ハリーの様子がおかしい。クィディッチの練習で急降下の練習をした時からだと思う。
練習の数日後、ハリーは自分の腕をナイフで裂くという奇行に出た。
夥しい血が流れ、腕の肉はまるでミンチのような状態になっていた。医務室へ連れて行くと、マダム・ポンフリーは恐ろしい形相で僕を問い詰めた。
聞かれた事に答えると、彼女はハリーに対しても質問を行い、結果として精神に病魔を抱いているという診断結果を出した。
なんらかの呪詛かと思ったが、彼女曰く、精神的な疲労が原因らしい。
彼女に処方されたクスリを飲むと、ハリーはたちまち元気を取り戻した。だけど、飲み忘れると悲惨だ。まるで死人のような顔でぶつぶつと何かを呟きながらナイフを手に取ろうとする。だから、僕は毎朝ハリーがクスリを飲むところをチェックする事にした。
しばらくの内はそれで良かった。だけど、最近、またハリーの顔が暗くなってきている。
「ハリー!!」
また、ナイフで自分の体を傷つけようとしていた。
「何をしてるんだ!!」
クスリはちゃんと飲んだ筈なのに、ハリーの顔は暗いままだ。
「なんで……、こんな事をするんだ!!」
もう、十回以上も繰り返した問答。
「……ドラコには関係ないでしょ」
ハリーの言葉は鋭利な刃物となって僕の胸に突き刺さる。
そんな筈は無いと何度も否定した。元気な時のハリーは僕をちゃんと見てくれている。僕に親愛を向けてくれる。
なのに、今のハリーの瞳は僕を見ていない。
「なんでだよ、ハリー! 僕達は友達だろ! なんで、何も言ってくれないんだ!」
「……うるさいな」
分からない。何がハリーの心を曇らせているんだ!?
涙が滲んでくる。
「うるさくもなる! 言えよ! 僕に出来る事ならなんでもしてやる! だから……ッ」
「……ドラコには無理だよ」
「なっ……」
気付けばハリーの頬を叩いていた。
「なんで……。なんで、そんな事を言うんだよ! 僕は……、僕達は友達だろ?」
涙が滴り落ちる。だけど、ハリーの表情は変わらない。つまらなそうに僕を見ている。
「違うって言うのか……?」
立ち上がり、ふらふらとハリーから離れる。
「ドラコ。僕は……」
聞きたくない。僕は耳を塞いで、ドアに向かって走りだした。部屋を出て、寮を出て、ひたすら走った。
涙が止まらない。嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。
ハリーは僕にとって初めて出来た本当の友達なんだ。僕をマルフォイ家の長男としか見ない他の連中とは違う、たった一人の親友なんだ。
この関係はずっと続く筈なんだ。
「おい!」
何処をどう走ったのか覚えていない。気付けば、ロンが僕の腕を掴んでいた。
「どうしたんだよ、お前!」
心配そうな表情。ハリーの浮かべた無表情とは違う。
「……ロン。僕達は友達か?」
とても怖い。まるで、崖の淵に立っているような気分だ。
ガクガクと足が震える。
「いきなりだな、おい……」
ロンは呆れたように言った。
「あっ……」
同じなんだ。ハリーと同じだ。僕が一方的に友情を抱いていただけなんだ。
心を絶望が蝕んでいく。息が荒くなる。涙で目の前がぐちゃぐちゃになる。
振り向いて、逃げ出そうとした僕をロンは掴んだまま離さない。
「……友達だよ。決まってんだろ」
ロンは僕の涙を乱暴に拭いて言った。照れ臭そうにそっぽを向きながら、それでも彼は言った。
「友達だ! おい、これで満足か!? 言わせんなよ、恥ずかしい! 本当に何があったんだ!?」
僕の涙は引っ込んでいた。友達。そう断言してもらえた事が嬉しくて、僕は思わずハグしそうになり、あっさりと避けられた。
「キモいぞ、お前」
酷い言われようだ。だが、冷静に考えると、今の行動は確かに無いな。
「す、すまない……」
「いいよ、別に。それより、何があった?」
「それが……」
まだ若干浮かれているのだろう。僕の口はとても饒舌だった。
ハリーの事を慮って秘密にしていた彼の自傷行為についてまで話してしまった。
「うおい!? そういう事を溜め込むなって、前にも言っただろ!」
「し、しかし……」
「しかしもかかしもあるか! まったく、仕方ないな。僕から兄貴に話してみるよ」
「兄貴って、フレッド達の事か?」
確かに彼らは明るくて、ハリーの元気を取り戻すにはうってつけの人材かもしれないな……。
「バカヤロウ。ビルに決まってるだろ! こういう事はビルに任せる事が一番なんだよ!」
ああ、ビルがいたな。僕はあまり好きじゃない。何と言うか、自分が一番ハリーの事を分かってる風な態度が気に入らない。
「……アイツならなんとか出来るっていうのかい?」
「不機嫌になるなよ! ハリーの事を一番分かってるのはビルだよ。それはお前だって分かってるだろ」
悔しいが、その通りだ。何しろ、ヤツは僕がハリーと出会うより二年も前に彼と出会っている。
とても辛い時期に支えてあげたらしい。確かにビルならハリーの現状をどうにか出来るかもしれない。
「……納得いかないって顔してるね。けど、ハリーが今のままだと嫌なんでしょ?」
「それは……」
「なら、納得しろよ。一番大事な事はなんだ?」
「……ハリーが元気になる事」
ロンは僕の背中を叩いた。
「ハリーとドラコは友達さ。それは間違いないよ! 今は調子が悪くて不機嫌なだけだ。元気になったら、ハリーの方から謝りに来るさ。その時に許してやれば、ハイ元通り。今のお前に大切な事は余裕を持つことだ」
「……余裕か」
僕はロンを見た。僕を友達だと言ってくれる友達。
「分かった。頼むよ、ロン。それと、ありがとう。僕は良い友人を持った」
僕の言葉にロンは顔を真っ赤にした。
「お前! そういう事を平然と言うな! 恥ずかしいだろ!」
「別にいいだろ。これは単純な事実だ。思った事を言葉にしただけだ」
「こ、こいつは……」
わなわなと震えるロン。僕はクスリと笑い、その背中を叩いた。
「頼むぞ、友よ!」
「やめろ! その呼び方だけは止めろ!」
「はっはっは。すまないな、友よ」
「この野郎!」
ロンが追い掛けて来る。僕は逃げる。追いかけっこなど初めての経験だ。
思った以上に楽しいじゃないか。
「ほらほら、こっちだぞ親友!」
「止めろつってんだろ! なんで、そう極端なんだよお前は!」
ロンの言う通りだ。僕は少し余裕が足りていなかった。
ハリーの為に出来る事を改めて考えてみよう。ハリーがどう思っていようと、僕にとって彼は親友なんだ。
エピローグ『両義』
私は無実だ。友を裏切ってなどいない。この十三年間、私を支え続けてきた者は憎悪だった。
今尚のうのうと生を謳歌している裏切り者。あの小汚いネズミを殺すまで、私は死なない。
「……ピーター。私は貴様を許さない。必ず、殺してやる」
一人では難しいかもしれない。だが、私は一人じゃない。
振り返れば、私の下にワームテールと赤い髪の少女の写真を差し入れてくれた男が立っている。
「感謝するぞ、キングズリー」
キングズリー・シャックルボルト。闇祓い局のエースである彼は私が無実である事を知り、その証拠を持って来てくれた。
アルバス・ダンブルドアが指揮する不死鳥の騎士団にも参加している。
「礼など必要ない。私も許せないのだ。ピーター・ペティグリューには罪を償わせなければならない」
私は他の死喰い人と共に指名手配されている。その為、姿を隠す必要があった。
隠れ家や食料を充実させてくれているキングズリーには感謝の念が絶えない。
「ありがとう」
憎しみは際限無く沸いてくる。頭の中にはそれだけが満ちている。
「……そう言えば、よく似合っているじゃないか」
「ん? ああ、このロケットの事か」
キングズリーと共に駆け込んだブラック邸。そこで見つけた美しい装飾のロケット。
これは素晴らしいものだ。身に着けているだけで力が湧いてくる。
憎悪を絶やさずにいられる。
「では、また来るよ。もう少しだ。時が来れば、君の積年の恨みを晴らす事が出来る。それまで、耐えてくれ」
「……ああ、分かっているさ」
奴は今、ホグワーツにいる。あの赤い髪の少女はホグワーツの生徒らしい。
ダンブルドアはワームテールの存在に気付いている筈なのにヤツを放置している。そういう人なのだ。どんな者にも等しくチャンスを与えようとする。
だが、今回ばかりは誤りだ。奴にチャンスを与えられる資格などない。
キングズリーは慎重にダンブルドアの目がワームテールから逸れる機会を伺っている。その瞬間まで、私は耐えるのみだ。