第一話『わたしの聖杯戦争』

第一話『わたしの聖杯戦争』

気付いた時、わたしは落ちていた。ドンガラガッシャーンと盛大な音を立てて落下が止まる。
不思議な事に痛みがない。

「……えっと?」

困った。前後の記憶がない。

「って言うか……、あれ?」

思考を巡らせる内、事態がより深刻である事に気付いたわたしは悲鳴を上げそうになった。
口を大きく広げて、いざ声をあげようとした途端、部屋の扉がガチャガチャと鳴り始めてピタリと挙動を止める。
冷静に現在の状況を整理してみる。
見知らぬ場所。荒れ果てた室内。浮かび上がる二つの可能性。
一つは誘拐。一つは不法侵入。いずれにしても、ドアをガチャガチャ鳴らしている人間が入ってきたら大問題になる。
慌てて扉の前にバリケードを築いた。不思議な事に、重たいテーブルやソファーを軽々と持ち上げる事が出来て、簡単に強固なバリケードを築くことが出来た。
腕を触ってみる。プニプニしている。自分がゴリラでない事にホッとした。

「なんで開かないのよ―!!」

扉の外から怒声が響く。とても穏やかな話し合いを出来そうな相手ではない。
大急ぎで近くの窓に駆け寄る。留め金を外して窓ガラスを開くと、夜の闇への逃避行を決行する。
窓から数メートル離れた時、部屋の方から爆音が響いた。

「ばっ、爆弾!?」

恐ろしい。どうやら、相手はバリケードを爆弾で強行突破したようだ。一刻も早く離れなくては危険!
生い茂る草木を掻き分け、柵をよじ登る。
見覚えのない光景に息を呑みながら、坂道を駆け下りた。

「もう! もう、もう! なんなのよー!」

わけの分からない状況に涙が出てきた。

「ここはどこなの!? わたしは誰なの!?」

事態はとても深刻だ。なにせ、今のわたしは記憶喪失。前後の記憶どころじゃない。自分が誰で、ここが何処で、どうしてここにいるのかサッパリ分からない。
自分が女である事、草木を草木と認識出来る程度の常識、手足を動かす人体駆動の基本は幸いにも残っているけれど、それ以外が完璧に抜け落ちている。
どこかで頭の中を整理しなければいけない。だけど、今はとにかく走る。きっと、あの爆弾女が追い駆けて来てる筈。冗談じゃない。きっと、誘拐されたんだ。記憶喪失もあの女のせいだ。
病院? 市警? それとも……、ダメだ。これ以上、走る事以外に思考を割いているとスピードが落ちる。

「……って、あれ?」

気付けば大きな川の前まで来ていた。わたしが脱出した建物からかすかに見えたものと同じものなら、かなりの距離があった筈。考え事をしていたにしても、この短時間で走破出来る距離じゃない。
試しに軽く川辺を走ってみる。驚いた事に数百メートルを数秒で走り抜けた。

「どうなってんの?」

一般的に考えて、ありえない身体能力だ。
人体実験という単語が脳裏に浮かぶ。恐怖のあまり、目眩を感じた。

「……とりあえず、病院に」

そう思って、再び歩き出した瞬間、どこからか声が聞こえた。

『令呪をもって命じる。我が前に姿を現せ!』

その声に思考が働く前に体が動いた。強い引力に引き寄せられて、気付けば元の場所に逆戻りしていた。
あまりの事に驚いていると、目の前にはわたしと同い年くらいの女の子が立っていた。
なんだか、怒っているみたいだ。

「……確認するけど、貴女はわたしのサーヴァントで間違いない?」
「何いってんの?」

意味がわからない。人を捕まえていきなり|召使い《サーヴァント》呼ばわりなんて、失礼にもほどがある。
態度も高圧的だし……。

「っていうか、アンタこそ誰なの!? わたしに何をしたの!? さっきまで川辺にいた筈なのに、どうして戻ってきているの!?」
「……は? えっ、ちょっと待って……」

この少女がさっきの爆弾女だ。声が同じだから間違いない。
わたしの質問に答えようともせず、いきなりブツブツと独り言を言い出した。
危ない女だ。わたしは少しずつ彼女から距離を取った。近くに椅子が落ちている。万が一の時は使おう。

「……ねえ」
「なによ……」

顔を上げた少女と睨み合う。ものの数秒、硬直状態が続いた後、少女はおもむろに口を開いた。

「一つずつ答えてちょうだい。貴女はサーヴァント。それは間違いない?」
「だから、何言ってるのよ! わたしはアンタの召使いになった覚えはないわ! 見たところ、東洋人のようね。中国では人攫いが流行っているのかしら?」
「人攫い……? 待って……。貴女、本当にサーヴァントじゃないの? だって、令呪を使ったのよ?」
「令呪って何のことよ……」

とにかく、隙を突いて逃げ出そう。それでも駄目なら……。
わたしが決意を固めると、少女は青褪めた表情で後退った。

「……聖杯戦争」
「は?」
「聖杯戦争の事もわからないの? なら、魔術師は? 魔術協会や聖堂教会の事は?」

魔術師。その単語の意味が自然と頭に浮かんだ。魔術協会や聖堂教会の事を思い出した。

「……それは分かる。けど、聖杯戦争って……、あれ?」

おかしい。さっきまで分からなかった筈の事が分かる。聖杯戦争というたった一つの聖杯を巡って、七人の魔術師がそれぞれサーヴァントを使役して殺し合う争奪戦の情報が流れ込んでくる。

「聖杯戦争……」
「……ねえ、貴女は今、どんな状態なの?」

少女は言葉を選んでいる様子だった。さっきまであった高圧的な態度が鳴りを潜めている。

「……記憶がない。いきなり、知らない場所にいた。だから、逃げ出したのよ。アンタが誘拐犯なんでしょ?」
「嘘でしょ……」

少女は呆気にとられた表情を浮かべ、そのまま頭を抱えた。

「じゅっ、十年待ったわたしの聖杯戦争が……」

今のうちに逃げ出した方が良さそうだ。こっそりとさっき開けた窓に近づく。

「――――Das Schliesen.Vogelkafig,Echo」
「は?」

逃げ出そうとした窓に見えない壁が現れた。少女が結界を張ったようだ。
壊す手段がある筈なのに、どうしたらいいか分からない。歯痒く思いながら、少女を睨みつける。

「……別に取って食ったりしないわよ」

少女は諦めたように言った。

「多分、その記憶喪失はわたしがミスったせいだわ」
「……やっぱり、アンタのせいってわけね。でも、ミスって……?」
「説明するから、少し落ち着きなさい」

少女は近くに転がっている椅子を立て直すと、そこに座った。

「ほら、貴女も適当に座ってちょうだい。立ち話をするには色々と込み入った事情があるから」
「……このままでいい」

結界を壊す手段はある。その方法を思い出す事が出来れば脱出出来る。
それまで、話に乗って時間を稼ごう。さっきみたいに単語で記憶を蘇らせる事が出来る筈だ。

「……まず、聖杯戦争の知識がある事を前提に話すわ。貴女はわたしが召喚したサーヴァントよ」
「証拠は?」
「これよ」

少女はそう言って片手を上げた。そこには真紅の刻印が刻まれている。
聖杯戦争の時と同じく、情報が流れ込んでくる。サーヴァントに対する絶対命令権であり、三回限りのマスターの切り札。
一回目はわたしの強制召喚によって消費されたけれど、まだ二つ残っている。その内の一つで自害なんて命じられたら、わたしは……。

「ちょっ、ちょっと!?」

少女が慌てた様子で声を掛けてきた。頬に冷たい感触が走る。手で触れてみると、わたしの涙だった。

「……わたしを自害させるの?」

恐怖で声が震えていた。

「そんな事はしないわよ!」
「でも……、出来るんでしょ?」

体が震える。この女が気まぐれを起こしただけでわたしは死ぬ。
自分の命を掴まれている事実に立っていられなくなった。
呼吸もままならなくなる。

「落ち着きなさい!」

頬を叩かれた。意識が真っ白に染まり、わたしは呆然と目の前の少女を見つめた。

「誓うから! わたしは貴女に不本意な命令は下さない! だから、少しはわたしを信じてちょうだい」

少女の瞳はまっすぐだった。嘘偽りの影は見えない。

「……すぐに無理でも、信用してもらえるように頑張るから」
「本当……?」
「嘘は言わない。命令もしない。だから、話をさせて」
「……わかった」

わたしは少女に促されるまま、近くの椅子に腰掛けた。

「まず、自己紹介から始めましょう。わたしは遠坂凛。あなたのマスターよ」
「……トオ・サカリン?」
「……中国人じゃなくて、わたしは日本人よ。姓は遠坂で、名前は凛」
「わかった」
「……記憶はないって言ってたけど、どの範囲で? 自分の名前や出身国は分かる?」
「名前は分からない……。ただ、ロス市警の事は覚えてる」
「ロス……って言うと、ロサンゼルス市警察の事? なら、貴女はアメリカ出身で、ロサンゼルス市警察が設立された後の英霊って事ね?」
「英霊……?」

また、情報が流れ込んできた。いや、今回の単語は既に識っていたもののようだ。情報が内側から浮かんでくる。
過去に偉業を為した人物の魂。世界そのものに使役される守護者。

「……え?」

それはつまり、わたしは……。

「どうしたの!?」
「……わたしが英霊? じゃあ、わたしは……もう、死んでるの?」

椅子から崩れ落ちた。英霊として、聖杯戦争に招かれたという事はそういう事だ。
既に死亡して、世界そのものに召し上げられた偉人の霊。自分が偉人である事にも違和感を覚えるけれど、それ以上に自分が死亡している事に衝撃を受けた。
吐き気が込み上げてくる。目の前がぐるぐる回り始めた。意識が朦朧として、そのまま視界が暗くなった。

「……最悪」

遠坂凛は気を失った少女を前にして呟いた。
十年待った聖杯戦争。相棒となるサーヴァントと共に勝ち抜いて、聖杯を手に入れる筈だったのに、召喚したサーヴァントは記憶を喪っていて、自分が死んでいる事すら覚えていなかった。
英霊である以上、過去に偉業を為した人物である事に間違いはないだろう。けれど、彼女の反応を見る限り、戦に慣れているようには見えない。

「どうしよう……」

令呪は残っている。だから、記憶を取り戻させる事自体は難しくない。
問題は彼女の精神だ。記憶を取り戻した事で自分の死をより明確に実感した時、彼女はどうなるのだろう?
今の彼女の精神が記憶喪失故のものである可能性は高い。本来は勇敢な戦乙女であり、記憶を取り戻しても取り乱したりしないかもしれない。

「……でも、確証はない」

罪悪感がひしひしと湧いてくる。令呪で自害を命じられる可能性に身を震わせた少女の姿が瞼に焼き付いて離れない。
召使いという言葉に憤っていた事も思い出す。
普通の女の子にしか見えない。そんな子を召喚してしまったのは自分だ。

「時間のズレ……。ううん、そもそも触媒を用意しなかったわたしの落ち度だ」

知り合いの神父に散々忠告を受けていた。これは触媒なんて無くても最強の英霊を呼び出せると高を括っていたツケだ。
凛は少女を抱き上げると、思ったよりも軽い事に驚いた。
使っていない部屋まで運び込んで、少女の着ていた真紅の外装を脱がせる。どうやら、それなりに力のある聖骸布のようだ。

「あれ?」

内側に文字が刻まれている。

「……名前じゃないみたいね。掠れてて読めない。召喚直後のサーヴァントの外装にそんな経年劣化みたいな事ってあるのかしら」

よく見ると、継ぎ目のようなものが所々に散らばっている。一言で言って、ボロボロだ。
マスターに与えられている透視能力で彼女の情報を解析する。
真名は不明。クラスはアーチャー。クラス別能力は《対魔力:B》《単独行動:C》の二つ。保有スキルは《千里眼:B》《魔術:A》《心眼(真):D》《怪力:C-》の四つ。
ステータスは《筋力:C+》《耐久:D》《敏捷:B》《魔力:A》《幸運:E》《宝具:不明》。

「宝具と真名は分からない。けど、スペック自体は相当高いわね」

特に対魔力だ。このランクなら、大抵の魔術を跳ね除ける事が出来る。ただ、気になるのは魔術と魔力のランクの高さだ。アーチャーのクラスにしては高過ぎる気がする。
仮に彼女が記憶を取り戻した時、牙を剥かれたら抵抗出来ない可能性がある。Aランクとはそういうレベルのものだ。

「何者なのよ……、貴女」

彼女にとって、己は得体の知れない存在なのかもしれない。
だけど、凛にとっても彼女は得体の知れない存在だった。
凛は重たい溜息を零す。

「……どうなっちゃうのかしら。わたしの聖杯戦争」

第二話『少女二人』

第二話『少女二人』

 目の前には川がある。逆巻く流れは赤い。それが血である事に臭いで気づいた。
 嗅ぎ慣れた香りだ。足下に折り重なる亡骸の山も見慣れている。
 ここはそういう場所であり、わたしはそういう生き物だ。地獄は過程であり、目的はその先にある。
 振り向けば、生者が歩いてくる。苦痛にのたうちながら、想像を絶するありさまでわたしに縋ってくる。
 全身を焼かれた人間。関節を捻じ曲げられた人間。水分を抜き取られて干からびた人間。眼球や四肢を喪った人間。薬物投与によって壊された人間。病魔を植え付けられ、蝕まれている人間。切り刻まれ、内蔵を露出させている人間。
 わたしは彼らを迎え入れる。憎悪と憤怒を受け入れる。

 ――――それがわたしの|原風景《せかい》。

 もう一度振り返り、川の対岸を見つめる。
 そこには……、
 
 ◆

 わたしはベッドで横になったまま、右手を真っ直ぐ天井に伸ばしていた。
 ふかふかの布団のせいなのか、全身が汗でビッショリだ。夢を見ていた気がするけれど、内容は思い出せない。
 ただ、凄く哀しい気持ちだけが胸に残った。涙が頬を伝い、顎から滴り落ち、パジャマに染みを作る。

「なんだろ、これ……」

 溜息が出た。

「っていうか、ここはどこ?」

 血が巡り始めたのだろう。頭が冴えてきた。
 眠っていたベッドも、部屋の内装も、着ているパジャマでさえ初めて見る。

「たしか、わたしは……」

 頭を整理してみると、昨日の事を思い出した。
 聖杯戦争。サーヴァント。英霊。死者。魔術師。魔術協会。聖堂教会。遠坂凛。

「……うん、覚えてる」

 眠ったおかげだろう。大分心が落ち着いている。
 近くの椅子に折り畳まれた赤い服があった。わたしが着ていたものだ。
 派手だし、見た目も奇妙だ。だけど、袖を通してみると、不思議と馴染む。
 まるで、誰かに抱き締められているみたい。
 
「……あの子は」

 部屋を出て、マスターを探す。昨日は見えなかったもの、分からなかったものが視える。これは彼女とわたしの間に繋がったラインだ。
 ラインを辿ると、マスターはリビングの片付けをしていた。

「あら、起きたのね」
「……お、おはよう」
「おはよう。どうやら、落ち着いたみたいね」
「……手伝う」

 マスターに掃除用具を借りて、一緒に片付け始めた。埃や何かの破片を掃きながら、マスターの様子を伺う。
 どうやら、割れたガラスや破れたソファーの修繕を行っているみたいだ。
 なんとなく、わたしにも出来そうだと思った。

「……これを」

 壊れた椅子に触れる。すると、みるみる内に散らばった破片が壊れた椅子に集まっていき、一秒後には修繕が完了した。傷跡一つ残っていない。

「さすがじゃない。もしかして、記憶が戻ったの?」
「ううん。出来る気がして、やってみたら出来たの」
「そっか……。まあ、昨日の今日だしね」

 壊れたモノは直して、汚れた所は掃いて、拭いて、一時間後にはすっかり綺麗になった。

「二人でやるとさすがに早いわね。ねえ、ご飯を作ろうと思うんだけど、食べられる?」
「う、うん! 手伝うよ」

 話してみると、マスターは優しい女の子だった。それと、料理が上手。

「ここでパプリカ投入っと」

 わたしも思った以上に料理が達者で安心した。

「フードプロセッサーとかは無いの?」
「なにそれ?」

 話していると、時々会話が噛み合わない事もあったけれど、そこはサーヴァントと人間の違いなのだろう。
 ソースを作るなら便利なんだけどな、フードプロセッサー。

「完成!」

 作ったのはオムライス。それと付け合せのサラダ。

「マスターの作ったソース、ピリッとして美味しいね!」
「ふふん、そうでしょう。オリジナルなのよ、これ」

 掃除をして、料理をして、わたし達は少し打ち解ける事が出来た。
 料理を並べ終えて、席に座ったタイミングでわたしはマスターに頭を下げた。

「昨日はごめんなさい……」
「……何のこと?」
「その……、当たり散らした事……」
「それは貴女の謝る事じゃないわ。召喚の不手際はわたしの落ち度だし」
「……でも、ごめんね」
「わたしも悪かったわ。ごめんなさい」

 マスターも頭を下げた。二人揃って顔をあげると、マスターはニッコリ笑った。

「これでお相子にしない? そろそろ食べないと、料理が冷めるわ」
「うん、食べようか」

 食事をしながら、マスターの事をいろいろと教えてもらった。
 聖杯戦争に挑む理由を聞いてみたら、それが遠坂家の宿願であり、挑むべき壁だからって答えが返ってきた。
 聖杯そのものには特に執着が無くて、手に入ったら用途が見つかるまで倉庫にでも入れておくつもりらしい。
 
「マスターは変わってるね」
「そうかしら?」
「うん。いい意味でね」

 料理を食べ終えたら、また二人で洗い物をした。

「さて、どうしたものかしらね」
「マスター?」
「貴女、魔術はある程度覚えてるみたいだけど、戦闘技術の方はどうなの?」
「戦闘……、うーん」

 自分が戦う姿を想像してみる。
 雑多なイメージが浮かんできた。剣で戦う姿。槍で戦う姿。斧で戦う姿。銃で戦う姿。

「なんとなく……、だけど」
「……質問を変える。貴女、戦える?」

 彼女の意図は明白だ。敵と戦う己を想像すると、不安が過ぎる。

「分からない……。怖いと思うし、出来れば戦いたくないって思う……」
「オーケー。素直に答えてくれてありがとう。英霊なんだから、戦う術はあると思ってたけれど、やっぱり、戦闘に意欲的な方では無いのね。クラスがアーチャーである事といい、魔術スキルのランクから見ても、策謀を巡らせるタイプだったのかしら……」
「策謀……、うーん」
「……イメージが湧かないわね」
「って言うか、わたしってアーチャーなの?」
「……そこからか」

 洗い物を終えて、リビングに移動しながらマスターはわたしのステータスについて教えてくれた。
 
「アーチャーで、魔術のランクがA……」

 たしかに、それだけ聞くと策謀に優れたタイプの英霊に思える。

「でも、戦うイメージはどれも近接戦闘だったよ?」
「……うーん、分からないわね。アーチャーで近接戦闘って……」
「わたしって、どんな英霊なんだろ」
「一応、知る方法はあるわよ?」
「え? そうなの?」
 
 そんな方法があるなら、あれこれ頭を悩ませる理由が無くなる。
 さっさと教えてくれたらいいのに、どうして勿体ぶるんだろう。

「……令呪を使えば一発だけど、貴女の昨日の反応を見ると、無理に思い出させていいものか悩んでるのよ。だって、これは貴女の死因も同時に識る事になるのよ?」
「あっ……」

 どうやら、彼女なりの気遣いだったみたい。
 言われて、体が震えた。

「……うん。あんまり思い出したくないかも」
「聖杯戦争は開戦目前だし、あんまり悠長な事も言ってられないけど、わたしとしては自然に思い出す方がいいと思ってる。貴女、メンタル弱そうだし」
「ガラスのハートなの……」

 結局、令呪による記憶の復元は必要に迫られるまで延期になった。

「とりあえず、今後の方針ね。一先ず、戦闘は極力回避しましょう。挑まれたら受けざるを得ないけど、こっちからは挑まない。貴女の記憶が蘇ったら、その限りでは無くなるけれど」
「……うん。それでいいと思う」
「なら、話し合いはここまでね。街に繰り出すわよ」
「え? こっちからは挑まないって……」
「挑まないけど、ジッとしてるのも性に合わないのよ。貴女には街の地形を頭に入れてもらう必要があるし」
「……分かった」

 外にはわたし達以外のマスターとサーヴァントがいる。正直言って、すごく怖い。
 だけど、何もせずにジッとしている事はわたしの性にも合っていないみたい。
 
「とりあえず、服を着替えないとね」

 マスターはそう言うと、リビングを出て行った。
 戻って来た彼女の手にはあまり彼女らしくない服が乗っていた。

「これはマスターの?」
「ううん、知り合いが押し付けてきたものよ。それと、わたしの事は凛でいいわ」
「リン……うん、わかった。わたしはどうしよう……」
「アーチャーって呼ぶわけにもいかないし……、とりあえずアリーシャでいいかしら?」
「アリーシャ?」
「てきとうに考えたけど、可愛い名前でしょ?」
「……うん。じゃあ、それで」

 リンから借りた服を着ると、割りといい感じに決まった。
 白のブラウスがわたしの赤い髪と思った以上に相性が良い。スカートは黒のフレアだ。

「うん、似合ってるわ。一応、他にも何着かあるんだけど、わたしの見立てに狂いはなかったようね」
「へへ、ありがとう」
 
 二人で屋敷を出ると、昨夜走り抜けた坂道を今度はゆっくりと降りた。リンの屋敷は周囲の家々と比べると大分大きかったみたい。というか、この国の家は随分小さい。
 途中でレストランや観光名所のような場所も巡って、最後は冬木市一の高所にやって来た。
 ビルの屋上から見る夕日というのも良いものだ。

「あー、楽しかった!」
「そうね。誰かとこんな風に歩き回る機会は中々無かったんだけど、思ったより楽しめたわ」

 リンはどうやら友達が少ないようだ。

「それにしても、ここは高いね!」
「ええ、ここなら冬木を一望出来る……ッ」
「どうしたの?」

 リンは急に気まずそうな表情を浮かべて後退った。

「ううん、別に。ちょっと顔見知りがいただけよ。それより、冬木の地形は把握出来た?」
「うーん、たぶん」
「たぶん……。そう言えば、貴女って、千里眼のスキルがあったわよね? ここからだと、どのくらい視えるの?」
「えっとねー」

 目に力を篭めてみる。すると、思った以上に色々と視えた。

「……うん。ここからなら深山町にある家の瓦の枚数でも数えられそうだよ。それに、その下の……地脈の流れも視える。っていうか、ここの地脈って、なんかグニャッとしてるね」
「それは聖杯戦争が原因かしらね。それにしても、さすがはアーチャーね。深山の屋根瓦なんて、双眼鏡を使っても見えないわよ」
「わたしって、結構凄い英霊なのかもね」
「……うーん、どうかしらねー」
「そこは同意して欲しかったなー」

 それからしばらく二人でお喋りをしながら夜景を見た。

 ◆

「さて、夕飯は麻婆茄子よ!」

 帰りに色々と食材を仕入れてきた。朝の料理が思った以上に楽しかったから、これから料理は二人で作る事に決まった。
 わたしは茄子の下拵え。少し皮を剥いて、縦に切る。軽く塩水で揉んだら水で塩を洗い流して、油で軽く揚げる。
 リンはその間に合わせ調味料を作っていた。彼女は中華が得意みたいで、手際よく調理を進めている。

「こっちは準備オーケーだよ」
「ありがと! じゃあ、中華鍋にじゃんじゃん入れてくわよ!」

 油を引いた中華鍋にニンニクと生姜、それに唐辛子を入れる。そこへ更にリンが胡椒と醤油で下味をつけた豚ひき肉を入れる。
 しばらく炒めたら合わせ調味料と牛脂、豆板醤、醤油、オイスターソースを入れて、いよいよ茄子とネギを投入。火を強めて、水溶き片栗粉を入れる。
 
「次はお酢、山椒、ごま油っと」

 美味しそうな臭いが漂ってきた。リンが炒めている間に別の中華鍋で作った炒飯を皿に盛り付ける。この屋敷には中華鍋がなんと三つも備えられていた。
 リンが麻婆茄子を豪快に掛けて完成!
 
「美味しそー!」
「ふふん、当然よ! 唐辛子も知り合いから貰った特別なヤツで、パンチが効いてるから絶品よ!」

 初日はいろいろとあったけれど、一緒に過ごしていくうちに分かった。
 リンとはきっと仲良くやっていける。だって、こんなに楽しいもの。

「いただきます!」
「えっと、いただきます!」

 とりあえず、二人で作った麻婆茄子はとびっきり美味しかった。

第三話『初戦』

第三話『初戦』

 心地良い眠りを元気いっぱいな声に妨げられた。

「リン! 朝だよ! ご飯作ろうよ!」

 アーチャーこと、アリーシャがエプロン姿でベッドの横に立っている。

「……わたし、朝は食べない主義だから」

 布団を頭まで被る。朝は弱い方だから、そっとしておいてほしい。
 
「そんな事言わないで、一緒に作ろうよ―」
「パス」
 
 アリーシャが黙ってしまった。一秒、二秒……、一分。
 チラリと布団から顔を出して様子を見てみると、下唇を噛んで泣きそうな表情を浮かべているアリーシャの顔があった。

「分かったわよ! 着替えてから行くから準備しておいて!」
「わーい!」

 しまった! アイツ、嘘泣きだ!
 大きく溜息を吐いて、観念する。演技に騙されたとは言え、一度吐いた言葉を違える事は矜持に反する。
 身支度を整えてキッチンに向かうと、アリーシャがエプロンを差し出してきた。

「よーし、作るわよ!」
「おー!」

 やると決めたらテンションが上がってきた。
 誰かと一緒に料理を作る。考えてみたら、そんな経験は学校の調理実習くらいのものだ。基本的に学校では他人と距離を置くようにしているから、そういう時に楽しいと思った事はない。
 これは……、いいものだ。

「昨日買ったいわし! 夕飯用にって思ったけど、今使っちゃいましょ」
「オッケー!」

 二人で肩を並べながら包丁を握る。我が家の台所は広々としていて、二人居ても楽々動き回る事が出来る。
 
「まずはエラより下で頭を切り落としてっと」

 昔はこの作業が苦手だった。既に死んでいるモノとはいえ、生き物の首を切り落とす作業はとても残酷に思えた。
 
――――いい? こういうのは慣れよ。

 いつか、母に言われた言葉を思い出す。身も蓋もない言葉だったけれど、真理でもあった。
 魔術の鍛錬と同じだ。生き物の死も、積み重ねる業も、魔力を通す痛みも、一人っきりの孤独も、結局は慣れる。
 
「梅肉煮もいいよねー。丁度、材料も揃ってるし」
「なら、わたしの方は蒲焼きにしてみるわね」

 こうして誰かと一緒の時間を過ごす事にも直ぐに慣れる。この甘酸っぱい戸惑いも直ぐに掻き消えてしまう。
 ……それは少し勿体無い気がした。

「違うの作るの?」
「その方が楽しいでしょ?」
「……うん!」

 わたしは楽しんでいる。この少々頓珍漢なところがあるサーヴァントとの時間を。
 完成した料理はいつも作っているモノよりも美味しく感じた。

「この梅肉煮、美味しいわね。折角だから、弁当に入れていくわ」
「弁当……? 今日も出歩くの?」
「学校よ」
「……学校? え? 行くの?」

 意外そうな表情を浮かべるアリーシャ。

「当たり前でしょ。昨日はサボっちゃったけど、聖杯戦争中でもわたしは生活のリズムを崩すつもりはないのよ」
「……わたしはどうしたらいいの?」
 
 どうしよう……。まさか、聖杯戦争中にサーヴァントと離れるわけにもいかないし……。

「……あっ、そう言えば、サーヴァントは霊体化が出来る筈よね?」
「霊体化……? あっ、うん。出来るみたい」

 そう言うと、アリーシャはパッと姿を消した。

『うわー、変な感じ』
「とりあえず、これで問題無さそうね」
『……服が脱げちゃった』
「まあ、当然よね。カバンに貴女の着替えも入れておくわ。帰りにまた商店街に寄る事になると思うし」

 夕飯は何を作ろうかな?

『はーい』
「それじゃあ、学校に行くわよ」
『ラジャー!』

 ◆

 学校に到着した瞬間、わたしの浮ついた心は一瞬にして冷えた。

『……リン』

 アリーシャの不機嫌そうな声を聞いて、少し落ち着く。
 空気が淀んでいるどころの話じゃない。結界が仕掛けられている。それも、とびっきり悪辣な類のモノ。

「……学校が終わったら調べるわ」
『わかった』

 学校に他のマスターはいないと踏んでいた。だって、わたし以外に魔術師は一人しかいない。その一人もマスターになれるほどの魔力を持っていない。
 おそらく、これを仕掛けた人間は外部の魔術師だ。しかも、三流。第三者にアッサリ看破されるような結界なんて、張ったヤツの程度も知れる。
 魔術師である以上、わたしも綺麗事を並べる気はない。けれど、これを仕掛けた人間には相応の報いを受けさせる。
 わたしの|領域《テリトリー》で好き勝手されて、黙っているなんて性に合わないもの。

 二時限目の音楽を終えて、音楽室から帰る途中、重たそうに資料を運んでいる一年生の女の子と出くわした。

「手伝うわ、桜」
「え? あっ、遠坂先輩」

 遠坂先輩。この他人行儀な言い回しにも慣れてしまった。
 彼女が意地悪をしているわけじゃない。わたしと彼女はたしかに他人なのだ。だから、この呼び方は何も間違っていない。
 一方的に寂しさを感じているわたしの方が身勝手なのだ。

「……世界史のプリントね。まったく、葛木のヤツ! 女生徒をこき使うなんて!」

 とりあえず、わたしの担任であり、桜に仕事を押し付けた下手人である葛木に八つ当たりをしながら桜の持っている資料を半分奪った。

「せ、先輩?」
「手伝うわ。桜のクラスまで持っていくの?」
「……ううん。葛木先生のところまでです。誤字が見つかったからって」
「あー、なるほど」

 葛木宗一郎とは、そういう男だ。以前、中間試験の問題に誤字が見つかったとか言い出して、試験を中止にした前科がある。
 試験は後日改めて行うって、いつもの淡々とした口調で言った。あの時の事は今でも語り草になっている。
 わたしがその時の話をすると、桜はクスクスと微笑んだ。

「葛木先生らしいですね。先生、物を教える立場の人間に間違いは許されないって人ですから」
「度が過ぎてる気もするけどね。融通が利かないっていうか……まあ、そこがいいところでもあるんだけど」

 学年が上がるごとに葛木先生の評価は比例して上がっていく。
 最初は近寄りがたく見えても、本人が真っ直ぐだから割りとすぐに慣れる。すると、先生が実はすごく頼りになる人だと言う事も分かる。
 
「それにしても、先輩は葛木先生の事が好きなんですね」
「え?」
「先輩がそういう風に誰かの事を話すところ、はじめて見ました」
「そうね……。もう少し柔軟性があってもいいと思うんだけど……」

 そう思っているけれど、葛木は今のままでもいいのではないかとも思っている。
 うちの学校にはひたすら人に親しまれる先生がいて、とことん恐れられる先生がいる。そのバランスは実に絶妙で、だからこそ生徒達は素直に教師を信頼出来る。
 
「……っと、もうここまで来てたか」

 いつの間にか、職員室の前まで来ていた。資料を桜に返しながら、彼女の顔を見つめる。

「……ねえ、最近はどう?」
「あっ……はい、大丈夫です。元気ですよ、わたし」
「そっか……。慎二のヤツはどう? アイツは限度ってものを知らないから、もし何かするようならいつでも相談しなさい」
「心配いりませんよ、先輩。兄さん、この頃はやさしいんです」

 笑顔でそう言われて、それ以上は踏み込めなかった。

『今の子って、リンの友達?』

 別れを告げて、廊下の隅まで行くと、アリーシャが不思議そうに訪ねてきた。

「……似たようなものよ」
『ふーん、リンにも友達っていたんだ』
「失礼ね! わたしにだって友達の一人や二人、いるわよ」
『そうなんだ!?』

 心底意外そうな声。

「……あとで覚えてなさい」

 眉間に皺を寄せながらわたしは教室に向かった。

 一日が終わり、生徒達がいなくなるまで待ってからわたしは行動を開始した。
 結界の起点は様々な箇所にあり、それを追うごとにわたしの顔から表情が抜け落ちていく。
 最悪だ。結界はふつう、術者を守るためのもの。内と外を遮断したり、内部の人間の行動を制限するなど、タイプは千差万別。その中でも、もっとも攻撃的なものが内部における生命活動の圧迫だ。
 学校に仕掛けられている結界もこのタイプ。おそらく、一度発動すれば抵抗力のない人間は瞬く間に昏睡してしまうだろう。

「……これは|マスター《わたし》を狙ったものじゃない。おそらく、この学校の生徒をサーヴァントの養分にする為に仕掛けられたものね」

 すっかり空が暗くなった頃、最後の締めとして屋上に出る。アリーシャは不愉快そうな顔で実体化した。
 彼女の目の前には七つ目の起点がある。魔術師だけに視える赤紫の文字は見たこともないカタチであり、聞いたことのないモノで刻まれていた。
 
「わたしには手に負えない……。貴女はどう?」

 この結界の構築に使われた技術はまさに桁違いだ。わたしの力では精々呪刻から魔力を消し去る事くらいで、術者が魔力を注げば簡単に復元されてしまう。一時しのぎにしかならない。
 
「うん。この程度なら問題なく破壊出来るよ」

 彼女は当たり前のように言った。彼女は近代の英霊の筈だ。だけど、この結界は明らかにそれ以前のもの。下手をすると神代の技術が使われている可能性もある。
 それを破壊出来ると彼女は言った。

「……記憶、戻ってるの?」
「ううん。だけど、これを壊したいと思ったら、壊せるって答えが脳裏に浮かんだ。方法も少し集中すれば思い出せると……、リン!」

 突然、アリーシャがわたしを抱えて屋上の出入り口まで跳んだ。

「おっ、中々やるな! 気配は隠していたつもりなんだが?」

 給水塔の上にソレはいた。群青の装い、獣の如き真紅の眼光。一目見て、尋常ならざる存在である事がわかった。
 
「これ、貴方の仕業?」
「いいや。そういう小細工はアンタ等魔術師の領分だろう。なあ、お嬢ちゃん」

 男の視線はアリーシャに向けられている。

「違うね。これは外道の領分だ。どんな理由があろうと、リンもわたしもこんなモノを仕掛けたりはしない」
「……ああ、違いない。嬢ちゃん、|魔術師《キャスター》か? なら、そっちの流儀に合わせてやるぜ」

 男は給水塔から降りて言った。

「……どういうつもり?」
「遊んでやるって言ってんだよ。それとも、ガチでやり合うか?」

 男の意識は切り替わった瞬間、猛烈な吐き気に襲われた。濃密な殺気が直後の死を予感させる。
 そんなわたしの前にアリーシャが立ちはだかった。召喚直後、錯乱したり、怯えたりしていた彼女がわたしを守る為に立ち向かおうとしている。
 そのおかげで頭が冷えた。
 
「……いける?」
「無理」
「……えっ?」

 アリーシャは突然わたしの方へ後退した。その直後、わたしの体は宙を舞った。

「えっ?」

 気付くと、景色が一変していた。

「うち……?」

 そこはわたしの家のリビングだった。それが意味する事に気付くまで、たっぷり一分も掛かってしまった。

「空間転移!?」

 魔法の一歩手前にある魔術だ。現代において、これを実践出来る魔術師は稀であり、彼女が下準備をしていた様子もない。
 令呪によるバックアップがあったのならまだしも……。

「貴女……、何者なの?」
「……何者なんだろうね。ただ、あの状況だと勝てないって思ったの。だから、逃げなきゃって思って、そうしたら……、逃げ方が分かった」

 魔力を持って行かれた感覚はある。けれど、空間転移を使ったにしては妙に少ない。よほど、効率的な術式を使ったのか、それとも……。
 記憶喪失中の段階で、ここまでの魔術を行使出来るのなら、記憶が戻ったら一体……。
 しかも、彼女のクラスはアーチャーだ。キャスターではない。このあり得ないレベルの魔術すら、彼女にとって本来の武器ではない。

「頼もしいかぎりね……」

 もし、彼女が牙を剥いたら、わたしでは勝てない。おそらく、令呪を使う事さえ出来ない。
 はじめは頼りないカードを引いてしまったと思ったけれど、とんでもない。アリーシャはとびっきりのジョーカーだわ。
 使い方を誤らない限り。

「……とりあえず、夕飯作る?」
「……うん!」

 ◇

「さて、帰るか」

 友人に弓道場の掃除を頼まれていた少年は空がすっかり暗くなっている事に気付いて慌てた。
 校庭を横切り、急いで帰宅する。何事もなく、何も見る事なく、街の異常に気付く事もなく、いつも通りの日常へ帰っていく。
 
 ◇

 ――――まだ、召喚してないんだ。

 遥々異国からやって来た少女は不満を口にする。
 忠告はした。だけど、少年は行動を起こさない。
 
「……まったく、仕方ないな―」

 雪のように白い髪を持つ、幼い容姿の少女は踊るように街を歩く。
 
 運命の夜はすぐそこに――――。

第四話『運命の夜・Ⅰ』

第四話『運命の夜・Ⅰ』

 テーブルに並べてあった料理を温め直して食べていると、インターホンが鳴った。
 藤ねえか桜が忘れ物でも取りに戻って来たのかと思い、玄関扉の鍵を開けると、そこには小柄な女の子が立っていた。

「えっと……」
「こんばんは、お兄ちゃん」

 鈴を鳴らすような声。聞き覚えが在る。

「君は昨日の?」
「ええ、忠告してあげたのに、まだ喚び出していないのね」
「喚び出すって……?」

 困惑していると、少女の方まで困惑し始めた。

「えっと……、もちろん、サーヴァントの事だけど?」
「サーヴァントって?」
「……え? あれ?」

 とりあえず、立ち話をしていては埒が明かない気がしてきた。

「とりあえず、上がっていきなよ。お茶くらい出すからさ」
「えっ? えっと、いいのかな?」
「あれ? まずいかな?」
「え?」
「うん?」
「……うん。折角のお誘いを断るなんて、レディーにあるまじき事だもの。上がらせてもらうわ」
「あっ、うん。どうぞどうぞ」

 そのまま土足で上がろうとする少女に慌てて脱ぐように伝え、居間に案内した。

「これがタタミなのね……」

 珍しそうに畳を見ている。

「えっと、とりあえずお茶とお菓子を」

 緑茶と藤ねえが置いていったドラ焼きを少女の前に置いて、対面に座る。

「それで、君は一体? 俺の事を知っているみたいだけど……」
「……イリヤスフィール。わたしはイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。ええ、あなたの事は知っているわ」

 イリヤスフィールと名乗った少女はお茶を啜った。

「にがっ!? なにこれ!?」

 涙目になった。

「あっ、緑茶は苦手だったか? ごめん、ジュースにするべきだった……。すぐに用意するよ」
「……いい、飲む」
「え? でも……」
「いいから! 話の続き! っていうか、お兄ちゃんの名前を教えて!」
「え? 俺の事を知ってるんじゃなかったのか?」
「知ってるけど、名前は知らないの! ほら、はやく!」
「し、士郎だ! 衛宮士郎」

 ガーッと怒る彼女にあわてて名前を名乗った。

「シロウ……、シロウね。うん、シロウ!」
「れ、連呼されると恥ずかしいんだけど……」
「……シロウは聖杯戦争の事を知らないの?」
「聖杯戦争? なんだ、それ」

 イリヤスフィールは困ったような表情を浮かべた。

「ねえ、キリツグに教わってないの?」
「あれ? 親父の事は知ってるのか……。って言われても、聖杯戦争なんて話は聞いたことが無いぞ」

 そう言うと、イリヤスフィールはムッとした表情を浮かべた。

「えっと、なんかまずかったか……?」
「べつに! キリツグが聖杯戦争のことも、わたしのことも、なーんにもシロウに教えてなかったんだって思っただけ! ぜんぜんまずくないわ!」

 大分まずいことだったようだ。

「その、すまない。俺はその事を知っておくべきなんだよな。なら、教えてくれないか?」
「……仕方ないなー」

 やれやれと肩を竦めながらイリヤスフィールが話し始めた時、どこからかグーという奇妙な音が鳴った。

「あれ?」
「……だって」

 イリヤスフィールの目が泳いでいる。

「近くにいれば気付いて召喚を始めるかな―っておもってて、ずーっと待ってたのに……、ぜんぜん召喚しないんだもん」

 どうやら、インターホンを鳴らす前から近くでスタンバっていたようだ。

「……えっと、どのくらい?」

 指を三つ立てた。

「三時間……? 夕飯は?」
「……たべてない」
「了解」

 俺は立ち上がって台所へ向かった。

「シロウ……?」
「ちょっと待っててくれ。簡単に摘めるものを用意するからさ」

 切嗣を知っている少女の話。気にならないと言えば嘘になる。
 だけど、お腹を空かせた女の子から無理に聞き出す事は出来ない。
 まずは腹拵えをしてもらおう。

「材料は……、豚ロースがあるな。生姜、片栗粉、醤油、味醂、お酒っと」
「……なにを始めるの?」
「生姜焼きを作ろうと思ってな」
「ショウガヤキって?」
「美味しいぞ」
「……ふーん」

 まずはタレ用の生姜を擦る。これに調味料を測って入れて……。

「えっと、気になるか?」

 イリヤスフィールはジーっと此方を見つめている。

「べ、べつにー」

 口振りとは裏腹に視線は釘付けだ。もう随分昔の話だけど、俺も子供の頃に大人が料理をしている姿が気になって見ていた事がある。

「一緒に作るか?」
「……シ、シロウがどうしてもって言うなら」

 思わず笑いそうになった。
 桜の使っているエプロンを渡すと少しブカブカだった。

「うーん。俺が昔使っていたヤツがどっかにあったかな? ちょっと見てくるよ」
「う、うん」

 探し当てたエプロンはずいぶん長い間放置していたせいで少し埃っぽかった。

「うーん。これなら桜のエプロンの方が……」
「これがシロウの使っていたエプロンなのね」
「あっ、ああ」
「なら、こっちがいいわ」

 そう言うと、イリヤスフィールはエプロンを身に着けた。なんだか、妙に気恥ずかしい。どうしてか、藤ねえのことを思い出す。

「じゃあ、始めるか。イリヤスフィールは包丁を使えるのか?」
「うーん、たぶん使えるとおもう。あと、わたしの事はイリヤでいいわよ、シロウ」
「そうか? わかった。使えると思うって事は、使った事はないって事か?」
「……うん」
「なら、それも教えるよ」

 エプロンのついでに持ってきた踏み台をまな板の前に置いて、イリヤに登らせる。

「手はこうやって握るんだ。それで、豚肉の筋切りをしていく。赤身と脂の間に切り込みを入れておくと反り返らないんだ」
「えっと、こうね」

 イリヤは筋が良かった。手先が器用なようで、作業を着々とこなしていく。

「次は片栗粉をまぶすぞ。ビニールに肉と片栗粉を一緒に入れると簡単なんだ」
「任せてちょうだい」

 しゃかしゃかとイリヤが片栗粉を肉にまぶしている間に俺はフライパンの用意をする。
 
「これでいいの?」
「ああ、ばっちり」

 油をひかずにそのまま肉をフライパンへ投入。焦げ付かないように気をつけながら焼いていく。
 しばらくしたら滲み出てきた豚の油をキッチンペーパーで拭いて、さっき作ったタレを加える。

「いいにおいねー!」
「もうすぐ完成だぞ」

 それにしても、不思議なものだ。よく考えると、こんな時間に現れた幼い少女を家に招き入れて一緒に料理をするなんて普通じゃない。下手をすると警察の厄介になりかねない。
 だけど、自然とこういうカタチに収まっていた。
 完成した生姜焼きを皿に盛り付けて、ご飯をお椀によそう。既に夕飯を食べた後なのに、生姜の臭いにつられて俺もお腹が空いてきた。

「いただきます」
「えっと、いただきます」

 居間に戻って、二人で一緒にたべる。

「おいしい!」

 イリヤが歓声をあげた。

「イリヤががんばってくれたおかげだな」
「えっへん」

 お腹がいっぱいになったところで、デザートに藤ねえが持ってきたリンゴを切った。シャリシャリ音を立てながらのんびりと時間を過ごす。
 そのうちにウトウトし始めた。

「うぅ、眠くなってきた」
「大丈夫か?」
「大丈夫じゃない……」

 その時、玄関のインターホンが鳴った。

「今度は誰だ?」

 玄関の扉を開けると、そこには異様な出で立ちの女性が二人立っていた。
 
「えっと、もしかしてイリヤの保護者の人ですか?」

 そう言うと、女性の片割れが険しい表情を浮かべた。

「やはり、まだ始めていないようですね」
「始める……?」
「リーゼリット」
「うん、わかった」

 いきなり、もう一方の女性に胸ぐらを捕まれ、壁に叩きつけられた。

「何をしているの、セラ! リズ!」

 やっぱり、イリヤの家族だったようだ。

「ご覧のとおりです、お嬢様。むしろ、何故、バーサーカーを喚び出して、この者を始末なさらないのですか?」

 物騒な言葉が聞こえた。

「な、んだよ、始末って!」
「言葉通りの意味です。我らアインツベルンを裏切りし、エミヤキリツグの息子。我々は――――」
「黙りなさい、セラ! リズもはやくシロウを下ろして!」
「ですが……」
「わかった」

 セラと呼ばれた女は渋っていたが、リズと呼ばれた女はあっさりと俺を解放した。
 咳き込みながら、彼女達の言葉振り返る。
 アインツベルンを裏切りし、衛宮切嗣の息子。彼女達はそう言った。

「……ど、どういう事なんだ?」
「言葉通りの意味よ」

 イリヤは言った。

「キリツグはわたし達を裏切った。だから……」
「その息子の俺を始末しに来たって事なのか?」

 イリヤは俯いている。

「ごめんな、イリヤ」
「……なんで」
「俺は何も知らないんだ。知らない事に対しては謝れない。でも、何も知らない事でイリヤを傷つけた事には謝る。ごめん、イリヤ」

 イリヤは深く息を吸った。

「セラ。シロウは何も知らないの。サーヴァントを召喚してもいない。だって、聖杯戦争そのものを知らないんだもの」
「まさか……、エミヤキリツグの息子がそんな筈は……」
「本当よ。シロウは何も知らない。……そのままでいい」
「イリヤ……」

 イリヤは微笑んだ。

「夜分遅くに押しかけて申し訳ありませんでした」

 スカートの裾を持ち上げて、イリヤは優雅にお辞儀をした。

「あんまり、夜は出歩いちゃダメよ。あと、変な場所にも行っちゃダメ」
「イリヤ……?」

 イリヤはセラとリズの手を握った。

「ばいばい、シロウ。ショウガヤキ、とっても美味しかったわ」
「ま、待ってくれよ、イリヤ! 俺のことを始末しに来たんじゃなかったのか!?」
「だって、何も知らないじゃない……」
 
 その声は震えていた。
 去っていく小さな背中を追いかける事も出来なくて、俺はその場に立ち尽くしていた。

「なんなんだよ、聖杯戦争って……」

第五話『運命の夜・Ⅱ』

第五話『運命の夜・Ⅱ』

 聖杯戦争。聖杯と言えば、神の子が晩餐の席で『これはわたしの血である』と言って、ワインを弟子達に振る舞う時に使った杯の事だ。その名はロンギヌスの槍と並んで有名となり、様々な冒険譚を生んだ。
 宗教戦争は宗教を巡る戦争。独立戦争は独立を勝ち取る為の戦争。侵略戦争は侵略の為の戦争。その流れで行くと、聖杯戦争は聖杯を巡る戦争という事になる。

「聖杯……、か」

 いまいちピンとこない。

「イリヤ……」

 異国から遥々やって来た少女。その目的は裏切り者の息子である俺を殺す事。
 
「サーヴァントは召使いって意味だよな? それを召喚って言ってた」

 他にもバーサーカーとか言っていた気がする。

「……俺がサーヴァントってヤツを召喚していたら、そのまま始末をつけるつもりだったって事だよな」

 サーヴァントは一種の参加資格のようなものなのかもしれない。

「イリヤが嘘を吐いていたようには見えなかった。それに、あのセラとリズっていう人達は俺を本気で殺そうとしていた」

 深く息を吸い込んで、頭の中を整理してみる。
 現在、この街では聖杯戦争が行われている。それは幼い少女が人を殺す意志を持つようなもの。
 どういう規模で、どういう規範の下に、どういう目的を持って行われているのかは不明だけれど、いつかイリヤが人を殺すことになるかもしれない。

「……それはダメだ」

 おそらく、彼女は魔術師だ。召喚という言葉や魔術師である切嗣の事を知っている以上、間違いないと思う。
 魔術師は人の死を容認するもの。だけど、彼女は俺を殺さなかった。

「あの手を汚させちゃダメだ」

 一緒に生姜焼きを作った。一緒に食べた。美味しかったと言ってくれた。
 全部、俺の勘違いかもしれない。本当は聖杯戦争というのも殺し合いなんて物騒なものではないかもしれない。
 だけど、もしも彼女が血に塗れるような事があったら……、なんとしても止めたい。

「あー、だめだ。考えがまとまらない」

 あまりにも情報が少なすぎる。俺は頭を冷やそうと中庭に出た。
 雲が晴れていて、月が綺麗だ。

「……こういう時はアレだな」

 そのままの足で土蔵に向かう。結跏趺坐の姿勢を取り、呼吸を整える。
 朝食を作るように、学校に通うように、湯船に浸かるように、俺は日々の日課として魔術の鍛錬を行っている。
 頭の中を出来る限り白一色に近づけていく。

「|同調《トレース》、|開始《オン》――――」

 自己を作り変える作業。人間が本来持たない疑似神経の作成。
 その為に全神経を尖らせる。
 
 ――――僕は魔法使いなんだ。

 いつか、切嗣が言っていた言葉を思い出す。
 死と隣合わせの鍛錬を彼の死後も延々と続けている理由は一つ。こんな俺でも一つくらいは使える魔術があって、それを鍛えていけば切嗣のようになれるかもしれない。そう、信じたからだ。

「――――っと、よし」

 漸く、魔術回路が安定した。ここまでで一時間弱も掛かっている。

「サーヴァントの召喚も魔術なんだよな。それって、そもそも俺に出来るものだったのかな?」

 切嗣と俺は本当の親子じゃない。だから、彼の魔術刻印を受け継ぐ事も出来なかった。そんな俺に出来る事は《起源》に従って魔力を引っ張り出す事だけ。
 何かを召喚するなんて高等技術は習ったことがないし、出来るとも思えない。

「こう……、召喚! って言ったら、召喚出来たりしないかな――――」

 軽口のつもりで言った瞬間、異変が起きた。
 空気が揺らめき、眩い光が煌めいた。

「うわっ!」

 直後、それは魔法のように現れた。

「サーヴァント・セイバー、召喚に応じて参上した。問おう。貴方が、私のマスターか」

 すぐに返事が出来なかった。まさか、本当に召喚出来るなんて露ほども思っていなかったし、なによりも召喚されたサーヴァントがあまりにも……、あまりにも綺麗な女の子だったから、言葉が見つからなかった。
 凛とした表情を浮かべる彼女に十秒以上も掛けて漸く第一声を絞り出す。

「お、俺は衛宮士郎。その……、君は俺が召喚したサーヴァントでいいんだよな?」
「……ええ、ラインを通じて貴方から魔力が流れ込んできている。貴方は間違いなく、私のマスターだ。これより我が剣は貴方と共にあり、貴方の運命は私と共にある。ここに、契約は完了した」
「俺が……、マスターに……」
「どうしました?」
「い、いや……」

 俺は慌てて立ち上がると、改めて自己紹介をする事にした。

「改めて、俺は衛宮士郎。よろしく頼む」
「……ええ、よろしくお願いします、マスター」
「えっと、その……」
「どうしました?」
「とりあえず……、そのマスターっていうのは止めてくれないか? なんか、その……気恥ずかしい」

 そう言うと、彼女はクスリと笑った。

「では、シロウと……。ええ、私としても、この発音の方が好ましい」
「お、おう。えっと、君の事はなんて呼べばいいんだ?」

 いきなり浮世離れした美少女に下の名前で呼ばれて、少し動揺してしまった。

「セイバーとお呼び下さい。あるいは、アルトリアと」
「アルトリア……。そっちが君の本名なのか?」
「ええ、セイバーはあくまでもクラス名ですから。もっとも、敵の前で真名を口にされては困りますが」

 冗談のつもりだったのだろう。アルトリアは薄く微笑んで言った。

「そっか……、本名で呼ぶとまずいのか。って言うか、やっぱり敵がいるのか」
「……は?」

 アルトリアがポカンとした表情を浮かべている。
 
「えっと、いろいろと事情がありまして……。とりあえず、居間の方に行こう。こっちの事情も説明するからさ」
「え、ええ」

 セイバーにお茶を出してから、俺は事情の説明を始めた。

「……実を言うと、聖杯戦争とか、サーヴァントについて知ったのはほんの数時間前の事なんだ」
「数時間前……? それで参加を決意したのですか?」
「決意って言うか……。あんまり詳しくは聞いてないんだけど、戦争って言うくらいだから物騒な類のものだろうなって思ってさ。それに知り合いっていうか、まあ、そんな感じの女の子が参加してるっぽくて、あんまり危ない事は止めさせたいなーって思って、鍛錬中にサーヴァントを召喚出来たら色々事情も分かるかなーって思ったら……」
「わ、私が現れたと……?」
「はい……」

 アルトリアは愕然とした表情を浮かべている。

「確認しますが……、聖杯戦争のあらましはどこまで知っているのですか?」
「名前だけ……」
「……え?」

 アルトリアは考え込み始めた。

「あの……、マスターは魔術師ではあるのですよね?」
「い、一応……」
「一応というのは?」
「出来ることが強化と解析しかありません……」

 尻すぼみになる俺の言葉にセイバーは深刻そうな表情を浮かべた。

「えっと……、すまん」
「え?  あ、いえ、貴方が謝る事は何もありません。ただ、私が少し軽率だったもので……」

 頭を下げると、アルトリアは慌てた様子で言った。

「軽率って?」
「その……、真名を敵に知られる事は大きなリスクとなるのです。なので……」
「未熟な俺には教えるべきじゃなかったって事か……?」

 気まずそうに頷かれて、俺は肩を落とした。

「……とりあえず、聖杯戦争について教えてもらってもいいか?」
「ええ、構いません」

 聖杯戦争。アルトリアの口から語られるその内容は思った以上に血腥いものだった。
 万能の願望器である聖杯を求めて、七人の魔術師がサーヴァントを使役して殺し合う争奪戦。
 聞けば、既に四回も戦端が開かれ、その度に泥沼化して多くの死者を生んだらしい。
 イリヤがその戦いに参加している。
 いや、イリヤだけじゃない。この街に住んでいる人間は誰も彼も無関係でなどいられない。
 藤ねえ、桜、一成、慎二、雷画の爺さん、猫さん、零観さん……。
 親しい人間の顔が次々に浮かんでくる。他にも、商店街の人や近所の顔見知り、それ以外の人達も理不尽に殺される理由などない。

「アルトリア。俺はこの戦いを止めたい。こんなバカげた戦いで犠牲になる人が出るなんてイヤだ! その為に力を貸してくれないか!」

 彼女の話では、サーヴァントも聖杯に掛ける願いがあって召喚に応じるらしい。
 彼女にも相応の願望がある。聖杯戦争を止めたい俺とは相容れない立場にある。それでも、俺には彼女の力が必要だ。

「……頼む、アルトリア!」

 頭を下げると、アルトリアは深く溜息を零した。

「……私には聖杯が必要です」
「ああ……」
「ですが、貴方の思想にも共感出来る」
「なら!」

 顔を上げた俺にアルトリアは険しい表情を浮かべて言った。

「貴方は聖杯戦争を止めると言いましたが、その為に取れる手段は一つだ。被害が出る前に、迅速に全てのサーヴァントを打ち破る。それ以外に方法は無く、それならば私の方針とも一致する」
「それは……」
「ええ、それは貴方が戦争から遠ざけたいと願う少女とも戦う事を意味しています。あるいは、彼女に血化粧を施すのが貴方になるかもしれない。それに、それは貴方が厭う聖杯戦争へ積極的に参戦するという事。この矛盾を呑み込めますか?」
「は、話し合いとかは……」
「聖杯戦争に参加している以上、それは殺し、殺される覚悟を決めた魔術師達です。話し合いの余地などない。迷えば死ぬのは貴方であり、貴方が守りたいと願う人々だ」

 彼女の言葉に嘘偽りはなく、その瞳はどこまでも真摯だ。
 俺の気持ちを汲み取って、その上で残酷な言葉を突きつけてくる。

「守りたいのなら、今ここで選択するべきだ。時間のある内に覚悟を決めた方がいい」
「俺は……」
「すぐに答えを出す必要はありません。迷える内に迷っておいた方がいい」

 結局、俺は答えを出せなかった。
 いつかの切嗣の言葉が頭に浮かぶ。

 ――――士郎、誰かを救いたいということはね、他の誰かを救わない、ということなんだよ。

 そんな事はない。きっと、何か方法がある筈なんだ。
 どこかに……、きっと……。

第六話『アンノウン』

第六話『アンノウン』

 召喚されてから三度目の朝を迎えた。今日もリンを叩き起こして一緒に朝食を作る。
 彼女と肩を並べて料理をしていると幸せな気分になる。他愛ない話で盛り上がったり、料理の味付けを工夫してみたり、聖杯戦争なんて放ったらかして、延々とこういう時間を過ごしていたい。
 それを言うと、彼女は困ったように笑った。

「……それも悪くないって思っちゃうのよねー」

 正直言って、少し驚いた。また、手厳しいツッコミが来ると思っていたから、彼女が同意してくれるとは思わなかった。
 嬉しくなって、朝食を食べ終わった後にお菓子作りに挑戦した。
 今日は日曜日で、リンの学校も休みらしい。
 作るのはクリームも手作りの本格パンケーキ。

「バター20gを溶かしてっと……」

 この家に電子レンジがあって良かった。調べてみたら、フードプロセッサーは普通に売っていた。
 単にリンが極度の機械音痴で、調理器具でさえアナログなモノばかり使っていただけみたい。電話でさえ梃子摺ると聞いた時はリンの方が古の時代から召喚された英霊なのではないかと本気で疑いを持った。
 英霊・トーサカ。なんだか、すごい格好をしたリンの姿が脳裏に浮かぶ。ぷくくと笑うと叩かれた。

「今、失礼な事を考えたでしょ!」
 
 どうして分かったんだろう……。

「ほら、材料加えていくわよ! 上白糖40gに塩一摘み、卵を一個分と牛乳100cc、それからプレーンヨーグルトを100gっと」

 ボウルに入れた材料をかき混ぜているリンの手元の上から薄力粉とベーキングパウダーを混ぜたモノをザルに入れて振るう。
 上手く混ざるように三回に分けて加えた後、さらに混ぜる。

「それにしても、重曹じゃなくていいんだ」
「どっちでもいいみたいね。重曹なんて滅多に使わないから置いてないのよ。ヨーグルト買っといて良かったわ」

 フライパンを少し温めてから弱火で生地を焼く。

「泡が出てきたらひっくり返すわよ」
「あっ、それ、やりたい!」
「いいけど、失敗しないでよ?」
「ふふふ、アーチャーを舐めてもらっては困るね」
「パンケーキひっくり返す事とアーチャーのクラスである事はまったく関係無いわよね」

 真顔でツッコミを入れてくるリンに思わず吹き出してしまった。

「とりあえず、焼くのは任せるわね。こっちはクリーム作るから」

 そう言って、リンは練乳と生クリームをシャカシャカと混ぜ始めた。

「果物あったっけ?」
「えっと、ミカンならあるわよ」

 完成したパンケーキを皿に乗せる。ふんわりとしていて、完璧な出来栄えだ。
 
「ミルククリームも完成したわ」

 リンがミルククリームを絞りに入れて、パンケーキの上にトッピングしていく。その周りにわたしは筋を取ったミカンを飾る。
 うーん、ビューティフル。

「紅茶淹れるね!」
「じゃあ、パンケーキはわたしが運んでおくわ」

 わたし達のチームワークは完璧だ。もはやツーカーの仲と言っても過言ではないかもしれない。
 あったかい紅茶を飲んで、あまーいパンケーキを食べて、至福の時を過ごす。

「あー、幸せ。このままお昼寝したい」
「分かるわー」

 そのまま、しばらくのんびりしていると、急にリンが表情を引き締めた。

「……ねえ、アリーシャ」
「なに?」
「いろいろと聞いてもいい?」
「どうしたの? 藪から棒に」

 リンは姿勢を正すとわたしの目をジッと見つめた。

「学校の結界。あれを破壊出来るって言ったわよね。どうやるの?」
「……えっと、少し待ってね」

 どうやら、平穏な時間はここまでみたいだ。あの悍ましい結界の事を思い出すと殺意が湧いてくる。アレを仕掛けた存在を生かしておいてはいけない。
 だけど、まずはリンの言うとおり、結界の破壊を優先するべきだ。その方法はわたしの中にある。
 今のところ、わたしの記憶は部分的に蘇っている。わたしの過去は空白に近いけれど、一般常識や料理などの日常的な知識と技能は思考と同時に蘇る。
 魔術に関しても、やりたい事を思い浮かべると、出来るか出来ないかの判断がつく。そこから更に発展させる事でやり方も分かる。
 例えば、壊れたモノを直したいと思った時、直った結果をイメージすると、その通りに直る。空間転移も移動したい場所をイメージすれば、後はそのイメージに向かって飛び込むだけだ。
 この話をした時、リンは若干殺気立った。わたしの魔術は《結果》ありきで発動する。だから、どうやって行使しているのかを詳しく説明する事が出来なかった。
 おそらく、結果に対応する過程を無意識の内に処理しているのだろう。空間転移をそのレベルで行使出来る魔術師はまさしく規格外らしく、昨日は機嫌が直った後もグチグチと文句を言われた。優秀過ぎて困っちゃうわー。

「……うーん」

 それにしても、出来ると分かっているのに、結界を破壊する手段が中々浮かんでこない。

「どうしたの?」
「出来る筈なんだけど、どうやるのか浮かんでこないの……」
「……やっぱり、過程は思い出せないってわけね」

 実際、やってみたら出来るのだろう。だけど、それは結果として出来るだけで、どうやるのか理解する事が出来ない。

「厄介な記憶喪失ね……」

 リンは溜息を零しながら言った。

「次の質問。貴女、自分がどういう人間だったか分かる?」
「……えっと、記憶喪失なんだけど」
「うん。それは分かってるわよ。ただ、記憶喪失である事を踏まえた上で、自分をどういう人間だと思うのかって話」
「自分をどう思うか……?」

 随分と哲学的な質問だ。わたしはどんな人間なんだろう。
 割りと明るい性格だと思う。それに、学校の結界を視て、張ったヤツを殺してやりたくなる程度の正義感もある。
 料理が出来て、コミュニケーション能力も悪くない。魔術の腕は超一流で、クラスはアーチャー。
 顔だって、そんじゃそこらの女には負けない自信がある。まあ、リンと並ぶと票が二分されそうだけど……。

「才色兼備のスーパーガールだね!」
「……質問を変える。自分を善人だと思う?」

 返ってきた声は想像以上に冷たかった。

「……えっと、悪人では無いと思うけど」
「はっきりと善人って言える? 例えば、人殺しについてどう思う?」
「それは相手によるよ」
「……相手って?」
「人を殺す事は悪い事だよ。だけど、悪人を殺す事はいい事だと思う」
「……え?」

 リンは呆気にとられた表情を浮かべた。

「ど、どうしたの?」
「……悪人を殺す事はいい事なの?」
「当たり前でしょ? って言っても、誰かれ構わずってわけじゃないよ。どうしようもない程の悪党。例えば、リンの学校に結界を張った外道は何としても殺すべきだと思ってる」

 おかしい。なにもおかしな事は言っていない筈なのに、リンの表情が引き攣っていく。

「……ねえ、わたしはどうなの?」
「え?」
「わたしは魔術師よ。それに、この不特定多数の人間の命を脅かす聖杯戦争の参加者。貴女の定義の中でわたしはどうなってるの?」

 不思議な事を言う。

「リンは悪い人じゃないよ? だって、あの結界を視て、怒ってたもの。それに、リンは死を容認する事はあっても、死を弄ぶ事は決してしない。そういう人だって事は分かるから」
「……違いが曖昧ね。死を容認して、他の参加者の命を狙うわたしは広義において悪だと思うのだけど?」
「他の参加者の命を狙うのは仕方のない事だよ。だって、相手も命を狙ってくるんだもの。それに、リンはただ勝利したいだけでしょ? 欲望に塗れて、外道に走る真似をするなら悪だけど、貴女はそうじゃない」
「……仮にわたしが欲をかいて外道に走ったら、貴女はどうするの?」
「そうはならないよ。リンが悪に染まりそうになったら止める。もし、それでもダメだったら……、うん」

 ――――その時は残念だけど、殺すと思う。

「……そう。貴女はそういう性質なのね」
「えっと……、顔が怖いよ?」

 リンは溜息を零した。

「学校に結界を張ったヤツは相応の報いを受けさせる。そこは賛成よ」
「うん! リンならそう言うと思ってた!」
「……もう一つ、質問」
「なに?」
「貴女の本音はどっちなの?」
「え?」

 リンは言った。

「わたしとこうしてのんびり過ごしている方が良いのか、学校に結界を張った外道を殺しに行く方が良いのか。貴女が今したい事はどっち?」
「……わたしは」

 不思議な気分だ。わたしはリンとのんびりしていたい。楽しい時間をもっと過ごしていたい。
 だけど、同時に早く殺したいとも思ってる。今なら被害を喰い止められる筈だから、一刻も早く行動したいと思ってる。
 
「わかんない」
「分からない……?」
「なんだろう……、変な感じ。わたしはリンと一緒にいたいのに……、だけど、わたしの中には早く外道を始末しに行きたいっていう衝動もあるの」
「……そう」

 リンは深く溜息を零した。

「……なら、行動しましょうか」
「リン?」
「メリハリを付けましょう。のんびりするべき時はのんびりする。聖杯戦争をする時は聖杯戦争をする!」
「……リン」

 リンは快活に笑った。

「貴女と過ごす時間、わたしも好きよ。だけど、聖杯戦争もわたしにとって大切なの。だから、どっちも蔑ろにせず、両立するわよ!」
「リン!」

 どうしてだろう。嬉しくてたまらない。
 
「……どうしたの?」
「え?」

 リンが首を傾げている。頬に冷たい感触が走った。
 手を当ててみると、自分が涙を零している事に気がついた。

「あれ?」

 それで分かった。さっきまで、わたしは不安だったのだ。
 間違った事を言っているつもりはないのに、自分の本音を口にしたら、リンが離れていくのではないかって、怖かったのだ。
 自覚した途端、頭を掻き毟りたくなった。

 ――――悪魔。

 誰かの声が聞こえた。

 ――――疫病神。

 誰かの声が聞こえた。

 ――――人殺し。

 誰かの声が聞こえた。

 ――――誰がこんな事をしてくれって言ったんだ!!

 ……誰かの憎悪がわたしに向けられた。

「あっ……、そっか」

 記憶は戻っていない。だけど、一つ分かった。

「リン……」

 涙が止まらない。

「――――わたしって、おかしいんだ」

 涙を拭うと、瞼の裏に一つの景色が視えた。
 それは一つの地獄。血の雨が降り注ぐ、惨劇の舞台。それを造り上げたのはきっと、わたしだ。

「わたしって、何なんだろう……」

第七話『コンタクト』

第七話『コンタクト』

「――――覚悟は決まりましたか?」

 朝食を終えた後、セイバーがそう切り出した。
 士郎はすぐに応える事が出来なくて、気まずそうに視線を落とす。
 その姿を見て、セイバーは溜息を零す。

「シロウ。貴方の迷いは正しいものだ。どう言い繕っても、人を殺す事は悪であり、出来る事なら穏便に事態を収めたいと願う事は善です。それが平時における倫理のあるべき姿であり、理想です」

 セイバーの言葉に士郎はパッと顔を上げた。

「……ですが、聖杯戦争は……いえ、戦争とはそもそも倫理の及ばぬ場所にあるモノだ。両者共に掲げる正義があり、両者共に背負う悪がある。善悪が入り乱れる矛盾の坩堝。その中で意志を通すのなら、貴方も悪を背負わなければならない」
「俺は……」

 悔しそうに拳を握りしめる少年を見て、セイバーは目を細めた。

「……貴方は聖杯戦争から降りるべきだ」
「なっ……」
「聖杯戦争は人でなし同士の潰し合いだ。誰も彼も、己の欲望の為に他者を踏み躙る外道ばかり。私も同様です」

 セイバーは言った。

「貴方は善良だ。このような戦いに関わるべきではない」
「馬鹿言うな! 俺が降りても、戦いは続くんだぞ!?」
「……なら、貴方はどうするつもりなんですか? 敵であるマスターとサーヴァントを倒す事さえ躊躇い、どうやって戦いを止めるつもりなのですか?」
「だから……、話し合えばいいじゃないか! 同じ人間なんだぞ!」
「言ったではありませんか! 話が通じる相手ではないと! 人間同士だから会話が成り立つなど、戦場では世迷い言も同然だ!」
「そんなの分からないだろ!」
「分かります! ……なんども……、なんども経験しました」
「経験って……」

 セイバーは自分が苛立っている事に気付いていた。この少年はまだ夢見る乙女だった頃の自分と同じだ。
 正しい事が善であり、善は何よりも尊重され、その果てに理想の世界が広がっている。そう信じていた頃の己がいる。
 間違っているなどと糾弾したいわけではない。出来る事なら、彼の意志を尊重してあげたいと思う。招かれざる客は自分達の方だとも自覚している。
 それでも……、

「ケダモノに話など通じません」
「……そんな事は」
「もし、貴方の言葉が通じているのなら、私は諸手を挙げて貴方に賛同している筈でしょう?」

 セイバーの言葉に士郎は愕然とした表情を浮かべた。

「ほら、自分のパートナーとさえ会話が成立していない」
「……セイバーは誰かを殺してでも願いを叶えたいのか?」
「そうですよ。私はこの聖杯戦争がどういう性質のものか理解した上で召喚に応じている。敵を殺し尽くして、聖杯に手を伸ばす。その為にここにいるのです」

 士郎は悲しそうな表情を浮かべた。誰とでも分かり合えると主張した相手とさえ分かり合えていない。
 分かっていた事だ。彼女の言葉は何から何まで正しい。この戦いを止めたければ、敵を倒す以外に手段は無い。
 自分の|意志《せいぎ》を通すためには悪を背負う覚悟がいる。

 ――――正義の味方っていうのは、とんでもないエゴイストなんだ。

 嘗て、切嗣が口にした言葉を思い出す。
 結局、正義の味方は味方をした方の人しか守れない。味方をしなかった方の人にとっては……。

「でも、だけど……」
「シロウ……」

 その時だった。急にけたたましいベルの音が廊下の方から響いてきた。

「電話か……」
 
 重く感じる体に鞭を打って立ち上がる。電話の相手は藤ねえだった。どうやら、弁当を忘れたらしい。急いで作って持って来いとのお達しだ。
 彼女の元気な声に少しだけ救われた。
 
「……唐揚げか」

 リクエストされた唐揚げを作る為に台所へ向かう。
 セイバーの顔は見れなかった……。

「確か鶏肉はあったよな……」
 
 冷蔵庫を開けてみる。

「よし、あった!」

 取り出したもも肉を一口サイズに切っていく。塩コショウを振って、うま味調味料を一匙分。
 よく揉んだ後にお酒、醤油、すりおろし生姜、ニンニクを入れる。
 もう一度揉み込んだ後に隠し味として卵と一味を加える。

「片栗粉と小麦粉と水を加えてっと」

 無心に料理をしていると頭の中のもやもやが少し晴れた気がする。

「あんまり待たせると文句言われるし……」

 とりあえず、三十分程度置いたら揚げてしまおう。
 ラップをして、冷蔵庫に入れる。
 振り向いたらセイバーがいた。

「ど、どうした?」
「……その、何を作っているのか気になったもので」

 少し頬が赤い。照れているようだ。そう言えば、今朝の朝食をなんどもおかわりしていた。
 見た目より食欲旺盛なのかもしれない。

「唐揚げだよ」
「カラアゲ……、ですか?」
「ああ、三十分くらい置いたら油で揚げるんだ。完成したら、セイバーにも食べて欲しい」
「……あ、ありがとうございます」

 ああ、なんだ。難しく考える必要はなかったんだ。
 士郎はセイバーを見ながら思った。たしかに、一つの方向から見ただけで他人を理解する事なんて出来ない。本当に相手の事を知りたいのなら、もっと多方面から見るべきだ。
 凛々しくて、綺麗なセイバー。欲望の為に戦うセイバー。食欲が旺盛なセイバー。
 少しずつ、わかって来た。もっと知って、もっと話して、もっと一緒にいれば、今は無理でも、いつか分かり合える気がする。
 料理と同じだ。理想的な料理を作るためには相応に複雑な工程がある。
 難しくて当たり前だ。だから、諦めたり、意固地になったりする必要はないんだ。

「セイバー」

 彼女にも知ってもらおう。一方通行では意味がない。互いに互いを知って、少しずつ歩み寄っていこう。

「あとで学校に行くんだ。一緒に行かないか?」
「ええ、構いません。元より、外出の時は同行するつもりでしたから」

 一歩ずつでいい。セイバーだって、正しいと認めてくれた。なら、分かり合えない筈がない。
 自分なりに歩んでいこう。
 士郎は決意を固めながら、第一歩として唐揚げを揚げ始めた。セイバーには大好評だった。

「ちなみに、夜にはもっと味が染み込んで美味しくなってるぞ」
「なんと!?」

 案外、セイバーと分かり合える日は近いかもしれない。

 ◇

 お昼過ぎ、わたしはアリーシャを連れて学校に来た。
 色々とごたつきはあったけれど、最終的な方針は変わらない。この学校に仕掛けられた結界の主に相応の報いを受けさせる。

「……とりあえず、先に結界を破壊するわよ。出来るのよね?」
「うん」

 アリーシャは瞼を閉じた。

「……こっち」

 アリーシャの後を追いかける。

「どこに行くの?」
「中心部」

 アリーシャの眼は特殊だ。千里眼のスキルについて文献を調べたところ、ある一定のランクを超えたソレは透視や未来視すら可能とするらしい。
 ランクBのアリーシャの瞳にはわたしが視ている世界と違うモノが映っている筈だ。

「……あれ?」
「どうしたの?」

 突然、アリーシャが足を止めた。近くにある弓道場から賑やかな声が聞こえる。
 彼女の瞳は真っ直ぐに弓道場を向いていた。

「……リン。あそこに何かいる」
「まさか、サーヴァント!?」

 どうやら、弓道部は休日を返上して練習に励んでいるようだ。
 額から冷たい汗が流れる。よりにもよって、あの場所に……。

「中の様子は?」
「詳しくは分からないけど、特に暴れまわっている様子は無いみたい。……っと、相手もこっちに気付いたみたい」

 弓道場の扉が開く。中から出てきたのは小柄な少女だった。
 着ている服は男物で、なんだかチグハグに感じる。

「アリーシャ?」
「うん。彼女はサーヴァントだ」

 アリーシャの言葉と共に少女の表情が険しくなる。

「……よもや、白昼堂々と仕掛けてくるとはな」
「早合点しないでちょうだい。わたし達はたまたま通り掛かっただけよ」
「たまたま……? 今日は休日だと聞いているぞ」
「知ってるわよ。わたしはここの生徒だもの」

 とりあえず、話が通じない相手では無かったようだ。

「一応、確認するわ。ここの結界を張ったのは貴女?」
「……結界。ああ、なるほどな。淀んでいるとは思ったが……」

 その時だった。弓道場からもう一人出て来た。
 
「おーい、セイバー。どうしたんだ? って、遠坂?」
「え、衛宮くん!?」

 名前は衛宮士郎。わたしは彼の事をそれなりに知っていた。
 
「……ふーん。衛宮くんがセイバーのマスターなんだ」
「マスターって、どうして!?」
「どうしてって……」

 とりあえず、マスターという言葉に反応した時点でクロ決定。

「シロウ。彼女もマスターです」
「遠坂が!?」

 本気で驚いているみたい。演技の可能性もあるけど、そこまで器用なタイプにも見えない。

「……あっ」

 さて、どう切り出したものかと悩んでいると、アリーシャが急に衛宮くんの真横に現れた。
 あまりにも突然の事にわたしは咄嗟に動く事が出来なかった。
 セイバーも咄嗟に動き出したけれど、アリーシャが衛宮くんに危害を加えるつもりなら間に合わない。

「待ちなさい――――、」

 まさか、躊躇いなくマスターを狙うとは思わなかった。
 たしかに、それは聖杯戦争において、セオリーとも言うべき常勝戦略。なぜなら、人間であるマスターではサーヴァントに決して勝つことが出来ないからだ。
 とは言え、このまま衛宮くんを殺させるわけにはいかない。ここでは目撃者が多過ぎるし、なにより、彼はあの子の……、

「――――アリー」
「生まれる前から好きでした!!」
「シャ……って、え?」

 令呪へ注いでいた魔力が霧散する。
 
 ――――今、アリーシャはナンテ言った?
  
 セイバーも硬直している。衛宮くんは口をポカンと開けている。
 アリーシャは衛宮くんの右手を両手で包み込んで、熱い眼差しを向けている。

「好きです!!」

 思考がフリーズした。
 わたし達が凍りついていると、弓道場からどんどん人が出て来る。

「おいおい、衛宮! アンタ、道場の前で何をしてんの!?」

 わたしの数少ない友人である美綴綾子が呆気にとられた表情を浮かべている。

「ちょっ、ちょっと、士郎!? どういう事!? パツキン美少女を連れてきたと思ったら、赤髪美少女に告白されるって、いつからギャルゲーの主人公になっちゃったの!?」
「ギャルゲーって、藤村先生!?」
「いや、マジでスゲーな衛宮!」
「ああっ、間桐さんが固まってる!?」
「さすが衛宮先輩! 俺達に出来ない事を平然とやってのける! そこにシビれる! あこがれるゥ!!」
「いや、衛宮くんは告白されてる方だから……。でも、面白くなってきたー!」
「嘘だろ、衛宮! 間桐だけでも羨ましいのに、外人二人を加えたハーレムだと!?」
「ちょっ、いい加減にしてよ! 間桐さんは秘密のつもりなんだから!」
「いや、気付いてないの衛宮くんだけだし……」
「っていうか、遠坂さんだ! やっほー!」
「そこでいきなり平常運転に戻らないでください、藤村先生!」
「いい加減、収拾つかなくなって来たな」
「あー、腹減ったー。先生に弁当半分持ってかれたからシンドいんだけどー」
「今のうちに先輩が持ってきた先生用の弁当を食べちゃえば?」
「うおい! 聞こえてるぞー!!」
「ギャー、タイガーが怒ったぞー!」
「その首、へし折ったろうか―!!」
「ねえ、そろそろ練習続けない? っていうか、先輩もそういう事は人のいない所でやって下さいよ!」
「衛宮め……。くそっ、羨ましい……」
「……先輩」
「おーい、間桐が復活したぞ!」
「だから、イジろうとするな!」

 うーん、混沌としている。さすがは藤村先生の受け持っている部活。
 とりあえず、蚊帳の外で困惑しているセイバーに視線を向ける。
 さすがに抜け目がない。セイバーは呆気にとられつつも、いざとなれば一足でアリーシャに斬り掛かれる距離まで移動していた。
 彼女が動かない理由は周囲に人が多過ぎる事。だけど、アリーシャが行動を起こせば目撃者に構わず動くだろう。
 周囲の混乱も鎮まってきている。わたしは放心状態の衛宮くんの手を未だに握り続けているパートナーに声を掛けた。

「アリーシャ!」
「……っと、リン? どうしたの?」
「どうしたの? じゃない! 貴女こそ、何をしているの?」
「何をって……」
 
 アリーシャは衛宮くんを見つめた。蕩けるような表情を浮かべている。

「愛の告白」
「……それ、本気?」
「本気だもん!」

 プクーっと頬を膨らませて可愛く怒るアリーシャにわたしは頭を抱えた。
 
「愛の告白って、貴女、衛宮くんとは初対面でしょ?」
「……だと思うけど」
「まさか、一目惚れなんて言わないわよね?」

 アリーシャは黙ってしまった。顔が赤い。
 まさか、本当に一目惚れをしたとでも言うのだろうか?
 衛宮くんの方はと言えば、突然の事に混乱しているみたい。

「……ハァ」

 弓道部員達の目がわたしの方に向いている。
 とりあえず、このままここに居ても埒が明かない。

「先生」

 わたしは藤村先生に声を掛けた。

「は、はい!」

 おどおどしている。一度復活したように視えたけれど、やはり混乱が収まっていないみたい。

「この度はわたしのツレが騒動を起こしてしまってすみません」
「ツレって、あそこでいきなり士郎に愛の告白をかました子?」
「ええ、彼女はわたしの遠縁にあたる子なんです。家庭の事情でしばらくの間、彼女をうちで預かる事になりまして、近場を案内していたんです。それで、わたしの学校を見てみたいと言うものですから……」
「そうなんだ。それにしても、随分と大胆な子ねー」
「……お恥ずかしい限りですが、普段はもっと落ち着いた子なんです。とりあえず、これ以上みなさんの練習を邪魔するわけにもいきませんから、わたし達は場所を移しますね」

 周囲に有無を言わさず、わたしはアリーシャの手を取った。

「とりあえず、移動するわよ。話はそこで」

 衛宮くんにも小声で声を掛ける。

「あっ、ああ、分かった」

 騒いでいる弓道部員達を綾子と藤村先生に任せて、人気のない場所へ移動した。
 まったく、いきなり愛の告白とか、いったい何を考えているんだか……。

第八話『同盟』

第八話『同盟』

 比喩ではなく、本当に胸を撃ち抜かれたような衝撃を覚えた。
 初めて会った筈なのに、その顔を見た瞬間、居ても立ってもいられなくなった。
 記憶を失う前のわたしは惚れっぽい女だったのかな? いいや、そんな筈はない。だって、男の人なら他にもたくさんすれ違った。
 名前も知らない男の子。純朴そうな顔立ちで、背も高くない。だけど、困った表情を浮かべる彼は誰よりも可愛らしい。

 ――――違う。初めてじゃない。

 記憶は戻っていない。だけど、見つめている内に確信を得た。
 わたしはこの子と会った事がある。それも、すごく劇的な出会いを果たしている。

「――――それで、説明してくれるわよね?」

 リンが険しい表情を浮かべて睨んでくる。怒っている理由は分かっている。
 この少年は敵で、わたしの行動は彼女に対しての裏切りにも等しい。
 だけど、だけど、だけど、だけど、だけど!

「ダメなの、リン」
「アリーシャ……?」
「止められないの。わたし、多分だけど、この子と会うために生まれた」
「へ!?」

 彼は目を丸くした。誰だって、いきなり、こんなに重たい告白をされたら困ってしまう。
 分かっていても、感情に蓋を出来ない。まるで、彼は太陽だ。わたしはその周りをグルグル回る星。いずれ呑み込まれてしまう事が分かっていても、この引力に抵抗する事が出来ない。

「生まれたって……、それ本気で言ってるの!?」
「うん! ねえ、教えて! あなたの名前はなに?」
「え……、衛宮士郎だけど」
「エミヤ……、シロウ」

 その名前はわたしの魂を揺さぶった。
 
「いい加減、マスターから離れなさい」

 殺気と共に彼のサーヴァントがわたし達の間に割って入ってきた。

「……シロウって、呼んでもいい?」

 だけど、気にしていられない。今のわたしの意識には彼の事しかない。
 シロウ……、ああ、シロウ。
 なんて素敵な響きだろう。頭の中でなんども転がしてみる。愛しさが際限なく溢れてくる。

 ◇

 頭の処理が追いつかない。セイバーと一緒に藤ねえの弁当を届けに来たら、見知らぬ少女に告白された。
 しかも、セイバーによれば、彼女はサーヴァントらしい。おまけに遠坂がマスターときた。

「……シロウって、呼んでもいい?」

 冗談や演技とは思えない。

「構わないけど、君は一体……」
「わたしの事はアリーシャと呼んで」
「アリーシャ……?」

 それは真名だろうか? 隠すべきものだと聞いていたけれど、彼女がそう呼んで欲しいと言うのなら、そう呼ぼう。
 それにしても、不思議な女の子だ。初めて会った筈なのに、どこかで会った事がある気がする。だけど、それはありえない。
 赤銅色の髪、真紅の瞳、色白の肌。まるで、作り物のように可憐な顔立ち。一度会ったら、二度と忘れられないほどの美人だ。

「えっと、君もサーヴァントなんだよな?」
「うん、そうだよ」

 どうしてだろう。たんなる確認のつもりだったのに、肯定された途端、すごく嫌な気分になった。
 サーヴァント。それは偉業を為して、歴史に名を刻んだ英雄の霊。
 ……既に人の生を終えた死者。彼女は既に滅びた存在であり、その結末は覆らない。

「……君も聖杯を望んでいるのか?」

 サーヴァントが召喚に応じる理由は自身も聖杯に託す願いがあるからだとセイバーは言った。
 その祈りがどんなものにせよ、確実に分かる事がある。召喚に応じるサーヴァントは己の結末に悔いを残している。
 アリーシャと名乗った、この少女が納得のいかない終わりを迎えたとしたら……、そう考えると酷く癇に障った。

「うーん、どうかな?」
「……真面目に聞いているんだ」
「真面目に答えてるんだよ。だって、わたしには記憶が無いんだもの」
「ちょっと、アリーシャ!」

 いきなり、遠坂がアリーシャの口を塞いだ。だけど、聞き捨てならない言葉が聞こえた。

「記憶が無い……?」

 遠坂は顔を顰めた。

「このバカ!」
「アイタッ!」

 遠坂がアリーシャの頭を叩いた。結構、痛そうだ。

「シロウ」

 止めるべきか迷っていると、セイバーが話しかけてきた。

「どうしたんだ?」
「どうしたんだ、ではありません。相手はサーヴァントです。すこしは警戒して下さい」
「でも、アリーシャは大丈夫だと思うぞ」
「……シロウ。サーヴァントがどういうものか説明した筈ですよ。上辺だけを見て心を許すのは危険です」

 セイバーの言い分はよく分かる。だけど、違う。そうじゃなくて、もっと別の理由がある。
 言葉には出来ない。それがなんなのか、自分でも分かっていないからだ。
 言える事は一つ。アリーシャは敵じゃない。

「遠坂」

 アリーシャに説教をしている遠坂に声を掛ける。
 ギクリとした様子で振り向く彼女にアリーシャへ投げかけたものと同じ質問をした。

「もちろん、望んでいるに決まっているじゃない」
「……無関係の人を犠牲にしてでもか?」

 そう問いかけると、遠坂の瞳からあたたかみが消えた。
 
「ええ、その通りよ」
「……お前、それ本気で言ってるのか?」
「当然でしょ? 聖杯を手に入れる事は遠坂家の義務だもの。だいたい、貴方だって、聖杯が欲しくて参加した口でしょ?」
「違う! 俺はこんなバカげた戦いで誰かが犠牲になる事を止めたいから参加したんだ!」

 俺の言葉に遠坂は冷笑を零した。

「……なんだよ」
「犠牲を止めたい。とんだ正義漢ね」
「何が言いたいんだ?」

 遠坂は言った。

「犠牲を出したくないって言うのなら、もう手遅れよ」
「なっ……、どういう事だ!?」
「昏睡事件。貴方もテレビは見てるでしょ? それに、深山町で起きた殺人事件。それに、この学校には捕食用の結界が仕掛けられている」
「……それ、全部が」
「そうよ。すべて、聖杯戦争に参加しているマスターとサーヴァントの仕業」
 
 怒りで頭がおかしくなりそうだ。聖杯戦争は昨日今日で始まったわけじゃない。セイバーを召喚したのが昨日だっただけの話だ。
 だから当然、既に犠牲が出ている可能性は十分にあった。その事に気づかず、一晩を無駄にしてしまった事が悔やまれる。
 今、この瞬間も苦しめられている人がいる。そんな事、我慢ならない。

「平和に暮らしている人の生活を滅茶苦茶にして、そうまでして叶えたい願いって何なんだ?」
「……さあ、知らないわ」
「お前だって、願いがあるから参加しているんだろ?」
「だから、なに? わたしの願いを貴方に教える理由があるのかしら?」

 セイバーの言葉が脳裏に過ぎる。

 ――――ケダモノに話など通じません。

 認めたくない。だけど、既に被害者が出ている。殺された人もいる。
 悠長に構えていたら、また別の人間が殺される。その数は時間を追う毎に増えていく。
 敵とだって、いつかは分かり合えるかもしれない。だけど、それまでに殺された人間はどうなる?

 ――――正義の味方っていうのは、とんでもないエゴイストなんだ。

 セイバーは再三に渡って忠告してくれた。この事を理解していたからだ。
 時間は決して味方じゃない。迷った分だけ、零れ落ちていく。

「……だったら、俺は」

 人を殺す事は悪だ。どう言い繕っても、その事に異論を挟む余地はない。
 殺人鬼を射殺する警官も、苦痛に悶える者に安楽の死を与える意思も、自国の為にミサイル発射のスイッチを押す軍人も、等しく悪だ。
 それでも、犠牲を前に黙っている事など出来ない。正義の|為《ため》に悪を|為《な》す。
 ああ、昨夜のセイバーの言葉の本当の意味が今になって漸く理解出来た。

 ――――覚悟を決めた方がいい。

 それは、矛盾を呑み込む覚悟の事。

「俺は……」
「はい、ストップ」

 いきなり目の前に現れたアリーシャが人差し指で俺の口を押さえた。
 
「リンも意地悪言わないであげなよ」
「別に意地悪で言ってるわけじゃないわ。わたしが聖杯の為に参加を決意した事は本当だしね」
「遠坂……?」
「シロウ。リンだって、犠牲を出す事に賛同しているわけじゃないよ。むしろ、この学校に仕掛けられた結界に怒ってたくらいだもの」
「それって……」
「素直じゃないって事」

 クスクス笑うアリーシャに遠坂は顔を赤くした。

「うるさいわね! 余計な事は言わなくていいの!」
「だって、このままだと喧嘩になりそうだったし」
「喧嘩って……」

 遠坂は疲れたように肩を落とした。

「……アンタ、衛宮くんと戦いたくないとか言い出さないわよね?」
「え? 戦うの? わたしはイヤだよ?」

 女の子が浮かべてはいけない形相を浮かべている遠坂にアリーシャは目を逸らした。

「なあ、アリーシャ」
「なーに?」

 俺が声を掛けると、彼女は嬉しそうに顔を綻ばせた。

「俺は戦いを止めたい」
「いいと思うよ」
「アリーシャ!」

 遠坂はアリーシャの肩を掴むと前後に揺すった。

「アンタはだれのサーヴァントなのよ!?」
「ヤダナー、モチロンリンサマノサーヴァントデスヨ」
「この色ボケサーヴァント!!」

 一気に毒気を抜かれてしまった。

「シロウ」

 セイバーが声を掛けてくる。
 彼女も少し困惑しているみたいだ。

「……あれが油断を誘う為の演技かもしれないってところか?」

 驚くセイバーに溜息が出た。

「どう考えても違うだろ」

 俺を殺す気なら、殺す機会は何度もあった。
 それに、あの二人のじゃれ合いが嘘とは思えないし、思いたくない。

「遠坂のあんな顔、初めて見たよ」

 学校のマドンナの素顔といったところだろう。
 どこか浮世離れしていて、いつも他人との間に壁を作っていて、誰もが彼女を手の届かない高嶺の花だと思っていた。
 だけど、相棒と喧嘩している姿はどこにでもいる普通の女の子だった。

「……捕食用の結界って言ってたけど、どういう意味か分かるか?」
「おそらく、内部の生命を圧迫する類のものでしょう。正直に言って、この結界を仕掛けた者には嫌悪感が沸きます」
「気付いてたのか?」
「いえ、違和感はありましたが、彼女に教えられなければ気付けなかったでしょう。未だ、この結界は準備段階にあるようだ。魔術によほど精通している者でなければ初見で見抜く事は難しい。その点で言えば、あの|魔術師《メイガス》は大したものだ」
「……ちなみに俺と比べると?」
「……月とガラス玉を比べても意味は無いでしょう」
「そこまでか……」

 項垂れていると、いつの間にか喧嘩を止めた遠坂とアリーシャが近付いてきた。

「ねえ、衛宮くん」
「なんだ?」
「……ものは相談だけど、同盟組まない?」
「同盟……? 俺は構わないけど、なんでだ?」

 遠坂は眉間にしわを寄せながら溜息を零す。

「うちの色ボケが貴方にベタ惚れしちゃったからよ! なんで、どいつもこいつも……」
「えっと……」

 頭を抱えだす遠坂から視線を逸してアリーシャを見ると、嬉しそうに手を振られた。
 振り返してみると、さらに嬉しそうな顔になった。

「……シロウ。鼻の下が伸びていますよ」

 責めないで欲しい。あんな可愛い子に告白されて、嬉しくない男がどこにいるのだろうか。
 
「セイバーは構わないか? 同盟の話」
「わたしが構うと言ったら、あなたはどうするのですか?」
「えっと……、説得するかな」
「つまり、時間の無駄にしかならない。貴方が如何に頑固な人か、嫌というほど分かりましたから」

 むっつりした表情を浮かべるセイバー。

「えっと、ごめんな」
「誠意のない謝罪はいりません。それに、貴方はあまりにも危なっかしい。いずれ敵対する可能性があるとはいえ、あの|魔術師《メイガス》の助力は大いに助けとなるでしょう」
「ずいぶん遠坂の事を買ってるんだな」
「これでも多くの人を見てきました。彼女は人としても、魔術師としても卓越している。一度同盟を結んだら、此方から裏切らない限り、彼女が裏切る事も無いでしょう」

 俺に対する評価とはエラい違いだ。

「……随分な評価をありがとう、セイバー。期待は裏切らないつもりよ。それと、同盟を結ぶからには当面の方針を決めましょう。わたしから提案してもいい?」
「ああ、構わない」

 遠坂は空を見上げた。

「まずは結界を破壊する。それから、この結界を張ったヤツを懲らしめる。異存は?」
「無い!」

第九話『鮮血神殿』

第九話『鮮血神殿』

 ――――それは困ります。

 目眩がした。猛烈な吐き気に襲われて、地面に転がる。
 頭でも切ったのか、見開いた眼球に赤いベールがかかっている。

「なんだ、これ……」

 体が燃えるように熱い。

「気をしっかり持って下さい、シロウ!」

 セイバーの声だ。顔をあげると、意識が急にクリアになった。その代わり、変わり果てた学校に唖然となった。
 天を見上げた先には巨大な瞳が浮かび、世界は赤一色に染め上げられている。
 考えるまでもない。遠坂が口にしていた結界が発動したのだ。

「準備段階じゃなかったのか?」
「……おそらく、破壊されるよりは、と言ったところでしょう」
「監視されてたって事かしら……」

 遠坂が険しい表情を浮かべながら周囲を見渡している。

「アリーシャ。確認するけど、まだ壊せる?」
「……ごめん。発動前なら壊せた筈だけど、今は無理みたい」
「仕方ないわ。未完成の状態でコレだもの。たぶん、魔法の一歩手前まで踏み込んでる」
「魔法の一歩手前って、そこまでなのか!?」

 現代の技術では到達不可能な奇跡。魔道に生きる者の一つの到達点。それが魔法だ。
 その為だけに何代の世代を重ねる一族まであると言う。それに匹敵する大魔術。
 内と外を赤で分ける壁を見上げて、言葉を失った。

「アリーシャ。サーヴァントの気配はある?」
「ちょっと待ってて」

 アリーシャの瞳に魔力が宿る。

「……いない」

 その解答に遠坂は舌を打った。

「サーヴァントにしろ、マスターにしろ、これでハッキリわかったわ」

 その声には明確な殺意が宿っていた。

「衛宮くん」
「なっ、なんだ?」

 その瞳のあまりの冷たさに息を呑む。

「わたしはこの結界を張ったヤツを決して許さない。見つけ出したら、殺すわ」
「それは……」
「悪いけど、これは譲れない。わたしの方から申し出た事だけど、異論があるなら同盟はここで終わり。この結界は内部の人間を融解させて、魔力に還元するっていうとびっきり悪辣なモノなのよ。要は、結界内の人間を自らの糧にする為に皆殺しにする為の屠殺機構。人間を家畜同然に思っている外道以下の畜生の所業よ」
「人間を……、家畜同然に……」
「わたし達は魔術師だから無事だけど、今頃は弓道部のみんなも生命力を抜き取られて昏睡している筈。敵が姿を見せず、結界を解除する手段が無い以上……」

 彼女の言葉を理解した瞬間、脳裏に藤ねえや桜、美綴の顔が浮かんだ。他にも弓道部のみんなや、休日返上で練習に励んでいる他の部活の生徒達、その指導や管理の為に勤務に励んでいる教師達の姿が浮かんでは消えていく。
 この結界をどうにかしないと、みんなが死ぬ。だけど、その手段がない。
 
「そんな……」

 甘かった。まさか、ここまでするヤツがいるなんて思わなかった。
 
「……とりあえず、今は脱出の手段を探しましょう。可能なら、一人でも多く、外に出すわよ」
「一人でもって……」
「全員は無理よ。何処に誰が何人いるかもわからない。魔術師でもない普通の人間がこの結界内でどれだけの時間、生きていられるかも分からない」
「そんな……、でも!」
「迷ってる時間なんて無いの! 一秒でも早く動かなきゃ、助けられる人間も助けられなくなるわよ!?」

 何度目だろう。まだ、大丈夫。まだ、何とかなる。まだ、諦めなくていい。
 そんな甘い考えをたった一日の間になんども砕かれた。
 それでも尚、縋ろうとして、また……、

「リン。わたしが転移で結界の内と外を往復するっていうのは?」
「さすがに何往復も出来る魔力はないわ。いくら、貴女の転移の燃費が良くてもね」
「……ねえ、セイバー」

 アリーシャは少し考えてからセイバーに声を掛けた。

「なんだ?」
「この結界に穴は空けられる?」

 少し迷った後にセイバーが答えた。

「……大きさにもよるが、可能だ」
「なら、たぶんいける」

 その言葉に俯かせていた頭を上げた。

「助けられるのか!?」
「どうするつもり!?」

 俺と遠坂の声が重なる。

「説明はあと! とにかく、時間が惜しい! セイバー、頼むよ!」
「ああ、それで罪無き人々を救えるのなら是非もない」

 セイバーは俺を見た。

「マスター。おそらく、これをやれば私の真名が他のマスターに露見する事になる。それでも構いませんね?」
「ああ、当然だ」

 俺はアリーシャを見た。

「頼むぞ、アリーシャ」
「任せておいて」

 頭を切り替える。今は彼女をサポートする事に集中しよう。

「まずは結界の境界に向かいましょう」

 セイバーが先導する。あっという間に校門の前までやって来た。

「穴を穿った後はどうする?」
「少しでも長く維持して」
「……分かった」
「わたしがサポートするわ」

 セイバーが不可視の剣を掲げると、遠坂もポケットから宝石を取り出した。それぞれに高純度の魔力が宿っている。おそらく、それが彼女の魔術礼装なのだろう。
 
「風よ……、穿て!!」

 途端、嵐が巻き起こった。
 吹き荒れる風はセイバーを中心に……否、彼女の握る剣から発せられている。
 強大な魔力を帯びた風が鮮血の結界を穿ち、歪ませていく。
 だが、俺の目は彼女の剣に縫い止められていた。封が解かれた剣は黄金の輝きを宿している。
 彼女は言った。

 ――――私の真名が他のマスターに露見する事になる。

 その通りだろう。彼女の聖剣を見た瞬間、誰もが理解した。
 これこそ、あまねく聖剣のトップに位置する剣。星の光を束ねて鍛え上げられた至高。
 
「穴は空けたぞ、アリーシャ!!」
「後は任せて!」

 その声に漸く意識を聖剣から切り離す事が出来た。
 そして、あり得ない光景が目の前に広がった。

 ◇

 余計な思考は省く。意識するのは結果のみ。必要なモノは時間。

 ――――必要情報の検索を開始。
 ――――遺伝情報より、衛宮家の魔術刻印を復元。
 ――――『|固有時制御《タイムアルター》』の魔術理論を展開。
 ――――術式に記述を追加。 

 少しずつ、わたしの内側が変質していく。いつもと少し違う。今回のコレは少しだけど過程を挟んだ。
 どうでもいい。今、必要な事は人命救助。

「時よ……」

 セイバーの風に舞い上げられた葉がユラユラと落ちてくる。
 その速度が少しずつ遅くなり、やがて……、空中で停止した。振り返れば、リンやシロウ、セイバーまで固まっている。
 わたしは走り始めた。まずは一番近い|校庭《グラウンド》へ向かう。
 一人一人を運んでいては、とてもじゃないが時間が足りない。倒れ伏した陸上部員や球児達を次々に校門へ向かって投げ飛ばしていく。
 手元を離れた瞬間に静止するが、問題ない。 

「次は弓道場!」

 弓道部員達は全員が屋内にいた。

「悪いけど、天井を壊すよ!」

 ――――必要情報の検索を開始。
 ――――固有結界『|無限の剣製《アンリミテッド・ブレイド・ワークス》』より、宝具『ヴァジュラ』を選択。

『ああ、完■だ。■回の■■■である■■■■と■■■を■ぜた。あ■は、 コ■に■■を■■きすれば――――』

 耳障りな声が脳裏に響く。

『アイ■■ベ■■の■■■■よ、今■■そ、■■に聖■を――――』

 うるさい、黙れ! 今は一分一秒を争っている最中だ!

「ヴァジュラ!!」

 雷鳴が轟く。ヴァジュラが天井をのんびりと破壊している間、弓道部員達に投げ飛ばしやすいように並べる。
 下手をすると粉々になるから、持ち運ぶ時は魔力で保護しながら丁寧に……。
 弓道部を全員投げ飛ばしたら、次は校舎の中だ。 
 意外と言うべきか、面倒と言うべきか、この学校の生徒達は実に真面目だ。予想以上の人数が校内にいた。
 窓を外して、そこからどんどん飛ばしていく。

「職員室は……」
 
 これまた大人数がたむろしていた。
 幸か不幸か、窓が校門の方を向いているおかげで学校を破壊しなくて済んでいる。
 次々に教師達を投げ飛ばしたら、今度は用務員室。その次は体育館。その次は体育倉庫でイチャツイていたのだろうバカップル。
 そろそろ時間が無くなってきた頃、どうにか校内の全員を投げ飛ばす事が出来た。

「さーて、仕上げね」

 校門に戻ってきて、加速を緩める。
 見事、セイバーの空けた穴の先へ向かって順番に降り注ぐ生徒や教師達を外で待ち構えて次々にキャッチしていく。結界のせいで弱っている相手に乱暴過ぎるかもしれないけれど、他に方法がないから勘弁してもらおう。
 全員をキャッチし終えた後、驚愕の表情を浮かべているリン達も外へ運んでいく。
 全てが終わると、丁度魔力が底を尽いた。

「アリーシャ……、アンタ」

 リンが怖い顔をしている。だけど、もう限界だ。

「……あとの事は任せるよ」

 そのままわたしは意識を失った。

第十話『わたしのしたい事』

第十話『わたしのしたい事』

 ――――地獄を見た。

 人権というものは相互の同意によって初めて成立するものだ。一方が反故にした瞬間、何の役にも立たなくなる。
 その街は麻薬カルテルにとって重要な意味を持っていた。密輸ルートの確保に必要不可欠であり、補給地点としても有用だった。だから、複数のカルテルによる奪い合いが起きた。
 立ち向かった者もいる。街に元々住んでいた人々の中で、殊更勇気のある青年が仲間を率いて自警団を設立した。一時はカルテルに軽くない打撃を与える事も出来た。
 その代価として、彼は親類縁者全てを失った。見せしめの意味もあったのだろう。女性はおろか、少年や赤子も犯され、拷問され、街の中心に吊るされた。
 カルテル達は街の人間が二度と妙な真似を起こさないように、外部からの補給を制限して、内側に残る物資も強奪した。貧しさという抗い難い恐怖によって、街の人々は人のカタチをした怪物に変わっていった。
 生きるため。シンプルで、最も根強い欲望によって、多くの人がカルテルに忠誠を誓った。
 カルテルの命令を受けている間は生きる事を許される。
 その為だけに彼らは喜んで彼らの目となり、隣人や友人や家族を密告した。
 その為だけに彼らは喜んで彼らの手足となり、抗うものを全て処刑した。女子供を売買の為の商品に変えた。役立たない者の肉を解体してリサイクルに回した。

 ――――地獄を歩んだ。

 その街に救いはなかった。カルテルの手足となった時点で彼らは被害者から加害者に変わり、そうでない者はのきなみ壊されていた。
 悪意は新たなる悪意を生み、儚い善意を食い漁る。理性や倫理や情愛を持つ者は彼らの格好の獲物だった。
 これはメキシコの国境付近で日常的に起きている悲劇。この地獄でさえ、まだ穏やかと言える地獄がある。
 路端で折り重なる死体を見て、吊るされている死体を見て、遊興の為に拷問を受ける人を見て、彼女は世界を真紅に塗りつぶす。

 ――――その少女の名前を誰も知らない。

 ――――その人物が少女である事さえ、誰も知らない。
 
 ――――それを一人の人間だと知っている者もいなくなった。

 血に塗れた大地を彼女は闊歩している。
 助けを求める者。逃げ惑う者。怯えて蹲る者。目に映る全てを斬り捨てていく。そこに浮かぶ感情はなく、ただ作業的に命を刈り取っていく。
 それはもはや現象。人々の悪意が一定の域に達した時、彼女はどこからともなく現れる。
 彼女の姿を目撃して、生き残った者はいない。だからこそ、彼女の名前を誰も知らない。彼女の姿さえ、誰も知らない。
 人を殺し、魔術師を殺し、死徒を殺し、殺した数が万に届いた頃、その現象を人々は『|死の恐怖《グリム・リーパー》』と呼んだ。

 ――――彼女は語らない。

 彼女は強かった。無数の武器を持ち、時を操り、如何なる魔術でも行使する事が出来た。
 悪意を隣人とする魔術師達は現象の根絶を誓い、討伐の為に一つの村を贄にした。
 その村に悪意の種をばら撒き、彼女を誘き寄せた。
 万を超える軍勢が死力を尽くして彼女に挑み、そして、一人残らず死に絶えた。

 ――――だからこそ、彼女は自らの名を持たない。

 どうしてそうなったのか、いつからそうなってしまったのか、誰にも分からない。
 それが彼女の正体――――。

 ◆

 目覚めは最悪だった。

「……今のって、あの子の?」

 あらゆる武器を使い、目に見える全てを殺す死神。
 あまねく悪意を圧倒的な暴力で塗りつぶす魔人。

「召喚が失敗したせいじゃない……。彼女は元からそういう存在だったんだ」

 英霊となる前から、彼女はすでに人である事をやめていた。
 悪意に対する|半存在《カウンター》。言ってみれば、《正義の味方》という現象。
 似たような話ならば聞いた事がある。以前、知り合いの神父が何かの拍子に話してくれた。
 死徒二十七祖に数えられる吸血種。通称《タタリ》は誰も見たことがないけれど、たしかに存在する死徒として知られている。人々の噂や不安という感情を元にそれを様々な形で具現化する現象。人々の特定の想念の下に現れる現象という意味で、彼女とタタリは似ている。
 彼女の正体は誰も知らない。だけど、彼女の足跡に残る無数の死が彼女の存在を肯定する。だから、彼女は英霊になった。
 
「きっと、彼女という個は存在した。だけど、正体不明のまま英霊となった事で、彼女は《|無銘《ネームレス》》となった。だから、自分の事を思い出す事も出来ない」

 知りたくなかった。
 料理を一緒に楽しんだアリーシャの正体がそんな救いようのない存在だなんて、知らないままでいたかった。
 
「なんで……」

 涙が溢れた。

「なんで、そんな風になっちゃったのよ……」

 彼女は英霊だ。既に生を終えている。あんな救いのない状態のまま、何らかの終わりを迎えた。
 それが納得出来ない。納得したくない。

「ああ、もう! 聖杯……、必要になっちゃったじゃない……」

 涙を寝巻きの袖で拭う。

「……やる事は変わらない。わたしは勝つ。それだけよ」

 身支度を整えて部屋を出た。
 今、わたしは衛宮くんの家にいる。同盟を結んだ以上、同じ場所にいた方がいいと判断したからだ。
 昨日は事後処理を監督役に丸投げした後、一旦荷物を取りに遠坂の屋敷へ向かって、そこから衛宮邸に移動した。
 その後、アリーシャに魔力を大分持っていかれたわたしは衛宮くんに部屋を用意してもらって眠る事にしたわけだ。

「今は……、うわっ」

 時刻は十時三十分。さすがに昨日の今日だから学校も休みになっていると思うけど、十二時間以上も寝てしまった事は不覚としか言いようがない。
 いくら同盟を結んだ相手の家とはいえ、あまりに緊張感が足りなかった。
 部屋を出て、隣のアリーシャを眠らせている部屋に向かう。彼女はまだ眠ったままだった。そろそろ魔力は回復している筈だけど、その穏やかな寝顔を見ていると、起こす気になれなかった。
 扉をそっと閉じて、居間に向かうと、衛宮くんはバッチリ起きていた。セイバーと向き合って、何かを話しているみたい。

「おはよう、二人共」
「おはようございます、リン」
「おはよう。ずいぶん疲れてたんだな……」

 二人に軽く肩を竦めて見せた後、そのまま台所にお邪魔する。

「ちょっと、牛乳をもらうわよ」
「ああ、冷蔵庫の戸の方に入ってる筈だ」
「あったわ。ありがとう」

 目覚めの一杯を飲むと、頭の中がスッキリした。

「なあ、遠坂」
「なに?」
「学校のみんなは大丈夫なのかな?」
「あとで綺礼に確認してみるけど、おそらくは大丈夫だと思う。結界は未完成の状態だったし、アリーシャが速攻で救出してくれたから」
「……あれは凄かったな」

 衛宮くんは昨日の光景を思い出しているようだ。
 わたしもアリーシャの救出劇には目を見張った。彼女の姿が消えたと思ったら、弓道場で雷光が煌めき、学校中の生徒が流星群のように降り注いだ。
 カラクリはおそらく《|固有時制御《タイムアルター》》。あの夢の中でも彼女は多用していた。

「……ところで|魔術師《メイガス》」
「わたしの名前は遠坂凛よ。名字でも名前でも、どっちで呼んでもいいけど、メイガスは止めてちょうだい」
「……了解した。では、リン。今後の方針について貴女の意見を聞かせて欲しい」
「聞く必要あるの? わたしの方針は昨日言った通り、あの結界を張った馬鹿を殺す事」

 わたしの言葉に衛宮くんは硬い表情を浮かべた。

「反対って事? なら、やっぱり同盟は……」
「違う」

 わたしの言葉を遮るように、彼は言った。

「俺も覚悟を決めた。セイバーとも話したんだ。俺達も遠坂と同じ方針で動く」
「……そう。なら、同盟は継続ね」
「それで、これからどう動くんだ? 相手の目星はついてるのか?」
「残念だけど、犯人の特定は出来ていないわ。まずはアリーシャの回復を待ちましょう。あの子が万全になったら、街の巡回ね」
「……分かった」

 頷くと、衛宮くんは立ち上がった。

「なにか作るよ。腹減ってるだろ?」
「衛宮くん、料理出来るの?」
「ああ、それなりに」
「シロウの料理は絶品です。わたしが保証しましょう」

 セイバーはどこか誇らしげだ。思ったより、可愛い性格をしているのかもしれない。

「わたしはアリーシャの様子を見てくるわね」
「ああ、アリーシャの分も作っとくよ」
「お願いするわ」

 アリーシャの部屋に移動すると、彼女はまだ眠っていた。

「アリーシャ」

 声を掛けてみたけど、起きない。

「アリーシャ!」

 声を大きくしても起きない。なら、これは仕方のない事だ。

「起きなさい!」

 布団を容赦なく引剥がす。

「ギニャアアアアアアアアアアアア!?」

 飛び上がるアリーシャにわたしは笑いかけた。

「おはよう、アリーシャ」
「リン!? もっと優しく起こしてよ!!」

 フシャーと怒るアリーシャに少し安心した。
 いつもと変わらない。わたしの知っているアリーシャだ。

「そんな事より、衛宮くんがご飯を作ってくれてるわよ」
「衛宮くん……って、シロウが!?」
「愛するダーリンが待ってるわよ。さっさと支度をしなさい」
「わ、分かったよ!」

 からかったつもりなのに、大真面目な返事が返ってきた。
 桜といい、アリーシャといい、衛宮くんはモテモテね。
 もしかして、わたしにとって最大の敵って衛宮くんなのかもしれない……。

「準備出来たよ!」

 いつの間にか、アリーシャは可愛らしい服装に着替えていた。

「……そんな服、どっから出したのよ」
「ふふふ、わたしに不可能はほとんど無いのよ!」

 大分、自分の力を自在に操れるようになってきたみたいだ。

「とりあえず、行くわよ」
「はーい!」

 居間に戻ると、セイバーはみかんを食べていた。

「美味しそうだね!」
「……まずは朝の挨拶をしなさい、アリーシャ」
「あっ、うん。おはよう! セイバー」
「おはようございます。……どうぞ」

 思ったよりセイバーの態度が軟らかい。

「わたしも一つもらうわね」

 みかんの皮を剥きながら、テレビに視線を向ける。そこには通い慣れた学校の風景写真が映っている。

『――――私立穂群原高校で起きたガス漏れ事故の続報です。巻き込まれた生徒と教師はいずれも命に別状がなく、数日の内には退院出来る見通しとの事です』
『いやー、良かったですよ。それにしても、最近は妙に多く感じますね。一体、ガス会社は何をしているのだか!』
『柳田さんはどう思いますか?』
『そうですねー。冬木市は異人館と呼ばれるような建物が多く、旧い建物だと明治や幕末の時代に建てられたものもあります。それ故、新開発の進んでいる新都と比べると――――』

 どうやら、学校で起きた事はガス漏れ事故として処理されたようだ。
 専門家はあれこれと原因を探ろうとしているけれど、無駄骨になる事だろう。

「とりあえず、全員無事だったみたいね。お手柄よ、アリーシャ」
「えへへー」

 頭を撫でると嬉しそうに彼女は頬を緩ませた。

「おーい、出来たぞ」

 そうこうしていると衛宮くんが台所から出て来た。

「おはよう、アリーシャ。もう、大丈夫なのか?」
「……うん、大丈夫だよ」

 アリーシャに熱い眼差しを向けられて、衛宮くんの顔も赤く染まっていく。
 セイバーは苦笑いを浮かべている。きっと、わたしも同じ顔を浮かべている事だろう。
 アリーシャが率先して配膳の手伝いを買って出たから、わたしは大人しく準備を見守った。
 並んだ食器は衛宮くんとセイバーの分もある。

「二人もまだだったの?」
「いや、軽く食べたんだけど、少し小腹が空いたからさ。セイバーも食べるだろ?」
「ええ、もちろんです」

 嬉しそうな顔をしている。
 食事を始めると、本当に軽く食べたのか疑わしくなる程、セイバーはよく食べた。
 
「おいしい!」

 アリーシャが絶賛する。わたしも彼の用意してくれた食事に手を付けた。
 うん、たしかにおいしい。なんだか、アリーシャの味付けに似ている気がする。

「……そうだ。提案なんだけど、夕飯は交代制にしない?」
「交代制?」
「ええ、わたしもここで暮すことになるわけだし、家事の一つくらいは手伝わないとね」
「構わないけど、朝食はどうするんだ?」
「朝食は……、うん。朝食も交代制にしましょう」

 朝は食べない主義だって言ったら、また一悶着ありそうだ。

「というわけで、今夜はわたしが腕を振るうわ。アリーシャも手伝ってくれる?」
「うん! もちろん!」

 顔を輝かせる彼女にわたしも頬を緩ませた。
 生前、あんな地獄を歩き続けたんだ。だったら、今は彼女が楽しいと思えることをたくさんさせてあげよう。
 今だけじゃない。もっと、ずっと先まで、彼女は幸福に思える日々を送らせてあげよう。
 だって、それがわたしのしたい事なんだから。