第一話「愛」
ジャスパーの話を聞いている内に俺は少しずつ体から力が抜けていくのを感じていた。人間の残酷さや醜悪さをこれ以上無く感じる。
ヴォルデモートを始めとした死喰い人の連中はユーリィの生前の周囲の人間と同じだ。攻撃する相手が居て、一緒に攻撃する人間が居る。だから、平気で人を傷つけ、楽しめる。何も、死喰い人は特別な悪というわけじゃない。人間は……、魔法使いは誰もが死喰い人になる可能性を秘めている。ジャスパーの語るユーリィの生前の物語はその事を俺に気付かせた。
俺だって、環境が違えば死喰い人になっていたかもしれない。ユーリィを……誠を虐める側に立っていたかもしれない。そう自覚した途端、怖くなった。俺は人を傷つける事の楽しさを知っている。弱い人間を嬲る楽しさを知っている。反撃が来ない事の安心感を知っている。
――――そんな俺にユーリィを思う資格があるのか?
今、俺はそんな迷いを抱いてしまっている。
「――――そして、高校の屋上からボクは飛び降りたという訳さ。そして、マコちゃんの心にトドメを刺した。まったく、笑っちゃうだろう? ボクは結局、マコちゃんを救うどころか、より深い奈落の底へ叩き込んだんだ」
ジャスパーは乾いた笑みを浮かべながら語り続けている。もはや、誰かに聞かせているというよりも、自分の中に溜まった膿を吐き出しているだけのように感じる。
部屋の中でジャスパーの話を聞く面々の反応は各々様々だ。部屋に居るのは俺とハリー、ハーマイオニー、ネビル、ロン、それにスリザリンの下級生のアステリア・グリーングラス。それに、マクゴナガルとスネイプ。そして、母さんと未だ意識を失ったままの状態のソーニャ。
アステリアはマルフォイの死の報せに茫然自失となり、蹲ったまま静かに涙を流している。マクゴナガルとスネイプは沈痛な面持ちで黙り込み、母さんは怒りと悔しさに顔を歪めながらソーニャの頬を撫でている。
ハリーとネビル、ロンの三人はジャスパーの語るあまりにも凄惨な話に青褪めた表情を浮かべながら俯いている。ハーマイオニーだけが冷静さを保ったままジャスパーの話に耳を傾けている。
ハーマイオニーはユーリィの生前が女である可能性をただ一人見抜いていた。このジャスパーの話の中にも何かを見出しているのかもしれない。ジャスパーの話が終わったら、彼女に考え聞いてみるのもいいかもしれない。
「まあ、ここまでがボクの生前の話になるね。で、ここから先はボクの死後の向こうの世界の話」
「待って」
ジャスパーの話を遮ったのはハーマイオニーだ。
彼女は眉間に皺を寄せながら言った。
「あなたの生前の話についても、妙にユーリィの……冴島誠の事情に詳しかったわね。でも、そこは置いておくわ。死後の向こうの世界の話って、どういう意味かしら?」
確かに妙だとは思った。ジャスパーはユーリィの過去をまるで己の事のように詳しく語った。如何に恋人だったからといっても詳し過ぎる。
「そうだね。先にその事について話して置こうか。ボクはこの世に生まれて直ぐに自分の事を理解していたんだ」
「どういう事?」
「生まれ変わった事。自分の中にもう一人の住人が居る事。その住人がマコちゃんである事。ボクの死後に何が起きたのかって事も全部分かったんだ」
「それって、つまり赤ん坊の頃に既に自我があったっていう意味?」
「そうなるね」
ジャスパーは視線を眠ったままのソーニャに向けた。
「お母さんがボクを初めて抱き上げた時の事も覚えているよ。凄く嬉しそうだったな。きっと、お父さんとの間に生まれて来た子供が愛おしくて仕方なかったんだと思う。生後まもなく、ボクはそんな思考を抱いていたんだ。どうだい? 我ながらとんでもなく気味の悪い赤ん坊だと思わないかな?」
少なくとも、ソーニャが気を失っていて良かったとは思った。自分の赤ん坊が冷静に自分を観察し、感慨に耽っていたなどと、どんなに愛に溢れた人間でも嫌悪感を抱くに決まってる。
「だから、記憶を弄ったの?」
そんな単純な思考をしていた俺とは裏腹にハーマイオニーはその更に先を見つめ問い掛けた。
「それが全てってわけじゃないよ。でも、理由の一つではあるね。とにかく、罪悪感が酷くてさ……。だって、ボクの存在が無ければ、純粋無垢で真っ白な心を持った赤ん坊が居た筈なんだ。ソレをボクのような下劣な人間の人格が塗り潰してしまった。元々、ボクの生まれ変わり先がこの肉体で、たまたまボクは生前の記憶を持ち越してしまっただけなのかもしれないけど、こんな気味の悪い人格を抱いた赤ん坊の世話をさせるなんて残酷過ぎて耐えられなかった」
自嘲するジャスパーにハーマイオニーは同情するでもなく、反論するでもなく、どこまでも冷静に問い掛けた。
「じゃあ、他の理由というのは?」
「勿論、マコちゃんを幸せにしたいからだよ」
ジャスパーはそれまで浮かべていた乾いた笑みすら消し、無表情で言った。
「ボクの愚かさが彼女の人生を滅茶苦茶にした。初めから、ボクなんかが居なければ、きっと彼女は普通の女の子として普通に生活し、普通の幸せを手に入れていた筈なんだ。だから、ボクには彼女を幸せにする義務があった。例え、己を魂の奥底に封印し、自由も無く、永遠に傍観者として彼女の二度目の人生を眺め続ける事になろうともね」
「それが、嘗て言っていた、あなたが払った【犠牲】ね」
「よく覚えているね。さすがだよ、ハーマイオニーちゃん」
「どういう意味だ?」
サッパリ二人の会話についていけない。ジャスパーは呆れたように俺を一瞥し、ハーマイオニーは淡々と言った。
「ドラコがユーリィを攫った時、ジャスパーが銃を使うあなたに対してこう言ったのを覚えていない? 【まったく、ボクがどれだけ犠牲を払っているかも知らないで、君は……】と。この犠牲というのは【自由】や【時間】の事なんでしょ? ユーリィに肉体を使わせ、あなたは意識を魂の奥底に封印し続けてきた。その間、あなたの意識はどうなっていたのかしら?」
「本当にさすがだよ、ハーマイオニーちゃん。大正解。ちなみに、ボクの意識は常にあったよ。魂の奥底でボクはいつも眺め続けていたんだ。マコちゃんがアルフォンス君と遊んだり、お母さんやお父さんに愛される姿をずっとね……」
俺は言葉を失った。想像を遥かに超える事実に慄きすらした。つまり、こいつは誰もいない、誰にも気付かれない孤独な牢獄に自分を拘束して、ただユーリィが生きる世界を傍観し続けて来たんだ。ユーリィが幸せに生きられるように願って。
俺に同じ事が出来るのだろうか……。同じ立場に立った時に俺はユーリィの為にジャスパーがした事を出来るのだろうか……。
「……お前はマコトを本当に愛してるんだな」
「ああ、うん。でも、多分、そればかりじゃなかったと思う」
「どういう意味だ?」
ジャスパーは髪をかき上げながら言った。
「ボクは恐れたんだよ。自分の中に宿ったマコちゃんの魂に恐怖したんだ」
暗い表情を浮かべながら、ジャスパーは言った。
「ボクはね、彼女の記憶を見てしまったんだよ。流れ込んできたと言ってもいい。彼女がボクの死後にした事を全て見てしまった。そして、恐怖し、彼女の記憶を封じたんだ。ああ、ボクは彼女の幸せだけを願っていたわけじゃない。彼女が抱いてしまった狂気を鎮めたかったんだ。だから、彼女の記憶とボクの記憶を切り貼りして、新しい人格に作り変えたんだ。ただの虐められっ子の男の子という偽りのペルソナを作り、彼女に被せた」
ジャスパーは頭を抱え、苦悶の表情を浮かべた。
「ボクは本当に彼女を愛していたのかなぁ。だって、ボクは彼女の幸せを願った筈なのに、彼女の人格をまったく別のものに作り変えてしまった。彼女の罪を被って死んだ時だって、ボクは本当に彼女の事を思って行動したのかなぁ。ボクは……ボクは……、ただ逃げただけじゃないのかなぁ。マコちゃんがああなるまで放置してしまった罪悪感やあの血塗れのカラオケルームに佇んでいたマコちゃん自身から逃げただけなんじゃないかなぁ。ああ、ボクは……ア、アハハ、アハハハハハハハハハハハハッハハハハハハハハハハハッハハハハハハハハッハハハハハハハハハハ!!」
ジャスパーは狂ったように笑い始めた。自分の感情を持て余している。自分の愛を疑っている。
「ジャスパー!!」
気が付くと、俺は奴を殴っていた。ユーリィの顔を殴っていた。
ジャスパーは笑みを消し、驚いたように目を見開いて俺を見た。
「お前は間違いなくユーリィを愛していた筈だ。じゃなきゃ、十五年も魂の奥底に自分を封印するなんざ出来る筈が無い!!」
こいつが自分の愛を疑う事が許せなかった。
「……ああ、君はボクと自分を重ねてしまったんだね」
まるで、見透かすかのようにジャスパーは言った。
「何を……」
「きっと、最初はマコちゃんを虐めた周りの人間達と自分を重ねてしまったんだろうね。それが嫌で、今度はボクと重ねた。だから、ボクがマコちゃんへの愛を疑う事が許せない。そうだろう?」
気が付くと、また、俺は殴っていた。
口から血を流しながら、ジャスパーは俺を愉快そうに見つめる。
「君は虐めていた連中とも、このボクとも似てしまっている。暴力が好きなんだろう? 弱い者虐めだって好きなんだろう? それに、マコちゃんの事も好きなんだろう?」
「黙れ!!」
俺は何をしているんだ。
狂ったように拳を振り上げ、ユーリィと同じ顔を殴り付けている。ハーマイオニーやみんなが止めても俺は殴った。ジャスパーは顔が醜く歪みながらも俺を笑い続けた。
最後にはスネイプが俺をロープで縛りつけた。マダム・ポンフリーは怒りに満ちた顔で俺を一瞥しながらジャスパーの治療を行い、瞬く間に奴の顔を元に戻した。ユーリィと同じ顔が俺を笑っている。
「まったく、馬鹿だよね、君はさ」
「何だと……」
「君はマコちゃんを虐めていた奴ともボクとも違う。まあ、ボクに似ているって、最初に言い出したのはボク自身だから、ちょっと反省しなきゃね」
「……は?」
ジャスパーはクスリと笑った。
「君は確かに弱者を甚振る事や暴力を振るう事自体に快感を覚える人種だ。その事を君自身が自覚しているだろう。それに、君はマコちゃんを愛している。ああ、君が同性愛者だとはもう言わないよ。君はただ、マコちゃんという存在を愛しているんだ。だから、ボクを殴れる」
ジャスパーは明るく微笑んだ。
「安心したよ。君はボクとは違う。だって、君はマコちゃんに対してだけは暴力を振るいたくないと思っている。マコちゃんの苦しむ姿を見たくないと思っている。君はマコちゃんの事を誰よりも守りたいと思っている」
「な、何が言いたいんだ……」
「つまり、君はマコちゃんだけを愛しているんだ。それ以外の存在は全て敵に回しても構わないと考えている。ボクとも虐めていた奴等とも違うのはソコだよ。ボクは友達も家族も大事だった。だから、彼女が大変な時に彼女だけを見ていられなかった。だけど、君は彼女だけを見ている。君の世界の中心は彼女だけなんだ。君はさ、そこにいるお母さんだって、殺せてしまうだろう?」
体が強張った。何を言っているんだ、こいつ。
母さんを殺すだと? そんな事、あるわけが無い。
「仮定の話だよ。もし、お母さんやお父さんやマッドアイがマコちゃんを殺そうとしたら、君はどちらの味方になる? 君はマコちゃんを殺せるかい?」
「な、なんでそうなるんだよ!? ゆ、ユーリィを殺すなんて、んな事!!」
「ああ、無いよね。マコちゃんを殺す事だけは無い。凄いよね。どうやったら、そんな人格に育つのかな? 君はお母さんたちを殺すという選択肢には拒否感を抱かなかっただろう?」
「え?」
俺は愕然となった。母さんたちか、ユーリィのどちらを殺すかと聞かれ、俺はユーリィを殺す選択肢を嫌った。母さんたちを殺す選択肢には何も思わなかった。
振り向くのが怖い。俺は母さんをどう見ているんだ。みんなをどう見ているんだ。分からない。家族を愛しているのは間違い無い……筈だ。
「それが君の【愛】なんだろうね。マコちゃんの為を思えば、全てを切り捨てられる。マコちゃんが絡まなければ、きっと君はどこにでもいる普通の男の子なんだと思うよ。周りに流され、暴力を楽しむ普通の男の子。言っておくが、暴力が楽しいと思うのは別におかしい話じゃない。誰だってそうなんだよ。だから、死喰い人って連中が居る。合法的に人を傷つけられる格闘家や兵士が居る。彼らがその道を選ぶ理由はどんなに高尚であれ、どこかに暴力への欲求がある。誰だってそうなんだよ。みんな、それを普段はただ理性で抑えているだけなのさ。暴力が合法になれば、きっと誰もが人を傷つけたがる。マコちゃんを虐めていた連中はその典型例だっただけさ。マコちゃんを傷つけても、誰も責めない。だから、普段は温厚な人間も、普段は優しいと評される人間も、誰もが彼女を傷つけた。それが人間なのさ」
ジャスパーの言葉は極論だ。誰もが暴力を良しとしている考えには賛同出来ない。
例えば、マハトマ・ガンディーなら魔法使いの俺でも知っている非暴力の男だ。自身が傷つけられて尚、仲間が傷つけられて尚、暴力を禁じた男が居た。暴力を厭う人間は必ず存在する。
「まあ、ボクが言いたいのはそんな性悪説なんかじゃないよ。ただ、君がどれだけマコちゃんを愛しているかを自覚して欲しいだけさ。迷いを断ち切ってもらう為にも分かって欲しい。君がボクや虐めをしていた奴等と違う点。それは、周りに流されずにマコちゃんの為なら強者にだって立ち向かえるって事だよ」
ジャスパーの言葉はまるで甘いお菓子だ。手を伸ばして喰らいつきたくなる御馳走だ。
だけど、俺は奴の言葉を否定する。
「俺はただ、暴力が好きなだけなんじゃないのか? 他の誰よりも……。俺は、俺は……、ただ、ユーリィを理由に使っているだけなんじゃないのか!?」
俺の最大の懸念はソコにある。俺はただ、誰よりも暴力が好きなだけじゃないのか、と。
ただ、暴力を振るう口実にする為にユーリィを利用しているんじゃないか?
そんな考えが俺の心を蝕む。
「まったく、馬鹿な癖に変に拘るんだね。なら、言ってあげるよ。君は暴力を好んでいる。これは事実さ。拳銃なんて、人を殺すためだけの凶器に魅入られてしまう君は【生まれ持っての殺人鬼】だよ。でも、その為に君はマコちゃんを利用したりはしない。だって、君さ……マコちゃんが嫌がるなら、人を殺さないだろ?」
生まれ持っての殺人鬼。とんでもない呼称を使われながらも、俺は否定出来なかった。ただ、最後の言葉も否定出来なかった。
確かに、俺は人を傷つけるのが好きだ。だけど、ユーリィが嫌がるなら、俺は人を傷つけない選択をする。
今更、俺は何を悩んでいたんだ。俺が怪物なんだって事は昔から分かっていた事だ。そして、ユーリィはそんな俺の狂気を鎮めてくれる唯一の存在なのだと理解していた筈だ。そんな存在に向ける感情が、友情だとか、親愛だとか、そんな生易しい感情な筈が無い。
「俺は……ユーリィを愛してるんだな」
ストンとパズルのピースが嵌ったように納得出来た。俺がユーリィに抱いている感情は【情愛】。
子供の頃、俺を助けてくれたユーリィ。俺だけを見つめるユーリィ。ああ、俺はずっと昔からユーリィを愛していたんだ。男だとか、女だとかを知るよりも前に俺はアイツを愛していたんだ。
思わず笑ってしまう。なんて、馬鹿な話だ。男相手にこんな感情を抱くなんておかしいって、悩んだ事もあった。それでも、アイツが欲しくて堪らなくて、ルーナに取られそうになった時にアイツに告白しそうになった。告白しちまえば良かった。変な事に拘ったりしないで、自分の思いを告げとけば良かった。こんな、他人に気付かせて貰う前に自分の思いをしっかり理解するべきだった。
今、ユーリィは傍に居ない。俺の想いを告げる事が出来ない。それがあまりにも苦しい。
「君なら、この先の話を聞いても、きっと愛し続けられる筈だよ。ボクのような半端者とは違うんだからね。さあ、聞いてくれ。【超高校級の絶望】に至った少女の物語を聞いてくれ」
「超高校級の……絶望?」
「そうだよ。あの予言の言葉さ。【超高校級の人殺し】なんて言われていたのは最初だけなんだ。その後の事件で、ボクをそう呼んだ雑誌は彼女をこう呼称したんだ。【ダンガンロンパ】っていう、まあ、マグルのゲームの中に登場する言葉なんだけどさ。彼女を超高校級の絶望と呼んだんだ。まったく、不謹慎にも程があるけど、そう呼ぶに相応しい程の惨劇を起こしてしまったんだよ、マコちゃんは」
「何が起きたんだよ……」
ジャスパーは薄く微笑んだ。
「それじゃあ、話すとしよう。壊れた少女が大量殺人鬼になるまでのあらましをね……」