第一話「夢じゃなかった!」

 暗闇を漂っていると声が聞こえて来た。不思議な声だ。まるで、洞窟内で反響しているかのようだ。

『誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者――――』

 これが明晰夢というものだろうか? 初めての経験だ。どうして、これが夢だと自覚出来たかと言うと、響いている声が『とある小説』の一文を割り当てられた声優の声で朗読しているからだ。
 2004年に発売された成人向けゲーム『Fate/staynight』というゲームがある。漫画化やアニメ化、果ては映画化までされた異色のエロゲーだ。ちなみに、俺はこれが大好きだ。主人公とヒロインが廃屋で繋がるシーンなど、親に気付かれないよう、慎重に読み耽った。右手が別の仕事で忙しい為に左手でマウスを操作しなければならず、非常に大変だったが、実に有意義な時間を過ごせた。
 脇役も一人一人が魅力的で、女性キャラクターだけでなく、エロゲーであるにも関わらず、男性キャラクターまでが実に好ましく描かれている。特に俺は主人公が好きだ。ネットの批評とかだと、微妙に不人気だったりもするが、彼の生き方は素直にかっこいいと思う。少なくとも、俺には絶対に不可能な生き方だ。
 ――――で、この声の主についてだが、実の所、『Fate/staynight』の主要キャラの声では無い。重要人物である事には変わり無いのだが、完全な脇役なのだ。本編では回想シーンでちょっと出るだけのキャラクターの声。彼は主人公の父親なのだ。名前は衛宮切嗣。
 彼がメインキャラクターとして登場するのは『Fate/staynight』発表から2006年に別のエロゲー会社の作家が執筆した公式スピンオフ『Fate/ZERO』。今、彼の声が朗読している一文もこの小説の中に記されているものだ。
 英霊召喚の呪文。『Fate/シリーズ』という作品で最も重要な要素。それが英霊だ。マスターと呼ばれる魔術師達が過去に偉業を為した英雄の魂をサーヴァントという名の寄り代に憑依させ、使役し、戦う。その為の呪文がコレだ。
 魔術師、英霊、戦い。厨二心を満たしてくれる素晴らしい設定の数々。これこそ、このシリーズの人気の所以だ。

『汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ』

 突然、目の前が真っ白になった。気が付くと、目の前に髪の毛ボサボサな中年男が立っていた。

「……あれ?」

 周りを見回す。そこは聖堂だった。それも、日本に点在する雑多な教会の聖堂とはわけが違う。まるで、フランスのモンサンミッシェルにあるような立派な聖堂だ。
 凄い。『Fate/ZERO』はアニメ化もしていて、その時に主人公である衛宮切嗣がセイバーというサーヴァントを召喚するシーンがあるのだけど、その時の映像の聖堂と寸分違わない。壁の質感や壁に嵌め込まれたステンドグラスも本物にしか見えない。
 夢とは思えないリアリティーだ。

「……綺麗だなー」

 ステンドグラスに見惚れていると、男が踵を返し、聖堂を出て行った。代わりに、何時から居たのか、銀髪の女性が声を掛けてきた。

「あの……」

 顔を向けると、心臓が跳び跳ねた。綺麗過ぎる。まるで、人形のようで、恐怖すら感じる美しさ。思わずたじろぐと、女性は口を開いた。

「貴女が……、セイバー?」
「え?」

 意味が分からなかった。セイバーと言うと、『Fate/staynight』のメインヒロインこと、セイバーさんの事だろうか? あの超絶美少女剣士がどうしたのだろう?

「おや?」

 頬を掻くと、奇妙な触感が奔った。目を向けると、立派な篭手が見えた。不思議に思い、視線を下に向ける。背中にも目を向ける。クルリと一回転。生地の材質が明らかに高価な物であると分かる。
 俺はいつの間にコスプレをしていたんだろう? というか、俺にセイバーさんコスチュームは絶対に似合わない筈だ。見た者全てに吐き気を強制する程暴力的なものな筈だ。

「あれ?」

 目の前にチラチラ見えるのは髪の毛。今気付いたんだけど、金色だ。しかも、サラサラだ。

「……えっと」

 鏡はどこだろう? 辺りを見回すと、祭壇らしきものの上に金色の鞘っぽいものがある。鏡ばりにピカピカだ。鏡の代わりに顔を映すと、あら不思議。そこに超絶美少女剣士が居る。

「あら、可愛い……」

 さすがは夢。まさか、自分がセイバーさんになるとは思わなかった。どっちかって言えば、『Fate/staynight』の主人公、衛宮士郎さんになりたかった。そして、メインヒロインのセイバーさんとイチャイチャしたかった。まさか、攻略される方になるとは、まさか……、いや、まさかな……。
 自分の性的思考に悩みそうになっていると、肩を叩かれた。振り向くと、先程の人外美人さんが困った表情を浮かべていた。

「えっと、セイバー?」

 なんと、応用力のある夢だろう。俺のイレギュラーな動きに呼応して、登場人物の反応を原作と変動させるとは……。
 これは、乗るしかない。どうせ、目が覚めたらブラック企業の地獄のノルマが待っている。齢23歳にして、こんな夢を見るとは思わなかったけど、折角だから楽しもう。

「はいはい! セイバーですよ」
「……えっと、貴女の真名はアーサー王で合っているのかしら?」
「ばい! 私はアーサー王です!」

 何故だろう。ちょっと、美女の顔が引き攣っている気がする。ところで、この人が『Fate/ZERO』のヒロイン、アイリスフィール・フォン・アインツベルンさんでいいのだろうか? アニメのデフォルメより、美しいって凄いな……。
 と言うか、どうしよう……。何が悪かったのか分からない。ちゃんと、質問に答えたし……。

「えっと……、何か粗相をしてしまったでしょうか?」

 怖々聞くと、アイリスフィールが首を振った。

「い、いえ、ちょっと、イメージと違ったって言うか……」

 なるほど、確かに、アーサー王っぽくなかったな、

「……余がアーサー王じゃ」
「……えっと」

 言い直したら更にアイリスフィールは眉を顰めた。

「……あの、どういう感じに接したらいいか分からなくて」

 無理だった。夢の世界なのに、思い通りにいかない……。
 早々に降参すると、アイリスフィールは漸く微笑んだ。

「……ごめんなさい。ちょっと、驚き過ぎて、失礼な態度を取ってしまったわ。どうか、自然体で接してちょうだい」

 ホッとした。演技力にはあまり自信が無い。必死に謝っても、上司から『わざとらしい』と断言されるレベルだし……。

「えっと、……その、お名前をお聞きしても?」

 一応、確認を取る。

「あ、ごめんなさい。私ったら……。私はアイリスフィール・フォン・アインツベルン。貴女を召喚したマスター、衛宮切嗣の妻よ」
「よ、よろしくお願いします」

 腰を四十五度折り曲げる。社会人の必須スキルだ。またもや目を丸くするアイリスフィール。何故だ……、この夢、応用力が半端無い……って言うか、ちょっとおかしくない?
 顔を上げて、アイリスフィールの顔を見る。リアリティーがあり過ぎる。嫌な予感がする。いや、まさか、あり得ないよな……。

「あっと、その……、切嗣さんはどこに?」
「うーん、多分、私達の部屋に戻ったんだと思うんだけど……」
「で、では、御挨拶を……」
「……とりあえず、案内するわね」

 聖堂を出て、通路を歩く。やっぱり、これって……。
 アイリスフィールの後を追いながら、頬を抓る。痛い……。
 えっと、嘘でしょ?

「ここよ」

 泣きそうになりながら、アイリスフィールに案内された部屋に入る。すると、そこにはさっきのボサボサ髪の中年男が居た。

「切嗣。セイバーを連れて来たわ」
「ど、どうも!」

 フランクに片手を上げて挨拶をする。一分経過……。

「こ、こんにちは!!」

 満面の笑顔で挨拶をする。五分経過……。

「もしもーし! 俺の声、聞こえてますかー?」

 両手でメガホンを作り、叫ぶ。十分経過……。
 涙目になってアイリスフィールを見ると、困った表情を浮かべて、彼女は切嗣の方に歩み寄った。

「切嗣。セイバーに返事をしてあげて」
「……ソレと話す事は無い。それよりも、今後の計画について話があるんだ」

 ソレ扱いされた。こっちをチラリとも見ない。凄く嫌な気分になった。こっちはこの状況が夢なのかどうか怪しくなってきて泣きそうだってのに、嫌な上司みたいな対応をしてくる切嗣にとても嫌な気分になった。

「き、切嗣さん。人に対して、ソレってのは無いんじゃないでしょうか?」

 顔が引き攣っているのが分かる。

「アイリ。まず、君はソレを連れて表から堂々と日本に入って欲しい。その後……」

 あ、駄目だ。もう、いっぱいいっぱいだったせいで、堪忍袋の緒がアッサリ切れた。気が付くと、手近にあったテーブルを窓に向かって投げていた。凄く軽々と持てた。けど、そんな事を気にしている余裕は無い。

「なんだよ! 無視するなよ!? 俺が何か悪い事したってのかよ!?」

 もう、涙目だ。切嗣とアイリが何か言ってるけど聞こえない。手当たり次第に物を投げていると、誰かが入って来た。

「何事だ?」

 入って来たのはお爺さんだった。何だか、凄く壊そうなお爺さんだった。

「お、お爺様……」

 アイリスフィールのその一言で分かった。この人がトップだ。俺は速攻でお爺さんの下に向かった。

「あの!」

 ズカズカ近寄ると、目を見開いて後ろに下がるお爺さん。でも、逃がさない。

「切嗣さんをどうにかして下さい!」
「……は?」
「人の事を無視するんです!」

 会社でなら絶対に出来ない蛮行。だけど、正直、切嗣さんとは初対面だし、仕事上の上下関係があるわけでもない。だから、遠慮無しだ。

「人を呼びつけておいて、あの態度は何ですか!?」
「……お前がサーヴァントか?」
「セイバーです! アーサー王ですよ!」

 ムキーっと叫ぶように言うと、お爺さんの顔が怪訝そうなそれに変わった。

「う、疑ってます!? な、なら、証拠見せますよ!?」
「は?」

 手順を考える必要も無かった。ただ、指を折り曲げるように、首を回すように、瞼を閉じるように、自然にエクスカリバーを手に取れた。風の結界も展開出来ている。実に不思議な感覚だけど、今はどうでもいい。

「よーし、風王結界解除!」
「ちょ、ちょっと待って、セイバー! 貴女、何する気!?」

 アイリスフィールが叫ぶ。

「だって、疑うんだから、証拠を見せないと!」

 風の塊を窓の外に向かって放出する。壁ごと全壊した。

「ま、待て! こんな所で宝具を使ってはお前も消滅するぞ!?」

 切嗣が叫ぶ。無視するんじゃなかったのか!?

「うるさい! 人の事無視した癖に! もう、怒ってるんだぞ、俺は! 本気と書いて、マジで怒ってるんだぞ!」
「な、何を言ってるんだ? それより、直ぐに宝具を仕舞え!」
「うるせー、バカ! お前の言う事なんか聞いてやらねーよ、バカ! もう、バカ!」
「ほ、本当にアーサー王なのか、こいつ……」
「あー、疑ってる! だったら、やっぱり証拠見せてやるよ! エクスカリバー撃ってやるよ! 撃てるぞ! 嘘じゃないぞ!?」
「ま、待て! 落ち着け!」

 切嗣が焦燥に駆られた表情で叫ぶ。

「し、仕方が無い。令呪をもって、我が従僕に――――」
「させるか!」

 長ったらしい祝詞なんか言わせない。手近にあった花瓶を切嗣に投げつける。寸前で避けた切嗣に接近して掴み上げる。

「ぼ、僕を殺すのか?」
「はぁ!?」

 周りが息を呑む。叫んだり、暴れたりしたおかげで、ちょっとずつ頭が冷えてきた。
 や、やっちゃった……。下手したら令呪で抹殺されるかもしれないって事を考えてなかった。でも、ここまで来たら引き下がれない。

「謝れ」
「……は?」
「謝れ! 俺に謝れ! そして、美味しいご飯を用意しろ! カレーだ! とびっきりのカレーを用意しろ! じゃないと、許してあげないぞ!」

 ガーッと叫ぶと、切嗣は眉を顰めた。

「……すまなかった。カレーも用意する」

 素直に謝られて、逆にたじろいでしまった。

「わ、分かればいいんだよ。えっと、俺のほうこそ……、ごめんなさい」

 切嗣を床に立たせてから、お爺さんの下に向かう。明らかに警戒されている。

「あの……」
「何だ?」
「……壁、壊しちゃって、ごめんなさい」

 肩を落として言うと、お爺さんは瞼を閉ざした。

「壁に関しては構わん。だが……、いや、今回の件に関してはここまでとしておこう。それよりも、切嗣よ」
「……はい」
「己のサーヴァントを律する事も出来んのか?」
「……申し訳ありません」

 お爺さんは鼻を鳴らすと部屋を出て行った。凄く空気が悪くなってしまった。

「あ、あの……」
「何だ?」
「ごめんなさい……」

 さすがにやり過ぎた。高そうな家具や調度品を粉砕し捲くった挙句、窓を壁ごと粉砕するとか……って言うか、何で、俺、こんな事出来るんだろう?

「……いや、僕の方こそすまなかった。だが、今後は二度と――――」
「は、はい! もう、暴れたりしません!」

 直立不動で言うと、切嗣は溜息を零した。

「お前は本当に……、いや、何でもない」

 難しい表情を浮かべて踵を返す切嗣。後を追おうとすると、部屋の扉が再び開いた。お爺さんかと思ったら、可愛らしい少女が入って来た。

「あら、可愛い」
「……えっと?」

 少女は部屋に入り、俺を見るなり首を傾げた。

「貴女は誰?」
「アーサー王です。本物です。偽物じゃないです」
「……偽物なの?」
「本物です!」

 力んで言うと、少女は走ってアイリスフィールの背後に隠れた。

「お、お母様、あの人怖い……」
「こ、怖くないです! とっても、優しいですよ!」

 慌てて駆け寄ると、少女は泣き出してしまった。

「え? え? あれ?」
「セ、セイバー。申し訳無いのだけど、ちょっと離れててもらえるかしら?」

 アイリスフィールが申し訳なさそうに言う。

「で、でも……、俺……、怖く……」
「ごめんなさい。ちょっとの間だから……」
「は、はい……」

 とぼとぼと部屋の隅に向かう。体育座りをして、溜息を一つ。どうして、こうなったんだろう? 夢だと思ってたけど、このリアリティーは夢だとしてもおかし過ぎる。でも、現実だとしたら、俺はどうして、こんな場所でこんな格好をしてるんだろう? だって、ここは小説の世界だ。しかも、今の俺は小説の中の登場人物だ。こんなの絶対におかしい。
 涙が出て来た。大学時代から一人暮らしをしてたから、それなりに自立心は強い方だと思っていたんだけど、親父やお袋が恋しい。まさか、もう会えないとか無いよな……?

「……セイバー」

 声を掛けられて振り向くと、切嗣が息を呑んだ。

「な、何ですか? 俺、また、何かしちゃいました……?」

 顔をぐちゃぐちゃにして聞くと、切嗣は膝を折って、目線を合わせてくれた。

「いや……、さっきはすまなかったね」

 さきとは別人のように優しい口調。

「えっと?」
「君に落ち度は無い。僕はアーサー王という存在に勝手なイメージを持っていた。それと相反する姿で現れた君に……、あの伝承を生きたのが君みたいな……、その、少女だった事に我慢ならなかったんだ」
「……あの、その」
「正直、信じられない気持ちでいっぱいだ。……あ、いや、証拠を見せなくていい。君がエクスカリバーを持っている事は事実だし、アヴァロンによって召喚された事も事実だ。ただ、あまりにも……、いや、止めよう」

 支離滅裂だ。どうやら、さっき暴れ回ったせいで、切嗣は言葉に迷っているみたいだ。

「とにかくだ。僕は何としても聖杯を手に入れなければならない。その為に君の力を借りたい」

 どうしよう? とても困った。この『Fate』という小説に登場する重要アイテムこと、『聖杯』は使うと何でも願いを叶えてくれると言われているものの、その実、中身が穢れていて、使うと呪いが湧き出すという代物だったりする。
 だけど、それを言っても信じてもらえないだろうし……。

「ぜ、全力で頑張ります!」
「あ、ああ……。ところで、君の願いを聞いてもいいかい?」
「願いですか?」

 困った。もう、これが夢じゃないって事は分かった。けど、聖杯を使っても元の世界に元の状態で戻るのは不可能な気がする。せめて、この状況に至った理由でも分かれば話は違うけど……。
 聖杯が穢れているなら、どっちにしても同じだけど、とりあえず、今は……、

「生きたいです」
「生きたい……?」

 目を見開く切嗣に言った。

「普通に生きたいです。美味しい御飯を食べて、色んな所に旅行に行って、恋愛とかして……」

 元の世界に帰れないとは言え、死にたくは無い。親父とお袋に会いたいけど、無理だろうし……。
 なら、せめて、この世界で生きていきたい。

「……そうか、そうだよな」

 切嗣は顔を伏せて、俺の頭を撫でて来た。不思議な感覚だ。子供の頃以来、こうして誰かに頭を撫でられた事は無かった。

「あ、あの……」
「必ず、その願いを叶えてみせる。君が幸せに生きられるよう……、僕らも願いを必ず叶える。だから、一緒に戦って欲しい」

 悲しそうに言う切嗣に首を傾げながら頷く。

「お、俺! 精一杯、頑張ります!」
「ああ、頼りにしているよ。これから、今後の事について話したい……けど、先にカレーだな。そう言えば、君の時代にカレーなんてあったのかい?」

 不思議そうに問う切嗣に慌てて言い訳をする。

「聖杯の知識が教えてくれました! この世界の代表的料理の一つだと!」
「そ、そうなのか? なるほど……、とりあえず、用意させるから待っていてくれ」

 切嗣はアイリスフィールと娘のイリヤスフィールに声を掛けて部屋を出て行った。

「よ、よし!」

 俺は改めてイリヤスフィールの下に向かう。

「こ、こんにちは」

 母親の服をギュッと握り締めるイリヤスフィール。

「あ、あの、さっきはすみませんでした」

 必死に頭を下げる。情け無い事この上無いが、子供に怖がられるというのは精神的にキツイ。

「……いいよ」
「へ?」
「……ゆ、許してあげる」
「ほ、ほんと!?」

 頭を上げると、イリヤスフィールは小さく頷いた。万歳をすると、アイリスフィールは噴出した。

「ご、ごめんなさい。つい……」

 顔を逸らしながら、笑いを堪える彼女を見ていると恥ずかしくなって来た。
 立ち上がり、背筋を伸ばすと、イリヤスフィールに顔を向ける。

「貴女の名をお聞きしても?」
「イリヤ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン」
「……じゃあ、イリヤ。許してくれてありがとう」

 ニッコリして言うと、イリヤも小さく笑みを浮かべて頷いた。

 しばらくして、部屋に戻って来た切嗣がギョッとしたような表情を浮かべた。

「ハイヨー! アーサー!」
「ヒヒーン!」

 お馬さんゴッコ初体験の真っ最中の俺達を見て、切嗣は苦笑いを浮かべた。

「楽しいかい? イリヤ」
「うん! アーサーの乗り心地、中々悪くないわ」
「お褒めに預かり光栄でございます、イリヤ様!}
「うむ!」

 仲直りする事が出来た俺達はカレーが来るまで延々とお馬さんごっこを続けた。膝は全然痛くなかった。どうやら、今の俺はセイバーさんの能力を使えるらしい。それも、実に自然に。
 カレーが来てからは家族の団欒に混ぜてもらって、皆でカレーを食べた。切嗣がお皿が減る度にお代わりをくれて、実に満足。食後に深々と溜息を零した。満足の吐息、そして、『夢じゃなかった!』と改めて実感した事に対しての溜息だった。

第二話「勝つのは俺達だ!」

「セイバー」

 イリヤにせがまれて、一緒に雪像作りをしていると、切嗣さんに声を掛けられた。

「随分と作ったね……」

 切嗣さんは周囲を見回しながら苦笑している。セイバーさんのボディーは実に高機能で、人力では到底不可能であろう作業も容易に可能としてくれた。そのおかげで、辺りには大小様々な雪像が立ち並んでいる。イリヤが図鑑や小説で気に入った物を片っ端から作っていた。
 イリヤは特に巨大な猫の雪像が気に入ったらしく、背中に乗ってキャッキャとはしゃいでいる。落っこちないかハラハラドキドキしながらも、喜んでもらえて素直に嬉しい。
 この状況に陥ってから、既に二日が経過した。俺と切嗣さん一家との関係は至って良好。特にイリヤは初対面の時が嘘のように懐いてくれて、期待に応えようと張り切った結果が目の前のコレである。

「イリヤ! ちょっと、セイバーを借りていいかい?」
「ええ!? まだ、セイバーと遊ぶ!」

 猫の背中から飛び降りて来たイリヤを慌ててキャッチする。命知らずなお転婆娘だ。

「これから一緒に巨大滑り台を製作するのよ!」
「ごめんよ。でも、大切な用事があるんだ。だから、ちょっとだけ我慢して……」
「やーだー!」

 困り果てた表情を浮かべる切嗣さん。最強の魔術師殺しさんも娘の前では単なるおっさん。ここは俺が出張るとしよう。

「我侭言っちゃ駄目だよ、イリヤ? 切嗣さんを困らせちゃ――――」
「セイバーは黙ってなさい!」
「はい!」

 ごめんなさい、切嗣さん。俺には荷が重過ぎました。互いに顔を見合わせて苦笑いを浮かべ合う。すると、城の方からアイリスフィールがやって来た。

「イリヤ! 二人を困らせちゃ駄目よ? 私が本を読んであげるから、大人しく待ってましょう?」
「……はーい」

 あら、素直。俺達の時とは対応が雲泥の差。さすがはアイリスフィールさん。俺達に出来ない事を平然とやってのける! そこに痺れる、憧れる!
 イリヤ姫から解放された俺は切嗣に案内されて、広々とした部屋に連れて来られた。

「これを見てくれ」

 渡されたのは十数枚の資料。軽く読み流すと、それには他のマスターに関する情報が記載されていた。

「時計塔に忍ばせている連中に探らせた各陣営のマスターの情報だ。判明しているのは四人だけだが、どいつもこいつも一筋縄ではいかない連中だ」

 実は知ってたマスター情報。一人目は遠坂時臣。火を操る宝石魔術師だ。『Fate/staynight』のヒロインの一人、遠坂凛の父親でもある。写真を見ると、物凄く渋くてかっこいい。
 二人目は間桐雁夜。遠坂時臣の妻である葵さんが好き過ぎる愛戦士。ネットの批評だと賛否両論だけど、俺は結構好きです。蟲にエッチな事をされる中年男……、ふむ。
 三人目はケイネス・エルメロイ・アーチボルト。風と水の二重属性を持ち、降霊術や召喚術、錬金術に精通するエリート魔術師。この人も結構好きです。奥さんに指を折り曲げられるシーンは中々……。
 四人目は言峰綺礼。皆が大好きな黒幕さん。マジカル八極拳を使う聖堂教会の代行者。

「読んでみて、何か感想はあるかい?」
「こいつがヤバイ」

 とりあえず、言峰さんの写真を指差して言っておく。

「とにかく、こいつがヤバイ」
「……何故だ?」
「何となく」
「……もう少し、真面目に答えてくれないか?」

 説明を求められても困る……。

「説明するって言っても、本当に何となくなんだけど……」
「英霊の直感って事かい?」
「そんなとこかな……。とにかく、この四人の中ではこいつが別格にヤバイ。見つけ次第、何としても消した方がいいですね。心臓を打ち抜いたくらいじゃ駄目。確実に脳天を吹き飛ばして再起不能にしなきゃ駄目」

 必死に言い募ると、切嗣の表情がみるみる強張っていく。

「英霊の君がそこまで言うとは……。実を言うと、僕もこの男に関しては他のマスター達よりも警戒を強めるべきだと考えていた」
「切嗣さんも?」
「ああ、この男の経歴を見ると、その『在り方』の異常性が分かる。確かにこいつは危険な男だ。君の言う通り、見つけ次第、確実に始末した方が良いだろう」

 うんうんと頷いておく。

「二日後、僕達は日本に向かう」
「二日後ですか……」

 いよいよ、戦いが始まる。正直、怖くて堪らない。二十年以上、殆ど喧嘩すらした事の無い俺が誰かと殺し合うとか悪夢でしかない。

「僕の計画では君とアイリを同行させるつもりで――――」
「囮作戦ですか?」
「ああ、そうだ。君達には表立って派手に動いてもらい、その隙に僕が裏からマスターを仕留める」
「うーん」

 俺は渋い顔をした。正直、悪い作戦では無いと思うけど、大きな欠点がある。それはアイリスフィールが危険に晒される事だ。切嗣さんはアイリスフィールが死ぬ事も覚悟済みなのだろうけど、だからって、わざわざ彼女を危険な場所に連れて行くのは……。

「不服か?」
「正直言うと……」
「だが、これが最も勝算の高い策なんだ」

 切嗣さんはハッキリと断言した。反論するには、それなりの考えが無ければ無理だ。
 俺も少し考えてみよう。どうすれば勝利出来るのか……、そう言えば、気になる事があった。

「切嗣さん」
「なんだ?」
「ここにはホムンクルスがたくさん居ますよね?」
「ん? ああ、アインツベルンは錬金術に特化した家門だからね。特に、ホムンクルスの製作は悲願である『第三法』へ到達する為に欠かせない工程なんだ。だから、他に類を見ない優れたホムンクルスの鋳造に成功している」
「……その中に戦闘に特化したホムンクルスなどは居ないのですか?」

 確か、『Fate/staynight』には一人居た筈だ。リーゼリットというイリヤの付き人。彼女はハルバードを手に大立ち回りをしていた筈。格闘ゲームでは全サーヴァントを倒し尽くすという暴挙すらやってのけた。

「……どうかな、確認してみないと分からない」
「戦闘に特化していなくても、近代兵器で武装させたりすれば十分に戦力になると思います。それに、数はそれだけで力になりますから……、ほら、情報戦とかでも」

 想定外だったのか、切嗣さんは深く考え込み始めた。

「盲点だったな……。アインツベルンのホムンクルスを利用するとは……。いや、考えないようにしていたのか」

 切嗣さんは自嘲の笑みを浮かべた。

「アイリを……、ホムンクルスを道具として扱う事を僕は……。まったく、甘い考えを持ってしまったものだ。セイバー、感謝するよ。どうやら、僕の目は曇っていたらしい」
「う、うん」

 頷きながら、心がズキズキと痛んだ。確かに、俺の考えはアイリスフィールを含めたホムンクルス達を道具扱いするという考えだ。キリングマシーンこと、切嗣さんでさえ躊躇った外道な手段。物凄く心が痛い……。

「後で、アハト翁に確認を取る。恐らく、それなりの数を用意してもらえる筈だ。日本に送り込むにはそれなりに策を練る必要があるだろうが……。セイバー。他にも何か案はあるかい?」

 問われて、首を捻った。

「案ですか……。とりあえず、遠坂時臣に関してですが……」

 俺は遠坂時臣の資料に載っている母子の写真を指差した。

「どうやら、妻と娘を禅城家に預けている様子。警戒はしているでしょうが、母子を攫う事は難しく無いと思います。なので、攫って人質にしてはどうでしょう? 後、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトの方も……」

 ケイネス・エルメロイ・アーチボルトの資料には一人の女性の写真が掲載されている。ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリという赤髪の美人。

「彼はこの女性をパートナーとして連れて来ているそうですし、機会があれば攫いましょう。資料を見た限り、彼が彼女を冬木に連れて来るメリットは見当たりませんから、きっと、人質として機能してくれる筈です」

 残りのメンバーに関しては何とも言えないが、少なくとも、彼らには人質作戦が効果を発揮する筈。ソラウさん大好きなケイネスさんは言うまでも無いが、時臣さんも妻の葵さんはともかく、後継者である凜ちゃんに関しては何があろうと守り抜きたい筈。

「……なるほど」

 切嗣さんは此方を見つめて頷いた。

「漸く、君がアーサー王なのだと実感出来たよ」
「……へ?」

 どういう意味だろう? 勿論、俺はアーサー王本人などでは無いのだけど……。

「君の考える策は実に冷酷で、容赦が無い。正に、王の采配というものなのだろう。派手に動くのは得策では無いが、人質を使うという意見には概ね賛成だ。色々と手順を考えてみよう。もっと、君の意見を聞かせてくれ。どうも、僕の勘は随分と鈍ってしまっているようだ」

 凄く引っ掛かる言い方だ。まあ、自分でもちょっとえげつないかなーとは思う。でも、殺し合いに勝利するには手段なんて選んでられない。俺は死にたくない。
 切嗣さんは大きな地図をテーブルに広げた。どうやら、冬木市の全景写真のようだ。

「とりあえず、拠点は幾つか用意してある」

 そう言うと、切嗣さんはサインペンで幾つかの場所を丸で囲んだ。それから、遠坂と間桐の屋敷に印を付けた。

「冬木市の資料も幾つ用意してある。読んでみてくれ」
「あ、はい」

 数枚の資料には冬木市の情報が詳細に記載されていた。その中で目を引いたのは柳洞寺に関する記述だった。

「切嗣さん。この柳洞寺なんですけど……」
「なんだい?」
「資料には天然の結界が構築されていて、山門以外からの襲撃は困難とあります。ここを利用する事は出来ませんか?」
「……難しいな。優れた魔術師ならば、結界を更に強化したり、山門に防御陣を敷く事も出来るだろうが、僕らには無理だ。攻め込まれにくい場所ではあるが、同時に逃げ場の無い場所でもある。拠点を置くには不向きだ」
「……なるほど。後は……」

 俺は冬木大橋の写真を手に取った。

「この橋に爆弾は接地出来ませんか?」
「爆弾を?」
「この橋は冬木の新都と深山を繋ぐ唯一の経路です。なので、有事の際も敵マスターは必ずここを通る筈。そこで足場を崩すんです。そうすれば、如何に魔術師といえど、直ぐには対応出来ないでしょう? サーヴァントもマスターを救出する為に動きを制限される。そこを武装させたホムンクルスに狙撃させたりとか……」
「面白い考えだ。だが、敵マスターがいつ橋を通るかは分からない。狙撃というのは神経を使う上、崩落する中で性格に射殺するのはプロでも難しい」
「そうですか……」
「だが、不可能というわけでも無い。手配はして置こう」

 その後も俺達は意見を交し合った。

「各陣営の拠点の出入り口に地雷を埋め込むのは?」
「埋め込む時に確実に気付かれるね」
「狙撃兵を周辺に潜ませておいて、出て来た所を狙い撃てば……」
「あまり、効果は見込めないな。橋を崩落させる作戦のように、冷静さを断てれば話は違うが、魔術師ならば銃による狙撃くらい、如何様にも対処が可能だ。まあ、方法が無くもないから、これも採用だな」

 和気藹々とした雰囲気の私達に途中で紅茶を淹れて持って来てくれたアイリスフィールは引き攣った表情を浮かべている。浮気じゃないですよ、奥さん。切嗣さんは貴女一筋です。

「エクスカリバーの運用に関してだが……」
「そう言えば、ホムンクルスは膨大な魔力を保有しているんですよね?」
「ああ、そうだが……、なるほど」

 一を聞いて十を知る。切嗣さんは俺が言わんとしている事を直ぐに察してくれた。『Fateシリーズ』の外伝の一つである『Fate/Apocrypho』で片方の陣営が使っていた手段。ホムンクルスから魔力を抽出して利用するというもの。

「確かに、彼らの魔力を利用すれば、エクスカリバーの連続運用も可能かもしれない」
「それと、アヴァロンに関してなのですが、俺が使ってもいいですか?」

 これが一番大事。アヴァロンとはセイバーさんの最終兵器。評価規格外というランクにある絶対防御結界を張る宝具だ。実際の能力は展開すると、使用者の体を異界に置くというもの。五つの魔法すら寄せ付けない最強の守りらしい。
 加えて、アヴァロンがあれば、あらゆる怪我が瞬時に癒される。生き残るには必須のアイテムと言えるだろう。

「ああ、構わない」

 思わずガッツポーズ。

「こんな所かな……。じゃあ、僕は早速、アハト翁に話をつけてくる。セイバーはイリヤとまた遊んでやってくれ」
「了解です! 後で、切嗣さんも一緒にどうですか?」
「アハト翁を説得出来たら行くよ」

 手を軽く振りながら出て行く切嗣さん。テーブルに敷かれた地図に無数の紙片が貼り付けられている。俺達二人で考えた策略の数々だ。
 勝てる。ハッキリ言って、アヴァロンさえあれば、最強無敵のアーチャー、ギルガメッシュにも勝てる筈だし、これだけの策を弄すれば、勝利は間違い無い。

「ふっふっふ、アイリスフィール。この戦い、我々の勝利ですよ!」
「……そうね。これだけの策があれば……」

 満面の笑みを浮かべる俺とは反対にアイリスフィールは暗い表情だった。

「ど、どうしたんですか!?」

 具合でも悪いのだろうか?

「……何でもないの。ただ、ホムンクルスをその……」
「あ……」

 作戦の立案に頭を捻り過ぎて、アイリスフィールの感情を度外視していた事に今更気付いた。ホムンクルスの大量投入と魔力供給のタンク扱い。どちらも、アイリスフィールからすれば気分の良い内容では無かっただろう。

「あの……、その……」
「いいの。貴女と切嗣が立案した作戦は私達の勝利の為に必要なもの。私の我侭で切嗣が敗北するなんて事になったら、それこそ最悪な結末だもの……」

 我侭。つまり、彼女はこの作戦に賛同していない。当たり前だけど、心が落ち着かない。

「あの……、今から切嗣に言って中止を……」

 アイリスフィールは慌てたように首を横に振った。

「止めて! ううん、止めないで! 貴女達は必勝の為の策を考えた。なら、それを実行して」
「で、でも……」
「お願い……。それと、ごめんなさい。貴女を困らせるつもりはなかったの……」
「アイリスフィール……」

 気分が落ち込んでしまった。どうせ、聖杯は汚染されているし、必死に勝ち残っても、俺は結局消えるしかない。その後、どうなるかは分からない。元の世界に戻れるのか、この世界にまた戻って来て、同じ時間を繰り返すのか、ただ死ぬのか、全く分からない。
 死ぬのは嫌だ。だけど、結果が変わらないなら、アイリスフィールを悲しませてまで、こんな作戦を立案したりしなきゃ良かった……。

「ごめんなさい……」

 頭を下げると、アイリスフィールは「ううん」と首を振った。

「私の方こそ、ごめんなさい」

 互いに頭を上げると、アイリスフィールは柔らかく微笑んだ。

「イリヤが待っているわ。一緒に行きましょう? 私も体を動かしたい気分だわ」
「そ、そうですね! いっぱい、遊びましょう!」

 少しでも、この嫌な雰囲気が消えるように声を張り上げた。

 結局、陽が暮れるまで、俺達は外で雪遊びに興じた。雪像の数は今や百に届き、その殆どが損壊している。雪合戦の防壁となった為だ。

「楽しかったー!」

 ご満悦なイリヤ姫。パッパカパッパカとお馬さんになっている俺の横腹をゲシゲシ蹴ってくる。痛くないけど、変な感じに目覚めちゃいそうで怖い。

「アイリスフィール。今日の夕食は何でしょうか?」
「確か、ステーキだった筈よ」
「それは素晴らしいです! 急ぎますよ、イリヤ!」

 加速装置オン! 一気に廊下を走りぬける俺にイリヤは大興奮。ふふふ、アーサー王を乗りこなすなんて、彼女の騎乗スキルはAランクに違いない。何せ、この身は竜の化身なのだから!
 食事の間に到着すると、そこには切嗣だけでなく、アハト翁の姿もあった。

「あ、お爺さん! こんにちはー!」
「こんにちはー!」

 お馬さんゴッコの真っ最中の俺達にアハト翁は僅かに目を見開き、それから溜息を零した。

「セイバー。ちょっと、いいかい?」

 切嗣さんに呼ばれて、俺はイリヤを降ろして立ち上がった。

「何ですかー?」
「今、アハト翁と話をしていたんだ。ホムンクルスに関しては百体借りる事が出来た」
「本当ですか!?」

 顔を向けると、アハト翁は小さく頷いた。

「好きに使え。だが、使うからには勝利しろ。それだけだ」

 厳格に言うアハト翁に頭を下げる。

「ありがとうございます。これで勝利は間違い無しですよ!」

 喜ぶ俺とは裏腹にアイリスフィールの表情が翳る。慌てて万歳していた手を引っ込めると、彼女は申し訳なさそうに俯いた……。

「銃器に関しても、取り扱い方などに関して脳に直接インプット出来るそうだ。冬木への潜入は変装させ、幾つかのルートを使わせる」
「出発は二日後のままで?」

 切嗣さんが頷く。すると、今度はイリヤが悲しそうに表情を歪めた。
 ちょっと、黙っていよう。口を開く度に空気を悪くしてる気がする。

「切嗣。そして、セイバー。必ず勝利し、アインツベルンに聖杯を持ち帰るのだ」
「必ずや」
「了解です!」

 アハト翁が出て行った後、イリヤが切嗣に向かって抱きついた。

「イリヤ?」
「キリツグとお母様とセイバーのお仕事、どのくらい掛かるの? いつ、帰って来るの?」
「……二週間くらいかな。ただ、お母さんは……もう少し、遅くなると思う」

 切嗣さんは自然な口調を作って娘に言い聞かせている。けど、端で聞くと、完全に棒読みだ。凄く苦しんでいるのが伝わって来る。

「……セイバー」

 イリヤが切嗣さんから離れて俺の服を掴んで来た。

「キリツグとお母様を守って」
「……勿論。パパとママの事は俺が絶対守る。大丈夫さ。俺は最強なんだ」

 満面の笑顔で言うと、イリヤは安心したように笑みを浮かべて頷いた。
 そうだ。今の俺はセイバーさん。最強無敵にして、美少女な剣士。聖杯戦争の結末がどうなるかは分かっている。それに、アイリスフィールがどうなるかも分かっている。だから、俺の言葉は大嘘もいいところだ。だけど、必ず切嗣さんの事は守りきろう。そのくらいしか、俺に出来る事が思いつかない。
 ついに始まる聖杯戦争。正直、怖くて仕方が無い。刃物を誰かに向けて、向けられるなんて恐ろしい。でも、やらなきゃいけない。だって、約束したから……。約束は守らなきゃいけない。

「勝つのは俺達だ!」

******
・あとがき
 感想がたくさんあって嬉しいです!
 ただ、どうか喧嘩だけはお控え下さいませ。わたくしの不手際によるお叱りの言葉はしかと受け止める所存に御座います。
 フォローしてくださる方々にも感謝の気持ちは尽きませんが、お叱り下さる方にも多大に感謝しております。
 ご指摘頂きました部分は直ぐに訂正致します。申し訳御座いませんでした。
 皆様、まことにありがとうございます。

第三話「俺達の勝利の為に死んでくれ」

 出発の日がやって来た。
 城の前で切嗣さんがイリヤを抱き上げている。
 本音を言えば、イリヤを無理矢理にでも連れて行きたい。結末がどう転んでも、イリヤは二度とアイリスフィールや切嗣さんと会えなくなるから……。
 でも、連れ出した所でどうにもならない。
 今ここで、宝具を発動して全てを消し飛ばせるなら話は別だけど、冬木市から遠く離れたこの地では宝具の発動は死を意味するし、発動も中途半端に終わるだろう。
 この状況でイリヤを連れ出した場合、確実にアインツベルンは追っ手を放つ。
 サーヴァントに比肩する身体能力を持つ戦闘型のホムンクルスに取り囲まれたら、俺はともかく、切嗣さん達が殺される。彼らが殺されれば、俺も魔力切れを起こして運命を共にする事になる。
 幾ら、セイバーさんの能力を使えても、彼らを守りながら逃げ切れるとは到底思えない。

「セイバー」

 イリヤが切嗣さんの肩ごしに声を掛けて来た。近寄ると、彼女は瞳を潤ませて言った。

「帰って来てね。キリツグとお母様と一緒に……」

 不可能だ。例え、幸運が重なり、奇跡が起きたとしても、帰って来れるのは切嗣さん一人。俺とアイリスフィールは彼女とは二度と会えない。

「勿論! また、一緒に遊びましょう!」

 嘘八百を並べ立てる。子供に嘘を吐くなんて最低だけど、謝罪の言葉は切嗣さんに任せる。彼だけは何としても生き残らせよう。そして、彼にイリヤを迎えに行ってもらおう。『Fate/staynight』の切嗣さんは聖杯の泥に汚染されたせいでイリヤさんを助け出せなかったみたいだけど、万全な状態なら可能性があるかもしれない。もしかしたら、その果てに追っ手に殺される事になるかもしれないけど、そこは切嗣さんの頑張り次第だ。
 俺は頬にイリヤからキスを貰い、「行って来ます」と言った。彼女は「いってらっしゃい」と言って泣いた。改めて思う、絶対に切嗣さんだけは生かさないといけないな、と。その為なら手段を問うつもりは無い。
 俺達は連れ立って、日本への飛行機に乗り込む為、空港へ向かった。その道中、切嗣さんが言った。

「セイバー。君と僕達は便をずらして日本に向かう。到着後はターミナルの出入り口に『僕』と『アイリ』に偽装したホムンクルスが待っている。彼らと共に冬木へ入ってくれ。僕達は変装してから冬木市から少し離れた場所を拠点とするつもりだ」

 実に合理的な判断だと思う。

「なら、俺は出来る限り目立つ行動をした方が?」
「いや、その必要は無い。むしろ、身を隠し、序盤は情報収集に専念してもらいたい。意思の疎通に関してはコレを利用する」

 渡されたのはインカム。

「最新型の無線だ。これでやり取りをする」
「了解です」

 受け取り、早速試用してみる。『どうだ?』と切嗣さんの声が聞こえて、「バッチリです」と答えておいた。

「必要なのは情報だ。何しろ、サーヴァントの力は未知数だからね。如何に最強の矛と無敵の盾を持っていても、確実とは言えない。積極的に動くのは必勝を核心した時だ」

 安堵した。まだ、他人に刃を向ける覚悟が決まっていない。下手に戦闘になり、刃を交える事になったら、何も出来ずに殺される可能性もある。

「だが、君が必要だと判断した時は迷わず行動してくれて構わない」
「と言いますと?」
「君の戦略眼に対して、僕は疑っていない。君が必要だと思ったなら、宝具の使用にも許可は要らない。神秘の隠匿に関しても、聖杯さえ手に入れば問題無いからね」
「了解です」

 とは言え、可能な限り、神秘の隠匿は徹底しておこうと思う。何故なら、聖杯は願いを叶えないし、切嗣さんは聖杯戦争後も生き残る。生き残らせてみせる。だから、彼の今後の人生に余計な足枷を作らないよう、努力するつもりだ。
 歩きながら、今後の展開を考える。小説通りに事が進むとすれば、それは開幕戦までだろう。けど、その開幕戦が肝心だ。そこにはアサシンとキャスターを除く、全陣営が揃っている。何より厄介なアーチャーをそこで殺せれば行幸。
 神秘の隠匿は徹底するつもりだが、アーチャーを殺せる可能性があるなら躊躇う理由は無い。何故なら、彼は唯一にして絶対の天敵だからだ。
 今の俺の手には『全て遠き理想郷《アヴァロン》』がある。五つの魔法すら寄せ付けない無敵の盾だが、欠点が一つある。それは相手から如何なる干渉もされない代わりに此方からも外部の敵に干渉する事が出来ないという事。それに、アーチャーは乖離剣という破格の力を誇る宝具を所有している。対界宝具という出鱈目な強さを持つ最強宝具。アレが最大の力を発揮した時、そこに世界の終わりと始まりが具現化する。世界を壊し、作り変える原初の剣。下手をすれば、遮断した筈の世界の壁すら壊し、侵略される怖れがある。油断は出来ない。
 最優先で倒すべきはアーチャーだ。次点で言峰綺礼。他は後回しにして構わないだろう。

「君には多大な負担を掛ける事になる。だから、これだけは約束する」

 切嗣さんは真っ直ぐに俺の目を見て言った。

「戦いが終わったら、僕は君が幸せに生きられるよう、全力を尽くす」
「……ありがとうございます」

 素直に嬉しかった。少し、自暴自棄になっていたから尚更、嬉しかった。
 絶対に生き延びられないと分かっているから、イリヤとの約束に縋って、自分を奮い立たせていたけど、切嗣さんの言葉に涙腺が緩んだ。

「でも、最優先はイリヤですからね?」

 泣きながら、念を押すように言うと、切嗣さんは目を僅かに見開き、頷いた。

「旅費は十二分に用意してある。寄り道は好きにして良い。冬木に着くまでの間、僅かだけど……その、現世を楽しむと良い。お勧めは……、えっと、観光情報誌を持って行くと良い。空港の売店で売っていると思う」
「は、はい。ありがとうございます」

 お勧め出来る程、日本について知らなかったらしい……。思わず苦笑すると、切嗣さんも相好を崩した。

「いい場所が見つかったら、後で教えてくれ。全てに決着がついたら、皆で行こう。イリヤも連れて……」
「……はい。とっておきの場所を見つけ出してみせます」
「ああ、期待している」

 切嗣さんはそう言うと同時に車が静止した。どうやら、空港に到着したらしい。

「ここから別行動だ。しばしの別れになる」
「……必ずや、勝利を貴方達に」
「……期待してる」

 切嗣さんはそう言うと、踵を返した。代わりにアイリスフィールが俺の手を取った。

「セイバー。……やだ、えっと、言いたい事がたくさんあった筈なのに、言葉が出て来ない」

 うろたえるアイリスフィールに苦笑した。

「アイリスフィール」

 俺は彼女の手を持ち上げて言った。

「戦いは俺に任せて、アイリスフィールは切嗣さんの傍で彼を支えて上げて下さい。ああ見えて、心は繊細な人のようですから」

 元々、彼がガラスのハートの持ち主である事は知っていた。けど、一緒に過ごした四日間でより確信を持った。彼は本当に優しい心の持ち主で、とても繊細な心の持ち主でもある。だからこそ、心を乱したりしないように、自分に厳しくあろうとする。
 そんな彼の心を唯一癒し、支えられるのはアイリスフィールを置いて他に居ない。

「……セイバー」
「なんです?」
「……どうか、生き残って」
「勿論ですよ! 絶対に勝って、貴女達に――――」
「そうじゃない!」

 アイリスフィールの叫び声に切嗣さんまで目を丸くして振り向いた。
 こんな風に声を荒げるアイリスフィールを見るのは初めてだ。

「貴女が死ぬのが嫌なのよ……。セイバー。貴女に秘密にしていた事がある。私は……私の中には聖杯があるの」
「ア、アイリスフィール?」
「いいから、聞いてちょうだい」

 俺の両肩を掴んで、震えながら彼女は言った。

「聖杯にサーヴァントの魂が注がれる度、私から人間としての機能が失われていく。きっと、最後には私自身の人格や記憶も消えてしまう」
「アイリスフィール……」

 泣きじゃくる彼女に何も言えなかった。知っていた事だけど、本人の口から語られると重みが段違いだ。
 戦いが終われば、彼女の人生も終わる。その意味がじわじわとリアリティーを帯びる。仕方の無い事だと諦める事が出来なくなっていく……。

「もう、私はイリヤと会えない! 切嗣とも、一緒に居られなくなる!」
「アイリスフィール……」

 俺の声まで震えている。頬を伝う涙の感触に自分が泣いている事を自覚する。

「だから、貴女が支えて!」

 アイリスフィールの悲痛な懇願に俺は息が出来なくなった。
 だって、不可能だって知ってる。でも、嘘を吐く気になれなかった。今の彼女に対して、どんなに優しいものだろうと、嘘を吐く気になれない。

「私が居なくなった後、貴女が支えて! イリヤを助けて、守ってあげて! お願い、セイバー!」

 頭を下げるアイリスフィールに俺は震えた。
 何も言えない。嘘を吐く事も、真実を告げる事も出来ない。真実を口にしても、信じてもらえないだろうし、信じてもらえたとしても、彼らに絶望を与える結果にしかならない。

「……俺が戦いが終わっても、生きていたなら……、必ず」

 そんなあり得ない仮定を口にするのが精一杯だった。

「ありがとう、セイバー。ありがとう……」

 なのに、彼女は何度も「ありがとう」と言う。

「……アイリスフィール。絶対、勝ちます」
「うん」

 泣きながら、天使のような微笑を浮かべるアイリスフィールに俺は顔を背けた。
 俺に出来る事は限られている。でも、絶対に切嗣さんだけは生き残らせる。それしか出来ないんだから、何があろうと、それだけは絶対に成し遂げてみせる。

 切嗣さん達と別れ、俺は途中売店に寄りながら飛行機に騎乗した。ドイツから日本への長い道のり。備え付けのゲームをしたり、機内食に舌鼓を打ったり、窓から景色を見たりしている間もアイリスフィールの懇願が頭から離れなかった。
 小説で彼女がセイバーさんにあんな風に懇願するシーンは無かった筈。なのに、どうして俺なんかにあんな風に……。
 また、泣きそうになった。不可能な事なのに、あんな風に懇願されても困る。

「切嗣さんだけは守るから……、だから……」

 添乗員さんに借りた毛布を頭から被りながら、俺は声を殺して泣き続けた。

 日本に到着すると、入り口に彼らは待っていた。切嗣さんとアイリスフィールにそっくりなホムンクルス。

「待たせたね」
「いえ、時間通りです。切嗣氏から冬木までの道程中、好きな場所で立ち止まるよう指示を受けています。赴きたい場所はありますか?」
「無いよ」

 俺は即答した。アイリスフィールの懇願が未だに脳裏に焼きついている。今はどんな楽しい娯楽も楽しめそうに無い。どうせ、切嗣さんとの約束は果たせない。なら、戦いだけに集中しよう。
 直ぐ近くに停車している自動車を見て、少しびっくりした。シルバーのポルシェ959だ。水冷・空冷併用式水平対抗型6気筒のDOHC4バルブ2848ccツインターボ付き電子制御燃料噴射エンジンを搭載し、3.7秒で時速百キロまで加速するモンスターマシン。開発したドイツのポルシェ社は最先端の技術と新素材を惜しみなく、このマシンに使用した。元々、実験的に開発された背景もあり、生産台数は僅か300台に満たなかったと言う。
 思わず見惚れていると、切嗣似のホムンクルスが扉を開けた。車好きの俺としてはもう少し外見を拝見していたかったけど、我慢するとしよう。それにしても、このマシンの最高速度は317km/hだった筈。今の俺ならセイバーさんの騎乗スキルを発揮して、その性能の全てを発揮させる事が出来る筈。
 とは言え、緊急時でも無い限り、このマシンの性能をフルに発揮したら豚箱に一直線だ。ここは自重しよう……。
 深く深呼吸をして、冷静さを取り戻してから運転席の切嗣――便宜上、こう呼ぶ事にした――に声を掛けた。

「直ぐに冬木に入いる。既に先行しているホムンクルス達にもスタンバイするよう伝えてくれるかな? 多分、戦いは直ぐにでも始まると思うから」
「かしこまりました。総指揮は切嗣氏が取るとの事ですが……」
「有事の際は俺からも指示を出す手筈になっている、だよな?」
「その通りです。その為の無線機が此方に」

 アイリスフィール似のホムンクルス、アイリがメタリックケースを差し出した。中から無線機を取り出すと、周波数表も同梱されていた。

「二時間程度で冬木に到着します。御用がありましたら、何なりと」
「うん。ありがとう……」

 彼らは本物と違って感情が全く感じられない。人の形をした置物と一緒に居るみたいで息が詰まりそうだ。窓から車外を覗き、時間を潰していると、風景は繁華街から田園風景に変わり、山林地帯へ入り、再び住宅街に戻った。
 渋滞に巻き込まれる事も無く、ジャスト二時間で到着した。

「如何致しますか?」
「まず、拠点B6に向かう。そこで夜を待ち、他の陣営の動きを見る」
「かしこまりました」

 拠点Bは海浜公園に一番近い拠点だった。古いアパートの一室に『クリアウォーター』名義の部屋がある。中に入ると、駐屯していたホムンクルス達が出迎えてくれた。
 正直言って、赤の他人に取り囲まれるのは落ち着かないけれど、この状況を提案したのは俺自身だから文句も言えない。

「新着情報なんかはある?」
「十時間程前、アサシンのサーヴァントが遠坂邸を襲撃しましたが、アーチャーと目されるサーヴァントに撃退され消滅しました」
「……アサシンのマスターは?」
「言峰綺礼は脱落し、教会に保護を求めた模様です」

 ここまでは知識通りだ。とすると、夜になればランサーが動き出す筈。

「言峰綺礼と遠坂時臣は水面下で協定を結んでいた筈だ。加えて、アサシンで三騎士クラスを相手に真正面から挑む暴挙。十中八九、芝居だろう。何らかのトリックを使った可能性がある。アサシンは存命しているものとして扱ってくれ。それと、アーチャーに関する情報を可能な限り集めてくれ。戦闘があったなら、それなりに情報はある筈だよね? それと、戦闘用のホムンクルスの中で特に接近戦に特化した者を一人選別してくれ」

 矢継ぎ早に指示を出すと、ホムンクルス達はすぐさま行動に移った。彼らは生まれた瞬間に人生の使い方を決定される。それ故に、与えられた役目を忠実かつ迅速にこなす。戦力として、これ以上無く心強い。
 戦略ゲームやTRPGで鍛えた程度だけど、手駒が有能な以上、失敗の言い訳は立たない。何としても、作戦を成功させないと……。

「遠坂時臣は言峰綺礼と師弟関係にある。それはつまり、監督役とも繋がりがある可能性があるという事だ。その時臣が芝居を打ったという事は状況が整った事を意味する」
「つまり、サーヴァントは既に出揃っていると?」

 切嗣が問う。

「その可能性が高い。つまり、今夜中にも動きがある筈だ。全ホムンクルスは警戒態勢を取ってくれ。ただし、決して自己判断で動かないようにして欲しい。それと、宝具を使う事になる可能性も考慮する必要がある。宝具の発動前に無線を入れるから射程圏内に居た場合は即座に退去してくれ」

 部屋に居る全員と無線から同時に「了解」の返事が返って来る。

「戦闘型のホムンクルスの選別が終わったら教えてくれ。後、その者には高確率で……、死んでもらう事になる。だから……、その……。覚悟があるかどうかも査定基準に入れてくれ。もし、見つからなかったらそれでも構わない別の策を練る」

 取り繕っていた仮面が外れ掛けた。彼らから顔を背けて唇を噛み締め、必死に迷いを振り払おうとしていると、後ろから声を掛けられた。

「終わりました」
「もう!?」

 思わず素が出てしまった。

「私がやります」

 そう言ったのは金髪の……、今の俺と良く似たホムンクルスだった。

「いざという時の為に切嗣氏は各拠点に一体ずつ、セイバー様の影武者用ホムンクルスを用意されました。剣の扱いに関してはそれなりであると自負しております」

 凛とした表情で告げる彼女に俺の方がうろたえた。まさか、こんなに早く決まるとは思っていなかった。そもそも、立案しておきながら、誰も立候補したりしない事を望んでいた。
 でも、彼女の瞳に迷いは見えない。

「……君には敵サーヴァントとの交戦を頼む。場合によっては……、君に敵サーヴァントを捕獲してもらい……、君諸共、敵サーヴァントを宝具で葬るつもりだ」
「かしこまりました」

 俺自身の手で殺す事になる。そう告げても、彼女は怯える素振りすら見せずに頷いた。
 それがホムンクルスという存在なのだ。生まれてから自分の役割を自覚する人間とは真逆の存在。初めに役割があって、次ぎに生まれるという工程を経る異常な存在。
 彼らは役割を果たす以外の目的意識も感情も持ち合わせない。
 いや、そんな筈は無い。だって、小説やゲームの中には感情を持つホムンクルス達が数多く存在したし、何より、アインツベルンの城の玄関で掃除をしていたホムンクルスは俺にアイリスフィールを頼むと言った。
 このホムンクルス達には確かな感情がある。だけど、それを無視する事が出来るというだけだ。

「……ごめん。頼む……」
「……謝る必要はありません。気に病む必要もありません。我等は貴女方の勝利の為、全身全霊を尽くす所存です故」

 少女は言った。その瞳に揺らぎは無い。だから、今度は謝らなかった。

「ありがとう」

 そして、少女は微笑んだ。とても、可愛く微笑んだ。そして、俺はその夜、彼女を死地へと送った。二度と帰って来れない戦場へ送り出した。
 遠く離れた安全地帯から望遠鏡を使って様子を見ながら、俺はいつでも宝具を発動出来るように準備した。彼女ごと、アーチャーを含めたサーヴァント達を始末する為にだ。

「……ありがとう。君を殺したら、俺も今度こそ覚悟が決まるよ」

 俺は彼女に名前を付けた。はにかむ笑顔を浮かべた彼女の名を俺は胸に刻んだ。

「マリア。俺達の勝利の為に死んでくれ」

第四話「君の命を使い潰させてもらうよ」

 セイバーの予想は的中した。海浜公園に隣接するプレハブの倉庫街に男は立っていた。人の気配は全く感じられない。まさに、聖杯戦争の為の舞台に相応しい場所。

「……意外だ」

 男は呟いた。

「今日一日、街中を歩いてみたのだが、誰も彼も穴熊を決め込む腰抜けばかり。漸く、俺の誘いに乗る猛者が現れたかと思えば……」

 男は半眼で私を睨む。

「君はサーヴァントではあるまい。さりとて、この立ち昇るような魔力の波動……、一般人ではあり得ない。マスターだな?」
「……見破られたからには肯定しよう。慧眼恐れ入る。如何にも、私はマスターだ」

 男は僅かに息を呑んだ。

「それなりの殺気を放ったつもりだが、眉一つ動かさんか……。どうやら、唯人と油断して良い相手では無いらしい」
「お褒めに預かり光栄だ。私のサーヴァントは前衛向きでは無いので、やむなく、私が前衛を務めているが、侮れば……、死ぬぞ?」

 男の唇が吊り上がる。

「実に清澄な闘気だ」

 男は二振りの槍を構えて言った。

「前衛向きでは無いと言ったな? ならば、君のサーヴァントはキャスターあたりか?」
「貴方の想像にお任せるよ……、ランサー?」
「如何にも、俺はランサーだ。名乗れぬままに死合うは歯痒さがあるが、尋常なる勝負をしよう」
「……ああ、我が剣がどこまで英霊に通用するか、それを考えるだけで体が疼く。マリア・クリアウォーター。この名をこの決闘に捧げよう。僅かでも、貴方の歯痒さの慰めとなるように……」

 ランサーは目を見開き、やがて微笑んだ。

「サーヴァントでは無いからと言って、侮った非礼を詫びる。マリア! 君の名を俺はこの胸にしかと刻み込む。往くぞ!」
「来るがいい、ランサー!」

 ◆

 戦いが始まった、マリアは指示通り、真正面からランサーに挑み、戦っている。マリアの剣はオスミウムという特殊な材質で出来ているらしく、英霊の武器と打ち合ってもそうそう壊れたりはしない。
 だから、両者の戦いの優劣を決定するのは各々の技量と身体能力。マリアの身体能力はサーヴァントのステータスに換算すると、筋力がB、耐久がD、敏捷がCといったところ。
 筋力に関してのみなら両者は拮抗している。けれど、ランサーというクラスの最大の持ち味は敏捷のステータス。A+とC、その差は果てしなく大きい。
 加えて、ランサーは嘗て勇名を天に轟かせた英雄。技量の面において、マリアに勝ち目は無い。
 つまり、これは完全な負け戦。そんな事、最初から分かっていた。それでも行かせた理由は一つ。ライダーを誘き寄せる為だ。
 ある程度、ランサーと打ち合い、価値を示せば、彼が戦闘を中断させてくれる筈。そして、彼の呼び掛けによって、アーチャーが姿を現す筈。その時が勝負だ。

『セイバー様』

 無線機から周囲を探索させているホムンクルスから報告があった。

『下水道内で怪しげな男を発見しました。恐らく、間桐雁夜かと思われます』
「オーケー。今は待機だ。上の状況次第で合図を送る。確実に息の根を止めろ。間桐の魔術は侮れないから、肉片一つ残すな」
『了解』

 溜息が出た。今後の事を考えると、間桐雁夜を泳がせるのも悪い手じゃない。万が一、ここでアーチャーを仕留められなかった場合、彼を誘導してバーサーカーをアーチャーに差し向ける。バーサーカーの能力なら、ある程度、アーチャー相手でも戦える筈だ。少しでもアーチャーの動きを制限してくれるなら、後は俺が宝具で諸共に吹き飛ばす事も出来る。
 何にしても、ここが正念場だ。他はどうとでもなる。唯一にして絶対の天敵。アーチャーはここで殺す。
 望遠鏡のレンズに意識を向けると戦いが止まった。様子見は終わりという事なのだろう……。

「マリア……」

 ランサーが本気を出す。そうなれば、マリアは死ぬ。焦燥に駆られ、頭を上げると、遠くの空に救世主が居た。

「ライダー!」

 ライダーのサーヴァントが倉庫街に向かって行く。構え合う両者の間に立ち塞がり、高らかと何かを宣言している。

「これで、条件は全てクリアされた!」

 俺は望遠鏡を片付け、部屋の窓を閉じ、鉄製のカーテンを閉じた。
 俺が今居るのは海浜公園から僅かに離れた位置にある四階建てのマンションの一室。
 二時間程前に魔術に特化したホムンクルスを使い、この部屋を手に入れた。そして、光を一切通さない鉄製のカーテンを用意し、同時に魔力を外に一切洩らさない結界を張らせた。
 いざ、宝具を発動させれば霞の如く消え失せる事だろう。だけど、発動の寸前まで、この位置を隠してくれればそれで十分。
 今、鉄製のカーテンには外の光景が映り込んでいる。ビデオで撮影している窓の外の光景をリアルタイムで確認する為だ。更に、横の壁には斥候に向かわせたホムンクルスが接地したカメラの映像が映っている。

「来た!」

 戦場にアーチャーが現れた。という事は程なくしてバーサーカーが現れる。そうなれば、アーチャーはバーサーカーと交戦する事になり、動きが制限される。
 好機到来!

「マリアを除く、全ホムンクルスに通達! これから宝具を発動し、倉庫街のサーヴァントを一掃する!」

 魔力を一気にエクスカリバーに注ぎ込む。準備は万端だ。切嗣さんの魔力以外にも、事前に用意した外付け魔力タンク《ホムンクルス》からの魔力も流れ込んで来る。三回までなら疲弊せずに発動出来る。

「……ごめん、マリア」

 息を深く吸い込み、俺は鉄製のカーテンに向けて刃を振り上げた。

「約束された勝利の剣《エクスカリバー》!」

 振り下ろした剣から光の刃が奔る。光は刹那の間に倉庫街へ到達し、そのまま、海の彼方へと消えていく。だけど、これで終わりじゃない。万全を期すのだ。

「エクスカリバー!」

 二撃目のエクスカリバーを戦場に向けて放つ。一撃目を運良く回避、あるいは防御出来たとしても、最大威力で放たれたエクスカリバーの真名解放を凌ぎ切れる筈が無い。
 だが、三発目は温存だ。即座に準備しておいた逃走経路へ向かう。此方の情報でくれてやれるのはランクA++の宝具を持つ事のみだ。
 あらかじめ、開けておいた扉から外に飛び出し、直ぐ近くのマンホールから下水道に降りる。そこにあったのは『Fate/ZERO』でも登場したモンスターマシン、ニトロエンジン搭載を搭載したYAMAHAのV-MAXだ。既に発信準備は完了している。
 一発目のエクスカリバーを放ってからここに到着するまでの時間は一分弱。仮に敵が生き延びていたとしても、追いつかれるまでは時間が掛かる筈だ。
 アクセル全開。モンスターマシンがその性能をフルに発揮する。迷路のような地下水道を一気に駆け抜け、脱出予定地点に三分で到着した。そこに待機していたホムンクルスが立っている。

「コイツを頼むぞ」
「了解」

 バイクを惜しんだわけじゃない。目の前のホムンクルスにはこれから囮になってもらう。バイクで走り去るホムンクルスを尻目に地上へ出ると、目の前にポルシェ959が待っていた。

「これから予定通り、拠点A2へ向かう」

 車に乗り込み、指示を出す。すると、同時に車は走り出した。

「情報をくれ」

 隣に座るアイリに問う。

「バーサーカーとランサーの討伐に成功しましたが、アーチャーとライダーには逃亡を許しました」

 思わず舌を打った。肝心の相手を逃してしまった。

「詳細を頼む」
「ランサーは付近にマスターが潜んでいたようです。主君を救出しようと背を向けた所にマリアが一撃を加えました。それが一瞬、ランサーの動きを止め、エクスカリバーを直撃させる事が出来たようです。バーサーカーに関しては、一撃目で重傷、二撃目で消滅したようです」

 アーチャーを倒せなかったのは残念だったけど、マリアは十分過ぎる仕事をしてくれたらしい……。

「マリア……。それにしても、バーサーカーは一撃目を耐え抜いたのか……」

 つまり、サーヴァントの中にはエクスカリバーの直撃を受けて尚、生き永らえる者が居るという事。

「ライダーはマスターが咄嗟に令呪を発動したようです。膨大な魔力を纏い、直撃する寸前に戦場から離脱しました」
「アーチャーは?」
「彼は一撃目の直撃を受け、負傷したものの、二撃目を強力な盾の宝具で防ぎ、空を浮ぶ黄金の船に乗り、エクスカリバーの発射地点へ向かい、無数の武具を降らせました」

 つまり、あのマンションは全壊したわけだ。住人は遠ざけておいたものの、空恐ろしさを感じる。

「追っ手は?」
「今の所は確認されていません。ライダーは消息を絶ち、アーチャーもマンションを崩壊させると共に姿を消しました」
「だが、油断は出来ない。気配遮断スキルを持つアサシンが追跡している可能性もある」

 深く息を吐き出した。神経が昂ぶっていて、どうにも落ち着かない。
 万全を期した攻撃を防がれた。だが、一撃目が直撃しているなら、あるいは引き返して一気に……いや、それは早計だ。

「間桐雁夜に関しては?」
「バーサーカー消滅と同時に狂乱している所を殺害しました。御指示通り、肉片一つに至るまで、火炎放射器で焼き切りました」
「わかった。念の為、間桐邸の監視は緩めるな」
「了解」

 しばらくして、トラブル無く拠点A2に到着した。そこは繁華街から少し離れた場所にある住宅街。高級感のある佇まいの家が立ち並んでいるから、ポルシェもあまり目立たない。
 車庫入れし、邸内に入ると、事前に待機していたホムンクルスが紅茶を出してくれた。

「ありがとう」

 一息つき、直ぐに思考に耽る。
 とりあえず、ランサーとバーサーカーが脱落した。この時点で残るサーヴァントは自分を含め、セイバー、アーチャー、ライダー、アサシン、キャスターの五体となる。
 正直言って、厄介な相手ばかりだ。特にアーチャー。彼を倒す策を早急に立案する必要がある。

『セイバー様』

 無線から報告が入った。

『B12でライダーと思しき飛行物体を確認しました』

 その報告に呼応するように別の報告が入る。

『ライダーと思しき飛行物体が下降しています』
『B13に着陸。捕捉しました』
「わかった。そのまま、奴等の拠点を突き止めてくれ」

 実を言えば、ライダーとそのマスター、ウェイバー・ベルベットの拠点を発見する事は難しくない。彼らがマッケンジー夫妻の家に潜り込んでいる事が分かっているからだ。だが、街中に配したホムンクルス達が自力で見つけてくれたおかげで手間が一つ省けた。
 ここで問題になる事は一つ。即座に討伐に向かうか、泳がせるかだ。
 彼らに関して言えば、時間を置いても問題にならない。むしろ、マスターであるウェイバー・ベルベットにとって、マッケンジー夫妻が掛け替えの無い存在に昇華する。そうなれば、彼らが人質として機能してくれるようになる。それに、彼らはどこよりも早く、キャスターの拠点を発見してくれる。
 キャスターやそのマスター、雨生龍之介の趣味趣向に対して、俺には何かを言う資格が無いから止める気も無いが、最終的には倒さなければならない。となればライダー陣営は泳がせておく方がいいかもしれない。

「ライダー陣営に関してはしばらく泳がせる。拠点が分かったら、周囲一キロ圏内に監視網を敷け」

 無線から『了解』という答えが返って来る。
 さて、考えを戻そう。アーチャーをどうやって倒すかだ。遠坂葵と遠坂凛の捕縛は切嗣さんに任せてあるから問題無いだろう。葵の方はともかく、凜は十分役に立ってくれる筈だ。
 問題があるとすれば、時臣が如何に凜を救いたいと主張しても、アーチャーが言う事を聞かない可能性があるという点だ。スピンオフゲームの『Fate/extraccc』では、彼に令呪は全く効果が無かった。
 アヴァロンを使えば真正面からでも倒せる可能性はあるが、それは最終手段だ。出来れば、直接戦闘は避けたい。

「一時的に身を潜めるか……」

 今夜は七騎中二騎が消滅した。つまり、始まって早々、いきなり中盤戦に突入してしまったという事。それぞれの方針を見定める必要がある。

「そろそろ定時連絡の時間だな」

 切嗣さんとの交信用インカムを身に着ける。時間が来ると、向こうから声が届いた。

『派手にやっているみたいだね』
「……はい」

 声が震えた。切嗣さんの声を聞いた途端、緊張の糸が切れた。

『……大丈夫かい?』
「……はい」

 涙が止まらない。とても、大丈夫なんかじゃない。

『……報告は落ち着いてからでいい』
「……いえ、大丈夫です」

 涙を服の袖で拭い、今日の経過報告を行った。
 話し終えて、しばらくすると、切嗣さんは溜息を零した。

『聖剣の発動に関しては聞いていたが、詳しい報告はまだ受けていなかったんだ。まさか、もう二騎も倒してしまっていたとはね……』
「はい。マリアのおかげです……」

 笑顔がとっても可愛いマリア。俺が殺したマリア。俺が道具として使い潰したマリア。

『……セイバー。僕達と合流するか?』
「いえ……、アサシンが監視している可能性があります。下手に接触はしない方が良いと思います。それより、明日以降の行動についてですが……」
『ああ、君の意見に僕も賛成だ。エクスカリバーを真っ向から受け止めたというアーチャー。奴は他にも無数の宝具を操っていたらしい。一体、奴の正体は……』
「恐らく、人類最古の英雄王、ギルガメッシュです」
『……ギルガメッシュ?』
「はい。彼の宝具は恐らく、かの王が生前集めた財宝を収めた蔵だと思われます。それ故に、彼の宝具は背後の揺らぎから顔を出して現れるという奇怪な工程を経たのでしょう」
『なるほど……。確かに、かの王の蔵になら、ありとあらゆる宝具の原典があったとしても不思議では無いな……』
「加えて、報告によると、彼は倉庫街で王を名乗ったそうです。ライダーのサーヴァント、イスカンダルの名乗りに対して」
『ああ、そう聞いている。という事は、ほぼ間違い無いという事か……。厄介だな』
「はい。恐らく、俺達の最大の敵はあのアーチャーになると思います。なので、彼を倒す事を最優先に考えたいと思います。なので、今後は他の陣営を泳がせ、アーチャーに対する当て馬にする方向で向かいましょう。必要とあれば、他陣営のマスターの親類などを人質に使い……」
『そうだな。キャスターの陣営は未だ捕捉出来ていないが、ライダーのマスターの拠点を確認出来た事は行幸だ』
「禅城の家の方はどうでした?」
『遠坂時臣の妻と娘を捕捉した。娘はこの状況下で小学校に通っているらしい。暢気なものだ』
「攫い易い事に越した事はありませんよ。ただ、しばらくは――――」
『ああ、分かっているさ。下手に刺激を与えても拙い。使うかどうかは今後の展開次第だ』

 とにかく、今は様子見に徹するしか無い。

「しばらくは潜伏し、様子見に徹します」
『了解だ。……ところで、アイリが話をしたがっているんだが、いいかい?』
「え? あ、はい! 勿論です!」

 応えると同時にアイリスフィールの可愛らしい声がインカムを通じて流れて来た。

『セイバー、大丈夫?』
「も、勿論です! 全然へっちゃ――――」
『嘘は駄目よ、セイバー』

 アッサリと俺の嘘は見破られてしまった。

『泣きたい時は我慢しちゃ駄目よ? 貴女、今、すごく苦しんでいるでしょ?』

 心の内を見抜かれた事に動揺して言葉が出なかった。

『セイバー。私達の安全を第一に考えてくれているのは分かる。でも、どうしても辛くなったら、私達の下に来ていいからね? 何も出来ない私だけど、貴女を抱き締める事くらいは出来るから……』
「アイリスフィール……」

 俺はそのまま泣きじゃくった。何を言ったかは覚えていない。ただ、マリアの事ばかり、口にしていた気がする。
 アイリスフィールはずっと、俺の泣き言を聞いてくれた。
 サーヴァントが二体倒れ、既に身体機能に異常が発生している筈なのに、ずっと、俺を慰め続けてくれた。

「アイリスフィール……、ありがとう」

 俺は彼女に別れを告げ、インカムを外した。
 今日の事が必ず今後の展開に影響を及ぼす。俺が今宵、キャスターと出会わなかった事で、アサシンはキャスターを捕捉出来なかった筈だ。つまり、ルール変更及び、休戦協定は無いと思っていいだろう。
 そうなると、ライダー達がキャスターを発見してくれるかも怪しくなってくる。
 アイリスフィールと話したせいか、イリヤの顔が脳裏にチラついた。小さくて可愛い雪の妖精。彼女と同年代の少年少女が殺されている。
 マリアを殺し、ランサーを殺し、バーサーカーを殺した俺に彼らを責める資格なんて無いけど、子供達が殺されるのを黙認するのも……。

「いや、止めておこう。今、部屋に動くのは危険だ。何より優先すべきは聖杯戦争に勝利する事。それ以外の些事に感けている暇は無い」

 精神的な疲れを感じ、俺はベッドに入った。何かあれば、この体は直ぐに目覚められる。

 翌日、目を覚ましたのはお昼過ぎだった。想定以上に寝入ってしまったらしい。慌てて起きると、ホムンクルス達が食事を用意してくれていた。
 食事を摂りながら、ふと思った。遠坂凛に関しては俺達の行動による影響を一切受けていない筈。なら、明日、彼女は冬木市に乗り出す。そこで、彼女はキャスターのマスターと遭遇する筈だ。
 彼女を助ける筈だった間桐雁夜はもう居ない。つまり……、

「……さすがに外道過ぎるかな? でも、上手くやれば遠坂時臣の目がキャスターに向く筈。元々、人質として使ってもアーチャーへの抑止になるかは微妙だし……」

 決断し、即座に準備を開始した。
 遠坂凛をキャスターと雨生龍之介のアートにさせる。そして、そのアートを発見させる。そうすれば、確実にルール変更のイベントが発生する筈だ。同時に、時臣の目はキャスター討伐に向かう筈。
 あるいは、アーチャーを不意打ちする事も可能かもしれない。
 それに、遠坂凛をそれで使い潰しても、もう一人、時臣に対する交渉材料が残っている。彼女を奪うのは難しくない筈だ。

「アハハハハハ!」

 いきなり笑い出した俺にホムンクルス達が目を丸くした。そんな彼等を尻目に俺は窓へと向かう。

「やってやる。やってやるさ! 出来る筈だ! マリアを殺した俺になら、どんな事だって出来る筈だ! いや、出来ないなんて許されない。だから――――」

 切嗣さんが見せてくれた資料の中でほがらかに微笑む遠坂凛の顔を思い浮かべた。
 イリヤと歳の変わらない少女。

「君の命を使い潰させてもらうよ……、遠坂凛」

第五話「たっぷり愉しませてもらうぞ」

 切嗣さんから連絡が入ったのは夜分遅くの事だった。

『遠坂凛が禅城の屋敷を出て、単独で冬木に向かった。どう見る?』
「……我々の動きに勘付いた遠坂時臣による何らかの罠。あるいは、子供特有の好奇心に身を任せた暴挙。どちらにせよ、接触は禁物かと。此方での監視は俺に任せて下さい」
『分かった。可能性として高いのは前者だ。気をつけてくれ』
「了解です」

 インカムを外すと、俺は唇の端が吊り上るのを止められなかった。
 遠坂凛が冬木に入った。間桐雁夜が居ない以上、彼女は必ずキャスターと接触する。誰にも、キャスターと雨生龍之介の邪魔はさせない。彼等のアートが歓声するまでは……。

「現在時刻は22:15か……。さて、良い報告を期待しているよ?」

 既に指示は出してある。

『セイバー様。遠坂凛の補足に成功致しました』
「わかった。そのまま、監視を続けろ。ただし、決して手を出すな。場所は?」
『A5よりやや南。カフェ・ブラウンの前を通りました』

 待機はここまでだ。俺の計画で最も警戒すべきは他の陣営の介入。特にアサシンに捕捉されれば、遠坂凛の冒険はそこで終わってしまう。無事に保護される結末は俺にとって最悪だ。
 彼女にはアートになってもらわなければ困る。だから、俺も打って出る。万が一、彼女の冒険を阻害する者が居た場合、最悪、戦闘行為も辞さないつもりだ。
 ポルシェ959に乗り込み、遠坂凛を捕捉した場所に向かう。

 深山から新都に入り、しばらく走っていると、無線から報告が入った。

『遠坂凛が何者かに捕縛されました』
「サーヴァントか?」
『恐らく……。道化師のような装いの男です。遠坂凛の他にも子供を数人引き連れています』

 歓喜に胸が躍った。

「引き続き、周囲に気を配りつつ監視を続けろ。恐らく、そいつが最後のサーヴァント、キャスターに違いない。拠点を探るんだ」
『了解』

 報告のあった方へ車の進行方向を向ける。
 正直、不安があった。俺と遭遇しなかった事でキャスターの動きに変化が起きる可能性を懸念していた。けれど、彼は真面目に幼児誘拐を実行してくれた。
 遠坂凛を含め、これから犠牲になる子供達には悪いが、まあ、運が悪かったと思って諦めてもらおう。

『キャスターが子供達を連れて地下水道に降ります』
「追跡は続行可能か?」
『……困難かと思われます。どうやら、簡易的な結界が張られているようですので……』
「わかった。なら、そこまででいい。それで、発信機は?」
『問題無く作動しております』

 そうだ。追跡なんて出来なくても良い。遠坂凛の服に擦れ違いざま、発信機を取り付かせるよう指示を出しておいた。成熟した魔術師相手には通用しなかっただろうが、相手は所詮子供。服の死角部分に小さな機械を取り付けられても気付かないだろうと思ったが、案の定だ。
 これで、キャスターの拠点を補足出来る。

『目標が停止しました。マップによれば、貯水槽がある場所のようです』
「オーケー。俺達も地下水道の入り口に到着した。これから―――-ッ」

 どうやら、順調なのはここまでのようだ。上空を見上げると、謎の飛行物体がやって来るのが見える。

「ライダー……」

 ルール変更が起きたわけでも無いのに……。
 大方、停滞した状況を打破する為に小説通り、川を調べたのだろう。だが、まさかこのタイミングで来るとは思わなかった。
 このままではキャスターがライダーに倒されてしまう。子供を陵辱していた外道をライダーとウェイバー・ベルベットが捨て置くなどあり得ない。
 それは困る。彼等には遠坂の目を牽き付けてもらわなければならない。その為にも、彼等にはここを離脱してもらう他無い。

「……俺の存在に勘付いたらしい。迎え撃つから、君達はA7で待機していてくれ」
「了解」

 俺が外に出ると、アイリと切嗣が頷いて車を走らせた。
 体に震えが走る。最悪、ライダーと戦う事になるかもしれない。サーヴァントと実際に刃を交えるのはこれが初めてだ。いや、そもそも、人に刃を向ける事自体が初めてだ。
 泣きそうになる。正直言って、怖くて仕方が無い。だけど、弱音なんて吐いてる暇は無い。

「……来い、ライダー!」
「AAAAAAAALaLaLaLaLaLaLaLaLaLaie!」

 雷を纏う戦車に跨るライダーとウェイバー。
 二人は地下水道の前に立つ俺に目を丸くした。

「ま、まさか……、本当に?」

 ウェイバーは口をポカンと開けて言った。

「サーヴァントが居た!?」
「ハッハッハ! お手柄だぞ、坊主! やるではないか! さすがは我がマスターよ」

 主の背中をバシンと叩き、ライダーは豪快に笑う。褒められたウェイバーはと言うと、青い顔をしている。

「どうした?」
「……いや、あれって……、セイバーだよな?」

 どうやら、待ち受けていたのがセイバーのクラスだった事が予想外だったらしい。その顔には恐怖の感情が浮んでいる。

「うむ! あのいでたち、キャスターやアサシンではあるまい。ならば、残るはセイバー! だよな?」

 ライダーは確信に満ちた声で言う。隠した所で意味は無いだろう。

「如何にも、俺がセイバーだ。どうやら、君達も目的は同じらしいな」

 慎重に言葉を選びながら言う。

「目的?」

 首を傾げるライダー。

「ああ、キャスターの根城を探しているんだろ? どうやって突き止めたか知らんが、お前の能力か?」
「いやいや、余では無く、この坊主の手柄よ!」
「ほう……」

 俺はわざとらしくならないように称賛の眼差しをウェイバーに向けた。

「なるほど、優れたメイガスのようだ」
「いや、まだまだ未熟者よ!」
「成長途上というわけか……、末恐ろしいな」
「ハッハッハ! べた褒めされておるぞ、坊主!」
「……いや、その」

 顔を真っ赤にするウェイバーにちょっと頬が緩んだ。

「それで、ここがキャスターの根城と言ったな?」
「そうだ。キャスターらしき存在がここから地下水道に入ったと、俺のマスターの協力者から報告があった。何を企んでいるかは知らんが、キャスターは時間を経れば経るほど厄介なクラスだ。早急に始末したい」
「なるほどな。ところで、一つ聞きたい事があるんだが……」
「なんだ?」
「一昨日の倉庫街。あの宝具は貴様のものか?」

 殺気に満ちたライダーの問い。虚言は許さぬという意思が篭められている。
 怖い。今直ぐ逃げ出したい。けど、優先すべきはキャスターの逃亡までの時間稼ぎだ。

「……そうだ。俺がやった」
「そうか……。いや、別に責めるつもりは無い。あの攻撃は非常に理に叶ったものだった。だが、もう一つ聞きたい」
「……なんだ?」
「余の呼び掛けは聞こえておったのか?」

 その問いに首を振った。

「いや、聞こえてない。君が何かを叫んでいるのは望遠鏡を使い見ていたが、音まではな……。生憎、口の動きから言葉を読む技術も持っていないんだ」
「なるほどな。ならば、仕方が無い!」

 ニッと笑みを浮かべて言うライダーにウェイバーが掴み掛かった。

「何言ってんだよ!? コイツが僕達を殺そうとした張本人なんだぞ!?」

 激昂するウェイバー。気持ちは分かる。何せ、彼は俺の宝具で命を落としそうになったのだから。

「何を言っておるか」

 ライダーは穏やかな口調で言った。

「その窮地は坊主の機転で脱せられたではないか。余はあの時のお前さんを高く評価しておる。中々、出来る事では無い。その証拠に他の連中は令呪で離脱する事が出来ず、宝具に呑み込まれたではないか」
「そ、それは……、ただ、怖くて、それで……」
「卑下する必要は無い。こうして、キャスターの根城を発見したのもお前さんの力による成果だ。余は実に誇らしいぞ!」

 ライダーがウェイバーの背中を叩く。ウェイバーは半泣きになりながらライダーに文句を言うが、恐らく、半泣きの理由は痛みばかりでは無いだろう。

「許せとは言わないよ、ライダーのマスター。これは戦争だ。だから、勝機と見れば殺す。あの時、複数のサーヴァントが一箇所に集まっていた上、俺の宝具の射線上に民間人は存在せず、放った先は海上だった。これ以上無い状態だった」

 つい、口数が多くなる。まるで、言い訳をしているみたいだ。

「……死ぬのが怖いなら、教会に保護を求めて脱落しろ。それが嫌なら、俺を含め、敵を皆殺しにしろ。どんな手を使ってでもだ」
「……あ、え……」

 途惑うウェイバーの背中をライダーが叩く。

「シャキッとせんか、小僧! セイバーはこう言っておるのだ。戦場に立ったなら、殺し殺されるのは必定。それが嫌なら尻尾を巻いて逃げろ。そうでないなら、グチグチ言うなって事だ」
「わ、分かってるよ! い、言われなくても分かってる! この戦いが殺し合いだなんて事、最初から……分かってたさ」

 俯いて、肩を震わせるウェイバーに俺は思わず声を掛けた。

「君は若い。逃げて、未来に生きるのも一つの選択だ。とても、勇気の要る選択だが、君は将来必ず大物になる」
「う、うるさい!」

 ウェイバーが叫んだ。

「ボ、ボクは自分で決めてこの戦いに参加したんだ! お、お前なんかにとやかく言われる覚えはない!」
「……そうか、すまなかった。君の覚悟を侮った非礼を詫びる」
「い、いや……その……」

 口篭るウェイバーに思わず笑ってしまった。彼は見ていて実に面白い。
 さて、そろそろ時間稼ぎは十分かな?

「……ん? どうした?」

 ウェイバーがポカンとした顔で俺をジッと見つめている。

「い、いや、何でも……無いです」

 俯いてしまった。どうしたんだろう?

「体調が悪いなら、ここで退いておけ。魔術師の英霊の工房だ。何があるか分からない」
「い、いや、行く! 行くに決まってるだろ! ボクはその為に来たんだ」
「……重ね重ねすまない。なら、一時的に休戦協定を結ばないか?」
「休戦……?」
「ああ、キャスターの根城を探索するまでの間だ。さすがに、ここで君達とやり合えば、キャスターを逃がしてしまう恐れがあるからね」

 まあ、とっくに逃げてると思うし、その為に話を引き伸ばしたんだけど……。
 戦わずに済むならそれに越した事は無い。やはり、刃を交えるのは怖い。

「無論、中に入ったら俺も君を護る為に全力を尽くす。どうかな? えっと……、」
「ウェ、ウェイバーだ。ウェイバー・ベルベット」
「では、ウェイバーと呼ばせてもらうよ。良い名前だ」
「……ぅっく、とにかく、さっさと行くぞ!」

 声を荒げるウェイバーにライダーが噴出した。

「お前さん、中々のやり手だな」

 クククと笑うライダーに曖昧な笑みを返す。こんな事で篭絡出来るとは思えないが、今後の事を見据えると、彼等には本物のセイバーさんとまではいかないまでも、それなりに清廉な騎士という印象を持たせておきたい。
 昔、漫画で読んだアメフト部の投手が言っていた。

『カード裁きってのはなァ“そんなカードは出すわけねえ”って、思い込ませたら、その時点で勝ちなんだよ』

 重要なのは意外性だ。俺が清廉な騎士だと思われれば思われる程、策略が生きて来る。その為にも如何にも策略を張り巡らせそうなキャスターは活かしておいた方が都合が良い。

「俺が先行する。君達は――――」
「いや、お前さんも余の戦車に乗れ」

 風王結界を纏わせたエクスカリバーを握り、地下水道内に入ろうとする俺をライダーは片手で易々と持ち上げ、戦車の御車台に乗せた。

「敵を自分の宝具に乗せるとは豪気だな」
「それが余だ」

 ニッと笑みを浮べ、ライダーは戦車を走らせた。内部に入ると、そこは完全に異界と化していた。所狭しと気味の悪い魔物が蠢いている。それらを戦車で轢き殺しながら、ライダーがボソリと呟いた。

「こんなものなのか?」

 ライダーはあまりの手応えの無さに首を傾げている。

「良く考えると、あんな風に川に廃棄物を流すなんて、魔術師の工房として……」

 ウェイバーも難しい表情を浮かべながら通路内をつぶさに観察している。

「キャスターは正しい意味での魔術師とは違う存在なのかも……」
「どういう事だ?」

 知ってるけど、敢えて問う。

「例えばだけど、生前の伝承に悪魔を呼んだとか、魔術書の類を持っていたとか、そういう逸話が語り継がれているだけで、本人は魔術師として知れ渡っていないのかもしれない。だから、キャスターは限定的な能力しか持っていないのかもしれない」
「なるほど、素晴らしい推理だ。だが、そう推理させる為の罠という可能性もある」
「……罠って言うと?」
「よく考えてみると、川に魔術の痕跡を流したり、姿を俺のマスターの協力者に視認させるなど、魔術師以前にサーヴァントらしからぬ行動だ。故に君の推理が的中している可能性は高い。だが、同様にこれが罠である可能性も高いんだ。敢えて、工房内に引き入れる為に防御を緩くしているのかもしれない。それに、ここはキャスターの数ある拠点の一つに過ぎない可能性もある」
「そ、そっか……」
「君は優秀だ。だけど、一つの考えに囚われず、あらゆる可能性を想定する事も大切だよ?」
「う、うん」

 素直に頷くウェイバーが可愛くて、頬が緩んだ。
 それからしばらくして、戦車は大きな空洞に出た。そこに地獄があった。

「……見るな、ウェイバー」

 何の策略も無く、咄嗟にウェイバーを抱きすくめ、腕で視界を覆い隠した。

「な、何だ!? 一体……って、セイバー?」

 来るべきじゃなかった。想像はしても、確認はするべきじゃなかった。

「セイ、バー……?」
「坊主。お前さんは見ない方が良い……」

 ライダーは重い口調で呟いた。

「な、何があったんだよ!? セイバー! 離してくれよ!」
「……駄目だ」
「……セイバー?」
「……お前さんも見るべきじゃなかったな、セイバー。まあ、そうだよな。幾ら、英霊とは言え、こんなもの、女子供が見るべきものじゃない」

 ライダーが大きな手で俺の視界を遮った。

「……待ってくれ。見る……」

 ウェイバーが言った。

「……駄目だ」
「見る。……見なきゃいけない気がする」

 そう言って、俺の腕に手を掛けるウェイバー。俺は反抗する気力も無かった。

「――――これ、は」

 ウェイバーは俺の胸に背を預け、体を震わせた。

「なんだよ……、畜生。何なんだよ……、コレ」
「見たとおりだろうさ。キャスターめ……」

 ライダーの声に怒りが滲んでいる。
 彼の手を退けた。そこにはやはり、地獄が広がっていた。

「……ぁぁ」

 小説で読んだシーンだ。アニメで観たシーンだ。でも、現実の光景とは比較にならない。

「みんな、生きてる……」

 ウェイバーをライダーに預け、俺はふらふらと子供達の下に向かった。
 俺が利用しようとした子供達。助けられた筈なのに、助けなかった子供達。また、増える。俺が逃がしたせいで、同じような子供がまた増える。

「ァァァァアアアアアアアアアアアアアア」

 頭を掻き毟った。

「お、おい、セイバー!」

 俺はエクスカリバーを振り上げた。この子達は救えない。救えた筈だけど、救わなかった。

「待て! こんな場所でお前さんの宝具を使ったら、地上が火の海になるぞ!」
「うるさい! この子達を見て、そんな冷静な口をよく――――」

 殴られた。殆ど痛みは無い。だって、殴ったのはライダーじゃなくて、ウェイバーだったから……。

「落ち着けよ、セイバー。この子達は俺達が引導を渡す」

 ウェイバーはそれだけ言うと、ライダーに命じた。

「壊してくれ。何もかも」
「いいのか? 調べれば、何か分かるかもしれんぞ?」
「どうせ、ボクなんかじゃ何も分からない。それより、この子達の苦しみを早く終わらせたい……」
「……分かった。二人共、乗れ」

 ウェイバーに腕を掴まれて、俺はライダーの戦車に戻った。

「狭苦しい処を済まんがな、一つ、念入りに頼むぞゼウスの仔らよ」

 戦車を牽く神牛が空間内を円を描くように疾走する。天を燃やす雷が全てを無に還していく。
 俺はその間、嗤っていた。涙を流しながら嗤っていた。俺はまた、犠牲にした。自分の策略の為に犠牲にした。
 もう、これで本当に後戻りは出来なくなった。何かが砕けていく感触。大切なものが砕けていく感触。

 ―――――これでもう、貴方の事を……。

 遠坂凛の姿は見えない。恐らく、連れ去られたのだろう。だけど、これだけ派手な事をしていれば、アサシンが必ず勘付いてくる筈だ。そうなれば、キャスターの事が時臣の耳に入る。
 明日になれば、禅城の屋敷からも遠坂凛の消息が分からなくなったという一報が届く筈だ。上手く結び付けろよ、遠坂時臣。

 全てが終わり、外に出ると、ウェイバーとライダーは痛ましいものを見る目で俺を見た。

「セイバー。その……、大丈夫か?」
「……大丈夫ですよ。大丈夫に決まってるじゃないですか……」

 ライダーが溜息を零した。

「どこからどうみても大丈夫に見えんぞ……」
「大丈夫ですよ。私は必ず、勝つんです。だから……、だから……」

 おかしいな。体の震えが止まらない。涙も止まらない。

「……これで休戦協定は終わりです。次に会った時は敵同士だ。それでは……」
「お、おい、待てって―――――」
「待つのはお前さんの方だ」
「ライダー……?」
「そっとしておいてやれ。女であるあやつが受けた衝撃は余やお前さん以上な筈だ。今は何を言っても慰めになどならん」
「あ、ああ……」

 俺は彼等の会話を聞き流し、合流地点に向かって歩いた。
 後少しで辿り着くという処で、目の前に三本の剣が道を塞いだ。顔を上げると、そこに死神が立っていた。

「たっぷり愉しませてもらうぞ、セイバー」

第六話「愛しております、永遠に」

「ア、アーチャー……」

 最悪だ。何も、こんな時に現れなくてもいいじゃないか……。
 最強の敵が牙を剥いた。

「王の威光を怖れぬ愚者よ。その罪、自らの命をもって、償うが良い!}

 アーチャーのサーヴァント、ギルガメッシュの宝具、『王の財宝《ゲート・オブ・バビロン》』が展開される。彼の背後に水面の如く広がる波紋。顔を出す宝具の数はざっと数えて百を越える。
 エクスカリバーを構えるが、発動する暇など無い。防げる筈も無い。幾ら、セイバーさんの体を持っていても、その力を発揮出来ても、俺は剣なんて握った事が無い。無数に降り注ぐ宝具を捌き切るなど不可能だ。
 終わりだ。勝つか負けるか以前の話だ。彼と戦闘状態になった時点で詰んでいる。逃げる事すら不可能だ。

「……ぁ、ああ」

 体の震えが止まらない。絶対的な死を前にして、俺は目の前が真っ暗になった。
 イリヤの顔が浮ぶ。
 アイリスフィールの顔が浮ぶ。
 切嗣さんの顔が浮ぶ。
 知らない少年の顔が浮ぶ……。

「ァ――――」

 声が響いた。雷を纏う神牛の疾走。ライダーが戦車を傾け、俺の服を掴む。

「AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALALAie!!」

 何が起きたのか分からなかった。気が付くと、俺はライダーの宝具の御車台に乗せられていて、天上へと舞い上がっていた。

「ったく、何やってんだボク達は!!」
「ハッハッハ!! 坊主!! 余はお前さんの判断を支持するぞ!! こやつがあのような輩に摘まれるのはあまりにも惜しい!! それに、今のこやつは英霊ではなく、単なる小娘に過ぎぬ!! あれほどの強力無比な宝具を持つこやつがその真価を見せずして脱落するなど、我慢ならん!!」

 困惑する俺を尻目にライダーとウェイバーはギャーギャーと叫び続ける。
 分かる事は俺の窮地を彼等が救ったという事実のみ……。

「なんで……?」
「……聞くなよ。ボクだって、馬鹿な事したって思ってるんだ」
「ッハッハッハ!! 弱り切っとる女を見捨てて置けぬだけだ!!」

 溜息混じりに言うウェイバーとは対照的にライダーは豪快に笑って言った。

「お前さんと別れて直ぐに坊主が魔力の流れを感じ取ったのだ。救援に向かうと決めたのも坊主だ。故、礼を言うなら坊主に言え」

 信じられない気持ちでいっぱいだった。
 なんて……、なんて……、馬鹿な男だろう。

「……ありがとうございます、ウェイバー」

 ウェイバーの手を取り、頭を下げると、彼は顔を真っ赤にして「べ、別に!」と言った。
 俺も男だったからこそ、彼の感情が手に取るように分かる。英霊という人外である以前にこの身は端正な顔立ちの少女だ。その弱り切った状態を見て、彼は情を持った。
 惚れたかどうかは分からない。だが、これは使える。上手く、惚れさせる事が出来れば、彼を今後、都合の良い手駒として利用出来る。

「優しくて、勇敢だ……。本当に……、ありがとう」

 涙を流すのは簡単だった。男が魅力的に感じる女の顔を作る。上手くいったかどうかは分からないけれど、ウェイバーは顔を真っ赤にしてあたふたしている。
 ああ、本当に馬鹿な男だ。そして、使える男だ。彼を何とかして、アーチャーと敵対するよう差し向けたい。そうすれば、万全な状態のライダーなら倒せないまでも、ある程度は拮抗出来る筈。

「ボ、ボクは別に……って、あれは!!」

 突然、ウェイバーが戦車の後方を見て叫んだ。
 釣られて顔を向けると、死神が追って来ていた。黄金の船に乗り、アーチャーが追って来る。

「ライダー!」
「わかっておる!」

 ライダーが戦車を加速させる。それに呼応するように、アーチャーはゲート・オブ・バビロンを展開した。撃ち出される宝具の数は百を越え、戦車はそれらを紙一重で交わし切る。
 だが、即座に第二波が撃ち出される。加えて、第一波で撃ち出された宝具の内、殆どが空中で方向転換し、再び襲い掛かって来る。

「遙かなる蹂躙制覇《ヴィア・エクスプグナティオ》!!」

 急激に速度を増した。纏う魔力の凌駕桁違いに跳ね上がっている。
 ライダーの宝具、神威の車輪《ゴルディアスホイール》の真価が発揮された。神牛の疾走は襲い来る宝具を悉く弾き返す。音速を超え、疾走する戦車にアーチャーは一気に引き離されて――――、

「……え?」

 頭上からあり得ない大きさの剣が降って来た。翠色の刃を持つ巨大な剣。こんなもの、幾ら何でも弾き返せる筈が無い。
 ライダーが強引に進路を変更させる。けれど、宝具の発動中に無理な挙動を強要した為に神牛の動きが鈍った。そこに細長い鎖が伸びる。
 それが何だか直ぐに分かった。アーチャーが誇る究極の対神宝具、『天の鎖《エルキドゥ》』。神性スキルのランクが高ければ高い程、強靭に対象を捕縛する拘束宝具だ。
 ライダーも神性スキルを保有しているが、神獣である『飛蹄雷牛《ゴッドブル》』は彼以上の神性を持っている筈。
 動きを阻害されたせいで、アーチャーとの距離が一気に縮まっていく。迷っている暇は無い。
 御車台と神牛を繋ぐ部品の上に乗り上げ、鎖を破壊しようと刃を振り上げる。すると、寸前で鎖が消滅した。
 代わりに不吉な声が響いた。

「また一つ、罪を重ねたな、女」

 死が広がっている。視界いっぱいを覆う無数の宝具。如何にライダーの宝具が素早く緻密に動けようと、これでは逃げられない。

「こ、こうなったら令呪で――――」
「無駄だ。如何なる速度をもってしても、逃れられん……」

 歯軋りするライダーにウェイバーは「そんな……」と絶望の表情を浮かべた。
 決断の時だ。もう、正体を隠すだなんだと言ってはいられない。

「風よ……」

 風王結界を解き放つ。

「セ、セイバー?」
「ウェイバー。ライダーの傍に……。ライダー、ウェイバーを頼みます」
「……ああ、わかっておる」

 光り輝く聖剣が夜空を明るく照らす。

「その輝きは……」

 ライダーが息を呑んだ。そして、言った。

「お前さんがその気なら、余も切り札を使おう」
「ライダー?」
「お前さんは宝具をいつでも発動出来るようにしておけ。余がサポートする!!」

 何をするつもりなのか、直ぐに分かった。

「ああ、頼む!!」

 ライダーは神牛に命令を下した。
 ウェイバーが絶叫する。アーチャーすら、瞠目した。
 ライダーは戦車を後退させたのだ。アーチャーへ、自分から近づくという無謀な行為に俺は何も言わず、聖剣を振り上げた。

「いさ、集え!!」
「約束された《エクス》――――」
「我が軍勢よ!!」

 ライダーを中心に突風が吹き荒れる。そして、周囲の景色が一変した。
 驚天動地の事態にされど、俺の心は揺らがない。何故なら、こうなる事を知っていたから――――、だから、何の迷いも無く、聖剣を振り下ろす事が出来た。

「――――勝利の剣《カリバー》!!」

 ライダーの意思によって、俺の眼前に放り出されたアーチャーにエクスカリバーの光刃が直撃した。

「エクス!!」
「に、二撃目!?」

 ウェイバーが絶句する。
 今の俺は三発までならノーリスクで宝具を連発出来る。

「カリバー!!」

 この好機を逃すわけにはいかない。何としても殺す。こいつだけは絶対にここで殺す。

「ッハアアアアアアアアアア!!」

 三度目。魔力を聖剣へと注ぎ込む。
 その刹那、全身に鳥肌が立った。この身に宿る直感スキルが告げる。ついに、獅子がその本性を顕にした。
 視界に映るのは黄金の盾。高らかに雄叫びを上げる不気味な盾。そして、その向こうに身を隠すアーチャーが握っているのは――――、

「目覚めよ、乖離剣《エア》!! 身の程を弁えぬ愚者共に真理を刻むのだ!!」

 高速回転する三つの円柱。

「ライダー!! 全力で逃げろ!!」

 ウェイバーの叫びに神牛が走り出す。令呪のバックアップを受け、信じられない速度でアーチャーから離れて行く。
 けれど、無意味だ。アレを前にして、逃げるなどという選択肢は端から存在していない。

「己が愚劣さを呪うが良い!! 天地乖離す開闢の星《エヌマ・エリシュ》!!」

 世界そのものが捩れていく。天と地の境が曖昧となり、この世の始まりが再現される。
 滅びの光に呑み込まれる寸前、俺達は現実の世界に戻された。ライダーが固有結界を解除したらしい。アーチャーは黄金の船とは離れた場所に排出され、乖離剣を握ったまま落下して行く。

「終わりだ!! エクスカリバー!!」

 幸い、真下は海だった。エクスカリバーの光刃はアーチャーを呑み込み――――、

「ックソ!!」

 直撃する寸前、膨大な魔力がアーチャーを包んだ。手応えも無い。

「令呪で離脱された……」

 拳を握り締め、悔しさに打ち震えた。最大の好機を逃した。

「ギルガメッシュ……」

 心の奥底から暗い感情が沸き立ってくる。

「セ、セイバー?」

 アレが生きている事が許せない。

「おい、セイバー」

 いや、これはこれで良い。アッサリ死なせるなんてつまらない。

 ――――苦しみを与えてやる。

「おい、セイバー!!」
「……はえ?」

 肩を掴まれて、目を白黒させる俺にウェイバーが詰め寄った。

「お前、一体――――って、だああああ!!」

 いきなり頭を掻き毟りだすウェイバーにちょっと引いた。

「ど、どうしたの?」
「どうしたのじゃない!! ああ、ったく、言いたい事が多過ぎて、言葉が見つからないんだよ!!」
「えっと……」

 助けを求めるようにライダーを見ると、彼も彼で考え事をしていた。

「ライダー?」
「……お前さん、アーサー王だったんだな」
「え? あ、うん」

 頷くと、ライダーは悲しげな目をして言った。

「そうか……。お前さんがな……」
「ライダー?」
「いや、今は良い。それより、降りたい場所を教えろ」
「……えっと、深山町の郊外に頼む」
「うむ」

 ライダーはそれ以降、無言のまま地上に向かって、戦車を走らせた。
 戦車を降りる時、彼は言った。

「また会おう、騎士王よ。戦場になるか、それとも、違う形になるかは分からんがな」

 意味深な言葉を言い残して彼は去って行った。
 俺は彼等の姿が見えなくなると、よろよろと尻餅をついた。
 疲れた。とても、疲れた……。

「……お迎えにあがりました、聖処女よ」
「死ね」

 意識が朦朧としている。それでも、立ち上がり、振り下ろした聖剣にキャスターはたじろいだ。

「おお、何をなさるのですか? よもや、この顔をお忘れになったと? 私です! 貴女の忠実なる僕、ジル・ド・レェにて御座います。貴女の復活だけを祈願し、今一度、貴女と巡り合う軌跡だけを待ち望み、こうして時の果てにまで馳せ参じたのですぞ、ジャンヌ!!」
「……どうして、俺がここに居ると?」
「私共はあの場に居たので御座います」
「あの場……、あの工房にか!?」

 言葉を失った。あの場にまさか、キャスターが残っていたとは予想外にも程がある。

「貴女の流した美しき涙が、これが夢ではなく現実なのだと教えてくれた!! ああ、ジャンヌ!! 貴女と再会出来た悦びは筆舌に難し!!」

 不気味な笑みを浮かべるキャスター。

「再会を祝する為に余興を用意致しました」
「……ぁぁ」

 そこに少女が居た。少年が居た。

「離せ……」
「存分にお楽しみ下さいませ、ジャンヌ」
「その子達を離せ!!」
「おおお、ジャンヌ。なんと雄雄しい。ああ、聖処女よ。貴女の前には神すらも霞む……」
「何を言って……」

 硬骨な笑みを浮べるキャスターに今度はこっちがたじろぐ番だった。

「我が愛をお受け下さい」

 ソレは突然現れた。まるで蛸か烏賊のような触手を持つ不気味な生き物が体に絡みついて来る。

「ヒィ……」

 肌に絡み付き、鎧の隙間から内側に入り込んで来る。

「や、やめろ!!」

 魔力を放出し、魔物を退ける。しかし、いつの間にか周囲は同様ないでたちの魔物に覆われていた。

「ック――――」
「さあさあ、始めるとしましょうか」

 キャスターの言葉と共に子供達がびっくりした顔をして、周囲を見回し始めた。暗示が解けたのだ。

「こ、ここはどこ!?」
「マ、ママ!? パパ!?」
「うえーん、怖いよー」

 泣き叫ぶ子供達。その中には遠坂凛の姿もあった。彼女は懸命に恐怖に耐え、現状を把握しようと努めている。

「さぁさぁ、それじゃあ、一人ずつ自己紹介をしようか」

 キャスターの言葉に子供達は顔を恐怖で引き攣らせた。

「まずは君だ。君の名前は?」
「……す、すずき……、たいち」
「スズキ・タイチ!! 良い名前ですねぇ。では、タイチ。貴方は蟻を捕まえた事はありますか?」
「う、うん」
「では、その蟻をどうしました? 潰しましたか? 頭と胴体を切り離しましたか? それとも……」
「ぼ、僕、お家に帰りたい……」

 涙を流し、恐怖に震える少年をキャスターは片手で易々と持ち上げた。

「やめろ……、やめろ、キャスター!!」
「ああ、ジャンヌ。やはり、貴女は怒りに燃えた眼こそが美しい」
「黙れ!! いいから、その子を離せ!!」

 近づこうとするが、幾ら斬ろうとも次々に復活し、数を増していく魔物を相手に俺は完全に立ち往生していた。
 そんな俺をキャスターは微笑みながら見つめた。そして、少年の頭に空いた手を伸ばした。

「や、やめろ!!」

 少年の悲鳴が木霊する。目の前で少年の頭と胴体が分離した。頭からは細く長い背骨がくっ付いている。

「面白いでしょう? こうして、背骨を抜き取るにはコツが要るのです。ほら、坊や、お友達だよ?」

 キャスターは少年の頭を別の少年に持たせた。遠坂凛もそれで限界を迎えた。子供達の絶叫が周囲に響く。

「キャスター!!」
「フフフ、分かります。私が憎いのでしょう? 神の愛に背いた私を断じて赦せない筈だ。嘗て、誰よりも神を讃えていた貴女ですものね」

 そう言って、キャスターは手近な少女を手に取った。

「貴女の臓物の味、知りたくはありませんか?」

 そう言って、少女の腹部を何の躊躇いも無く手で抉った。声すら上げられずに痛みに喘ぐ少女を見て、膝がガクガクと揺れた。

「やめて……」

 剣を捨てた。

「お願いだから、やめてくれ……。お願いだから……」

 地面に頭を擦り付ける。もう、自分が何をしているのかすら分からない。

「ああ、何と言う事を! 頭など下げる必要はありません、ジャンヌ!!」
「な、なら……」

 顔を上げると、少女の腹部から取り出した腸をキャスターは少女自身の口に宛がっていた。

「貴女はただ、見ていればいいのです」

 ニッコリと微笑むキャスター。触手が絡み付いてきても、俺にはもはや抵抗する気力が無かった。
 服の中に触手が入り込んで来る。胸を弄られ、触手の先が股間に触れる。電流が走ったかのような快感に俺は身を委ねようと思った。
 こんな地獄を見ているより、与えられた快楽に溺れた方が楽に違いない……。

「セイバー様!!」

 意識が闇に沈む間際、武器を手に取ったホムンクルス達が現れた。

「な、何だ貴様等は!?」

 思い余って、少女の首を握り折ったキャスターが激昂する。その隙をついて、闇から影が走ってきた。

「アサ……、シン?」

 六人のアサシンが少年少女を捕縛し、そのまま戦場から離脱した。

「……ああ、これでもう」

 ホムンクルス達のおかげで魔物の触手から解放された俺はそのままエクスカリバーに魔力を篭めた。

「貴様はここで死ね、キャスター」

 策略など頭から飛んだ。今はただ、目の前の存在が気に喰わない。
 俺の罪もまざまざと見せ付けたキャスターの存在が気に喰わない。

「エクスカリバー!!」

 光が奔る。魔物達は悉く消滅した。けれど、キャスターは俺の目の前に立ち、健在である事を示した。

「……なんで」
「愛しております、ジャンヌ。今宵はここまでと致しましょう。次はより御満足頂ける余興を用意致します」

 斬りかかろうとした瞬間、キャスターの姿は霞の如く消えた。

「初めから……、影だけだったのか」

 あまりの忌々しさに舌を打ち、そのまま倒れこんだ。もはや、鎧を編む魔力も残っていない。

「……城へ頼む。俺は……少し、休む」

 そのまま、俺は意識を手放した。その刹那、あの声が再び響いた。

「愛しております、永遠に」

第七話「なんで、俺はここに居るんだろう」

 赤い瞳が俺を見下ろしている。両手を頭の上で抑え付けられているせいで抵抗出来ない。
 シーツの感触が肌に直に伝わって来る。今の俺は裸らしい。目の前の相手も……。

『抵抗するのは構わんぞ。だが、あの小僧が――――』

 俺の口が勝手に動いた。

『やめて……、お願いします。どうか、■■■にこれ以上……』
『ならば、分かっているな?』
『……はい』

 涙が流れる。男は俺の頬に唇を落とすと、そのまま涙を舐め取った。

『■■■■、お前が望むならば何時でもお前達は自由の身となれる。にも関わらず、未だに決断出来ずにいるのか?』

 俺達の情事を見ている男が言った。

『無粋な事を言うな、■■。貴様も、今は■だけを見ていろ』

 男は俺の胸に手を触れた。脳髄が痺れるような快楽が身を包む。信じられない気持ち良さだ。
 男と肌を重ねるなんて正気の沙汰じゃない……筈なのに、男から与えられる快楽に溺れそうになる。
 男と繋がり、彼が果てた途端、俺の意識は真っ白に染まった。

 そして、目が覚めた。

「待て!」

 ふかふかなベッドの上で、俺は右手を前に突き出して叫んだ。

「待て待て待て!!」

 頭を抱えた。今のは駄目だろう。もしかして、欲求不満なのか? いや、それにしたって、駄目だろう。
 何で、男に犯されて悦んでるんだよ……。

「お、俺は女の子が好きだった筈だ。いや、今だってそうだよ。なのに、何……、今の夢」

 凄く生々しかった。そんな体験無い筈なのに、挿れられた時の感触が強く印象に残っている。まるで、本当にあった事のような生々しい夢だった。
 いや、あり得ない。幾らなんでも、男とセックスはあり得ない。

「……でも、気持ちよかったな」

 恐る恐る下腹部に手を伸ばし――――、

「セイバー様!」
「ほにゃぁ!?」

 慌てて掛け布団を被った。危ないところだった。あと少しで取り返しの付かない扉を開くところだった。
 アイリスフィールから懇願された事を別の意味で叶えそうになった……。

「セ、セーフ。セーフだ。限り無くアウトに近かったけど、まだ、セーフの筈だ」
「セイバー様? いかがなされましたか?」
「な、何でもないよ。それより、どうしたんだ?」

 布団から起き上がって尋ねると、報告に来たホムンクルスは姿勢を正した。

「つい先程、言峰教会上空に狼煙があがりました。どうやら、全マスターに対する召集命令のようです」

 来たか……。
 寝惚けてた頭が漸く冴えて来た。同時に昨日の出来事まで思い出してしまった。

「使い魔を送り、水晶に出力してくれ」
「了解」

 身支度を簡単に済ませ、城内を歩く。時計を確認すると今は正午を回ったばかりだった。
 アインツベルン城内の作戦室に入ると、既に中央に巨大な水晶が配置されていた。
 魔術特化型ホムンクルスが作業を行っている。

「A19にストックされている使い魔にアクセスしました。言峰教会へ向かわせます」

 水晶に上空から見た冬木市の映像が映った。開戦前に切嗣が用意させた各拠点の使い魔は全て同じ形で、水晶で出来た鷲だ。
 冬木市上空を高速で飛行し、瞬く間に言峰教会に到着した。中には既に別の陣営の使い魔が集合していた。

「って、おい!?」

 思わず目を丸くした。
 水晶に映っている映像の中におかしな点が一つあった。
 使い魔と呼ぶにはあまりにも大きく、荒々しい益荒男が聖堂内に佇んでいた。祭壇の前に立つ神父も目を見開いている。

『どうやら、揃ったらしいぞ?』
『あ、ああ、そのようで……』

 ライダーは堂々と腕を組み、神父を見下ろしている。強大な力を持つサーヴァントに目の前に立たれ、神父は明らかに動揺している。

『で、では、此度の召集の目的を説明させて頂きます』

 神父は予想通り、キャスター討伐の為に全陣営に一時的な休戦協定を結ばせた。その上で、キャスター討伐の功労者に対して、令呪を一画進呈すると告げた。
 ここまでは想定の範囲内だ。問題はあのアーチャーが時臣の指示に従うかどうかだが……、あまり便りには出来ないだろう。
 昨日のアーチャーとの戦闘で、奴が俺を完全に敵視している事が分かった。恐らく、キャスターに時臣の目を向けさせても、アーチャーの目は俺から動かないだろう。
 だとすれば、キャスターを放逐したのは完全な失策だった事になる。

「……クソ」

 子供達を犠牲にした結果がこれだ。深く溜息を零すと、突然、水晶からライダーの大声が響いた。

『つまらん話は終わりだな? ならば、次は余から全陣営のサーヴァントに対しての提案だ!!』
「な、なんだ……?」

 首を傾げると、ライダーはとんでもない提案をして来た。

『今残っているのは暴れ回っておるキャスターを除くと、セイバー、アーチャー、アサシン、そして、ライダーたる余の四騎にまで絞られたわけだ。ここいらで、一献交し合い、宴を開こうではないか!!』

 ライダーの視線がそれぞれの陣営の使い魔を射抜く。

『よもや、余の誘いを蹴るような無粋な者は居らぬであろうな?』

 迷い所だ。この誘いを蹴るという事はつまり、昨日の戦いで築けたライダー陣営との友好的関係に水を差す事になる。しかし、これだけ大々的な宴会となると、敵陣営に居場所を晒す事となる。そうなると、遠距離攻撃の手段を持つアーチャーからの襲撃が怖い。
 
「いや、まさか……」

 小説ではライダーは宴会を開く時、個別に誘っていた筈だ。なのに、今回は目立つ事この上無い方法で大々的に……、しかも、全員に対して誘いの言葉を投げ掛けた。
 これは挑発だ。相手は恐らく、アーチャー。その目的までは分からないが、彼が呼び出そうとしているのは間違いなくアーチャーだ。
 何故なら、俺に対して挑発などする必要が無い事は向こうも分かっている筈だし、アサシンに対しても同様だ。だが、アーチャーは別。

「いかがなさいますか?」
「ライダーの誘いに乗る」

 水晶の向こうで、ライダーは言った。

『場所は郊外にある樹海の奥!! そこに良い感じの城を発見したのだ!! そこに、今から八時間後に集合だ!!』
「ここじゃないか!?」

 分かってやってるのかどうかは分からない。でも、ここからホムンクルス達を撤収させる必要が出て来た。

「総員退避だ。けど、その前に食事を用意してもらえるかな? えっと、十人前くらい」
「了解。その後はいかが致しますか?」
「しばらくは指示が出せなくなると思う。現状を切嗣さんに報告し、指示を仰いでくれ」
「了解」

 溜息が出た。正直、宴会なんてする気にはなれない。一体、奴は何が目的何だろう……。

 八時間後、ライダーは堂々と戦車で城に乗り込んで来た。その肩には大きな酒樽。

「おうおう、セイバー! 昨日振りだな!」
「そうだな……。なあ、ここを指定したのって……」
「うむ! ここがお前さんの拠点だろうと坊主が見抜いたのだ!」
「ウェイバーが?」

 ジロリと睨みつけると、ウェイバーが視線を逸らした。

「いや、お前のマスターがアインツベルンの人間なんじゃないかって思ってさ……」
「どうして?」
「……あのマリアって奴」

 ウェイバーが口にした名前に不覚にも体が震えた。

「やっぱり、アイツはアインツベルンのホムンクルスだったんだな? 変だとは思ってたんだ。生身の人間がサーヴァントと競い合うなんて変だし、身に纏う魔力の量が尋常じゃなかった。あの時はキャスターのマスターだって聞いたから納得したけど、その肝心のキャスターがアレだったから、別の可能性を模索したわけだ。あんな人外を用意出来るのはホムンクルスの鋳造で有名なアインツベルンだろうってな」

 見事な推理だ。素直に感心して言うと、ウェイバーは暗い表情で問い掛けて来た。

「最初から、マリアは使い捨てだったのか……?」
「……そうだよ。彼女にサーヴァントを足止めしてもらって、俺の宝具で諸共に吹き飛ばす計画だった」
「……やっぱりな。あそこまで周到に用意された状況で、あんた等が無関係なわけ無いよな……」

 その言葉には棘があった。マリアを使い捨てにした事を彼は責めているのだろう。
 それがあり難かった。本人には絶対に責めてもらえない。他人だろうと、彼女の死を看取った人に責められるなら……。

「そうだよ。俺が殺したんだ。マリアをこの手でね……」
「……悪い。余計な事を言った」

 バツの悪そうな表情を浮かべてウェイバーは言った。

「まあ、坊主も坊主なりにお前さんの事を知ろうとしたんだ」
「俺を……?」
「お、おい、ライダー!」

 慌てたように掴み掛かるウェイバーを放り投げて、ライダーは高らかと笑った。

「騎士王よ。お前さんの正体がアーサー王だと聞いて、余は正直驚いた。坊主もだ。あまりに……、イメージに食い違いがあったからな」
「……はは、よく言われるよ」

 当たり前の話だ。だって、俺はアーサー王本人じゃないんだから……。

「まあ、坊主が知りたがった理由はそればかりじゃないようだがな」
「もう、黙れよ、ライダー!!」

 半泣きになって、ライダーの胸板をポカポカ殴るウェイバーに和んだ。

「……さて、宴の用意は出来ておるのか?」
「一応、料理は用意してある」
「まことか!? 用意が良いではないか! うんうん、宴会の主役は酒だが、酒を引き立てる為の食事も重要だ。分かっておるではないか、さすがは騎士王だ」

 よく分からない事を言うライダーを連れて、料理を並べた中庭に案内した。

「中々、風情があるな」
「だろう? ああ、ウェイバー、これを着ておけ」
「なんだよ、これ?」

 俺が渡したのは単なるコートだった。

「ここはかなり冷えるからな。サーヴァントはともかく、人の身で長時間居るなら上着が必要だと思って用意した」
「……小僧に対しては随分と甲斐甲斐しいではないか、セイバー」
「まあ、昨日は窮地を救ってもらったからな」

 鏡で練習したとびっきりの笑顔を向けると、ウェイバーは顔を真っ赤にしてコートを羽織った。

「うん。似合っているよ、ウェイバー」
「そ、そうかな……」
「ハッハッハ! やるではないか、小僧! 騎士王にここまでさせた男は恐らくお前さんが初めてに違いない!」
「だ、黙れよ、ライダー」
 
 わいわいと叫ぶライダーとウェイバーを見て、思わず笑ってしまった。
 すると、二人も釣られたように笑い出した。

「さて……、揃ったようだな」

 ライダーの言葉に頷く。
 辺りを見回すと、中庭を取り囲むようにアサシンが姿を現した。そして、アーチャーの姿もある。

「では、これより宴会を――――」

 ライダーの言葉を遮るようにアサシン達が一斉にウェイバー目掛けてナイフを投げた。咄嗟に俺とライダーがウェイバーを守るよう陣営を組む。

「余は宴会だと言った筈だが?」

 思わず竦み上がりそうなライダーの低い声。
 けれど、アサシン達は攻撃の手を緩めない。

「貴様もか、アーチャー」

 アーチャーが片手を上げ、ゲート・オブ・バビロンを展開する。無数の刃が顔を出し、俺は片手でウェイバーを抱き締めると、エクスカリバーに魔力を篭めた。
 ところが、放たれた刃の矛先は全て、アサシン達に向けられていた。

「無粋な真似は止せ」

 アーチャーの言葉に何故か、今朝の夢を思い出した。

――――『無粋な事を言うな、■■。貴様も、今は■だけを見ていろ』

 思わず赤くなる俺にウェイバーが首を傾げる。ゴホンと咳払いをすると、アーチャーが言った。

「くどいぞ。これ以上、我を苛立たせるな」

 それで決着はついたらしい。アサシン達は姿を消した。

「なんだ、結局あいつらは来ないのか」

 ライダーはつまらなそうに鼻を鳴らすと俺達に顔を向けた。

「まあ、良いか。では、宴会を始めよう」

 そう言うと、肩に担いでいた酒樽を降ろした。

「奇妙な形だが、この国の由緒正しき酒器らしい」
「違うぞ、ライダー。それは酒を器に移す為の道具だ」
「……そうなのか?」
「そうなんだ」

 俺が間違いを指摘すると、ライダーはあからさまにしょんぼりしながら、テーブルにのっているコップを掴んだ。

「なら、これで良いか……」
「ふざけるなよ、ライダー」

 そのコップをアーチャーが叩き落した。

「よもやこんな鬱陶しい場所で、しかもそんな物で『王の宴』を開くつもりか?」
「とは言っても、余はアレを酒器と思い込んでおったもんでな……」

 ライダーが言い訳染みた事を言うと、アーチャーは鼻を鳴らし、ゲート・オブ・バビロンを展開した。 
 慌てて俺の後ろに隠れるウェイバー。君はライダーの後ろに隠れるべきだと思うんだが……。
 彼が取り出したのは武器では無く、酒器だった。 

「おうおう、良い者を持っておるではないか! さすがだな!」

 アーチャーが投げ渡した黄金の酒器をキャッチしながらライダーは感心したように言った。
 俺も慌ててキャッチする。ウェイバーの分は無かった。というより、俺の分があった事に驚きだ。
 あんだけ怒ってたのに……。

「それじゃあ、駆けつけ一杯」

 豪快に笑うと、ライダーは柄杓で樽のワインをアーチャーの酒器に注ぎこんだ。
 アーチャーは鼻を鳴らし、酒を舐めると直ぐに酒器を逆さまにした。

「なんだ、この安酒は! こんなモノで、本当に英雄の格が量れるとても思っているのか?」

 吐き捨てるように言うと、アーチャーは再びゲート・オブ・バビロンを展開し、今度は酒瓶を取り出した。

「本物の酒の味を知らぬ蒙昧め」

 嘲るように鼻を鳴らし、アーチャーは酒瓶をライダーに投げ渡した。危うげなくキャッチしたライダーは香りを嗅ぐと頬を緩ませた。

「何と芳醇な……」
「それが本物の香りというものだ」

 ライダーは嬉々として三つの酒器に酒瓶の酒を注いだ。
 試しに一口。凄く……、美味い。

「凄いな、オイ! こんなもの、人間が醸造出来る味では無いぞ! 神代の代物なのではないか!?」

 惜しみない称賛を送るライダーに当然だとばかりに微笑を浮かべるアーチャー。
 どうでもいいけど、本当に美味しい。

「ライダー」
「ん?」
「お代わり」
「お、おう」

 新たに注がれる酒に頬が緩む。

「美味しい」

 幸せな気持ちでいっぱいになった。

「……ッハ、貧乏小国の王らしい惨めな姿だな」
「まあまあ、美味い酒と料理が揃った今、我等が為すべき事は一つ! 真に聖杯を掴むべきは誰か? その正当さを問う聖杯問答といこうではないか」

 ライダーは言った。

「まずは貴様からどうだ? どれほどの大望を聖杯に託しているのか、それを聞かせてもらわねば始まらん。一角の王として、我等二人を魅せる程の大言が吐けるか?」

 何が目的なのかと思えば、まさか、小説通りに聖杯問答をし出すとは思わなかった。アーチャーもそのつもりらしい。
 まあ、この状況を利用しない手は無い。アーチャーを此処に引き留めている間、外では切嗣さんが動き出している。
 アーチャー討伐の為の作戦は既に始動している。今度こそ、必ず息の根を止めてやるぞ、アーチャー。

「――――それで、セイバー。そろそろ、お前の胸の内も聞かせてもらえんか?」

 ライダーが問う。さっきまで、受肉を願うと言ったライダーに掴み掛かっていたウェイバーも耳を傍立てている。
 まあ、隠す必要も無いだろうから答えるとしよう。

「生きたいんだ」
「生きたい? つまり、お前さんの願いも受肉というわけか? それで、受肉して何をするんだ?」
「普通に生きたいんだ」
「……は?」

 アーチャーですら凍り付いた。そこまで変な事を言っただろうか?

「美味しい御飯を食べて、遊んで、学んで、働いて、恋人でも作って、子を為して、そして、静かに眠る。それが俺の叶えたい望みだ」
「……それがお前さんの願いなのか?」
「まあ、王の願いとしてはアホらしいって思われるかもしれないけど、これが俺の願いだよ」

 俺の言葉に対する反応は誰も彼も薄いものだった。ライダーとウェイバーは痛ましそうに見てくるばかりだし、アーチャーはつまらなそうに酒を飲んでいる。

「たんなる小娘が紛れ込んでいたというわけだな」

 酒器を空にすると、アーチャーは侮蔑の表情を浮かべて言った。
 だから、こう言った。

「そうだよ。俺は単なる……まあ、小娘だ」

 アーチャーは舌を打つと踵を返した。

「宴は終わりらしいな」
「みたいだな。さっさと残っている料理を始末しよう」

 料理を食べながら、溜息を零した。

「そうだよ……、俺は単なる……。なんで、俺はここに居るんだろう……」

第八話「利用するだけ利用して、ボロ雑巾のように捨ててやるよ」

 目を覚ますと、外は満天の青空が広がっていた。

「良い天気だな……」

 聖杯戦争が始まってからの数時間が嘘のように穏やかな空だ。
 今日、夢を見た。真っ赤な夢。子供達の夢だ。生きたまま、家具や雑貨に変えられた子供達。
 子供達は笑っていた。俺を見て、笑っていた。俺も笑っていた。
 
「……俺は何をしたんだ?」

 蹲って、自分の体を抱き締める。
 瞼を閉じると、夢の情景が鮮明に甦る。臓物や骨が剥き出しになった子供の死体の映像がどうしても消えてくれない。
 俺は彼等を助けられた筈だった。だけど、助けなかった。俺が彼等を殺したんだ。
 考えるべきだった。キャスターの犠牲者が人間であるという事を……。

「……ぅぅ」

 彼等にだって人生があった。友達や家族に囲まれて、幸福な人生を生きる筈だった。
 俺がその未来を奪った。彼等がどんな風に暮らし、笑顔を浮かべていたのかも知らない。
 何も知らない癖に、策略の為などと言って、命を散らせた。

「……それでも、俺は」

 謝る事も出来ない。責めてくれる人も居ない。赦しを与えてくれる人は居ない。

「それでも……、俺は」

 止まれない。立ち止まるなんて許されない。
 だから、いっぱい泣こう。どうせ、俺は最低最悪だ。だから、泣いて全部忘れよう。
 
「……セイバー」

 たっぷり泣いて、鼻を啜っていると、背後から声を掛けられた。
 誰かなんて、声を聞けば直ぐに分かる。

「……起きたのか、ライダー」

 俺が今居るのはアインツベルンの城だ。俺としてはさっさと撤収して姿を眩ませたかったのだが、酒宴の片付けを終えた後、ライダーが突然泊まると言い出したのだ。
 抵抗する気力が湧かず、俺は言われるまま、彼とウェイバーに部屋を用意してしまった。

「いいのか? ウェイバーから離れて……、敵の陣地だってのに」
「かまやせん。お前さんはあやつを殺さんだろう?」
「……どうして、そう思うんだ?」
「だって、お前さん、小僧を利用する気満々だろ」

 言葉を失った。まるで、俺の心を見透かすかのように、ライダーは目を細めた。

「……慣れん事はするもんじゃないぞ、騎士王。あんな稚拙なハニー・トラップに引っ掛かるのは小僧くらいなものだ」
「……はは、バレてたのか」
「お前さんはあくまで王だ。初手やその後の行動から見て、確かにお前さんは権謀術数に優れておるらしい事は分かる。だが、女としては未熟だ。自らの性を武器とする事に慣れておらん」

 当たり前だ。俺は元々男だったわけで、女である事を武器にするのはこれが初めての試みだった。歴戦の英雄であり、一国の王として君臨していたイスカンダルを相手に通用する筈が無かったんだ。
 まったく、身の程知らずな事をしてしまった。

「それで、お前は俺をどうするんだ?」
「どうするとは?」
「殺すのか? 主を篭絡しようとした俺を……」

 奇妙な気分だ。殺されるなら、それも良いかも知れないと思ってる。
 これで、この悪夢が終わるなら、それも……、

「馬鹿も休み休み言え、戯け。余が貴様のような小娘を手に掛ける男に見えるのか?」
「小娘だろうと、俺はサーヴァントだ」
「ああ、そうだな。だが、それでも、貴様は小娘だ」

 ライダーは静かに言った。

「騎士王よ。貴様には確かに王たる資質がある。軍勢を指揮し、必勝の策を講じ、実行する能力がある。だが、その心はやはり、小娘のものだ」

 一応、俺もウェイバーと同じく小僧なんだけどな。

「軍勢を指揮しってのは、どうして分かるんだ?」
「ここからホムンクルス達を撤退させただろ」
「……見てたのか」
「出て行ったのは十五程度だったが、奴等はそれぞれ明確な目的地を目指して走り去って行った。恐らく、別の拠点があるのではないか? そして、そこにもホムンクルス共が駐留している」

 大した推理力だ。だけど、当たり前なのかもしれない。彼は征服王・イスカンダル。ただ、戦いに明け暮れた英雄とは違う。生前はきっと、王として、内や外の様々な敵が巡らす策謀を打ち破って来たに違いない。豪放に見えて、類稀な洞察力を持っている。
 
「なあ、セイバー。お前さんは王であった事を悔いておるのか?」

 馬鹿馬鹿しい質問だ。そもそも、俺は王じゃない。ただの、平凡なサラリーマンだ。

「悔いてる筈が無いだろ?」
「あのような最期を迎えたのにか?」

 カムランの丘の事を言っているのだろう。

「別に……」
「……ならば、何を思い、お前は生きたいと口にしたのだ?」
「生きたいからだよ、ライダー。俺は普通の人生を歩みたいだけなんだ」
「なのに、王であった事を悔いてはいないと?」
「ああ、別にそれは……」

 だって、俺は王じゃないし……。

「悔いていないというなら、お前は王であった己をどう思っておるのだ?」
「どうって……」

 つまり、俺がアーサー王をどう思うかって質問か……。

「アーサー王は精錬にして、潔白な王だった。内乱が頻発し、蛮族が四方から攻めてくるという絶望的な状況を覆し、国に安寧を齎した。けど、最期は国に滅ぼされた。それだけだよ。王が立ち上がらなければ、あの時、国は滅びていた。けど、立ち上がったおかげで滅びなかった。最期は悲惨な末路だったかもしれないけど、それだけは間違い無いよ。だから、悔いる事なんて無いよ」

 それが俺のアーサー王に対する考え方だ。セイバーさんに対してじゃない。アーサー王という存在に対しての考え方。
 だって、彼に非は無かった。妻を愛し、親友を愛し、息子を愛していた。けれど、彼は人である前に王だった。
 だから、彼は妻と親友の不義が明るみになった時、彼等を裁く決断を下した。息子が自らの素性を示した時も彼を後継者に選ばなかった。それが王たる者が取るべき選択だったからだ。
 なら、彼は王にならなければ良かったのだろうか? それは違うと思う。だって、彼が王にならなかったら、ブリテンはとっくに滅んでいた。

「なるほど……。騎士王は国の為に戦った。そこに悔いは無かった。けれど、本当は人としての人生を歩みたかった。何という事だ……」

 ライダーは顔を手で覆った。

「何と言う事だ……、これは。あってはならぬ事だぞ……。こんな小娘が国の安寧の為に身を捧げたのか……。その挙句、自らの子に裏切られ、殺されたのか?」

 天を仰ぐライダー。何だか、凄い勘違いが彼の中で巻き起こっている気がする。
 
「……良かろう」
「えっと……?」

 何が『良かろう』なんだろう?

「聖杯は貴様にくれてやる」
「……え?」
「散々、国の為に走り回った小娘が、普通に生きたいと願ったのだ。ならば、是非も無い。小僧も納得するだろう」
「ま、待てよ! な、なんで、いきなり……」
「いきなりでは無い。貴様が願いを口にした時から考えておった事だ。過去を悔い、やり直しを願うような愚か者であったなら、引っ叩いて矯正してやった事だろう。世界に害悪を齎すような願いならば討ち滅ぼした事だろう。生きて、大望を為そうと言うなら、全身全霊を掛けて競っただろう。だが、小娘がただ、普通の人生を歩みたいと願うなら、どうも出来ん。叶えてやる他無いではないか」

 ライダーの大きな手が俺の頭に乗せられた。

「お前さん、恋人が欲しいと言っていたな? 小僧はどうだ? 貴様が言った通り、あやつは将来、きっと大物になるぞ」
「……ああ、間違い無い。けど、無理だな……」
「むぅ、好みでは無かったか? ハニー・トラップを仕掛けるくらいだ。多少は――――」
「そうじゃないよ、ライダー。そうじゃないんだ……」
「ならば、一体……」

 酷い勘違いをしている目の前の男に俺は深い愛おしさを感じた。
 切嗣さんやアイリスフィールに感じたような温かい感情。
 この世界で初めて、『俺』を助けようとしてくれた人。

「教会で召集を掛けられた時の事を覚えてる?」
「ああ、覚えておるが?」
「あの時、神父はキャスターのマスターについても言及していたよな?」
「ああ、確か、雨生龍之介とかいう小僧だったか?」
「そうだよ。そして、彼は魔術師じゃないらしい」

 ライダーは首を捻った。

「それが何か重要なのか? さっきの話との繋がりが見えんが……」
「アサシンのマスター、言峰綺礼は教会の人間だ」
「……何が言いたい?」

 俺は言った。

「俺のマスターが言っていた。言峰綺礼は心に深い闇を持っているって。雨生龍之介は知っての通り、殺人を快楽と感じる異常者だ」
「それが一体……」
「この街には魔術師が大勢居る。遠坂の協力者や間桐の協力者達だ。他にも聖杯戦争での神秘の漏洩を防ぐ為に協会から派遣された魔術師も滞在している。彼等を差し置いて、どうして、一般人やよりにもよって、教会の神父がマスターに選ばれるんだ?」
「……何が言いたい?」
「聖杯は本来、根源へ至る為の架け橋だ。万能の願望機というのは、聖杯本来の機能の副産物に過ぎない。聖杯が求めているのは根源へ至る事を願う優秀な魔術師である筈なんだ。にも関わらず、殺人鬼や心に闇を抱えた神父を選んだのは何故だ?」
「……まさか、聖杯に異常が起きているとでも言いたいのか?」

 頷くと、ライダーは首を振った。

「何を馬鹿な……」
「俺も馬鹿な考えだと思うさ。でも、俺の直感が囁くんだよ。きっと、聖杯は俺達の願いを叶えてくれないってさ」
「……ならば、貴様は何故戦うのだ?」
「それがマスターの願いだからだ」

 そうだ。それが俺の戦う理由だ。

「願いが叶わないかもしれない。それを知っていて、お前さんのマスターは聖杯を望むのか?」
「マスターは知らないよ。だって、言ってないからな」
「……何故だ?」
「だって、意味が無い。マスターにとって、聖杯は唯一の希望なんだ。だから、俺の言葉を信じてくれるとは思えない。それに、例え、信じてくれたとしても……」

 切嗣さんの顔を思い浮かべながら言った。

「彼は止まれないと思う。実際に、その目で聖杯の真実を見なければ……。それに、もし、彼がここで聖杯を諦めたら、また、別の希望を捜し求めにいくだろう。大切なモノを置き去りにして……、修羅の道を往くだろう……。それは駄目だ。彼には待っている人が居る。俺はその子と約束したんだ。必ず、皆で帰ってくるって……。だけど、俺は決して帰れない。だから、せめて、マスターだけは……」

 それが俺の望みだ。
 マリアや多くのホムンクルスを犠牲にし、子供達を皆殺しにした俺の望み。

「もう、他の希望など要らない。彼にそう思い知らせないといけないんだ。彼女の下に帰って、二人で幸せに生きる為に……、その為に俺は彼を――――」

 酷い矛盾だ。だけど、俺にはそれ以外の方法が思いつかない。

「絶望させる。抗う全てを皆殺しにして、マスターに絶望という真実を突きつける。彼に彼女以外の生きる支柱を作らせない為に……」
「セイバー……、お前は」

 顔を歪めるライダーに俺は思わず笑った。

「殺しとくなら今だぞ、ライダー。俺はお前の事も殺す。その為なら、ウェイバーやお前達が住処にしているマッケンジー邸の夫妻も利用する」
「……本気なのだな?」
「ああ、本気だよ。分かっただろ? 俺は最低なんだ。最低で最悪で愚かで……」
「余を殺すのに、小僧やマッケンジー夫妻を利用する必要は無い」
「……ライダー?」

 ライダーは俺の頭を乱暴に撫でた。

「余を殺したければ殺せ。利用したければ利用しろ。抵抗はせん……」
「な、何を言って……」
「聖杯が本当に異常をきたしているのかどうか、それは分からん。だが、お前さんは本気でそう思っている。ならば、好きにするが良い。どちらにせよ、余が貴様に聖杯をくれてやる事に変わりは無い」
「なんで……」

 呆然となりながら聞く俺にライダーはニッと笑って言った。

「これが余だという事だ」
「……意味が分からない」
「気にするな。お前はただ、真っ直ぐに聖杯を目指せば良い。余は勝手にお前の味方をする。それだけだ」
「……意味分かんないよ」

 本当に意味が分からない。
 殺すって言ってるのに……、どうして、優しくするんだよ。
 
「まあ、礼をしたくなったら伽の相手でもするが良い」
「と、伽!?」

 一気に頭が茹った。つい、昨日の夢を思い出してしまう。
 
「だ、駄目! 駄目に決まってるだろ!! き、君のなんて挿いる訳無い!!」
「……はぁ? 何を言っとるんだ?」
「……へ?」
「余はただ、貴様の生前の話を聞かせよと申しただけだ。騎士王の伝承を本人の口から聞くのも一興と思った故な。……よもや、貴様」

 顔が真っ赤になった。とんでもない勘違いをしてしまった。

「う、うるさい! 違うぞ!! 変な事なんて考えて無いからな!!」
「ハッハッハ!! 貴様がその気なら、そっちでも良いぞ?」
「違うってば!!」
「違うとは何が違うのだ? ほれ、申してみよ。貴様、今、何を想像しておるのだ?」
「う、うるさい!! 黙れ!! 死ね!! 消えろ!!」
「ハッハッハ!! 貴様に聖杯をくれてやるまで、死ぬわけにはいかんなー」
「黙れっての、この!!」

 手近にあった花瓶を投げると、ライダーはひょいと躱した。
 丁度その時、部屋の扉が開いた。入って来たウェイバーは飛んで来た花瓶に目を剥いた。

「な、なな、何だ!?」
「おお、起きたか小僧!」
「ラ、ライダー!! お、お前、何したんだよ!? セイバーがあり得ないくらい怖い形相になってるぞ!!」
「ハッハッハ!! 生娘をからかい過ぎたかのう」
「黙れ、このバカ!!」

 花瓶の土台を投げると、ライダーは片手で弾き飛ばし、高らかに笑った。
 悔しくて地団太を踏むと、ライダーは言った。

「その意気だ、セイバー。うじうじしとっても始まらん。勝利を得たいならば、つまらぬ事に拘るな」
「何の話だ?」
「単に、余がセイバーに味方するというだけの話だ」
「……はい?」

 目を白黒させるウェイバーにライダーはごにょごにょと耳打ちをした。
 ガーッとライダーに掴み掛かるウェイバーをライダーが片手で持ち上げながらあやしている。
 俺はと言うと、穴があったら入りたい気分だった。溜息を零すと、部屋の中で電子音が鳴り響いた。

「な、なんだ?」

 目を丸くするウェイバーを尻目に俺は部屋の中央のテーブルに載っている無線機を手に取った。

「……どうした?」
『セイバー、僕だ。キャスターを捕捉した。場所は新都の廃ビル。アーチャー陣営に対する仕掛けも準備完了だ』
「……分かりました。直ぐに出撃します」
『ああ、頼むぞ、セイバー』
「はい……、貴方達に必ずや勝利を……」

 無線機を置くと、俺はライダーとウェイバーを見た。

「俺は勝つ為なら手段を選ばないつもりだ。邪魔をするなら、即座に切り捨てるぞ」
「ああ、好きにするが良い」

 ライダーは不敵に笑った。困惑するウェイバーの背中を叩き、踵を返す。

「新都であったな。往くぞ、セイバー。まずはキャスターの討伐だ」
「……ああ、そうだな。まずは……、キャスターからだ」

 そして、その次はアーチャー。その次は……、

「馬鹿な男だ……。本当に、馬鹿な男だ……」

 宝具である戦車を呼び出すライダーの背中を見ながら、俺は拳を強く握り締めた。
 俺がアーチャーの陣営にする事を知れば、きっと、こいつも考えを改める事だろう。
 構わない。そうなったら、ウェイバーを人質にするだけだ。そして、こいつの首を刎ねるだけだ。
 簡単な話だ。簡単な話な筈なのに……、

「利用するだけだ……。利用するだけ利用して、ボロ雑巾のように捨ててやるよ……」

第九話「ねえ、君は何になりたい?」

 キャスターの拠点に乗り込んだ俺達を待っていたのは一人の少年だった。
 肌着すら身に着けずに、少年は虚ろな表情で俺を見つめている。

「ジャンヌ様……?」

 か細い声で少年が問う。否定する事に意味は無い。
 キャスターにとって、俺はジャンヌ・ダルクなのだ。

「そうだよ。俺がジャンヌだ。君は……」
「奥に連れて来るよう言われました。ついて来てください」

 少年は淡々と言葉を口にし、踵を返した。ライダーと顔を見合わせ、俺達は戦車に乗ったまま少年の後に続いた。
 この先に何が待ち受けているのか、大よその見当はついている。

「坊主。それに、セイバー。お前達は瞼を閉じておけ」
「……そんな事、許される筈無いだろ」

 見ないなどという選択肢は存在しない。だって、この先にあるのは俺自身の罪だ。

「……ボクだって、目を背けるつもりは無い」

 ウェイバーが声を震わせながら言った。前に見た、キャスターの工房での惨状を思い出しているのだろう。
 唇を噛み締め、前を向く。奥へ進むと、そこは地獄の再現だった。
 最初に目についたのは腹部を割かれ、中に蝋燭を立てられた少女だった。次に目に付いたのは、頭蓋骨を切り取られ、脳が露出している少年。脳にはまるで生け花のように複数の花が差してある。
 人の腕で出来た長椅子があった。その上に仲睦まじい少年少女が座っている。彼等は腹部から飛び出す腸で二人の絆を示している。複雑な結び目で、決して解ける事は無いだろう。
 足下を見た。そこには生首の絨毯が広がっていた。一体、何十人……、何百人の首だろうか? 処狭しと並べられた首は一つ残らず恐怖の表情を浮かべている。
 天井から吊り下がる無数の死体には首と手足が無い。まるで、解体されたばかりの牛や豚のようだ。
 目を背けるなど不可能。四方八方に地獄が広がっている。
 右の壁には杭で標本のように打ち付けられた子供達。
 左の壁には傘や楽器に変えられた子供達が棚の上に転がっている。
 天上には目玉を電球に変えられた人間電灯が一つ、二つ、三つ、四つ……。

 誰かが笑っている。こんな光景を見て、どうして笑っていられるんだ?
 ライダーじゃない。ウェイバーでもない。なら、俺達を案内した少年か? それとも……、

「セイバー!!」

 ウェイバーに肩を掴まれた途端、笑い声が止んだ。彼の瞳に映る俺は笑っていた。

「気を確り持て!! ここは敵地なんだぞ!!」
「……ぅぁ」

 まともに答える事が出来なかった。

「坊主。セイバーの手を握っていろ。キャスターごとき、余の力だけで十分だ」

 怒りに満ちた声。ライダーは鬼のような形相で辺りを見回している。
 ウェイバーは俺の手を握り締めた。弱々しい力。けど、振り払えない。

「……ぅぅ」

 彼等の多くはまだ生きている。体を好き勝手に弄り回された挙句、苦痛を引き伸ばされている。
 俺がキャスターを逃がしたから、彼等は今、地獄を彷徨っている。

「ぐぐ……ぅぐ、ぐ」

 歯を噛み締めながら瞼を開く。
 見なければいけない。知らなければいけない。彼等が何をされたのか、全てを記憶しなければいけない。
 何の意味も無い自己満足だけど、無知である事だけは赦されない。

「……キャスターはどこだ?」

 奴の姿が見えない。

「ジャンヌ様」

 俺達をここまで案内して来た少年が言った。

「あの壁を御覧下さい」

 少年に促され、見上げた先にあったのは地図だった。
 肉片や皮膚、骨、眼球、内臓。人を構成するあらゆる要素によって描かれた地図。
 地図を両断する黒い線。その上に舌を繋ぎ合わせて作ったハートマークが飾られている。

「……未遠川か」
「来いって事なのか……?」

 ウェイバーとライダーの会話が頭に入って来ない。
 この地図を作る為に如何なる惨劇があったのだろうか……。

「ジャンヌ様」

 少年は俺の前までやって来ると、言った。

「助けて下さい……」

 咄嗟に手を伸ばした。けれど、俺の手が少年に触れるより早く、少年の体は大きく膨れ上がり、弾けた。
 少年だけじゃない。部屋中の死体や生者が一斉に破裂した。そして、変わりに魔物が姿を現した。
 足下から這いずり上がって来るものと、天上から降り注ぐもの。少年に手を伸ばそうと、戦車から身を乗り出していた俺の体はあっと言う間に魔物の海に飲み込まれた。
 ライダーとウェイバーの無事を確認する暇も無い。魔力放出で吹き飛ばそうにも、量が多過ぎる。二人がどこに居るかも分からない現状、エクスカリバーを使うわけにもいかない。

「……ぅく」

 体中を這い回る触手に鳥肌が立つ。
 あの夢のせいか、こんな異常な状態にも関わらず、体が性的快楽を欲している。
 男では感じえない、突き抜けるような快感。嫌悪感に満ちた思考とは裏腹にあの快感を得たいと体が疼く。

「……ぁが」

 呑まれそうになる。このまま、与えられる快楽に身を委ねそうになる。
 怒りも憎しみも嘆きすらも、快楽の前では無に等しい。
 抗うには強靭な精神力が必要だ。だけど、俺にそんなものは無い。

「……そうか」

 今になって気が付いた。俺には何も無かったんだ。
 殺す覚悟も殺される覚悟も持っていなかった。いつだって、汚れ仕事は他人に押し付けてきた。
 マリアを殺した時も彼女の死に様が見えない遠距離から宝具を放っただけだ。
 策略だとか、かっこいい事を言って、結局俺は何の覚悟も抱いていなかったんだ。
 だから、こんなにも簡単に快楽などに屈してしまう。罪悪感すら、思考の彼方へ流して……。

「……なんて、醜い」

 マリアを殺した癖に、子供達を犠牲にした癖に、アイリスフィールを見殺しにする癖に、こんな惨状を作り上げた癖に、覚悟の一つも持ち得ない。
 クズだ。最低最悪なクズだ。こんな醜い人間を他に見た事が無い。
 笑いが込み上げて来る。
 覚悟も無く、人の人生を歪める存在。人はそれを悪魔と呼ぶ。
 キャスターなど、まだマシな方だ。俺に比べたら、自らの意思で殺戮を行う彼の方がずっとマシだ。

「……アハ」

 怖いと思ってた。アーチャーもキャスターも他のサーヴァント達やそのマスター達の事も皆、怖いと思ってた。
 けど、本当に怖いのは彼等じゃない。彼等は皆、英雄。物語の主幹を担うヒーロー達。
 怖いのは俺。醜悪この上無い、欲求ばかりを振り撒く、悪魔。

「アハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」

 魔力放出の仕方を変える。ただ、周囲に撒き散らすんじゃない。自らの動きを加速させる為に使う。
 やってみると、簡単だった。まるで、慣れ親しんだ動きのように、自然に出来た。
 一振りで山を築く妖魔の群を吹き飛ばし、地面を蹴る。高々と跳躍し、周囲を見渡すと、ライダー達を発見した。
 神牛が纏う雷に恐れをなしたのか、彼等の周囲に魔物は近づけずにいる。

「ライダー!!」

 魔力放出を使い、空中で方向転換した。戦車の前に降り立つと、剣を振るう。

「俺が先導する。脱出するぞ」
「あ、ああ。無事で何よりだ。頼むぞ、セイバー」

 頷き、妖魔の群を見る。動きが遅い。こんな奴等、恐れる必要は無い。

「風王鉄槌《ストライクエア》!!」

 エクスカリバーに纏わせていた風の守りを解き放つ。
 風の刃は妖魔を次々に切り刻み、道を開く。

「往くぞ!!」

 体は思い通りに動いてくれた。どう振るえば、敵を切り裂けるのかが自然と分かる。
 まるで、何度も何度も反復練習したかのように、自然に動ける。

「よし、飛ぶぞ、セイバー!!」

 ライダーの号令と共に跳躍する。御車台に乗ると同時にライダーは建造物の中から外に出て、そのまま天を目指して戦車を加速させた。

「あ、あそこはあのまま放置でいいのか!?」

 ウェイバーが俺に抱きつきながら問う。
 急な加速に腰が引けている。

「あれは一々倒していてもキリが無い。それよりも、本体であるキャスターを叩いた方が早い」
「そういう事だ。さあ、往くぞ!! キャスターめに引導を渡すのだ!!」

 戦車が急降下し始める。ウェイバーが俺にしがみつく。
 あまり、悪い気分じゃなかった……。

 戦車が地上に近づくと、そこには異常な光景が広がっていた。川の上にたくさんの子供達が浮んでいるのだ。
 川の沿岸では子供達の家族と見られる人々が悲痛な叫びを上げている。見れば、警察の姿まである。 
 神秘の漏洩など欠片も気にしていないらしい。

「キャスターはどこだ?」

 川の周囲を見渡すが、奴の姿が見えない。

「一体……」

 ライダーが戦車を地上に降ろすと、周囲はパニックを起こした。
 けれど、彼等を気に掛けている暇は無い。

「キャスター!! どこにいる!?」

 息を大きく吸い込み叫ぶ。すると、虚空からねっとりとした気味の悪い声が響いた。

『おお、お待ちしておりました、聖処女よ!! 皆の者、見るが良い!! 彼女こそが救世の巫女にして、勇猛なる英雄!! ジャンヌ・ダルクである!!』

 キャスターの叫びに周囲の人々の視線が集中する。
 狂人の戯言が状況の異常さによって、一種の催眠術のように人々の思考を淀ませる。
 だが、そんな事はどうでもいい。キャスターが俺をジャンヌ・ダルクだと信じ込んでいるなら、利用するまでだ。

「ジル!! 姿を見せなさい!!」

 俺が名を呼ぶと、奴はアッサリと姿を見せた。目を見開き、狂気に満ちた笑顔を浮かべている。

「おお、ジャンヌ。怒りに燃える貴女の瞳は実に美しい。ああ、戦場での貴女の活躍が鮮明に浮びます。多勢に無勢の窮地においても、決して臆せず、屈せず、ひたむきに勝利を信じて戦う貴女を私はいつも見ていた……。貴女は変わらない。その気高き闘志、尊き魂の在り方は如何なる非道をもってしても曇らない宝石のよう。ああ、愛おしき方」

 恍惚の表情を浮かべ、朗々と語るキャスター。彼に対して、俺が言うべき事は一つ。

「そんなに私が愛おしいですか? ジル……」
「ええ、勿論でございます。貴女の為に用意したのです。この愛の祭壇を!!」

 キャスターは大仰な仕草で空に浮かぶ少年少女を指し示した。

「……ならば、その愛をもって、私の願いを叶えなさい」
「貴女の願い……?」
「お、おい、セイバー?」

 ウェイバーが戸惑いに満ちた声を発する。
 ここまでだ。彼等との友好はこれで終わる。
 惜しむ気持ちがある。けど、それは単に利用し難くなる事が惜しいだけだ……。

「ジル。私はある男に命を狙われています」

 一歩、キャスターに歩み寄り、彼の手を取った。

「助けて下さい、ジル。貴方が頼りだ……」

 傷ついた女を演じる事は容易い。なんせ、あのライダーですら、俺に聖杯を捧げるなどと口にした程だ。
 この演技にだけは自信がある。

「誰ですか……? 我が愛しのジャンヌ。貴女を狙う不届き者の名を仰って下さい」
「アーチャーのサーヴァント、ギルガメッシュ。ジル……、貴方の私に対する愛が本物であると言うのなら、『ソレ』を使って、アーチャーを殺して下さい」
「セイバー……、お前」

 後ずさるウェイバー。俺は彼に言った。

「言った筈だよ? 勝つ為には手段を選ばないって」

 キャスターの頬を手で包む。躊躇いは無かった。
 彼の唇を啄み、言った。

「私の願いを聞いてくれますね? ジル……」
「……はい。貴女の……、仰せのままに!! アーチャー如き、この私の敵ではありません。必ずや、奴の首級を貴女に捧げて――――」
「そこまでにしておけ、雑種共」

 天上から降り注ぐ声に視線を向ける。
 アーチャーのサーヴァントは黄金の船の舳先に立ち、俺達を見下ろしている。
 周囲の人々のパニックは最高潮となった。

「黙れ」

 その一言で、群集のパニックは鎮まった。誰もがアーチャーの発する気に中てられ、恐怖している。
 呪いの如き圧倒的カリスマ性。誰も彼もが彼に平伏そうとしている。

「……ジル。よもや、恐れてなどいませんね?」
「勿論で御座います、ジャンヌ。嘗て、共に戦場を駆け抜けた友の力を御疑いになるのですか?」
「まさか……。頼りにしていますよ、今も……、昔も」
「退がっていて下さい、ジャンヌ。奴はこのジル・ド・レェめが倒します」
「お願いします……、ジル」

 ああ、本当に馬鹿な生き物だ。別人である事にも気付かずに、愛を証明する為に叶う筈の無い相手に挑む。
 こんな滑稽な生き物もそうは居ない。

「切嗣。作戦は成功しました。自分でも驚くくらい、呆気無く……」
『それは重畳。こっちも準備完了だ。合流地点はB8に変更する。直ぐに来れるかい?』
「ええ、大丈夫です」

 無線を仕舞い、キャスターを見る。人の皮で作った魔術書を手に、彼は言う。

「我が愛を示す為、貴様は死ね」
「……醜悪の極みだな」

 川の水面が光る。真紅の極光が宙に浮ぶ子供達を呑み込む。アーチャーは嘲笑と共にキャスターを串刺しにするが、ソレは単なる影に過ぎなかった。
 俺は踵を返し、走り出す。ウェイバーはあたふたとしているが、ライダーは静かに視線を向けるだけ……。
 この世界で初めて、俺を助けようとしてくれた人。彼はもう、二度と俺の手を取ってはくれないだろう……。

「勝つんだ……、俺は」

 大回りして、川を走って渡り、合流地点に到着すると、そこには一台の車が止まっていた。

「遠坂邸へ向かえ」
「了解」

 指示を出すと同時に運転手のホムンクルスが車を静かに加速させ、住宅街を駆け抜ける。起きている人間は皆、川の方へ向かっていて、俺達はノンストップで辿り着く事が出来た。

「来たな……」

 あと一歩の所でアサシンの集団が現れた。数は三十。最低限の監視網を残し、俺を迎撃する為に呼び集めたらしい。
 無駄な事だ。

「お前は離脱しろ」

 天井を切り、車外へ飛び出す。
 アサシンによる出迎えは想定の範囲内だ。こうして、真正面から襲い掛かれば、アーチャーがキャスターに足止めを喰らってる今、奴等が迎撃に出るしかない。

「ッハ――――」

 一人目を殺す。
 初めて、人を斬り殺した。
 二人目を殺す。
 肉を斬る感触は妙な懐かしさを覚える。
 三人目を殺す。四人目を殺す。五人目を殺す。
 アサシンは弱かった。人間を遥かに越えた存在な筈なのに、剣なんて一度も握った事が無い俺にアッサリと殺された。

「ッハハ……、アハハハハハハハハハハ!!」

 笑いが込み上げて来る。殺す事が怖い事などと、どうして思ったんだろう。
 だって、人を斬るのはこんなにも楽しい……。

「逃げるなよ」

 撤退しようとするアサシンの一体の首を掴み、魔力放出を利用してへし折る。
 楽しい。

「逃がさない。お前達をただの一人も逃がさない」

 逃げ惑うアサシンを一人一人狩って行く。
 時間が無いから迅速に首を切り落とす。女も男も小さな子供も関係無い。
 奴等はアサシン。サーヴァント。殺しても良い存在。

「ハハハハハハハハハハハハ!! 死ね、死ね、死ね!!」

 血の美しさに感動する。
 肉を斬る感触に打ち震える。
 命を奪う事に歓喜する。

「……もう、終わりか」

 もしかしたら、何体か逃がしてしまったかもしれない。
 でも、構わない。

「守り手が居ないなら、君達の事を殺しちゃうぞ?」

 遠坂邸の玄関を吹き飛ばす。中に入ると同時にアサシンに囲まれた。今度は逃げる素振りを見せない。

「よしよし、良い子達だ」

 今度はしっかり、令呪を使ってくれたらしい。これで、邪魔物は居なくなる。
 アーチャーを殺す。その為に必要な第一歩だ。

「楽しいなー。楽しいなー。楽しいなー」

 襲い掛かって来るアサシンを殺す。次々殺す。その度に血飛沫が舞う。
 キャスターの気持ちが分かったかもしれない。
 人を殺すのって、凄く楽しい事なんだ。だから、その行為をより楽しくする為に彼等は探求していたんだ。

「俺もやってみたいなー」

 一体のアサシンの頭を掴む。心臓を避けて胸を貫き、一気に股まで裂く。

「人間コンパスー、なんちゃってー。アハハハハハハ!!」

 さて、次は何を作ろうかな?
 襲い掛かってきたアサシンに聞いてみる事にした。

「ねえ、君は何になりたい?」

第十話「犬のように傅かせてあげる」

 最期の一人だったらしい。それまでと違い、アサシンは血を噴出す事も無く、光の粒子に変わった。とても残念だ。
 命は一度失われると二度と甦らない。当たり前の事を実感し、涙が出た。
 もっと、彼等の恐怖の悲鳴を聞きたかった。もっと、彼等の苦痛に歪む顔を見たかった。

「ああ、もっと、殺したかったのになー」

 遠坂邸を見上げる。

「まあ、いっか……。遠坂時臣さん! 居ますよね? 一分以内に出てきて下さい! じゃないと、宝具を撃ち込みますよー! 神秘の秘匿とかの為に大人しく出て来てもらえませんかー?」

 エクスカリバーを振り上げながら叫ぶと、しばらくしてから玄関の扉が開いた。
 
「……セイバー」

 外の惨状は目にしていた筈だけど、彼の瞳に恐怖の色は見えない。
 涎が出そうになる。アサシン達も決して悪い素材じゃなかったけど、所詮は十把一絡げ。どいつもこいつも反応が似たり寄ったりだった。
 けど、この人なら新鮮な死に様を見せてくれるかもしれない。

「……素敵」
「……は?」
「顔も良いし、俺を前にしても臆さない姿勢がとってもグッドだよ、時臣さん。とっても、殺し甲斐がありそうだ」

 口元が歪む。彼を殺せる機会を得られた事に歓喜している。
 まずは裸に剥いてみよう。陰茎を切り落としたら、この美丈夫の顔がどう歪むのか楽しみで仕方が無い。
 目玉をくり貫き、舌で味わってみたい。皮膚をまるごと剥いでみたい。

「うーん、迷うなー。折角なら、屈辱に塗れた顔とかも見てみたいしー」

 お尻の穴に手でも突っ込んでみたら、どんな顔をするかな? 喘ぎ声とか出してくれたら最高。
 母親や娘の前で尻を弄られ喘ぐ父親とか素敵だと思う。
 屈辱を与え終わったら、目の前で母子を出来るだけ残酷な手口で殺し、絶望を与えてみよう。
 自分から殺してくれって、懇願して来たらどうしようかな?

「アハハ、夢が広がるー」
「……貴様、狂人の類か」

 恋する乙女のように頬を赤らめる俺に対して、時臣さんが顔を歪める。そんな顔もとっても素敵だけど、ちょっとつれないと思う。

「狂人なんかじゃないよー? だって、俺は王様だもん。民は等しく王の玩具なんだから、君だって、俺を愉しませる為に体を張らなきゃ駄目なんだよー?」

 腰に手を当てて叱り付ける。教育はしっかりしないといけないよね。

「……話にならんな」
「えー、もっと、お話しようよー。殺す前に君でどうやって遊ぶか悩んでるんだー。ちょっとずつ、君の指とか腕をスライスして、君自身に食べてもらうってのはどうかな? あとあとー、駅前の広場で犬と公開セックスとかどう? いやいや、両腕両脚を捥いで、冬木市のオブジェにするっていうのも捨て難いかなー」

 夢いっぱいの空想に笑みが零れる。
 お腹を抱えて笑っていると、一台の自動車が遠坂邸の門の内側へと入り込んで来た。
 
「ま、まさか――――」

 時臣さんの表情が驚愕に歪む。
 自動車から出て来たのは切嗣さん――――に、良く似たホムンクルス。彼は車内から時臣さんの妻と娘を乱暴に取り出して地面に放り投げた。
 口をガムテープで止められているせいか、二人はくぐもった悲鳴を上げるのみ。

「……遠坂時臣。此方からの要求は一つだ。令呪を使い、アーチャーに自害を命じろ」
「何を馬鹿な……」

 銃声が鳴り響く。葵と凛はくぐもった悲鳴をあげる。
 物足りなさを感じるものの、これはこれで悪くない気がする。

「イエスかノーかで答えろ。イエスならば、令呪を使え。それで、母子は解放する。ノーならば、母子を殺す。さあ、どっちだ?」

 ちょっと、ワクワクする。時臣さんがどんな表情を浮かべるのか気になる。
 
「……質問の意図が分からんな」
 
 予想外の答えに目を丸くする。
 時臣さん。意外と物分りが悪い人なのだろうか?

「令呪でアーチャーに自害を命じろと言ったんだ。さもなければ、遠坂葵、遠坂凛の両名を殺す」

 ホムンクルスが強い口調で言う。
 すると、時臣さんは令呪を掲げた。どうやら、漸く理解してくれたらしい。
 まあ、アーチャーを殺したら、皆殺しにする予定なんだけど……。

「令呪を持って、奉る。英雄王よ、我が眼前の敵を排する為に御助力を」

 膨大な魔力が時臣の腕から噴出し、黄金の輝きが彼の前に顕現する。

「……御無礼を働きました事、深くお詫び申し上げます」

 現れたアーチャーに、時臣さんは平伏する。

「我を令呪などで強制的に呼び付けた事は不快だが、まあ、良い。薄汚い鼠とは言え、見栄え自体は悪くない。手癖の悪い女を躾けるのも男の甲斐性というものだ」

 アーチャーが俺に熱い眼差しを向けて来る。
 時臣さん以上に美味しそうな男だ。屈辱を与え、憐れな命乞いをさせてみたい。
 エクスカリバーの柄に力を篭めると、銃声が鳴り響いた。
 遠坂葵の頭部から血があふれ出し、体が痙攣している。
 
「……次は遠坂凛を殺す。アーチャーが彼女を救出するより、僕が彼女を殺す方が早いぞ」

 そう言って、ホムンクルスは遠坂凛の口を覆うガムテープを引き剥がした。
 母を失った悲しみとガムテープを剥がされた痛みと次は自分であるという恐怖に彼女は涙を流す。

「お父様……」
「……分からんな」

 時臣さんが言う。

「何故、凛を救出する為に聖杯戦争を降りなければならんのだ?」

 実に不可解だと彼は首を傾げる。

「……この娘はお前の後継者だろう?」
「その通りだ。だが、この状況では優先順位というものが発生する」
「優先順位……?」

 銃口を遠坂凛に向けながら、ホムンクルスが問う。
 凛は目を大きく見開きながら父を見ている。
 アーチャーはつまらなそうに事の成り行きを見ている。
 俺もちょっと退屈になって来た。

「最優先は聖杯を遠坂が取る事だ。現状、私は聖杯に手が届く位置に居る。ならば、後継者よりも私自身の命と聖杯戦争の参加資格を優先するのが当たり前だ」
「……娘を見殺しにすると言うのか?」
「ああ、その通りだ。凛も魔術師の娘であるなら理解している筈だ。何をもっとも優先すべきなのか……、そうだろう? 凛」

 時臣さんの視線を受け、遠坂凛は顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら頷いた。

「その通りです!!」

 叫ぶ凛にホムンクルスはギョッとした表情を浮かべた。
 俺とアーチャーも彼女を見て、僅かに目を見開く。退屈と思っていた時間が急激に色を取り戻した。

「今、もっとも重視すべきはお父様の命!! そして、お父様の参加資格です!! だから……、アーチャー!!」

 遠坂凛がアーチャーを見る。

「……なんだ?」
「さっさと、この男とセイバーを殺しなさい!! 負けるなんて許さない。アンタはお父様に勝利を捧げるのよ!!」

 自分の命が危機に晒されていると言うのに、遠坂凛はそう言った。
 時臣さんとは比べ物にならない美しさをその少女に感じた。涙が顔にこびり付いているが、それはさっきまでのもの。
 今の彼女は泣いていない。己の運命を受け入れている。

「……凛。英雄王に対し、そのような物言いは」

 そんな彼女とは反対に時臣さんは実につまらない事を口にした。

「……凛と言ったな?」

 アーチャーが凛に言葉を掛ける。

「そ、そうよ。アンタのマスターの娘よ」

 睨むように見え返す凛にアーチャーは笑みを浮かべた。

「お前にとって、もっとも優先すべき事は何だ?」
「お父様の命よ!! 決まってるでしょ!!」
「そうでは無い。それは過程だろう? お前が最優先にすべき事は違う筈だ」
「……何を言って」
「聖杯を取る。それが時臣と貴様、双方が最も優先する目的な筈だ」

 キョトンとした顔で「あ……」と口にする凛にアーチャーは笑った。

「さあ、もう一度申してみよ。貴様の最優先すべき事は何だ?」
「聖杯よ!! 聖杯を手に入れる事!!」
「ならば、その為に何もかもを犠牲にする気概はあるか?」
「あるわ!! 遠坂が聖杯を手に入れられるなら、私自身の命だって、惜しく無い!!」
 
 その言葉と共に地面から一本の槍が飛び出した。狙いはホムンクルス。銃を撃つ間も無く、彼は消し飛ばされた。
 同時に鎖がアーチャーの蔵から伸びて、凛を捕獲する。凛を捕まえたアーチャーは言った。

「気に入ったぞ、娘」

 凛を地面に降ろすと、アーチャーは何を思ったか、短剣を時臣に渡した。

「え、英雄王……、娘を救って下さり感謝致します。ところで、これは……」
「自害しろ、時臣。自らの腹をそれで割くのだ」

 そんな素敵な提案をした。
 目を丸くする凛を尻目に彼は言う。

「貴様との契約はここまでだ。だが、己のサーヴァントに裏切られて死ぬというのも哀れだからな。自らの意思でその命と契約を断つが良い。それが英雄王の慈悲である」
「……しかし」
「案ずるな。聖杯は貴様の娘にくれてやる。我はこの娘を気に入ったからな」

 快活に笑って言うアーチャーに時臣は視線を凜に向ける。

「お、お父様……」

 首を振る凛に時臣は言った。

「……これも運命か。凛、聖杯を必ず遠坂の物としろ」
「だ、駄目、お父様!!」
「後の事は綺礼に任せる。彼を頼れ!!」

 時臣はそう言うと、自らの腹に短剣を突き立てた。
 凛の悲鳴が響き渡る。
 
「え、英雄王……」
「なんだ?」
「どうか、凛に聖杯を……」
「ああ、任せておけ、時臣。最後の最後で貴様は我の期待に応えた。故、貴様の願い、聞き入れよう」

 時臣の体が崩れ落ちる。
 命が終わる。勿体無い……。

「どうせ、捨てるなら俺にくれればいいのに」
「ッハ、貴様如きには上等過ぎるわ、戯け! 身の程を弁えよ」
 
 アーチャーは時臣の体に火を放った。
 凜は顔を歪めながらアーチャーを睨む。

「……許さない」
「ほう? ならば、どうする。我を殺すか?」

 からかうように問うアーチャーに凜は首を振った。

「アンタを殺したら聖杯が手に入らない。だから、アンタをこき使ってやるわ!!」
「ほう、我をこき使うと?」
「使い潰してやるから覚悟なさい!!」

 アーチャーは腹を抱えて笑い出した。

「な、何よ!?」
「いや、この我に対して、そのような啖呵を切った女は貴様が始めてだ。良かろう!! やれるものなら、やってみろ!! この英雄王を使い潰せるというのならばな!!」

 そう言って、アーチャーは俺を見据える。

「さて、待たせたな、セイバー。今宵は気分が良い。我が本力をもって、貴様を躾けてやるとしよう」
「……俺を躾ける? 違うよ。俺が君を躾けるんだ、アーチャー」

 時臣で遊べなかった事は非常に残念だったけれど、まだ、彼が居る。
 時臣さんよりも美しい顔。プライドに満ちた心。歪ませてみたい。

「男に屈服する悦びを教えてやろう」
「犬のように傅かせてあげる」