第零話「どこにでも居る平凡な女の子が殺人鬼になった理由」

第零話「どこにでも居る平凡な女の子が殺人鬼になった理由」

 冴島誠は平凡な家庭の長女として生まれた。裕福とは言えないまでも、生活には何の不自由も無く、誠は幸せな幼少時代を過ごした。
 誠には幼稚園に通っていた頃からの友達が居た。細い道を挟んだ反対側の家に住む少年と誠は毎日のように遊んで過ごしていた。毎日、泥だらけになるまで遊んだ。少年の家にある電動式の乗り物玩具に乗って、チョークで地面に書いたコースを走るのが少年のお気に入り。誠の家にある安っぽい【おままごとセット】で遊ぶのが彼女のお気に入り。
 二人はかわりばんこに玩具を少年の家の道沿いにある駐車スペースに運んで遊んだ。車はいつも少年の父親が会社に持っていくから駐車スペースは夜まで空いたままだった。
 
「ぼく、レーサーになるの!!」
「わたし、およめさんになる!!」

 鼻水だらけの少年の語る夢に対抗して、誠は言った。まだ、【およめさん】がどんなものかも知らなかった日の出来事。
 
「マコちゃん!! ずっといっしょね」
「うん!! ハルちゃんとずっといっしょ」

 二人の関係は小学校にあがる頃になると少しずつ変化した。
 新しい環境の中で、二人はそれぞれ別のグループに入った。ハルは元気な男の子達のグループと一緒に近所の公園で毎日走り回り、誠は内気な少女達のグループと一緒に本を読んだり、テレビの話で盛り上がった。二人は共に遊ぶ事が無くなり、乗り物玩具もおままごとセットも埃を被り、いつしか物置の奥に仕舞われた。
 それでも、学校へは毎日一緒に通い、合間合間にお喋りに興じた。それぞれのグループでの出来事を教え合い、二人は代わらず仲の良い友人同士だった。
 転機が訪れたのは五年生の時だった。ある日、グループのリーダー的存在の少女が恋の話題を口にした。誰が誰を好きなのかを互いに教え合う。少女達は無意識に互いを牽制し合った。好きな相手が被ると、自分が如何に相手を思っているかを口にし、険悪な空気になる事もあった。殆どの場合は先んじて言った子に優先権が与えられる。
 誠にとっての不幸は好きな相手が被った相手がグループのリーダーだった事。彼女は先に思い人の事を口にした誠に噛み付いた。

「あんたじゃ相手にされっこないわよ。泣きべそ掻く事になるんだから、さっさと諦めなさい」

 或いは、この時の彼女の言葉を受け入れ、自分の思いを封じ込めておけば、彼女のその後の人生は大きく違ったのかもしれない。
 或いは、誠を押し退け、先に告白をした彼女を少年が受け入れていれば、彼女のその後の人生は大きく違ったのかもしれない。

「……ハル。私、私ね……」

 誠は勇気を振り絞って少年に想いを告げた。
 そして、少年は彼女の告白を受け入れた。
 幼馴染の少女の事を少年もまた好きになっていた。友情は愛情に変わり、二人は幼いながらも深い愛情によって結ばれた。
 そこで、物語が終われば、それはきっとハッピーエンドなのだろう。だけど、人生という物語は【死】というエンディング以外の終幕を許してはくれない。
 登場人物は少女と少年だけではない。恋に破れた少女は友人だと思っていた少女を恨み、憎んだ。
 
――――たかが、子供の癇癪だ。
 
 大抵の大人はそう解釈するだろう。しかし、彼女は紛れも無く恋と失恋を知る女だった。
 愛する者を奪われた彼女の絶望を真に理解出来た者は誰も居なかった。彼女は翌日から誠をグループ内で孤立するように仕向けた。ただ、孤立させるだけ。
 彼女の復讐はその場限りの暴力などで解決する程生温いものでは無かった。激情を無邪気という仮面で覆い、真綿で首を締めるかのようにじわじわと誠を苦しめた。
 グループのメンバーには彼女の支配に抗える勇気ある者は一人も居なかった。誰も異議を唱えず、彼女の命じるままに誠を孤立させていった。
 そして、クラスの面々にはメンバー総出で徐々に誠の悪い噂を流し始めた。真実と思わせられる程度の些細な罪を捏造し、それがクラス内で広がり切り、誰もが真実だと認識するようになると、更に罪のレベルを上げ、また、同じようにクラス内に広がり切るのを待つ。繰り返し行われた彼女達の暗躍によって、誠は気付かぬ内にクラス全体から孤立していた。そして、リーダー格の少女は誠に救いの手を差し伸べた。
 彼女は理解していた。もっとも効率良く、人を苦しめるにはある程度の救済が必要な事を識っていた。少女マンガや小説の中に人を苦しめる方法は幾らでも記されていた。飴と鞭という言葉を少女は優しいタッチの少女マンガによって教えられた。

「勝ってうれしい花いちもんめ、負けて悔しい花いちもんめ」

 近くの公園にクラスの女の子同士で集まり、【はないちもんめ】を踊る。誠もその遊戯に誘われ、孤立していた誠は喜んで誘いに飛びついた。
 それこそがリーダー格の少女の復讐計画の最終段階だとも知らずに、誠はノコノコと公園に現れ、みんなと一緒にはないちもんめを踊った。
 すると、一人、また一人と手を繋いでいた女の子達が相手の方に取られていった。誠は最後の一人になり、それでも踊りは終わらなかった。

「あの子が欲しい、あの子じゃわからん、この子が欲しい、この子じゃわからん、相談しよう、そうしよう」

 もう誰も誠の方には居ない。それでも、踊りは終わらない。やがて、異常に気が付いた誠は恐怖を感じた。

「も、もう止めようよ」
「あの子が欲しい、あの子じゃわからん、この子が欲しい、この子じゃわからん、相談しよう、そうしよう」

 誠の言葉は女の子達の歌に掻き消され、ついには誠は泣き出してしまった。それを見て、少女達は楽しそうに笑った。周りで遊ぶ男の子達からは誠を慰めているように見えるように振舞いながら誠に嘲笑と罵倒の言葉を浴びせ続けた。
 漸く、誠は自分の立場を思い知った。自分が虐められている立場にあると理解し、絶望した。
 ショックのあまり、動けなくなった誠を置いて、少女達は去って行った。空が茜色に染まっても、誠は公園に居た。ブランコに揺られながら、いつまでも泣き続けていた。
 そんな時だった。 

「誠ってば、は本当に馬鹿だよね」

 ブランコに揺られながら俯いている誠の前にリーダー格の少女が現れた。

「真紀ちゃん……」

 真紀はブランコを止めて呆然とした表情を浮かべる誠を抱き締めた。
 優しさたっぷりの彼女の所作に誠は何の疑いも持たずに彼女の背中に手を回して泣いた。
 真紀の顔に嫌悪感がたっぷりと浮かんでいる事に少しも気付かないまま、誠は愚かにも真紀を盲信した。

「なっさけないんだから! 一人で泣きべそかくなんて!」

 いつもの快活な声でそう言うと、真紀は誠の手を取った。
 
「早く、帰ろう! ママに怒られちゃうよ!」

 真紀はわざわざ誠を家まで送り届けた。
 それからも、真紀は様々な手段で誠を虐めながらも、決して実行犯にはならなかった。逆に苦しむ誠に寄り添い、常に慰めの言葉を囁き続けた。
 誠はハルと真紀の二人の存在を心の支えにして学校に登校し続けた。だけど、成績は下がる一方で、両親は学校で何かあったのではないかと感づき始めた。
 それでも、誠は何も両親に告げなかった。真紀がそう言い含めたのだ。

「学校の事で両親に心配を掛けさせては駄目よ。それは敗北なのよ、誠。私がついているんだから、絶対に負けちゃ駄目よ」

 真紀の話術は巧みだった。命令を命令と感じさせぬまま実行させる。
 誠はまるで真紀の飼い犬のように彼女を慕った。そして、六年生の時に彼女は卒業式の場で誠を辱めた。クラス全員が共謀し、誠のスカートのゴムに切れ込みを入れた。手で押えていなければ直ぐにずり落ちてしまう状態で誠は卒業証書を受け取る為に壇上に上がらなければならず、卒業証書を受け取るために両手を挙げた瞬間、誠のスカートはずり落ちて床に落ちた。顔を真っ赤にしながら壇上を去る誠の姿を見ていたのはクラスメイト達だけではなく、卒業式の終了後、彼女はクラスメイト以外からも笑い者にされた。誠の両親も恥ずかしそうに誠を叱り付けた。

「スカートがぶかぶかだったの?」

 両親の問い掛けに誠は頷いた。この期に及んで、誠は真紀への忠誠心を示した。
 だけど、ただ一人、少女の恋人だけが事の実体を確かめようと動いた。親も教師も誠に咎があると確信する中で、ハルは誠のクラスメイトに詰め寄った。
 学力においても、運動においても学年トップだったハルはクラスが違えども一目置かれる存在だった。或いは、彼がそのまま怒りを爆発させていれば、その後の未来も変わったかもしれない。
 だけど、彼を止めたのは他の誰でも無い誠だった。自分が暴力を受けて尚、誠は暴力を嫌っていた。それも、大好きな恋人が誰かに暴力を振るうなど耐えられなかった。
 ハルは誠に誰にやられたのか、と問い詰めたが、誠は答えなかった。

「私がドジだったの……。ごめんね」

 健気に微笑む誠にハルは何も言い返せず、事の真相を暴く事を諦めてしまった。
 そして、誠はハルと真紀と共に近所の私立中学に通い始めた。卒業式でハルに虐めの実体を感づかれそうになり、真紀は更に狡猾な手段を取るようになった。
 今度は全てを見えなくするという手段を止めたのだ。明確な虐めの現場を見せる。所有物を隠したり、机を外に出したり、制服をズタズタにしたり。
 相変わらず、自分は実行犯にならず、誠の信頼が置けるただ一人の同姓の立ち位置を守りながら彼女はクラスメイト達を操った。
 小学校の頃に彼女は既に人を先導する術を身に着けていた。数人のグループに分け、グループ事に別々の虐めを行う。すると、【みんながやってるんだから、自分だってやっていいんだ】という考えに至り、誰もが罪悪感を失った。そして、それは同時に目晦ましになった。誰が虐めを行っているのか、その実体は教師にも分からなかった。そして、都合の良い事に中学校の教師は誰も彼もが保身を尊ぶ者達ばかりだった。虐め問題が浮き彫りになれば、私立の中学は甚大な被害を被る。それを厭んだ教師達は虐めを黙認した。誠が内気な少女で、家でも虐めの事を話題にしないと分かってからは虐めに参加する教師まで現れる始末だった。
 ハルは別々のクラスになってしまいながらも誠を守ろうと必死になった。誠の親に告げ口をした事もあった。だけど、誠自身や学校側からの言葉を信じ込み、誠の親はハルを嘘付きな子供だと嫌悪した。やがて、ハルは己の無力感に苛まされ、見て見ぬ不利をしてしまった。
 それで漸く、真紀の計画は成就した。ハルという守護者が居なくなり、警戒すべき相手は居なくなった。これ幸いにと、真紀は虐めの方式をチェンジした。小学校時代のサイレントな虐めの方式に変更し、端から見ると、まるで虐めが沈静化したかのように見えるようにした。
 だが、実質はより残虐にエスカレートした。制服は着てくる度にズタズタに引き裂かれ、代わりに詰襟の学ランを着させられた。親には転んで制服を駄目にしてしまい、余った制服を特別に貰える事になったのだけど、男子用しかなかったと説明させた。学ランを用意したのは真紀だった。ハルに見捨てられ、真紀を唯一の心の支えにするようになった誠は学ランしか用意出来ず申し分けなさそうにする真紀に感謝の言葉を告げ、真紀に言われた通りの言い訳を親にした。その頃には成績の事や度重なる制服の廃棄処分で娘に苛立っていた両親は特に気にした様子も無く誠を無視した。両親が誠に注意を向けるのは成績が更に下がった時や通わせた塾を遅刻したりした時ばかりになっていた。両親の愛情は全て妹に向けられていた。
 
「ほら、脱げよ!」

 いつしか、クラスメイト達は真紀の命令無しに誠を虐めるようになった。
 特に一部の男子は何をしても許される女子に対して平然と性的な虐めを行った。
 男子トイレの個室に閉じ込め、上からホースで水を浴びせるのなどは日常茶飯事だった。学ランを着る誠が男子トイレに連れ込まれても、教師は誰も注意を払わなかった。
 時には小便の掛かったトイレットペーパーを投げ込まれる事もあり、誠の精神は徐々に病んでいった。壊れずに居られたのは皮肉な事に真紀の存在があったからだった。
 レイプに及ばなかっただけ、まだこの頃は良心が残っていたのかもしれないが、中学を卒業する頃にはクラスメイトは誠を完全にただの玩具として認識していた。
 そして、ハルは愚かにも虐めが沈静化して見えた状況を信じ込み、誠を置いて別の高校へと進学した。誠には別の高校を受験するだけの学力が無く、そのまま進学するしかなかった。
 そして、ハルの存在が無くなった事で、虐めは最後の理性を失った。
 拷問と言い変えても何の問題も無いような行為が平然と教室で行われ、それを生徒も教師も当然のように眺めている。そんな異常な光景に恐れを為し、黒幕だった真紀は一年の夏に転校してしまった。そして、誠は最後の心の支えをも失い、苛烈な拷問を受ける毎日を送った。
 ただ、そんな日々の中でも心休まる時はあった。ハルは相変わらず恋人として接し、誠をデートに誘った。それが誠にとっては幸せだった。例え、毎日が地獄であっても、こうして愛する人と居られる時間がもてるだけで十分に幸せだった。だが、それも一週間に一度あればいい方だった。
 ハルの進学した高校はとても偏差値の高い学校で、授業の内容も難しかった。それに、彼には素晴らしい才能を持った友人が多く居た。彼女との時間を大切にしたいと思いながらも、友人との時間も大切にしたかった彼は徐々にデートもおざなりになり、近所を散歩したりする程度で終わらせてしまうようになった。
 それでも、誠は満足した。彼が少しでも自分の時間を割いてくれる。それだけで嬉しくて仕方が無かった。
 両親の愛を失い、学校では地獄の日々。微かなデートの時間が誠にはなによりも大切な宝物だった。

「ほら、入れよ」

 全てが壊れたのは二年目の事だった。放課後、誠はクラスメイトの男子五人にカラオケ店に連れ込まれた。古びた雑居ビルの三階にある小さなカラオケ店。
 
「や、やばくないか……? こいつ、一応彼氏居るしよ」
「大丈夫だって。こいつがこんな状態になってんのに何もしないようなチキン野郎だぜ。もしかしたら、そういうプレイなのかもな。俺よ、ちょっとSMプレイってのに興味あるんだよねぇ」

 五人組のリーダー格の少年は誠を固いソファーに横倒しにした。そして、そのまま行為に及んだ。
 何時間にも及ぶ行為の最中、一度もカラオケ店の店員は来なかった。ここはそういう客が来る場所なのだと少年たちは予め知っていたらしい。
 全てが終わり、リーダー格の少年が口止め代わりに誠を殴りつけた。

「分かってんだろうな。誰にも言うなよ。じゃねーと、写真をバラまくぞ。明日もここに来いよな」

 行為の最中も少年は何度も誠を殴った。顔は最後の一撃で軽い痣が出来た程度だったが、体は全身が痣だらけになっていた。最初に止めようとしていた少年は蒼白な表情を浮かべ、少年たちが帰った後、誠の体を拭いて着替えをさせ、頭を地面にこすりつけた。そんな彼に誠は反応を返さず、家に戻った。その日は塾の日だった。
 母親は塾をサボった誠を叱り付けた。茫然自失となった誠は電話を掛けた。愛する人に別れを告げる為に……。
 そして、翌日、誠は包丁を隠し持ちながら少年達の呼び出しに応じた。あの誠の世話をした少年の姿は無かった。誠は少し安心して、少年達の前でストリップショーを強要されながら、一番近くにいた少年に歩み寄り、刺し殺した。
 何が起きたのか分からぬままの他の少年達を次々に刺していき、最後に漸く状況を理解した少年の喉を突き刺した。血の海の上で誠は笑った。笑い続けた。何もかもがどうでも良くなった。このまま、死んでしまおうかとも思った。その時だった。
 扉が開いた。また、自分の事を犯しに来たのかと思った。だけど、違った。一番見られたくない人に見られてしまった。でも、どうでもいい。もう、何もかもどうでもいい。
 服を着せられ、どこかへ連れて行かれた。でも、どうでもいい。

「ごめん……」

 ハルの言葉が嫌に耳に残った。連れて来られたのはホテルだった。部屋の一室で待たされ、しばらくして戻って来た彼にシャワーを浴びさせられ、服を着させられた。
 そして、そのままホテルを出た。少し、哀しかった。
 そのまま、彼は何を思ったのか、ラーメン屋に連れて来た。【長浜】という店名のラーメン屋だった。食欲なんて無いと思っていたのに、するする胃袋に入ってしまった。

「ううん。替え玉はさすがに一杯が限界かな」

 ハルは敢えて明るく振舞った。

「美味しいでしょ。たまにはちゃんとデートらしい事もね。こういうとこ、来た事ないでしょ? もっと、早く連れて来て上げればよかった」

 ハルはニコニコと微笑んだ。誠は少しずつ落ち着き始め、自分の仕出かした恐ろしい犯罪に恐怖した。そんな誠に、ハルは言った。 

「ねえ、マコちゃん。君は今日の事をわすれるんだ」
「え?」

 ハルの言葉に誠は困惑した。そんな誠に御構い無しにハルは言った。

「あのカラオケ店で起きた事は全部俺の罪だ。証拠も置いて来た。何の心配も要らないよ」
「な、何を言って……」

 途惑っている誠を余所にハルは立ち上がった。

「殺人犯は死んで、この事件は迷宮入りになる。マコちゃん。ごめんね。こんな事しかしてあげられなくて……」

 哀しそうに微笑み、ハルは誠の頬にキスをした。そして、途惑う誠を残して店を出た。
 不吉な予感に駆られ、誠も直ぐに後を追ったが、店を出た時には既に彼の姿は遠くにあった。誠は必死に走った。追いつかないと行けない。追いつかなければ、取り返しの付かない事になる。
 誠はいつしか、彼がどこに向かっているのかが分かった。誠が通っている高校だ。誠はハルの後を追い、階段を駆け上がり、高校の屋上に向かった。

「情け無いなぁ。最後くらいは潔くしたいのに……」

 そんな声が聞こえ、勢い良く扉を開くと、誠は見てしまった。微笑みながら落ちていく、彼の姿を見てしまった。

「ごめんね」

 そう、最後に言い残し、彼は地面へ吸い込まれるように落ちていった。
 そして、誠は……壊れた。

第十三話「真の希望」

第十三話「真の希望」

「ユーリィは少し一人になりたいそうだ。準備室に入るにはこの扉を通るしかないから、ここで見張ってやってくれ。俺は少し用事が出来た」

 準備室から一人出て来たダリウスがそう言ったのが今から一時間前の事。部屋の中からは物音一つしない。さすがに妙に思い、声を掛けるが、返事は無い。もしかしたら、眠ってしまったのかもしれない。
 無理も無い。元々、ダンスパーティーで疲れ果てていた所にジェイクの失踪の一報。次々に不吉な情報が舞い込んで来て、疲労がピークに達したんだろう。

「入るぞ」

 一言告げてから、俺は準備室の扉を開けた。だけど、どこにもユーリィの姿は無かった。

「ユーリィ……?」

 物陰の隅もくまなく探したが、ユーリィの姿はどこにも見つからない。
 嫌な予感がする。部屋を飛び出し、俺はマクゴナガルに詰め寄った。

「先生!! あの準備室に抜け道は無いのか!?」

 マクゴナガルは驚きに目を瞠りながら首を横に振った。

「ありませんよ。私がこの職に就いてからこれまで、そんな物の存在を見た事がありません」

 変身術の教師が変身術の授業準備室にある抜け穴を知らない筈が無い。という事は準備室には抜け穴なんて無いって事になる。
 なら、ユーリィはどこに消えたんだ。

「ダリウスがどこに行ったのか分かるか?」

 残った闇祓いや連合の面々に聞いても首を横に振るばかり。
 ダリウスを疑う気は無いが、ユーリィが消えた事と無関係とは思えない。

「俺、ダリウスを探して来る。ネビル、ロン、手伝ってくれ!!」
「あ、うん!」
「お、おう!」

 二人と手分けをして城中を探し回った。結局、明け方まで探し回ったが、ユーリィの姿もダリウスの姿も確認出来なかった。
 玄関ホールで合流すると、二人も手掛かり無しと困惑した表情を浮かべている。
 その時だった。突然、見知らぬ少女が話し掛けてきた。

「あ、あの!」

 恐らく下級生だろう。焦った様子で彼女は言った。

「ド、ドラコ先輩はどこですか!?」
「は?」

 困惑している俺を余所に少女は尚も詰め寄ってきた。

「どこに連れて行ったんですか!?」
「な、何の事だ? ってか、ドラコ先輩ってのは、もしかして、マルフォイの事か!?」
「あ、当たり前じゃないですか!! ドラコ先輩はどこなんですか!?」

 わけが分からない。いきなり、この女は何を言ってるんだ。
 いい加減、苛々してきた所でネビルが言った。

「もしかして、君はマルフォイと一緒に踊っていた子かい?」
「どういう事だ?」
「ダンスパーティーでマルフォイに似た人影を見た気がしたんだ。その時、一緒にこの子が踊っていた気がする」

 あいつ、ダンスパーティーに出席していたのか……。
 もしかして、この女はあいつの彼女なのかもしれない。

「マルフォイがどうかしたのか?」
「どうかしたのかって……、だって、あなた達の仲間が連れ去ったんじゃないですか!! それも、あんな乱暴な方法で!!」

 要領を得ない彼女の説明に頭が痛くなって来た。
 
「落ち着けよ。俺達はマルフォイの行方なんか知らないぞ。俺達の仲間って誰の事を……」

 言い掛けて、俺は閃いてしまった。この状況下でそんな行動を取る可能性のある人物について。
 それも、俺達と縁のある人物。

「そいつはダリウスの事を言ってるのか……?」
「そうですよ!! いきなり、私とあの人がお喋りしてたら部屋に入って来て、呪いであの人を気絶させて無理矢理連れて行ったんです!!」

 俺はネビル達と顔を見合わせた。
 予感はこの瞬間に確信に変わった。ユーリィの失踪にはダリウスが関わっている。
 あいつとの思い出が脳裏を過ぎり、否定したくなる気持ちが湧くが、その一方で頭の冷静な部分がハッキリと肯定している。

「とにかく、みんなの下に戻るぞ。お前も来い」
「ド、ドラコ先輩はそこに居るんですか!?」
「居ないが、とにかく少しでも手掛かりが欲しい――――」

 その時だった。突然、玄関の大きな扉が音を立てて開いた。
 その向こうから現れた人物に俺は言葉を失った。

「ユーリィ!?」

 ネビルの声に我に返り、俺はユーリィに駆け寄った。
 何があったのか分からない。ただ、ユーリィの体はボロボロだった。全身に血が付着していて、右腕は肘から先が無くなっている。
 倒れ込むユーリィを抱き止めると、その弱々しい呼吸音に悲鳴を上げそうになった。

「ネビル!! マダム・ポンフリーを呼んでくれ!! ロン!! みんなに報告を頼む!! 女!! お前も手を貸してくれ」
「あ、はい!」
 
 ネビルとロンは直ぐに踵を返して階段を駆け上がって行った。少女も慌ててユーリィの介抱を手伝った。
 中に運び入れて、ローブを敷布団代わりにしてユーリィの体を横たえさせた。呼吸は尚も荒い。
 しばらくして、マダム・ポンフリーが駆けつけてくれた。直ぐに応急処置を開始する彼女の後に続いて、ソーニャ達も駆けつけて来た。
 ソーニャは狂騒に駆られ、泣き喚いたが、マチルダが眠りの呪文を掛けて沈静化させた。
 気持ちは痛い程分かるけど、騒ぐとユーリィの体に障る。眠りについた二人を保健室に運び、俺達はそこでユーリィの目覚めを待つ事にした。
 何が起きたのか? マルフォイはどうしたのか? ダリウスはどこにいる?
 聞きたい事は山ほどある。だけど、無事にまた姿を見れて良かった。腕が千切れているが、マダム・ポンフリーなら絶対に治してくれる筈だ。
 全ての治療が終わり、ユーリィの呼吸音が落ち着く頃には太陽がすっかり昇っていた。途中、ダンブルドアが訪れたり、連合のメンバーが入れ替わり立ち代りしたが、ユーリィが目を醒ましたのはそれから更に半日以上が経過し、空が茜色に染まる頃だった。
 目を薄っすらと開いたユーリィは開口一番に言った。

「マコちゃんが奪われた。それに、ドラコ君が殺された」

 ユーリィじゃなかった。
 そこに居たのはユーリィの中に眠るもう一人の人格。
 ジャスパーは驚愕に顔を歪める俺達を一瞥し、途端に顔を手で覆った。
 体を震わせ、泣いているのかと思った。

「あははっ」

 違う。そうじゃなかった。
 ジャスパーは泣いてなんかいない。

「あっははははははははははははははははは!! っはははははは!! あっはははははははははははははははははははははは!!」

 ジャスパーは気が狂ったみたいに笑い出した。
 顔を歪め、壮絶な笑みを浮かべるジャスパーを前に俺達は誰も口を開けなかった。
 ユーリィと同じ顔をしていながら、どうしてこんなにも醜悪に笑えるのか不思議で堪らない。それほど、ジャスパーの笑いは聞くに耐えなかった。

「こんな事があるなんてね」

 漸く笑うのを止めたジャスパーは今度は涙を流した。目まぐるしく変わるジャスパーのテンションに誰もついていけてない。
 ただ一人を除いて……。

「あ、あなた!!」

 マルフォイの恋人を名乗る少女が身を乗り出してジャスパーに掴みかかった。

「ド、ドラコ先輩が死んだって、どういう事ですか!?」

 そうだ。奴の笑いに気を取られ、肝心な事が頭から抜けてしまっていた。
 奴は笑い出す前に言った。ユーリィを奪われた。そして、マルフォイが殺された。そう言ったのだ。

「ジャスパー。ユーリィが……、マコトが奪われたって、どういう事だ?」

 問い詰める俺と少女を一瞥すると、ジャスパーは深々と溜息を零した。

「本当に絶望的だよ。君には少し期待を抱いていたのに、結局君はマコちゃんを守れなかった」
「どういう意味だよ……」
「ああ、教えて上げるよ。何があったのかを……」

 ジャスパーは淡々と語った。ダリウスにティーカップを出され、触った途端に見知らぬ場所に飛ばされた事。
 ヴォルデモートが現れ、ユーリィが拘束された事。
 ジェイクが殺され、ドラコが殺され、そして、マコトが生前の肉体を取り戻し、死喰い人に拉致された事。
 一つ一つがあまりにも衝撃的過ぎて、俺達はパニックになり掛けた。そのパニックを抑えたのは、俺達以上にパニックに陥ったソーニャだった。
 ジェイクが殺され、マコトが拉致された。彼女は愛する夫と息子が同時に奪われたのだ。普段の彼女からは想像も出来ない狂態にマチルダは涙を零しながら彼女を眠らせた。

「嘘よ。嘘だと言ってよ、ジャスパー」

 マチルダの言葉をジャスパーは鼻で笑った。

「本当に愚かだね、君たちは」
「なんだと!?」

 思わず掴み掛かると、ジャスパーは冷たく言った。

「まあ、僕が一番愚かなんだけどね」

 そう言って、ジャスパーは俺を突き飛ばした。そして、言った。

「とにかく、彼女をこのまま放っておくわけにはいかない」
「彼女? そいつの事か?」

 俺が静かに涙を零し、力無く項垂れている少女を指差すと、ジャスパーは大きな溜息を零した。

「馬鹿だとは思っていたけど、ここまで来ると絶望的な気分になるよ」
「なっ!? じゃあ、ソーニャの事か?」

 再びジャスパーは溜息を零した。

「じゃあ、誰の事を言ってるんだ!?」
「マコちゃんの事に決まってるじゃないか」
「え?」

 ジャスパーは言った。

「マコちゃん。冴島誠は女の子だよ。まあ、僕が色々記憶を弄ったから、本人も自分が生前女の子だった事は覚えていなかったけどね」
「マコトが……ユーリィが女の子?」

 まるで頭をガツンと殴られた気分だ。
 
「そうだよ。あの子は女の子だったんだ。だけど、この体に適応出来るよう、僕の記憶とかを彼女に流し込んで、余計な記憶は封印しておいたんだ」
「……やっぱりね」

 納得したように呟いたのはハーマイオニーだった。他の誰もが驚いている中、彼女だけはジャスパーの言葉をアッサリと受け入れた。

「ヒントはあったものね」
「一番気付かなきゃいけない人が気付いてくれなかったけどね」

 ジャスパーは肩を竦めた。それは俺の事を言ってるのだろうか。
 
「ヒントって、どういう意味だ?」

 ハーマイオニーに向き直って聞くと、彼女は言った。

「初対面の頃から思ってた事なんだけど、ユーリィって、あまりにも男らしさが欠けていたわ」
「……って、それはアイツが女々しい性格だからって事か?」
「違うわ。性格がどうとか以前の問題よ。一つ一つの行動がヒントになっていたのよ。でも、もしかしたら性同一性障害なのかもしれないし、とてもデリケートな事だから本人には聞けなかったのよ。あの子、いつだって私と同じ立場に居たわ」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味よ。あなた達がクィディッチの話で盛り上がっている時も遊んでいる時もユーリィはいつだって眺めているばかりだったわ。それに、あなたと居ると特に感じたんだけど、あの子……、男に媚びていたわ」

 俺はハーマイオニーを殴りそうになった。留まったのは、ハリーが間に入り、睨みつけてきたからだ。
 アイツはハーマイオニーの言葉を聞いた瞬間に俺の行動を読んだに違いない。咄嗟に動ける程明快にハーマイオニーはユーリィを侮辱した。

「お前……」
「もちろん、あなたが怒る気持ちは分かるわ。でも、事実よ。あなただって、ユーリィがあなたに接するとき、どこか媚びているように感じていたんじゃない?」

 否定出来なかった。確かに、アイツは事ある毎に俺が喜ぶ選択をしようと意図的に動いていた。だけど、それは生前の事があって、人に対して臆病になっていたからだ。

「アイツは男に媚びてたんじゃない。他人に対して怯えていただけだ」
「私に対しては自然体だったわ」
「なに?」
「私だって、ある程度は異性に対して自分を取り繕ってる部分があるわ。女は誰だってそうなのよ。意識してにしろ、無意識にしろ、異性に自分の事を良く見せたい。良く思わせたいと思うものなのよ」

 まるで、自分の恥部を晒すような告白だ。 

「同じ女だからこそ分かる部分もあるのよ。ううん、違うわね。恋人を得たからこそ分かる事って言うか……」
「何が言いたいんだ?」
「あの子は男の人に甘える事を知ってるのよ。多分、生前に恋人が居た筈。ジャスパー。あなた、ユーリィの生前の恋人なんじゃない?」

 ハーマイオニーの言葉にジャスパーは微笑み、何も言わない。

「いいわ。他にもヒントはあった。例えば、あの子の趣味は家庭的なものが多かった」
「そのくらい……」
「ええ、少なからず居るでしょうね、そういう男の子だって。でも、それだけじゃないわ」

 ハーマイオニーは言った。

「前にジャスパーは言ったわ。【ボクはマコちゃんを心から愛しているさ。っていうか、人をゲイみたいに言わないでよ。君と違って、ボクはそういうんじゃないから】って」

 俺は殆ど覚えていない。さすがは学年一の秀才という事なのか。

「ここで重要なのはジャスパーはユーリィに対して、恋していると言っていたの。にも関わらず、自分はゲイじゃない言ったわ。明らかに友愛を逸脱した愛情を抱いておきながら同性愛者である事を否定した。つまり、この時点でほぼ彼は答えを言っていたのよ。ユーリィが……冴島誠が女の子だと」

 言っている事は理解出来る。だけど、そんなのはどれも憶測の範疇に過ぎない。
 明確な証拠となるものは何も無い。

「どれも確かにユーリィの生前を女の子だったと言うには弱い。でも、それが重なればどうかしら? 憶測は実体を伴うわ」

 ハーマイオニーの言葉にジャスパーは言った。

「っていうか、ボクはマコちゃんが女の子だって、さっき言ったんだけどね。まあ、いいや。君の憶測は合ってるよ。彼女は女の子だし、ボクは生前の彼女の恋人だった。でも、君が考えてるのはその程度の事じゃないんだろ?」

 ジャスパーの言葉にハーマイオニーは頷いた。 
 そして、表情に暗い影を落とし、彼女は言った。

「全てが逆だったのね? だから、あなたはココに居る」
「全てが逆……? どういう意味だ?」
「つまり、ユーリィの体は元々ジャスパーの物だったのよ」
「は?」

 意味が分からない。だって、ジャスパーはユーリィの魂に寄生している存在の筈だ。それが、なんで肉体の本来の持ち主になるんだ。

「つまり、ジャスパーがユーリィの魂に寄生していたんじゃない。ユーリィがジャスパーの魂に寄生していたのよ。そして、恐らくあなたが語った生前の世界で起きた惨劇はあなたが行った事じゃない。あれは全て――――」
「待て!!」

 俺は気が付くと叫んでいた。
 とてつもなく嫌な予感がしたのだ。この先を決して聞いてはいけない、と俺の本能が告げた。
 聞けば後悔する事になる。そう、確信があった。
 だけど、ハーマイオニーは止まらなかった。

「ユーリィが行った事。人を殺したのはユーリィ。そして、あの予言の絶望はあなたじゃなくて、ユーリィを指したモノだった」
「違う!! そんな筈無い!! ユーリィが人を殺す筈が無い。だって、アイツは人を殺せるような性格じゃ――――」
「ジャスパーが言ってたじゃない。性格を作り変えたって……」

 俺は言葉を失った。何を言っても反撃の言葉が用意されているような気分だ。
 だけど、止まるわけにはいかない。

「俺はユーリィの記憶を見たんだ!! その記憶の中で、確かにユーリィは男だった筈だ!!」
「その記憶の中のユーリィが本当に男の子だったと断言出来る?」
「で、出来るさ!! 髪だって短かったし――――」
「女でもショートカットは居るわよ」
「それに、アイツの部屋はすっきりしてたんだ。女の部屋だったら、もっとごちゃごちゃしてる筈だろ!!」
「ユーリィは綺麗好きだもの。それに、持ち物の少ない女の子も居るわ」

 俺は尚も反論しようとすると、ジャスパーは深く溜息を零した。

「君達はいつまで、そんなコントを続けている気なんだい?」

 俺が反論しようとすると、ジャスパーは先んじて言った。

「いい加減、ウンザリしてきたから、もう結論から言っちゃうよ。ハーマイオニーちゃん、大正解だよ。全て、君の推測通りだ」
「なんだと……?」
「なんなら、全てを教えて上げるよ」
「全て……?」
「始まりも終わりも何もかも。もう、隠す理由が無くなってしまったからね」

 ジャスパーは言った。

「ハーマイオニーちゃんの言う通りさ。つまり、全てが逆だったんだよ。マコちゃんは予言で言う所の【絶望】で、僕が【真の希望】だったんだ」
「お、俺は……」

 聞きたくない。今直ぐにも逃げ出したい。
 後ずさる俺をジャスパーは掴んだ。

「君には特に聞いて欲しいな。そして、理解して貰わないと」
「理解……?」
「そうだよ。僕は大きな間違いを犯した。君は僕と似ている。だから、同じ間違いを犯して欲しくないんだ。色々な意味でね」

 ジャスパーは淡々とした口調で語り始めた。
 全ての始じまりと終わりの物語を……。

「さあ、僕の話を聞いておくれ。愚かでどうしようもないクズが犯した大きな過ちを……。どこにでもいる普通の女の子が絶望に塗れた理由を聞いてくれ」

第十二話「死んで生まれて」

第十二話「死んで生まれて」

 ダリウスに連れて来られたのは変身術の教室だった。中には連合の面々とママの姿がある。ママは蒼白な顔でマチルダに支えられている。

「ユーリィ……」

 ママは俺を見るなりワッと泣き出した。

「ママ……」

 まるで揺れ動く船の上を歩いているみたい。ふらつく足でママの下に辿り着くと、ママは俺を抱き締めた。

「ジェイクが……ああ……」
「パパ……」

 怖い。パパに何かあったらと思うと怖くて仕方が無い。俺の二人目の父親。俺を愛してくれるパパ。いつだって、彼は無償の愛を注いでくれた。
 傍に居てくれるのが当たり前だと思っていたから、彼が死喰い人に狙われるなんて思わなかった。

「俺のせいだ……」

 涙が止め処なく溢れて来る。パパが狙われたのは俺のせいだ。俺が居なければ、彼が襲われる事なんて無かった筈。

「いいや、我々の落ち度だ」

 スクリムジョールが言った。

「二人にも警護を付けていたんだが、手薄だった事は否定出来ない。三大魔法学校対抗試合で人手を割かれていた……なんてのは、言い訳にならんな。すまない」

 悔しそうに拳を握る彼に俺は何も言えなかった。ただ、パパの生存を祈る事しか出来ない。
 嘆き悲しむママに抱き締められながら、俺はママの胸元に俺と同じブローチがある事に気が付いた。

《永久に愛している》

 ママも受け取っていたんだ。パパからのクリスマスプレゼントを。パパからのメッセージを……。
 バタンと扉を開く大きな音がした。入って来たのはスクリムジョールの補佐官であるガウェインだった。焦燥に駆られた表情を浮かべる彼に不吉な予感が脳裏を過ぎる。

「局長。アズカバンから大量の脱獄者が出たと報告が!!」
「なんだと!? 警備を強化していた筈だぞ!!」
「吸魂鬼が裏切ったようです。警備として動員された特殊部隊は報告して来た者を除き全滅。彼も衰弱が激しく……」

 ガウェインの報告が続く中、再び部屋に闇祓いが現れた。クリストファー・レイリーは若々しくて端正な顔を焦燥に歪めながら入って来た。

「ファッジが行方不明になった!!」
「馬鹿な!? ファッジには精鋭を送っていた筈だぞ」
「ディエゴが裏切った。ロジャーは殺された」

 スクリムジョールは怒りに任せて壁に拳を叩きつけた。

「ディエゴが裏切っただと!? ロジャーが死んだだと……」

 ガウェインもショックを受けた表情で固まり、部屋の中は騒然となった。
 
「服従の呪文とは思えん。ディエゴは服従の呪文に対抗出来るからな……」

 クリスの言葉にスクリムジョールは浅く頷いた。

「とにかく、ユーリィとハリー、それにソーニャと警護を強化する。エドワード、マチルダ、クリス、ガウェイン、トンクス、アネット、マッドアイ、ダリウス。お前達は一時も離れるな。三人は決して一人になろうとするな。風呂もトイレも誰かと一緒に居ろ」

 スクリムジョールは素早く指示を出すと、扉に向かって歩き出した。

「待って下さい、局長!! 貴方の警護はどうするおつもりですか!?」
「私にまで警護を付けて居ては手が回らなくなる」
「冗談じゃありません!! ファッジの次に狙われるのは間違いなく貴方だ!! 三人の警護はクリス達に任せ、私は貴方の警護に付きます!!」
「ならん!! 特にユーリィとハリーは今後の世界の運命を左右する存在だ。どんな手を使ってでも守らなければならない。私に何かあったらダンブルドアに指示を仰げ」
「何かあったらですって!?」

 赤毛の闇祓い、アネット・サベッジは怒りに満ちた声を上げた。

「貴方が居なければ、誰がこの世界を守るというの!? 局長!! 今、この世界の命運は貴方の双肩に掛かっているんですよ!?」
「局長。幾ら何でも、アンタの命はそうそう簡単にチップにしていいもんじゃねぇ。そのくらい、分かってんだろ。ちっとは冷静になんな」

 ダリウスも眉間に皺を寄せながら言った。

「ディエゴの裏切りとロジャーの死に熱くなるのも分かる。だが、己の死は世界の滅亡と同義なのだと自覚しろ、スクリムジョール」

 マッドアイは鋭い声で言った。 
 スクリムジョールは歯を噛み締め、体を震わせた。

「すまん……。だが、私は一刻も早く魔法省に向かわなければならん。ファッジが居ない今、補佐官が政治を取り仕切る事になるだろうが、奴はファッジ以上に無能な男だ。下手をすれば、取り返しのつかない事態になりかねん」
「ガウェインとアネットを連れて行け」
「しかし、それでは三人の警護が……」
「わしとダリウス、それにクリスとトンクス、エドワード、マチルダが居る。それに、不死鳥の騎士団やまだまだ若造だがアルフォンスも居る。そうそう死喰い人なんぞに遅れは取らん」
「……分かった」

 スクリムジョールはスネイプやマクゴナガル、ルーピン達に頭を下げた。

「すまないが、任せる」
「生徒を守るのは当然です。どうか、貴方も無事で……」

 マクゴナガルの言葉にスクリムジョールは深く頷き、踵を返して部屋を出て行った。
 
「ダンブルドアは?」

 アルがトンクスに聞くのが耳に入った。

「緊急の要件で各方面に手紙を出しているみたい。それに、ボーバトンやダームストラングの校長と話し合うと言っていたわ」

 事態は一夜にして急転してしまった。ルーナとダンスを踊ったのが遠い昔の事のように思える。
 心に暗雲が立ち込めたまま、時間は残酷な程いつも通りに過ぎて行く。一分一秒がパパの生死を分ける中、パパの居場所を掴む手掛かりは一切無い。
 そもそも、捜索に使える手があまりにも少ないみたい。精鋭集団は俺達の傍を離れられず、多くの連合の面々は魔法省やアズカバンの事で大忙しだから……。

「パパ……」

 ブローチの文字はあれから一度も変わらない。
 あれから何度も呼びかけているのに、パパは答えてくれない。
 不安が募る中、夜が更けていく。
 涙も枯れ果てた時だった。俺のブローチが突然光出した。慌てて浮かび上がってくる文字を読むと、心臓が飛びあがりそうになった。

《僕は生きている》

 ブローチにはそう刻まれた。ソーニャは食い入るように見つめ、マッドアイ達を呼んだ。
 すると、ブローチの文字が再び変化した。

《リトル・ハングルトン》

 リドルの屋敷がある村の名前だった。マッドアイは即座にクリスと共に立ち上がった。

「マチルダとダリウスは三人の警護を引き続き行え。エドワード、クリス、トンクス、ルーピン。お前達はわしと共に来い!!」
「了解!!」

 マッドアイは使命に燃えた眼差しで言った。

「罠の可能性もある。だが、奴らを捕らえる好機かもしれん。ディーダラス、お前はダンブルドアにこの事を伝えろ。ヘスチア、魔法省に向かい、スクリムジョール達に報告を頼む。アーサー、万が一の場合に備え、ヘスチアと共に魔法省に向かい、【奴】を連れて来い」

 紫のシルクハットを被ったキーキー声のとピンクの頬をした黒髪の魔女、それにロンのパパの三人に素早く指示を飛ばし、マッドアイは部屋を飛び出して行った。その直ぐ後をエドワード達が追い、ディーダラス達も自分達に割り振られた仕事を為すために飛び出して行く。
 
「パパ……、大丈夫だよね」

 不安が募り、零すように言うと、ママは深く頷いた。

「大丈夫よ。あの人は諦めない人なの。絶対、生きて帰って来てくれる筈よ」

 大丈夫、と繰り返すママに俺は小さく頷いた。パパはきっと生きている。マッドアイ達がきっと連れて帰って来てくれる筈。 

「ユーリィ」

 ダリウスが声を掛けてきた。

「少し、今後の事で二人で話したい。準備室の方で少しお茶を飲まないか?」

 俺はママを見た。ママは涙を拭って小さく頷いた。

「何の話をするんだ?」
「色々な。ただ、少し込み入った話にもなる。後で話してやるからお前はここで待ってろ」
「……ああ」

 ダリウスと一緒に準備室に入ると、授業の教材が整頓されて置かれていた。
 ダリウスはポケットから小さな木箱を取り出した。その中には一組のティーカップがあった。

「少し、茶に凝り始めてな。テーブルに並べてくれないか? 俺は茶を淹れてくる」

 言われた通りにしようと、俺は木箱の中のティーカップに触れた。その瞬間、俺は天へ向かって落下した。
 この感覚を知っている。移動キーだ。でも、どうしてティーカップが移動キーになんてなってたんだろう。
 疑問が氷解する間も無く、俺は見知らぬ場所に飛ばされた。雪化粧に覆われた大地にポツンと立っている。

「ここは……」

 辺りを見回すと、満月の明かりに照らされて、一人の男が立っていた。

「……ヴォルデモート」

 能面のような顔をした男が居た。ヴォルデモートは杖を俺に向けている。

「会いたかったぞ。さあ、儀式を始めようではないか」

 ヴォルデモートは杖を振るった。すると、俺の体は金縛りにあったように動けなくなり、背後の地面が捲り上がって来た。雪でも土でもない。現れたのは十字架だった。
 俺の体は十字架に磔にされた。

「さて、ゆっくりとゲストを待つとしようではないか」

 ヴォルデモートはゆったりと佇みながら、俺のポケットに手を差し入れた。杖をアッサリと奪われてしまった。
 頭の中の整理が追いつかない。
 ただ、一つ聞きたい事があった。

「パパは無事なの?」

 答えを聞くのが怖い。
 
「会いたいなら、会わせてやろう」

 ヴォルデモートはそう言うと、地面に杖を向けた。すると、小さな棺が地面から浮かび上がって来た。
 俺は悲鳴を上げた。棺が開き、中から現れたのはパパの遺体だった。冷たくなり、肘から先の腕を切断された惨い姿。
 何を叫んでるのかも分からないくらい、俺は感情をぶちまけた。ヴォルデモートはそんな俺を楽しそうに眺めている。
 
「お前の父は勇敢だった。このヴォルデモート卿が認めよう。世に溢れる凡俗とは違う。お前の為にこの俺様を殺そうとまでしたのだ」

 パパは戦ったんだ。俺の為に戦ってくれたんだ。大好きなパパが俺のせいで死んだんだ。
 パパとはもう二度と話せない。もう二度と抱き締めて貰えない。もう二度と一緒に過ごす事が出来ない。

「殺してやる!! ヴォルデモート!! 殺してやる!!」
「ああ、お前の父も叫んでいたよ。よほど、お前を守りたかったのだろうな」

 パパの死を嘲笑うヴォルデモートに憎悪が際限無く溢れ出す。
 殺してやる。何度も叫び、何度も吼え、何度も怒鳴った。
 拘束を振り解こうともがく。けれど、拘束は固く、身動き一つ取れない。
 悔しさと怒りで頭がどうにかなりそうだった。クラウチに拷問された時でさえ、こんなにも怒りを感じる事は無かった。
 
「パパをよくも!! よくも!! ヴォルデモート!!」

 これほど他者の命を奪いたいと思った事は無い。これほど他者を甚振りたいと思った事は無い。
 どんな苛烈な拷問をしても生温い。死ですら生温く感じる。そんなに永遠の命が欲しいなら与えてやりたい。そして、首だけを固いコンクリートの箱に入れ、海の底に沈めてしまいたい。永劫終わる事無き孤独を味会わせてやりたい。

「む、来たようだな」

 ヴォルデモートはまるで俺の言葉を意に介さず、虚空を見上げた。
 すると、突然、五人の人影が現れた。

「ドラコ!?」

 一人はドラコだった。それに、あのアステリアというドラコの彼女も居る。
 ドラコの背後には彼の両親が居て、四人は拘束されていた。その更に後ろに佇むダリウスの手によって……。

「ダリウス……?」
 
 ダリウスは俺を一瞥すると、いつも通りの快活な笑みを浮かべた。

「よう」

 陽気な挨拶。
 俺は底知れない恐怖を感じた。何故、ダリウスはドラコを拘束しているんだろう。
 ダリウスは俺を助けに来てくれたんだ。そう、思い込もうとして、俺をここに連れて来た移動キーの持ち主が誰かを思い出し、出来なかった。

「いつから……」
「ん? 俺が旦那の配下になったのがいつかって質問か?」

 息を呑んだ。彼はアッサリと自分をヴォルデモートの配下だと言った。
 服従の呪文に掛けられているようには見えない。

「最初からだ」
「最初から……?」
「ああ、言っとくが、ここ数年来の話じゃないぞ」
「え?」

 鳥肌が立つ。初めて会った日から、ずっと俺達を見守り続けて来てくれた彼の事が俺は怖くて仕方がなくなった。
 いつも暖かい笑顔を向けてくれたダリウス。いつも俺達に懸命に訓練してくれたダリウス。いつも俺達を守ってくれたダリウス。
 全部、演技だったの……?

「十五年前の第一次の頃から俺は旦那に加担していた。覚えてるか? 俺が初めて出会った日に話した俺の昔話」

 覚えている。

「……スラムで生きてたって。悪い事をしてたけど、奥さんのおかげで立ち直れたって」
「あれに嘘は殆ど無い。ただ一点を除いてな」
「嘘……?」
「ああ、立ち直ったって言ったが、あれは嘘だ。悪い事ってのは、一度手を染めちまうと、中々抜け切らないんだよ」
「でも、奥さんは!?」
「女房は俺の奴隷だ」
「……え?」

 奴隷。そんな不吉な言葉をダリウスは口にした。

「便利な呪文だよな。服従の呪文ってのはよ」
「何を言ってるの……?」

 怖い。

「初めて会った日に俺はチームの連中と居た。アジトを攻撃されて、俺も仲間も捕まった。築き上げてきた全てを壊されたんだ。そんな奴を許す筈が無いだろ」

 ダリウスは楽しそうに語る。まるで、遠い日の楽しい思い出を語るみたいに。

「俺は牢獄にぶちこまれた。だが、俺は襲撃の時に奴に服従の呪文を掛けた。命令は単純だ。杖を奪うなってな。奴は俺の杖を奪った事にして、俺の杖の所持を見逃した。そして、その事に気が付き、牢獄を訪れた奴に俺は再び服従の呪文を掛けた。本当に馬鹿な奴ってのは居るもんだ。一人でノコノコ現れるとはな。まあ、自分の失態を誰にもバレたくなかったんだろうさ」

 ダリウスが嘗て語った冒険譚の真実はあまりにも汚らわしいものだった。
 
「奴を操り、俺は真正面から牢獄を出てやったよ。脱獄じゃない。正規の手段で出てやったんだ。まあ、その為に奴には色々と悪事を働かせたがな」

 愉快そうに笑いながら彼は言う。

「そんで、ちょいちょい捏造した実績を持って、ロンドンに飛んだ。傑作だぜ。全てが終わって、術の効果が切れた後、奴は俺を殺そうとしやがった。だから、正気のまんま犯してやったよ。壊れるまで延々とな。んで、強力な忘却術を掛けて、俺好みに人格と記憶を作り変えた。俺の言葉ならどんな命令でも喜んで行う従順な女にしてやったんだ。ガウェインの奴なんざ、出来た嫁だ、なんて言いやがった」

 何で、そんな恐ろしい事が平然と出来るんだ。
 何で、そんな恐ろしい事を平然と言えるんだ。
 一緒に過ごしてきた彼のいつもの姿は全て演技だったのだと理解した。醜悪な彼の素顔に俺は恐怖と嫌悪の感情しか持ち得なかった。
 
「チームのヘッドやってたりして、俺は割と人の思考を誘導したりするのが得意なんだよ。そのせいか、忘却術とか洗脳術とかが得意なんだ」

 得意そうに言う彼に俺は嫌悪感を顕にして睨み付けた。
 すると、彼は楽しそうに笑った。

「お前ら、俺の事を完璧信頼してくれんだもんよ。動き易かったぜ。何も聞かなくても情報が向こうから来るし、何の警戒もしてこない」

 ダリウスはドラコを指差した。

「お前、ちょっとは妙に思わなかったか?」
「何を……」
「ドラコの野郎が素直過ぎて気持ち悪いって思わなかったのかよ?」

 ダリウスはむしろ呆れたように問い掛けてきた。

「どういう意味……?」
「ドラコの思考を誘導したんだよ。お前を守る為なら命を張れるくらいにな」
「え?」

 ドラコを見ると、彼は気を失っている。ドラコだけじゃない。彼の恋人も家族もみんな意識を失ったまま動かない。
 
「三大魔法学校対抗試合の第一試合でやつは見事に俺の期待に応えた。お前を護る為に迷い無くドラゴンの炎の前に踊り出た。従順な下僕のようにな」
「下僕って……」

 分からない。ダリウスは何を言ってるんだ。
 パパを誘拐した事といい、こいつらが何を狙っているのかがサッパリ分からない。

「まあ、これから嫌でも分かるさ。どうして、俺が手間暇掛けてこんな大掛かりな準備をしたのかって事がな」

 準備。彼は準備と言った。これから、彼は何かをするつもりだ。

「さあ、旦那。用意は万全に整いましたよ。連合の連中もまんまと罠に嵌ってくれた。ファッジの誘拐とアズカバンの集団脱獄。それに、嘘の拠点情報。奴らがここに来る事は万に一つもあり得ない」
「な、何が狙いなの!?」

 ダリウスは俺の問いに無言で返した。

「さあ、始めるとしよう」

 ヴォルデモートはゆっくりと杖を振るった。すると、何も無かった場所に大きな鍋が現れた。ダリウスは手早く鍋の中に色々な材料を入れ、火を起こした。
 人一人が十分に入れそうな大鍋。鍋の中の液体はふつふつと沸騰を始めた。まるで、それ自体が燃えているかのように火花が散る。

「準備が出来ましたよ、旦那」
「さあ、お風呂の時間だぞ、ユーリィ」

 ヴォルデモートはそう言うと俺を拘束から解放した。だけど、体はピクリとも動かない。

「脱がせ、ダリウス」
「了解」

 抵抗する間も無く、俺の着ていた服は下着一つ残さず取り払われた。寒々しい冷気に体が震える。
 ダリウスはそのまま俺の体を持ち上げ、鍋へと近づいていく。

「何をするつもりなの……!?」

 恐怖に全身を支配された。

「安心しろって。今からやんのはお前の中の絶望……ジャスパーの解放の儀式だ」
「ジャスパーの……?」

 どういう事なのかさっぱり分からない。

「お前の魂に張り付いているというジャスパー・クリアウォーターの魂に一つの肉体を与えるのだ。俺様が欲しいのは絶望の方だからな。お前はその後に父の後を追わせてやる。さあ、儀式は俺様が手ずから行うとしよう。【絶望の解放の儀式】を開始する!!」

 高らかに言うと、ヴォルデモートは朗々と呪文を唱え始めた。

「父親の骨、知らぬ間に与えられん。父親は息子を蘇らせん」

 パパから切り取った腕を高々と持ち上げ、ヴォルデモートは杖を振るう。
 すると、腕から肉が落ち、血が滴り、骨が露出した。ゆっくりと剥き出しになった骨は鍋の中へと沈んで行く。
 ダイヤモンドのように煌く水面が割れ、四方八方に火花が飛び、毒々しい青色になった。

「さあ、次だ。ドラコよ、起きるのだ」

 ヴォルデモートが杖を振るうと、ドラコはボウッとした顔で立ち上がった。

「しもべの肉、喜んで差し出されん。しもべはご主人様を蘇らせん」

 ドラコの口から淡々とした口調の呪文が飛び出した。そして、躊躇い無く自分の腕を持っていたナイフで切り落とした。
 その瞬間、ドラコの顔に一気に正気の色が宿り、彼は痛みに絶叫した。

「な、なんだ、これは!?」

 痛みに喘ぎながら、ドラコは息も絶え絶えに叫んだ。

「ドラコよ」

 ヴォルデモートの声にドラコは顔を青褪めさせ、そして、俺とダリウスの存在に気が付いた。

「逃げて!!」

 俺は必死に叫んだ。だけど、ドラコは痛みに耐えながらゆっくりと立ち上がった。

「何をしているんだ……ダリウス!!」

 額から止め処なく汗を流しながらドラコは叫んだ。

「いいから、その腕をこの鍋に入れろ」

 ダリウスはそんなドラコに事も無げに言った。

「腕……これは、僕の腕か!?」

 ドラコは愕然とした表情で自分の切り落とされた腕を見た。

「早くしろ。出なければ、大切な家族が死ぬぞ?」

 ハッとした表情でドラコが振り向くと、そこにはいつの間にかワームテールの姿があった。彼は気を失ったままのルシウス達三人に杖を向けている。

「それに、ユーリィを救いたくば命令に従え」

 ヴォルデモートの言葉にドラコは唇を噛み締めた。そして、ゆっくりと自分の腕を拾った。

「駄目だ!! 逃げて、ドラコ!!」

 必死に叫ぶ俺を余所にドラコは両親を一瞥し、愛する恋人を一瞥し、俺を一瞥した。

「僕の腕をやる。だから、アステリアやユーリィや僕の家族を解放しろ」
「ああ、約束しよう。俺達に必要なのはお前の腕だけなんだ」
 
 嘘だ。そう叫ぼうとして、俺の声は音にならなかった。ダリウスが俺の声を封じたんだ。
 ドラコを止めようともがこうとするけど、体はビクともしない。その間にドラコは意を決して腕を鍋に投げ入れてしまった。

「ご苦労」
「さあ、くれてやったぞ。だから、早くみんなを!!」
「アバダ・ケダブラ」

 死んだ。俺の目の前でドラコが死んだ。俺達を助ける為に痛みに耐えて腕を鍋に投げ入れたドラコをヴォルデモートはアッサリと殺してしまった。
 
「最期に評価を改める働きをした。その功績は大きいぞ、ドラコ」
 
 物言わぬ死体となったドラコにヴォルデモートは言った。
 そして、未だ気を失ったままのルシウス達に視線を向け、杖を振るった。

「さて、人形も用済みだ」

 その瞬間、ルシウス達の姿は土くれに変貌した。偽者だったんだ。
 当たり前だ。いくら、ダリウスでも監視のついているルシウス達を早々簡単に連れ出せる筈が無かった。

「さあ、仕上げだ。ダリウスよ」
「了解。敵の血、力ずくで奪われん。汝は敵を蘇らせん」

 ダリウスは俺にドラコの手に握られたナイフを渡すと、自分の腕に突き刺させた。
 生々しい感触に吐き気がした。だけど、もう自分が何を考え、何を思っているのかすら理解出来ない。
 パパの死とドラコの死によって、俺の精神はパンク状態だった。
 その間にダリウスは己の血の付いたナイフを鍋に向け、血を滴らせた。すると、ドラコが腕を投げ入れた事で真っ赤に染まった液体は眩い閃光を放ち始めた。そして、ダリウスは俺をその大鍋の中に投げ入れた。そして、俺は再び死を迎えた。

 あれから、何が起きたのか分からない。どのくらい経ったのかも分からない。気が付いたときには全てが終わっていた。
 俺の視界は酷くぼやけていた。体のバランスが酷く悪い。起き上がる事も出来ない。

「……何が起きたの?」

 掠れた声。まるで、自分の声じゃないみたい。
 俺は必死に状況を確かめようと、辺りを見回した。すると、近くに人影があった。その姿を見た瞬間、俺は再び混乱した。
 そこには【俺】が居た。栗色の髪の小柄な少年が俺を薄っすら開いた目で見つめている。

「……マコちゃん」
「……ジャスパーなの?」

 ジャスパーは俺の中から出てしまったらしい。ヴォルデモートの計画は成功した。
 不意に腕を掴まれた。ダリウスだ。
 殺される。そう思った。用が済んだから殺すつもりなんだと思った。 
 だけど、彼は予想外の言葉を呟いた。

「女だったとは意外だな、ジャスパー。悪くない見た目だぜ」
「……え?」

 彼の瞳を見た瞬間。彼の瞳に映る自分の姿を見た瞬間。俺は全てを思い出し、全てを理解した。
 ああ、そうか……。全部、逆だったんだ。【絶望】はジャスパーじゃなかったんだ。本当の【絶望】は【私】だったんだ。

第十一話「ジェイコブ・クリアウォーター」

第十一話「ジェイコブ・クリアウォーター」

 1959年の冬の寒い日にジェイコブ・クリアウォーターはごく一般的な魔法界の家庭に生まれた。両親も至って平凡な魔法使いだった。
 子供の頃から運動神経が鈍い事で近所のマグルの子供達に虐められ、その度に母親に泣きついては甘やかされて育った。ホグワーツからの招待状が家の郵便ポストに届いた時、ジェイコブは泣いて喜んだ。いつもドジだ、間抜けだ、と馬鹿にされて来たジェイコブはちゃんと両親のようにホグワーツから招待されるか不安で仕方が無かったからだ。
 ジェイコブはグリフィンドールに入りたかった。あの有名なアルバス・ダンブルドアが卒業したという勇気ある者が集う寮。

『僕、絶対、グリフィンドールに入るよ!!』

 グリフィンドールはジェイコブの両親が卒業した寮でもあった。ジェイコブは息子の幸せだけを願う両親に精一杯応え様と意気込んで、キングス・クロス駅の9と3/4番線のホームから真紅の汽車に乗り込んだ。空っぽのコンパートメントでガチガチに緊張していたジェイコブは突然開いた扉の先から現れた陰湿そうな少年と快活な少女に飛び上がりそうになった。
 少年の名前はセブルス。少女の名前はリリー。二人は座れるコンパートメントを探して彷徨っていたらしい。相席を求める二人にジェイコブはおっかなびっくりしながら頷いた。互いに軽い自己紹介をすると、ほとんどリリーが一人で喋りとおした。時折、セブルスがリリーの言葉に茶々を入れると、彼女はとても楽しそうに笑った。
 段々、緊張が解れてきたジェイコブは少し積極的になる事にした。

『二人はどの寮に入りたい?』

 ジェイコブの問いにセブルスは迷わず【スリザリン】と言った。反対にリリーは【どこでも】と言った。
 闇の魔法使いを多く輩出しているスリザリンに入りたがるセブルスにも驚いたけど、大事な寮選びで【どこでもいい】などと答えるリリーにもジェイコブは吃驚した。
 ジェイコブがグリフィンドールに入りたい事を打ち明けると、リリーは快く賛同してくれたけど、セブルスは馬鹿にするように鼻で笑った。彼はスリザリンこそが至高であり、それ以外の寮は愚者の溜り場だと思っているらしい。ジェイコブは少しセブルスを苦手に思うようになった。丁度その時、汽車が止まり、ジェイコブは二人と共に森番の青年の後を追って、ホグワーツの城を目指した。
 湖を小船で渡り、初めてホグワーツの城を見た時の感動をジェイコブは生涯忘れなかった。ジェイコブにとって、ホグワーツ城はまさに特別であり、その特別な城に住む事になる自分は特別なのだと確信した。
 
『ハッフルパフ!!』

 興奮冷めぬまま、組み分けの儀式で奇妙な帽子を被った瞬間、ジェイコブの願いは脆くも崩れ去った。グリフィンドールに入れなかった。よりにもよって、落ち零れが入る寮と有名なハッフルパフ。
 呆然となり、先生に背中を押されハッフルパフのテーブルに歩いて行くと、セブルスが馬鹿にしたような笑みを浮かべるのが見えた。その瞬間、ジェイコブはセブルスの事が嫌いになった。

 それから三年が経った。魔法の授業はどんどん難しくなり、ジェイコブはすっかり落ち零れていた。落ち零れが住まう寮の中で更に落ち零れてしまい、そんな自分にいつも苛々していた。そのせいで友達も出来ず、その事で余計に自分が嫌いになった。両親はそれでもジェイコブを見放さずに愛を注ぎ続けてくれたけど、ジェイコブは反抗期に入り掛けていた。クリスマスも家に帰らず、図書館で勉強に勤しみ続けた。
 毎日、誰とも遊ばずに図書館で勉強三昧。それなのに成績は落ちる一方。ジェイコブは二年生が勉強する授業内容に梃子摺ってしまい、図書館の隅で一人涙を零した。

『どうしたの?』

 そんなジェイコブに話しかけて来たのは、変わり者と評判のレイブンクローの女の子だった。よく、図書館の隅で勉強している姿を見かけたが、こうして近くで話すのは初めての事だった。
 いきなり、それも女の子に話しかけられた事にジェイコブはすっかり緊張してしまい、何を言えばいいか分からず黙り込んでしまった。

『大丈夫?』

 少女は心配そうにハンカチをジェイコブの目下にあてがった。それ漸く、自分が泣いていた事を思い出し、ジェイコブは真っ赤になった。
 恥ずかしくて穴があったら入りたい気持ちになった。
 つい、俯いてしまったジェイコブの頭に少女は優しく手を置いた。

『よしよし』
『……えっと』

 困惑しているジェイコブに女の子は優しく微笑んだ。

『元気出して』

 ジェイコブは見惚れてしまった。両親以外にこんな風に微笑みを向けてくれた人は居なかった。
 先生達はいつも落ち零れのジェイコブに呆れた目を向けて来るし、同級生達は見下した目を向けて来る。 
 なのに、彼女はただ純粋にジェイコブの事を思って、優しくしてくれた。

『……勉強で分からない所があったんだ』

 気が付くと、ジェイコブは白状していた。
 馬鹿にされると思った。下級生の授業内容でさえ梃子摺る自分の事を皆が何て呼んでるか分かってる。

『じゃあ、私が教えて上げる』
『え!?』

 予想外の言葉だった。馬鹿にされるでも、呆れられるでもなく、少女は自分の座っていた席から勉強道具を運んで来て、ジェイコブの隣に座った。
 
『私、ソフィーヤ。ソフィーヤ・アクロフ』
『……僕、ジェイコブ・クリアウォーター』

 ソフィーヤはジェイコブがどんなに頭の回転が遅い子だと分かっても見放さなかった。分かるようになるまで辛抱強く勉強を教え、ジェイコブも必死に学ぼうと努力をした。
 毎日、図書館で会う度にソフィーヤはジェイコブに勉強を教え、いつしかその習慣は一年以上続いた。
 ジェイコブの学力はソフィーヤの教えのおかげでメキメキと上がった。彼女には人に物を教える才能があった。
 だけど、ジェイコブは勉強が出来ない振りを続けた。この頃になると、ジェイコブにとってソフィーヤと過ごす時間は何よりの宝物になっていた。
 栗色の髪のとびっきり可愛い女の子にジェイコブは夢中だった。そして、更に二年が経過した。O.W.L試験を期待以上の成績で通過したジェイコブは意を決してソフィーヤを天文台に呼び出した。

『ぼ、僕……、君のおかげで成績がすっごく上がった』
『ジェイクが努力したからだよ』
『ぼ、ぼく!! 君に言いたい事があるんだ!!』
『なーに?』

 顔を真っ赤にしながら瞼に涙を溜めながら鼻水を垂らし、ジェイコブの顔は酷い有り様だった。
 きっと、断られるに決まっている。自分にいかに魅力が無いかを理解しているジェイコブはそれでも自分の想いを告げずに居られなかった。
 彼女の存在はジェイコブにとってあまりにも大きなものになってしまっていた。

『君の事を愛してる。君に夢中だ!! 僕は君が大好きだ!! どうか!! どうか……僕と付き合って下さい』

 頭を腰より下まで下げながら、必死に答えを待った。
 断られる。もう、彼女と一緒に居られなくなる。もう、一緒に図書館で過ごす事が出来なくなる。あの優しい微笑みが見れなくなる。
 溢れる感情に涙が止まらず、それからどのくらいの時間が経ったのか覚えていない。
 不意に、目の前に彼女が立っている事に気が付いた。顔を上げると、涙でぼやけて何も見えなかった。怒ってるのかもしれないと思い、体を震わせていると、彼女はハンカチでジェイコブの涙を拭った。
 そして、鼻水だらけの口元を拭い、そのハンカチをそのまま自分のポケットにしまった。
 咄嗟に止めようとしたジェイコブの頭をソフィーヤは優しく撫でた。初めて出会った日と同じように優しい微笑みを浮かべながら。

『私も大好きよ、ジェイク。凄く嬉しいわ』
『……へ?』

 信じられなかった。ジェイコブの告白は成功してしまった。
 断られると確信していたせいで、何を言えばいいのかなんて、まったく用意していなかった。

『へ? あ、え? だって、え? い、いいの!? ぼ、僕なんかでいいの!?』

 ソフィーヤの肩を掴み、仰天した顔で詰め寄ると、ソフィーヤは悪戯っぽい笑みを浮かべ、そのままジェイコブのさっきまで鼻水だらけだった口にキスをした。

『僕なんか、じゃないわ。ジェイクだから好きなのよ。貴方ほど、私と熱心にお付き合いしてくれた人は居ないもの。それに、貴方ほど努力する人を私は他に知らないわ。僕なんか、なんて言わないで。私は貴方だから愛してるのよ』

 ジェイコブはそれまで神の存在なんて信じていなかった。でも、信じる事にした。この出会いとこの目の前の少女をこの世界に生まれさせた運命を司る神に感謝した。
 ジェイコブはソフィーヤをソーニャと呼び、彼女を愛し続けた。学校を卒業し、魔法省に就職した後もずっと思いは変わらなかった。
 挙式には数少ない友人も参列してくれた。ソーニャのおかげで少し明るくなれた彼は少しずつ交友関係を広げる事が出来るまでになっていた。
 そして、1978年の12月にソーニャはソフィーヤ・アクロフからソフィーヤ・アクロフ・クリアウォーターになり、翌々年、一人息子のユーリィが生まれた。
 ジェイコブは不思議な気持ちだった。ずっと落ち零れで、駄目な奴だと思っていた自分が親になる。ソーニャは言った。

『これからはこの子の親になるんだから、もっと自信を持たなきゃ駄目よ?』
 
 ジェイコブを父親にしてくれた女性は初めて出会った日と同じ優しくて魅力的な微笑みを浮かべ、彼の頬にキスをした。
 生まれてきた息子をジェイコブは目に入れても痛くないくらい愛した。何と言っても、愛するソーニャとの間に出来た子供だ。可愛くない筈が無い。
 不安だったのは同級生のマチルダと友人のエドワードの間に生まれた男の子だった。彼は少し乱暴な所があって、赤ん坊の頃から一緒に居させるとユーリィを虐める事があった。だけど、月日が経つにつれて、不安は解消された。彼らの息子のアルフォンスは気性が穏やかになり、ユーリィと良き友人になってくれた。二人が遊んでいる姿を妻と一緒に見つめていると幸せを実感出来た。
 この世の誰も味わえない自分だけの幸せだ。全てを与えてくれた女性にジェイコブはキスをした。
 そして、月日は瞬く間に経ち、ユーリィの下にホグワーツへの招待状が届いた。ジェイコブは初めて、ホグワーツの招待状が届いた時の緊張を思い出した。

『君にとって、これからの学校生活はかけがえの無いものになる筈だ。だから、楽しんでおいで』

 ホグワーツに出発する前の晩、泣き顔で抱き着いてきた愛しい息子にジェイコブは言った。
 己にとって、ホグワーツはかけがえのない場所だった。嫌な思い出もある。だけど、良い思い出もある。なにより、ソーニャと出会えた場所なのだ。
 ソーニャと出会えたから、ユーリィと出会えた。
 期待も不安も両方応えられてしまう。だけど、両方とも大切なものだ。ジェイコブは寝息を立て始めたユーリィの額を撫でながら愛する妻を見た。

『この子なら、きっとうまくやっていけるわ。友達をいっぱい作って、いっぱい遊んで、休みには学校での思い出を聞かせてくれる筈よ。寂しくなるけど、この子が笑顔で帰ってくるのを待ちましょう」
『うん』

 ジェイコブはユーリィが幸福な学校生活を送れる事を祈った。
 だけど、その祈りは神様に届かなかった。
 二年目のある日、ユーリィは保健室に運び込まれた。スリザリンの継承者とやらに襲われたと聞いた時、ジェイコブは気が狂いそうだった。一歩間違ったら死んでいたかもしれない。そう聞かされた時、ソーニャと二人で泣き叫んだ。

『どうして、僕はこの子が大変だって時に中国産の魔法の絨毯の輸入についての会議になんて出てたんだ!?』

 結局、ジェイコブは何も出来なかった。アルフォンスやハリー・ポッターが事件を解決したと聞き、安堵しつつも、息子を危機に陥れた継承者への怒りは消えなかった。
 それからもユーリィはまだ子供なのに様々な危機や苦難に晒された。ユーリィの秘密を聞かされた時、ジェイコブは驚きつつも特に何も思わなかった。例え、生前は別の人間として生活を送っていたとしても、ユーリィは自分の息子だ。ソーニャも同じ考えだった。
 夫婦にとっての問題はユーリィが闇の勢力に狙われているという点だ。代われるなら代わりたい。どうして、自分の息子が酷い目に合わされなければならないんだ。ジェイコブは怒りに身を焼かれる想いだった。
 一番腹立たしいのは自分に力が無い事だった。守りたいのに守れない。闇の魔法使いと戦ったりすれば、自分など一分ともたないだろう。そうと分かっているからこそ悔しかった。

 ※※※※

 ソーニャが買い物に出掛けてから少しして、突然現れた死喰い人達に襲われ、僕は連中に拉致された。何が目的なのかは分からない。
 墓地のような場所に連れて来られ、目の前には能面のような顔をした男が立っている。誰なのかなど、問うまでも無い。

「お前がヴォルデモートか」
「然様。我が名を堂々と呼ぶとは、思ったより勇敢な男ではないか、ジェイコブ」

 愉快そうに微笑むヴォルデモートを前にして、僕は不思議なほど恐怖を感じなかった。
 そんなものを感じる余裕が無い程、僕の心は怒りに満ちていた。
 
「お前が居るから、僕の息子はいつも怖い目に合わされる!!」

 二年生になったばかりの日に、あの子は目の前の男の若かりし頃の記憶によって痛めつけられた。
 そして、三年生の時はこいつの部下にユーリィは拷問を受けた。記憶を見ただけで気が狂いそうになった拷問を僕の息子に実行したんだ。
 頭は加熱されたように熱くなった。

「お前なんかがこの世に居るせいで!!」
「立ち向かうのか? このヴォルデモート卿に」

 面白そうにヴォルデモートは言った。

「ならば、許そう。ヴォルデモート卿は勇気を賛美する。お前が私に挑もうというならば、構わんぞ。相手をしてやる」

 漆黒のローブを翻し、ヴォルデモートは杖を取り出した。

「決闘をしようではないか。喜ぶがいい。誇るがいい。このヴォルデモート卿がわざわざ決闘をしてやるのだ」
「殺してやる!!」
「やってみるがいい」

 周囲から笑い声が響いた。気が付かなかったけど、周囲には死喰い人が数え切れない程居た。
 十や二十じゃない。いつの間に、こんな数の死喰い人を用意したんだ……。
 確信した。ヴォルデモートは徐々に力を溜めているに違いないというスクリムジョール達の意見は正しかったんだ。
 杖をポケットから出しながらヴォルデモートを睨んだ。こいつを殺せば、こんな奴等は烏合の衆だ。彼らがきっと始末してくれる。例え、ここで僕が死んでも、彼らがユーリィを守ってくれる筈だ。

「さあ、古式に乗っ取り決闘の儀を行おうではないか」

 いいだろう。やってやる。お前をこの場で必ず殺してやる。
 僕の愛しい息子に手を出しやがって……。僕の愛する妻を悲しませやがって……。
 目的が何だろうと構わない。絶対に殺す。

「さあ、互いにお辞儀しようではないか。互いの命を尊ぶのだ」

 僕はゆっくりと頭を下げた。そして、胸元の二つのブローチに手を当てて、愛する二人へ最期のメッセージを送った。これで、もう迷いは無い。
 最期のクリスマスプレゼントをこれにして良かった。
 頭を上げると、僕は杖を振った。攻撃呪文なんて殆ど知らない。それでも死の呪文くらいは知ってる。

「アバダ・ケダブラ!!」

 あの子を守れるなら何を失っても構わない。
 この命だって、倫理だって、何だって捧げてやる。そう、心で叫びながら呪文を唱えた。だけど、何も起こらない。

「どう……して?」

 周囲が一斉に笑い出した。

「お前は相手を本気で苦しませたいと思った事が無いのだな。磔の呪文然り、死の呪文然り、使うには強力な意思が必要なのだ。お前には私を【殺す】という意思が足らないのだ」
「そんな筈は無い!! 僕はあの子を守るんだ!! お前を殺してでも絶対に!! アバダ・ケダブラ!!」

 何も起こらない。うろたえる僕にヴォルデモートは静かに言った。

「言っただろう。殺す意思が足りない、と。お前の意思は殺す意思では無い」

 そんな筈は無い。僕は守るんだ。絶対に、あの子を守るんだ。

「アバダ・ケダブラ!! アバダ・ケダブラ!! アバダ・ケダブラ!! アバダ……ケタブラ」

 何も起こらない。何でだよ。僕はユーリィを守りたいのに、どうして、呪文が使えないんだ。

「お前の意思は守る意思だ。そんなものでは使えぬよ、死の呪文はな。さらばだ、勇敢な男、ジェイコブ・クリアウォーターよ。アバダ・ケダブラ」

 最後の瞬間は酷く緩やかに訪れた。
 今までの記憶が再生される。愛する両親。愛する妻。愛する息子。愛する友人達。
 ああ、ソーニャ。ごめん。僕はユーリィを守れなかった。もう、君達の傍に居られないのが辛いよ。君達の笑顔がもっと見たいよ。君達の声が聞きたいよ。
 君達ともっとずっと一緒に居たかったよ……。

「愛してるよ、ソーニャ。ユーリィ」

 そして、僕は……終わりを迎えた。

第十話「終わりの始まり」

第十話「終わりの始まり」

 クリスマス・ダンスパーティの日がやって来た。朝、目を醒ますとベッドの足下にはプレゼントが山のように置いてあった。
 アル達もとっくに起きていて、それぞれのプレゼントを開封している。アルは俺のプレゼントした高級箒磨きセットで早速ニンバス2000の手入れに勤しんでいる。ハリーはハグリットから貰ったらしいお菓子の詰め合わせを吟味していて、ネビルは新しい思い出し玉が早速赤くなっているのに吃驚している。ロンはハリーからのクィディッチ用のグローブを腕に嵌めている。
 俺も自分のプレゼントを開封し始めた。まずはパパとママからのプレゼント。ママはどこでも調理が出来る簡易キッチンセット――――トランク型で、開くと簡易的なキッチンになる。パパからは以心伝心ブローチ――――ブローチに手を当てて念じると、対になるブローチが光り輝いて念じた言葉が映り込む。ただし、二十文字までしか表示不能。対になるブローチはパパが持ってるみたい。試しに《ありがとう》と念じてみると、《メリー・クリスマス》という文字が浮かんで来た。
 ブローチを早速胸元に着けて、今度はアルからのプレゼントを開いた。出て来たのは小さな鏡。何だろうと思って鏡を見つめると、鏡にアルの顔が映った。

『どうだ? 【両面鏡】ってんだ。前にダイアゴン横丁で見つけたんだけど、面白いだろ?』

 確かに面白いけど、パパからのプレゼントと被ってる。

「ありがとう」

 お礼を言って、鏡をポケットに仕舞った。割れないように慎重に扱わなきゃ。
 ハリーからはクィディッチのルールブック最新版。ロンからはチャドリーキャノンズの試合年鑑。ハーマイオニーからはお菓子の詰め合わせ。
 驚いた事にルーナからもプレゼントが来ていた。俺も蝶々の髪飾りを送っておいて良かった。前に彼女が蝶々の形の奇抜なメガネを掛けていたのを思い出して選んだ。
 ルーナからは不思議な模様のミサンガだった。どうやら、強力な魔除けの力が備わってるとの事。もう、保健室に運ばれないで済むようにって。

「ルーナ……」

 早速、腕に着けてみた。結構オシャレ。
 次のプレゼントはなんと、ドラコからだった。小さい箱から出て来たのは小さな石だった。細い鎖が付いていて、首から下げられるようになってる。最大級の盾の呪文が封じ込められていて、三回だけ、あらゆる魔法を撥ね退けてくれるみたい。何だか、凄いプレゼントを貰ってしまった。俺はこの前助けて貰ったお礼も兼ねて、ホグズミードで奮発して買ったお菓子と悪戯グッズの豪華詰め合わせを送ったけど、これでは全然釣り合わない。今度、別の贈り物をしようかな……。
 プレゼントをあらかた開け終わると、皆で談話室に降りた。ダンスパーティーがあるからか、普段ならクリスマス休暇に入ると同時に家に帰る面々も寮に残っている。俺達も明日、煙突飛行で実家に帰る予定だ。みんな、今夜のダンスパーティーが気になってそわそわしている。
 そう言えば……、

「アル達はパートナー決まったの?」

 ハーマイオニーと合流して大広間で食事をしながら聞いてみると、何故かハーマイオニーが答えた。

「ロンはラベンダーと行くみたいよ。そうよね? ウォンウォン」

 ロンが飲んでいたカボチャジュースを吹き出した。目の前でミートパイを頬張っていたハリーは顔面にまともにカボチャジュースを吹きつけられて呆然としている。

「な、何で知ってるんだ!?」

 ウォンウォンこと、ロンは顔を真っ赤にしながらハーマイオニーに掴み掛かった。ハリーはまだ呆然としている。アルは腹を抱えて笑ってる。ネビルはよく分かっていないのか、それともどうでもいいのか、黙々とステーキを口に運んでいる。

「おい、ウォンウォン。ラベンダーといつの間に付き合いだしたんだよ?」

 半笑いで聞くアルをロンは噛み突かんばかりに睨み付けた。
 
「いいか? それ以上、僕をその名で呼んだらお前のベッドの下にある物をユーリィに――――」
「うおおおい!! 待て!! 何で知ってるんだ!?」

 ベッドの下って何の事だろう。

「お前がこそこそ隠してるのを見たんだよ!! 今後、僕をウォンウォンと呼んだら、お前の秘密を明るみに出してやる!!」
「分かった!! 分かったからそれ以上言うな!! そして、記憶から抹消しろ!!」
「それで、ウォンウォン。結局、いつからラベンダーと付き合ってるんだい?」

 ハリーが聞いた。ロンは頭をテーブルにぶつけた。

「ハ、ハリー……」
「いやいや、ナイスなネーミングじゃないか。ラベンダーに付けて貰ったのかい?」

 心底楽しそう。

「人にカボチャジュースをぶちまけるような奴にはピッタリだよ」

 違う。凄い怒ってる。笑顔だけど、目が全然笑ってない。

「ご、ごめんなさい」
「そうそう。悪い事をしたら、ちゃんと謝らないとね、ウォンウォン」
「あの……、その呼び方は……」
「なんだい? ウォウォン」

 ハリーが凄く怖い。ロンはそれ以上何も言わず、ハリーから逃れるように視線を逸らした。

「ちょ、ちょっと前に彼女に告白されたんだ。それで……」
「付き合い始めたんだ」
「……うん。あんな風に僕を見てくれる人が居るなんて思わなかった」

 頬を赤く染めながらロンは言った。多くは語らないけど、彼も彼女の事を慕っているのが伝わって来る。物語だと、ロンは彼女をハーマイオニーへの当て付けに使っていただけだったけど、今の彼は真実の愛を彼女に向けているみたい。

「ちなみに、ネビルはジニーと行くのよね?」
「なん……、だと?」

 パドマじゃないんだ……。
 あまりにも予想外の名前が出て、ロンは絶句している。ジニーはロンの妹だ。アルも食事の手を止めてネビルをガン見している。ハリーはメガネを拭いている。

「って、ジニーと!?」

 ロンは立ち上がって悲鳴を上げた。近くで談笑していた三年生の集団がギョッとした顔でロンを見た。

「ど、ど、どういう事だ!?」

 取り乱しながらロンはネビルに掴み掛かった。
 ネビルは視線を逸らしながら言った。

「じ、実は……、ディーンと喧嘩してる所に遭遇して……」
「え? どうして、ディーンと喧嘩なんか?」
「え? だって、元々彼女はディーンと付き合ってたんだよ?」
「え?」

 ロンは驚愕に顔を歪めながら頭を抱えた。

「どういう事なんだ……。わけが分からない。何が起きてるんだ?」

 何だか、凄く気の毒な気分になってきた。
 
「えっと、元々、レイブンクローのアレン・マーフィーと付き合ってたんだけど、三大魔法学校対抗試合の選抜試験の時に彼女にカンニングさせてくれるよう頼んで来たのが切欠で別れて、ディーンがチャンスとばかりにデートの申し込みをしたらしいよ。それで、ちょっと付き合う事にしたんだけど、ディーンがどんどん増長しちゃって、キス以上を強要しようとしてたんだって」
「何だと!? あ、あの野郎!!」

 ロンは顔を真っ赤にしながらいきり立って走り出そうとした。

「落ち着け」

 アルがロンの腕を掴んで無理矢理座らせた。

「な、何するんだ!? ジニーが!!」
「ネビルの話が終わってないだろ。その話、ジニー本人から聞いたのか?」

 アルが聞くと、ネビルは小さく頷いた。

「ディーンが暴力を振るおうとしていたから止めたんだ。マッドアイ達の訓練のおかげでそんなに難しくなかったよ。そしたら、彼女から相談を持ち掛けられてさ。愚痴を聞いてあげてたら、ダンスパーティーに誘われたんだ。正直、誰かを誘う度胸なんて無かったから渡りに船だったよ」
「ジニーと付き合うのか?」
「まさか。愚痴を聞いて上げたお礼だと思うよ。僕なんか、女の子が相手をしてくれるわけないって、さすがに自覚してるよ」

 あっけらかんと言うネビルに俺は納得出来なかった。

「そんな事無いよ。パドマだって、君を素敵だって言ってたじゃない」
「彼女はからかってただけだよ。あれ以来、一言も話してないし」

 ムッとなって言うと、ネビルは事も無げに言った。

「でも、ネビルは自分が思ってるよりもずっと素敵だよ」
「え?」

 ネビルは不思議に目を丸くした。

「ネビルには良い所がたくさんあるし、カッコいいよ。【僕なんか】、なんて言わないで欲しい」
「カッコいい? 僕がかい?」

 信じられないって表情を浮かべるのが信じられない。

「自分を鏡で見た事が無いの? 背が高くてスラッとしてるし、顔も引き締まってて、凄くイケてるよ。その上、中身が外見以上に良いんだから。ジニーはきっと、相談に乗ってくれたネビルの魅力に気付いたんだと思う」
「ぼ、僕……、そんなカッコよくなんて……」
「カッコいいよ。きっと、今夜嫉妬されるのはジニーを相手にする君だけじゃない。君を相手にするジニーもだよ」
「き、君も嫉妬する……?」
「え?」

 本音を言ったつもりだけど、褒めちぎられて、ネビルは恥ずかしそうに顔を赤らめながら聞いてきた。

「うん。俺が女の子だったらきっと、ジニーが羨ましいと思ったと思うよ」
「……そっか」

 何だか、少し寂しそうに呟いてから、ネビルは小さく頷いた。

「僕、精一杯ジニーをエスコートするよ」
「うん」

 気合を入れ直しているネビルを微笑ましく見ていると、ロンが凄く複雑そうな表情を浮かべた。

「うん。別にさ……。でも、ジニーと……。ううむ」

 ネビルとジニーの交際の可能性に深い葛藤を抱いているみたい。

「ネビルなら少なくともジニーを不幸にするような選択は取らないと思うよ?」

 助け舟を出すと、ロンは観念したように溜息を零した。

「……分かってる。認めるよ。ネビルなら安心だって、そう思ってる。でも……ううん」

 葛藤はそう簡単に解決しないみたい。
 ロンは妹の事を心から愛しているんだ。

「お前さ」

 アルは肩肘をテーブルについて、手の甲に頬を乗せて呆れたように言った。

「ま、いっか。それより、本気であのルーニー・ラブグッドと行く気なのか?」
「ルーナだよ、アル。ルーニーだなんて……」

 わざと言ってるんだ。ルーニーは【愚か】とか【狂っている】って意味の言葉。彼女の名前をもじった悪口をアルが言うなんて……。

「あ?」

 アルは不機嫌そうに睨み付けて来た。

「お前、ラブグッドが好きなのか?」
「え?」

 唐突過ぎる質問の答えに窮していると、アルは目を細めて「どうなんだ?」と畳み掛けてきた。
 確かに、ロンやネビルのロマンスをネタに話していたけど、アルの目が真剣過ぎて、凄く答え難い。

「も、もしかして、アルってルーナの事が好きだったり……」
「なわけねぇだろ!!」
「……ごめんなさい」

 物凄い剣幕で怒られた。もう、本当にどうしちゃったんだろう。
 
「ユーリィ」

 ハーマイオニーが眉間に手を当て、呆れた様子で言った。

「もしかして、分かってやってる?」
「……えっと」

 ハーマイオニーの言葉に俺は言葉を濁した。
 もしかしたらって、思う考えはあるにはある。
 だけど、そんな事あり得ない。ハーマイオニーの言葉で一気に現実味を帯びてしまったけど、あり得ないよね。

「そう言えば、アルは誰を誘ったの?」

 この中でまだパートナーが分からないのはアルだけだ。
 やっぱり、パーバティかな? それとも、他の女の子かな?

「俺は……、行かない」
「え?」

 行かないって、まさか、ダンスパーティーを欠席するつもりなの?

「どうして!?」

 折角、ドレスローブだって用意したのに……。

「パートナーが捕まらなかったんだ」
「え? でも、パーバティは?」
「……とにかく、俺は出ない。っつか、ダンスパーティーなんか出るより訓練してる方がよっぽど楽しいしな」
「アル……」

 もしかして……、本当にアルは……。
 そんな筈無い。アルはきっと、本当にダンスパーティーに興味が無いだけなんだ。
 タイミング良く、フレッドとジョージが魔法のクラッカーを鳴らしたおかげで、大広間はクラッカー祭りになり、これ以上話が続く事は無かった。
 夕方になり、俺は寮の部屋でドレスローブに着替えて、ハリー達と一緒に玄関ホールに向かった。ここで、女の子達と合流する予定。アルは寮に戻る途中で別れたっきり、どこかへ消えてしまった。
 もやもやした気持ちのままでルーナを迎えるわけにはいかない。俺は頬をパチンと叩いた。すると、最初にジニーが現れた。ピンクのふわふわで可愛いらしいドレスを着ている。普段はストレートにしているロンとお揃いの赤い髪を顎のラインに沿ってカールさせ、様々な方向に飛び跳ねさせている。ジニーは自分の容姿の魅力を良く理解していて、よりその魅力が映えるファッションをコーディネイトしてきた。
 ネビルは呆然と彼女を見つめ、誘われるように「可愛い」と呟いた。狙い通りの言葉を引き出し、ジニーは満足そうに微笑むとネビルの腕に自分の腕を絡ませた。
 ロンはわざとらしい咳払いをしてみせたけど、まったく相手にされていない。
 次にやって来たのはハーマイオニーだった。薄青色のドレスを優雅に着こなし、チャーミングな笑顔をハリーに向けた。

「どう?」
「最高だよ」

 ハリーは人前にも関わらず、ハーマイオニーの手を取って、彼女の顔に熱い眼差しを注いだ。ハーマイオニーもウットリとした顔でハリーを見つめ返している。

「貴方も最高よ、ハリー」

 ロンは少し寂しそうな顔を浮かべた。でも、直ぐに明るい笑顔に変わった。ラベンダーが来たみたい。
 でも、俺の視線はその隣の女の子に向いていた。
 
「ルーナ!」

 声を掛けると、ルーナは嬉しそうに顔を輝かせて駆け寄って来た。銀色のドレスにはスパンコールがキラキラと輝いていて、凄く華やかなだ。

「こんばんは」
「今日はよろしくね」

 ルーナはいつもの奇抜なメガネや首飾りを付けていなかった。そのせいか、ちょっと違和感があったけど、とっても可愛い。

「あれ?」
「どうしたの?」

 ルーナはキョロキョロと辺りを見回して、不思議そうに首を傾げた。

「あの人はどうしたの?」
「あの人って?」
「アルフォンス・ウォーロック」

 ドキッとした。どうして、ルーナが彼を気にするんだろう。

「アルなら来ないよ」
「……そっか、やっぱり」
「やっぱりって?」
「あんたを取っちゃったから、もしかしたらって思ったの」 

 心臓が止まるかと思った。何を言い出すんだ。

「アルが来ないのは、ただ、ダンスパーティーに興味が無いからだよ」
「そうなの? でも、あんたが誘ったら、喜んで来たと思うな」
「ルーナ。アルは男の子なんだよ?」
「あれが女の子だって思う人、居ないと思う」

 怪訝そうな顔をされてしまった。

「男の俺が男のアルを誘ってどうするのさ。ダンスパーティーは男女のペアで踊るのが普通なんだよ?」
「だって、あんたも気付いてるでしょ?」
「え?」

 まただ。ハーマイオニーと同じようにルーナは言った。
 【気付いてるでしょ?】って。それがどういう意味なのか、いくら俺でも分かる。
 でも、そんなのあり得ない。

「アルと俺は友達だけど、ダンスパーティーで一緒に踊るのはちょっと違うよ」
「ふーん。つっこんで欲しくないんだね。じゃあ、もう言わないよ。折角のダンスパーティーだもの。すっごく楽しみにしてたんだ。誰かにパーティーに誘われるなんて初めてだもの!」
「じゃあ、いっぱい踊ろうね」

 ホッと一息つきながら俺はダンスパーティーの始まりを待った。
 しばらくして、大広間の扉が開いた。皆がゾロゾロと入って行く中、階段の上の方に誰かが立っている事に気が付いた。
 いつもは後ろに流している髪を下ろしていて、その上、薄縁のメガネを掛けているものだから、最初は誰なのか分からなかった。だけど、良く見るとその人の立ち居振る舞いにデジャブを感じ、彼がドラコであると気が付いた。その傍らには緊張した様子の小柄な女の子の姿がある。

「ドラコ?」

 ドラコは女の子と一緒にゆっくりと階段を降りて来た。俺とルーナ以外の生徒達はもう大広間の中へ消えてしまった。

「急いで入ろう。あまり、目立ちたくない」
「う、うん」

 緑色の可愛らしいドレスを着た女の子の手を引きながらドラコは中へ入って行き、俺とルーナも直ぐに後を追った。
 俺達が入ると同時に大広間の扉が閉じて、辺りは真っ暗になった。

「こっちだ」

 ドラコの声に従って、後を追うと、丸いテーブルのまわりに椅子がたくさん並んでいた。俺達はその内の四つの椅子に座った。

「そっちの子は?」

 囁くようにドラコに聞くと、女の子の方が答えた。

「あ、あたし、アステリア・グリーングラスです。ドラコせんぱ……ド、ドラコの彼女です」

 緊張して声が震えている。そんな彼女の肩をドラコはそっと抱いた。

「ああ、僕の恋人だ。色々、助けられている」
「そうなんだ」

 ちょっと、驚きだった。ドラコはパンジー・パーキンソンと恋仲にあるんだと思ってた。スリザリンから離れた後の恋人なのかもしれない。

「本当は来るつもりは無かったんだが、せがまれてね。色々、支えて貰った恩があるから参加する事にした。まあ、あまり目立てないから、僕らは隅の方で踊っているよ。構わないな?」

 最後のはアステリアへの問い掛け。彼女はぶんぶんと首を縦に振った。

「すまないな」
「い、いえ。あたし……最高です」
「そうか……」

 ドラコは深い愛情を声に乗せて囁いた。暗闇でよく見えないけど、ドラコの表情はとても優しい笑顔だった。
 心の底から愛している相手でないと、出来ない笑顔だ。
 俺はルーナに顔を向けた。彼女はどこか羨ましそうに二人の姿を眺めている。折角、ダンスパーティーに誘ったんだし、俺がしっかりエスコートしてあげなきゃ。
 
「俺達もいっぱい楽しもうね」

 彼女の手を取って言うと、彼女は目をパチクリさせ、大きく頷いた。

「うん」

 しばらくして、代表選手達が入って来た。セドリックはチョウと一緒に踊っている。チョウは俺とルーナに気が付くと、手を振ってくれた。俺達も手を振り返し、皆が踊り始めるのに合わせて席を立った。天井から伸びる宿木の下で音楽に合わせて楽しく踊った。細かい振り付けとかは気にしないで、曲のテンポに沿って体を揺らす。ルーナは凄く楽しそうに笑顔を振り撒き、俺も満面の笑みを浮かべた。
 途中でハリーとハーマイオニーにすれ違うと、二人は完全に二人だけの世界を構築していて、熱い眼差しを交換し合っていた。ロンも似たり寄ったり。
 ネビルはジニーにエスコートされる形で踊っていた。傍を通り過ぎる時にジニーがネビルに小声でダンスの指導をしているのが聞こえた。その時の彼女の表情は完全に恋する乙女だった。
 途中で食事をしたり、ハリー達と四人で踊ったりして過ごし、ダンスパーティーを楽しみ尽くした後、俺はルーナをレイブンクローの寮に送り届けた。

「今日はすっごく楽しかったよ。ありがとう」
「こっちこそ、凄く楽しかったよ。ありがとう、ルーナ」

 ニッコリ笑顔でお礼を言い合い、おやすみを言うと、ルーナは言った。

「あの人の所に行ってあげた方がいいと思うよ」

 誰の事を言ってるのかは直ぐに分かった。
 俺はどう答えるべきか少し悩んだ後、小さく頷いた。

「お土産を渡さなきゃだしね」
「……うん。おやすみ、ユーリィ」

 最後にそう言い残して、ルーナは寮に帰って行った。
 少し、名残惜しい。彼女とのダンスは凄く楽しかった。こんな風に女の子と接する日が来るなんて夢にも思わなかったから、凄く新鮮だった。

「さてと……、アルはどこかな?」

 パーティーの食べ物を軽く包んでお土産にした。きっと、お腹を空かせてると思うから。
 グリフィンドールの寮に戻ると、みんな今日のダンスの余韻に浸っていた。ハリー達もその一人で、ネビルに至ってはジニーと手を繋ぎ合い、見つめ合っている。どうやら、正式な恋人同士になったみたい。俺は彼らの邪魔をしないようにそっと寝室に向かった。すると、やっぱり彼が居た。

「アル」

 声を掛けると、アルはゆっくりと振り向いた。

「よう」

 アルは少し不機嫌そう。

「お土産持って来たよ」
「おう」

 アルの隣に腰掛け、お土産を渡すと、彼は黙って食べ始めた。

「楽しかったか?」
「うん」
「そっか……」

 それっきり、アルは何も言わなかった。俺も何も言わなかった。ただ、じっと隣に座って窓の外を眺めていた。

「なあ、俺がもしさ……」
「ん?」
「俺がもし、お前を――――」

 アルの言葉を最後まで聞く事は出来なかった。
 突然、胸元のブローチが光始めたのだ。

「パパのブローチ?」

 何事かと思って、パパがクリスマスプレゼントとして送ってくれたブローチを見ると、ブローチには文字が浮かんでいた。

《I love you. And be happy――――愛しているよ。幸せに生きなさい》

 どういう意味なのかサッパリ分からなかった。なんで、急にこんな文章を送ってきたんだろう。
 アルを見ると、アルも首を傾げている。
 その時だった。急に慌しく寝室の扉が開いた。ダリウスが入って来た。

「ユーリィ!! 大変だ!!」
「ど、どうしたの?」

 ダリウスは血相を変えながら入って来て、言い難そうにしながら絞るように言った。

「ジェイクが……君のパパが死喰い人に攫われた」

 俺は咄嗟にブローチを見た。ブローチには未だ、文字が刻まれたままだった。このブローチは新たに文字を刻まない限り、前の文字が残り続ける。

《愛しているよ。幸せに生きなさい》

 その言葉の意味が分かった。分かってしまった。
 どうして? なんで? 頭の中は疑問だらけだった。ただ、分かるのはジェイクの身に危機が迫っているという事だけだ。それも、息子に最後のメッセージを送ろうなんて決意を固めなければならないくらいの危機的状況に陥っている。

「今、緊急で対策会議を開いている。お前達も来なさい」

 俺は恐怖で何も答えられなかった。
 パパの身に何かが起きた。最悪な光景が頭を過ぎり、恐怖に震えた。
 お願い、パパ。どうか、無事で居て……。俺はしきりにそればかりを祈りながらダリウスの後に続いた。

第九話「第一の課題」

第九話「第一の課題」

 十一月も半ばになり、段々と寒くなって来た。競技場で箒に乗っていると、突き刺すような冷たい風に凍えそうになる。

「いいかい? チェイサーは攻防速が全て必要になるポジションだ。時にはクアッフルを持つ敵に攻め入らないといけないし、逆に敵から責められた時に仲間やクアッフルを守らないといけない。ゴールを目指して飛ぶ時はスピードも重要だ。【シュート】の練習ばかりしていても駄目って事さ。分かるかい?」

 ドラコは練習用に変身術で作った偽クアッフルを片手で弄びながら言った。
 前に彼と約束したクィディッチの練習は予想以上にスパルタで、容赦が無い。

「さあ、もう一度【守り】の特訓だ」

 そう言って、勢い良くクアッフルをパスしてくる。最初は覚束なかった【キャッチ】も段々と板に付いてきてる気がする。俺はニンバス2000を翻し、クアッフルを抱え込んでドラコから逃げ出した。すると、ドラコは弾丸のように飛んで来て、あっと言う間に俺からクアッフルを掠め取ってしまう。

「何度言えばいいんだい? クアッフルを持つ時はもっと体に密着させるんだ」

 ドラコはクアッフルの持ち方を実演して見せてくれた。真似してみると、どうしても上手くいかない。

「指はここに引っ掛けるんだ。脇は少し開く。そう! 体でしっかりと覚えるんだ!」

 ドラコは俺のすぐ傍で滞空しながら俺の手の形を修正してくれた。もう、何度もやってもらってる。いい加減、ちゃんと間違えないようにしなきゃ。
 
「さあ、もう一度逃げてみろ」
「うん」

 また、ドラコから逃げ出した。だけど、またアッサリと捕まってしまう。

「クアッフルを意識し過ぎだな。持ち方も 重要だけど、そこにばかり意識がいってたら駄目だ。動きもちょっと単純過ぎる。たまにはフェイントを入れないと」

 クアッフルの持ち方だけで躓いてる俺にフェイントなんて仕掛けながら飛ぶ技術は無い。だけど、折角教えてくれてるんだから、期待に応えたい気持ちはある。
 今度はジグザグに飛ぶように意識してみた。

「それじゃあ、ただふらふらしてるだけだ! 何の意味も無い!! いいかい? フェイントってのはこうするんだ。ちょっと、僕を追いかけてみろ」

 ドラコに言われ、ドラコのクアッフルを奪おうと追い掛ける。すると、突然、ドラコの姿が視界から消えてしまった。

「どこ!?」
「こっちだ!」

 ドラコの声は真下から聞こえた。

「こういう風に、急激に高度と速度を下げる方法なんかがある。他にも、スピードを緩めておいてから、相手が近づいた瞬間に最高速度へ切り替える方法もある。いいか? 地面で追いかけっこしてるんじゃないんだ。空には360度の逃げ場がある。それをしっかり考えるんだ」

 結局、特訓は空が暗くなるまで続いた。上達速度の遅い俺にドラコは辛抱強く付き合ってくれた。
 地上に降りて、校舎を目指す間もドラコは時間を惜しむかのように講義を続けた。

「いいかい? スピードを出す事に怖がっちゃ駄目だ。君は無意識にスピードを抑えてしまっている。次は急降下の練習をして、度胸をつけよう。箒の乗り方自体は悪くないんだ。後は心の持ちようだと思う」

 クィディッチの選抜試験は三大魔法学校対抗試合が終わった後に行われる予定になってる。それまでに頑張って上手に箒を乗りこなせるようにならないといけない。
 別れ際に次の練習日を決めて、ドラコと別れた。まだ、スリザリンの寮に戻る事は許されていないみたいで、マッドアイと一緒に自室として使ってる空き部屋に消えて行った。
 戻りたい筈なのに、おくびにも出さないで彼は素直に従っている。
 
「ドラコ!!」

 俺は消えて行った部屋の扉を慌ててノックした。
 ドラコは吃驚した顔で扉を開けた。

「ねえ、明後日の第一試合、一緒に観に行かない?」
「観に行かない? って、君は僕の立場を理解出来ているのか?」

 呆れたような顔をされてしまった。

「僕は観に行けないよ。マッドアイが許す筈が無い。特に、三大魔法学校対抗試合なんて……」
「……構わんぞ」
「マッドアイ?」

 ドラコの背中越しにマッドアイの声が響いた。

「構わんぞって、三大魔法学校対抗試合を観に行っていいんですか!?」

 ドラコは信じられないという表情を浮かべて言った。

「もっとも、ワシとダリウスも同行する事が条件だがな」
「ぜ、全然構いません。でも、どうして……?」

 マッドアイは顎鬚を弄りながら言った。

「言っておくが、お前を完全に信用したわけではないぞ。だが、ヴォルデモートの施した印には然るべき対処をした以上、今のお前の立場は危険人物というよりも、むしろ保護対象という側面が強い。寮に戻る許可を与えられんのも、スリザリンには死喰い人の血縁者が多いが故だ」
「……マッドアイ」
「狙われる可能性があるのは何もポッターやクリアウォーターだけに限らん。裏切り者のお前も危険に晒される可能性は十分にある。お前を校舎に残し、警備が手薄になれば、死喰い人の手が伸びんとも限らん。それに、お前に警備を割けば、今度は二人が危険だ。ならば、保護対象の三人を一纏めにしておいた方がマシだ」
「……恩に着ます」

 頭を深々と下げ、ドラコは嬉しそうに笑顔を浮かべた。

「明後日が急に楽しみになった」
「一緒に楽しもうね、ドラコ」

 その約束から二日後、いよいよ三大魔法学校対抗試合の第一試合が開催される日がやって来た。
 人がごった返す玄関ホールを避けて、校庭の片隅に集合した俺達はかなりの大所帯だった。
 俺とアル、ハリー、ハーマイオニー、ネビル、ロンのグリフィンドールの六人組とレイブンクローのルーナ。それに、スリザリンのドラコという一見すると奇妙な組み合わせ。マッドアイとダリウスは少し離れた場所に居る。
 チョウとルーナとはルーナの失くし物の件以降、よく一緒に食事をしたり話をするようになった。二人共、古代ルーン文字学や数秘術の授業を取っている事が判明して、ハーマイオニーを交えて一緒に勉強する機会も増えた。残念ながら、チョウは既に他のレイブンクロー生と一緒に観戦する予定で断られてしまったけど、ルーナは俺達と一緒に観戦する事に乗り気になってくれた。
 ルーナはハリーに興味津々でハーマイオニーが少し警戒してたけど、歩いている内に警戒すべき対象じゃなかったと思い直して笑顔で談笑するようになった。彼女の興味はハリーの傷痕や生い立ちにあるみたい。ロンとネビルはルーナの奇抜な格好を警戒して距離を取っている。アルとドラコはさっきから互いに睨み合ってる。

「なんで、お前が居るんだよ……」
「ユーリィに誘われたのさ。何度も同じ事を聞くなよ、ニワトリか? 君は」

 挑発に挑発を返しながら歩いている二人に溜息が出た。どうして、仲良くなれないんだろう。

「なんか、不思議な光景だよね」

 ルーナにハーマイオニーを取られてしまったハリーは困ったように頬を掻きながら言った。

「不思議って?」
「こうして、あのマルフォイと一緒に試合を観戦しに行くなんてさ。それに、レイブンクローの子も一緒だ。他寮の生徒とこうして一緒に居る事自体、あんまり無いから変な気分だ」

 言いながら、ハリーは三大魔法学校対抗試合のパンフレットを広げた。バグマンが生徒全員に渡した物で、注意事項なんかが書いてある。
 私語は大いに結構。悲鳴も歓声も大歓迎。だけど、花火の持ち込みは禁止。
 
「糞爆弾を投げたら即退場で罰則だってさ」
「当たり前だと思うよ……」

 そんな事する人が居るんだろうか……。
 一瞬、フレッドとジョージの顔が浮かんだ。あの二人ならやり兼ねない。

「よう!」

 突然、誰かが目の前に現れた。
 
「異色のメンバーだな。ま、いっか。お前等、誰に賭ける?」

 フレッドとジョージだった。
 どうやら、試合の順位で賭けを行ってるみたい。今の所、セドリックが一番人気。二番はクラムで、三番がフラー。すごく順当。

「大穴のフラーに賭けるか? あの妖精ちゃん、見掛けに寄らずとんでもない魔女だって話だ」

 アルとドラコは全く興味を示さなかった。ロンとネビルはそれぞれクラムとセドリックに賭けた。ハーマイオニーは女性に頑張ってもらいたいとフラーに賭けて、ハリーもそれに付き合う形でフラーに賭けた。俺とルーナはちょっと迷ってからセドリックに賭けた。やっぱり、ホグワーツに勝利して欲しい。

「あんたが出てたら、迷わずあんたに賭けたんだけどな」
 
 ルーナが嬉しい事を言ってくれた。

「一緒に楽しもうね。あ! 屋台がある!」

 競技場の周囲には屋台村が出来ていた。
 売り子はなんと、不死鳥の連合。

「バグマンに無理矢理ね……。ポップコーン食べる?」

 トンクスはうんざりした顔でポップコーンをくれた。全部、無料配布らしい。
 チョコレート味のポップコーンを貰って、俺達は試合会場に入った。入った瞬間、凄い歓声の荒らしにひっくり返りそうになった。今日ばかりはグリフィンドールもレイブンクローもスリザリンもハッフルパフも無い。等しくホグワーツの生徒として、セドリックを応援している。ボーバトンとダームストラングの生徒達も負けじと自校の選手を応援しようと声を張り上げている。凄い盛り上がり。
 競技場はいつものクィディッチ用のフィールドを大幅に改造したまるで古の戦士達が戦うコロシアムのような形状に変貌を遂げていた。中央には壇上があり、俺達が席に座るとほぼ同時にバグマンが姿を現し、壇上に華麗に上った。
 
『紳士、淑女の諸君!! お待たせしました!! 数世紀に渡り閉ざされ続けた三大魔法学校対抗試合の歴史を再び開く時が来ました!! ホグワーツ魔法魔術学校の生徒諸君! ダームストラング専門学校の生徒諸君! ボーバトン魔法アカデミーの生徒諸君! 今、諸君らの誇りを胸に、代表選手達の戦いが始まるのです!! 盛大に声を張り上げ、盛大に楽しんで下さい!! さあ、これより試合開始です!!』

 バグマンの合図と共に会場中の空に花火が上がった。バグマンは退場し、壇上も姿を消した。いよいよ、試合が開始される。
 試合の内容は俺の知ってる通りの内容だった。複数の魔法使い達が箒でドラゴンの入った檻を運び入れ、手際良く地面に鎖を打ち込んでいく。観客席には突然鉄の柵が現れた。会場中の観客席から呪文が一斉に放たれ、見えない盾が何重にも張られる。
 ダリウスとマッドアイも呪文を唱えてる。最高レベルの盾の呪文。
 フィールドから魔法使い達が離れると、途端にファンファーレが鳴り響き、バグマンがフラーの入場を告げた。緑色のドラゴンを前にフラーは青褪めた表情で対面している。万全の守りを固められている筈の観客席ですら恐怖を感じるのに、目の前で対敵しているフラーの恐怖は計り知れない。だけど、いざ開始の合図があると、フラーは手際良くドラゴンの瞳に魅惑呪文を賭けた。トロンとしながらドラゴンはあっと言う間に眠りに落ち、フラーはその隙を突いて、ドラゴンに接近する。すると、不意にドラゴンは寝惚けながら細い炎を吐いてフラーのスカートを燃やしたけど、フラーは冷静に水を杖から出して対処した。そして、ドラゴンと一緒に配置された茶褐色に緑の斑紋のある卵の中央にある金の卵をゲットした。
 会場が破裂してしまいそうな歓声が湧き起こる。ボーバトンの生徒だけじゃない。ダームストラングもホグワーツも関係無く、フラーを賞賛する声が上がる。

『フラー・デラクールが見事に卵を奪取!!』

 バグマンの宣言と共にフィールドに複数の魔法使いが飛び出していき、寝息を立てるドラゴンを檻に押し込み、会場の外へ連れ去って行く。
 俺はドラゴンもフラーも居なくなったのに拍手を続けていた。ハーマイオニーは涙を薄っすらと瞼に溜めてる。ルーナも両手を広げて「わーわー!!」と叫んでる。
 彼女の雄姿は観客席の全員を惹き付けた。
 興奮が止まぬ中、次の選手が入場して来た。クラム・ビクトール。さっきの試合の影響下、彼がプロのクィディッチ選手だからか、観客は学校に関係無く彼に歓声を上げた。
 彼の相手はウクライナ・アイアンベリー種。メタル・グレイの鱗を持つ、恐ろしく巨大なドラゴン。雄叫び一つで観客達の興奮を一瞬で醒まさせてしまった。
 一人残らず、恐怖に呑まれる中、誰よりもドラゴンと近くで接しているクラム一人は冷静だった。大人達に混じり、プロのクィディッチ選手として戦ってきたが故なのか、彼は巨大なドラゴンを恐れる事無く真っ直ぐ見据え、杖を構えた。結膜炎の呪いが彼の杖から飛び出す。だけど、ウクライナ・アイアンベリー種はあまりにも巨大過ぎて、狙いが定まらない。
 観客達の悲鳴が木霊する。ウクライナ・アイアンベリー種の巨大な爪がクラムに襲い掛かる。堪らず、クラムは距離を取ろうとするけど、体の大きさが違い過ぎる。彼の十歩がドラゴンの一歩に満たない。このままじゃ、逃げられない。

「クラム!!」

 観客が悲鳴を上げた。その時だった。突如、空から飛来する物体があった。なんと、ファイア・ボルト。
 信じられない光景。相手になったドラゴンの種類が違うからか、彼は物語のハリーと同じ選択肢を取った。物語でも、もしかしたら、彼はこの切り札を用意していたのかもしれない。だけど、物語ではチャイニーズ・ファイヤボール種を相手にして、それほど苦戦を強いられなかったみたいだから、使うまでもなかっただけなのかも。
 ファイア・ボルトに飛び乗ると、彼は瞬く間に上空へ翔け昇った。観客達の悲鳴の種類が変わる。今度の悲鳴は彼のかっこ良さを称える黄色い悲鳴だ。

「ゴー! ゴー! クラム!!」

 ダームストラングの生徒が叫ぶ。

「ゴー! ゴー! クラム!!」

 すると、ボーバトンやホグワーツの生徒までが同調し始めた。もはや、学校同士の対抗意識は存在しない。 
 あるのはクラムの勝利を願う叫びだけ。

「ゴー! ゴー! クラム!!」

 俺もみんなと一緒になって叫んだ。
 ドラコですら拳を握り、夢中になってクラムの雄姿を目で追っている。
 誰もが夢中になる中、彼はどこまでも上昇していく。すると、ドラゴンは徐々に鎖を引き千切り始めた。周囲の連合やドラゴン使い達が慌て出すが、手を出すのを躊躇している。
 そうこうしている内にドラゴンはついに鎖を引き千切り、空を翔けるクラムを追った。

「ついて来い、デカブツ!!」

 クラムの吼えるような叫びが地上にまで聞こえる。誰もが息を呑み、不気味な程会場は静まり返った。
 ドラゴンの姿が豆粒のようになるまで高度を上げたクラムは突然地上に向かって急降下を始めた。
 黄色い悲鳴は恐怖の悲鳴に再び変わり、会場は阿鼻叫喚の地獄絵図に変わる。ドラゴンがクラムを居って、地上目掛けてダイブして来た。
 隣に座っていたルーナが俺に抱き付き、俺もアルに抱き付いた。

「く、来る来る来る!!」

 アルは目を大きく見開きながら叫んだ。

「う、うおおおおおお!!」

 ドラコは大声で叫びながら恐怖に顔を歪めている。
 クラムは地上百メートルになっても全くスピードを緩めない。その瞬間、会場の多くのクィディッチファンは彼が何を狙っているかを理解した。俺も理解出来た。アルとドラコも同時に理解したみたいで、途端に顔を期待に輝かせた。

「で、出るのか!?」
「お、おおおおおおおお!!」

 ドラコは身を乗り出し、アルは叫ぶ。
 
「こ、これがまさか!?」
「いやっほおおおおおおお!!」

 ハリーとロンも思わず立ち上がりながら目を輝かせた。ハーマイオニーすら興奮にキャーキャー叫んでいる。
 地上スレスレまで降りて来たクラムはついに魅せた。

『こ、これは!! ウロンスキー・フェイント!! おおおおおおおおおおおおおお!!』

 バグマンの解説も興奮に満ち溢れている。
 ウロンスキー・フェイントが見事に決まった。ドラゴンは地上にまともにぶつかりノックアウト。クラムは地上に激突する寸前に身を翻して上空へリターンした。
 もはや拍手も出来ない。両手を高々と上げながら彼の名前をみんなで叫び続ける。

「クラム!! クラム!! クラム!! クラム!! クラム!! クラム!!」

 止まらぬクラムコール。最高にカッコいい勝利を収めた彼はフラーの得点を大きく塗り替えた。イゴールの贔屓を無しにしても、全審査員の掲げた得点がフラーを上回っている。それでも、ボーバトンから不満の声は上がらない。あまりにもクラムがかっこ良過ぎたからだ。

「さ、最高だ。ううん。最高より最高。最高っていうより、もっと凄い!!」

 ロンは興奮のあまり、何を言ってるのか分からない。
 でも、その気持ちに同感だ。あの勝ち方はズルい。カッコ良過ぎる。あまりの感動に涙が出て来た。
 クラムが会場を去ると、会場の興奮は最高潮。次のセドリックの試合も魅せてくれる筈だと皆が期待している。
 
『さあ、最後の選手の入場です!! ホグワーツ魔法魔術学校の代表選手、セドリック・ディゴリー!!』

 真打登場に割れんばかりの歓声と拍手が起こった。そんな中、彼が対面するのは物語でハリーが対面したハンガリー・ホーンテール種。
 世界で一番凶暴と言われるドラゴンを相手にセドリックがどう対処するのか、皆が期待している。
 最初はやっぱり結膜炎の呪いだった。だけど、ドラゴンは呪いを避け、強力な炎の息を吐き出した。会場中を火の海にしながら、ドラゴンは雄叫びを上げる。それでも、フラーとクラムの試合に興奮し切った観客達の歓声は止まない。セドリックも冷静さを失わず、近場の岩に変身呪文を掛けた。岩が大きな犬に変身し、ドラゴンの回りを走り回る。ドラゴンの意識は犬に集中し、その間にセドリックは見事に卵を奪取した。見事な手際。観客達は期待を裏切らないセドリックの雄姿に歓声を上げる。
 だけど、ドラゴンは卵を奪取したからといって、気絶したわけでも、大人しくなったわけでもなかった。むしろ、卵を襲われた事で一気に怒りが爆発し、セドリックに襲いかかった。即座に連合とドラゴン使い達がフィールドに雪崩れ込んで行く。だけど、暴れ出したドラゴンは軽々と鎖を引き千切り、魔法使い達に炎の洗礼を浴びせ掛けた。ドラゴン使いが二人炎をまともに浴びて地面に墜落し、連合のメンバーが彼らをフィールドから連れ出した。観客達は悲鳴を上げながら席を立った。バグマンが生徒達に避難するよう告げたからだ。
 背後の壁が崩れ、巨大な階段となり、みんな急いで逃げ出した。俺達も逃げようと立ち上がり、走り出すと、誰かに押されたルーナが転んでしまった。

「ルーナ!!」

 ルーナを助け起こそうと戻ると、アル達と逸れてしまった。人の波が凄過ぎて、アル達はあっと言う間に流されてしまった。

「大丈夫、ルーナ!?」

 ルーナは頷いたけど、膝を切ってしまったみたい。

「待ってて、エピスキー」

 呪文を唱えると、あっと言う間にルーナの傷は治ってしまった。

「ありがとう、ユーリィ」
「早く逃げよう、ルーナ」
 
 ルーナの手を取って立ち上がらせると、背後からドラゴンの雄叫びが響いた。吃驚して振り返ると、ドラゴンが迫って来ていた。俺達を狙ったわけじゃないんだろうけど、ドラゴンはあっさりと鉄の柵をへし折り、観客席の上に降り立った。盾の呪文は機能していないみたい。
 連合やドラゴン使い達の呪文がドラゴンに襲い掛かる。このまま、ここに居たら大変な事になる。

「走れる?」
「大丈夫」

 俺はルーナの手を取って走り始めた。すると、ドラゴンがこっちに顔を向けて来た。どうしてなのか考えている余裕も無い。観客席の背後に現れた階段を二段飛ばしで駆け降りながらドラゴンから逃げる。すると、漸く背後から魔法使い達がドラゴンに接近し、拘束に成功した。俺達は知らず囮役を買って出ていたらしい。
 だけど、ドラゴンは未だに怒りが収まらないようで、口を大きく開けた。炎を吐き出す気だ。ホーンテールの炎の射程は十五メートルに及ぶ。まだ、俺達は射程内だ。だけど、もう逃げる余裕が無い。

「ユーリィ!!」

 ルーナを抱き締めて、瞼を閉じると、ドラコの声が響いた。頭を上げると、ドラコが走って向かって来る。後ろにはアルやハリー達の姿もある。

「来ちゃ駄目!!」

 必死に叫ぶが、ドラコは立ち止まらずに俺たちの下まで来て、吐き出された炎に杖を突き出した。

「プロテゴ・トタラム!!」

 途端に防御壁が展開する。だけど、炎は凄い勢いで見えない壁を侵食する。
 俺は慌てて杖を構えた。

「プロテゴ!!」

 ドラコの呪文の助けに少しでもなるように願いながら唱えた。
 すると、炎の勢いは少し弱まった。

「プロテゴ!!}

 ルーナもプロテゴを唱え、三人で張った盾は何とか持ち応えてくれた。
 炎は盾に遮られ、左右に分かれて地面を焼いていく。恐ろしく長く感じる二十秒間が終わると、炎は止んだ。
 ドラコは深く息を吐き、俺とルーナはへたり込んでしまった。

「ありがとう、ドラコ」
「あんた、カッコいいね」
 
 俺とルーナが言うと、ドラコは片手を軽く振って応えた。

「我ながら無茶をしたもんだ」

 ドラコは少しの間、俺達を見つめ、やがて笑みを浮かべた。

「まあ、騎士としての面目躍如って所かな」
「ユーリィ!」

 アル達がやって来た。アルは必死の形相で俺に怪我が無いかを確かめ、顔を歪めながらドラコに顔を向けた。

「ありがとな」

 ドラコは吃驚した様子でアルを見た。

「別に……」

 照れたようにソッポを向きながら、ドラコはルーナに手を貸した。
 アルも俺に手を貸してくれた。それから奇妙な無言が続き、俺達はみんなの居る校庭に向かった。
 第一試合が終わりを迎え、順位はクラムが一位。二位がフラーで三位がセドリック。ドラゴンを沈静させられたかどうかがフラーとの順位の差に繋がったらしい。
 最後の結果発表はそのまま校庭で行われ、次なる試合に向け、選手達には盛大な拍手が送られた。
 次の試合はクリスマスのダンスパーティーが終わった後だ。ルーナとしっかり踊れるように少し練習しておこうかな、と考えながら俺は選手三人に手が痛くなるまで拍手した。
 ドラコには改めてお礼をしなきゃ……。

第八話「ルーナ・ラブグッド」

第八話「ルーナ・ラブグッド」

 カーテンの隙間から零れる光で目を覚ました。なんだか、久しぶりに良く眠れた気がする。

「……なんだろう、これ」

 俺は何かに抱き付いていた。抱き枕なんて持っていない筈なんだけど、と思って瞼をゆっくりと開くと、目の前に金の糸で縫われた獅子の姿があった。直ぐに制服に縫い付けられているグリフィンドールの紋章だと気が付いた。だけど、どうして、俺は制服に抱き付いているんだろう。
 困惑しながら制服から体を離すと、俺は漸く勘違いに気が付いた。俺は制服に抱き付いていたんじゃなかった。俺は制服を着たままのアルに抱き付いていたんだ。鼻孔を擽る匂いはアルの臭いだったみたい。余計に困惑しながら、寝る前の状況を思い出そうと頭の中を探る。
 昨日はハロウィン。ボーバトンとダームストラングの代表団が来て、大広間で炎のゴブレットによる選定の儀式が行われた。俺はダリウスの策略にまんまと嵌り、選手になる事が出来なかった。その後、みんなに慰められながらバタービールをたくさん飲んで、飲んでる内に頭が真っ白になってしまったんだ。
 漸く思い出した。つまり、俺はバタービールで酔い潰れてしまったんだ。その後、多分、アルが俺を寝室に運んでくれたんだろう。情けなくて涙が出て来る。でも……、

「……もうちょっとだけ」

 折角の機会だし、もう少しだけアルの臭いと体温を堪能しよう。どうして、アルを抱き締めながら寝てたのかは謎だけど、そんなのどうでもいいと思うくらい、この瞬間が幸せだった。
 だから、俺は完全に油断していた。頬を緩ませてアルの腰回りに手を伸ばして、おへその辺りに頭を寄せ、ウットリしていると、頭上から冷たい声が降って来た。

「起きたんなら、そろそろ離れろ……」

 頭の中が真っ白になった。まさか、起きているなんて思ってなかったから、寝ている時の無意識の行動に見せ掛ければ良いと思って、とんでもなく恥ずかしい事をしてしまった。
 ううん。恥ずかしいなんてもんじゃない。はっきり言って、端から見たら変態にしか見えない。せめて、腕に抱きつく程度にしておけば……それでも十分変態的だけど、腰回りに頭を寄せている今よりはずっとマシだった筈。血の気が引く音が聞こえるかのよう。俺は身動き一つ取れなくなった。

「おい……、ユーリィ?」

 返事なんて無理。何を言えばいいの? こんな変態行為にどう説明をつければ言い訳が立つというの? でも、何か言わなきゃ。
 
「起きてんだろ」

 駄目だ。冴えた言い訳が少しも思いつかない。それに、アルの声を聞いていると頭がボーっとしちゃう。意識を集中するのが困難な程、魅惑的な響き。
 このまま、いつまでも彼を堪能していたい。彼の体温を、彼の臭いを、彼の声を、彼の息遣いを、彼の心臓の音を……。

「おい、コラ」

 アルが急に起き上がったせいで、俺はベッドから転がり落ちてしまった。元々、そんなに大きくないベッドに二人で寝ていたからかなりギリギリだったみたい。
 俺がベッドから落ちた音でハリー達が起きたみたい。

「んん……んぅ? 何の音?」

 ネビルの声。

「何でもない。まだ、朝食にはかなり時間があるぞ。もう少し寝とけよ」

 アルが言うと、ネビルは大人しく言う事を聞いて、再び寝息を立て始めた。窓の外を見ると、まだ朝日が昇ったばかり。ハリーとロンも夢の世界に戻っていった。
 アルは立ち上がると、俺の頭を掴んで、膝を曲げた。尻餅をついている俺に視線を合わせて耳元で囁いた。

「ついて来い」

 耳元にアルの吐息が掛かってぞくぞくした。頭はふわふわした状態のまま、何も考えられない。
 アルは俺の手首を掴むと力強く俺を引っ張り起こした。捕まれた手首がジンジンと痛む。それがアルに与えられた痛みだと思うと、口元が緩む。
 アルに引っ張られて、寝室を出て、階段を降り、談話室を抜け、廊下を歩き続けた。途中、警護の為に巡回している闇祓いの人――確か、クリストファー・レイリーという名前――に遭遇した。

「どうしたんだい?」

 落ち着いた、深みのある声。黒い髪に瑞々しい肌の彼を見て、四十過ぎのおじさんだと分かる人間は居ない。だけど、その眼差しや声には子供に持ち得ぬ風格があった。
 
「こんな朝早くから校内をウロウロするのは感心しないな。特に、君達の立場を顧みるとね」
「少し、二人で話がしたいんです。必要の部屋を使いたいんですよ」
「必要の部屋か……。では、部屋に入るまで付き添わせて貰おう。マッドアイも言っていただろう? 油断大敵だ。三大魔法学校対抗試合の選手になりこそしなかったが、君達を……特に、ユーリィ君を狙う魔の手は常に狙いを定めている筈だ」
「……ありがとうございます」
「礼には及ばないよ。むしろ、君達のプライベートに横槍を入れる無作法を許して欲しい。君達、未来ある若者の安全を護るのが私の……闇祓いの使命なのでね」
「恩に着ます」

 二人の会話が殆ど頭に入って来ない。意識は全てアルに捕まれている手首に集中している。
 アルに手を引かれながら、三人で廊下を歩き続けた。不意にアルが立ち止まり、俺の手首を離した。急に心細くなり、どこかへ行こうとするアルの手を掴んだ。

「ユーリィ?」

 困惑している。俺自身、自分の行動に困惑している。
 朝から変だ。五感の全てがアルを求めている。幾ら何でも異常だって、分かっているのに止められない。まるで、ドラッグ依存者のよう。
 アルというドラッグが欲しくて堪らない。一時も手放したくない。目も口も耳も手も足も全てが欲しい。

「どうしたんだ?」

 顔が近づく。鼓動が早まる。ブロンドの髪が眉の下まで伸びている。なのに、全然野暮ったく見えない。切れ長の瞼の奥の吸い込まれそうな翡翠色の瞳が俺をジッと見つめている。
 
「おい、ユーリィ!?」

 どうしたんだろう。アルは慌てた様子で俺のおでこに手を当てた。ひんやりとしていて気持ち良い。
 だんだん、頭が重たくなって来た。
 視界が何だかぼんやりとして来た。アルの口がパクパクと開いている。何か言っているみたいだけど、よく聞こえない。
 あれ……、体に力が入らない。アルが離れていく。
 行かないで! 叫んだつもりなのに、声が出ない。背中に強い衝撃を受けて、俺は意識を失った。

 ※※※※

 その日は雲一つ無い爽やかな陽気の日だった。
 僕は今度こそ彼女と仲直りをしようと思って、彼女の家に向かった。小学校の頃、彼女から告白されて、付き合うようになって早六年。
 僕は彼女が大好きだ。大人しくて、あまりお喋りな方じゃないけど、彼女と居る時間は特別で、時間の経過なんて気にならない。
 二日前の深夜、突然彼女から別れ話を持ち掛けられて、昨日は一日中電話をしたり、彼女の家を尋ねたり、彼女の学校に行って見たりしたけど、電話は無視され、家には誰も居らず、学校ではどういう訳か、誰も彼女の事を教えてくれなかった。
 中学は同じ学校に進学したけど、高校は別々の道を選んだ。僕らの愛の前には学校の違いなんて些細なものだと信じていたんだ。だけど、今は少し後悔している。やっぱり、ランクを二つ下げてでも、彼女と同じ高校にすれば良かった。また、あの頃のようになっていなければいいんだけど……。
 今日は日曜日だ。学校は休み。きっと、この時間なら家に居る筈だ。朝の七時に家を尋ねるなんて迷惑かもしれないけど、どうしても考え直してもらいたい。
 彼女の家に行くのは昨日と今日で二回目だ。彼女の両親はとても厳しい人で、男を家に招く事を決して許してくれないらしい。もしかしたら、彼女を不利な立場に陥らせてしまうかもしれない。そう考えると、つい二の足を踏んでしまいそうになるけど、意を決して彼女の家の前に立ち、呼び鈴を鳴らした。

 僕は走っている。ああ、どうして僕はこんなに愚かなんだろう。アレはまだ続いていたんだ。アレはもはや取り返しのつかないレベルにまでエスカレートしていた。
 始まりは些細な切欠だった。僕は必死に彼女を護り続けた。中学を卒業する頃には、もう大丈夫だろうと高を括っていた。まさか、こんな事になるなんて、想像もしていなかった。
 警察に電話しようかとも思ったけど、彼女の心を思うと、踏ん切りがつかなかった。中央特別快速で目的地に急いだ。途中、三鷹で鈍行に乗り換え、ノロノロと流れる車窓に焦りながら手を合わせた。
 目的の駅に到着すると、人にぶつかるのも構わず、僕は走った。連絡をくれた彼の教えてくれたカラオケ店に急ぐ。古い建物の三階にあるカラオケ店の受付を通り、奥の部屋を目指す。
 そこで見たのは……、最悪の想像を遥かに超える最悪の光景だった。

『あ、ああ…………』

 何があったのか直ぐに理解した。僕は赤い血溜りの中で呆然と虚空を眺めている彼女に服を着せ、彼女の持っていた包丁を取り上げた。
 僕は直ぐに彼女を連れてトイレに向かった。知らなかったでは済まない事実を目の当たりにしながら、僕は泣きながら彼女の体を拭いた。
 やるべき事はまだある。心を強く持って、僕は赤いカラオケルームに向かった。部屋の中に監視カメラの類は無かった。
 包丁の持ち手や刀身をトイレで念入りに洗って来た。彼女の指紋は出ない筈だ。僕は指紋がべったり出るように強く包丁の柄を握った。そして、足下の血溜りに包丁の刀身をしっかりと漬け、入り口の近くに放り投げた。上着に着ていたパーカーにも血をベッタリつける。これで、受付は僕が何か恐ろしい事をしでかしたに違いないと確信してくれる筈だ。
 トイレに残してきた彼女を連れて、パーカーの帽子を目深に被り、彼女にもいつも身に着けている帽子を目深に被らせた。受付を通る時に受付にわざと血の付いたパーカーを見せた。焦った顔で追い掛けて来る。彼女を抱き上げて、僕は走った。心臓が破れるかと思うくらい必死に走った。

『ごめん……』

 ※※※※

 目が覚めた時、背汗で服がビッショリになっていた。
 凄く怖い夢を見ていた気がするのに、どんな内容だったかが思い出せない。
 起き上がろうとすると、頭がズキズキと痛んだ。

「起きたのですね。無理をしてはいけませんよ。貴方は熱を出して倒れたのですからね」

 聞き慣れたマダム・ポンフリーの声。

「熱……?」

 そう言えば、朝、目を覚ました後、何だか頭がボーっとしてたっけ。
 
「さあ、この薬を飲みなさい。直ぐに良くなりますからね」
「はい」

 マダム・ポンフリーに渡された薬を飲むと、急激な眠気に襲われた。
 
「さあ、よくお眠りなさい。目を覚ましたら体の調子は戻っている筈です」

 彼女の言葉に従って、俺は眠気に身を委ねた。あっと言う間に意識が闇に沈み、今度は何も夢を見なかった。
 意識が戻ったのは夕方になってからだった。マダム・ポンフリーに退院の許可を貰って、俺は夕食を食べようと、食堂に向かった。
 廊下を歩いていると、奇妙な姿の女の子と出会った。ダーク・ブロンドの髪を腰まで伸ばした、銀色の瞳の女の子。奇妙というのは彼女の首に下がっているネックレスの事。
 彼女のネックレスはバタービールのコルクを繋ぎ合わせた物だった。杖を左耳に挟んでいる。
 何かを探しているのか、辺りをキョロキョロと眺め回している。

「どうしたの?」

 あまりにも不思議な動きをするものだから、つい声を掛けた。すると、彼女は大きくて飛び出し気味のギョロッとした目を更に大きく見開いて俺を見た。

「あんた、ユーリィ・クリアウォーター?」
「俺を知ってるの?」
「知らない人の方が珍しいと思うよ」
「そうなの?」
「そうだよ」
「そうなんだ」
「うん」

 自分が有名になってるなんて知らなかった。悪い意味でじゃないといいな。

「両方かな」

 顔に出ていたみたい。女の子は言った。

「あのアルフォンス・ウォーロックにいっつもくっ付いてるオカマちゃんって言ってる人も居るし」
「え゛!?」
「毎年保健室に運び込まれてる人って噂にもなってるし」
「ええ!?」
「でも、炎のゴブレットの選定を受ける選抜試験で凄く良い所までいったから、素敵って言ってる子も居るよ」
「そ、そう……」

 良い噂がつい最近追加されたみたい。それまでは酷い噂が大半だったらしい。

「“あのアルフォンス・ウォーロック”って、どういう意味?」
「あたしが一年の頃、あの人、ハリー・ポッターに化けて変な奴と戦ってたの」
 
 アルがハリーに化けてって、どういう事だろう。

「最初はみんな、ハリー・ポッターが戦ってるんだって思ってたんだけど、変な奴を退散させた後、顔が変わってアルフォンス・ウォーロックになったんだよ。相手の変な奴、すっごく強かったんだけど、二年生と思えないくらい凄い戦いをしたんだ。それから、結構色んな女の子達があの人を視線で追うようになったんだよ」

 二年生の時って事は、あのトム・リドルとの戦いの事を言ってるのかな。確か、アルはハリーを秘密の部屋に行かせる為にハリーに変身して、トムを足止めしたらしい。
 どんな戦いだったかはあまり詳しく聞いてないけど、どうやら凄くかっこ良かったみたい。
 アルって、知らない内に女の子のファンを作ってたんだ……。

「えっと、君も……」
「あたしは興味ないよ。カッコいいとは思ったけど。それよりバジリスクの背中に乗ってみたかったな」

 夢見るような口調。映画の俳優と全然容姿が違うから分からなかったけど、もしかして、彼女は……、

「君はもしかして、ルーナ・ラブグッド?」
「そうだよ」
「ルーナって呼んでも構わない?」
「もちろん」
「ルーナは何か探してたの?」

 ルーナは少し困った顔をした。

「靴が勝手に歩いてどこかに行っちゃったんだ」

 ルーナは確か、その容姿と言動のせいで虐められていた筈。なんだか、他人事のように思えなかった。
 ポケットから杖を取り出して、軽く振った。

「アクシオ、ルーナの失くした靴」

 しばらくすると、靴が揃って宙を漂って来た。

「わぁお!」

 ルーナは喜色を浮かべて靴をキャッチした。

「凄いね、あんた。ありがとう」
「どういたしまして。他にも隠され……隠れちゃった物ってある?」
「うん。いっぱい!」

 俺はルーナの探し物を片っ端から呼び寄せ続けた。あっと言う間に両手で持ち切れないくらいの探し物が集まった。

「凄い数だね……」

 山のような失くし物。この数の分だけ、ルーナは虐めを受けて来たという事だ。
 凄く嫌な気分になった。

「あら? ルーナじゃない」

 とにかく、レイブンクローの寮まで運ばないといけない。かなりの数だから骨が折れそうだと気合を入れていると、後ろから声が聞こえた。
 振り返ると、黒い髪のアジア系の顔立ちをした少女が立っていた。凄く美人だ。

「どうしたの? これ」
「こんにちは、チョウ。ユーリィが私の探し物を見つけてくれたんだ」

 チョウ・チャン。ハリーの本来の初恋の相手。ハッとする程の美人だ。パーバティ達とは別種の美しさ。

「あ、えっと、こんにちは」
「こんにちは。それにしても、凄い数ね」

 チョウもある程度事情を察しているのだろう。顔には苦々しさが滲んでいる。

「レイブンクローの寮まで運ばないといけないんだけど、ちょっと多過ぎて、困ってたの」

 ルーナが言うと、チョウは「任せて」と言った。

「私も手伝うわ。三人でなら、何とか運べそう」
「ありがとう、チョウ」
「ありがとう」

 ルーナと俺がお礼を言うと、チョウは優しそうに微笑み、両手でルーナの失くし物を持ち上げた。見た目より力があるみたい。さすが、レイブンクローのシーカーだ。
 俺とルーナもそれぞれ失くし物を持ち上げて、西塔にあるレイブンクローの寮を目指した。寮の手前まで来ると、俺は失くし物を床に下ろした。

「俺は中に入れないから、これをお願い」
「ええ、任せて」
「ありがとね、ユーリィ」

 二人が寮の中へ入って行くのを見送ってから、俺は今度こそ食堂に向かって歩き出した。かなり遅くなってしまった。まだ、食べられるといいんだけど……。
 食堂の近くまで来ると、後ろからチョウとルーナが追い掛けて来た。

「折角だから、一緒に食べようと思ったの」

 チョウが言った。

「早くしないと、食べ損ねるよ?」

 ルーナの言葉に俺達は駆け足で食堂に向かった。
 食堂に到着すると、人の姿はまばらになっていた。手近な席に座り、食事を大皿に向かって注文すると、美味しそうな料理が用意された。
 俺達三人は食事を取りながら互いの事を話し合った。何だか、不思議な気分。アル達以外とこうして会話をするなんて俺にとっては凄く珍しい事だ。
 
「そう言えば、ダンスパーティーの相手って決めた?」

 話の流れで炎のゴブレットや三大魔法学校対抗試合の試合内容について話していると、チョウが言った。

「クリスマスのだっけ?」

 ルーナはあんまり興味無さそうに呟いた。

「チョウは決まったの?」

 俺が聞くと、チョウは照れたように頷いた。

「セドリックに誘われたわ」

 心の底から嬉しそう。

「おめでとう、チョウ」

 お祝いの言葉を送りながら、俺は自分の立場を思い出した。
 そう言えば、俺はまだ相手を決めてない。ハーマイオニーがハリーのパートナーになる以上、俺に親しい女の子は残っていない。
 どうしようかと悩んでいると、ルーナがミートパイを口に運んでいる姿が目に止まった。

「ねえ、ルーナ」
「なーに?」
「その……」

 ちょっと恥ずかしくて躊躇いながら俺は言った。

「一緒にダンスパーティーに出席しない?」

 俺が言うと、ルーナは持っていたフォークを落とした。
 ギョロッとした目が更に大きく見開かれた。

「いいよ」
「ありがとう」

 ルーナが良い子だって事は知ってるし、直接会話をしていて楽しかった。
 彼女と居れば、ダンスパーティーも不安ばかりじゃなくなりそう。

「たくさん、踊ろうね」
「いいよ」
「あ、ミートパイもっと食べたい? 注文する?」
「いいよ」

 さっきから、「いいよ」しか言ってない気がするけど、とりあえずミートパイを注文して、俺は大皿からルーナの小皿にミートパイをたっぷり盛りつけた。
 
「それにしても、セドリックが優勝するといいね」

 チョウに言うと、彼女は自身満々に言った。

「もちろん、彼が勝つに決まってるわ!」

 その後、それぞれの寮に向かう為に分かれるまで、俺達はいろいろな話をした。
 寮に戻ると、アル達が熱を出した事を心配してくれたけど、ルーナとダンスパーティーに行く話をした途端、ハリー以外の全員が愕然とした表情を浮かべた。
 みんな、まだ誰も誘ってないみたい。

「あ、朝のアレは何だったんだ……」

 アルがよく分からない事を呟いたけど、俺は少し発破を掛ける事にした。

「クリスマスまでたっぷり時間があるけど、早くパートナーを見つけた方がいいよ?」

 これが、勝者の余裕なのかな? もう、パートナーが居る俺は一人じゃない。だから、何も怖くない。

 数日後、少し浮かれた気分になりながら、俺は三大魔法学校対抗試合の第一試合の日を迎えた。

第七話「炎のゴブレット」

第七話「炎のゴブレット」

 十月三十一日。ホグワーツは例年と比べ物にならない豪華なハロウィンの飾りつけに彩られていた。廊下には様々な怪物の剥製が並び、天井を見上げると蝙蝠が羽ばたき、様々な調度品に命が拭き込まれ、近寄る生徒の前でおどけて見せている。ハロウィンパーティまでたっぷり時間がある。俺はゆっくりと飾りつけを見て回る事にした。
 廊下を歩いていると、物陰や脇道に何かの気配がある。チラリと視線を向けると、手の平サイズの可愛い妖精が居た。蝶の羽が付いた可愛い女の子が俺の視線に気付くなり隠れてしまった。別の場所には別の妖精。楽しくなって、目の前の扉を開けようとすると、扉は勝手にバタンと開き、動く階段の前に出た。吹き抜けになっているフロアを縦横無尽に飛行する影がある。何だろうかと目を向けると、顔の無い鳥や蝙蝠だった。階段を登ると、また扉が勝手に開く。どうやら、今日のホグワーツは全ての扉が自動ドアになってしまっているみたい。
 なんて、考えてたらいきなり床が動き出した。自動ドアの次は歩く歩道だ。足を止めると、辺りから不思議な歌が聞こえて来た。歌い主は子供のようなソプラノボイス。陽気で愉快な歌詞を元気一杯に歌っている。何だか楽しくなって来て、俺は鼻歌混じりで歩き続けた。

「おいおい、ホグワーツはいつからテーマパークになっちまったんだ!?」

 大広間に着くなり、ハシャギ回るフレッドとジョージと出会った。宙に浮かぶハロウィンお化けの蝋燭から溢れる怪しい光。
 足下には異形の生き物達が走り回っている。壁を見ると、黒い何かが這い回っている。まるでサメかイルカのような形の黒い影。背中には大きな瞳があって、キョロキョロと辺りを見回している。
 ふと、怪物と目が合った。すると、吃驚するくらい素早く俺の目の前まで来て、黒い影が壁からぬっと伸びて来た。思わず後ずさると、影は手の形になり、掌から四角い箱がゆっくりと浮かび上がって来た。箱は勝手に開き、中から白いハトが飛び出して来た。驚いてひっくり返りそうになる俺を怪物は楽しそうに見つめ、去って行く。
 すると、ハトが何かを落とした。一瞬、糞を落とされたのかと思ったけど、落ちてきたのは帽子だった。ハロウィンお化けのマークが所狭しと刺繍された三角帽子。おかしくって、ついつい笑ってしまった。

「お! ユーリィも貰ったのか!」
「俺達もこの通り!」

 フレッドとジョージは踊りながら指の先でクルクルと三角帽子を回している。フレッドの帽子は蝙蝠の刺繍。ジョージの帽子は黒猫の刺繍。

「今日はいよいよ炎のゴブレットに名前を入れるんだよな? ったく、羨ましいぜ! 俺も試験に参加しようと思ったのに、素行で羊皮紙に資格無しって判断されちまった」
「この品行方正な生徒の鑑の如き我らのどこに問題があるというのだ!!」

 二人は相変わらず陽気だ。ロンもウィーズリー夫妻も二人に俺の事や連合の事を教えていないらしい。二人の事だから、盗み聞きしたりして、とっくに皆が秘密にしている事を探り当てて入るんだろうけど、態度を変えずに接してくれる。
 あれ以来、アルとは一切会話をしていない。俺もアルも互いの顔を見ようともしない。ダリウスやハリー達ともあまり会話をしていない。みんな、事あるごとに試合への参加を棄権するよう訴えて来る。みんなの気持ちはありがたいけど、棄権なんて出来ない。俺はアルに勝って、資格を得たんだ。だから、アルの代わりにみんなの危険を引き受ける義務がある。

「……でもさ、あんまり無茶はすんなよ?」
「え?」

 一瞬、フレッドは彼に似合わない真剣な表情を浮かべて言った。でも、次の瞬間にはいつもの陽気な笑顔に戻って走り去ってしまった。
 
「心配……してくれてるのかな」

 一人で席に座ってパーティーの開始を待っていると、次々に生徒達が大広間に入って来て、瞬く間に席に埋まってしまった。みんな、大広間の異様に豪華な飾りつけに夢中になっている。
 ドンという大きな音がしたかと思うと、突然頭上に大きな垂れ幕が現れた。グリフィンドールの席の上には赤地に金の獅子の模様が描かれた垂れ幕。レイブンクローは青地にブロンズの鷲。ハッフルパフは黄色に黒い穴熊。スリザリンは緑地にシルバーの蛇。教職員用のテーブルの頭上にはホグワーツの紋章だ。
 
「諸君!!」

 バタンと大きな音を立てて、大広間の扉が開いた。
 扉の向こうには先生方が並んでいる。

「これより、ボーバトン魔法アカデミーとダームストラング専門学校からのお客様方をお迎えする!! 各寮の生徒達は先生方や監督生の指示に従い、整列してワシに付いて来なさい!!」

 ダンブルドアの言葉にみんな慌てて動き始めた。

「一年生が先頭です!! あなた、頭に妙なものを付けるのはお止しなさい!!」

 マクゴナガルが叫ぶ声が響く。学年ごとに並び終えると、俺の後ろにはアルの姿があった。偶然だと思うけど、凄く気まずい。極力意識しないように前の女の子の髪飾りに注目しながら俺はみんなと一緒に歩き出した。
 学校を出て、禁じられた森の方に歩いて行く。空は既に真っ暗だ。満月の銀光が眩く大地を照らす中、俺達はその時を待った。

「さあ、ボーバトンの代表団がおいでのようじゃ!!」

 ダンブルドアの声にみんな周囲を見回した。馬車道の向こうからは何も来る気配が無い。禁じられた森からは獣の唸り声だけ。湖は沈黙を保っている。
 空を見上げた生徒だけがその存在に真っ先に気付く事が出来た。

「アレを見ろ!! ドラゴンだ!!」

 上空を指差す一年生の声にみんなの視線が上空へと向けられた。
 銀に輝く月を何かが覆い隠している。巨大なソレは一見すると確かにドラゴンにも見える。

「違う!! アレは……家!?」

 二年生の誰かが悲鳴を上げた。
 その子の言う通り、家にも見える。だけど、違う。アレこそがボーバトンの代表選手団。彼らの乗る天馬に引かれた超巨大馬車だ。金銀に輝く巨大な天馬が巨大な屋敷を引いて速度をグングン上げて迫って来る。阿鼻叫喚の叫びの中、馬車は俺達の頭上を翔け抜けていった。
 着陸の瞬間、大地が揺れ動いた。一年生達は多くが立っていられずに転んでしまった。凄まじい衝撃と共に降り立った馬車からは一人の少年が飛び出してくる。少年は金色の踏み台を引っ張り出すと優雅に飛び退く。すると、戸口の先から次々に青いローブを着た生徒達が姿を現した。最後の――とても美しい――生徒が出て来た後、ピカピカの黒いハイヒールを穿いた巨大な女性が現れた。ハグリッドやダンブルドアに匹敵する長身の女性。彼女こそ、ボーバトン魔法アカデミーの校長オリンペ・マクシームに違いない。
 ダンブルドアの拍手を皮切りにみんな一斉にボーバトンの代表団に向けて歓迎の拍手を送った。

「お会い出来てまっこと嬉しいですぞ、マダム・マクシーム。ようこそ、ホグワーツへ」
「ダンブリー・ドール。おかわりーありませんーか?」
 
 深いアルトボイスでマクシームは言った。英語を喋りなれてないみたいで、発音がところどころ間違っている。
 
「上々じゃよ」
「わたーしのせいとーです」

 マダム・マクシームが巨大な手で生徒達の事をダンブルドアと俺達に紹介した。
 ボーバトンの生徒達はみんな震えている。この寒空の中、薄い絹地のローブ一枚では無理も無い。それに、男の子も女の子もみんなホグワーツを不安そうに見つめている。その気持ちは良く分かる。見知らぬ土地で心細いのだろう。
 
「カルカロフはまだでーすか?」
「もう直ぐの筈じゃ。外で待ちますかな? それとも……、中で暖を取りますかのう?」
「あたたまりたいーです。でも、ウーマが……」
「そちらは我が校の優秀な魔法生物飼育学の先生が喜んで引き受けてくれるじゃろう」

 ダンブルドアはマクゴナガルの隣に立っているハグリッドにウインクして見せた。ハグリッドは俺達が三年生になった時、魔法生物飼育学の教師になった。
 マクシームは始め少し不安そうにしていたけど、暖を求めて城の中へ入って行った。
 それから十分ほどして、突然雷鳴が轟いた。何事かと思って空を見上げると湖から巨大な水柱が立ち上り、降り頻る大量の水の向こう側から真っ黒な船が現れた。まるで幽霊船のような姿をした船が岸に到着すると、船のあちこちに火の手が上がった。火事かと思ったら、松明の灯りだった。
 船の扉が開くと、タラップが降りて来て、船員が下船して来た。みんな、一様にモコモコした毛皮のマントを身に纏っている。
 
「ダンブルドア!!」

 一人銀色の毛皮を身に纏った男が最後に降りて来ると、ダンブルドアと抱擁の挨拶を交わした。
 
「しばらくぶりだな!! 元気だったか?」
「元気一杯じゃよ。カルカロフ校長」

 ダームストラング専門学校の代表団の登場。彼こそがダームストラングの校長、イゴール・カルカロフ。痩せて背が高く、髪は銀色。
 ダンブルドアと握手をすると、彼もマダム・マクシームのように自分の生徒達を紹介した。
 ダームストラングの代表団と共に城に戻り、大広間に入ると、大広間にはボーバトンとダームストラング用の席が追加されていた。垂れ幕も二つ追加されている。それぞれの学校の紋章が記された垂れ幕の下の席に両校の生徒達が座り、カルカロフとマクシームは教員用の席に着いた。
 全員が着席するのを見計らったかのように大広間の扉が大きく開き、その向こう側から一人の男が現れた。

「バグマンだ!!」

 生徒の誰かが叫んだ。入って来たのは色鮮やかなローブを身に纏い朗らかに微笑む魔法使いだった。
 彼は背後に数人の魔法使いを引き連れている。魔法使い達は巨大な物体を大広間へと運び入れて来た。
 教員テーブルの前までソレを運んでくると、バグマンは大きく腕を広げた。

「諸君!! 私は魔法省魔法ゲーム・スポーツ部部長のルード・バグマンだ!! ボーバトンの代表団の皆さんとダームストラングの代表団のみなさんは到着早々でお疲れでしょうが、今宵は特別な夜です!! もうしばし、意識を現実の世界に留めて頂きたい!!」

 バグマンは大袈裟な動作でボーバトンとダームストラングの生徒達に顔を向け、胸を大きく逸らした。

「時は来た!! 参加する魔法使いは三人!! されど、彼らの勝利は即ち各校の生徒達全員の勝利である!! 彼らの敗北は即ち各校の生徒達全員の敗北である!! さあ、選ばれし者達よ!! 今、ここに君達の命運を分ける運命の【炎のゴブレット】をお披露目しよう」

 バグマンの合図と共に運び込まれた物体に掛けられていた布が取り払われた。ソレは宝石が散りばめられた大きな木箱だった。

「代表選手となる者が挑むは三つの試練!! この試練に挑む者に求められるのは魔力の卓越性!! 果敢なる勇気!! あらゆる謎に挑む論理と推理力!! 各校それぞれ試練に挑むに値すると思われる生徒を四人ずつ選出している事でしょう。故に今宵、この瞬間に選手の選抜を行う!! この!! 炎のゴブレットで!!」

 バグマンが杖を振るうと、木箱の蓋がゆっくりと軋みながら開き始めた。中から現れたのは大きな荒削りの木のゴブレット。一見すると見栄えのしない杯だけど、その縁からは溢れんばかりの青い炎が踊っている。

「さあ、代表選手の選抜に参加する資格を持つ者はそれぞれ前に来なさい!!」

 俺はゆっくりと立ち上がった。ハリーやアル達が必死に止めろと目で訴えかけてくるけど、止まるわけにはいかない。
 炎のゴブレットの前に立ち、隣を見ると、スリザリンの七年生のウィリアム・ウィンゲイトとハッフルパフの七年生のセドリック・ディゴリー、それにレイブンクローの七年生のアドルフ・ソロモンが並び立っている。みんな、俺よりも二学年も上の生徒達だ。
 そして、ボーバトンからも四人の生徒が現れる。一際美しい少女を筆頭とした少年少女達が炎のゴブレットの前で息を呑んでいる。
 ダームストラングの生徒達も立ち上がった。屈強な肉体を誇る少年を筆頭とした四人。リーダー格の少年は雑誌で見た事があるから間違い無い。ビクトール・クラムだ。

「では、これより諸君らには羊皮紙に名前を記し、ゴブレットに投げ入れてもらう」

 バグマンの合図と共に大広間に炎のゴブレットを運びいれた三人の魔法使いがそれぞれの学校の代表選手の前に立ち羊皮紙と羽ペンを配り始めた。俺達に羽ペンと羊皮紙を渡したのは何とダリウスだった。俺はダリウスを一瞥し、受け取った羊皮紙に名前を書いた。
 全員が書いたのを確認すると、バグマンの合図で全員が一斉に名前を書いた羊皮紙を炎のゴブレットに投げ入れた。その瞬間、俺は見た。炎に投げ入れた羊皮紙から俺の書いた俺の名前が消えるのを……。
 咄嗟にダリウスを見ると、ダリウスはすまなそうに顔を伏せた。
 
――――騙された。

 ダリウスは俺を三大魔法学校対抗試合に出さない為に強硬手段を取った。文字が消える羽ペンで名前を書かせたんだ。
 名前を書かなきゃ、三大魔法学校対抗試合の選手にはなれない。アルの代わりにアルの請け負った使命を全う出来ない。呆然と青い炎を見つめていると、炎が突然赤くなった。バブマンは杖を振り、大広間中の明かりを消した。赤々と燃える炎のゴブレットのみが大広間を照らし、やがて、ゴブレットから焦げた羊皮紙が現れた。どうでもいい。
 もう、代表選手にはなれない。最後の最後で俺は油断した。悔しさと晴らす機会を失った罪悪感が押し寄せてくる。涙が溢れ、何も見えない。バグマンが真っ暗にしてくれて良かった。今なら泣き顔を見られずに済む。

「ボーバトンの代表はフラー・デラクール!!」

 次々に代表選手が選ばれる。

「ダームストラング代表はビクトール・クラム!!」

 最後の羊皮紙がゴブレットから飛び出し、バグマンは轟くように叫んだ。

「ホグワーツ代表はセドリック・ディゴリー!!」

 明かりが戻ると、代表選手に選ばれなかった者達がみんな泣いていた。おかげで俺も選ばれなかった悔しさで泣いていると勘違いしてもらえる。
 見れば、スリザリンの上級生も泣いていた。選ばれたかったんだ。彼も、レイブンクローの上級生も。俺のように罠を仕掛けられたわけじゃなくても、選ばれなかった苦痛は途方も無いに違いない。
 ダームストラングやボーバトンの生徒も泣いている。そんな中、代表選手に選ばれた三人の魔法使いだけが堂々とバグマンの下へ歩いて行く。
 物語のように第四の選手が選ばれる事は無く、代表選手の選別は終わりを迎えた。
 項垂れて席に戻ると、アルが居た。合わせる顔が無い。顔を背けて、別の席に行こうとすると、アルに手を掴まれた。強い力で俺は振り解く事が出来なかった。椅子に座ると、アルは俺の頭に手を乗せた。

「これで良かったんだ」

 アルは優しく俺の頭を撫で続けた。
 優しくしないでと叫びたいのに声が出ない。甘えてしまいたい欲望に駆られ、理性が機能しない。本当に最低だ。

「……ごめんなさい」
「いいんだ。ぶっちゃけ、お前の考えは全部分かってたしな」

 アルは言った。

「お前にあの方法を悟られないように俺達はみんな、最後まで説得を続ける演技をしてたんだ」
「俺達って……」

 そうか、みんなグルだったんだ。ハリーもロンもネビルもハーマイオニーもダリウスもみんな最初から……。

「……酷いよ」
「ごめんな。でも、お前もハリーも出ないなら、きっと死喰い人達も選手に敢えて手を出したりはして来ない筈だ。万が一があるかもしれないから、予防措置として俺が出る事になってたらしいが、大人達が頑張ってくれるとさ。だから、俺達は楽しもうぜ。三大魔法学校対抗試合を観客としてさ」
「……うん」

 本当に俺は最低な人間だ。多くの人の努力を踏み躙った癖に、それでも欲望に負けて欲してしまう。

「おい! 元気出せよ、ユーリィ!」

 突然、背中に衝撃を受けた。フレッドだ。

「ううん。お前さんの雄姿を是非とも堪能したかったが、まあ、選抜試験の時に十分見せてもらったし、満足しとくか。お前さんは代表選手にはなれなかったが、ホグワーツのトップ4に選ばれたんだぜ? 十分すげーんだから、これでも飲んで元気になりな!」

 ジョージがジョッキにバタービールを並々と注いで渡してくれた。
 二人共、どこか安心した様子で俺を見つめている。

「さあ!! みんなも我等がグリフィンドールの誇りを称えようではないか! ユーリィ・クリアウォーターこそが我等にとっての代表選手なのだ!!」

 おどけながらみんなを先導し、みんなもフレッドとジョージの音頭に合わせて俺の名前を叫んだ。

「ユーリィ・クリアウォーターに乾杯!!」

 バタービールを一気に飲み干すと、体がポカポカし始めた。バタービールは溶かしたバターにビールを注いで温めて作る。アルコールは殆ど飛んでしまうんだけど、やっぱり少しは残るみたいで、ついでに俺はアルコールに弱いみたい。

「残念だったね、ユーリィ!」

 ケイティ・ベルがそんな俺にまたバタービールをなみなみと注いでくれる。

「残念だけど、お前は四人の代表資格者に選ばれたんだ。十分過ぎるぜ!!」

 ディーンは陽気に言った。

「けど、あんな鈍間が選ばれるなんてな!」
 
 リー・ジョーダンはハッフルパフの席に向かって舌を突き出した。

「あんな奴より絶対にユーリィが上だった筈よ!」

 鼻を鳴らしてアンジェリーナ・ジョンソンが言った。

「ねえ、今年、またクィディッチのグリフィンドールチームの選手選抜をするのよ。ユーリィも試験に出なさい。あの最終試験で見せたガッツがあればきっと良い選手になれるから!」

 そう言って、俺が漸く飲み干したバタービールのジョッキにまたバタービールを注いでくる。
 段々、頭がボーっとして来た。

「お、おいおい!! 飲ませ過ぎだ!!」

 アルが何か言ってるけど、何だか頭が働かない。
 さっきまで、たくさん悩んでいた筈なのにそれも思い出せない。ただ、幸福な気分でゆらゆらと揺れる小船に寝そべっているみたい。
 幸せ。

「ああ、ったく!! 寝ちゃったじゃねーか!!」
「ッハハ! アル、寮に連れ帰ってやれよ!! ついでにちゃんと仲直りしときな!」

 フレッドの声が聞こえたのを最後に俺は意識を完全に手放した。
 幸せ。すごく、幸せ。

第六話「アルフォンスVSユーリィ」

第六話「アルフォンスVSユーリィ」

 代表選手の選定への挑戦権を得る為の最後の試練とあって、競技場は観客で賑わっていた。寮対抗クィディッチ試合が中止になり、生徒達はみんな娯楽を求めている。
 三大魔法学校対抗試合の前哨戦とも言えるこの選抜試験はそういう意味合いもあって、最終試験は他の生徒達の見学が許可されている。大観衆の見守る中での試験。いつもなら緊張して何も出来ないまま終わっていただろうけど、今日の俺はいつもと違う。俺の目に映るのは一人だけ。彼以外に意識が向かない。観衆の声も視線も気にならない。
 負けるわけにはいかない。アルを命の危険から遠ざける為に俺はなんとしても勝たねばならない。勝って、今度こそ言おう、完全なる決別の言葉を。アルを護る為にアルとの絆を断ち切らなければいけない。アルと絶交するなんて、身を引き裂かれるより辛い。だけど、アルの死よりはずっとマシだ。
 死とは終焉を意味する。俺は何の因果か死の先を歩いているけれど、本来は在り得ない。それに、死の先には元の世界へ通じる道は存在しない。アルの死後がどうなるにしても、もう二度と会えない事だけは確実に言える。彼の青褪めた表情を想像して気が狂いそうになる。彼の笑顔が見れなくなると思うと震えが止まらなくなる。彼の声が聞こえなくなると思うと叫び出しそうになる。

「ユーリィ」

 低くなった声で彼は俺の名を呼ぶ。どんな声優も、どんな俳優も、どんな歌手も彼の声を真似る事は出来ない。俺の心を惹き付けて止まない魅力溢れる声。
 真っ直ぐな眼差しには怒りと優しさという相反する感情が渦を巻いている。俺の身の安全の為なんて理由で彼は死地へ赴こうとしている。自分の命の価値を軽視している。この世で誰よりも生きる価値のある魂の持ち主は自分の命の価値の重さを理解していない。
 観客の誰もがアルの勝利を確信している。俺とアルはまさに太陽と月。アルという太陽が居なければ、誰も俺を意識したりしない。軽んじられて当然な惨めな存在、それが俺だ。

「棄権する気は無いんだな……」
 
 その瞳には懇願の色が浮かんでいる。その瞳を受け入れたくなってしまうけど、受け入れるわけにはいかない。他の事だったら……、彼の願いが彼の幸せに繋がる事なら、俺はどんな願いでも叶えてあげたいと思っている。例え、その為に命を投げ打つ必要があるというなら躊躇しないし、破滅しろと言うなら喜んで破滅する。彼の為と思えば、【絶望】は絶望ではなく、俺にとって【希望】となる。
 彼を思うこの感情をどう言葉にすればいいのか分からない。ただ、言える事は一つだけ。俺の世界はもう俺を中心には回っていない。俺の世界の中心に存在するのはアルフォンス。

「始めよう、アル」

 こうして言葉を交すのは一ヶ月振り。彼との会話を渇望している自分が居る。もっと、話したい。もっと、声を聞きたい。止め処なく溢れる欲望に押し流されないように踏み止まるのは容易い事じゃなかったけど、俺は必死に口を噤み、杖を取り出した。
 意識を心の奥深くへ埋没させる。深遠の闇の中、頑強な檻に閉じ込められている彼に話し掛けると、彼は悲しそうに微笑み、頷いた。
 俺はアルと戦うと決めた日に心を完全に制御出来るようになった。もう、ジャスパーは自分の意思で檻から出る事は出来ない。俺は彼を完全に支配した。まるで、パズルのピースが綺麗に嵌ったみたいな気分。全身に力が漲り、生まれ変わってからの十五年間で感じた事の無い程の充実感がある。
 ダンブルドアの掛け声で【決闘】が開始される。最初はお辞儀。そして、杖を構える。瞬間、アルの杖から魔法が飛び出した。無言呪文だ。熟練の魔法使いでも使える者の少ない【呪文を唱えずに呪文を使う技術】だ。だけど、俺も対策を怠っているわけじゃない。アルが無言呪文を使える事はとっくに知ってる。俺の前には見えない盾が発生し、アルの呪文を跳ね返した。驚きに体を竦ませず、アルは飛びずさって反射した呪文を避けた。

「無言呪文で、盾の呪文だと!?」

 アルが驚くのも無理は無い。元々、盾の呪文は高難易度の呪文で、無言呪文で使用するのは酷く難しい呪文だ。だけど、俺は例外的に使う事が出来る。しかも、効果を減退させる事なく完璧な盾を使える。
 足は止まらなかったけど、口と思考は停滞している。ここで攻撃に転じよう。

「エンゴージオ!!」

 目標はアルの足下。競技場の雑草を急成長させる。瞬く間に成長した雑草に俺は独自の無言呪文で変身術を掛ける。人の背丈程も大きくなった雑草が鋼鉄の牢に変わる。だけど、その中にアルの姿は無い。
 だけど、逃げる先は分かり切っている。上空を見上げると、杖を構えるアルの姿があった。杖から夥しい量の水が飛び出す。アグアメンティの呪文だ。

「インセンディオ!!」

 咄嗟に唱えた火の呪文がアルの水の呪文を相殺する。けれど、相殺して終わりじゃない。火が水を気化させる事で多量の水蒸気が発生し、アルの姿を隠してしまった。

「ホメナム・レベリオ!!」

 アルの居場所を探ろうと唱えると、反応は直ぐ目の前にあった。次の瞬間、水蒸気の先から徒手空拳のアルが現れた。

「ッハ!!」

 狙いは杖だった。弾丸のように伸ばされた腕でアルは俺の杖を奪い取り、一瞬で距離を取ってしまった。顔には勝利を確信した笑み。だけど、甘いよ。
 俺は武装解除の呪文を放った。

「なんだと!?」

 驚愕に染まる彼の顔が少しおかしかった。武装解除の呪文はポケットのアルの杖までは取り上げてくれなかったけど、俺の杖を取り戻してくれた。

「まさか、ジャスパーを使ってるのか!?」

 大正解。俺の無言呪文の正体はジャスパーだ。ジャスパーを支配下に置き、彼に心の奥の牢獄で呪文を唱えて貰う。すると、俺の左腕に巻きつけてあるジャスパーの杖から呪文が飛び出す。
 単純に二対一の構図。更に、ジャスパーの呪文は全てが無言呪文となる。しかも、効果の減衰は無しだ。アルに勝つためならどんな手段も厭わない。俺の中のもう一つの人格を【使う】事も躊躇しない。俺の世界の中心はアルだ。だから、それ以外は必要とあれば【駒】として使える。
 ジャスパーの事は嫌いじゃない。最初の怖い印象なんて、とうの昔に消えている。予言なんてどうでも良くなってる。幾度と無く救いの手を伸ばしてくれた彼をどうして嫌えるというの? でも、アルを命の危険から救う為なら大好きな心の中に住みつく住民の事も平気で利用出来る。
 自分でも不思議になるくらい、何の躊躇いも浮かばなかった。

「捕まえた」

 ジャスパーに雑草を少し成長させ、アルの足を拘束させた。驚きが彼を想定以上に足止めしてくれたおかげ。無言呪文による拘束から脱しようとポケットから杖を取り出そうとするけど、それは間違い。
 杖を取り出すから、武装解除の呪文が効果を発揮する。彼の杖は空高く飛びあがり、俺の手に収まる。驚きと絶望に染まる彼に俺は宣言した。

「俺の勝ちだよ、アル」

 アルの敗因は相手が俺である事で油断した事。そして、前の試験でジャスパーを使った事を知っていたのに、俺がジャスパーを使って戦う事に驚いてしまった事。
 全部、思い通り。審判をしていたフリットウィック先生が驚きに顔を歪めながら俺の勝利を告げると、観客達は歓声を上げた。
 アルに背を向けて競技場を去ろうとすると、アルが慌てて俺の手首を掴んだ。凄く強い力で握られたせいで少し痛い。

「待てよ、ユーリィ。お前……」
「俺を甘く見過ぎだよ、アル」

 口元を歪めて言うと、アルはショックを受けた表情で凍り付いた。

「これで分かったでしょ?」
「……何が」
「俺は強いんだよ。アルが思ってるよりね」
「ふざけるな! ただ、ジャスパーを使って勝ちを拾っただけじゃねぇか!! こんな……、こんなの認められるか!!」
「どっちにしても、君は負けたんだよ。俺にね」

 悔しそうに顔を歪める彼を見るのはとても辛い。だけど、彼に俺を憎ませるくらいしないと、また、彼は俺の為に命を投げ打ってしまうだろう。
 決別の時が来た。誰よりも大切だから、誰よりも近くに居て欲しくない。その為なら、どんな酷い事も口に出来る。

「君は俺より弱いんだ。だから、君に俺は護れないよ」

 諭すように言う。何と言う高慢な物言いだろうと、自分でも思う。アルに俺を護る義務なんて無いのに、これでは俺が俺の事をアルに護らせてあげていたみたいだ。
 だけど、羞恥も苦悩も顔には出さない。

「ユーリィ、俺は!」
「もう、いいよ」
「もういいって、お前!」
「もう、いいんだよ。だって、君はもう誰にも負けないんじゃなかったの?」

 アルは表情を強張らせた。

「誰にも負けないって言った癖に、俺に負けちゃったよね。他でもない、俺に……」
「お前……お前!!」

 純然たる悪意の篭った言葉。俺は一体、誰にこんな酷い事をしているんだろう。

「君に誰かを護るなんて無理な話だったんだよ。口ばっかりで、結局、君は何も出来ない」
「俺は……俺は強くなったんだ!!」
「俺に負ける程度で強いんだ」

 言葉を失うアルに俺は追いうちを掛ける。

「ハッキリと言ってあげるね」

 アルの顔に貼りついているのは恐怖の表情。俺に何を言われるのかを恐れている。
 可哀想。こんなに怯えてしまって……。彼にこんな顔をさせる奴なんて酷いロクデナシに違いない。最低のクズに違いない。
 俺はこの世の誰よりも最低だ。

「君には俺を護れない。俺に君は必要無い。要らないんだよ、君なんてさ」

 悪意に満ちた言葉を平然と吐き出せる。口元には歪んだ笑みを浮かべている。
 アルの瞳に映るその姿は酷く醜い事だろう。

「さようなら。役立たず」

 今度こそ、もう振り返らない。アルが追って来る気配も無い。でも、まだ我慢しなきゃ駄目だ。
 競技場を出て、ダリウスが警護に付いた。まだ、駄目だ。寮に戻る間、ダリウスは何も喋らなかった。ありがたい。今、口を開けば何を言い出すか分かったもんじゃない。
 寮に付いて、俺はトイレに篭った。個室に防音の呪文を掛け、これで準備は万端。これで、思いっきり泣ける。声を上げて、涙を流して、俺は泣き続けた。
 
――――ああ、どうして■の願いは■に絶望を齎すんだろう。あの時もそうだった。■はただ、■と一緒に居る事を望んだだけだったのに……。

 ※※※※

 ああ、時間が無い。
 ボクが作り上げた全てが崩壊し始めている。
 少しずつ、音を立てて終わりが近づいて来る。
 ボクには何も出来ない。手足を縛られ、頑丈な牢獄に閉じ込められ、ボクの世界の光景は大きな変貌を遂げてしまっている。
 全ての原因はボクにある。ボクがあんな選択をしなければ、きっと、こうはならなかった。
 全ての原因はボクにある。ボクがあんな願いを思わなければ、きっと、こうはならなかった。
 ボクは【全ての始まりの夜】を思い出しながら涙を流す。ボクにはもう何も出来ない。払った犠牲も意味が無かった。可能性があるとすれば、彼だけだ。

――――ああ、どうか、僕の【願い】よ、僕の【望み】を叶えてくれ。

 ※※※※

 最終試験の結果に会議場は騒然となっていた。
 アルフォンスの敗北。この場に居る誰もが予想していなかった事態だ。

「こうなったら、無理にでもユーリィ・クリアウォーターを棄権させるしか……」

 闇祓い局の局長スクリムジョールの補佐官、ガウェイン・ロバーズの言葉に同じく闇祓いのロジャー・ウィリアムソンが首を振った。

「そう簡単な話ではないぞ。最終試験の結果は誰もが知っている。突然、クリアウォーターが棄権をすれば、いぶかしむ者も居るだろう」
「理由をでっち上げればいい。ただの記念受験だったとでも言えば、炎のゴブレットの選定を棄権する言い訳になる。とにかく、ユーリィ・クリアウォーターを代表の選定にチャレンジさせるわけにはいかない。ハリー・ポッターがスリザリンのウィリアム・ウィンゲイトに敗北したから安心していた所へ……まったく、あの子には危機感というものが無いのか……。それに、我々の訓練を受けながらアルフォンス・ウォーロックめ、何という体たらくだ!!」

 怒声を上げるガウェインに同じく闇祓いのアネット・サベッジが苦い表情で首を振った。

「あの子を納得させるのは大変だと思うわ。たぶん、あの子は危機感が無いんじゃない。あるからこそ、アルフォンスの坊やを三大魔法学校対抗試合に出させないようにしたんだと思う」
「馬鹿な事を……。アルフォンス以外で死喰い人と対面し、無事で居られる者などそうそう居ないぞ。可能性があるのはハリー・ポッターか七年生の優秀な生徒達くらいだ。ユーリィ・クリアウォーターではむざむざ子羊をライオンの餌場に投げ入れるようなものだ」
「だけど、あの子はアルフォンスの坊やに勝ったわ」
「アルフォンス・ウォーロックに聞いた所、彼はジャスパーを使ったらしい」

 ジャスパーの名前に再び会議場はざわめいた。

「予言で絶望とされている死を撒き散らす災厄でしょ!? 何を考えてるのよ!? というか、使ったって、どういう意味? どうなってるの!?」

 アネットの疑問に応えたのはダリウス・ブラウドフット。ユーリィの警護役に抜擢された闇祓いの精鋭の一人だ。

「ジャスパーは幾度かユーリィを救う為に表に出て来た事がある。その間に、ユーリィはジャスパーと意思の疎通が出来るようになっていたのかもしれない。最初は出来なかった筈だが……。ユーリィは何度も彼に助けられた事で彼に対して一定の情のようなものを抱いたのかもしれない」
「何て無責任なんだ!! 君は何のために警護役をしているんだ!?」

 憤るガウェインにダリウスは言った。

「とにかく、あの子はアルフォンスに勝ってしまった以上は炎のゴブレットの選定を受ける筈だ。棄権を良しとはしないだろう」
「何故だ!? アルフォンス・ウォーロックを三大魔法学校対抗試合に参加させないというのが彼の望みなら、既に叶っているではないか!!」
「ユーリィにとって、アルフォンスは特別な存在なのさ。そんな彼を負かした以上、アルフォンスに代わり、自分がアルフォンスの使命を背負わなければいけないという義務感を抱いている事だろう。つまり、自分が三大魔法学校対抗試合に参加する事で、他の生徒達に危険が降りかからないようにするという我々がアルフォンスに背負わせる筈だった使命をな」

 ガウェインはテーブルを強く叩いた。木製の机にヘコミが出来るのも御構い無しに彼は言った。

「能無し共がこんな状況下で三大魔法学校対抗試合の開催を強行しなければ……」
「元々、既にクラウチが生きていた頃から進められていたプロジェクトだったからな。今更、後には引けなかったのだろう」

 ガウェインの憤りを冷静に受け止め、ロジャーはすげなく言った。

「魔法省魔法ゲーム・スポーツ部部長のルード・バグマンがノリ気になったのも拙かった。彼には人々を先導する一種のカリスマがある。元々、数度に及ぶ死喰い人の暗躍を一部の死喰い人の残党の犯罪としか取り合わず、本格的な闇の勢力の復活を否定する魔法省にとって、彼は【希望の光】になってしまった。暗雲を打ち消す光が必要だという彼の主張は高官達の心を掴んでしまった。三大魔法学校対抗試合の復活は魔法省にとっても誉れある事だ。低迷する魔法省の支持率を取り戻す為に有効な手立てだった事は間違い無い」
「だが、現にヴォルデモートは復活を果たしている!! 死人も出ているのだぞ!?」
「ヴォルデモートの復活を信じる者は少ない。決定的な証拠が無いせいでな。局長の言葉や君の言葉が誰にも届かない時点で分かっている事だろう? それに、クリアウォーターの事をあまり大勢の人間に漏らすわけにもいかない。下手に漏らせば、ファッジなどはどんな血迷った決断をするか分かったもんじゃない」
「何という事だ!!」

 再び、ガウェインは強くテーブルを叩いた。クィディッチ・ワールドカップに続く三大魔法学校対抗試合。
 今まで、幾度と無く止めようと不死鳥の連合は動き続けていた。だが、流れは決して止まらず、何世紀にも渡り中止されていた試合は最悪のタイミングで復活してしまった。

「アルフォンスの敗北は痛恨だな。奴を勝たせる為に試験の内容を奴に合わせて行ったというのに……」

 ロジャーも眉を顰めた。筆記、実技、体力、実践。アルフォンスが勝てるようにと学校側と連合側が手を組んで仕掛けた、ある種のイカサマ行為。無論、アルフォンス自身は気付いていないだろうが、この試験は最終的にアルフォンスが勝ち残る筈だった。
 魔法省や生徒達の目がある中、あまりに目立った手助けや妨害も出来ず出来うる限りの措置を講じたが、まさか、このような結果になるとは予想していなかった。

「炎のゴブレットが懸命な判断を下してくれる事を祈るしかないわね……」

 アネットは試験の最終合格者の四人の名前を諳んじながら言った。
 スリザリンの七年生のウィリアム・ウィンゲイト。ハッフルパフの七年生のセドリック・ディゴリー。レイブンクローの七年生のアドルフ・ソロモン。そして、グリフィンドールの五年生のユーリィ・クリアウォーター。
 彼らの内、一人が炎のゴブレットによって代表選手に選ばれる。

「とにかく、説得して棄権させるより他は無い」

 ガウェインはダリウスに視線を向けた。

「説得は君に任せるぞ。何としても、棄権させるんだ」
「あんまり期待すんなよ? あいつはああ見えて、意外と頑固だ」
「彼自身の命が懸かっているんだぞ!! 真面目にやれ!!」
「オーケー。目くじら立てんなって」

 ダリウスは肩を竦めながら言った。
 ガウェインは不満そうに鼻を鳴らしながら代表選手決定の日までの日数を数えた。
 残る時間は少ないが、何とかして参加させない為の手段を考案しなければならない。

「さて……、どうするか」

第五話「選抜試験」

第五話「選抜試験」

 キングス・クロス駅。ホグワーツ特急に乗り込むと、いつも俺はドキドキする。豪華な客車に乗って、優雅な風景を眺める。対面の席には親しい友人が居て、一緒に美味しいお菓子をお腹一杯食べる。生前、俺は夢にも思わなかった。こんな、幸せな時間を過ごせるなんて、信じられない。
 ロンが箱を開けたカエルチョコレートがコンパートメントの中で飛び跳ねる姿を見ると、今でも胸が踊る。カードの絵柄は【マーリン】だったらしい。彼の名前は生前から知っていた。【魔術師マーリン】という海外ドラマをテレビで観ていたから。伝説的な王様、アーサー王と彼の友情物語に夢中になった俺はこのドラマが大好きだった。
 この第二の人生は楽しい事でいっぱいだ。苦しい事や怖い事や哀しい事がたくさんあったけど、それでも俺はこの人生に幸せを感じている。でも、もうこの幸せにしがみ付いているわけにはいかない。俺は俺の幸せや命以上に大切な存在が出来た。
 だから、どんな手を使っても勝つ。

 学校に到着し、セストラルの馬車に揺られながら、俺は対面の席に座るアルを見た。あの日以降、一度も会話を交わしていない。端から見て不自然な程、互いに声を掛ける事を厭うている。ママ達やハリー達が心配して声を掛けてくれたけど、俺は何も言わなかった。ただ、大丈夫と応えてやり過ごした。俺の決意を認めてくれる人は居ない。皆の結論はアルの勝利。俺の勝利なんて、誰も望んでいないし、元より不可能だと思われてる筈。
 試練の内容がどうあれ、アルに勝つには正攻法だけじゃ駄目だ。使える手があるなら何でも使っていかないと、三年間、闇祓いの精鋭と訓練し続けてきたアルには勝てない。だから――――。

 ※※※※※※

 年の始めの大イベント【組み分け】が済み、大広間で在校生と新入生の顔合わせを兼ねた食事会が終わった後、寮に戻る前にダンブルドアが生徒全員を呼び止めた。咳払いによって大広間を静まり返らせた後、ダンブルドアは「さて」と輝くような笑顔を振り撒いて言った。

「諸君! みな、よく食べ、よく語らった事じゃろう。さぞかしベッドでぬくもりに包まれ、瞼を閉じる事を夢見てると思うのじゃが、もうしばし、この哀れな老人に時間をおくれ」

 生徒達はスリザリンも例外無くダンブルドアを見つめた。いつもの注意事項は食事の前に既に語られた。禁じられた森への進入禁止など、上級生にとっては今更な内容だ。
 
「諸君には幾つかの知らせがある。残念なお報せからじゃ。今年の寮対抗クィディッチ試合は取り止めじゃ。楽しみにしておった諸君にこの事を告げる事はワシにとっても辛い事じゃ」

 悲鳴も怒声も響かない。生徒達は皆一様に口をポカンと開け、ダンブルドアの言葉をうまく呑み込めずにいる。それも一瞬の事。静寂の時間が終わり、大広間は衣を引き裂くような悲鳴と壁を揺るがす程の怒声で包まれた。
 火花と爆発音が三度響き、それらを封殺したのはスネイプだった。新入生にとっては怖い印象の先生。在校生にとっては最高にクールな熱血先生。

「この決定は今年の十一月に始まり、今学年の終わりまで続くイベントの開催が故なんじゃ。先生もこの学校を警備している闇祓いの方々もこのイベントに多大な時間とエネルギーを傾ける事になる。しかし、わしは皆がこの一大イベントに百年に一度の盛り上がりをみせるじゃろうと確信しておる。さあ、発表するよしよう。今年、ホグワーツで三大魔法学校対抗試合を行う!!」

 再び、大広間は爆発の如き声に埋め尽くされた。ただし、今度の悲鳴には怒気も悲哀も無く、あるのは只管の歓喜の叫び。
 ある生徒は冗談かと疑い、ある生徒は夢を見ているのかと頬を抓った。全校生徒が現実を受け止めるまでの間、ダンブルドアは微笑ましそうに生徒達を眺めた。
 漸く、生徒達が落ち着いて来るのを見計らい、ダンブルドアは大きな咳払いによって生徒達を黙らせた。

「三大魔法学校対抗試合はその歴史を七百年前まで遡る。ヨーロッパの三大魔法学校が親善試合として始めたものじゃ。諸君らもご存知のホグワーツ魔法魔術学校、ダームストラング専門学校、ボーバトン魔法アカデミーの三校でのう。各校から代表選手が一人ずつ選ばれ、三つの魔法競技を争った。五年ごとに三校が交代で競技を主催してのう。若く生気溢れる魔法使い達があらゆる垣根を越え、友好を深めるには最も優れた方法じゃと、誰もが確信しておった。夥しい死者が出るに至り、中止に至るその日まで、その考えは衆目の一致するところじゃった」

 ダンブルドアの言葉に息を呑む生徒は少しだけ。多数派の生徒達は【夥しい死者】などというワードを気にも止めず、校長先生の話の続きを待った。

「これまで、何世紀にもわたり、このイベントの再開を幾度と無く試みられてきた。しかし、今日まで、その試みは成就せんかった。今日までは!!」

 今日までは、と強調する校長の言葉に生徒達の興奮は最高潮に達した。

「今年、【魔法ゲーム・スポーツ部】を始めとした魔法省の全面協力により、復活の時が来たのじゃ!! 今回は一人の死者も出さぬとの思いを皆の心を一致させ、一意専心取り組んできた!! 十月の終わりにはダームストラング専門学校、ボーバトン魔法アカデミーの両校の校長と生徒がホグワーツにやってくる。そして、ハロウィンの日に代表選手の決定が行われる。優勝した者に与えられるのは無論、優勝杯だけではない!! 学校の栄誉が与えられる。選手個人の栄誉が与えられる。そして、一千ガリオンが与えられる」

 生徒達は一斉に立ち上がり、我こそは代表選手にならんと雄叫びを上げた。すると、再びスネイプが爆発音で生徒達を黙らせた。今度は更にマクゴナガルが立ち上がり、生徒達はゆっくりと椅子に腰掛けた。マクゴナガルが横に並び立つと、ダンブルドアは言った。

「無論、全ての諸君が優勝杯をホグワーツにもたらさんと意気込んでおる事は承知しておる。じゃが、代表選手として戦う者には選手として選ばれるに足る資質が必要とされる」

 ダンブルドアの視線がグリフィンドールの席からスリザリンの席へとゆっくりと移動した。

「資質を持つ者とは、学業に優れ、実技に優れ、人として優れておる者を指す。その為に各校で代表選手として選ばれる資格がある者を数名選出する事となった。万が一にも資格無き者が選手とならぬ為にじゃ。資格者の選出の為、選抜試験が執り行われる事になった。即ち、予選大会というわけじゃ」
「一体、どういう内容なんですか!?」

 生徒の一人が聞いた。

「それについてはマクゴナガル先生から説明がある。では、主役の座を彼女に譲るとしよう」

 そう言って、ダンブルドアは一歩下がり、マクゴナガルに場所を明け渡した。マクゴナガルは優雅な動作で先ほどまでダンブルドアが居た場所に立つと、生徒達をゆっくりと見回した。

「さて、選抜試験の内容ですが、選抜試験は今週の週末に行われます。内容は秘密。これは突然の事態に対する対処能力も見る為です。そして、試験の回数も秘密です。これは試合に耐えうる精神力があるかどうかを見る為です。そして、もう一つ。選抜試験に参加するには資格が必要です」
「代表選手になる為の資格を得る為の選抜試験にも資格がいるんですか!?」

 生徒達の呻き声が響き渡る。

「ええ、あまりに多くの生徒が試験に望んでは対処がおいつきませんからね。なにせ、代表選手の決定までほんの一ヶ月ちょっとしかないのですから」

 マクゴナガルはすげなく言うと、羊皮紙を取り出した。

「選抜試験に参加する者は前年度の試験の成績が平均点よりも高く、かつ、学校生活において模範的な態度の生徒でなければなりません。条件を満たした生徒のみ、この羊皮紙に名前を書き、参加の旨を伝える権利があります。条件を満たさぬ者は羊皮紙に名を刻んでも瞬く間に文字が消え去ってしまうので、無駄な行為は控えるようになさい」

 羊皮紙は玄関ホールの中央に置かれる事になると伝え、マクゴナガルは席に戻った。
 生徒達の視線はマクゴナガルの手に握られる羊皮紙に集中していた。眠気はすっかり消え去ってしまっている。

 翌日、玄関ホールには人が押し寄せた。我も我もと名前を書き、ある者は名前が消えてしまい悲鳴を上げ、ある者は名前が残り歓喜の声を上げている。
 迎えた週末。選抜試験の会場となった大広間には小机と椅子がずらりと並べられ、選ばれた生徒達が座って必死にペンを動かしていた。
 第一の試験は【筆記試験】だった。それも、ただの筆記試験ではなく、一年生から七年生までで学ぶ全ての授業内容から出題された凶悪無比な問題だった。下級生は上級生の問題に頭を悩ませ、上級生も下級生の頃の授業内容を思い出そうと頭を抱えた。すらすらとペンを動かせる者も居れば、自分の学年の問題で既に躓いている者もいる。
 試験が終わると、多くの生徒は項垂れていた。逆に安心感に浸る生徒も居る。殆どがレイブンクローの秀才達で、他ではスリザリンの天才達やグリフィンドールとハッフルパフの秀才達。
 合格発表が行われたのはそれから一週間後だった。合格者の名前と共に二次試験の開催日と開催場所が記載されていた。嘆きと歓声。相反する二つの声が反響する中、時間は過ぎ去り、一週間後、今度は競技場で試験が行われた。二次試験の内容は【実技試験】だ。一次試験で大分人数は減ったものの、競技場で試験に参加する生徒の数はまだ多い。最終的に代表選手の選抜にエントリー出来る人数は数人だけ。ギスギスとした空気が漂う中、特別な魔法を掛けられた人形に生徒達は呪文を掛けていく。正しい順番に正しい呪文を使う事で最終的に破壊する事が出来れば合格の試験。
 だけど、合格者は一気に減少した。必要な呪文を知らない生徒が最初に脱落し、呪文は知っていても使えない生徒が脱落し、立て続けに呪文を使い続け、集中力が途切れた生徒が脱落し、最後の破壊まで繋げられた生徒の数は試験開始の時の半分以下。
 三次試験についての告知は合格者にその場で告げられた。最初は三桁だった生徒の数も残るは二桁。三次試験の内容は――――【運動能力試験】。

 ※※※※※※

 三次試験の会場は再び競技場だった。マクゴナガルやフリットウィックによってアスレチックと化した競技場を魔法無しで走破する。単純な試験が故に誤魔化しの効かない試験。残っている面子は殆どが学業に秀でている連中だ。一次試験で先に体力だけが取り得の連中は根こそぎ消えていった。二次試験では魔法の熟練度に秀でている連中ばかりが残った。魔法の熟練度に秀でているとは、つまり生活の殆どを魔法で補っている連中だ。家でも家族が魔法使いなおかげで魔法が自由に使える連中。精神力はあるんだろうが、基礎体力に難がある奴等。
 そこに来ての基礎体力を審査する運動能力試験だ。子供の頃から鍛え続けてる俺にとっては楽勝なコースだけど、他の奴等にクリア出来るとは思えない。案の定、試験開始後の第一関門で殆どの奴が足止めをくった。ただの傾斜のキツイ坂を登れずにもがいている。それでも何人かが追いついて来たが、第二関門のロープ掴みで殆どが真下にある底無し沼に嵌って救助を待つ羽目になってる。足場から離れた場所に浮かんでいるロープに捕まるには相当な腕の筋力が必要とされる。余程のセンスか筋力のどちらかが無い限り、ここはクリア出来ない。ここで更に人数が減った。
 
「楽勝だな」

 第三関門の幅五センチしかない細い道を軽快な足取りで走破し、後ろを振り返ると、追って来ているのは三人だけだった。二人は予想の範囲内だ。問題は三人目。

「馬鹿な……」

 一人はハッフルパフのセドリク・ティゴリー。文武両道でユーリィの話で聞いた限り、本来、炎のゴブレットに選ばれる筈だった男。さすがとしか言いようが無い。
 もう一人はハリーだ。ハリーもヴォルデモートに狙われているのはユーリィと同じなんだから大人しくしていればいいのに、他に危険を押し付けたくないというユーリィと全く同じ理由で参戦して来た。厄介な事にこいつも俺ほどじゃないにしろ、この三年間、みっちり訓練を積んで来た。秀才のハーマイオニーが俺にとってのユーリィと同じく勉強を教えてやったせいで知識も豊富ときてる。実に厄介な相手だ。
 そして、最後の一人は……ユーリィだった。確かに、アイツなら第一と第二の試験は余裕だろう。学年で一、二を争う秀才で、ハーマイオニーの知識に負けないくらい博識だし、魔法の腕も相当なものだ。だが、頭の出来に反比例して、身体能力はお粗末もいいところだった筈だ。たかだか数週間で俺に追いつける程の身体能力が身に付くはずが無い。
 何かおかしい。そう思って、足を止めて奴を見ると、俺の顔は驚愕に染まった。

「ジャスパーだと!?」

 ユーリィは人格交代をしていた。ジャスパーが表に出ている。セドリックやハリーに追い抜かれながら、俺は身動きが出来なかった。
 何故、ジャスパーが出て来ているんだ。その疑問に応えたのは他でもないジャスパーだった。

「どうしたの? まさか、もう負けを認めちゃったのかい?」
「ふざけるな!! どうして、お前が!?」
「頼まれたからだよ」
「頼まれただと!?」

 誰に、なんて聞く意味は無い。答えは分かりきっている。ジャスパーに頼み事をするなんて考える奴は……というより、出来る奴は一人しかいない。

「お前、分かってるのか!? ユーリィが勝っちまったら――――」
「分かっているよ。だけど、手は抜けない。ボクの事も含め、全力でマコちゃんは勝ちにいっている。だから、ボクも力を貸すしかない」
「何でだよ!?」
「じゃないと、マコちゃんは納得しないからだよ」

 納得ってどういう意味だ。

「マコちゃんが言ったでしょ? 君を危険な目に合わせたくないってさ。その為にどんな手を使ってでも勝利するって、マコちゃんは決めたんだ。もし、少しでも手を抜いて負けたりしたら、マコちゃんは君を死地へ送る為に手を抜いた、なんて考えちゃうよ。そうなると、今の状態だと非常にまずいんだ」
「まずいって、どういう意味だよ……」
「分からない? こんな近くにいるのにかい?」

 ジャスパーは呆れたように俺を見て、舌で上唇を舐めた。

「ボクが言える事は一つしかないんだよね」
「何だよ……」
「勝ってよ」
「……あ?」

 ジャスパーは俺の目を真っ直ぐに見つめた後、先行するハリーやセドリックを追いかけて走り始めた。
 俺も慌てて後を追う。

「君がマコちゃんとボクの全力を打ち破るんだ。それが君のやるべき事だよ」
「……お前が手を抜いたら、ユーリィに分かるってのか?」
「まさか、負けると思ってるのかい?」
「んな訳ないだろ。だけど、気になっただけだ……」
「――――わかるよ」

 ジャスパーは言った。

「マコちゃんは今は完全にボクに人格を空け渡しているけど、ボクが手を抜いているかどうかはバレちゃうんだ。元々……ううん、これは今は言わない方がいいね」

 一瞬、ジャスパーは辛そうに顔を歪めた。

「おい、途中で言い掛けて止めるなんてマナー違反だぞ」
「君がマナーを語るのかい? まあ、いいけどさ。それより、ペースを上げよう。クリアは問題無いけど、順位が今後に影響するかもしれないよ?」
「ッハ! 追いついてやるさ」

 俺がペースを上げると、ジャスパーも悠々と追いついて来た。
 前方にある試練に手間取ってるハリーとセドリックに追いついた時もほぼ同着だった。

「おいおい、ユーリィと同じ体の癖にどうして追いついてこれんだよ」

 あの運動音痴の体でなんでこんなに運動能力が高いんだ?

「元々、この肉体のポテンシャルは相当高いんだよ。いつだったか、ドラコ君が言ってただろう」
「あ?」

 マルフォイの名前が出て来るとは思わなかった。アイツの名前を聞いただけで苛立って仕方無い。

「使い方が間違ってるんだよ。まあ、運動神経の鈍さの原因はボクにもあるから責められないけど……」
「どういう意味だ?」
「少しは自分で考えてごらんよ。

 こいつの言葉はいつも曖昧で謎めいている。
 ユーリィの言動の曖昧さとは別方向の曖昧さだ。どっちも共通しているのは俺を苛々させるって所だ。

「ハッキリ言いやがれ!!」
「ヒントはもうある筈だよ」
「何!?」

 ジャスパーの言葉に俺は思わず躓きそうになった。

「どういう事だ!?」
「君はもう真実に近い所に居る。……君が自力で真実に辿りつけたなら、きっと君はヒーローになれるよ」
「ヒーロー?」
「そうだよ。だけど、タイムリミットはある」
「なんだよ、タイムリミットって」

 最後の試練の百メートルダッシュを全力で駆け抜けながらジャスパーは言った。
 ハリーとセドリックは一つ前の滑る床に梃子摺っている。

「ヒントを与えられているのは何も君だけじゃないって事さ」
「どういう意味だ?」
「マコちゃん自身が少しずつ真実に近づこうとしている」
「ユーリィが……?」

 深刻そうに顔を歪めるジャスパーに俺は言葉を失った。

「ボクに出来る事はもうあまり残ってないんだ」
「ジャスパー……?」

 ジャスパーは俺に何かを訴えかけるように顔を向けた。
 ユーリィと同じ顔の筈なのに違う顔でユーリィと同じ声を発して言った。

「もう、あまり時間が残されていない。約束して欲しい」
「……何をだ」
「何があっても……。何を知っても……、君だけはマコちゃんを……護ってあげてくれ」
「お前……一体……」
「ボクには資格が無いんだよ。本当に最低なクズだけど、それでもどうにかしようと必死に足掻いたんだよ」

 ジャスパーはポロポロと涙を流し始めた。驚きのあまり声も出ないまま、俺はジャスパーを見つめ続けた。

「始まりも終わりも終わりの始まりも全てボクに責任がある。……アルフォンス君」

 ジャスパーは懇願するように言った。

「真実に辿り着いてくれ。君が君自身の手で真実を掴むんだ。でないと、今の君では判断を誤ってしまう。……ボクのように」
「判断をって、どういう意味だよ。お前が人を殺した事を言ってるのか!?」

 ジャスパーは肯定も否定もしなかった。ただ、静かに微笑むだけだった。

「ああ、殺したよ。ボクは大勢を殺した。だけど、ボクが言っているのはそうじゃない」
「じゃあ、どういう意味なんだよ!?」
「それはその時がくれば分かるよ」
「また、はぐらかす気か!!」
「君が真実に辿り着いた時、その意味も分かる筈だ。真実に自力で辿りつけたら、君はきっと判断を誤らないよ」
「お前の言ってる言葉は意味不明過ぎるんだよ!!」
「今はそうかもしれないね。だけど、真実に至れば、きっと全てが分かるよ。アルフォンス君……最後で最大のヒントを君にあげるよ」

 ジャスパーは足を止めた。もう、ゴールだった。

「マコちゃんの事をもっとよく見てあげるんだ」
「ユーリィを……?」
「きっと、ボクはもう君とこうして会話する事が出来なくなる」
「ユーリィが閉心術を身に着けたって事か?」
「……そうとも言えるかな。とにかく、頼んだよ」

 そう言って、俺に背を向けて歩き出した後、少しして、ユーリィの体は突然倒れ込みそうになり、ユーリィに人格が戻った。
 ジャスパーの言葉を頭の中で反芻する。
 真実って、一体何の事なんだ……。

 結局、ゴールに辿り着いたのは八人だった。この試験で一気に数が減った。
 次が最後の試験らしい。
 最終試験は一週間後。内容は【実践試験】。ランダムに選ばれた二人が決闘をして、勝った方のみが代表選手の選定のチャンスを得る。
 ハリーはスリザリンの男が相手。セドリックはレイブンクローの女。レイブンクローの男はグリフィンドールの七年生。そして、俺の相手はユーリィ。
 皮肉な組み合わせだが、確実に選抜試験を脱落させるチャンスが巡って来た。容赦はしない。確実に勝つ事がユーリィの安全に繋がる。
 十月に入り、いよいよトーナメント開始まで秒読みだ。覚悟はとうに決まってる。勝つのは俺だ。三大魔法学校対抗試合に出るのは俺だ!!