聞き慣れない声に起こされて目を開けると、やはり、見慣れない人の顔があった。全身が酷く痛む。ベッドで横になっていた筈なのに、背中に当たる感触がやけにゴツゴツしている。耳鳴りと頭痛に耐えながら、辺りを見回してみる。すると、やはりと言うべきか、僕は家の外に居た。正確に言うと、路面に寝転がっていたのだ。
問題があるとすると、三つ。一つは周囲が炎に包まれている事。二つは体がピクリとも動いてくれない事。三つは僕がこの状況にまったくついて行けてないという事。
責めないで欲しい。いつものようにアパートのベッドで横になり、目が覚めたら火災現場の側の路上で横になっているなんて状況、混乱するなという方が無理な話だ。
「……なに……が」
ちょっと声を発しただけで猛烈な吐き気に襲われた。何度も咳き込み、その度に全身を鋭い痛みに貫かれた。しばらくして、吐き気が収まった頃、頭の上から男の人の声が降り注いで来た。
「痛いだろうけど、ちょっとだけ、我慢して」
そう言うと、見知らぬ男が僕の体をひょいと抱き上げた。背は低い方だけど、大学生の僕を軽々と――しかも、片腕だけで――抱き上げるなんて、ガリガリの見た目に反して、とんでもない怪力の持ち主だ。
体は全身をトンカチで叩かれたかのように痛み、僕は男が移動する間、ジッと瞼を閉じて耐え忍んだ。抱き上げられる寸前、もう片方の腕に子供の姿が見えた気がしたけど、さすがに気のせいだろう。幾ら何でも、僕を抱き上げた状態で、更に子供を抱き上げるとか、ボブサップでも無い限り無理な話だ。
いくらか時間が過ぎ、唐突に僕は男から遠ざけられた。柔らかいベッドの感触が心地よい。どうやら、病院に連れて来られたみたいだ。意識が朦朧とする中、治療が進められ、看護師の人から幾つかの質問を受け、つっかえながら答えた。
更に時間が過ぎていき、痛みが大分緩和された頃、僕は自分の身に起きた異常事態に気がついた。
まず、体が小さくなっていた。
「……コ、コナン君現象?」
体は子供、頭脳は大人?
「……え? どういう事……?」
手の大きさや腕の太さが明らかに以前までと違う。完全に子供の体躯だった。声も大分ハスキーな感じになっている。異常な事が立て続けに重なり過ぎて、むしろ僕の頭がおかしくなったのかと疑った。けれど、どんなに現実逃避しようとしても現実に変化は起きない。いや、この場合は『起きてしまった』と言うべきか……。
兎にも角にも、まずは僕を取り巻く状況を知りたい。両親には既に連絡が言っているのだろうか……。
幸いと言っていいのか分からないけど、僕は一人暮らしで、両親は遠く離れた東京に住んでいる。引っ込み思案で、運動音痴だった僕はずっと友達の居ない……、いわゆるボッチだった。けど、そのおかげで遊ぶ時間やら何やら総てを勉強に注ぎ込む事が出来て、関西の名門に入学する事が出来た。一人暮らしは不安で仕方が無かったけど、やっとの思いで慣れて来たと言うのに、その矢先にこんな事件に巻き込まれるとは思わなかった。
一体、何が起きたのだろうか……。あの炎の燃え方は半端じゃなかった。まるで、世界が終わってしまったかのような錯覚すら覚えた。
「……とりあえず、トイレに行こう」
考え事をしていたらおしっこに行きたくなった。どうして体が小さくなってしまったのかは分からず仕舞いだけど、そんな事よりもトイレだ。生理現象は止められない。さすがに大学生になっておしっこを漏らしたりしたらエライコッチャだ。
視線が大分低くなってしまい、歩幅も違和感が凄い。周りのベッドも子供だらけだけど、もしかして、皆もコナン化してるのかな?
まあ、総てはお医者さんが教えてくれるだろう。素人があれこれと考えた所で、人体がいきなり小さくなる現象に説明など付けられる筈が無い。
「えっと、トイレは……」
全世界共通の男女マークを発見。ちょっぴり早足で扉の前に行く。そっと扉を開こうとしたら――――、
「あら、そっちじゃないわよ?」
いきなり、看護師のお姉さんに呼び止められた。何の用かは知らないけど、こっちはそろそろ蛇口の蓋が開いてしまいそうなのです。どうか、ここは見逃して下さい。
何とかお姉さんの手を振り解こうともがくが、この身はコナン君化している為に歯が立たない。ずるずると、あろうことか僕は女子トイレへと連れ込まれてしまった。
「ちょ、ちょっと待って!! 僕は男だよ!?」
「……うーん、まだ混乱してるのかしら」
僕の訴えに看護師さんは憐れみ一杯の視線を投げ掛けて来た。
「後で精神的なケアも必要ね。まあ、当然よね」
ブツブツと独り言を喋りながら、看護師さんは個室の扉を開けた。
「ほら、女の子はここよ」
そう言って、看護師さんは僕を女子トイレの個室に放り込み、扉を閉めてしまった。
「……いやいや、倫理的に不味いでしょ。法律的にも不味いし……」
女子トイレの個室で男子大学生が用を足すなんて、完全に事案である。誰かに知られたら、翌日の新聞の一面ニュース……にはならなくても、ネットの掲示板ではお祭り騒ぎだ。
「……っていうか、なんで僕を女の子と間違えるんだ?」
体格は何故か小さくなってるけど、さっきの質疑応答でちゃんと性別は男だと自己申告している。着替えは僕がまだ痛みに悶えていた時に終わっていたけど、その時に着替えさせてくれた人がしっかり僕の御立派様を確認している筈だし、そもそも見て分かるだろうと思うのだけど……。
「とは言え、また一悶着あったら今度こそ漏れそうだし……、っていうか、もう限界……」
こうなったら仕方が無い。速攻で出すものを出して、この場から離脱しよう。
意を決して、ズボンとパンツを下げ、慣れた動作でいつもの発射態勢を――――、
「……んん?」
空振った。もはや、瞼を閉じていても出来る熟練の動作なのに、空振りとは如何なものか……。さては、体格が縮むに応じて、アレも――――、
「……って、あれ?」
視線を下げると、そこにはあるべき筈のものが無かった。棒も玉も無い。毛の一本すら無い。そこにはつるつるな肌色が覗くだけだった。
「……ん?」
まさか、小さくなり過ぎて、見えないレベルにまで……?
「えっと……」
とりあえず、便座に座り、恐る恐る股に手を伸ばした。
「無い……けど、ある」
男に無くてはならないものがそこには無かった。逆に男にあってはならないものがそこにはあった。
「……待って!」
体格が縮むのはまだ分かる。人間の体は一定以上大きくなると、逆に縮む事があると本で読んだ事がある。骨が衰えたりする事が原因らしい。
でも、男が女になるなんて話、漫画でしか見た事が無い。僕は今まで、呪泉郷にも行ったことが無いし、変化の術も使えない。
「……まさか、ここで?」
考えられる事は一つ。ここで突貫工事が行われたという事。それしか考えられない。けど、何の意味があって、男子大学生から大切な一物を取り去ったのかが分からない。
「……もしかして、あの事件って、暴力団絡みで……、僕はこれからニューハーフ系の風俗に売り飛ばされるんじゃ……」
そう考えると、僕をここに連れて来た、あの謎の男が一層怪しくなってくる。
「……逃げなきゃ」
冷や汗が止まらない。でも、その前に……、尿意も止まらない。
「えっと……、どうしたら……」
などと悩んでいる間に勝手に出て来た。出す感覚がちょっと違うけど、とりあえず、我慢する方法は理解出来た。
「気持ち悪……、腿に掛かったし……」
散乱銃のようにありとあらゆる方向に飛び出した尿を拭き終えるのに凄く時間が掛かった。
「お風呂入りたい……」
正直、拭ったとはいえ、このままの状態でまたズボンを履く事に抵抗を覚えた。とは言え、履かずに出て行くわけにもいかないから渋々ズボンとパンツを上げる。よく見ると、パンツがしっかりと女の子用だった。
「……僕が変態なんじゃない。僕にこんなものを履かせた奴等が変態なんだ」
コッソリとトイレから出ると、僕は急いで公衆電話に向かった。そして、気付いた。
「……十円持ってない」
それどころか、一円も持ってない。アパートに全財産を置いて来て――――、
「いや、っていうか……、ここはマジでどこなの?」
男は僕を徒歩でここまで連れて来た。けど、僕の街にこんな病院は無かった。窓の外を見ても、まったく見覚えの無い景色が広がるばかりだ。っていうか、海だ。
「海!?」
僕の街は海岸線では無く、内陸部にある。それに、こんな風に山々に囲まれた場所じゃない。
「やばい……」
このままだと、半分冗談で考えていた、暴力団プロデュースのニューハーフ系風俗ルートに本当に突入してしまう気がする。動画サイトで見て、ちょっと興奮した事もあったけど、だからって、自分が画面の中に入りたいとは全く思っていなかった。
「嫌だ……。女装美少年シリーズに出演とか無理……」
いや、あれは本当にただの女装だったか……。
「とりあえず、脱出を……」
「……何してんだ?」
窓枠に身を乗り出す僕に赤みがかった茶髪の少年が話し掛けて来た。この歳で髪を染めさせるなんて、親は何を考えているんだろう。これだから、最近の……って、そんな場合じゃないな。
「僕は家に帰るんだよ。じゃあね~!」
「って、ここ二階だぞ!?」
問題無い。直ぐそこに梯子がある。幾ら運動音痴な僕でも、これなら安心して降りられる。
「降りるならせめて階段で降りろよ!}
なのに、少年は僕を必死に引き止める。
「階段で降りたら見つかっちゃうから、駄目なんだよ!」
「いや、わけ分かんないし! とにかく、こっちに戻れってば!」
予想外。今の僕はこのヤンキーボーイにすら力負けするひ弱さらしい。
アッサリと廊下に引き戻された僕はこれまた偶然通りがかった看護師さんに見つかり、ヤンキーボーイの告げ口によって病室へと強制送還されてしまった。
「……はぁ」
「溜息かい?」
この後の展開に絶望していると、いつの間にか目の前にあの男が立っていた。僕をここに連れて来て、性転換手術を行わせた暴力団構成員。その肩書に恥じない立派……と言うにはやや草臥れている背広を着たおじさん。
「こんにちは、君が樹ちゃんだね?」
「……は、はい」
馬鹿丁寧に挨拶をしてくる。何だろう、笑うセールスマン的な恐怖を感じる。最初はこの男が相手なのだろうか……。顔は悪く無いけど、出来ればもう少し清潔感のある相手の方が……って、そうじゃない。諦めるな、僕。諦めるのはまだ早い。
「あ、あの!」
「ん? なんだい?」
「ぼ、僕、両親が!」
僕には両親がちゃんと居るから、僕に何かあったら――――、
「……うん。残念だったね」
「……え?」
ちょっと待ってよ。残念って、どういう事? まさか、小説や漫画でたまにある例の……、親に売られた系とか無いですよね?
「いやいや! いやいやいやいや! 残念って、そんなまさか!」
「……ごめんね。僕には助けられなかった……」
「え……」
止めてよ。そんな深刻そうな表情で言わないでよ。嘘でしょ? マジなの? 僕、親に売られちゃったの? このおじさんはそれを何とか止めようとしてくれた善人ポジションとかなの……?
「君のご両親は……」
「……いえ、もういいです」
絶望した。親に売られたとか、これはもう、絶望するしかない。やっぱり、友達と遊ばずに引き篭もって、勉強ばっかりして、学費の高い大学に勝手に入学を決めちゃった事が原因なのかな……。やばい、涙が出て来た……。
「……辛いのは分かる。いや……、分かるなんて言っちゃいけないね」
ぎこちない手付きて男は僕の頭を撫でてきた。不器用そうなのに、不器用なりに慰めようとしてくれているみたいだ。
ああ、ヤバい。ちょっと、グッときた。これは所謂飴と鞭だろうか……。
「……分かりました。受け入れます。連れて行って下さい」
「あれ? もう、聞いてたのかい?」
「え? いや、その……」
「まあ、いいか。じゃあ、早速行こうか。もう一人、一緒に連れて行く子が居るんだ。待って貰ってるから、一緒に会いに行こう」
おじさんは嬉しそうに頬を綻ばせて僕の手を握った。これから――見た目は――子供二人を風俗の世界に導こうとしている人間とはとても思えない程無邪気な笑顔。願わくば、この素敵な笑顔から変態的な要求が飛び出して来ませんように……。
いきなり、ハードな事はちょっと無理です。
「……そうだ。僕の名前をまだ言ってなかったね」
おじさんは病室を出る間際に言った。
「僕は衛宮切嗣。そして、あそこに居るのが君と同い年の士郎君だ。これから、三人で一緒に暮らす家族だからね。仲良くしてあげて欲しい」
「……はい?」
あれ、おかしいな。衛宮切嗣って名前に凄く聞き覚えがある。主にゲームの中で……。
ついでに言うと、ソファーで軽く手を降ってくれている士郎くんの名前にも……。
「あの……、変な事を聞くんですけど……」
「なんだい?」
「ここって、冬木市だったり……?」
「そうだけど……、それがどうかしたのかい?」
「……あ、あはは。何でもないです」
えっと、これは一体……、どういう事ですか?