プロローグ『平賀才人』

 気が付くと、俺は知らない場所にいた。どうしてここに居るのかも、いつここに来たのかも記憶に無い。僅かな青い光に包まれた不思議なムードの漂う部屋。俺はそこで椅子に座っていた。
 目の前には小さな机がある。花瓶が置いてあるけど中身は空っぽ。その向こうにはソファーがあり、やたらと鼻の大きな老人が座っている。

「ようこそ、ベルベットルームへ」

 老人はしわがれた声で歓迎の言葉を紡いだ。俺はどういう訳か、その老人が人間では無い様に感じた。異質な存在であると感じた。
 部屋の怪しい雰囲気のせいかもしれない。老人はこの部屋を“ベルベットルーム”と呼んだ。改めて、室内を見渡す。部屋の面積はそんなに広くない。窓の外は濃い霧が出ているらしく、何も見えない。
 部屋を観察している内、部屋全体が微かに揺れている事に気がついた。耳を澄ませると、スクリュー音のようなものも聞こえる。
 どうやら、ここは船の中みたいだ。

「ほう……。これはまた、変わった“運命”をお持ちのお客様がいらしたようだ。私の名は、イゴール。お初にお目にかかります」

 イゴールはそう言うと不気味に微笑んだ。

「ここは夢と現実、精神と物質の狭間にある場所……。本来は、何かの形で“契約”を果たされた方のみが訪れる部屋……。貴方には、近くそうした未来が待ち受けているのやも知れませんな」

 イゴールの謎めいた言葉に混乱が更に深まる。

「フム……。まずは御名前を伺っておくといたしましょうか」

 促されるままに俺は名乗った。イゴールの放つ怪しげな雰囲気に呑まれたのかもしれない。

「フム、なるほど……。では、貴方の未来について、少し覗いてみるとしましょう」

 イゴールは目の前の小机に不思議な絵柄のカードを置いた。占いでも始めるつもりなのか、そう考えていると、イゴールは俺の心を読んだかの様に微笑んだ。

「占いは信じませぬか? 常に同じカードを操っている筈が、常に違った結果を呼び寄せる。その在り方……、まさに人生の様ではございませぬか」

 イゴールのミステリアスな言葉を聞けば聞くほど、俺は不思議な感覚に包まれていく。朝のニュースの占いなんて、誰にでも当て嵌まりそうな事を適当に並べているだけだから信じていない。だけど、目の前の老人の占いなら信じてもいいかもしれない。
 いつの間にか、自分の中の好奇心が沸き立っている事に気が付いた。この不思議な空間の不思議な住人に、興味が湧いている。

「ほう……。近い未来を示すのは、“力”の逆位置。どうやら、貴方を必要としている方がいらっしゃるようだ。そして、その先の未来を示しますのは“運命の輪”の正位置。これは、運命の別れ道を意味するカード。どうやら、貴方はそう遠く無い未来に運命の別れ道に遭遇する事になるらしい」

 運命の別れ道。それがどんなものなのか想像すら出来ない。今迄の短い人生の中でも、あの時、ああすれば良かったと思う事はある。けど、そんなものが運命を左右するとは思えない。

「近く、貴方はなんらか“契約”を果たされ、再びこちらへおいでになる事でしょう。運命の日に貴方は選択を迫られる。貴方の選択によって、一つの世界が滅びへ向かうやも知れません。選択によっては、貴方の未来が先の見えない霧に包まれる事になるやも知れません。私の役目は、お客人が選択なさった未来を無事歩んでいけるように手助けさせて頂く事でございます」

 イゴールが軽くカードの上で手を振る。すると、机の上のカードが煙の様に消えてしまった。けれど、それを不思議な事とは思わなかった。目の前の老人なら、このくらいの事を出来て当たり前の様に感じる。

「おっと、紹介が遅れましたな」

 イゴールはやたらと長い指で部屋の片隅……、影になっている部分を差した。
 そこには息を呑むような美女が立っていた。これ程の美人はテレビや雑誌でも見たことが無い。

「こちらは、アン。同じく、ここの住民でございます」

 アンは僅かに口元を歪ませて固い笑みを浮かべた。俺は美人に弱いが、あの女性は苦手だと感じた。

「詳しくは、追々に致しましょう。では、その時まで、ごきげんよう……」

 イゴールの声が急に遠ざかっていく。同時に目の前が真っ暗に――――……。

ゼロのペルソナ使い プロローグ『平賀才人』

 目を覚ますと、俺は薄暗い船室などではなく、柔らかい自室のベッドで寝そべっていた。全身から汗が噴出していて、着ていたシャツがビショビショだ。
 外を見ると、太陽が完全に真上に上がっている。どうやら昼まで寝ていたらしい。誰か起してくれればいいのに、そう愚痴りながら、今日はノートパソコンを取りに行く予定だった事を思い出した。
 夢の事を思い出しながら、出掛ける準備をする。謎の部屋に謎の老人と謎の女性。運命の別れ道。思い出すと段々恥しくなってきた。所謂厨二病全開な夢。幾ら何でも、本気にしたら頭が逝っちゃってる人の仲間入りだ。どうしても頭の隅で気になってしまうが、俺は無理矢理忘れる事にした。
 家には誰も居なかった。母さんは近所のスーパーに買い物に行ってるらしい。父さんは仕事だ。俺はさっと風呂に入って、新しいシャツとジーンズに着替えた。さすがに汗でびしょ濡れなシャツを着て外に出たくない。青いジャンパーを上に羽織ると、携帯と財布とお気に入りの楽曲を入れたMP3のヘッドホンを首に掛けて外に出た。春休みに入ったばかりだけど、外はまだ結構肌寒い。
 駐輪場所に向かい、自慢の愛機に跨る。ヘッドホンを装着して、MP3の音楽を再生した。ノリの良い歌を聴きながらペダルをこぐ。
 家からノートパソコンを預けた電気店までは駅三つ離れているけど、電車は大きくカーブしていて、自転車で一直線に行ってしまった方がずっと早い。
 電気店に到着すると、ノートパソコンを引き取った。少し古い型だけど、ずっと使っていて愛着がある。ついでに買い物をしていこうと思った。
 この電気店は総合ビルの六階にあって、総合ビル内には大抵の店が揃っている。家電製品の売り場に行ってみた。家電製品って、見てるだけでちょっとワクワクしてくる。
 カメラのコーナーに脚を向けると、デジタルカメラが安くなっていた。そう言えば電気店のポイントは相当貯まっていた筈。俺は安くなってるカメラの中で画素数の一番高いのを選んだ。ちょっと古い型だけど、機能が豊富で直ぐに気に入った。ついでにメモリーカードとノートパソコンに繋げるアダプターを一緒にポイントで購入。すると、店員さんがくじを持ってきた。どうも、キャンペーン中だったらしい。俺は気合を入れてくじを引いた。引いたくじを店員さんに渡すと、何だか奇妙な熊のヌイグルミを渡された。
 どうも、この人形はお腹に電池を入れて、背中のソーラーパネルに太陽光を当てると充電してくれるらしい。変な形の充電器だったけど、ありがたく貰っておく事にする。
 電気店を出てから、俺は本屋に向かった。お気に入りの漫画の最新刊が発売されてる筈だからだ。漫画とついでに学校用のノートを買い足して外に出た。

「お、りせちーだ!」

 街角の大型ビジョンにトップアイドルの久慈川りせの出演しているCMが流れていた。少し前に突然休業を発表して、かなみんって言う若手のアイドルに人気を奪われちゃったんだけど、しばらくして復活してから怒涛の追い上げで一気にかなみんを追い抜いてトップアイドルの座に再臨した。
 俺も大ファンだったんだけど、最近になって一歳年上の彼氏が居る事が判明して物議を醸した辺りから醒めてしまった。それでも、たまに見かけるとやっぱり目が行ってしまう。これがトップアイドルの魅力のなせる業なんだろう。
 だから、俺は目の前に突然現れたソレに気づくのが遅れてしまった。進行方向の先に、鏡の様な物が浮かんでいたのだ。
 信じられない光景に慌ててブレーキを掛けたけど、自転車の先が鏡に飲み込まれ始めた。思いっきり引っ張るけど、どんどん引き込まれてしまう。

「なんだよ、これ!?」

 切羽詰って叫ぶが、周りの人は突然鏡に飲み込まれていく少年と自転車という構図に凍り付いていた。このままだと鏡の中に吸い込まれてしまう。そう頭で理解すると、脳裏にあの老人の言葉が浮かんだ。

『運命の日に貴方は選択を迫られる』

「それって、この事か!? 幾ら何でもその日の内に来るなんて急過ぎるだろ!!」

 夢の中で見た老人に大声で悪態を吐きながらも、俺はどうしたらいいか迷った。目の前の鏡の先に何があるのか。好奇心が刺激された。それに、イゴールが言っていた。
 自分を待っている人が居る。

「俺を待ってる人が居る……?」

 平凡な人生を歩んで来た。今まで、誰かに必要とされた事など無かった。だから、自分を必要として待っている人物ってのに興味があった。
 迷っている内に、自転車は完全に鏡の中に入ってしまい、俺の両腕も鏡の中に沈み込んでしまった。

「やべえええええ!」

 もう手遅れだった。腕を引っ張っても、ズブズブと体が鏡の中に引き込まれる。そして、俺の全身は鏡の中に入り込んでしまった。

第一話「契約」

 集中よ、集中。集中さえすれば、きっと出来る筈だわ。何度も自分の心にそう言い聞かせる。
 周りからの雑音なんか一切無視しなさい。失敗ばかりで、魔法の才能ゼロと言われる私だけど、これだけは失敗出来ない。失敗したら、進級が出来なくなってしまう。

「お願い! 私にはどうしても使い魔が必要なの! 現れて!」

 もう何度目になるか分からない呪文を唱える。今日は大事な使い魔召喚の儀。使い魔とは、召喚したメイジと一生を共に過ごす相棒の事。メイジの実力を見たければその使い魔を見よ、とまで言われているくらい、メイジにとって使い魔という存在は大切なのだ。
 召喚に失敗すれば、私は落第。そうなったら、お母様やお父様に叱られる。絶縁状を叩きつけられてしまうかもしれない。それだけは絶対にイヤ。瞼を閉じて、願いを篭め、必死に杖を振る。
 すると、それまでは“いつもの”魔法の失敗の結果である爆発が起きていたのが、今度は起きなかった。
 恐る恐る瞼を開くと、そこにはおかしな物体と不思議な材質の袋の様な物を持った同い年くらいの男の子が地面に倒れていた。

「誰……?」

 男の子は珍しい黒髪で、マントを着けていない所を見ると、平民のようだ。
 次の瞬間、私の脳裏に最悪な展開が浮かんだ。それは、目の前の男の子が、私の召喚した使い魔である可能性だ。ただでさえ、魔法が使えない事で馬鹿にされているのに、平民なんて召喚したら余計に馬鹿にされる。
 恐る恐る、私は男の子に近づいた。否定する事を祈りながら、声をかけた。

「あんた……、誰?」

 男の子は私の声に反応して、のっそりと起き上がった。周囲をしきりにキョロキョロ見渡している。不思議な顔立ち。肌の色は少し黄色いし、鼻も低い。男の子は私を見ると、口を開いた。

「誰って……、俺に聞いた?」
「そうよ。あんたは誰?」
「誰って……、俺は平賀才人」

 ヒラガサイト? 変な名前だ。もしかしたら、どこかで区切るのかもしれない。
 それにしても、見れば見るほど見慣れない顔立ちだ。少なくとも、私の実家であるヴァリエール領の近くや、この学園では見ない。

「どこの平民?」

 ゲルマニアだろうか? それとも、ガリアかもしれない。着ている服や持っている袋の様な
物の材質も気になる。
 男の子は不思議そうな顔をした。言葉が通じなかったのだろうか? でも、何者か尋ねたら、ちゃんと答えた。完全に伝わっていないという事でも無いらしい。
 私はもう一度同じ質問をしようと口を開きかけたが、周りを取り囲んでいるクラスメイトの一人が嘲りを含んだ声で口を開いた。

「ルイズ、“サモン・サーヴァント”で平民を呼び出してどうするの?」

 同時に笑い出すクラスメイト達。慣れてると言っても、やっぱり笑われるのは辛い。泣きたくなるのを必死に我慢して、私は苦し紛れに言った。

「ちょ、ちょっと間違えただけよ!」
「間違いって、ルイズはいつもそうじゃん」
「さすがはゼロのルイズだ!」

 また、クラスメイト達が笑い出した。一生懸命頑張ったのに、何度も思いを篭めて喚んだのに、現れたのは平民の男の子。私は理不尽だとは自分でも思いながら、それでも現れた男の子が恨めしかった。

「ミスタ・コルベール!」

 私は頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。ただ、もう一回チャンスが欲しかった。ちゃんとした使い魔が欲しかった。平民の男の子じゃなく、猫でも、犬でもいい。とにかく、使い魔らしい使い魔が欲しかった。でなければ、両親だって、平民なんて召喚してしまった自分を許してはくれないだろう。

「なんだね。ミス・ヴァリエール」

 炎蛇の二つ名を持つ、年配の教師、ジャン・コルベールが生徒を押し分けてやって来た。

「あの! もう一回、サモン・サーヴァントをさせて下さい!」

 私は縋るように懇願した。どうしても、もう一度チャンスが欲しかった。これ以上、誰かに馬鹿にされたら耐えられないかもしれない。

「それは駄目だ。ミス・ヴァリエール」
「どうして……、ですか?」

 私はコルベールの言葉に絶望した。コルベールにだってわかる筈なのに。平民の男の子を使い魔なんかにしてしまったら、私はまた馬鹿にされてしまう事を――。

「決まりだよ。ミス・ヴァリエール。二年生に進級する際に、メイジは使い魔を召喚する。それによって現れた使い魔で、今後の属性を固定し、専門過程へと進むんだ。一度呼び出した使い魔を変更する事は出来ない。使い魔召喚の儀がどれほど神聖なものであるか、分かっているだろう? それに、召喚された使い魔は送還する事は出来ない。召喚したなら、キチンと面倒を見なければいけないんだ」
「でも……、平民を使い魔にするなんて聞いた事がありません」

 周りのクラスメイト達が再び笑い始めた。それはそうだ。こんな滑稽な話があるだろうか? 魔法の才能ゼロのルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは使い魔の召喚すらまともに出来ずに史上初の平民の召喚なんて間抜けな事をやってのけたのだ。娯楽の少ない学園内で、こんな笑い話は瞬く間に広がるだろう。コルベールの眼差しに同情の色が見える。同情されていると感じると、途端に自分が惨めになった。きっと、これから毎日使い魔の事でも馬鹿にされる様になる。

「ミス・ヴァリエール……。これは、伝統なんだ、例外を認める訳にはいかないのだよ……。彼は、人間の様だが、それでも春の使い魔召喚の儀式はあらゆるルールに優先される。彼に使い魔になってもらうしかないのだよ」
「そんな……」

 私は崩れ落ちるように地面に尻餅をついた。

「さあ、儀式を続けなさい」
「彼と……ですか?」

 私は改めて男の子を見る。見慣れない顔立ち、見慣れない服、見慣れない物体。不思議な男の子だ。そう、男の子なのだ。使い魔との契約手段は一つだけ。例えカエルとだってやってやる、と意気込んで、覚悟を決めていたけど、男の子が相手では覚悟の方向性が違う。顔が真っ赤に染まってしまう。

「えっと……、どうしたの?」

 男の子が不思議そうに私を見る。見ようによっては、悪く無いかもしれない。

「瞑ってて……」
「え?」
「いいから! 目を瞑って!」

 私は恥し過ぎて思わず怒鳴ってしまった。男の子は肩を震わせると、私の言うとおりに眼を閉じた。いよいよ、覚悟を決める時が来た。

「こ、こんな事、き、貴族にされるなんて……、普通は、い、一生無い事なんだから、か、感謝、しなさい、よね!」

 自分でも何を言ってるのか分からない。とにかく、契約の魔法、コントラクト・サーヴァントの呪文を唱えないと――。

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔となせ」

 男の子の肩に両手を掛ける。心臓が早鐘を鳴らしている。生まれて初めての異性のソレに、私は震えながら顔を近づけた。
 唇と唇が重なり合う。男の子――ヒルァガセイトゥだっけ? ヒルァガセイトゥの唇は火傷しそうな程に熱かった。唇だけじゃない。彼の肩に乗せている両手にも、布越しに彼の熱を感じる。風邪を引いているのかもしれない。だって、こんなに熱いなんておかしい。
 使い魔にしたからには、ちゃんと世話をしないといけない。後で、薬を与えないといけないかな? そんな事を考えながら、私は彼から唇を離した。

「終わったわよ。ヒルァガセイトゥ」
「お、おおおお、おお前! い、いきなり何を!? ってか、ヒルァガセイトゥって誰!?」

 ヒルァガセイトゥが顔を真っ赤にしながら怒鳴り散らしてきた。何て無礼な平民なんだろう。それに、自分が名乗った名前を誰って……。

「ヒルァガセイトゥ。あんたが名乗ったんじゃない。もしかして、貴族に対して偽名を使ったの?」
「違うよ! 俺はヒルァガセイトゥなんて妙な名前じゃなくて! 平賀才人! ヒ・ラ・ガ・サ・イ・ト! ヒラガが苗字で、サイトが名前!」
「ああ、そうだったの。苗字と名前が逆なんて、やっぱりこの近くの国じゃないわよね? 改めて聞くけど、あんた、どこの平民?」

 ヒルァガセイトゥはヒラガサイトという名前らしい。発音が妙なのは、やっぱり国の違いに関係があるのだろうか? 苗字と名前が逆だったり、ゲルマニアやガリアの文化とも合わない。もしかしたら、東の果て、砂漠の向こう、聖地を越えた先にあるという東の世界の住民かもしれない。

「平民? それって、明治時代の?」
「メイジ時代? メイジ以外の時代なんてないでしょ? 平民時代なんて聞いた事ないわ」
「平民時代? 平成は今だろ……ってか、ここどこ? もしかして、鏡の向こうはアリスの世界!? 時計を持ったウサギはどこ!?」
「時計を持ったウサギ? 何それ?」

 思わず想像して見た。あら、可愛いじゃない。そんなのがヒラガサイトの住んでる国には生息しているのかしら? そっちが召喚されてくれたら良かったのに……。
 私が心の中で愚痴を零していると、コルベールが嬉しそうに口を開いた。

「コントラクト・サーヴァント、成功おめでとう」

 思わず顔が火照った。魔法の事で褒められたのはこれが始めてだ。それで漸く、自分は始めて魔法を成功させたのだという実感が湧いた。
 確かに、召喚されたのは平民の男の子だ。それでも、成功したのは真実だ。それも、サモンとコントラクトの二連続成功! これは快挙と言ってもいいだろう。
 コルベールの言葉に、私はつい、涙腺が緩んでしまった。だから、クラスメイト達が罵倒し始めた時、耐えられなくなってしまった――。

「相手がただの平民だから契約出来たんだよ」
「そいつが、高位の幻獣だったら、契約なんて出来ないって」

 クラスメイト達が嘲笑うのを、コルベールが窘めるが、私は我慢出来なかった。
 生まれて初めて魔法を成功させて、生まれて初めて魔法を褒められた。そのせいで、涙腺が緩み過ぎていて、罵倒の声が聞こえた時に、耐えられなかったのだ。
 涙がポロポロと頬を伝った。それでも、誰かに涙を見られるのが悔しくて、私は俯いた。だけど、私が隠した涙を、その男の子に見られてしまった。

「えっと……、ルイズだっけ? その……、泣くなよ」

 ヒラガサイトは不思議な肌触りの布を不思議な服のポケットから取り出して、私の目元を拭った。それが悔しくて、思わず私はヒラガサイトを突き飛ばした。
 すると、ヒラガサイトの右手が光始めた――。

ゼロのペルソナ使い 第一話『契約』

 鏡の中に落ちた俺を待ち受けていたのはウォータースライダーだった。上下左右に振り回され、さながら、千葉のテーマパークの屋内で妙なロボットと一緒に星と星の間をワープしまくるアレに似ている気がした。
 それが終わると、いつしか俺は先に落ちた自転車のすぐ真横でのびていた。
 全身が痛くて立ち上がれずに蹲っていると、突然声を掛けられた。声を掛けてきたのは、黒いマントの下に、白いブラウスとグレーのブリーツスカートを着た驚く程可愛い女の子だった。体を屈め、不思議そうに俺を見つめている。
 桃色に近いブロンドの髪と透き通る様な白い肌を舞台に、くりくりと鳶色の眼が躍ってる。間違いなく外人だろう。日本人がこんな髪の色をしても絶対に似合わない。
 思わず見惚れてしまい、慌てて視線を外した。すると、周りにも妙な格好をした外人達が居た。一緒に居る化け物達は一体なんだろう。一つ目の怪物や巨大なムカデ、見た事の無い奇妙な生き物で溢れかえっている。
 鏡を通ったらヘンテコテーマパークだった。俺は思わずそんな馬鹿な事を考えていた。ただでさえ、史上初の鏡に吸い込まれた男、なんて経験をした直後に見知らぬ場所に倒れていたのだ。もしかすると、俺の頭はおかしくなってしまったのかもしれない。
 少しでも情報を得ようと、目の前の少女が髪の薄い男と話をしているのを盗み聞きしていると、訳のわからない単語が連続で飛び出てきた。
 使い魔、召喚、何の話だろう? それにしても、外国人の集まりの割りに随分と日本語が達者な人達だ。もしかして、鏡の向こうは日本語学校だった、という展開なのだろうか。
 頭の中を整理しようとしていた俺に、桃色の髪の女の子が突然、眼を閉じろと言って来た。何だか女の子は怒ってるみたいだし、素直に従った方がいいかもしれない。そう思って、素直に眼を閉じると、彼女居ない歴=歳の数の俺の唇が女の子の未体験ゾーンと合体を果たしてしまった。
 唇に触れている柔らかい感触に脳味噌が蕩けてしまいそうになる。生まれて始めての女の子とのキス。あまりにも予想外の展開に思わず目を開けると、ルイズと名乗った女の子は顔を火照らせながら、俺を変な名前で呼んだ。
 ヒルァガセイトゥって誰? と思っていると、普通に日本語話しているから錯覚してしまったが、ルイズが外国人だった事を思い出した。俺は改めて一文字ずつ区切りながら名前を教えた。
 すると、ルイズは妙な事を聞いてきた。平民? 明治時代にあった階級制度だっけ。平民時代? 何だソレ。もしかして、平成の事かもしれない。
 それより、ここはどこなんだろう。鏡に吸い込まれてコスプレした外国人に取り囲まれていた……。俺は鏡の国のアリスにでもなってしまったのだろうか。
 我ながら阿呆な事を考えていると、おでこに冷たいナニカが当った。上を見上げると、そこにはルイズが居た。ルイズは泣いていた。
 辺りを見渡すと、誰も彼もがルイズを見て笑っていた。もしかして、虐めだろうか? 何てかっこ悪い奴等だ。俺はよってたかって女の子を笑う周囲のコスプレ外国人に不快感を覚えた。
 虐めかっこ悪いという格言を知らないのだろうか、このコスプレイヤー達は。
 俺はルイズの涙を拭ってやろうとハンカチをルイズの目元に宛がった。すると、何故かルイズは親の敵を見るかの様に俺を睨んでいきなり突き飛ばした。
 なんで? 涙を拭ってあげようとしただけじゃん。あれ? もしかして、俺の行動がそんなにキモかった? 
 ショック! サイト、マジショック! 善意の行動がセクハラ扱いされちゃったよ!
 その直後、女の子にキモがられたという精神的ダメージを受けた俺の右手が焼き鏝を当てられたかの様に熱くなった。見ると、右手の甲から眼が焼けるかと思うような眩しい光が吹き出していた。

「な、何だよコレ!?」

 俺が叫ぶと、ルイズやルイズと話していたコルベールが目を丸くして俺を見ていた。アンタらにも分からないのか!? そう叫びそうになった。
 左手の痛みはどんどん増していく。そして、光が一層強まったかと思うと、俺は光の中にナニカが居るのを――――……“視た”!

『我は汝、汝は我』

 ナニカはまるで壁一つ隔てた向こう側から話しかけているかのようにくぐもった声を発した。

『汝、扉を開く鍵也』

 ナニカは俺に向かって手を伸ばしてくる。

「お前は誰だ?」

『我は……、汝』

 俺の記憶が残っているのは、そこまでだった――――……。

第二話『ゼロのルイズ』

 俺が眼を覚ましたのは、我が家の自室のフカフカベッドでは無く、石畳の消毒液臭が香る硬いベッドの上だった。壁にはテレビで見た、どこかのお城みたいなランプがあって、その中で揺らめく火が部屋を照らしている。
 結構広い部屋。十台のベッドが横に並べられていて、直ぐ隣にある小机には見た事のない無い不思議な光を放つ花が飾られている。
 試しに頬を抓ってみた。

「痛っ……」

 やっぱり夢じゃなかった。思わず溜息が出る。わけの分からない怪物達。左手から溢れ出した光。その中に居たナニカ。分からない事だらけだ。
 俺はとりあえず起きる事にした。俺が寝ていたのは部屋の一番奥のベッドで、直ぐ近くに窓がある。外は真っ暗。どうやら夜になってしまったらしい。窓は外開きで開けられる様になっている。
 部屋には誰も居ない。俺は窓を開いた。そして、愕然とした。空には有り得ないモノが浮かんでいた。月だ。それも、二つある。幾ら何でも、寝て起きたら月が増えてた……、何て事は無いだろう。
 俺はよろけながらベッドに座り込んだ。俺はとんでもない勘違いをしていたらしい。鏡に吸い込まれるなんてファンタジーを体験して、どこかに飛ばされてしまったらしいとは心のどこかで思っていた。だけど、月が二つある場所なんて、地球に存在する筈が無い。つまり、ここは地球じゃないって事だ。
 多分、どこか別の星なんだ。前に、宇宙には地球以外にも人の住める星がある可能性が在るって話を友達から聞いた事がある。

『貴方はそう遠く無い未来に運命の別れ道に遭遇する事になるようだ』

『運命の日に貴方は選択を迫られる』

 ああ、あの青い光に包まれた部屋での出来事は夢などではなく、現実だったんだ。そして、イゴールの言葉を漸く本当の意味で理解出来た気がする。
 俺は選択してしまったんだ。深く考えもせず。自転車なんか放っておけば良かったんだ。運命の別れ道はあの鏡だった。鏡に体が触れた瞬間、俺はこの星に来る選択をしてしまった。
 どうして、イゴールはこの事を教えてくれなかったんだろう。運命の選択っていうのがこんな別の星に飛ばされてしまう事だなんて、誰が想像出来る? 少なくとも、イゴールには分かっていた筈だ。選択しろって言うなら、その選択肢がどういうモノかくらい、教えてくれたって良かったじゃないか。
 悪態を吐きながら俺は頭を抱えた。陸が続いているなら歩けばいい。海があるなら密航でもなんでもすればいい。だけど、宇宙は無理だ。帰れない。そう考えてしまうと、心が押し潰されそうになった。
 俺はどうしたらいいんだろう。

「ちくしょう!」

 俺は癇癪を起した。近くの小机に乗っていた花瓶を力の限り叩き落した。けれど、そんな事をしても何にもならなかった。
 帰りたい。その衝動を抑えられる程、俺は大人じゃなかったらしい。気付いたら、俺は泣いていた。家に帰りたい。母さんのハンバーグが食べたい。インターネットがしたい。泣き叫んでも、誰も俺を救ってくれはしなかった。
 いつの間にか、俺は眠っていた。眼を覚ますと、そこには俺の手を見ながら変な色の紙に何かを書いている髪の薄い年配の男が居た。

「アンタ、誰だ?」

 思わず乱暴な口調で聞いてしまった。
 眼を覚まして、いきなり自分の手を見つめているおっさんが居たら、誰だって気色が悪い。
 男は俺の年上に対して無礼であろう態度を気にする事無く、すまない、と謝ってきた。

「君の左手の甲に刻まれたルーンがあまりにも珍しいモノだったのでね。勝手ながら、紙に写させてもらっていたんだよ。私の名はコルベールだ。ジャン・コルベール。炎蛇の二つ名を持っている。この学園の教師だ」
「コルベール……、さん。学園って、ここは学校なのか?」

 驚いた事に、ここは学校らしい。コルベールはどう見ても地球の人間と同じだし、学校なんてモノがあるなんて、まさに地球ソックリだ。

「そう言えば、どうして、俺はアン……コルベールさんの言葉が分かるんだろう?」
「ん? ソレは君が言葉を話せるからじゃないのかい?」

 コルベールは俺の言っている意味が理解出来なかったらしい。

「そうじゃなくて、俺はこの星の人間じゃないのに、どうしてこの星の言語が理解出来るのかなって」

 俺が言うと、突然、コルベールの眼差しを強くなった。

「どういう事だい? この星の人間では無い……というのは」

 俺は自分の迂闊さに頭を抱えた。誰だって、自分は異星人です、なんて言う奴は頭がおかしい奴か、変な宗教に被れた馬鹿だと思うに決まってる。
 コルベールは哀れみの篭った目で俺を見ている。

「えっとですね。俺、昨日の夜に一回起きたんです。そん時に、月が二つあって気が付いたんです。俺が居た場所には月は一個しかなかったから」
「んん? 月が一つしかない? それに、星というのは勿論、夜空に浮かぶ、あの星の事だよね?」

 俺の言っている事が巧く理解出来ないらしい。俺はどう説明すればいいのか悩んだ。まさか、異星人に自分が異星人である事を説明する日が来るなんて思っても居なかった。

「えっと、コルベールさんは今立っている場所も、星の一つだって事は知ってますよね?」
「そのくらいは知っているよ。私が言いたいのは、空の向こうに広がる星の海の中にこの星の様に人間の住める場所があるのか? という事だよ」
「あ、ごめんなさい」

 慌てて謝った。コルベールは困った顔をしていたが、怒っていないようだが、幾ら何でも失礼だった。
 コルベールは苦笑しながら許してくれたが、どうにも居心地が悪かった。

「俺の住んでた地球にも人間や動物が住んでましたよ。俺がその証拠」
「なるほど、興味深い。星の海については、我々は未だによく分からなくてね。これは偉大な発見だよ」
「アッサリ信じるんですね」

 俺は自分で言ってて、こんな話を信じて貰えるとは思っていなかった。なのに、コルベールは全く疑う事無く、俺の話を受け入れた。その事に、俺は疑問を感じた。

「いや、君の話を完全に信じた訳では無いよ。だが、君の着ている服や、君の持ち物の材質はどれも見た事の無い物ばかりだった。君の話が完全に嘘であると、言い切る事は出来ないと判断したのだよ」

 思わず目を丸くした。こんな人、本当に居るんだなって、思わず感心してしまった。

「それに、君の顔立ちはかなり珍しいのでね。いや、変という意味ではないよ? それに、君はメイジである私に対して、恐縮したり、恐怖したり、憤怒したりという事をしなかった。普通、平民が見ず知らずのメイジと一対一になると、どうしてもそういう感情が面に出てしまうものだけど、君は実に堂々としている。勇猛だから、という訳でも無さそうだ。恐らく、文化の違いだろう。君の星ではメイジと平民が共存しているのではないかい?」
「そのメイジってのは何ですか? 俺の星の言葉だと、魔法使いって感じの意味だったと思うんですけど」
「魔法使い……。魔法を使う者という意味なら、それが正しい。私は魔法使いだ」
「魔法使い……って、本当に!? 空飛んだり、呪文を唱えて魔法使ったり出来るの!?」
「うん、そのくらいなら大抵のメイジは出来るよ。空を飛ぶ魔法、フライは基本だからね。それにしても、その驚き方は……、君の星には魔法使いは居ないのかい?」
「居ないですよ。御伽噺の世界だけです」
「御伽噺の存在か……。つまり、君の星では平民のみの社会が形成されているのかね」
「その平民ってのが良く分からないッスけど、魔法を使えない者って意味なら、そうッスよ」
「ますます興味深い。魔法が存在せず、平民だけで形成される社会か――。魔法が無い社会とはどういうモノだい? 空を飛ぶ事も、魔法で家を作る事も出来ないなど、あまり想像し難いのだが」
「魔法なんて使わなくても、色々と便利な物があるんですよ。例えば……って、そう言えば、俺の荷物――」
「ああ、君の荷物なら私が預かっているよ。本当なら、ミス・ヴァリエールに預けるべきなのだろうが、昨日は彼女も混乱していてね。覚えているかい? 君が意識を失う前、突然、ルーンが凄まじい光を放ったのを」
「覚えてます。何か、光の中にナニカが居て、声が聞こえた気がしたんスけど、アレってなんなんですか?」

 俺は昨日の事を思い出して尋ねた。左手を見てみると、甲に変な傷跡が出来ていた。文字のようにも見えるけど、ミミズがのたくった様な変なモノだった。
 コルベールは考える様に顎に手をやって唸った。

「光の中にナニカが居た……? 召喚のルーン? そんなモノがあるのか? すまないが、これに関しては調べてみない事には分からない。元々、君に刻まれたルーンは珍しいモノでね。後で調べようと思っていたんだ」
「ルーン……。ってか、これって何なんですか? それに、昨日の子は?」

 俺が矢継ぎ早に質問すると、コルベールは落ち着けと手で制した。
 俺が黙ると、コルベールは言った。

「それは、昨日、君にキスをした桃色の髪の少女、名前はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールというのだが、彼女と君との絆と思ってくれればいい」
「絆? でも、俺はあの子とは初対面ですけど?」
「君が通ったと言う鏡。それは、春の使い魔召喚の儀式の召喚魔法だよ。本来は、幻獣や動物の前に開き、召喚に応えた場合に契約を果たすというのが、使い魔召喚の儀式なのだが、彼女の召喚魔法はどうやら君の前に開いてしまったらしい。そして、君は鏡を通る事で、召喚に応じてしまったんだ」

 そういう事だったのか。月が二つの星に魔法使い。信じられない事が次々に起こったが、漸く俺は自分の身に何が起きたのかを理解出来た。
 イゴールの言っていた運命の別れ道っていうのは、間違い無く召喚魔法として開いた鏡を通るか否かの選択。そして、待っている人っていうのは、使い魔、つまりは俺を召喚したルイズっていう名前の昨日の可愛い女の子だった訳だ。見事に、イゴールの言った通りになってしまった。

「俺は、帰れますか?」

 既に、応えは分かっていた。そもそも、他の星に人が住んでいるかどうかも知らないのに、俺を帰す方法なんて、あるとは思えなかった。
 案の定、コルベールは済まなそうな表情を浮かべた。

「サモン・サーヴァントは一方通行なんだ。送還の魔法は存在しない。済まない……。そもそも、人が召喚されるなんて事は前例が無いものでね」

 俺は俯いてしまった。帰れない。そう、宣告されてしまったのだから。誰に怒りをぶつければいいのかも分からない。確かに、よりにもよって俺の目の前に召喚魔法の鏡を出したのはルイズという少女だけど、わざとじゃないし、通ったのは俺の選択だ。イゴールだって、選択肢がどういうモノかを教えてくれなかったが、そもそも選択がある事自体、説明する義理なんて無いのだ。そもそも、イゴールか何者なのかも分からないし、怒っても仕方ない。
 ある意味自業自得だった。それでも、帰れないという事実が、背中に重く圧し掛かってきた。

「君の荷物は私の研究室に置いてある。だけど、その前に君はミス・ヴァリエールに会わなくてはいけない。さっき言い掛けたけど、彼女は昨日、君の身に起きた事にショックを受けてしまってね、部屋で安静にしている筈なんだ」
「俺はそのルイズって子の使い魔にならないといけないんですか?」

 コルベールは頷いた。

「君を送還出来ない以上、彼女の使い魔となるしか道は無いんだ。この星では、貴族と平民には大きな格差がある。もしも、君がミス・ヴァリエールの使い魔とならなかったら、平民である君を学園に置いて置く事が出来なくなってしまう。それに、平民が一人で地盤も無く生きていける程、治安も良くないんだ」
「でも、その子はいいんですか? 使い魔って、動物とかの方がいいんでしょ? 昨日、あの子周りから馬鹿にされてた気がするし」
「君を召喚した時点で、彼女の使い魔は君以外には居ないんだよ。それが決まりだし、既に契約を済ませてしまっている。その左手の甲に刻まれたルーン。それが、メイジと使い魔を繋ぐ絆なんだ」

 俺は改めて左手の甲を見た。その瞬間、昨日のルイズとのキスを思い出してしまった。顔を真っ赤にする俺を、コルベールは微笑ましげに見てきた。

「そう言えば……、平民と貴族には格差があるって言う割りに、コルベールさんは俺に優しいッスね」

 俺が言うと、コルベールは苦笑した。

「私は、そういうものに疎いだけだよ。それに、君自身に興味があるというのも理由の一つだ。君の持ち物はどれも、研究者としては興味をそそられるモノばかりだ。それに、君と話して、君の人と成りも見る事が出来た。人を使い魔にするというのは前例が無いが、もしも君が悪人なら、ミス・ヴァリエールに近づける訳にはいかなかった」
「過去形って事は、合格って事ッスか?」
「ああ、ミス・ヴァリエールをよろしく頼むよ。彼女はちょっとコンプレックスを抱えていてね。気性が激しい所があるんだが、同時に弱い部分もある。使い魔として、彼女を護って欲しい」

 コルベールの真摯な眼差しに、俺は頷くしかなかった。他に道も無い。

「……わかりました。で、使い魔ってのは何をすればいいんスか?」
「その件はミス・ヴァリエールの部屋に行ってからにしよう。道すがら、この星について掻い摘んで話すよ」

 俺はコルベールに連れられて医務室を出た。歩きながら、俺が今居る国の名前や、大国と呼ばれる国の名前、そして、始祖として崇められているブリミルという神様が居るという話を聞いた。
 途中で学生と何度かすれ違ったが、俺の顔を見ると首を傾げた。コルベールの言うとおり、俺の容姿や服装は余程珍しいんだろう。初めて外国人にあった日本人も同じ反応をしたのかもしれない。
 ルイズが居るのは女子寮らしい。入る時、女の子達の視線がきつかった。階段を上がると、コルベールが立ち止まった。

「ここだよ」

 コルベールは部屋の扉を数回ノックした。中から鈴を転がす様な愛らしい響きの声が聞こえた。扉が開くと、そこにはスケスケのネグリジェを着た昨日の美少女がボサボサの髪で現れた。
 あまりの事に凍りつくと、コルベールが俺を持ち上げて百八十度回転させた。
 コルベールがコホンと咳払いをすると、ルイズも何が起きているのか理解したらしく、慌てて部屋の中に入って行った。
 再び中から声が聞こえた時、部屋の中から昨日着ていたのと同じ制服の様な服を着たルイズが現れた。

ゼロのペルソナ使い 第二話『ゼロのルイズ』

「さっきは失礼したね。声を掛けるべきだった。君の使い魔を連れて来たよ。ミス・ヴァリエール」

 コルベールが言うと、ルイズが僅かに顔を火照らせながら睨む様に俺を見て来た。さすがにネグリジェ姿を見てしまった罪悪感で、その視線に何も返せなかった。

「使い魔……。ソレですか?」

 ジトッとした眼で睨みつけられる。確かに裸よりエロイ姿を見てしまった事は悪かったと思うが、俺のせいじゃないし、ソレ扱いは酷くないか? そう思ったが、やっぱり何も言えなかった。何せ、彼女のネグリジェ姿を脳裏にしっかりと焼き付けてしまったからだ。これだけでご飯三杯はいける気がする。

「ミス・ヴァリエール。彼について、色々と話さなければならないんだ。入れて貰ってもよろしいかな?」

 ルイズが渋々といった感じに俺とコルベールを部屋に招き入れた。ルイズの部屋は綺麗に整理されていて、所々に女の子らしさが垣間見えた。
 考えてみれば、女の子の部屋に入るなんて生まれて初めてだ。思わず緊張してしまった。

「ミスタ、やっぱりソレを使い魔にしないといけないんですか?」

 まだ言うか……。案外、顔に似合わずしつこい性格らしい。いや、それ程ネグリジェ姿を見られたのが恥しかったのか。更に罪悪感を感じた。

「ミス・ヴァリエール、彼の名前はサイト君だ。ソレなどと呼んではいけないよ」
「でも!」
「彼はこれから君の使い魔になるんだ。彼も了承してくれた。仲良くしなければいけないよ?」

 コルベールに言われて、ルイズは渋々と頷いた。それにしても、改めて見てもルイズはとんでもない美少女だ。こんな子にキスされたんだな。思わず顔が火照った。

「さて、まずは彼の素性について話さなければいけないね――――」

 コルベールがルイズに俺の事を話す傍らで、俺はルイズを見つめ続けた。その端整な顔立ちは、映画に出て来る外人の女優と比べても全く負けていない。
 気がつくと、コルベールがルイズに話し終えたらしい。ルイズが俺を見ている。

「他の星から来たって本当?」

 全く信じていないって眼をしている。ま、当然だろうな。いきなり信じてくれた、コルベールの器がでか過ぎるんだ。
 俺は頷いた。信じ難い話だとは思うけど、真実なのだから、信じてもらうしかない。

「でも、ちゃんと言葉が通じてるじゃない。他の星から来たっていうなら、それっておかしくない?」

 それは俺も疑問に思ってた事だ。俺が喋ってるのは日本語で、ルイズやコルベールも日本語を喋ってる。まさか、日本語がこの星の共通言語……なんて、都合のいい話は無いだろう。

「これは仮説なのだが――」

 コルベールが口を開いた。

「これはサモン・サーヴァントの影響かもしれない」
「召喚魔法のですか?」

 コルベールの言葉に、ルイズは興味深そうに尋ねた。

「そうだ。ミス・ヴァリエール、サモン・サーヴァントは使い魔となる存在と、使い魔の主となるメイジの間にゲートを開くモノ。それだけだと思うかね?」
「え? 違うんですか?」

 まるで、授業中に先生に当てられて答えに窮している生徒の様に、ルイズは困った顔をした。その様子を見て、俺はコルベールが先生で、ルイズが生徒なのだと実感した。

「これは、私の仮説に過ぎないのだが、使い魔となる存在は、サモン・サーヴァントのゲートを通る際に、ある程度の知識を得るのでは無いかと思うんだ。例えば、人語を理解出来る様になるとかね。メイジは使い魔とコミュニケーションが取れる。だけど、それには使い魔が人語を解しているという前提条件が必要なんだよ。普通はメイジの言いたい事が使い魔にも大体の事が理解出来る程度のモノだと思う。けれど、彼は人間だ。元々、言語という情報伝達の手段を持っている。我々の言語の意味を、彼は彼の言語に変換して理解している筈だ。逆に、彼が伝えたい言語は彼の中で勝手に我々の言語に変換されているのかもしれない」

 コルベールの言っている意味は何となく分かった気がする。あの鏡を通った時に、俺はルイズやコルベール達の言葉が理解出来る様になったらしい。俺が日本語だと思って聞いていた二人の言葉はこの星の言語で、俺の頭が勝手に日本語に翻訳しているって事。んで、俺の言葉がルイズやコルベールに理解出来るのは、俺の言葉が勝手に頭でこの星の言語に変換されてるかららしい。
 魔法っていうのはとんでもないモノだな。俺は思った。ルイズも理解したらしく、目を丸くしている。

「まあ、あくまでも仮説だ。もしかしたら、もっと単純にサイト君の言語と我々の言語は偶然に一致しているのかもしれないしね。ミス・ヴァリエール、彼が他の星から来たという事を今無理に信じる必要は無い。絆が深まれば、自然と分かり合える様になるだろう。それよりも、まずはサイト君に使い魔の仕事について説明したいのだが、いいかね?」
「あ、はい! 大丈夫です」
「お願いします」

 コルベールの言葉に、ルイズと俺は頷いた。使い魔の仕事っていうのは、大きく分けて三つあるらしい。一つは主人の目となり耳となる事。これは駄目だった。ルイズが言うには、俺の見ているモノも聞いている音も聞こえないらしい。安心した。俺の見ているモノや聞いている音を他人に知られるなんて、これ以上のプライバシーの侵害はそうそう無いだろう。
 二つ目は、武器や薬なんかの素材を集める事。これも無理だ。この世界の鉱物や植物の知識なんて、俺には無い。まあ、勉強してみるのも悪くないかもしれないけど、ルイズは魔法薬の授業程度にしか素材は必要無いらしい。そういう時はお店に注文するらしい。お店に取りに行かせる事はあるかもしれないから、地理を勉強しておけと言われた。つまり、お使いだな。
 三つ目は、主人の身を護る事らしい。

「でも、あんたじゃ無理ね……」

 断言された……。けど、喧嘩も殆どした事無いし、魔法なんて、とんでも技使う人間を相手になんて出来ない。

「……人間だもん」
「全く、お使い程度にしか使えないなんて……」

 ルイズはガックリと肩を落としている。そんな事言われても困る。

「せめて、使用人程度には使えてよね? 洗濯や掃除、その他の雑用。こっちは、あんたの世話をするんだから、キッチリ仕事をしなさいよね?」
「掃除はともかく、洗濯なんてやった事ないぞ?」

 洗濯機の使い方すら知らない。

「……そのくらい、勉強しなさい!」

 怒られた。勉強する事が多くて大変だ。

「後で、使用人の誰かに洗濯や掃除の仕方を教えて貰える様に手配をしておこう。私はこれから授業の準備があるのでね、君の荷物に関しては今日中に取りに来てくれ。私は夕方には研究室に戻っているからね」

 そう言って、コルベールは俺達に仲良くする様に言うと、ルイズの部屋から出て行ってしまった。
 後に残された俺とルイズはお互いに黙りこくっていた。今迄、コルベールが居たおかげで緊張せずに居られたけど、こんな美少女と密室で二人っきりなんて生まれて初めての経験だ。何を話せばいいのか分からなかった。

「と、とりあえず、改めて自己紹介するな! 俺は平賀才人。こっち風だと、サイト・ヒラガだ。よろしくな」
「サイト・ヒラガね。まあ、キチンと名乗ったんだから、私も名乗ってあげる。私はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール」
「ルイズ・フランソワ……なんだっけ?」
「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ! 全く、失礼な平民だわ!」

 ルイズは苛々した声で言った。まあ、名前を間違えられるのは誰だって嫌だろう。けど、長過ぎて覚えられない。

「悪かったよ。で、ルイズ、俺はこれから何をすればいいんだ?」
「な、何いきなり貴族を呼び捨てにしてるのよ! とりあえず、まずは授業に行くわ。付いて来なさい!」

 いきなり呼び捨ては拙かったかな。ルイズが怒って部屋を出て行ってしまった。授業に行くって事らしいけど、とりあえずついて行くか。
 俺はルイズに連れられて部屋を出た。部屋を出ると、似た様な木で出来たドアが壁に三つ並んでいた。そのドアの一つが開いて、中から燃える様な赤い髪の褐色の肌の女の子が現れた。ルイズよりも背が高く、俺とあんまり変わらないくらいだ。彫が深い顔立ちで、突き出たバストが艶かしい。一番目と二番目のブラウスのボタンが外れていて、豊満な胸元を覗かせている。

「おはよう、ルイズ」
「……おはよう、キュルケ」

 爽やかに挨拶をするキュルケという少女に、ルイズはまるで台所に現れた黒いアイツを見てしまったかの様な眼で心底嫌そうに挨拶を返した。

「あなたの使い魔って、ソレ?」

 ルイズの気持ちが分かった気がする。初対面の人間捕まえてソレ扱い、失礼な奴だ。

「……そうよ」
「あっはっは! 本当に人間なのね! すごいじゃない!」

 夜中の海外の通販番組でこんなリアクションを視た事ある気がする。

「サモン・サーヴァントで、平民を喚んじゃうなんて、貴女らしいわ。さすがはゼロのルイズ」

 ルイズの白い頬に朱がさした。恥しいのだろうか? コルベールの炎蛇も大概恥しい気がするけど、彼は実に堂々としていたじゃないか。大人と子供の器の違いだろうか。
 俺は改めて、コルベールの器のでかさを感じた。

「うるさいわね……」
「あたしも昨日、使い魔を召喚したのよ。誰かさんと違って、一発で成功よ」
「そ、そう……」
「どうせ使い魔にするなら、こういうのがいいわよねぇ。御覧なさい、私のフレイムよ!」

 キュルケは勝ち誇った様子で自分の部屋から使い魔を呼んだ。現れたのは巨大な真っ赤なトカゲだった。ワニよりも巨大なそいつは、口の中に火を含んでる。ムッとした熱気が辺りに立ち込める。

「か、怪獣!?」

 慌てて後ずさると、キュルケが笑い出した。

「おほっほ! もしかして、貴方、サラマンダーを見るのは初めて?」
「く、鎖に繋いどけよ! こんなの暴れたら大変じゃんか!」
「大丈夫よ。あたしが命令しない限り、襲ったりしないから。臆病ちゃんねぇ」

 キュルケはトラ程もある巨体で尻尾が炎で出来ているサラマンダーの頭を撫でた。熱くないのだろうか?

「そばに居て、熱くないのか?」

 疑問に思った事をそのまま尋ねた。よく見ると、かっこいいかもしれない。なるほど、ルイズが嘆いたのも分かるかもしれない。俺だったら絶対にこっちの方がいいもん。

「あたしにとっては涼しいぐらいね」
「火竜山脈のサラマンダー……」

 ルイズが心底羨ましげに呟いた。

「そうよぉ。見てよこの尻尾! 鮮やかな炎の尻尾! こんなに美しい炎は視た事ないわ」
「良かったわね……」

 ルイズが惨めそうに言った。

「素敵でしょ。あたしの属性にぴったり!」
「あんたの属性は火だもんね」
「ええ、あたしは微熱のキュルケ。ささやかに燃える情熱は微熱。でも、男の子はそれでイチコロなのですわ。あなたと違ってね?」

 キュルケは自慢げに胸を張った。ルイズも負けじと胸を張り返す。微笑ましいというか、哀れみを誘うというか……。

「あ、あんたみたいに、色気を振り撒くほど、暇じゃないのよ!」

 キュルケは余裕の態度でルイズを無視して俺を見た。

「あなた、お名前は?」
「サイトだ。サイト・ヒラガ」
「サイト・ヒラガ……。変な名前ね」
「やかまし!」

 本当に失礼な女だ。

「じゃあ、お先に失礼」

 炎の様な赤髪をかきあげ、颯爽と去って行くキュルケを、サラマンダーがチョコチョコと巨体に見合わぬ可愛い動きで追って行く。
 その姿を見ながら、ルイズが癇癪を起した。

「くやしー! 何なのあの女! 自分が火竜山脈のサラマンダーを召喚したからって、ああもう!」
「何だよ、あの女! 人をソレ扱いしたり、人の名前、変とか言いやがって!」

 俺もムシャクシャして怒鳴り散らした。二人でキュルケの悪口を言いながら授業の教室に到着した。
 教室には様々な怪物……もとい、使い魔達を連れたメイジで溢れていた。

「うわっ、凄いなこりゃ」

 魔法学院の教室は、まるで大学の講義室の様だった。一番下の段に教卓があって、階段のように席が並んでいる。だけど、大学の講義室とは決定的に違う所がある。この教室は全てが石で出来ているのだ。机も椅子も硬い石で出来ている。
 俺達が入ると、席に着いていた生徒達が一斉に振り向いた。皆、俺とルイズを見て笑っている。隣を見ると、ルイズが顔を赤らめながら俯いてサッサと歩き出してしまった。ルイズは席に座った。俺も隣に座ろうと思って歩み寄ると、何故か睨んできた。

「なんだよ」
「ここはね、メイジの席。使い魔は座っちゃ駄目」

 ルイズの言葉に、俺はカチンと来た。

「何でだよ?」
「常識なの」
「んなの知るかよ! 床に座れってのか?」
「それが嫌なら立ってればいいじゃない」
「どこの王女様だ!」

 パンが無いならケーキをってか? 周りを見渡すと、改めて分かった。ルイズは俺を人間扱いしてないらしい。最初は、ネグリジェ姿を見たからかと思ったけど、ルイズもキュルケと変わらないらしい。俺はイラつきが抑えられなかった。憮然としながら床に座った。
 段々生徒の数が増えて来て、俺の事を迷惑そうに見てくる。俺はやっぱり納得いかなくて、黙ってルイズの隣に座った。今度は何も言って来なかった。
 俺は辺りを見渡しながらルイズに質問した。

「なあ、あのでかい目玉のお化けは何だ?」
「バグベアーよ」
「あの蛸人魚は?」
「スキュア」

 苛々した声だったが、ルイズは律儀に答えてくれた。これで、俺を人間扱いしてくれるなら悪い奴じゃないって思えるんだけどな。
 何だか木の枝みたいなのを机においている奴が居た。何かと思ったら、ボウトラックルっていう擬態の得意な生き物らしい。猿と蛙を足して二で割った様なクラバート、サイみたいなでかいのはエルンペント。亀みたいな外見で甲羅に宝石が散りばめられているのはファイア・クラブという蟹らしい。妙な生き物がいっぱいだったけど、見ているだけで面白かった。
 しばらくすると、席が生徒でいっぱいになって、中年の女の人が教室に入って来た。紫色のローブに身を包み、帽子を被っている。ふくよかな頬が、優しい雰囲気を漂わせていた。

「あのおばさんが先生か?」
「そうよ」
「コルベール先生の授業かと思ってたんだけど」
「コルベール先生は一年生の授業も受け持ってるの。今は一年生の授業をしている筈よ。私が受けるのは土の魔法の授業」

 ルイズは素っ気無く返事を返してきた。

「皆さん」

 先生が喋り始めると、教室は静まり返った。

「春の使い魔召喚は、大成功のようですわね。このシュヴルーズ、こうやって春の新学期に様々な使い魔達を見るのがとても楽しみなのですよ」

 そう言えば、春があるって事は、ここにも春夏秋冬があるのかな?

「おやおや。変わった使い魔を召喚したものですね。ミス・ヴァリエール」

 シュヴルーズがとぼけた声で言うと、教室中がどっと笑いに包まれた。受け狙いとしては大当たりだけど、ルイズは恥辱のあまりに顔を真っ赤にして俯いてる。

「ゼロのルイズ! 召喚出来ないからって、その辺を歩いてた平民を連れて来るなよ!」

 金髪のふとっちょがルイズを指差しながら言った。
 ルイズは立ち上がって、やわらかいブロンドの髪を靡かせながら反論した。段々と言い合いが過激になって、このままだと乱闘になりそうって時になって、漸くシュヴルーズが仲裁した。
 クスクス笑ってた生徒達も口に粘土を突っ込まれて黙らされた。過激な体罰だ。

「では、授業を始めますよ」

 咳払いをしながら、重々しく言うシュヴルーズ。教卓の上に乗っている机に石ころを数個転がした。

「私の二つ名は赤土。赤土のシュヴルーズです。土系統の魔法を、これから一年間、皆さんに講義します。魔法の四大系統をご存知ですね? ミスタ・グラモン」

 殆どの生徒の口が粘土で塞がれている中で、金髪の巻き毛の少女の隣で喋っていた胸元を大きく開けた可愛らしい顔立ちの少年にシュヴルーズは当てた。

「あ、はい! 火、水、土、風の四系統です!」

 慌てて彼女とのストロベリートークを切り上げて、グラモンという少年はシュヴルーズの質問に答えた。
 四大系統ってのは、よく、ゲームに出て来る四大元素ってのと同じらしい。

「正解です。さすがは青銅のギーシュ・ド・グラモンですわね」

 シュヴルーズに褒められ、ギーシュという少年は照れた様に席に座って、隣の女の子に笑い掛けた。隣の女の子は呆れ半分に微笑み返している。

「今は失われた系統魔法である虚無を合わせて、全部で五つの系統がある事は、皆さんも存じているとおりです。その五つの系統の中で土は最も重要なポジションを占めていると私は考えてます。それは、私が土系統だから、というわけではありませんよ。私の単なる身びいきではありません」

 シュヴルーズは再び重い咳払いをした。

「土系統の魔法は、万物の組成を司る、重要な魔法です。この魔法がなければ、重要な金属を作り出すことが出来ないし、加工する事も出来ません。大きな石を切り出して建物を建てる事も出来なければ、農作物の収穫も、今より手間取る事でしょう。この様に、土系統の魔法は皆さんの生活に密接に関係しているのです」

 何だか難しい話が続いた。シュヴルーズは土系統の重要性をくどいくらい説明している。
 俺は早く魔法が見たかったから、つまらない内容の授業で欠伸が出そうだった。
 長々とした説明が終わると、一年生の復習の錬金とやらをするらしい。いきなり石ころが金色になって吃驚した。
 キュルケも驚いたらしく、それは金か? と聞いたけど、残念ながら真鍮らしい。
 それでも、いきなり石ころが真鍮に変わってしまう瞬間を見た俺は興奮していた。
 この星に来て、キチンと魔法らしい魔法を見たのはこれが初めてだ。本当に魔法が存在するのだ。そう実感すると、感動に打ち震えた。後で、ルイズに色々と見せてもらおう。
 シュヴルーズの話を聞いていると、ラインとかトライアングルとかいう単語が出て来た。皆はどういう意味なのか知ってるみたいで、説明が無い。俺はルイズに聞いてみた。

「系統を足せる数の事よ。それで、メイジのレベルが決まるの。例えばね? 土系統の魔法はソレ単体でも使えるけど、火の系統を足せば、更に強力な呪文になるの」
「なるほど」
「単体ならドット。火と土みたいに、二系統を足せばライン。シュヴルーズ先生みたいに土と土と火みたいに三つ足せるのがトライアングルメイジってわけ」
「同じの足すのは意味あるのか?」
「同じ系統を足すと、その系統が強力になるのよ。例えば、火を二つ足したら大きな火になるし、風を二つ足せば強風になる」
「なるほど、つまり、あの先生はトライアングルだから、強力なメイジってわけか」
「そのとおりよ」
「ルイズは幾つ足せるの?」

 俺が聞くと、いきなりルイズは黙ってしまった。どうしたのかと思うと、シュヴルーズにお喋りを見咎められてしまった。

「ミス・ヴァリエール!」
「は、はい!」
「授業中にお喋りをするのは、私の授業がつまらないからですか?」
「い、いえ……」
「でしたら、そうですね、貴女に錬金の実践をしてもらいましょうか。お喋りをしている余裕があるのなら、出来ますわね?」

 シュヴルーズの皮肉に、ルイズは顔を青褪めさせた。見ると、何故か別の席のキュルケやギーシュ、金髪のふとっちょや他の生徒達まで青褪めている。
 何だろう、嫌な予感がヒシヒシと感じられる。キュルケが血相を変えて口を開いた。

「やめた方がいいです!」

 声を荒げて言うキュルケに、シュヴルーズは目を丸くした。

「どうしたというのです? ミス・ツェルプストー」
「危険です!」

 キュルケがきっぱりと言うと、教室中の生徒達が一斉に頷いた。何だろう、更に嫌な予感がする。

「危険? どうしてですか?」
「ルイズを教えるのは初めてですよね?」
「ええ、でも、彼女は努力家であるという評価を聞いております。さあ、ミス・ヴァリエール。気にしないでやってごらんなさい。失敗を恐れては何も出来ませんよ」
「ルイズ、止めて!」

 キュルケは必死だ。顔が真剣だ。馬鹿にしているとかじゃない。本気で懇願している。
 嫌な汗がダラダラと背中を伝った。

「やります!」

 実に凛々しく、ルイズは立ち上がって教卓に向かった。その間に、生徒達は一斉に使い魔を抱き抱えて、机の下に潜った。
 どういう事だ? 視線を向けると、キュルケが机に隠れろとジェスチャーしてる。その顔は死人の様に真っ白だ。一体何が起きるんだ?
 その答えは、爆発という結果と共にやって来た.おかしい、彼女は錬金をした筈だ。どうして爆発するんだ? 錬金って、材質を帰るものだって、シュヴルーズが言ってた気がするのに。
 爆風をモロに受けたシュヴルーズとルイズは黒板に叩きつけられた。キュルケのサラマンダーは気持ちのいいお昼寝を邪魔されて起こって火を吐いている。マンティコアは窓を突き破って外に飛んでいった。
 教室中が阿鼻叫喚の地獄絵図に変わる。俺も爆風のせいで煤だらけになってしまった。なるほど、キュルケや皆が真っ青になった理由が分かる。こうなる事を知ってたんだ。

「だから言ったのよ! あいつにやらせるなって!」

 キュルケがサラマンダーを必死に落ち着かせながら叫んだ。

「もう! ヴァリエールを退学にしてくれよ!」

 悲痛な叫びが教室中から聞こえる。シュヴルーズは床に倒れたまま動かない。時折、痙攣している様子から、死んでは居ないらしい。
 ルイズの方は何とか立ち上がったが、その姿は無惨だった。ブラウスやスカートは破けて下着が見えてしまっている。
 声を掛け辛い……。ルイズは視線を泳がせながら言った。

「ちょっと、失敗みたいね」

 やっぱり失敗したのか……。

「ちょっとじゃないだろ! ゼロのルイズ!」
「いつだって、成功の確率、殆どゼロじゃないか!」

 ああ、なるほど、漸く分かった。ルイズがどうしてゼロの二つ名を恥しがったのか。
 成功率ゼロのルイズか――――。

第三話『ゼロの使い魔』

 私はトリステイン魔法学院の本塔にある図書館に来ていた。30メイルを越える巨大な本棚が壁に立ち並んでいる。サイト君が研究室を訪ねてくる予定だが、今は昼食を食べている時間の筈だ。
 始祖ブリミルがハルケギニアに新天地を切り開いてからの歴史が全て内包されているこの図書館。私が居るのはその中の一角。教師だけが閲覧出来るフェニアのライブラリーだ。
 私が捜しているのは使い魔のルーンに関する書物。サイト君の左手に刻まれた珍しいルーン、私は前にどこかで見た気がした。
 レビテーションの魔法で手の届かない書棚まで浮かびながら、重厚な背表紙に刻まれている文字を追い、遂に一冊の本を見つけた。
 それは、始祖の使い魔に関する記述だった。ただの直感だったが、私はその本を手に取り、とある記述に眼を留めた。

“神の左手ガンダールヴ。勇猛果敢な神の盾。左に握った大剣と、右につかんだ長槍で、導きし我を守りきる”
“神の右手がヴィンダールヴ。心優しき神の笛。あらゆる獣を操りて、導きし我を運ぶは地海空”
“神の頭脳はミョズニトニルン。知恵のかたまり神の本。あらゆる知識を詰め込みて、導きし我に助言を呈す”
“そして最後にもう一人……。記すことさえはばかれる……。四人の僕を従えて、我はこの地にやってきた……”

 有名な一説の直ぐ近くに、三枚の挿絵が描かれていた。
 神の左手ガンダールヴのルーンと羊皮紙に複写したサイト君の左手のルーンを見比べる。すると、驚く程似ていた。ほぼ同じと言っていい。
 そうだ。何故、私がこの本を選んだのか、それは、ルーンが現れたのが左手だったからだ。そして、唯一の人間の使い魔の前例でもあるからだ。
 虚無の使い魔……。私は戦慄した。
 ミス・ヴァリエールの魔法は常に失敗する。火も水も土も風もあらゆる系統魔法で失敗する。

「そういう事なのか……?」

 彼女の魔法が成功しないのは、系統魔法が彼女の属性では無いからなのだろうか?
 私はあまりの衝撃にレビテーションを維持出来なくなってしまった。地面に体を打ちつけてしまった。
 ヨロヨロと立ち上がり、私は唯一、相談出来るであろう人物の下へ急いだ。こんな事を話せるのは、あの方しか居ない。偉大なる魔法使い、オールド・オスマンしか――――……。

ゼロのペルソナ使い 第三話『ゼロの使い魔』

 沈黙が重い。俺とルイズは眼を覚ましたシュヴルーズに教室の修理を命じられた。その間、ルイズは一言も発する事無く、黙々と作業を行っている。吹き飛んだ教卓の変わりを持ってくる様にと言う時だけ、口を開いたがその後は再び黙りだ。
 息が詰まりそうになり、俺は恐る恐るルイズに話しかけた。

「そ、そういえば、俺達、朝御飯もまだだったよな? この星の料理って、ちょっと興味あるんだよねぇ」
「あんたの料理は無いわよ」
「……は?」

 聞き間違えだろうか? ルイズの口からありえない言葉が出た気がする。

「だから、あんたの料理は無いって言ってるの! 朝からごたごたしてたから、あんたの食事を用意する様に手続きをするの忘れてたのよ」

 そう言えば、俺はルイズが起きてからずっと一緒に居るけど、どっかで何かの手続きをしている様な様子は無かった。

「って、はああああああああ!? じゃあ、俺はどうすればいいんだよ!?」
「アルヴィーズの食堂には、使用人以外の平民は入れられないわ。我慢して頂戴。夕食は食べれる様にしてあげるから」

 俺は自分の顔が引き攣っているだろう事を確信していた。

「納得出来るか! 朝食も喰ってないんだぞ!?」

 俺が怒鳴ると、ルイズが不機嫌そうな眼で俺を見て来た。

「あんたは未だ何にも私の使い魔としての仕事をしてないでしょ? 働きもしないで食べれるだなんて甘い考えね」
「お・ま・え・が! 俺をこんなとこに召喚しなけりゃ、ちゃんとあったかい飯が喰えたんだよ、俺は! 仕事なんかしなくても!」

 俺は空腹のせいで我慢出来なかった。確かに、鏡を通ったのは俺の判断だから、全部をルイズのせいにするわけにもいかない。そんな事は分かってる!
 だけど、そもそも、召喚魔法を俺の前にルイズが出さなければ、今頃は母さんの料理でお腹いっぱいになりながらネットが出来てた筈なんだ。
 帰れない事に対する不安や恐怖も絡み合って、俺は不満を爆発させた。

「だいたい! お前、成功率ゼロだから、ゼロのルイズって呼ばれてんだろ? どうして、よりにもよって召喚魔法だけ成功させるんだよ! こっちはいい迷惑だ!」
「な、何よ! 私だって、あんたなんか召喚したくなかった! 本当なら、グリフォンとかマンティコアとかの幻獣を召喚するつもりだったのに!」
「そんな凄いの、成功率ゼロのルイズが召喚なんて出来るわけないだろ! たまたま成功して、俺が来てやったから、お前は進級出来るんだろ? 俺に感謝するくらいしたらどうなんだ? 俺が来なきゃ、お前なんて何にも召喚出来なくて、進級も出来ない未来ゼロのルイズになってただろうさ!」
「な、何ですって……?」

 ルイズの冷水の様な声に、俺は思わず言い過ぎてしまった事に気が付いた。空腹でまともに考えて喋る事が出来なかったのだ。
 俺はルイズに声を掛けようとしたが、何も言えなかった。ルイズは泣いていたのだ。
 あの時、初めて会った時もルイズは泣いていた。コルベールの言っていた事が分かった気がする。
 こいつは、そんなに強い人間じゃない。

「ルイ……」
「馬鹿使い魔!!」

 俺が声を掛けようとすると、ルイズは耳が痛くなる程の大声で怒鳴ると、走り去ってしまった。
 俺は嫌な気分になりながらルイズが走り去った跡をのろのろと歩いた。女の子を泣かせてしまった。元々、女の子の扱いには慣れてないから、追いついても何を言えばいいか分からない。
 溜息を吐きながら歩いていると、慌てて走っているコルベールを見かけた。

「コルベール先生?」
「おや、サイト君。ミス・ヴァリエールはどうしたのかね?」

 コルベールは立ち止まって聞いてきた。

「ちょっと、喧嘩しちゃって……」
「喧嘩? 穏やかじゃないね。一体、何が原因なんだい?」
「その……、俺の昼御飯を用意して無いって、ルイズが言うもんだから、お腹空き過ぎて腹が立って……」
「それで、喧嘩になってしまったのか。先に謝らせてもらうよ。実は、さっきまで調べ物で図書室に行っていたんだが、その前に食堂に立ち寄って、サイト君がやって来たら食事を出す様に指示を出して置いたんだ。ただ、調べ物に意識がいってしまってね、ミス・ヴァリエールにその事を伝える様に言うのを忘れていた」
「そうだったんですか、ありがとうございます」

 俺はコルベールに頭を下げながら、ルイズに何て言おうか考えていた。
 よく考えると、ルイズの言い分は言い方は悪かったけど、ルイズに過失は無い。食事には手続きが必要なようだし、その時間が無かったのも事実だ。
 それに、ルイズの言うとおり、俺は未だに何の仕事をしていない。働かざる者、喰うべからず。
 さすがに、食事を用意してもらって当然ってのは、考えが甘かった。

「反省しているのなら、謝ってしまうのが一番早いよ。でも、誠意を見せないとね。ミス・ヴァリエールは聡い子だ。君が誠意を見せれば、きっと分かってくれるし、自分の非も認める筈だよ。彼女はちょっと頑固なだけだからね」
「分かりました。ちゃんと謝ります」
「うん。ああ、それと、食堂に行ったら、シエスタという使用人の女の子を探しなさい。君に洗濯や掃除の仕方を教える様に言っておいたから」
「なんか、何から何まですいません」
「かまわないさ。では、私は少しやる事があるのでね。夕方にでも研究室を訪ねなさい。君の荷物を渡すから」
「はい!」

 コルベールと別れてから、俺はルイズを探す事にした。何を言えばいいかなんて、未だ分からないけど、それでも誠意を見せないといけない。ちゃんと謝って、許してもらえるようにお願いするしかない。
 ルイズは意外と簡単に見つかった。何だか重厚な作りの建物の傍にある広場だった。その隅で、ルイズは小さくなっていた。見つかったのは、彼女のブロンドの髪があまりにも鮮やかで、視界の隅に入った瞬間に、ルイズだと分かったからだ。

「何よ、また馬鹿にしに来たの? 使い魔のくせに、平民のくせに! あんたまで、私を馬鹿にするの!?」

 俺が近づいた瞬間、ルイズは目元を真っ赤に腫らしながら怒鳴って来た。
 ずっと、色んな奴に馬鹿にされてたんだな。使い魔のくせに、平民のくせにって言ってるけど、それで自分を余計に貶めてる気がする。
 怒りも湧いてこなかった。本当は弱いのに、強い振りをしている。何だか、その姿が可愛かった。

「悪かったよ。腹が空いてて、苛々してたんだ」
「うるさい! あれが、あんたの本音でしょ? 私が魔法の成功率ゼロのルイズだって分かって、馬鹿にしてるんでしょ!」
「違う! 俺はただ、この星に来て、帰れないって言われて……。それで、不安で、怖くて、だから! だから、とにかく何かにあたりたかったんだ。お前が、成功率ゼロのルイズって言われてたの、殆ど何も考えずに言っちまったんだ! 本当に、ごめん!」

 頭を下げる。そうだ。俺はただ、ルイズに八つ当たりしたんだ。ルイズに全部の責任を押し付けようとしたんだ。自分の責任まで、女の子一人に押し付けたんだ。
 かっこ悪い。自分でそう思いながら、ルイズに頭を下げ続けた。

「でも……、成功率ゼロは本当なのよ? メイジの癖に、魔法が使えない。皆、私の事笑ってる。平民の使用人だってそう。お父様やお母様にも期待されてないの」
「俺は馬鹿にしない!」

 俺は発作的にそう言った。頭を上げて、ルイズの眼を真っ直ぐに見た。

「何があっても、絶対に俺はルイズを馬鹿にしない。お前がゼロのルイズってのが嫌って言うなら、俺がその名前に誇りを持てる様にしてやる! 使い魔の力はメイジの力なんだろ? だったら、強くなってやるよ。その、ゼロのルイズの使い魔として」

 言ってから後悔した。恥し過ぎる。つい、見栄を張ってしまった。だって、女の子の前でかっこ悪い事言えないじゃないか。
 ルイズは何も言わない。反応が怖くて、視線を合わせられなかった。

「……じゃない」
「ん?」
「当たり前じゃない。あんたは……、私の使い魔なんだから」

 鼻を鳴らしてルイズはソッポを向いた。けど、少し機嫌が直ったみたいだ。
 俺はルイズにコルベールが食事が出来る様に手配してくれた事を言うと、一緒にアルヴィーズの食堂に向かった。
 俺達は大分遅かったみたいで、食堂にはあまり人気は無かった。

「お祈りも終わっちゃってるし、急がないと食べる前に授業が始まっちゃうわ」
「次の授業までどのくらいなんだ?」
「あそこに砂時計があるでしょ」

 食堂の隅に大きな砂時計があるのが見えた。

「あれが落ちきると授業の始まる時間よ」
「って、あのペースだと五分も無いぞ?」
「だから、急いで食べるのよ!」

 ルイズが手近な席に座り、俺も隣に座った。ルイズが近くに居たメイドさんに声を掛けると、メイドさんは大急ぎでどこかへ行ってしまった。多分、俺達の食事を取りに行ったんだろう。
 黒い髪で可愛い女の子だった。
 食事が運ばれて来ると、既に残り時間は三分を切っていた。教室までどのくらい掛かるか分からないけど、早く食べないとまずいだろう。
 俺もルイズも大急ぎで食べ物を口の中に入れた。どれも涙が出そうになる程美味い。

「う、美味すぎる!」
「由緒正しい名門魔法学校のトリステイン魔法学院の食堂なのよ? 当然よ」

 ルイズが誇らしげに言った。確かに、これは誇れる美味さだ。

「あの、ミス・ヴァリエールの使い魔であらせられる、サイト・ヒラガ様でございますか?」

 すると、さっき食事を運んで来てくれた女の子が俺の名前を呼んだ。俺とルイズが振り向くと、女の子は恐縮した様に口を開いた。

「あの、私はシエスタと申します。ミスタ・コルベールより、お仕事の指南をする様に申し付けられたのですが……」

 上目遣いでおどおどした視線を向けてきながら、シエスタは言った。

「あ! コルベール先生が言ってた人か!」
「どういう事?」

 怪訝な顔をしているルイズに、俺はコルベール先生が使い魔としての仕事の指南をする人を見つけてくれた事を言った。

「ああ、なるほど。って、時間やば! あんたはちゃんと仕事を習いなさいね! 私は授業に行って来るわ!」

 ルイズは慌てて駆け出した。

「慌て過ぎて転ぶなよ!」
「分かってるわよ!」

 ルイズが去って行くのを見届けると、改めてシエスタに向かい合った。

「えっと、俺はサイト・ヒラガです。その、よろしくお願いします」
「あ、はい! よろしくお願いします、サイトさん」

 黒い髪に黒い眼の日本人みたいな感じで何となく親近感が湧いた。
 俺はとりあえず残りの昼飯をルイズの残したのも一緒に食べ切った。こんなに美味い料理を残すのはいかんと思う。
 俺が食べ終わると、シエスタが皿を運ぼうとするので、自分でやると言った。

「さすがに、これから指導して貰うんだからさ」

 俺が言うと、シエスタはキョトンとした顔をして、すぐに笑みを浮かべた。

「これは私の仕事ですので」
「あ、でも!」
「先生の言う事はちゃんと聞いてくださいね?」
「うっ……」

 ルイズといい、シエスタといい、この星の女の子はずるい。可愛過ぎる。多少の事はその可愛さで無条件に許してしまいたくなる。
 ちょっといいかっこしたくて皿を持っていこうとしたんだけど、こう言われてしまったら仕方ない。
 俺はシエスタが戻って来るまでガランとした食堂を見渡していた。

「何か、夜中とか動きだしそうだな」
「動きますよ?」
「ほあっ!?」

 なんとも為しに、食堂の周りに並べられた精巧な作りの彫像を見ながら呟くと、いつの間にか近づいてきていたシエスタが言った。

「お、脅かさないでよ……。ってか、あれって動くの?」
「ええ、魔法によって動く様になってます。っていうか、躍ります」
「へ、へぇぇ」

 俺は改めてファンタジーな星だなと思った。

「それじゃあ、お仕事の指導を始めましょうか」
「あ、ああ。よろしく頼むよ」

 いつの間にか、俺達の間にあった緊張は解れていた。
 シエスタが教えてくれたのは、食事の時はまず、主の椅子を引く事。朝は主よりも必ず先に起きて、洗顔の為のお湯を持って来て起す事などの基本だった。

「それでは、洗濯や掃除の仕方をお教えしますね。付いて来て下さい」

 シエスタに案内されて、俺は水場にやって来た。他にもメイドさんが居て、皆で洗濯していた。
 メイドさんの一人が、シエスタと俺に気が付いた。

「あれ? シエスタ、その人は? 新入りさん?」
「違いますよ。サイトさんです。サイト・ヒラガさん。ほら、ミス・ヴァリエールの使い魔の方ですよ。洗濯の仕方を教える様にミスタ・コルベールに言われて」

 俺はシエスタに教わりながら、ルイズの洗濯物を洗った。元々はルイズの洗濯物もメイドさんが洗う事になっている筈なんだが、俺がやる事になるらしい。メイドさんに洗って貰った方が綺麗になるんじゃないかとも思ったけど、下着まで洗わせてもらえるなんて役得は手放したくない。
 何となく、“根気”と“寛容さ”が鍛えられた気がする。
 それから、二人でルイズの部屋に向かった。ルイズの部屋は掃除する必要があるのか? という程に整理整頓されていて、床を磨く程度しかする事が無かった。
 それでも、部屋の掃除が終わった頃には、空は茜色に染まっていた。

「あ、もう夕方になっちゃったか」
「お夕食の時間ですね。多分、ミス・ヴァリエールもアルヴィーズの食堂に居ると思いますから、行きましょうか」
「そうだな。今日は本当にありがとうな、シエスタ」
「いいえ。何かあったら、何でも仰ってください」

 俺達がアルヴィーズの食堂に着くと、中は満員になっていた。シエスタと別れて、ルイズを探すと、後ろから突然声を掛けられた。

「突っ立っていたら邪魔になるわよ?」
「あ、ルイズ」
「あ、ルイズ……じゃないわよ。ちゃんと、仕事は教えてもらった?」
「ああ、バッチリだ! 早速仕事をしてやるぜ」

 俺はシエスタから習った、椅子を引くという仕事をした。それにルイズは呆れた顔をした。

「それは仕事っていうより……。まぁ、いいわ。あんたもさっさと座りなさい」
「おう! んで、ルイズは何の授業だったんだ?」

 椅子に座りながら聞いてみた。

「魔法薬と世界史の授業よ」
「へぇ、魔法薬の授業は見たかったな……」
「……あんまり面白い授業じゃないわよ?」
「でも、使い魔の仕事に素材探しってのがあんだろ? 勉強になるじゃん」

 俺は何となく色取り取りの煙や奇怪な薬品、不気味な生き物のホルマリン漬けを想像しながら、好奇心が沸き立つ思いをギリギリで抑えながら言った。

「あ、明日もあるから見に来れば?」

 ルイズは目を丸くすると、顔を逸らして言った。

「いいのか?」
「使い魔を同伴するくらい問題無いわ」

 食事をしながらルイズと話をして過ごした。
 夕食はかなり豪勢で、食べきれるかどうか不安になるくらいだった。
 お腹が膨れてきた頃、いきなり金髪のふとっちょがヒステリックな声で怒鳴って来た。

「どうして、平民をこのアルヴィーズの食堂に入れているんだ! ゼロのルイズ!」
「マリコルヌ……」

 マリコルヌの怒声に、周りに居た生徒達が一斉に顔を向けて来た。

「そこは僕の席だぞ! 平民を座らせるなんて、何を考えているんだ!」

 高圧的な物言いに、サイトは苛立ちを覚えた。

「なあ、席って決まってるのか?」

 憮然としながらルイズに尋ねると、ルイズは首を振った。

「別に決まって無いわ。まあ、いつも座ってる場所に平民が居たら、貴族なら不満でしょうね」
「なるほど」

 どうするべきだろう。意地でもここに残るか、それとも、お腹もいっぱいになったし素直に退くか……。
 俺はさっさと退く事にした。正直、洗濯や掃除をしたから疲れが溜まっていたのだ。

「はいよ。退いてやるからさっさと座れよ」

 俺がすんなり退くと、何故かマリコルヌは不機嫌な顔を更に強めた。

「なんだ、その態度は?」
「はい?」
「平民が舐めた口を効いてくれるじゃないか」

 何故か、マリコルヌを怒らせてしまったらしい。顔を真っ赤にして、まるでトマトの様だ。

「ゼロのルイズ! お前は使い魔の躾すら出来ないのか! 本当にどうしようもないな! さすがは何をやっても失敗する希望ゼロのルイズだ!」
「な、なんだよソレ!」

 訳が分からない。なんで、いきなりルイズに振るんだ? 

「おや? ルイズ。ゼロのルイズ! 君は落ちるところまで落ちたみたいだね。平民なんかに庇われるなんてさ」
「はぁ? 意味わかんないんだけど」

 マリコルヌがルイズに嘲る様に言った。いきなり自分に振られてルイズは怪訝な顔をしている。俺も意味が分からない。話の流れがおかしい気がする。

「お前……」

 大丈夫か? と聞こうとしたが、マリコルヌが先に口を開いた。

「そもそも、この由緒正しいアルヴィーズの食堂に平民を連れ込むなんて、君には貴族の誇りがないんじゃないか?」
「なんですって?」

 マリコルヌの挑発に、ルイズはギロリとマリコルヌを睨みつけた。

「睨んだって怖くないよ。魔法も碌に使えない落ち零れの癖に、使い魔の躾すら出来ないなんて、君ってここに居る意味あるのかい? ここはトリステイン魔法学院だよ? ま・ほ・う・が・く・い・ん・だよ? 分かるかい?」
「な、な、な……」

 ルイズはわなわなと震えている。怒りの余り、声も出ないらしい。

「お、お前の席に座っちまったのは謝るよ! けどさ、ルイズの事悪く言う理由にはならないだろ!?」

 俺は我慢できなくなって叫んだ。幾ら何でも言い過ぎだ。ここまで酷い虐めは見た事無い。
 完全に俺の事は虐めのダシ扱いになってる。

「ああほら、また庇われた。躾は出来ないみたいだけど、手懐ける事は出来たみたいだね? ひょっとしてさ――」

 マリコルヌの顔が愉悦の笑みに歪んだ。何を言い出すつもりなのか分からないけど、これ以上我慢出来る自信は無い。
 俺の握り締めた拳が震えた。

「――使い魔を誑し込んだのかい? 顔だけは上物だもんな。まったく、何て――」

 そこまでだった。俺は力の限りマリコルヌを殴っていた。自分でも気持ちの良いストレートがマリコルヌの頬に命中した。
 マリコルヌの体は面白いくらい飛んで床に倒れた。
 周りで見ていた生徒達は唖然としながら俺とマリコルヌを見た。

「何なんだよ……」
「サ、サイト……?」

 ルイズが毒気を抜かれた様な表情で俺を見てくる。

「お前の席座ったのは俺だろ! なのに、関係無いルイズにヒデェ事言いやがって! 男だったら拳で来いよ!」
「ちょ、あんた何言ってんのよ!」

 ルイズが俺を止めようとするけど、我慢出来なかった。
 美味い飯食べて、ルイズとも上手くやっていけるかなって思ってたのに、いきなり茶々入れてきやがって。
 その上、女の子に言っていい事と悪い事があるだろ!
 俺はもう一度殴ってやろうと拳を握り締めた。

「デル・ウェンデ!」

 マリコルヌの叫びが聞こえた瞬間、俺の体は吹飛ばされていた。
 胸に激痛を感じて、見ると、パーカーの胸の辺りが斜めに切れていた。
 薄皮も少し切れたらしく、薄っすらと血が滲んでいた。
 これが魔法か……。胸の痛みを我慢しながら立ち上がった。少し離れた場所で、マリコルヌが憤怒の表情で俺を見ている。
 いいぜ、来いよ! 俺が拳を握り締めて走り出そうとした。その時だった――。

「止めたまえ」

 突然、俺とマリコルヌの前に緑色の金属で出来た甲冑姿の女の子の人形が立ちはだかった。

「君達、ここをどこだと思ってるんだい? アルヴィーズの食堂だ。食堂って分かるかい? 食事をする場所だ!」

 俺の前に居るのとマリコルヌの前に居る金属人形の間に、赤いバラを持った胸を大きく開けている金髪の少年が居た。
 青銅のギーシュ・ド・グラモンとか、シュヴルーズに呼ばれてた奴だ。

「マリコルヌ、君の憤りも分かる。僕だって、平民の、それも男に自分の席を取られたら怒るだろう。けど、ルイズに対しての暴言は酷過ぎるよ」
「ギーシュ! 先に手を出したのはあの平民だ!」
「分かってるよ。けど、ここで暴れられたら迷惑だ。言っただろう? ここは食堂だ。食事に埃が入ってしまうじゃないか! どうしてもやりたいって言うなら外でやりたまえ!」

 ギーシュの言葉は正論だ。証拠に、周り中から俺とマリコルヌに非難の眼差しが向けられている。
 食事中に暴れた俺達が非常識なんだ。けど、俺の怒りは収まってない。

「おい、平民! 外で続きだ。ヴェストリの広場に来い!」
「おう、行ってやろうじゃねぇか!」
「待ちなさい!」

 俺も鼻を鳴らしてマリコルヌに付いて行こうとしたら、ルイズに止められた。

「何だよ? 俺は今からあいつをボコりに行くんだ!」
「あんた学習能力無いわけ? エア・カッターで胸を切り裂かれても未だ分からないの? 平民じゃ、貴族には勝てないの。下手したら殺されるかもしれない。言っとくけど、今のあんたの立場じゃ、殺されたってあんたが悪いって事で処理される事になるのよ?」
「知るか! 俺はあいつをぶん殴るんだ! だいたい、お前悔しくないのかよ! あんなデブに好き勝手言わせて」

 俺が言うと、ルイズは唇を噛んだ。

「悔しいわよ。けど、それであんた行かせて、ムザムザ殺させるわけにはいかないでしょ! 私はあんたの主人なんだから!」

 俺は思わず目を丸くした。正直言って、意外だった。ルイズは俺を心配してくれたらしい。
 だから、マリコルヌにあれだけ言われても必死に耐えて俺を止めてるんだ。
 俺は思わず嬉しくなった。単純だって思われるかもしれないけど、短い人生経験の中でも飛び抜けた美少女が、自分の屈辱に耐えて俺を心配してくれたんだ。
 余計にあの馬鹿殴らないと気が済まなくなった。

「やっぱ行く」
「なんでよ! 御主人様の命令を聞きなさい!」
「何言ってんだ。これって、使い魔の仕事だろ?」
「あんたこそ、何言ってんのよ! 使い魔の仕事は主を護る事! 貴族に喧嘩売る事じゃないの!」
「だったら間違ってないね」
「はぁ?」

 ルイズは俺の事を馬鹿を見る様な眼で見てくる。けど、そんなの関係無い。

「俺はご主人様の誇りを護りに行くんだ。言ったろ? お前がゼロのルイズを誇りに思えるようにするって。だったら、あんなデブに言わせたままになんかしてらんねぇよ」
「中々言うじゃないか」

 俺達の話を聞いていたらしいギーシュが愉快そうに笑った。

「ああ、僕から見たら、君は馬鹿だよ。敵わない相手に挑むのは勇敢ではなく無謀だ」
「知るかよ! あの野郎はぶん殴る! そんだけだ」
「暑苦しいね」

 俺はギーシュをジトッと睨んだ。

「喧嘩売ってんのか?」

 俺が言うと、ギーシュはキザな動作で首を振った。

「違うよ。ただ、君のそのルイズへの忠誠心……と言うか、女の子の為に怒る姿は好意に値すると思ってね。行くんだろう? ヴェストリの広場に」
「当たり前だ!」
「だったら、付いて来るといい。僕が案内するよ。僕も食べ終えた所だしね」
「な!? ちょ、ギーシュ!」

 ギーシュが俺を連れて行こうとすると、ルイズが慌てて止めようとした。
 だが、ギーシュはさっさと歩いていってしまい、俺も遅れない様にギーシュを追った。

「悪いな」

 ルイズに片手を上げて言うと、俺はギーシュに連れられてヴェストリの広場へとやって来た。
 金髪ふとっちょのマリコルヌは憎憎しげに俺を睨んでいる。顔は真っ赤で、憤怒のあまり歪んでいる。

「覚悟はいいな、平民!」
「テメエの方こそ、覚悟は出来てんだろうな?」
「覚悟? 要らないな。これは決闘じゃない、処刑だ!」

 合図も無しに、マリコルヌは風の刃を放って来た。俺は咄嗟に両手をクロスさせてガードした。少し後ろに滑ったが、鋭さはあまり無いらしい。今度はパーカーに少し切れ込みが入っただけだった。

「大した事無いじゃねぇか! メイジさんよぉ!」

 俺は拳を握り締めて駆け出した。あの程度なら、多少当っても大丈夫だ。

「あまり、メイジを嘗めるものじゃないよ? 使い魔君」

 ギーシュの声が響いた。次の瞬間、俺の体は宙に浮いた。
 しまった。そう思った時には遅かった。俺の体は建物の三階くらいの高さまで上昇して手も足も出なかった。

「ひ、卑怯だぞ! こんなの! 正々堂々と勝負しろ!」

 俺が両腕を振り回しながら叫ぶと、マリコルヌが嘲る様に笑った。

「馬鹿か、お前? これは決闘じゃない。言っただろう? 無礼な平民の処刑だと」
「ちっくしょおおおお!」

 更に高度が上がっていく、このまま落下したら死んでしまう。
 突然、体の浮遊感が消失した。マリコルヌが魔法を解いたのだ。凄まじい勢いで落下していく俺をマリコルヌが笑ってみている。
 死ぬ。このまま落ち続けたら死んでしまう。俺は必死に助けを求めた。

「ああ、だから言っただろう? 貴族を嘗めるものじゃないって」

 地面に衝突する寸前、俺の体は浮いた。どうやら、ギーシュが助けてくれたらしい。
 ストンと俺の体は地面に降ろされた。

「あ、ありがとう。えっと、ギーシュだっけ?」
「いきなり呼び捨てとはね。まあ、いいさ。それより、これで君も貴族相手にこれ以上喧嘩を――」

 ギーシュが何かを言い切る前に、マリコルヌのヒステリックな怒鳴り声が遮った。

「何で邪魔した!」

 マリコルヌの怒声に、ギーシュは怪訝な顔をした。

「何でって、君、幾ら何でも理性を失い過ぎじゃないかい? 人殺しは平民相手でもさすがに不味いって」
「うるさい! 僕を愚弄した平民を庇うなんて、お前こそ正気か!?」

 ギーシュはおかしな者を見るめでマリコルヌを見た。

「何かおかしいな。マリコルヌ、君、何かあったのかい? さっきのルイズの事もそうだが、普段の君ならあそこまで言ったりしないだろ!」
「黙れ! 黙れ黙れ黙れ! 黙れえええええええええええ!!」

 突然、地面に皹が入った。俺とギーシュは顔を見合わせた。ギーシュも目を丸くしている。
 見ると、マリコルヌの周りを霧の様な白いモヤが包み始めた。

「な、なんだよコレ!? なあ、これって何が起きてるんだ!?」

 俺がギーシュの肩を掴んで聞くと、ギーシュも訳が分からないという顔で首を振った。

「僕にも分からない。地割れを起すなんて、マリコルヌには無理だ。っていうか、彼は風属性だし、土属性の僕にだって、こんな事は出来ないよ。それこそ、ラインか、いや、トライアングルクラスじゃないと!」

 その時だった。

「サイト!」

 遠くからルイズが走って来た。どうやら追い掛けて来たらしい。
 ルイズが息を切らして駆け寄って来ると、息を整えて言った。

「サ、サイト。貴族に、喧嘩なんか、売ったらただじゃ、済まないの! だから――」
「悪い、ルイズ! それ所じゃない!」

 俺はルイズを抱えて横に跳んだ。見れば、ギーシュも横に跳んでいた。
 マリコルヌの立っていた場所から俺達の立っていた場所に向かって、風の塊が通り過ぎていった。

「今のって、エア・ハンマー!? 嘘、あんな威力のマリコルヌが撃ったっていうの!?」

 ルイズが驚いてマリコルヌの立っていた場所を見た。すると、ルイズの顔が凍り付いた。

「何……アレ?」

 マリコルヌの立っていた場所には濃い霧が立ち込めていた。
 そして、霧の中にナニカが居るのが見えた。
 巨大なナニカ。霧が深くてよく見えないが、動いている。

「魔法の暴走……とも違うね。何だろう、アレは――――」

 ギーシュが霧の中に居るナニカを見ようと眼を細めながら言うが、霧の向こうから風の大砲が俺達目掛けて襲い掛かってきた。
 一撃一撃がシャレにならない威力だ。俺はルイズを抱き抱えるようにして走り回った。

「クソッ! 使い魔君! ここは、僕が引き受けるよ。君は、ルイズを連れて先生を呼んできてくれたまえ!」

 ギーシュが赤いバラを振って、地面からさっきの緑色の金属の人形を七体作り出した。

「何言ってんだ! あれは何かヤバイ! 早く逃げろ!」
「サイト、降ろして!」
「な、ルイズ!?」

 ルイズがバタバタと暴れたせいで、俺はルイズを落としてしまった。
 ルイズは服に付いたドロを拭おうともせず、杖を霧の向こうのナニカに向けた。

「サイト、あんたは先生を呼んで来て」
「ルイズ! お前まで何言ってるんだ! ギーシュも! 殺されちまうぞ!」

 俺が言うと、ルイズとギーシュは変なモノを見る眼で俺を見てきた。何なんだよ、一体。

「あんた、私が死ぬわよって言ったのに、マリコルヌと戦おうとしたじゃない」
「君にだけは、死ぬから逃げろ……なんて、言われたくないね」
「そ、そんな事言ってる場合か!?」

 瞬間、俺達目掛けて、さっきよりも大きな風の塊が降り注いできた。
 ギーシュの人形が俺とギーシュとルイズを抱えて走った。

「あ、危ねぇ」

 地面に出来た巨大なクレーターに、俺は思わず息を呑んだ。

「使い魔君。前言撤回だ! あれの足止めは僕にも無理だ!」

 ギーシュが悲鳴に近い声を上げた。最初の風の塊なら、何とかギーシュの人形でも耐えられたのかもしれない。でも、今のは無理だろう。あんなものが当ったら、幾ら金属で出来てても木っ端微塵になってしまう。

『逃がさないぞ』

「――――声!?」

 霧の向こうから声が聞こえた。ギーシュとルイズも目を丸くして霧の向こう側を見ている。
 すると、徐々に霧が薄くなり始めた。霧の向こうのナニカの影が鮮明になっていく。
 そこに居たのは――、醜悪な豚に似た巨大な生き物だった。

「何、あれ……」
「豚……?」

 ルイズとギーシュが呆然と呟いた。全身は真っ黒で疣だらけで、赤いラインが様々な模様を体中に描いている。
 黒豚の全身の疣をよく見ると、それは人間の顔の様な形をしていた。
 あまりの気色悪さに鳥肌が立った。ルイズとギーシュも震えて声すら出なくなっている。
 このまま、何もしなければ死ぬ! そう思った瞬間、俺は何故か、“あの部屋”に居た。

『ようこそ、ベルベットルームへ』

 それが、運命の幕開けだった――――……。

第四話『ペルソナ』

『ようこそ、ベルベットルームへ』

 俺はハルケギニアに来る前に夢で見た、あの青い部屋に居た。目の前の小机の向こうのソファーには、小柄な老人が不気味な笑みを浮かべて俺の事を見ている。その更に後ろには寒気のする程に冷淡な印象を受ける美女が黙したまま立っている。
 確か、老人の名前はイゴール。美女の名前はアンだったか……。
 青い光に包まれた幻想的な空間に、俺はまるで夢を見ているかの様に現実感を持てなかった。

「フム、中々に鋭いですな。いかにも、ここは貴方の夢の中でございます」

 心の中で思った事を言い当てられ、俺はドキッとした。この老人は心が読めるのだろうか? 多分、読めるんだろうな。
 この老人に関しては何でもアリな気がする。

「再び、お目にかかりましたな」

 老人が俺をギョロッと飛び出した丸い目で俺を見た。どうやら、俺はまた、ベルベットルームに招かれたらしい。
 イゴールの後ろに立つアンが、俺を見つめながら口を開いた。

「ここは、何かの形で“契約”を果たされた方のみが訪れる部屋……。貴方は日常の中に突然生じた二つの道筋の一方を選択し、運命との絆を結んだ――」

 運命とは、ルイズの事だろうか? 契約を果たした者のみが訪れる部屋。契約というと、思い浮かぶのは使い魔契約の事だろう。
 俺の考えを読み取ったらしく、アンは小さく頷いた。

「まずは、これを貴方にお渡ししておきましょう」

 イゴールの手に、突如光が溢れ出した。光の中には美しい細工の青い光沢を持つ鍵が浮かんでいた。鍵は俺の手元まで浮かんで来て、無意識にその鍵を手に取った。
 光が消えて、俺は手に取った青い鍵をジーンズのポケットに仕舞い込んだ。
 それを見届けると、イゴールが口を開いた。

「それは、“契約者の鍵”にございます。今宵から貴方は、この“ベルベットルーム”のお客人だ。貴方は“力”を磨くべき運命にあり、必ずや、私共の手助けが必要となるでしょう。貴方が支払うべき代価は一つ……」

 代価。俺はその単語に不吉な気分がした。何を支払わされるのだろうか。
 お金だろうか? 悪魔は命を代価に魂を奪うって聞いた事がある。もしかすると……。
 俺が戦々恐々としていると、イゴールは愉快そうに指を立てた。

「“契約”に従い、ご自身の選択に相応の責任を持って頂く事です」

 たったそれだけ? 俺はあまりにも安い代価に、思わず拍子抜けしてしまった。
 自分の選択に責任を持つなんて、そんなの当たり前じゃないか……。
 いや、本当にそうだろうか? 俺は自分が心で思った事に疑問を抱いた。俺は自分の選択の責任を本当に持てるのか? 昼間、俺は自分の選択の結果をルイズの責任にして押し付けようとしてしまったではないか。
 イゴールの言葉を受け入れるべきか、受け入れないべきか。俺は――――、

「分かった」

 受け入れた。これは自分への言葉でもある。もう、二度と誰かに責任を押し付けたりしない様にと。

「結構」

 イゴールは愉快気な笑みを浮かべて言った。

「今まさに、貴方の運命は節目にあり、もしこのまま手を拱いていては、未来が閉ざされてしまうやもしれません」

 いつの間にか、イゴールの前にある小机の上には幾つ物仮面の描かれたカードが並べられていた。
 アンがソファーを回り込んでイゴールの前に歩いて来た。

「これは貴方の未来を示すタロットカード」

 イゴールはカードの上で軽く手を振った。すると、カードの一枚がフワリと宙に浮かんだ。

「……おやおや、どうやらおもしろいカードをお持ちのようだ」

 浮かんだカードは、アンの差し出した掌の上に浮かび、僅かな青白い光を放っていた。

「願わくば……、貴方が膝を折ること無く、前に進めるよう、祈っております」

 アンの掌から滑るようにカードが俺の手元にやって来た。カードは俺の手の中に納まると、一際強い光を放ち、俺は思わず目を閉じた――。
 目を開いた時、俺はヴェストリの広場に戻っていた。目の前には建物の二階程もある巨大な黒い豚。直ぐ近くにはルイズとギーシュ。手の中には、一枚のカード。
 俺は手の中のカードに視線を落とした。仮面の描かれたカードを裏返しにする。
 そこには、深遠の闇が広がり、俺の脳裏に声が響いた――――。

『我は汝、汝は我』

 心臓が高鳴る。全身の肌が粟立つのを感じる。

『双眸見開きて……汝、今こそ解き放て……』

 手の中のカードに描かれた闇に、俺自身の顔が映り込んでいる。瞳孔が開き、唇の端を吊り上げて、俺の顔は笑みを浮かべていた。
 俺は無意識に呟いていた。

「…………ペ……ル………ソ…………ナ」

 カードから凄まじい光が迸り、太陽が沈み、月明りと僅かな校舎の光源のみが照らすヴェストリの広場が、まるで昼間の如く明るくなった。
 ルイズとギーシュが呆気に取られて俺を見ていたが、俺はその事に気付かなかった。
 ただ、この手に宿る力を握り潰していた――――。

「ウオオオオオオオオオオオ――――――――――ッ!!」

 俺の手の中で光が爆発した。凄まじい力を持つナニカが、俺の内側から外に飛び出した。

「ハアアアアアアアアアアア――――――――――ッ!!」

 俺は体から現れたナニカを見た。空中に浮かび、君臨していたのは豪奢な鎧を身に纏う戦士。神聖な輝きを放つ一振りの剣を掲げ、戦士は吠える。

『我は汝、汝は我……。我は汝の心の海より出でし者……、勇猛果敢なる戦士ローラン也!』

 それが何なのか、ちっとも分からなかった。分かるのは、コイツを使えば、戦えるって事だった。
 何も考えずに俺は走った。凍り付いているルイズとギーシュを尻目に、拳をこれ以上無い程に強く握りしめた。
 頭上に浮かぶローランも俺の動きに合わせて拳を握る。同時に俺の左手が眩しく光る。
 黒い豚はその肌に浮かぶ無数の顔の形の疣から風を吐き出して自分の目の前に集中する。
 俺は背後のルイズとギーシュを護る様に立ちはだかった。ギーシュの金属人形すら木っ端微塵になりそうな風の塊を前にして、俺は絶対の自信があった。
 耐え切れる! 両腕をクロスさせ、俺はガードの体勢を取った。豚が巨大な空気の塊を打ち出す。

「避けろ、使い魔君!」
「サイト――――ッ!」

 後ろでギーシュとルイズの悲鳴が聞こえた。不思議だった。まだ、出会って間もなくて、話だって少ししかしてないのに、俺はルイズの叫びを聞いた瞬間に全身が燃える様に熱くなり、心が震え上がった。
 全身に力が漲り、俺は巨大な風の塊をローランで受け止めた。ローランのダメージがフィードバックして俺の全身に嬲る。全力で踏ん張るが、俺はルイズとギーシュの下へと跳ね飛ばされてしまった。
 本気で痛い。涙が出そうになって、視界にルイズの顔が入り込んだ。それだけで、俺は拳を杖に立ち上がる。

「女の子の、前で、かっこ……悪い真似、出来ないな!」
「サイト!?」

 俺は俺の服を掴もうとするルイズの手を振り払って、巨大な豚に向かって特攻した。
 だけど、豚の疣から次々に生まれる風の弾丸のせいで、ちっとも近づく事が出来ない。

「平民に護られている……? この僕が?」

 俺が再び跳ね飛ばされて、ルイズとギーシュの下へと転がると、ギーシュが憤怒の表情を浮かべていた。

「“命を惜しむな、名を惜しめ”だ!」

 ギーシュは赤いバラを振った。現れるのは五体の金属人形。

「僕のワルキューレで君をあの化け物の前まで連れて行く!」
「ギーシュ……」

 俺はギーシュを見た。教室では女の子とお喋りばっかしてて軽薄なイメージだった。だけど、マリコルヌに殺されそうになった時に助けてくれたり、俺は、こいつがかっこいいって思っちまった。

「嘗めないでよね。私……だって、貴族なのよ!」

 すると、ギーシュに触発された様に、ルイズまでもが立ち上がり、自分の杖を構えた。
 俺には理解出来ない呪文を唱えると、豚の足元が何の前触れも無く爆発した。

「やるじゃないか、ルイズ! 使い魔君、僕のワルキューレの背後に! 往け、僕の乙女達!」

 ギーシュに褒められても、ルイズはキョトンとした顔をしていた。多分、失敗したとは言え、自分の魔法が役に立った事に驚いているのだろう。
 豚は足元がいきなり爆発した衝撃で横向けに倒れている。俺はギーシュのワルキューレに隠れて豚の下へと走った。
 豚の疣から風の塊が放たれるが、倒れているせいか、それとも爆発のショックで気が動転しているのか分からないけど、集中したモノじゃない。
 風の固まりはギーシュの青銅のワルキューレを一撃で破壊する力は無かったが、向かって来る風の塊の数が多過ぎて、一体一体確実に減らされて行く。
 四体までが倒されて、最後の一体も目の前で粉砕した。

「十分だぜ!」

 もう、豚は目の前だ! 俺は拳を振り上げた。豚が風の塊を放とうとするけど、俺の拳の方が一瞬だけ早い。
 俺の拳の動きに合わせて、ローランの拳が豚の胴体にめり込んだ。吹き飛ぶ豚の怪物に、俺は追撃を加える。

「うおりゃあああああああああ!」

 俺の拳に連動したローランの拳で豚を地面に叩き付けた。

「これで……、どう……、だ」

 俺はそのまま倒れこんだ。全身が痛みのあまりに悲鳴を上げている。
 視界の中で豚の姿は消えていき、金髪の太っちょが地面に転がるのが見えた気がした。ルイズとギーシュが駆け寄って来るのが見えて、そのまま意識を手放した……。

ゼロのペルソナ使い 第四話『ペルソナ』

 昼間、サイト君と擦れ違った後、私は一直線に学院長室へと走った。本当は、生徒の手本となるべき教師である私がこの様な真似をしていいわけは無いのだが、事が事だけに一刻を急いだのだ。
 学院長室は、本塔の最上階にある。トリステイン魔法学院の学院長を務めるオールド・オスマンは、白い鬚と髪を揺らし、重厚な作りのセコイアのテーブルに肘をついていた。
 オールド・オスマンの顔に刻まれた皺が、彼のが過ごしてきた歴史を物語っている。百歳とも、三百歳とも言われている。本当は幾つなのかは私も知らなかった。
 私が入室すると、オールド・オスマンは怪訝な顔をして視線を向けた。

「どうしたのかね? 息を切らして君らしくも無い。教師は生徒の見本となるべく、常に優雅に堂々と――――」
「オールド・オスマン! ご報告したい事があり、参りました」

 悠長な事を言うオールド・オスマンに、私は思わず苛立たしげに言ってしまった。上司であり、偉大なるメイジ、オールド・オスマンに対し、この様な口の効き方をした事を私は直ぐに後悔した。
 だが、オールド・オスマンは私を叱責するでも無く、小さく頷くと、私を椅子に座るように勧めてきた。
 オールド・オスマンは引き出しを開けるとそこから水キセルを取り出した。

「さて、どうしたのかね? ミスタ・コル……ミス?」

 突然、オールド・オスマンの手にあったキセルが宙に浮かんだ。キセルが向かった先には、理知的な顔立ちが凛々しい、緑髪の眼鏡を掛けた女性が厳しい顔で立っていた。

「オールド・オスマン。貴方の健康を管理するのも、私の仕事なのですわ。私の前ではキセルは吸わせません!」

 キッパリとそう言い放つ彼女に、オールド・オスマンは困った顔をしながら咳払いをした。

「まったく、年寄りの楽しみをあんまり奪わないで欲しいのだがのう……、ミス・ロングビル」

 彼女は今年の春にこの学院で勤める事になったオールド・オスマンの秘書のミス・ロングビルだ。
 この話はどういう判断を取るにしろ、今は未だ、私とオールド・オスマン以外には聞かれたくない。

「すみませんが、ミス・ロングビルには席を外して頂いても構いませんか?」

 極めて丁寧に私は言った。秘書である彼女に席を外させるのは、彼女にとって屈辱的な事かもしれないからだ。
 頭を下げる私に、ミス・ロングビルは柔らかい笑みを称えた。

「構いませんわ。どちらにしろ、このキセルを処分しなければなりませんので」
「ミ、ミス!? それは勘弁してくれんかのう? 儂にとっては長年を連れ添った大事な相棒なのじゃよ。のう? モートソグニルや」

 オールド・オスマンは哀れみを誘う様な声でミス・ロングビルに言った。彼の肩に乗っているのは彼の使い魔で、鼠のモートソグニルだ。
 ミス・ロングビルはそんなオールド・オスマンに悪戯っぽく微笑んだ。

「冗談ですわ」

 ミス・ロングビルはオールド・オスマンの下まで歩み寄った。

「でも、あまり吸ってはいけませんよ? あまり、お体に良い物ではありませんから」
「うむ。すまんのう」

 ミス・ロングビルは一礼すると部屋を出て行った。
 私はオールド・オスマンに向き直る前に、立ち聞きなど無いかを調べた。
 オールド・オスマンは怪訝な顔をしたが、何も言わずに私の言葉を待った。

「申し訳ありません。万が一にも、聞き耳を立てられては拙い内容でして……」

 私は“始祖ブリミルの使い魔たち”という本のガンダールヴのルーンが描かれているページと、サイト君のルーンを模写した羊皮紙をオールド・オスマンに見せた。
 途端に、オールド・オスマンの表情は厳しいモノとなった。

「この事は誰かに言っておらんじゃろうな?」

 私はオールド・オスマンの凄まじいプレッシャーを受けながら辛うじて頷いた。

「誰にも話しておりません。まず、オールド・オスマンの判断を仰ぎたく思い」
「お主の判断は正解じゃ。よいか、この事は最重要機密扱いじゃ。儂とお主以外に洩らす事、まかりならん」

 私は厳粛に頷いた。事は、それだけ重大だという事なのだ。
 私は春の使い魔召喚の儀式の際に、ミス・ヴァリエールが平民の少年を召喚してしまった事、ミス・ヴァリエールが彼と契約した証明として現れたルーン文字が気になり調べた事を話した。

「そして、始祖ブリミルの使い魔……神の盾と呼ばれ、一人で千の軍勢を殲滅したとされる“ガンダールヴ”に行き着いた訳じゃな?」
「その通りです。恐らく、間違い無いかと」
「ミスタ・コルベール。改めて言うが、この件は口外無用じゃぞ? 仮に王宮に知られでもしたら、何をしだすか分からん」
「承知しております」

 オールド・オスマンは鬚を撫でながら深く考え込み始めた。
 私は自分の判断が正しかったと確信し、ホッと胸を撫で下ろした。
 その時だった。突然、学園長室の扉が慌しくノックされた。

「誰じゃ?」
「私です。オールド・オスマン」

 ミス・ロングビルだった。扉を開き、中に入って来た彼女は肩で息をしていた。
 ミス・ロングビルは息も絶え絶えに言った。

「ヴェストリの広場で、正体不明の怪物が暴れているのです!」
「なんじゃと!?」

 オールド・オスマンは即座に杖を振るった。遠見の呪文で、オールド・オスマンの目の前に鏡の様なモノが出現した。
 その向こうに、巨大で醜悪な黒い豚の様な化け物が暴れているのが見えた。
 その近くには、ミス・ヴァリエールとミスタ・グラモン、そして、ミス・ヴァリエールの使い魔となったサイト君が居た。私は即座に現地に向かおうと、学院長室の窓へ駆け寄った。
 悠長に階段を降りてる暇などない。フライの呪文を詠唱しながら窓を開け放つと、オールド・オスマンが突然待ったを掛けた。

「何故です、オールド・オスマン!?」

 私が血相を変えて怒鳴る様に叫ぶと、オールド・オスマンが目を目開きながら遠見の鏡を見るように私に促した。
 見れば、ミス・ロングビルも目を丸くして凍りついている。
 私は一刻も早く向かわねばと思いながらも、足が勝手に鏡の下へと動いた。そして、私はとんでもないモノを見た。
 サイト君の頭上に鎧の巨人が現れ、サイト君の動きに合わせて、怪物と戦っていたのだ。

「アレは何ですか!?」

 ミス・ロングビルが叫んだ。私にも分からない。今朝、サイト君が起きる前に、私は彼に秘密でディテクトマジックを使った。
 結果、彼がただの一般人であると判断した。だからこそ、アレの説明が出来ない。理解不能だった。

『事は更に重大かもしれぬ』

 不意に、耳元で囁く様なオールド・オスマンの声が響いた。驚いてオールド・オスマンを見ると、彼はミス・ロングビルを一瞥した。
 なるほど、彼女に聞かせない為の措置なのだろう。

『あの巨人は、恐らくは使い魔の少年……サイト・ヒラガであったな? 彼が喚び出し、使役している様に見える』

 私も同意見だ。だが、彼は間違いなく、ただの平民だった筈なのだ。私は小声で呪文を唱え、その事をオスマンの耳元へ送った。

『つまり、あの能力はガンダールヴとなった事に由来するのかもしれん』
『しかし、あらゆる武器を使いこなしたという話は聞きますが、あんな巨人を呼び出すなど……』
『“魔法を操る小人”』

 私にはオールド・オスマンの言葉の意味が理解出来なかった。何の話だ?

『古代の言語じゃよ。ガンダールヴの元々の意味は、“魔法を操る小人”というのじゃ』

 私の心を見透かした様に、オールド・オスマンは言った。なるほど、魔法を操る小人……。
 遠見の鏡の向こうで、戦いは終結した。ミスタ・グラモンとミス・ヴァリエールも協力し、あの巨大な怪物をたった三人で打ち破ってしまった。
 巨人を喚び出したサイト君は、まさしく小人の様であり、巨人を喚び出したのは、召喚魔法の一つなのではないだろうか? つまり、正しく“魔法を操る小人”という意味を彼は体現したのだ。

『真実は分からぬが、あの力については考えねばならぬ。しかし、彼はあの力をコントロールしていた様に見える』

「ミス・ロングビル。ヴェストリの広場に行ってくれんかね? 後日、事情を聞く旨を伝え、彼等を保健室へ」
「か、かしこまりました……」

 オールド・オスマンがミス・ロングビルをヴェストリの広場に向かわせた。ミス・ロングビルが立ち去ると、オールド・オスマンは私に視線を合わせた。

「問題なのは、あの怪物の方じゃ。一体、何が起きたのか……。見てみよ、怪物が消え去った跡に、少年が転がっておる」
「あれは、ミスタ・グランドプレ!」

 何故、ミスタ・グランドプレがあそこに!? 私は訳が分からなくなった。

「何かが起きようとしているのかもしれぬ……。ガンダールヴの少年を召喚したのは、ミス・ヴァリエールじゃったな? 彼女は今迄魔法を成功した事の無い無能なメイジじゃと、報告を受けておる」
「恐らくは、彼女が失われた系統……、虚無の使い手だからでしょう。だから、彼女には他の系統の魔法が使えなかったのではないかと」
「失われた筈の魔法の復活。そして、虚無の使い魔の出現。ミスタ・グランドプレが怪物の中から現れた事……。何かが、起き始めているのやも知れぬ。本来ならば、王宮に報告すべき事なのじゃろうが、真実の分からぬ内に愚か者の手に虚無の使い手と虚無の使い魔を渡して戦争の駒にさせる訳にはいかん。よいな? もう一度言うとくぞ。この件は誰にも言ってはならぬ。時が来たならば、儂が話す。それまでは、よいな?」
「心得ております、オールド・オスマン」

 私は深く頭を垂れた。この件は、無闇に口にしていい内容では無いのだ。それは、私にもよく分かっている。
 |虚無《ゼロ》のルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。何とも皮肉な事だと思った。彼女は、その名前を馬鹿にされ続けて来た。だが、その名前こそ、この世で並ぶ者の無い最強のメイジの称号だったのだから――――……。

第五話『コミュニティ』

 瞼を開くと、俺は青い光の部屋の中で横たわっていた。起き上がると、案の定、目の前には何も乗っていない高級そうな小机があり、その向こうの柔らかそうなソファーに鼻の大きな老人が座っている。
 このベルベットルームの住民であるイゴールだ。後ろにはアンがまるで仮面を被っているかの様に無表情で立っている。

「ようこそ、ベルベットルームへ。貴方は、“力”に覚醒したショックで、意識を失われたのです」

 俺がどうしてここに居るんだろうかと考えていると、イゴールは心を見透かした様に言った。
 力を覚醒したショックで意識を失った……? 俺は記憶を遡った。
 シエスタに仕事を教えてもらって、食堂でルイズと合流を果たし、一緒に食事をしていると、マリコルヌという金髪のふとっちょに絡まれて、喧嘩になった。
 ヴェストリの広場という二つの塔に囲まれた広場にギーシュという、金髪のキザな少年に案内されて、そこで……。
 思い出した。巨大な怪物が現れたのだ。俺は死を予感した。その時、俺はここ……、ベルベットルームに招かれたのだ。そして、“力”を手に入れた。
 あの力は何だったんだろう……。

「……しかし、ご心配には及びません。少し、休まれれば、直に目を覚ますでしょう。……ところで」

 イゴールはギョロッとした丸い目で俺を見つめた。体の内側を見透かされている風な、不気味な眼差しだった。
 イゴールは興味深そうに笑みを浮かべた。

「ほう……、覚醒した“力”は“ローラン”ですか。なるほど、興味深い」

 ローラン。聞いた事がある。確か、フランスの伝説的英雄の名前だ。
 突然、頭上に現れた鎧の巨人。あの時、脳裏に響いた声を思い出した。

『我は汝、汝は我……。我は汝の心の海より出でし者……、勇猛果敢なる戦士ローラン也!』

 一体、アレは何だったんだろう。

「貴方が手に入れられたそれは、“ペルソナ”という力……。それは、貴方が貴方の外側の事物と向き合った時、表に現れ出るもう一人の貴方自身なのです」

 ペルソナ……、それが、あの“力”の名前らしい。俺が俺の外側の事物と向き合った時に表に現れるもう一人の自分……、全く意味が分からない。
 ペルソナとは、一体何なのだろう。

「その力を直ぐに理解するのは難しいかもしれませんな。ペルソナとは、様々な困難に立ち向かって行く為の、“覚悟の鎧”……とでも申しましょうか」

 “覚悟の鎧”……、俺がこの先、困難に立ち向かう為の力。
 イゴールの言うとおり、直ぐに理解するのは、今の俺には出来そうに無い。

「しかも――――、貴方の為さった契約は、貴方に特別な力を与えるものだったようだ」

 特別な力……? ペルソナ能力の事を言っているのではない気がした。

「貴方自身の可能性に加えて、貴方のなさった契約はもう一つの“可能性”を貴方に与えたらしい……。“ペルソナ能力”とは、“心”を御する力……。“心”とは、”絆”によって満ちるものです。他者と関り、絆を育み、貴方だけの“コミュニティ”を築かれるが宜しい。“コミュニティ”の力こそが、“ペルソナ能力”を伸ばしていゆくのです」

 コミュニティ……? ネットのコミュニティみたいな感じだろうか。難しい事は分からない。
 ペルソナ能力を使うには、心を御する力が必要。心を御するには、絆を育む事が必要。その為に、コミュニティを築かないといけないらしい。
 コミュニティの力で、俺のペルソナ能力が強くなるって事なんだろうか? 俺がそう考えていると、アンが首を振った。

「“コミュニティ”は、単にペルソナを強くする為のモノではありません。ひいてはそれが、貴方様の行く末に真実の光を齎し、輝かしい道標ともなってゆくでしょう」

 やっぱり、俺には分からない。

「貴方に覚醒した力は、何処へ……向かう事になるのでしょうか……。ご一緒に、旅をして参りましょう」

 何処に向かうのか……、分かる日は来るんだろうか。
 だんだん、視界が揺らぎ始めた。

「さて……、貴方のいらっしゃる現実では、多少の時間が流れた様です。これ以上のお引止めは出来ますまい。今度お目にかかる時には、貴方は自らの意思で、ここを訪れるでしょう。では、再び見えます時まで……ごきげんよう」

 俺は闇の中に落ちるかの様に、ベルベットルームから遠ざかった――。

ゼロのペルソナ使い 第五話『コミュニティ』

 徐々に意識がハッキリしてくる。ゆっくりと瞼を開くと、突き刺す様な陽光に目が眩んだ。
 かなりの時間、俺は眠っていたらしい。全身に気だるさを感じて、起き上がる事が出来なかった。
 また、ここか……。この星に来て、目を覚ますと必ずここの天井が最初に視界に入る。俺が寝かされているのはトリステイン魔法学院の保健室のベッドだった。
 隣から耳障りな鼾声が聞こえる。首だけを向けると、金髪で恰幅のいい少年が隣のベッドで眠っていた。マリコルヌという少年だ。
 一発、殴ってやりたいという衝動に駆られたが、俺の体は殆ど言う事を聞いてくれない。
 喉がヒリヒリと痛む。水が欲しいな、そう考えていると、遠くの扉が開いた。入って来たのはタオルの入ったボウルを抱えた黒目黒髪のメイド服を着た少女だった。

「シ……ェ…………ス……タ?」

 喋ろうとすると、喉が酷く痛い。俺は掠れた声でシエスタの名前を呼んだ。
 シエスタは目を丸くして、慌てた様に駆け寄ってきた。

「サ、サイトさん。お目覚めになったのですね? 少し待っていて下さい」

 シエスタは俺のベッドから少し離れた場所にある大きめの机の上にボウルを置いて、そこに乗っている銀色の水差しからグラスに水を注いで持って来てくれた。
 俺はシエスタに手伝ってもらいながら何とか上半身だけを起して、シエスタからグラスを受け取ると喉を鳴らしながら一気に中身を飲み干した。足りない。
 俺はシエスタにグラスを向けた。シエスタも承知して直ぐに水を足してくれた。
 何度もお代わりをして、何とか一息吐くと、俺は何とか喋れる様になった。

「ありがとう、シエスタ」
「いいえ。それより、未だ安静になさって下さい。何せ、一週間も眠り続けていたのですから」
「一週間!?」

 俺は驚いて声も出せなかった。イゴールが多少の時間が過ぎたと言ってたけど、まさか、一週間も寝ていたなんて思わなかった。どおりで体に力が入らなかったわけだ。

「ご気分はいかがですか?」
「何だか、体が重いや」

 俺は肩を鳴らしながら言った。のびをすると、全身がパキパキと音を鳴らした。体を解すのが大変そうだ。

「あれ?」

 俺は自分の服が変わっている事に気が付いた。シャツとパーカーとジーンズを着ていた筈なのに、今俺が着ているのは白い着物みたいな服だ。

「シエスタ、この服って……」
「サイトさんの服は泥だらけになってしまっていたので洗濯しておきましたよ」

 シエスタは俺の寝ていたベッドの直ぐ脇にある机の引き出しから、俺の服を出してくれた。
 シエスタから受け取った俺の服は汚れ一つ付いて無かった。

「ありがとう、シエスタ」

 俺がお礼を言うと、シエスタはニッコリと微笑み返してくれた。俺はその笑顔に思わずドキッとしてしまった。
 改めて見てみると、シエスタはやっぱり可愛い女の子だった。ルイズとは違う種類の穏やかで優しい美少女だ。

「どこか痛みを感じる所はありませんか?」

 シエスタが心配そうに尋ねてきた。俺は少し体を動かしてみた。どこも痛い所は無い。
 それを伝えると、シエスタは安堵の笑みを浮かべた。

「良かったです……。ここに、ミス・ロングビルが運び込んだ時はそれはもう大変な怪我をしてらっしゃいましたから……」
「そんなに酷かったの?」

 俺は服の中を覗いてみた。怪我らしい怪我は無いし、怪我跡らしいものも見当たらない。

「サイトさんの怪我は、先生が治癒の呪文で治療をして下さったのです」

 治癒の呪文……、そんなものまであるなんて、やっぱり、この星では俺の常識は通用しないらしい。
 ゲームやアニメの治癒呪文なんかだと、あったかい光で傷が癒えるってイメージだけど、この星の呪文はどうなんだろう。ちょっと、見てみたかったな。

「シエスタはどうしてここに? もしかして、看病してくれてた?」

 俺はシエスタが少し離れた場所にある机の上に置いたタオルの入ったボウルを見ながら尋ねた。もしかして、体を拭いてくれようとしたのかもしれない。
 もしかして、着替えさせてくれたのもシエスタなのだろうか……。俺はちょっと恥しくなった。女の子に着替えさせてもらったり、体を拭いてもらうなんて経験は当然だが無い。

「大した事はしておりませんわ。それより、ミス・ヴァリエールが大変心配なさっておりました。直ぐにお呼びしてまいりますね? ついでに、お食事の方も運んで来ますから、もうしばらく、ゆっくりなさって下さい」

 シエスタはそう言うと出て行ってしまった。俺は着替える事にした。のろのろと着物みたいな服を脱ぐと、俺は見覚えの無い下着を着ていた。
 冷たい汗が流れる。もしかして、シエスタは俺の下着まで着替えさせてくれたのだろうか……。
 俺は顔を青褪めさせた。同い年くらいの女の子に体の隅々まで見られてしまったのだ。恥しくて死にそうになった。
 とりあえず、俺はジーンズを履いて、シャツとその上にパーカーを着た。机を支えにして、のろのろと立ち上がろうとするが、脚に力が入らなくて、直ぐに転んでしまった。何度もやって、漸く立っていられる様になった頃、シエスタが銀のトレイにお皿を載せて、ルイズを連れて戻って来た。

「ルイズ……、えっと、久しぶり……なのかな?」

 俺にとっては、ついさっき会ったばかりの様な感覚だが、ルイズにとっては一週間振りだろうから、俺はそう言った。
 片手を上げて挨拶をすると、ルイズは目を逸らしながら言った。

「……久しぶり」

 ルイズは俺の近くまで来ると、わざとらしい溜息を吐いた。

「随分だな。人の顔見て溜息吐くなんてさ」
「吐きたくもなるわよ。あんたには、色々と聞かなきゃいけない事がある。オールド・オスマンやミスタ・コルベールに色々質問攻めされたけど、殆ど、私も分かってないんだから」

 ルイズは俺の寝ているベッドの直ぐ近くに置いてあった椅子に座った。本当に、間近で見ると凄く可愛い。鳶色の瞳が俺の事を見ている。
 お互いに無言になる。何を話したらいいか分からなかった。

「で、あの巨人は何なの?」

 単刀直入に、ルイズが口を開いた。ルイズは鋭い眼差しを向けてくる。
 巨人というのは、間違い無く“ローラン”の事だろう。どう説明したらいいだろうか……。
 俺は隠し事をせずに正直に言う事にした。隠す必要性も無い気がしたからだ。

「ペルソナ能力って聞いた」
「ペルソナ能力……? あの力はそんな名前なの? でも、聞いたって?」
「俺だって、よく知らないんだ」
「知らない……?」

 ルイズは疑いの眼差しを向けてきた。当たり前だろうな。俺の力を俺自身が知らないなんて、そんな馬鹿な話は無いだろう。
 だけど、俺はまだ、ペルソナ能力について殆ど知らない。知っている事は、イゴールに聞いた事だけで、その内容もあまり理解出来ていない。

「ペルソナ能力を使ったのは、あの時が初めてだったんだよ」
「どういう事よ? あんな凄い力なのに、今迄使った事が無かったっていうの?」
「使った事が無かったって言うか……、ペルソナ能力を知った事自体、あの時だったんだよ」
「…………はぁ?」

 ルイズの目が据わり始めた。全然信じてないらしい。

「本当だよ。確か……契約、そう、契約だ。ルイズと使い魔の契約をした時に生まれたんだって、イゴールが言ってた気がする」
「使い魔の契約……コントラクト・サーヴァントで? そんな話、聞いた事無いけど……。でも、人間を使い魔にする事自体、前例が無いし……。その、イゴールっていうのは誰の事?」
「イゴールってのは……、時々、夢の中に出て来る爺さんなんだよ。鼻がでかくてさ、運命がどうのとかって言って、色々教えてくれるんだ」
「夢の中……? それ、本当? それって、夢魔やアルプみたいなモノかしら?」
「何だよ、その夢魔とかアルプって?」

 疑っているみたいだけど、いきなり切って捨てるって事はしないらしい。俺の話を信じてくれてるのだろうか……。
 妙な単語が飛び出してきた。俺が尋ねると、ルイズは言った。

「夢の中に入って、精気を奪うって言われてる妖精の一種よ。見た目も鼻の大きなドワーフみたいな姿をしてるって、聞いた事があるわ。でも、アルプの狙うのは女性の筈だし、知識を与える、なんて話は聞いた事が無いから違うわね」
「イゴールは確かに人外な感じがするし、この世であそこまで怪しい奴もそうそう居ないだろうなってくらい、怪しいけど、色々教えてくれたし、悪い奴って感じはしないな」

 俺が言うと、ルイズは顎に人差し指をつけながら唸った。考えを整理しているのだろう。

「えっと、整理すると、あんたの力の名前はペルソナ能力って言うのよね?」
「ああ、ちなみに、あのペルソナの名前は“ローラン”だ」
「ローラン……。何か、偉そうな名前ね。今、ここで出せるの?」

 どうなんだろう……。あの時は、俺は気が付いたら仮面の描かれたカードを握り潰していた。
 そう言えば、イゴールが言っていた言葉を思い出した。

『“ペルソナ能力”とは、“心”を御する力……』

 心を御する……、俺は心の中でペルソナが出て来る様に念じてみた。……何の変化も起きない。
 俺は目を瞑って、意識を集中してもう一度念じた。やっぱり、何も起きない。

「無理だ……」
「何で? あんたの力なんでしょ?」
「んな事言っても、心を御する力、なんて、言われてもな」
「心を御する……? あの時はどうやって出したのよ?」

 どうやってって、それは……、どうやったんだろう? 分からなかった。
 俺はあの時、自分が死ぬと思った。何もしなければ死ぬ。そう思ったら、ベルベットルームに居た。
 イゴールに促される様に、カードを手に取って、気が付いたらローランを出していた。

「少なくとも、今の俺には無理みたいだ……」
「そう……。あの怪物については聞いてない? その……、イゴールっていうのに」
「聞いてない。そう言えば、何で俺、聞かなかったんだろう……。ペルソナの事ばっかに意識がいっちゃって……」

 お互いに黙り込んだ。俺にも、ルイズにも、何も分かっていないんだ。

「分からないのは仕方ないわね……。多分、その内にオールド・オスマンに呼ばれると思うわ。学院にいきなりあんな怪物が現れたんだもん。少しでも情報が欲しいでしょうから」
「オールド・オスマン……?」
「ここ、トリステイン魔法学院の学院長先生よ。偉大なるオールド・オスマン」

 この学校の校長って事か……。俺は禿頭の話が無駄に長い老人を思い浮かべた。

「で、体の方はどうなわけ?」
「ん? 一応、痛い所はないぞ。けど、一週間も寝てたせいか、体が凄くだるい」
「あんたは私の使い魔なんだから、しっかりしてよね? 私は未だ授業があるから、夕方頃にまた来るわ。それまでに、動ける様になってなさいよ?」
「その事なんだけどさ……」
「…………?」

 俺はルイズに右手を差し出した。ルイズは俺のしたい事がよく分かっていないらしく、首を傾げた。
 これから長い付き合いになるんだから、ちゃんとやっておきたかったんだ。

「俺は才人。平賀才人。こっち風だと、サイト・ヒラガ。ゼロのルイズの使い魔だ」

 無理矢理ルイズの手を取って、俺は言った。それで、漸くルイズも俺の意図に気が付いたらしい。少し恥しそうにしながら、俺の手を握り返してきた。
 ルイズの手は小さくて、指も驚く程細い。ルイズは、俺に顔を向けると、胸を張りながら言った。

「ルイズよ。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。ヴァリエール公爵家の三女。二つ名は……“ゼロ”よ」

 最後だけ、ルイズは小さな声で言った。自分でゼロというのは嫌だったのだろう。
 これで、俺は本当に目の前の桃色の美少女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールの使い魔になったんだ。
 ルイズとの間に、ほのかな絆の芽生えを感じる。
 …………!? ……頭の中に、不思議な声が囁く――。

『我は汝……、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり……。絆は即ち、真実に至る一歩也。汝、“愚者”のペルソナを生み出せし時、我ら、更なる力の祝福を与えん……』

 俺はルイズとの絆に呼応する様に、”心”の力が高まるのを感じた。
 イゴールの言葉を思い出した――。

『“ペルソナ能力”とは、“心”を御する力……。“心”とは、”絆”によって満ちるものです。他者と関り、絆を育み、貴方だけの“コミュニティ”を築かれるが宜しい。“コミュニティ”の力こそが、“ペルソナ能力”を伸ばしていゆくのです』

 コミュニティっていうのは、多分、このルイズとの間に感じる絆の事なんだろうか……。

「それじゃあ、私は授業に行くわ。後でね」
「ああ、後でな」

 ルイズが保健室を出て行ってから、俺はこの部屋にもう一人居る事を思い出した。隣で寝ているマリコルヌの事じゃない、壁際に控えていたシエスタだ。

「あ、ごめんな、シエスタ。何か、無視したみたいになっちゃって」
「いいえ。ただ、スープが少し冷めてしまいましたから、ちょっと温めなおしてもらって来ますわ」
「いいよ。お腹ペコペコなんだ」

 俺は少し離れた場所にある机の上に置いてある銀のトレイを持ち上げ様とするシエスタに言った。
 脚に上手く力が入らないけど、ゆっくりとシエスタの所に向かう。

「あっ!」

 俺はカクンと脚が曲がってしまい、転びそうになった。
 手をつこうにも、腕にも力が入らず、咄嗟に動かせなかった。
 だけど、地面に倒れ込む前に、俺の体は真っ白で柔らかい感触に受け止められた。

「大丈夫ですか? サイトさん」

 シエスタだった。優しく抱き止められた俺は、思わず赤面してしまった。
 女の子の体の柔らかい感触と鼻腔を擽る女の子特有の甘い香り。
 俺は慌てて離れようとしたけど、体が言う事を聞いてくれなかった。

「ご、ごめん……。体に上手く力が入らなくて……」

 情け無い声を出す俺に、シエスタは優しく笑いかけてくれた。

「もう少しベッドでお休みになられて下さい。お食事をベッドまで運びますから」

 シエスタに支えられながら、俺はベッドに戻った。心臓がドキドキしている。
 シエスタが持って来たトレイの上に乗っているのは未だ温かそうなスープだった。

「ずっと眠っていらっしゃいましたから、体が吃驚しない様に、スープを持って来ました」
「ありがとう、いただきます!」

 俺はトレイに乗っていたスプーンでスープを一口飲んだ。おいしい! 俺はもう一口、口に運んだ。あまりの美味しさに、頬が落ちてしまいそうだった。
 俺は堪らずに直接、お皿に口を付けて、スープを一気に飲み干した。
 一息吐くと、シエスタがクスクスと笑っていた。

「余程お腹が空いてらっしゃったのですね。お代わりをお持ち致しましょうか?」
「頼むよ。凄く美味しかった」

 シエスタは楽しげに笑みを浮かべながら部屋を出て行った。戻って来ると、小さなお鍋も一緒に持って来た。

「お代わり、沢山ありますからね。マルトーさんが沢山下さったんです」
「マルトーさん?」

 聞き覚えの無い名前だった。俺が尋ねると、シエスタが教えてくれた。
 マルトーという男は、厨房のコック長を務めてるそうだ。
 貴族が使い魔の世話を疎かに事が多いらしく、憤って、時々、使い魔に餌を上げているらしい。

「サイトさんが人間なのに貴族の使い魔になって大変だろうって、小鍋に沢山注いでくれたんです」
「それって、何気に他の使い魔と同じ扱いって事?」

 俺が微妙な顔をすると、シエスタは苦笑した。

「ま、いいけどさ。こんなに美味い料理食べさせてもらってんだし」

 俺はシエスタと雑談を交わしながら鍋に入っていたスープを全て飲み干した。

「シエスタ、この後、時間ある?」
「申し訳在りません。学院側から、サイトさんが目を覚ますまでお世話をしろと言われているのですが、サイトさんがお目覚めになった以上、私もメイドの仕事に戻らないといけませんので……」

 申し訳なさそうに頭を下げるシエスタに俺は慌てて言った。

「い、いいよ。ごめん、ちょっとリハビリがてらにここを案内してもらおうと思っただけなんだ」
「本当に申し訳ありません」
「いいって。俺の方こそ、我侭言ってごめん」

 俺はシエスタに頭を下げながら、どうしようか悩んだ。
 夕方にならないと、ルイズは戻って来ないし、少し動かないと体はいつまで経っても解れない。
 そう言えば、コルベール先生の研究室に俺の荷物がある筈だ。

「シエスタ、コルベール先生って、今は研究室に居る?」

 俺が聞くと、シエスタは顎に手をやりながら少し思案して言った。

「どうでしょう……、ミスタ・コルベールは大抵研究室にいらっしゃいますが、授業があるかもしれませんし、図書室にいらっしゃる事も多いです。ご案内致しましょうか?」
「いいの?」
「ええ、図書室はここ、本塔の中にありますし、ミスタ・コルベールの研究室のある火の塔まで、そんなに離れていませんから」
「なら頼むよ」
「わかりました」

 シエスタは先にお鍋と皿を下にある厨房に持って行った。戻って来ると、移動の為の松葉杖を持って来てくれた。
 俺は松葉杖を突きながら、トリステイン魔法学院の図書室にやって来た。
 トリステイン魔法学院の図書室は、俺の想像していた図書室とは掛け離れた凄まじい場所だった。まず、本棚が途轍もなく巨大だ。どのくらいかと言うと、下手するとちょっとしたビルくらいありそうだ。
 高さだけでなく、空間自体が広く、コルベールを探すために歩き回るだけで、体が上手く動かない俺は汗びっしょりになってしまった。
 結局、コルベールは居なかった。仕方なく、俺はシエスタに火の塔にあるコルベールの研究室に案内してもらった。
 途中、マリコルヌや怪物と戦ったヴェストリの広場が目に入った。広場は何事も無かったかの様に破壊の痕跡が見つからなかった。魔法で修復されたんだろうか?
 コルベールの研究室の前に到着して、俺はコルベールの研究室をノックした――――……。

第六話『大人の憂鬱』

 オールド・オスマンは偉大な方。傍でお世話をしていると、それが良く分かる。
 出会いは酒場だった。何もかもを見通す様な眼差しが酷くイラつき、次のターゲットはこの爺さんにしてやろうと思った。
 貴族は嫌いだ。大事な少女の親を殺し、私の家の家名を取り潰した貴族が嫌いだ……。
 愛する少女の為にお金が必要だった。その為に色んな事をした。貴族だった頃は知らなかった事をいろいろと学んだ。男女の交わり、人の騙し方、人の殺し方、人を陥れた時の悦楽……。
 オールド・オスマンは怖い。私が何をしてきたか、そんな事、とうに知っている筈なのに、どうして、今も私を雇い続けているんだろう? 給金も仕送りして、普通に生活する分には不自由しない程だ。
 貴族だけど、オールド・オスマンの事は嫌いじゃない。取り入る為の演技だったのが、いつの間にか、本気で体を壊して欲しくないと思うようになった。
 キセルを取り上げたり、食事の制限をしたりして……、取り入る為なら、むしろ、彼の好きな様にさせて、機嫌を取るべきだろうに……。
 このまま、ここでオールド・オスマンの秘書を続けるのも悪くないかもしれない。いつしか、そう思うようになっていた。
 それを自覚した途端に、私は怖くなった。このまま、貴族への恨みを忘れてしまうのではないか、と。それに、ここに居れば、私は幸せに生きられるかもしれない。だけど、あの娘は違う。ずっと、人里離れた小さな村で一生を過ごさねばならないのだ。
 あの娘は村で孤児の子供達を育てている。だけど、その子供達だって、いつかはあの村を出て行く。
 一生、外に出る事を許されないあの娘と違って、子供達は自由に生きられる。
 そうなったら、子供達は外であの娘がどういう存在かを知り、あの娘を嫌うかもしれない。下手をすると、あの娘を迫害し、村を貴族に密告するかもしれない。
 私だけが幸せになるなんて事は許されない。それに、あの娘が危機に陥った時の為に牙を研ぎ続けなければいけない。どんな敵も退けられる鋭い牙をあの娘の為に持ち続けなければいけない。
 その為には、こんなぬるま湯の様な生活を送り続けるわけにはいかない……。
 一瞬、あの娘やあの村について、オールド・オスマンに相談してみようかと考えた。オールド・オスマンなら、あの娘を迫害しないでいてくれるかもしれない。
 淡い希望だと吐き捨てた。確かに、オールド・オスマンは他の貴族とは違う。平民と貴族の差別意識も薄い。
 実力に見合えば、例えば、食堂のコック長のマルトーなんかには、下級貴族が及びも付かない程の給金を出している。私みたいな素性も分からない人間にまで、職を与えて、多額の給金をくれる。
 だけど、あの娘の場合は平民と貴族の間にある溝なんて、まったく比じゃない程、大きな溝がある。
 私はこの学園を出る決心をした。二度と戻って来れない様に、この学院にあるという“破壊の杖”を盗み出すのだ。破壊の杖は、オールド・オスマンにとっても大切な秘宝らしく、学院長室で前に一度語り聞かせてもらった事がある。
 オールド・オスマンが若い頃……、そんな頃があったとは信じられないけど、ワイバーンに襲われた所を杖の持ち主が破壊の杖によって救ったのだという。
 命の恩人である男のたった一つの形見なのだと、彼は懐かしむ様に語った。そんな物を盗み出せば、彼はきっと私に失望するだろう。憎み、絶対に許してくれないだろう。
 それでいいのだ。徹底的に恨んで欲しい。そうすれば、私もここへの未練も持たなくて済む。

 夜、私は学院長室や図書室、食堂などがある本塔の五階にある宝物庫の外壁の上に垂直に立っていた。
 宝物庫の一つ上は学院長室だ。僅かな音も洩らさない様に、サイレントの呪文を唱える。
 背の高い木々が二つの巨大な月の光を遮って、私の姿を隠してくれている。
 足元に感じる感触に、私は思わず舌を打った。

「さすがは魔法学院本塔の壁ね……。“スクエアクラス”の“固定化”なんて、さすがに“錬金”出来ないか……」

 “固定化”の呪文は物質を酸化や腐敗なんかのあらゆる化学反応から保護する呪文で、呪文を唱えたメイジ以上の力量を持つメイジでなければ錬金する事も出来なくなる。
 恐らく、スクエアクラスのメイジが複数人掛りで掛けたのだろう。試しに四系統の初歩的な呪文をそれぞれ掛けてみたが、どれも弾かれてしまった。

「物理衝撃なら……、駄目だね……。これだけ壁が分厚いと……」

 私はトライアングルメイジだ。30メイルを越えるゴーレムを作る事も出来る。それでも、この壁を破壊出来るかどうかは分からない。
 正直、ここまで硬い守りだとは思っていなかった。だが、この程度の障害で諦めるわけにはいかない。オールド・オスマンは穢れ切った私を信頼してくれた。それを裏切るのだから、生半可な仕事などしたくない。
 私は対策を練る事にして、地上に降り立った。
 …………!!? …………どこからか視線を感じた。
 私は周囲に目を走らせた。……誰も居ない。上を見上げるが、何も見えない。気のせいだったのだろうか……。
 ハッと私は笑った。

「弱気になるなんて、本気で牙を研ぎ直さないといけないね……」

ゼロのペルソナ使い 第六話『大人の憂鬱』

 私の研究室は火の塔にある。窓の外からはヴェストリの広場で戯れる生徒達の声が聞こえ、ヴェストリの広場を挟んだ向こう側にある風の塔から爆発音が聞こた……。

「そう言えば、ミスタ・ギトーはミス・ヴァリエールを教えるのは初めてだったか……」

 私は今、サイト君の持ち物を広げたシートの前に立っていた。サイト君の持ち物はどれも素晴らしい。魔法を用いても、これほど見事な物を作る事は出来ないだろうと私は確信している。
 だからこそ、一つ一つに丹念に固定化の呪文を掛けていたのだ。固定化の呪文を掛ければ、物体が錆びたり、腐敗したりするのを防ぐ事が出来る。

「しかし、興味深いのはコレだな……」

 サイト君の私物は奇妙奇天烈な物ばかりだったが、中には理解出来る物もあった。
 例えば、薄く透明な袋に密閉された書物が一冊。完璧に密閉されている事から、何らかの封印なのではないかと考えられる。
 それに、中に何も記されて射ない奇妙な書物だ。だが、私は中に何も記されていない事よりも、その材質に目を輝かせた。羊皮紙などとは全然違う肌触りだ。
 そして、私が最も興味を持った物……それが、コレだ。馬を模したかの様な形状。銀色の鉄でも銅でも鉛でも無い、不思議な材質の物体。金属製の骨組みにゴムを巻くという斬新なアイディアの車輪が前後に二つ付いている。
 何よりも驚かせたのは、これまた材質不明の不思議なハンドルの様な部位を回してみた時の事だ。なんと、車輪が回転したではないか!
 見た目から、この物体の前後と上下にあたりを付けると、私の脳裏に稲妻が走った!
 恐らくは馬の頭部を模したであろう部位を動かすと、その下にある車輪が連動して曲がる。馬の鞍にあたる部位には見た事も触った事も無い不思議な材質の椅子の様な物がある。
 その椅子の部分に座ると、丁度良く、あのハンドルが脚で回す事が出来る位置にある。そうなのだ、これは脚でハンドルを回し、連動して回転する車輪によって移動する乗り物なのだ!
 私は乗ってみたいという欲求に駆られた。もし、私の推測が正しければ、この物体はこの星の文明に革新的な一歩を歩ませる事が出来る。
 乗りたい……、そして、私の推測が正しい事を証明したい。だが、これはサイト君の私物だ。勝手に乗るわけにもいかない。
 私が葛藤に苦しんでいると、丁度その時、私の研究室をノックする音が聞こえた。

「コルベール先生、居ますか?」

 私は始祖ブリミルに感謝した。なんと言う素晴らしいタイミングだろう。私は彼を招き入れようと扉を開いた。
 扉の外にはサイト君の他にもう一人、メイドのシエスタという少女が居た。マルトーの親父とたまに飲むのだが、その時に知った少女だ。サイト君に仕事を教えるよう頼んだり、サイト君の看病をする様に頼んだりと色々と世話になっている。

「やあ、目が覚めたのだね、サイト君」

 私は一刻も早くあの物体に乗せてくれるよう頼みたいという欲求を必死に抑え、大人として恥しくない態度で言った。

「はい、おかげさまで。リハビリがてら、荷物を取りに来ました」

 やはり……。私としては、もう少し調べてみたいと思っていたのだが、持ち主であるサイト君が返して欲しいと言うのならば、我侭は言えない。

「中に入りなさい。君の荷物に固定化を掛けていた所なんだ」
「固定化……?」

 私は首を傾げているサイト君に固定化の呪文について説明した。サイト君は感心した様に目を輝かせてお礼を私に言った。
 彼は礼儀正しく義理堅い性格な気がする。私は恐る恐る言った。

「時にサイト君……、あの物体はもしかして乗り物かね?」
「自転車の事ッスか? そうですよ」

 やはり! 私の推測は間違っていなかった。是非とも調べたい。私は更に激しく高鳴る心臓の音を耳にしながら言った。

「もし……、よかったらあのジテンシャ? に乗ってみてもいいかね?」

 私は出来る限り丁寧に頭を下げた。すると、彼はキョトンとした顔で言った。

「勿論いいですよ。コルベール先生にはお世話になりっぱなしだし」

 私は歓喜に震えた。サイト君が“ジテンシャ”について教えてくれる。スタンドのロックを脚で外し、スタンドを上げる。そして、ジテンシャの“サドル”という鞍に跨り、“ペダル”というハンドルに脚を掛ける。そして、ペダルを回してタイヤと言う車輪を回して動かす。
 私は何度もサイト君の教えを反芻した。シエスタ君も興味を持ったらしく、私のジテンシャの試乗を目を輝かせながら見守っている。
 少しこそばゆさを感じながら、私はジテンシャに跨った。そして……。

「痛っつぅぅぅ」
「だ、大丈夫ですか、コルベール先生!」
「ミスタ・コルベール!」

 転んでしまった。受身もまともに取れず、私は体を強打してしまった。なんと言う事だ、バランスが殆ど取れなかった。
 心配してくれるサイト君とシエスタ君に大丈夫だ、と言いながら、私は肩を落とした。

「サイト君、これは本当に乗り物なのかい?」
「本当ですって! えっと、手本を見せますよ」

 サイト君はそう言って、ジテンシャに跨った。なんと言う事だ! サイト君は軽快にジテンシャを乗り回した。私の研究室は割りと広いのだが、歩くよりもずっと早くジテンシャは駆けた。

「素晴らしい……」

 私は思わず感涙の涙を流してしまった。これが、平民のみの星で生まれた技術なのか、と。
 魔法無しにこれ程の素晴らしい物体を作りだせるとは、私はサイト君に頭を下げた。

「サイト君、そのジテンシャを私に調べさせてはくれまいか?」

 私はギョッとして凍りつくサイト君に頭を地面に付けて懇願した。他のサイト君の持ち物は私の理解出来る限界を超えている感じを受けた。だが、ジテンシャは違う。理解出来る。そして、ジテンシャを作る事が出来るかもしれない。
 それは、この星に新たなる移動手段を作り出せる事を証明出来るという事だ。

「あ、頭上げて下さい! 全然大丈夫ッスよ! まぁ、壊されるのは勘弁だけど、壊さない範囲でなら、調べてもらっていいですよ」
「本当かい!?」

 私はサイト君に詰め寄った。サイト君は私の剣幕に顔を引き攣らせているが、言葉を覆させる事はしなかった。
 サイト君は、ミス・ヴァリエールの授業が終わる夕方まで時間を潰す必要があるらしい。その間、私の質問に答えてくれると言ってくれた。

「では、早速なのだが……」
「えっと、これはステンレスっていうので……」
「ステンレス……? それは一体……」
「ここのパーツは……」
「なるほど……、つまりこれがこうなって……」
「あ、それはこうなってて……」
「なんと! サドルというのはこうなっているのか……。身長に合わせられる様になっているわけか……」
「ここは中はギアっていうのにチェーンが……」

 シエスタ君はいつの間にか部屋を退出していたが、私はサイト君に質問し続けた。サイト君はそのつど、自分に分かる範囲で教えてくれた。
 構造は単純だが、この形となるまでにどれ程の数の研究者による試行錯誤があったのか……。
 私はサイト君の星の魔法を持たない研究者達に対して敬意を持った。私はジテンシャの詳細な設計図を羊皮紙に書き込んだ。作り上げるには、トライアングルクラスの土のメイジの協力が必要だ。ミス・シュヴルーズに頼んでみようか……。
 結局、私は夕方になるまでサイト君を引き止めてしまった。サイト君はグッタリしていながらも、気を悪くした様子は無かった。やはり、この少年は心根が真っ直ぐだ。ミス・ヴァリエールの使い魔になったのが彼の様な人間で良かった……。
 サイト君がミス・ヴァリエールと合流する為に保健室に戻ると言うので、私は道が分からないだろうから、と案内を申し出た。サイト君を保健室に連れて行った帰り、私はオールド・オスマンにサイト君が目を覚ました事を報告する為に学院長室に向かった。
 五階に上がった所で宝物庫の前に誰かが居た。近づいてみると、ミス・ロングビルだった。
 なにやら険しい表情で宝物庫を見つめている。様子が少しおかしいようだ。声を掛けてみる事にした。

「おや、ミス・ロングビル。ここで何を?」

 私の存在に気付くと、ミス・ロングビルは途端に表情を和らげた。だが、瞳が笑っていない……。

「ミスタ・コルベール。宝物庫の目録を作っているのですが……」
「それは大変ですな。一つ一つ見て回るだけで、丸一日は掛かりますぞ。何せ、ここにあるのはお宝ガラクタひっくるめて、所狭しと並んでいますからな」
「でしょうね……」

 やはり妙だ……。目録を作ると言いながら、彼女は何故、宝物庫に入ろうとしないのだろうか? ここに鍵が掛かっている事は知らない筈が無いだろうに……。

「入らないのですかな?」
「鍵が閉まっていまして……」
「オールド・オスマンに鍵を借りればいいではありませんか」

 得体の知れない寒気がする。私は表面上はのんびりとした調子で言った。

「それが……、ご就寝中なのです。まあ、目録作成は急ぎの仕事ではないし……」
「なるほど、ご就寝中ですか……。残念です、サイト君が目を覚ました事を報告したかったのですが……」
「サイト君……? ああ、あのミス・ヴァリエールの使い魔の少年、目を覚ましたのですか?」
「ええ、先程……」
「あの怪物について、何か言っていましたか?」

 ミス・ロングビルは私に尋ねた。とても自然に話題を逸らした様に感じたのは、私が彼女に得たいの知れないナニカを感じているからだろうか……?

「いいえ、聞きませんでした。起きたばかりで、怖い記憶を思い出させるのは忍びなかったもので……。いずれにしろ、オールド・オスマンを交えて、事情を聞くつもりですよ」
「そうですか……。あの広場を直すのには手を焼いたので、私自身、怪物について気になっていたのですが……」

 私は首を傾げた。今、彼女は広場を直すのに手を焼いたと言った。怪物に破壊された跡は凄まじいモノだったが、翌日には修復されていた。
 私は、ミス・シュヴルーズが修復したのだと思っていた。あれほどの破壊だ、トライアングルクラスでもなければ修復など出来まい。ミス・ロングビルはトライアングルメイジだったのか? 初耳だ。そもそも、彼女の経歴について、私は知らない。突然、オールド・オスマンが秘書にすると言って、彼女をこの学院に招いたのだ。
 経歴不明の土のトライアングル……。私は何か、引っ掛かるものを感じた。無視してはいけない引っ掛かりがある様に感じたのだ。

「私は用がありますので、これで……」

 ミス・ロングビルは足早に去って行った。私は学院長室へと足を向けた。もしかしたら、今は起きているかもしれない。
 階段を上がり、学院長室の扉をノックする。すると、中で動く物音が聞こえた。
 しばらくして、中からオールド・オスマンが入室を許可した。

「失礼致します」

 中に入ると、オールド・オスマンはソファーで紅茶を嗜んでいらっしゃった。私が入室すると、オールド・オスマンは片方の眉を上げて紅茶を置いた。

「サイト・ヒラガが目を覚ましたか……」

 私は目を見開いた。何故、分かったのだろうか……?

「ミスタ・コルベール、ミス・ロングビルは君にとってどうじゃね?」
「……どういう意味でしょうか?」

 私は慎重に言葉を選んだ。オールド・オスマンは起きていた。ミス・ロングビルが嘘を吐いたのか、それとも、オールド・オスマンが彼女に嘘を吐いたのか……。それに、私の用件を知っていた事から一つの推測が思い浮かんだ。

「彼女は美人じゃろう?」
「……はい?」

 私は思わずよろけそうになった。ミス・ロングビルを不信に思い、監視していたのでは、と思ったのだが、オールド・オスマンの言葉は私の考えの斜め上を行った。

「なに、彼女もそろそろ歳じゃろ? それに、君もそろそろ身を固めねばならんじゃろ」

 私は話の流れが読めた。私は今直ぐにでも回り右をしたくなった。余計なお世話だ。私は結婚よりも大事な研究があるのだ。今は、そう、ジテンシャだ。ジテンシャを自分の手で作り上げたいという目標があるのだ。女性にうつつを抜かしている暇などないのだ。

「た、確かに知的で麗しい女性だとは思いますが……」
「ほっほっほ、頭の隅ででも考えておいてくれればよい。あんまり、年寄りを心配させんどくれよ?」
「……オールド・オスマン、貴方は後千年は現役な気がしますよ」

 私は顔が火照るのを感じながら、憎憎しげに言い捨てた。
 オールド・オスマンは気を悪くした様子も無く笑っている。本当に喰えない老人だ。

「どうかのう。さて、サイト・ヒラガの件じゃな。ミスタ・コルベール、サイト・ヒラガとミス・ヴァリエール、それにミスタ・グラモンを呼んで来てくれるかね?」
「……了解しました、オールド・オスマン」

 私は学院長室を出た。どっと疲れた。そろそろ夕食の時間だ。三人共、恐らくは食堂に居るだろう。そう言えば、あの怪物が現れる前、サイト君とミスタ・グランドプレが衝突したのは食堂での座席を巡るトラブルだったそうだが、問題が起きていないといいのだが。
 食堂に到着すると、中は生徒達で溢れていた――――……。

第七話『オールド・オスマン』

 シエスタに連れて来られて、火の塔にあるコルベールの研究室の扉の前に来た。木製の扉を三回ノックすると、中からコルベールが顔を出す。

「やあ、目が覚めたのだね、サイト君」
「はい、おかげさまで。リハビリがてら、荷物を取りに来ました」
「中に入りなさい。君の荷物に固定化を掛けていた所なんだ」

 コルベールは俺の顔を見ると嬉しそうな顔をした。不思議に思っていると、コルベールは俺とシエスタを研究室に招き入れてくれた。
 随分と機嫌が良いみたいだ。コルベールの研究室に脚を踏み入れると、そこには俺の好奇心を満たす、不思議で怪奇な物が沢山あった。不思議な色の液体が入っていて、湯気を出しているビーカー、変な管が沢山付いている鉄の箱、色んな種類の茸や葉や動物の骨、美しい色の鉱石。
 コルベールの研究室はとても大きかった。高校の教室が四つ入りそうな程だ。俺は辺りをキョロキョロと眺めながら、コルベールの言った言葉に首を傾げた。

「固定化……?」

 俺が聞き返すと、コルベールはかなり広い研究室の一角に俺の手を引いた。シエスタもその後ろをついて来る。
 そこには、シートが敷かれていて、その上に俺の荷物が並べられていた。
 固定化の呪文を掛けると、あらゆる化学反応から護られる様になるらしい。それに、掛けたメイジよりも実力が低いメイジの魔法もある程度弾いてくれるらしい。火のトライアングルだというコルベールが掛ければ、火の中にダイブしようが、水の中に沈もうが、雷に撃たれようが、ラインメイジの錬金だろうが問題にならなくなるそうだ。
 俺は素直に凄いと思った。どんな物だって、時間が経てば腐敗したり、錆びたりする。それが普通なのに、この星の魔法は食べ物をいつまでも腐らせず、鉄を錆びさせない様にする事が出来るらしい。
 俺が感心していると、コルベールが緊張した面持ちで自転車を指差した。

「時にサイト君……、あの物体はもしかして乗り物かね?」

 俺は首を傾げた。自転車は乗り物に決まっている。そう考えてから、この星には自転車が存在しないのだ、と気が付いた。

「自転車の事ッスか? そうですよ」
「もし……、よかったらあのジテンシャ? に乗ってみてもいいかね?」

 俺は思わず凍り付いてしまいそうだった。コルベールは手に汗を握りながら頭を下げているからだ。

「勿論いいですよ。コルベール先生にはお世話になりっぱなしだし」

 俺が了承すると、コルベールは子供の様に瞳を輝かせた。この星にとって、自転車は未知の存在なのだ。未知の存在への好奇心は俺にも理解出来る。
 俺はコルベールにスタンドの外し方、サドルの座り方、ハンドルの握り方、ブレーキの使い方、ペダルの漕ぎ方を教えた。コルベールは俺の言葉を真剣に一言一言聞きながら慎重に自転車の上に跨った。
 大人が子供のようにはしゃぐ姿というのは、人によっては醜悪に映るものだけど、コルベールの知識への欲求は清々しくて、一緒に共有したいと感じるものだった。コルベールとの間に、ほのかな絆の芽生えを感じる。
 …………!? ……頭の中に、不思議な声が囁く――。

『我は汝……、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり……。絆は即ち、真実に至る一歩也。汝、“刑死者”のペルソナを生み出せし時、我ら、更なる力の祝福を与えん……』

 俺はコルベールとの絆に呼応する様に、“心”の力が高まるのを感じた。
 コルベールはペダルに脚を乗せ、颯爽と走り出すと、ほんの一メイルも行かない内に横に倒れてしまった。
 俺とシエスタは慌ててコルベールに駆け寄った。

「痛っつぅぅぅ」
「だ、大丈夫ですか、コルベール先生!」
「ミスタ・コルベール!」

 コルベールは地面にぶつけた腕を擦りながら苦笑いを浮かべていた。
 俺は思い出していた。そうだ、自転車に乗るって、難しいんだ。俺も子供の頃、初めて自転車に乗った時は何度も転んでしまった。父さんに後ろを押さえてもらって、何度も何度も練習した。

「サイト君、これは本当に乗り物なのかい?」
「本当ですって! えっと、手本を見せますよ」

 バランスが全然取れない、そう言うコルベールに俺は手本を見せる事にした。ちゃんと教えてあげたいと思ったのだ。俺が初めて自転車を一人で乗れる様になった時は、とても感動した。
 コルベールにも味わって欲しいと思い、自転車に跨る。
 広いコルベールの研究室の中を軽く走り回った。シエスタが本当に走ってます! と感動している。コルベールはどうかな、俺はコルベールに目を向けて、凍り付いた。

「素晴らしい……」

 コルベールは涙を流していた。感動している、自転車なんて、俺にとっては当たり前の存在なのに、コルベールにとっては涙を流す程に感動を与える物だったらしい。

「サイト君、そのジテンシャを私に調べさせてはくれまいか?」

 コルベールが頭を地面に擦り付ける様に俺に頼み込んだ。俺はギョッとして、慌ててコルベールに立ち上がる様に言った。
 自転車から降りて、スタンドを降ろして立たせたまま、俺はコルベールが立ち上がるのを助けた。
 こんな人が居るんだな、俺は少し感動していた。未知への好奇心を満たす為には子供にも必死に頭を下げる。その姿はどこまでも清々しくて、かっこよかった。
 どうせ、夕方までは時間を潰さないといけないんだ。俺はコルベールの質問に答える事にした。コルベールは自転車の材質から設計まで、事細やかに俺に聞いて来た。
 俺は分かる範囲で出来る限り答えた。コルベールはどうやら、自分の力で自転車を作ろうとしているらしい。もし、コルベールが自転車を作れたなら、一緒にサイクリングをするのも悪く無いかもしれない。
 結局、夕方になるまで俺はコルベールの質問に答え続けていた。よく、こんなに次から次へと質問が湧いて出るものだと、俺はむしろ感心してしまった。
 コルベールという男は、骨の髄まで研究者なんだな。

ゼロのペルソナ使い 第七話『愚かな賢者』

 夕方になり、俺はヘッドホンを首に掛けて、ヘッドホンから伸びるコードの先に繋がっているMP3をパーカーのポケットに仕舞いこんだ。ノートや漫画、ノートPCとバッテリーの充電器は紙袋の中で右手に持っている。携帯電話と財布はポケットの中だ。
 久しぶりに、りせちーの歌やお気に入りのグループの歌を聴きながら、ルイズを保健室で待った。何だか、とても懐かしい思いがした。
 まだ、一週間しか経っていない。殆ど寝ていたから、一週間が経過した実感も無い。だけど、俺は地球が懐かしい気がした。
 未だ、封を切っていない漫画を読もうと紙袋から取り出そうとした所で、ルイズが保健室に入って来た。何だか、少しご機嫌斜めらしい。

「よ、ルイズ」

 俺はMP3の電源を切って、ヘドホンを外して首に掛けた。途端にマリコルヌの鼾が耳を苛んだ。よく一週間もこんなのの隣で眠れたな、俺は我が事ながら呆れた。

「それは何?」

 ルイズは片方の眉を上げながら俺に聞いた。

「MP3だよ。音楽を聴く機械。聞いてみるか?」
「音楽を聴く機械……? 意味が分からないわ」

 この星に音楽を物に記憶させる、なんて事は出来ないんだろう。俺はヘッドホンを首から外すと、立ち上がってルイズにヘッドホンを掛けさせた。
 MP3のスイッチを入れると、ヘッドホンから軽快なリズムが流れ始めた。

「…………え?」

 ルイズは目を丸くした。周囲をキョロキョロと眺め回した。

「だ、誰!? 誰の声なの!?」

 ルイズは耳元から聞こえて来る聞き慣れないメロディーに乗せた聞いた事の無い言語の歌声に目を見開いた。周りを見渡しても誰も居ないのに、キョロキョロと忙しなく視線を巡らせる。

「う、歌だけじゃない……。インテリジェンスでも無いって事……? 何なの、一体……」

 俺がヘッドホンをルイズから外すと、ルイズはさっきまでの機嫌の悪さはどこかへいってしまったらしい。心底不思議そうにヘッドホンを見ている。

「言ったろ? 音楽を持ち歩ける、俺の星の機械だよ」
「音楽を持ち歩けるですって……?」

 ルイズは呆気に取られた様な表情を浮かべたまま、ヘッドホンをジッと見つめた。

「他のも聞いてみるか? 結構、色んな曲が入ってるぜ?」
「嘘、何曲も聴けるの!?」

 ルイズは更に驚いて眼を丸くした。コルベールにしろ、ルイズにしろ、こういう反応は凄く楽しい。まるで、自分が博識にでもなったかの様な気分だ。
 俺はルイズにヘッドホンを被せると、幾つかの曲を聞かせた。ルイズは『Pursuing My True Self』を特に気に入ったらしく、食堂に着くまでずっとループさせて聞いていた。
 どうも、りせちーの声は何故かお気に召さなかったらしい。そう言えば、ルイズの声はりせちーの声にどことなく似てる気がするな……。
 食堂に到着すると、中は既に大勢の生徒達で賑わっていた。混雑した食堂に俺は入るべきか悩んだ。

「~~♪ ~~~~♪ ~~♪ あら? 何で来ないのよ?」

 歌を口ずさみながら食堂に入ろうとしたルイズが食堂に入ろうとしない俺に首を傾げた。

「ん、この前みたいな事があったら嫌だからさ。別の所で食べられないか?」

 俺が言うと、ルイズも難しい顔をした。マリコルヌとの衝突みたいな事がまたあったら嫌だ。
 俺とルイズが食堂の前で唸っていると、廊下の向こうで声が聞こえた。

「私、スフレを作るのが得意なんですよ?」
「それは是非に食べてみたいな」

 廊下を曲がった所で、ギーシュが焦げ茶色のロングヘアーの茶色いマントを纏った少女と密会していた。
 ルイズは不思議そうに首を傾げている。

「ギーシュはモンモランシーと付き合ってた気がするんだけど……」
「え? 二股掛けてるって事か? さすがはギーシュ、ちょっと憧れちゃうな……」
「……ギ、ギーシュは男には興味無いと思うけど……」
「ち、違うよ! 変な勘違いするな!」

 頬を赤らめて言うルイズに俺は慌てて誤解だと叫んだ。どうしてそっちなんだ! 二股掛けられる程モテる事に対して、俺は憧れるな、と言ったんだ。ギーシュ“に”憧れるなんてつもりで言ったわけじゃない。
 頼むから、変なところで理解を示そうとするな……。

「え? 本当ですか!」
「勿論だよ、ケティ。君の瞳に僕は嘘を吐かないよ」

 どうして、お菓子を食べるってだけなのにあんな言葉が出て来るんだろう……。

「ギーシュ様……」

 ケティという少女は顔を赤らめてギーシュを見つめている。その姿は正しく恋する乙女だ。

「君への思いに、裏表などありはしないよ」

 二股を掛けている男の台詞とは思えないな、俺は感心してしまった。隣を見ると、ルイズは呆れた表情を浮かべている。
 そして、その更に隣には恐ろしい鬼が立っていた。

「……どちらさま?」

 俺が首を傾げると、ルイズが顔を引き攣らせた。

「モ、モンモランシー……」
「把握した……」

 どうやら、俺とルイズが廊下で騒いでいたのが気になって見に来たのだろう。よりにもよって、見に来たのがギーシュに二股掛けられているモンモランシーだったのはギーシュの不幸だろう。
 俺はどうしようか迷った。目の前には青筋を立てた女の子。少し離れた場所では自分の不幸を知らずに絶賛二股中の命の恩人……。

「ギーシュゥゥゥゥゥゥゥ!」

 モンモランシーの怨嗟の叫びに、漸くギーシュがモンモランシーに気が付いた。分かり易いほどに顔を青褪めさせていく。
 ギーシュが救いを求めて俺とルイズを見る。ルイズは付き合ってられないわ、と食堂の方に歩き始めている。俺はギーシュを見た。助けてくれ、彼は視線で訴えていた。

「あ、その……、ギ、ギーシュは下級生の子の道案内をして……たり……その……ごめんなさい」

 俺はギーシュに首を振った。これは無理だ、諦めてくれ……と。モンモランシーは俺の話なんか聞いてない、どんどん眼が据わっていくだけだ。

「ちょ、使い魔君! もうちょっと、粘ってくれてもいいのではないか!?」
「すまない! 命の恩人だから頑張ったけど、無理だ!」

 俺は踵を返して走り出した。俺は戦場に一人、仲間を残して逃げ去る敗残兵だ。背後から聞こえる悲痛な叫びに耳を塞ぐ。俺には何も出来ない。

「ち、違う、これは誤解なんだ、モンモランシィィィィィィィィ!」

 俺はただの一度も振り返らずに、一直線にルイズの後姿を追った。ああ、ご主人様。使い魔はとっても怖かったよ……。
 ルイズは白い眼で俺を見て来たけど、俺は体の震えを抑えられなかった……。
 食堂の前で俺とルイズはシエスタに遭遇した。

「そうだ、シエスタ」
「はい? なんでしょう、サイトさん」

 シエスタに挨拶を交わして、俺は食堂以外に夕飯を食べられる場所が無いかを尋ねた。やはり、また貴族と一悶着起すのは面倒だからだ。
 メイジの怖さは、前回のマリコルヌとの事で少しは理解している。何せ、ギーシュが居なかったら、俺は潰れたトマトになってたのだから……、俺は何となく、ギーシュを置いてきてしまった事に罪悪感を感じた。さっきから廊下の向こうから悲鳴が絶えず木霊しているのだ。

「でしたら、使用人用の食堂がありますので、そちらにご案内いたしましょうか?」
「ああ、助かるよ。じゃあ、ルイズ……」
「ん、いってらっしゃい」

 俺に軽く手を振りながら、ルイズは再び音楽を聴き始めた。また、同じ曲を聴いてる。
 俺はルイゾの頭からヘッドホンを取り上げた。

「な、何するのよ!」

 ルイズが憤慨しながら言う。

「あのな、食事中にヘッドホン着けてたら食べ難いだろ。それに、電池だって無限じゃ無いんだ。充電するのに手間も掛かるし。たまには貸すけど、ずっとは駄目だ」
「言ってる意味がさっぱりよ! まったく、ケチね」
「ケチって言うなよ! ちょっと可愛いって思っちゃったけど、充電は本当に手間が掛かるんだぞ!」

 膨れっ面で食堂に入って行くルイズに俺は溜息を吐いた。シエスタはクスクスと楽しげに笑みを浮かべている。
 シエスタに案内されて、俺は重い紙袋を持ったまま、使用人用の食堂に通された。
 木製の大型のテーブルとテーブルを取り囲む様に沢山の椅子が並べられている。
 シエスタがスープや消化に良さそうな食べ物を持って来てくれた。俺の体はコルベールの研究室に行った時には自転車に乗れるくらいに回復していたんだけど、シエスタが気を使ってくれたみたいだ。

「おいしいけど、ちょっと寂しいかな……」

 使用人達は忙しく動いていて、食堂には俺以外は誰も居なくて、シエスタが持ってきてくれた料理はどれもおいしかったけど、少し寂しかった。
 食べ終えると、俺はアルヴィーズの食堂に向かった。食堂の中を覗くと人の数がかなり減っていた。

「あら? ルイズの使い魔じゃない」

 後ろから声が聞こえて振り向くと、そこには赤毛の女が立っていた。誰だろう……。

「貴方、私の事、覚えてないわけ?」

 冷たい眼差しを向けられて、俺は記憶を掘り返した。どこかで会った覚えはある。だけど、なかなか思い出せない。

「キュルケよ。二つ名は“微熱”。微熱のキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー」
「すみません、長過ぎて覚えられません……」

 ここの貴族は名前が長過ぎる……。ギーシュはギーシュ・ド・グラモンだけで短くて覚え易いけど、ルイズの本名は未だ完全に覚えていない。
 キュルケは呆れた様に溜息を吐いた。

「ま、キュルケでいいわよ。それより……」
「ん?」
「貴方、この前のヴェストリの広場での事件の当事者なんでしょ?」
「そうだけど?」

 俺が頷くと、キュルケがニヤリと笑った。

「ねぇ、あの広場で起きた事、教えてくださらない?」
「なんで?」
「だって、気になるじゃない。遠目に巨大な怪物が見えたっていう子が居るのよ。それを、ゼロのルイズとギーシュ、それにただの平民である貴方が倒したっていうじゃない」

 好奇心に満ちた瞳でキュルケは聞いて来た。教えてもいいのか、俺には分からなかったけど、教えちゃいけないとも言われて無い。
 ……俺は正直に話す事にした。

「マリコルヌが突如、巨大な怪物に変身したんだ。それに向かってルイズが魔法を使い、見事に怪物を転ばしたんだ。その隙を突いて、怪物の放つ凶弾をギーシュが防ぎ、俺が殴り飛ばした」
「……そう、マジメに答える気は無いってわけ、平民が」

 キュルケの眼が途端に冷めた。イラついた表情を隠そうともせず、俺を睨みつけた。

「これでも、譲歩したつもりなんだけどね。けど、間違いだったわね。平民が貴族の問いにふざけた答えを返すなんて……」

 キュルケは指揮棒の様な杖を取り出して、俺に突き付けた。

「本当の事を言いなさい」
「お、俺は嘘なんか言ってない」

 キュルケの顔が歪んだ。俺は嘘を一つもついていない。だけど、キュルケは全く信じていない。
 俺はゴクリと唾を飲み込んだ。怖い。目の前の自分と対して背の高さの変わらない女の事がとても怖かった。

「さっきのお返しに、助けずに見過そうかとも思ったけど……」

 すると、そこに救世主が現れた。顔中に痣を作り、少しよろけ気味のギーシュだった。

「使い魔君の言っている事は本当だよ、キュルケ」

 ギーシュが言った。その視線は真っ直ぐにキュルケの眼を捉えている。

「嘘を吐くにも、もう少し頭を捻った方がよくなくて?」

 キュルケは苛々した表情を浮かべながら言った。

「どうして、嘘だと思うんだい?」
「嘘だからよ。マリコルヌが怪物になっただとか、ゼロのルイズが魔法を使っただとか、平民が怪物を殴り飛ばしただとか、一つも真実が無いじゃない」
「まあ、信じるも信じないも君の自由だ。だが、メイジの使い魔に対し、一方的に暴力を振るうのはどうかと思うよ? 君は帝政ゲルマニアの貴族だろう? そして、彼はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールの使い魔だ。あまり、賢いとは思えないね」
「……フン」

 キュルケは鼻を鳴らして、どこかへ行ってしまった。俺は漸くキュルケから解放されて崩れ落ちる様に地面に尻餅をついた。

「まったく、あんな話を馬鹿正直に話すなんて、君はやっぱり馬鹿だね」

 ギーシュがヤレヤレと肩を竦めながら呆れた様に言った。
 俺はムッとして立ち上がりながら唇を尖らせた。

「もう少し、早く助けてくれても良かったんじゃないか?」
「さっき、僕を見捨てた人非人はどこの誰だったかな? むしろ、助けてもらってありがとうが言えない君はやはり馬鹿だね、使い魔君」

 俺は言い返せなかった。馬鹿馬鹿言われても、助けてもらったのは事実だ。それも、二回目だ。

「その……、ありがとう」
「どういたしまして」

 ギーシュは気障っぽく笑みを浮かべた。

「でも、さっきのお前のは自業自得だろ……。二股掛けたら可哀想じゃないか」
「僕は薔薇なんだよ。女の子を惹き付けて止まない魔性の薔薇なのさ」
「棘が鋭すぎるんだよ、好きだったお前の事、そんなにボロボロにしちまう程好きだったんじゃないのか? 凄い傷ついたんだよ、きっと……」

 気障な事を言うギーシュの言葉に俺は少しムッとした。恋愛経験の乏しい俺はあんまり上手く言葉に出来なかった。だが、ギーシュはトンカチで頭をガツンと叩かれたかの様に目を見開き、青褪めた表情を浮かべた。

「僕は彼女達を傷つけてしまったのか……」
「モテ過ぎて分からなかったのか? 謝っとけよな」
「あ、ああ……。そうだな、謝らないといけないな」

 ギーシュは深く反省したらしい。きっと、今迄女の子にモテ過ぎて、女の子の気持ちが分からなくなってしまっていたのかもしれない。俺には一生掛かっても理解出来そうに無い心理状況だ……。

「それで、君はもう大丈夫なのかい?」

 切れ長のサファイアの瞳を細めて気さくな笑みを浮かべ、ギーシュは言った。
 キュルケの事じゃないな、恐らくは怪物の件だろう。俺は頷いた。

「ああ、おかげさまでな。あの後、お前は大丈夫だったのか?」
「僕もルイズも君のおかげで無傷だったよ。改めて、お礼を言っておこうと思う。ありがとう」

 ギーシュは俺に頭を下げた。俺はあの時、ギーシュとルイズが居たから撃退出来たんだ、俺の方こそありがとう、そう言って、俺も頭を下げた。
 俺はついでに気になっていた事を言った。

「なあ、使い魔君っての、止めてくれないか? 俺は平賀才人。こっち風だと、サイト・ヒラガだ」
「サイト・ヒラガ……、いいだろう。サイト、僕はギーシュ。二つ名は青銅。青銅のギーシュ・ド・グラモンだ」
「よろしくな、ギーシュ」

 俺は右手を差し出した。ギーシュはキョトンとした表情を見せると、クッと相貌を崩して笑みを浮かべた。俺の右手を取って、言った。

「ああ、よろしく頼むよ。……僕が思うに、君はそうとうな変わり者だね」
「お前に言われたくないっつうの。お前だって、そうとう変わってるぜ? 卑しい平民にフレンドリーに接してさ」
「ああ、それは違うよ。僕が君の態度を許すのは君だからさ。君以外に許すつもりは無いよ」
「ん? どうしてだ?」
「僕は思ったのさ。あの時、怪物からルイズを護ろうとする君が……、“かっこいい”ってね。それに、さっきの君の言葉のおかげで少し眼が覚めたよ。モンモランシーやケティに殴られて、僕はムカムカしていただけだった。ちゃんと、彼女達の気持ちを考えるべきだったのにね」

 苦笑いを浮かべながら言うギーシュに俺は、そっか、とだけ言った。俺程度の言葉をちゃんと受け止めて、自分を見つめなおせるギーシュは、やっぱりかっこいいな、と思った。
 俺は握ったギーシュの右手に温もりと鼓動を感じながら、ギーシュとの間に、ほのかな絆の芽生えを感じる。
 …………!? ……頭の中に、不思議な声が囁く――。

『我は汝……、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり……。絆は即ち、真実に至る一歩也。汝、“魔術師”のペルソナを生み出せし時、我ら、更なる力の祝福を与えん……』

 俺はギーシュとの絆に呼応する様に、”心”の力が高まるのを感じた。

「さて、僕はモンモランシーとケティに謝って来ようかな」
「んじゃ、俺はご主人様のお迎えに行きますか」

 俺とギーシュをお互いにニヤリと笑って、食堂の中へと入って行った。
 ルイズは直ぐに見つかった。特徴的なルイズの髪の色は入口に入って直ぐに分かった。
 ルイズは一人で食事を摂っていた。他はグループを作って、和気藹々と食べているのに……。

「うっす、ルイズ」

 ルイズの隣の椅子に腰掛けながらルイズが食べ終わるのを待つ。どうやらデザートをご賞味中らしい。パイの様なデザートで、一口食べる度に幸せそうに頬を綻ばせるルイズに、俺は思わず頬が緩んだ。
 相変わらず可愛いご主人様だ。
 俺は視線を泳がせて、ギーシュを探した。ギーシュの姿は直ぐに見つかった。金髪の巻き毛の少女に頭を下げている。確か、モンモランシーとかいう子だ。

「なにニヤけてるのよ」

 ルイズが知らず頬を緩ましていた俺を怪訝な顔で見てくる。

「ん、さっき、ギーシュと色々あってさ。お、許してもらえたみたいだな」
「モンモランシー? ああ、さっきの修羅場の事ね」

 ルイズも食べ終わったみたいだし、そろそろルイズの部屋に行こうとした時だった。食堂にコルベールが入って来た。コルベールは一直線に俺達の所へやって来た。

「コルベール先生?」
「やあ、ミス・ヴァリエール、サイト君。オールド・オスマンが君達を呼ぶ様に言ってね。食堂の外で待っていてくれないか? ミスタ・グラモンも連れて行くから」

 俺はルイズと一緒に先に食堂を出る事にした。食堂の外の廊下から中を覗いていると、ギーシュはケティに頭を下げていた。少し離れた場所でコルベールが待っている。
 しばらくして、ギーシュがコルベールと一緒に出て来た。その顔は爽やかな笑みを称えていた。

「許してもらえたんだな」
「ああ、君のアドバイスのおかげだよ」

 俺が言うと、ギーシュは嬉しそうに笑った。許したどころか、惚れ直されているんだろうな、と俺は思った。
 俺も女の子と仲良くなりたいな。そんな事を考えながら、俺はルイズとギーシュと一緒に食堂から少し離れた場所にある螺旋階段を上がった。
 学院長室は最上階にあった。重厚な作りの両開きの扉をコルベールがノックすると、中から渋い老人の声が聞こえた。

「失礼します」

 コルベールの言葉にルイズとギーシュも続き、俺も慌てて言いながら入室した。
 学院長室はかなり広かった。見事な調度品の数々は素人目に見ても高級な物だと分かった。

「あれ……?」

 見間違いかな……?

「どうしたんだい?」
「オールド・オスマンの前よ、変な声だして、恥をかかさないで」
「いや、窓の外に変なのが……いたような……」

 ギーシュとルイズが首を傾げながら窓の外を見る。そこには何も居ない。さっきまで、何かが窓の外から覗き込んでいた様な気がしたんだけど、気のせいだったらしい。

「ほっほっほ、盗み聞きの好きな風竜でもおったのかのう」

 愉快そうに笑うオールド・オスマンの声に、窓の外からキュイキュイという鳴き声が聞こえた。窓の外を見ると、慌しく白銀の鱗の竜が逃げ出した。

「あれは、ミス・タバサのシルフィードだったかな……」

 白銀の竜が逃げる姿を見ながら、コルベールが顔を顰めて言った。

「盗み聞きなんて、貴族として恥ずべき行為だわ!」

 ルイズが憤慨しているが、コルベールが宥めた。

「あの怪物の件は秘密にしているからね。気になってしまうのは無理ないのさ」
「だからって、風竜で覗き見なんて、私に喧嘩売ってるとしか思えませんわ!」
「それって、俺を使い魔にした自分に対してドラゴンを見せびらかすのは許せないぃぃぃぃ! ……と?」

 俺が顔を引き攣らせながら尋ねると、ルイズはキョトンとした顔をした。

「よく分かったわね?」
「分かりたくなかったけど、分かり易かったからな……」

 俺は肩を落とした。あんなドラゴンと比べられても困る。それにしても、ファンタジーな星だとは思っていたが、ドラゴンまで居るとは思わなかった。
 俺は少し感動していた。ドラゴンを実際に見れるなんて、夢にも思わなかったからだ。

「仲良き事は良い事じゃな。さ、本題に入るとするかのう?」

 俺は保健室でルイズに語った事を話した。ペルソナの事、イゴールの事。分からない事だらけだって事も話した。
 俺の話を聞く内にギーシュは胡散臭げな表情を浮かべたが、コルベールとオールド・オスマンは険しい表情を浮かべながらも、あからさまに疑う様な表情を浮かべなかった。

「ペルソナ……、ローラン……、イゴールと名乗る夢の中に出る謎の老人か……」

 オールド・オスマンは一つ一つ、俺の言った事を吟味する様に呟いた。疑う事無く、俺の話を真摯に受け止めて、オールド・オスマンは考えているらしい。
 なるほど、プライドの高いルイズが“偉大な”なんて付ける人間なだけはある。この人は偉大だ。メイジとして、貴族として、ソレ以前に、人間として、ああ、これは敵わないなって思わされた。

「分からん事だらけじゃな。サイト君、無闇に使うでないぞ、そのペルソナ能力とやら」
「え?」

 俺は間抜けな声を出してしまった。そもそも出し方が分かりません。そんな間抜けな答えを返してしまうくらい、オールド・オスマンの言った言葉は理解不能だった。
 あんな凄い力、どうして使うな、などと言うんだろうか……。

「その顔は分かっておらんな……」

 オールド・オスマンは呆れた様に言った。俺はカチンときて、オールド・オスマンを睨んだ。馬鹿にされた様な気がしたからだ。
 オールド・オスマンはたっぷりとした顎鬚を撫でながら俺を鋭い眼光で貫いた。

「使いたいから使う。それでは力に呑まれてしまうぞ? それに、君のペルソナは君自身ですら理解出来ていない。そんなもの、無闇に使って、何を奪われるかわからん」
「奪われるって……」

 意味が分からない。確かに、一週間も眠ってしまったけど、俺の体には異常は見当たらない。
 ナニカを奪われると言われても、実感が湧かなかった。

「等価交換というのは魔法にも当て嵌まる。魔法には精神力を使う。何も使わずに振るえる力なんぞ、信用せん方が良い。静かに、密やかに、最も大切なモノを奪うかもしれん」
「……でも、ルイズを護るのにあの力は便利だと思うんですけど」

 俺は思わず反論した。俺はマリコルヌを相手に手も足も出なかった。ギーシュが居なければ、今頃は死んでいたかもしれない。
 メイジの力はもう理解している。メイジに対抗するには、あの力以外に無い。

「便利かもしれんが、楽な方に逃げているとも言えるのう。剣でも学んでみんか?」
「逃げてなんか……。それに、剣なんて、握った事も無いですよ」

 俺はオールド・オスマンの言い方にムッとしながら言った。どうしても、あの力を使わせたくないらしい。でも、だからと言って、剣なんて使った事が無い。

「だから練習するんじゃよ。理解も出来ず、出し方もよく分からん力よりも練習した分、結果が残る剣術の方がいいと思うんじゃがのう?」
「でも、俺は剣なんて持ってません」

 俺がそう言うと、オールド・オスマンは対面する様に座っていたソファーから立ち上がると、暖炉の横に立て掛けていた一本の剣を俺に放った。
 銀色のシンプルな装飾の鍔の同じくシンプルな装飾の鞘に納められた西洋剣だ。

「あれば、学ぶのう?」
「い、いいんスか?」

 放られた剣は、凄く重い。俺は思わず鞘から抜いて確かめた。本物だ。鏡の様に磨き込まれた両刃の真剣だ。
 俺は思わずオールド・オスマンを見た。俺は剣の相場なんて知らないけど、日本で真剣を買おうと思ったら、何万円もする。本当にいいんだろうか、俺はルイズを見た。ルイズも目を丸くしている。
 俺はオールド・オスマンに貰った剣に視線を落とした。ゴクリと唾を飲み込み、剣の柄を握り締めた。俺は吸い寄せられる様な感覚を覚えた。まるで、運命の相手と出会った様な気がした。
 立ち上がると、体が嘘みたいに軽い。長い階段を登り、たくさん喋った後だと言うのに、疲れが一気に吹き飛んでしまった。
 気分が高揚し、俺は名前も知らない剣を鞘から一気に引き抜いた。羽の様に軽い。隣に座っていたルイズは鞘に戻せと怒鳴る、ギーシュは何をする気だと絶叫する。コルベールは落ち着きたまえと宥める、オールド・オスマンは失敗したとばかりに溜息を吐いた。

「凄いぜ! なんか、誰にも負ける気がしない!」

 俺は軽く振ってみた。まるで重みを感じない。視界も広がって、耳も研ぎ澄まされている。雑音のシャットアウトまで自由自在だ。
 この状態なら、例えメイジが相手でも負ける気がしない。

「それなら、ペルソナに頼らんと誓えるのう?」
「へっへっへ、そんなの知るか! 今の俺は誰にも止められないぜ!」
「それを儂の前で言っても儚いだけじゃよ? 誰であろうとな」

 俺が最高に気分が盛り上がっていると、突然、俺の持っていた剣がオールド・オスマンの手の中に飛んで行ってしまった。

「あれ?」
「あれ? っじゃないわよ! 何、いきなりわけわかんなくなってるのよ!」

 ルイズに殴られて、俺は一気に冷静になった。体は一気に重くなり、気分は下降していく。

「ごめんなさい……」

 謝った。冷静になると、凄い馬鹿な事したって気付いた。一気に熱が冷めてしまった。恥しい。死ぬほどに恥しくなった。惨めになった。何してんだよ、俺は……。

「かなり、しっくり来たようじゃな?」
「穴があったら入りたいくらいには……」

 顔が真っ赤に染め上がり、俺は顔を上げられなかった。

「ほっほっほ、そこまでかのう? 直感に従ってみるのも悪くないぞい? 剣を握れば誰にも負けない、そう直感したなら、極めてみるがとよい」
「止めてくださいぃぃぃぃぃぃ! 恥し過ぎて死んじゃいますぅぅぅぅぅぅ」

 この老人はサドなのだろうか、触れられたくない所をアッサリと触れてくる。

「恥しがる事なんぞないぞ。直感とは重要な物じゃ」
「でも……」
「この剣は君に上げよう。代わりに、覚えておくんじゃ。技術と体を鍛えると同時に、心も鍛えるんじゃ。さすれば、さっきの様にはならんじゃろう」
「…………はい」

 頷いたけど、分かってるのか自分でも分からない。オールド・オスマンから剣を受け取るとき、ルイズとギーシュとコルベールがギクリとしたけど、今度は落ち着いていた。
 鞘から剣を引き抜いても、もう気分がおかしくなる事は無かった。剣を鞘に戻す。シャキンッという音が耳に心地良い。

「貰います、この剣」
「それを渡すのは君を信じるからじゃ。儂の信頼を裏切るでないぞ?」
「分かってますよ。裏切ったら、殺されそうだ」

 冗談じゃなく、そう思った。さっき、俺は冗談じゃなく思ったんだ。剣を持った瞬間、誰にも負けないって。だけど、負けた。アッサリと、俺の手からオールド・オスマンは剣を奪った。
 他のメイジが同じ事を出来るかわからないけど、オールド・オスマンには勝てない事は理解した。オールド・オスマンとの間に、ほのかな絆の芽生えを感じる。
 …………!? ……頭の中に、不思議な声が囁く――。

『我は汝……、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり……。絆は即ち、真実に至る一歩也。汝、“隠者”のペルソナを生み出せし時、我ら、更なる力の祝福を与えん……』

 俺はオールド・オスマンとの絆に呼応する様に、”心”の力が高まるのを感じた。

「銘は無いが、業物じゃ。大事に使うんじゃぞ」
「ありがとうございます」

 話はそれで終わりだった。俺は腰にオールド・オスマンから貰った剣を提げた。ルイズがジロリと横目に見て来る。後で何か言われそうだな……。
 学院長室を出て、ギーシュと別れて、ルイズの部屋に向かった。腰に重みを感じる。この重みは、きっと大切な重みだ。漫画でそんな話を聞いた事がある気がする。
 女子寮に入る時、相変わらず、視線が痛かった。ルイズの部屋に入るのはこれで二回目だ――――……。

第八話『土くれ』

 部屋に戻ると違和感を覚えた。前に入った時には無かった物がある。大きなソファーだ。その上には大き目の枕に使えそうなクッションが乗っている。

「それがあんたの寝床よ。さすがに、ベッドを二つも置くスペースは無いからね、我慢なさい」

 ソファーはかなり大きくて、眠るのに全く問題無い大きさだった。触ってみると、硬すぎず、柔らか過ぎない滑らかな肌触りの高級そうなソファーだった。

「ルイズが買ってくれたのか?」
「本当は藁で寝かせようと思ってたんだけど、その……、あの怪物から護ってくれたじゃない? だから……」

 ルイズは頬を赤く染めながら顔を逸らして言った。素直じゃないな、俺はそう思いながらも嬉しく思った。こんなに大きなソファーだ。安いとは思えない。それを俺の為に買ってくれたのだ。

「ありがとう、ルイズ。正直、どこで寝るのか不安だったんだ」
「そ、そう……。まあ、ちゃんとお仕事をしたんだから、ご褒美よ」

 ルイズの部屋は一番奥に天蓋付きのベッドがあり、中央に大きな円形のテーブルがあって、その上にはランプが乗っている。
 入口から見て、右の壁には大きな洋服箪笥や鏡台なんかが置かれている。左の壁にも暖炉があって、その奥に俺の寝床となるソファーは置かれていた。
 荷物の入った紙袋をソファーの裏の狭いスペースに置いて、俺は剣をソファーの横に立て掛けた。

「それにしても、オールド・オスマンにあんな態度を取るなんて!」

 ルイズは途端に腰に手を据えて眦を吊り上げて叱ってきた。
 俺は小さくなって俯いた。一応、反省はしているんだ。

「悪かったよ。本当に反省してるんだ。剣を持った途端に何だか気分が高揚しちゃってさ……」
「剣を持った途端に? そう言えば、あんた、結構軽々と剣を振ってたわよね?」

 ルイズは俺がソファーの隣に立て掛けていたオールド・オスマンから貰った剣を持った。
 少し持ち上げただけでルイズは直ぐに剣を置き直した。

「重ッ――! あんた、こんなに重い物をあんなに軽々振り回してたの!?」

 ルイズは剣を降ろして、肩で息をしながら言った。
 俺はルイズの反応に目を丸くした。

「重いのか? 俺には羽みたいに軽く感じたんだけど……」
「あんたって、意外と力持ちなのね」

 俺はそんなに重かったのか、ともう一度剣を持ち上げてみた。やっぱり、羽の様に軽く感じる。

「明日から、ちょっと練習してみるかな」
「そろそろ夜も遅いし、寝る支度をしないといけないわね」

 そう言うと、ルイズは俺の前で両手を広げた。何をしてるんだろう、人類は十進法を採用しましたってか? 人気のゲームのキャラクターの名前を思い浮かべながら首を傾げた。
 ルイズは困惑している俺に向かって盛大に溜息を吐いた。

「さっさと脱がせなさいよ」

 俺は凍り付いた。
 ルイズは何を言ってるんだろう、俺はギーシュがモテるのが羨ましいばかりに幻聴を聞いてしまったのだろうか……。

「早くしなさい」
「な、何をしろと……?」

 俺はあまりの事に思わず聞き返した。

「だから、早く脱がせなさいよ」

 聞き間違いでは無かったらしい。どういう事だろう、色んな順番を飛び越してしまっている気がしてならない。
 昨今のエロゲーだって、ここまで唐突な展開は無いだろう。あるかもしれないけど……。
 俺はルイズが錯乱しているのではないかと思った。仮に本気で誘ってるとしても、手を出すには……勇気が足りない。

「お、落ち着けよ。いきなり脱がせって言われても……」
「はぁ? 訳わかんない事言ってないで、さっさと脱がせなさいよ。いつまで経っても寝れないじゃない!」

 訳が分からないのは俺の方だ。

「あんたねぇ、使い魔なんだからさっさと仕事しなさいよ!」
「仕事……?」

 何だか、微妙に話の内容がおかしい事に気が付いた。

「平民のあんたは知らないでしょうけど、貴族は下僕がいる時は自分で服を着替えたりしないのよ」

 そう言う事か、俺は勘違いしていたらしい、口に出さなくて良かった。
 それにしても、と俺はルイズを見た。ファーストキスをして、使い魔になってからの仕事と言えば、|美少女《ルイズ》の使用済みの下着や衣服を洗ったり、床をちょっと掃除したりしたくらいだ。
 それだけで素晴らしいご馳走を食べさせてもらえる。その上、今度は|美少女《ルイズ》の着せ替えという仕事。
 もう仕事というよりご褒美な気がする。実質、俺にとっての仕事っていうのは掃除をちょっとしただけだ。後は全部ご褒美としか思えない。

「そ、それじゃあ、脱がさせていただきます」

 俺はゴクリと唾を飲み込みながら、まずはルイズのマントの留め金を外してマントを脱がせた。丁寧に畳んで、俺のソファーに載せる。
 いよいよだ。俺は手に汗を握りながら恐々とルイズの胸元に手を伸ばした。
 真っ白で肌触りの良い滑らかな布のブラウスの一番上のボタンを外す。一つ目、完了。
 これは仕事だ、仕事なのだ、と俺は何度も言い聞かせながら、間違ってもルイズの胸を触らない様に一生懸命だった。
 ここでこの仕事を手放したくない。心からそう思った。何せ、失敗さえしなければ、生まれて初めて女の子を脱がせる事が出来るのだから。
 変態だと罵りたければ罵るがいい。童貞歴生まれてから現在進行形の俺は性欲旺盛な高校生男児なのだ。こんなチャンスを逃すわけにはいかない。
 二つ目、三つ目を開くと、現れたのは真っ白なルイズのキャミソールだ。ルイズの白くきめ細かい肌が目の前に広がっている。
 頭が沸騰した様にクラクラする。ブラウスを脱がし終えた俺は一休みする為にブラウスをノロノロと畳んだ。さあ、ここからだ。
 俺は再びゴクリと唾を飲み込んだ。ど、どうやって脱がせばいいんだろう……。
 俺はゆっくりとルイズのスカートのボタンを探り当てて外した。
 俺の心臓は飛び出しそうなほどに跳ね回っている。脚に力が入らない。いよいよ、未体験ゾーンへと突入するのだ。俺は覚悟を決めた。

「い、いくぞ……」
「え、ええ……」

 心なしか、ルイズも緊張している様な気がする。きっと気のせいだろう。やらせているのはルイズなのだから。
 余計な事は決して言わない。こんなチャンス、もう一生巡ってこないかもしれないのだから。
 グレーのプリーツスカートをゆっくりと下ろしていく。ソコニハ、コノヨノリソウキョウガヒロガッテイタ……。
 俺の意識があったのはここまでだった。ここから先に進むには、女の子の神秘へと突入する為の勇気と、欲情のあまり襲い掛からない様にする為の自制心という名の根気と、全てを包み込むかの如き寛容さと、服を脱がすのに手間取らない為の知識と、途中でルイズに嫌がられない様に誘導出来る伝達力が必要だ。
 今の俺にはこの先に進む事は出来なかった……。

「ちょ、どうしたの、サイト!? も、もしかして、疲れが溜まってたのかしら……。うう、きょ、今日だけは大目に見てあげる事にするわ」

 勇気と根気と寛容さと知識と伝達力が少しずつ上がった気がした――――……。

ゼロのペルソナ使い 第八話『土くれ』

 本塔は六階建てで、頑強な壁が聳えている。宝物庫の扉を開けるのは不可能だ。とすれば、後は物理衝撃以外に方法は無い。
 30メイルのゴーレムを作り出したとしても、この壁を破壊出来るかどうかは微妙な所だ。ナニカ、この壁を破壊する為の手段が必要だ。明日は虚無の曜日。王都トリスタニアに出向いてナニカ方法が無いか模索してみよう。
 私は本塔の壁から目を離し、仕事に戻った――。

 翌日、私はトリステイン王国が王都トリスタニアに脚を運んだ。道幅5メイルの街一番の大通りであるブルドンネ街をブラついていた。
 武器でも使ってみようか、私はそんな馬鹿な考えを思いついて、思いついたまま、ピエモンの秘薬屋の前を通り過ぎて、武器屋を覗いてみた。
 予想以上の品揃えに吃驚。長剣、短剣、特殊刀、槍、槌、斧、弓、銃、盾、その他色々……。
 槌で壁を叩いてみようか……、阿呆らしい、そんな事で壊せるんだったらゴーレムの力で事足りる。
 私は武器屋を後にした。大通りに戻ると、遠目にミス・ヴァリエールとその使い魔の姿が見えた。私は慌ててローブを目深に被って裏道に身を隠した。行動を起す前に不信に思われる様な事はしたくない。
 虚無の休日だから、街に出ていても問題があるわけではないが、念には念をだ。
 午前中、ずっと歩きとおしたが、上手い案は思いつかなかった。昼飯でも食べるか、と裏通りであるチクトンネ街の酒場に入った。“魅惑の妖精”亭という店だ。
 中に入ると、年端もいかない平民の少女達が働いていた。少女の一人に席に案内され、私は適当に注文した。
 食べてみると、マルトーの料理には劣るものの、目を見張るほど美味しい料理だった。私は食べながら改めて壁を破壊する案を考え続けた。

「なかなか思い浮かばないねぇ……」
「ナニカ、お悩み事かい? 土くれのフーケ」

 私は思わず椅子を引っくり返しそうになった。声の主に眼を向けると、平々凡々な顔立ちの男が居た。

「あんたは誰だい?」
「私の事は気にするな。それよりも、何かお悩みだったのではないのかね?」
「見ず知らずのあんたに話す事じゃないさ」

 私は席を立って、男を睨み付けながら言った。
 男は小刀を握っていた。男は小刀を軽く振りながら小声で呪文らしきものを唱えた。
 私が咄嗟に警戒し、杖を取り出そうとすると、男はニヤリと笑みを浮かべた。

「ああ、ただのサイレントだよ。気にするな。それより、君はトリステイン魔法学院の宝物庫に用があるんだろう?」
「それがどうしたっていうんだい……」

 正体どころか、目的までバレている事に内心の動揺を見せ無い様にしながら、私は尋ねた。
 何故知っているのか、そんな事は聞かない。どうせ、聞いたとしても答えないだろう。

「協力しようと思ってね」
「協力……?」

 私は怪訝な眼差しで男を見た。私は席に座りながら尋ねた。

「君は、宝物庫に用があるのだろう? その為に宝物庫の壁を壊したい。その為の手段が欲しい、なら、一つ、方法を伝授出来るよ」
「目的はなんだい……?」

 私は目の前の男の不気味な雰囲気に呑まれない様にしながら尋ねた。協力するというが、目的が分からない。

「その昔、強力な兵器として使われていた品だよ。それを盗み出して欲しい」

 強力な兵器……? 私はキナ臭いものを感じて、目を細めた。

「大きな……恐らくは棺桶の様な形の箱の筈だ」
「棺桶だって? そんなの、宝物庫にあるわけないじゃないか」

 宝物庫は宝物を入れる場所だ。棺桶という、人の死体を入れる箱がある筈が無い。腐って、凄まじい臭いを発してしまうではないか。

「まあ、無ければいい。だが、在ったら、その時は一緒に盗み出して欲しい」
「棺桶をかい……?」

 私は目の前の男に生理的な嫌悪感を覚えた。棺桶が欲しいなんて、どういう趣味なんだ?

「ああ、大分大きな物だが、君ならば盗み出せるだろう? その代わり、君を手助けするし、成功したら報酬も出そう」

 私は胡散臭げに男を見た。

「棺桶を盗み出すかは別にして、方法ってのは何なんだい?」
「火薬を使うのさ」

 男はそう言うと、テーブルに皮の袋を置いた。かなりの量だ。

「この火薬を君の土系統の魔法で壁に貼り付けて、火系統の魔法で爆発させるのだよ。そうすれば、如何に高名なトリステイン魔法学院の本塔の壁とて、無傷ではいられない。そうなれば、後は君のゴーレムの力でどうとでもなる……だろう?」
「なるほどね……。だが、別にあんたの力を借りる必要性は無いね。その程度の事、私だって考えたさ」
「だが、大量の火薬を手に入れるのは手間が掛かるだろう? 何、棺桶を盗み出すのは、可能であればでいいんだ。この火薬は君に譲ろう」
「……どういう意味だい?」

 私は男の真意が掴めなかった。これだけの火薬は値段も相当なものだ。それに、男の言うとおり、これだけの火薬を調達するのは骨が折れる。それを成功しなくてもいいと言いながら渡すのは何故だ?

「簡単な事だよ。君が壁を破壊してくれれば、君が棺桶を盗み出さなくても、私が後から盗み出す事も可能だ。崩壊した部分を修復するには時間が掛かるだろうからね」

 私は男の考えを読もうと考えを巡らせた。どう考えても、目の前の男は怪しい。
 安易に手を借りる気にはなれない。だが、テーブルの上に置いてある火薬は魅力的だ。これを使えば、絶対に成功する。
 私は乗る事にした。少し、自棄になっているのかもしれない。私はテーブルの上に置かれた皮袋を掴み取った。
 男がニヤリと笑みを浮かべる。それが神経に障った。

「ああ、それからこれを渡しておこう」

 そう言って、男は小瓶を取り出した。

「なんだい?」
「睡眠薬さ。これで、厄介なオスマンを眠らせるんだ。オスマンさえ居なければ、君に敵は居ないだろう。……今の所はね」
「……? はっ、冗談じゃない。火薬は貰うが、睡眠薬ならピエモンの秘薬屋で手に入る。そこまで手を借りる気は無いよ」
「しかしね……」

 男はしつこく食い下がった。私は苛立ちが最高潮に達しそうになり、踵を返した。
 すると、男が私の手を掴んだ。

「仕方ない。幸運を祈っているよ」

 その瞬間、私は猛烈な頭痛に襲われた。だが、それも一瞬の事だった。今のは何だったのだろうか、困惑していると、男の姿はいつの間にか消えていた。
 私は残った皮袋だけを持ち、立ち尽くしていた。
 支払いを済ませて、私はブルドンネ街に戻り、ピエモンの秘薬屋に立ち寄って、睡眠薬を購入した。薬を胸元に仕舞うと、私は街に出た。

「アッ――」

 私は突然の衝撃にバランスを崩してしまった。何とか壁に手をついて転倒は免れたが、私はぶつかって来た馬鹿を睨みつけると、心臓が飛び跳ねた。
 ぶつかって来たのは小柄で鼠の様な出で立ちの男だった。私が驚いたのはその先に居る二人が眼に入ったからだ。そこに居たのは、ミス・ヴァリエールとその使い魔の少年だったのだ。
 どうやら、スリにあったらしく、私とぶつかったのがそのスリだったらしい。私は慌てて薬と火薬が無事かを確かめた。
 二人に火薬を見られたら大事だ。大丈夫だった。私は男を魔法で拘束して、男の盗んだミス・ヴァリエールの財布を使い魔の少年に渡した。
 ミス・ヴァリエールは使い魔の少年の失態に対してプリプリと怒っていたが、安堵の表情を浮かべた少年と一緒に頭を下げてきた。
 私は二人と別れた後、男を衛兵に引き渡すと、トリステイン魔法学院への帰路に着いた――。

 太陽が沈み始めた頃、私は学院長室に居た。
 紅茶を淹れながら、チラリとオールド・オスマンに眼を向けると、彼は山積みの書類に眼を通している。もう直ぐだ、もう直ぐ、私はこの学園を出て行く。
 既に火薬は仕掛けてある。火の系統呪文で起爆させれば、亀裂程度は入るだろう。後は、私のゴーレムで何としても壁を破壊し、中から破壊の杖を頂き、永遠におさらばするだけだ。あの男の言っていた棺桶については盗む気は無い。棺桶なんて担いで逃げられる程、この学院のメイジを甘く見たりはしない。
 紅茶の中に睡眠薬を注ぎ込む。一口飲んだら丸一日グッスリだ。オールド・オスマンに労いの言葉を掛けながら、紅茶を机の上に置く。

「おお、すまんのう」

 オールド・オスマンは上機嫌で私から紅茶を受け取った。胸がチクリと痛んだ。私は自分にまだ心を痛ませる罪悪感なんてものがあった事に軽い驚きを覚えた。
 オールド・オスマンが紅茶をグイッと飲むのを確認すると、オールド・オスマンに背中を向けた。背後で鈍い音が響いた。チラリと見ると、オールド・オスマンが書類の上に頭を乗せてグッスリと眠っていた。

「後遺症は残らない筈……、ごめんなさい」

 私は学院長室の窓に近づきながら、呪文を唱え始める。ああ、もうこれで後戻りは出来ない。窓の下の地面が一気に盛り上がる。
 私はローブを目深に被り、立ち上がった巨大なゴーレムの肩へとフライで飛び乗った。
 これでいいのだ。私は何度も自分に言い聞かせた。ここでの生活は悪くなかった。だけど、あの娘の為にも、私自身の為にも、そして、オールド・オスマンの為にも私はここに居ちゃいけないのだ。

『そう、私には居場所なんて存在しない……』

 ――――!? 私は突然聞こえた声に慌てて周囲を見渡した。誰も居ない。馬鹿な、今の声は直ぐ傍で聞こえた。幻聴だろうか……。
 不意に、凄まじい感情が溢れ出した。
 寂しい、居場所が欲しい、誰かに頼りたい。
 国王によって家名を奪われ、忠誠を誓っていた大公家の遺児であるあの娘を頼れる人間など存在する筈も無く、一人で護り続けた。盗みを働く為に名前も捨てた。
 何もかもを失い、名前すら自分で捨ててしまった“土くれ”、それが私だった。

『あの娘の事を護らないといけない。そう思わなければ、心が壊れてしまう』

 また、声がした。誰の声だろうか、聞き覚えのある声だった。
 怖気が走る。その声をこれ以上聞きたくない。そう強く思った。

『あの娘とあの娘の母親のせいで、私の家は家名を取り上げられた』

 嫌だ、聞きたくない。聞かせるな。

『あの娘を護る為に名前を捨てなければならなかった。あの娘の為に何もかもを失った』

 止めろ。そうじゃない、違う、あの娘の事を私は愛している。愛しているから、何をしたって平気なのだ。
 あの娘が幸せに生きられる為ならなんだってする。そう誓ったのだ。

『全てを奪ったあの娘は私の唯一の拠り所だ。だから生かしているだけだ』

「違う、違う、違う、違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う!」

「ミス・ロングビル!?」

 下の方から誰かの声が聞こえた気がした。だけど、誰の声か分からないし、どうでもいい。
 ただ、この声を止めて欲しい。こんなのは違う。私じゃない。私はこんな事を思ったりしていない。

『寂しい。居場所が欲しい。あんな、私から全てを奪った少女じゃない拠り所が欲しい。自由が欲しい。名前を返して欲しい。家族を返しえ欲しい』

「止めろ、止めろ、止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ……止めて」

 否定しても、声は止まらず、私は内から飛び出すナニカを抑え切れなかった。

『我は影、真なる我……』

 その声が耳に届いた時、私の意識は暗い闇の水底へと墜ちて行った――――……。

第九話『ヴァリヤーグ』

 溢れ出る冷や汗を止められない。目の前に聳える高層マンション程の大きさもある巨大な人形に脚がガクガクと震えている。
 動け、動け、動け、動け、動け、動け。
 呪詛の如く呟き続けるが、俺の体は金縛りにあったかの様に凍り付き、一歩も動く事が出来なかった。
 選択肢など存在しない。今直ぐ、脚が壊れ様とも、心臓が破裂しようとも、全速力で逃げなければ死ぬ! 平凡な日常に生きて来た俺でも分かる。目の前のコレと戦うなんて選択はありえない。

「……あっ、くっ」

 恐怖のあまり、呼吸すらもままならない。早く逃げないといけないのに、俺の体は動いてくれない。
 どうして、俺はこんな目に合ってるんだろう――――……。

ゼロのペルソナ使い 第九話『ヴァリヤーグ』

 トリステイン魔法学院の庭の隅で俺は朝焼けの靄の中、オールド・オスマンに貰った剣を振っていた。
 軽い、何度振っても腕に負担が掛からない。三回、四回、五回と連続で虚空を薙ぐ。剣なんて握った事が無いのに、これはどういう事だろうか、俺は不思議に思った。

「何か、斬ってみたいな」
「朝っぱらから恐ろしい事を言うね、君……」

 誰も居ないと思っていたから、俺は驚いた。顔を向けると、そこにはギーシュが居た。
 ギーシュは顔を引き攣らせている。

「おはよ、ギーシュ」

 俺は剣を鞘に納めてギーシュに挨拶した。ギーシュも片手を上げて挨拶を返した。

「おはよう、サイト。それにしても、朝から物騒な事を言わないでくれないかい?」

 物騒って、別に人を斬りたいとか思ってるわけじゃない。俺は顔を引き攣らせながら首を振った。

「ちょっと試し斬りしたいってだけだよ。だって、ただ振ってるだけじゃ、虚しいっていうかさ」
「試し斬りか……。僕はてっきり、昨日の晩みたいにいきなり暴走して誰か、人を斬りたくなったのかと思ったよ」

 ギーシュが俺の事を白い目で見て来る。

「は、反省はしたさ。昨日のは……その、無かった事にしてくれ」

 俺が言うと、ギーシュは呆れた様にアメリカのテレビショッピングばりに肩を竦めた。一々リアクションが大袈裟な男だ。

「それより、こんな朝早くに何の用だよ?」

 俺が尋ねると、ギーシュが言った。

「今日は虚無の曜日だからね。麗しのモンモランシーと街に出ようと思っているんだよ」
「虚無の曜日って?」
「君、そんな事も知らないのかい?」

 ギーシュは呆れた様に言った。そんな事言われても、この星の文化については知らない事だらけなんだから仕方ないだろ。
 俺は肩を竦めて見せると、ギーシュがやれやれと言った様子で教えてくれた。
 虚無の曜日というのは休日で、地球で言う所の日曜日らしい。虚無の曜日の次はユルの曜日、エオーの曜日、マンの曜日、ラーグの曜日、イングの曜日、オセルの曜日、ダエグの曜日と続くらしい。
 どうやら、地球では一週間は七日だが、この星では一週間が八日あるらしい。

「ついでに教えておくと、ハルケギニアの週歴は第一週がフレイヤの週、第二週がヘイムダルの週、第三週がエオローの週、第四週がティワズの週だよ。月歴も教えるかい?」
「ああ、頼むよ」

 どうやら、一ヶ月は四週間で固定されているらしい。一ヶ月が三十二日あるって事だ。
 ギーシュが本当に君は何も知らないんだね、どこの国から来たんだい? と呆れた様に教えてくれた月歴は地球と同じで十二ヶ月までだった。ただ、呼び名はやっぱり違った。
 ヤラの月、ハガルの月、ティールの月、フェオの月、ウルの月、ニューイの月、アンスールの月、ニイドの月、ラドの月、ケンの月、ギューフの月、ウィンの月っていう具合だ。
 今日はフェオの月のティワズの週の虚無の曜日という事らしい。……ギーシュの説明を聞いて、知識がガッツリと上がった。

「ちなみに、明日……つまり、ウルの月のフレイヤの週のユルの曜日には『フリッグの舞踏会』があるんだ」
「フリッグの舞踏会?」

 俺が聞き返すと、ギーシュはもったいぶった態度で頷いた。

「そうさ。愛しいモンモランシーと踊るのだよ。その為にモンモランシーに相応しいドレスを見繕ってあげようと思い、迎えに来たのさ」

 それにしたって早すぎるんじゃないだろうか、俺はまだ上りきっていない朝日を見ながら思った。
 俺はソファーから転がり落ちてしまって目を覚ましたのだが、普通はまだ寝ている時間だろう。俺がそれを言うと、ギーシュは凍りついた。

「少し興奮し過ぎていたらしい……」
「にしても、仲直り出来たんだな。良かったじゃん」

 俺が言うと、ギーシュはおかげさまでね、と言って笑った。

「なあ、時間があるならワルキューレ出してくれないか?」
「ワルキューレを? ああ、試し斬りの話か。だが、僕のワルキューレは青銅で出来ているんだよ?」
「分かってる。でも、ギーシュは自由に動かせるんだろ? 練習相手には丁度いいじゃん」
「なるほど、そういう事か。いいだろう、付き合ってあげるよ」

 ギーシュがバラの造花を模した杖を振るうと地面は盛り上がり、青銅のワルキューレが現れた。俺は剣を鞘から引き抜いて構えた。
 ギーシュの作り出したワルキューレは俺と同じくらいの身長で、緑の柄の剣を握っている。

「この方が、いい訓練になるだろう?」
「ああ、サンキュー!」

 俺とワルキューレの距離は一メートルも無い。まずは距離を離そう。
 俺は後退しようと地面を蹴った。

「お、おい! どこまで行く気なんだい!?」

 ギーシュの声に俺は目を見開いた。ほんの少し走っただけの筈なのに、俺はギーシュとワルキューレから遠く離れた場所に立っていたのだ。
 何かおかしい。漸く、俺は自分の体の異常に気が付いた。重い筈の剣が羽の様に軽い事も含めて、俺の身体能力が上がっているみたいだ。
 俺は試しに鞘を地面に放り投げて、ワルキューレに向かって一直線に駆け出した。

「は、はやい……」

 ギーシュの呆然とした呟きが耳に入った。体は驚く程軽く、地面を蹴る力は恐ろしく強い。俺の踏み込んだ地面が抉れているのが目に入った。
 どうなっているんだ、俺は自分の事なのに理解出来なかった。地球に居た頃、体育の授業やたまに友達と遊びに行く時以外、運動なんて殆どしてこなかった。
 こんな風の様に走り回れるなんて考えた事も無かった。あっと言う間にワルキューレとの距離を詰めた俺は、剣を斜め下から斜め上へと振上げた。

「わ、ワルキューレが……」

 まるでバターを切るかの如く、青銅で出来ている筈のワルキューレを俺は一刀両断にしていた。
 俺は自分のした事に驚いて凍り付いたように動けなかった。斜めに切り裂かれたワルキューレの切断面を見ると、滑らかな切り口だった。

「僕のワルキューレをこうもアッサリ……」

 ギーシュも何が起きたのか理解出来ていない様子だ。あの怪物の風の攻撃すらも耐えた青銅のワルキューレ。それがこうもアッサリと切り裂かれるなどと想像もしなかったのだろう。

「どうなってるんだよ、これ」

 俺は剣を握り締めたまま、呆然と呟いた。

「サイト、君は剣士だったのかい?」

 ギーシュが我に返り、俺に聞いてきた。俺はフルフルと首を振った。

「違う。剣なんて、握った事も無いよ。剣道だってやった事が無いんだ」
「は、初めてでアレだけの腕前だというのかい!?」
「俺だって分からないよ。おかしいんだ。今まで、あんなに早く動けた事なんてないのに」

 俺とギーシュは互いに無言になった。初めて握った剣で青銅を両断するなんて真似、普通は出来ない。

「ギーシュ、もう一回頼めるか?」
「あ、ああ、構わないよ」

 ギーシュが再びワルキューレを作り出した。さっきと違うのは、今度は七体だった事だ。

「ギーシュ?」
「今度は僕も本気を出すよ。これで、さっきのがまぐれなのか分かるだろう?」
「……おう!」

 俺は剣を強く握り締めながら頷いた。全身に力が漲っている。感覚が驚く程に研ぎ澄まされている。
 ギーシュがワルキューレを散開させた。直ぐ右の死角からワルキューレの動く音が聞こえた。

「そこだ!」

 ワルキューレの振り下ろした剣ごと、俺はワルキューレを真っ二つに叩き斬った。視界の中に、同時に襲い掛かろうとする三体のワルキューレを確認する。
 喧嘩もした事が無かったのに、恐怖や迷いが一切生じない。頭の中はどこまでも静かだった。

「おせえええええ!」

 俺は飛び掛って来た三体のワルキューレの背後に一瞬で回り込んだ。

「馬鹿な!?」

 ギーシュの驚愕の叫びを尻目に俺は三体同時に切り裂いた。これで、残るワルキューレの数は三体。
 三体のワルキューレは俺の周りを取り囲んで凄い速さで動き回った。次々に突き出される剣を捌きながら、俺は何となく思いついた事を実践してみた。
 出来ると思った。普通なら絶対に出来ないだろう行動だ。
 俺は跳び上がった。ワルキューレの頭上を飛び越し、ワルキューレの包囲網から離脱したのだ。

「フライも使わずにあんな……。クッ、往け、僕の乙女よ!」

 ワルキューレの三位一体の連携攻撃を仕掛けて来た。一体は真っ向から剣を振るい、残る二体が横から俺を狙う。
 逃げる必要なんか無い。俺はもう、ワルキューレを剣ごと切り裂いた実績があるんだ。俺は真っ向勝負を仕掛けるワルキューレに向かって足を踏み出した。

「でりゃああああああああ!」

 下から上に剣を一閃して、ワルキューレを一刀両断にする。そのまま二つに分かれたワルキューレを弾き飛ばして更に前に出る。
 背後で二体のワルキューレが俺に剣を振上げている音が聞こえた。俺は振り向き様に剣を大きく振るった。二体のワルキューレの上半身と下半身を分断し、俺は一気に後退した。
 地面に剣を突き刺して、周囲のワルキューレの残骸を見た時、俺は自分が息一つ乱していない事に気が付いた。

「俺、すげぇかも……」

 思わず呟くと、ギーシュが眼を剥いて俺に詰め寄って来た。

「一体何だい、今の動きは! 本当に剣を握った事が無かったというのかい!?」
「ほんとだって!俺だって驚いてるんだ。剣から手を離したらまた体は重くなったし、あの動きは剣を握ってる時しか出来ないみたいだ」
「ペルソナといい、君は本当に変だね」

 ギーシュが心底呆れた様に言った。剣を離した途端に襲って来た気怠い感覚に気持ち悪さを感じながら、俺はギーシュを睨んだ。

「変っていうな!」
「それ以外に、どう表現しろと? にしても、本気を出したつもりだったんだがね……」
「ギーシュ?」

 ギーシュは暗い顔でバラの造花を振るった。すると、ワルキューレが土に還って行った。

「全力を出したのに、平民に負けてしまった……」

 ギーシュは拳を握り締めながら呻く様に呟いた。心の底から悔しいみたいだ。
 声を掛けるべきか迷っていると、ギーシュは頭を振って俺に顔を向けて来た。

「そろそろモンモランシーも起きる頃だと思う。僕は行くよ。君もルイズの部屋に戻りたまえ」
「え、ギーシュ?」

 俺が声を掛ける前に、ギーシュはサッサと行ってしまった。何だか嫌な気分になった。やっぱり、根本的なところではギーシュもルイズやマリコルヌと同じ貴族なんだな、と実感した。
 俺に最初から気さくに話してくれたけど、やっぱり平民に負けたのが許せないらしい。
 前にシエスタに教えてもらった使用人の仕事を思い出して、俺は鞘を拾って剣を納めると、ルイズの部屋に戻る前に顔を洗う為の水を汲みに水場に向かった――。

 水場に到着すると、そこにはメイドの姿がちらほらと見掛けられた。その中に見知った顔を見つけて、俺は声を掛けた。

「シエスタ、おはよう」

 シエスタは洗濯をしていたらしい。俺の声に驚いたらしく、目を丸くしていたが、声を掛けたのが俺だと分かると安心した表情で笑いかけてくれた。

「おはようございます、サイトさん」
「今日は虚無の曜日なのに、使用人はやっぱり仕事なんだな」
「ええ、虚無の曜日は貴族の方々のお休みの日ですから。私達のお休みは交代制なんです」

 シエスタと他愛の無い話を楽しんだ後、俺はシエスタに木製の桶を貰って水を汲んでルイズの部屋に戻った。
 部屋に戻ると、ルイズはまだ眠っていた。起そうと思ってベッドに向かうとルイズはすやすやと寝息を立てていた。

「か、可愛い……」

 俺は思わず見惚れてしまった。長い睫や整った顔立ち、薄い桃色の唇。何だか、起してはいけない気がした。
 どうせ、今日は虚無の曜日なのだし、寝かせてあげた方がいいかもしれない。そう考えていると、ルイズが突然身じろぎをした。しばらくして、薄っすらと瞼を開いた。

「むにゅ……」
「お、おはよ、ルイズ」

 俺が声を掛けると、ルイズは上半身を起して瞼を擦った。

「ん、おはよ」

 とりあえず、起きてしまったのならさっさと目を覚ましてもらおう。

「顔洗うぞ」
「ん? ああ、うん」

 ルイズは眼を閉じたまま顔を俺の方に向けた。ちくしょう、何て可愛いんだ。白くてきめ細かい肌が愛おしい。
 俺は必死に自制心を働かせながら水を張った桶に手拭を浸した。手拭いもシエスタに貰った物だ。手拭いを絞って水気を飛ばし、俺はルイズに向き合った。思わず鼻血が出そうになった……。
 ルイズはネグリジェを着ていた。窓から差し込む陽光に照らされ、華奢な体がくっきりと柔らかいネグリジェの生地越しに確認出来た。
 わずかに自己主張している胸がネグリジェを通して薄っすらと透けて見えた。下着を穿いてないのかよ! 俺は思わず声を上げそうになった。
 恐る恐る、視線を下に向ける。ゴクリと唾を飲み込み、俺は見た。見てしまった……。
 ルイズは寝ている間、下着を身に着けない主義らしい。薄い布越しとはいえ、生まれて初めて見た女の子の神秘に俺はルイズが目を閉じている事に真剣に感謝した。

「何やってるの? 今日は用事があるんだから、さっさとしなさい」

 ルイズの叱責が飛んだ。ありがたい……。俺は吹き飛びそうになった理性を何とか手繰り寄せた。
 視線を無理矢理“ソコ”から引き剥がし、俺はルイズの顔にそっと濡れたタオルを押し当てた。軽く全体的に拭い終えると、ルイズはさっぱりした顔でとんでも無い事を言い出した。

「い、今なんと?」
「だから、着替えさせて」

 聞き違いでは無かったらしい。ただでさえ、理性を保つのが難しい状態だというのに、ご主人様は一体何を言い出しているんだろうか……。

「で、でもさ。ル、ルイズ……下着は?」
「洋服箪笥の下の段に入っているわ」

 俺の頭はオーバーヒートしそうだった。ルイズはネグリジェの下には何も着ていない。スッポンポンだ。そして、下着の場所を教えたという事は、あれだろうか……俺に下着を着せろというのだろうか……。
 彼女居ない歴イコール歳の数の俺はエッチな本やエッチなビデオを見た事は当然ある。だけど、それには当然“モザイク”という女の子の神秘の秘奥を守る結界が張られているわけで、生なんて見た事は当然無いのだ。

「了解しました、御主人様」

 俺は気が付くと平伏していた。下手すると一生拝む事は無いかとまで思っていた神秘を目の当たりにする。そう思うと、俺は洋服箪笥を開ける事に抵抗感を覚えなかった。
 女の子の洋服箪笥を開ける。それだって、俺には大事で大事件だ。だけど、これから女の子の神秘を眼にすると考えると、そんなのは試練ですらなかった。
 洋服箪笥の中から可愛らしく肌触りの最高なランジェリーを手に取った。この時点で俺はもう理性が決壊寸前だった。静まれ、静まるんだ、俺……。
 ゆっくり振り返ると、桃色に近いブロンドの柔らかい髪のルイズの鳶色の瞳が眼に入った。その眼は早くしなさいよ、と急かしている。
 俺は制服の上下とマントを出して、ゆっくりとルイズに近寄った。

「で、では……」

 手が震えた。足腰に力が上手く入らない。情け無い自分を叱咤しながら、俺はルイズに万歳をする様に言った。どうやら、この星にも万歳はあったらしい。ちゃんと通じて、俺はソロソロとルイズのネグリジェを持ち上げた。
 ネグリジェを脱がせると、俺は脳が沸騰する様な感覚に襲われた。生まれたての姿でルイズは俺の目の前に立っていた。押し倒してしまいたい。心の底からそう思った。
 唾をゴクリと飲み込み、俺はゆっくりと手を持ち上げかけて……、ガタンという音に我に返った。振り返ると、そこにはオールド・オスマンから貰った剣が倒れていた。
 壁に立て掛けていたのだが、自然に倒れてしまったらしい。だが、俺は剣に救われた。何とか理性を取り戻す事が出来たのだ。ありがとう、剣……そうだ、後で名前を付けよう。

「えっと、下着、着せるぞ?」
「え、ええ」

 俺は顔を真っ赤にしながらルイズの下着を手に取り、ルイズに片足を上げる様に言った。ソロソロと持ち上げると、下着が隠すべき場所が間近に眼に入った。ルイズ、まだ生えてないんだな……。
 俺は爆発しそうな感情を必死に抑えながら下着を上まで一気に引き上げた。キャミソールを着せ、スカートを穿かせた頃には、漸く感情をゆっくりと引いていった。
 危なかった、剣が倒れて音を立ててくれなかったらと思うとゾッとする。この世で最低最悪の馬鹿をやらかす所だった。俺は着替えが終わり、杖を手に取って外に出ようとするルイズの後を追いながら、倒れた剣を腰に差した。ありがとう、剣。お前は最高の相棒だよ。

「で、今日は何するんだ? 授業は無いんだろ?」

 俺が尋ねると、ルイズが目を丸くした。

「今日が休みだって、よく知ってたわね」
「さっき、ギーシュに聞いたんだ。剣の練習しててさ、その時に付き合ってもらって」
「そ、そう……。あ、朝からご苦労ね」

 ルイズが微妙に嬉しそうに言った。俺がちゃんと仕事しようとしているのが嬉しいらしい。まあ、朝からとんでもないご褒美をもらってしまったからには、数少ない仕事は頑張るよ、マジで。
 ああ、後で掃除もしよう。ご褒美に対して仕事が少な過ぎる気がする……。

「とりあえず、朝御飯ね。その後、街に出るわ」
「ん? ルイズもドレスを買いに行くのか?」

 俺が尋ねると、ルイズは首を傾げた。

「ドレス?」
「だって、明日はナントカの舞踏会なんだろ? ギーシュが言ってたんだ。ギーシュもモンモランシーのドレスを見繕いに街に行くって言ってたしな」
「ふーん、ご主人様の着るドレスを選びたいってわけ?」

 別にそんな事は言ってないけど、街に行くって言うから、ギーシュがモンモランシーとドレスを買いに行くって言ってた事を話したんだが、どう答えようか……。
 勿論、可愛いルイズに似合う最高のドレスを選ばせて欲しい……と言うには勇気が足りない上に実践する為に知識が足りない。

「ドレスを選ぶセンスは無いよ。けど、似合うかどうかくらいの意見でいいなら言えるぜ?」
「まぁ、いいわ。ドレスかぁ……、新しいのを買おうかしら。新学期なんだし、お金は結構余ってるし」
「ん? 最初からドレスを買うつもりだったんじゃなかったのか?」

 俺が尋ねると、ルイズは呆れた様に言った。

「あんたの服よ。昨日、あんたをソファーに寝かせる時……臭ったわよ?」

 俺は二重のショックを受けた。一つはソファーで寝ていた謎が解け、それはルイズが寝かせてくれたという事だった事に歓喜した。もう一つは、女の子に臭ったと言われて絶望した……。

「だ、だって、風呂にも入ってないし、着替えも無いし……」
「だから、買いに行くって言ってるじゃない! それに、貴族のお風呂は無理だけど、使用人用のお風呂なら入れる様に手続きしてあるわよ」
「マジで!?」

 嬉しかった。この星に着てから一週間ちょっと、寝ている間はシエスタが体を拭いてくれたらしいし、洗濯もしてくれたが、お風呂に入ってなかったから気分的に気持ちが悪かったんだ。
 服だって、同じのを何日も着続ける趣味なんて無い。

「マジでありがとう、ルイズ! 俺、本当に頑張るよ、使い魔の仕事!」
「……当然よ」

 ルイズは少しだけ頬を緩ませながら先を歩いた。俺も後に続く。使い魔っていうのも、悪く無い気がして来た。
 アルヴィーズの食堂に到着すると、中には人がまばらにしか居なかった。

「休日だもん、未だ寝ているのが多いのよ」

 ルイズと一緒に食堂の席に座ると、シエスタが食事を運んで来てくれた。
 仕事が忙しいらしく、あまり話は出来なかったけど、俺とルイズの食事は大盛りにしてくれたらしい。朝、ギーシュと特訓したからお腹がペコペコだったんだ。
 朝食のメニューは少し油の多い物が多かったけど、とても美味しかった。特にカレーみたいなスープが絶品で、パンを浸して食べると最高に美味しかった。

「ちょっと、下品よ!」

 ルイズに怒られてしまった……。
 食事を終えると、早速出かけるわ、とルイズが言った。

「街までどのくらいなんだ?」
「歩いたら二日掛かるけど、馬なら二時間で辿り着くわ」
「ふ、二日!? そんなに遠いのか……」

 俺は馬になんて乗った事が無い。とは言っても、二日も歩くなんて嫌だ。

「コルベール先生に自転車借りに行くかな」

 遠出するならやっぱり足が必要だ。馬には乗れないけど、俺には自転車がある。

「自転車?」
「乗り物だよ。コルベール先生が調べたいって言うから預けてたんだ。ちょっと待ててくれ、すぐに取って来る」
「あ、サイト!」

 俺はルイズに先に門で待ってる様に言って、コルベールの研究室のある火の塔に向かった。
 トリステイン魔法学院には五つの塔があって、火、水、風、土、虚無の名前が付いている。
 コルベールの研究室に着くと、中から金属を叩く音が聞こえた。ノックをすると、しばらくしてコルベールが出て来た。

「おや、サイト君。おはよう、どうしたんだい? こんな朝早くに」
「おはようございます。これからルイズと街に行くんです。それで、自転車を使いたいんで取りに来ました」

 コルベールの研究室に入ると、前には無かった物が沢山あった。その殆どが自転車のパーツだと分かった。

「色々と工夫をしているんだが、中々上手く出来なくてね。試行錯誤の最中だよ。材質についての解析は少しずつだが進んでいる。この金属を作り上げるだけでも素晴らしい成果になる筈なんだ」

 コルベールは目を輝かせながら言った。何だか、新しい玩具に眼を輝かせる子供みたいだ。
 俺は自転車をコルベールに窓からレビテーションで外に出してもらうと、お礼を言って外に出た。邪魔をしちゃ悪いと思ったんだ。
 自転車に乗って、トリステイン魔法学院の正門に向かった。途中で擦れ違ったメイジや使用人があれは何だ、と目を丸くするのが心地良かった。
 ちなみに、剣は背中に背負っている。前に籠はあるんだけど、さすがに剣を入れるには小さい。
 正門に着くと、ルイズが白毛の馬と並んで立っていた。

「よ、お待たせ」

 俺が片手を上げて言うと、ルイズはポカンとした表情を浮かべていた。

「ん?」
「それが……ジテンシャとかいうやつ?」
「ああ、そうだぜ。さすがに馬の方が速いだろうけど、俺は馬に乗れないからさ。何とかついて行くよ」
「実際走ってたけど……、妙な形をしているわね。馬みたいだわ」

 ルイズは颯爽と馬に飛び乗った。歩いて二日の距離っていうのはかなり長距離を走る事を覚悟しないといけないだろうな。
 俺はルイズの後に続いて門を潜った。考えてみると、これが初めての外出なんだ。この星の学院以外の外がどうなっているのか俺は高鳴る気持ちを抑え切れなかった。
 道はある程度整っていたけど、やっぱりでこぼこが多かった。でも、俺の自転車はこのくらいの道、どうって事無い。上り坂も無くて、割とすんなりと進む事が出来た。それでも、ルイズの乗る馬はとんでもなく速くて、全然追いつけない。
 たまにルイズが立ち止まってくれなければ、直ぐに見失ってしまいそうだ。

「あともう少しよ」

 街までどのくらいか聞くと、ルイズはそう返して来た。帰りもあるんだと思うとウンザリしてしまいそうだ。
 漸く辿り着いた時にはお昼になってしまっていた。

「ま、まさかこんなに遠いとは思わなかった……」
「あのジテンシャ、確かに速いけど、遠出する時は馬に乗りなさいね」

 自転車は街の入口の衛兵の詰め所に預けて来た。ルイズの実家の名前をルイズが出すと、直ぐに預かってくれた。
 ヴァリエール家っていうのは、相当な力を持つ貴族らしい。
 トリステイン王国の城下町、トリスタニアが俺達の居る場所の名前らしい。

「ブルドンネ街。トリステインで一番大きな通りよ。この先にトリステインの宮殿があるわ」

 道幅は五、六メートル程度で、白い石造りの街は、まるでテーマパークの様だ。トリステイン魔法学院に比べると質素ななりの人間が多い事に気が付いた。
 道端で声を張り上げて、果物や肉や、籠なんかを売る商人達の姿が外国に来たみたいな気分にしてくれる。まさに観光だ。
 のんびり歩いたり、急いでいる奴がいたり、老若男女取り混ぜに歩いている。道幅がかなりせまい上に人が多いせいで歩き難くて仕方ない。
 道端には露天が溢れていて、珍しい物を沢山売っていた。

「凄いな、面白いのが沢山ある」
「もう、子供みたいにキョロキョロしないの! スリだって多いんだから、気を付けてよね?」

 俺はルイズに財布を預かっていた。財布は下僕が持つものと決まっているらしい。随分と度胸がいいな、と俺はこの星の貴族に対して思った。下僕が財布持って逃げたらどうするんだろう……。

「ルイズもルイズのお金もちゃんと護るさ。でも、こんなに重いのスラれたりしないと思うぞ?」

 ルイズから預かった財布はかなり重い。中には沢山のコインが入っているんだ。ちなみにコインの価値も教えて貰った。
 銅貨がドニエ、銀貨がスゥ、金貨がエキューで、新金貨ってのもあるんだ。ちなみに、1スゥは10ドニエ、1エキューは100スゥで1000ドニエ、新金貨は75スゥで750ドニエだ。ルイズに教わって、……知識がガッツリと上がった気がする。

「魔法を使われたら一発よ」

 俺は周りをキョロキョロと見た。メイジっぽい人はどこにも居ない。貴族と平民を見分けるのは割りと簡単だ。マントをしてるかどうかだ。後、もったいぶった歩き方にも特徴がある。ルイズ曰く、貴族の歩き方らしい。

「貴族は居ないみたいだけど?」
「だって、貴族は全体の人口の一割居ないのよ。それに、城下町まで来る貴族は少ないわ。買い物は大抵下僕に行かせるしね」
「貴族がスリなんかするのか?」
「貴族は全員がメイジよ。まあ、ゲルマニアは一部そうでもないけど、トリステインではそうなの。だけど、メイジの全てが貴族ってわけじゃないわ。色んな事情で、勘当されたり、家を捨てたりした貴族の次男や三男坊なんかが、身をやつして傭兵になったり、犯罪者になったり……」
「貴族も大変なんだな」

 俺の居た地球で家を捨てたり勘当されたりなんて、滅多に無い。あるかもしれないけど、俺の周りでは見なかった。だから、あまり想像がつかなかった。
 捨てられたりした奴がどんな気持ちで、どんな風に生きているのか。犯罪に手を染めないと生きていけないっていうのがどんな気持ちなのか……。

「人には人の事情があるって事よ。それより、分かったら財布、気を付けなさいね」
「了解」

 しばらく歩いていると、俺は看板に興味を引かれた。まるでRPGのゲームに出て来るみたいな看板が眼に入ったのだ。
 壜の形をしたのはカフェか何かだろうか、ルイズに聞くと、酒場らしい。バッテン印は衛士の詰め所だ。

「ルイズ、ドレスを売ってるのはどの辺なんだ?」
「先にあんたの服よ。折角買うんだから、帰る時間ギリギリまで見たいから。あんたの服を買うのはもう少し行った場所にある“マリエッタの洋裁店”よ」
「マリエッタの洋裁店?」
「平民向けのお店だから私は利用した事無いけど、時々使用人達が利用しているって聞いたのよ。学院の使用人の給料は下手な貧しい貴族より上だから、それなりのお店の筈よ」

 その時だった。突然、背後に衝撃が走った。

「うわっ!」
「サイト?」

 俺は前のめりになって倒れそうになった。

「ちょっと、何やってるのよ?」

 ルイズが咄嗟に支えてくれた。柔らかい肌の感触と甘い香りに思わずドキリとしてしまった。

「あれ……?」

 俺は違和感を感じた。ポケットを探ると、財布が消えていた。

「やべぇ、スラれた!」
「な、何ですって!?」

 俺は慌てて周囲を見渡した。視界の向こうで逃げる様に走る男の背中が見えた。

「悪い、ルイズ。ちょっと、ここで待っててくれ!」
「な、ちょっと待ちなさいよ、サイト!」

 ルイズが呼び止めるが、待っている暇は無い。一刻も早く追い付かないと見失ってしまう。
 俺は背中に背負った剣の柄を握った。スリを追うには、ありえない動きをする必要がある。その為に、ありえない動きが出来る様にならないといけない。

「頼むぜ、相棒!」

 左手で剣の柄を握り締めた途端に、俺の体は羽の様に軽くなった。
 その場で地面を蹴る。俺の体は嘘みたいに軽やかに宙を跳んだ。一気に露天の天井の柱の上に飛び乗ると、建物の壁に跳び視界を巡らせる。

「見つけた! 待ちやがれええええええええええええ!」

 俺は鋭く研ぎ澄まされた視覚にスリの男を捉えた。ルイズや周りの人間が驚いた声を上げているが、全てシャットアウトする。
 一気に剣を引き抜いた。そのまま壁を伝って一気に駆け出した。
 俺とスリの間はかなり離れていたが、今の俺にはそんな距離は在って無い様なものだ。
 体を回転させながらスリの男目掛けて一気に攻撃を仕掛ける。男は悲鳴を上げながら逃げる足を速めた。
 俺は地面に降り立つと剣を握ったまま、空いた右手で拳を握った。今の俺なら一足で殴り飛ばせる距離にスリの男は居る。俺は男に飛び掛ろうとした、その時、男が小道から出て来た女性にぶつかった。

「ヒィ――ッ!」

 男は情け無い悲鳴を上げた。

「さっさとルイズの財布を返せ!」
「う、うるせぇぇぇ!」
「なっ――!?」

 男は懐からナイフを取り出して切りつけて来た。

「サイト!」

 ギリギリで後ろに退がって避けると、人混みの中からルイズが抜け出して来た。

「ルイズ、来るな! ナイフ持ってやがる!」

 俺は剣を構えて男を睨みつけた。すると、突然地面が捲れ上がり、男を拘束してしまった。
 男とぶつかった緑髪の女性が杖を握っていた。

「あ、えっと……」
「ミス・ロングビル!」

 俺が戸惑っていると、ルイズが驚いた様に声を上げた。

「こんにちは、ミス・ヴァリエール」

 ロングビルは鮮やかな緑の髪に眼鏡を掛けた美しい女性だった。ほのかに香る大人の女の色香を感じて、俺はドギマギしてしまった。
 ロングビルは杖を軽く振るうと、男に纏わりついていた土の一部が盛り上がり、中からルイズの財布が現れてロングビルの手に納まった。
 ルイズはロングビルから財布を受け取ると何度も頭を下げた。俺も慌てて頭を下げると、ロングビルは穏かに微笑んだ。

「最近は貴族崩れのスリが増えて困りますね。二人共、もうスラれない様に注意なさいね」
「は、はい! 本当にありがとうございます、ミス・ロングビル!」
「あの、ありがとうございます。ロンビルさん!」

 ロングビルは男を衛兵の所に連れて行くと言って去って行った。俺はクールビューティなロングビルに思わずポカンと口を開けて姿が見えなくなるまで見惚れてしまった。

「綺麗な人だな……」

 俺が呟くと、ルイズは俺を一瞬睨んだが、直ぐに溜息を吐いた。

「まあ、そうね。大人の女って感じね……。ミス・ロングビルはオールド・オスマンの秘書をしてるのよ」
「オールド・オスマンの?」
「ええ、今年の春からね」

 もしかして、オールド・オスマンの愛人だったりして……、俺は馬鹿な事を考えながらルイズと一緒にマリエッタの洋裁店に向かった。
 マリエッタの洋裁店は直ぐそこだった。スリを追って、かなり近くまで来ていたらしい。
 ルイズは俺を追い掛けて走ったせいで肩で息をしていた。

「それにしても、あんたって身軽なのね」

 ルイズは少し感心した風に言った。

「身軽っていうか、朝、ギーシュに特訓に付き合ってもらったって言ったろ? そん時に分かったんだけど、どうも、剣を握ったら跳んだり走ったり出来る様になるみたいなんだ」
「剣を握ったら……? どういう事かしら。もしかして、ペルソナ能力と何か関係があるとか?」
「分からないよ。イゴールも昨日は出て来なかったし」
「夢の中の老人よね? 何か、ちょっと不気味な感じがするわね」
「まあな。でも、ペルソナ能力のおかげか分からないけど、おかげでスリから財布を取り返せたし、今のところは助かってるよ」

 話をしながら店内に入ると、中は明るくてスッキリとした空間が広がっていた。地球のお店と似た感じがする。ハンガーに幾つ物服が掛けてあって、店員さんが忙しく歩き回っている。

「えっと、紳士服はどこだ?」

 俺がキョロキョロしていると、ルイズが近くの店員を呼び止めた。

「サイトに服を幾つか見繕って頂戴」

 ルイズが偉そうに店員の女性に言った。女性店員は気分を害した様子も無く、俺を紳士服の場所に案内してくれた。
 ルイズも後に続き、俺は店員さんが持って来る服を次々に試着する事になった。
 店員さんは俺の服を珍しがりながら、シンプルな服やファンタジーらしい、俺の感覚からすればちょっと変わった服なんかを持って来た。

「どうだ?」

 俺は気に入った服を選んで着替えると、ルイズに聞いてみた。我ながら、ちょっとイケてる気がする。
 俺が着ているのは黒の半袖のインナーに黒いジャケットみたいな服、それに黒いズボンという黒一色の服装だった。

「地味。それに趣味が悪いわ」

 酷い言われ様だ……。俺はガックリと肩を落とした。結局、店員さんが持って来てくれた服の中からルイズが選んでしまった。
 とは言っても、何気にルイズはセンスが良くて、俺が選ぶよりずっといいコーディネイトをしてくれた。
 皮の袋に買った上着とインナーなんかを合わせて十着とズボン五着、それに下着を五着入れて、俺は肩に背負った。かなり重い……。

「あ、ありがとな、こんなにいっぱい買ってくれて」

 俺は思い荷物を持ちながらノロノロと歩きつつルイズに言った。

「20エキューくらい、どうって事ないわよ」

 ルイズが少し誇らしげに言った。さすが、金持ちは言う事が違う。
 1ドニエが一円くらいだとしても、20エキューって言ったら2万円だ。俺だったらとてもポンッと出せたりしない額だ。
 それにしても重い……。俺はあの力を借りる事にした。剣の柄を握り締める。

「よし、これで軽く……ならない?」

 おかしい、全然体が軽くならない。どうなってるんだろう。

「何やってるのよ? 早く、ドレスを見に行くわよ」
「あ、ああ……」

 俺は訳が分からなくなり、とりあえず袋を背負いながらルイズの後を追った。今、スリが現れたらさっきみたいに捕まえる自信が無い……。
 ルイズに連れられてやって来たのは遠目に宮殿みたいなのが見えるくらいの場所にあるかなり大きな建物だった。

「“ジルの素敵な高級洋裁店”よ」
「胡散臭いと思っていいか?」

 素敵な、って付けるだけで何故か胡散臭い感じがする。ルイズは呆れた様に俺を見て、さっさと中に入ってしまった。
 俺も慌てて追いかける。中に入ると、マリエッタの洋裁店とは比べ物にならない品揃えだった。人の数もかなり多くて、貴族の姿もちらほらしていた。

「ドレス売り場は……あっちね。行くわよ」
「お、おう!」

 ドレス売り場に到着すると、これまた凄い量が並んでいた。

「す、凄げぇ……」

 量が多過ぎてわけがわからない。

「ちょっと待ってなさい」

 ルイズは近くに居た店員を呼び止めると、どこかへ消えてしまった。
 直ぐに戻って来るだろうと思いながら待っていると、全然戻って来なかった……。
 結局、MP3を聴きながら一時間も待った頃、漸く戻って来た。

「買い物は終わったわ」
「はい!?」
「これ、持ってちょうだい」

 俺は巨大な円柱状の箱を持たされた。

「え、いつの間に!? ちょ、俺もルイズのドレス姿見たかったんだけど!」

 思わず本音が駄々洩れになってしまった。ルイズはキョトンとすると、少し顔を赤らめて言った。

「舞踏会の時に見せてあげるわよ。それまで、箱の中覗いちゃ駄目」
「マジかよ……」

 感想聞くって言ったくせに、何てこった……。
 俺はガックリと肩を落としながら帰路に着いた。
 皮の袋に加えて巨大な箱を持っているせいで、酷く歩き難く、自転車と馬の場所まで来た時には疲労困憊だった。

「あんた、これから学院まで大丈夫なわけ?」

 ルイズが呆れた様に言う。

「っていうか、この荷物、馬に乗せられるのか?」

 俺は箱と袋を見ながら尋ねた。両方ともかなり大きいし、箱なんて、馬に乗せたら落ちてしまいそうだ。

「大丈夫……って言いたいけど、確かに落として汚したら大問題よね……」
「やあ、ルイズとサイトじゃないか」

 ルイズが唸っていると、後ろから聞き覚えのある少し気障っぽい声が聞こえた。
 振り向くと、そこにはギーシュが居た。ギーシュの手にはルイズのドレスが入っている箱と同じ箱があった。
 ギーシュの隣にはおでこの広い長い金色の巻き毛と鮮やかな青い瞳の少女が居た。やせ気味だけどルイズより頭一つぶんくらい身長が高い。確か、名前はモンモランシー。

「ギーシュとモンモランシー」

 ルイズは二人を見ると目を丸くした。

「そういや、ギーシュも街に来るって言ってたっけ」
「ああ、その帰りさ。それにしても、いいタイミングで会ったね」
「いいタイミング?」

 俺が首を傾げると、ギーシュは言った。

「一緒に馬車で帰らないかい? 勿論、お金は三人で割り勘で」

 三人っていうのは、当然だけど俺は数に入っていない。この星のお金なんか持って無いんだから当たり前だ。

「うん、馬車か、ちょっと乗ってみたいかも」

 馬には乗れないけど、馬車に乗るっていうのはかなり魅力的だ。映画なんかで、荒野の道をゆっくりと進む馬車のシーンなんかが割りと好きだ。
 実際に乗れるなら、乗ってみたいって思う。

「まあ、三人で分ければそんなに高くならないからいいかしらね」

 モンモランシーが言った。

「そうね。荷物が多いし、そうしましょ」

 馬車で帰る事に決まった。俺は自転車を引きながら馬車の駅にルイズ達に連れられながら向かった。

「ねえ平民、ソレは何?」

 モンモランシーが俺の引いている自転車を見て首を傾げた。
 それより、平民って呼ぶな!

「俺は平民なんて名前じゃない。これは自転車だ」
「別にいいじゃない。ジテンシャって何?」
「よくない! 自転車は乗り物だ」

 俺は憮然としながら言った。

「態度が悪いわよ、平民。無礼じゃない。それに、乗り物って本当?」
「俺は平賀才人って名前があるんだ! 平民って喚ぶんじゃねぇ! それに嘘じゃない、これは乗り物だ!」
「うるさいわね! 平民が貴族に怒鳴るなんて!」

 モンモランシーがギロッと俺を睨みつけてきた。

「知るか! 俺は平賀才人だ! こっちだと、サイト・ヒラガ。ちゃんと名前で呼べよ、モンモン!」
「誰がモンモンよ!」
「人の名前をちゃんと呼ばない奴なんて、モンモンで十分だ!」
「何ですってええええ!」
「君達、喧嘩はよしたまえ」

 俺とモンモンがヒートアップしていると、呆れた様にギーシュが止めに入った。

「モンモランシー、彼、サイトは僕の友人なんだ。ちゃんと、名前で呼んであげてくれないかい? それに、サイト。僕のモンモランシーを可愛らしいけど勝手に略称で呼ばないでくれ」
「ゆ、友人って、ギーシュ、相手は平民なのよ?」

 モンモランシーが目を丸くしながら言った。
 そんなモンモランシーにギーシュは諭す様に言った。

「本当だよ、モンモランシー。彼とは貴族と平民の間の溝を越えて友人になったんだ。頼むよ、モンモランシー」
「そ、そこまでギーシュが言うなら……」

 モンモランシーは心底嫌そうな顔をしながら俺を見た。

「モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ。二つ名は“香水”よ」
「サイト。サイト・ヒラガだ」

 俺も精一杯嫌味な表情を浮かべながら言った。

「よろしく、サイト・ヒラガ」
「よろしくな、モンモランシー」

 俺達は顔を引き攣らせながら自己紹介をした。ギーシュとルイズは呆れた表情を浮かべている。
 それから馬車の駅に着くまで誰も喋らなかった。時々、俺とモンモランシーが睨み合うだけだった。
 馬車の駅に到着すると、四人乗りの馬車の荷台に自転車と買った荷物を載せて、一路トリステイン魔法学院へと戻って行った。
 学院に到着する時には日が沈み始めていた。荷物を部屋に運ぶ様にルイズとモンモランシーが荷物をメイドに預けて、ルイズ達はそのまま食堂に向かおうと言ったから、俺は先に行っててくれって言った。
 自転車をコルベール先生の所に持って行かないといけないからだ。自転車に跨って、俺は本塔に向かうルイズ達と別れて火の塔のコルベールの研究室に向かった。
 コルベールは留守だった。俺は自転車を研究室の扉の前に置いて、戻る事にした。そして、火の塔から出て本塔に向かう途中で、信じられないモノを見た……。

「な、何だよ……アレ!?」

 本塔の近くに巨大な人の形をした物体が立っていたのだ。高さは三十メートルくらいある。その下に、何と、ルイズとギーシュ、それにモンモランシーが居た。

「ルイズ!」

 俺は一目散に駆け出した。巨大な土の人形はフラフラと動いていた。
 背中に背負った剣を鞘から引き抜く。今度はちゃんと体が軽くなった!
 俺は一気にルイズの下に駆けつけた。

「ルイズ!」
「サイト!」

 俺はルイズを護る様に土人形の前に躍り出た。すると、土人形の上の方から女の声が聞こえた。
 見上げると、そこにはローブを目深に被った人影が悶えていた。人影から断続的に白い靄の様なモノが溢れ出している。

「ちょっと待ちたまえ、これってあの時と……」

 ギーシュが青褪めた表情で呟いた。俺は思い出した。前にも似た様なものを見た覚えがある。
 喚くマリコルヌとマリコルヌの体を取り巻いた白い靄。目の前の現象はまさにあの時と同じだった。
 そして、喚き散らす人影の纏っていたローブが剥がれ落ちた。そこに居た人物を見て、ルイズが叫んだ。

「ミス・ロングビル!?」

 そこに居たのは、苦しみ悶えるミス・ロングビルだった。

「な、何!?どうなってるの!?」

 モンモランシーが悲鳴を上げる。その瞬間、白い靄が一気にミス・ロングビルと土人形を覆い尽くした……。

『我は影、真なる我……』

 霧の中から、ソレは現れた。黒光りする不気味な人の形をした物体。大きさは更に巨大になり、今や本塔を遥かに越える大きさになっている。
 月明りに照らされた、50m以上はありそうな巨大なソレは、赤い瞳を光らせながら俺達を見下ろしていた――――……。