第十話「終幕へ至る戦いの始まり」

第十話「終幕へ至る戦いの始まり」

 ユーリィのペットのナインチェが運んで来たという手紙にはユーリィとヴォルデモートの居場所が記されていた。これまで、不死鳥の連合のメンバーが総出で探っていたにも関わらず、手掛かり一つ掴めなかった情報が突然舞い込んで来た。
 数度のぶつかり合いの度に敵から情報を吐かせる事に成功しているけど、死喰い人の行動は迅速で、連合が襲撃を掛けると、既に敵の拠点は蛻の殻である場合が殆ど。ユーリィの話から、幹部クラスであると考えられていたワームテールをスネイプが拷問して得た情報も殆ど役に立たないものばかりだった。
 手紙はまさに暗雲を晴らす一条の光に思えた。しかし……、。
 
「罠だろうな」

 アルはアッサリと決めつけ、手紙を握り潰してしまった。

「え、ちょっ!」

 慌ててアルの手から手紙を取り上げようと手を伸ばすと、アルは手紙をローブのポケットに突っ込んでしまった。

「ア、アル君」

 持って来た手紙をいきなり握り潰されたソーニャは呆然とした表情を浮かべている。

「罠って、どういう……」
「ここまで露骨な手を打ってくるとは、スクリムジョールのプロパガンダに連中も焦りを覚えているらしい」

 唇の端を吊り上げ、悪辣な笑みを浮かべるアルにソーニャは食い下がった。

「で、でも、この手紙はナインチェが運んで来た物よ?」
「この文字はダリウスの字だ」
 
 ダリウス・ブラウドフット。ユーリィを攫った張本人であり、連合の裏切り者。僕自身、何度も彼に訓練をつけてもらって、それなりに信頼していた人物の裏切りに衝撃を受けた。
 この手紙がダリウスの物なら、もしかして、彼は本当は……。

「ダリウスは本当は裏切っていなかったって事かも!」
「本気でそう思っているのか?」

 アルの冷たい視線に僕は口を噤んだ。
 分かってる。これは希望的憶測だ。僕がただ、彼を信じたいと思っただけだ。

「……二人共、この手紙の事は誰にも言うな」

 アルは語気を強めて言った。

「どうして……?」
「知れた事。ユーリィが攫われた時、マッドアイ達はまんまと罠に嵌って負傷した。この手紙を見て、マッドアイ達はまた、罠に飛び込んでしまうかもしれない」
「い、いくらなんでも……」
「無いとは言い切れない筈だ。特に、ダリウスと長く仕事を共にしていた闇祓い達は奴を信じたい一心で行動を起こしてしまう可能性がある。お前みたいにな」

 何も言い返せない。つい今しがた、僕はダリウスを信じて手紙に記された場所へ皆で行くべきだと思ってしまった。
 でも、と不意に疑念が湧いた。
 僕でさえ、彼を信じたいと思った。なら、僕以上に彼と接する時間が長かったアルは僕以上に彼を信じたい筈だ。

「君だって、信じたいんじゃないのか?」
「……俺はもう、間違った奴を信じたりしないさ」

 アルは顔を伏せながら言った。表情が隠れて見えない。
 
「ちょっと、外の風に当たってくる」

 片手をひらひらと振りながらアルは僕達に背を向けて歩き出した。
 その背中を見つめていると、妙な胸騒ぎを感じた。

「アル、待って!」
「……ユーリィ」

 咄嗟に追い掛けようとした足が哀しげなソーニャの呟きによって止まった。折角、ユーリィの居場所を掴めたかと思ったのに、罠だと断じられて、ソーニャはすっかり打ち拉がれている。今は彼女をマチルダの所に連れて行こう。今の彼女の力になれるのは親友の彼女だけだ。
 胸騒ぎは落ち着かないが、今、優先するべきは彼女だ。

「皆の所に行こう。大丈夫だよ。絶対、ユーリィは帰って来る」
「……ええ」

 励ますように言うと、彼女は薄く微笑んだ。だけど、その瞳には深い哀しみの光が浮かんだまま。
 哀しみに暮れる彼女の顔を見ると、胸が引き裂かれそうになる。毎年、夏になると家に招待してくれて、歓迎してくれたクリアウォーター家の人達。僕にとっても大切な人達だ。ダーズリー家に居る時には感じた事の無い愛情を教えてくれたのは彼女達だ。ニンバス2000をプレゼントしてくれて、僕の飛行を褒めてくれた彼らの身に起きた不幸は耐え難いほどの苦しみを僕に与えた。
 ワームテールに感じた様な哀れみをヴォルデモートに対しては一切持っていない。両親を殺し、ジェイクを殺し、ユーリィを攫ったヴォルデモートを僕は決して許さない。
 
 会議室に到着すると、皆は忙しく動いていた。

「どうしたの!?」

 血相を変えて出て行くトンクス達に驚き、教室の中でおろおろしているネビルを捕まえて聞いた。

「あ、ハリー! た、大変! 大変なんだ! あっちこちで爆発だよ! 同時多発テロだ!」

 気が動転しているらしく、ネビルの話は要領を得なかった。
 
「ま、待ってよ。爆発って、どういう事だい?」
「ついさっき、イギリス全土で突然大きな爆発が起きたんだ。多分、死喰い人の連中の仕業だよ」

 ネビルを押し退けるようにロンが言った。

「イギリス全土でって……」

 頭が追いつかない。今までも、大規模な襲撃事件はあった。ミレニアム・ブリッジの崩落などは最たるモノと言える。
 だけど、同時に多数の箇所で爆発なんて、尋常じゃない。

「いよいよ、仕掛けて来たっていう事かな……」
「今、状況を把握する為に魔法省の魔法使いが総出で調査に向かってる」

 胸がざわつく。さっき、胸に芽生えた不吉な予感が膨れ上がる。何か、取り返しのつかない事が起きている気がする。
 教室の中を見渡して、アルの姿を探した。居ない。アルだけじゃない。ジャスパーの姿も無い。まだ、風に当たっているのだろうか……。
 一応、ネビルとロンにアルが来なかったか聞くと、二人共揃って首を横に振った。不吉な予感が更に強まった。僕は直ぐに踵を返して外に出た。すると、二人が慌てて追いかけてきた。

「ど、どうしたんだい?」
「アルがどうかしたのか!?」
「後で説明する。今はとにかくアルを探すんだ。三手に分かれよう」

 二人は困惑した表情を浮かべながらも頷いてくれた。
 否応にもあの時の記憶が甦る。ユーリィを探して、学校中を走り回った時の事を思い出し、僕は狂ったように走り回った。途中、出会った人に片っ端からアルの事を聞いたけど、誰も知らないと言う。
 玄関ホールで二人と合流すると、二人の顔は目に見えて焦りの表情を浮かべていた。

「ど、どうしよう。アルが居ない! ま、まさか、アルまでユーリィみたいに!?」

 取り乱すネビルを落ち着かせようと声を掛けた瞬間、玄関ホールの扉が開いた。入って来たのはハーマイオニーだった。
 ハーマイオニーは僕らの姿を見た途端、血相を変えて叫んだ。

「アルがヴォルデモートの下に向かったわ! 手紙が来たって! わ、私、追い掛けようとしたら、石化の呪文を掛けられて……」

 ハーマイオニーの言葉を聞いて、僕の胸に去来したのは『ああ、やっぱりか……』という気持ちだった。
 アルは信じたんだ。マッドアイ達が信じると困ると言いながら、自分は信じたんだ。

「アルの馬鹿野郎!!」

 怒りが頂点に達した。

「クソッ! 僕も行く!」
「どこへかね?」

 咄嗟に走り出そうとする僕の足を静止させたのはダンブルドアの声だった。
 先生は階段の上から僕らを見下ろしていた。あの全てを見通す力を秘めた青い瞳が僕を見つめている。
 僕は先生にありのままを話した。ナインチェが届けた手紙の事。アルが手紙を信じてグラストンベリーに向かってしまった事。
 すると、先生は険しい表情を浮かべた。

「……現状、ホグワーツに残っているのは最低限の警護の闇祓いのみじゃ。彼らを行かせるわけには行かぬ。さすれば、ホグワーツの守りが手薄になるでな」
「僕が行きます!」

 一刻の猶予も無い。アルが殺されるのをみすみす見逃すわけにはいかない。
 恐怖はある。だけど、そんなのに構ってる暇なんて無い。僕はもう、ジェイクが死んだ時や、ユーリィが攫われた時やドラコが死んだ時のような気持ちを味わいたくない。
 それに、もしかしたら、本当にヴォルデモートが居るかもしれない。長きに渡った因縁に決着をつけるチャンスかもしれない。

「ぼ、僕も行くぞ!」
「僕だって!」

 僕の言葉にネビルとロンが続いた。
 二人の瞳には恐怖と迷いの色が見え隠れしている。

「二人共……」
「ハリー。僕は絶対に行くぞ。僕だって、ヴォルデモートには借りがたくさんあるんだ。アイツには清算してもらわないといけない」

 ロンは恐怖に震える体で言い放った。

「二年目の時といい、三年目の時といい、僕は奴等に操られて、この手で友達を傷つけさせられたんだ」

 声に滲むのは怒りだった。

「どんなに謝ったって、許されない事を僕は強要されたんだ。僕は戦うぞ」
「僕も戦う!!」

 ネビルが声を張り上げた。

「僕は……弱虫で、どんくさい。でも、ユーリィを助けたいって気持ちはアルやハリーにだって負けてないんだ」

 その瞳には闘志が燃え滾っていた。

「ユーリィには何度も助けられて来た。箒から落ちた時も、マルフォイに絡まれた時もユーリィは僕を助けてくれた。今度は僕がユーリィの為に動く番なんだ」
 
 決意に満ちた声がネビルの瞳から恐怖と迷いを拭い去った。
 二人は何を言っても引き下がらないだろう。

「……覚悟は出来ているんじゃな?」
「……私も行くわ」

 ハーマイオニーが言った。僕は心臓を鷲掴みにされたような気分だった。
 
「駄目だ」
「いいえ、行くわ」
「駄目だ!!」

 認めるわけにはいかない。

「君は残れ!!」
「いいえ、お断りよ!!」

 ハーマイオニーは僕の怒声にも一歩も退かず、掴み掛かるように言い返してきた。

「貴方が命賭けの戦いに身を投じるというのに、ジッとなんてしていられないわ!!」
「ジッとしていろ!! 君は絶対に連れて行かないぞ!!」

 譲れない。彼女だけは何があっても連れて行くわけにはいかない。
 彼女は僕にとっての【希望】だ。彼女の死は僕の【絶望】だ。
 彼女の命は何よりも尊い。彼女の命と天秤に掛けられるものなど何も無い。この世の全てと引き換えにしても、僕は彼女の命が大切だ。
 
「この世で誰よりも愛してる。だから、絶対に連れて行かない」
「この世で誰よりも愛してるわ。だから、絶対に付いて行く」

 ハーマイオニーは譲らない。

「それに、あなただけじゃないわ。もしかしたら、その場所にユーリィが居るかもしれない。私はあの子を救いたい。貴方はこの世で一番愛おしい人。あの子はこの世で一番大好きな友達」
「言う事を聞け!!」

 僕は杖を取り出した。これ以上の問答に意味は無い。退かないというなら、僕は例え彼女に嫌われようとも力で捻じ伏せる。

「聞かないわ。夫を支えるのが妻の役目よ。何があろうと、私はあなたを支える。守ってみせる」
「言う事を聞けと言ってるんだ!!」

 もはや、ここまでだ。

「どうしても、聞けないって言うなら!!」
「ハリー!!」

 不意をつかれた。
 間近まで接近していたハーマイオニーは更に距離を縮めた。
 顔と顔との間の距離が零になる。唇を通して、彼女の体温が流れ込んで来る。

「私とあなたは一身同体よ。何処へ行くのも一緒。死ぬのも生きるのも一緒よ」

 ハーマイオニーは言った。

「私があなたを守る。だから、あなたが私を守って」

 キスを通じて、彼女の決意の深さを感じた。
 力で捻じ伏せても、彼女は来てしまう。それが理解出来てしまった。

「……分かった。君の事は僕が絶対に守る」
 
 今度は僕からキスをした。
 これは誓いだ。健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くす。
 
「ダンブルドア先生」

 先生は黙って僕を見つめていた。

「僕らは戦います」

 先生は何も聞かず、ゆっくりと頷いた。

「お主らの勇気を称える。行こう」

 僕らは歩き出した。玄関ホールから外に出ると、空から不死鳥が舞い降りてきた。確か、先生のペットのフォークスだ。

「さあ、手を繋ぐのじゃ」

 僕は先生とハーマイオニーの手を取った。
 ハーマイオニーは反対側の手でロンと繋ぎ、ロンはネビルと繋いだ。
 そして、先生がフォークスの足に掴まると、僕らは刹那の瞬間にホグワーツから遠く離れたグラストンベリーへとやって来た。
 とても静かだった。手紙に書いてあった屋根が無い旧聖ミカエル教会を頂上に仰ぐ丘――――グラストンベリー・トーが目の前に見える。
 僕らは互いに顔を見合わせると、頷き合って走り出した。すると、丘の中腹に人影が見えた。一瞬、死喰い人かと思われたその影の正体はアルとジャスパーだった。
 良かった。生きていた。
 喜び勇み、近づこうとすると、僕らは言葉を失った。
 彼らの前には死体があった。良く知っている顔。

「ダ、ダリウス……」

 ダリウスの遺体が静かに横たわっていた。アルの表情は見えない。アルが殺したのだろうか……。

「やあ、皆も来たんだね」

 知人の遺体を前にしているというのに、場違いな程明るい声でジャスパーが言った。

「さあ、あの教会にマコちゃんが居る。ああ、楽しみだなぁ。愉しみだなぁ。もう直ぐ、ボクはこの目で見れるんだね。マコちゃんが救われる瞬間を見れるんだね。ああ、嬉しいな。幸せだなぁ」

 鳥肌が立った。不気味な奴だとは思っていたけど、ジャスパーの目を見た瞬間、僕は恐怖に慄いた。
 まるで、闇を何重にも重ねたかのようなどす黒い瞳。

「ああ、この瞬間を待ち侘びていた。さあ、アル君。マコちゃんを救いに行こう。ああ、マコちゃんが救われる。ボクは僕はぼくはなんて幸せなんだ。ああ、素敵だ。最高だ。希望が世界に溢れて見える。光が溢れている。アハッ! アハハハハハハハハハハハハハハッハハハハハハハハハハハハハッハハハアハハハハハハハハハハッハハハハハハハハッハハッハ」」

 狂ったように笑うジャスパー。
 僕らは言葉も発せずに居た。すると、二人の前に人影が現れた。

「まったく、喧しいな。引率の先生はもっと厳しくあるべきではないのか? ダンブルドア」
「……久しいな、トム」

 ヴォルデモートは僕らの前に姿を現した。蛇のようなのっぺりとした顔。
 
「……この先にユーリィが居るのか?」

 アルはヴォルデモートに対して恐怖を覚えていないらしい。
 ごく自然に尋ねた。信じられない。どんな神経をしているんだ。

「あの教会に居る。連れて行きたくば、好きにしろ」
「随分と素直じゃな」

 ダンブルドアが言うと、ヴォルデモートは微笑んだ。

「もはや、私には何も残っていない。お前の差し金なのだろう?」

 何の話だろう。ダンブルドアは涼しげな表情でヴォルデモートの言葉を受け流した。

「結局、私は踊らされていたのだな。予言にも、お前にも、あの……絶望にも」

 ヴォルデモートは杖を掲げた。すると、彼の周りに数人の人影が現れた。

「私に残ったのはお前達だけだ。去るなら止めぬ」
「我らは御主人様と共にあり続けます」

 男が言った。

「ロドルファス・レストレンジよ。お前の忠誠を認めよう」

 ヴォルデモートは言った。

「我が魂、永劫、偉大なる帝王と共にあります」
「ラバスタン・レストレンジよ。お前の忠誠を認めよう」

 次々に死喰い人達は杖を掲げ、帝王に忠誠を捧げる。アントニン、ヤックスリー、カロー兄弟。
 六人の死喰い人は僕らを見下ろし、殺気立っている。
 相手は七人。こちらも七人。数の上では互角だけど、明らかにこちらが不利だ。
 そう思った時だった。次々に僕らの傍に人影が現れた。
 最初は更なる死喰い人の援軍が来たのかと思ったけど、違った。
 
「私を置いていくなど許さんぞ、ハリー」

 シリウスが口元に微笑を浮かべながら現れた。

「前にわしが捕まえた奴の顔があるな」

 マッドアイは死喰い人達を睨み付けた。

「我が友の愛する子を返してもらうぞ」

 エドワードが殺気に満ちた表情を浮かべ言い放った。

「私の息子を散々利用しおった報いを受けて貰うぞ」

 ロンのパパのアーサーも体を怒りに強張らせながら現れた。

「ゾロゾロと現れたものだな。しかし、良いのか? 今頃、ホグワーツには我が軍勢が攻め入っている筈だが?」
「巨人や怪物共の軍勢か? 奴等ならば他の連合のメンバー達が相手をしておるわ」

 マッドアイが言った。ホグワーツが襲われているだって!?

「統制すらまともに取れぬ軍団など、恐れる必要無し!!」

 エドワードの言葉にヴォルデモートは高らかに嗤った。

「ダリウスの花火も少しは私の役に立つかとも思ったのだが……どこまでも私の邪魔をしてくれるな」
「決着を着けよう、トム」

 ダンブルドアの言葉は月夜の丘をコロシアムに変えた。

「アル。ユーリィを助けに行け」

 エドワードが言った。

「……俺は」
「ここはお言葉に甘えるべきだよ、アル君」

 またしても場違いな明るい声。この緊迫した空気の中でどうして、どんな陽気な声を出せるのか不思議で仕方が無い。

「大丈夫さ。希望は絶望になんか負けない。不死鳥の連合は決して負けたりしないよ。だから、君は一刻も早くマコちゃんを救うべきだ。勿論、ボクも見届けさせてもらうよ」

 壮絶な笑みを浮かべるジャスパーの顔を見向きもせず、アルは言った。

「ああ、ユーリィを助けに行く」

 アルは走り出した。それが、戦いの始まりを告げる鐘となった。
 最後の戦いが始まった。僕はダンブルドアと共にヴォルデモートと対峙した。
 ハーマイオニーはシリウスと共にカロー兄弟と向き合っている。ネビルはマッドアイと共にレストレンジ兄弟に杖を向け、ロンはアーサーと共にアントニンに立ち向かっている。
 エドワードはアルに杖を向けようとしたヤックスリーを攻撃している。

「さあ、決着を着けよう。ダンブルドア。そして、ハリー・ポッター。生き残った男の子よ」

第九話「運ばれて来た手紙」

第九話「運ばれて来た手紙」

 翌日の日刊予言者新聞の一面をスクリムジョールの魔法省大臣就任のニュースが飾った。
 新聞には彼の挑戦的とも思える大臣の就任演説の内容が載っている。

『既に御存知の方もいらっしゃるでしょうが、闇の帝王は復活を遂げました。昨今の闇の印は彼の者が十五年前同様に勢力を伸ばしつつある証なのです。だが、これ以上、闇の勢力が助長を私は決して許さん。帝王に組する者には厳罰を課し、闇の勢力を擁護する者も放任するつもりは無い。私は闇祓い一同、並びに闇の勢力と戦う決意を固めた魔法使い達の連合組織・不死鳥の連合に対し、闇の魔法使いへの殺害行為の許可を与える。私を悪だと罵倒するのは全てが終わった後にして頂きたい。帝王を下した暁には死刑台でもアズカバンでも何処にでも参る所存。……私は歴代最悪の魔法大臣として名を残す事になるだろう。だが、私の決意は変わらない。闇の勢力に関わる者は須らく私の敵であり、殲滅すべき害虫である。私は害虫を一匹残らず駆除する。これが私の魔法省大臣として唯一掲げるマニフェストである』

 記事が載ったその日に魔法省内で闇の勢力を擁護する動きを見せた者達が軒並みアズカバンへ送られた。その中にはユーリィの話にあったリータ・スキータという記者の名前もあった。
 あまりにも迅速な動きだった為に魔法省内では反発も起きたようだけど、そちらに関してスクリムジョールは何もしなかった。
 代わりに新たな闇祓い局局長となったガウェインを初めとした連合の面々が火消しに走った。
 慌しい動きの中には新たなメンバーの加入もあった。ロンの二人の兄であるチャーリーとビルだ。二人もいよいよ帝王の復活とあってはジッとしていられないと、両親の反対を押し切り参加を決意した。他にも少しずつ連合に参加しようという魔法使いが増え始めているらしい。
 スクリムジョールの方針は一方的な独裁政治であったが、帝王に怯える善の魔法使い達にとっては心強く、少しでも助けになるならば、と各地で動きが起きている。例えば、リトル・ハングルトンの住民皆殺しの一件をスクリムジョールが公表した事で、マグルを守ろうとする動きが活発化している。自分の住む村のマグルの住人達を守る為、彼らに保護の呪文を掛ける魔法使いが続出し、スクリムジョール本人もマグルの大臣を迅速に保護した。
 スクリムジョールの断固とした決意と迷い無き実行力に人々は惹き付けられている。
 だけど、そうなると面白くないのが闇の勢力だ。スクリムジョールの大臣就任から二日後、ついに奴らは動き出した。各地でマグルやマグルを擁護する魔法使いを襲い始めたのだ。
 スクリムジョールは迅速な動きでロンドン全域に監視のネットワークを作り上げていたが、イギリス全土をカバーするには時間が足りず、連合が間に合わない事が少なからずあり、闇の印が天を覆っては、憤りを深めた。幾度と無くぶつかり合い、その度に連合は疲弊した。あまりにも攻撃頻度が多過ぎた。二日間で二十箇所以上が襲われ、ミレニアムブリッジが落とされるのを連合は防げなかった。その事件で多くのマグルの命が奪われた。
 そして、連合側からも死者が出た。冷たい骸と化した仲間の姿が新聞に載った。スクリムジョールは彼らの死を利用する事も厭わなかった。彼らの死で死喰い人への怒りを煽り、死喰い人に対してプレッシャーを掛け続けた。

「何を急いているんだ……」

 新聞から視線を上げ、クリスが言った。

「局長……いや、大臣のやり方は短期で決着をつける為のプロパガンダだ。何か考えでもあるのだろうか……。このやり方は長続きせんぞ」
「局長の事だ。何か、考えがあるんだろう」

 エドワードの言葉にクリスは肩を竦めた。

「我々にも考えを明かさないとはな」
「裏切り者が続出したからな。可能な限り、情報を秘匿しようとしているのだろう」
「我々は局長を信じるのみ……か」

 連合の会議室として使っている変身術の教室は重苦しい空気に包まれた。
 クリスが苛立つのも分かる。ここ数日、激化する闇の勢力との戦いで皆、すっかり疲弊してしまっている。
 その上、仲間内にまで情報を秘匿するスクリムジョールに不信感を持つ者が現れ始めている。疑心暗鬼な雰囲気が漂い、それが余計に空気を悪くしている。

「居るか、ポッター」

 突然、教室の扉が開き、スネイプが入って来た。
 五日前のリトル・ハングルトンでの戦い以来、地下の研究室に篭りきりだった彼が皆の前に姿を現すのは初めてだった。

「出来たのか?」

 シリウスが尋ねると、スネイプは小さく頷いた。

「失敗をする訳にはいかんからな。細心の注意を払い、調合した為に五日も掛かってしまった」
「ハリーの為ならば、万全を期すべきだ。ありがとう、スネイプ」
「礼など要らん。我々の勝利の為にも必要なプロセスだ」
「……だな」

 スネイプとシリウスは初日の険悪な雰囲気からは想像もつかないほど良好な関係を築いている。喜ばしい事だけど、これから待ち受ける分霊箱摘出の儀式に対する恐怖で僕は気が気じゃなかった。
 ジャスパーが語った分霊箱摘出の方法とは即ち、【ヴォルデモートがジャスパーとユーリィの魂を引き離した方法】を使う事だ。つまり、僕の中の分霊箱――――つまり、ヴォルデモートの魂の断片を敢えて復活させようという試みだ。その為にアル達は五日前にリトル・ハングルトンへ向かった。ヴォルデモートの父親の骨を入手する為だ。

「ハリー」

 シリウスが優しく僕の頭を撫でた。

「怖いか?」
「……うん」
「まあ、当然だな。だが、命を捨てる選択をするよりは……」
「骨や人肉を使ったスープに身を沈める方がマシ?」

 僕の言葉にシリウスは曖昧に微笑んだ。

「分かってるよ。皆が僕の為に命を賭けて材料を集めてくれた事は分かってる。不安だけど、怯えてなんかいないさ」
「ハリー……。私がついているぞ。ハーマイオニーもだ」
「……ありがとう、シリウス」
「では、行くぞ」

 スネイプの言葉に頷き、僕は教室を出た。僕らの後にシリウスとアル、ジャスパー、マッドアイ、クリスが続いた。
 万が一にもヴォルデモートの魂の断片が暴れ出した時の事を考えての布陣だ。

「ハリー君」

 歩いていると、ジャスパーが声を掛けて来た。正直、僕は彼の事が苦手だ。
 彼がユーリィの為に必死に頑張っている事を知っているのに、どうにも彼が傍に居ると落ち着かない。
 ユーリィと同じ顔をしているせいなのか、それとも違う原因があるのか分からないけど、胸がムカムカしてくる。

「なんだい?」
「魂を分離させる時に自分の体を強く意識するんだ」
「……え?」
「それが成功の秘訣だよ。経験者としてのアドバイスさ」
「あ、うん。ありがとう……」

 よく分からないけど、僕は頷いた。すると、隣を歩いていたアルが囁くように言った。

「アドバイス……か」

 ここ数日、アルの様子が少しおかしい。一人でぶつぶつ呟きながら何かに悩んでいる姿をよく目にする。
 どうしたのか聞くと、いつもはぐらかされてしまって、今も聞けず仕舞いだ。
 まったく、水臭い。僕らは友達なんだから、悩みがあるなら相談してくれればいいのに……。
 まあ、きっとユーリィの事なんだろうけどね。アルの頭にあるのは基本的にユーリィの事だけだ。アルがユーリィを愛していると聞いた時は表面上驚きはしたものの、頭のどこかで納得していた。アルの普段の姿を思い出せば、アルがユーリィを意識していたのが分かる。

「こっちだ」

 地下の教室に人が一人入れる程の巨大な鍋が置かれていた。
 
「では、始めるぞ」

 スネイプの言葉に悲鳴が響いた。地下室には既に誰かが居た。
 小柄な男だ。彼が恐らく、マッドアイが捕えたという死喰い人のワームテール。ロンの鼠として姿を隠していた小賢しい男。シリウスを罠に掛け、僕の両親の死の原因を作った男。
 なのに、僕の胸に湧き上がったのは哀れみだった。みすぼらしい格好で、痩せ衰えた体。ユーリィの話では丸々太った男だった筈だけど、目の前の男は何日も食事をしていないかのようだった。事実、していないのかもしれない。ここに軟禁されてから、彼がどんな目に合わされてきたのか、僕は知らない。
 彼はこれから片腕を失う事になる。罪悪感は無いけど、やはり哀れに思えた。

「ピーター」

 ワームテールの本名を呟くと、彼は大袈裟に体を震わせた。怯えている。

「分かっているな、ペティグリュー」

 スネイプの氷の如き声にワームテールは飛び上がった。

「妙な真似をすれば、また我輩の懲罰を受ける事になるぞ。ここにはブラックも居る。いつもより苛烈になるやもしれんな。協力的な態度を示せば、少なくとも命だけは保障してやる。だが、逃げ出そうとしたり、反抗的な態度を取るようならば……」
「わ、分かっているよ、セブルス」

 卑屈な表情を浮かべ、瞳には恐怖の光を宿している。スネイプはサディスティックな笑みを浮かべると、シリウスに視線を向けた。
 シリウスは薄く微笑んだ。

「むしろ、反抗的になってくれても構わんぞ。鼠に変身するでもいい。ここにはネズミ捕りをふんだんに仕掛けてあるからな。逃がしはせんぞ。たっぷりと生まれて来た事を後悔させてやる」

 ワームテールはゼェゼェと息をしながらカクカクと頷いた。

「さあ、儀式を開始する」

 スネイプの言葉に僕は意識をワームテールから大鍋へと移した。鍋の中の液体はふつふつと沸騰している。色取り取りの火花が飛び散り、思わず腰が引けそうになる。
 ヴォルデモートを敢えて復活させるという試みは最初、皆を驚かせた。当然だ。下手をすれば最悪の敵を二人に増やす事になる。そもそも、そんな事が可能なのかという疑問もあった。
 ダンブルドア曰く、最も汚らわしい魔術の一つではあるが、恐らく可能だろうとの事。復活といっても、恐らく不完全なモノとなるだろうが、僕から分霊箱を摘出するのが目的である以上、完全復活などむしろしない方が良い。
 これはユーリィの例があったからこその方法だ。ユーリィとジャスパーの魂の結びつき方は僕とヴォルデモートの魂の断片との結びつき方と異なるらしい。ユーリィ達が魂同士で密着し合っているのに対し、僕らは同一の肉体内に魂が別個に存在している。むしろ、ユーリィ達に出来たなら僕らの方が出来る可能性が高い筈なのだそうだ。
 だけど、それでもココに飛び込むにはかなり勇気が居る。

「さあ、服を脱げ、ポッター」

 スネイプの言葉に僕は頷いた。羞恥心なんか感じてる余裕は無い。パンツも全部脱いで、皆が見ている前で裸になると、スネイプが朗々と呪文を唱え始めた。

「父親の骨、知らぬ間に与えられん。父親は息子を蘇らせん」

 スネイプが杖を振るうと、エメリーンとジャスパーがリトル・ハングルトンの墓地で入手したヴォルデモートの父親の骨が大鍋に沈んだ。
 ダイヤモンドのように煌く水面が割れ、四方八方に火花が飛び、毒々しい青色になった。
 
「さあ、やれ、ペティグリュー」

 ワームテールは悲鳴を上げた。恐怖に顔を歪めながら、震えた声で呪文を唱える。

「し、しもべの肉、よ、喜んで……差し出されん。しもべは……ご主人様を蘇らせん」
 
 唱え終わると、シリウスがナイフを投げ渡した。キャッチし損ねて、ワームテールは右腕を大きく切り裂かれてしまった。
 悲痛の叫び声が地下室に響く。僕は咄嗟に駆け寄ろうとして、アルに止められた。

「この愚図が……。さっさと自分の腕を切り落とせ。念の為に肘の辺りからやれよ」

 冷徹なシリウスの言葉にワームテールは咽び泣きながら頷いた。
 そのあまりにも残酷な光景に胸が痛む。だけど、僕は止めなかった。奴は両親の敵なのだと必死に自分に言い聞かせて目を瞑った。
 すると、殊更大きな絶叫と共に大きな塊が液体に落ちる音が響いた。

「この愚図はまた牢屋にでも閉じ込めておけよ」
「ああ、喧しい悲鳴を聞いているのは体に悪いしな」

 腕を失った直後のワームテールにスネイプは情け容赦無く石化の呪文を唱えた。意識を奪わずに動きを止める呪文をわざわざ選んで使った。

「えげつねぇな」
 
 ククッと笑いながら言うシリウスにスネイプは唇の端を吊り上げた。

「我輩の幼馴染を殺してくれたのだからな。相応の礼をせねばなるまい。ああ、ワームテール。言う通りにしたら殺さないと言ったな? 安心しろ。殺したりはせん。ただ、死ぬ方がマシだと思うような目には合わせるがね。お楽しみは後だ。今はその腕の痛みに興じて居るがいい」

 残酷に言い捨てるスネイプにワームテールは何を思っているのだろう。
 石化した状態のまま、顔の形すら変えられず、痛みに苛まされている。

「あ、あの……せめて、腕の治療を……」
「必要無い。命の保障をしてやるだけでも我々は寛大過ぎる程だ。だろう? ブラックよ」
「ああ、まったく俺達は心が広過ぎるな、スネイプ」

 嫌な意味で凄く仲良くなってしまった二人に不安になった。

「さあ、最後の手順だな」
「敵の血か……、俺の血を使う」

 シリウスはそう宣言すると、アッサリと自分の腕を切り裂いた。
 悲鳴を上げそうになる僕を尻目に鍋に向かって行く。

「使え」

 スネイプに血の滴る腕を向けるシリウス。

「敵の血、力ずくで奪われん。汝は敵を蘇らせん」

 腕を切り裂いたナイフをもぎ取り、スネイプは血を鍋に滴らせた。
 すると、鍋は眩い閃光を放ち始めた。

「さあ、入れ、ポッター」
「……はい!」

 僕は意を決して足を踏み出した。大鍋の口に昇る為の階段を上がり、僕は一気に中へと飛び込んだ。その瞬間、僕の意識は何かに呑み込まれそうになった。
 巨大な何かが僕を喰らおうとしているみたいだった。

【魂を分離させる時に自分の体を強く意識するんだ】

 ジャスパーのアドバイスを思い出し、必死に僕は自分の体を意識した。引き伸ばされたり、もみくしゃにされたりしながら、必死に自分の体を意識し続ける。
 奪われて堪るものか。これは僕の体だ。お前の体じゃない。
 無限とも言える一瞬が終わると、僕は割れた大鍋から吹き飛ばされていた。大鍋には何かが居る。人の形をしているけど、人じゃない。
 ソレは肌が無かった。筋肉や神経が直接空気に触れていて、ソレは悲痛な叫び声を上げた。

「……ヴォルデモート」

 僕の中に居たヴォルデモートの魂の断片だ。
 小柄な体躯の人体模型が踊っているような不気味な様相だった。

「後退っていろ、ハリー!」

 シリウスが飛び出した。その手には銀色に輝く剣が握られている。
 数日前、グリフィンドールの剣の使用が決定され、組み分け帽子から僕が取り出した剣だ。他の人がやっても何も出なかったのに、僕が組み分け帽子に手を入れると、アッサリと剣が現れた。
 資格あるグリフィンドール生のみが手に出来る剣。僕は資格ある者のようだった。
 だけど、それだけでは剣は役に立たない。だから、僕はエグレの墓に入った。ハグリットの小屋の隣にある小さな洞穴。人工的に作られたソレは嘗て、僕のペットだったバジリスク――――エグレが住んでいた住処だった。今では、エグレの墓場になっているソコに僕は入り、エグレの牙に刃を押し当てた。
 エグレを思うと今でも涙が出て来る。僕の為に命を捨てた僕の大切な友達。剣の使用が決定した時、僕は自分からエグレの毒を剣に吸わせる役目を買って出た。こんな、死体を利用するような事、したくなかった。だけど、他の誰かにやらせる気にはなれなかった。
 シリウスがグリモールド・プレイス十二番地にあるという屋敷から持って来たロケットで力を試した所、上手く破壊に成功した。
 分霊箱を破壊する力を得た剣をシリウスがヴォルデモートの魂の断片につき立てた。すると、奴は殊更大きな悲鳴を上げて四散してしまった。

「……ハリー。これからはこの剣は君が持て」
 
 シリウスは銀色に輝く剣を僕に渡した。

「うん」

 剣を持つと、僕は不思議な暖かさを感じた。まるで、エグレが僕を見守ってくれているかのような気分だった。

「……成功したな」

 マッドアイが安堵の溜息と共に言った。

「正直、疑い半分だったが、これで懸念材料が一つ減ったな」
「後、残る分霊箱は一つだ。ナギニを殺せば、もう帝王が復活する事は無い」

 クリスの言葉に一同が頷いた。

「ナギニは必ずヴォルデモートと共に居る筈だよ。ヴォルデモートと決戦する時が来たら、きっと、ナギニを殺すチャンスも来る筈」

 ジャスパーが言った。

「まずはヴォルデモートの居場所を探る事だな。……何はともあれ、ハリー、お疲れ様。よく、頑張ったな」

 シリウスに肩を優しく叩かれながら、僕は地下室を出た。
 シリウスとスネイプはワームテールの事があり、地下室に残った。彼らがワームテールに何をするつもりなのか、僕は怖くて聞けなかった。
 とにかく、これで僕の中のヴォルデモートは消えた。

「ハリー」

 変身術の教室に戻る途中、急にアルが声を掛けてきた。

「なに?」
「ちょっと、トイレ行かないか?」

 言われて、少し尿意を催している事に気がついた。

「うん」

 皆に先に行ってもらって、僕らは二人でトイレに入った。
 ふと気になって、洗面所の鏡でおでこを確認すると、驚いた事にあれほど鮮明だった傷痕が少し薄くなっていた。ヴォルデモートの魂が消えた事で、傷痕も消えようとしているみたいだ。
 不思議と寂しさを感じ、奇妙な気分になっていると、アルが僕を呼んだ。

「魂の分離の時、どんな感じだった?」
「え?」

 急に聞かれて、僕は呆気に取られた。

「頼む。聞かせてくれ」
「あ、うん。えっと――――」

 僕は鍋に入った後に感じた事をありのままに伝えた。
 すると、アルは一瞬、とても恐ろしい表情を浮かべ、次の瞬間には酷く安堵した表情を浮かべた。

「そうか……ありがとう。これで、大分確証を得られた」
「確証……?」
「……ああ、まあ、いずれ教えるさ」

 意味深な事を言いながら、アルはとっとと用を足すと、外に出てしまった。慌てて僕も用を足して外に出ると、廊下を走るソーニャに出くわした。

「あ、アル君!」
「ど、どうしたんだ!?」

 ソーニャは酷く慌てた様子で手に持っていた手紙をアルに押し付けた。

「ナ、ナインチェが帰ってきたのよ!! そ、それで、この手紙を運んで来たの!!」

 アルは慌てて手紙を開いた。覗きこんで読んで見ると、そこにはこう書かれていた。

《ヴォルデモートは【グラストンベリー・トー】に居る。ユーリィもそこに居る。万全を期して来い》

第八話「死神」

第八話「死神」

 必要の部屋の中で俺は父さんと二人になった。こうして、親子で語り合うのは何時以来だろう。
 父さんは険しい表情で黙りこくっている。眉間に皺を寄せて、何を考えているんだろう。親友のジェイクの死を引き合いに出してまで、俺との会話の席を設けたわけをさっさと教えてもらいたい。

「アル」
 
 深く息を吐き、父さんは口を開いた。

「お前は人を殺す事が楽しいんだな」

 それは問い掛けでは無かった。確信を持って告げられた断言。
 自分で分かっていた事だが、実の父親にダイレクトに言われると、さすがに怯んだ。

「俺は……」
「隠さなくてもいい。気持ちは分かる」
「え……?」

 分かるって、どういう事だろう。自分で言うのも何だが、人を殺して楽しい、気持ち良い、爽快だ、なんて思う人間は異常だ。
 そんな異常者の気持ちが分かる人間なんて居る筈が無い。
 同じ、異常者でも無ければ……。

「父さんも……そうだった」
「父さん……も?」
「父さんは昔、【死神】に例えられていた」

 その話は前に聞いた事があった。マッドアイと最初に出会った時、彼は言った。

『お前の父親のエドワード・ヴァン・ライリーはその姓の通り勇敢な男であり、その名の通り善なる者の守護者であった。あまりに苛烈な性格故に孤立気味ではあったが、敵対する闇の魔法使いからは死神と恐れられた強力な闇祓いだ』

 嘗て、父さんは【死神・エドワード・ヴァン・ライリー】と恐れられていた。だけど、それは皆を守ろうとして戦って付いた渾名だ。人の死を喜ぶ俺と同類の筈が無い。
 何度も考えた事だ。善良な夫婦である父さんと母さんから、何で俺みたいな怪物が生まれてしまったんだろうって、何度も考えた。
 俺が幼い頃、父さんは母さんを愛し、いつも穏やかな笑顔を浮かべていた。ヴォルデモートの影が見え始めてから、嘗ての面影らしきものを垣間見せ始めたが、常に理性的で善良であり続けている。

「父さんも人の死を愛していたんだ」

 その告白に俺は言葉を失った。俺とは違い、善良だと思っていた父さん。彼が浮かべていた穏やかな笑顔は偽りのペルソナだったという事なのか。
 
「父さんは相手を殺せるなら誰でも良かった。ただ、一人でも多く殺したかった。正直、死喰い人になろうとした時期もあった」
「……嘘だろ」

 もし、ユーリィが居なかったら、俺は死喰い人の側に立っていた。その確信がある。だって、そっちの方が確実に人を殺せる。
 魔法使いもマグルも殺したいだけ殺せる。

「本当だ。その当時、魔法法執行部の部長だったバーテミウス・クラウチが闇祓いに【死喰い人への殺人行為】を許可した。悪の側に立たなくても、人を堂々と殺せる権利を貰えたんだ。だから、父さんは殺したんだ。死喰い人の中には脅された者も操られていただけの者も居た。女も子供も老人も居た。みんな殺したよ。その度に俺は笑っていた。殺人を最高に楽しいアトラクションだと思っていたんだ。死に瀕した者の悲鳴は高名な指揮者のオーケストラが奏でる演奏にも引けを取らないと確信していた。哀しみや恐怖、怒り、絶望、死に瀕した者が浮かべる表情はどんな著名な画家の絵よりも俺の心を満たした」

 同じだ。ここに至り、俺も確信を持った。父さんは俺と同類だ。いや、俺が父さんの同類なんだ。
 俺達は間違いなく親子だ。どちらも人を殺す事に悦を感じている。俺と同類で無ければ、こうも見事に俺の内面を口にする事は出来ない筈だ。
 だからこそ、分からない。どうして、父さんはそんな恐怖に慄く表情を浮かべているんだ。

「俺は……ただ、自分の快楽のみを追い求めていた。だから、見ようとしなかった」
「何を……?}
「死喰い人にも家族が居る。友人も居る。恋人や子供だって居る。当たり前の事だ。だけど、俺はその当たり前の事を考えなかった。マチルダと出会い、俺は漸く知ったんだ。俺が殺して来た血染めの道に今尚苦しむ人間が居る事に」
「……でも、そいつらは――――」
「ああ、死喰い人だ。如何なる理由があろうと人々を苦しめる害虫だ。だが、害虫に寄り添う者が全て等しく害虫なわけではない。中には何も知らずにその者を愛していた者も居た。知っていて、その者を善の道へ導こうと奮闘する者も居た。彼らから俺は奪ったんだ。その者達と歩む筈だった未来を奪ったんだ。俺はやろうと思えば捕縛に留める事も出来た。だが、しなかった。自分の欲望を満たす為だけに俺は殺し続けたんだ」

 父さんはテーブルに拳を叩きつけた。テーブルはへこみ、拳からは血が滲む。そんなのは御構い無しに父さんは言った。

「【死神】は実に私に相応しい二つ名だ。だが、お前にはそうなって欲しくない」
「俺は……」
「私はマチルダの愛によって目を醒ます事が出来た。ならば、お前も目を醒ます事が出来る筈だ。ユーリィを愛しているなら、あの子を救いたいなら、己の欲望の為に戦うな。【死神】では誰も救えない。お前は子供の頃言っていたじゃないか。【勇者】になりたいって」

 ああ、分かる。父さんが母さんと出会って自分の殺人への渇望を抑えられた理由はよく分かる。

「ああ、なりたかったよ。ユーリィが傍に居る間は、そう思えた」

 だから、分かる。父さんも母さんが居なくなれば、昔に戻る。殺人への渇望なんてどうでも良くなる程、愛おしい人間が傍に居てくれたなら、俺だってこうはならなかった。
 アイツが傍に居れば、俺は誰も殺さなくて良い。悲鳴も死に顔も殺す感触もアイツの笑顔や声や触り心地と比べたら天と地ほどの差がある。
 
「死神でもいいさ。アイツを結果的に助け出せるなら、過程なんざ、どうでも……」
「そうじゃない」
「え?」

 父さんは悲しそうな顔をして言った。

「言っただろう。死神は誰も救えない、と。ユーリィの心までは助けてやれない。今のままではな……」
「……とう、さん?」

 なんで、知ってるんだ。俺は父さんに教えていない。生前のマコトが心を壊してしまった事も、ユーリィが今、生前のマコトと同じ状態になってしまっているかもしれない事も何も教えていない。

「分かるさ。多分、殆どの皆が気付いている」
「……マジかよ」
「ああ、その上であの子を助けようとしているんだ。生前に何があったとしても、俺はあの子を救いたい。マッドアイもダンブルドアもみんながあの子を救いたがっている。だけど、あの子を救えるのはきっとお前だけだ。なあ、死神である事は誇らしくもなんとも無い事なんだぞ。だって、自分の欲望を垂れ流しにしているだけなんだ。かっこ悪いじゃないか、そんなの。ユーリィにかっこ悪いって、思われてもいいのか?」

 それは、嫌だな……。

「あの子を助けて、あの子にカッコいいって、言ってもらいたいんだろ?」
「……うん。俺、アイツにカッコいいって、言われたいな」
「だったら、死神で居たら駄目だ。お前は父さんのようになっちゃ駄目だ。親友一人救えなかった、こんな駄目親父みたいになっちゃ駄目だ」

 父さんは泣いていた。初めてだった。父さんが俺の前で涙を見せるのは初めての事だった。

「ジェイクが死んでしまった。俺の親友が死んだ。俺を死神から人間にしてくれたのはマチルダだけじゃない。ジェイクやソーニャが俺を友達と言ってくれたおかげなんだ。いいか、アル。友達は大事なんだぞ。確かに、ユーリィの事が好きなら、あの子を最優先にして良い。むしろ、そうするべきだ。だけど、友達も大事にするんだ。ハリーやロンやネビルやハーマイオニーを大事にしなさい。分かったね?」

 ジェイクが死んだ。
 そうだ、ジェイクは死んだんだ。
 もう、ユーリィの家に行っても、ジェイクが迎えてくれる事は無いんだ。
 もう、ジェイクと一緒にキャンプをする事も出来ないんだ。
 もう、ジェイクと一緒に笑い合うユーリィの姿を見れないんだ。

「あ……ああ」

 父さんの涙が俺に漸くその事を実感させた。
 ジェイクが死んだ。もう、この世のどこにも彼は居ない。
 間違いなく言える。俺は彼が大好きだった。もう一人の父親同然に思っていた。
 だって、俺はあの人を生まれた時から知っていたんだ。俺とユーリィは兄弟のように過ごした。父さんと母さんとソーニャとジェイクに囲まれて、四人の愛を受けて育って来た。
 もう、あの頃には戻れない。大切なピースが欠けてしまった。
 
「そっか……」

 分かった。
 俺も分かった。
 父さんが言った事が分かった。

「これが、人の死って奴なのか……」

 漸く、俺は人の命の重さってのに気が付いた。
 ただ、愉しむだけの殺人がどれほど罪深いのかを理解した。
 俺と同じ想いをしている人間が居る。善人であれ、悪人であれ、その者の死には哀しみが付き纏う。

「……ああ、でも、俺は」

 立ち止まれない。立ち止まるわけにはいかない。
 ユーリィを助けるまで、俺はこの足を止めるわけにはいかない。

「そうだ。人の死の重さを知って、その上で戦うんだ。勇者ってのは、勇気ある者の事なんだ。勇猛果敢なる者が住まう寮・グリフィンドールのアルフォンス・ウォーロック。お前は死神には成るな。勇者に成れ。そして、お姫様を救い出すんだ。出来るな?」
「……ああ、やってやるぜ。やってやるさ」
「……よし、みんなの所に戻ろう」
「うん。父さん」
「なんだ?」
「ありがとな、昔話を聞かせてくれてさ」

 父さんは俺の背中を軽く叩くと部屋を出て行った。
 
「ジェイク……。アンタの子は俺が必ず救い出す。だから……、見ててくれよな」

 父さんと連合の会議室になっている変身術の教室に向かっていると、俺達は廊下で座りこんでいるソーニャと母さんに出くわした。

「どうした!?」

 父さんが慌てて駆け寄ると、母さんが言った。

「ナインチェに餌をあげに行こうとしたら、あの子、居なかったのよ」
「ナインチェが?」

 ナインチェはユーリィのペットのウサギフクロウだ。白くてフワフワな可愛い奴。

「あの子が帰ってくるまで……、ナインチェの世話をしようと思ったんだけど……居ないの……」

 ソーニャが掠れた声で言った。

「あ、あの子にまで……な、何かあったんじゃ……」

 涙を零しながら肩を震わせるソーニャを俺は見て居られなかった。
 ソーニャは愛する夫を失い、愛する子を攫われた。その上、ナインチェまで姿を晦まし、完全に取り乱している。

「お、落ち着くんだ。ナインチャは家に居る時もよく勝手に餌を探しに飛んで行くじゃないか。きっと、直ぐに戻って来るさ」

 父さんが何とか落ち着かせようと声を掛けても、ソーニャは泣き止まなかった。

「ジェイクが死んじゃった……。ユーリィまで居なくなっちゃった……。もう、私……やだ……こんなの」
「ユーリィは絶対に助ける!!」
 
 見たくない。

「俺がアイツを救い出す。絶対に、アンタを一人になんかさせない!!」

 ソーニャが泣いてるところを見たくない。
 ユーリィだけじゃない。ユーリィの家族が哀しむなんて嫌だ。

「絶対に助ける!! だから!!」
「アルフォンス君……」

 ソーニャは涙で赤く腫れ上がった目を俺に向けた。

「無理はしちゃ駄目だから……ね?」

 俺は打ちのめされた。どうして、こんな時に俺の心配なんかするんだ。
 アンタは子供の心配だけしてればいいんだ。
 夫を思って哀しんでればいいんだ。

「俺も生きて帰る。父さんも生きて帰る。みんなで、またキャンプに行こう」
「……ええ」

 俺の中で何かが大きく変化した。
 何が変わったかって、聞かれると答え難いが、俺はまるで視界が広がったような気分だった。
 今まで、見えなかったものが見えて来た気がする。
 そう、例えば……俺は、どうしてアイツを信じたんだろう。

第七話「殺意」

第七話「殺意」

 ユーリィが攫われてから二日が経過した。何も出来ないまま、時が過ぎていくのを待つのは暗澹たる想いだった。出来る事と言えば、銃の手入れと戦闘訓練のみ。
 今夜、漸く俺達は動き出す。

「ダリウス……」

 ダリウスから貰った拳銃を見つめていると、奴との訓練の日々を思い出す。厳しかったが、その分だけ俺は強くなれた。
 未だに、奴が俺達を裏切ったなんて信じられない。初めから、裏切るつもりで近づいて来たなら、どうして俺にマグルの武器の扱いなんて教えたんだ。マグルの武器の有用性を奴は俺に教え込んだ。殺人のみを目的に生み出されたマグルの爪牙。その爪が、牙が、自分に向けられると知りながら、何故教えたんだ。

「俺をヴォルデモートの側に引き入れるつもりだったのか?」

 それはあり得ない。奴は一度として、俺の前で闇の勢力を賛美した事が無い。引き入れるつもりがあったなら、もっと、アクションがあった筈だ。
 分からない。奴は何を考えて、俺にマグルの爪牙を与えたんだ。何故、俺を強くしたんだ。俺がどんなに強くなっても、自分には敵わないとでも確信していたというのか。

「まあ、いいさ。お前が敵に回るってんなら、殺すだけだ。お前は俺の命より大切なユーリィを攫った。その罰は受けて貰うぜ」

 必要の部屋のダリウスとの特訓場。部屋には様々な武器が置いてある。その中から持って行く武器を吟味する。ここにある武器は全て、必要の部屋が用意した物ではなく、ダリウスが持ち込んだ物だ。
 この部屋を作る時に念じた事は【ダリウスとアルフォンスのみが入れる部屋であり、部屋の状況が保存される部屋】という内容だ。俺はここでダリウスから様々な武器の扱いを学んだ。
 
『魔法使いとの戦いで必要なのはスピードだ。杖を振る暇なんざ与えるな。呪文を唱えられる前に先手を打て』

 俺はベレッタM92FSを手に取った。アメリカ合衆国のマグルの軍隊が正式採用している拳銃だ。複列弾倉で、装弾数は15+1発。口径は9mm。ダブルアクションの機構を備え、精密射撃には向かないものの、連射性に優れている。手入れを怠らない事が条件だが、反動が少なく、信頼を置ける一品だ。
 出会った年のクリスマスに奴がプレゼントしてくれた特殊なガンホルダーに仕舞う。このガンホルダーには三丁までの銃を仕舞う事が出来る上、特殊魔法加工によって、重量は殆ど無い。
 取り出したい時は取り出したい銃を念じればグリップが顔を出す仕組みになっている。ワンテンポ遅れるが、重い装備をジャラジャラ身に着けているよりはずっとマシだ。

「後は、これも必要だな……」

 ドイツのH&K社のMP5。ベレッタと同じく9mmパラベラム弾を使用する。開発は1965年とかなり古いが、今尚人気を誇る理由はクローズドボルト・ローラーロッキングシステムにある。そのシステムにより、MP5登場以前のボルト解放式のSMGとは比べ物にならない命中精度を実現した短機関銃だ。
 当初は費用の高さから評価が低かったのだが、1977年にドイツ赤軍が起こした連続テロ事件【ドイツの秋】の一環であるルフトハンザ航空181便ハイジャック事件を通して一躍人気モデルとなった。犯人を瞬く間に殺害し、人質をほぼ無傷で救出したSAS隊員の活躍はまさにこの銃の性能の高さが故だった。
 装備出来るのは後一丁。俺はグロック19を選んだ。軽量かつ、操作性に優れ、しかも装弾数は15+1発。マニュアルセーフティーを外す手間が掛からない点でいざという時に頼りになる。
 
「これも持って行くか……」

 空間拡張呪文を使った小型バッグに手榴弾と閃光弾を入れる。効果範囲が広いから、仲間が近くに入ると、迂闊に使えないのが欠点だけど、いざという時があるかもしれない。
 軍用ナイフも一本携帯する事にした。南アフリカのカスタムナイフメーカー、クリスリーブ社製の一品。ハンドルからブレードに至るまで、全てがスチール製の為、頑丈さに定評のあるナイフだ。ハンドルは中空になっている為、見た目より軽く、操り易い。
 用意は出来た。そろそろ皆と合流する時間だ。行こう。

 玄関ホールに到着すると、既にメンバーが揃っていた。これから向かうのはリトル・ハングルトン。ユーリィの居場所を探る手掛かりが見つかれば御の字だが、優先すべき目的は別にある。
 
「集まったな」

 二日間、動かなかった理由はただ一つ。

「わしらの負傷も癒えた。ここから反撃を開始するぞ」

 マッドアイを含む闇祓い達の戦線復帰が可能になるのを待っていたのだ。
 ユーリィが攫われた時にリトル・ハングルトンに向かったメンバーは連合の主力メンバーだった。彼らが居ない状況で戦闘になるのを防ぐ為、俺達は二日間待った。
 
「待たせたな」

 父さんが俺の肩に手を置いた。

「ああ、本当に待ち草臥れた。さっさと行こうぜ」
「ああ」

 出発するメンバーは前回、リトル・ハングルトンに向かったメンバーであるマッドアイ、クリス、トンクス、ルーピン、父さんの五人に俺とシリウス、スネイプ、ヘスチア、ディーダラス、マンタンガスを加えた十一人だ。更に別動隊して、ジャスパーもエメリーンと共に動く。
 他の連合のメンバーは半分が魔法省でスクリムジョールの援護に向かい、残りはホグワーツの防衛に専念する。
 三大魔法学校対抗試合が終わった訳では無い為、この学校には今、ボーバトンとダームストラングの生徒が出入りしている。ヴォルデモートがついに動き出したという事は、既に内部に闇の勢力の人間が潜りこんでいる可能性がある。
 警戒を緩めるわけにもいかず、俺達は戦力を分散せざる得なかった。
 ちなみに、ハリー達は留守番だ。その時が来るまではハリーを危険に晒す行為は極力避けるべきという意見に乗っ取り、ハーマイオニーやロン、ネビルはハリーの護衛として付きっ切りになっている。
 みんな、やるべき事を分かっている。だから、俺も俺のやる事に集中する。やるべき事を完遂させていけば、その先に必ずユーリィが待っている。

「では、行くぞ!」

 マッドアイの掛け声と共に俺達はホグワーツの城を出た。
 ホグズミードの村へと向かい、全員で一斉に姿をくらます。俺は父さんと付き添い姿くらましをした。
 そして、俺達はリトル・ハングルトンに足を踏み入れた。
 村は不気味な静けさを漂わせていた。人の気配がしない。マッドアイが近くの家の扉を乱暴に開くと、中は荒らされ放題だった。弄ばれた死体が散らばっている。

「奴らめ、この村の住人を皆殺しにしたのか……」

 これほどの事件だ。マグルの世界でも直ぐに知れ渡ってしまうだろう。
 それでも構わないというわけだ。マグルへの秘匿の原則など無視している。

「魔法界を手中に収めたら、次はマグル支配に乗り出すつもりのようだな」

 マッドアイは家から出ると、リドルの館へと足を向けた。
 少し離れた位置に姿現したのは自分達の存在を相手にアピールする為だ。
 胸がざわつく。命を賭けた戦いはこれまでにも何度も経験して来た。一度は死にかけた。だから、これは緊張や恐怖じゃない。
 俺はガンホルダーからMP5を取り出した。三キロ越えの重量を軽量化の呪文によって反動で銃身が上がらないギリギリまで軽くしている。魔法使いだから出来る反則だ。
 ゆっくりと、辺りを警戒しながら進むと、住宅街を抜けた途端、奴らは現れた。俺達を取り囲むように死喰い人が姿現してくる。取り囲んで一斉に攻撃を開始するつもりなのだろうが、そうはいかない。

――――死ね。

 躊躇いは無かった。撃ったら相手がどうなるか分かった上で俺はトリガーを引いた。
 MP5の優れた点は従来のボルト解放式とは違い、真っ直ぐに弾丸が飛んでいく事だ。フルオートで飛んでいく弾丸は姿現しした死喰い人に襲いかかった。
 9mm口径の弾丸は威力が低く、ロングレンジではあまり役に立たない。だが、この至近距離だ。ボディーアーマーを装着しているわけでも、盾の呪文を展開しているわけでもない隙だらけの魔法使い相手なら効果は覿面だ。
 最初、奴らは何が起きたのか分からないようだった。俺が持っている物が何なのかさえ分かっていなかった。ダリウスは仲間に銃の事を教えていないらしい。
 本当に、奴は何を考えているんだ。

「き、貴様……」

 一瞬、間を置いて、死喰い人達は次々に倒れていく。三十発の弾丸を2秒で撃ち尽くし、倒せたのは四人だ。残りはざっと数えて三十人前後。突然の事態に慄いている今が好機だ。急いでマガジンを取り変える。ダリウスが特に念入りに反復練習するよう命じた動きだ。MP5やグロックのマガジンの入れ替えは瞼を瞑っても出来る。
 ガンホルダーのポケットから飛び出したマガジンを再装填し、再びトリガーを引く。敵が態勢を整える前に殺せるだけ殺す。ユーリィを救う為なら、犯罪者になろうが構わない。邪魔をするなら殺すだけだ。後でアズカバンだろうが、何だろうが入ってやる。

――――死ね。

 撃ちながら、小型バッグに入れた手榴弾を取り出し、敵陣に向かって放り投げた。片手で扱う訓練も十分に積んで来た。
 弾丸を撃ち尽くすと同時に手榴弾が爆発し、死喰い人が何人か死んだ。だが、まだ残っている。奴らも漸く事態が飲み込めたらしく、盾の呪文を展開した。
 一方的な展開はここまでというわけだ。だが、別に盾の呪文が万能な訳じゃない。銃弾や手榴弾の爆風は防げても、奴らの十八番までは防げない。

「アバダ――――」

 死の呪文を唱えようとした瞬間、マッドアイの手が俺の視界を遮った。

「使うな。ソレは消耗が激しい。これは殲滅戦では無いのだぞ」
「そうだ。俺達の目的はあくまで陽動。忘れるな」

 マッドアイと父さんの言葉に舌打ちしながら従った。立っている死喰い人の数は残り十四。まだ、数の上では向こうが有利だ。それに、手榴弾の爆発で致命傷は負ったものの、まだ動いているのが二、三人居る。早々に疲弊している暇は無い。
 MP5をホルダーに戻し、グロックを取り出す。グロックはトリガーを引くだけでセーフティーが解除される。それに、軽くて扱い易い。左手で杖を握りながらでも扱える。

「分かってるさ」

 マッドアイと父さんに適当に返事をしながら俺は生き残りを睨み付けた。どいつもこいつも仮面を被っていて容姿は分からない。もしかしたら、操られているだけの人形も混ざっているかもしれない。
 だが、そんな事はどうでもいい。ユーリィなら、体つきを見れば一目で分かる。それ以外の人間がどんなに死のうが知った事か。
 操られるようなヘマをしたのが悪い。まあ、俺の銃撃に全員がビビッた所を見るに、恐らく全員正気を保った生粋の死喰い人だろうがな。

――――一人残らず殺し尽くしてやる。

 胸のざわつきは歓喜のざわつきだった。
 殺せる。それが純粋に嬉しい。ユーリィの為、ハリーの為、みんなの為。そんな言い訳をするつもりはない。もう、俺はとうの昔に自分の本性を認めている。
 ああ、純粋に人を殺せて嬉しいし、楽しい。銃で死んでいった死喰い人共に対する手応えをもっと味わいたい。
 ここには、たくさん居る。殺していい人間がたくさん居る。
 ユーリィを攫った事への怒りと殺人への愉悦。二つの感情を胸に俺は銃と杖を構えた。

 戦いは長引いた。生き残った死喰い人達は必死に抵抗を始めた為だ。赤や緑の閃光が夜闇を裂き、戦いは激化の一途を辿った。
 俺が更に一人、マッドアイが三人、シリウスとスネイプがそれぞれ二人葬ったが、此方もディーダラスが負傷した。途中でマンタンガスが臆病風に吹かれ、奴らに背を向けて逃げ出そうとした所を追撃され、庇った為だ。
 残る死喰い人が六人になった所で隼の守護霊が現れた。

『なんとか見つけたわ』
「よし、撤退する!」

 マッドアイの掛け声と同時に父さんが俺の手を掴んで姿晦ました。

 次に視界が戻った時には俺はホグズミード村に戻って来ていた。
 直後、俺の周りに次々に仲間達が姿現した。人数が一人増えている。
 マッドアイが死喰い人を一人連れて来ていた。ローブから血が流れている。俺が最初に投げた手榴弾で重傷を負った奴の一人だ。マッドアイが仮面を剥ぐと、驚いた事に、そいつは知っている顔だった。

「最高だな」

 シリウスが喜悦を滲ませた声で言った。
 仮面を剥がされ、グッタリしているのはワームテールだった。

「会いたかったぞ、ピーター。まるで、待ちわびた恋人と再会したかのような気分だ」
「後にしろ。まずはハリーの中の分霊箱の摘出が先だ」

 マッドアイの言葉にシリウスは一瞬表情を歪めたが、ハリーの事を思いだして思い留まった。
 
「そうだな。まずは、じっくり役に立ってもらおうじゃないか。生まれて来た事を後悔させるのは後回しだ」
「では、我輩は準備に取り掛かるとしよう」

 必要な物は揃った。スネイプが去った後、俺達もホグワーツの城に戻った。
 戻る最中、シリウスはワームテールをどう甚振るかで悩み、トンクスやクリスに相談を持ち掛け困らせていた。
 
「アル」

 そんな三人に苦笑していると、父さんが肩を叩いた。

「ん?」
「後で話がある」

 さっきの戦いを褒めようとしてくれている感じじゃない。

「今言えばいいじゃんか」
「いや、しばらく親子の会話をしていなかったからな。少し、落ち着いた場所で話がしたい」
「……んなの、別に今じゃなくても」
「ジェイクが死んだ」

 父さんは低く言った。

「俺もいつ死ぬか分からん。今の内に話をしておきたい」
「……ずりぃぜ。ジェイクの話を持ち出すなんざよ……」
「お前にはユーリィ関連の話題が効果覿面だからな」

第六話「ヴォルデモート卿」

第六話「ヴォルデモート卿」

 まるで、劇場で映画を観ているようだった。自分が物語の登場人物として参加しているような錯覚すら覚えてしまうほどの臨場感溢れる映像とサウンド。
 映画は少女の生まれた日から始まり、自分の意思で飛び降り自殺をした終わりまでの彼女の人生を事細かく描いている。
 序破急で例えるなら、穏やかで、両親の愛に包まれ、友人達に囲まれて過ごす幸福の幼少時代が【序】。
 友人と同じ相手に恋をしてしまい、世界の全てが敵に回ってしまった苦痛の少女時代が【破】。
 恋人の死によって、精神を病み、復讐と殺人の快楽に酔いしれた殺人鬼時代が【急】。
 あまりにも哀しく、あまりにも恐ろしく、あまりにも醜悪な記憶の追走を終えると、【私】はふかふかのベッドに横になっていた。天蓋付きの豪華なベッド。服は肌触りの良い寝巻きに着替えさせられていた。部屋の中には私以外に人の姿は無い。窓にはしっかりと鉄格子が嵌められ、扉にも頑丈の鍵が備え付けられているから逃げる事は出来そうにないけど、少しは自由に動けそう。
 ベッドから抜け出して、部屋の中を探索する事にした。部屋の中にはクローゼットとチェストが一つ。それに丸い形のテーブルと椅子が置いてあるだけだ。
 クローゼットの中には女物の服が並んでいた。チェストの中は特に何も無い。とりあえず、着替える事にした。寝巻きを脱ぐと、下着がしっかりと着せられていた。クローゼットの姿見に映る自分の姿に呆然とした。
 軽く波打つ黒髪は整えられて、腰まで伸びている。黒い瞳は大きく見開かれ、潤んだ唇が僅かに開いている。なんだか、違和感を感じる。十五年も男として生きて来たからなのか、女である自分が酷く奇妙に感じる。
 乳房に軽く触れると、痺れるような痛みを感じた。この痛みは生前に胸が膨らみ始めた頃、感じたものに似ている気がする。第二次性徴の時に出来たしこりを触った時、こんな風に痛みを感じた。
 きっと、この体は出来たてなんだ。本来は長いプロセスを経て生み出され、成長する筈の人体が急速で作られた事で様々な変化が肌の内側で起きているに違いない。
 クローゼットから比較的身に着けやすい服を取って、着替えた。上から被るだけで着られるワンピース。
 着替えた後、椅子に座り、物思いに耽っていると、コンコンと扉をノックする音が響いた。鍵が開錠され、扉が開く。入って来たのは小さな女の子だった。虚ろな表情で女の子は俺の傍にやって来た。

「目が覚めたのですね? お加減は如何ですか?」

 酷く棒読みな口調で少女は問い掛けた。十中八九、服従の呪文に掛けられているのだろう。

「あなたは?」
「私はジゼル・マクレーン。貴女様のお世話を申し付けられました」
「誰に命じられたの?」
「ヴォルデモート卿です。貴女様が御目覚めになりましたら、お連れするよう命じられております」
「……分かった」

 ジゼルは私を連れて部屋を出た。彼女がどういう子で、どうしてここに居るのかは分からない。ただ、彼女の過ごす筈だった幸福な未来は永久に訪れないだろう事だけは分かる。
 可哀想だし、何とかしたい。だけど、私に出来る事なんて何も無い。杖も無く、運動能力も低い女の身で操られた状態の彼女を連れて逃げる事なんて出来る筈が無い。
 せめて、彼女がヴォルデモートの反感を買わないように素直に従おう。
 しばらく歩いていると、不意にジゼルが足を止めた。ジゼルが扉をノックすると、中から彼の声が響いた。ヴォルデモートの声だ。

「入れ」

 ジゼルがゆっくりと扉を開き、中に入ると、私も後に続いた。部屋にはヴォルデモート一人だった。他に死喰い人の姿は見当たらない。

「貴様は外に出ていろ」
「かしこまりました」

 ヴォルデモートの命令を受けてジゼルが部屋を出ると、私はヴォルデモートと一対一になった。ヴォルデモートは本を読んでいたらしく、栞を挟むとローブの内側に仕舞った。

「座れ」

 ヴォルデモートの命令に私は素直に従った。椅子に腰掛けると、ヴォルデモートはゆっくりと俺に視線を向け、やがてゆっくりと口を開いた。

「一週間が経過した」
「……え?」

 突然の言葉に私は首を傾げた。

「貴様が眠っている間に過ぎた時間の事だ」
「一週間……」

 私の意識が途切れたのは元の体から剥がれた直後だった。
 夢というのは時間の感覚を狂わせる。例えば、通常の夢は起きる寸前の二十分の間に見ると言われている。しかし、夢の中ではその何倍もの時間を過ごしている気がする事がある。その現実の時間とは違う夢の中で認識している時間を主観時間と言う
 私の見た記憶の夢は決して短くなかった。一週間という時間は眠っていた時間としては長いようで、夢を見ていた時間としては短いようでもある。

「昏睡状態のまま、目を醒まさぬ貴様をどうするか考えていたところであったが、杞憂だったらしい」
「……私に何をさせたいんですか?」

 舌を噛み切るのは怖い。だけど、私の存在が連合にとって不利になるなら迷わない。そうじゃないなら、せめて死ぬ寸前までにヴォルデモートの側に被害を与えてから死ぬ。
 償いにもならないけど、少しでも自分の命を連合の為に使い捨てたい。まずはヴォルデモートから情報を引き出さないといけない。

「少し待っていろ」

 ヴォルデモートは指をパチンと鳴らした。すると、ジゼルが中の入って来た。湯気が漂う紅茶を運んで来た。
 ジゼルが紅茶を私とヴォルデモートの前に置くと、彼は私に飲むように勧めた。
 毒が入っているのかもしれない。でも、それならそれで構わない。意味無く死ぬなら、せめて精一杯苦しんで死にたい。
 一口飲んだ瞬間、私は自分の肉体の支配権を失った。

「真実薬だ。さて、では質問をさせてもらおうかな」

 なんて、愚かなんだろう。せめて、自分の死を連合の為に使いたいなんて欲を掻いたが為に私は連合を不利にしてしまう。
 予言によれば、私はヴォルデモートの勝利を決定付ける情報を握っているらしい。恐らく、ハリーの事。明かしてはならない秘密。
 真実薬の効能に逆らおうと、必死に舌を噛み切ろうと神経を通じて指令を送るが、肉体はまったく言う事を聞いてくれない。
 嘗て、ジャスパーが自分の世界と称した【暗闇の世界】に私は居た。闇の中、ヴォルデモートの声だけが響く。何も出来ない無力感に苛まされながら、私は勝手に秘密を明かす私自身の声を聞いていた。

『まずは、貴様自身の事を聞くとしよう』
『はい』
『貴様の名前はなんだ?』
『ユーリィ・クリアウォーター』
『そうではない。貴様の生前の名前だ』
『…………?』
『生前の名前を言えと言っている』
『……冴島誠?』

 奇妙な質問が続いた。好きな色は藍色。好きな動物は犬。好きな食べ物はチョコレート。
 ハリーの事を聞くわけでもなく、生前の私についての質問を続けるヴォルデモートの意図が分からない。

『生前の好きだった景色は何だ?』
『学校の屋上から見た街の景色』
『では、生前、愛していた男の名前はなんだ?』
『小早川春』
『では、貴様が愛している男の名前はなんだ?』
『アルフォンス・ウォーロック』

 何を聞いているんだろう。自分の恋愛遍歴を聞かれて、私は耳まで赤くなった――――心の中で。

『なるほど、大体分かった』

 何が分かったんだろう。結局、ハリーの事には一切触れなかった。
 ヴォルデモートが指をパチンと鳴らすと、私は肉体の支配権を取り戻した。
 困惑する私にヴォルデモートは言った。

「このヴォルデモート卿が……面白いではないか」

 何が面白いんだろう。生前の私の好き嫌いを聞くだけ聞いてヴォルデモートは満足してしまったらしい。

「えっと……、聞かないんですか?」
「何をだ?」
「その……、いろいろ」

 言ってしまってから、しまった、と思った。わざわざ、自分から蒸し返すなんて、あまりにも愚かな行いだ。
 恐る恐るヴォルデモートを見ると、彼は笑っていた。

「俺様にとって、今のはただの確認作業だ。まあ、色々と合点がいった。だから、安心しろ。俺様が貴様を殺す事は無い」
「……えっと?」

 意味が分からない。今の好き嫌いに関しての質疑応答で何の合点がいったんだろう。それに、私を殺すつもりが無いって、どういう事だろう。

「むしろ、貴様を守ってやろう。貴様の死は俺様にとっても都合が悪いからな」
「あの……、意味が分からないのですが……。私を殺さないって、どうしてですか? もし、真実薬で情報が引き出せていないというなら、拷問なりなんなりすればいいじゃないですか」

 どうして、私を殺してくれないんだろう。苦しませてくれないんだろう。パパを殺したみたいに私を殺せばいいのに、守るだなんて、一体、何を考えているの?

「真実薬は俺様に全てを明かしてくれたぞ。それに、言ったであろう。貴様の死は俺様にとっても都合が悪いとな。現状、予言は全て実現している」
「全てって、どういう事ですか?」
「【希望を覆い尽くす絶望の足音が聞こえる。穢れた魂は八つ目の月が生まれる時、帝王に抗う純血の下に生まれるであろう。その者は希望を絶望へ変えるであろう。その者が在る限り未来は無い。その者を封じなければ、死が世界を覆うだろう。しかし、その者の死は新たなる絶望の呼び水となるであろう。その者の異界知識を帝王が手に入れた時、天秤は傾き、帝王の望む世界が不破なるものとなるであろう。されど、その世界に勝者は無く、敗者は一人……嘆きの丘で朽ち果てるであろう】」

 ヴォルデモートは私に関する予言を口にした。彼は既に予言の内容を知っていた。

「我々と連合との戦局。構図を客観的視点から俯瞰すれば、予言の意味が見えて来る。この一週間で、我々も連合も多数の死者が出た」

 息が止まった。

「し、死者ってどういう事ですか!?」
「そのままの意味だ。五日前、リトル・ハングルトンで我々と連合は真正面からぶつかり合った。その戦いで多くの死者が出た。その後、スクリムジョールの大臣就任を皮切りに魔法省全体が我々の討伐に乗り出し、数度ぶつかり合った。吸魂鬼、巨人、吸血鬼……、我々の側の戦力は揃っていたが、泥沼化している。この構図はまさに【死が世界を覆う】という予言に合致する」

 あまりの衝撃に眩暈がした。私が眠っている間に事態は最悪な方に転がっていた。
 
「アルは……、アルは無事なんですか!?」
「アルフォンス・ウォーロックか? 奴が死んでいれば、我々の被害はもう少し少なかっただろうな」

 ヴォルデモートは鼻を鳴らし言った。

「奴は我々にとって脅威となっている。……その在り方が我々と同一でありながら、敵対している事がその最たる要因であろうな」

 アルが生きている。深い安堵と共に、彼が死喰い人と戦っているという現実に恐怖を感じた。
 死喰い人との戦いとは死に直結している。いつ死んでもおかしくない状況に彼が置かれている。そのあまりの恐怖に体が震えた。

「俺様の配下は浮き足立ち始めておる。このまま、停滞すれば我々に未来は無い。いずれ、全面対決を仕掛ける事になるだろう」

 そう言う彼の口調には焦りを感じなかった。むしろ、何だか余裕があるように聞こえる。

「怖くないんですか?」
「何がだ?」
「だって、聞いてると、貴方達は不利な状況にあるんですよね?」
「確かに、勝利の天秤は連合に傾いている。だが、このヴォルデモート卿を侮る事は許さんぞ。元より、俺様の配下は十五年前からのメンバーを除けば有象無象の寄せ集めに過ぎん。服従の呪文で操っているだけの人形も多い。幾ら消費しようが問題は無い。我々の勝利条件はダンブルドアとスクリムジョール、ハリー・ポッターの殺害だ。この三人は現在、連合にとっての希望となっている。厄介なのはダンブルドアのみだ。残る二人を殺す算段はついている。現状の停滞状態を崩せば、勝利は俺様の手の上だ」

 そう言って、彼は紅茶を口に含んだ。

「……貴方は」
「ん?」
「貴方は、そんなに犠牲を払ってまで、何がしたいんですか?」
 
 気がつくと、私はそんな言葉を口にしていた。

「貴方が純血主義者で、マグルを憎んでいるのは知っています。でも、分からない。多くの犠牲を払って、勝利したとして、貴方は何を得られるんですか?」
「勝者の栄光と確固たる地位が得られるだろう」
「それは、魔法省の大臣になるという事ですか?」
「いいや、大臣には適当な者を据える。そして、俺様は魔法界を裏から操るのだ」
「操って、どうするんですか?」
「……随分と踏み込んでくるのだな」

 ヴォルデモートは私を一瞥すると、杖を取り出した。

「俺様の機嫌を損ねれば、貴様は冷たい骸となるのだぞ? それか、汚らわしい者達の慰み者にしてやってもいい。それを分かっているのか?」
「……死を与えてくれるなら、私は拒絶しません。苦しめてくれるなら、出来るだけ辛い思いをさせて欲しい。私は罪を犯したから、貴方が罰してくれるというなら、甘んじて受けるつもりです」
「俺様が憎いのではないのか? 貴様の父を殺した俺様を憎んでいるのではないのか?」
「憎む資格なんか、私にはありません」

 そう、パパの死を悼む資格すらない。私は多くの人をこの手で殺めてしまった。小さな子も、老人も、善人も悪人も関係無く殺した。
 確固たる信念も無く、ただ、自分の快楽の為に人を殺した。目の前の闇の帝王と比べても私はずっと罪深い。少なくとも、彼には信念がある。理解は出来ないけど、彼は彼の倫理に従って行動している。
 だからこそ、彼には仲間が居る。彼の信念に心酔し、彼に力を貸す者達が居る。恐怖だけで、人を動かす事なんて出来ない。彼には確かに一定の人を惹き付けるカリスマがある。

「私は憎まれる側の人間なんです。だけど、私を心から憎んでくれる人はこの世界に誰も居ない。だから、せめて、苦しんで死にたいんです。誰もが目を背けたがるような死を迎えたい。心も体も粉々に砕いてもらいたい。貴方なら出来るでしょう? だから、私は貴方の反感を買いたい。だから、貴方の心に踏み込む事に躊躇いはありません」
「……俺様は言った筈だ。貴様を殺す事は俺様にとっても喜ばしくない結果を呼び込む事になる。それに、俺様が貴様如き小娘の願いをわざわざ叶えてやる義理も無い」

 ヴォルデモートは指を鳴らし、ジゼルに新しい紅茶を運ばせた。

「いいだろう」

 彼は言った。

「思考実験というわけだな。付き合ってやろうではないか」
「え?」
「魔法省を操り、何をするか……か。いつの間にか、手段が目的と摩り替わっていたな。魔法省を操り、俺様はまずマグル生まれから杖を剥奪する。魔法を使うのは純血の魔法使いのみで良い」

 ヴォルデモートは紅茶を含みながら言った。

「剥奪した後は? 今の魔法省だって、マグル生まれが重要なポストに付いている筈ですよ? 彼らが居なくなったら、魔法省の機能は落ちてしまうのでは? 魔法省だけじゃありません。本はどうするんですか? 筆者は純血だけじゃありませんよ? レストランや雑貨を売るお店は?」
「確かに考えるべき課題ではある。現在、純血の魔法使いの総数は限られている。ある程度の妥協も必要だな。ある程度は奴隷として杖の所有を許すとするか……」
「どうやってですか? 奴隷にするにしても、服従の呪文を掛けたり、弱みを握ったりするなら、それなりに人手が必要ですよね? 純血の魔法使いを使うつもりなんですか?」

 ヴォルデモートは沈黙した。まさか、考えていなかった、なんて事は無い筈だけど、私は更に質問を重ねた。

「それに、魔法界はイギリス以外にもあるんですよね? 勿論、イギリスと交友のある国もある筈ですよね? 彼らが乗っ取られた魔法省を奪還しようと動く可能性は無いんですか? それに、奴隷にされたり、杖を取り上げられた魔法使い達はどうなるんですか? 放置するだけなら、いつか、反旗を翻される可能性があるんじゃないですか? 杖が無くても、方法はありますよね?」
「……憂慮するべき点ではあるな」

 ヴォルデモートは言った。

「最初は大まかな計画しかなかった。純血の魔法使いだけが魔法を操る資格がある。俺様は偉大なる魔法使い、サラザール・スリザリンの提唱する世界の実現を願い、行動した。初めは手駒を操る事に執心し、俺様の力を世に知らしめた。そして、魔法省を乗っ取る計画を立てた。俺様にとって、世の魔法使い共が俺様に傅き、マグル共を純血の魔法使いが奴隷として酷使する世界の実現こそが最終目的であった。だが、力だけでは為せぬ事もある……な」
「今、貴方は仲間を犠牲にしています。でも、彼らは貴方の望む未来に必要不可欠な人達の筈です。捨て駒にして、彼らが居なくなれば、貴方の未来は叶わなくなる」

 分かった。
 私は話しながら気付いた。

「貴方は……誰かに相談した事が無いんですね?」
 
 彼はあまりにも孤独過ぎた。だから、誰かが客観的に彼の計画を聞けば直ぐに指摘されただろう事に気付かないままだったんだ。

「貴方は天才で、一人で何でも出来た。だけど、貴方の願う世界は貴方一人じゃ実現出来ない。誰もそれを貴方に教えてくれなかったんですね……。一人で出来ない事もあるんだって事を……。仲間は簡単に切り捨てていいものじゃないって事を……」

 子供でも分かる事。だけど、彼は子供の頃から一人で何でも出来た。自分以外の人間を敵と駒に分け、駒は手駒として使い捨て続けた。
 彼にとって、手駒に向ける信頼は己の思うままに操れるか否かに限られているに違いない。彼の願うままに動く忠実な人形には信頼を与え、動かぬ者は役立たずと切り捨てる。
 
「……切り捨てた分だけ、俺様の願いは遠ざかるという事か」
「貴方は……可哀想な人ですね」

 つい、そう口走っていた。

「なんだと……?」

 ヴォルデモートは初めて、私に対して怒りの感情の篭った視線を向けた。
 構わない。殺されるなら望むところだし、拷問して苦しめてくれるな幸いだ。

「貴方は見せ掛けだけの友人じゃなくて、誰か一人でも心の底から信頼出来る友達を作るべきだった。それだけで、きっと、頭の良い貴方なら、こんな手段じゃなく、もっと違う方法を取れた筈です。だって、貴方の計画はあまりにも穴だらけだもの。願いを叶えるために、貴方は力の強さを求めてしまった。貴方の願いに必要なのは力の強さじゃなかった筈です。純血が尊ばれる世界を望むなら、同じ志を持つ仲間を集め、人々の考え方を変える別の手段を模索するべきだった。今の貴方は生前の私と変わらない」

 そうだ。生前の私も同じ間違いを犯していた。

「結局、私は誰も信頼していなかった。だから、親にも、恋人だった春君に何も相談しなかった。真紀の言葉の裏を探る事もしなかった。きっと、相談しただけで、私の人生は変わっていた。貴方の人生も同じです。誰かに自分の願いについて相談していれば、きっと今とは違った世界が広がっていた筈。仲間に囲まれながら、自分の願いの為にもっと違う戦いに身を投じていた筈。今の孤独な貴方より、きっと、その方が実現する可能性が高かった筈」
「……妄想を垂れ流すのはその辺にしておけ」

 ヴォルデモートは静かに言った。

「今からでも、仲間をただの駒として扱わないで、ちゃんと接すれば、きっと……」
「黙れ」
「貴方の力だけに惹かれた人ばかりじゃない筈です。貴方の願いや、貴方の人柄を愛してくれる人も仲間の中にいる筈です。その愛に向き合うべきです」
「黙れと言っている」
「仲間と対等に向き合えば、きっと!」
「黙れと言ったのが聞こえんのか!!」

 ヴォルデモートの怒りに満ちた怒声に私は椅子から転げ落ちてしまった。
 ヴォルデモートは立ち上がると、私に杖を向けた。
 今にも殺されるかもしれないというのに、私の心を満たすのは恐怖ではなく、哀しみだった。
 彼は愛を知らない。両親の愛も、友達との友情も何も知らない。

「誰かが、貴方を愛してあげていれば、きっと、貴方はこんな風にはならなかったのに……」

 涙が溢れた。あまりにも哀しい人だ。
 誰からも愛されず、皆から恐怖されるだけの人生。

「死を恐れ、泣いているのか?」

 ヴォルデモートは嘲笑した。 
 私は首を振った。

「殺すなら、殺して下さい。怒りを感じているなら、私にぶつけて下さい。私はただ、貴方が可哀想で泣いているんです」
「俺様が可哀想などとよくも!」
 
 私の体は吹き飛ばされた。壁に叩きつけられて、咳き込むと、喉の置くから血の塊が出て来た。内臓を痛めてしまったらしい。

「貴様は殺さん。だが、あまり戯言をほざくでないぞ」

 怒りに満ちた彼はまるで駄々を捏ねる子供のようだった。
 とても哀しく、とても辛そう……。

「ああ、良い事を思いついた」

 ヴォルデモートは唇の端を吊り上げて言った。

「貴様の目の前でアルフォンス・ウォーロックを殺してやろう。無残な死を迎えさせてやろうではないか」

 その瞬間、私の中での彼に対する哀れみの感情は消え去った。
 目を見開き、怒りを向ける私に彼は嗤った。

「そうだ。その表情だ。俺様に哀れみを向ける事は許されん。貴様には最大級の絶望をくれてやろう。待っているが良いぞ」

 ヴォルデモートはそう言って杖を振るった。
 意識が奪われる。アルの顔が浮かんだ。
 そして、目覚めた時、私は知らない場所に居た。

第五話「人間賛歌」

第五話「人間賛歌」

 突然現れた男は自分をシリウスと名乗り、教室の中に入って来た。
 シリウス・ブラック。僕は彼を知っている。ユーリィから彼の事を聞いていた。僕の父さんの親友で、ワームテールの罠によってアズカバンに送られた人。
 シリウスは僕の前で。はたと立ち止まった。
 
「やあ、君がハリーだな。一目で分かった。お父さんにそっくりだ。けど、瞳の方は――――」
「ママにそっくり?」

 聞き飽きるくらい聞いてきたお決まりのフレーズに僕は溜息混じりに返した。すると、シリウスはニィと笑みを浮かべた。

「君にずっと会いたかった。スクリムジョールの奴が色々と教えてくれた中で、私の一番の関心事は君だった」

 シリウスは僅かに膝を曲げて僕に視線を合わせてくれた。

「既に聞いているだろうが、私は君の名付け親なんだ」
「聞いてます」

 僕の言葉にシリウスはゴクリと唾を呑み込んだ。緊張した面持ち。
 瞳は左右に揺れ、何か、言葉を口にする事を躊躇っているように感じる。

「シリウスさん?」
「その……、いきなりで驚くと思うし、こんな状況で何を言い出すのかと不謹慎に思うかもしれんが、聞いて欲しい事があるんだ」

 シリウスは覚悟を決めた表情を浮かべた。もしかして、と僕はユーリィの話を思い出した。
彼が何を言おうとしているのか分かった気がする。心臓が高鳴った。初対面の筈なのに、僕はずっとこの人を待っていた気がする。ユーリィに話を聞いた日からずっと夢見ていた瞬間が訪れるのを感じる。
 シリウスの言葉の続きを待った。彼が僕の期待通りの言葉を口にしてくれる事を祈りながら彼を真っ直ぐに見つめ続ける。

「実は、君の両親は私を君の後見人にしたんだ。もし、自分達の身に何か起きたらと……。そんな事、あってはならないと思っていたが……しかし、その……何が言いたいかというとな」

 シリウスは必死に言葉を探している様子だった。

「スクリムジョールから君の今の、その、家族についても聞いたんだ。その、こういう言い方は良くないかもしれんが……、あまり、うまくいってないと聞いたんだ。それでその……、もし、もしもだ。き、君が他の家族をその……欲しているなら」

 【その】を多用しながら歯切れ悪く話すシリウスにいい加減焦れったくなり、僕は右手を彼に差し出した。

「僕、とっくに決めてました」
「ハリー?」
「僕はあなたと暮らしたい。僕、ずっと待ってたんです。あなたの話を聞いてからずっと」

 シリウスは大きく目を見開き、穴が開くほど僕を見つめた。

「ほ、本当かい? そ、そうしたいのかい? 私の境遇に同情など要らんのだぞ? こ、心からそうしたいと望むのかい?」
「僕は本気です」

 僕の言葉にシリウスの表情はぱっと明るくなった。第一印象でハンサムな人だと思ったけど、笑顔になると余計に魅力的になる。僕がずっと心待ちにしていた人が目の前に居る。
 ハグリッドがホグワーツに連れて来てくれた日を思い出す。
 ユーリィが自宅に招待する為にダーズリー邸に迎えに来てくれた日を思い出す。
 僕の家族になってくれる人。叔父さんや叔母さんとは違う。本当の愛情を注いでくれる家族を得られる。そう思うと、我慢が出来ない。

「僕はあなたをずっと待っていた。会いたかった」
「……本当に? わ、私を待っていてくれたのかい? こ、こんな私を……。君の両親を助けられなかった私を……、君は……」
「あなたの家族になる日を夢見てたんです」

 シリウスの瞳から涙が零れた。

「ハリーが私を待っていた。ジェームズとリリーの息子が私を待っていてくれた!」

 歓喜の笑顔で周りで遠巻きに見ていた連合のメンバーやアル達に自慢するようにシリウスは叫んだ。

「私を待っていてくれる人が居た! あの二人の息子がだ! 家族になってくれる! あの地獄から解放されただけじゃなく、こんな嬉しい事が待っているとは!」

 シリウスは子供のようにはしゃぎ回っている。僕と家族になれる事が嬉しくて堪らないみたいだ。僕の事を心から愛してくれている。
 心が暖かいもので満ちていく感じがする。
 
「少し落ち着かんか、馬鹿者が」

 今にも踊り出しそうな雰囲気のシリウスを諌めたのはスネイプだった。

「場を弁えろ」

 問題児を指導するみたいにスネイプは言った。すると、シリウスは眉間に皺を寄せてスネイプを睨み付けた。

「本当に教師をやってるんだな、スニベルス」
「その呼び方は止めろ」
「ッハ、お前が教師とは笑い種だな。どうせ、根暗なお前の事だから、生徒に嫌われてんだろ」
「黙らんか!」

 一気に険悪な雰囲気になってしまった。ユーリィの話では、スネイプは父さんやシリウスと仲が良くなかったらしい。原因は詳しく教えてくれなかったけど、スネイプはスリザリンで、父さん達はグリフィンドールだ。仲が悪い要因は幾らでもあるだろう。
 だけど、二人には仲良くして欲しい。一年生の頃は僕も先生を陰険で嫌な人だと思ってたけど、二年生の時、日記のヴォルデモートに挑む先生を見て、僕は認識を改めた。
僕だけじゃない。学校中の生徒や先生が彼を見直した。生徒のために命を張って戦った彼は今や生きる伝説といっても良い。
 それに、ユーリィが話してくれた中にはスネイプが俺を守ろうと陰ながら奮闘したというものがあった。みんなには内緒でユーリィが僕だけに教えてくれた事だけど、彼は母さんを愛していたらしい。母さんの死後も母さんを愛し続けた。
 僕はよく、父さんに似ていると言われる。スネイプにとって、父さんは不倶戴天の敵だった。それでも、彼は僕を守ってくれたそうだ。
 例え、過去にどのような因縁があろうと、彼らは二人共僕を守ろうとしてくれている。そんな二人に争い合って欲しくない。

「大体、お前は昔から――――」
「シリウスさん」

 シリウスの罵詈雑言を遮るように僕は声を掛けた。
 シリウスは慌ててスネイプに向けていた意地悪な表情を穏やかな笑みに変えた。

「スネイプ先生は凄く立派な先生だよ」
「……え?」

 呆気に取られている。言われた当人であるスネイプまでがポカンとした表情を浮かべている。まるで、巨大なハンマーでぶん殴られたみたいな衝撃的な表情で……。
 シリウスにとって、スネイプが立派な先生と呼ばれる事が信じられないらしい。それも、言ったのが僕なら尚更だろう。スネイプも同様だ。
 
「き、貴様、いきなり何を!?」
「ハ、ハリー! いや、しかしだね。こいつは実に嫌味な性格で――――」
「今は不死鳥の連合のメンバーなんだ。僕らは仲間なんだ。シリウスさんとスネイプ先生も例外なんかじゃない。昔、何があったか僕は知らない。でも、あなたは今のスネイプ先生を知らない。今の先生を見て欲しい。僕らは結束しなければならないんだ。ヴォルデモートを倒し、友達を救う為に」

 シリウスはスネイプを一瞥すると、唇を噛み締めた。凄く嫌そうな顔をしている。
 スネイプもシリウスに対して実に渋い表情を浮かべている。両者は互いに睨み合いながらも、どこか距離を測ろうとしているみたいな様子。

「……そうだな。例え、どんな奴であれ、連合のメンバーであるなら、少しは譲歩してやらないとな」

 顔を引き攣らせながら右手を差し出すシリウスにスネイプはハンと鼻を鳴らすと見下すような視線を向けた。

「ポッターのご機嫌取りの為ならプライドすら捨てるか。確か、お前は犬になるのだったな? 大した忠犬ぶりだな、ブラック」
「お、お前……、俺が歩み寄ってやってるってのに調子こいてんじゃねぇぞコラ」
「歩み寄る? やれやれ、貴様はもう少し人語をキチンと学ぶべきだな。歩み寄るという言葉の意味を学ぶためにもう一度ホグワーツに通いなおすかね?」
「ぶっ殺すぞ、テメェ!」
「出来もしない事をよく吼える男だ。犬だからか? まったく、キャンキャンと喧しい」
「テメェ……」

 歩み寄ろうとしたシリウスにスネイプは咄嗟に皮肉を返した。あの反応を僕は知っている。ほぼ、条件反射なんだ。二人の関係は本当に僕らとマルフォイの関係に似ている。
 そう、とても良く似ている。客観的に見ると、何とも子供っぽいやり取りだ。ユーリィはこういう風に僕らを見ていたのだろうか? ユーリィはいつも僕らに仲良くして欲しいと願った。今、僕がシリウスとスネイプに対して思っているように。
 僕は彼らが仲良くなれる筈だと思う。もしかして、同じように僕らとマルフォイも仲良くなれたのかもしれない。だけど、僕らは素直になれなかった。過去の因縁が彼との距離を縮める事を良しとしなかった。その結果、終に僕らは彼と仲良くなる機会を永遠に失った。
 ジャスパーの話では、マルフォイはユーリィの為に自らの腕を犠牲にした。その結果、ユーリィは攫われ、マルフォイ自身は死んでしまった。だけど、彼の行いは間違いなく情に溢れる善の行いだった筈。
 不意に訪れた深い後悔の念に後押しされるように僕は二人の言い争いに口を挟んだ。

「シリウス。それに、スネイプ先生。過去の因縁に囚われて、二人が争うなんて間違ってます」

 二人はギョッとした表情で僕を見た。

「ハリー?」

 ハーマイオニーが心配そうに僕の目元にハンカチを押し当てた。
 僕はいつの間にか涙を流していた。

「僕は……後悔してる」

 声が震えた。だけど、言うべきだ。

「ドラコ・マルフォイという子が居たんだ。僕は彼が嫌いだった」

 初めてあった日を覚えている。マダム・マルキンの洋裁装店だ。僕は彼と一緒に制服の採寸を行った。最初、僕は彼をダドリーみたいだと思って苦手意識を持った。

「いつも、顔を合わせれば喧嘩ばっかりだった」

 ホグワーツで再会した時、彼はロンを馬鹿にした。それが許せなくて、僕は彼の友好の手を払い除けた。

「いつもいつも、僕は彼の悪口を言った。彼も僕の悪口を言った」

 思い出すのは喧嘩ばかり。僕は彼の何を知っていたのだろう。

「彼が悪意に満ちただけの人間じゃない事を共通の友達に教えられた。でも、僕は素直になれなかった」

 どうして、僕は今になって彼がユーリィの為にドラゴンの炎に飛び込んだ光景を思い出しているんだろう。あまりにも遅過ぎる。

「彼は死んでしまった。僕らの共通の友達を救おうと、勇気ある行動をして、殺された。あのヴォルデモートに!」

 悲しみと怒り。彼の死にこれほど心を震わされるなんて思わなかった。思うべきだった。もっと、早く、彼が生きている内に思うべきだった。

「マルフォイは……ドラコは勇敢だった。勇気ある者が集う寮・グリフィンドールの生徒として、今、僕は彼を尊敬している。ホグワーツの生徒として、僕は彼を誇りに思う。だけど、そう思うのが遅過ぎた! 彼と仲良くなりたいと思っても、もう遅過ぎる。僕は後悔しているんだ。二人はまだ、間に合うんだ。過去を忘れるのは容易い事じゃないのは知ってる。でも、今を見て!」

 息を切らしながら叫ぶ僕を彼らは呆気に取られた表情で見つめていた。
 やがて、スネイプは拳を強く握り締めた。

「ああ、ドラコは誇り高き男だったな」

 スネイプはシリウスに向き治った。

「その男が守ろうとした者が帝王の下に捕縛されておる。スリザリンの寮監として、そして、一人の教師として、私は彼の願いを叶える義務がある。その為ならば、貴様との因縁も忘れよう。過去の屈辱も怒りも絶望も全て捨てよう」
「……ったく、俺はガキのまんまだ。息子のハリーの方が余程大人だ。俺は今のお前さんを全く見ていなかった。スネイプ。俺は今、お前さんを尊敬している。教え子の為に過去を捨てると言ったお前に敬意を持つぜ」
「子供達が勇気を示した。先を生き、道を示す者として、我々も勇気を持たなければならんな」
「子供に教えられるばっかじゃ、格好悪くてジェームズ達に顔向け出来ないぜ。よろしく頼むぜ、スネイプ。俺の背中はお前さんに任せる」

 シリウスは右手をスネイプに差し出した。
 スネイプは迷う事無く、彼の手を取り微かに唇の端を持ち上げた。

「……せいぜい、足を引っ張らぬ事だな。背を預ける相手が足手纏いでは困る」
「ッハ、俺の実力は知ってるだろ?」
「十五年も監獄に居た癖に全盛期のように力を発揮出来るのか?」
「当たり前だ。俺を誰だと思っている」
「まあ、精々必死になって息子を守る事だな。子守は私などより適役だろう」
「……任せな。お前の尽力については聞いている。礼を言っておく」
「貴様からの礼など要らぬ」
「だろうな。だが、言っておきたかった。聞き流してくれて構わねぇよ」
「ああ、聞き流すとしよう」

 二人は互いに背を向けて遠ざかった。
 だけど、その背には互いへの信頼感が浮かんでいる。僕らのような過ちを二人は犯さなかった。それが嬉しいと同時に悔しい。
 マルフォイを思う。彼の誇りと勇気を胸に抱く。人間の真価は死の間際に発揮されるのだろう。ママは僕を守り【愛】を示した。ドラコはユーリィを救おうと【勇気と誇り】を示した。ならば、この先に訪れるであろう死を僕は恐れない。
 僕も示す。死の間際にあの世でドラコに笑われないような【勇気】を示す。
 ユーリィの話では、僕は死を回避出来たらしい。だけど、それは様々な条件が重なったからだ。ニワトコの杖の所有権やヴォルデモートの内に取り込まれた僕自身の要素。
 様々な偶然の上に、僕の蘇生は為されたらしい。だけど、その要素がこの世界で揃う事は無い。ヴォルデモートを倒すには、僕の死は不可避だ。だけど、僕には守るべき人が居る。守りたい信念がある。胸を張って会いに逝きたい人達が居る。

「……では、そろそろ始めるとしようかのう」

 ダンブルドアは二人の争いによって騒然となった変身術の教室を杖一振りで立派な会議室に変貌させた。中央には巨大な円卓が置かれ、その周りにたくさんの椅子が並べられている。
 僕らは各々目の前の椅子に座った。
 みんなの表情は一転してこれからの戦いへの不安や恐怖、高揚感に彩られた。
 みんなの意識が変わったのを確認すると、ダンブルドアが口火を切った。

「さて、まずは現状について皆で情報を共有する必要があるじゃろう」
「では、私から現在の状況について説明させて頂きましょう」

 スネイプは羊皮紙を手に立ち上がった。

「昨夜、コーネリウス・オズワルド・ファッジ魔法省大臣が拉致され、今朝方に死体となって発見されました。遺体はマグルが往来するロンドンの中心街に放置されていた為、見せしめと陽動の可能性を示唆しているかと思われます。現在、大臣の遺体は魔法省の本部に運ばれ、忘却術士によってマグルに対する隠蔽工作を行い、既に完了しているそうです。葬儀については未定ですが、現状の魔法省の舵取りをする為に闇祓い局局長のルーファス・スクリムジョール以下、ガウェイン・ロバーズ、アネット・サベッジは魔法省に留まり、緊急の対策会議を行っているとの事。次の魔法省大臣についても会議の進行次第では決定が下されるかもしれません」

 闇祓いの精鋭の中の精鋭である三人が魔法省を離れられないのは大きな戦力ダウンだ。
 会議室には重い沈黙が広がった。

「次に、昨夜ユーリィ・クリアウォーターがダリウス・ブラウドフットに拉致された件についてですが、リトル・ハングルトンに向かったアラスター・ムーディ、エドワード・ウォーロック、クリストファー・レイリー、ニンファドーラ・トンクス、リーマス・ルーピンの以上五名は死喰い人の待ち伏せを受け、全員が負傷。特にムーディの負傷はかなり深刻で、即時戦線復帰は難しいかと思われます」

 マッドアイが戦闘不能になった。この報告を受けた時の衝撃はファッジの死亡報告以上だった。あの卓越した闇祓いを瀕死に追い込むのは容易い事じゃない。人数か、あるいは質か、どちらにせよ、死喰い人の戦力は相当揃っているらしい。
 先程以上の思い沈黙を破り、スネイプは続けた。

「また、ユーリィ・クリアウォーターは未だ拉致されたまま。ジャスパー・クリアウォーターの報告により、即殺害されるという可能性は低いでしょうが、早急な解決策を練る必要があるかと思われます」

 スネイプの報告が終わると、今度は連合のメンバーのエメリーン・バンスが立ち上がった。

「これについても報告した方がいいでしょう」

 エメリーンは日刊予言者新聞を手に言った。

「現状、我々は後手に回っています。昨日のアズカバンの集団脱獄を皮切りに各地で死喰い人によると思われる被害が出ています。もはや、ヴォルデモートの復活を疑う者の方が少数ですが、対策を練る必要があるかと思われます」

「現在、分霊箱についてはどうなっているのかしら?」

 黒髪の魔女のヘスチアが問い掛けた。

「現在、我々が破壊に成功した分霊箱は日記とリドルの館で発見されたマールヴォロ・ゴーントの指輪。レストレンジ家の金庫より押収したヘルガ・ハッフルパフのカップ。必要の部屋から発見されたロウェナ・レイブンクローの髪飾りの四点です。シリウス・ブラックが連合に合流した事で五点目のサラザール・スリザリンのロケットも手に入る事でしょう。問題は残る二つの分霊箱。一つは例のあの人のペットのナギニ。ナギニは恐らくヴォルデモートが常に傍に置いていると思われます。その為、ユーリィ・クリアウォーターの話にあったグリフィンドールの剣の使用を検討しています。ただし、剣は一本のみですので、使用者についても検討が必要かと」

 言い終えると、エメリーンは僕を一瞥した。

「そして、もう一つはハリー・ポッター」

 僕の名前が出た瞬間、全員の視線が僕に集中したのを感じる。
 予め、分かっていた事だ。僕の中にヴォルデモートの魂がある事は……。
 
「確か、ハリーがヴォルデモートの死の呪いを受ける事で奴の魂の残滓を殺せるのだったか?」

 ディーダラスの言葉にシリウスが吼えた。

「ふざけるな! ハリーに死の呪文を受けろだと!? よくも、そのような言葉を吐いたな、貴様!」

 今にも掴み掛かりそうな程怒りに燃えたシリウスにディーダラスはヒィと悲鳴を上げた。

「だ、だが、それ以外に方法は無いのでしょう? それに、ハリーはその後甦れると……」

 ヘスチアがディーダラスをフォローするように言うと、スネイプがいつもの口調で言った。

「ポッターの蘇生には様々な要素が組み合わさる必要があるのだ。現状、そのどれもが満たされておらん上、恐らく、帝王はその事を承知している。仮に、ポッターが死の呪文を受ければ、待っているのは死のみだ。その程度も分からんか?」

 口調はいつも通りだけど、その言葉の端々や目付きには深い憤りが見え隠れしている。
 二人の僕に対する思いが伝わって来るようで嬉しい。だけど、僕はもう覚悟を決めた。

「いいんだ」
「――――いいって、何がよ?」

 ハーマイオニーは一瞬で僕の考えを察したらしい。青褪めた表情の彼女に僕は微笑みかけた。

「覚悟は出来ている。僕はドラコの誇りに報いたい。僕の死が連合の勝利に必要なら、この命を捧げる事に躊躇いは無い」

 断言する僕にハーマイオニーは突然立ち上がり、大きく手を振り被った。
 頬に受けた衝撃はあまりにか弱く、涙を溢れさせる彼女に僕は胸が痛んだ。

「駄目。そんなのは駄目。そんな覚悟、決めちゃ駄目よ」
「分かってくれ、ハーマイオニー。必要な事なんだ」
「あなたはシリウスに息子になるのよ!? 親より先に死ぬのは親不幸者のする事だわ!」
「それは……」

 それが確かに心残りだ。僕はシリウスの家族になりたい。例え、一瞬でもいいから、本当の家族が欲しい。だけど、それが彼を苦しめる事になるというなら……。

「なら、僕はシリウスの息子には……」
「冗談じゃないぞ、ハリー!」

 シリウスが叫んだ。あまりにも悲痛な叫びに僕は衝撃を受けた。

「冗談じゃない! お前は私の息子になるんだ! お前が死ぬなんて許さない! お前が犠牲になるなんて、そんな事、絶対に許さんぞ!」

 顔を歪め、怒鳴るシリウスに僕は弱ってしまった。
 覚悟は自分だけが決めればいいってもんじゃないらしい。

「シリウス。奴を倒さなきゃ、世界が危ないんだ」
「世界なんて知るものか! お、お前が犠牲になるというなら、私は世界なんてどうでもいい! お前は私の家族になるんだ。家族を犠牲にした世界など、そんなもの!」
「僕の覚悟を認めて欲しい。家族として……」

 シリウスは顔を歪め、円卓を叩いた。木製の硬いテーブルにへこみを作り、シリウスは首を横に振った。

「許さん。そんな事は断じて許さん。お前が犠牲になるなど……。そんな事……絶対に」

 僕は幸せ者だ。こんなにも僕を愛し、思ってくれる人が二人も居る。
 ハーマイオニーもシリウスも二人して僕の死を拒絶し、僕の生を望んでいる。

「僕を愛してくれる二人が居る。だからこそ、僕はヴォルデモートを倒さないといけないんだ。二人の存在が僕に勇気と誇りを与えてくれる」
「そんな勇気なんて持たないでよ! 私を取り残す気なの!? そんなの、絶対に許さない。あなたの居ない世界なんて!」

 ハーマイオニーはヒステリックに叫んだ。だけど、僕の覚悟は彼女の叫びによって、より強固となる。彼女のためならば、彼のためならば、僕はこの命を喜んで捨てよう。

「さすがだね、ハリー」

 騒然となった室内を静まり返らせる陽気な声が響いた。
 ジャスパーは楽しげな笑顔を浮かべている。

「ジャスパー! 何を笑っているのよ!?」

 ハーマイオニーが怒りに満ちた視線を向けると、ジャスパーは笑みを深くした。

「そう怒らないでよ。ボクにはちゃんと考えがあるんだからさ」
「考え?」

 ジャスパーの隣に座るアルが聞いた。
 すると、ジャスパーは立ち上がった。

「ハリーを犠牲にせずにハリーの中の分霊箱を破壊する。ボクにはその秘策がある」
「な、なんだと!?」

 シリウスが立ち上がった。ジャスパーに駆け寄り、その肩に手を置いた。

「ほ、本当なのかね!?」
「勿論だよ。皮肉な事に、そのヒントはヴォルデモートがくれたよ」
「ヴォルデモートが?」

 ハーマイオニーは怪訝な表情を浮かべた。

「まあ、ボクの仮説が正しいかはダンブルドアに判断してもらう必要があるけどね」
「何なの? その方法って……」
「それはね――――」

 ジャスパーが口にした方法に一同は言葉を失った。
 それは、あまりにも常識外過ぎる方法だった。

第四話「参上」

第四話「参上」

「……一ついいかしら?」

 固まった時間を動かすようにハーマイオニーが口を開いた。彼女の視線の先に居るのはジャスパーじゃない。俺だった。

「なんだ?」

 俺が聞き返すと、ハーマイオニーは少し逡巡した後にこう口にした。

「アル。あなたはユーリィを愛しているのよね?」
「……ああ」

 改めて聞かれると、少し照れ臭い。ユーリィの生前が女だと判明する前から俺はどうやら、彼女に恋をしていたらしい。ゲイだと思われても仕方がない。でも、俺はユーリィを愛しているのであって、好みの対象が男なわけじゃない。今一度、それを主張するべきか迷っていると、ハーマイオニーは言った。

「あなたが愛したのはあくまでも私達の知っているユーリィ・クリアウォーターの事よね?」
「あん? 当たり前だろ。何を言ってるんだ?」

 まさか、同姓同名の他人を愛してるとでも思っているのだろうか?
 ハーマイオニーに限って、そんな愚かな勘違いをするとは思えない。なら、彼女は一体何を考えているんだろう。彼女の頭脳の明晰さはよく知っている。無意味な質問をする女では無い。この質問にも彼女なりの意図が含まれている筈だ。

「俺は俺の知っているユーリィ・クリアウォーターを愛して……」

 彼女の言葉を反復した途端、俺は彼女の質問の意図に気付いてしまった。

「これは推論に過ぎないのだけど、今、ヴォルデモートに囚われているユーリィは私達の知る彼……いいえ、彼女なのかしら?」
「……まさか」
「あなたが懸念していたのはそういう事なんでしょ? ジャスパー」

 ハーマイオニーはジャスパーを一瞥して言った。ジャスパーは小さく頷いた。

「さすがだよ。何度でも言おう。さすがだよ、ハーマイオニーちゃん。君の明晰な頭脳には本当に驚かされるね。その通りさ。ボクがまさに警戒していたのはボクが記憶を操り作り上げた【ユーリィ・クリアウォーターという名の少年】の人格が崩壊してしまう事だったんだ。そして、【壊れてしまった冴島誠】の人格が甦ってしまう事をボクは恐れた」
「だから、ユーリィが生前女の子だった事や彼女の過去についてを頑なに隠し続けた。そして、一つの可能性に賭けて、アルに事あるごとに【自分の気持ちに気付け】と言った。あなたはユーリィの……冴島誠の狂気をアルの【愛】が癒してくれる事を期待したんじゃないかしら?」
「ハーマイオニー。君の凄い所は論理的な思考を持ちながら、感情を決して軽んじない所にあるよ。論理だけではその結論には至れなかった筈さ。だから、ボクは君を尊敬している。そう、そうなんだよ。ボクは彼女の狂気を癒す可能性を求めていたんだ」

 ジャスパーは視線を俺に向けた。

「彼女の狂気は【愛】こそが原点なんだ。凄惨な虐めを受け、彼女は愛を求めていた。だけど、両親は彼女を見捨てた。両親だけじゃない。妹も……恋人も彼女を捨てた。彼女は地獄のような日々をボクからの【愛】だけを頼りに耐え忍んでいたんだよ。だけど、ボクは彼女を捨てた。彼女は拠り所を失い、崩壊してしまった」

 絶望に彩られた顔でジャスパーは言った。

「だから、彼女を救えるとすれば、それはやはり【愛】でしかあり得ない」
「だから、俺に手遅れになる前に気付けと言ったのか……。真実を口に出来ないまま、唯一の可能性に賭けて……」

 そして、俺はジャスパーの期待を裏切った。俺は結局、ユーリィに自分の真の思いを告げる事が出来なかった。自覚した今だからこそ、俺にとってユーリィがどれほど大切な存在か分かる。俺にとって、ユーリィは酸素だ。なくてはならない、生きる上で必要な要素なんだ。
 もっと、早くに自覚していれば良かった。

「彼女が、例え狂気に呑まれても、彼女の道標になるような愛があれば、きっと彼女は自分自身の狂気から解放される事が出来る筈だと思ったんだ」
「……俺は」
「アルフォンス君」

 ジャスパーは微笑んだ。

「ボクは今までずっと絶望を抱いていた。あの予言ではボクは希望とされていたけど、ボクの胸中を占めていた感情は絶望だけだった。だけど、今は希望に溢れている。何故か分かるかい? 君の存在があるからだ。君はボクに示してくれた。どんな絶望を前にしても折れる事の無い真実の愛を――――」
「待ちなさい」

 敬虔な信者のように胸に手を当て、祈るように目を瞑るジャスパーの言葉をハーマイニーはバッサリと遮った。

「論点がズレてるわ。アルの愛が希望に繋がるかどうかは、この質問の答えによって変わるわ」
「質問……?」
「アル。あなたが愛したのはあくまでも【私達の知るユーリィ】よ。もし、今、ヴォルデモートに囚われている冴島誠の中に私達の知るユーリィの記憶も人格の影も見られなかった時、あなたは本当に彼女を愛せるのかしら?」
「……え?」

 呆気に取られる俺をハーマイオニーは厳しい表情で見つめた。

「やっぱり、考えてなかったのね。いいえ、考えないようにしていた。そうでしょ?」
「ちょ、ちょっと待てよ、ハーマイオニー。何言ってるんだ? そんな、まるでユーリィが……」
「死んだみたい? そうね。私達にとってのユーリィは死んでしまったかもしれない。私が言っているのはそういう事よ。でも、実際のユーリィの肉体と魂はどちらも死んでない」

 ハーマイオニーは冷たく言い放った。

「ジャスパーが聞きたいのは、それを理解した上でも尚、あなたがユーリィを愛せるか否か、という事よ。どうかしら? 今、あなたはさっきまでと同様に迷い無く彼女を愛していると言い切れるかしら?」

 答えられなかった。俺は彼女の言う通り、無意識にその考えを恐れ、遠ざけていた。
 ユーリィの中に俺の知るユーリィの存在が無かったら……。
 考えたくない。俺と過ごした十五年間が無に帰してしまったのだとしたら。俺と過ごしたユーリィの存在が消えてしまっているのだとしたら。俺はそれでもユーリィを愛せるのだろうか?
 もう、さっきまでのように自信を持って断言する事が出来ない。

「……惨い事を言っている自覚はあるわ。でも、これは考えなければならない事よ。あなたがユーリィを救いたいと願うなら、避けては通れない試練よ。いざと言う時に迷いを抱かない為にあなたは答えを出さなければいけない」
「……いざって何だよ」
「分かっているんでしょ? きっと、あなたはユーリィと戦う事になる。その時、あなたは選択を迫られる。愛を持って、救うのか。哀しみを持って、殺すのか」
「ま、待てよ! どうして、俺がユーリィと戦うんだよ」
「あの子が狂気に囚われた生前の状態に戻っているなら、あの子は人を殺す事を愉しむ快楽殺人鬼。ただ、助けを待つお姫様で居てくれる事を願いたいけど、そうじゃない可能性があるという事よ」
「可能性……か」
「安心しないで。むしろ、殺し合いになる可能性の方が高いのよ。だからこそ、今の内に答えを出して」
「俺は……」

 ユーリィとの十五年間の思い出が頭を過ぎる。
 生まれたその瞬間から、俺はユーリィと共に居た。母さんに抱かれながら、俺はソーニャに抱かれるユーリィと出会い、今までずっと一緒に生きて来た。
 その思い出が失われてしまったとしたら……。
 俺に向けてくれたユーリィの微笑みが失われてしまったとしたら……。

「俺は……」

 苦しい。考えただけで胸が張り裂けそうだ。立っているのも辛くなるくらい、俺は動揺している。
 俺はユーリィが俺の知るユーリィじゃなくなっていたら、どうするんだろう。分からない。恐ろしい。俺はユーリィをこの手で殺してしまうかもしれない。

「ボクとしては……」

 ジャスパーが口を開いた。その表情には薄っすらと笑みが浮かんでいる。

「君の選択に全てを委ねるつもりだよ。君のその迷いもいずれは晴れると期待してる。例え、晴れなくても、君の選択をボクは責めない。きっと、君の選択の果てにどんな未来があっても、ソレは唯一無二のボクとマコちゃんにとっての希望なんだと思うからね」
「俺が……ユーリィを殺したとしてもか?」
「それはそれで、きっと救いなんだと思うよ。狂気に縛られたまま、誰かを殺し続けるくらいなら、愛し、愛された君に殺される事を彼女は望むと思う」
「……愛し?」

 ジャスパーの口にした言葉の中に聞き逃せない言葉があった。
 俺は自分の愛が一方的なものだと思っていた。想いを告げても、決して返っては来ないものだと覚悟していた。
 ユーリィは男だし、マコトはジャスパー……生前の小早川春を愛していた。俺がアイツにとっての特別になるにはとても険しい道のりが待っている筈だと思っていた。

「……気付いていなかったのかい?」

 ジャスパーは信じられないと目を見開いた。

「マコちゃん……いや、ユーリィは君を愛していたよ。ボクの記憶操作によって自分を男だと思い込んでいたにも関わらず、君を求めていた。愛し、愛されたいと願っていた。それが彼女の封じられた女としての人格が漏れ出したのかは分からない。ただ、言えるのは彼女が君に向けた愛は家族や友に向ける親愛や友愛じゃなかった。情欲を伴う愛欲だった」
「ユーリィが俺を……?」

 胸が高鳴った。信じられない。俺はユーリィと両想いだったと言うのか……。
 あの日……。ユーリィが熱を出した時、ユーリィは異様な程、俺に纏わりついて来た。理性的で居られなくなる程……、俺を誘惑しているんじゃないかと思う程……。
 あれがユーリィの本心から出た行動だったのだろうか。熱に浮かされて、胸に秘めていた思いを無意識に行動に示していたという事なのか。

「ユーリィが俺を……」

 鳥肌が立つ程の悦びが全身を駆け巡る。今直ぐにでもユーリィに触れたい。顔が同じだけの別人じゃない。正真正銘のユーリィに触れたい。俺に触れられて、どんな表情を浮かべるのかを知りたい。
 体が男だろうが、女だろうが、そんな事は問題じゃない。俺はユーリィを愛している。心から愛しているんだ。

「俺は……ユーリィに会いたい」

 衝動ともいえる感情に突き動かされて、俺は言った。

「ユーリィがアルの事を分からなくても?」

 ハーマイオニーの問い掛けに俺は頷いた。

「会いたいんだ。もし、アイツが俺の事を分からなくても、俺は……」
「アル。ジャスパーの記憶で見たユーリィの狂気はとても深いわ。救うには迷いの無い心からの愛が必要だと思う。もし、あなたがユーリィへの自身の愛を少しでも疑うなら、あなたはユーリィを救えない。その先にあるのは泥沼の殺し合いよ。ユーリィの狂気が勝つか、あなたがユーリィの狂気を力で捻じ伏せるかの二つに一つ。それでも?」
「……ああ」

 ハーマイオニーは小さく溜息を零した。呆れているのだろう。結局、俺は答えを出したわけじゃない。ただ、自分の衝動的な感情をそのまま口にしただけに過ぎない。
 俺はユーリィに会いたい。その後の事なんて、何も考えていない。呆れられて当然だ。

「……そうよね」

 ハーマイオニーは言った。

「答えを出せって言ったって、出せる筈が無いわよね」
「ハーマイオニー?」

 ハーマイオニーは背後に佇む恋人を見つめた。

「愛って、論理的に分析出来るものじゃないわ。私だって、同じ立場に立ったら、簡単に答えは出せなかった筈。答えは出さなければならないわ。でも、迷う事もきっと大切だと思う。今直ぐにユーリィを助けに行けるわけじゃない。それまでの間、たくさん悩んで、そして、答えを出して」
「ハーマイオニー」

 俺はどうしても聞きたくなった。彼女はどう思っているのだろう。

「お前はユーリィを救うべきだと思っているのか?」

 普通の人間なら、あの記憶の映像を見て、それでもユーリィを救うべきだと考える人間は少数の筈だ。そのくらいは分かる。
 ハーマイオニーは直ぐには答えなかった。ゆっくり思案した後に躊躇いながら言った。

「ユーリィの罪は……あまりにも大きいわ。きっと、あなたがユーリィを救った後、必ずその罪とユーリィは向き合わなければならなくなる。厳しいようだけど、一生を贖罪に捧げたとしても、到底許される事ではないと思うわ。彼女は最初は復讐だったのかもしれない。でも、無関係な多くの人を殺めてしまった、その中には小さな子供や老人も居た」

 ハーマイオニーは少しの間、口を閉ざした。
 深い葛藤をその瞳に宿している。
 やがて、彼女は言った。

「私はユーリィを救いたい。でも、同時に救われてはならないとも思ってる。そして、救ってはいけないとも……」

 酷く矛盾した言葉。彼女らしくない破綻した物言い。
 それは彼女の心情を現していた。

「友達として私はユーリィを救いたい。この気持ちに偽りは無いわ。だけど、あれほどの罪を犯した彼女がその罪を忘れ、幸福に生きる資格があるのかとも思っているのよ。きっと、ユーリィ自身も狂気から解放された後、同じ思いを抱く筈」

 だから、救いたい。だけど、救われてはならないし、救ってはならないと言ったのか……。

「ユーリィにとって、狂気からの解放が本当に彼女の救いになるのか、私には分からないわ。むしろ、狂気に囚われたまま、あなたに殺される方がユーリィにとっては救いになるのかもしれない」
「結局、どう思ってるんだよ……」
「……多分、私も迷っているんだと思う。あなたに偉そうに言った癖に、私も答えを出せてない。酷い女よね……、友達なのに、迷い無く彼女の救いを願えないなんて……」
「それは違うよ、ハーマイオニーちゃん」

 ジャスパーは言った。

「君は優しいんだ。だから、マコちゃんに殺された人達を思い、苦悩している。君自身はマコちゃんの救いを願っているのに、板挟みにあっている。なのに、決して安易な方に逃げようとしない。どちらか一方に傾けば、それで楽になると分かっているのに、それを良しとしない。そんな君だからこそ、ボクは君にマコちゃんの過去を見せたんだ」
「良い方に見過ぎているわ。私は迷っているだけだもの」
「その迷いを抱ける事が重要なんだよ。普通の人は倫理に沿って、マコちゃんを嫌悪する。憎み、許されざる悪と断じる。それが正解なんだよ。それに、もしもマコちゃんの救済のみを口にするなら、それはきっと、彼女の罪から目を背けているだけだ。アルフォンス君のようにその罪を認め、迷い無く彼女を救いたいと思える人間の方が異常なんだ」

 ジャスパーは一瞬、苦悩に満ちた表情を浮かべた。

「ボクは彼とは違う。ただ、目を背けているだけだ。だけど、君は違う。君は彼女と彼女の罪に向き合い、悩んでくれている。凄いよね。これが友情ってやつなのかな?」
「友情……。答えを出せない私にその言葉を口にする資格なんて、あるのかしら? でも、そうね……。私の中の天秤はやっぱりユーリィの救いに傾いている。だって、私は……」

 ハーマイオニーの瞳から一筋の雫が頬を伝い、床に落ちた。

「私はユーリィの友達だもの……。あの子と一年生の頃からの親友よ。学校であの子と一番長く一緒の時間を過ごしたのは私だもの!」

 涙を溢れさせながらハーマイオニーは言った。

「いつも一緒に居たのよ。ハリー達が遊んでいるのを一緒に眺めていた。私とユーリィは勉強が好きで、料理が好きで、手芸が好きで、いつも一緒に……」

 ホグワーツに入学してからの五年間。思い返せば、確かにユーリィはハーマイオニーの傍に居た。俺やハリー達がクィディッチの話題で盛り上がっている時、二人は料理の話で盛り上がっていた。俺達が雪遊びをしていた時、二人は一緒に眺めていた。
 寝室が違うから就寝時間を除けばだが、ホグワーツでは、ハーマイオニーは俺以上にユーリィの傍に居た。その二人の時間が積み上げてきた絆は俺の愛とは違うかもしれない。だけど……。

「迷いたくなんか無い。アルみたいに迷わず救いたいと思いたい。でも、あの子の犯した罪の大きさを私は軽んじられない。私は……」

 ハーマイオニーは顔を歪めて涙を零し続けた。
 俺の愛情とは違う。ハーマイオニーがユーリィと築いたのは友情。
 彼女は救いたいと言った。それは、彼女がユーリィの友達だから。
 彼女は救われるべきではないと言った。それは、彼女がユーリィの罪に向き合っているから。
 彼女は救ってはいけないと言った。それは、彼女がユーリィの未来を案じているから。
 彼女の本音はユーリィの救いを求めている。だから、彼女はジャスパーの嘘を見抜き、ジャスパーの言葉の意味を推察し、俺の間違いを正した。
 なんて、凄い女なんだろう。もし、ユーリィと出会わず、ハリーの存在が無ければ、俺は惚れていたかもしれない。

「お前が言った事だぜ。迷うのは必要な事だってよ。俺も悩む。お前も悩め。そんで、答えを出そうぜ」
「……うん」

 ハーマイオニーは涙を拭うと、ハリーに向き合った。ハリーは何を思っているんだろう。その表情からは何も読み取れない。

「ハリー」

 ハーマイオニーが声を掛けると、ハリーは静かにジャスパーを見て、俺を見て、ハーマイオニーに視線を戻した。

「僕も悩んでる」

 ハリーは言った。

「正直に言えば、過去のユーリィの記憶はとても怖かった。ユーリィの事を恐れた事は否定しないよ。でも、僕はユーリィを助けたいと思った。だって、友達だからね。でも、三人の話を聞いてる内に、それでいいのかな? って思うようになったんだ」

 ハリーは伸び始めた前髪をかき上げながら言った。

「異世界の話だからかもしれないけど、現実感が無いんだ。だから、僕は僕の知っているユーリィをヴォルデモートから助け出したい。過去の記憶がユーリィを苦しめるなら救いたい。単純にそう考えているだけなんだ。みんなのようにキチンと考えて出した結論じゃない。だから、これで良いのか分からなくなった」
「きっと、それも一つの答えよ」

 ハーマイオニーは言った。

「ジャスパーの思いも答えの一つ。私の迷いも答えの一つ。アルの悩みも答えの一つ。ハリーの考えも答えの一つ。人はそれぞれ違う考え方を持っているんだから、その答えも千差万別で当たり前よ。ハリー」

 ハーマイオニーはハリーの手を取った。

「あなたが好きよ、私。少し、不安だった。あなたが、ユーリィを敵だと言うんじゃないかって……。でも、あなたは救いたいと言ってくれた」
「それは、僕がユーリィの罪と向き合ってないだけなんじゃ……」
「あれほど鮮烈な記憶の映像を見て、出した結論なんでしょ? ただ、目を逸らして出した結論じゃない筈よ。それはユーリィを深く思っていないと出来ない選択だもの」
「……僕だって、ユーリィの事が大切なんだ」

 ハリーは言った。

「アルみたいに愛してるなんて言えない。ハーマイオニーのように親友だって言い切る事も出来ない。ユーリィを恐れ、嫌悪してしまった僕にそんな言葉を口にする資格は無いよ。でも、僕はそれでもユーリィと友達なんだ。ユーリィが僕を迎えにダーズリー家に来てくれた日の事を今も正確に覚えてる。ユーリィの家に招いてもらって、ユーリィの家で過ごして、僕は凄く幸せだった。僕はあの幸せに報いたい。ユーリィの幸せを願いたいんだ。生前の事なんて、関係無く、僕は僕に幸せをくれたユーリィに幸せになってもらいたい」

 ハリーは口元に笑みを浮かべた。

「僕はユーリィに幸せになって欲しい。罪が大きいって言うなら、罪に向き合う手助けがしたい。単純な考え方なのかもしれないけど、それが僕の結論だよ」
「……ハリー。あなたって、やっぱり最高だわ」

 ハーマイオニーは感極まった様子でハリーにキスをした。

「……私も答えは決まったわ」
「ハーマイオニー?」
「私はユーリィを救う。その為に出来る事をする。そうよ。罪に向き合わせる事がユーリィにとって辛い事だとしても、私はユーリィが最後に笑えるように手助けしてあげればいいんだわ。親友なんだもの。ユーリィには幸せになって欲しい。だから、アル」

 ハーマイオニーは俺を見た。

「あなたには何としてもユーリィを救ってもらうわ。どちらかが死ぬなんて終焉は許さないわ。悩んで、悩んで、悩みまくって、ユーリィを必ず救うと結論を出しなさい!」
「……言ってる事が無茶苦茶だぜ。けど、礼を言うぜ」

 俺の迷いも少しずつ晴れて来ている。
 ユーリィが俺との思い出を失い、まったく別の人間になっているかもしれない。だけど、その本質はきっと同じ筈だ。だって、こんなにもユーリィを慕っている人間が居る。
 ユーリィが築いたものは全てが砂上の絵なんかじゃない筈だ。本質はきっと同じなんだ。俺はそう信じる事にした。
 まだ、迷いはある。だけど、いつまでもウジウジしてはいられない。

「本当に……ありがとう」

 ジャスパーは涙を溢れさせていた。ハリーとハーマイオニーにも深々と頭を下げて言った。

「ボクは幸せだよ。こんなにもマコちゃんを思ってくれる人がいる。希望があるんだ。マコちゃんを救えるかもしれない希望がある」
「ジャスパー」

 俺は言った。

「お前はやっぱりユーリィを愛しているよ。十五年も魂の奥底に自分を拘束したり、涙を流しながらユーリィの救いを思うお前の愛はきっと本物だ」
「アルフォンス君……」
「アルでいいぜ。一緒にユーリィを救うんだろ? 相棒」
「……ああ、そうだね、アル」

 思い出が消えたというなら、また、作り直す。何度でも、俺を惚れさせる。
 まずは、あいつを救う。その先にどんな試練が待っていても関係無い。俺は一人じゃないんだ。そう思うと心が軽くなる。俺と同じようにユーリィを愛し、慕っている人間が居る。彼らが俺の愛を信じてくれている。だから、俺も信じる。俺の愛が必ずユーリィを救えると信じる。

「では、そろそろ動くとしようかのう」

 それまで黙していたダンブルドアが言った。 

「ユーリィ・クリアウォーターを救い、ヴォルデモートを倒すにはこれから忙しくなる。お主達の尽力が必要じゃ。特に、アルフォンス。お主の愛が全ての命運を分けるじゃろう。臆するでないぞ」
「……はい!」

 ダンブルドアは必要の部屋の扉を開いた。外にはスネイプが一人。

「ミネルバはどうしたのかのう?」
「校長……」

 スネイプは一瞬、ダンブルドアの登場に驚いた様子を見せた後に言った。

「色々と問題も起きています。マッドアイが重傷を負いました。どうやら、リトル・ハングルトンで待ち伏せを受けたらしく、死亡者は居ませんが……」
「魔法省については何か連絡はあったかのう?」
「ふくろう便が届きました。ひとまず、事態の沈静化には成功したようです。ですが、大臣の死体が発見されました。今後、更なる混乱が起こる事が予想される為、スクリムジョール達は魔法省に残るとの事です。今後の事はあなたに一任すると……」
「わかった」
「それと、もう一つ」

 スネイプは僅かに顔を歪めながら言った。

「奴がここに来ます。どうやら、混乱に乗じて、スクリムジョールが手を回したようです」
「漸くか……」
「奴……?」

 誰の事を言っているんだろう。
 スネイプに案内され、俺達は連合の会議室として使った変身術の教室にやって来た。
 すると、そこにはソーニャが居た。青褪めた顔で母さんに付き添われている。声を掛けようと近寄ると、背後で教室の扉が大きく開かれた。
 入って来たのは見知らぬ男だった。連合のメンバーはその人物の登場に静まり返った。その沈黙を破ったのは他でもない侵入者だった。
 侵入者は連合の面々を眺め回し、俺達に視線を向け、ハリーに向かってニッコリと微笑むと、困惑する彼を尻目にニヒルな笑みを浮かべた。

「色々と出遅れてしまったらしいな。だが、私にはまだ重要な役割がちゃんと残っているようだ。待たせたな、このシリウス・ブラック。これより不死鳥の連合に参加する」

第三話「真相」

第三話「真相」

「一つ、いいかしら?」

 ハーマイオニーは眉間に皺を寄せながらジャスパーに声を掛けた。

「なんだい?」

 ジャスパーが向き直ると、ハーマイオニーは言った。

「その話だけど、どこまでが本当なのかしら?」
「は?」

 どういう意味だろう。ジャスパーが長々と語ったユーリィの凄惨な過去は作り話だという事なのか。
 彼女の真意が分からず、俺は困惑した。反対に、ジャスパーは口元に笑みを浮かべている。どういう事だろう。

「……ボクの話は作り話だとでも?」
「違うわ。ただ、ちょっと妙だと思ったのよ。例えば、体育館での冴島誠の行動。幾ら何でも、三百人以上を一人で殺せたとは思えないわ」
「……そうかな? 毒ガスを使ったから、そこまで難しくは無かったんだと思うけど?」
「その毒ガスも妙だわ。狭い密室空間ならいざ知らず、広々とした空間でそこまで強力な効果を発揮出来る毒ガスを素人が市販の材料で作り出せるとは思えない。そんな強力なものを使ったら、冴島誠だって、無事では済まなかった筈だわ。にも関わらず、彼女は学校から軽々と脱出して、その足で遠くまで逃げている。矛盾を感じるのよ、あなたの話には……」
「つまり……?」
「考えられる可能性は二つ。あなたが嘘を並べているだけなのか、あるいは……まだ話していない事がある」

 ハーマイオニーの鋭い推理に俺は目を瞠った。確かに、そう考えるとジャスパーの話には妙な点が多過ぎる。
 例えば、家の裏口の鍵が壊れたまま放置しておくのは不自然だ。幾ら、立て付けが悪くて知らない人間には開けられないと言っても、それで鍵を壊れたまま放置するのはおかしい。
 それに心が壊れたと語った癖にユーリィは自分を抱いた男に好意を持ったり、ジャスパーの家族や真紀に対して哀れみを覚えたり、感情を有しているように語った。
 考えれば、考える程にジャスパーの口にした話はおかしな点が多過ぎる。どういう事だろう。

「凄いね、ハーマイオニーちゃん。ボクとしては悪くないストーリーだと思ったんだけどね」
「肯定するのね。……どうして、わざわざ嘘の話を語ったのかしら? あまりにも意味が分からないのだけど……」
「全てが嘘というわけじゃないよ。まあ、ただ……色々と騙ったのは事実だけどね」
「……お前、何がしたいんだ?」

 意味が分からない。わざわざ長々と創作話を聞かされたという事か? どうして、そんな不必要な真似をするんだ。
 それに、どこからどこまでが本当で、どこからどこまでが嘘なのか分からない。

「まあ、幾つか理由はあるんだよ。まさか、こんなに簡単に見破られるとは思わなかったな。即興にしては悪くない出来だと思ったんだけど」
「いいから、理由を言えよ」

 苛立ちながら言うと、ジャスパーは薄く微笑んだ。

「一つは君にマコちゃんの悪い印象を植え付けたかったんだ」
「は?」

 ジャスパーの言葉に俺は凍り付いた。
 
「そして、その反応を見たかったんだよ。ああ、君だけじゃないよ。他の人達の反応も見たかった。本当に信用出来るかを知る為にね」
「……つまり、試したというわけね?」
「まあ、そうとも言えるね。およそ、愛を向けるには相応しくない女性像を語ったつもりだよ。人を殺す事に罪悪感を感じず、複数の男を知る売女。如何に同情出来る経緯があっても嫌悪感を感じる人物像だ。まさか、こうもアッサリと受け入れられるとは思わなかったよ。おかげでアルフォンス君の事は信頼が置けるようになった」
「どうして、そんな事をしたのかしら?」
「慌てないでよ。ちゃんと答えるさ。まず、ボクが騙った物語の中の真実を口にするなら、彼女が百人以上を殺害した事、それにボクこと【小早川春】の家族を皆殺しにした事も本当だよ。ただ、彼女が絶望などと呼ばれるに至ったのはもっと凄惨で、救いの無い経緯があったんだよ。それを語るには受け入れられる人間を識別する必要があった。例え、何を聞いても彼女を救おうと考える人間が居る事を願い、ボクは賭けに勝った。さあ、行こうか」

 突然立ち上がり、杖を一振りしてジャスパーは俺をロープの拘束から解放した。

「行くって……どこに?」
「ついてくれば分かるよ。ああ、アルフォンス君とハーマイオニーちゃん。それと、ハリー君だけついて来てくれるかな」

 ジャスパーに指名され、ハリーは呆気に取られた表情を浮かべながら頷いた。

「お、お待ちなさい」

 どんどん扉の方に向かって行くジャスパーをマクゴナガルが呼び止めた。

「どこに行くつもりですか? 今、あなた達を目の届かない場所に行かせるわけには参りません」
「なら、部屋の前までついて来てもらえるかな? ただし、部屋の中に入るのは今言った三人だけだよ」
「何故、その三人だけなのですか?」
「ボクがマコちゃんの真実を知ってもらう必要があると判断したからだよ」
「その選抜に私は落第したというわけですか?」
「残念だけどね」

 マクゴナガルは鼻を大きく膨らまし、ゆっくりと頷いた。

「いいでしょう。どこに行く気かは知りませんが、目的地に着くまでは同行させてもらいます」
「ありがとう、先生」

 スネイプもジャスパーを一瞥すると後に続いた。俺とハーマイオニーも後を追い、ハリーもその後に続く。部屋を出る時にソーニャを見た。意識を失ったまま、母さんに介抱されている。母さんは少し目が腫れていた。さっき、俺が母さんを殺す事を躊躇わないと言った事でショックを与えてしまったのかもしれない。
 申し訳無いとは思うが、母さんに構っている余裕は無い。視線を外し、俺は真っ直ぐにジャスパーを追った。

 ジャスパーに連れて来られたのは必要の部屋だった。ジャスパーは部屋を作り出し、俺とハリーとハーマイオニーを招いた。部屋を作る時に入場制限を設定したらしく、俺達以外が入ろうとすると一瞬で扉が埋まってしまう。マクゴナガルとスネイプは静かに部屋の外で待機した。

「さて、じゃあ始めよ――――」
「ジャスパー」

 ハリーは杖を眉間に当てようとするジャスパーを遮った。

「どうして、僕を誘ったの?」

 ハリーは表情を曇らせながら聞いた。

「僕は君の話を聞いて、正直言うと……気味が悪いと思ったんだ。アルみたいに吹っ切ったわけでも、ハーマイオニーのように冷静な思考で受け止められたわけじゃない」
「ボクが君を誘ったのは君の存在が今後の展開を左右するからだよ」
「僕の存在が……?」
「君の存在は君自身が自覚している以上に重要なんだよ。マコちゃんを救う勇者がアルフォンス君なら、ヴォルデモートを倒し、世界の闇を晴らす英雄は君なのさ。例え、世界がどう変貌しようと、これだけは変わらない」
「僕が……?」
「ヴォルデモートを倒すヴィジョンは見えている。だから、君が例えマコちゃんを嫌悪しようとも君を外す事は出来ない。勿論、あなたの事もね」

 ジャスパーは不意に誰も居ない方に顔を向けた。

「わしは嫌悪などしておらんよ。例え、先ほどの話が事実であったとしても、わしは彼女を救いたいと願っている」

 息が止まりそうになった。一体、いつからそこに居たのか分からない。
 ダンブルドア校長が立っていた。

「あなたの本心はボク如きには分からない。だから、信じるよ。ボクの考えが正しいかを検分してもらう必要もあるしね」
「君はユーリィを救い、ヴォルデモートを倒す算段が既にあるのかね?」
「机上の空論レベルだよ。でも、アルフォンス君やハリー君やハーマイオニーちゃんが手を貸してくれたら、きっと上手くいくと思っている」

 ジャスパーは眉間に杖を当て、記憶を【憂いの篩】へと落とした。

「これがボクの知るマコちゃんの真実だ」

 ジャスパーは言った。

「正直、ボクにもマコちゃんの行動原理がよく分かっていない部分がある」
「どういう意味?」

 ハーマイオニーはチラリとジャスパーに視線を向けながら問い掛けた。

「見れば分かるさ。ボクが恐怖したマコちゃんの真実をこれから君達は目の当たりにするんだからね」
「真実……か、つか、さっきの話は何だったんだよ、マジで」

 未だに長々とジャスパーが作り話を聞かせた理由が分からない。
 真実を聞かせるに値する人間を選別したみたいに言っていたが、どういう事だろう。

「あれは適当に官能小説とかから設定を引っ張って適当に作ったホラ話さ。他にもダンガンロンパのトリックとか、色々混ぜ込んだ即席にしては見事な出来だったと自負しているんだけどね」
「んな事聞きたいんじゃない。どうして、あんな話をしたのかって事をお前はまだちゃんと答えて無いぞ」

 俺の言葉にジャスパーは少し表情を曇らせた。
 
「真実を話せば、君達はマコちゃんの敵に回る可能性があった。だから、どうしても慎重になる必要があったんだ」
「ユーリィの敵に回るだと……?」
「つまり、そういう内容なのね……」

 チンプンカンプンな俺とは裏腹にハーマイオニーは鋭い洞察力を発揮して言った。

「そういう事だよ。ボクの適当に作り上げた【狂気】とは比較にならない【真の狂気】だ。だけど、ボクは君を信じているよ、アルフォンス君」
「……ジャスパー」
「君なら、ボクとは違い、彼女の狂気を真に理解出来る筈だよ。そして、彼女の狂気を見て尚、彼女を救うと決意してくれる筈だ。そう、信じているんだ。だから、ボクは君に見せるのさ。真相をね」

 俺はゆっくりと篩に近寄った。ユーリィの抱いた真の狂気。
 恐れるな。自分自身に言い聞かせ、俺は篩を覗きこんだ。途端、俺は篩の中に吸い込まれるような感覚に襲われ、記憶の世界へと入って行った。 

 俺は気がつくと見知らぬ場所に居た。風が強い。どこかの建物の屋上らしい。誰かのすすり泣く声が聞こえる。
 視線を向けた先には黒い髪の少女が居た。どうして、俺は以前見た時にこの子の事を男などと勘違いしたのだろう。今、改めて見ると、体つきは間違いなく女だった。
 
「ユーリィ!!」

 俺は居ても立っても居られなかった。駆け寄って、ユーリィの肩に手を掛けようとした。だけど、まるで霞のように俺の手はユーリィの体をすり抜けてしまった。

「無駄だよ。分かるだろう? ここは記憶の世界なんだ」

 分かってる。だけど、ユーリィが泣いてるんだ。
 何も出来ないと分かっていても何かしたい。ユーリィが泣いていると胸が張り裂けそうになる。

「愛って、辛いわよね」

 ハーマイオニーが言った。

「愛している相手が苦しんでいるのに何もしてあげられない。それが過ぎ去った記憶だと分かっていても……」

 俺の心情をそのまま言葉にするハーマイオニーに俺は腹が立った。
 まるで、見透かされているような気分だ。

「黙れ」
「……ごめんなさい」

 愛か……。愛を自覚したせいか、俺はユーリィの苦しむ顔を見るのが前より一層辛くなった。
 笑顔を見たい。ユーリィの表情が晴れるなら、俺は何だってしてやれる。
 俺はユーリィを愛している。狂おしいほどに……。
 
「これは、お前が死んだ直後か?」
「そうだよ。ボクの死体はマコちゃんの近くの手摺りから下を覗けば見える筈さ」
「別に見たくねぇ」

 手摺りを一瞥し、鼻を鳴らすと、ユーリィがゆっくりと起き上がった。
 よろよろと手摺りに近づいていく。
 飛び降りる気がと思い、俺は咄嗟にユーリィの手を掴み、そして、すり抜けた。
 ユーリィはそのまま手摺りを掴み、肩を震わせた。

『どうして……?』

 悲しみに満ちた声。まるで、迷子になった幼子が母を求めて泣き叫ぶように、ユーリィは涙を零し、喚き声を上げた。

『どうして、私を置いていったの!? どうして!? 答えてよ!! どうしてなの!?』
 
 言葉の意味は分からない。ユーリィが生前日本人だったのだと分かっていたのだから、日本語くらい覚えとけば良かったと後悔した。
 ただ、彼女が感情を必死に吐き出そうとしているのが分かる。

『私……捨てられたの?』

 膝を折り、絶望に満ちた声で彼女は呟いた。
 何を言っているのかを知りたい。

「マコちゃんはボクに捨てられたんだと思ったんだ」
「どういう事?」

 ハーマイオニーが聞いた。

「ボクに落ち度があったんだ。ボクは彼女に殆ど何も説明しなかった。やっぱり、ボクはただ逃げただけだったんだ……。改めて、この光景を目で見て確信したよ。彼女を取り残して、ボクは逃げたんだ。ああ、彼女の言葉は正しい。ボクは彼女を捨てたんだ」

 苦悶に満ちた表情でジャスパーは言葉を紡いだ。

『……私がレイプされて……、もう処女じゃないから? ママ達みたいに……、私の事を要らなくなっちゃったの?』
 
 翻訳しろと目で訴えると、ジャスパーは苦しそうに顔を歪めた。

「……わしに任せよ」

 それまで黙っていたダンブルドアが杖を振るった。

「すると、景色が一瞬ブレた」
「何をしたの?」

 ジャスパーが問い掛けると、ダンブルドアは言った。

「少々、弄らせてもらった」

 ダンブルドアの言葉と同時にユーリィが呟いた。

『……私がレイプされて……、もう処女じゃないから? ママ達みたいに……、私の事を要らなくなっちゃったの?』

 ユーリィの言葉が分かる。ユーリィの言葉が英語で再生された。
 
「ユーリィ……」

 言葉を分かるようにしてくれたダンブルドアに感謝の言葉を告げる余裕も無い。
 ユーリィの嘆きの言葉が胸に突き刺さった。

『答えてよ……。お願い……、答えて……』

 物言わぬ死体となった恋人を見下ろしながら呟き続ける彼女から俺は視線を逸らす事が出来なかった。
 どうして、俺はそこに居ないんだ。どうして、ユーリィが苦悩しているのに、何もしてやれないんだ。
 異世界の、それも過去の話だとは分かっていても、そう思わずには居られない。

「君は凄いね」

 ジャスパーが言った。

「ボクには見てられないよ、この光景は……。なのに、君はまったく目を逸らそうとしない。本当に凄いよ……」

 自嘲するジャスパーを相手する気にもならない。
 自虐に付き合う余裕など俺には無い。

『……ハハッ』

 突然、ユーリィは肩を振るわせて嗤い始めた。

『アハハハハハハハハハハハハハハハ!!』

 狂ったように嗤うユーリィ。感情の箍が外れてしまったみたいに目からは涙を零しながら嗤い続けている。
 あまりにも痛々しい姿。今直ぐにでも抱き締めたい。そうしなければ、取り返しがつかなくなる。今、この少女を孤独にしてはいけない。
 理性的な考え方で無い事は分かっている。それでも、俺は確信があった。
 ああ、確かにジャスパーはとんでもない間違いを犯した。例え、何があろうと、ユーリィを孤独にしてはいけなかったんだ。

『ハハッ!! アッハハハハハハハハハハ!!』

 壊れていく。人間の精神が壊れゆく姿を俺達は目の当たりにしている。
 頭を抱え、髪を振り乱し、涙を溢れさせ、それでも顔には満面の笑みが張り付いている。
 感情と言う感情全ての爆発。やがて、それが鎮まると、ユーリィは静かに動き出した。真っ赤に腫れ上がった目と狂気に彩られた表情で屋上から階段を降りていく。
 一階に到達すると、ジャスパーの死体に目も暮れず、彼女は学校の敷地を出た。ふらふらとした足取りで辿り着いたのは小さな家。玄関を開くと、ユーリィを待っていたのは母親からの罵声だった。

『今日、塾の先生からまた電話が来たのよ!? また、サボって!! どうして、アンタはそうなのよ!? 高い月謝を払ってやってんのよ!? 少しは瑠璃を見習いなさい!! アンタ、姉なのに勉強も運動も妹に負けて悔しくないの!? 本当に駄目な子なんだから!! まったく、アンタなんて産むんじゃなかったわよ。この親不幸者』

 言葉も出なかった。ユーリィの姿がこの女には見えていないのか? 涙で腫れ上がった目が見えないのか? 産まなきゃ良かったなんて言葉、どうして使えるんだ?
 あまりにも自分の常識と掛け離れた言葉を使う女を俺は母さんやソーニャと同列の母親とはとても思いたくなかった。
 母親は鼻を鳴らし、踵を返して家の奥へ引っ込んだ。
 ユーリィはゆっくりと靴を脱ぎ、家の中に入って行く。

『今、何時だと思ってるんだ?』

 少し広めの――この家の中では――部屋でテレビを見ている男が言った。恐らく、父親だ。

『九時だぞ。まったく、塾を休んで夜遊びか? そんな金、どこにあるんだ? まったく、他所様に顔向け出来ない事をしてるんじゃないだろうな?』

 何だよ、これ……。
 親が子を見る目つきとは思えなかった。父さんやジェイクは決してこんな目で俺達を見たりしない。まるで、自分の家に救う害虫を見るみたいな嫌悪感に溢れた目。
 こんな目とユーリィは向き合ってきたというのか……。
 ユーリィは何も言わずに部屋を出た。すると、丁度部屋から出て来た少女と出会った。小柄なユーリィよりも更に小柄な体躯の少女。髪もボサボサで肌も荒れ気味なユーリィと比べると洗練された女らしさを持っている。

『あ、帰って来たんだ。もう、またその格好? 学ランで学校行くとか正気と思えないよ。ほんっとーに、恥ずかしいんだから、止めてよ!! もう、こんな姉が居るなんて、クラスメイトに知られたらこっちが迷惑するんだから!! 気違いなんじゃないの!? そんな格好平気でするなんてさ!!』

 呆気に取られたのは俺だけじゃなかったらしい。ハーマイオニーは信じられないという表情を浮かべているし、ハリーも表情を曇らせている。
 実の姉に嫌悪感がありありと浮かんだ視線を向け、少女はユーリィを押し退けて父親の居る部屋に向かった。すると、父親の先程とは打って変わった明るい声が響き、ユーリィはクスリと嗤った。

『アハハッ』

 そして、ユーリィは台所にやって来た。台所にはあの母親が居た。
 母親は料理に夢中でユーリィの存在に気付いていない。
 漸く気付いたのは、ユーリィがキッチンの引き出しを開いた時だった。

『アンタ、何してんのよ』

 そう問い掛ける母親にユーリィは答えず、彼女は包丁を取り出すと、迷いの無い動作で彼女の腹部に包丁を突き刺した。
 顔には満面の笑顔。驚愕に満ちた表情で倒れ込む母親の口を近くにあった雑巾で塞ぎ、二度、三度とユーリィは包丁をつき立てた。やがて、母親が動かなくなるのを見届けると、ユーリィは微笑んだまま、台所を出た。
 向かった先は父親が居た部屋。父親は娘と一緒に楽しそうにテレビを観ている。同じ娘に対するとは思えない程、露骨な態度の変わりように驚きすら覚える。そんな彼にユーリィはソッと近づいた。
 足音に気がついた父親はユーリィの全身の返り血に驚愕の表情を浮かべた。そんな彼の首に躊躇い無くユーリィは包丁を振るう。妹は何が起きたのか理解出来ず、目を見開いて首から血を流す父親を見つめている。父親は奇妙な呼吸音を発しながら。首を押えて床に転がった。そんな彼をユーリィは包丁で何度も刺した。何度も何度も刺して殺した。
 その段になって、漸く妹は現実を認識した。姉が父親を惨殺したのだと理解し、必死に逃げ出そうと部屋の出入り口を目指して走ろうとした。
 よほど、慌てていたのだろう。絨毯に足を取られ、妹は転倒してしまった。

『待って!! 待ってよ!! お、怒ってるの!? だ、だって、私悪くないじゃない!! あ、アンタが変な格好したりするから!!』

 妹は必死に叫んだ。死の間際の絶叫が響く。

『止めて!! 止めてよ!! 何考えてるのよ!?』

 ユーリィはそうした妹の命乞いに一切耳を貸さなかった。
 逃げ出そうとする妹の足を包丁で突き刺し、叫び出そうとする妹の口をさっき母親を殺した時に使った雑巾で塞いだ。
 包丁で小さな体が動かなくなるまで何度も何度も突き刺し、ユーリィは満面の笑顔で妹を殺した。

『ハハハ。アッハハハハハ!!』

 テレビ延々と父娘が見ていたテレビ番組の明るい声が響き続けている。
 物言わぬ死体となった家族の体から、ユーリィはゆっくりと首を切り取った。あまりにも惨い光景が広がり、ハーマイオニーは口元を押え、ハリーが寄り添った。彼の表情も青褪めている。
 ユーリィは両親と妹の頭部をゆっくり慎重に二階の自室に運ぶと、自分のベッドに置いた。

『パパ、ママ、瑠璃。少し、待っててね』

 ニコニコと言うと、ユーリィは妹の部屋に向かった。瑠璃の部屋はユーリィの部屋とは比べ物にならない程、物に溢れ、女らしい部屋だった。
 ユーリィは瑠璃の洋服を漁り、いくつか見繕うと部屋を出てシャワーを浴びた。体から血を洗い流し、新しい洋服を着た。
 ほかほかと湯気を漂わせながら、ユーリィは夜の街へと出歩いた。片手にはナップザック。中には包丁が三つ。空いている方の手には一枚の紙。

『一番近いのは……上谷君の家だね』
 
 楽しそうにユーリィは一路、上谷の家に向かった。上谷の家もユーリィの家とあまり変わらない小さな家だった。インターホンを鳴らし、夜更けの尋ね人に迷惑そうな表情で対応しようとした女性をユーリィは刺した。悲鳴を上げさせない為に喉を深く突き刺した。何が起きたのか分からずに居る彼女にユーリィは楽しそうに包丁を突き刺した。
 やがて、異常に気がついたのか、男が現れると、目の前の光景に凍りつく男に向かってユーリィは走り出した。

『アハハッ』

 満面の笑顔で男を突き刺し、ユーリィは苦悶の声を上げる男の体をメッタ刺しにした。ユーリィは家の中をゆっくりと徘徊した。
 家には肝心の上谷君とやらの他にも二人の兄弟が居た。勉強机に向かっていた少女は入って来たのが父親だと思い、追い出そうと声を上げながら振り向き、喉を切り裂かれた。そして、ユーリィは彼女も再びメッタ刺しにする。同じ作業を残る二人にも行う。

『お着替えしなきゃ』

 ユーリィはそう言うと、躊躇い無く服を脱ぎ捨てて、その家の少女の服を物色した。
 お気に入りの一着を見繕うと、皆殺しにした一家の風呂でシャワーを浴び、新しい服に着替えた。

『次は尼崎さんの家が近いかな』

 そうして、殺人鬼となったユーリィは街を練り歩く。
 初めは単純な殺し方ばかりだった。家で到着すると、インターホンを鳴らし、家主が出て来た所を不意打ちする。そして、声を出させないように慎重に事を運び、一家を皆殺しにして男女を問わず、お気に入りの服を持っている人間から服を失敬し、シャワーを浴びて着替える。その繰り返し。
 変化したのは六人目の家族。その家は母と息子の二人暮らしだった。ユーリィは息子を直ぐには殺さなかった。殺した母親をリビングに運び、部屋で勉強に勤しむ息子の背後に忍び寄り、その腕に包丁をつき立てた。その際、口をタオルで押える事は忘れない。暴れる少年の反対の腕も躊躇無く切り裂いて、少年が痛みに呻く様を楽しそうに見つめながら両足を包丁で切り裂いた。
 両腕両足を切り裂かれながらも、少年は生きていた。少年の口をガムテープで塞ぎ、痛みに悶える彼に構わず、彼の腕を引っ張り、母親の遺体が横たわるリビングへ連れて来た。
 母親の死体を見た瞬間、少年はガムテープで口を塞がれながら絶叫した。声無き絶叫を楽しそうに堪能すると、ユーリィは言った。

『但馬君。いつも私にゲームをさせるよね。出来なかったら罰ゲーム。便器の水でうがいをしたり、下半身裸で授業を受けたり、色々させたよね? だから、今日はあなたにゲームをしてもらう事にしたの。ねえ、まだ左腕は少しは動かせるよね?』

 わざと浅く切り裂いたらしく、左腕は辛うじて動いた。リビングに引き摺られる間、但馬は必死に左腕で抵抗を試みていた。
 
『お母さんにあなたが立派な男の子になった事を証明してあげようよ』
 
 そう言って、ユーリィは椅子に但馬を座らせると、下半身を露出させた。必死に抵抗の叫びを上げようとするが、口はガムテープで塞がれていて何も喋れない。鼻から息が噴出す音だけが間抜けに響き渡る。

『じゃあ、ゲームの説明をするね。お母さんにあなたの精子を掛けて上げるの。制限時間は五分だよ。男の子はそのくらいあればいけるんだよね? 山根君と田所君と四十万君と油井君と長谷川君が教えてくれたよ。私の処女を奪って、何度も何度も……』

 但馬は狂ったように鼻息を荒くした。体を揺すり、その度に激痛に苦悶した。

『さあ、タイマーがスタートしたよ。失敗したら、あなたの鼻も塞いじゃうから、頑張って!! 窒息は苦しいと思うよ?』

 ユーリィの言葉に但馬は狂ったように露出した自分の性器をしごき始めた。母親の死体の前で、母親に向かって、同級生の虐めていた女に脅されながら、必死に自慰をした。
 
『ハイ!! 五分経過ー!! 残念だったね!! あんまり、こういうシチュエーションだと興奮出来ない人なんだ、但馬君って』

 明るい声で言いながら、ユーリィはガムテープを手に取った。
 但馬は必死に体を揺らし、ユーリィから逃げようともがく。芋虫のように床を這いずる但馬にユーリィは容易く追い付き、始めに目を塞いだ。そして、一度口のガムテープを剥がすと、但馬が何か言う前に口の中にトイレの水を浸したティッシュを大量に詰め込んだ。
 再び口にガムテープをグルグルと巻くと、ハナにもトイレの水を染み込ませたティッシュを被せ、ガムテープでグルグル巻きにした。
 呼吸が止まり、苦しみもがく但馬を楽しそうに見つめ、やがて動かなくなると、ユーリィは但馬の母親から財布を失敬した。

『ちょっと、道具を使ってみようかな』

 狂気に満ちた殺人鬼は殺人行為と言う作業に娯楽を求め始めた。
 殺人の流れも手馴れ始め、手際良く一家皆殺しを続けた。幼稚園生や赤ん坊や老人も関係無く、みんな殺した。
 時には家族に家族を殺させたりもした。【見せしめ】という行為が如何に効果的なのかをユーリィに教えたのは十番目の一家だった。
 ユーリィは狂いながらもどこか冷静だった。殺し難い家は後回しにした。例えば、マンション暮らしや警備のしっかりした家は後回し。
 十六番目の一家を皆殺しにした時、夜が明けた。夜の九時から始めた殺人漫遊によって、この時点でユーリィは既に百人以上を惨殺していた。 
 ユーリィは十七番目の一家にハルの家族を選んだ。フリフリの白いワンピースを身に着け、同じ手段で家に入り込み、恋人の家族を皆殺しにした。
 ハルの家族は久しぶりに何の趣向も凝らさずに殺した。恋人の家族を弄ぶ事を忌避したのかは分からない。ユーリィは血塗れの服でハルの生前使っていた部屋に入り、ハルのベッドに寝転がった。そして、そこで自慰行為に耽り、二度絶頂を迎え、満足すると家に戻った。
 自宅は咽返るような血の臭いで満ちていた。その中を悠然と歩き、家族の生首が待つ自室に戻ると、ユーリィは安らかな寝息を立てて眠り始めた。
 目が覚めた時、ユーリィの家の周りには警察がたくさん居た。ユーリィを逮捕しに来たのかと思ったが、どうやら違ったらしい。警察はハルの家に出入りしている。きっと、ハルの一家の死体が見つかって、大騒ぎになっているのだろう。ユーリィは色々な家から拝借し、パンパンになった財布を手に、可愛い服を妹から失敬し、こっそりと家を出た。家の裏の塀を越え、裏のマンションの裏庭から正面に回り、堂々と外に出ると、ユーリィは夜を待った。そして、第二夜が開始された。
 朝を迎えると、ユーリィはもう家には戻らなかった。街中にサイレンが響き渡っていた。ユーリィはカラオケボックスで眠った。目を醒ますと、町中で雑誌を見つけた。自分の住む街の名前と連続殺人事件の文字。開いてみると、ハルの顔写真と彼の家の写真があった。そして、カラオケ店の写真も……。
 どうやら、昨夜発行された雑誌らしい。

『今日はどうしようかな』

 町中はパトカーが徘徊していた。もう、今までみたいにはいかないだろう。
 昨夜は一気に二十の家族を皆殺しにした。警察はどうやら殺害されているのがユーリィの通う学校の生徒の家族だと断定したらしい。
 ユーリィは仕方なく、この日は無関係の人間を殺す事にした。この頃にはもうユーリィは人を殺す事自体を楽しんでいた。ユーリィの行動は彼女の意思とは無関係に警察を撹乱した。
 警察はターゲットにされている人間の関係性が掴めないせいか、街中に警察を配備した。そして、ユーリィは生まれ故郷を出た。
 殺せる人間が居たら殺す。徐々にその手口は残虐性を増していき、相手を出来る限り苦しめて殺そうとするようになった。愛する子供の内臓を摘出し、その親に食べさせたり、その逆に親の体をバラバラにして、子供に食べさせたりした。
 俺は否応にも嘗て、ユーリィがクラウチに受けた拷問の内容を思い出していた。

「……同じだ」

 ユーリィが今、行っている事はユーリィが磔の呪文によって受けた拷問と同じだった。
 つまり、そういう事だったのだ。あの拷問の幻惑はユーリィが生前に行った殺人そのものだったのだ。
 前に、父さんが言っていた。

【磔の呪文は確かに幻惑を見せる事もあるが、ユーリィのあれはあまりにも……。クラウチはよほど磔の呪文に精通していたらしいな】

 それは大いなる間違いだった。ユーリィに磔の呪文があれほど効果を発揮した理由はユーリィの生前の行為によるリアリティーだったのだ。
 記憶は延々と続いた。毎日毎日、ユーリィは人を殺した。いつしか、指名手配され、雑誌などでも取り上げられるに至った。問題なのは、雑誌や指名手配の写真とユーリィの容貌がすっかり変わってしまっていた事だ。
 暗い顔の短髪の少女は長い黒髪をはためかせる明るい笑顔の女性になっていた。やがて、長い月日が経った。
 ある日、ユーリィは生まれ故郷に戻って来た。中断していた初期のターゲットを殺すためだった。
 一晩に二十の家族を皆殺しにした。ただ、最後の一家の長男だけは殺せなかった。
 彼はあのユーリィをレイプした男の一人だった。ユーリィに頭を下げた少年だった。彼を殺そうとした瞬間、不意にユーリィは涙を零した。

『もう、いいや……』

 少年の両腕を突き刺した後、涙を零しながらユーリィは少年を放置した。
 そして、そのまま学校に向かった。
 無断で学校の敷地に入り、階段を上がっていく。屋上に辿り着くと、軽い足取りで端まで行った。閉鎖された学校の施錠された屋上は実に静かだった。

『冴島!!』

 屋上の沈黙を一人の少年が破った。あの少年だ。

『あ、長谷川君』
『お、お前……お前は!!』
『ばいばい、長谷川君。私、彼に会いに行くの』
『彼って……小早川の事か!? お前、アイツの事も殺したのか!?』
『そうだよ。私が殺したの。なんで、殺しちゃったのか忘れちゃったけどね』

 ケラケラと嗤うユーリィに長谷川は怒りに満ちた顔を浮かべた。

『お前はたくさんの人を殺した!!』
『うん。凄く楽しかった』
『この人殺し!! お前は悪魔だ!!』
『うん。きっと、そうだね』
『お、お前は……お前は!!』
『そろそろ行くね。バイバイ』

 そう言って、ユーリィは柵を乗り越えた。

『待てよ!! 何で、何でだ!?』

 長谷川は叫んだ。

『どうして、俺を殺さなかったんだ!!』

 その言葉にユーリィは少し迷ってから言った。

『だって、私を助けようとしてくれて、本当に助けてくれたのはあなただけだったから……』
『……冴島』
『ありがとう、長谷川君』

 最後にニッコリと微笑み、ユーリィは仰向けになるように遥か地面目掛けて倒れるように落下した。
 そして、記憶の再生は終わりを迎えた。
 誰も言葉を発しない。想像を絶するユーリィの狂気に誰もが慄いている。
 俺はどうなんだろう。この光景を見て、俺は何を思ったのだろう。全てを呑み込むのに少し時間が掛かった。
 そして、俺は言った。

「じゃあ、ユーリィを助ける作戦会議を始めるか……」

 まともに考えると、俺は相当頭のおかしい人間なのかもしれない。
 それでも、俺はやっぱりユーリィが好きだ。
 この思いは結局何も変わらなかった。ただ、ジャスパーが俺達以外に見せようとしなかった理由は分かった気がする。

「ヴォルデモートからも、アイツ自身の狂気からも助けてやらないとな……」

 ユーリィを助けるという事はただ奪い返せばいいわけじゃない。
 俺は腹を括る事にした。

第二話「希望」

第二話「希望」

 誠は一人、部屋の中で月を見ていた。どうやって、帰って来たのかは覚えていない。愛する人が自分を置いて死んでしまった。彼の最期を目の当たりにして、誠の心は完全に壊れてしまった。
 残ったのは無。レイプされた時に僅かに抱いた憎悪も消え、哀しみも消え、何も残らなかった。
 翌日、遺体が発見されたハルと五人の男子生徒を警察は司法解剖に回した。その結果、ハルは彼の望んだ通り、五人の殺害の犯人としてマスコミに報じられた。凄惨な殺人事件と犯人の少年の自殺という衝撃的なニュースは世間を賑わせた。ハルの葬式は行われなかった。ハルの家族は世間から疎まれ、攻撃を受けた。家を囲む塀には【殺人鬼の育った家】と落書きをされ、彼の妹も両親もみんな外に出た途端に石を投げられた。
 誠は彼らを救わなければならないと思った。彼らが苦しむのは己のせいなのだと理解していたからだ。彼らを救うには犯人が自分であると申告すればいいのだろう。だけど、それは彼の願いを踏み躙るものだと思った。彼は己の罪を被り、自らの意思で死を選んだ。ならば、その死を無駄にしてはいけない。だから、彼らを救う方法は一つしかない。
 誠はそう結論を下し、彼の家に忍び込んだ。彼の家には秘密の抜け道がある。裏のマンションの階段から一目に付かずに彼の家の塀の上に降りられるのだ。そのまま、こっそりと彼の家の裏戸を開いた。鍵が壊れていて、いつも開いている事を知っていた。ただ、立て付けが悪いせいで、コツを知らない人間は開けられない。ノブを捻り、少し持ち上げながら押し開く。中に入ると、テレビの音が聞こえた。ハルのニュースが流れている。同時に咽び泣く声も聞こえる。小早川瑠璃は兄の死を受け止められずに居た。兄が人を殺した事を信じられずに居た。
 とても可哀想な子だと思い、誠はそっと背後に忍び寄り、即死させてあげようと包丁で首を切り落とした。だけど、骨のせいで上手く切れなかった。瑠璃は痛みに悶え、誠の姿に驚愕している。早く、楽にしてあげないといけない。誠は骨を砕き、瑠璃の頭と体を切り離した。
 瑠璃の死体は彼女の部屋に運んだ。安らかに眠って欲しいと思い、彼女の好きな曲のCDをかけた。そして、彼女の母親の部屋を訪れた。母親はハルの遺影の傍で毎日を過ごしていた。ハルの死を悲しみ、真実を知りたいと願っている。誠は遺影の傍で眠っている母親の胸に包丁をつき立てた。彼女の目がカッと開き、誠を見る。

「あんたが……」

 そう囁くように言うと、彼女は息を引き取った。彼女の枕元にハルの遺影を置いてあげた。最後は父親だ。早く、彼も救ってあげないといけない。母と娘が既にこの世を去っている事は知らない方がいいだろう。彼が玄関の扉をこそこそと入って来るのを待ち、不意をついて殺した。今度は即死させる事に成功した。彼を母親の傍に連れて行く。
 これで三人はハルと一緒にあの世で暮らせる。こんな地獄のような現世に縛られて苦しみ続ける事もなくなる。

「おやすみなさい」
 
 誠は晴れ晴れしい気分で家に帰った。すると、家には真紀の姿があった。
 真紀はハルの死に疑問を抱いていた。彼女は何故か誠がカラオケ店に居た事を知っていた。その事を誠が指摘すると、彼女はペラペラと喋り始めた。これまでの誠に対する周囲の虐めの黒幕が自分である事を包み隠さず話した。ハルの死によって、彼女は自暴自棄になっていたのかもしれない。心の支えである自分が真の黒幕であると知り、絶望する誠の顔が見たかったのかもしれない。
 しかし、彼女の思惑とは裏腹に誠は彼女を恨みもせず、怒りもしなかった。ただ、哀れに感じた。真紀が如何にハルを愛しているかを知った。己が受けて来た苦痛は真紀の愛の深さ故なのだと思った。即ち、彼女の愛は己の苦痛と同等なものなのだ。ならば、それほどの愛の対象を失った彼女はこの世に縛られていても不幸なだけだ。そう結論を下し、誠は真紀を近所の公園に誘った。広々としていて、休日には人が大勢遊んでいる場所。ここで、何度か誠は拷問を受けた事がある。だから、人気の無いポイントを熟知していた。
 ハルの真実を話すと言うと、彼女はアッサリとついて来た。誠は彼女の首を絞めた。穏やかな笑顔を浮かべながら彼女を殺した。ただ、彼女の死後の幸福を祈りながら殺した。
 そして、誠は彼女の死について考えた。彼女はとても人気のある女の子だった。彼女を愛した人は大勢居た。彼女の死に彼ら、彼女らはきっと絶望的な気持ちになる筈だ。なら、彼らも彼女と同じ場所に送ってあげるべきだ。そう思い、薬局に向かった。スーパーや薬局で必要な物を買い揃えた。
 学校で真紀の死についての集会が行われる事になった。チャンス到来だ。いつものように虐められ、トイレで殴られたから、集会に遅れる事を不思議には思われないだろう。学校中の教師や生徒が地下の体育館に集まった後、外側からこっそりと二つある扉をロックした。鎖を何重にも巻き、誰も出られないようにした。そのまま、誠は警備室を尋ねた。ここには警備員が一人居るだけだ。誠は警備員に用事を尋ねられると、ニッコリ微笑み、警備員を刺し殺した。そして、学校の施設の電源を管理するパネルを弄り、学校を停電させた。空調システムも停止する。
 誠は体育館に急いで戻った。停電したせいで廊下も階段も真っ暗で何度も転びそうになった。体育館に辿り着くと、中は大騒ぎだった。真っ暗闇の中、扉も開かなくなり、パニックが起きている。教師の誰かが必死に生徒達を宥めようとしているけど、生徒達のパニックは簡単には収まらない。でも、あまりモタモタしていられない。用務員などが来てしまう可能性もある。
 誠はせっせと用意した二つの洗剤を混ぜては僅かに開いた扉の隙間から体育館の中に投げ入れた。中で苦しむ人の絶叫が響く。もう一つの入り口の方にも回って、同じ作業を行う。これだけでは、入り口付近に集まっている人間しか死なないだろうが、パニックで外を出たがる生徒達の大半が入り口付近に固まっていたおかげでかなりの人間が悶え苦しんでいる。
 十分ほど離れた場所に退避して、中が静かになるのを待った。扉を開こうとする人の姿は無い。どうやら、入り口付近が危険な事に気付いた教師が奥へと動ける生徒を退避させたらしい。
 その時だった。照明が復活した。どうやら、用務員か誰かがパネルを弄ったらしい。という事は警備員も見つかったのだろう。警察が来る前にみんなを殺してあげないといけない。扉の隙間から覗き込むと、大半の生徒が床に転がっていた。無事なのは数人の教師と生徒だけだ。思った以上に大成功だったみたい。
 誠はもう一つ用意したとっておきを手に、扉を開いた。無事だった人達は扉の解放に体を強張らせたが、中に入って来たのが誠だと分かると直ぐに安堵した。誠が犯人だとは思って居ないらしい。何をしても抵抗しない玩具に対して、警戒心を抱く人間は居なかった。
 誠はゆっくりと無事だった人達の下へ行き、ペットボトルの封を開いて彼らに投げた。一瞬で気化したガスが彼らを包みこんだ。用意した中でも特別強力なガスで、一息吸っただけで意識が朦朧となる。誠はそそくさと逃げ出し、包丁を取り出した。悶え苦しむ生徒達を救わなければいけない。時間はあまり残されていない。
 包丁で動物を〆るように心臓を突き刺していく。まるで、作業のように淡々と殺していく姿に苦しみながら見ていた生徒や教師たちは初め呆然としていたが、直ぐに恐怖に顔を歪め逃げ出そうとした。だが、毒のせいで体に力が入らず、その間に誠は次々に殺しを行っていく。
 一人に対して一刺し。即死する者も居れば、心臓を突き刺されたまま放置され、少しずつ冷たくなっていく自分に恐怖しながら死ぬ者も居る。一クラス二十人前後で一学年五クラス。三学年で合計三百人ちょっと。教師も入れれば三百四十三人。額から汗を流しながら懸命に誠は殺していった。途中、なんとか誠を取り押さえようとした生徒も居たが、前後不覚に陥っている状態で凶器を持つ誠には敵わず、次々に死んでいった。
 
「一番はじめは一の宮~」

 誠は歌を歌った。陽気な声色で歌いながら次々に殺していく誠の姿に生徒達は恐怖する。
 疲れてきたのか、誠は首を狙うようになった。首を半分切るだけで後は放置する。血が止め処なく溢れ出し、痛みに悶える生徒達を尻目に次々と切っていく。
 百人が殺され、二百人が死に、ついに生き残りは二桁になろうとしていた。
 バスケットコート二つ分の広々とした体育館に血の臭いが充満する。手足をバタつかせて逃げようとしても簡単に追いつかれて首を切り裂かれる。
 時間にして二十分足らずの出来事。扉は中から施錠しておいたから外からは中の様子が分からないけれど、警備員の死体を発見した用務員が教師達に報せようとさっきから扉をこじ開けようと躍起になっている。中の異変にも気付いているのだろう。
 最期の一人はあの少年だった。誠を世話した少年は小便を漏らしながら震える声で言った。

「し、死にたく……無い」
「死にたくないの?」
 
 誠は意外そうな表情を浮かべながらも、その言葉を受け入れた。
 少年をアッサリと見逃し、用務員が騒いでいる方とは反対の扉に向かって歩き出した。
 誠は学校を出た。走って、走って、走り続けた。帰り血でビッショリになった制服は学校の敷地に置いて来た。白いワイシャツ姿で走り続ける。汗でワイシャツが透けてブラジャーが見えるのも御構い無しだ。その表情は晴れ晴れとした笑顔だった。
 その姿を見た人達は誰も彼女が人を殺してきたばかりとは思わなかった。誠はその足で電車に乗り、遠くへ向かった。目的があったわけじゃなかった。ただ、遠くへ行きたかった。
 お金が底を尽く頃には県を跨いでいた。誠は降りた駅の近くの公園で眠りについた。すると、優しい風貌の男に誠は起こされた。男は誠を家出少女と思い声を掛けたのだ。

「こんな所で寝ていたら凍死してしまうよ。ついておいで」

 優しい声に誠は素直について行った。連れて行かれた先はホテルだった。
 誠は生まれて初めて、援助交際というものをした。

「お金が欲しかったら、またおいで」

 男の言葉を誠は素直に聞いて、次の日も、その次の日も男の下を訪れた。
 やがて、虐めで切られた髪も伸び、風貌も少し変化した頃、ホテルのテレビで自分のニュースを見た。
 母校の映像と共に被害者の名前がずらずらと並んでいる。誠が殺した人々の名前。誠は彼らの冥福を祈った。

「彼らは可哀想だね。生き残ったのは一人だけだったみたいだよ。しかも、少女が一人行方不明になっているらしく、警察は捜索しているらしいが恐らくは殺されているんだろうな。事件の残虐性や規模から、何らかの組織的犯罪だと警察は見ているようだが……」

 男は誠を背中から抱き締めながら言った。

「そうだ。もっとお金が欲しいかい? だったら、私以外も紹介してあげるよ。それに、漫画喫茶とかで過ごしているなら、住む場所を見つけてあげるよ」

 そうして、男が案内したのは安いアパートだった。ボロボロで住人も曰くのありそうな人ばかりだった。
 部屋には簡単なキッチンとトイレとお風呂がついていた。そこに男の知り合いを名乗る男が次々に現れては誠を抱き、お金を渡した。娼婦のように扱う男達の要望に誠は素直に答えた。
 その内、男に媚びる方法や男に愛される方法を学んだ。虐められていた頃はした事の無かった化粧やスタイリングを覚えた。
 生きる目的も無く、誠は命じられたままに男と男の知り合いを悦ばせる毎日を送った。その頃になると、事件の事はニュースで取り上げられなくなって来た。

「どうかしたのかい?」
 
 裏ビデオというのを撮影する為らしく、丹念に誠の下腹部を弄りながら男は元気の無い誠に聞いた。
 
「なんだか、元気が無いね? 腕を入れるのは怖いかい? それとも、昨日の鑑賞会で犬としたのが気に入らなかったかい?」
「ううん。僕……分かったの」
 
 男の趣味で一人称を【僕】と言いながら、誠は言った。

「やっぱり、このままじゃいけないって」
「心境に変化があったのかい?」

 男は不思議そうに首を傾げた。

「うん。僕が家出した理由話して無かったよね?」
「聞かせてくれるのかい?」

 時には鞭や蝋燭を使い、誠に指導を施して来た男は優しい微笑みを浮かべて聞いた。
 誠はそんな男の腹部に隠し持っていた包丁を突き刺した。
 呆然とした表情を浮かべる男に誠はキスをした。

「おじさんの事は好きだよ。いっぱい、お世話にもなったしね。だから、お別れするのが辛いの。僕も直ぐに追い掛けるから、先に行って、待ってて欲しいんだ」

 誠は包丁を男から抜くと、適当に放り捨てて、外に出た。
 罪悪感は無い。恐怖も悲しみも怒りも喜びも無い。
 ただ、一人で居る事が寂しかった。このまま、男の下に居て、爛れた生活を送り続けても良かった。
 だけど、男には妻が居た。息子や娘もいる。ずっと一緒には居られない。男の知り合い達も殆どが妻子持ちだったし、独身の男達も娼婦まがいの曰く付きの子供などと親しくなろうとはしなかった。
 あくまでも、彼らにとって誠は性処理と金稼ぎの道具でしかなかった。
 だから、彼の下へ行く事にした。援助交際や娼婦として稼いだお金で身支度を整えて、故郷の町に戻った。途中、売店で買った雑誌を読むと、自分の記事があった。
 どうやら、警察は誠が被害者ではなく、真犯人だという結論に辿り着いたらしい。そして、雑誌にはポップな文字で【超高校級の絶望】と書かれていた。以前のカラオケ店での事件が取り上げられている。あの時は【超高校級の人殺し】という文字が踊っていたらしい。超高校級の絶望というのはとある謎解きゲームの中に登場するワードらしい。誠はちょっとカッコいいな、と思った。
 町の様子は少し変わっていた。駅には大きなビルが出来、母校は閉鎖されていた。
 中に入るのは容易だった。もう、二年も前の事件現場には警察の姿は無かった。
 軽い足取りで校舎に近づき、窓を割って中に入る。警報装置は鳴らなかった。来月、取り壊される予定だからだろうか、既に警備会社との契約は切れているらしい。中に入ると、階段を軽快に駆け上がる。
 死ぬ事に対して誠はとても前向きだった。前向きが故にハルの家族を殺し、真紀を殺し、同校の生徒達を殺し、教師達を殺し、男を殺した。
 誠は壊れていた。みんなを殺した事に罪悪感を持たず、むしろ、みんなを救ったのだと誇らしくすら思っている。
 誠はこの時、全てを愛していた。恋人のハルを愛し、自分を苦しめた黒幕である真紀を愛し、自分を虐めてきた学友を愛し、自分の苦しむ姿を黙認した教師達を愛し、自分を娼婦にした男を愛した。
 ただ、家族だけは愛していなかった。彼らは誠に対して無関心だったからだ。虐めであれ、慈しみであれ、憎しみであれ、性欲であれ、感情をぶつけてくれる人を誠は愛し、ぶつけてくれない人を憎んだ。だから、自分の家族は殺さなかった。己と同じ場所にあの人達を連れて行きたくなかったからだ。
 最後の段を昇り切り、固く施錠された扉を途中で拾ったスコップで怖し、屋上へ出た。空は茜色に染まり、素晴らしい景色だった。死という人生の結末を彩るのに相応しい素晴らしい光景だと思い、誠は目に焼きつけた。
 ただ、少し寂しかった。死は救いだが、死の瞬間は孤独だ。こんな事なら、男の首を切り取ってでも持ってくれば良かった。
 そう思い、唇を尖らせていると、屋上の扉が大きな音を立てて開いた。
 懐かしい顔だった。偶然、誠の姿を見かけ、追い掛けて来たらしい。唯一、死を逃れた少年が立っていた。
 なんて、嬉しいんだろう。死の瞬間を見届けてくれる人が居た。もう、寂しくない。
 誠は微笑んだ。

「ありがとう」
「駄目だ!! 待て!! 待ってくれ!! 駄目だ!!」

 彼の声をBGMに誠はアッサリと飛び降りた。
 顔には満面の笑みを浮かべ、地面に血の華を咲かせた。

 ※※※※

「これがボクの死後からマコちゃんが死ぬまでの経緯だよ。彼女の狂気は人を殺す事を救済だと考えている事なんだ。怒りとか、悲しみとか、喜びとか、そういう感情で動いたならまだ救いはある。だけど、彼女は……」
「一ついいかしら……」

 ジャスパーの語るあまりにも壮絶なユーリィの過去に誰もが圧倒される中で、やはりハーマイオニーは冷静さを保っていた。

「あなたはどうして、自分を人殺しだなんて、わざわざ言ったの? 記憶を改竄までしたのに、わざわざユーリィに記憶を取り戻させてしまうかもしれないリスクを負ったのは何故?」
「初めて、ボクが表に出た時の事だね? もちろん、大きなリスクだとは分かっていた。だけど、あの時点で既にボクが施した彼女の記憶の封印は亀裂が入っていた」
「つまり、あなたは敢えて自分を人殺しと示したのね。そうする事で、ユーリィが過去の自分の記憶を見ても、あなたの記憶だと誤解するように……」
「結構、上手くいってたんだけどね……。まさか、ヴォルデモートがあんな強硬手段を使うとは考えて無かったんだ……」

 二人の会話についていけない。どうして、ハーマイオニーは冷静で居られるんだ。
 虐められ、レイプされ、人を殺し、精神が壊れ、娼婦にされたユーリィの過去を聞いて、どうして冷静で居られるんだ……。

「それで、どうかな?」
「え?」

 ジャスパーは突然俺に話を振ってきた。

「ボクの話を聞いて、君はマコちゃんを今どう思ってる?」

 どう思っているか?
 俺はユーリィに対して何を思っているんだろう。他の奴に対して抱いている感情は明確に分かる。
 憎悪と憤怒と悔恨だ。何故、ユーリィがそんな苦しまされなければならなかったんだ。そう思うと頭がどうにかなりそうだ。
 
「マコちゃんは……ユーリィは男を知ってるんだ。それに、彼女はボクを愛していた。その上、大量殺人鬼だ。およそ、普通の人間なら彼女を受け入れる事なんて出来ない。だから、君がどう答えても、ボクは責めたりしないよ」

 そう、ジャスパーは酷くどうでもいい事を口にした。

「は? アイツが男を知ってようが、人殺しだろうが、別にどうでもいいだろ」
「え?」

 ジャスパーだけではなく、ハーマイオニーや他の全員が驚愕に顔を歪めた。
 何を驚いているんだろう。

「お前を愛してたってのがちょっと気に入らないが、まあ、構わない。ただ、そうだな……」

 俺は今、ユーリィに対して抱いているのは何だろう。
 同情? 悲哀? 憤怒? いや、違う。

「やっぱ、俺はユーリィが好きだな。ただ、生前のアイツの境遇に同情しちまってるだけなのかとも思ったけど、違うんだよな」
「ア、アルフォンス君……?」

 ジャスパーは見た事の無い程うろたえた表情を浮かべている。
 どうしたんだ?

「君は正気なのかい? 同情でもなく、彼女を愛するなんて……」
「お前だって、愛してるんだろ」
「それは……、ボクは彼女が壊れる前の姿を知っていて、その彼女を愛していただけで……」
「違うと思うぜ。俺はお前が今でもアイツを愛しているんだと思う。じゃなきゃ、そんな縋るような目で俺を見たりしないだろ。俺にアイツを捨てる選択を取らせたくないって、顔に書いてあるぜ」
「ボ、ボクは……」
「俺はユーリィを愛している。アイツが欲しいんだ。アイツの心も魂も何もかもを独占したい。だから、まあ、お前とはライバルになるわけだな。負けないけどよ」

 それが俺の結論だ。俺にとって、アイツの過去はそこまで重要じゃないらしい。
 知らない誰かに抱かれた? 別に構わない。ただ、アイツがそれを辛かったって言うなら、俺が癒してやりたい。
 人を殺した? 別に構わない。ただ、アイツが悔いているなら、一緒に償う方法を探してやる。償えなくても、一緒に後悔してやる。
 ジャスパーを愛していた? 別に構わない。だが、俺を愛させる。まあ、これが一番難しいかもしれないが、やってやる。

「俺はヴォルデモートにもお前にも誰にもアイツを譲らない。ああ、お前の話を聞いて、これだけは言えるぜ。サッパリした。やっぱり、俺はアイツが好きだ。だから、助け出す。その為なら何だってやってやる。だからよ、力を貸せ」
「き、君は……ッ」
「お前の力はこれから先、必要になる気がする。後悔だとか、恐怖だとか、んなどうでもいい事で悩んでんじゃねぇぞ。ジェイクが殺され、ユーリィが攫われた。こっからは俺達が反撃する番だ。これから忙しくなるんだ。うだうだ悩むのは後にしな」
「……本当に、どうして君のような男が居るのか不思議で仕方が無いよ。君の人格はボクの理解を超え過ぎている」
「んなの当たり前だろ。お前は俺じゃないんだ。俺だって、お前の事は分からない。ただ、それでも自分の事は理解出来ている。なら、テメェもテメェの事を理解出来る筈だ。本当にユーリィを愛しているのか否か、今、答えを出せよ」

 ジャスパーは深々と溜息を零した。

「まったく、さすがとしか言いようが無いよ。君に言って無かった事が一つある」
「なんだ?」
「ボクは死の直前に願った事があるんだ。きっと、神様はその願いを叶えてくれたんだろうね」
「願い……?」
「そうだよ。ボクは願ったんだ。友達が欲しいってね。マコちゃんの一件があって、ボクは誰の事も信じる事が出来なくなった。だから、本当の意味での友達が得られなかったんだ。ねえ、ボクと友達になってくれないかい?」
「……嫌だ」
「……あれ」

 意外そうな顔をするジャスパーに呆れてしまう。

「お前は俺の恋のライバルって奴だぞ。なんで、そんな奴と友達になるんだよ」
「だって、ボクが友達を望んだから、君が居るんだろう? 本当なら、君はボクと友達になる筈だったんだ。だから……」
「気持ち悪いぞ!! いきなり、なんなんだ!? 人を馬鹿とか言ったりしてきたかと思えば……」
「うーん。つまり、ボクはマコちゃんを愛しているんだよ」
「……お、おう」
「だけど、ボクは弱いんだ。だから、一人だと彼女を愛せないんだよ。彼女に対する恐怖に負けてしまうんだ。だから、彼女を共に愛する相棒が必要なのさ」
「意味わかんねぇよ!!」
「つまり、ボクには君が必要なんだ!!」
「気持ち悪いつってんだろ!!」

 何なんだ、こいつは!?
 俺はロープで縛られたまま必死にジャスパーから離れようとした。

「つか、俺は誰かと一緒に愛したいんじゃない。俺はアイツを独占したいんだ。お前にくれてやる分なんざ無い!!」
「ああ、構わないさ」
「あ?」
「ボクは彼女を救う。それでボクの愛は完結するんだ」
「何言って……」
「彼女の幸福は君と共にある。今、ボクはそう確信しているんだ。だから、ボクは君の力になりたいんだ。友達として、君が彼女を独占するのを手伝いたいんだ。いや、君に独占してもらわないと困るんだ。他の誰も彼女を幸せには出来ない。君しか居ないんだ!!」
「……って、お前は本気でわけわかんねぇ!!」
「当たり前さ。君が言った事じゃないか。自分で理解出来るのは自分だけだってさ。ボクは理解しただけだよ。自分の気持ちをね。ボクは彼女を愛している。だが、同時に恐怖している。彼女の幸せを願いながら、傍に居る事を忌避しているんだ。そんなボクに彼女を幸せにする権利は無いし、幸せに出来る自信も無い。まさに、他力本願って奴だよ。ああ、本当に最低で愚劣な考えだよ。だけど、こんなクズでも彼女の幸せを願っているのは本当なんだ」
「つまり、ジャスパー。あなたはアルの友達になりたい。相棒として、愛する彼女を幸せに出来るアルの力になりたい。そういう事でいいのね?」

 ハーマイオニーが簡潔にまとめてくれたが、それでも意味が分からない。
 ただ、こいつの力が必要な事に間違いは無い。だったら、どんなに気持ちが悪くても我慢しよう。

「分かった。友達にでも何でもなってやる。だから、必ず助けるぞ、ユーリィをな」
「ああ、勿論だよ。本当に素晴らしいよ、君は!! 馬鹿だ、愚かだと侮辱した事を許してくれ。君はまさにボクとマコちゃんの【希望】だよ」
「なんだよ、ソレ……。お前、やっぱキモイぞ」
「ふふふ、君の言葉は深くボクの心に染み渡ったよ」
「お、おう」

 本当にコイツの力は当てになるんだろうか……。
 いやにハイテンションなジャスパーに先行きがとんでもなく不安になって来た。 

第一話「愛」

第一話「愛」

 ジャスパーの話を聞いている内に俺は少しずつ体から力が抜けていくのを感じていた。人間の残酷さや醜悪さをこれ以上無く感じる。
 ヴォルデモートを始めとした死喰い人の連中はユーリィの生前の周囲の人間と同じだ。攻撃する相手が居て、一緒に攻撃する人間が居る。だから、平気で人を傷つけ、楽しめる。何も、死喰い人は特別な悪というわけじゃない。人間は……、魔法使いは誰もが死喰い人になる可能性を秘めている。ジャスパーの語るユーリィの生前の物語はその事を俺に気付かせた。
 俺だって、環境が違えば死喰い人になっていたかもしれない。ユーリィを……誠を虐める側に立っていたかもしれない。そう自覚した途端、怖くなった。俺は人を傷つける事の楽しさを知っている。弱い人間を嬲る楽しさを知っている。反撃が来ない事の安心感を知っている。

――――そんな俺にユーリィを思う資格があるのか?

 今、俺はそんな迷いを抱いてしまっている。

「――――そして、高校の屋上からボクは飛び降りたという訳さ。そして、マコちゃんの心にトドメを刺した。まったく、笑っちゃうだろう? ボクは結局、マコちゃんを救うどころか、より深い奈落の底へ叩き込んだんだ」

 ジャスパーは乾いた笑みを浮かべながら語り続けている。もはや、誰かに聞かせているというよりも、自分の中に溜まった膿を吐き出しているだけのように感じる。
 部屋の中でジャスパーの話を聞く面々の反応は各々様々だ。部屋に居るのは俺とハリー、ハーマイオニー、ネビル、ロン、それにスリザリンの下級生のアステリア・グリーングラス。それに、マクゴナガルとスネイプ。そして、母さんと未だ意識を失ったままの状態のソーニャ。
 アステリアはマルフォイの死の報せに茫然自失となり、蹲ったまま静かに涙を流している。マクゴナガルとスネイプは沈痛な面持ちで黙り込み、母さんは怒りと悔しさに顔を歪めながらソーニャの頬を撫でている。
 ハリーとネビル、ロンの三人はジャスパーの語るあまりにも凄惨な話に青褪めた表情を浮かべながら俯いている。ハーマイオニーだけが冷静さを保ったままジャスパーの話に耳を傾けている。
 ハーマイオニーはユーリィの生前が女である可能性をただ一人見抜いていた。このジャスパーの話の中にも何かを見出しているのかもしれない。ジャスパーの話が終わったら、彼女に考え聞いてみるのもいいかもしれない。

「まあ、ここまでがボクの生前の話になるね。で、ここから先はボクの死後の向こうの世界の話」
「待って」

 ジャスパーの話を遮ったのはハーマイオニーだ。
 彼女は眉間に皺を寄せながら言った。

「あなたの生前の話についても、妙にユーリィの……冴島誠の事情に詳しかったわね。でも、そこは置いておくわ。死後の向こうの世界の話って、どういう意味かしら?」

 確かに妙だとは思った。ジャスパーはユーリィの過去をまるで己の事のように詳しく語った。如何に恋人だったからといっても詳し過ぎる。

「そうだね。先にその事について話して置こうか。ボクはこの世に生まれて直ぐに自分の事を理解していたんだ」
「どういう事?」
「生まれ変わった事。自分の中にもう一人の住人が居る事。その住人がマコちゃんである事。ボクの死後に何が起きたのかって事も全部分かったんだ」
「それって、つまり赤ん坊の頃に既に自我があったっていう意味?」
「そうなるね」

 ジャスパーは視線を眠ったままのソーニャに向けた。

「お母さんがボクを初めて抱き上げた時の事も覚えているよ。凄く嬉しそうだったな。きっと、お父さんとの間に生まれて来た子供が愛おしくて仕方なかったんだと思う。生後まもなく、ボクはそんな思考を抱いていたんだ。どうだい? 我ながらとんでもなく気味の悪い赤ん坊だと思わないかな?」

 少なくとも、ソーニャが気を失っていて良かったとは思った。自分の赤ん坊が冷静に自分を観察し、感慨に耽っていたなどと、どんなに愛に溢れた人間でも嫌悪感を抱くに決まってる。

「だから、記憶を弄ったの?」

 そんな単純な思考をしていた俺とは裏腹にハーマイオニーはその更に先を見つめ問い掛けた。

「それが全てってわけじゃないよ。でも、理由の一つではあるね。とにかく、罪悪感が酷くてさ……。だって、ボクの存在が無ければ、純粋無垢で真っ白な心を持った赤ん坊が居た筈なんだ。ソレをボクのような下劣な人間の人格が塗り潰してしまった。元々、ボクの生まれ変わり先がこの肉体で、たまたまボクは生前の記憶を持ち越してしまっただけなのかもしれないけど、こんな気味の悪い人格を抱いた赤ん坊の世話をさせるなんて残酷過ぎて耐えられなかった」

 自嘲するジャスパーにハーマイオニーは同情するでもなく、反論するでもなく、どこまでも冷静に問い掛けた。

「じゃあ、他の理由というのは?」
「勿論、マコちゃんを幸せにしたいからだよ」

 ジャスパーはそれまで浮かべていた乾いた笑みすら消し、無表情で言った。

「ボクの愚かさが彼女の人生を滅茶苦茶にした。初めから、ボクなんかが居なければ、きっと彼女は普通の女の子として普通に生活し、普通の幸せを手に入れていた筈なんだ。だから、ボクには彼女を幸せにする義務があった。例え、己を魂の奥底に封印し、自由も無く、永遠に傍観者として彼女の二度目の人生を眺め続ける事になろうともね」
「それが、嘗て言っていた、あなたが払った【犠牲】ね」
「よく覚えているね。さすがだよ、ハーマイオニーちゃん」
「どういう意味だ?」

 サッパリ二人の会話についていけない。ジャスパーは呆れたように俺を一瞥し、ハーマイオニーは淡々と言った。

「ドラコがユーリィを攫った時、ジャスパーが銃を使うあなたに対してこう言ったのを覚えていない? 【まったく、ボクがどれだけ犠牲を払っているかも知らないで、君は……】と。この犠牲というのは【自由】や【時間】の事なんでしょ? ユーリィに肉体を使わせ、あなたは意識を魂の奥底に封印し続けてきた。その間、あなたの意識はどうなっていたのかしら?」
「本当にさすがだよ、ハーマイオニーちゃん。大正解。ちなみに、ボクの意識は常にあったよ。魂の奥底でボクはいつも眺め続けていたんだ。マコちゃんがアルフォンス君と遊んだり、お母さんやお父さんに愛される姿をずっとね……」

 俺は言葉を失った。想像を遥かに超える事実に慄きすらした。つまり、こいつは誰もいない、誰にも気付かれない孤独な牢獄に自分を拘束して、ただユーリィが生きる世界を傍観し続けて来たんだ。ユーリィが幸せに生きられるように願って。
 俺に同じ事が出来るのだろうか……。同じ立場に立った時に俺はユーリィの為にジャスパーがした事を出来るのだろうか……。
 
「……お前はマコトを本当に愛してるんだな」
「ああ、うん。でも、多分、そればかりじゃなかったと思う」
「どういう意味だ?」

 ジャスパーは髪をかき上げながら言った。

「ボクは恐れたんだよ。自分の中に宿ったマコちゃんの魂に恐怖したんだ」

 暗い表情を浮かべながら、ジャスパーは言った。

「ボクはね、彼女の記憶を見てしまったんだよ。流れ込んできたと言ってもいい。彼女がボクの死後にした事を全て見てしまった。そして、恐怖し、彼女の記憶を封じたんだ。ああ、ボクは彼女の幸せだけを願っていたわけじゃない。彼女が抱いてしまった狂気を鎮めたかったんだ。だから、彼女の記憶とボクの記憶を切り貼りして、新しい人格に作り変えたんだ。ただの虐められっ子の男の子という偽りのペルソナを作り、彼女に被せた」

 ジャスパーは頭を抱え、苦悶の表情を浮かべた。

「ボクは本当に彼女を愛していたのかなぁ。だって、ボクは彼女の幸せを願った筈なのに、彼女の人格をまったく別のものに作り変えてしまった。彼女の罪を被って死んだ時だって、ボクは本当に彼女の事を思って行動したのかなぁ。ボクは……ボクは……、ただ逃げただけじゃないのかなぁ。マコちゃんがああなるまで放置してしまった罪悪感やあの血塗れのカラオケルームに佇んでいたマコちゃん自身から逃げただけなんじゃないかなぁ。ああ、ボクは……ア、アハハ、アハハハハハハハハハハハハッハハハハハハハハハハハッハハハハハハハハッハハハハハハハハハハ!!」

 ジャスパーは狂ったように笑い始めた。自分の感情を持て余している。自分の愛を疑っている。
 
「ジャスパー!!」

 気が付くと、俺は奴を殴っていた。ユーリィの顔を殴っていた。
 ジャスパーは笑みを消し、驚いたように目を見開いて俺を見た。

「お前は間違いなくユーリィを愛していた筈だ。じゃなきゃ、十五年も魂の奥底に自分を封印するなんざ出来る筈が無い!!」

 こいつが自分の愛を疑う事が許せなかった。

「……ああ、君はボクと自分を重ねてしまったんだね」

 まるで、見透かすかのようにジャスパーは言った。

「何を……」
「きっと、最初はマコちゃんを虐めた周りの人間達と自分を重ねてしまったんだろうね。それが嫌で、今度はボクと重ねた。だから、ボクがマコちゃんへの愛を疑う事が許せない。そうだろう?」

 気が付くと、また、俺は殴っていた。
 口から血を流しながら、ジャスパーは俺を愉快そうに見つめる。

「君は虐めていた連中とも、このボクとも似てしまっている。暴力が好きなんだろう? 弱い者虐めだって好きなんだろう? それに、マコちゃんの事も好きなんだろう?」
「黙れ!!」

 俺は何をしているんだ。
 狂ったように拳を振り上げ、ユーリィと同じ顔を殴り付けている。ハーマイオニーやみんなが止めても俺は殴った。ジャスパーは顔が醜く歪みながらも俺を笑い続けた。
 最後にはスネイプが俺をロープで縛りつけた。マダム・ポンフリーは怒りに満ちた顔で俺を一瞥しながらジャスパーの治療を行い、瞬く間に奴の顔を元に戻した。ユーリィと同じ顔が俺を笑っている。

「まったく、馬鹿だよね、君はさ」
「何だと……」
「君はマコちゃんを虐めていた奴ともボクとも違う。まあ、ボクに似ているって、最初に言い出したのはボク自身だから、ちょっと反省しなきゃね」
「……は?」

 ジャスパーはクスリと笑った。

「君は確かに弱者を甚振る事や暴力を振るう事自体に快感を覚える人種だ。その事を君自身が自覚しているだろう。それに、君はマコちゃんを愛している。ああ、君が同性愛者だとはもう言わないよ。君はただ、マコちゃんという存在を愛しているんだ。だから、ボクを殴れる」

 ジャスパーは明るく微笑んだ。

「安心したよ。君はボクとは違う。だって、君はマコちゃんに対してだけは暴力を振るいたくないと思っている。マコちゃんの苦しむ姿を見たくないと思っている。君はマコちゃんの事を誰よりも守りたいと思っている」
「な、何が言いたいんだ……」
「つまり、君はマコちゃんだけを愛しているんだ。それ以外の存在は全て敵に回しても構わないと考えている。ボクとも虐めていた奴等とも違うのはソコだよ。ボクは友達も家族も大事だった。だから、彼女が大変な時に彼女だけを見ていられなかった。だけど、君は彼女だけを見ている。君の世界の中心は彼女だけなんだ。君はさ、そこにいるお母さんだって、殺せてしまうだろう?」

 体が強張った。何を言っているんだ、こいつ。
 母さんを殺すだと? そんな事、あるわけが無い。

「仮定の話だよ。もし、お母さんやお父さんやマッドアイがマコちゃんを殺そうとしたら、君はどちらの味方になる? 君はマコちゃんを殺せるかい?」
「な、なんでそうなるんだよ!? ゆ、ユーリィを殺すなんて、んな事!!」
「ああ、無いよね。マコちゃんを殺す事だけは無い。凄いよね。どうやったら、そんな人格に育つのかな? 君はお母さんたちを殺すという選択肢には拒否感を抱かなかっただろう?」
「え?」

 俺は愕然となった。母さんたちか、ユーリィのどちらを殺すかと聞かれ、俺はユーリィを殺す選択肢を嫌った。母さんたちを殺す選択肢には何も思わなかった。
 振り向くのが怖い。俺は母さんをどう見ているんだ。みんなをどう見ているんだ。分からない。家族を愛しているのは間違い無い……筈だ。

「それが君の【愛】なんだろうね。マコちゃんの為を思えば、全てを切り捨てられる。マコちゃんが絡まなければ、きっと君はどこにでもいる普通の男の子なんだと思うよ。周りに流され、暴力を楽しむ普通の男の子。言っておくが、暴力が楽しいと思うのは別におかしい話じゃない。誰だってそうなんだよ。だから、死喰い人って連中が居る。合法的に人を傷つけられる格闘家や兵士が居る。彼らがその道を選ぶ理由はどんなに高尚であれ、どこかに暴力への欲求がある。誰だってそうなんだよ。みんな、それを普段はただ理性で抑えているだけなのさ。暴力が合法になれば、きっと誰もが人を傷つけたがる。マコちゃんを虐めていた連中はその典型例だっただけさ。マコちゃんを傷つけても、誰も責めない。だから、普段は温厚な人間も、普段は優しいと評される人間も、誰もが彼女を傷つけた。それが人間なのさ」

 ジャスパーの言葉は極論だ。誰もが暴力を良しとしている考えには賛同出来ない。
 例えば、マハトマ・ガンディーなら魔法使いの俺でも知っている非暴力の男だ。自身が傷つけられて尚、仲間が傷つけられて尚、暴力を禁じた男が居た。暴力を厭う人間は必ず存在する。
 
「まあ、ボクが言いたいのはそんな性悪説なんかじゃないよ。ただ、君がどれだけマコちゃんを愛しているかを自覚して欲しいだけさ。迷いを断ち切ってもらう為にも分かって欲しい。君がボクや虐めをしていた奴等と違う点。それは、周りに流されずにマコちゃんの為なら強者にだって立ち向かえるって事だよ」

 ジャスパーの言葉はまるで甘いお菓子だ。手を伸ばして喰らいつきたくなる御馳走だ。
 だけど、俺は奴の言葉を否定する。

「俺はただ、暴力が好きなだけなんじゃないのか? 他の誰よりも……。俺は、俺は……、ただ、ユーリィを理由に使っているだけなんじゃないのか!?」

 俺の最大の懸念はソコにある。俺はただ、誰よりも暴力が好きなだけじゃないのか、と。
 ただ、暴力を振るう口実にする為にユーリィを利用しているんじゃないか?
 そんな考えが俺の心を蝕む。

「まったく、馬鹿な癖に変に拘るんだね。なら、言ってあげるよ。君は暴力を好んでいる。これは事実さ。拳銃なんて、人を殺すためだけの凶器に魅入られてしまう君は【生まれ持っての殺人鬼】だよ。でも、その為に君はマコちゃんを利用したりはしない。だって、君さ……マコちゃんが嫌がるなら、人を殺さないだろ?」

 生まれ持っての殺人鬼。とんでもない呼称を使われながらも、俺は否定出来なかった。ただ、最後の言葉も否定出来なかった。
 確かに、俺は人を傷つけるのが好きだ。だけど、ユーリィが嫌がるなら、俺は人を傷つけない選択をする。
 今更、俺は何を悩んでいたんだ。俺が怪物なんだって事は昔から分かっていた事だ。そして、ユーリィはそんな俺の狂気を鎮めてくれる唯一の存在なのだと理解していた筈だ。そんな存在に向ける感情が、友情だとか、親愛だとか、そんな生易しい感情な筈が無い。

「俺は……ユーリィを愛してるんだな」

 ストンとパズルのピースが嵌ったように納得出来た。俺がユーリィに抱いている感情は【情愛】。
 子供の頃、俺を助けてくれたユーリィ。俺だけを見つめるユーリィ。ああ、俺はずっと昔からユーリィを愛していたんだ。男だとか、女だとかを知るよりも前に俺はアイツを愛していたんだ。
 思わず笑ってしまう。なんて、馬鹿な話だ。男相手にこんな感情を抱くなんておかしいって、悩んだ事もあった。それでも、アイツが欲しくて堪らなくて、ルーナに取られそうになった時にアイツに告白しそうになった。告白しちまえば良かった。変な事に拘ったりしないで、自分の思いを告げとけば良かった。こんな、他人に気付かせて貰う前に自分の思いをしっかり理解するべきだった。
 今、ユーリィは傍に居ない。俺の想いを告げる事が出来ない。それがあまりにも苦しい。

「君なら、この先の話を聞いても、きっと愛し続けられる筈だよ。ボクのような半端者とは違うんだからね。さあ、聞いてくれ。【超高校級の絶望】に至った少女の物語を聞いてくれ」
「超高校級の……絶望?」
「そうだよ。あの予言の言葉さ。【超高校級の人殺し】なんて言われていたのは最初だけなんだ。その後の事件で、ボクをそう呼んだ雑誌は彼女をこう呼称したんだ。【ダンガンロンパ】っていう、まあ、マグルのゲームの中に登場する言葉なんだけどさ。彼女を超高校級の絶望と呼んだんだ。まったく、不謹慎にも程があるけど、そう呼ぶに相応しい程の惨劇を起こしてしまったんだよ、マコちゃんは」
「何が起きたんだよ……」

 ジャスパーは薄く微笑んだ。

「それじゃあ、話すとしよう。壊れた少女が大量殺人鬼になるまでのあらましをね……」