第十八話「生まれ落ちたモノ」

 時計の針が深夜零時を指し示す。酒樽を担ぎ、拠点に戻って来たウェイバーとライダーを待ち受けていたものは真っ青な表情を浮かべるマッケンジー夫妻と包丁を彼等に突きつけている少女だった。
 ここが分水嶺だ。ライダーは敢えて口を挟まず、事の成り行きを見守っている。
 ウェイバー・ベルベットという少年の未来はこの選択に委ねられている。
「……そういう事だったのか」
 意外にも、ウェイバーは冷静だった。少女の顔は苦渋に歪んでいる。その身には赤い光が迸り、彼女の乱心には明らかに魔術的な因子が絡んでいる事が分かる。
 ヒントは至る所にあった。あの夜、あの場所にいた事。|弓兵《アーチャー》がわざわざ手を下そうとしていた事。着ていた服の材質。記憶を失いながら、尚こちらの言語を理解出来た事。
 サーヴァントの能力を看破する透視能力の対象外になっている事も《そういう能力》だと考えれば筋が通る。正体を隠蔽するスキルや宝具を持つ英霊など星の数程いる事だろう。
 それでも、ライダーが何も言わずに居たからウェイバーは彼女を信じる事が出来た。
 それもここまでだ。あの光は令呪によるもの。彼女の正体は恐らくカインによって討伐された|群体《アサシン》の一人。
「なあ、その二人を離してくれないか?」
 ウェイバーはそっとライダーの横顔を見つめ、腹を決めた。
 征服王イスカンダルは偉大な王だ。勇敢な男だ。一時的とはいえ、そんな彼の主になった己が無様を晒す事など許されない。
 倒せば、自らの命も失う事になると知りながら、カインを打ち倒すと何の躊躇いも見せずに豪語してみせた彼。その勇気を見習う。
「狙いは僕だろ? なら、好きにしろ。二人は関係ない」
 その選択にライダーは喜んだ。
「――――それでこそ、我が主だ」
 ライダーは物陰に潜ませていた配下に合図を送る。
 現れた男の名は英雄神ヘファイスティオン。彼はアサシンが夫婦に包丁を突き立てる前に彼女の身柄を取り押さえた。その突然の事態にウェイバーは目を白黒させる。
 そんな彼にライダーは意気揚々とネタばらしをしようとして――――、

「――――《|いつか還るべき楽園《エデン》》にようこそ」
 朽ちた楽園に引き摺り込まれた。目の前に佇む女にウェイバーの心が囚われる。
 アサシンの行動はライダーに隙を作らせるためのもの。その事にライダーが気づいた時、既にウェイバーは令呪を発動していた。
「母さんに逆らうな、ライダー」
 同時に二つの令呪が消える。二重掛けされた令呪の強制力はライダーの意思を縛り付ける。
「思った通りだな」
 ファニーヴァンプの隣に立つ男、言峰綺礼は言った。
「混ざりモノ……。妖精の側面を持つ英霊モルガン・ル・フェイ同様に半神半人の側面を持つ征服王イスカンダルにも耐性があったようだ」
 綺礼はファニーヴァンプを促す。
「これでいいのね?」
「ああ、これで彼も母さんの愛を受ける事が出来る筈だ」
 ファニーヴァンプは令呪の縛りによって身動きを封じられているライダーの下に歩み寄る。
 そして、その顔に触れた。
「楽園よ、この者を在るべき姿に」
 エデンの力は絶大だ。アインツベルンのホムンクルスを通して聖杯を作り出したように、今度は英霊イスカンダルの霊基に干渉を行う。
 この世界ではイヴ・カドモンの意思こそが絶対であり、その思考が全ての現象を覆す。
 エデンによる干渉はイスカンダルから神性を剥奪していく。ゼウスの加護を失い、人としての側面が色濃く現れた彼はさっきまでの巨漢と同一人物とは思えない華奢な少年の姿に変わっていた。
 神性スキルが|最低《E》ランクまで下がり、ジワジワとファニーヴァンプの魅了が精神を蝕み始めている事に気付いたライダーは致命的な逆境であるにも関わらず、イタズラっぽい笑みを浮かべた。
「……失敗だったね、ファニーヴァンプ」
「え?」
 人としての彼には半神半人としての彼には無かった保有スキルがある。ファニーヴァンプは意図せずライダーにそのスキルを復活させてしまった。
「令呪による命令は《君に逆らうな》というもの。だったら……」
 ファニーヴァンプは目を見開いた。美少年の姿になったライダーはウェイバーの唇に自らの唇を重ねたのだ。
 あまりの事に思考が停止するファニーヴァンプ。
 だが、綺礼は英霊の能力を看破する透視能力によって彼の思惑を悟り、ライダーとウェイバーに襲い掛かった。
「目は覚めたかい?」
 拳一つで綺礼を黙らせ、ライダーは目を丸くしているマスターに問う。
「……へ?」
 間抜け面を浮かべるマスターに微笑みかけると、ライダーはそのおでこにデコピンをくらわせた。
 以前喰らった時とは違い、少し痛い程度のソレにウェイバーは戸惑いを感じる。
「えっと……、ライダーか?」
「そうだよ。まさか、神性を奪うとは驚きだね。だけど、おかげでマスターを取り戻す事が出来た」
 ライダーは妖艶に微笑む。彼に復活したスキル。それは《紅顔の美少年》。
 神性を高めるにつれて失われたソレは男女を問わず、あらゆる者を魅了する。
 ファニーヴァンプの《全ての人の母》には劣るが、唇を重ね、ラインと粘膜を通じてダイレクトに魂を魅了する事で彼女に対する思慕を塗り替えた。
「さて……」
 ウェイバーに命令を撤回させたライダーは不敵な笑みを浮かべ、ファニーヴァンプを睨みつける。
「蹂躙を始めようじゃないか」
 剣を構えるライダーの姿に綺礼は不利を悟った。
「撤退する」
 ファニーヴァンプを抱きかかえ、綺礼は彼女に固有結界の解除を求めた。
 空間が元に戻る。すると、同時に彼方から音速を超えた矢が飛来する。
「おっと、危ない」
 ライダーは矢を打ち落とし、ウェイバーを抱え上げた。
「ブケファラス!!」
 雷鳴と共に漆黒の馬が現れる。
「待てよ、二人が!」
 身を寄せて震えているマッケンジー夫妻に手を伸ばすウェイバー。
 そこに一本の矢が迫る。さっきの矢とは明らかに違う。今度の一撃こそが本命に違いない。
「マスター!!」
 ライダーはウェイバーとマッケンジー夫妻を乱暴にブケファラスの背に乗せた。
「行け、ブケファラス!!」
 自身が乗る暇などなかった。
 主を置いて疾走する黒馬。ウェイバーは遅れて状況を理解した。
「ライダー!?」
「マスター。君の覚悟、確かに見届けた。安心してくれ。君は間違いなく大成するよ。この僕が保証する」
 ライダーは微笑む。ウェイバーは絶叫する。そして、風景が白い光によって塗りつぶされた。
 ブケファラスは走り続ける。主の消滅と共に体が透け始めるが、それでも尚走り続ける。
 背中に乗せている者は主が託した者。その身を安全な場所へ送り届ける事が自らに課せられた使命だと、ブケファラスは仮初めの魂、その一滴までを絞り尽くした。
 川を超え、山を超え、街を二つ跨いだ所で限界を感じ三人を降ろす。
「ライダー……。嘘だ、こんなの……」
 嘆き悲しむ少年を見つめるブケファラス。彼女はその鼻先で少年の顎を押し上げた。
「ブケ……、ファラス?」
 黒馬は嘶く。言葉は通じずとも、意思は通じる。

――――少年よ、前を向け。それを王は望んでいる。

 もし、僕が|マッケンジー夫妻《ふたり》に気を取られなければ彼も揃って離脱する事も出来た筈だ。
 そう思うと後悔の波に襲われる。それでも、少年は前はうつむきそうになる顔を必死に持ち上げ続けた。
 前を見ろ。彼は言った。お前は大成する。彼の言葉を嘘にするな。
「……必ず、僕は」
 少年の戦いはあまりにも呆気無く幕を閉じた。それでも彼の心には焼き付いたものがある。
 これから少年は王の言葉を噛み締めて生きていく事になる。後悔やプレッシャーに押しつぶされそうになる事もあるだろう。
 それでも、王の言葉を曲げる事だけはしたくないと意地を張り、突き進んでいく。
 それはまた、別の話。

 ◇

 魔女は嗤う。些か予定と違い、マスターが逃げ延びたが、これで一番の厄介者が消えた。征服王イスカンダル。彼だけがキャスターにとって敵なり得る存在だった。
 残る|獲物《サーヴァント》はアーチャーとファニーヴァンプのみ。
「行くぞ、二人共」
 キャスターが動き出す。二騎の英霊を引き連れ、まずはライダーを倒した事で弛緩している弓兵を潰す。

 ◆

 蟲は嗤う。
 よもや、ここまで来るとは思っていなかった。
 もはや、桜は聖杯に王手を掛けている。初めは憤りを感じていたが、こうまで見事な結果を出されては認めぬわけにもいくまい。
 蟲は嗤う。
 目の前で倒れ伏している少女を踏みつけ、その肌に蟲を這わせていく。
 少女の悲痛な叫びが夜闇に響く。

 ナニかが生まれ落ちた。
 
「サーヴァント・アサシン――――。影より貴殿の呼び声を聞き届けた」
 記憶を失い、声を失い、恩ある人を裏切らされた少女の慟哭は新たなアサシンの産声によってかき消された。

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