第一話「転生」

 四方を真っ白な壁に囲まれた小さな部屋。それが僕の世界。物心付いた頃から僕の世界はこの個室の中だけで完結している。
 原因不明。僕の病を診た医者は揃って白旗を上げる。遺伝子に問題があるわけでも、ウイルスや細菌に感染しているわけでも、肉体的に問題があるわけでもない。なのに、僕は立って歩くことが出来ず、直ぐに発作を起こして意識を失い、どんなに頑張っても六時間以上起きている事が出来ない。
 昔は足繁く通ってくれた両親も妹が出来てから顔を見せる頻度が減り、今では数ヶ月に一度会えるかどうか……。
 こんな体だから、学校に通う事も出来なくて友達も居ない。一人っきりの病室にはたくさんの本が散らばっている。起きている僅かな時間の大半は本を読んで過ごした。
 特にお気に入りの本は『ハリー・ポッター』。幼い頃に両親を亡くした少年が意地悪な親戚の下で窮屈な生活を送る日々を過ごす。そんなある日、彼の下に一通の手紙が届いた。それは“ホグワーツ魔法魔術学校”という未成年の魔法使いが自らの“力”を学び、磨くための場所からの招待状。その日から彼の生活は激変し、激動の日々を送っていく事になる。
 
「僕にも来ないかな……」

 この狭い世界から解き放ってくれる魔法の世界からの招待状。素敵な仲間達と共に憎むべき敵やライバルと競い戦う日々。
 ある時から僕は物語の中の登場人物の一人となって、主人公の仲間の一員となり、一緒に魔法学校での日々を過ごす妄想に耽るようになった。
 まさに文字通りの夢物語。だけど、家族から見放され、友達も居ない僕にとって、妄想に耽っている時間こそが幸福だった。ふとした瞬間に我に返ると、胸に穴が空いたような虚無感に襲われて涙が溢れるけど、それでも止められない。

 余命三ヶ月を宣告され、瞬く間にその時が来た。お世話になった看護師のお兄さんが特にお気に入りだった『アズカバンの囚人』を傍で朗読してくれている。この後に及んで顔を見せない両親の代わりに僕の最期を看取ろうとしてくれている。無愛想でいつもムッツリした表情を浮かべ、事務的な事ばかり口にするお兄さん。笑顔の一つも見せてくれた事が無い癖に、今はその顔をくしゃくしゃに歪めている。

「……そして、ハリーは」

 特にお気に入りの場面。ハリーが名付け親のシリウスと出会うシーン。その後に控えている悲しい展開を知って尚、そのシーンのハリーの喜びを想像して胸が温まる。
 意識が明滅し始め、終わりが近づいている事を悟る。お兄さんも心電図が教える命の終わりに声を震わせる。
 嬉しい。僕を思ってくれる人がここに一人だけ居た。その事実が狂おしい程に嬉しかった。
 お兄さんは最後の一文をつっかえながら読み終えた。同時に僕も意識を手放す。冷たくて暗い死に身を委ねる。最後まで聞こうと頑張り過ぎて、疲れてしまった。

「……おやすみ」

 おやすみなさい……。

第一話「転生」

「……あれ?」

 覚めないはずの眠りから覚めてしまった。瞼を開き、辺りを見回すと、そこは薄暗い洋館の一室だった。混乱していると、扉をノックする音が響く。
 入って来たのは妙齢の女性だった。驚いた事に外国人だ。呆気に取られている僕に女性はゆったりとした口調で話し掛けて来た。

「具合はどう?」

 予想通り、彼女が口にした言葉は英語だった。海外小説を原文で読んだり、洋画を吹き替え無しで観ていたおかげか、言葉の意味が驚くほどすんなりと頭に入って来た。
 問題があるとすれば、さっきまで病室で天寿を全うしようとしていた僕がいきなり洋館の一室に居て、見知らぬ外国人女性に具合を聞かれている理由がサッパリだという事。

「まだ、体調が戻り切っていないみたいね。後でドビーに薬を運ばせるわ。だから、もう少し寝ていなさい」

 そう言って部屋を出て行く女性に僕は何も言えなかった。他人と関わり合う事が極端に少なかった僕にとって、いきなり見知らぬ人とお喋りをする事はかなりの難度だ。
 言われた通り、ベッドで横になりながら、僕は必死に直前の記憶を掘り返す。

「……やっぱり、僕は死んだは――――、あれ?」

 変だ。声がおかしい。いつも聞き慣れた声よりトーンが若干低い。そう言えば、目の前にチラチラと見えている髪の毛がよく見ると金色だ。しかも、サラサラ。
 上体を起こしてみる。驚くほど体が軽い。まるで自分の体じゃないみたいだ。試しに足に力を入れてみると、簡単に動かせた。今までどんなに頑張っても動かなかった足が自在に動く。
 胸が高鳴る。試しにベッドから降りてみると、アッサリと立ち上がる事が出来た。バランスを崩す事も無く、何の労もなく歩きまわる事が出来る。
 喜びのあまり歓声を上げてしまった。飛び跳ねたりしても意識を失わない。

「ぼ、ぼっちゃま?」

 大はしゃぎしているといつの間にか目の前に奇妙な生き物が立っていた。ギョロッとした目玉にコウモリの羽のような大きな耳を持つ小柄な生物。あまりにも薄気味悪い容姿。思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

「だ、大丈夫でございますか!?」

 まるで、スターウォーズのヨーダのようだ。ギョロッとした目を落ち着きなく動かしながら僕に近づいて来る。

「き、君は誰?」
「ぼ、ぼっちゃま? お忘れですか? ドビーでございます!」

 キーキーと甲高い声で名乗るドビー。

「ド、ドビー……?」
「そうでございます。屋敷しもべ妖精のドビーでございます」

 屋敷しもべ妖精。その単語を聞いて、僕はお気に入りの小説を思い出した。

「屋敷しもべ妖精のドビーって、あのドビー!?」

 唖然とする僕にドビーは困ったような表情を浮かべる。

「あの……、お薬とお水で御座います」
「あ、ありがとう」

 押し付けるように水と薬を渡してくるドビーに反射的にお礼を言うと、途端にドビーは悲鳴を上げて頭を壁にぶつけ始めた。あまりの光景に唖然としている僕を尻目にドビーは「ドビーは悪い子! ドビーは悪い子!」と繰り返している。
 まるで、あの小説のワンシーンのような光景に僕は血相を変えた。

「ど、どういう事!?」

 慌てて部屋の隅の姿見に駆け寄る。

「うそ……」

 鏡の向こうに立っていたのは黒目黒髪の日本人ではなく、薄いグレーの瞳にプラチナブロンドの髪を持つ男の子。あまりに事に愕然となりながら、慌てて自分にお仕置きしている情報源の下に駆け寄る。

「ド、ドビー!」
「ドビーは悪い子! ドビーは悪い子!」
「ちょっと、ドビー! 話を聞いて!」

 ドビーを壁から離して懇願すると、ドビーはやっと此方を向いてくれた。

「ぼ、ぼっちゃま……?」
「あの……、変な質問だけど、答えて欲しい」

 僕は止め処なく溢れてくる疑問を一つ一つドビーにぶつけた。ドビーは困惑しながらもキチンと答えてくれて、おかげで現状を把握する事が出来た。
 どうやら、僕は今、ドラコ・マルフォイになっているらしい。小説の中の登場人物の一人になっている。初めは妄想のし過ぎで遂には夢にまでみるようになったかと頭を抱えそうになったけど、明らかに夢ではない現状に思考を切り替えた。
 何がどうなってこうなったのかサッパリ分からないけど、モノは考えようだ。
 ある意味で望んでいた全てが叶ったと言える。
 自由に動き回れる体。大好きな物語の登場人物の一人。ドラコ・マルフォイという少年は物語上だと主人公に敵対する立場だけど、今は素直に喜んでおこう。

「ねえ、ドビー。お願いがあるんだけど」
「は、はい! なんでございましょうか?」

 僕はその後更にドビーから情報を集めた。特に両親との関係に纏わる事を重点的に。
 確か、ドラコは両親から溺愛されていた筈だ。下手な事をして、折角受けられる愛情を失うなんて真っ平だから、ドラコ少年の在り方を徹底的にドビーから学び受ける。
 前の両親は僕を捨てた。だけど、今度の両親からはたっぷり愛してもらう。物語上だと邪悪な魔法使いの手先だったり、主人公に嫌がらせをしたりと負の側面が前面に押し出されている人物達だけど、そんな事はどうでもいい。重要な事は僕を愛してくれるかどうかだ。
 不審な眼差しを向けてくるドビーに今の一連の流れを決して――両親に対しても――口外しないように強く命令しておく。

「いいね。絶対に誰も言っちゃ駄目だからね」

 見た目も気持ち悪く、物語上では僕達家族を裏切るドビー。

「ドビー」

 僕は彼の指を一本折り曲げた。悲痛な叫び声を上げるドビー。彼を抱きしめながら言う。

「ドビー。僕を裏切っちゃ駄目だよ? 約束を反故にしても駄目。いいね?」
「も、もちろんで御座います」

 涙を流しながら身を震わせるドビー。

「ありがとう、ドビー」

 そう言って、僕はもう一本折り曲げた。分かってもらうためだ。
 悪い子にはお仕置きをする。将来、僕を裏切らないように躾けておかないとね。
 ペットなんて飼った事も無いけど、しっかりと上下関係を理解させる事が躾の始まりだと本で読んだ事がある。

「僕は君のご主人様」

 一本折るごとに言い聞かせる。

「毎日、僕の所に来て躾を受けること」

 めそめそと泣き喚くドビーにしっかりと教えてあげる。

「躾の事も皆に内緒だよ? 誰かに言ったら……、焼いた石でも飲んでもらおうかな」

 時々、窓辺にやって来た虫をバラバラにした時の興奮を思い出した。
 ドビーの今日の躾を終えた後、ドビーに案内してもらって父の部屋を訪れた。ルシウス・マルフォイは羊皮紙に羽ペンで文章をしたためている最中だった。
 
「おや、ドラコ。もう体調はいいのか?」

 顔を上げて微笑む父に僕はバッチリと応えた。
 僕はどうやら高熱を出して寝込んでいたらしい。
 ドビーに聞いたドラコ少年の性格を出来る限り投影した演技で父と接する。どうやら、僕の演技は中々のものらしい。父の顔に疑いの色は無い。元々、ドラコ少年は少々甘えん坊な性格のようで、物語上での尖った部分はまだ無かったらしい。
 だから堂々と甘えた。ルシウス氏の腰に上り、ベッタリとくっつくと彼は困ったように微笑みながら頭を撫でてくれた。
 
 両親は僕にとってまさに理想的な夫婦だった。まず、なによりも僕を愛してくれている。僕が甘えれば、甘えたいだけ甘えさせてくれる上にその事を彼らは至上の喜びと感じている。欲しい物はないかとしきりに聞いてくるのが困り物だけど、その度に「父上と母上が傍に居てくれるだけで幸せです」と答えると頬が緩みっぱなしになる。
 ドビーに対する躾も順調だ。僕が呼び出せば間を置かずに現れ、今では何を命じても間を置かずに行動に移すようになった。疑問を差し挟む様子を見せない。そうなるように頑張って教えこんだ。

『なにも疑問に思っちゃ駄目だよ?』

 そう言って、肌に“疑問を持ってはいけない”と釘で刻んであげた。

『マルフォイ家の不利益になる事をしてはいけないよ?』

 そう言って、庭で集めたムカデや蟻を食べさせてあげた。
 両親は彼に対して全く視線を向けていないみたい。彼の耳が二回りくらい――刻んで――小さくなっている事や火傷の跡が散見している事に気付いていない。
 だけど、僕だけは君をずっと見ていてあげる。ずっと、躾けてあげる。
 そう言った時だけ、ドビーは体を震わせた。だから、焼いた鉄串で“友達”と背中に大きく書いて上げた。泣いて喜んでくれている。

第二話「欲望」

 瞬く間に時間が過ぎていく。僕がドラコ・マルフォイになって数年が経った。
 その間に父上が開いた茶会の席で僕はビンセント・クラッブとグレゴリー・ゴイルに出会った。
 大柄で筋肉質な体を持つ二人は親に言い含められているらしく、僕の命令に絶対服従。僕の行く所にどこまでもついて来てくれて、一緒に食事をしたり、魔法の練習をしたりした。
 二人と交流を繰り返す度に“友達”を得られた実感に酔い痴れる事が出来て温かい幸福感に包まれる。
 魔法学校への入学を間近に控えた日、僕はこっそりと二人をドビーの躾の時間に招いた。二人は大喜びでドビーの躾を手伝ってくれた。心地よい悲鳴に笑みが溢れる。
 愛らしいペットや親しい友人と過ごす時間。前なら考えられなかった幸福な時間。ああ、楽しい。
 
「時よ止まれ お前は美しい」

 ドイツの文人ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの代表作『ファウスト』の中で主人公のファウストが呟いた台詞。
 ああ、この瞬間が永遠になってしまえばいいのに……。

第二話「欲望」

 更に時が進み、魔法学校入学を直前に控えた日の事。
 僕は両親に連れられてロンドンのマグルから秘された場所にあるダイアゴン横丁を訪れた。
 以前から頻繁に出入りしていて場所に対する感動こそ薄いものの、これから出会うであろう人との会合に対して胸を高鳴らせている。
 ある程度買い物を済ませた後、制服を買うためにマダム・マルキンの洋裁店を訪れ、採寸の間に他の買い物を済ませてくると言う両親を見送った後、僕はこれから来る筈の人物にワクワクしていた。
 この場所こそ、物語の主人公であるハリー・ポッターとドラコ・マルフォイが初遭遇する場所なのだ。
 藤色の服を来た恰幅の良いマダムによる採寸を受けながら一秒一秒を待ち遠しく思いながら待ち続ける。そして……、

「いらっしゃいませ」

 マダムの手が止まった。痩せたメガネの少年が大柄な男と共に入ってくる。
 おっかなびっくりという感じで店内に入ってくる彼をマダムは台の上に乗せて採寸し始める。
 少年は安全ピンを手際良く止めていくマダムの手捌きに感心しているようだ。
 
「こんにちは」

 声を掛けると、男の子は目を丸くした。

「君もホグワーツ?」

 分かり切っている事を聞く。
 会話の切っ掛けは他愛ない世間話から入るものだと本に書いてあったし、クラップやゴイルで実践して来ている。

「う、うん。そうみたい……」
「僕はドラコ。ドラコ・マルフォイだよ。よろしくね」
「ぼ、僕はハリー。ハリー・ポッター」

 うん、知ってるよ。物語の主人公。憧れていた存在。会えて涙が出そうになるくらい嬉しい。

「ハリー。ああ、君なんだね。会えて嬉しいよ」
「えっと……」

 困った顔を浮かべるハリー。自分が有名人である事実をまだ受け止めきれずにいるみたいだ。

「あんまり魔法界に馴染めてないみたいだね」
「……う、うん。僕はその……、つい最近まで自分が魔法使いだって事を知らなくて……」
「そうなんだ。じゃあ、魔法界の先輩として、色々と教えてあげようか?」
「え?」

 戸惑うハリーに僕は微笑みかけた。相手を安心させる微笑み方があると本で読み、鏡の前で難度も練習した。
 笑顔というものには種類があるのだ。
 意地悪な笑顔。冷たい笑顔。恐ろしい笑顔。安心する笑顔。
 僕の肌は人より色素が薄い。だから、意図してやらないと冷たい笑顔になってしまう。だから、物にするまで随分と苦労したものだ。

「ホグワーツの事でも、魔法界の事でも、何でも聞いて欲しい。君の力になりたいんだよ」
「えっと……、じゃあ――――」

 初めは恐る恐るという感じだったけど、直に僕に慣れてくれたみたいで次から次へと質問が飛んで来た。その全てに可能な限り丁寧に答えを返していく。
 それは生まれたばかりの雛に自分が親鳥なのだと誤認させる刷り込みのようなもの。
 未知の世界に足を踏み入れる不安と無知である事への恐怖を和らげてあげる事で彼に“安心”を与え、僕に“親しみ”を持ってもらう。

「寮は四つあるんだ。スリザリンは上昇意欲の高い生徒を求め、ハッフルパフは誠実な人材を望み、レイブンクローは知識に対する貪欲さを尊ぶ」
「残る一つは?」

 言葉に淀みが無くなり、ハリーは僕に対して信頼感を寄せ始めている。いい感触だ。

「グリフィンドール。この寮は猪突猛進型の生徒が多いね」

 物語でハリーはグリフィンドールに入った。だけど、彼にはスリザリンに入るという選択肢もあった。彼の選択の裏にはハグリッドや彼の友人となるロンの助言が潜んでいる。彼らはグリフィンドールを尊び、スリザリンを蔑んでいた。
 恐らくスリザリンに入るだろう僕がハリーと親しくなるには同じスリザリンを選んでもらった方が都合が良い。例え、グリフィンドールに選ばれても、ここでスリザリンに対する見方を変えておけば寮の垣根を超えた友情を育む事も出来るかもしれない。
 物語のようにスリザリン自体を毛嫌いされては難易度が跳ね上がってしまうから、まだ何も知らない真っ白な状態の今しかチャンスは無い。

「所謂、体育会系の寮なんだ。勉学に励む者を蔑む傾向にある。暴力的な生徒も多いと聞くから、僕は遠慮したいかな」
「ダドリーみたいな奴が多いのか……」
「ダドリー?」
「あ、僕の従兄弟なんだ。凄く暴力的な奴で――――」

 上手くグリフィンドールの基質と彼が憎む従兄弟のダドリーを結びつけてくれたみたいだ。
 これは幸先が良い。一度悪印象を持つと、後から覆すのは凄く難しいのだと本に書いてあった。

「君はどの寮に入りたいと思っているの?」
「僕は……、出来ればスリザリンかレイブンクローがいいな。両方共叡智を尊ぶ寮だからね。勉強が好きなんだよ。それにスリザリンはクィディッチでも好成績を残し続けている」
「クィディッチ……?」

 僕自身、何が面白いのかサッパリ分からない魔法界の競技だけど、彼が夢中になる事を知っている手前、出来る限り褒めちぎっておく。

「そうだ。いいものがあるよ」

 先に採寸が終わった僕はこうなる事を見越して用意しておいた一冊の本をカバンから取り出した。

「『クィディッチの今昔』だよ。このスポーツは魔法界で常に大人気だから知っていれば大抵の人と話題を共有出来る。良ければプレゼントするよ。友情の証だ」
「い、いいの!?」

 驚くハリーに「もちろんさ」と答えておく。
 彼にとって、ハグリッドからのケーキを除けば初めての贈り物である筈だ。この後、ハグリッドからヘドウィグを贈られる筈だけど、その前に渡す事で物の質をカバーする事が出来る。
 初めての贈り物をくれた相手として認識してもらえれば信頼を得やすい筈だ。特に純真無垢な今のハリーに対してなら。

「僕もスリザリンに入れないかな……」
「大丈夫さ。スリザリンは自らを高めたいと望む者に門を開く。今の自分から脱却したいとか、もっと凄い存在になりたいという気持ちがあれば、きっと選んでもらえるよ」

 丁度ハグリッドが顔を出し、ハリーの採寸も終わった。

「こんにちは」
「おう、こんにちは。お前さんも今年からホグワーツか?」
「はい。あなたはハグリッドですね? ホグワーツの番人とお聞きしています。ダンブルドアから絶大な信頼を得ていると……、お会い出来て光栄です」

 握手を求めると、ハグリッドは顔を真っ赤に染めながら両手で僕の手を包み込んできた。やや乱暴な握手だったけど、彼は実に嬉しそう。彼はマルフォイ家の人間を軽蔑しているから、名乗る前に出来るだけ好印象を与えておきたかった。どうやら、上手くいったみたい。

「では、両親が待っているので僕はこれで……っと、そうだ」

 僕はふと思いついて言った。

「ハリーはホグワーツへ行く方法を知っている?」

 首を横に振るハリーに僕は9と3/4番線について教えた上で一つの提案を持ちかけた。

「じゃあ、時間を決めて集合しようよ。僕がホームまで連れて行ってあげる」
「いいの?」
「もちろんだよ。友達でしょ?」
「う、うん!」

 これでハリーがロンと接触する可能性をかなり削げたと思う。彼はマルフォイ家を毛嫌いしているから、どう頑張っても仲良くなれないと思うから早々に諦める事にしている。代わりにハリーとも仲良くなれないように今のうちから画策しておこう。
 彼の存在はスリザリンであり、マルフォイ家である僕にとって友好関係を築く大きな壁だ。出来るだけ遠ざけておく必要がある。
 
 ハリーと別れた後、彼がハグリッドと交わす会話を想像してみる。
 十中八九、マルフォイ家である事を懸念され、スリザリンを勧められた事に異論を挟むだろう。
 だから、後は今の短い時間でどれだけ彼らの好感度を上げられたかにかかっている。
 ああ、不安だ。不安を抱えたままだと寝不足になってしまう。
 男女双方から好かれる顔立ちというものがある。際立ったハンサム顔やいかつい顔は誰かしらに反感を持たれるから、出来るだけ線の細い女性よりの顔立ちが好ましい。
 幸い、ドラコの顔は元々際立つほど整っている。後は肌の手入れや髪と眉の整え方次第。髪もそれとなく伸ばしている。
 この状態を保つために寝不足はいけない。だから――――、

「今日はいつも以上に可愛がってあげるよ、ドビー」
「……アリガトウゴザイマス、ゴシュジンサマ」

 歯茎に針を差し込み、反応を楽しみながら僕はホグワーツでの生活を思った。
 あそこには『必要の部屋』というものがある。
 あそこになら、楽しい玩具が揃っている部屋も作れる筈。
 そこにドビーを招こう。
 もし、叶うなら誰か……、

 

「人間を躾けてみたいな」

第三話「友人」

 魔法学校に入学する日が来た。
 両親と共に早めにキングス・クロス駅に到着した僕は早々にコンパートメントを一つ占拠し、ハリーを持て成す準備を始める。
 クラップとゴイルには別のコンパートメントに行くように命じた。
 ハリーはまだ不安でいっぱいで、いきなり大勢の見知らぬ人間に囲まれたら警戒してしまう筈だ。
 まずは僕が彼の警戒を解く。その後で紹介してあげればいい。美味しいお菓子を並べておき、ドビーからの報告を待つ。
 彼にはハリーの到着を報せるよう命じてある。

「いよいよ始まるんだぁ」

 待ち望んでいた物語のスタート。
 友達をたくさん作る。僕を愛してくれる素敵な仲間達を集めるんだ。
 
「ゴシュジンサマ」

 バチンという音と共にドビーが現れた。

「来たんだね?」

 僕はドビーの返事も聞かずに汽車から飛び出した。
 ハリーを迎えに行く為に謝罪しながら人並みを逆行して秘密の入り口を通り抜ける。
 改札まで行くと、ハリーの姿はすぐに見つかった。
 白フクロウを連れて不安そうに歩く少年。
 道行く人々がすれ違いざまに視線を投げかけている。僕は胸を張りながら彼の下に向かった。

「ハリー」

 声を掛けると、ハリーはビックリした顔で僕を見た。

「ド、ドラコ?」
「そうだよ、ハリー。待たせたね」
「う、ううん! 僕、今来た所なんだ!」

 まるで初々しいカップルの初デートみたいな台詞を吐くハリーに吹き出しそうになった。

「やあ、可愛い白フクロウだね」
「う、うん。ハグリッドが買ってくれたんだ」
「そうなんだね。優しい人だ」
「う、うん……」

 歯切れが悪い。顔を覗きこむと、ハリーの瞳は彼の感情を評しているかのように揺れていた。

「どうかした?」
「え? あ、ううん。なんでもないよ」

 慌てて答える彼に僕は少し過剰に哀しんでみた。

「水臭いことは無しにしよう、ハリー。君は悩んでいる。そうだろう? どうか、聞かせて欲しい。君の助けになりたいんだ。友達としてね」

 ハッとした表情を浮かべるハリー。
 尚もせがむように彼の顔を見つめる。
 精神分析の本で読んだ事がある。大切な事は瞳を見る事だ。揺るがない瞳は相手に“安定”を促し、“安心”を与える。
 ハリーはポツリと言った。

「ハグリッドが君の事を悪く言ったんだ」

 まるで苦虫を噛み潰したような顔。

「マルフォイ家とは関わらない方がいい。スリザリンは止めた方がいい。君は彼を優しい人と言ったのに、彼は君を……」

 ハリーにとって、ハグリッドは自らをダーズリー家から解き放ってくれた特別な人だ。だから、彼に対しては他の誰よりも絶大な信頼を寄せている。その彼が僕の悪口を囁いた。対して、僕は彼を褒め称えている。悪意を口にする者と好意を口にする者なら良識ある人物なら後者に好意を寄せるもの。だけど、この場合の悪意を口にした相手が誰よりも愛しい相手であるが故にハリーは苦悩の表情を浮かべている。
 僕は彼をより安心させる為に甘く微笑んだ。

「大丈夫だよ、ハリー」

 練習した甘い声で囁きかける。幼い声帯故に出せる蜂蜜のような甘ったるい声。

「彼の言葉は僕自身を差したものじゃない。僕の両親は魔法省という場所で働いている。マグルの世界で言うところの官僚というやつでね。官僚というものは人から嫌われる事も仕事の一つなんだ。そして、スリザリンは多くの官僚を排出している」
「そんな……。そんな理由でハグリッドは……」
「仕方のない事なんだよ。むしろ、彼は正しい。官僚の悪口を言う事は国民の権利であり、義務みたいなものだ。官僚が国民の為に正しい行いをする為には国民の声が必要不可欠だからね」

 ハリーはため息を零した。

「確かにテレビで官僚を厳しくバッシングしているデモ隊の映像を何度か観た事があるよ」

 どこか失望した風な空気を纏いながら呟いた。

「……ほら、気を取り直してホームに行こうよ。出発の時間になってしまう」
「う、うん」

 ハリーは壁の中に足を踏み入れる9と3/4番線のホームへの入場の仕方にビックリして、さっきまでの憂鬱そうな表情を一変させた。
 ホームに溢れかえる同世代の魔法使い達や真紅のホグワーツ特急に歓声を上げる。

「さあ、荷物を預けてコンパートメントに行こう」

 ハリーのトランクを車掌に預け、あらかじめ取っておいたコンパートメントに向かうと、そこには両親が待っていた。二人はハリーの顔を見ると見事な微笑みを浮かべて彼を迎えた。

「君の事はドラコから聞いている。ハリー・ポッター。会えて光栄だよ」
「あの……、はい、ハリーです。その、よろしくお願いします」

 ガチガチになっているハリーを労るように母上が紅茶を差し出してきた。

「よろしければ一杯いかが? 落ち着くと思うわ」

 上品な笑みを浮かべる母上にハリーはコクコクと頷く。

「さて、そろそろ出発だな。ドラコの事をよろしく頼むよ、ハリー君」
「あ、あの、こちらこそ」

 恭しく頭を下げる父上にハリーも慌てて頭を下げる。

「では、御機嫌よう。お手紙を頂戴ね? ドラコ」
「はい。毎週書きます」
「楽しみにしているわ。ハリー君も御機嫌よう」

 二人が去った後、ハリーは大きなため息を零した。そんな彼に思わず笑みが溢れる。

「ごめんね。二人共、相手に無駄なプレッシャーを掛ける天才なんだ。おかげで我が家は嫌われ者さ」

 困ったものだと肩を竦めてみせる。
 すると、彼は僕の期待通りの反応を見せてくれた。恐縮しきった顔で二人のフォローを必死にしている姿は実に愛らしい。
 彼に用意しておいたお菓子を勧め、マダム・マルキンの洋裁店では語り切れなかった魔法界の話を彼に存分に語り聞かせて上げた。
 しばらくして、車内販売が回って来たから色々とお菓子を購入した。全部のお菓子を少しずつ購入し、二人で消費していると、今度は丸顔の男の子が現れた。
 
「ご、ごめんね。僕のヒキガエルを見なかった?」

 もう一人の主人公の登場だ。彼の名前はネビル・ロングボトム。物語ではもう一人の主人公として重要な役割を担っている。彼と仲良くなっておいて損は無い。それに彼らの前で善人振りを披露すれば好印象を持ってもらえる。
 僕は見かけなかったと答え、席を立った。

「広い車内を一人で回るのは大変でしょ? 一緒に捜してあげるよ」
「え、でも……、いいのかい?」
「もちろんだよ。大切なペットと逸れてしまったら悲しいよね。気持ちはよく分かるよ。僕のペットはホグワーツに持ち込めない種類だったから今は傍に居なくて……凄く寂しい。だから、協力させてもらえないかな?」

 ネビルは嬉しそうに頷いてくれた。
 ハリーも僕の言葉に心を動かされたのか一緒に探すと申し出てくれて、三人でカエルの捜索を開始する事になった。
 手分けをして、コンパートメントを回っていると前方から栗色の髪の女の子が現れた。

「あら、ネビル! カエルは見つかったの?」

 やはりと言うべきか、彼女こそが物語のヒロイン、ハーマイオニー・グレンジャーだった。
 どうやら、ネビルのカエルを一緒に捜してあげていたみたい。

「向こう側には居なかったわ。そっちにも居なかったなんて……」
「もしかして、ホームに忘れてきちゃったんじゃない?」

 ハリーの言葉にネビルは真っ青になる。

「いや、まだ捜していない所があるよ」

 僕は言った。物語では彼のカエルはちゃんとホグワーツまでついて来ている。
 どこかに居る事は確かなのだ。そして、残る未捜索場所はひとつ。

「貨物車両だよ。もしかして、トランクと一緒に紛れ込んでしまったんじゃないかな? ちょっと待っててよ。車掌さんに確認してくる」

 僕は安心させるために笑顔を作り、車掌の下へ向かう。途中、監督生達のコンパートメントにぶつかり、ノックをすると背の高い赤髪の男の子が顔を出した。

「やあ、どうしたんだい?」
「あの、友達のペットを探しているんです」
「もしかして、ヒキガエルかい? さっき、女の子が探しに来たよ」

 恐らく、ハーマイオニーの事だろう。

「はい。ただ、くまなく探したんですけどどこにも居なくて……。貨物車両に隠れているかもしれないと思ったんです」
「ああ、なるほど。ちょっと待ってて」

 男の子は他の監督生達と少し喋った後で奥の扉を潜った。しばらく待っていると、その手には大きなカエルが一匹。

「居たよ。ごめんね。貨物車に紛れているとは盲点だった。さっきの女の子にも謝っておいて欲しい」
「はい。ありがとうございます」

 ニッコリと微笑む監督生にお辞儀をして、僕はネビル達の下に戻った。カエルを渡すとネビルは感激のあまり瞳を潤ませながら感謝の言葉を繰り返してきた。

「僕はドラコ。ドラコ・マルフォイだよ」

 自己紹介がまだだった事を思い出して、それぞれ名前を名乗り合うと、ネビルは僕とハリーの名前にギクリとした反応を見せた。
 特に僕の家の悪評を家で聞かされているネビルは恐怖に引き攣った表情を浮かべた。
 僕は気合の入った“哀しみ”の表情を浮かべる。すると、ハリーが咄嗟にフォローをしてくれた。

「ドラコの両親は実際に会ってみると凄く素敵な人達だったよ。だから、噂を真に受けないで欲しい」

 ハーマイオニーも僕がカエルを見つけた事で身の潔白を主張してくれた。
 ダメ押しとばかりに出来る限りの“儚げな笑み”を浮かべて見せると、ネビルは呆気無く陥落した。
 両親が死喰い人に拷問され、精神を壊されたというのに元死喰い人という――実は真実である――噂が流れている両親の事を信じてくれる。
 実に愚かしく、可愛らしい。
 その後、二人を僕達のコンパートメントに招待して、室内を埋め尽くすお菓子の山を四人で協力しながら消化した。
 ネビルはカエルチョコレートのカードを集めているみたいで出たカードを譲るとまたまた感謝の嵐。
 彼は専用のカードフォルダーを持っていると言うから、今度見せてもらう事になった。
 やがて、ホグワーツが近づいて来る頃には僕達の関係は友人と言って差支えのないものになっていた。

第四話「スリザリン」

 徐々に汽車が速度を落とし始めている。
 着替えを済ませて、これからの学園生活に思いを馳せる。
 いよいよ、ホグズミード駅に到着だ。

「イッチ年生! こっちだ!」

 汽車から降りるとハグリッドの轟くような声が響き渡る。
 彼はハリーを見つけるとニコリと微笑みかけ、生徒を引率し始めた。

「挨拶しようにも混雑しているね」
「う、うん」

 ハリーは気まずそうな表情を浮かべている。
 彼が僕の家の悪口を口にした事を未だに気にかけているのだろう。実に良い兆候だ。
 僕達四人は一緒に行動する事にした。
 寮の組み分け次第で離れ離れになる可能性も高いけど、今は何の垣根も遠慮も要らない真っ白な状態。
 この僅かな時間に築いた友情は不変では無いだろうけど長続きするものと信じたい。
 ハーマイオニーと共にホグワーツの歴史から引用した学校に纏わる逸話などをハリーとネビルに語り聞かせていると広々とした湖の畔に出た。
 目の前に広がる絶景に、ある者は歓声を上げ、ある者は息を呑んだ。
 共通している点は対岸に聳える山の上に建つ荘厳な城に対する感動。大小様々な塔があり、点在する小さな窓が星天の如くキラキラと輝いている。
 夢心地のふわふわした感覚のまま、僕達は四人一組でボートに乗り込んだ。
 ボートは勝手に動き出し、対岸へと僕らを送り届ける。ホグワーツの地下に広がる鍾乳洞から長い階段を登り城門へ至る。

「ホグワーツ入学おめでとうございます」

 玄関ホールで老年の魔女が新入生達を出迎えた。グリフィンドールの寮監であり、変身術の教授でもあるミネルバ・マクゴナガルに違いない。
 厳しい顔付き。硬い口調。鋭く尖った声。
 生徒達は一様に緊張の表情を浮かべている。

「では、此方にいらっしゃい」

 マクゴナガルは僕達をホールの脇にある小部屋へ誘った。狭苦しい部屋に押し込められ、歓迎の用意が住むまで待機を命じられる。
 生徒達はいよいよ行われる組分けの儀式を前にざわつき始め、ネビルも真っ青になりながら震えている。
 ハーマイオニーはそんな彼を励ましているのか寮の特色について語っている。
 ハリーはその説明に熱心に耳を傾けているけど、殆どが以前、僕が彼に教えて上げた事の復習となった。
 そうこうしている内に部屋の中にゴースト達が現れ新入生を驚かせ始める。体を通り抜けられた生徒が悍ましい感覚に悲鳴を上げ、小部屋は狂乱の渦に包まれた。
 
「さあ、行きますよ!」

 そんな混沌とした空気を物ともせずにマクゴナガルが戻って来た。
 いよいよだ。不安そうな表情を浮かべているハリーの手を握って上げた。

「大丈夫だよ。組み分けの儀式は痛みを伴うものではない筈さ。ほら、深呼吸をしてリラックスしなよ」

 ハリーを励ましながら大広間へ進んでいく。
 宙に浮かぶ蝋燭。キラキラと煌く黄金の杯と皿。並ぶ上級生達。
 まさに映画の中のワンシーン。いや、実際はもっと素晴らしい。

「素敵だ」
「……うん」

 なによりも目を見張ったのは天井に浮かぶ満天の星空だ。
 魔法が見せる幻影である事は既に承知の事だけど、それを差し引いても美しい。
 次から次へと襲い来る感動の嵐にノックダウン寸前となりながら、僕達が教授達の待つ壇上の前に辿り着くと、マクゴナガルが古ぼけた帽子を新入生達の前に掲げ、壇上にポツンと置かれた小さな丸椅子の上に乗せた。
 そして始まる組み分け帽子による寮の紹介歌。仰天の表情を浮かべる新入生達を尻目にマクゴナガルが組分けの方法を説明し始める。

「なんだ、帽子を被るだけでいいんだ。フレッドの奴、ぼくを騙しやがった!」

 近くで黒人の少年と囁き合う赤髪の少年の声が耳に入った。
 チラリと視線を向けるとそばかすが目立つ背の高い男の子の姿があった。きっと、ロン・ウィーズリーに違いない。
 僕は彼からそっと視線を外した。彼とは出来る限り距離を置いた方がいい。
 やがて、ABCの順に組分けの儀式が開始された。トップバッターのハンナ・アボットはハッフルパフ。二番手のスーザン・ボーンズもハッフルパフ。だけど、三番手のテリー・ブートはレイブンクローに選ばれて、いよいよ生徒達は自分がどの寮に選ばれるのかで緊張と不安に包まれた。
 僕達の中で最初に名前を呼ばれたのはハーマイオニーだった。さて、彼女には僕がスリザリンかレイブンクローに入りたいと願っている事を伝えてある。ハリーも僕に同調してくれていて、彼女自身、『出来ればレイブンクローがいいかな。グリフィンドールも悪くないと思ってたけど……』と零していた。
 彼女はグリフィンドールの他にレイブンクロー寮への適正がある。彼女がどちらの寮に配属されるのかで未来が大きく変わる。ハリーがスリザリンに選ばれる可能性が大きくなる。
 やがて――――、

『レイブンクロー!』

 組み分け帽子は高らかに彼女の寮の名を叫んだ。レイブンクローの生徒が彼女を迎えるべく立ち上がっている。
 僕は歓喜のあまり深い笑みを浮かべた。

「ハリー。ハーマイオニーはレイブンクローに選ばれたね」
「う、うん」
「僕も出来れば彼女と同じ寮がいいんだけど、きっとスリザリンに選ばれる。本人の資質と共に組み分け帽子は血筋をある程度考慮するんだ。グリフィンドール生の息子はグリフィンドールになるといった風にね。もっとも、必ずしもそうというわけじゃないけど……。ほら、後ろに赤い髪の男の子がいるだろう? 彼は恐らくウィーズリー家の子だよ」
「ウィーズリー家?」
「代々グリフィンドールに所属している一族なんだ。兄弟が大勢いるそうだけど、全員がグリフィンドールに籍を置いている」
「じゃあ……」
「ハーマイオニーとは一緒になれなかったけど、僕は君と一緒の寮がいいな」

 僕が囁くと同時にマクゴナガルがハリーの名前を呼んだ。騒然となる大広間。教授達も息を呑んでいる。校長であるダンブルドアでさえ、彼の顔をよく見ようと体を前に倒している。
 ガチガチに緊張しながら、ハリーは組み分け帽子が待つ丸椅子に向かう。マクゴナガルが帽子を被せると――――、

『スリザリン!』

 間髪入れずに帽子が彼の所属寮を選んだ。
 さっきとは打って変わり、水を打ったように静まり返る大広間。教授達すら唖然としている。ハリーはそんな周りの反応に戸惑い、困惑した表情を浮かべている。
 そんな中、スリザリンの生徒達だけが一斉に立ち上がった。

「ハリー・ポッター! 歓迎する!」

 満面の笑みと共に迎え入れられたハリー。対して、他の寮の生徒達はしきりに囁き合っている。

「あのハリー・ポッターがよりにもよって……」
「……信じられない。魔法界の英雄だぞ」
「ハリー・ポッターがスリザリンに選ばれただと……?」

 そんなざわめきの中、儀式は進んでいく。遂に僕の番が回って来た。
 丸椅子に座り、帽子を被る。

『ああ、君の寮は既に決まっている。素質も十分過ぎる程ある』

 組み分け帽子は高らかに叫んだ。

『スリザリン!』

 僕は軽い足取りでハリーの時同様に一斉に立ち上がり出迎えてくれるスリザリンの席へ向かった。

「ハリー」

 僕は――僕のために――空いているハリーの隣の椅子に腰掛けた。

「これから七年間の付き合いになる。よろしくね」
「う、うん」

 周りの悪意を含んだ囁き声に戸惑っているハリーに僕は言った。

「言ってなかった事がある。スリザリンは優等生が集まるんだ。卒業生の殆どが政府の要職に携わっている。つまり、エリートコースなんだよ」
「エリートコース……?」
「そうだよ。だから、他寮から嫉妬されている。加えて、他の寮も君を欲しがっていた。だから、心ない言葉をつい口にしていまうんだ」
「……そうなの?」

 僕はしっかりと頷いて肯定する。

「何が言いたいかと言うと……、誰に何を言われても気にする必要が無いという事さ。さあ、お祝いの席だ。精一杯楽しもう」

 微笑みかけながら組分けの続きを見守る。組み分けが終わるといよいよ食事会の始まりだ。豪華絢爛なディナーが皿の中に現れる。
 食事風景一つとっても寮には明確な違いが見受けられる。グリフィンドールやハッフルパフは粗暴な食べ方が目立ち、対してレイブンクローとスリザリンは上品だ。
 グリフィンドールからは気取った奴らと僕らを蔑む声が聞こえてくる。その言葉はハリーの耳にも届き、眉を顰めさせている。
 彼が仮にグリフィンドールに選ばれていて、スリザリンに悪印象を持っていたら違う反応を見せていただろう。
 今の言葉にもむしろ肯定的な意見を持った筈だ。
 彼の意識の根底にグリフィンドールへの悪印象を刻むことが出来たという事だ。
 さて、問題は――――、

「あの人は……」

 ハリーは教授席に座る黒髪の男性を見て呟いた。

「スネイプ教授だよ」

 僕は彼と面識を持っている。父上と親しい間柄なのだ。

「セブルス・スネイプ教授」
「スネイプ……」
「彼がこの寮の寮監なんだ。厳格な方だと有名だよ」
「そう……、なんだ」

 問題というのは彼がハリーの父親を憎んでいる事。
 相応の理不尽を味合わされているから仕方のない事だけど、ハリーは彼が愛したリリー・ポッターの息子でもある。
 その辺を何とかアピール出来るといいんだけど……。

 皆のお腹がいっぱいになったところでダンブルドアと管理人のミスター・フィルチが注意事項を読み上げた。
 ハリーに分からない点はもちろん僕が丁寧に解説してあげる。
 式が終わり、それぞれの寮に向かう段になるとハリーはウトウトし始めた。
 監督生の後に続きながら学校の地下に向かう。談話室は細長い石造りで、低い天井から緑のランプが鎖で吊られている。
 僕はハリーとの二人部屋を用意してもらい、ふらつくハリーを優しくベッドに寝かせてあげた。

「おやすみ、ハリー」
「……うん、おやすみ」

 直ぐに寝息を立て始めるハリーを置いて談話室に戻るとスリザリンの生徒達が狭い室内に集結していた。
 殆どの生徒と僕は既に顔見知りだった。父上が開く茶会で何度も顔を合わせている面々だ。
 クラップとゴイルが傍に控え、上級生が手を差し伸べてくる。

「見事だ。あのハリー・ポッターの信頼を勝ち取るとはさすがだよ、ドラコ・マルフォイ」

 マーカス・フリント。確か、スリザリンのクィディッチチームのリーダーだ。
 彼の他にも僕と握手をしたがる者は大勢居た。彼ら一人一人と挨拶を交わし、特に“繋がり”の強い者達を選別して「仲良くしよう」と言っておく。
 十年前。まだ、ヴォルデモートの脅威が魔法界を席巻していた頃、父上の配下だった者達の子息と子女達だ。
 彼らには既に色々と教育を施してある。
 出会った時から丹念に……。

「よろしく頼むよ」

 僕の愛しき友人達よ。

第五話「魔法学校」

 魔法学校での生活がスタートして数日が経った。僕は常にハリーと共に居る。
 ハリーが少しでも困った顔を見せたら直ぐに解決してあげている。
 その解決法と印象操作にも気を使いながら……。
 おかげでグリフィンドールに対するハリーの印象は最悪に近い。
 なぜなら彼らはハリー・ポッターを手に入れたスリザリンを憎んでいる。
 此方が何もしなくても罵詈雑言を投げ掛けて来てくれるのだ。しかも、愚かな事にハリーがスリザリンを選んだ事を責める者まで居る始末。
 彼らの主張を要約すると、スリザリンである事がそれだけで“悪”なのだ。
 分かり易い差別。ただ、選ばれただけで悪という理不尽さが彼らに対するハリーの印象を悪化させる。
 スリザリンが掲げる“純血主義”を寮生達にしばらくは伏せるよう命じておいた事が功を奏した。
 同じ“差別”でも論理的な説得力を持たせることで良識を持つ人間にも馴染ませる事が出来る。
 
 彼らは優等生を敵視している。それは彼らの中に劣等感があるからだ。
 スリザリンに配属される者の家系の多くは長い歴史を背景に持つ。
 血を繋げ、魔法界の歴史に確かな足跡を残して来た血族の末裔だからこそ、魔法界に対する影響力を持っている。
 血の歴史が浅い者――――、マグル生まれやマグルと交わった者達にとって、いわゆる“純血”の一族が持つ発言力は欲しくても手の届かないものなんだ。
 自分達の手に入らない“力”を持っているから、彼らは僕らを敵視する。特にマグル生まれは……。
 歴史を遡ってみるといい。
 魔法界に限らなくても、マグルの歴史にだって“魔女狩り”という分かり易い事例が載っている。
 彼らは自分達に無い“力”を持っている魔法使いを恐れ、妬み、殺そうと躍起になった。
 例えが極端だと思うかもしれないけど、グリフィンドールの彼らが行っている僕達に対しての敵対行為は魔女狩りの縮図と言っても過言じゃない。

 ハリーのグリフィンドールに対する憤りが高まりきった頃を見計らって、そう彼らの行為を説明した。ハリーに対する純血主義への教育の第一歩だ。
 彼らの愚かな行為を存分に利用させてもらった。
 詭弁もいい所だけど、ディスカッションに不慣れなハリーはグリフィンドールに対する憤りも相まって、実に素直に僕の言葉を呑み込んでくれた。
 正直な所、僕自身は純血主義などどうでもいい。
 だけど、スリザリンの大多数が純血主義だから長い物に巻かれている状態を維持しているだけだ。
 ハリーに対する教育もハリーとの友好関係を末永きものにするための手段に過ぎない。
 彼にはスリザリンに馴染んでもらう必要がある。だって、僕はマルフォイ家のものなのだから。

 一週間が過ぎる頃には――最初はおっかなびっくりという感じだった――ハリーのスリザリン寮での生活も大分慣れて来たように見受けられる。
 毎夜の如く、僕が主催する勉強会に僕の取り巻きと共に参加させたり、数日に一度の茶会でスリザリンでも特に上流階級に位置するものと会話させる事で度胸や連帯感を持てるように取り計らった成果だ。
 スリザリンの生徒は基本的に文武両道。
 殆どの生徒が授業の内容以上の知識を有し、運動神経も抜群だ。
 加えて、古血の一族の出身者は幼い頃から作法を仕込まれている。一つ一つの仕草が優雅で上品だ。
 傍から見たら嫌味でキザったらしい冷血集団だが、それ相応の努力を重ねて来たからこその能力だと皆が自負している為、塵芥の僻み混じりの戯言を受け流す自信と胆力も併せ持っている。
 加えて、主従関係に対しては素直な点など、学校を卒業した後にこそ輝く能力を持っている。
 身内贔屓な批評かもしれないが、スリザリンに馴染む事は僕やハリーにとって有益だと思う。
 
 ハリーが僕の取り巻きと親しげに話すようになったのは飛行訓練の後からだった。
 グリフィンドールとの合同授業。そこでネビルとの再開を果たした。
 久しぶりに会う彼は僕達に対しておどおどとした態度を見せた。
 どうやら、スリザリンである事が彼にとっても障害となるらしい。
 他のグリフィンドール生からの目も厳しく、僕達はあまり彼と話す事が出来なかった。
 飛行訓練は恙無く進行し、ネビルと親交を深めるのはまたの機会となるかと思ったのだけど、実に運命的というか……、物語で起きた事件が目の前で発生した。
 ネビルが箒の制御を誤って振り回されているのだ。暴れまわる箒に今にも振り落とされそうなネビル。
 グリフィンドール生はおろか、スリザリン生からも悲鳴が上がる。
 いくら毛嫌いしている寮の生徒とはいえ、目の前で死の危機に直面している相手を嘲笑出来る程冷徹には成り切れていないのだろう。
 僕はこの状況を利用出来ないかと考えた。
 物語上で特別な役割を持つネビルとは是非とも親交を深めておきたい。
 例え、このまま落下しても飛行訓練の教師であるフーチが居る以上、大事にはならないだろうけど、ここで行動を起こす事に意味がある。
 
「ちょっと、ドラコ! 何をするつもり!?」

 スリザリンの女生徒が声を上げる。
 パンジー・パーキンソン。あまり家格は高くないものの、鋭い洞察力を持つ少女だ。
 成績も優秀で物語上ではドラコとセットで登場する事が多い。
 もっとも、彼女は野心家であり、主従関係よりも自らの利益を求める性格だ。故に少しだけ距離を置いている。
 僕が欲しいのは僕だけを見てくれる人だ。僕の取り巻き達は教育の甲斐もあって、僕に傾倒している。どんな命令も忠実にこなし、文句も言わない。
 
「このままだと危険だからね。何とかネビルを落ち着かせてみる」

 出来るかどうかは微妙だけど、“助けようとした”という行動そのものを恩に着せる事が出来る。
 箒に跨がり宙に舞い上がる。フーチが何かを叫んでいるけど、この行動は善意によるものと映る筈だ。ならば、お咎めも説教の一つで済むだろう。
 高度を上げ、僕は杖を取り出した。

「何をするの?」

 すると、すぐ近くで声がした。

「ハリー?」

 どうやら、僕の事を心配して追い掛けて来てくれたらしい。

「少し大きな音を立てる。ネビルをびっくりさせるんだ。それで正気に戻ってくれると助かるんだけど、駄目でもショックで力が抜ければ箒の暴走も緩和される。その隙に助け出そう」
「了解」

 ハリーが頷いた後、僕は杖を振るった。
 爆音が鳴り響く。その衝撃でネビルが目を大きく見開いた。キョロキョロと辺りを見回している。同時に箒の動きも鈍くなった。成功だ。喜んだ拍子に思い掛けない事が起きた。
 ネビルが箒から手を滑らせたのだ。そのまま足を引っ掛ける事も出来ずに落ちていく。
「ネビル!」

 大慌てで落下していくネビルを追う。ホグワーツに来る前にコッソリと屋敷で箒に乗る練習を積んでいたおかげで即座に反応する事が出来たけど、ネビルの落下速度が思った以上に早い。

「エド!」

 僕は取り巻きの一人の名を叫んだ。彼は即座に行動に移った。
 エドワード・ヴェニングス。
 初めての茶会の日に父上から紹介されたヴェニングス家の三男坊。寡黙な性格で僕が命令した事は疑問を持たずに遂行してくれる。
 ドビーの調教も他の取り巻き達の教育も彼に協力してもらった。今では阿吽の仲だ。
 名前を呼ぶだけで僕の願いを聞き届けてくれる。
 エドは呪文を唱えてネビルの落下速度を緩和した。
 彼に限らず、スリザリンの生徒は既に多くの呪文を身に着けているけど、この状況で咄嗟に最適な呪文を選んで発動させる事が出来るのは彼だけだ。
 
「よし!」

 なんとかネビルの腕を掴む事が出来た。

「っと、やばい」

 ところが、ネビルの体は思いの外重かった。いや、単純に体重が重いだけじゃない。緩和されたとはいえ、落下中。腕が軋んだ。
 離してしまおう。ここまでやったんだ。これでネビルに恩は売れた。

「間に合った!」

 力を抜こうと思った瞬間、ネビルの重量が一気に軽くなった。ハリーが追いついてきたのだ。ネビルの反対の腕を掴み、ハリーはニッコリと微笑む。

「ゆっくり降ろそう」

 再び手に力を籠めてゆっくりと降下を開始した。
 予想以上に事が上手く運んだ。フーチは僕とハリーを叱りながらも頬を緩ませ、エドを含めた三人にそれぞれ五点くれた。
 グリフィンドールの生徒もネビルの救出劇に感激してスリザリンが相手だという事を忘れたかのように喝采を上げた。
 僕は爽やかな笑顔を作り、皆の中心でハリーと握手を交わす。

「君が居なければどうなっていた事か!」
「まったく、無茶をし過ぎだよ」

 苦笑するハリー。グリフィンドールまで感心した表情を浮かべているのは想定外だったが、まあ良しとしよう。
 ハリーの純血主義教育に水を刺された感じだが、これでネビルとの友好関係を築く障害がかなり軽減された筈だ。
 もっとも、この光景を面白くないと思った輩がグリフィンドールとスリザリンの両方に居たようだけど……。

 この一件でハリーはスリザリンでも一目置かれるようになった。グリフィンドール生を助けた事よりも僕を助けた事が重要なのだ。
 加えて、あの卓越した箒捌きを披露する事が出来た事も大きい。箒に巧みに乗れる者はそれだけでヒーローとなれる。
 おかげで取り巻きの者達もハリーに感心を向けるようになった。
 どうにもネームバリューだけで僕と親しくしている事が気に入らなかったらしい。それも今回の一件でかなり軟化した。
 晴れて、この日ハリーは本当の意味でスリザリンの一員となったと言える。
 そして、同時に僕もハリーを籠絡する以外の時間を確保する事が出来るようになった。
 以前から興味があった『必要の部屋』を求め、8階の廊下に向かう。
 トロールに襲われている魔法使いの絵が描かれている壁掛けの前に人気のない時間帯を見計らってやって来た。さあ、試しに部屋を作ってみよう。
 思い浮かべるのは『隠し物の部屋』だ。様々な生徒の隠し物が入っている部屋。そこには貴重な魔法具が溢れている筈。加えて、あのヴォルデモートの分霊箱もある筈だ。
 三回壁掛けの前を往復すると、壁に扉が現れた。ドキドキしながら中に入ると、そこには大聖堂を思わせる広大な空間が広がっていた。
 中に入ってみると、そこには様々なガラクタで溢れていた。
 無数の家具がグラつきながら並んでいて、珍妙な物や呪いの掛かった物品などが収められている。ここにある筈のティアラを捜して歩いていると、幾つか面白い物を発見する事が出来た。
 例えば、『禁じられし呪いの魔術』という明らかに闇の魔術に関係していそうな本や『常闇のランプ』という点けると闇が広がるランプなどなど。
 好奇心に突き動かされて、あれこれ探っていると、他にも『暗黒の歴史 ~ 魔法界の知られざる闇 ~』というチープなコピーが踊るゴシップ雑誌や『透視メガネ』など、次々に見つかったらマズイ気のする物が出て来る。
 
「あった」

 途中で拾った透視メガネが役に立った。家具が透過する中、壁や強力な呪いの篭った道具は透過出来なかったのだ。
 壁が透過しなかった理由はホグワーツに掛けられている守護の一部に阻まれたのだろう。
 透過出来ない道具を順番に検証していると目的のティアラを発見する事が出来た。触れたりはせずにこっそりと近くの布を被せて、その上にライオンを模した銅像を引っ張ってくる。破壊するかどうかも未定だけど、僕以外に見つからないようにしておく必要がある。
 その後も色々と中を見て回り、目ぼしい物を拝借すると部屋を出た。空間拡張の魔法が掛けられたカバンがパンパンになっている。
 まだ、必要の部屋には色々と用事があるのだけど、今日はこのくらいにしておこう。

第六話「友達」

 必要の部屋は求める者の求める物次第で形を変える。しかも、空間の広さや形だけではなく、内装や設備を整える万能さ。
 試しに書庫を望んでみると、図書室にも無いような貴重な本が並ぶ無数の本棚が現れた。さらに、条件を狭める事によって、ジャンルを絞って部屋を作る事も出来た。
 試行錯誤を繰り返し、望んでいた事の九割が達成出来た。

「――――さすがに秘密の部屋への通路は作れないか……」

 大抵の望みを叶えてくれる必要の部屋。ところが、サラザール・スリザリンがホグワーツに遺したバジリスクの棲家である秘密の部屋への通路は作る事が出来なかった。
 どこそこに移動したいと望めば大抵の場所にアクセスして道を作ってくれる必要の部屋だけど、さすがにスリザリンの隠し部屋は対象外だったらしい。
 
「まあ、いいや」

 いずれにしても、蛇語を使えない状態で秘密の部屋に入ってもバジリスクに殺されるのがオチだ。
 ヴォルデモートの分霊箱を破壊する為にバジリスクをどうにか手中に収めたいところだけど、先にやるべき事がある。
 今、僕は『蛇語を学べる環境』を必要の部屋に作ってもらって勉強している。
 どうやら、生物の扱いも対象外のようで、蛇を入れるケージが並んでいるものの、中身は無い。まあ、蛇を用意するだけなら簡単だから問題ないのだけれど……。

「”サーペンソーティア”」

 蛇を召喚する呪文を唱え、ケージの中に入れ、本棚から蛇語を学ぶための指南書を手に取る。

「……むぅ」

 どうやら、蛇語に分かり易い単語や発音の仕方があるわけではなく、指南書にも最も効率が良い方法として”パーセル・マウス”の能力者と向い合って学ぶ方法が推奨されている。
 一応、舌の動かし方なども書いてあるけど、空き時間を利用した練習を何度繰り返しても蛇はそっぽを向き、僕自身、彼の言葉を理解するには至らなかった。

 そうこうしている内にハロウィンの日がやって来た。
 もっとも、語るべき事など無い。
 物語通りにクィレルがドロールを校内に引き入れたけど、僕はハリーや取り巻きと共にとっとと寮に避難したし、他の寮の生徒が襲われたという話も聞かない。
 賢者の石はフラッフィーを出し抜く方法が判明する後半まで手を出せない筈だしスネイプがしっかりと警戒している筈。
 さすがに賢者の石をヴォルデモートに奪われる事だけは――現段階で復活されたら面倒だから――断固として回避しなければならないけど、やりようは幾らでもある。
 
「あ、ハグリッドからだ」

 ハロウィンの翌日、大広間で朝食を摂っていると、ハリーのフクロウが手紙を運んできた。ちなみに僕の所にも両親が運ばせたお菓子の詰め合わせが降って来ている。

「お茶のお誘いかな?」
「うん」

 さて、どうしたものかな。ハグリッドは僕の事をよく思っていない。だけど、彼には接触しておく必要がある。クリスマスの前後、彼はクィレルからドラゴンの卵を受け取る筈だ。それはクィレルがフラッフィーの出し抜き方を彼から聞き出した事の証明となる。
 賢者の石を奪わせない為に立てられる策は色々とあるけど、一番手っ取り早い方法を取るには彼との関係を深めておく必要がある。
 この方法が上手くいけば、僕はハグリッドとダンブルドアからの信頼を勝ち得る可能性もある。

「……ハリー。僕も一緒に行ってもいいかな? 彼には色々と誤解を持たれていると思うから、もう一度キチンと挨拶をしておきたいんだ」
「ドラコ……。もちろんだよ!」

 素直で実に結構。彼の視線からは確かな信頼を感じる。そうなるように仕組んだ。
 きっと、ハグリッドとの挨拶の場でもフォローを入れてくれる筈だ。

 ハグリッドからの招待は午後だった。
 授業も無く、僕とハリー、そして、取り巻きの内の二人が同行している。
 言葉や態度にこそ出さないが、彼らは僕がハグリッドの小屋を訪れる事を良く思っていない。
 スリザリンの生徒の多くがそうであるように彼らもハグリッドの野蛮さや粗暴さに嫌悪感を抱いている。
 それでも同行して来た理由は僕が命令したから……ではない。そもそも、僕は彼らについて来いなどと一言も言っていない。

「ドラコ」

 小屋の前に辿り着いた所で取り巻きの一人、ダン・スタークが声を掛けて来た。

「ここには凶暴な大型犬が放し飼いにされていると聞く。僕がノックするから少しさがっていてくれ」
「わかった」

 ファングの事を言っているのだろう。あの犬は人懐こい筈だけど、それを知らない彼らの危機感も理解出来る。なるほど、だからついて来たのか……。
 素直に後ろにさがり、ダンに扉を叩かせる。すると、中からのっそりとハグリッドが姿を現した。

「おお、ハリー。久しぶりだな。それと……」

 ハグリッドはジロリと僕達を睨みつけた。無礼な態度だとエドとダンが青筋を立てているのが長い付き合いのおかげで手に取るように分かる。

「ドラコです。改めて挨拶に伺いたいと思い、ハリーへのお誘いに便乗させて頂きました」
「挨拶?」

 敵意とまではいかなくても、ハグリッドはかなり鬱陶し気な視線を向けてくる。

「ハグリッド。ドラコ達は僕の友達なんだよ。紹介させて欲しいんだ」

 ハリーがそっと僕達の間に体を滑りこませた。

「友達……。分かった。茶を出すから入っとくれ」
「うん」
「お邪魔します」

 初めにハリーが入り、その後にダンとエドが入る。最後が僕だ。
 ダンはファングの姿に警戒心を露わにするが、居眠りの最中らしく動き出す様子は無い。まあ、動き出しても襲って来る事は無いだろうけど。
 ハグリッドの部屋は彼の体に合わせて全てが巨大だった。
 彼が切り分けたロックケーキを少しずつ食べながら、僕達は――主にハリーの――近況報告を行った。
 授業で学んだ事や寮での生活、飛行訓練で起きた事件など。
 
「ほう、スリザリンではそんな事をしとるのか」

 寮での茶会や勉強会の話にハグリッドは感心した風に言った。

「ええ、数日に一度のペースで開いています。主催する者はその都度違います。会を盛り上げる為の話題を用意したり、人数分の茶やお菓子を用意するなど、面倒な事もありますが結構面白いんですよ」

 ハグリッドとの会話は思ったよりも面白かった。
 彼はなにより純朴な人柄だった事が大きい。彼が僕に対して警戒心を抱いていた理由は父が死喰い人だった事。蛙の子は蛙だと思うのは当然だ。
 だけど、決して捻くれているわけじゃない。此方が思うままでに印象を引き上げてくれた。
 ここまで扱い易くて分かり易い相手も滅多にいない。
 気が付けば僕達に対してもハリーと変わらぬ親しげな口調で話してくれるようになった。
 彼の懐に入り込む事には一先ず成功したと言える。

「ハリー。また、いつでも来るとええぞ。ドラコ、ダン、エド。お前さん達もな」

 別れ際にはそんな言葉を引き出す事にも成功した。ダンとエドは口数こそ少なかったものの、その気になれば腹芸も出来るのがスリザリン生の特徴であり、ハグリッドに対して好印象を持たれるように動いていた。
 
 寮に戻ると、ダンに話があると彼の部屋に呼ばれた。この部屋はダンとエドの二人部屋だ。

「どうしたの?」

 基本的に受け身の姿勢を取る彼らが僕をわざわざ部屋に呼ぶなどかなり珍しい。

「……目的を知りたい」
「何故、ルビウス・ハグリッドに近づいたんだ?」

 驚いた。この上、更に疑問を口にするとは思わなかった。
 出会った当初から口数少なく、僕の言うことに何でもハイハイ答えてきた彼らが一体どうしたと言うんだろう……?

「目的か……」

 さて、これは微妙に答え辛い質問だ。僕の最終目的は賢者の石の守護。いくら口の堅い二人が相手でも迂闊には話せない。
 
「……気付いていると思うが、君がネビル・ロングボトムを助けた一件を問題視する連中がいる。今回の一件は彼らを刺激した筈だ。ルビウス・ハグリッドは露骨ではないがグリフィンドール贔屓で有名な男だからな」

 なるほどね。そこを心配してくれたわけだ。ネビルを助けた一件を問題視している連中の多くは上級生だ。学年が上がる程、グリフィンドールに対する敵愾心は強くなっていく。不安に思うのも仕方のない事だね。

「まあ、簡単に言うとハリーに対する点数稼ぎだね」
「……ポッターに対しての?」

 途端に不機嫌になるエド。打ち解けてきたと思ったけど、まだ、あまり心を許していないみたいだね。

「ハリーを完全に僕のものにする為には必要な事なんだ。ハグリッドやネビルはハリーと親しくしているから、彼らを蔑ろにしては好感度が下がってしまうよ」

 まあ、それだけじゃないけど……。

「ポッターは君に十分に懐いているじゃないか。これ以上、君が立場を危うくするような真似をしてまで関係を深める必要は無いと思うが?」
「……そもそも、ポッターはネームバリューこそあるけど、所詮は親も後ろ盾も無いガキだぞ。どうして、ものにする必要があるんだ?」
「二人共、ハリーの事が嫌いなのか?」
 
 いつもは名前で呼んでいる癖にポッター呼びだし……。

「君がそこまでする価値のある者なのか疑問だと言っているんだ」

 ダンが言った。

「もちろん、あるよ」

 らしくない。二人はもっと聡明な筈だ。

「ハリーをちょっとした有名人程度に思っているなら間違いだね。彼は英雄なんだ。闇の帝王を滅ぼした実績は最近人気のロックハートとも比較にならない。老若男女。如何な権力者が相手でも軽視を許されない覇名だ」

 まあ、本音を言うと物語の主人公だし、いずれ復活するヴォルデモートに対して兵器にもなれば献上品にもなるという逸材だ。

「上級生の大半が何も言わないのはそれが分かっているからだよ。ハリーの心を完全に支配する為ならどんな相手とも仲良くなるし、どんな苦労も厭わないよ。ドロドロに甘やかして、僕に依存するようになれば大成功だ」
「……俺達みたいに?」

 笑みが溢れる。僕の取り巻きは基本的に親から期待されていない。深い孤独と愛情への渇望を抱いていた。実に浸け込みやすい者達。
 彼らは僕に依存してくれている。心理学の本や洗脳術の本で得た知識を元に教育を施した結果だ。彼らは決して裏切らない。

「ああ、そうだよ。僕だけを見てくれるように完膚無きまでに支配するんだ。そして……、僕の友達になってもらうんだ」

第七話「心」

 十一月に入り、いよいよ寒さが厳しくなってきた。
 校内はクィディッチの話題で盛り上がっている。
 スリザリン寮の談話室も御多分に洩れずといった様子。
「スリザリンチームは勝てるかな?」
 さっきまで『クィディッチの今昔』を真剣に読んでいたハリーが不意に顔を上げて言った。
 必要の部屋からコッソリと持ちだした闇の魔術の本から顔を上げ、僕は「もちろん」と答えた。
 ハッキリ言って、他の寮のチームは相手にならない。
 原作通り、ハリーがシーカーに選ばれていれば話は別だが……。
「スリザリンは過去六年間で常に優勝杯を手にしているんだ」
 スリザリンの生徒はほぼ全員が旧き血を受け継ぐ由緒正しき魔法使いだ。
 当然、幼い頃から英才教育を受けている。
 魔法界で一番人気のスポーツであるクィディッチの訓練も重要な教育課程の一つなのだ。
 ハリーのように卓越した才能を持つ者は一握りだろうが、長い時間を掛けて習熟した技術は確実に結果に結びついている。
 加えて、ハッフルパフとレイブンクローの生徒は運動を苦手とする生徒が多い。
 唯一、スリザリンと肩を並べる可能性のあるグリフィンドールも去年までシーカーを勤めていた生徒が引退した為、キャプテンのオリバー・ウッドが今、新メンバー探しに躍起になっていると聞く。
「クィディッチの勝敗を左右する一番重要なポジションがシーカーなんだ。そのシーカーがこの時期に決まっていない時点で今年のグリフィンドールは敵じゃない」
「なら、楽勝って事?」
「……よっぽどの事が無ければね」
「よっぽどの事って言うと?」
「四つの寮にはそれぞれ長所と短所があるんだ」
 グリフィンドールは勇気を尊ぶ寮。
 ダンブルドアや原作のハリーをはじめとした英雄と呼ばれるような人物を多数輩出している。
 反面、その性質故に無鉄砲な性格の人間が多い。
「グリフィンドールはチームワークや個々の能力には目を瞠るものもあるけど、知略を練るのが不得手」
 レイブンクローは叡智を尊ぶ寮。
 貪欲に知識を求め、その知識を活かす類稀な知性を持つ者達。
 反面、その性質故に狭量であったり、自己顕示欲が高かったりと他者を顧みようとしない生徒が多い。
「レイブンクローの練る戦術は侮り難いけど、彼らは仲間意識が薄いから連携に粗があって、立案した通りに試合を運ぶ事が殆ど出来ていない」
「レイブンクローの生徒って仲悪いの?」
 ハーマイオニーの顔を思い浮かべているのだろう。
 ハリーは心配そうな顔をして問いかけてきた。
「他の寮と比べたらね」
 グリフィンドールやハッフルパフはもちろん、我らがスリザリンも寮生同士の仲間意識は極めて高い。
 家同士の付き合いがあったり、同じ思想を尊ぶなど、むしろ他寮よりも深い繋がりをもっている。
 無論、そこに打算が幾分か含まれている事を否定は出来ないけどね。
 対して、レイブンクローは同寮の生徒に対しても仲間意識が非常に薄い。
 原作でもルーナ・ラブグッドに対して陰湿な虐めが横行していて、それを止める者もいなかった。
 嘆きのマートルも寮生からの虐めから逃げるためにトイレに篭っていた。
「あの寮では虐めが常態化していると聞くよ」
「ハーマイオニー……」
「彼女なら大丈夫だよ。賢明で強い女性だからね」
 安心させるように微笑みかけると、ハリーは「そうだよね」と素直に頷いた。
 この頃、ハリーは僕の言葉を疑わなくなってきた。とても良い傾向だ。
 ハリーの疑問や不安に対して、完璧な答えを与え続けた成果が出ている。
 僕の言葉は全て真実なのだとハリーは確信している。
 だから、気づかない。
 レイブンクローにはハーマイオニーの他にも賢明な生徒がたくさんいる。
 なのに、どうして虐めが常態化しているのか疑問に思わなかった。
 僕が大丈夫だと言ったから。
「ハーマイオニーなら大丈夫だよね」
 何一つ疑いを持っていない無垢な笑顔が実に愛おしい。
 レイブンクローで虐めが常態化している原因の一つは止める者がいない事だ。
 一部の賢明な生徒は賢明であるが故に下手に正義感を振り翳せば自分が孤立してしまう可能性がある事に気付き、虐めを見ても関わらないようにする生徒が殆どなのだ。
 だけど、ハーマイオニーは違う。
 彼女は賢明なだけではない。情に厚く、正義感が強く、そして、グリフィンドールに選ばれる程の勇気がある。
 だから、虐めを見て見ぬふりなど出来ない。彼女は既に寮の中で孤立している。
 彼女の周りに人の輪は無く、いつも俯いている。
「ああ、彼女なら大丈夫さ」
 ハリーは入学してからハーマイオニーと殆ど接触していない。
 そう、僕が仕向けてきたから彼女の異常に気付けないのも無理は無い。
「さて、話を戻すよ」
「うん」
「スリザリンの長所は何と言っても文武両道である点だね。グリフィンドールのように武に特化しているわけでも、レイブンクローのように知に特化しているわけでもない。そこが短所と言えば短所なんだけど、足りない武を知で補い、足りない知を武で補う事が出来る。だからこそ、スリザリンは連続優勝の快挙を成し遂げているんだ」
 ハリーは感心したように溜息をこぼした。同時にそんな寮の一員である事を誇らしく感じている様子が表情から見て取れる。
「……もし、よっぽどの事が起きるとしたら、それはハッフルパフだと思う」
「ハッフルパフ……?」
 ハッフルパフは落ちこぼれが集まると言われている。
 ハリーもその噂を聞いているのだろう。少し怪訝そうな表情を浮かべた。
 だが、それは寮が重んじる特性故に卓越した者が選ばれにくい事に起因する。
 卓越した人間には多かれ少なかれ癖があるもの。
 大半がスリザリンに選ばれるような向上心や功名心を持つか、レイブンクローに選ばれるような探究心や好奇心を持つか、グリフィンドールに選ばれるような勇気や冒険心を持っている。
 しかし、誠実さを尊ぶハッフルパフは三つの寮の中で最も清廉かつ高潔な人物が集まる。現に闇の魔法使いの出身者が最も少ない事で有名だ。
 その中には時折傑出した才能を持つ者が現れる。
「ハッフルパフを単なる落ちこぼれの寄せ集めと思うのは間違いだよ。派手さは無くても、コツコツと地道な努力を重ねる事が出来る者達なんだ。その中には稀に才気溢れる人間が混ざり込む。努力する天才。三年生のセドリック・ディゴリーが良い例だよ。ああいう癖の無い、人として完成している傑物が現れるからハッフルパフは侮れない」
 単なる天才なら他の寮にも一人か二人はいる。だけど、凡人が天才に挑むような努力が出来る天才は非常に稀で、そういった人物が現れやすいのがハッフルパフというわけだ。
「とは言え、セドリック・ティゴリーに注意を払っておけば、今年のハッフルパフは全体的に質が悪い。スーパーマンが一人いるだけで勝てる程、クィディッチは甘くないよ」
 そのセドリックも今年はまだ三年生だ。一年生の時点でエース級の実力を発揮した原作のハリーの例もあるから一概には言えないがそこまで脅威にはならないだろう。
 原作のハリーの活躍だって、他のグリフィンドールの仲間達の実力があってこそなのだから。
 総合力も高く、チームワークも抜群のスリザリンに死角はない。
「今年も勝つのは我らがスリザリンさ。それより、勝って当然の今年より、来年に目を向けようよ」
「来年……?」
 首を傾げるハリーに僕はとっておきの情報を披露した。
「テレンスが今年でシーカーを引退するんだよ。だから、来年シーカーの枠が空くんだ」
「それって!」
 ハリーの顔が分かりやすく輝いた。
 瞳には期待の色が満ちている。
「僕達にもチャンスがあるっていう事。一緒に選抜試験を受けてみない?」
 ハリーの瞳に迷いの色は無い。
 初めての飛行訓練での活躍を僕がべた褒めし続けた成果だ。
 事実として、初心者には不可能に近い操縦テクニックを披露したハリーに丹念に囁き続けた。
 君は特別だ。
 素晴らしい才能を持っている。
 卓越している。
 そう、彼の飛行の才能を褒め称えた。
「君なら間違いなくいい線いくと思うんだ」
 ハリーの心を完全に得るために僕は様々な手を使っている。
 これもその一つだ。
 ハリーは魔法界に入った時点で既に有名人だった。闇の帝王を滅ぼした少年として、誰も彼もが彼を賞賛した。
 名声を求めない者などいない。
 如何に清貧を尊ぶ宗教家でも、誰かに求められたい、褒められたい、賛同されたいという思いを捨て切る事は出来ない。
 特にハリーは魔法界に入るまで、マグル達によって虐げられてきた。もっとも価値の低い者としての立場を押し付けられ続けてきた。
 そんな彼にとって、英雄としての名声は恥ずかしかったり、戸惑ったりするだけのものでは無かった筈だ。
 だが、原作で彼を批判する立場にあったスリザリンの生徒達までもが賛美する側に回った事で一種のジレンマが生まれていた。
 批判的意見の無い無垢で不変な賞賛は信仰と言い換えてもいい。
 ハリー個人では無く、魔王を滅ぼした英雄という存在に対しての信仰。
 それはハリーの個を否定しているようなものだ。
 果てにあるものは自己の否定。一度徹底的に無価値な存在だと教え込まれたハリーだからこそ至ってしまう末路。
 そのジレンマを僕は解消させないように飛行訓練の日まで丹念に育て上げた。
 茶会や勉強会の度に僕の息の掛かったスリザリンの生徒達に英雄としてのハリーを事ある毎に褒め称えさせ、彼個人への批判的な意見を彼の耳に届く前に摘み取り続けた。
「だって、君には才能がある。箒乗りとしての抜群の才能が!」
 実に回りくどくて面倒だった。だけど、ハリーの心を得る為には必要な行程だ。
 自分の事を無価値だと感じ始めていた時に自分の価値を見出してくれた人。
 ハリーの中で僕の存在は確実に大きなものになっている筈だ。
「……僕、受けてみる」
「それがいいよ。そうだ! クリスマスに僕の家へおいでよ! 屋敷の敷地内でならクィディッチの練習が出来るんだ!」
「ドラコの家に?」
「君さえ良ければ……」
 僕は懇願するように彼の瞳を見つめた。
 ハリーの迷いは一瞬だった。
「……僕、ドラコの家に行ってみたい」
 ネビルやハーマイオニーとバッタリ出会わないように注意を払い、他のスリザリン生に親しくなっても一定以上ハリーと距離を詰めさせないように指示を出した。
 僕が傍に居ない間、ハリーは心の何処かに孤独感を抱くように仕向けた。
 そして、僕が傍にいる時は全身全霊を掛けて彼の孤独を癒してあげている。
 その成果が如実に現れている。ハリーは僕がいないクリスマスを恐れている。孤独になりたくないと願っている。
 だから、遠慮するべきかどうか迷わなかった。
 だけど、まだ足りない。もっと時間を掛けてハリーが僕無しでは生きていけないくらい依存させなければいけない。
 僕の隣が最も安心出来る場所なのだと彼の心の奥底に深く刻み込まなければいけない。
 まだまだ……、足りない。

第八話「実験」

 クィディッチの試合は特に語る事も無く進んでいる。スリザリンの圧勝だ。
 グリフィンドールとの第一試合。グリフィンドールの新米シーカーとスリザリンの熟練シーカーの差は歴然だった。
 いや、それどころかチーム全体の練度に大きな開きがあった。テレンスがスニッチを手にするまでにスリザリンは既に40点差をグリフィンドールに対してつけていた。
 レイブンクローでは更に点差が開き、残るハッフルパフ戦も消化試合で終わりそうだ。
 ハリーの存在の有無でここまで結果が変わるとは驚きだ。来年、ハリーをシーカーにする予定だが、これは他の寮に対して悪いことをしてしまったかもしれないな。
 もはや、この先七年間も――三大魔法学校対抗試合の年を除き――常勝無敗が約束されたようなものだ。
「凄かったな―、テレンス! あんな素早いスニッチを簡単にキャッチするなんて!」
 多分、君の方が上手いよ。
 内心でシーカーのテレンスを賛美するハリーにツッコミを入れながら、僕は闇の魔術の本を片付けた。
 ハリーは至って健全な魔道書だと思っているけど、内容は実に過激だ。精神や命を弄る術が事細やかに記載されている。
 読み解くには相応の語学力が必要だから、今はハリーの前で堂々と読んでも内容を悟られる恐れは無い筈。けど、いずれ対策が必要になるだろう。
「ハリーはすっかりクィディッチのファンになってしまったね」
「うん! 僕もあんな風に飛んでみたいよ!」
 彼の瞳にはテレンスへの憧れの色が浮かんでいる。原作ではハリーに完敗を期して引退した彼だが、その実力は決して低くないのだ。
「次の茶会の席でテレンスにテクニックを教えてもらおうよ」
 僕の提案にハリーは飛びつくように賛同を示した。

 環境が与える人格への影響というものは実に大きいものだ。
 グリフィンドールの試合の時、スリザリンは所謂ラフプレーをした。
 ルール上反則ではないが明らかな危険行為。実況を務めるリー・ジョーダンもここぞとばかりに非難の声を上げた。
 その光景にハリーは嫌悪感を露わにして言った。
『ルールで禁止されていない以上、勝つために強引な手段をとるのは当たり前だ! フットボールを見たことがないのかな?』
 そう言って、ジョーダンのスリザリンに対するヘイトスピーチを批判していた。
『僕らがスリザリンだから、わざと大袈裟にしているんだ!』
 ハリーの中で着実にスリザリン生である自覚と誇りが芽生えてきている。
 思った以上に順調だ。ハリーが素直過ぎるのかもしれないけど、歯応えがない。
 後一年もすればマグル生まれを見下し、純血である事を誇る立派な純血主義に仕上がっている事だろう。
「警戒すべきはダンブルドアの介入だな」
 ヴォルデモートを滅ぼすためにハリーを自己犠牲精神溢れる英雄に育て上げようと考えている彼にとって、今の状況は不都合に違いない。
 そろそろハリーと接触しようと企む筈だ。
「あんな老いぼれにハリーを渡してたまるものか……」
 ハリーは僕のものだ。
 僕の友達だ。
 僕のためだけに生きれば良い。
 僕のためだけに死ねば良い。
「対策を練らないといけないね」
 ダンブルドアに対する印象を悪くする一番手っ取り早い方法は彼の本性を晒す事だ。
 全ての善なる者の味方であると嘯き、多数を救うために少数を切り捨てるという効率重視の正義を振りかざす。
 そうした穏やかな外面で隠した冷徹な内面が明るみに出れば、ハリーはおろか世間も彼に疑念を持つだろう。
 純粋な悪以上に嫌悪感を持つ者もいるだろう。
 大多数の人間にとって、

 結果的に大勢の人々が救われようが、
 その為に自らの身をいくら削ろうが、
 その心に如何な苦しみを背負おうが、

 理想を裏切られる事に比べたら瑣末な事なのだ。
 だって、人は夢を見る生き物だから。夢とは素敵なものであるべきなのだ。一片の穢れも無い素晴らしいものでなければならないのだ。
 『おまえは』苦しめばいい、傷つけばいい、だが、『全てを』救え。『わたしたち』に一つの犠牲も敷くな。
 アルバス・ダンブルドアに世の人々が求めているものとは『そういうもの』なのだ。
「けど、過去を暴き出すには駒が必要だな」
 ダンブルドアの醜聞。食いついてくれそうな人物に心当たりがある。
 他人が失墜し、堕落する様を対岸の火事として愉しみたいというあまねく人々の隠された欲望を暴くことに執念を燃やす女が一人いた筈だ。
「けど、今はまだ早いかな」
 今、ダンブルドアの影響力が失墜するのはまずい。
 最低でも賢者の石は守り切ってもらわないと困る。
 よく考えると原作では最終的にハリーがクィレルを倒して守ったけど、恐らくハリーが動かなくてもダンブルドアが勝手に解決してくれる筈だ。
 ダンブルドアがみぞの鏡の安置場所に辿り着くのはハリーとクィレルが対面した少し後。
 クィレルでは賢者の石を手に入れられない以上、ダンブルドアは間に合う。
「……下手に動いて事態を面倒な方向に転がすべきじゃないな」
 静観するメリットは他にもある。ヴォルデモートにハリーの母親が授けた守護の存在を気づかせずに済むという点だ。
 結果として、ヴォルデモートがハリーの血を使わずに復活魔法で復活したとしても切り札が残る事になる。
 まあ、復活の時期が早まる可能性もあるからメリットばかりじゃないけど……。
「となると……。ある程度、ハリーがダンブルドアに傾倒する事を許容しないといけないか……」
 腸が煮えくり返る気分だ。
「……まったく、不愉快だな」
 僕は足元で蹲る犬を蹴り飛ばした。
「ドビー」
 呼び掛けると直ぐにドビーが姿を現した。
「死体を全部片付けておいてくれ。今日の実験はここまでだ。明日までに材料をまた揃えておいてくれ」
「ハイ、ゴシュジンサマ」
 犬が十頭。猿が八匹。鶏が六羽。
 闇の魔術の実験の為にドビーに集めさせた材料達だ。
 魔法と一言で言っても幾つかの分類に分けられる。
 対象を変容させる魔法をスペル。
 対象に働きかける魔法をチャーム。
 遊び心のある呪いをジンクス。
 軽度の呪いをヘクス。
 そして、闇の魔術と呼ばれる強度の呪いをカースと呼ぶ。
 軽度と強度の違いは対象に与える被害の大きさだろう。
「……出来れば人間で試したいな」
 闇の魔術は基本的に精神や肉体、そして、魂に干渉する。
 精神を恐怖で満たされガクガクと震えながら糞尿を垂れ流し死んでいく様は面白かったけど、大雑把なデータしか取れなかった。
 動物の言葉が分かればいいのに。そんなメルヘンチックな願いを本気で抱く程、今の実験の進捗状況に苛立ちを感じている。
「マグルだろうと人間を攫ってくるとさすがにバレるだろうしな……」
 ドビーは便利だし、使い潰したくないと思う程度の愛着もある。
「ねえ、ドビー」
「ナンデゴザイマショウカ?」
「野生の屋敷しもべ妖精なんていないかな?」
「……ソレハ」
「ドビー」
 悲しい。僕はドビーの今の耳の形をとても気に入っていたのに。
 僕はドビーの耳をもう一回り小さくしなければならなかった。
 泣き叫び、血まみれになった耳を押さえるドビーに僕は悲哀に満ちた声で言った。
「僕はもう一匹、屋敷しもべ妖精を望んでいる。分かるね?」
「ハ、ハイ。ワカリマス。タダチニサガシテマイリマス」
 出来れば長持ちする屋敷しもべ妖精が来てくれるといいな。
 ダメだったら、またドビーに頼まないといけない。コレ以上耳が小さくなったらドビーじゃなくてドラちゃんだ。
 
 ドビーが結果を出すまでに一週間も掛かった。結局、耳が更に二回りも小さくなってしまって、なんだかバランスが悪い。
「いっその事、全部切り取っちゃおうか?」
 善意でそう提案すると、ドビーは泣きながら頭を地面に押し付けて謝ってきた。別に謝って欲しかったわけじゃないのに、ちょっと不愉快。
 舌を出してもらって、そこに焼いた石を乗せといた。一時間したら飲んでいいよと言うと、喜びの歓声を上げてくれた。
「さーて、君の名前を教えてくれるかな?」
 既に主従の契約を結び終えた屋敷しもべ妖精はドビーを見ながら呆然としている。
「名前は?」
 もう一度尋ねると、目玉を零れ落ちそうな程見開きながら屋敷しもべ妖精は言った。
「リ、リジーでございます」
 どうやら、女の子だったみたいだ。
「それじゃあ、早速実験に付き合ってもらうよリジー」
「じ、実験でございますか?」
「うん。これから君に呪いを掛ける。呪いを受けて、実際にどう感じたのかを詳細に説明しろ」
 リジーは身を震わせながら焼けた石を舌に乗せたまま涙を流し続けるドビーを見た。
「ど、どういう事ですか、ドビー? は、話が……」
「リジー」
「は、はい!」
「先に言ってあげればよかったね」
「えっと……」
「僕が話している時によそ見をしたら指を一本折る」
 言いながら、僕はリジーの指をへし折った。
 悲鳴を上げるリジーに僕は優しく声を掛ける。
「僕に反抗的な目を向けたら皮を削ぐ。最初だから少しにしてあげるけど、次はもっと大きく切り取るからね?」
 そう言って、腕の皮を三平方センチ削いだ。
 怯えきった目で、荒く息を吐きながら必死に謝るリジー。
「そうそう。いい子にしてたら僕も優しくしてあげるからね。でも、悪い子には罰が必要なのも分かるでしょ? リジーはいい子に出来るかな?」
「は、はい。で、で、できま……す。出来ますので、どうか……どうか」
「じゃあ、実験スタートだ。まずは精神系統の術を試してみよう。精神を分裂させたりするのは最後でいいかな?」
「せ、精神を……?あ、え……、そんな……」
「あれ? やだなぁ。そんな目をされたら直ぐに実験が出来ないじゃないか。悪い子だな」
 結局、この日は少ししか実験が出来なかった。
 けど、今までとは比べ物にならない素晴らしいデータが取れた。
 使い潰す前提だと自由に実験が出来る。ドビーに他にもいないか探してくるように命じた。
 闇の魔術の実験用の他にも治癒魔術の練習台とか、純粋なストレス発散用も欲しい。
 ストレスは肌に悪いからね。
「……今は力をつける事に集中しておこう」
 折角、外を自由に動き回れる体と僕を愛してくれる両親と忠誠を誓ってくれる素晴らしい友人達に出会えたのに、それをみすみす奪われてたまるものか。
 ダンブルドアだろうが、ヴォルデモートだろうが、僕のものは誰にも奪わせない。
 絶対に……。

第九話「導き」

 クリスマスが近づいて来た。授業の進行速度が徐々に早くなって来ているけど問題ない。
 勉強会で常に授業の内容を先取りしているおかげで、授業は殆ど復習のための時間と化している。
 ハリーも余裕の表情だ。
「……さて、ベゾアール石の効能について知っている者は?」
 魔法薬学の授業でもこれといった問題は起きていない。
 ハリーはスネイプに何を聞かれてもスラスラと答える事が出来たし、スリザリンに選ばれた事で彼のハリーに対するヘイトの度合いも幾分か軟化している様子だった。
 おかげでそこまで理不尽な事を言われる事も無い。
「はい!」
 ハリーが元気よく手を上げた。
 僕のアドバイス通り、母親似の目をまっすぐスネイプに向けながら。
「……ポッター。答えてみろ」
「はい! ベゾアール石には――――」
 当てられて実に嬉しそうなハリー。今のハリーはスネイプを心から尊敬している。
 勉強会では特に魔法薬学を重点的に勉強している。これは他の学問と比べて知識の重要度が高いからだ。
 変身術や呪文学といった主にセンスが求められる魔法は知識を貯めこむよりも反復して実践する方が上達に結びつく。
 予め、練習する呪文とその効能を書き出し、時間を決めて何度も繰り返すだけだから、魔法薬学の勉強の息抜きとして毎日一時間程度を目安に練習している。
 短時間とはいえ、懇意にしている上級生からアドバイスをもらいながらの練習だから結果は上々。既に二年生で習う呪文にも手を出している。
 魔法薬学を学んでいくにつれ、ハリーはこの学問が如何に難解なものなのかを知った。実に奥深く、これを極める事は至難である事を理解した。
 だからこそ、それを極め、教鞭に立っているスネイプを尊敬するに至ったわけだ。
 もっとも、周囲からの影響もあった事だろう。
 スリザリンは文武両道。知性を尊ぶ人間にとって、論理的で頭脳明晰なスネイプはそれだけで尊敬出来る。加えて、寮監として自寮の生徒を大切にしてくれている。
 スリザリンの生徒は他の寮の生徒達と違ってスネイプを敬愛している人間ばかりだ。
 スネイプとハリーの関係改善は僕が特に何もしなくても順調だった。
 強いて言うなら、ハリーをスリザリンに入るよう誘導した事が僕の最大の手柄と言えるだろう。
「……よろしい。よく復習しているな。スリザリンに5点」
「……ッ! ありがとうございます!」
 驚いた。スネイプがハリーに点数を与える事にも驚いたけど、それ以上に微笑を浮かべた事に吃驚した。
 どうやら、既に十分過ぎるくらいスネイプはハリーに籠絡されているらしい。
 元々、彼にとってハリーは不倶戴天の敵であったジェームズの息子であると同時に人生を賭して愛した女性の息子でもある。
 天秤は微妙なバランスを保っていたのだろう。
 スリザリンに入った事。
 意地悪な質問に対しても完璧な解答を返せる程、魔法薬学に精通している事。
 スネイプを尊敬している事。
 僕のアドバイスを聞き入れて、スネイプと話す時は常に――母親似の――目をまっすぐ向けるようにしている事。
 積み重なったものが遂にスネイプの中の天秤を傾けたのだろう。
 スネイプはハリーの母親であるリリーにスリザリンへ入って欲しかった。
 自分の事を見て欲しかった。闇の魔術や魔法薬学に精通している自分を褒めて欲しかった。
 ハリーはそんな彼のリリーへの望みを――無意識の内に――叶えてあげている。
 時間の問題だとは思っていた。
 一度、ジェームズではなく、リリーの面影をハリーの中に見てしまえば、後は坂道を転げ落ちるだけだと考えていた。
 思った以上に早かったな。僕が驚いたのはその点だ。
「ハリー。やったね」
「うん! なんだか、他の先生から点数を貰うより嬉しかったよ」
 不良がたまに良心的な事をすると素晴らしい善人に見える原理と同じだろう。
 常に厳しく接してくる先生が優しくしてくれた事にハリーは感激している。
 今のハリーを見ると、ますますロン・ウィーズリーと接触を持たせなくて良かったと思う。
 恐らく、原作のハリーの勇猛果敢で少し無鉄砲な性格は彼の影響が大きかったのではないかと思う。
 ロンは魔法界に入ったばかりのハリーに様々な事を教えた。

 魔法界の常識。
 クィディッチの魅力。
 友達という存在。
 親しい者と力を合わせる事。
 純血主義が悪しき風習である事。
 誰が良い人で、
 誰が嫌な人で、
 誰が悪い人なのかまで全てを……。

 ただの脇役なんかじゃない。恐らく、彼こそが英雄ハリー・ポッターを真の意味で育てた存在だ。
 ダンブルドアの想像を超えた結果を出したのもロンの存在が大きかった筈だ。

 ハリーが唯一憎しみを交えずに喧嘩をした相手。
 誰よりも近くにいた存在。
 鬱屈した人生の中で初めて対等な存在として語りかけてくれた友達。
 
 両親を生後間もなく失い、折角会えた後見人と死に別れ、憎みながらも育ててくれた伯母一家からも引き離され、信じていた偉大な男に裏切られたハリーがそれでもヴォルデモートの前で決死の覚悟を決め、そして、あの世ではなくこの世を選べた理由。
 愛する恋人の存在も大きかった事だろう。だけど、それだけではなかった筈だ。
 最高の親友が居なければ、ハリーの決断は無かった筈だ。
 その証拠が今目の前にいるハリーだ。純粋で染まりやすい孤独を恐れる少年。
「ハリー」
「なに?」
「……明後日からクリスマス休暇だ。たくさん遊ぼうね」
「うん!」
 ここにロンはいない。ここにいるのは僕だ。
 僕が導くんだ。僕が一番近くにいるんだ。
 僕がハリーにとっての一番の親友なんだ。

 ◆

 リジーはとても役に立った。ドビーがいつまで経っても新しい屋敷しもべ妖精を捕獲して来てくれないから、代わりに治癒魔術の練習台にもなってもらったのだけど、思いの外長持ちしてくれている。
 何十種類もの闇の魔術の呪いを受け、全身を刻まれても尚、リジーは正気を失わず、死ぬ気配も無い。
 特に体感時間を何十、何百倍にも伸ばすという精神系の闇の魔術『刹那の牢獄』に耐える姿は素晴らしいの一言だった。
 彼女は僕と合わない間、この部屋に縛り付けられ、この呪いで何倍にも引き伸ばされた長い時間待ち続けている。体感時間では既に数ヶ月が経過している筈だ。
 無の時間が終われば闇の魔術による拷問、それが終われば再びの無。まさしく地獄の中に彼女はいる。
「『悪夢の再現』はどうだった?」
 今度の呪いは過去に受けた苦痛を再体験するという『刹那の牢獄』と同じ精神系統に属する闇の魔術。
 どの程度の苦痛が再現されるのか、
 どれくらいの数の苦痛が再現されるのか、 
 再現される苦痛の再現度はどのくらいなのか、
 一つ一つ聴取していく。
「ぁ……はじめにゆ、指を……お、折られ、れました……。そ、それから――――」 
 この呪文はかなり有用だ。数回試した結果、コツを掴むと再現する苦痛を指定し、増幅したりも出来るらしい。
「じゃあ、もう一度やるよ。爪の間に針金を突き刺す苦痛を増幅して再現するね」
「あ……や……たすけ……」
「レペテンス エクスターレイ」
 再現したい苦痛を意識し、そこに負の感情を上乗せする。
 鼓膜が破けるかと思うような絶叫がリジーの喉から迸る。
 もはや、それは獣の雄叫びだ。ひっくり返り、暴れ回っている。目は血走り、全身から色んな液体が止めどなく飛び出している。
 ここまで来るとさすがに醜悪過ぎて気色が悪い。蹴り飛ばして術を中断してあげると、リジーは一瞬良くない目をした。
「ダメだよ、リジー」
「あ、いえ、い、今のはちがっ」
「……そろそろ治癒魔術も一段階上を目指そうと思っていた所なんだ。君のその目を貰うね」
「や、やだ……、やめてください!! それだけは!!」
 ガーガーと喧しい。声縛りの呪いを掛けて黙らせる。
 丁度その時だった。パチンという音と共にドビーが現れた。隣に二匹の屋敷しもべ妖精がたっている。
 ドビーは手をこすりあわせて言った。
「オ、オマタセイタシマシタ、ゴシュジンサマ」
 喉を何度も焼き、汚物を飲ませ続けた影響で屋敷しもべ妖精特有のキーキー声が更に耳障りになっている。
 だけど、僕はドビーの成果に満足だった。要求通り、二匹連れて来たのだから、僕を散々待たせた罰も軽い物にしてあげよう。
 リジーが必死になにか叫ぼうとしているけど二匹は首を傾げている。
 僕はそんな二匹に契約の話をした。二匹共、快く頷き契約を交わしてくれた。
 野生の屋敷しもべ妖精とはすなわち、使えていた家から追い出された者達の事だ。
 彼らは自らを卑下しながら、必死に新しく使える主人を探し求めている。
「それじゃあ、君達はドビーと一緒に魔法薬の材料を集めて来てくれ」
「魔法薬でございますか?」
 年老いた感じの屋敷しもべ妖精、ラッドはキョトンとした表情を浮かべた。となりのペテルと名乗った若い屋敷しもべ妖精も似たような表情を浮かべている。
 基本的に屋敷しもべ妖精とは名前の通り、屋敷の中だけで生きるもの。家事などの雑用をこなすのが普通だ。
「どのような物を探してくればよろしいのですか?」
 とは言え、彼らは主人である魔法使いの命令には絶対服従だ。直ぐに気を取り直して必要な事を聞くと直ぐに立ち去った。
 後に残されたリジーは怯えきった表情で僕を見ている。
「……リジー。これで君は必要不可欠な存在では無くなったね」
 そう言った瞬間、リジーは自らの手で目玉を抉り出した。
 僕はその目玉を近くの――薄緑の液体が入った――瓶に入れさせ、よく見えるように持ち上げた。
 リジーは今までの僅かな抵抗の色さえ浮かべずに虚ろな表情のまま跪いている。
 闇の魔術の実験台。治癒魔術の実験台。そして、苦痛と恐怖による洗脳の実験台。
 彼女はとてもよくやってくれた。
 血が溢れだす眼窩に杖を向け、痛み止めと止血の呪文を掛ける。彼女の体で何度も試したおかげで術の精度はかなり高くなっている。
「ご、ご主人様……」
 うつろな表情に僅かに色が戻った。ありえない。そう顔に書いてある。
 洗脳の仕上げだ。
「素晴らしいよ、リジー」
 僕は彼女を初めて褒めた。とても優しくしてあげた。
 彼女に与えた苦痛から比べれば雀の涙程と言っても言い過ぎなくらい僅かな優しさ。
 それだけで彼女は歓喜のあまりむせび泣いた。
 要はストックホルム症候群だ。極限まで追い詰められ、遂に心が折れた彼女は僕の僅かな優しさに親愛の情を持った。
 人外に対して有効なのかどうか不明だったが、少なくとも屋敷しもべ妖精には有効だったらしい。
「さあ、僕のために実験の手伝いをしてくれるね? 大丈夫。もう、君を実験台にはしないよ。あの二匹で実験するからね」
「はい、ご主人様。なんなりと御命令を」

第十話「純血主義」

 クリスマスの日、僕達はホグワーツ特急に乗ってロンドンに戻って来た。
 キングスクロス駅のホームには既に生徒を迎えに来た保護者達でごった返している。
「さあ、行こうかハリー」
「う、うん」
 ハリーは少し緊張しているみたいだ。他人の家に呼ばれる経験が極端に少ない為だろう。その心境は痛いほどよく分かる。
 僕もこの体になってからの数年、色々と苦労して心労を重ねたものだ。
「ドラコの家にはどうやって行くの? 自動車? それとも、電車?」
 ハリーはまだ魔法使いの常識を分かっていない。
「父上と母上がホームで待っている。二人に『付き添い姿くらまし』で家に送ってもらうんだ」
「『姿くらまし』!」
 ハリーは嬉しそうに頬を緩ませた。
 一瞬の間に遠く離れた場所へ転移する事が出来る高難易度の魔法。一定の年齢に達するまでは練習する事さえ禁じられている危険な術だ。
 ハリーだけではない。大抵の魔法使いの子供は『姿くらまし』に一定の憧れを抱いている。
 マグルの子供がバイクや車に憧れるのと一緒だろう。
「ドラコ! 待っていたぞ、愛しい息子」
 両親は列車から降りて直ぐの柱の傍で待っていた。
「父上! 母上!」
 二人に駆け寄ると、父上は僕を抱きしめてくれた。
「また、背が高くなったのではないか?」
「さすがに三ヶ月程度で背は伸びませんよ、父上」
「いやいや、前は頭がもう少し低かった気が……」
「そ、それより、ハリーを紹介させて下さい」
 よほど僕との会話に飢えていたらしい。話を遮るとあからさまに寂しそうな表情を浮かべた。
 正直に言えば嬉しい。跳ね回りたい気分だ。だけど、両親に甘えるのは後だ。
「ハ、ハリー・ポッターです」
 ハリーがおずおずと挨拶をすると、父上は作り笑いを浮かべた。傍目には自然な表情に見える完成された笑顔。
 内心、いろいろ考えている事だろう。けど、それを表に出さない。まったく、腹黒い人だね。
「久しぶりだね。入学式の日に会ったのを覚えているかい?」
「も、もちろんです!」
「それは嬉しいな。学校では息子が世話になっているようだね、感謝しているよ」
「いえ、そんな! 僕こそドラコには色々と――――」
 ハリーの挨拶が終わるのを待って、僕達は館へ移動した。
 出現ポイントは館の門前。ハリーは我が家の壮麗さに驚いている。
 魔法界でも随一の名家であるマルフォイ家の邸宅はちょっとした宮殿くらいの規模がある。
「す、凄い……」
「さあ、中に入ろう。ようこそ、ハリー・ポッターくん。我が邸宅へ」
 父上は満足そうに門を杖で開きハリーを中へ誘う。
 ハリーの足はすぐには動かなかった。
「どうしたんだい、ハリー?」
 僕が声をかけるとようやく金縛りから脱する事が出来たみたい。
「な、なんでもないよ」
 門を潜る時も少しだけ躊躇していたようだから、背中を押してあげた。
「ほら、歓迎の準備をしている筈だから」
「う、うん」
 館の中は当たり前だけど閑散としている。規模は宮殿クラスでも、あくまで三人家族の一軒家なのだ。
 ドビーが寝る間も惜しんで家事に励む事で我が家の清潔は維持されている。
 とは言え、冷たい印象を抱かれる事は無い筈だ。屋敷の中はクリスマスの飾りでいっぱいだった。
「今夜はみんなでパーティよ。腕によりをかけて素敵なディナーを作るからね」
 母上は僕に向かってニッコリと微笑むとハリーを見つめた。
「寛いでいってくださいね、ハリー・ポッター。ところで、苦手な食べ物はあるのかしら?」
「い、いえ、大丈夫です。好き嫌いは無いので……」
「そうなの? じゃあ、食べたいものはある? どうか、遠慮はしないでね」
「えっと……、じゃあ、糖蜜パイを……」
「わかったわ。とびっきりのを作るから楽しみにしてちょうだい」
 そう言うと、母上は父上とキスをして奥へ引っ込んだ。
「妻の料理は世の名立たる名店よりも極上だと保障しておこう。妻も言っていたが、寛いでいってくれたまえ、ハリー・ポッター。なにか、不自由な事があれば何でも言って欲しい」
「あ、ありがとうございます」
「ドラコ。まだ、陽も高い。折角だから、彼にストーンヘンジを見学させてあげなさい。魔法使いたるもの、先人の遺したものを直に見る事は良い経験になる」
「はい。荷物を整理したら行ってみます」
 僕の返事に満足そうに微笑むと、父上も去って行った。
「ストーンヘンジって、あの有名な?」
「そうだよ。ここはウィルトシャーなんだ」
 イングランドの南部、ウィルトンシャー州の外れに我が家はある。
「他にも白馬やキーウィの地上絵が見所かな。どれもすごく離れてるけどね」
「さっき、君のお父さんが先人の遺したものって言ってたけど……」
「ああ、地上絵は違うけど、ストーンヘンジは先史時代の魔法使いが作ったものなんだ。まだ、マグル達が宇宙という概念すら持たなかった時代、魔法使い達は既に星の並びの意味に気付いていたんだ。あそこは星詠みの祭壇。魔法使いが未来を視るための場所なんだよ」
「なんか、凄いね」
「凄いさ。凄いからこそ、魔法使いは崇められた。そして、影へと追いやられた」
「追いやられたって……?」
「マグル達が魔法使いをどういう存在だと考えているか、君なら分かるだろ?」
「えっと……」
 答えが分からないというより、質問の意味が分かっていないみたいだ。
「つまり、幻想の存在だとマグルは捉えているんだよ。君もマグルの家で育ったのなら、最初は魔法なんて信じられなかったんじゃない?」
「あ! う、うん」
「太古の昔、まだ、世に十字教が広がる前、魔法使い達は表立って活躍していたんだ。かの偉大な魔法使い、ソロモン王は自らが使役した悪魔によって巨大な城塞を作り上げた事で有名だよ」
 魔法使いが表世界との干渉を今のように制限するようになった理由は幾つかあるが、その最たるものが十字教による奇跡の否定だ。
 当時、魔法使い達は自分達の力を神が齎したものだと考えていた。その考え方が一神教である十字教にとって許し難い事だったのだ。
 星の紋章は悪魔の記号となり、不死鳥は悪魔の化身とされ、海神の槍は悪魔の槍となった。
 十字教の教えによって、魔法使い達は悪しき者とされ、表世界から排斥されていったのだ。
「もっとも、十字教は完全に魔法使いを排そうとしていたわけじゃないんだ。その証拠にキリストの聖遺物である聖杯を求めたアーサー王の傍にはマーリンという魔法使いが忠臣として仕えていたし、他にも表舞台で活躍する魔法使いが僅かにだけど居た。でも、現代に近づくにつれ、魔法使いは更に影へと追いやられた。今みたいに自分達の存在をひた隠しにするようになった」
「どうして?」
「古の魔法使い達はマグルにとって偉大なる存在だった。触れる事も許されない超常の存在として君臨していた。だけど、十字教によって、その地位を追われた事でマグルと魔法使いは距離を縮めてしまった」
 その結果、魔女狩りが起きた。
「魔法使いは神の使いから、ただの人間になってしまった。だけど、魔法使いの力は健在なまま……。強大な力は恐怖と嫉妬の感情をマグルに抱かせたんだ」
 歴史的に見ても恐るべき惨劇だった。
 ただ、疑わしいからという理由で苛烈な拷問を受け殺された人間が何千人、何万人といた。
「ハリー。魔法使いとマグルの間にはどうしても溝が出来るんだ。だから、今のような魔法使いが影に隠れる世界になった。争いを避けるためにね」
 僕は寂しそうな表情を作って言った。
「マグルと魔法使いは分かり合えないっていう事?」
 ハリーは暗い表情を浮かべて問い掛けてきた。
「……難しいと思う。杖を振るだけで素晴らしい奇跡を起こせる魔法使いの存在をマグルは決して許してくれないからね」
 僕の言葉にハリーは苦い表情を浮かべた。うまく、彼の叔母夫婦の顔を思い浮かべてくれたようだ。
「彼らは僕らの事を恐れているんだ。そして、同時に羨んでもいる。自分達には決して敵わないものとしてね……」
「そんな……」
「魔法使いとマグルは一緒にいるべきじゃないのかもしれない。そう考える魔法使いは少なくない」
「ドラコも……?」
「結局、傷つけ合う事になるならいっその事……。そう、思う時もあるよ」
 ハリーは少しの間考えこむように視線を落とした。
 やがて、顔を上げたハリーは言った。
「僕のおじさんやおばさんもそうなのかな?」
 ハリーは案内した部屋の椅子に座り込むと、暗い表情で自分の身の上話を語った。
 ダーズリー家での忌まわしい日々の思い出を……。
「普通が一番だって、おじさんは言ってた。普通になれって……」
「……ハリー」
 僕は慰めの言葉を紡ぎ続けた。決して、解決する方法を口にしない。
 それは無理な事だとハリーに思わせる為に。
 魔法使いとマグルは決して分かり合えない。世界が違うのだ。両者は一緒に居るべきではない。
 そう、彼が信じこむように丹念にハリーを慰め続けた。
 可哀想に、
 辛かったね、
 それは仕方のない事なんだ、
 だって、おじさんとおばさんは魔法使いじゃないから、
 そして、君が魔法使いだから、
 だから、君達は永遠に分かり合えない。
「マグルはマグルだけの世界で、魔法使いは魔法使いだけの世界で生きる方が幸福なんだよ……、きっとね」
「でも、マグルの間に生まれた子供はどうなるの?」
「例え、魔法の才能に目覚めても、教育を受けなければ魔法使いにはなれない。でも、魔法使いにならなければ、マグルの一員としてマグルの世界で幸福に生きられる」
「……でも、それは」
 ハリーは何かを言おうとして、口を噤んだ。
 今日はここまでにしておこう。ハリーの中で純血主義の思想が芽生え始めている。でも、急げば事を仕損じる。
 ゆっくりでいいんだ。
「……ハリー。そろそろ出かけよう。難しい話は置いといて、折角のクリスマスだし、楽しもうよ」
「う、うん」
 ゆっくりと染み込ませていこう。
 そんなに時間は掛からない。