第十三話『麗しの人魚』

 青い空、どこまでも続く紺碧の大海原の中に、ぽつぽつと飛び石の様に存在する島々の一つに、ネギは居た。周りにはクラスメイトの少女達が海で泳いだり、ビーチボールで遊んだり、ビーチフラッグを競い合ったりしている。
 春休みを楽しく過ごそうとあやかの家が私有する島にクラスの皆と遊びに来たのだ。本島よりずっと南にある島で、未だ三月だというのに、太陽が燦々と輝いてかなり熱い。海から吹き寄せる潮風はベトつく感じがするが、遊ぶ事に夢中な少女達は気にも留めない。
 あやかが用意してくれた桃色のワンピース型の水着を着たネギは、紺色のスクール水着を着ているのどかと一緒にイルカのビニール人形に捕まりながらゆったりと海を漂っていた。

「気持ちいいですね~」
「そうですね~」

 二人でまったりしていると、陸の方から明日菜の声が響いた。

「ネギ~~~!! 本屋ちゃ~~~~ん!! スイカ割りするわよ~~~~!!」
「は~~い!」
「は~~い!」

 返事を返しながら二人でバタ足をしながら陸に戻る。波が少なかったおかげですぐに戻ってくる事が出来た。砂を海の中で落として陸に上がると、古菲がスイカを見事に粉砕した直後だった。

「アイヤー、失敗失敗。これじゃあ食べられないアルよ~」

 粉々になったスイカを見下ろしながら無念そうに呟く古菲にハチマキとスイカ割りの棒を受け取ると、ネギは明日菜にハチマキで目隠しをしてもらった。見当違いの場所を叩いては少女達の声に従ってフラフラしながらもネギはスイカに棒を叩き付けた。
 少し中心からずれた場所を叩いてしまったが、古菲の様にスイカを粉砕する事はなく、歪な形だがスイカを食べれる状態に割る事が出来た。

 水着の中に砂がかなり入ってしまっていて、髪もベッタリし、肌もベタベタするので割ったスイカを皆で食べた後、ネギは明日菜、木乃香、刹那と一緒にお風呂に入る事になった。

「わ――っ! 海の見えるお風呂ってさいこ~!」

 いち早く体を洗い終え、髪を確りと水洗いして纏め上げた明日菜が開放感溢れる大きな湯船にダイブした。男子禁制な訳では無いが、この島に居る従業員は皆女性だ。島に滞在しているのも女性だけだからこそ、このお風呂に入れる訳だ。
 このお風呂には壁や窓など無く、三角屋根を支える柱だけが視界を邪魔する程度なのだ。柱と柱の間は広く、そこから遠くに夕日が眺められる。

「お風呂でダイブはマナー違反やで~。せやけど、ほんまやな。いいんちょには感謝せんとあかんなぁ」
「まったくですね。ここは本当に素晴らしい所です」

 木乃香と刹那も湯船に浸かりながら、遠目に見える夕日の反射した赤く幻想的な海を眺めて嘆息を漏らした。

「あやかさんってお金持ちだったんですね」

 ネギが遅れて湯船に入って来た。

「なんせ、世界でも有数の財閥グループらしいしね~。詳しくは知らないけど」

 明日菜は右手を振りながら言うと湯船から出た。髪を洗い、刹那が木乃香の髪を手際良く洗っている間にネギも丁寧に、それでいて手際良く洗い終えてさっさと外に出た。

「クッ……」

 後ろから悔しげな刹那の声が聞こえたが、ネギは体をタオルで拭いながら聞かなかった事にした。明日菜達もすぐに出て来て、用意しておいた私服を着て外に出た。
 水着はいつの間にか無くなっていたが、従業員が持って行ったらしい。しばらく歩いていると、フローリングの床の廊下の向こうから和美がネギ達に向かって歩み寄ってきた。

「いたいた。探したよ」
「ん? どうしたの、朝倉?」

 明日菜が尋ねると、和美は肘を曲げて指を自分の背後に向けた。

「向こうの部屋で皆で集まって怖い話大会やってんのよ。トイレついでにアンタ達探して誘いに来たのよ」
「怖い話ねぇ。うん! 面白そうだわ。どこでやってんの?」
「向こうの部屋」

 明日菜が尋ねると、和美は振り返って歩き出した。和美に連れられて少し歩いた場所にあった部屋に入ると、部屋は真っ暗で、部屋の中央の蝋燭だけが部屋を照らしていた。部屋の中にはネギのクラスメイト達が蝋燭を囲んで座り、蝋燭に一番近い場所に座っている大河内アキラが雰囲気たっぷりの表情でミステリアスな口調で話していた。静かにネギと明日菜、木乃香、刹那、和美は入口のすぐ近くに座ってアキラの怪談に耳を傾けた。

「私の友達がある振るい家に引っ越した時の話。その家、お風呂はあったんだけど、壊れてて使えないって言われてたらしいの」
「な、なんか本格的な怖い話みたいですね」

 アキラの怪談話を聞きながら、ネギは少しだけ怯えながら明日菜に話しかけた。

「ネギって怪談苦手?」
「少し……」
「んじゃ、もうちょっとコッチ来なさいよ」

 明日菜は不安そうにしているネギに苦笑しながら近くに寄るように言った。

「すみません……」

 アキラの話を聞きながら怖がるネギに、明日菜はクスリと笑みを浮べると、安心させる為に頭を撫でてあげると、なんだか自分がお姉さんみたいだなと、同い年の少女相手に思ってしまい、胸中で謝罪した。

「お風呂のドアが釘と板で頑丈に入れなくしてあって、まぁ、家賃も安いし我慢するかって」

 アキラの話に、ネギや明日菜の斜め前でお互いに手を握り合っている鳴滝姉妹はゴクリと息を呑んだ。

「そのドアの片隅にひよこの玩具が置いてあったの……。前の住人の物かなと思って気にせずに寝床につくとね……」

 雰囲気たっぷりのアキラの話し方が、余計にネギ達に恐怖を与えた。

「の、ノってるわね……アキラちゃん」

 自分も少し背筋がゾクゾクしてくるのを感じながら呟くと、隣のネギは目を閉じてプルプルと震えていた。

「目を閉じてると逆に怖いわよ?」

 明日菜がよしよしと頭を撫でながら言うと、ネギは頑張って目を開けた。その途端に、話していたアキラはその様子を見て悪戯心が芽生えて、更に雰囲気たっぷりな話し方でニヤリと不気味に笑った。

「なぜか……お風呂場からジャブジャブと音が聞こえるんだって」
「ひい――っ!!」
「ゆえゆえ~~~~!!」

 裕奈は鳴滝姉妹に抱きつきながら絶叫し、のどかは“EEL SOUL うなぎ味”という謎の飲み物を必死に飲みながら恐怖に耐えている夕映に抱きつきながら涙目になり、ネギも涙目になって思わず明日菜に抱きついてしまったが、恐怖で女の子に抱きついているという事を理解出来ず、明日菜に慰められた。クラスメイト達の反応に悦びながら、アキラは話を進めた。

「気のせいだって言い聞かせて、その晩は寝る事が出来たんだけど……。その音は次の晩もその次の晩も聞こえてきた……。それを両親に伝えたら、両親もその音を聞いてるの」
「え~~っなんで~~?」

 思わず声を出してしまったまき絵に裕奈は人差し指を唇に当ててシ―っと黙らせた。

「おかしいと思った父親はそのドアを開けてみた。そこにはね……」

 そこで一息入れ、アキラはミステリアスな声で言った。

「壁一面に、『やめて 苦しいよ お母さん モウヤメテ』って血文字で書いてあったんだって」

 部屋中に悲鳴が響き渡った。鳴滝姉妹、ネギ、のどかは恐怖のあまり気絶してしまい、裕奈とまき絵が慌てて鳴滝姉妹を、明日菜はネギを、夕映はのどかを床に頭を打たない様に抱き抱えた。

「せっちゃん」
「お嬢様!?」

 木乃香も震えながら刹那に抱きつき、刹那は真っ赤になりながらもその唇の端を悦びに吊り上げていた。

「そ、それってまさかお母さんが子供をお湯の中に~~っ!?」

 夏美が千鶴に抱きつきながら涙目で叫ぶと、アキラは真剣な表情で厳かに頷いた。

「たぶんそうじゃないかと……。それとね、さっきのひよこの玩具。誰も触って無い筈なのに濡れてたらしいわよ」
「ゆえゆえ~~~~っ!!」

 気絶していたのどかは目を覚ました瞬間にアキラの話が耳に入り、絶叫しながら夕映に抱きつき、夕映も飲んでいた飲み物が空になっているのにも気がつかずにズゴゴゴと紙のパックを吸い込んでへこませていた。鳴滝姉妹やネギも目覚めてそのままネギは明日菜に抱きつき、史伽は裕奈、風香はまき絵に抱きついたまま震え続けた。

「ほらほら、大丈夫だから。怖くないから確りしなさいって」

 苦笑いを浮べながら言う明日菜にネギは頭を振って動かなかった。アキラは自分の話で皆がこれほど怖がってくれるとはと満足気に笑みを浮べていた。

「ア、アキラちゃんの新たな一面を見た気がするわ……」

 明日菜の呟きは誰にも聞こえなかった。

 旅行から数日後、ネギと明日菜、木乃香、刹那の四人が寮の近くを散歩していると、落ち着かない様子でキョロキョロと視線を泳がすアキラの姿があった。

「あれ? アキラちゃんだ」

 明日菜はアキラの姿を確認すると声を掛けた。

「どうしたの?」
「神楽坂さん。その、動物を拾って……」
「動物?」

 木乃香が首を傾げると、アキラは頷いた。

「少し怪我をしているようでね。私一人ではどうにもならなくて……」
「助けが欲しいんですね?」

 刹那が尋ねると、アキラは頷いた。ネギ達は頷き合うとニッコリと笑みを浮べた。

「それなら、私達も何か出来る事があればお手伝いしますよ」
「ありがとう。じゃあ、ついて来てくれる?」

 アキラに連れられて、ネギ達は歩き出した。ネギ達はすぐ近くだろうと思っていると、何故か学園の外に出て、バスに乗り……。

「どこに……?」

 ネギが首を傾げていると、バスが到着したのは……
「え!? ここって……」
木乃香は目の前に広がるソレに目を見開いた。

「海だ――っ!」

 両手を広げながら明日菜は、訳がわからずとりあえずノリで叫んでみた。

「ず、随分遠くまで来ましたね」

 唖然とするネギに、苦笑いを浮べる刹那が言った。

「遠くどころじゃないと思いますよ……?」
「こんな所に動物って……」

 ネギが首を傾げていると、浜辺を少し歩いた場所で不意に、どこからかキューキューという鳴き声が聞こえた。

「この鳴き声は?」

 ネギが辺りを見渡すと、殊更大きな鳴き声が聞こえた。岩場から下を見下ろすと、そこには一匹のイルカが居た。弱々しく泳いでいるイルカにネギ達は仰天した。

「イ、イルカ?」

 どうして、こんな所にイルカが? と明日菜は怪訝な顔をしながら尋ねると、アキラは分からないと首を振った。

「でも、怪我をしている様だし。もしかしたら仲間が居たのに、その群れから逸れてしまったのかも……。どうしたらいいかな……」

 岩場にしゃがみこむアキラの背後からイルカを見下ろしながらう~んと木乃香は人差し指を顎に当てて唸った。

「よく、台風とかで海が荒れて流されたり、船の音に吃驚して浅瀬に迷い込むとか言うなぁ……」

 木乃香の言葉に、心配そうにイルカを眺めたアキラはネギ達に振り返った。

「なんとかならないかな?」
「なんとかって言われてもねぇ……」

 明日菜はさすがに自分達が何とか出来るとは思えなかった。

「とりあえず、元気の無いままこんな場所に居たら危険です。外敵に襲われたら……。でも、運ぶにも大きすぎるし……」

 ネギは困ったように唸った。

「そうやね……。皆でおぶっていくわけにもいかへんし……」

 明日菜はむむむと唸った。そこで、ピンと閃いた明日菜はネギに顔を向けた。

「ネギ、アンタ魔法使いなんでしょ、何とかならないの?」
「ま、魔法使いでも出来る事と出来ない事がありまして……。私、回復系は苦手ですし……」
「…………ネギちゃんは魔法使いなの?」
「そうなんですよ。私、魔法使いなんです――――?」

 明日菜に話を降られたネギは困った様に首を振ると、後ろから掛けられた声につい答えてしまい、恐る恐る後ろを振り向いた。そこには、アキラが立っていた。

「って……ああああああっ! バレちゃった……どうしよ~~!」

 余りに間抜けなバレ方をしてしまい、ネギはアタフタとした。

「…………あっちゃ~」

 後ろに居た木乃香はやっちゃった~という感じの顔をしながら二人を見ている。

「か、神楽坂さん……。何やってるんですか……」

 呆れた様に、アキラの前でネギの正体をバラした明日菜に声を掛けると、明日菜は涙目になっているネギに罪悪感を感じて胸がチクチク痛み、頭を抱えていた。

「ごめんなさい……つい……」
「でも、あんまり驚いてないみたいやで……?」

 アキラの前で手をサッサッと振りながら木乃香が言った。

「え?」

 ネギ達は驚いた顔をしてアキラを見た。

「とてもびっくりしてるよ」

 実は固まっていたらしく、キョトンとしながらアキラは言った。どうやら、あまり顔に出ないタイプらしい。

「えっと……その、内緒にして貰えませんか?」

 涙目で懇願するネギに、アキラは苦笑いを浮べながら頷いた。

「あ、アッサリしてるわね。アキラちゃん……」

 冷や汗を流しながら言う明日菜に、刹那も

「そうですね……肝が据わっていると言うか……」
と同意した。

「でも、私の魔法じゃ……」
「せめて体を小さく出来たらええんやけど……」

 ネギが申し訳なさそうに言うと、木乃香が言った。

「小さくですか……。難しいですね。幻術ならば可能ですが、質量は代わりませんし……」

 刹那は木乃香の考えに難色を示した。

「私のハマノツルギじゃどうしようも無さそうだしな~」
「ま、まぁ、アーティファクトは契約時の状況、契約者自身の思い、契約相手の思い、その他の要因によって決まると聞きます。私達の場合は状況が状況でしたし……」

 明日菜は自分の仮契約カードを取り出しながらぼやくと、刹那は苦笑いを浮べた。明日菜の“ハマノツルギ”は見ての通り武器である。まさか、切り刻む訳にもいかないので、ネギ達は途方に暮れていた。

「……その、アーティファクトっていうのは、私でもナニカもらえたりするのかい?」

 唐突に、アキラがネギに尋ねた。

「え? あ……いや、それは……」

 アキラに尋ねられたネギは困り果てた。イルカをどうにかしないといけないが、アキラと仮契約など論外である。そもそも、都合の良いアーティファクトが出る訳が無いし、仮契約してアキラに危険が及ぶなど論外だ。

「すみません。その……魔法に係わると危険な目に合ったりもあるので……」

 本当に申し訳無さそうに頭を下げるネギに、アキラはそれ以上は言わなかった。

「でも、本当にどうしよっか……。そうだ! こんな時こそエヴァちゃんを呼ぶってのは?」
「エヴァンジェリンさんは学内から出れませんよ……」
「そっか……」

 明日菜はナイスアイディアだと思った提案を斬り捨てられてショボンとした。

「なら、タカミチを呼ぶっていうのは……?」

 ネギが提案すると、ショボンとしたままの明日菜が首を振った。

「高畑先生は出張中よ……」
「よ、よく知ってますね」

 春休み中の教職員の予定など普通は一般生徒が知る筈も無く、知る必要もないだろうに、明日菜が知っている事に刹那は何とも言えない表情を浮べた。

「そ、そうです! カモさんなら何か案を下さるのでは? 最近、会いませんが……」

 刹那が閃いて言うと、ネギが首を振った。

「春休み中は一時帰省してるんです。カモ君は帰らなくていいって言ってくれたんですけど、カモ君にも家族は居るので……。旅行の準備を整えて一度帰って貰ったんです」
「カモって家族居たんだ……」
「妹さんが故郷に居るらしいです」

 カモに妹が居た事に衝撃を受けている明日菜を無視して、刹那が提案した。

「でしたら、電話で相談するというのはどうですか?」
「電話ですか?」
「高畑先生は忙しいでしょうし、カモさんの故郷に電話は無いでしょうけど、エヴァンジェリンさんの家なら連絡がつく筈ですから」

 刹那の提案でエヴァンジェリンに連絡する事が決まった。ここで問題になったのは誰が連絡をするかだった。この中で一番エヴァンジェリンと仲が良いのはネギなのだが……。

「私、携帯電話って持って無いんです」
「なら、ウチの貸して上げるえ」

 ネギが携帯電話を持っていなかったので、木乃香が貸す事になったが、ネギは携帯電話がうまく操作出来ず、何度も間違えてしまい、木乃香が番号を押して何もしないでいい状態でネギに手渡した。

「すみません」

 ネギは頭を下げると、携帯電話を耳に当てたが、一向に電話の電子音が聞こえなかった。

「逆だって……」

 明日菜は呆れた様に、聞く所と話す所を逆にしているネギにちゃんと電話を構えさせた。しばらく電子音が鳴り、何度目かで少女の声が聞こえた。

『もしもし』
「あ、茶々丸さんですか?」
『――――声紋がネギさんと一致。ネギさんで間違いありませんか?』

 よく分からない事を言う茶々丸にそうですと言うと、ネギは魚の様なよく分からない生物をどうすればいいか聞いてみた。

「――という訳なんです。どうしたらいいでしょうか……」

 ネギの話を聞いた茶々丸は、しばらくお待ちを、と言って、電話から離れてしまった。しばらく待つと、受話器をエヴァンジェリンが取った。

『ネギ・スプリングフィールド、聞こえるか?』
「エヴァンジェリンさん! 聞こえますよ。いきなり電話してすみませんでした」
『構わん。今、茶々丸に向かわせている。到着したら、茶々丸の指示を聞け。それよりも、そろそろ答えは出たか?』

 電話の向こうのエヴァンジェリンの口調が固くなった。

「――――」

 ネギは答えられなかった。まだ、迷いがあったのだ。エヴァンジェリンに教えを請うのは、キチンと自分の答えを見つけてからでないといけない……ネギはそう思ったのだ。滅ぼされた村。その村の事を忘れて幸せに生きる……簡単な事が難しい。
 結局、答えなど無いのかもしれない。それでも、もう少し時間が欲しかった。

『まぁ、私は別に構わん。答えを得るのは自分自身でなければ意味が無いからな……』
「すみません、エヴァンジェリンさん」
『謝る必要は無い。結局の所、お前自身の事なのだからな。では切るぞ?』
「あ、はい! ありがとうございました、エヴァンジェリンさん!」
『うむ、ではな』

 通話が切れると、ネギは明日菜達と適当に話しながら茶々丸を待った。

「それにしても意外ですね」
「何が?」

 刹那の唐突な言葉に明日菜は首を傾げた。

「いや、エヴァンジェリンさんがこうもアッサリと助けてくれるとは思っていなかったもので」
「提案したの刹那さんじゃん……」

 呆れた様に言う明日菜の横で、ネギは首を傾げた。

「そんなに不思議な事ですか?」
「私自身、エヴァンジェリンさんとそこまで接点はありませんが、個人的な事にこうも快く手を貸して頂けるとは思っていなかったもので……」
「エヴァンジェリンさんは確かにとっつき難い所はあるけど、そこまで不思議な事なのかい?」

 アキラが不思議そうな顔をすると、刹那はどう答えていいか判らなかった。

「固定概念……と言いますか。エヴァンジェリンさんに頼むというのは、提案しておいてなんですが、非常に勇気がいるというか……。昔エヴァンジェリンさんは600万ドルの賞金首だったそうですし」
「600万ドルって……どのくらい?」
「えっと、日本円だと少なくても6億越えかと……」

 刹那の言葉に明日菜はネギに尋ねると、ネギは答えた。

「エ、エヴァンジェリンさんは何か悪い事でもしたのかい……?」

 冷や汗を流しながら聞くアキラに、ネギ達はハッとなった。一般人の居る場所で何を話してるんだと正気に戻ったのだ。

「あ、いや……その…………」

 何とか誤魔化そうとするネギ達にアキラが不思議そうな顔をしていると、遠くに茶々丸の姿が見えた。

「あ、茶々丸さん来たわよ!」

 明日菜は話を切り上げようと叫ぶと、茶々丸さんが駆け寄って来た。

「お待たせしました」
「わざわざすみません、茶々丸さん」

 小さなポシェットを肩に掛けた茶々丸が頭を下げると、ネギ達も頭を下げた。魚に似た変な生き物の所に茶々丸を連れて行くと、茶々丸はポシェットから小さな瓶を取り出した。中には紅い小さな玉と蒼い小さな玉が入っている。

「それは?」

 アキラがビンを覗き込みながら聞くと、茶々丸は答えた。

「比率変動薬です。赤を飲ませれば大きく、青を飲ませれば小さくする事が出来る魔法薬です。年齢詐称薬に近い薬ですが、マスターが改良して実際に質量なども変化する様になっています。体などには悪影響はありません」
「なんか凄そう……。エヴァちゃんがこんな物くれるなんて、ちょっと驚いちゃった」
「後で何か代価が取られそうですね……」

 茶々丸の説明を聞きながら明日菜と刹那が呟くと、茶々丸は少し悲しそうな顔をした。

「少し……誤解があります」
「え?」

 茶々丸の言葉に、明日菜は首を傾げた。

「確かに、マスターは……えっと……」

 何かを言いかけた茶々丸はアキラの事に気がついて言葉を切った。実は既に比率変動薬などで手遅れ感もあったのだが、茶々丸はそれに気がついてなかった。

「あ、魔法に関しては大丈夫ですよ? 大丈夫じゃないんですけど、さっきバレてしまいまして……」

 俯きながら言うネギに、曖昧な返事を返すと、茶々丸は話を続けた。

「マスターは確かに魔法界では過去に指名手配にされたり、教会のハンターなどに命を狙われたりもしています。ですが、別にマスターが好きでそういう扱いを受けるに至ったのでは無い……それを理解して下さい」

 茶々丸の懇願にも似た言葉に、ネギ達だけでなく、事情をあまりしらないアキラまでもが頷いた。

「マスターは悪を掲げていますが、それは周りに強要されたからなんです。姉さんに……私が作られる前にマスターを護っていた絡繰人形なのですが……姉さんに聞いているのです。沢山の人が、マスターを悪として扱った。それ以外に道なんてあると思いますか? 悪を強要され続けて、それでも数百年間、命を狙ってくる者を相手に善意だけを向けるなど……。マスターは決して悪人では無いんです」

 呟く様に言う茶々丸に、明日菜は思わず唇を噛んだ。

「ネギさんがマスターをお友達だと言って下さった日の夜、マスターは嬉しそうでした。表面上ではそうは見えないかもしれませんが、マスターにも友達に親切にしたいと思う事はあるんです。深い考えなどなく、ただネギさんに助けを求められたから手を貸した。それだけなんです……」

 明日菜と刹那は聞きながら、恥しくなった。ああ、何て自分は馬鹿な事言ったんだろう。明日菜は大きく息を吸うと、頭を下げた。

「ごめん、馬鹿な事言ったわ……」
「私も、短慮でした。申し訳ありません」

 明日菜の謝罪に、そこまで語っていた茶々丸はハッとなった。

「す、すみません。つい……」

 恥しそうに瓶から小さくする蒼い薬を取り出す茶々丸に、ネギ達はどれだけ茶々丸がエヴァンジェリンを愛しているのかが実感出来た。別に変な意味は無い。ただ、エヴァンジェリンを愛おしく思う茶々丸の姿が、ネギ達には愛おしく見えた。
 アキラも、話の殆どは理解出来なかったが、茶々丸の人を思う気持ちに触れて、暖かい思いが心を満たし、自然に笑みを浮べていた。刹那は、エヴァンジェリンと個人的にはあまり話した事が無かった。それでも、茶々丸にここまで思われる存在に、悪性を感じる事は到底出来なかった。
 その後、茶々丸と刹那が岩場を降りてイルカに薬を飲ませると、イルカは掌サイズになってしまった。

「わ~、かわええなぁ。でも、入れ物どないしよ」

 木乃香は小さくなったイルカにメロメロになった。

「これなんかどうかな?」

 アキラが少し離れた場所で少し上の方が欠けたバケツを発見し持って来た。中に小さくなったイルカを入れた。

「ピッタリですね」

 ネギはバケツを持ちながら言うと、アキラはバケツの下から水が零れていない事を確認して安堵した。それから、ネギが幻術でバケツを壺に見せかけた。バスに乗るので、そのままだと拙いと茶々丸が言ったからだ。
 学園内に戻ると、寮の前に意外な人物が待っていた。

「マスターッ!?」

 茶々丸が目を見開くと、エヴァンジェリンはネギが抱えているバケツに視線を落とした。

「これか……。少し興味が沸いてな。結構可愛いな……」

 バケツの中で泳ぐイルカを見ながらエヴァンジェリンは呟いた。そして、そのまま

「じゃあな」

と言ってそのまま行ってしまいそうになった。

「待った! 折角なんだし上がってってよ。エヴァちゃんのおかげで連れて来られたんだし、お礼にこの前買ったお菓子だすわよ?」

 明日菜が呼び止めるが、エヴァンジェリンは困った顔をした。

「私は寮の中には入れないよ。生徒の中には“囮”も居るからな」
「囮……?」

 エヴァンジェリンの言葉に明日菜が首を傾げると、茶々丸が答えた。

「マスターが寮に入いる事で、魔法先生の居ない場所に真祖の吸血鬼が侵入したという状況が作り出されてしまうんです」
「どういう事なん?」

 木乃香が訳がわからないと首を傾げると、茶々丸は答えた。

「マスターを討伐する口実を与えてしまうんですよ。最近、教会の方も痺れを切らしていまして……。何しろ、魔法使い達が大勢潜んでいるこの地にマスターが匿われているというのは、教会にとっては異端が更なる異端を匿っているという事になるんです。だから、魔法先生の居ない寮に囮を忍ばせて、マスターが寮に入ったら直ぐにソレを利用して麻帆良内に教会の者が入ってくる筈です」
「な、何言ってるんですか!? そんな馬鹿な事……」

 ネギは驚いて目を丸くすると、エヴァンジェリンは肩を竦めた。

「中々に綱渡りなのさ。私がココに居るってのはな。爺ぃが抑えつけているが、口実を与えてしまうと、麻帆良は教会に手出しが出来なくなるのさ。何せ、囮ってのは、ようは教会が麻帆良に忍ばせた教会の人間の事だからな」
「??」

 エヴァンジェリンの言っている意味が分からずに首を傾げるネギ達に、エヴァンジェリンは苦笑すると、手を振った。

「ま、お前達が気にする事じゃない。それよりも、オコジョが帰ってきたら連絡しろ。チャチャゼロの奴が淋しがってるとな」

 そう言って、エヴァンジェリンが去って行ってしまった。

「それでは私も……」

 お辞儀をすると、茶々丸もエヴァンジェリンの後を追った。

「魔法の事はよく分からないけど……」

 アキラの声に、ネギ達はギョッとした。

「何だか淋しいね……」

 アキラの言葉に、ネギ達はエヴァンジェリンの去って行った方向を、しばらく見続けた。

 部屋に戻ると、アキラと木乃香、刹那が麻帆良大学の水産学部に相談に行った。その間、ネギと明日菜は紅茶を飲みながらイルカを見ていた。やる事も無く、弱っているイルカを心配そうに見ながら、ネギと明日菜はお互いに別々の事を考えていた。
 ネギは、エヴァンジェリンへの弟子入りの事。明日菜は、エヴァンジェリンの事。
 明日菜は不思議だった。初めて魔法を知った日に、明日菜は茶々丸やエヴァンジェリンと命を懸けた戦いを繰り広げた。だからと言って、エヴァンジェリンに対して憎いとかそういう気持ちは全く無い。自分が異常なのかとも思うが、エヴァンジェリンの過去に同情もするし、エヴァンジェリン自身が悪い人間などとは到底思えなかった。どちらかと言えば、ネギと似ている気がした。強がっているけど、実はとても弱い。何百年も生きているというけど、それがどれだけの長さなのか実感出来ない。自分などより遥かに長く生きている彼女にこんな思いを抱くのは馬鹿みたいなのは自覚しているが、それでも、もしもエヴァンジェリンを泣かせる奴が居たら、全力で護りたいと思う。だって、理不尽だ。茶々丸の話を聞いたら、周りが悪であると望んだらしい。そんな馬鹿な事があっていい筈ない。偽善でも何でも構わない。もしも、ネギや木乃香や刹那やアキラやあやかやエヴァンジェリンや茶々丸や……大切な友達が涙を流さなきゃいけない事になったら、泣かせた相手は絶対に許さない。
 どうしてこんな事を考えてしまうのかと言えば、何の事は無い。ただ、茶々丸の言葉に感情的になっているだけなのだ。それがどれだけ傲慢で高慢な思いか自覚し、それでもこの決意は揺れる事は無い。それが神楽坂明日菜という少女だから。しばらくすると、アキラ達が戻ってきた。

「帰ったで~」
「おかえり~」
「おかえりなさい」

 木乃香が一番最初に入ってきて、その後にアキラと刹那も部屋に入って来た。

「麻帆良大学の水産学部の人に相談したんだけど、鯨やイルカも人間と同じで、風邪とかひくことがあるんだって」
「でも、もしも風邪ならどうすれば……」

 ネギが心配そうにイルカを見つめると、アキラが持っていたビニールから紙袋を取り出した。

「それは?」

 ネギが尋ねた。

「風邪だったら、この風邪薬を餌に混ぜて食べさせれば大丈夫だろうって。鯨もイルカも同じ哺乳類だからコレで大丈夫だろうって」

 そこには“海生哺乳類用風邪薬”とマジックで書かれていた。

「じゃあさっそく!」
「だね!」

 木乃香とアキラはキッチンに行って、餌を作り始めた。中に風邪薬を混ぜる。餌が出来ると、アキラと木乃香は水槽の前に戻ってきた。

「ほら、ご飯だよ。お食べ……。おいしいよ」

 細長いパフェの時に使うスプーンに餌を乗せてイルカの口に運ぶが、イルカは怯えているのか口をつけようとはしなかった。

「食べませんね……」
「この子、私達に怯えているんだ」

 アキラはネギに顔を向けた。

「ネギちゃん、さっき茶々丸さんから貰った比率変動薬の小さくする方を一つ貰えるかな?」
「ちょっと待ってて下さい」

 イルカを元の大きさに戻す時に必要だからと、茶々丸はネギに瓶をそのまま渡していた。ネギは瓶の蓋を開けて青い薬を取り出すと、アキラに渡した。

「そっか、このままやと魚さんが小さ過ぎて食べさせづらいもんなぁ」

 アキラは木乃香の言葉に頷きながら薬を飲んだ。薬の効果は直ぐに現れて、アキラの姿が消えて服だけがその場に落ちた。しばらくすると、服の山からモソモソとアキラが飛び出し、ハンカチを体に巻いて現れた。

「手乗りアキラちゃんね」

 アキラを手に乗せて、明日菜は水槽に手を近づけた。アキラが落ちない様にするのは結構大変だった。イルカのすぐ上に明日菜がアキラを持っていくと、アキラは手に餌を乗せてイルカの前に出した。

「ほら、食べないと治らないんだから。また、大きな海で泳ぎたいでしょ?」

 何とか食べさせようとするアキラだったが、イルカは餌の臭いを嗅ぐとプイッと顔を背けてしまった。困ったアキラは餌を自分の口に含んだ。

「ほらこれ……。うん、美味しい。凄く美味しいよ」

 本当は魚用の餌に魚用の薬を混ぜてあり、ベチャベチャして食感も味も最悪に近いのだが、その事を少しも表情に出さずに笑みを浮べながら餌をイルカの前に再び出した。イルカはアキラの食べる姿を見て警戒を解いたのか、キチンと餌を食べた。その様子に、ネギ達は素直に凄いと思った。魚の餌を食べるというのはかなり勇気がいる行動だ。だけど、アキラはイルカの為に自分で食べて見せた。その優しさに、感動した。

 数日後、ネギ達の部屋で世話をされ、アキラはネギ達の部屋に布団を運び込んで懸命に世話をしていた。イルカにはアキラが“ルカ”と名付けた。

「ネギちゃん、見てよ。なんだかルカが昨日よりも元気になったみたい」

 水槽の中を飛び跳ねるルカに、アキラは頬を綻ばせながら喜んだ。

「でも、元気になってきたらちょっとこの水槽じゃ狭いかもしれませんね」

 ネギの言葉に、アキラや明日菜も頷き、木乃香がせや!と口を開いた。

「いい事思いついたで!」

 木乃香が考えたのは、昼の間は誰も使っていないから大浴場にルカを連れて行こうというものだった。明日菜達の住んでいる階より一階下の階は広くなっていて、その余った部分が露天風呂になっている。途轍もない広さがあり、湯船は空になっていた。
 その中の一番小さな……それでも数十人が一斉に入っても余裕のある程大きな湯船に水を張り、ルカに紅い薬を飲ませて大きくして放った。

「なかなかいい事考えたじゃない」

 木乃香の案に感嘆する明日菜は水着を着ていた。ネギ達もそれぞれあやかの別荘に行った時と同じ水着を着ていて、ルカと遊ぼうとボールを持ってきていた。

「お昼やったら誰もけ~へんしなぁ」

 ルカの額を撫でながら木乃香は言った。

「じゃあルカ、沢山泳ごう!」

 アキラが水の中に入ると、ルカはキュウ! と喜んでいる様に鳴いた。アキラはルカと競争をしたりして、ルカが実はとても賢い事に気がついた。まるで人語を解している様にアキラ達の言葉に反応した。

「なんだか、ルカと泳いでるアキラちゃん、人魚みたいね」

 華麗に水の中を泳ぎ回るアキラに明日菜はそんな感想を呟いた。

「アキラは水泳部やしなぁ」

 何度目かの競争をして、アキラに勝ったルカに木乃香がルカの好物のホッケを与えた。大喜びして、ルカは水面から飛び上がってネギ達を楽しませた。皆でボール遊びをしていると、瞬く間に時間が過ぎていった。

「ルカ……私が水泳始めたのってテレビでイルカを見た時からなんだよ。あんなにスイスイ泳げたら気持ち良さそうだな~って。初めて泳げるようになった時は、嬉しかったなぁ……」

 懐かしむ様に話すアキラに、ルカは水面から顔を出した。そのまま、アキラの頬にチュウをすると、バシャバシャとはしゃぎながらキューキュー鳴いた。

「ルカ……。私の事、仲間にしてくれるの?」

 嬉しそうにはにかむアキラに、ネギは

「まるで恋人同士ですね」

と言った。

「ほんとね」

 明日菜は頷くと、ルカにホッケを投げた。見事に飛び上がって口でキャッチするルカに、ネギ達は歓声を上げた。

 それから更に数日が過ぎた。春休みのおかげで殆どの住人が家に帰っているので、上手い事誰にも見つからずにルカを遊ばせる事が出来た。魚を食べさせて、一緒に泳いで、アキラは大切にルカの世話をし続けていた。

 それから一週間。もうすぐ春休みが終わろうとしていたある日の事だった。
 その日はネギとアキラの二人だけでルカと遊んでいた。

「ルカもすっかり元気になりましたね」

 ネギは元気に泳ぎ回るルカに嬉しそうに笑みを浮べながら言うと、フとルカがしばしばどこかを見ている事に気がついた。アキラも気がつき、ルカの見つめる先に顔を向けると嫌でも気がついた。

「外……」
「もう、アキラさんとルカは友達なんですね……」
「はい……」
「でも……」

 ネギは言い難かった。こんなにも仲が良くなったアキラとルカにこんな事は言いたくなかった。だが、アキラはネギの言おうとしている事が分かっていた。

「…………そうだね」

 アキラは寂しそうに頷くと、ルカを抱くように擦り寄った。

「もうそろそろ……海に返してあげたほうがいいかもしれない」

 アキラの言った言葉が理解出来たのか、ルカは寂しそうに鳴いた。アキラは悲しくなりながらもルカを強く抱きしめると、窓の外を眺めた。

「でも、この辺の海に返したらまた流れ着いてしまうんじゃ……」

 心配気に言うアキラに、ネギはニッコリと笑みを浮べた。

「それは私に任せてください」

 ネギの言葉にアキラは柔らかく笑みを浮べるとコクンと頷いた。

 翌日、杖の定員の都合でアキラとルカだけを乗せてネギは杖を飛ばした。

「改めてネギちゃんは魔法使いなんだね」

 水槽を抱えながらネギの後ろに座るアキラが言うと、ネギはあははと苦笑いを浮べた。

「でも……大丈夫なの? 魔法使いってバレちゃいけないんだよね? 飛んでる姿を見られたら……」

 アキラが心配そうに言うと、ネギは大丈夫と言った。

「特別な認識阻害が掛かっているんです。下からだと見えないんですよ」
「そうなんだ。ネギちゃん……ありがとう」
「…………いいえ」

 それから、ネギとアキラ、ルカを乗せた杖は山を越えて川を越えて、そのまま海の上を飛び続けた。
 午前中に出発したが、もうお昼を過ぎてしまった。

「どこかで休みましょうか?」
「そうだね……。あそこに島がみえるよ」

 アキラは少し遠くに見える島郡を指差した。ネギは頷いて人の居ない場所に降り立つと、そこは伊豆半島の八丈島だと分かった。
 ネギが幻術でルカの水槽を壺に変えると、二人と一匹はお刺身に下包みを打ち、少しだけ八丈島を観光した。ネギは少しでもアキラとルカを一緒に居させてあげたいと思ったのだ。
 ネギの好意に感謝して、アキラはルカを連れて八丈島を探索した。ルカも別れが惜しいのか、少しでも思い出を焼き付けようとしているかの様に水槽の中ではしゃいでいた。

 日が傾き始めてから、再びネギの杖で飛び立ち、目的地にあるらしい南の島に向かった。茶々丸があの日あの場所にルカが迷い込んでしまった時の周囲の海流から計算して、ルカが現在居るべき場所を推測したのだ。
 夕日が海を染め上げて、アキラとネギは感傷に浸った。寂しさが込み上げてきた。
 春休みの間、ずっと一緒だった友達とのお別れ。恐らくは二度と会えないだろうと理解しているから、それが余計に胸を締め付けた。出発の時、明日菜達も泣きそうになっていたのを思い出した。杖がもう少し大きければ、皆で一緒にこれたのに……。そう思うのも仕方の無い事だった。
 比率変動薬も、残りは大きくする紅い薬一つしか残っていなかった。ネギはじきに目的地に到着するとアキラに伝えた。すると、ネギの背中でアキラが歌を歌い始めた。子守唄の様に、心が休まる歌だった。
 ルカは、それがお別れが近い事を示しているのに気がついたのか、キューキューと悲しそうに鳴き、やがてアキラの歌声に合わせるように鳴き声を上げた。ネギは、涙が流れてしまいそうになり、服の袖で眼を拭うと、遠くに目的の島を確認した。
 高度を下げ始めた時にアキラの歌も終わり、人気の無い砂浜に降り立った。水平線の向こうに太陽が既に半分以上沈んでいた。アキラは水槽の中で泳ぐルカの口に紅い薬を運び、次の瞬間にルカは元の大きさに戻った。

「どう、ルカ。君が育った海だよ。広くて気持ちいいね」

 ネギは水辺に居るアキラとルカからそっと離れた。一番長く接していたのはアキラだった。邪魔をしてはいけない。ネギは自分も寂しかったが、二人の別れをじっと見守った。

「ふふ、嬉しいね。ルカ、あなたに会えて……よかったよ」

 アキラはワンピースを脱いだ。その下には水着を着ていて、そのままワンピースを砂浜に投げた。それを、ネギは風の魔法で吹き上げさせると、自分の手元に運んだ。アキラは水の中に体を沈めるとルカを抱き締めた。

「でも、今日でお別れだ……。ルカ、本当の家族。仲間がココに居る筈だから、帰るんだ……」

 じゃあ、そう手を振りながら去ろうとすると、ルカはアキラについてきてしまった。

「はは、なんだよ。ほら……」

 ついて来てしまうルカに、アキラは走って追いつけない様にしようとするが、ルカの泳ぎはそれよりも速かった。それでも、楽しい時間は終わらせないといけなかった。
 遊んで遊んでとせがむ様に鳴くルカに、アキラは涙が零れない様に耐えた。

「ルカ……早く行って。早く……」

 その姿を見ていて、ネギは頬に冷たいナニカが垂れるのを感じた。雨? そう思ったら違った。涙だった。ネギは自分が泣いている事に気がついていなかった。
 ネギはまだ10歳なのだ。お友達との別れが寂しい筈も無かった。それでも、行かなかった。寂しいと思うから、それ以上に寂しいだろうアキラの気持ちを考えてジッとしていた。
 不意に、ルカの姿が消えた。行ってしまったのかな? そう思っていると、ルカが再び現れてアキラに何かを渡していた。そして、キュー! と鳴くと、驚いた事にネギの居る方に泳いできた。

「え?」

 ネギが目を丸くすると、アキラは笑みを浮べた。

「来て、ネギちゃん」

 ハッとなり、ネギは笑みを浮べると、自分も着ていたワンピースを脱いだ。杖に、アキラと自分のワンピースを掛けると、海の中に入って、ルカに抱きついた。

「ルカ……」

 しばらく抱き締め続けると、ネギはルカから体を離した。すると、ルカはネギに口を寄せた。

「手を出してみて」

 アキラに言われて手を出すと、ネギの手にルカは綺麗な貝殻を落とした。

「私に……?」

 キュー! と鳴くルカに、ネギは震えると、もう一度抱き締めた。

「ありがとう……そして、さようなら」

 そう言うと、ネギはルカから離れた。

「アキラさん、私は満足です。だから……後は」

 そう言うと、バイバイと言って、笑みを浮べながらネギは陸に上がった。アキラはネギに頷くと、ルカの頭を撫でた。

「そうだ、ルカ」

 アキラは少し遠くに見える島を指差した。

「向こうの島まで競争しよう。ルカが勝ったら好物のホッケをあげる。私が勝ったら……」

 アキラは言葉を切った。

「うん……。それはあとでいいや」

 不思議そうにしているルカに苦笑すると、アキラは

「よーい!」

と叫んだ。慌ててルカは島に体を向けると、アキラは

「ドン!!」

と叫んだ。
 ルカは勢い良く泳ぎだし……しばらくしてアキラの姿が無い事に気がついた。辺りを見渡しても、島を見ても、どこにもアキラの姿も、ネギの姿も無かった。
 ルカは悲しげに鳴くと、そのまま、海の中に潜って姿を消した……。

「きっと、仲間に会えるよね?」
「大丈夫ですよ、きっと」

 ルカの居なくなった海面を見下ろしながら、ネギとアキラは杖に乗って空に浮かんでいた。

「ネギちゃん、ありがとう」
「アキラさん……」

 満天の星空の下、二人は飛び続けた。

「子供の頃、描いた夢……思い出せた」

 それがどんなものか、ネギは聞かなかった。

「そうですか……」

 ただ、それだけ言うと、ネギは笑みを浮べて麻帆良学園に向かって飛び続けた。

 春休みの終わる少し前、地区競泳大会があった。ネギ達が応援に行き、アキラは見事に優勝。
 その手には、ネギが貰った桜色の貝殻とは違う、青い綺麗な貝殻があった。紐が通され、それを握るアキラの心の中には、ルカと泳いだ春休みの想い出があった。

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