様」
 元気いっぱいの笑顔を作る。彼女を安心させる事。それが今の彼女に出来る責任の取り方だ。そしてーーーー……。

 ◆

 夜の9時半過ぎ。私は寝た振りをして、コッソリと禅城の屋敷を抜け出した。人目につかないように慎重に目的地に向かって足を運ぶ。脳裏に浮かべるのは親友の笑顔。男子にしょっちゅう虐められ、その度に私は彼女を助けている。私は彼女のボディーガードとなり、彼女が授業で分からない事があると言うと、喜んで知識を分け与えた。その見返りとして、彼女は私に普通の人の在り方を教えてくれた。
「コトネ……」
 禅城の屋敷の人に聞いた事だけど、近隣の街では行方不明者が続出しているらしい。コトネの一家も行方不明者の中に名を刻んでいる。おまけに冬木市内で断続的にテロ行為が行われ、警察は正に血眼といった様子で街中を駆けずり回っている。幸い、赤いランプとけたたましいサイレンの音で位置が分かるから避けるのは容易だった。
 きっと、彼等にこの事件を解決する事は出来ない。この時期にこれほど大規模な異変を起こす者など聖杯戦争のマスターか、その関係者に決まっている。このまま放置したら、コトネと永遠に会えなくなってしまう。かと言って、戦いの真っ最中で忙しい筈のお父様を頼るわけにもいかない。
 今、コトネを助けられるのは私しかいない。上手く敵の情報を探る事が出来れば、お父様にも褒めてもらえるかもしれないし、ここは頑張りどころだ。
「絶対に助ける」
 決意を言葉にして、私は走り続けた。目指す先は山一つ向こうにある冬木の街、聖杯戦争の舞台だ。

 走り始めて三十分。正直言って、少し冬木までの道のりを舐めていた。山に入る前から息切れ状態だ。せめて、もう少し早く出て、バスを使えば良かったと後悔している。まあ、今は街中厳戒態勢だから、子供一人でバスに乗ろうとしたら呼び止められてしまいそうだけど……。
「……へ、へこたれないんだから!」
 何とか奮起して再び歩き出す。しばらくすると、妙な感覚が奔った。ポケットに仕舞ったお父様からの贈り物が荒々しく動き回っている。これは魔力を探知する魔道具。これが反応しているという事は近くに魔術の痕跡があるという事。
「反応が大きくなってる……?」
 ゴクリと唾を呑み込む。立ち止まっているにも関わらず、魔道具の反応が徐々に大きくなっているのだ。それはつまり、魔力の発生源が私の下に近づきつつあるという事。
 身が竦む。腹立たしい程に私は恐怖を感じている。恐れられる側に立っている癖に恐れるなんて情け無いにも程がある。震える足を力の限り叩き、無理矢理動かす。今はとにかく隠れよう。近くの民家の敷地に入り込み、息を潜める。
 魔道具の震えがどんどん大きくなり、やがて、一人の男が現れた。若くて、とてもハンサムな人。彼は一直線に私の隠れている場所までやって来た。
「……誰よ、あなた
 肌が粟立っている。逃げなければいけないと分かっているのに、脚が動かない。まるで、地面に縫い止められてしまったかのように……。
「ついて来てよ」
 その言葉と共に突然吹き付けられたガスを私は思いっきり吸い込んでしまった。平衡感覚が失われ、酷い眩暈に襲われる。
 シュッという音と共に再びガスが噴出され、私はそれを吸い込み意識を手放してしまった。そして、次に目が覚めた時、私は地獄に居た――――。