第一話『魔王の憂い』

 確保した日記を魔王に渡す。分霊が慌てた様子で手を伸ばすけど、もう遅い。
 溜め込んだ魂を魔王が解放した。すると、抜け殻になっていた人達の顔に生気が戻り、逆に分霊は力を失っていった。

『……こっ、こんな筈では』

 分霊の体が透け始めた。苦悶の表情を浮かべている。その姿に胸を締め付けられた。
 消えていく己の姿を見下ろし、彼は僕を見た。

『……何故、泣いている?』
「ハリー……?」

 言われて気がついた。僕は涙を流していた。
 二人は同じ表情を浮かべている。戸惑いの表情。そっくりだ。分霊である彼もやっぱり魔王なんだ。
 
「……魔王が苦しんでるから」
『何を言って……』
「あなたも……、魔王だから」

 分霊は目を大きく見開いた。

『……馬鹿な』

 その言葉を最後に分霊は消失した。

「……これで三つ」

 魔王は僕の目元を指で拭った。

「ハリー。アレと俺様は同一の存在だ」
「うん」
「アレが俺様の本質と言える。冷酷で、残忍で、貴様が涙を流す価値も無い男だ」
「何が言いたいの?」

 魔王の言葉に初めて苛立ちを覚えた。

「この部屋を訪れる前に見ただろう。肉体や精神を弄ばれた哀れな者達を……」
「……うん」
「俺様は悪人だ」
「そうだね。世紀の大悪党って感じ」

 僕が笑って言うと、魔王は不快そうに表情を歪めた。

「……茶化すな」
「なら、なんて言って欲しいの?」

 魔王は哀しそうに目を細めた。

「あの者達のように、俺様は貴様の両親やその仲間達を傷つけ、弄び、殺した」
「だから、罵って欲しいの? 僕が責めてあげれば、魔王は満足?」

 魔王は押し黙った。本当に子供っぽい。
 僕は魔王に抱きついた。

「……ハリー?」
「帰ろうよ、魔王。ドラコの両親も救えたみたいだし、後はダンブルドアや魔法省に任せよう」

 バジリスクに空間拡張を施したリュックサックへ戻るよう指示を出し、僕は杖を振るった。ロウェナ・レイブンクローの髪飾りを身に着けていると、難しい呪文を簡単に扱える。
 初めて使う《姿くらまし術》は完璧に成功した。ホグズミード村に戻って、そのままホグワーツに帰っても良かったけど、僕はメゾン・ド・ノエルに《姿現し》した。
 
「魔王。久しぶりにお話を聞かせてよ」
「……リクエストはあるか?」
「魔王が子供の頃の話を聞きたいな」

 魔王は低く唸り、やがて観念したように溜息を零した。

「つまらん話になるぞ」
「いいからいいから」

 第一話『魔王の憂い』

 ハリーは昔話の最中に眠ってしまった。脅かしてやるつもりで俺様の過去の悪行を教えてやったというのに、なんとも安らかな寝顔だ。
 それにしても、些か驚かされた。まさか、杖も振るわず一方的に我が分霊を打ち負かすとは……。

「我ながら情けないと言うべきか……」

 あの役立たずめ。ハリーの成長の為の踏み台にすらならなかったな。

「しかし、バジリスクにサングラスとはな……」

 アレはハリーが提案した作戦だ。子供らしく、突飛な発想。この俺様が不覚にも吹き出してしまった。
 空間拡張を施し、中にバジリスクの居住空間を作ったリュックサックでバジリスクを持ち運ぶ事を提案したのもハリーだ。
 初めは縮み薬を飲ませて小型化させようと思っていたのだが、呪文で元の姿に戻すよりもリュックサックから出て来させた方がアクションが少なくて済む。
 
「やはり、聡明だ」
『……嬉しそうだな、リドル』

 リュックサックから首を出すバジリスク。実にシュールな光景だ。

「……そろそろサングラスを取ってもいいのではないか?」
『主の命令だ。外せと命じられるまでは外すわけにいかぬ』
「そうか……。それで、俺様に何か用か?」
『いや、良い香りがしたものでな』
「香り……?」

 バジリスクはハリーに顔を向けた。

『主の首から下がっている袋の中から香っている』
「……ああ、あの卵か」

 以前、誕生日プレゼントにくれてやったモノだ。遥か昔、俺様が孵化させようとして出来なかった卵。
 
「言っておくが、喰うなよ?」
『……残念だ』

 バジリスクはふるふると首を振りながらリュックサックに戻って行った。
 やはり、シュールな光景だ。

「……後はオリジナルだな」

 残る二つの分霊箱も見つけなければならない。

「日記の分霊を取り込んだ事で、より力が増幅された。今なら長期間ハリーから離れても問題あるまい」

 これは良い機会なのかもしれない。
 俺様とハリーは時間を共にし過ぎた。俺様が消える時、心に傷など持たれては堪らない。
 徐々に距離を置くべきなのだろう。

「ハリー……。貴様はもう一人で生きていける筈だ。若き頃の俺様を一方的に打ち負かしたのだ、貴様は十分に強くなった」

 あどけない寝顔だ。
 いつまでも見守っていたい。そのような欲は捨てねばならない。
 本来、俺様など存在しない方がハリーにとっては幸福な事なのだ。

「……貴様は幸福にならねばならん」

エピローグ『チェックメイト』

 聖堂内に侵入者が現れた。その一報を聞いた数分後、最奥にある僕の部屋の扉が開いた。
 随分と早い。迎撃用の罠を何重にも仕掛けておいた筈だが……。

「なるほど、思ったよりやるね」

 拍手をしながら出迎える。ハリー・ポッターと|魔王《未来のボク》が並び立ち、その背後にサングラスを掛けたバジリスクが佇んでいる。

 エピローグ『チェックメイト』

 なるほど、ユニークな発想だ。見た目は些か間抜けだが、敵の本拠地を無血で制圧する為の手段としては最適解と言える。
 なにしろ、バジリスクの魔眼は予め対策を打っておかなければ防ぎようがない。サングラスで魔眼の力を抑える事によって対象を石化状態に留めている点も見事だ。
 時間を掛けて用意したものが全て水泡に帰す。まるで、積み上げたトランプのタワーを崩した時のような一種の清々しさを感じる。

「待ってたよ、未来のボク」

 それにしても、ドラコは上手くやってくれたみたいだね。
 彼は僕の期待に良く応えてくれた。
 この状況はボクの思い描いたビジョンそのままだ。

「……待っていただと?」
「ドラコなら確実に君達をこの場所へ誘うと確信していたよ。ああ、言っておくけど命令はしてないよ? 《人事を尽くして天命を待つ》ってヤツさ。ちょっと意味が違うけどね。適切な人選を行い、適切な路線に乗せてやれば、後は勝手にゴールまで突き進む」
「なるほど……。だから、敢えてドラコ・マルフォイの心を縛らなかったわけか」
「正解だよ」

 ドラコは勇敢で知恵も回る男だ。挑発してやれば、確実にボクを裏切ると思った。そして、縛られた行動の内で最善の行動を選択出来ると信じた。
 監視の目を欺き、メッセージを発信する。そこまでやってくれれば完璧だ。後はダンブルドアが勝手に動く。
 メッセージを知った時点で、ヤツはボクの仕掛けた罠に気付いた筈だ。その上で、動かす駒を選別した筈。
 本体ですらない分霊であるボクを倒す為に自分の命を賭ける程、ダンブルドアという男は浅慮じゃない。かと言って、信頼の置ける手駒はヤツにとっても貴重だ。だが、信頼の置けぬ者は使えない。
 ならば、ヤツの選択肢は一つに絞られる。

《殺されても構わない。むしろ、殺される事で勝利の一助となる者を向かわせる》

 それがハリー・ポッターだ。魔王がヴォルデモート卿の分霊である以上、|本体《オリジナル》を滅ぼすつもりなら、いつかは消さなければならない。その時、魔王の依り代である少年も死ななければいけない。
 死の訪れが早いか遅いかの違いでしか無い。ならば、これほどうってつけの人材もあるまい。
 ボクが言うのも何だけど、相変わらず善人面を下げて、やる事が悪辣だ。
 
「君達とは一度話をしてみたかった」

 見れば見るほど滑稽だ。彼らは手を繋ぎ合っている。魔王はハリーを庇い、ハリーは魔王に縋っている。
 無意識なのだろう。立ち止まった時、自然とその体勢になった。

「ねえ、親子ごっこは楽しいかい?」
 
 腹を抱えて笑いそうになった。
 僕の言葉に二人は面白いくらい反応を返してくれた。

「どうしても聞いてみたかった。今のボクには分からない感覚だからね」

 魔王を見る。無様な程、狼狽えている。親子ごっこという言葉は思った以上にヤツの心を揺らしたようだ。
 
「ねえ、ハリー・ポッター。自分の両親を殺した相手に懐くって、どういう心境なんだい?」

 彼の経歴は調べた。ダーズリー家で行われた虐待行為の数々も知っている。
 餓死寸前まで食事を抜き、暴力は罵詈雑言を恒常的に浴びせられ、狭い空間に閉じ込められ続ける。
 おまけに人格を否定され続けたそうだ。お前は異常だ。普通ではない。そんな言葉を掛けられ続けた人間がどうなるか……。

「聞かせてくれないか? 自分を絶望に叩き込んだ人間に縋りつく事しか出来なかった心境ってヤツを」

 これはボクに大きな可能性を示してくれた。憎むべき存在に対して、愛情を向ける事しか出来ない人間。決して裏切る事のない便利な駒。
 肉体的、精神的に壊れた人間を量産し、実験を繰り返してみたけど、どうにも上手くいかない。
 壊れた人間を正常に戻しても、どこかが欠落していたり、ボクに憎悪を抱く。

「ねえ、どうして君は魔王に縋り続けているの? 今なら守ってくれる人なんて幾らでもいるだろ? ねえ、どうして? ねえ、ねえ!」
「……黙れ」

 魔王が怒りの篭った瞳を僕に向ける。まったく、溜息が出るね。

「もしかして、怒ってる? もしかして、ハリーが別の人を選ぶ可能性が怖い?」
「黙れと言った」
 
 ボクと同一人物である事が信じられない。ハリーとの家族ごっこですっかり骨抜きにされている。
 これはリスクとして注意すべき点だね。

「どうして、そこまで? あっ、もしかして! 昔の自分と重ねてるの?」
 
 よく考えてみると、ボクがホグワーツに入学する前の境遇とハリーの境遇は似ている部分もある。
 ハリーと違い、ボクは自分の身を自分で守っていたけどね。

「黙れと言っている!」

 魔王が杖を振り上げた。うーん、見苦しい。

「激情に身を任せるなんて、そんな事だからダンブルドアに勝てないんだよ」

 反対呪文で魔王の呪文を弾きながら言った。
 まったく、呆れてしまう。年を取るとここまで耄碌するものなのか……。

「ダンブルドアは凄いね。君よりずっと年老いている筈なのに、まったく衰えていない」

 魔王を見れば見る程、負けた理由が浮き彫りになる。
 感情を軽視し、友情だとか、愛情だとかを唾棄している癖に死んで尚も捨て切れていない。

「貴様……」

 ガッカリさせてくれる。

「ねえ、ハリー。教えてよ。どうして、そんなに魔王を愛しているんだい? 顔? 性格? やっぱり、雛鳥みたいに刷り込まれた? 本当の父親を殺した男を父のように慕う理由を是非とも教えてくれたまえ」

 魔王が杖を振る。まったく、話の途中なのにマナーがなっていない。

「邪魔をしないでくれないかな? ボクはハリーに質問しているんだ」

 ハリーは魔王の影に隠れたままだ。

「ねえ、教えてよ」

 すると、漸くハリーが影から出て来た。
 楽しそうに微笑みながら……。

「答える必要があるの?」
「え?」
「だって、もう自分で答えを言ってたじゃない」

 意味がわからない。

「……何を言ってるの?」

 ハリーは笑っている。その瞳には恐怖も憎悪もない。ただ、純粋に嬉しそうな笑みを浮かべている。

「なに、その顔……」

 普通、この状況では怖がるべきだ。僕には憎悪や憤怒を向けるべきだ。
 
「嬉しかった」
「なにが……?」
「若い頃の魔王を知りたかったんだ」

 胸がざわつく。日記は厳重に隠してあるし、この場所はボクに優位に働くよう仕掛けが施されている。
 戦ったところで負ける筈がない。だからこそ、招いたのだ。

「もっともっと知りたいんだ」

 ハリーは懐から何かを取り出して言った。

「もっと、魔王の事を理解したい」

 見覚えがない。どうやら、髪飾りのようだ。それを頭に乗せた。
 鷲の紋章が描かれ、その下には文字が刻まれている。

《計り知れぬ英知こそ我らが最大の宝なり》

 実在する事は知っていた。手掛かりも掴んでいた。
 恐らく、ボクを作った後にオリジナルが見つけ出したものだろう。
 あれは間違いなく、ロウェナ・レイブンクローの髪飾りだ。

「僕はまた一つ、魔王を理解出来た」

 幸せそうな顔でハリーは言った。

「日記はそこだね」

 ハリーの指はまっすぐ日記を隠した場所を指した。

「何故……」

 ハリーは答えない。バジリスクに指示を出した。

「ま、待て!!」

 壁が壊され、壊れた人形達に囲まれた日記が露出した。
 魂を限界まで吸われた者達。その中にはドラコの両親もいる。
 なのに、ハリーは笑顔を崩さない。

「君は日記から離れる事が出来ない。だけど、君は自分の本体を土で汚したり、水に沈める事を嫌った。だから、自分の目の届く場所に隠してしまった」
 
 日記を咥えたバジリスクがハリーの下に戻る。
 ハリーは言った。

「はい、チェックメイト」

第十話『スリザリンの継承者』

 ハリーは聡明だ。俺様が教えた事は一度で覚える。だからこそ、想定して然るべきことだった。
 ドラコ・マルフォイが編み出した、縛られた行動の内で此方に情報を伝える方法は見事なものだった。
 殴り合いという、誰もそれが《友情を深め合う儀式》などと思わないハリーの天然が生み出した《偶然の合言葉》でヤツは俺様にコンタクトを取った。
 結果はハリーの一撃でヤツが吹っ飛ぶという間抜けなものだったが、それは仕方がない。なにしろ、毎日忙しく働き、休日はアウトドアで体を動かしているハリーの肉体的ポテンシャルは純粋培養の魔法使いと比べると雲泥の差がある。
 重要な事はその後にヤツが持ち掛けたチェスの試合だ。あれは一種の賭けだったのだろう。その時点で俺様が気付けなければ全てが水の泡だ。だが、ヤツは賭けに勝った。
 本来、俺様は静観に徹するつもりだった。日記の分霊とて、俺様とダンブルドアを同時に敵に回したくはあるまい。故に、此方が手を出さなければ、ハリーに手を出す事もない。
 だが、ドラコは勇気を示した。両親と己の命を背負い、尚諦めない強き意思。
 ヤツのメッセージをダンブルドアに伝える。その程度なら手を貸してやろう。その程度の気紛れを起こさせるだけの力があった。

「ねえ、魔王。話があるんだけど……」

 ハリーが思いつめた表情を浮かべて言った。
 この状況を招いた原因は俺様にある。

『どうした?』
「ドラコの事……」

 だが、これは良い機会なのかもしれない。
 日記の分霊だけではない。|本体《オリジナル》も復活の時を伺っている筈だ。
 いくら遠ざけても、いつか運命の糸はハリーを絡め取る。
 
「魔王。僕、ドラコを助けたい」
『……そうか』

 ならば、運命に負けない強さを与えよう。如何なる困難にも立ち向かえる意思を鍛えてやろう。

『分かった。それが貴様の選択なら是非もない』

 友の為に戦う。その意思は十分な火種となる。
 勇気を燃え上がらせ、意思を鋼の如く鍛えよう。
 コレはその為の試練となり得る。

『ならば、戦いの用意をしなければならんな』

 我が分霊よ。貴様が何を企み、何を為そうがどうでもいい。
 だが、精々足掻け。ハリーが高みへ登る為の踏み台としてな。

「……え? 戦い?」
『ん?』

 何故、そんな困惑の表情を浮かべているんだ?

「戦うの?」
『何を言っている、当然だろう。まさか、怖気づいたのか?』

 だとしたら、些か失望を禁じ得ない。

「えっと……」
『どうしたのだ?』
「……僕、魔王ならドラコの心配事がなんなのか知ってるのかと思って聞いただけなんだけど……」
『……え?』

 第十話『スリザリンの継承者』

 魔王が黙ってしまった。よく分からないけど、なんだか恥ずかしがってるみたい。

「えっと……、どうしたの?」
『あ、あのクソジジイ!!』

 魔王が叫んだ。どうやら、ダンブルドアが一枚噛んでいる様子。

「魔王?」
『……クソッ! ハリー! 貴様、チェスの暗号に気付いたわけではないのか!?』
「え? なにそれ……」

 聞くに堪えない罵詈雑言を吐く魔王。怒り方が子供みたい……。

「詳しく教えてもらえる? 戦うって言ってたけど、それって誰と?」
『……ええい、もういい!! ハリー!! 選択は貴様に委ねるぞ!!』

 荒々しく魔王は事の次第を説明してくれた。
 どうやら、魔王はドラコとチェスを通じて語り合っていたみたい。その内容は魔王の分霊箱に纏わる話。
 魔王が子供の時に持っていた日記が今回の分霊箱みたい。その意思が新世界を作ると言いながら悪逆非道の限りを尽くしているらしい。
 どうしよう……。深刻な内容なのに、分霊の言っている事が幼稚過ぎて言葉が見つからない。
 今の世の中が気に入らないから全部壊して自分の思い通りになる世界を作るって、なんだか子供の癇癪みたい。

「……魔王」
『それで、貴様はどうする?』

 答えは決まってる。ドラコの事も助けてあげたいし、なにより日記の分霊も魔王の一部。なら、魔王の為に回収しないといけない。
 それに、魔王の子供の頃の姿を見てみたい。

「僕の答えは変わらないよ」
『そうか……。ならば、もはや何も言うまい』

 魔王は嬉しそうだ。

「それで、戦う準備って、何をするの?」
『まずは武器だな』
「武器?」
『行けば分かる。取りに行くぞ。三階の女子トイレへ向かえ』
「うん……って、え? 女子トイレ?」
『そうだ。女子トイレだ』

 武器って、女子トイレにあるの?
 
 魔王の指示に従って三階の女子トイレに入ると、いきなり女の子に話し掛けられた。

『あらあら? ここに誰かが入って来たのは半年振りだわ!』

 体が半透明で、声が反響している。ゴーストだ。

「こんにちは。お邪魔するね」
『ごゆっくりーって、あら? あらあら? あなた、男の子?』
「そうだよ?」

 ゴーストは甲高い悲鳴を上げた。

『ここは女子トイレよ! 男子禁制よ!』
「うん、知ってる」
 
 賑やかな子だ。いろいろ話し掛けられたけど、とりあえずやるべき事を済ませよう。

『……マートル』

 魔王は彼女を知っているみたい。指示を出しながら、彼女の名前をつぶやいた。

「マートルって言うの?」
『おんやー? 私ってば、名乗ったかしら?』
「ううん」
『なら、どうして知ってるの?』

 質問に応えず、僕は水道の蛇口を見た。蛇の刻印がある。

『以前、動物園に行った時の事を思い出せ。蛇の言葉で《開け》と言うのだ』

 動物園には五回くらい行った。その時、蛇に話し掛けられて吃驚した事を覚えてる。
 どうやら、僕は蛇と会話出来る特殊な能力を持っているみたい。
 魔王に言われた通り、四苦八苦しながら蛇語を使うと、そこに地下へ伸びる穴が現れた。
 マートルもびっくりしてる。

『うわー、思い出した! 私、こっから出て来た何かに睨まれて死んだのよ!』
「そうなんだ」

 きっと、犯人は魔王だ。

「一緒に来る?」
『絶対イヤよ! 明らかに危険な臭いがプンプンするもの!』
「じゃあ、行ってくるね」

 マートルに手を振って飛び降りる。滑り台みたいになっていて、下まで到着するのに結構な時間が掛かった。
 足元には動物の骨が散らばっている。

「武器って、生き物なの?」
「バジリスクだ。蛇の王と呼ばれる怪物で、蛇語を解す者に従う」

 魔王は実体化した。

「少しじっとしていろ」
「うん」

 魔王は長い布で僕の目を覆った。

「バジリスクの目は魔眼なのだ。見た者に死を与える」
「マートルを殺させたの?」
「……ああ、そうだ」

 魔王の被害者か……。

「行くぞ……」
「うん」

 僕は魔王の手を握った。
 足元が不安定な上、目が見えないと歩き難くて仕方がない。
 途中からおぶってもらった。

「……もう少しだ」
「うん」

 首に手を回して、ギュッと抱きついた。
 
「……不安か?」
「ううん」
「そうか……」

 しばらくすると、空気が変わった。ヒンヤリとしている。なんとなく、広い場所に出たんだと思った。
 
《……何者だ?》
「……魔王、今の声って」
「黙っていろ」

 魔王は蛇の言葉を使い始めた。

《俺様を覚えているか?》
《……ああ、覚えているとも。また、契約を結びに来たのか?》
《今回は俺様じゃない。この子だ》

 魔王は僕を降ろした。

《ハリー・ポッターだ》

 目隠しが解かれる。そこには瞼を閉じた巨大な蛇がいた。
 
《資格はあるのか?》
《もちろん》

 魔王は僕の肩に触れた。

「応えてやれ」
「えっと……」

 僕は蛇を見つめた。

《これでいいの?》
《なるほど、資格は持っているようだ》

 蛇は身を捩り、僕の目の前まで来た。

《よろしい、契約を交わそう。新たなる継承者よ》
「継承者……?」
「この蛇はスリザリンの創始者であるサラザール・スリザリンが遺した遺産なのだ。これと契約するという事はスリザリンの継承者となる事を意味する」
「スリザリンの継承者……」

 蛇は僕に言った。

《なんなりと御命令を》

第九話『語り合い』

 これからスリザリンのシーカー選抜試験が始まる。
 会場はクィディッチ競技場。今、僕はドラコを応援する為に観客席へ向かっている最中だ。
 
『機嫌がいいな』
「うん! 最近、毎日がすごく楽しいの!」

 三年前の僕には想像も出来なかった日々。息苦しいだけの人生も変われば変わるものだ。
 
「ドラコはシーカーになれるかな?」
『……他のポジションと違い、シーカーは身体能力が全てだ。ドラコはむしろチェイサーやビーターに向いている』
「そうなの? でも、受かって欲しいなー」
『ならば、応援してやる事だな』
「うん!」

 観客席にたどり着くと、そこにはロンとハーマイオニーの姿があった。

「あっ、二人も来たんだ!」

 他寮の生徒は立ち入り禁止の筈だけど、二人はスリザリンの制服を着て忍び込んだみたい。

「……別に、僕はこれっぽっちも来る気なんて無かったんだけど、ハーマイオニーがどうしてもって言うからさ!」
「はいはい」

 ハーマイオニーは苦笑している。

「大丈夫だよ! ドラコなら絶対シーカーになって、ロンと一緒に試合に出るよ!」
「だ、だから、僕は別に……」

 顔を真っ赤にして、ロンはぶつぶつと言い訳を始めた。
 ハーマイオニーは隣でクスクス笑っている。

「素直じゃないんだから」

 ハーマイオニーはこっそりとロンが如何にドラコの試験の結果を気にしていたかを教えてくれた。
 そうしている内に試験が開始される。
 結果として、ドラコは落選した。最終選考まで残っていたけど、軍配は五年生の先輩に上がった。
 ドラコは悔しそうに打ち震えている。

「……ちくしょう」

 ロンはまるで自分が落ちたかのように悔しげな声を漏らした。

「残念ね……」
「うん……」

 合格を祝う筈が、不合格を慰める事になってしまった。
 
「……僕は受かってみせるぞ」

 ロンが受けるグリフィンドールの試験は明後日行われる。会場は同じ場所。
 ロンは受かるといいな……。

 第九話『語り合い』

 ドラコはあからさまに落ち込んでいた。随分な気合の入れようだったから無理もない。
 
「元気を出してよ、ドラコ」

 ホットココアをカップに注ぎながら声を掛ける。

「……くそっ」

 涙が滲んでいる。僕は見ない振りをした。

「エイドリアンが今年で引退だし、来年はチェイサーの試験に臨んでみたら?」
「……来年か」

 ドラコの表情が陰りを見せた。

「どうしたの?」
「なんでもないよ……」

 彼は嘘を吐いた。言葉の裏を読むまでもない。丸わかりだ。

「ドラコ。なにか、僕に隠し事?」

 唇を尖らせて聞くと、ドラコは困り顔を浮かべた。

「プライベートな悩み事さ」
「僕は相談相手として不適切?」
「……さて、この悩み事に適切な相談相手はいるのかな」

 肩を竦めるドラコ。立ち上がり、話を打ち切った。

「ハリー。チェスをやらない?」
「別にいいけど……」

 最近、ドラコはチェスに夢中みたい。暇さえあれば誘ってくる。
 
『……ふむ、今日は俺様に指させろ』

 魔王もチェスにハマっているみたい。
 仕方がないから片腕を魔王に譲る。スムーズな流れの対局。ドラコは知らない事だけど、魔王と彼の対局数はこれで二桁に達する。

『……ハリー。キングをd-2へ移動させろ』
「え?」
「……ん、どうかしたの?」
「あっ、なんでもない」

 ドラコが首を傾げる。僕は慌てて魔王の指示に従った。
 この場面でキングを動かす意味がよく分からないけど、魔王は僕よりずっと頭がいいから何らかの意図があるのだろう。
 その後は何事もなく対局が終了した。勝者は魔王。
 結局、あの時キングを動かした意味は最後まで分からなかった。

 ◇

 その日の深夜、魔王は校長室を訪れた。
 ダンブルドアはペットの不死鳥をあやしている。

「……場所が判明した」
「そうか」

 不死鳥は大きく燃え上がった。その炎が燃え尽きると、灰の中から羽も生えていない小鳥が這い出てくる。
 
「どうする? 十中八九、貴様が嫌がる手段を使ってくるぞ」
「お主がおる」
「俺様が手を貸すとでも?」
「もちろん」

 朗らかに笑みを浮かべ、ダンブルドアは雛に戻った不死鳥を持ち上げた。

「ハリーはドラコ・マルフォイを見捨てられまい。ハリーが行動する以上、お主も静観を決め込む事は出来まい」

 魔王は嗤った。

「ハリーには何も伝えていない。知らない事の為に行動など……」

 ハッとした表情を浮かべ、魔王はダンブルドアを睨みつける。

「まさか、余計な事は言っていないだろうな!」
「儂は何も言っておらん。だが、お主とドラコ・マルフォイの密かな語り合いに気付けぬ程、あの子は愚かではあるまい」
 
 その言葉に魔王は目を見開いた。

「監視の目を欺く方法としては完璧じゃ。無数の対局の内、お主と彼の対局だけを切り抜き、精査しなければ解き明かせぬ声を伴わぬ語り合い。だが、あの子ならば気付けてしまう」

 翌日、魔王はその言葉が真実である事を識る。

第八話『友情』

 ホグワーツの二年目が始まる。今年から妹のジニーもホグワーツの一年生だ。甘えん坊の上に癇癪持ちだから、ホグワーツでちゃんとやっていけるか心配だ。
 ジニーはハリーの事がすっかり嫌いになってしまった。兄貴達やママがハリーの事ばっかり気に掛けるからすっかりグレちゃった。

「……ジニー。そろそろ許してやったら?」
「兄さんはどっちの味方なの!?」

 面倒くさい。ビルはダンブルドアの秘書になり、チャーリーはパパを助ける為に魔法省に就職した。おかげで僕がジニーの面倒を見る事になった。
 
「へいへい。ジニーの味方だよ」
「返事がてきとう!」
「……それよりカエルチョコレート食べようよ。カードは僕がもらうからね!」
「話を逸らした―!」

 ジニーの相手をしているとコンパートメントの扉が開いた。

「やっぱり! 声で分かったわ」

 入り口から顔を覗かせたのはハーマイオニーだった。
 
「久しぶりね、ロン」
「久しぶり、ハーマイオニー」

 ハーマイオニーはジニーを見た。

「妹さん?」
「ジニーだよ。今年からホグワーツなんだ」
「そうなんだ! 私はハーマイオニー・グレンジャーよ。よろしくね、ジニー」

 ジニーはハーマイオニーを睨んでいる。

「……おい、挨拶」
「ジニーよ」

 つっけんどんな言い方。

「えっと……」

 ハーマイオニーは気まずそうだ。

「失礼だろ! 彼女は僕の友達なんだぞ」
「……うるさいな! 別にいいでしょ!」
「ジニー!」

 いろいろとあって、気が立っているのも分かる。だからって、何も関係のないハーマイオニーにあたるなんてどうかしてる。

「ストップ」

 説教をしてやろうと口を開くと、ハーマイオニーにカエルチョコレートで口を塞がれた。

「ジニー」

 ハーマイオニーはジニーの隣に座った。ギョッとした表情を浮かべるジニーに笑いかける。ちょっと怖い。

「ファ、ファーファイオフィー?」
「口に物を入れたまま喋らないの!」

 誰が入れたんだよ!

「それじゃあ、うるさい誰かさんが黙ったところで」
 
 うるさいとはなんだ! 僕は兄として妹の躾をしていたんだぞ!
 まだカエルチョコレートが残っているから口にこそ出せなかったけど、僕は目で訴えた。
 そして、華麗にスルーされた。

「お話をしましょう」
「ええ……」

 若干引いているジニーにハーマイオニーは積極的に話し掛けた。それこそ、どうでもいいような日常会話だ。
 二人の声を聞いている内に眠くなった。この分なら、ジニーの事を任せても問題ないだろう。僕は一眠りすることにした。

 第八話『友情』

 ガタンと汽車が大きく揺れたせいで目が覚めた。空はすっかり暗くなっている。
 隣ではかしましい声が聞こえていた。

「でねー、最近はー」
「そうなんだ! それでそれで!?」

 おかしいな。さっきまで親の敵をみるような目を向けていた相手とジニーがすごく親しげに話している。

「あー、兄さんってば、漸く起きた!」
「ロン! そろそろ到着するわよ!」

 息までピッタリだ。なんだこいつら……。
 
「へいへい」

 手荷物から制服を取り出して廊下に出る。
 女の子の前で着替える趣味はない。廊下の端から端まで見渡して、誰もいない事を確認する。
 ささっと着替えて、中の二人の着替えが終わるのを待っていると、隣のコンパートメントから見知った顔が現れた。

「おっ」
「あっ」

 ドラコ・マルフォイはポカンとした表情を浮かべた。

「なんで、こんな所に突っ立ってるんだ?」
「中で妹とハーマイオニーが着替え中なんだ」
「ああ、なるほどね」
「それより!」

 右拳をマルフォイに向ける。

「負けないぞ!」

 僕の言葉にマルフォイは首を傾げた。

「なんの話だ?」
「おいおい、寝惚けてるのか? クィディッチの話に決まってるじゃないか! 今年のシーカー選抜試験で僕は絶対にシーカーになる! そして、お前と勝負する!」
「あっ……」

 なんだろう。いつもなら捻くれた態度と皮肉の混じった言葉で返してくる筈なのに、様子がおかしい。
 
「……お、おい、どうしたんだ?」

 反応してくれないと、僕が一人だけで盛り上がっている恥ずかしいヤツみたいになるじゃないか!
 向けた拳をどうしようか悩み始めた頃、漸くマルフォイが口を開いた。

「ウィーズリー」
「な、なんだ?」

 マルフォイはいつもの冷笑を浮かべた。こちらを小馬鹿にしたような苛々する笑み。だけど、今日は何故かホッとした。
 
「……精々、がんばる事だね」
「お前こそ、試験に落ちるんじゃねーぞ!」
「自分の心配をしたまえ」

 マルフォイは僕が仕舞えずにいる拳に自分の拳を打ち付けた。
 そのまま、廊下の向こう側へ去って行く。
 僕は打ち付けて赤くなった拳を見つめる。気合を入れないとね。

「さてさてさーて、選抜試験を頑張るぞ!」

 ウオーッと気合を入れてると、コンパートメントの扉が開いた。

「……兄さん、うるさい」
「ロン……。廊下で一人で何を騒いでるの?」

 この野郎共……。

 ◇

 ウィーズリーは相変わらずだ。何も変わらない。裏も表もなく、ただ真っ直ぐに闘志をぶつけてくる。
 おかげで少し心が軽くなった。
 シーカー選抜試験。本当は出る気など無かったけど、やっぱり出よう。
 この先、何があろうとアイツとの決着だけは……。

「……不思議だな」

 ウィーズリー家と言えば、血を裏切る者達の筆頭だ。
 本当なら不倶戴天の敵。憎悪と敵意が入り混じる関係こそ、あるべき姿の筈。
 だけど、僕はヤツに清々しい程の闘志しか抱いていない。

「ククッ……」

 初めからこうではなかった。やはり、最初の殴り合いが無ければ、こうはならなかっただろう。
 僕は足を止めた。目の前のコンパートメントにはハリーがいる。
 意を決して、中に入った。

「こんにちは、ハリー」
「ドラコ!?」

 ウィーズリーの兄弟もいたけど、今は無視する。

「久し振りだね」
「う、うん」

 ハリーの瞳が揺れている。
 彼に言いたい事は山程ある。だけど、その殆どを口にする事が出来ない。
 監視の目、破れぬ誓い、僕には自由など無いのだから……。

「ハリー。ホグワーツに到着したら……」

 だけど、これだけは伝えたい。

「殴り合わない? 全身全霊を懸けて」

 僕の言葉にウィーズリーの兄弟達は唖然とした表情を浮かべた。
 対照的にハリーは花が咲いたように笑顔を浮かべた。

「うん!」
 
 僕はハリーの友達だ。あの男が何を考え、何を企もうと、それは変わらない。
 ヤツは父上と母上を傷つけた。これからも利用し、苦痛を与えると言った。

――――覚悟しろ。僕はお前を許さない。お前の思い通りになんてさせない。

 相手が何者だろうと関係ない。僕は両親と友達を守るんだ。
 この命に代えても……。

第七話『罪』

 夏休みの最後は隠れ穴で過ごす事になった。三年前にここから逃げ出した。
 すごく懐かしい。

「ハリー! 待ってたのよ!」

 モリーに抱き締められ、僕は温かく隠れ穴に迎え入れられた。
 そう思っていた。中に入るまでは……。

「こんにちは」

 中にはジニーがいた。挨拶をすると、怖い顔で睨まれた。

「……どうして来たの?」
「え?」
「また、うちを滅茶苦茶にするつもりなの!?」

 その言葉には怒りと憎しみが滲んでいた。
 困惑で思考が停滞し、彼女の声が頭の中で反響し続ける。

「おい、ジニー!」
「なによ、本当の事でしょ!」

 フレッドが声を荒げると、ジニーは涙を零して叫んだ。

「……あちゃー」

 ロンは天を仰いだ。その表情には予想通りという言葉が浮かんでいる。
 ビルとジョージは暗い表情を浮かべながらジニーに掛ける言葉を探している。

「ア、アンタのせいで大変だったのよ! この疫病神!」
「ジニー! なんて事を言うの!」

 モリーが怒鳴りつけると、ジニーは階段に向かって走って行った。
 僕に分かる事は自分が招かれざる客だったという事実だけ……。

「……ごめんなさい」

 ここには居られない。一度逃げておきながら、戻って来ていい筈が無かった。
 玄関から外に飛び出す。
 あの時と一緒だ。僕はまた逃げ出そうとしている。

「待った!」

 柵を乗り越えようとして、手を掴まれた。振り向くと、ビルがいた。
 困ったように微笑み、そのまま僕の体を胸に引き寄せる。

「ごめんね。でも、逃げないで」

 ビルは僕から杖を奪い取ると、後ろから追い掛けて来るフレッドとジョージに言った。

「ちょっと話してくるよ」
「ま、待ってくれよ兄さん! 俺も!」

 フレッドが手を伸ばす。けど、手が届く前にビルは杖を振った。
 気付けば見知らぬ場所にいた。

 第七話『罪』

「ここは……?」
「良い眺めだろ。僕の秘密の場所だよ」

 そこは海岸だった。キラキラと輝く宝石のような紺碧。
 胸を突き上げてくる気持ちで闇雲に涙が溢れてくる。

「……もう、大丈夫だと思ってたんだ」

 ビルは辛そうに言った。
 涙を流したおかげで、少し落ち着いた。

「ビル……。僕が逃げ出した後、何があったの?」
「父さんがクビにされかけた。それどころか、アズカバンに送られそうになった」

 その言葉に血の気が引いた。
 アズカバンといえば、魔法界の監獄だ。そこに入れられた者は吸魂鬼によって感情を吸われ、廃人になる。

「そんな……」
「……ダンブルドアのおかげで何とかなったけど、その影響で家族がバラバラになりかけたんだ。パーシーがハリーを批判して、フレッドとジョージ、それに母さんが激昂した。僕も冷静ではいられなかったから、チャーリーとロンがいなかったらと思うと……」

 青褪めた表情でビルは言う。

「前にも話した通り、フレッドとジョージが闇祓い局に乗り込もうとした事があった。君の事、父さんの事、二人はとても怒っていたんだ。僕も……、本当は二人と一緒にスクリムジョールを殴りに行こうとしてた」
「……ごめんなさい」

 吐き出したいような自己嫌悪に駆られた。ジニーの言葉は的を射ている。好意に甘えるべきじゃなかった。

「……謝らないで欲しい」

 ビルは僕を抱き締めた。そんな資格なんて無いのに、身を任せてしまう。

「君は何も悪くない。年長者の僕が理性的でいるべきだったのに、衝動に任せてしまった……」

 ビルは悔いるように言った。

「ジニーは泣いていた。僕達がいつも怖い顔をしていたからだ。ロンが必死にあやしてくれていた事を覚えてる。ダンブルドアが手を差し伸べてくれたおかげで、僕達家族は元に戻れた」

 僕を抱き締める力が増した。

「ハリー。君に会いたかった。どうしても、元気な顔を見たかった。これは僕達の……、僕の我儘だ」
「ビル……」

 ビルの体は震えていた。

「また、やってしまった。僕は君を隠れ穴に招待したかった。また、一緒に僕達の家で過ごしたかった。君やジニーの事を何も考えていなかった……」

 彼の嚙みしめた唇から、うめきが漏れた。

「悪いのは僕だよ。甘えたんだ……。みんなが優しくしてくれるから、つけ上がったんだ」

 考えるべきだった。彼らに対して、自分が何をしてしまったのか……。
 
「……それは悪い事じゃないよ」

 ビルは言った。

「甘えて欲しいんだ。頼って欲しいんだ。僕は君を助けたい。それは今も昔も変わらない。これから先もずっと……」
「……どうして」

 分からない。

「どうして、そこまで……」
「……言葉で説明する事が出来ない。ただ、君と初めて会った時、僕は君を助けたいって思った。一緒に居たいと思ったんだ」
「十分過ぎるよ……」
「足りないくらいだ」

 僕とビルは互いに口を閉ざした。不思議な沈黙だった。言いたい事が互いに山程ある筈なのに、言葉に出来ない。
 映し合う瞳で語り合う。
 息苦しい。込み上げてくる感情の処理の仕方が分からない。

「……謝らなきゃ」

 漸く絞り出した言葉にビルは小さく頷いた。

「僕も……」

 再び、ビルの魔法で隠れ穴に戻る。中に入ると、不満そうな表情のフレッドとジョージがいた。

「抜け駆け野郎」
「クソ野郎」

 酷い言葉で出迎えられた。

「……ごめんなさい」
「いや、ハリーに言ったわけじゃないからね!?」
「そっちのクソ兄貴に言っただけだから!」

 謝ると、必死に誤解を解かれた。

「ひ、ひどいな、二人共」
「どっちがだ!?」

 双子に睨まれ、弱った表情を浮かべながらビルはモリーを見た。
 彼女も言葉を探しているみたいだ。

「母さん。ジニーは上?」
「え、ええ、ロンが慰めているわ」
「なら、降りてくるまで待った方がいいかな」
「……うん」

 モリーは僕達の気持ちを察したのか何も言わなかった。

 夕方になって、ロンがジニーを連れて降りて来た。
 相変わらず、睨まれている。

「……ジニー。ごめんなさい」

 頭を下げる。それ以外に出来る事なんて何もない。
 犯した罪があまりにも大き過ぎて、償う事なんて出来ない。
 
「……出て行って」

 ジニーは言った。

「アナタの事、大っ嫌い」
「……うん」

 当然の結果だ。
 僕はトランクを掴んだ。

「ハ、ハリー!」

 フレッドがもどかしげな表情を浮かべる。

「ごめんね、フレッド」

 外に出ると、ビルが手を握ってくれた。

「……一人で帰れるよ」
「知ってる。だけど、僕は君の護衛でもあるんだ」
「でも、今日は……」

 ビルは手を離してくれた。

「明日、迎えに行くからね」
「うん……」

 魔王に身を委ねる。風景が歪み、僕はお店に戻って来た。
 中に入ると魔王が実体化した。

「こういう事には時間が掛かるものだ」

 魔王の声を聞いて、決壊した。
 涙が止まらない。魔王に縋り付き、何度も何度も謝った。
 魔王は僕が泣き疲れて眠るまで、何も言わずに受け止めてくれた。

第六話『邪悪』

 第六話『邪悪』

 僕は真の悪意というものを知らなかった。僅か一月の間に作り上げられた地下の聖堂。その中央で男は人間を壊している。
 感情を司る部位を脳から切除して、代わりに呪いを注ぎ込む。
 瞳から光を失った男女の数は三十七人。
 
「老いとは恐ろしいものだね」

 男は言った。

「ヴォルデモート卿は先人と同じ過ちを犯した。何故かな?」
「……知るもんか」

 吐き捨てるように言うと、男は笑った。

「孤独を怖れたからだよ」
「孤独を……?」
「そうさ。闇の帝王とまで謳われた男が、実際は孤独に怯える憐れな老人だったのさ。だからこそ、彼が肉体を失った時、裏切り者が続出した。忠誠心なんてあやふやなものを信じたからこそ、彼は今も醜い姿で彷徨い続けている」

 男は壊したばかりの男を床に転がし、近くのテーブルに乗っているチェス盤からキングを持ち上げた。

「人間は弱い。ちょっとの事で心が揺れる。決意が鈍る。意思が砕ける。愛、友情、忠誠、敬意……敵意でさえ、簡単にブレてしまう。そんなものを信じるから失敗するんだ。仲間だとか、配下だとか、実にバカバカしい。キングになってどうする。なるなら、指し手になるべきだ」

 キングの駒を僕に向かって放り投げる。キャッチすると、男は微笑んだ。

「キングもポーンも総じて駒さ」
「……僕も駒なら壊したらどうだ?」

 睨みつけると、男は吹き出した。

「アッハッハッハ! プルプルと震えながら何を言っているんだい? 学生である君にそんな酷い真似が出来るわけないじゃないか」

 心にもない事を言う。この男は既にマグルの少年少女を何人も壊している。その内の数人は壊し方を確かめる為の生贄だった。
 
「君には重要な仕事がある。壊れた人形には到底出来ない、アルバス・ダンブルドアを消し去る上でとても重要な仕事が」
「……僕に何をさせるつもりなんだ?」
「難しい事は何もないよ。君はただ、普通に生活しているだけでいい。それだけでダンブルドアや魔王の目は君に向かう」

 僕が意図を掴めずにいると、男は言った。

「実を言うとね。僕の存在自体はダンブルドアや魔王にバレてるんだよ。恐らく、こうして動いている事も把握している筈だ」
「なっ、何を言って……」
「詳細な事までは掴めていない筈だけど、動いている事自体は確実に知っている。知っていて尚、彼らは動かない。いや、動けないんだ」
「どういう事だよ……」

 あのアルバス・ダンブルドアがこの|人非人《ニンピニン》を知っていて放置するなんてあり得ない。

「理由は幾つか在る。一つはボクがボクである事。ボクと表立って戦うとなると被害はより大きなものになる。あの偽善者がそれを善しとすると思うかい? それに、ボクと戦うのなら相応の準備が必要になる。その為には膨大な時間が必要だ。他にも、僕の本体が分霊箱であり、その所在が不明である事も大きな要因だね。本体を叩かない限り、ボクを完全に滅ぼす事は出来ない。だからこそ、彼らは機を伺わなければいけない」
「だ、だからって……」
「ドラコ。君は一つ大きな勘違いをしているね」
「勘違い……?」
「ダンブルドアは完全無欠の|救世主《メシア》じゃないんだよ? ただ、より多くの人間に救いを与えるだけの|正義の味方《ヒーロー》さ。その為なら少数の犠牲を容認する」
「何を言って……」
「だからこそ、彼は強いんだ。切り捨てる事が出来るから勝つ」
「……じゃあ、ここにいるみんなはダンブルドアにとって」
「必要な犠牲だよ。容認する事で助け出す為の時間を省き、対抗策を打ち出す為の時間を稼ぐ為の」

 ヴォルデモート卿は笑った。

「残念でした! ここにいる全員、ダンブルドアに見捨てられちゃったんだ!」

 動悸が激しい。絶望の端まで押し出されたように恐ろしい気持ちだ。
 僅かに抱いていた希望。アルバス・ダンブルドアによって助けだされる可能性が潰えた。
 歯をガチガチと鳴らしながら、僕は後退った。すると、ヴォルデモート卿はスッと僕に歩み寄り、肩を抱いた。

「恐れる必要はない。君が仕事を完璧にやり遂げてくれれば、君は全てを手に入れる事が出来る。父と母を僕の支配から解き放ち、大切な友を守る事が出来る。地位も名誉も財産も思いのままに出来る。……だけど」

 ヴォルデモート卿は悲観の表情を浮かべる。

「もしも、君が失敗したら……。もしも、君が裏切ったら……。その時、君は全てを失う事になる」

 まるで憐れむように僕を見つめる。

「忘れてはいけないよ、ドラコ。君は両親と《破れぬ誓い》を行った。君が裏切れば、両親と共に君は死ぬ。その後、ボクは君の友にも牙を剥かねばならなくなる。ハリー・ポッターを生かしておく事が出来なくなる」

 嘆くような仕草。その一つ一つが憎しみと怒りを煽る。

「信頼しているよ、ドラコ。君は余計な事を何も言わず、ただ生活していればいい。友達と青春を謳歌するだけでいいんだ。なんならお小遣いをあげよう。なんなら、女も用意してやろうか? 壊れてうんともすんとも言わない人形で満足出来ればだけど」
「……ヴォルデモート、貴様ッ!!」

 この男にとって、僕はゴミのような存在だ。だから、どんな感情を向けても笑みを崩さない。
 それが堪らなく悔しい。

「がんばれがんばれ! 君のがんばりで助けられる人がいるんだ!」

 ヴォルデモート卿は僕の胸に杖を突き立てた。

「君には監視を付ける。《破れぬ誓い》を破らなくても、僕の信頼を裏切るような真似をしたら、その度に君の両親を刻んでいこう。最初は腕一本にしておいてあげるよ。だけど、その次は眼球だ。その次は……さて、どこがいい?」
「やっ、やめろ!! 両親にこれ以上手を出すな!! ……頼む」

 頭を下げる僕にヴォルデモート卿は言った。

「もちろんだよ。君ががんばってくれればね」

 僕に拒否権などない。 
 父上……。母上……。ハリー……。
 僕は……。

第五話『メゾン・ド・ノエルⅡ』

 ロン達が来たのは閉店後の事だった。ワームテールと一緒に歓迎用の料理を作り、二階にあるリビングの飾り付けをしているとビルが彼らを連れて入って来た。
 この店には魔王がたくさんの呪文を掛けている。普通の魔法使いの棲家とは違い、マグルには見えるけど、魔法使いには見えないようになっている。ビルが僕を迎えに来た時は例外として魔王が通しただけ。
 一階に降りて行くと、ロン、フレッド、ジョージの三人が店内を不思議そうに見回していた。

「いらっしゃい!」

 声を掛けると、三人は目を丸くした。どうやら、マグルの服装が珍しいみたい。
 魔王やビルは難なくマグルのファッションを着こなしているけど、魔法使いとマグルのファッションセンスには大きな隔たりを感じる。

「ほら、三人共! 二階に来て! 歓迎の準備をしてたんだ」

 一番近くに立っていたジョージの手を引いて、三人を二階に案内する。一階は店舗と工房、ワームテールのプライベートスペースだけで、住居スペースは二階から三階までだ。
 それぞれの階層にも魔王が新たに呪文を追加している。分霊箱の一つを取り込んだ事で力が増幅され、出来る事が増えたからだ。
 階段を登り切った所に扉があって、ドアノブを持ちながら念じた部屋に繋がる。部屋の種類はリビング、書斎、倉庫、魔具工房、遊戯室、衣装部屋の六つ。中に人が居るときは変えられない。
 三階に登ると、今度は扉が三つある。以前までは僕の部屋とバスルームだけだったけど、昨日新たに客室が追加された。空間を拡張する呪文のおかげで一つ一つの部屋がとても大きい。
 どうやら《必要の部屋》をモデルに試行錯誤して作ったみたい。

『俺様に不可能はない』

 会心の出来だったみたいで、満足そうに魔王は言った。
 ちなみに魔王とビルは僕の部屋で寝泊まりしている。

「なんか、凄いね」

 ジョージはオープンキッチンを備えたリビングを見回しながら言った。パン屋を経営する事に決めた後、魔王は悩みに悩んだ挙句、工房にマグルの機械を導入した。窯は石窯を使っているけど、ミキサーやホイロは必須だった。それで吹っ切れたのか、最先端のシステムキッチンをここに置いてくれた。
 隠れ穴みたいなアナログキッチンだと僕には少し荷が重かったから助かった。ワームテールにばかり負担を掛けるのも可哀想だったし……。
 
「さあ、座って! ジュースを持ってくるね」

 大容量の冷蔵庫からキンキンに冷えたジュースを取り出す。オレンジジュース、コーラ、自家製カボチャジュース。
 驚いた事にロン達はコーラを知らなかった。魔法界で炭酸といえば|お酒《エール》を意味する。

「あれ? ワームテール! どこに行ったの?」

 さっきまで一緒に準備をしていたワームテールがいない。

『ヤツなら小僧共を不快にさせたくないと部屋に戻ったぞ』
「えー……」

 たしかにロン達とワームテールが再会した時の事を思い出すと仕方のない事かもしれないけど、これからはしょっちゅう顔を合わせる事になるのに……。

「魔王も出て来てよ」
『……断る』
「なんで?」
『面倒だ。それに騒がしい席は嫌いだ』
「好き嫌いしちゃダメだよ。魔王もこれからみんなと顔を合わせる機会も増えるんだから!」

 今度は黙秘権を行使し始めた。僕は頬を膨らませながら、みんなに断って一階に降りた。ワームテールの自室に行くと、歓迎用に作った食事を前に満面の笑みを浮かべている彼がいた。

「ご、ご主人様!? いや、あのこれは……」
「ほら、行くよ!」

 ワームテールの首根っこを掴んで引き摺る。グダグダ何かを言ってるけど無視だ。

「魔王も出て来てよ!」
『……だから、俺様は』
「いいから出て来てよ! 僕の家族を紹介したいの!」

 ワームテールは暴れる事をやめた。魔王も僕の中から出て来る。

「……仕方のないヤツだ」

 初めから素直に出てくればいいものを……。

「おまたせ!」
 
 リビングに戻ると、ロン達はビルからお説教を受けていた。どうやら、つまみ食いをしようとしていたみたい。

「あっ、スキャバーズ!」

 ワームテールは気まずそうな顔でロンに手を振る。
 ロンも複雑そうな表情を浮かべながら手を振り返した。

「ひ、久し振りだね」
「ど、どうも」

 お互いに距離感を伺っているみたいだ。折角だから隣同士の席にしてあげた。

「えっと、こんにちは」

 ジョージは魔王に向かって戸惑いげに挨拶をした。

「えっと、誰?」

 フレッドは目を丸くしている。

「……ニコラス・ミラー。この子の世話をしている。よろしく頼む」

 ノエルとニコラス。僕達の偽名は両方共、フランス語でクリスマスを意味している。
 
「ジョージです」
「フレッドです!」
「ロ、ロン・ウィーズリーです」
「ああ、君達の事はウィリアムから聞いている。歓迎するから、寛いでくれたまえ」

 そう言って、魔王は僕の隣に座った。
 歓迎会は大成功だった。ワームテールはロンと打ち解ける事が出来たみたい。クィディッチの話題で盛り上がっている。 
 フレッドとジョージは夏休みの間に開発した悪戯グッズについて熱く語ってくれた。僕の魔具作りにも参考になる話が多くて、魔王でさえ感心していた。

「奇抜な考え方だな。だが、面白い」

 魔王は双子の事を気に入ったみたい。悪戯グッズの開発にアドバイスを送り、休暇中は僕やビルと一緒に魔具制作を教える事を約束した。
 
 第五話『メゾン・ド・ノエルⅡ』

 三人共、僕の制服を見た瞬間顔を七変化させた。最初は赤くなり、次に青くなる。

「ぼ、僕達もそれを着るの?」

 恐怖に怯えるロンを安心させるようにワームテールが彼らの制服を運んでくる。

「お三方には此方を」

 三人には魔王やビルと同じ制服。白地の上下と茶色の前掛け。僕の制服と比べるとすごくシンプルなデザイン。

「僕のは正体を隠すためって部分が大きいからね」
「そっか……、そうだったね」

 ジョージは落ち込んだように言った。

「いや、でもこれは……」
「この制服って、ニコラスさんがデザインしたんだよね?」

 フレッドとロンが僕の制服をジロジロと見てくる。

「や、やっぱり、変かな?」
「いや、最高だ!」
「似合ってはいるね……」

 とりあえず、似合っていないわけじゃないみたい。まあ、お客様からも《似合ってる》と《可愛い》しか言われた事がないから当たり前だね。

「よーっし! 開店だよ!」

 結果として、戦力になったのはジョージだけだった。ロンは途中からウダウダ言い始めるし、フレッドはふざけ始めるから魔王に追い出された。
 ジョージも一緒になってふざけ始めるかと思ったけど、彼は最後まで完璧に仕事をやり遂げた。
 バイト代はキッチリ払ったけど、途中退場の二人はガッカリと肩を落としている。対照的にジョージはほくほく顔だ。
 翌日からは二人共サボらずに働いてくれるようになった。ビルとジョージからチクチク言われたみたい。魔王も特に追い出したりはしなかった。

 土曜日は人数の増えた魔具制作講座。今まで作って来た物とは一風変わった物を作る事が増えた。
 アイデアはフレッドとジョージ。それを魔王が形にする。二人はすっかり魔王を尊敬するようになった。
 どんな無茶も簡単に叶える魔王を神様と崇める程だ。

 日曜日はみんなでバカンス。魔王とビルに無人島へ連れて来てもらい、泡頭呪文を使って水中探索をしたり、土曜日の魔具制作で作った水上を滑るソリで競争したり、魔王が教えてくれた呪文を試して過ごした。
 
「やっばいな! 超楽しい!」
 
 フレッドは砂浜に寝転びながら叫んだ。
 ジョージとロンも御満悦の様子だ。
 そうして、楽しい日々が続いていく。

 ある日、ジョージが僕に話し掛けて来た。

「ねえ、ニコラスは何者なの?」

 もうすぐ夏も終わる。またしばらく閉店する事を常連さん達に告げて回り、ようやく落ち着いたところだった。
 ジョージは心配そうに僕を見つめている。

「その制服で正体を隠してたって言ったよね? それって、彼は正体を隠している間も一緒に居たって事だよね?」

 動く事が出来なくなるほど驚いた。不信に思っているような様子を一欠片も見せなかったのに……。

「……別に詮索したいわけじゃないんだ。それに、兄さんや君が信頼している以上、僕が何か言うのはお門違いなのかもしれないけどさ」

 ジョージはどこか悔しそうに言った。

「何者なのか知りたい。君にとって、彼はどんな人物なの?」

 いつもと違う。ふざけた様子など欠片も見せず、その瞳はどこまでも真剣だ。

「……ごめんなさい」

 だからこそ、言えない。魔王の正体は魔法界において|禁忌《タブー》だ。

「そっか……。俺はまだ君の信頼を勝ち取れてないんだね」
「そんな事は……っ!」

 ジョージは僕の頭に手を乗せた。

「いつか、信頼してもらえるよう頑張るよ」

 ジョージは寂しそうに言った。僕は彼に何も答える事が出来なかった……。

第四話『メゾン・ド・ノエル』

 髪はブラックのシュシュで纏め、ワインレッドとブラックのチェックドレスに袖を通し、エプロンを付ける。いつでも顔を隠せるようにフード付きのケープを羽織り、リボンで固定して完成。
 魔王がデザインして、魔王が魔法で作った制服だ。女の子用の服だけど、正体を隠す為だから仕方がない。まあ、今は正体を隠す必要も無いけど、常連さんが混乱しちゃうから名前もノエル・ミラーのままで通す予定。
 鏡で身だしなみをチェックする。笑顔の練習もして部屋を出る。階段を降りると仕込み作業をしているワームテールがいた。

「おはようございます!」
「おはよう、ワームテール! 久しぶりの仕事だね!」
「腕が鳴りますよ!」

 ワームテールはホグワーツで過ごす間も時間を無駄にしていなかったみたい。幾つもの新商品を考案し、魔王にプレゼンテーションをしていた。
 幾つかは没になったけど、採用になったものも多い。輸入品を取り扱っている店から仕入れた明太子を使ったソースをフランスパンに塗ったパンは最高に美味しかった。
 店に行くと、バターロールの生地やデニッシュの生地で作った新発売の食パンを魔王が魔法でスライスしていた。6枚切りが一番たくさん売れる。

「おはよう、魔王!」
「おはよう」

 最近、魔王はキッチリ挨拶を返してくれる。嬉しくなって、頬が緩んだ。

「ウィリアムが店の前を掃除しているぞ」
「はーい! 挨拶してくるね!」

 外に出ると、ビルがアンネお婆ちゃんと話をしていた。
 ビルは魔王がスカウトしたみたい。ダンブルドアの秘書が本業だけど、夏休みの間はこの店でアルバイトをしてくれる事になった。

「おはよう、ビル! アンネお婆ちゃんもおはようございます!」
「おはよう、ノエル。制服がよく似合ってるね」
「おはよう、ノエルちゃん。ああ、今日からまたこのお店のパンを食べられるのね! 待ち切れなくて、来ちゃったわ」 

 お店の掃除や材料の調達で再開に一週間も掛かってしまった。アンネお婆ちゃんは再開の日をずっと待ってくれていた。
 
「ワームテールが新商品を作ったの! すっごく、美味しいんだよ!」
「まあ、それは楽しみだわ!」

 僕は店の看板を見上げた。《メゾン・ド・ノエル》。それがこの店の名前だ。
 フランス語で、意味はそのまま《|ノエル《ぼく》の家》。
 店のシャッターを開け、自動ドアのスイッチを入れる。ビルが掃除を終えて中に入ると、丁度、時計が開店の時刻を指した。
 鳥の鳴き声が響き渡る。それが開店の合図だ。

「いらっしゃいませ! 《メゾン・ド・ノエル》にようこそ!」

 第四話『メゾン・ド・ノエル』

 初日は思った以上に大盛況だった。常連さんは一年経っても変わらず買いに来てくれた。フランクおじさんなど、新商品を一揃いと大好物の塩パンを二十個も買ってくれた。
 ビルは初めての作業にも関わらず、接客や品出し、レジ打ちまで完璧にこなしてくれた。
 夕方、空が茜色に染まり始めた頃、パンも売り切れて店仕舞い。今日の売上は98万円ちょっと。魔王が真剣な表情で売上の計算をしている。

「完璧だ。見事だぞ、ウィリアム。ワームテールとは大違いだ! ヤツは商品の値段を日に五度は間違える上、釣り銭も間違えるからな」

 魔王は優秀な従業員にご満悦だ。
 店は基本的に週休2日。週末は休みにしている。だから、金曜日は特に大忙し。常連さんは休日分も買って行ってくれるから客単価が増えて、売上が100万を超える事もしょっちゅうだ。
 そして迎える休日。ポケットにワームテールを入れて、ビルや魔王と一緒に出掛ける。土曜日は魔法関係の事に使う。魔法学校に入学した未成年の魔法使いは基本的に外で魔法を使ってはいけないのだけど、監督者が居れば話は別。ビルが近くにいれば堂々と魔法を使える。
 以前みたいにドラゴンの棲息域には中々行けなくなったけど、魔具の作成に使う素材集めは何も立ち入り禁止区域のみにあるわけじゃない。
 素材を集め終えたら魔具の作成に入る。一日で出来るものもあれば、平日でも仕事が終わった後に続きを行う事もある。ビルは魔具の作成に興味を示して、僕と一緒に魔王から教えを受けるようになった。
 日曜日はレジャーの日。どこに行くかは僕が決める。遊園地でも、海でも、山でも、どこにだって魔王が連れて行ってくれる。

「……なんだ、その目は」
「いえいえ、なんでもありませんよ」

 魔王とビルはとても仲が良い。互いに認め合っている感じ。時々、両方に嫉妬してしまう事がある。
 そういう時はワームテールに話を聞いてもらっている。ワームテールはいつだって僕を一番にしてくれる。
 実は最近、ワームテールから動物になる方法を教えてもらっている。過去の記憶がないせいか、理論的とは言えない教え方だけど、段々とコツが掴め始めている。
 どういう動物になるかは本人の資質次第みたいで選択する事は出来ないみたい。
 出来ればライオンとかウマみたいなかっこいい動物がいいんだけど。
 
 そうこうしている内、飛ぶように時間が過ぎた。気付けば誕生日を迎え、ワームテールが焼いてくれたケーキでお祝いをした。
 魔王は小さな卵をくれて、ビルはニンバス2001という箒をくれた。本当はドラコと見に行くはずだったのに彼から連絡が来ない。此方から手紙を送っても返事すら返って来ない。
 他にもロン、フレッド、ジョージ、チャーリー、モリー、ハーマイオニー、ネビル、ロイド、アラン、パンジー、ミリセント、ダフネ、マリア、フレデリカから届いた。
 一つだけ差出人不明のプレゼントが届いたけど、魔王はそれがダンブルドアからの物だと直ぐに見抜いた。中身は透明マントという姿を消す事が出来る魔具。とても珍しい物で、ポッター家に伝わっていた物を預かっていたらしい。

 夏休みも残り一週間に迫った日、ロンから手紙が届いた。

《フレッドとジョージがうるさいんだ。ねえ、君の家に行ってもいい? パパがハリーの安全の為に行くべきじゃないって言うんだけど……》

 その手紙を魔王に見せると、『別に構わない。だが、ビルを迎えに行かせろ』と言ってくれた。
 手紙の返事をヘドウィグに持たせて、ビルに迎えに行くよう頼むと、二つ返事で了解してくれた。
 その翌日、メゾン・ド・ノエルの従業員が三人増えた。

第三話『不穏』

 冬が過ぎ、春が終わろうとしている。荷物を纏めながら、ドラコを見つめる。結局、あれからずっと話をしていない。
 一時期より大分持ち直したみたいだけど、相変わらず不健康そうな顔をしている。

「……ねえ、ドラコ」

 思い切って、話し掛けてみた。

「なんだい?」

 無視されるかと思った。だけど、ドラコはすぐに返事をしてくれた。
 ホッとしたのも束の間、話す内容を決めていない事に気付いた。
 困っていると、ドラコがクスリと微笑む。

「ハリー。怪我とかしないようにね」
「……それは、こっちのセリフだよ。怪我や病気に気をつけてね」
「うん。ありがとう、ハリー」

 その笑顔を見て、何故か不安になった。

「ぜ、絶対だよ?」
「ああ、約束するよ」

 どうしてだろう。違和感を感じる。まるで、作り物を相手にしているみたいだ。
 
 第三話『不穏』

「ほら、そろそろ汽車の時間が迫ってる。そろそろ出ようよ」

 トランクを運び出すドラコ。慌てて追いかける。
 ホグズミード駅に到着するまで、ほとんど会話が出来なかった。

「すまない、ハリー。ここでお別れだ」
「え?」

 汽車に乗る直前、ドラコは言った。その足でスリザリンの制服を着た一団と合流する。
 その一団を見た途端、言い知れない悪寒を感じた。彼らの顔はロウのように血の気を失い、仮面のような無表情を浮かべている。
 顔見知りの筈なのに、まったく知らない人のように感じる。

「ま、待って、ドラコ!」
「ハリー」

 ドラコは作り笑いを浮かべて言った。

「さようなら」

 そう言って、一団と共に汽車に乗り込む。
 僕は立ち竦んだ。漸く、自分が拒絶された事を悟った。

「……なんで?」

 足元がグラつく。休暇中まで僕達は良き友人だった筈なのに、どうして……。
 
「おっと、危ない」

 足がもつれた。倒れ込みそうになった所をジョージが受け止めてくれた。

「ジョージ……」

 泣きそうになった。

「……どうかしたの?」

 フレッドが心配そうに顔を覗きこんでくる。
 
「とりあえず、コンパートメントに」

 ジョージは僕のトランクとヘドウィグの籠を掴んだ。

「荷物は僕が預けてくるから」
「あっ……」
「ハリーはこっち」

 問答無用で手を引かれ、僕は空いているコンパートメントに連れ込まれた。しばらくすると、ジョージが戻ってくる。
 
「なにがあったの?」

 ジョージの言葉に堰き止めていたものが決壊した。
 休暇以降のドラコの態度。彼が僕を拒絶した事。気付けば洗い浚い話していた。

「……あの野郎」

 フレッドは怖い表情を浮かべた。

「ハリーはどうしたいの?」

 ジョージは穏やかな表情で僕に問い掛けた。

「……ドラコと仲良くしたい」
「そっか」
「別にあんな野郎と仲良くしなくても……」

 フレッドは不満そう。

「なら、俺だけでハリーの仲直りを手伝うよ」
「なっ!?」

 ニコニコ笑顔を浮かべるジョージにフレッドはショックを受けた表情を浮かべる。

「俺もアイツの事やアイツのした事は良く思ってないさ。けど、ハリーが仲直りしたいって言うなら協力する」
「ジョージ……」
「だから、ほら」

 ジョージはハンカチを差し出して来た。

「涙を拭いてよ」

 そのハンカチをフレッドが奪い取り、僕の涙を優しく拭いた。

「お、俺も協力するから!」
「う、うん。ありがとう……」

 何故かジョージを睨みながら言うフレッドに苦笑する。

「よーし! じゃあ、早速アイツのコンパートメントに乗り込んでくるか!」
「え? 別に今直ぐじゃなくてもいいよね?」

 いきり立つフレッドを尻目にジョージが言う。

「えっ?」

 フレッドは困惑している。

「少し時間を置いた方が仲直りもし易いと思うんだ。それまでは僕達でハリーを独占させてもらおうよ」

 ジョージは手を叩いた。

「あっ、でも、フレッドがどうしても行きたいって言うなら止めないよ? 俺はハリーと留守番してるから」
「えっ?」

 フレッドはジョージを見た。僕もジョージを見た。
 なんでだろう、冷や汗が出た。

「い、いや、俺だってハリーと話がしたいんだ! 学年どころか寮まで違うせいで全然遊べなかったんだからさ!」
 
 開けかけた扉を勢い良く閉めて、フレッドが戻って来た。
 その後は暗くなる暇も無いくらい楽しい時間を過ごした。

 ◆

 魔王は苦悩していた。ドラコ・マルフォイの変心。その理由は十中八九、ルシウス・マルフォイに預けた分霊箱によるものだ。
 アレは若き日の記憶を魂の一部と共に吹き込み作り上げた。ルシウスとナルシッサの様子から見て、既に相当な量の魂を取り込んでいる。
 敵対するとなれば、相応の準備が必要になる。ダンブルドアには警戒を促してあるが、下手を打てばハリーに危険が及ぶ可能性が高い。
 手駒のドラコをハリーから離そうとしている以上、ハリーに手を出す気は無いという事だろう。今のところは……。
 
『蘇りの石やロウェナ・レイブンクローの髪飾りは無防備故に難なく取り込む事が出来たが、アレは意思を留められぬ程のダメージを与える必要がある。日記を確保する事が最も現実的だが、同時に最も警戒されている点だろうな』

 気軽に手を出す事も出来ないが、いつまでも放置しているわけにもいかない。
 本体を復活させる為に動くかもしれない。自らが本体に成り代わろうとするかもしれない。いずれにしても、アレは他の分霊箱と大きく異なる性質を持っている。
 ダンブルドアに警戒を促しておいたが……。

『ウィリアムを雇うか……』