第十三話「なんだか、楽しいッス!」

 言峰璃正は頭を抱えていた。先日のビル三棟が陥落した事件に引き続き、テロリストによる冬木ハイアットホテルの爆破。加えて、連続猟奇殺人の横行。まだ、メディアは報道していないが、それも時間の問題だ。神秘の漏洩こそ防げているが、このままでは聖杯戦争を続ける事が出来なくなる。いくらなんでも、暴れ過ぎだ。
 前回の聖杯戦争もナチスだとか、帝国陸軍だとかが介入して来た事で荒れに荒れたが、幸か不幸か政府中枢が動いたおかげで情報統制などは容易だった。その頃の政府高官は全て墓の中。第二次世界大戦の影響でほぼ一新されてしまった今の政府に協力を求める事は出来ない。内部に潜り込んでいる聖堂教会や魔術協会の工作員にも出来る事が限られている。
「このままではまずい……」
 今日で聖杯戦争は開戦から三日目に突入する。四日後にはセイバーの宝具が発動してしまうから、それまでに決着をつけてもらわなければ己の身も危ない。だが、焦りから各陣営が積極的に動き、今以上の被害を出す事も容認し難い。
「……かくなる上はルールの抜本的見直しが必要かもしれんな」
 璃正は教会の奥の礼拝堂に設置した魔術装置の下へ向かった。

 ◇◆◇

「……おい、なんのつもりだ?」
 アーチャーは眉間に皺を寄せながら来訪者を睨みつけた。
「分からんか?」
「分からん!」
 セイバーのサーヴァント。英雄の中の英雄であり、王の中の王であり、間違いなく最強のサーヴァントである英雄王ギルガメッシュが両手に山程のゲームソフトを抱えてアーチャーと大河の新居の扉を叩いたのだ。
 セイバーはやれやれと首を横にふる。その相手をバカにしたような腹の立つ態度にアーチャーは料理中である事も合わさって苛立った。
「ゲームをしに来たに決まっているだろう」
「なんでさ!? なんで、ゲームをしに来るんだ!? サーヴァントだよな!?」
 まるで友達の家に遊びにきたような感覚で現れた最強の敵にアーチャーは唾を飛ばす勢いで叫んだ。
 あまりの大声に耳鳴りがして、セイバーはうんざりしたような表情を浮かべる。
「言っておくが、貴様と遊ぶ為に来たわけじゃない。我は貴様の主にようがあるのだ」
「……会わせると思うか?」
 無言のまま、両者の間で火花が散る。
 すると、そこに新たな来訪者が現れた。
「おーい、アーチャー! 遊びに来たよー!」
 そこにはラムレイに乗ったライダーとイリヤの姿があった。その後ろには大勢の野次馬が跋扈している。
 アーチャーは絶句した。セイバーですら、ドン引きの表情を浮かべている。
「おい、ライダー。貴様、そのまま街中を?」
「ん? ああ、ラムレイの事か? 当然だろう。イリヤを歩かせるわけにもいかん」
 新居は新都の外れにある。とは言え、アインツベルンの森からここまで黒馬に乗った美女と美少女が歩いていたら目立つ。それはもう、見てみぬ振りなど不可能な程目立つ。一キロ先からでもダッシュで見に来る程目立つ。よく見たら、最近の事件を報道する為にやって来た報道陣の姿もある。今、彼女達は全国中継のテレビに映り、お茶の間に話題を提供している真っ最中というわけだ。
「嘘だろ、お前等……」
 もはや、拠点がバレたというレベルじゃない。アーチャーは少し泣きそうになった。まさか、英霊となった今になって、しかも全国ネットでこんなバカ共とテレビ出演する事になるとは思わなかった。
「あ、あの! あなたはあの女性とお知り合いなのですか!?」
 熱意溢れるキャスターの女性にマイクを向けられたアーチャーはテレビの向こう側のマダムが鼻血を吹き出す爽やかスマイルを浮かべて言った。
「知らない人です。いやー、馬に乗って街中を闊歩するなんて、不思議な人ですね」
「あ、あはは。では、あなたは?」
 マイクを向けられたセイバーは何を思ったかテレビカメラの前でキメ顔を作り始めた。
「ふふ、見ているか愚民共。これがテレビカメラというヤツなのだな。我もいよいよお茶の間デビューというわけだな。ふ、ふふ……」
 嬉しそうに歌まで歌い始める始末だ。無駄に美声なものだから腹が立つ。
「……楽しそうだな。結構な事だ。じゃあな」
 扉を力強く閉めた。
「おい、待て! 我は昨日の決着をつけに来たんだぞ! ええい、開けぬというなら開けるまで! 開け、ゲート・オブーーーー」
「やめろぉぉぉぉ!! 開けるから、それはやめろぉぉぉぉ! 全国ネットに何を流すつもりだ、貴様!!」
 テレビカメラの前で宝具を解放しようとする底抜けの馬鹿野郎を慌てて中に引き摺り込む。
「おい、アーチャー! イリヤがどうしてもと言うから来てやったぞ。さて、中にタイガはいるな?」
 来てやったじゃねーよ。来るなよ。帰れよ。
 嘗て憧れた少女の蛮行にアーチャーは思いつく限りの罵倒の言葉を脳裏に並べ立てた。
「……えっと、どちら様ですか? 失礼ですが、人違いをしていますよ」
「ほう、ここで我が剣の錆になりたいとーーーー」
「ようこそいらっしゃいませ、馬鹿野郎!」
 報道陣の女性が「やっぱり、知り合いじゃないですか!」と叫ぶ声を無視してラムレイから降りた二人を中に入れる。
 すると、ラムレイが光になって消えた。
 開いた口が塞がらない。野次馬達の口も塞がらない。キャスターの女性も塞がらない。
「イリュージョン!!!」
 アーチャーは叫んだ。全身全霊を掛けて叫んだ。
「凄いでしょう! いや、実は彼女は海外で売り出し中の手品師でして! 今の馬の消失トリック! 分かった人いました? 目の前でパッと消える! まるで、魔法みたいでしょう? 今度、日本でも彼女のショーが開かれるかもしれません。その時はどうか御贔屓に!」
 もはやヤケクソである。だが、そのアーチャーの演説に感謝の言葉を零した者が大勢いた。
 |サーヴァント《バカ》の蛮行をどう隠蔽しようか悩んでいた聖堂教会や魔術協会の工作員達である。
 人間、手品と言われてしまうと大抵の不思議な事はそれで納得してしまうものだ。今頃、画面の向こうでは彼女の馬が消えたトリックをあれこれ議論している事だろう。
「いやー、私も手品が得意でしてね! その関係なのですよ! ほら、何も無い所から剣が一本、二本!」
 干将莫邪の投影を手品として披露する事になるとは……。
「彼女のショーは後日告知などあると思いますので! それでは、失礼します」
 感心しているキャスターの女性に手を振りながら家の中に戻るアーチャー。外では凄い盛り上がりだ。
 並べ立てた嘘八百。種など無い本物の魔術を手品として公開する今の姿を生前の師が知ったらと思うと恐ろしい。
 などと考えていると、外で歓声が巻き起こった。
 嫌な予感がする。そっと、霊体化して外を見る。そこには……、第三のバカがいた。
「おい、マジで勘弁してよ。テレビカメラあるじゃん……」
 真っ白になっているマスターを引き連れ、絶世の美少年が道行く人々に笑顔を振り撒いている。
 征服王の名に恥じぬ圧巻の光景だ。彼の後ろには彼が道すがらファンにした有象無象が列をなしている。
「たのもう! 日本では、訪問の時にこう言うんだよね? たのもう! 昨夜の決着をつけに来た! かいもーん!」
 アーチャーは扉を開いた。そして、キャスターの女性につっつかれる前に急いで二人を中に叩き込んだ。
 外では怒号が飛び交い阿鼻叫喚の地獄絵図が出来上がっていく。
「……ああ、味噌汁を作っている最中だったな」
 アーチャーは現実から目を逸らす事にした。
 居間で早速ゲームに興じている仲良しグループを尻目にキッチンへ向かう。
「よし、さっそくやるぞ! ふふふ、今日は負けんぞ、タイガ! 我が英雄王としての誇りに掛けて、貴様を倒す!」
「負けちゃダメよ、ライダー! わたしのサーヴァントは他の誰よりも強いんだから!」
「ほら、マスター。僕を応援してよ!」
「あー、はいはい。がんばれがんばれ。……僕はこの街に何しに来たのかな」
 昨夜、ゲームで大河に負けた事がよほど悔しかったのだろう。セイバーは闘志を燃やしている。
 ライダーはイリヤにせがまれるままコントローラーを握り、コンカラーはマスターの少年を困らせている。
 平和だ。聖杯戦争で殺し合う仲とは到底思えない。
 歴史に名を馳せた英雄達にこぞって戦いを挑まれた大河はつい笑みを浮かべてしまった。
「よーし、かかってこいやー! 負けないぞー!」
 楽しい事は楽しむべきだ。今、彼等と興じるこの時間は彼女にとって間違いなく楽しいものだった。
「さあ、今日はテトリスを持ってきたぞ!」
「あ、僕達はロックマンX2持ってきたよ!」
「それは勝敗がつかんだろう」
「えー、わたしもそれやってみたいなー!」
「イリヤが望むなら」
「聖杯戦争ってなんだっけ……」
 アーチャーもまた、少しだけ昔を思い出して微笑んだ。
 こうして、サーヴァントを交えた団欒が嘗て彼の家にもあった。
 昨夜のランスロットとの戦いで消費した魔力を回復する必要もある。今日の夕食は豪華にしよう。アーチャーは腕によりをかけた。

第十二話「死神動く」

 歴史に名を馳せた英雄達がゲームの勝敗に一喜一憂する。そんな楽しくも奇妙な時間も終わりを迎えた。
「まさか、本当にゲームをするだけで終わるとはな……」
 ライダーとセイバーが空の彼方へそれぞれの騎乗宝具で消えた後、アーチャーは疲れたように呟いた。
「……お前はどうするんだ?」
 ウェイバーは唯一居残っているアーチャーを警戒している。
「そう構えるな。私もマスターが眠ってしまったからね。ここらでお暇させてもらうよ」
 大河はアーチャーの背中で静かに寝息を立てている。彼女を起こしたくない。それに、ここでコンカラーと事を構えても旨味がない。
 見た目は荒事など無縁な美少年だが、その正体はアーサー王と勝るとも劣らない知名度を持つ大英雄。
 彼は以前の戦いで黒馬に騎乗していた。あれが恐らく彼の宝具だろう。だが、それ以外の宝具を持っていないという確証は無い。|征服者《コンカラー》というイレギュラーなクラスで召喚された事も分析を困難にしている。
「では、君も今宵は休むといい。いろいろ……、疲れただろ?」
「……ああ」
 アーチャーは大河を背負い、昼間買った物を手に夜の街を歩いた。
「……むにゃ、アーチャー。えへへ、勝ったよー」
 背中で寝言を言いながら幸せそうな笑みを浮かべるマスターにアーチャーは頬を緩ませた。
「藤ねえはやっぱり強いな」
 トランプや麻雀みたいなポーカーフェイスがモノを言うゲームには滅法弱いが、スゴロクゲームや格闘ゲーム、レースゲームで彼女に勝てた事は一度もない。
 別にルールの裏をついたり、周到な策略があるわけじゃない。純粋に強いのだ。まさに天賦の才というヤツだろう。
「まさか、英雄王やセイバーにまで勝つとはな」
 アーチャーは歩きながら過去に浸っていた。良くない事だと思いながら、それでも彼女との思い出を振り返ってしまう。
 幼い日、義父に連れて来られた武家屋敷。その隣家に住んでいて、ちょくちょく遊びに来る女性に最初は振り回されっぱなしだった。
 とにかくパワフルで、優しくて……。
「……藤ねえ」
 そういえば、屋敷の蔵や彼の部屋には彼女が持ち込んだガラクタが山のように積み重なっていた。おもちゃや雑誌、健康器具、よく分からない置物。
 特にこれといった趣味もなく、物を増やす必要性を感じない彼の部屋が空虚だった事は一度もない。殺風景だと知人によく言われたものだが、とんでもない。彼だけなら、殺風景どころか伽藍堂になっていた筈だ。
 部屋は己を映す鏡。からっぽな彼の部屋は空虚になりがちで、それを彼女は我慢出来なかったのだろう。
 度々、遊園地や山に連れて行かれた事もある。それも全て、彼の心を満たしたいから……。
「……ごめんな」
 彼女はからっぽだった彼に色々なものを与えてくれた。なのに、何も返してあげる事が出来なかった。
「……ん、アーチャー?」
「む、起こしてしまったか?」
 つい零してしまった言葉を聞かれたかと焦るアーチャー。すると、大河は彼の頭を優しく撫でた。
「よくわかんないけど、元気だしてね」
「……ああ」
 再び寝息を立て始める大河。
 アーチャーはその背に感じる重みを噛み締めた。
 彼女を不幸にしてはならない。
 彼女を泣かせてはいけない。
 彼女の為にも負けるわけにはいかない。
 悔いている暇などない。
「ーーーー安らかに眠る主を守りきれるか?」
 漆黒に濡れた鎧を身に纏う禍々しき騎士がその手に魔剣を握り襲い掛かって来た。
「|投影開始《トレース・オン》」
 虚空に浮かび上がる三本の剣。それぞれが尋常ならざる魔力の篭った宝具である。
 だが、魔剣の一振りはそれらを容易く打ち砕いた。
「ほえ!? な、何事!?」
「すまない、マスター。敵が現れた」
 三本の宝剣が創り出した刹那の一瞬、アーチャーは真横に跳躍した。その反動で大河は目を覚ます。
 すまなそうに謝りながら、アーチャーはその魔剣を解析する。
 |無毀なる湖光《アロンダイト》ーーーー、嘗て、最高の騎士と謳われたサー・ランスロットが握っていたとされる聖剣。その実力はかの騎士王すら上回るという。
「……なるほど、最悪だな」
 主を背負った状態ではまともに交戦する事など出来ない。だが、彼女を降ろすわけにもいかない。相手の殺意は彼だけではなく、彼女にも向けられている。隙あらば、ヤツは迷うことなく大河を殺す。それが分かるからこそ、アーチャーは憎悪に満ちた表情を浮かべる。
「|投影開始《トレース・オン》」
 眼前まで迫る魔剣の前に十を超える聖剣魔剣を並べ立てる。それすら逃げる為の一瞬を稼ぐ事で精一杯。一瞬にして粉砕されてしまった。
 だが、それで十分。此方の目的は無傷での撤退。その為の準備は整った。
 アーチャーが逃げ込んだ場所は以前の戦いでセイバーとライダーによって破壊されたビルの傍。ここは昼間でも聖堂教会の手で人避けがされている。
「|投影開始《トレース・オン》」
 魔剣士が迫る寸前、創り出せるだけの魔剣をバラ撒く。それらが魔剣士によって砕かれる寸前、アーチャーは背後のマンホールに飛び込んだ。
 瞬間、光と音が炸裂する。
「ーーーーI am the bone of my sword」
 その光はアーチャーと大河にも襲い掛かる。
「■■■■■■■■■――――!」
 音が彼の声をかき消すが、その手の先に十字の光が溢れ出す。
 嘗て、戦い抜いた聖杯戦争で一人のサーヴァントと出会った。これは彼の英雄の持つ、彼女達の誇りを具現化したもの。 
 投擲宝具に対してならば、アイアスに一歩劣るが、邪悪な力に対してはいかなる守護をも凌駕する。
 魔剣が内包する膨大なマイナスのエネルギーの発露。その爆発的な力の波動から十字は二人を守りぬく。
 そのまま、上水道に落ちると、アーチャーは全速力で移動した。並のサーヴァントなら三度は殺す程の破壊力だが、それでも安心は出来ない。
 なにしろ、相手は騎士王を上回る怪物だ。
「しっかり捕まっていろ!」
「う、うん!」
 
 ◇◆◇

 アーチャーが立ち去った後、アヴェンジャーは動く事が出来なかった。
 間近でAランクオーバーの宝具による《壊れた幻想》が発動し、無事で済む筈がなかった。それでも、命を繋ぎ止める事が出来たのは彼の英霊としての破格のスペックを宝具によって更に向上させた結果に過ぎない。
 もっとも、ダメージは甚大だが、追う事は出来るし、二度も同じ徹は踏まない。余力だけでも十分に二人を殺す事が出来る。
 動けない理由は他にある。
「ーーーーあれは。ヤツが何故……?」
 アーチャーが発動した宝具。それは彼にとってあまりにも馴染み深過ぎるものだった。
 その疑問が彼の追跡の足を止めた。まるで、自らの罪を目の前に突きつけられているような気分だった。
「ほう、騒がしいと思って来てみれば」
 立ち尽くす彼の下に新たな殺意が現れる。赤と黄の二槍を構え、美貌の英雄が立っていた。
「負傷しているとはいえ、サーヴァント同士が出会った以上は戦うのが|運命《さだめ》。いざ、尋常に勝負!」
「……ッハ、舐めるな!」
 激突する二騎のサーヴァント。
 彼等を見つめる目が一つ。
 そして、その目を見つめている者が一人。
「ーーーーさて、まずは一人目だ」
 戦場から少し離れた場所にあるホテル、そこから更に遠く離れた高台で双眼鏡を覗きこむ男の呟きと共にホテルが揺れる。
 従業員や宿泊客も大勢眠っている筈のホテルが赤く燃え、崩れていく。
 幾百の悲鳴が轟き、戦いに集中していたランサーも驚愕に目を見開く。そこをアヴェンジャーは見逃さない。
 何者かに爆破されたホテル。多くの人命が失われた。にも関わらず、首謀者の標的は銀の流体に守られて生き延びた。だが、彼の手の甲から赤い光が失われた。
「戦いの最中で余所見などするな、戯け」
 一人目の脱落者はあまりにも呆気なく敗退したーーーー。

第十一話「アーチャー死す! デュエルスタンバイ!」

――――聖杯戦争。それは万能の願望機たる《聖杯》をめぐる魔術師同士の血塗られた戦いである。
 彼等は各々サーヴァントを召喚し、使役し、|戦《いくさ》に臨む。
 七人のサーヴァントとそれを使役するマスターは最後の一組になるまで戦い続けなければならない。
 今また、聖杯を巡り、サーヴァント同士の熾烈な戦いが始まろうとしていた……。

「ハーイ、それでは! 第四次サーヴァント大激突! チキチキ、聖杯戦争を始めたいと思いまーす!」

 緊張感に包まれた室内。戦いはイリヤスフィールの開戦の合図によって幕を開いた。
 それぞれ、持ち得る所持金は1000万円。彼等はその限られた資産を元手にあらゆる手段を尽くして財を為さなければならない。
「こんばんはー! 司会のイリヤスフィールでーす!」
 華やかな笑顔で茶菓子を抓みながら戦いの行く末を見守っているマスター達とマッケンジー夫妻に挨拶をするイリヤスフィール。
「いよいよ始まりました、第四次聖杯戦争! 今回はココ! マッケンジー邸からお送り致します!」
 凄いテンションだ。実に楽しそうだ。
 ウェイバーは思った。
――――もう、何もツッコむまい。
 マッケンジー夫人が淹れてくれた渋めの緑茶を啜りながら決意を固めた。
「ッフ、この我に挑んだ事、後悔させてやるぞ雑兵共!」
 ギルガメッシュ……とは文字数の関係で入力出来なかったギル社長が他を挑発するように言った。
「あはは、そういう事言ってるヤツに限って負けちゃうんだよねー」
 アレクサンダーもアレクサンドロスもイスカンダルさえ入力出来ず、泣く泣くせいふく社長になった彼は腹いせとばかりに小馬鹿にしたような態度でギル社長を煽る。
「そもそも、貴様が誘ってきたんだろうが……」
 デフォルトのうらしま社長で妥協した弓兵は疲れたように言った。
「……ところで、これから我々は何をするんだ?」
 そもそも何故ここに現れたのかが一切不明のライダーは困惑の表情を浮かべている。
「さっきから言っているだろう、桃太郎電鉄だ!」
「だから、そのモモタロデンテツとはなんなのだ?」
「君は呼ばれた理由も知らずについて来たのか?」
 うらしま社長が問う。
「我がマスターの望みだ」
 そのマスターは他のマスター達とお菓子を摘み始めている。
「……テレビで見て、一度やってみたいと言っていたのだが」
「ライダー! 負けちゃダメだからね!」
 イリヤスフィールは敵マスターである筈のタイガの膝の上で両手を上げて言った。
「い、いいのか、あれは?」
「構わない。彼女に手を出せば、死ぬのは貴様等のマスターの方だからな」
「なに……?」
 彼女の発した不穏な言葉にうらしま社長は険しい表情を浮かべる。
「おっと、乱痴気騒ぎは許さんぞ。今宵、闘志は全てコレに捧げてもらう」
 睨み合う二人にギル社長がコントローラーを掲げて言う。
「……との事だ」
 肩を竦めるライダーにうらしま社長は空恐ろしいものを感じた。
 違う。彼が知っている彼女ではない。見た目の違い以上に決定的ななにかがある。
 タイガには一定ランクまでの魔術や呪詛を退ける首飾りを渡してあるが……。
「おい、無駄な事は止せ」
 ライダーが言った。
「貴様がマスターの下へ行こうとしたら、その瞬間に貴様の首を断ち切るぞ」
 それが冗句の類では無い事は冷徹な眼差しが示している。そして、その時、彼では彼女の一撃を防ぐことなど不可能である事も彼には理解出来てしまった。
 彼女がここに来た理由。それは発言通り、|マスター《イリヤ》が望んだからなのだろう。そして、それを許した理由は一つ。
 ここに居る三体のサーヴァントを同時に相手取ったとしても、確実にマスターを守り切る自信があるからに他ならない。
「……乱痴気騒ぎは止せと言った筈だが?」
 セイバーが苛立ちに満ちた声を上げる。
「ただの警告だ。それより、さっさと始めようじゃないか。その……えっと、モモタロデン……テツ? とやらを」
「桃太郎電鉄だ!」
 一見おちゃらけて見えるが、これは間違いなく聖杯戦争だ。
 一歩間違えればマスター共々殺される。死にたくなければ、戦うしかない。
「アーチャー! 頑張って!」
 タイガの声援に彼は親指を上げて答えた。

 ◆

「ふざけるな!!」
 セイバーの怒声が轟く。
「貴様、またしても我の物件を!!」
「あはは。もうかりまっカード。もう一枚!」
「やめろぉぉぉぉ!!」
 現在、八十九年目の十月。戦いはヒートアップしていた。
 インフレにつぐインフレによって、社長達の資産はほぼ全員億を超え兆の領域に達している。
 神懸ったサイコロの出目やカード他によって首位はギル社長。だが、彼の|黄金率《スキル》に対して、未来の征服王は名前に恥じぬ征服振りを披露した。
 次々に繰り出される《のっとりカード》、《もうかりまっカード》がギル社長の所有する物件を彼色に染め上げる。
「……また現れたな銀次」
 総資産ぶっちぎりの最下位であるうらしま社長は何度も何度も現れるスリの銀次に溜息を零す。
 何故か他の社長の下へは現れず、資産三桁の彼を狙い撃ちだ。
「……とびちりカード」
「このクソ野郎!!」
 そこへライダーがとびちりカードを発動。幸運A+のライダーの一撃が幸運Bのギル社長にアレの包囲網を敷く。
「……ック、なんという光景だ」
 うらしま社長は嘗て憧れた少女がアレを全国にバラ撒く光景を見て、密かに傷ついた。
「ええい、動けなくともカードは使える! ぶっとびカードだ!」
 ホールインワン。最強の英雄は運命さえ味方にした。
「フハハハハハッ! これが我と貴様等雑兵との格の違いというものだ!」
「今更目的地に入ってもねー。よし、これで東京の物件全部乗っ取り完了っと」
 せいふく社長は元の値段よりも安く相手の物件を買い取れる《もうかりまっカード》で着々とギル社長の物件を征服していく。
「こんどはキングデビルだと!?」
 うらしま社長は泣きっ面に蜂状態。
「今ので移動カードは尽きたな。よし、二枚目だ」
 またしても全国にアレが降り注ぐ。ギル社長の周囲四マスにもプヨヨンと落ちてくる。ついでにうらしま社長の周りにも降り注ぐ。
「―――き、貴様等ァァァァァァ!!」
「クソッ、私の所にまで……」
 そうして年数が重なっていく。
 ついに到達した九十九年目。戦いは三竦み状態。ちなみにうらしま社長はキングボンビーとキングデビルの集団を引き連れ火の車状態だ。
 物件数ではせいふく社長が優勢だが、総資産ではまだギル社長に分がある。だが、妨害カードで二人に追い縋ってくるライダーも油断ならない。
 火花散る闘争。
「冬眠カードだ」
 ライダーの放った一撃にギル社長が言葉を失う。
「まさか、ここでソレを!?」
 青褪めるせいふく社長。
「貴様にも冬眠カード」
 最後の一年。二人は何も出来ない状態に陥った。
「いくぞ、たいらのまさカード」
 ライダーを除く三者の頭に雷鳴が轟く。
「ま、まさか、貴様!?」
「こ、この時の為にアーチャーを追い詰めたのか!?」
「ひ、ひどい」
 たいらのまさカードは全員の持ち金を文字通り平らにする。
 借金地獄の者には救いを、億万長者には苦痛を与える恐怖の一枚。
 全員の金額が一気に均一化される。それでも辛うじて億を残す事に成功したギル社長とせいふく社長は次なるライダーの一撃に表情を凍りつかせる。
「いくぞ、マルサカード」
 総資産の四分の一を徴収する|魔のカード《ジョーカー》がついに切られた。しかも、元大金持ち二人にそれぞれ二枚。
 一気に赤文字の世界へ落とされた二人は売り飛ばされていく自らの物件を切ない表情で見つめた。
 そして、三月が到来。勝者はライダーに決まった。
「……ッフ、この程度か」
 嘲笑するライダー。三人の敗者は言葉も出なかった。
 己の黄金率に奢り、只管金策に走り続けたセイバー。
 他人の物件を乗っ取る事ばかりに集中していたコンカラー。
 延々と底辺で転がり続けたアーチャー。
 常に策略を練り、必勝を見据えていたライダーの敵ではなかった。
「もう一度だ……」
 セイバーは声を震わせながら言った。
「もう一度勝負しろ!!」
「構わんぞ。何度でも打ち負かしてやろう」
 ライダーはやれやれとばかりに肩を竦める。
「……私は」
「あ、貴様はもういいぞ。弱過ぎて相手にならん」
 辛辣過ぎるセイバーの言葉にアーチャーは切ない表情を浮かべた。
「ア、アーチャー、元気を出して!」
「タイガ……」
 タイガはアーチャーの手を握ると、セイバーを睨んだ。
「なんだ、小娘。自らのサーヴァントを蔑まれた事が不服か?」
「不服だよ! アーチャーの仇はわたしが討つ!」
「……っふ、その意気や良し! いいだろう、挑むがいい。だが、小娘如きが英雄共の跋扈する|戦場《ももてつ》で果たして生き残る事ができるかな?」
「あはは。手加減してあげるべきかな?」
「受けて立つ!!」 ◇

 数時間後、そこには打ち拉がれる英雄達の姿があった。
「……ライダー。なんか、がっかり」
「ウグッ」
「コンカラー。お前、あれだけ大口叩いといて……」
「……はは、僕はまだまだ未熟なんだね」
 勝者の少女は自らの従僕に勝利の栄光を捧げる。
「勝ってきたよ、アーチャー」
 まるでゲームシステムそのものが彼女の為に動いているかの如く、全ての要素が彼女を勝利に導いた。
 その圧倒的な強さにアーチャーは微笑んだ。
「……ああ」
 なんで、聖杯戦争中にゲーム大会なんてやってるんだろう、オレ達……。
 唯一生前もゲームに慣れ親しんでいた筈の近代の英雄の癖にボロ負けしたアーチャーの心の叫びは誰に聞かれる事もなく、彼に虚しさだけを与えて消えた。 

第十話「バカだ! バカがいるッス!」

 どちらも動くことが出来なかった。夕暮れ時とはいえ、周囲には大勢の人がいる。アーチャーの見た目と緊迫した雰囲気につられて徐々に増えてきてさえいる。
「なになに、女の子の取り合い?」
「うっわー、どっちも外国人?」
「あっちの人、カッコいい!」
「えー、白髪じゃん。結構歳かもよ?」
「えっ、あの女の子、どう見ても高校生くらいよね? つ、通報するべき?」
「あっちの子、結構可愛くない?」
「女の子みたい!」
「あれって、藤村さんじゃない?」
「嘘でしょ。あの冬木の虎に彼氏!?」
 気が付けば人だかりが出来上がっていた。
「お、おい……」
 少年は意を決した様子で口を開いた。
「場所を移さないか?」
「……そうだな」
 アーチャーもその意見に賛成だった。このままでは戦う云々以前の問題だ。どうやら、タイガの事を知っている者も居るらしく、このままでは情報が駄々漏れだ。
 だが、一つ問題がある。
「……取り囲まれているな」
 取り巻きの殆どが女性で、色恋沙汰に色めき立っている。これでは身動きが取れない。なんという食いつきの良さ。まるでピラニアだ。
 というか、通報しないで欲しい。アーチャーは切に願った。曲がりなりにもサーヴァントが警察に捕まるなどあってはならない。他のサーヴァント達に示しがつかない。
「――――ほう、こんな場所にサーヴァントがいるとはな」
 突然、頭上から降り注いだ声に少年はビクリと体を震わせた。その声に聞き覚えがあったからだ。
 だが、すぐに首を傾げた。ここはデパート。別に吹き抜けではなく、少し高いとはいえ、頭上には普通に天井がある筈だ。
「ん? んん!?」
 声の方に顔を向けると、何故か神輿に乗ったセイバーがいた。
「……え?」
「え、神輿? え?」
 アーチャーとタイガも目の前で起きている事に理解が追いつかない。
 野次馬根性全開の取り巻き達も目を点にしている。
「ふっふっふ、なんだ? その惚けた反応は! 英雄王の凱旋であるぞ! ええい、頭が高い! 控えぃ! 控えおろう!」
 少年を除く全ての人間が察した。
――――あ、この外国人、時代劇を見たな。
 実に愉しそうに神輿の上でふんぞり返っている。
 神輿の下では見覚えのある学生服を来た男子十人が汗を流しながら「ワッセイ! ワッセイ!」と叫んでいる。
「……な、何してるの? 零ちゃん」
「おお、三代目!」
 どうやら、タイガの知り合いが混じっていたようだ。
「いや、この方が神輿を見たいと言うのでな。祭り用の神輿を出したのだが、乗ってみたいと言うのでね。こうして、友人達と担ぎ上げている次第だ」
 言っている言葉の意味が分かるが全然理解出来ない。
「いやいや、神輿って人が乗っていいものなの!?」
「はっはっは! 小娘よ、教えておいてやる」
 英雄の中の英雄、王の中の王……である筈のバカは言った。
「神輿とは神が座する騎馬なのだ。故にこの我が乗る事は至極当然の事なのだ!」
「……という事だそうだ」
「へー……そうなんだー」
 呆気に取られるタイガ。
 アーチャーと少年は呆れたような表情を浮かべている。
――――このバカは何を言ってるんだ?
 二人の心は一つだった。
「で、でもでも、デパートに神輿で入るのは店の人に迷惑なんじゃ……」
「案ずるな。このデパートの経営権ならさっき買い取った!」
 そう言って、セイバーは近くの家電量販店を指差した。
 その店頭に置かれたテレビでお昼のニュースが流れている。冬木市のローカル番組《冬木ニュース》。
 キャスターの男が原稿を読み上げている。
「たったいま入ったニュースです。冬木市内の大型デパートのオーナーが今日付けで替わり、名称も変更される事になりました。新しい名称は《ギルガメッシュ》というものだそうで、これは古代メソポタミア文明の――――」
 開いた口が塞がらない。
「つまり、このデパートは我の物だ! 従って、神輿で入場しても何の問題も無い!」
「嘘だろ、お前!?」
「何やってんだ!?」
 少年とアーチャーは同時に叫んでいた。
「え、神輿でデパートに入りたいからデパートを買ったって事?」
「逆だ。デパートを買ったから、その祝いに神輿で行進している最中だったのだ」
「じゃ、じゃあ、どうしてデパートを買ったの?」
「知れたこと。……我はこの時代をいたく気に入ったのだ」
「え?」
 セイバーは語りだした。
「――――漫画、ゲーム、アニメ、玩具! この時代の人間が創り出した娯楽は実に素晴らしい! 週刊少年ジャンプなど、思わず聖杯に来週号を読ませてくれと願いそうになった程だ!」
「おいバカ止めろ!」
 どこまで本気なのか分からないが、そんな事に聖杯を使われるなど溜まったものじゃない。
「金なら腐る程あるが、いざ買いに行くとなるといろんな店をハシゴしなくてはならない。それは面倒だ。故に、このデパートを買ったのだ!」
「……えぇ」
 店ごと買い占める。誰もが一度は妄想した事がある筈だ。だが、それを実戦する馬鹿野郎はそうそういない。
 しかも、それをデパートで……。
「――――ん? んん!? おい、小僧。その手に持っている物はなんだ?」
 呆れていると、セイバーは神輿から飛び降りて、少年の荷物を奪い取った。
「お、おい、それはコンカラーに頼まれた物で……」
「コンカラー……、あの小僧か。っふ、《スーパーファミコン》を買うとは……」
 セイバーは神輿に向き直った。
「神輿はもう良い。撤収せよ! これが給料だ」
 そう言って、零観に分厚い札束を押し付けるとセイバーは輝くような顔で少年達に言った。
「さあ、行くぞ!」
「どこに?」
「決まっていよう。貴様らの拠点へだ!」
「いやいやいやいやいやいやいや」
「マッケンジー邸だったな。さっさと行くぞ! おい、アーチャー! 貴様も来い!」
「なんで知ってんの!?」
「我は全知全能なのだ。分かったら黙って歩け! ウェイバー・ベルベット!」
 答えになってない。ウェイバーは真っ青な顔で喚き立てるが、「やかましい」と殴られ、アーチャーに向かって放り投げられた。
「担いでこい」
「……あ、ああ」
 流されていいものか迷ったが、下手に逆らい戦闘になるのもまずい。
 アーチャーは気を失った気の毒な敵マスターを抱えながらセイバーの後を追った。
「キャー、お姫様だっこよ!」
「なんか耽美ー!」
「っていうか、あっちの神輿王子も超イケてない!?」
 周囲の声から必死に意識を逸らす。聞いていると心が折れそうになる……。

 ◇

 マッケンジー邸に到着した頃には空はすっかり暗くなっていた。
 家主に断りもなくズカズカと家の中へ入って行くセイバー。
「お、おい! ちょっと待てよ!」
 ウェイバーが慌てて後を追う。アーチャーとタイガは顔を見合わせた。
「つ、ついて来ちゃったけど、どうする?」
「……あの様子では戦いにはならないと思うが」
 アーチャーは首をひねった。
 彼の知る英雄王も常人離れした性格だったが、あのセイバーも中々のものだ。
「悪い人じゃないっぽいけど……、変わった人っぽいね」
「ああ、そうだな」
 あの英雄王が道化を演じるとは考えにくい。つまり、アレは恐らくヤツの素だ。
「我々も入ろう」
 虎穴に入らずんば虎児を得ず。完全無欠最強無敵の英雄王だろうと、勝たなければいけないのだ。
 降って湧いた戦闘以外での接触の機会。少しでも情報を引き出してみせる。
 アーチャーは気を引き締めて玄関の扉を潜った。
「お邪魔します」
「お、おじゃましまーす」
 二人が入ると、階段の上を見上げていた老婆が「あらあら」と頭を下げた。
「今日はお客様がいっぱいね。ウェイバーちゃんったら、友達を呼ぶなら連絡してくれればいいのに。ゆっくりしていってちょうだい」
 そう言って、キッチンの方へ老婆は歩いて行った。
 階段を登ると、扉が一箇所開いていた。中に入ると、あの赤髪の少年とセイバーが睨み合っていた。
「……さて、始めようか」
 両者の間には不穏な空気が漂っている。
「な、何が始まるの……?」
 タイガは不安そうに呟いた。
「まずは桃太郎電鉄で勝負!」
「乗った!」
 セイバーはスーパーファミコンのカセットを掲げた。
 そこには《桃太郎電鉄Ⅱ》と書いてある。
「……っと、これは四人対戦が可能だったな。我と貴様、そして、アーチャー。後一人……、少し待っていろ!」
 そう言って、セイバーは窓から外に飛び出していった。
「え!? お、おい、どこに!?」
 どこからか取り出した黄金の船で空の彼方へ飛んで行くセイバー。
「フ、フリーダム過ぎるだろ、アイツ……」
 ウェイバーは頭を抱える。
「っふ、王として、あの奔放さは見習うべきかもしれないね」
 赤髪の少年はクスクスと笑った。
「……うわぁ」
 その笑顔にタイガは見惚れてしまった。
「あ、あの!」
 ズンズンと近づいていき、タイガはその手を握る。
「お名前を教えて下さい!」
「お、おい、何してるんだ!?」
 アーチャーは慌てて二人を引き剥がしたが、タイガはジタバタ暴れながら赤髪の少年に近づこうとする。
「これは魅了か!? 貴様……ッ」
 タイガに投影した対魔力を持つ小さな首飾りを掛けながら、アーチャーは少年を睨みつけた。
 その眼光を受け流し、少年は魅惑的なほほえみを浮かべる。
「ふふ、君のマスターも可愛いね。けど、ちょっと無防備過ぎるな。言っておくけど、僕は悪くないよ? ただ、顔が良すぎるだけだもの」
「あれ……、わたし、今どうしたんだっけ……?」
 首飾りの対魔力の効果で魅了の効果が遮断され、タイガは正気を取り戻した。
 当惑するタイガに少年は微笑みかける。
「はじめまして、お嬢さん。僕は僕はアレキサンダー。アレクサンドロス3世でもいいよ。勿論、他の名前でもね」
「アレキ……サンダー……?」
「お、おい! おいおいおいおい! 何をいきなり名乗ってるんだ!?」
 あっさりと真名を明かしたアレキサンダーにアーチャーが驚くよりも早く、ウェイバーが絶叫した。
「何をって、名前を聞かれたから答えたまでさ」
「いやいや、敵だぞ! この子もマスターで、僕達の敵なんだぞ!?」
「あはは。プリプリしないで落ち着きなよ、マスター。ほら、リラックスリラックス」
「お前のせいだぁぁぁぁ!!」
 ウェイバーが叫ぶと同時に部屋の中に二つの影が飛び込んできた。
「待たせたな! 四人目を用意したぞ!」
 セイバーが言った。彼の隣には見覚えのある女性が幼子を抱えて立っている。
「って、ラ、ララ、ライダー!?」
 ウェイバーはムンクの叫びのようなポーズを取って悲鳴を上げた。
 そこにはセイバーと激戦を繰り広げたライダーの姿があった。
「あはは、変なかおー」
 彼女に抱えられている白い髪の少女はケタケタと笑った。
 その少女を見て、アーチャーは言葉を失った。
 彼女もまた、彼の記憶に色濃く刻まれた人物の一人。姿形も彼の記憶と殆ど変わりない。
 イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。彼の生前の義姉は彼の生前の相棒に抱かれ、満面の笑顔を浮かべていた。
「では、今度こそ始めるとしよう。《桃太郎電鉄》を!」
「……どうしてこうなった?」
 ウェイバーの呟きが虚しく響いた。

第九話「こ、これってデートッスか?」

 昨夜の戦いで七騎中の四騎を捕捉する事が出来たが、アーチャーの顔色は芳しくなかった。彼は解析の魔術によって彼等の正体を正確に見破っていた。それ故に絶望的な気分に陥っている。
 特にセイバーとライダーは最悪だ。
『……見た目は違うが、あれは間違いなく|英雄王《ギルガメッシュ》と|騎士王《アルトリア》だ。しかも、明らかに私が知る彼等よりも強い』
 生前体験した聖杯戦争で彼は彼等と出会っている。片や敵として、片や相棒として戦った。
 ギルガメッシュにあそこまでの武勇は無かった筈。無数の宝具を繰り出す|王の財宝《ゲート・オブ・バビロン》や世界を引き裂く|乖離剣《エア》だけでも厄介だと言うのに、唯一欠けていた白兵戦能力まで有しているとなると手がつけられない。
 アルトリアにしても、宝具は|聖剣《エクスカリバー》と|風王結界《インビジブル・エア》だけの筈。それがライダーとして現界した為か、|騎乗宝具《ラムレイ》まで持ち出している。それに召喚の触媒に使われた|聖剣の鞘《アヴァロン》もある筈だ。破壊力抜群の大軍宝具に抜群の機動力、更に究極の絶対防御まで持っている。
『どうしろと言うんだ……ッ! ランサーとあの赤髪のサーヴァントだけならやりようもあるが……。あの二人に関してはお手上げだ』
 英霊となった今でも彼等との実力は天と地ほどもある。必殺を見込んだ|偽・螺旋剣《カラドボルグⅡ》も完璧に防がれてしまった。あれ以上の高火力となると、それこそ|彼女《アルトリア》の聖剣を持ち出すほかないが、ただでさえ消滅覚悟で挑まねばならぬ上、今の魔力供給を受けられない状態では生成途中で力尽きてしまう。
 かくなる上はマスターを狙うしかないが、それも容易では無かろう。
 出来れば潰し合ってくれると助かる。幸い、アルトリアはギルガメッシュの暴虐を食い止めようと動いてくれそうだ。そこで上手いこと事を運べば……。
『……しかし、大きかったな』
 彼の知る彼女はもう少し慎ましやかな体つきだった。
『って、何を考えているんだ! ええい、煩悩退散! そうだ、セイバーはあの体つきだからいいんじゃないか! ボンキュッボンなセイバーなど……って、いやいや』
 あの体つきは衝撃的過ぎた。一体、何があったらああなるのかさっぱり分からない。そもそも、アルトリアは聖剣を抜いた日から成長が止まっている筈。
 あんなナイスバディーになれるわけがない。
『偽物か! ……いや、エクスカリバーにアヴァロンにラムレイ持ってて偽物は無いか』
 アーチャーがけしからんわがままボディで登場したアルトリアの事で悶々としていると、マスターの声が聞こえてきた。どうやら、彼を呼んでいるようだ。
「――――どうした、タイガ」
「あ、いたいた! 実は必要な物があって買い物に行かなくちゃいけなくて……」
 今、二人は藤村雷画が所有する物件の一つに身を寄せている。藤村組を極力巻き込まない為だ。
 新都の少し外れにある一軒家で、生活に必要な物は揃えられていた筈。
「そのくらいなら私が買ってくる。今、街は非常に危険な状態なんだ。君を無闇に外出させるわけにはいかない」
「で、でも……」
 何故か、大河は顔を赤らめた。
「どうしたんだ? まさか、風邪か!? そ、それはいけない。今直ぐベッドに――――」
「ああいや、違うッス。あの……その……」
 歯切れの悪い大河にアーチャーは首を傾げた。
「風邪じゃないならどうしたんだ?」
「あーもう、ニブチン!」
 大河はぼそぼそと小声で買いに行く品の名称を口にした。途端、アーチャーの顔も真っ赤になった。
 そして、真っ白になった。
「あ……そ、そうだな。必要だな。う、うん、仕方無いな」
 女性の体質上避けようのない事態だ。だが、家族同然の女性のそういう部分をあまり知りたくなかった。いや、使っているに決まっているのだが、想像出来なかった。
「さすがにアーチャーにもどれを買えばいいかとかは……」
「分かる筈ないだろ!!」
 家事全般をつつがなくこなすアーチャーにも出来ない事や知らない事は山程ある。
「……分かった、商店街に行こう。だが、くれぐれも用心してくれ。薬局……、でいいのか?」
「……ッス」
 
 ◆

 徒歩十分の場所にある出来たばかりのデパートを二人は歩いている。
 瞬時に対応が出来るよう、アーチャーも実体化した状態だ。長身かつ、白髪かつ、褐色の肌。目立つ事この上ない容貌のアーチャーに道行く人々の視線が突き刺さる。
「……ううむ、そこまで私の顔は変なのか?」
「変というか……、変わってるのは間違いないッスね」
「……それを変というのだよ、マスター」
 ガックリと肩を落とすアーチャーに大河は苦笑いを浮かべる。
「でも、かっこいいと思うッスよ?」
「え?」
 ちょっと嬉しそうなアーチャー。
「なんというか、ホストみたいで!」
「ホ、ホスト?」
 さっきよりも更に落ち込むアーチャー。
「……はやく、家に帰ろう」
 若干、泣きそうな顔で言うアーチャー。
「えっと……、ほら、元気出して欲しいなー! そ、そうだ! 美味しいパフェのお店があるの! そこ行ってみないッスか?」
 うなだれるアーチャーの背中を押しながら大河は言った。
「い、いや、君の安全の為にも寄り道をしている暇は……
「甘いもの食べて、嫌なこと忘れるッスよ! ホラホラ!」
 大河がアーチャーを連れ込んだのは今女性誌で話題沸騰中の人気カフェテリア。甘くて美味しいパフェが特徴のお店。
「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
「二人でお願いします!」
 席に案内されると、大河は自分とアーチャーの分のパフェを注文した。
「……君はいつも強引だな」
「えー、そうッスか?」
 本当に変わらない。悩んだり、困ったり、悲しんだりしている時、彼女はいつも強引に立ち直らせる。
「なんか、アーチャーの中のわたしって、大分失礼なイメージが固まってないッスか?」
 ジトっとした目で見られ、アーチャーは誤魔化すように咳払いをした。
「さて、何のことやら」
「あー、あからさまに誤魔化して!」
 騒いでいると、店員がパフェを運んできた。
 大河は何故かパフェよりも店員に視線を送っている。
「あー、やっぱり藤村じゃん!」
「オ、オトコ!?」
 ポカンという音と共に大河の頭に大きなコブが出来上がった。
「次、そう呼んだら殴るからね? ネコ! 私は蛍塚ネコ! ドゥーユーアンダースタン?」
「殴ってるじゃん……、既に!」
 アーチャーは彼女に見覚えがある気がした。遠い昔、会ったことがあるような……。
「それで、そっちのハンサムは誰なの? 彼氏?」
「ち、違うわよ! こ、この人はアーチャーっていって、それでえっと、うちで一緒に暮らしてるだけのアレなの!」
「同棲してんの!?」
「ち、ちが……わないけど、違うよ!」
「違わないんじゃん! うわー、零くんが泣くぞ、これは……」
「もう、違うって言ってるでしょ! このトンチンカン!」
「ト、トンチンカン?」
 段々、大河がヒートアップし始めた。ネコの方もまずいと感じたらしく、宥めようとするがうまくいかない。
「もう、怒った! おもてに出ろい!」
「あー……ちょっと、待て、タイガ」
 立ち上がろうとするタイガの腕を掴み、アーチャーは咳払いをした。
「喧嘩はよくないな。友達なんだろ? 仲良くするべきだ」
 内心、苦笑しながらアーチャーは大河を諭した。
 昔、同じ事をそっくりそのまま彼女に言われた事がある。クラスメイトと喧嘩した時の事だ。
《士郎! 喧嘩はダメよ。友達なんでしょ? 仲良くしなきゃ!》
 大河は言葉を詰まらせると、渋々椅子に座り直した。
 その様子にネコは感心した様子を見せる。
「……あー、うん。からかって悪かったね、藤村」
「もういいよ……。それより、どうしてネコはこんな所でバイトしてるの? お店は?」
「今日は定休日。だから、知り合いの手伝いしてんのよ。っていうか、あんたこそ、こんな時間にこんな場所に居ていいわけ? 学校は?」
「へへーん。今は長期休暇中でーす。ちょっと前まで同じ学校通ってたんだから分かるでしょ?」
「そーだった、そーだった! いやー、学校辞めてそんなに経ってない筈なんだけど、忘れてるもんだねー」
 話に花が咲き始めた頃、店長がゴホンと咳払いをした。
「あ、いっけね。仕事に戻るわ。ゆっくりしていきなよ、藤村。それから、えっと……、アーチャーさん?」
「ああ、ありがとう」
 二人の会話を聞いている内にアーチャーは彼女の事を朧げながら思い出した。
 確か、彼女の実家は酒屋だった筈だ。そこで彼はバイトをしていた。
 色々と世話になった筈なのに忘れていた事を申し訳なく思う。大河とは学生時代からの親友同士で、急性アルコール中毒か何かを起こしたとかで自主退学したそうだ。
「ぅぅ……、なんかごめんなさい。もう、ネコのヤツ……」
「いや、構わないさ。それにしても、普段の君はそう喋るんだな」
 召喚された時から今に至るまで、彼女はいつも語尾に「ッス」という言葉をつけている。可愛らしいが、どうにも違和感がある。
「いや、アーチャーは一応年上なわけだし……」
 敬語のつもりだったのか……。アーチャーは少し驚いた。
「別に気にする必要はない。君が喋り易い口調で喋ってくれればそれでいいさ」
「……そ、そう? わかった! じゃあ、普通に話すね」
 ネコの置いていったパフェを食べながら、アーチャーは大河から色々な話を聞いた。
 聖杯戦争とは全く関係の無い、学校での生活や友達との事を……。
 彼の知らない藤村大河を教えてもらった。
 思いがけずのんびりとした時間を過ごした二人がカフェテリアを出た頃にはすっかり空が茜色に染まっていた。
「いかんな。暗くなる前に帰ろう」
 アーチャーは大河の手を引いて歩き出した。すると、近くのゲームショップの扉が開き、中から一人の少年が出てきた。
「――――ったく、どうして僕がこんな使いっ走りみたいな事を……。しかも、ゲームだなんて、くだらない」
 その少年を見た途端、アーチャーは険しい表情を浮かべた。少年の方も急に目を見開き、アーチャーを見た。
「サ、サーヴァント……?」
「え? どうして、その事を……」
 アーチャーは咄嗟に大河を背中に隠した。
「……マスター。敵が現れた」

第八話「なんだか怖いッス!」

 拠点である郊外の森に聳え立つ城に戻ったライダーは弾丸と化した自らのマスターを受け止め、抱きかかえた。
「おかえり、ライダー!」
「ただいまもどりました、マスター」
 雪のように白い髪。ルビーのような真紅の瞳。妖精のような愛らしい顔立ち。彼女がライダーのマスターだ。名前はイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。
 イリヤスフィールはライダーの返事が気に入らず、プクーっと頬を膨らませた。
「マスターじゃないよ! イリヤはイリヤだよ!」
 そんな愛らしい仕草にライダーは負けを認める。
「申し訳ありません、イリヤ。どうか、機嫌を直して欲しい」
「じゃあ、お馬さんになって!」
「仰せのままに」
 ライダーは四つん這いになると、イリヤを乗せて歩き出した。
「はいよー、ラムレイ!」
「ヒヒーン!」
 この可愛らしいマスターをライダーがアインツベルンの城から攫ったのが数日前の事……。

 ◇

 イリヤがサーヴァントを召喚した後、アインツベルンは大騒ぎになった。
 彼女の両親やアインツベルンの当主は揃って令呪を捨てろと迫った。父親にサーヴァントを預け、大人しくしていろ、と。
「イヤ! イヤったらイヤ! ライダーはわたしのライダーなの! キリツグにもあげないの!」
 だが、イリヤは譲らなかった。自分のモノを誰にも渡したくないという幼子にありがちな我侭を口にした。
 そして、他ならぬライダー自身がイリヤの主張を認めた。
「その通りだ。私のマスターは彼女であり、お前達ではない」
 アハト翁はやむなくホムンクルス達にライダーの制圧を命じた。ライダーさえ大人しくなれば、後はどうとでもなる。そう考えた。
 だが、サーヴァントにも比肩する力を持つ筈のホムンクルス達が束になってもライダーには敵わなかった。いや、敵にすらならなかった。
 |冬木市《大聖杯》から遠く離れた|異国《この》の地ではまともに|供給《うしろだて》を受ける事も出来ず、マスターからの|供給《しえん》だけでは現界を維持する事がやっとな筈。にも関わらず、ライダーは十全に力を発揮した。
 ライダーの内には竜の炉心と呼ばれる特殊な臓器がある。それは少量の魔力でも莫大な力を生み出す事が可能な魔力の増幅装置。それにイリヤの莫大な魔力が流れこむ事で現界はおろか、宝具の発動すら可能とした。
 加えて、本来サーヴァントに貶められた英霊の力は大幅に劣化する筈なのだが、ライダーは通常よりも劣化が抑えられていた。
 彼女の知名度が最も高い欧州で召喚されたからなのか、召喚者が|イリヤスフィール《聖杯》だったからなのか、召喚時に莫大な魔力を注ぎ込まれたからなのか、明確な理由は分からない。
 一つだけ、確かに言える事がある。それはアハト翁にとって完全な誤算であった事。
 複数の強力な宝具を持つ事自体は彼にとっても喜ばしい事だった。だが、彼女にはそれらの宝具と比較しても遜色のない強力なスキルがあった。
 それが《|死者行軍《ワイルド・ハント》》。
 ライダーは死者の霊や精霊を操る事が出来る。精霊としての側面を持つホムンクルスも例外ではなく、彼女達は一斉に彼女に傅いた。
 その光景を見て、アハト翁は愕然となる。自らが鋳造した|者達《ホムンクルス》が手元から離れていく。まるで、真に忠誠を誓うべき王を見つけたかのように……。
「さて、行きましょうか、マスター」
「うん! って、どこに?」
「我々の戦場へ」
 彼女は無数のホムンクルス達を引き連れて歩き出した。
「ま、待て、お前達!」
 アハト翁の叫びに耳を貸す者は一人もいない。鋳造中のホムンクルスと融合しようとしていた自然霊や廃棄された筈の者達もその軍勢に加わろうとしている。
「――――待て!」
 その行軍を止めたのは彼女のマスターの父親だった。
「何か用か?」
「イリヤを連れては行かせない!」
 そう言って、銃を構える姿は滑稽以外のなにものでもない。
「それでは私に傷ひとつつける事は出来んぞ、|魔術師《メイガス》」
「……僕はその子の父親だ」
 ライダーはおおまかに状況を理解していた。本来、召喚を行う筈だったのは目の前の男であり、イリヤがマスターになってしまった事は手違いである事を。
 それでも、一度契約を結んだ以上、他の者に仕える気はない。
「そこを退け」
「退かない!」
 睨み合う二人。その間に挟まれたイリヤは泣いてしまった。
 怖かったのだ。いつもと違う父親の顔、穏やかに接してくれたライダーの苛立つ顔が……。
 何者も泣く子と地頭には勝てない。なんとかあやそうとするが、ロクに子供の世話をした事がないライダーには難しかった。
 そこに一人の女が現れる。イリヤとそっくりな顔立ちの女がイリヤを抱きかかえ、頭を撫でた。
「大丈夫。大丈夫よ、イリヤ。怖くない。なーんにも、怖くない」
 すると、イリヤの涙は引っ込んだ。母親に抱きつき、切嗣とライダーを睨む。
「二人共怖い顔イヤ!」
「うっ……、すまない」
「わ、悪かったよ、イリヤ」
 揃って頭を下げる二人にイリヤは憤慨した様子のままだ。
「……えっと、とりあえず落ち着かない? イリヤも、切嗣も、ライダーも。ほら、お茶でも飲みましょう」
 イリヤの母、アイリスフィールの提案に二人は渋々頷いた。

 ライダー達が話し合いをしている最中、アハト翁はホムンクルス達への命令権を奪い返そうと画策したが、悉く失敗し、その果てに地下室で幽閉されてしまった。
 その事をライダー以外が知らぬまま、話は進んでいく。
 イリヤとライダーを説得する為に切嗣は賢明に言葉を重ねた。彼のこれまでの人生の中でこれほど多くの言葉を喋った記憶はない。それ程、必死だった。
「イリヤは魔術の事を何も知らない。戦いに参加する事は――――」
 だが、イリヤはいつの間にか眠ってしまい、聞いていたライダーの表情も冷め切っていた。
 言葉が尽きてきた頃を見計らい、ライダーは言う。
「言いたい事はそれだけか?」
「なっ……」
 気付けば夜が明けていた。数時間にも及ぶ説得は何の成果も挙げられなかった。
 ライダーはイリヤ以外の主を持つ気などなく、目を覚ましたイリヤも切嗣とアイリスフィールが何を言っても譲らない。
 その後も切嗣の怒声が何度も響き、最後には涙を流して懇願までした。それでも、二人の意思は少しも揺らがなかった。
「話がそれだけなら、私達は行く」
「ま、待ってくれ!!」
 娘を連れ去ろうとする女に切嗣を縋った。
「……キリツグとやら。貴殿がマスターの身を案じる気持ちは分かった。ならば、ついて来るがいい。元よりマスターには傷一つ負わせる気など無いが、それならば安心出来よう」
 結局、マスター権はイリヤが維持したまま、ライダー達は冬木に入った。冬の城の地下に当主を置き去りにしたまま……。

 ◆

 今、この城にはアインツベルンの城から連れて来たホムンクルス達が跋扈している。ライダーの命令を受け、ホムンクルス達は独自に動いて日本までやって来た。
 他にも|現地《ココ》に到着するまでの間に引き入れた亡霊達も蠢いている。
「あっ、サムライだ! おーい、サムライ!」
「おや、これはこれは。相変わらず、仲睦まじい事で」
 藍色の陣羽織を羽織った美剣士が《幼子を背中に乗せて四つん這いになっている主人》に些かの動揺も見せず挨拶をした。
「なかむつまじいって?」
「仲良しという事だ」
 サムライの言葉にイリヤは顔を輝かせた。
「そうなんだよ! イリヤとライダーは仲良しなの! ねー!」
 天真爛漫なマスターの笑顔にライダーも笑顔で応える。その姿に侍は目を細めた。
 なんと……■■■■光景だ。
「では、私はこの辺で失礼する」
「バイバーイ!」
 |馬《ライダー》に跨がりながら手を振るイリヤに侍は手を振り返した。
「……くわばらくわばら。さて、仕事をするか」

第七話「間桐さんの家はもっと大変な事になってたッス!」

 血に塗れた男が歩いている。背中には男と少女。血は彼らのものだ。
 数十分程前、突然二人の身に異変が起きた。体全体に奇妙なへこみが生まれ、夥しい量の血を吐いた。
「……私には手に負えぬ」
 間桐雁夜と間桐桜の体内には間桐臓硯の眷属である蟲が入り込み、肉体と同化していた。その蟲が一斉に消滅したのだ。湖の乙女に魔術の手解きを受け、多少の心得はあるものの、ここまで肉体が欠損していては手の施しようがない。おまけにマスターである雁夜の魔術回路は完全に機能を失っていて、彼への魔力供給も止まっている。このままではいずれ消滅するだろう。そうなれば、二人の命が尽きてしまう。未だに命を繋ぎ留めていられるのも彼が常に治癒魔術をかけ続けているからだ。時間がない。彼に出来る事は一つだった。
 新都の高台に位置する教会の前で彼は二人を降ろす。
 しばらく待つと、中から初老の男性が顔を出した。
「――――よもや、サーヴァントがここを訪れるとはな」
 深いシワの刻まれた顔を強張らせながら、言峰璃正は地面に転がる二人を見た。
「彼らは?」
「私のマスターとその庇護下にある娘だ」
 アヴェンジャーは地面に跪いた。
「どうか、彼らを救って欲しい」
 その言葉に璃正神父は言葉を失う。
 言峰教会は聖杯戦争を監督する為に聖堂教会によって建てられた。その役目の一つに脱落したマスターの保護という名目も確かにある。だが、実際に教会を利用した者は未だ嘗て一人もいない。
 しかも、サーヴァントが保護を求めるなど前代未聞。
「……それは出来ない。教会が保護する者はあくまでも聖杯戦争から脱落したものに限られる」
「ならば、この場で自害する。だから、どうか!」
 彼は|復讐者《アヴェンジャー》という忌まわしいクラスを得てまで現界した。それは叶えるべき願いがあるからだ。
 それでも、彼は騎士だった。雁夜から召喚に至るまでの事情を聞き、桜の身に起きた悲劇を知り、その二人が何も為せぬまま死ぬ事を容認出来るほどの残忍さは持ち合わせていなかった。二人をこのまま死なせるくらいなら、己の願いなどどうでもいい。この仮初の命を捧げる事も厭わない。
 必死に頭を地面に擦り付ける彼を見て、璃正は唸り声をあげた。
「……君が自害したとしても、二人を救う事は出来ない」
「何故……?」
「手の施しようがないからだ。むしろ、彼らは何故生きている? 素人目にも死体にしか見えない。特に男の方は死後数ヶ月と言われても信じてしまう程だ」
 言峰璃正も英霊という超越者が命を捧げてまで懇願する助命の言葉を無碍にしたくはなかった。だが、聖堂教会の秘跡は肉体を救うものではなく、魂を救うためのもの。ここまで損壊した肉体を修復する事など不可能だ。
「……頼む。他に頼れる者がいないのだ」
「頼むと言われてもな……」
 困り果てた表情を浮かべる璃正にアヴェンジャーはゆっくりと立ち上がった。
「……分かった。すまないな、迷惑をかけた」
 他にあてなど無い。だが、ここに居ても二人を救う事は出来ない。
 この上は他のサーヴァントと接触し、助命を請う他ないが……。
「――――待て、マキリのサーヴァント」
 マキリという言葉に覚えはないが、サーヴァントはこの場に彼一人。振り返ると、カソックに身を包む年若い青年が立っていた。
「綺礼……?」
 綺礼はアヴェンジャーの足元に転がる雁夜の体に手を当てた。
「……なるほど、これは重症だ。だが、多少の延命措置ならば取れる」
「本当か!?」
 綺礼は慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、頷いた。
「私の部屋に連れて行こう。そこで処置を施す」
 そう言うと、綺礼は雁夜の体を持ち上げて教会の方に戻っていく。
「ま、待て、綺礼!」
「どうしました?」
 慌てて呼び止める璃正。綺礼は立ち止まり、首だけを彼に向けた。
「そ、その者はまだ脱落したわけではない。今、教会の中に入れるわけには……」
「父上」
 綺礼は聖杯戦争のルールと倫理感の狭間で揺れている父親に微笑みかける。
「まだ、サーヴァントは出揃っていません。正式にスタートした後ならばともかく、今の段階でそこまで厳しい対応をする必要は無いのでは?」
「……一部の例外を認めれば、監督役としての地位の失墜にも繋がる。それは聖杯戦争に混乱を招きかねん」
「それでも、私には目の前で傷つく者を、そして、その者の為に頭を下げる者を無碍に扱う事は出来ません。ルールよりも尊ぶべきものは人としての倫理や道徳であるべきではありませんか? それが主の教えでもある筈です」
 その慈悲に満ちた言葉に璃正は唸る。聖杯戦争のルールを監督役が破れば、参加者達を律する事も出来なくなる。それは聖杯戦争による被害の拡大を招く可能性がある。
 そうなれば、数え切れぬ程の犠牲者が出る事だろう。
 息子の真っ当な主張を聞き入れてやりたい。だが、それは後の悲劇を容認する事になる。そんな事は許されない。
「……駄目だ」
「そうですか……。では、こうしましょう」
 綺礼は遠くにある新都のホテルを指差した。
「|教会《ココ》を使わなければいい。ホテルの一室を借り、そこで治療しましょう。少し待っていてくれ、サーヴァント。今、車を取ってくる」
「お、おい、綺礼!」
「父上。人を助けない理由を考えるより、人を助ける方法を考える方が素敵だとは思いませんか?」
 その言葉に璃正は何も返す事が出来なかった。
「……【われわれはみな汚れた人のようになり、われわれの正しい行いは、ことごとく汚れた衣のようである。われわれはみな木の葉のように枯れ、われわれの不義は風のようにわれわれを吹き去る】」
 イザヤ書第64章6節にある言葉。その意味は義のありか。正しい事をしたからといって、義は得られない。義は主の内にあり、人は自然によって義となる事は叶わず、主が人を義とするのだ。
 璃正は自らの考えを誤りだとは思わない。だが、同時に綺礼の考えも正しいものだと感じている。
 ならば、義はどちらにある? その応えなど、ちっぽけな人間風情には分からない。ならば、主に委ねる他はない。
「――――さあ、後部座席に二人を」
 車を取ってきた息子に璃正は言った。
「……ホテルの部屋は取っておく」
「お願いします、父上」
 車を走らせる事数十分。アヴェンジャーは自らの消滅が近い事を感じていた。
「もう少し耐えろ」
「……ああ」
 ホテルの駐車場にたどり着くと、アヴァンジャーは隠蔽の魔術を自身に施した。
 綺礼がルームキーを受け取り、部屋に到着すると二人をベッドに寝かせた。
「……さて、まずは間桐雁夜の方からだな」
 それは実に奇妙な光景だった。綺礼の手が雁夜の体内に沈んでいく。
「驚いたな。霊媒治療の心得があるのか……」
 霊体を繕う事で肉体を治療する特殊な魔術によって、雁夜の表情は劇的によくなった。
「……魔術回路の修復は不可能だが、君に魔力を供給するラインの修繕程度ならば可能だろう」
 言葉通り、少し経つとアヴェンジャーは雁夜から魔力を供給され始めた。
「見事な腕だ……だが、大丈夫なのか? 今の状態で私に魔力を送るなど……」
「そこまで大きな問題はない。そもそも、彼は彼女から送られてくる魔力を君に送っているだけのパイプ役に過ぎないからな」
 雁夜の施術が終わると、綺礼は直ぐに桜の施術へ移った。
 陽が昇り、その陽が落ち、再び昇った頃、ようやく二人の施術は完了した。
「――――私に出来る事はやった。当面は大丈夫な筈だ」
「かたじけない!!」
 アヴェンジャーは涙を流した。綺礼が見ず知らずの筈の二人を救う姿、寝る間も惜しむその献身振りに感動していた。
「……では、約定通り私は」
 自害するつもりで自らの愛剣を取り出すアヴェンジャー。すると、綺礼はその手を掴んだ。
「愚かな真似は止せ、アヴェンジャー」
「し、しかし、それが約定であった筈……」
「それは父上との話だろう。私には関係の無い事だ」
 綺礼は言った。
「勘違いをするな。彼らはまだ助かったわけではない。肉体の損傷をある程度修復する事は出来た。だが、命の危険が遠ざかったわけではない」
 その言葉通り、施術が終わったというのに二人が目を覚ます様子はない。
「どういう事……、ですか?」
「一命を取り留めたに過ぎないという事だ。だが、彼等の肉体と魂は常人と比べてあまりにも脆い。これ以上手を加える事は出来ない。彼等を救うにはそれこそ……、|神の奇跡《せいはい》に縋る他ないのだ」
 アヴェンジャーは綺礼の言葉に目を見開いた。
「……私が救った者を死なせてくれるなよ、サー・ランスロット」
 アヴェンジャーは頭を垂れた。
「感謝……、致します」
 
 ◆
 
 それが一週間程前の事。あの後、アヴェンジャーは屋敷の地下に二人を連れ帰った。
「マスター……。そして、サクラ。待っていて欲しい。私が聖杯を手に入れる……、その時を」
 誓いをここに……。
 聖者によって齎された奇跡を無駄にはしない。必ず、この哀れな者達を救ってみせる。
 例え、如何なる者が相手であっても負けるわけにはいかない。
 それが無数の宝具を持つ謎多き英霊であろうと、それが嘗て仕えた王であろうと……。

第六話「遠坂さんの家も大変そうッス!」

 通信用の魔術礼装から響く言峰璃正からの苦言を遠坂時臣は沈痛な面持ちで聞いていた。
 発端は昨夜のサーヴァント戦。ランサーによる無差別な挑発行為から始まった一連の戦いは倉庫街のみならず、新都の繁華街やビル郡にも多大な被害を与えた。
 目撃者の数も多く、戦闘終了と共に聖堂教会と魔術協会が揃って隠蔽活動に奔走する事になった。
『――――港の倉庫街が全壊した事で、貿易会社はもちろん、小売業者や物流業者にも多大な損害が出た。それに、ビル三棟が崩壊した事で幾つかの大企業が独自に調査隊を送り込もうとしている。警察組織や自衛隊まで動き始めている始末だ』
 どちらの組織も国の中枢深くに根を張っている。それでも、隠蔽が儘ならない程の被害が出てしまった。
 その大部分の責任が時臣の召喚したサーヴァントに起因する。倉庫街はともかく、新都に被害を齎したのは他でもないセイバーだ。
『時臣君。これ以上は庇い切れん』
 父の代から親しくしている恩人の言葉を時臣は重く受け止めた。
 かの王の不興を買わぬ為に臣下の礼を示し、行動を縛る真似は一切しなかった。その結果がこのザマだ。
 セイバーの力があれば、勝利は揺るがない。だが、魔術師として最低限守らなければならないルールを破る事は遠坂家の沽券にも関わる。
「……申し訳ありません。サーヴァントにはキツく言い含めておきますので」
『頼むぞ。この手で君を罰したくはない』
「お心添え、感謝致します」
 通信を終え、時臣は眉間に皺を寄せながら令呪に視線を落とした。
 三度に限り、サーヴァントに対して如何なる命令でも従わせる事が出来る絶対命令権。
 これを使い、セイバーに戒めの鎖を付与する。恐らく、彼も反抗するだろうが、結局はサーヴァントだ。令呪には逆らえないし、マスターを失う事の危険性は熟知している筈。安易に裏切るような真似はしないだろう。
「――――ほう、令呪を使う気か」
 時臣は目を見開いた。
 いったい、いつからそこに居たのか分からない。セイバーは部屋の壁に背を預け、愉しげな笑みを浮かべていた。
「遠慮する必要はない。使うがいい」
「……英雄王」
 自害すら強要出来る令呪の発動はサーヴァントにとって不快な事である筈。にも関わらず、彼の表情には余裕がある。
 時臣はゴクリと唾を飲み込むと、励起状態の令呪を鎮めた。
「なんだ、使わないのか?」
 時臣は静かに頭を下げた。
「御無礼を働いた事、伏してお詫び申し上げます」
 その言葉にセイバーは鼻を鳴らした。
「つまらん。お前は実につまらない男だ。確かに、我に令呪など効かん。三つ全てを使い潰したところで指一本の自由すら奪えん。だが、そのくらいの気骨を見せて欲しかった」
「申し訳ありません」
「責めてはいないぞ、時臣。ただ、つまらん。そう言っただけだ」
 セイバーは時臣から視線を外すと、わざわざ扉を開けて出て行った。
 去り際に、
「お前の意を汲んで、暫しの間は大人しくしておいてやる」
 そう言い残して……。
 時臣は不思議と空虚な気分に陥っていた。まるで、父親に見放された子供のような心境になり、体が震えた。
「……私は」
 
 ◇

 一週間前――――。
 セイバーを召喚した翌日、時臣は彼に頭を下げた。
「どうか、御身の力をお貸し頂きたい」
 大聖杯の下で行われた英霊召喚。その調査を行う為にはサーヴァントの対策が不可欠であり、サーヴァントに対抗する為にはサーヴァントの力が必要だった。
 機嫌を損ねないよう、慎重に言葉を選びながら調査への協力を要請すると、セイバーはあっけなく引き受けてくれた。
「大聖杯……。この戦いのシステムの根幹には我も興味がある。それに召喚者の頼み事とあっては無碍にも出来ぬ。何処へなりとも連れて行くが良い。貴様の身の安全は我が保証しよう」
 その頼もしい言葉の通り、セイバーは大聖杯へ向かう道中、片時も時臣の傍を離れず周囲を警戒した。思いがけず好意的な態度に時臣は内心で驚きつつも嬉しく思った。
 サーヴァントを使役する上で一番警戒しなければいけない事は裏切りだ。過去、三度の戦いの中でも自身のサーヴァントに反逆され殺されたマスターがいた。
 人類最古の王という主人への忠誠心から最も縁遠い存在を召喚すると決めた時点で信頼関係を築く事など不可能だと考えていた。
 故にこれは嬉しい誤算というものだ。
「随分と面倒な場所にあるのだな……」
 山道から外れ、獣道を進む最中、セイバーはぶつくさと文句を言い始めた。
「申し訳ありません。今、道を開きますので……」
「構わん。それよりも蟲共が騒がしいな」
 そう呟くと、彼の背後に黄金の波紋が生じた。そこから一本の剣が姿を見せる。
「穢らわしい」
 剣を振ると、どこからか罅割れた悲鳴が轟いた。
 刀身に極大の呪詛を纏う剣は蟲共の主が伸ばす触手を断ち、そのラインを辿って侵食していき群体に死を振りまいた。
「……マキリの老獪か」
「さっさと行くぞ」
 数百年を生きた妖怪を事も無げに殺したセイバーは足を止める時臣に声を掛けた。
「……ええ、参りましょう」
 地下に降りると、その生暖かい空気にセイバーは顔を顰め、二人分の清浄な空気の泡を創り出した。
 水中や宇宙空間でさえ快適に過ごす事を可能とする宝具に感嘆の声を上げる時臣。
 長い道のりの中、セイバーは時臣の反応を楽しむ為に様々な宝具を展開した。
 堅物を飛び上がる程驚かせたり、真っ青になる程怖がらせたり、面白い反応を引き出す為に湯水の如く宝具を使った。
 おかげで洞窟内はサーヴァントですら迂闊に立ち入る事の出来ない異界が出来上がってしまった。
「……え、英雄王。帰り道は大丈夫なのですか……?」
 背後には無数の眼球や触手が蠢いている。その向こう側には最高級の宝石で作られた彫刻や落ちたら二度と這い上がれない大迷宮への入り口だとか、とんでもない物がゴロゴロと転がっている。
「案ずるな。帰りはもっと面白い事をしてやる」
「……か、感謝致します」
 明らかに浮かない顔をする時臣を見て、セイバーは実に楽しそうな笑みを浮かべた。
「さて、そろそろ見えてくる頃合いか?」
「ええ、その筈ですが……ッ」
 唐突に空間が広がり、その先に聳え立つ黒い光の柱を見て、時臣は言葉を失った。
 禍々しい呪いの渦。清廉である筈の大聖杯が異常をきたしていた。
「……こ、これは」
 真っ先に思い浮かべたのはここで英霊召喚を行った何者かの事。
「一体、何を……」
 その隣でセイバーは舌を打った。
「度し難い……」
 セイバーは蔵から幾つかの宝具を取り出した。
「ど、どうされるおつもりですか?」
「知れたこと。折角の血沸き肉踊る戦いの舞台に無粋な要素など要らぬ」
 セイバーの目は大聖杯に起きている現象の正体を完璧に看破していた。
「まさか、破壊するつもりですか!?」
「戯け、それでは折角の戦いが始まる前に終わってしまうではないか。そうではない。それに、このままではお前の願いも叶わぬだろう」
 そう言って、セイバーは次々に宝具を展開した。
「コレの中では紛い物とはいえ、魔王が胎動している。それが聖杯を穢しているものの正体だ」
「魔王……?」
「|この世全ての悪《アンリ・マユ》だ」
「……それはゾロアスター教の?」
「その紛い物だ。だが、紛い物なりに本物になろうとした結果、人類数十億を殺す呪いの塊に変化したようだ。まったく、人間という輩はいつの時代も変わらんな。見たくないモノからは目を背け、背負いたくないモノは他者に押し付ける。どこまでも我侭な生き物よ」
 蔑むようにセイバーは暗黒の柱の先を見つめる。
「その果てがコレだ。哀れなものよ。そうあれと望まれ、成った後は疎まれる」
 暗黒の柱の中でナニカが悲鳴をあげた。
「この|聖杯戦争《きせき》に感謝する事だな、アンリ・マユよ。貴様の前には|王《オレ》がいる。我が|人類の欲望《キサマ》を律してやる」 
 世界がまだ、一つだった時代。神々は人間という種を律する為の|装置《おう》を|創り《うみ》出した。
 人は弱い。自らの欲望さえ支配する事が出来ず、ふとした切っ掛けで同族すら殺す。
 自己の幸福を願いながら、他者に不幸を押し付ける。
 だから、彼は君臨したのだ。人類最古の王として――――。
「眠るがいい、悪性を望まれた者よ。この我が許す」
 暗黒の柱に黄金の光が広がっていく。禍々しさは神聖な輝きによって払拭され、洞窟内を清浄な空気が満たす。
 本来の機能を取り戻した聖杯を前に時臣は立ち尽くした。
 聖杯に干渉する事など、現代の魔術師には不可能な芸当だ。それを事も無げに……。

 ◆

 彼は律する側の者だ。令呪が効かぬ事など想定の内。
 それでも時臣にはソレしかなかった。縋っていた。
 何もしなくても勝利が転がり込んでくる。それを見越して英雄王を召喚した筈なのに、まるで激流の中を流され続けているような現状に虚脱感を覚えている。
 長年の研鑽も、代々伝わる魔術も、定石を踏まえて練った作戦すら必要とされない。
 偉大なる王に必要とされない。挙句、つまらないと失望された。
 まるで、子供が憧れのヒーローから侮蔑の視線を向けられたかのように時臣の心は苛まされた。

 人は光を求めずには要られない。|一度《ひとたび》英雄王の輝きに目を奪われた者は逃れる事など出来ない。
「――――私はッ」
 時臣は扉を開いた。廊下の向こうに王の背中が見える。彼は立ち止まり、時臣の言葉を待った。
「セイバー!!」
「なんだ?」
「この戦いは私の戦いだ」
「それで?」
「これ以上、勝手な真似は許さない。戦いたいと言うのなら、戦いの場は私が用意する!」
「……そうか」
 セイバーは振り向いた。そこにさっきまでの失望の色はない。
 ただ、満足気な笑みを浮かべていた。
「ならば、期待しているぞ。我に相応しい決戦の舞台を用意せよ」
 そう言って、姿を晦ますセイバーに時臣は言った。
「おまかせを……」

第五話「街の人達に大迷惑ッス!」

 市街地から少し離れた港の倉庫街。そこに一人の男が立っている。朱と黄の槍を握り、彼は待ち人の来訪を今や遅しと待っている。
 張り詰めた空気の中、一迅の風が吹く。彼の無差別な挑発行為に乗った英雄の一人が颯爽と現れた。
 浮かべる表情は共に――――、笑顔。
「待ちかねたぞ。どいつもこいつも穴熊を決め込む臆病者ばかりかと不安になっていたところだ」
 |槍の英霊《ランサー》は高揚する心を宥め、眼前に現れた|全身鎧《フルプレート》の騎士に熱い眼差しを向ける。
 軽装の彼と比べて、物々しい程の重武装。策を弄するタイプではなく、明らかに【戦う者】。
「得物を取れ! その間くらいは待ってやる!」
 既に臨戦状態。一足で互いの懐に飛び込める距離。それでいて、全身鎧の騎士は無手のまま。
 主人からは《今の内に攻撃せよ》という命令が下されているが、それは騎士道に反する行い。
 誇り高き騎士の決闘は正々堂々と行われるべきだ。
「――――戯け」
 一拍を置いた後、全身鎧の騎士は無手のままでランサーの懐に飛び込んだ。
 驚きは一瞬。意識するより早く、左手に握る槍を頭上に掲げる。そこに見えない何かがぶつかった。
 ランサーは理解した。なんという勘違い。敵は既に得物を取り、万全の態勢を整えていた。
 咄嗟に右手の槍を振りかぶるが、突き出す前に腹を蹴られた。まるで大砲が直撃したかのような衝撃と共にランサーの体が吹き飛ぶ。
 槍を地面に突き刺して制動を図るが、気付けば三百メートルも飛ばされていた。
「奴は――――ッ」
 敵の位置を見失った。気配を探ろうと集中すると、真横のコンテナが吹き飛び、その向こう側から漆黒の馬が飛び出して来た。
 明らかに普通の馬ではない。夥しい魔力を纏い、疾走して来る魔馬にランサーは構える。その背後から全身鎧の騎士が音もなく忍び寄った。
 気付いた時、既に対応出来る距離ではなく、見えない刃がランサーの背中を抉った。同時に眼前の魔馬がランサーを踏みつける。
『BAOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOッ!!!』
 その馬に騎乗し、全身鎧の騎士は突如現れた“別の”黒馬の突進を回避した。
 騎乗しているのは赤い髪の美少年。その後ろに涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしている別の少年を乗せ、不敵な笑みを浮かべている。
「ほらほら、マスター。振り落とされたら死んじゃうよ? もっとしっかり捕まって!」
「む、無茶苦茶だ!! お前は無茶苦茶だ!!」
「無茶苦茶上等!! それでこそ、人生は華やくのさ!!」
 相方に容赦せず、愛馬の横腹を蹴る。
「AAAAAAAALaLaLaLaLaLaLaLaLaLaie!」
 二頭の馬が倉庫街を疾走する。その速さはまさに疾風迅雷。互いに距離を取り、走っているだけで大地が形を変えていく。
 コンテナは空中分解を起こし、コンクリートは粉砕していく。ものの数分で瓦礫の山と化した倉庫街から二騎の英霊は飛び出し、海上へと躍り出る。
 一方は迅雷を纏い、一方は疾風を纏う。水の上を平然と闊歩し、遮蔽物が無くなった事で遂に激突する。
 衝突の衝撃は凄まじく、海はまるで嵐のど真ん中の如く荒れ狂う。
 二度目、三度目の激突の余波で高波が生まれ、冬木の街を呑み込もうとする。
「お、おい、街が!!」
 赤き髪の少年の主が悲鳴を上げると、まるで示し合わせたかのように二騎は波の反対側へ回り込み、その波に向かって駆け出した。
「おいおいおいおいおいおいおいおい!?」
 高波を蹂躙し、尚も疾走する二頭の魔馬。
「陸地の近くで戦い続けるのはまずいみたいだね」
 そう言って、更に沖を目指していく。
 
 ――――瞬間、天上から黄金の光が降り注いだ。
「な、な、な、なんだ!?」
 それを見て、英雄達も目を見開く。降り注ぐ無数の光。それは全て宝具の輝きだった。
 天を見上げると、そこに天空を闊歩する騎士の姿があった。
 黄金の鎧を身に纏い、黄金の双剣を握り、黄金の光を背負う黄金の英霊が彼らを見下している。
「小手調べだ。この試練、乗り越えてみせよ」
 その言葉は雷霆と暴風が吹き荒れる中でも不思議と響き、彼らの耳に届いた。
 そして、始まる。一つ一つが最高位の英霊すら一撃で沈黙させる程の膨大な力を持つ宝具。それが雨霰となって降り注ぐ。
 彼らの馬は天空をも翔け抜ける事が出来る。だが、そのあまりの弾幕の厚さに空への退避を許されない。針の穴を抜けるような精密な動きで二頭は死の嵐の中を駆け抜ける。
 些細なミスが即座に存在の消滅と結び付く。だと言うのに、彼らのスピードは些かも落ちない。音速を遥かに超えた超スピードで走り続ける。
 そして、彼らは気付く。
「……誘導されてるね」
 後ろで悲鳴を上げ続けている哀れな主を気にも留めず、赤毛の少年は呟いた。
 数秒後、唐突に死の豪雨が止んだ時、彼らは共に元の倉庫街へ戻って来ていた。
 そこには全身鎧の騎士によって仕留められたかと思われていたランサーの姿もある。どうやら、致命傷を避けていたようだ。
 彼らは皆、一様に天を見上げている。この場において、他の誰よりも警戒しなければいけない相手。無数の宝具を雨のように降らせた黄金の英霊の一挙一動を警戒している。
「――――ッフ」
 空中に当たり前の顔をして立つ黄金の騎士は三騎の英霊を見下ろし、満悦の笑みを浮かべた。
「この戦い自体は良い。実に良い趣向だ!」
 彼は一人一人を見定めるように見つめる。
「一つの至宝を巡り、誉れ高き英雄同士が覇を競い合うとは……、実に素晴らしい! 何故、生前に思いつく事が出来なかったのかと悔しく思う程だ。我は今、嘗て無い喜びに感動している!」
 まるで少年のような笑みを浮かべ、彼は言った。
「古今東西、あらゆる時代、あらゆる国、あらゆる戦場から招かれし英雄達よ!! 出会わぬ筈の者同士が出会い、交わる筈の無かった剣戟を交わす事が出来るこの戦いはまさしく【奇跡】。戦おう。精根尽き果てるまで、己の全てを出し尽くして、戦おうではないか!!」
 喜悦に表情を歪めながら、彼は双剣の柄同士をくっつけた。すると、双剣は形状を歪め、一張の弓に変わった。
「だが、臆病者や策を弄する事しか出来ない雑魚には用がない。故、期限を設ける」
 光の矢を番える彼に地上のサーヴァント達は一斉に構えるが、矢の先を向けられた先は彼らのいる場所ではなく、冬木市の中心にある大橋だった。
「これは試練だ。この宝具は七日の後に街ごと貴様等を呑み込む。如何なる宝具、如何なる魔術を使っても、抗う事は出来ない」
 それが事実だと、彼を見たマスター達は確信した。マスターに与えられるステータス看破の魔眼が教えてくるのだ。彼の弓が評価規格外という超弩級の宝具であると。
「この街や無碍なる民を守りたければ、聖杯で望みを叶えたければ、死にたくなければ挑むがいい。そして……、死ね」
 静寂が満ちる。
 誰も口を開かない。征服者も、その主も、二槍の騎士も、遠くから見ている弓兵や復讐者も言葉を失っている。
 七日以内にこの英霊を殺さなければ、街ごと全てが消えてなくなる。あの無数の宝具や評価規格外というランクを見て、それが単なる偽りだと思う者はいない。
 挑まなければ死ぬ。だが、挑んだとしても――――、
「そうか、ならば貴様から倒すとしよう」
 誰もが思った。この英霊と戦う事は一筋縄ではいかないと。
 だが、その英雄は二の足を踏む他の英霊達を尻目に馬から降りると空を見上げた。
 そして――――、
「……ほう、大した気骨だ」
 空に浮かぶ黄金の騎士に斬りかかった。
 そのまま、二騎の英霊は刃を交えたまま、倉庫街の外れまで飛んで行く。
 高速機動が出来ない飛行宝具を停止し、黄金の英霊は微笑みを浮かべる。
「ライダー……いや、騎士王よ。いつまでも無粋な仮面など付けるな。我を殺したければ、死力を尽くせ」
「抜かしたな、セイバー!!」
 ライダーの仮面が割れ、その美貌を露わにした。獣の如く殺意を燃やし、不可視の剣を振り上げる。
「……まだ、軽い!!」
 一撃で大地を引き裂くライダーの一撃を双剣の片割れで受けて尚、セイバーは不敵な笑みを崩さない。
「そうか! ならば、重くしてやろう!」
 魔力放出のスキルによって、ライダーの剣が一気に圧力を増した。片方だけでは受け切れず、セイバーはもう片方の剣を交差させる。
「嬉しいぞ、ライダー! よくぞ、この戦いに参戦してくれた!」
 セイバーはライダーの剣を巧みに受け流すと、そのまま彼女の首を狙う。
 咄嗟に体ごと捻り回避するライダー。そこへセイバーの膝蹴りが飛ぶ。それを予期していたかの如く、ライダーは不可視の剣で防ぐ。
「これはどうだ?」
 セイバーの背後に揺らぎが生じる。黄金に輝く水面から、複数の宝具が顔を出し、ライダー目掛けて飛来する。
「無数の宝具……いや、それは蔵か?」
 至近距離から音速を超えて飛んでくるAランクオーバーの宝具の嵐を捌きながら、ライダーは目を細める。
「御名答。これは世界がまだ一つだった時代、我が集めた至宝を収めた蔵よ」
「……なるほど。では、御身は――――」
 戦場を徐々に市街地へ近づけながら、二騎の激突は激しさを増していく。
「我は人類最古の英雄王、ギルガメッシュである!!」
 遂に新都の繁華街へ到達してしまった二騎。
 深夜とはいえ、会社で残業しているサラリーマンや24時間営業のコンビニで働くバイト、ビルの軒下で鼾を掻いていた浮浪者はその空前絶後の光景を目の当たりにする。
 地面はおろか、ビルの壁や街灯すら足場に使い、縦横無尽に駆け回る|人外《ばけもの》同士の殺し合いは幸か不幸か無人だったビルを三棟崩壊させても止まらない。
「ライダー!!!」
「セイバー!!!」
 殺意は極限まで膨れ上がり、互いの目には相手の事しか見えなくなった。

 ――――その瞬間を|狙撃手《スナイパー》は見逃さなかった。
 彼らの位置から数キロ離れた所でアーチャーのサーヴァントは一節の呪文を唱える。
「――――|I am《我が》 |the bone《骨子は》 of |my sword《捻れ狂う》.」
 手の内に生み出される螺旋の刃を持つ剣が細く、細く、歪んでいく。
 一本の矢の如く圧縮された剣を弦に番え、アーチャーはその真名を口にした。
「|偽・螺旋剣《カラドボルグⅡ》――――ッ」
 空間を捩じ切りながら矢はセイバーとライダーの戦場へ向かう。
 だが、飛来する宝具に対して、どちらの英霊も危機感を感じさせる表情を浮かべていない。
「不快な真似を……」
 その宝具をライダーが叩き落とそうとする寸前、セイバーが押し留めた。
「待て、騎士王」
 セイバーが矢に向けて手を伸ばすと、その先に七枚の花弁が広がった。
 トロイア戦争の折、大英雄の投擲を防いだ最強の守り。その原典の前に螺旋の矢は動きを止める。その瞬間、光が迸り、花弁を大きく軋ませた。
 宝具に内包されている神秘を一気に放出させるサーヴァントの奥の手。アーチャーが必殺を目論んだ一撃はセイバーの|花弁《たて》を二枚散らせただけで終わった。
「――――ふん、くだらん真似を」
 既に姿を眩ませたアーチャーに一切の関心を持たず、セイバーはライダーを見つめる。
「興が削がれてしまったな」
 残念そうに呟き、セイバーは双剣を背中の鞘に戻した。
 だが、ライダーは動かない。一見隙だらけに見えるが、油断して襲いかかれば一瞬で勝負が決する。そう、彼女の直感が囁き続けているからだ。
「今宵は楽しかったぞ、騎士王。また、相見える時を楽しみにしている」
 そう言って、セイバーは姿を消した。霊体化したわけではなく、完全に存在を眩ませた。
「……七日後か」
 セイバーが宣言した超弩級宝具の発動期限、それは彼女にとっても意味のある数字だった。
「その時は我が宝具の真髄を披露してやろう」
 彼女が召喚されて六日。七日後には十三日間が経過する。その時こそ、彼女の最強の切り札が覚醒する。

第四話「正義の味方ッス!」

 アーチャーが現世に召喚されてから早一週間。街はいたって平和だ。まだ、サーヴァントが出揃っていないのだろう。
 今の彼には魔力を補給する手段が無い。霊体化して、魔力の消費を極力抑えるようにしているが、元の器が他の英霊達と比べて小さい為、大規模な戦闘を二回もこなせばストックが底をついてしまう。
 故に取れる手段は限られている。情報を集め、必殺の瞬間を待ち、全ての敵を一撃で仕留める。それしかない。
《彼女もこんな気分だったのかな》
 生前、彼は今と違う立場で聖杯戦争に挑んだ事がある。その頃は魔術師として、未熟者どころか素人に毛が生えた程度のものだった。ひょんな事からマスターになってしまい、召喚したサーヴァントはセイバー。見目麗しい少女だったが、その正体は伝承に名高き騎士の王、アーサー・ペンドラゴン。彼女も彼と同じようにマスターからの魔力供給を受ける事が出来ないまま戦いに身を投じた。
 彼女の苦労が今になって痛い程よく分かる。
《いや、オレは恵まれている方だな。少なくとも、藤ねえは自分から死にに行ったりはしないし……》
 思い付きで山篭りをしたり、いきなり大聖杯をぶっ壊そうと宣ったり、猪突猛進かと思いきや、藤村大河は現状を意外な程冷静に受け止めていた。間桐臓硯にても足も出なかった事をキチンと認め、同じような超常の力を持つ相手に無策で飛び込む事は無謀でしかないと納得している。
 若き日の彼とは大違いだ。彼も危険な事だと理解はしていた。けれど、納得は出来なかった。自分から危地へ飛び込んだ事も一度や二度じゃない。その時のセイバーの心情を思うと頭を抱えたくなる。
《……そう言えば、この辺を一緒に歩いたな》
 過去の記憶は守護者として過ごした長い年月の間に摩耗してしまった。それでも、意外と覚えている事も多い。
 多くの人に助けてもらった癖に、殆どの人の顔に靄がかかっている。そんな人でなしでも、|義父《きりつぐ》の事やセイバーの事、|義姉《イリヤ》の事、|後輩《さくら》の事、そして、藤ねえの事だけは鮮明に思い出せる。
 彼はここで生まれ、ここで育った。高校卒業後は一度も戻る事の無かった故郷。ふとしたきっかけでついつい感慨に耽ってしまう。
《いかんな。切り替えねば……》
 切り捨てた過去に縋る事など許されない。それに、今は為すべき事に集中しなければいけない。
 思い浮かべるのは主たる少女の顔。彼女に不幸な顔など似合わない。いつも幸せな笑顔を浮かべていて欲しい。その為にも思い出に浸ったり、後悔している暇などない。
《……しかし、妙だな》
 聖杯戦争の開幕を待たずして、間桐臓硯の手の者が襲い掛かって来る事を懸念していたのだが、襲撃のないまま今に至る。
 マスターの実家は冬木市に根を張る極道組織。その影響力を警戒しているのかもしれない。
《雷画の爺さんは変わらないな》
 山から降りた直後の事を思い出して、思わず笑ってしまった。

 ◇

 大聖杯の眠る洞窟を後にして、山から降りた大河とアーチャーは真っ直ぐに藤村邸へ向かった。
 隣接する武家屋敷が未だもぬけの殻である事に安堵しつつ中に入ると、いきなり怒声を浴びせられた。
 いきなり山篭りをすると言って飛び出したおバカな孫娘に藤村雷画はまる一日掛けて説教をした。終わった頃には隣で霊体のまま聞いていたアーチャー共々グッタリとしてしまい、肝心な事を話せないまま一夜が過ぎた。
 翌日になって、大河が雷画を含む、藤村組の幹部を招集した。また、突飛な事を言い出すのではないかと身構えていた強面の男達に大河は山で起きた事を説明した。
「……とうとう、黄色い救急車を呼ぶ日が来たか」
 沈痛な面持ちで雷画は言った。
「ちょっと!?」
「冗談だ」
 フシャーと立ち上がる大河に雷画は笑い掛けた。
「それより、アーチャーとやら。居るなら顔を見せろ。それが礼儀だろう?」
 普通なら信じない与太話。それを雷画は当たり前のように受け入れた。他の幹部達の中には半信半疑だったり、懐疑的な目を向ける者もいるが、あからさまに嘘と決めつける者もいない。
 アーチャーは少しだけ迷った。彼らに真実を告げる事は大河が決めた事。アーチャーにしてみれば、一般人である彼らに魔術や神秘について教える事はいらぬ危険を招く可能性もあり、気が進まない。ここで姿を見せなければ大河の一人芝居という事で決着する筈だ。
「アーチャー」
 大河はまっすぐにアーチャーを見つめた。その揺らぎのない瞳を見て、アーチャーは降参だとばかりに霊体化を解いた。
 殆どの者が驚いたり、戸惑ったりしている中で、数人の幹部と雷画は顔色一つ変えずにアーチャーを見た。
「……失礼した。あまり、私の存在や魔術について、一般の者に説明する事は――――」
「バカモン!!」
 雷が落ちた。目を白黒させるアーチャーに雷画は言った。
「そんな事より先にする事があるだろう。俺の名前は藤村雷画。大河の祖父で、藤村組の組長をしている」
「あ、ああ。私はアーチャー。マスター……、タイガのサーヴァントだ」
 一気に幼い日へ立ち戻ったような気分。雷画は多少の事なら目を瞑るが、筋の通らない事をした時は本気で怒る。
「アーチャー……か、そいつは本名か?」
 アーチャーは顔を顰めた。
「違います。ただ、サーヴァントは基本的に――――」
「事情があるなら、事情があるの一言でいい! 言い訳をしようとするな!」
「……は、はい」
 理不尽過ぎる物言いなのに、反論する事が出来ない。
 幼き日に刻み込まれたトラウマが今尚彼に対して反抗的態度を取らせてくれない。取るつもりもないが……。
「……ふん、随分と素直だな。いい年した大人がそんなんでどうする!!」
「えぇ……」
 どうしろと言うんだ……。
「まあいい。それより、さっきの大河の話は本当なんだな?」
「え、ええ。全て、彼女の語った通りです」
「そうか……」
 突然、雷画が立ち上がった。他の幹部達も一斉に立ち上がり、アーチャーを取り囲む。
 不穏な空気を感じ、大河が口を開こうとした瞬間、彼らは一斉に頭を下げた。
「感謝するぞ、アーチャー。よくぞ、我が孫娘を救ってくれた」
「……ぁ」
 大河は口をぽかんと開けたまま凍りついた。
「出来の悪い孫だが、それでも俺にとっては命より大切な宝だ。よくぞ……、よくぞッ!」
「あ、頭を上げてくれ。私を召喚したのは彼女だ。彼女は自らの力で窮地を乗り切っただけの事。私は従者として当然の事をしただけなんだ。だから――――」
「……すまん」
 顔を上げると、雷画は幹部達に幾つかの命令を下して追い出した。どうやら、アーチャーの為に食事の席を設けるつもりのようだ。
 断るのも失礼だと感じ、アーチャーは素直に受け入れた。
 
 ◆

 あの後、雷画はアーチャーに聖杯戦争の事を詳しく聞いてきた。
 魔術協会や聖堂教会の事にも触れ、決して軽はずみな真似をしないようにと言い含めておいたが、要らぬ世話だった。彼らも聖杯戦争そのものをどうにか出来るとは考えなかった。代わりに有事の際、民間人を避難させる為の段取りを組み始めた。魔術的な事は分からないにしても、長年街に根を張り続けてきた藤村組には街の人々からの信頼という魔術協会にも、聖堂教会にも無い強みがある。それを活かして、精一杯出来る事をしようとしている。
《彼らの為にも……なんて、青臭い事を考えているな》
 全てに絶望した。この世に真の平和などなく、万人を救う奇跡などない事を知った。それでも突き進んだ果てに信念すら歪めた。
 それでも、目の前に燦々と輝く太陽の光を曇らせたくないと思ってしまった。
 彼女の前でだけは、惨めな姿を晒したくない。だから、この泡沫の如き儚い夢の間だけは若き日の理想に立ち返ろう。
 正義の味方を名乗ろう。
《――――ッ。どうやら、動き出したみたいだな》
 少し離れた場所からあけすけなまでの殺気が放たれた。どうやら、無差別に挑発行為を行っているらしい。
 アーチャーは口元を歪めた。
《さて、存分に手の内を見せてもらうぞ》
 誰が相手だろうと容赦はしない。彼女の期待に応えるべく、無関係な人々に犠牲が及ばぬよう、あらゆる手段を使い、|お前達《サーヴァント》を殺し尽くす。
 |正義の味方《ひとごろし》らしく――――。