第三話「出番が来ないッス!」

 その日はたまたま寝付きが良くなかった。いつもなら熟睡している筈の時間に目が覚めてしまった少女は傍らに母の姿が無い事に気付く。
「お母様……?」
 父の姿が無い事は珍しくない。だけど、母はいつでも隣に居た。不安に駆られ、部屋を飛び出す。
 普段、歩き慣れた廊下も夜の暗闇によって昼間と異なる不気味な様相を見せる。
「お母様……。キリツグ……」
 少女は恐怖に怯えた。今にも泣き出してしまいそうな顔でゆっくりと歩き始める。戻って、空っぽの部屋で一人眠る事の方が恐ろしかったから。
 両親の名を飛びながら廊下を歩き続ける。幸い、窓の外から月明かりが差し込み、薄っすらと先を見通す事が出来る。
 歩き慣れた道の途中に両親の姿は無かった。ただ、見知った顔を見つける事が出来た。両親が忙しい時に時折相手をしてくれているメイドだ。
「このような夜更けにどうなさったのですか?」
「お母様が部屋に居ないの! きっと、私に内緒でキリツグと一緒に遊んでいるんだわ!」
 ほっぺを膨らませる少女にメイドは苦笑した。実のところ、彼女は少女と殆ど同い年だ。ただ、彼女はホムンクルスと呼ばれる人造生命体であり、鋳造された時に既に成人の肉体を持たされていただけの事。生まれてから生きる意味や目的を見出す人間とは違い、彼女のようなホムンクルスは初めに己の生をどう使うか決められ、それに沿うように肉体を生成される。
 彼女の生きる目的は少女――――、イリヤスフィールの身の回りの世話をする事。ただ、その為だけに生み出された。彼女はその事に不満を抱いた事など無い。むしろ、自分とは違い、様々な感情を発露するイリヤスフィールの姿に心を満たされてすらいる。
「では、わたくしもお供いたします。恐らく、奥方様は旦那様と御一緒に聖堂にて英霊召喚を行っている筈です。なんでも、予想より早くサーヴァントが揃いつつある為、急遽召喚の日時を早めたのだとか」
「英霊召喚……?」
 メイドはイリヤスフィールの両親が何をしているのか正確に知っていた。ただ、その事を彼女に話してはいけないと誰にも命じられていなかった。
 故にイリヤスフィールが望む答えを口にしてしまった。両親の居場所。両親の為そうとしている事。
「過去の英雄を召喚する儀式でございます。既に三騎士のクラスが埋まってしまって、皆様大慌ての御様子です」
 メイドの話を聞いたイリヤスフィールの顔に浮かぶもの、それは好奇心。英霊召喚という過去に偉業を為した英雄を召喚する大儀式は子供の好奇心を刺激するには十分過ぎる材料だった。
 イリヤスフィールはメイドに聖堂へと案内させる。すると、扉を僅かに開いた先で父が陣を前に片手を突き出していた。
「――――告げる」
 いつもとは違う父の雰囲気。少女は息を呑みながら、父の背中を見つめ、その言葉に耳を傾けた。
「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」
 気が付けば、父の真似をしていた。遠くの魔法陣に向けて手を伸ばし、父の発した言葉を繰り返す。
 ただ単に、かっこいいと思ったから真似をしただけだ。それがどのような結果を生み出すかなど考えていない。子供が好奇心に乗せられて父親の真似をしただけに過ぎない。
 その結果――――、
「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――――!」
「なんじ、さんだいのことだまをまとうしちてん! よくしのわよりきたれい! てんびんのまもりてよ!」
 拙い言葉で紡がれた呪文は誰にとっても予想外の結末を引き起こした。

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは奇跡の存在である。本来、生まれる筈の無い|人工生命体《ホムンクルス》が人間と交わり産んだ究極のホムンクルス。人間でありながら、ホムンクルスとしての側面を持つ、アインツベルン史上最高傑作とされている。
 彼女には特別な力がある。次の【聖杯】として産み落とされ、生まれた瞬間に存在を弄られた彼女には【願望機】としての性質が備わっている。未だ、調整は不十分だが、その性質故に彼女は魔術を行使する際、理論を求めない。ただ、祈りを捧げるだけで魔術を完成させる事が出来る。
 父親の真似事をしながら、彼女は世話係のホムンクルスに聞いた英霊という存在を欲した。
 理由は――――ただ、会いたいから。
 
 生きた魔術回路とまで呼ばれる膨大な魔術回路によって生み出される莫大な魔力と願望機としての性質が合わさり、彼女の好奇心が英霊召喚の儀式を侵食していく。
 既に召喚準備を終え、呪文の詠唱を完了させつつあるマスターに刻まれた刻印が剥がれ落ちていき、代わりに少女の腕に真紅の聖痕が刻まれていった。
 本来ならあり得ないイレギュラー。だが、聖杯戦争において、彼女以上にマスターに相応しい人間など存在しない。例え、大聖杯を穢す悪意が選定条件を歪めようと、彼女が望み、儀式に臨んだ以上、マスターになる資格を最優先で受け取るべきは彼女。
「な、何が起きている!?」
 突然、令呪が消滅した事に慌てふためく父親の姿を無視して、彼女は聖堂内に足を踏み入れる。彼女の視線の先には一人の女が立っていた。
 女もまた、彼女を見つめている。
「サーヴァント・ライダー、アルトリア・ペンドラゴン。召喚に応じ、参上した」
 凛とした表情でライダーはイリヤスフィールに手を伸ばす。
「問おう。貴女が私のマスターか」
 その問いにイリヤスフィールは意識する前に頷いていた。
「そうよ。わたしがあなたを呼んだの!」
 満面の笑みを浮かべるイリヤスフィールにライダーもまた、笑みを零す。
「我が愛馬は雷雲を呑むように駆け、我が剣は万軍を斬り払い、我が槍はあらゆる城壁を打ち破る。貴女の道行きを阻むものは、その悉くを打ち破ろう。ここに契約は完了した」
 その光景を誰も阻む事が出来なかった。吹き荒れる魔力とライダーの発する圧倒的な覇気が口を開きかけた者達の言葉を禁じる。
 契約は完了し、ここに最強の主従が誕生する。
「わたしはイリヤよ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。よろしくね、アルトリア!」
「ええ、よろしくお願いします。妖精のように麗しき我が主よ」

 ◇

 一人の少女が齎した変化は止まらない。蝶の羽ばたきがやがて竜巻を起こすように、人々は嵐の中へ呑まれていく。
 冬木市郊外にある森の中で鶏を絞め殺している少年もその一人。彼もこれから英霊召喚を行う腹積もりだ。
 必死になって書き上げた論文を一笑に付した教師を見返す為、彼は偶然手に入れた聖遺物を手に日本までやって来た。
 資料片手に鶏の血で召喚陣を描いている。
「完成っと!」
 ウェイバー・ベルベットは会心の笑みを浮かべて完成した召喚陣を見下ろした。
 上出来だ。形に歪みは無く、綴りにミスもない。後は呪文を唱えるだけでいい。
 既に五体のサーヴァントが召喚されている事も知らず、残されているクラスがキャスターやアサシン、バーサーカーという一癖も二癖もあるものばかりという事も知らず、喜んでいる。
 魔力を循環させ、意を決して呪文を唱え始める。
「|閉じよ《みたせ》。|閉じよ《みたせ》。|閉じよ《みたせ》。|閉じよ《みたせ》。|閉じよ《みたせ》。 繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」
 もしも、彼が触媒も持たずに召喚を行っていたら、バーサーカーを召喚してしまい、魔力が枯渇して何も為せぬまま死んでいたかもしれない。
「――――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」
 もしかしたら、冷酷な魔術師を召喚してしまい、無惨な末路を辿ったかもしれない。
「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」
 運良く、誠実な魔術師や暗殺者を召喚出来たとしても、血の浅い未熟者には未熟なサーヴァントが選ばれていた事だろう。
「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ」
 彼は運が良かった。
「天秤の守り手よ――――!」
 エーテルが渦を巻き、その中央に一人の少年が姿を現す。
 彼が偶然手に入れた聖遺物。それは偉大なる王の衣服の切れ端。
 その英霊には魔術師の適正も、暗殺者の適正も、狂戦士の適正さえ無かった。
 何故なら、彼は王。民を束ね、威風堂々と君臨する者。彼にそれらの適正など必要無かった。
「――――君が僕を喚び出した人?」
 ウェイバーはサーヴァントと向き合った時、言おうと思っていたセリフが幾つもあった。
 それが全て消し飛んだ。
 召喚された英霊のあまりの美貌に圧倒されたのだ。
「そ、そうです」
 バカ面下げて、そんな返答しか出来なかった。
「ハハッ。そんなに緊張しないでよ。僕はアレキサンダー。アレクサンドロス3世でもいいよ。勿論、他の名前でも構わない。クラスは|征服者《コンカラー》……、どうやらラインナップからは外れたクラスみたいだ」
 魅惑的な微笑みを浮かべ、ウェイバーの手を握り締める。
「よろしくね、マスター」
「よ、よろしくお願いします」
 その声はまるで鈴の音のように甘く響く。ウェイバーは顔を真っ赤にして、何度も頷いた。
「ところで、一つお願いがあるんだけど」
「な、なに?」
 コンカラーは言った。
「イリアス、どこかにない? どうしても読みたいんだ」
「それなら多分、図書館にでも行けば……」
「なら行こう! よし行こう! すぐに行こう!」
「え、って、まだ夜だぞ!?」
「イリアスが僕を待っている!」
 ウェイバーの手を引っ張り、コンカラーは走り出す。目的地も知らず、ただただ真っ直ぐ走り続ける。
 その先に何が待ち受けているかも考えず、万人を魅了する微笑みを浮かべながら――――。

第二話「朝食美味いッス!」

 薄暗い地下室でラッパ型スピーカーから有名歌手の歌声の代わりに罅割れた老人の声が響く。懐古主義者が好む骨董品だが、遠くの場所に居る相手との会話を可能とする正真正銘の魔術礼装である。電話の方がコストの面でも、効率の面でも、利便性の面でも優れているのだが、持ち主である遠坂時臣は敢えてこの魔術礼装を愛用している。現代科学の粋を集めた機械を使うなどナンセンス。
【時代が移り変わろうと、魔術師は旧き物、古き伝統を尊ぶべきだ】
 それが彼の主張である。彼の魔術師としての弟子である言峰綺礼には不可解な心理だ。
『――――というわけだ。まさか、大聖杯のある円蔵山地下で召喚を行う者が居るとは……』
「マキリか……、あるいはアインツベルンか。いずれにしても、大聖杯に細工をされた可能性がある以上、捨て置くわけにはいきませんね」
『うむ。時期尚早かと思うが、サーヴァントを召喚し、調査に向かって頂きたい。下手を打てば、聖杯戦争が根幹から崩れ去る可能性もある』
「承知しました。丁度、今宵は綺礼にサーヴァントの召喚を行ってもらう予定でしたから。……しかし、フフッ」
『どうしたのかね?』
 微笑を零す時臣にスピーカーの向こう側で言峰璃正は眉を顰める。
「いえ、不幸中の幸いとでも言いましょうか……。召喚における不安要素が取り除かれた事に安堵しているのですよ」
『不安要素……?』
「ええ、私が用意した聖遺物で召喚出来る《最強の英霊》を単独行動が可能なスキルを保有するアーチャーのクラスで召喚してしまう憂いが無くなった。大聖杯に近づく暴挙は許し難い。だが、その点に関してのみ、感謝しよう」
 時臣は璃正との通話を終え、傍らに佇む綺礼を見つめた。
「さて、聞いての通りだ。早速、召喚の儀式に取り掛かろう」
「かしこまりました」
 
 ◇

 暗闇の中、呻き声をあげる男が一人。彼が無数の陰茎を模した蟲に体を弄られ、人ではないナニカに変えられていく苦痛に耐えていると、急に痛みが晴れた。
「雁夜。些か事情が変わった。お前には何としても勝ってもらわねばならん」
「……ッハ。顔色が随分と悪いな、臓硯」
 挑発的な眼差しを向けると、いつもなら鼻で笑う老獪が苛立ちの篭った表情を浮かべ、杖で雁夜の背中をついた。すると、体内で蟲が暴れ始め、耐え難い激痛が走った。意識を失う事も許されず、脳内麻薬の分泌も抑制され、人間が感じ得る最大級の痛みが駆け巡る。
 数時間にも、数日にも感じられる数秒後、臓硯は雁夜から杖を離した。
「口を開けろ」
 臓硯は雁夜が救いたいと望む少女の胎内で育った数匹の蟲を雁夜の口に捩じ込んだ。
 朦朧とする意識の中、激しい嘔吐感に襲われパニックを起こす雁夜の口を他の蟲に閉じさせる。
「お前の中に桜とのラインを構築した。これで少しはマシなマスターになれるだろう」
 体内の急激な変化に雁夜の意識は闇へ沈む。

 目を覚ました時、そこは同じ場所だった。意識を失う前と異なる点は二つ。一つは無数の蟲が退去し、床に魔法陣が刻まれている事。もう一つは幼い少女がいる事。
「さく、ら……ちゃん?」
 起き上がると、妙に体の調子が良かった。
「これは……」
「言っただろう。お前の中に桜とのラインを構築した。今、お前の中には桜の魔力が循環しておる」
「桜ちゃんの魔力が……?」
 桜はいつもと変わらぬ諦観の表情のまま小さく頷いた。
「これより、お前にはサーヴァントの召喚を行ってもらう。召喚陣と触媒は用意してある。後は呪文を唱えるのみ」
 臓硯は召喚陣の前に雁夜を立たせた。陣の前には台座が置かれ、その上には小さな木片が置かれている。
「あれは?」
「アーサー王伝説は知っているな?」
「一応、一通りの伝承や伝説、逸話には目を通してる」
「ならば、この木片の価値が分かるはずだ。これは件の伝説に登場する円卓の欠片。サーヴァントの召喚システムについては以前渡した資料にある通りだ。触媒を使えば、召喚する英霊を事前に選別する事が出来る。逆に触媒を使わなければ、召喚者の性質と似通った英霊が召喚される。前者のメリットは言わずもがなだが、後者にもそれなりのメリットがある。自らの性質とサーヴァントの性質が近い故に意思の疎通が図りやすい。前者の場合では、性質が合わない場合があり、それ故に内輪揉めを起こし、自滅する可能性もある。そこで、この触媒だ」
 雁夜は妙に饒舌な臓硯に違和感を感じながら、円卓の欠片を見つめる。
「なるほどな……。これなら、両方のメリットを獲得する事が出来るって事か」
「その通り。ソレを触媒にする事で召喚される英霊は当然、円卓の騎士。アーサーにしろ、ランスロットにしろ、ガウェインにしろ、誰が呼び出されても英霊としては一級品よ。加えて、選別の縛りは円卓の騎士のみ故、その一級品の中から召喚者と最も相性の良いサーヴァントが選ばれる。さて、呪文は覚えているな?」
「当然だ」
「ならば、始めよ」
 雁夜は一歩、召喚陣へ近づいた。

 ◇◆

 サーヴァント召喚の儀式は魔術的儀式の中でも比較的簡素なものだ。令呪と召喚陣があれば、後は呪文を唱えるだけで完了する。
 故に成功率を高める方法は限られている。召喚陣を描くインクには魔力を篭めた宝石を溶かした物を使い、呪文には遠坂家の祖の大師父の名を追加する。
 悪足掻きのようなものだが、一世一代の大勝負だ。失敗の要因は可能な限り取り除かなければならない。
「さて、始めるか」
 時臣は綺礼を壁際まで下がらせると、深く息を吸い込んだ。
 予定では、今宵綺礼にアサシンを召喚させ、頃合いを見てから自身もサーヴァントの召喚を行う手筈だった。不届き者の為に順番が狂ってしまった。痛手という程では無いが、不快ではある。
「……いかんな」
 瞼を閉ざし、意識を完全に切り替える。人間としての遠坂時臣は死に、魔術師としての遠坂時臣が息を吹き返す。体内を巡るは酸素に非ず。大気中を漂うマナがその身を通り抜け、オドを生成し、循環する。
 全身の神経にヤスリを掛けるような慣れ親しんだ痛みを受け流し、右手を陣に翳す。
「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。祖には我が大師シュバインオーグ。降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」
 吹き始めるエーテルの嵐に負けまいと、時臣は左手を右腕にそえる。
「|閉じよ《みたせ》。|閉じよ《みたせ》。|閉じよ《みたせ》。|閉じよ《みたせ》。|閉じよ《みたせ》。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」
 召喚陣の向こう側には台座に置かれた触媒がある。嘗て、不死の霊薬を飲んだ蛇の抜け殻。それに導かれるは最強の英霊ただ一人。
 喚び出す事が出来れば、その時点で勝利が確定する程の圧倒的な力の持ち主。仮に単独行動のスキルを持つアーチャーで召喚されれば制御に骨が折れた事だろう。だが、その枠が埋まった今、憂う事は何一つ無い。
「――――|Anfang《セット》」

 時を同じくして、遠坂邸から少し離れた場所にある間桐邸の地下でも雁夜が召喚の呪文を唱えていた。
「――――――――告げる」
 背後で蠢く蟲も、生気を感じさせない少女の瞳も、悍ましい気配を漂わせる老獪の視線も、吐き気がするような激痛も全て意識から遠ざける。
 この瞬間、全てが決まる。失敗したら、この一年間が無駄になり、桜を救う事も出来なくなる。
「――――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るベに従い、この意、この理に従うならば応えよ!」
 不可視である筈の魔力が目に見える程の濃度に圧縮されていく。
 そこに何かが現れようとしている。来る――――ッ!
「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」
 
 異なる場所で二人の男が同時に最後の一文を謳い上げる。
「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――――!」
 眩い光が眼球を焼く。物理的な衝撃を伴う魔力の波動と共に、召喚陣の中央から人影が現れた。

 ◇

「サーヴァント・アヴェンジャー。召喚に応じ、参上した」
 降り立った英霊は昏い瞳を雁夜に向けた。基本のラインナップから外れたクラスを口にする。
「アヴェンジャー……?」
「ほう、復讐者のサーヴァントとは」
 雁夜は呆然と己のサーヴァントを見つめた。己と同じ性質を持つ筈のサーヴァント。それが復讐者。その昏い瞳、醜悪なオーラから目を背けたくなる。
 嘘だ。これは何かの間違いだ。そう、癇癪を起こしたくなる。
 清廉潔白な騎士を望んでいたわけじゃない。そこまで、己を誇れる人間だとは考えていない。だけど、ここまで醜悪なのか?
「……お前の名は?」
「ランスロット。湖のランスロットで御座います」
 その名は愛に狂い、王国を滅びへ導いた裏切りの騎士の名前。騎士物語の最大の汚点。
「お前が……、俺か」
「マスター……?」
「……なんでもない。それより、自己紹介をしないとな。俺の名前は間桐雁夜だ。よろしく頼む」

 ◆

「――――聖杯戦争。至宝で酔わせ、英雄同士を殺し合わせる。実に度し難い……そして、素晴らしい」
 黄金の甲冑を身に付けた赤い瞳の男が時臣を見据える。
「名乗れ、召喚者」
 時臣は膝を折り、頭を垂れた。
「遠坂家五代目当主。名を遠坂時臣と申します」
「時臣、面を上げよ。我は英雄の中の英雄。王の中の王。最強の英霊ギルガメッシュである。この瞬間、貴様の勝利は確定した。栄光も、聖杯も貴様にくれてやる。だが、我の目的の邪魔だけはするな」
 目論見通り、最強の英霊を引き当てた。しかも、暴君と名高き最古の王が聖杯を渡すと言った。良い意味で想定外の事に口元が緩みそうになる。
「……目的とは?」 
 確認しなければならない。決して、このサーヴァントの機嫌を損ねてはならない。
「戦いだ」
 ギルガメッシュは口元を歪めて言う。
「この我こそが最強であると証明する」
「……かしこまりました。決して、王の邪魔立ては致しません事を誓います」
「話が分かるヤツだな。さて……、そこの男は何だ?」
 ギルガメッシュは壁際に背を預ける綺礼を睨んだ。
「どうにも好かんな、その顔」
 苛立ちを覗かせる表情を浮かべるギルガメッシュに時臣は慌てた。
「彼は私の愛弟子に御座います。決して、王に無礼は働きません。むしろ、彼にもサーヴァントを召喚させ、王に助力を――――」
「ならん」
 ギルガメッシュは言った。
「その男は気に食わん。それに、貴様は言ったな。邪魔立てはしないと。その男がサーヴァントを召喚し、我に助力だと? それでは我が戦うべき敵が減るではないか」
「……かしこまりました。彼の召喚は取り止めます」
 予想外だ。まさか、敵が減るから召喚を止めろと言われるとは思わなかった。これでは何のために彼を弟子に取り、鍛え上げたのか分からなくなる。
 だが、ギルガメッシュの機嫌を損ねてまで召喚を強行する事は愚策だ。この英霊の前ではあまねく英霊が劣等種に貶められる。それほどの力を持っている。
 マスターに備わる透視能力が彼のステータスを時臣に知らせる。最強の英霊は最優のクラスであるセイバーで召喚され、あらゆるステータスがアベレージを超えている。負ける要因は一つもない。
「全ては御身の為すがまま、思うがままに……」

 ◇◆◇

 それは運命ではない。
 それは偶然ではない。
 一人の少女が巻き起こした嵐に人々は巻き込まれていく。
「アーチャー! この味噌汁美味すぎるッスよ! どうなってるんスか!? わたしの好みにドンピシャッスよ!」
「ははは。喜んで頂けて従者冥利に尽きるよ、タイガ」
 その事に少女自身も気付かない。少女に生前培った技術の粋を集めて朝食を提供しているアーチャーのサーヴァントも気付かない。
 一方は舌に染み渡る美食に酔い痴れ、一方はその笑顔に酔い痴れている。
「アーチャー!」
「なんだ、タイガ?」
「美味しい朝食、ありがとう! ご馳走様!」
「……ああ、お粗末さま」
 幸福な笑顔を浮かべる二人の戦いはもうすぐ始まる。

第一話「召喚するッス!」

 その輝くような笑顔に何度も救われた。あの人がいたから、曲がりなりにも人間の真似事なんぞが出来たんだろう。
 守れなかったもの。捨て去ったもの。切り捨てたもの。その価値に気付く事もなく、最後まで突き進んだ挙句、このザマだ。きっと、この姿を見たら、あの人は怒るに違いない。
 なにをやっているんだ! そう言って、泣いてしまうかもしれない。あれで、結構繊細な所もあったからな……。
「それにしても……」
 溜息が出る。まさか、こんな事が起こるとは思わなかった。
 正義の味方を目指した十数年。守護者として、人類の後始末に奔走した幾星霜。
 一度だって、考えなかった。だって、こんな事が起きると誰が想像出来る?
「ちょっと、アーチャー!! どこに居るんスか!?」
 ポニーテールを揺らしながら、彼女が私を呼んでいる。
 まさか、あの頃よりも更に元気な声を聞く事になるとは思わなかった。あれで、若い頃より落ち着いていたのだという事実に衝撃を覚えたものだ。
 活発な性格は変わらない。ただ、私が知っている彼女よりも若々しい。
「何か用か? マスター」
「……そのマスターっていうの、いい加減止めて欲しいッスよ。背中が痒くなるッス!」
「分かったよ、マスター」
「分かってないじゃないッスか! もう、意地悪ッスね!」
 ああ、こんなやりとりを昔もしていた。
「なに、笑ってるんスか!? わたしは怒ってるんスよ!」
「おお、恐い。頼むから、哀れな従僕を虐めないでほしいな」
「だから、虐められてるのわたしの方ッスよ!?」
 そろそろ爆発する。後三秒……二、一、ドン!
「アーチャー!!!」
「ハッハッハ! 今日も元気だな、タイガ!」
 涙が出る程、このやりとりが嬉しい。
 彼女の名前は藤村大河。私が生前、散々世話になっておきながら、恩も返さずに置き去りにした女性だ。
 

 数時間前――――。
 藤村大河は山篭りをしていた。現役女子高生が山篭りをしていた。その時点で一般常識的観点から見るとおかしいのだが、彼女にとっては平常運転だった。
 剣の修行は山篭りにかぎる! それが彼女の主張だ。
「……お腹すいたよー」
 哀しげにリュックサックの中を覗いている。
 山道を走り回り、竹刀を振る。その結果、お腹が空く。実に自然な流れだ。彼女はそのまま、自然の流れに身を委ね、食料を食べ漁った。その結果、これまた自然の流れで食料が底をついたのだ。
 当然の結果を前に彼女はシクシクと涙を流し、うなだれる。
「お腹が切ないよ―」
 山の動物達はそんな彼女に同情の視線を送る。そして、通り過ぎる。同情はしても、食料は恵まない。それが自然の摂理なのだ。
 ただし、仏様は例外だ。
「チクショー……、ブッダさんには食料分けてあげる癖にー……。手塚治虫の漫画で読んで知ってるんだぞー……」
 限界だ。さすがの彼女も悟った。山を降りよう。そして、ご飯を食べよう。
 だが、ここで一つ大きな問題が発生した。
「……暗くて道が分からない」
 今は夜だという事。そして、彼女はリュックサックに寝袋と食料以外、何も入れずに入山した事。
 黙って朝まで待てばいいものを……。
 彼女は空腹を我慢する事が出来なかった。光源一つ無い山道を勘だけで進んでしまったのだ。
 結果、よく分からない場所に出た。
「うわー、すごい! こんな所に洞窟なんてあったんスね!」
 暗かったせいで、岩の中に突っ込み、その中を通り抜けた事に気付かなかった。
 超常現象をアッサリとスルーして、彼女は生暖かい空気の流れる洞窟を歩く。
 空腹を忘れる程の好奇心が彼女に冒険をさせた。
 驚く程広い洞窟。大河は新聞の一面に自らの写真が掲載される光景を妄想した。
『現役美少女高校生が謎の洞窟を発見!!』
 洞窟の発見程度ではニュースになどならない。だが、彼女はなると思った。
 明らかに異様な空間。まるで、生き物の体内のような薄気味悪さが漂う洞窟を意気揚々と歩いて行く。
 その姿は初めて訪れる遊園地にはしゃぐ小学生のようだ。
「おお、ゴールっスか!?」
 何時間も歩き続けた直後とは思えない程元気いっぱいの声を張り上げ、彼女は広々とした空間に躍り出た。
 その場所は明らかに異常だった。まず、広過ぎる。東京ドームがすっぽり入ってしまう程広い。そして、中央に『|地球のへそ《エアーズロック》』を思わせる小高い丘があり、その中央には禍々しい光の柱がある。
「おお、カッケーっス!」
 その光景を見た第一声がコレだった。
「なんスか、コレ!? よく分からないけど、大発見ぽくないッスか!?」
 心の底から嬉しそうにはしゃぎ回る。
 禍々しいオーラを発する光の柱を『渋谷のハチ公』や『上野の西郷さん』と同列に扱っている。
 ある意味で大物かもしれないと思った者が一人。
「……ふむ、何者かと思えば藤村の家の娘か」
「ほえ?」
 まさか、声を掛けられるとは思っていなかった。
 大河は慌てて振り返る。そこには一人の老人が立っていた。
「えっと……、お爺さんは誰ッスか?」
「誰ッスか……と聞かれれば、間桐臓硯と答えよう」
「間桐さんって、先週の町内ゲートボール大会で優勝した、あの!?」
「その間桐さんじゃ」
 老人はカカと笑みを浮かべながら大河の下へやって来る。
「しかし、あまり感心出来んな。このような場所におなごが一人で来るなど……」
「あー……、ちょっと迷っちゃいまして……」
「なるほど、迷ったか……。ならば、仕方がないな」
「えへへー。そうそう、仕方ないんスよ!」
「ああ、仕方がない。山で遭難したおなごが死体となって発見されても、それは仕方のない事だ。血と獣の歯型を付けた肉の一部を置いておけば、誰もが納得するじゃろう」
「……えっと、すっごく物騒な事を言ってません?」
「いや、至って普通の事を言っているだけだ」
「そ、そうかなー……。なーんか、ヤバイ感じの事を言ってたようなー……」
 それは野生の勘とでも言うべきか、大河は目の前の老人に警戒心を抱いた。
 ジリジリと近づいて来る分だけ後ろに下がる。
「これこれ、どこに行く?」
「いやー……、わたしはここいらで失礼するッスよ」
「それはいかん。いかんぞ、藤村の娘よ。ここを見られたからにはただで帰すわけにもいかん」
 あ、ヤバい展開だ、コレ。そう気付いた瞬間、大河は脱兎のごとく走りだした。出入口に向かって一目散に。
 だが、何故か入って来た方の道が塞がっている。
 初め、大河には何が道を塞いでいるのか分からなかった。だが、近づくにつれ、それが生き物の集合体である事に気付いた。
「あっ……ああ、あ……」
 言葉も出ない。以前、父親の股間にあったものを見た事がある。それとソックリなイヤラシさの塊みたいな生き物がウジャウジャ壁を張っているのだ。
「ほっほっほ。逃しはせんぞ」
 好々爺の如き笑みを浮かべ、危険なオーラを放つ臓硯に大河は涙目だった。
「エ……エッチなのはイヤッス!!」
 とにかく、蟲の大群から離れようと走る大河。だが、どこからともなく蟲は湧いてくる。逃げれば逃げた先、立ち止まれば足元に蟲が現れる。
「ギニャアアアアアア!?」
「ほっほっほ。ほれほれ、捕まってしまうぞ」
 遊ばれている。捕まったら、明らかにマズイ事態なのだが、それでも尚、人生初の老人虐待にトライしたくなる程、大河はムカついた。
「このエロジジイ!! 絶対に許さないッスよ!!」
「ああ、許す必要はない。いきり立つ心根を折る事こそ至高よ」
「何言ってるか分かんないッス!!」
 叫びながら、大河は気付いた。徐々に追い詰められている事実に!
「あ……ああ、ヤバいッス。これは明らかにヤバいッス」
 大河は思った。
 
     誰でもいいから助けて欲しい。
 
              救世主でも、正義の味方でも、この際、仮面ライダーとかウルトラマンとかポケモンマスターでもいいから来て欲しいと!

 その願いを汲み取るものがいた。

 目の前で珍劇を繰り広げる少女の叫び声を禍々しさ全開の光の柱の中で聞き届けた者がいた。
「だれか……、誰かわたしを助けてェェェェェ!!!」
 彼女は知らない事だが、この街には今、魔術師と呼ばれる存在が集まりだしている。
 彼等の目的は一つ。如何なる願いも叶う万能の盃……、『聖杯』を手に入れる事。
 その為の戦いを彼等は『聖杯戦争』と呼ぶ。
 彼等は『聖杯戦争』のシステムを使い、英霊と呼ばれる人類の上位に位置する存在をサーヴァントという枠に嵌めて現世に召喚し、使役する。
 伝説に名を残す英雄達が日本の片隅で激突するという裏の世界の危険度MAXな伝統行事。
 そこに本来、彼女が入り込む余地などなかった。なぜなら、彼女は魔術師ではなく、その才能も無かったからだ。
 だが、ここに『聖杯戦争への参加表明を聞き入れ、マスターの選別を行う者』の本体がある。
 そして、マスター自身の魔力を一切使わずとも召喚に事足りる程の潤沢な魔力が循環している。
 結果、彼女の手に真紅の聖痕が浮かび上がった。そして、陣も無い状態かつ、詠唱すら一言も呟いていない状況で、突風が吹き荒れた。
「ば、馬鹿な!?」
 叫ぶ老人に突風の中心から白と黒の刃が走る。
「……実に乱暴な召喚だが、なるほど。化生の者に追われていては仕方がない」
 突風が止み、大河の前に赤い外套を纏う男が現れた。
「出会いの問答も、名乗りすらも後回しになるが許してくれ、マスター。まずは目の前の害虫を処理するとしよう」
「……よもや、藤村の娘がマスターに選ばれるとは」
「なに?」
 男が老人の言葉に動きを止めた一瞬を突き、老人は地面に染みこむように姿を消した。
「イ、イリュージョン!?」
「ッチ、逃げられたか……」
 男は忌々しげに老人の消えた地面を睨むと大河に向き直った。
「すまない、マスター。初仕事に失敗するとはサーヴァント失格だな」
「えっと……」
 頭を下げる男に大河はドン引きしていた。
 まず、格好が変だ。どんな趣味!? と叫びそうになる。
 次に見た目が明らかに外人だ。日本語が通じるみたいでちょっと安心。
 そして、言ってる言葉の意味が理解出来ない。やっぱり、日本語通じない人かもと思い、悲鳴を上げそうになる。
「……マスター?」
「あ、あの……、失礼するッス!!」
「お、おい、マスター!?」
 エロ生物の壁が消えた道に走って行く大河。だが、直ぐに立ち止まり、戻って来た。
「マ、マスター……?」
 あまりにも奇抜な行動に男は困惑している。
「助けてくれてありがとうございます!」
「え? あ、ああ!」
 ペコリと頭を下げる大河。
 大河はお礼を言える女の子なのだ。
「……マスター。君は……」
「えっと……その、マスターっていうのはわたしの事ッスか?」
「ああ、それ以外に誰が……っと、君はもしかして一般人か?」
「一般人……? うーん、微妙ッスね。親が極道だから一般人とは少し違うかもッス」
「ご、極道……? そ、そうか……。だが、聖杯戦争の事は何も知らない。違うか?」
「正妻戦争? むかし、お父さんを巡ってお母さんと四人の女が争いあったという、あの!?」
「いや、それはどんな状況だ!? ……そうじゃなくて」
 男は『聖杯戦争』について大河に簡単なレクチャーをした。
「なるほどなるほどー」
 大河は男の話を聞き終えると、さっき大河を密かに救った禍々しい光の柱を見て言った。
「よし、ぶっ壊そう!」
 ひどい裏切りだ。さっき、助けてあげた恩を自覚も無く仇で返そうとしている。
「……短絡的過ぎるぞ。確かにそれも解決策ではあるが……」
「なら、何を迷うんスか!?」
 これがあると街が大変な事になる。そう言われたからには街に根を張る任侠者として放ってはおけない。
「これを壊す為には強力な宝具が必要だ。私も用意出来なくはないが……、あいにく魔力が足りない。魔術師ではない君からは魔力を貰う事が出来ないからね。加えて、仮に破壊したとして、その後、魔術協会と聖堂教会が雁首揃えて君を殺しにくるぞ」
「な、なんスか? その物騒ななんちゃら教会って……」
「要は魔術師の世界のマフィアだ。しかも、表世界のマフィアの質の悪さを何倍にも膨らましたような連中だ。ちなみに、君を殺した後は君の家族や友達も殺しかねない。そういう連中だと思ってくれればいい」
「じゃ、じゃあ、どうすればいいんスか!?」
 涙目になる大河に男は言った。
「このまま私との契約を断ち、すぐに監督役の下へ駆け込む。それが最善の道だ」
「この物騒なのは?」
「残るな。だから、監督役に相談でもして街の外へ出る事を勧める」
「で、でも、それじゃあ街のみんなが!!」
「どうせ、他人だろう?」
 男は冷たく言った。
「家族や友人だけなら逃してやれるだろう。それで満足するんだな」
「そ、そんなの――――」
「君がどんなに頑張っても、誰かが犠牲になる。それが君自身や君の知人になるか、赤の他人になるかの違いだけだ。なら、君は君自身を守るべきだろう」
 男は淡々と彼女の取るべき選択を説明する。
 その男の気づかぬ所で大河は拳を握る。
「ウルセェッス!!」
「ほあ!?」
 頬をグーで殴られた。あまりの事に言葉を失う外套の男。
「いいから、みんなを助けられる方法を教えるッス!! ほら、ハリー!! ハリー!!」
「ひ、人の話を聞いていなかったのか? 結局、どちらかが……」
「どっちも犠牲にしない方法を取る!! それ以外は認めないッスよ!!」
「そんな無茶苦茶な道理は通らないぞ、マスター!」
「マスターじゃないッス!!」
 大河は叫ぶように自らの名を口にした。
「わたしには藤村大河っていう、立派な名前があるんス! マスターとかいうこそばゆい名前じゃないッス!!」
 その名を聞いた瞬間、男は顔を歪めた。
 その顔があまりにも哀しそうで、大河は咄嗟に口元を押さえた。
「そ、そんなシュンとしなくても……。いや、わたしも怒って悪かったッス。だから、そんな泣きそうな顔をしなくても……」
「……シ、……いや、アーチャーだ」
「へ?」
「私の事はアーチャーと呼べ」
「お、おう?」
「分かったよ、マスター。君の方針に従おう」
 拍子抜けするくらい素直な言葉。
 呆気に取られる大河。そんな彼女にアーチャーは言った。
「ッフ。君の覚悟を試したんだよ。いいだろう! 全てを救えと言ったな? サーヴァントには相応しいオーダーだ」
 嬉しそうに男は言う。
 大河は完全に置いてけぼりをくらっていた。
「ああ、いいだろう。君の言う通り、全てを救ってやろう。じゃないと、君に認めてもらえないらしいからな」
「えっと……、そこまで怖かったッスか?」
「ああ、怖かった。この世でこんなに恐ろしい事があるのかと思うほどな! まったく、召喚早々サーヴァント虐めとは実に恐ろしいマスターだ」
「い、虐めてなんかいないッスよ!! わ、わたしは優しいマスターッス!!」
 それが二人の出会い。本来、二度と交わる筈の無かった二人の糸が絡み合う。
 まだ、出会わぬ筈の二人。もう、出会わぬ筈の二人。
 彼等の物語が今、はじまる――――……。