第十九話「Sei personaggi in cerca d’autore」

 アーチャーはその闇の光を以前にも二度目撃していた。その暗黒を最初に目撃した日、彼は全てを失い、二度目に目撃した時は……。
「投影開始」
 創り上げる。あれが本格的に活動を開始すれば手遅れになる。
 ウェイバーの推理は正しかった。アサシンのマスターは間桐であり、おそらくは《あの老獪》も動いている。
「イリヤ……」
 投影した宝具を弦に番えながら、囚われている筈の少女の泣き顔を想像してしまう。
 苦悩がその手を絡めとる。一度救えなかった少女。もしかしたら、救えるかもしれない大切な人。
 彼の心はいつの間にか生前の頃……それも、まだ未熟だった若い頃の状態に戻っていた。心を鉄に、体を剣に、ただ悪夢の元凶となるものを取り除く装置に戻るには少しの時間が必要だった。
 その僅かな時が全ての明暗を分けた。
 間桐邸に立ち上った闇が一気に広がり、彼の意識は途切れた。

 ◆

ーーーーそして、わたしは目を覚ました。
 いつ眠ったのかも、今どこで寝ていたのかも分からない。
「起きろー、タイガ!」
「え? え?」
 目を開けると、そこにはたくさんの人がいた。
「まったく、藤ねえは……。寝るならせめて炬燵じゃなくて、布団で寝てくれよ」
 知らない男の人が困ったように言う。
「先輩! 藤村先生はずっと待っててくれたんですよ!」
 知らない女の子が怒っている。
「はいはい、そこまでにしてやってよ桜。そいつもそいつなりに色々頑張ってたわけだし」
 知らない女性が二人を宥めている。
「ねぇ、タイガ」
 知っている女の子がたった数時間見ない内に急成長を遂げていた。
「折角、シロウが帰って来たんだよ? はやく起きてよ!」
「イリヤ……ちゃん?」
「もう、寝ぼけてるの?」
 目を擦りながら周りを見る。
 知らない場所で知らない人達に囲まれている。だけど、何故か気持ちが落ち着く。
 まるで、漸く居るべき場所に帰ってくる事が出来たような気分。
「……大丈夫か?」
 赤毛の男性が心配そうに私を見つめる。
「あ……っ」
 何故か、彼と会えた事が嬉しくなった。
 涙が溢れる。
「士郎!! もう!! もう!! 全然帰って来ないから、お姉ちゃんは心配してたんだぞ!!」
 気が付けば、そんな言葉を口にして、彼に関節技を決めていた。
「イテェェェェ!! 痛い!! たんまたんま!!」
「タンマなど聞かん!! ええい、このお姉ちゃん泣かせ!! 絶対に許さんぞ!!」
 周りの人は私達を見てやれやれと肩を竦めている。まるで、それが日常の一コマであるかのように……。
「それにしても、お姉ちゃんは安心したよ! どこかで危ない事でもしてるんじゃないかって、ずっと心配してたんだから! これからはどうするの? また、ここで暮らすの?」
「……いや、ちょっと用事を片付けに来ただけなんだ。そうだ、知り合いを紹介するよ。入って来てくれ!」
 士郎は部屋の外で待っていたらしい年配の男の人を呼んだ。
 長い髪、鋭い眼光、ちょっと怖い感じのお兄さんだ。
「紹介するよ。向こうで世話になった人で、ウェイバー・ベルベットさんだ」
 知っている名前。だけど、面影があるだけで見た目が全然違う。
「どうも」
「あ、こちらこそどうもです。えっと、私はこの子の保護者のようなもので、藤村大河と申します」
「聞き及んでおります」
「えっと、いつも士郎がお世話になっているようで、ありがとうございます」
 頭を下げると、ウェイバーは苦笑した。
「彼にはさほど……。そちらのお嬢さんには散々手を焼かされたがね」
「ちょっ、どういう意味ですか、プロフェッサー!」
「戯け、貴様とあのツインドリルがしでかした馬鹿騒ぎ、忘れたとは言わせんぞ」
「うっ……」
「遠坂……」
 ウェイバーの言葉で小さく縮こまる遠坂と呼ばれた少女。彼女の苗字には聞き覚えがある。
「もう、リンってばかっこわるーい」
「うるさいわよ、イリヤスフィール!」
「もう、遠坂先輩も大人げないですよ!」
「ぅ、ぅぅ、私の味方はいないの!?」
「居ないよ」
「居ません」
「居るわけなーい」
 彼等の掛け合いに思わず吹き出してしまった。
「あはは、みんな変わらないわねー」
 懐かしいやりとりだ。少し前まで、それが日常だった。もう戻ってこないのかもしれないと思っていたけど、ちゃんと戻ってきてくれた。
 安心した。
「えっと、ところで用事って?」
「ああ、それはーーーー」
 
 ◇

 こんな筈ではなかった。息を潜め、必勝の時を待っていた老獪は目の前の光景に呆然としている。
 アサシンを差し向けて、アヴェンジャーを追跡した結果、思わぬ収穫があり、勝利を確実なものに出来たと確信していた。
 漸く、五百年掛けたマキリの悲願を達成する事が出来ると思った。
「図りおったな……、アインツベルン」
 憎々しげに間桐臓硯は暗黒を従える聖女を睨みつける。その為の|部分《パーツ》は辛うじて残されている。
 腐敗する身体、溶けていく魂、その苦痛を一欠片でも相手に味あわせようと憎悪を向ける。
「ーーーーバーカ。この期に及んで、まだ分からないのかよ」
 幼い少女が口汚く罵る。闇に染まる髪、一層赤みを増す瞳。その肌には奇妙な刺青が浮き上がる。
「耄碌したな、マキリ」
 次の瞬間、彼女の髪は白かった。瞳は赤いままだが、肌は透き通るように白い。刺青など痕跡一つ存在しない。
「我が仇敵よ。汝には分かっていた筈だ。だからこそ、あの夜、あの場所に赴いたのだろう?」
 その鈴の音のような声はマキリという名の老魔術師にとって、懐かしいものだった。
 数百年を経てなお、心の中で些かも色褪せぬ乙女。アインツベルンの黄金の聖女。第三魔法を再現する為に創り出された始まりのホムンクルス。
 二百年前に大聖杯を完成させる為、自らを礎とした|天の杯《ユスティーツァ》が、彼の焦がれて止まなかったあの日の瞳を向けている。
「……分からぬ」
 本当に分からなかった。何故、あの夜、あの場所を訪れたのか、その事を思い出せない
「何故、貴様はよりにもよって、《そんなモノ》に……」
「見てみたかった」
 少女の声はあどけないものに変わる。
「見てみたかったのよ」
 また、声色が少しだけ変わる。少し大人びた声だ。
「あの子が全てを知った後に選ぶ選択を見届けたかったの」
「何故だ?」
 マキリは問う。
「何故、それほどあの娘に入れ込む?」
「だって、あの子は否定したもの」
 聖女は言う。
「《師匠を泣かせる悪いやつは全部わたしがやっつけるのです!》」
 その彼女らしからぬ言葉遣いに老魔術師は困惑する。
「あの子の真似よ。あの子は私を連れだそうとしてくれた。あの人のように、《わたしはわたしの信じた道を行きたいのです!》って……、連れだそうとしてくれたのよ」
 その髪が再び闇に染まる。
「そんな優しい子がどんな風に歪むか見てみたいと思ったわけよ。だから、この茶番劇に招待したわけ」
 歪んだ笑み。
「……お前は何者だ?」
「とっくにご存知なんだろう? 既に《|完成した《おわった》筈の物語》を畳もうとする生真面目共にちょっかいかける物好き。そんなもの、《オレ》以外にいると思うか?」
「|この世全ての悪《アンリ・マユ》……」
「大正解」
 アンリ・マユが指を鳴らす。すると、闇が広がり、同時に街に変化が起き始めた。
「なんだ、これは……」
 目の前で倒れている間桐雁夜だったものが全く違う人間に作り変わっていく。
 否、それは元に戻っただけの事。役者は役という名の仮面を剥ぎ取られた。
 雁夜だった青年の真名は間桐慎二。この年の年号は2010年。爆破解体されたホテルは二十年前にも爆破された経緯を持つ冬木ハイアットホテル。
 今は第四次聖杯戦争の真っ最中などではなく、それどころか第五次聖杯戦争の終結から十年後である事を臓硯は思い出した。
 
 大聖杯を解体する為に戻って来た遠坂と衛宮の倅達。そして、時計塔にその名を馳せる|ロード・エルメロイⅡ世《ウェイバー・ベルベット》。
 彼等が大聖杯の下へ向かった晩、臓硯もまたひっそりと大空洞に潜り込んでいた。五百年の悲願を台無しにされては堪らぬが故に。
 争いは起こらなかった。起こる前にソレが起きた。
 脈動する大聖杯。天蓋にまで届く闇の柱が彼等を呑み込んだ。十年前、決着がつかないまま戦いは終わった。その時の魔力が消費されぬまま残っていたのだ。
「どうせ、黙ってたら破壊されるんだ。なら、最後にオレがオレ自身の願いを叶えたっていいだろ?」
 悪魔は嗤う。
「だが、それもここまでだな。見ろよ、ジジイ」
 悪魔の指さした先で暗黒の光と黄金の光が煌めいている。
「オレの中に刻まれた|十三日に及ぶ戦い《第五次聖杯戦争》。その期間がまんま戦いの期限だった。それ以上先の事はオレも知らないからな。あれがその幕引きの|闇《ひかり》だ」
 そう言うと、アンリ・マユは臓硯から視線を外し、歩き出した。
「どこへ行くつもりだ?」
「まだ、ちょっと用事があるんでな。お姫様を迎えに行くぜ」
 そう言って、間桐邸を後にした彼はすぐに足を止める。
 そこに不機嫌そうな顔の男が立っていたからだ。
「ファック。今の今まで……、種明かしをされるまで気付け無いとはな」
「あらら、御機嫌斜めか? ロード・エルメロイ二世」
「……口を閉じろ。その顔、その声で貴様の下劣な性根から出る腐ったような言葉を吐くな」
「ヒッデー。それが一週間苦楽を共にした仲間に言うセリフか?」
「一週間、我々を嘲笑っていた性悪には相応しい言葉だと思うが?」
 睨み合う二人。やがて、アンリ・マユの方が音を上げた。
「嫌な成長遂げやがって。ファックはこっちのセリフだっつーの。お前の相手なんかしてる暇はねーよ。こいつ等に遊んでもらえ」
 そう言って、アンリ・マユが指を鳴らすと彼等の周囲に無数の影が現れた。
「……ふーん。そんな悪霊や人形如きで僕の相手が勤まると思ってるんだ」
 そう言って、コンカラーがロード・エルメロイ二世の前に躍り出る。
「馬鹿にするなよ、征服王。中にはサーヴァント級も混じってる。っていうか、そこの侍は一応サーヴァントとして戦った実績の持ち主だ」
 青い陣羽織を羽織る侍が口元に笑みを浮かべてコンカラーの前に立つ。
「雌狐の後は仔狸だ。まったく、因果なものよ」
 侍は言う。
「だが、折角だ。存分に死合おうではないか」
「やれやれ……、本当に舐めてくれるね」
 そう言うと、コンカラーは天に手を翳す。
「|神の祝福《ゼウス・ファンダー》」
 神の祝福が彼を包み込む。
「んじゃ、自由にやってろ。あばよ!」
 その間にアンリ・マユはスタコラサッサと離脱した。
「あっ、ちょっと!! 変身中はーーーー」
 コンカラーの叫びが掻き消える。白き雷が彼の姿を変化させていく。
 現れ立つ巨漢にロード・エルメロイ二世は懐かしむと同時に悲しくなった。
「お前、あれがどうしてそうなるんだ?」
「……そうあからさまに嫌そうな顔をするでない。余はこっちの方がイケてると思うのだが?」
 その漢の名は征服王・イスカンダル。主が少年から大人に変わったように、|少年《アレキサンダー》は成熟し、その本来の力と姿を取り戻した。
「まあ、あっちにはアーチャーもおる。まずは任せるとしよう。先にこっちだ。こやつらを始末してからでなければ面倒な事になる」
 そう言って、イスカンダルはロード・エルメロイ二世の頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でた。
「おい、何をする!!」
「ハッハッハ!! なんとなくだ!! それより、刮目せよ!! 我が最強宝具を!!」
 刮目する必要などない。ロード・エルメロイ二世は心の中で呟いた。
 何故なら、その最強の姿を彼はとうの昔に見ている。
「|王の軍勢《アイオニオン・ヘタイロイ》!!」
 そして、世界が一変した。

第二十話「弟子零号」

 嘗て視た光景そのままだ。偉大なる王に従う万夫不当の英雄達。
 対する者は無数のホムンクルスや亡霊達。
「……素晴らしい」
 亡霊の一人が喜色を浮かべてつぶやく。その圧倒的な光景を前に笑う胆力にイスカンダルもまた喜んだ。
「貴様は他の亡霊共とは一味違うようだな。名は何と?」
「生憎、名乗れる名など持ってはおらんよ」
 剣として振るうにはあまりにも長過ぎる刀身を持つ太刀を握り、飄々とした態度で侍は群体の先頭に立つ。
「だが、あまり舐めてくれるなよ、紅毛渡来の王よ」
「敵ながら天晴なヤツよ。たしか、この国に古来存在した傭兵、侍であったな! お主、余に仕える気はないか?」
「宮仕えも悪くないが、そういった話はとりあえず死合った後にしよう」
「好戦的なヤツだ。気に入った! では、蹂躙して我がモノとする事にしよう!」
「いざーーーー、尋常に勝負!」
 侍が動くと同時に戦闘が始まった。
 結界内に取り込まれた敵の数は思いの外多い。
 数だけならイスカンダルが率いる無数の軍勢に引けをとらない。
 だが、質の方は段違いだ。
「蹂躙せよ!!」
 イスカンダルの掛け声と共に動き出すヘタイロイ。
 一方的とも思える戦いの中で、あの侍だけは異様に元気いっぱいだ。
 対峙している兵士達も実に活き活きと戦っている。
「フハハハハハッ!! 見ておるか、坊主!! 我が勇姿、しかとその脳裏に刻んでおけ!!」
「はいはい……」
 もう、とっくの昔に刻んだよ。
 ウェイバー・ベルベットは嘗て憧れ、今尚尊敬している王の勇姿を見つめ続ける。
 未熟だった頃を追体験させた事には物申したい気分だが、この再開に関してだけは巻き込んでくれた邪神にも感謝しよう。
 もう、見る事も、語り合う事も無い筈だった王に彼はひっそりと臣下の礼を捧げた。
 時間にして数分。されど、ウェイバーにとって泣きたくなる程嬉しい時間が過ぎ去ったーーーー……。

 ◇

 生ある者がやがて死に至るように、始まりと終わりは同義である。
 アインツベルンの千年にわたる妄執。
 マキリの五百年にわたる悲願。
 多くの魔術師と英雄達の祈り。
 それら全てに決着がつこうとしている。
「ーーーー幕引きだ」
 街の様相が変化しても、己の召喚者が姿を転じても、セイバーのサーヴァントは変わらない。
 ただ、少しだけ残念そうだ。
「結局、お前だけだったな」
 ここには歴戦の英雄達が集まっている。なのに、心行くまま戦えた相手はライダー一人。
 アーチャーと宝具の撃ち合いをしてみたかった。
 ランサーやアヴェンジャーと武勇を競いたかった。
 コンカラーの軍勢を打ち破りたかった。
 アサシンにもその本領を存分に発揮してもらいたかった。
 その悉くを凌駕し尽くし、最強の名を知らしめたかった。
「だが、良い。思いの外、楽しむ事が出来たからな」
「……良かったな」
「互いにあの娘には勝てなかったな」
「そうだな……」
 片や、黄金の輝きを持つ双剣を変形させた弓を構える。
 片や、暗黒の輝きを持つ槍を構える。
「さあーーーー、心して受け取るが良い!」
 |弓兵《セイバー》が弦を引き絞る。同時に弓の先に魔法陣が展開する。
 今、セイバーが誇る最強の宝具が発動した。弦より放たれた一本の矢がライダーに向かう。それを彼女は当然の如く弾くが、弾かれたと同時に光へ転じて天空へ昇る。
 代わりに衛星軌道上に浮ぶ七つの光が一本の巨大な光の剣と成って降りて来る。
 終末剣・エンキは上空で破裂すると巨大な魔法陣を展開した。一瞬後、魔法陣は空間を巻き込んで崩壊する。まるで、ガラスをハンマーで叩き割ったかのように崩れた空間の向こうから巨大な波が押し寄せてくる。
 万物全てを洗い流そうと亜空の向こう側から押し寄せてくるナピシュテムの大波。その絶望的な光景を前に暗黒の騎士は苛烈な笑みを浮かべる。
「ーーーーこの程度か」
 本来、アーサー・ペンドラゴンが持つ《聖槍》は世の裏側である神代と現実である人の世を繋ぎ止める《光の柱》である。
 一度解かれれば、この物理法則によって成立している世界の均衡は一気に崩れ落ち、今世に幻想の法則が現出し、神代に逆戻りしてしまう禁断の宝具。
 だが、ライダーの振り翳した《魔槍》はむしろ、《闇の柱》。
 あらゆる色を世界から奪い去る純黒の光が迸る。
「吠えたな、名も無き|この世全ての悪《アンリ・マユ》を背負いし人間!!」
「ーーーー|万象を呑み込む悪性《擬・ロンゴミニアド》!!」
 頭上を覆うは人類に対する神々の裁き。
 抗うは、人類が堆積したあまねく悪性。
 彼等は互いに、この世の全てを背負った者。|評価規格外《Ex》の一撃同士が交差する。
 その光景を目撃した者全員に等しく《死》を予感させた一瞬。無限にも等しい1秒の間に二人は武器を持ち替えた。
「ーーーー考える事は同じか」
 ライダーは嗤った。
 闇の柱は大波を消し飛ばした。だが、それだけだった。
 評価規格外の宝具同士の激突は両者相打つ形で霧散した。
 それは両者が共に予想していた通りの事。その直後の激突こそ英雄としての格が命運を分けた。
「ではな、騎士王」
 刹那の剣戟を制したセイバーは|敗北者《ライダー》に背を向ける。
「……最後まで、そう呼ぶのだな」
「見事、最後まで演じ切った貴様への最大の賛辞だったのだが、不服か?」
「ぬかせ、邪魔ばかりしおって……」
 全ての元凶はセイバーだ。
 如何に神霊でも、無防備な状態で彼の宝具の干渉を受ければ無事では済まない。
 彼が大聖杯に干渉した時、アンリ・マユは小聖杯に逃げ込んだ。
 そして、彼を戦いから排除する為に記録されたアルトリア・ペンドラゴンの能力を120%まで引き上げた状態で|複写《コピー》し、分霊をライダーのサーヴァントとして現界させた。
「我の召喚を許した貴様の落ち度だ」
「以前の貴様なら自らの手を患ってまで大聖杯を元に戻そうなどとしなかった筈だ」
「それは召喚者の問題だな。皮は同じでも、中身が違えば引力の向きも変わる」
 セイバーは結界によって守られた空間内で眠る時臣だった少女、遠坂凛を見る。
「あの娘が召喚者だったからこそ、我はこの姿で喚ばれただけの事」
「……本当に運が無いな、私は」
 そう呟くと、ライダーは光の粒子になって消えた。
 
 ◇
 
 大河は不思議な空間にいた。空には巨大なスクリーンがあり、そこでセイバーとライダーが戦っている。
 目を覚ました時、彼女は既にそこにいた。アーチャーはいない。代わりに夢の中で言葉を交わしていた赤毛の少年が眠っている。
 その向こう側に見知った少女が立っていた。
「あーあ、ライダーが負けちゃった」
 イリヤスフィールは溜息を零した。
「……みたいだね」
「これで殆ど素寒貧よ。まったく、やれやれってヤツね」
 その姿を今度は彼女の母親であるアイリスフィールに変えて言う。
「……イリヤちゃん?」
「なんだ?」
 全身に刺青が走り、髪が黒に染まった少女が応える。
「あなたは誰?」
 大河の問いにイリヤスフィールが答えた。
「アンリ・マユ」
「……でも、アンリ・マユはライダーさんなんでしょ?」
「ざっくりと説明すると、アレはオレの一部なわけよ」
 姿を何度も変えながら彼女は言う。
「この街自体もそうだ。この街の住民も殆どがオレの一部。正真正銘の本物はマスターとサーヴァントだけさ。もっとも、一部のマスターとアーチャー、それにライダーはちょっと違うけどな」
「どういう事……?」
「ライダーは分かるだろ? アイツはオレの一部だった。それに、アーチャーはそこで寝っ転がってる正義の味方だ。オレが招待したアンタ以外にあの場に居たのは六人だけで、一人足りなかったんだよ。だから、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトもオレの分霊で補ったわけ」
「あの場って……?」
「大聖杯の解体現場」
 尚も首を傾げる大河にアイリスフィールの姿をしたアンリ・マユは不満そうな表情を浮かべた。
「もう、ぜっちゃんってば、昔より頭の回転遅くなってるわよ!」
「ぜ、ぜっちゃん?」
 目を丸くする大河にアンリ・マユは寂しそうな表情を浮かべた。
「……話を続けるわ」
 アンリ・マユは言った。
「聖杯の解体に携わった人間は五人。イリヤスフィール・フォン・アインツベルンとウェイバー・ベルベット、遠坂凛、衛宮士郎、間桐慎二だ。そんで、間桐桜は大聖杯の影響を受ける事が案じられて遠ざけられていたけど、臓硯の方は解体を阻止する為に忍び込んでいた。結果、臓硯はあの四人に手も足も出ず、|大聖杯《オレ》も為す統べなく解体される所だった。だから、最後にちょっとだけ悪足掻きをした」
「あなたは何がしたかったの?」
「……なんだろうね。最初の計画ではぜっちゃんに聖杯戦争を体験してもらって、最後の一人になった所でネタばらしをするつもりだったんだ。多くの屍を超えて勝ち抜いたのに、実は殺した相手マスター全員が元生徒や知人だったって知った時の貴女の絶望を見たかったのよ。そして、最後に|聖杯《わたし》を使わせる筈だった」
「……でも、わたし達ずっとーーーー」
「そう、遊んでばっかり」
 イリヤスフィールの顔でアンリ・マユは苦笑した。
「だって、楽しくなっちゃったんだもん」
 泣きそうな笑みを浮かべるアンリ・マユ。
「あの|英雄王《バカ》のせいよ。いきなり城に乗り込んできて、あなたと遊ぶから一緒に来いだなんて……。そもそも、アイツが大聖杯に干渉なんてしなければ……」
 アンリ・マユは微笑った。
「あの男、初めから全部知ってた。全部分かってた。そもそも、この世界が作り物だって事も、私の祈りも……、全部。本当にむかつくわ」
 どういう事か、などと大河は聞かなかった。
「セイバーさんは……だから、あの宝具を……」
 七日後に全てを滅ぼす凶悪無比の宝具。一週間、共に過ごした彼は罪のない人を悪戯に殺そうとする人じゃなかった。
 彼があの宝具を使った真相。それはこの世界が作り物で、この世界の住人も全て偽物だと分かっていたから。
「冗談じゃないわよ。あんな宝具を使われたら、それで終わっちゃうじゃない……。おかげで力の大半をライダーに注ぎ込む事になったわ。乖離剣よりマシだけど、結局根こそぎよ……。コンカラーにも余力を回したせいでこの世界の維持に回せるリソースも残ってない」
「……あなたの祈りって、なんですか?」
 大河の問いにアンリ・マユが歪んだ笑みを浮かべた。
「貴女に絶望して欲しかった。貴女に……、嫌ってもらいたかった」
 そのあまりにも哀しそうな顔を見て、不意に大河は遠い日の記憶を思い出した。
 どうして忘れていたのか分からない。
 彼女は以前、アンリ・マユと遭った事がある。それは運命の悪戯による数奇な出会い。本来、起こりえない奇跡による会合。
「……アイリ師匠」
 それが出会った時の彼女の呼び名。不思議な空間で不思議な時を彼女と共に過ごした。
 最後の時、彼女を外に連れだそうとしたけれど、その手を振り解かれてしまった。
 どうして、忘れていたんだろう……。
「私は消えるわ。この戦いがどういう結末で終わっても、既に解体作業は終了している。この空間は外と異なる時間の流れの中にあるけれど、そう長くは保たない。だから、私を救おうとしてくれた唯一無二の存在である貴女に嫌って欲しかった。絶望して欲しかった……」
「どうして……」
「だって、耐えられないもの」
 アンリ・マユは涙を零した。
「この世全ての悪を背負わされた時から私を救おうとする者なんて一人もいなかった。利用しようと企む人はいたけど、救うために外へ連れだそうとしてくれた人はぜっちゃんだけだったわ。だから、未練が残ったの……」
「師匠……」
「なのに、全部台無し。だけど、どうしてかしら……」
 地面が大きく揺れた。
「……安心して、ぜっちゃん。この世界が終わろうとしているだけよ。貴女は外の世界に戻される」
「師匠はどうなるんですか……?」
 アンリ・マユは答えなかった。
 かわりに穏やかな微笑みを浮かべる。
「ぜっちゃん。貴女と過ごした一週間。楽しかったわ」
「……ここから出ようよ。また、一緒にあそぼうよ!!」
「前にも言ったでしょ。それは無理なの」
 崩れていく。世界そのものが……。
「待ってよ!! わたしは師匠と一緒にもっとーーーー」
「ぜっちゃん。あの時も、今も……、ありがとう!」
 地面が割れる。大河が慌てて手を伸ばすが、アンリ・マユからどんどん体が離れていく。
「ヤ、ヤダ!! 一緒に、もっと……、一緒に!!」
「バイバイ。|この娘《イリヤ》の事、お願いね」
 アンリ・マユの体が二つに割れる。片方はイリヤスフィールの姿。もう片方はアイリスフィールの姿。
 アイリスフィールはイリヤを「よいしょ」と大河に投げた。
「うわっ!?」
 大河は慌ててキャッチしたが、そのまま倒れこんでしまった。
 そして、気付けば見知った寺の境内にいた……。

最終話「藤ねえルート」

 稜線の向こう側から太陽が姿を現し、闇が晴れていく。山門の向こう、セイバーとライダーが激突した筈の戦場には戦前と変わらぬ穏やかな田園風景が広がっている。
 まるで、全てが嘘偽りであったかのように、あの戦いの痕跡が欠片も残っていない。
「……師匠」
 また、届かなかった。泣きそうな笑顔で見送る|師匠《アンリ・マユ》をまた置き去りにしてしまった。
 大河はやり場のない感情の矛先を足元の石ころに向けて蹴っ飛ばした。
 すると、唐突に割れた空間の狭間から姿を現したセイバーのおでこに石ころが命中。
「……おい、貴様」
 般若の形相を浮かべるセイバー。その顔を見た瞬間、大河は駆け出していた。
「セイバーさん!!」
 セイバーの後ろには鎖に巻かれた男女が転がっていた。
「士郎! イリヤちゃん! 遠坂さん! 間桐くん!」
 四人は呻き声をあげている。大河はなんとか鎖を解こうとするが、ビクともしなかった。
「阿呆。神獣をも縛る天の鎖を魔術師ですらない非力な人間に解けるものか」
「えっと、これも宝具なの?」
「そうだ。我が至高の逸品だぞ」
 自慢気なセイバー。大河は「ふーん」と呟くと辺りを見回した。
「ウェイバーくんとコンカラーさんは?」
「……あそこだ」
 興味を示さない大河に少しムッとしながら、セイバーは少し離れた場所で寝転がっている二人を指さした。
「元々、アンリ・マユによって構築された位相空間内で固有結界を使った為、先に排出されたようだ」
「固有結界……?」
「術者の心象風景を具現化する魔術。アーチャーも使える。本来、固有結界を含めた《異世界》は《世界》による修正の対象となる。故にヤツは崩壊の瞬間、その《一秒間》だけ存在出来る異世界を造り上げた。内部の時間の流れだけを操作する事で修正を免れていたわけだ。だが、その中で更に固有結界を使われれば世界は違和感に気付いてしまう。抑止の力が動けば如何に神霊が築いた城塞だろうと瞬く間に崩壊してしまう」
 セイバーは微笑む。
「その程度の事、ヤツは端から知っていた筈だ。その上で貴様にアーチャーを割り当て、ウェイバー・ベルベットにはコンカラーの召喚を許した。|時臣《リン》に我を召喚させた事といい……、まったく素直ではないな」
「そっか……」
 大河はセイバーの言葉の真意に気付いた。
「師匠は……、初めから脱出の鍵を持たせてくれていたんだね」
「貴様に絶望を与えようとしていた事も事実だ。その為に茶番の下準備を整えていたからな。だが、それは本意ではない。この世全ての悪という性質に乗っ取った《正しい目的》の為だった。ヤツの本当の目的はーーーー」
「わたしと会う事……」
「そうだ。ヤツはこの世全ての悪と呼ばれた存在。だが、そうなる前はどこにでもいる普通の人間だった。人里離れた村で行われた因習。人間の持つ根源的な悪性を一人の人間に押し付ける事で自らを善であると肯定するもの。その生贄に選ばれてしまった不運な人間だ」
「……ひどいよ」
「タイガ」
 セイバーは何処からか取り出した小さな杯を大河に投げ渡した。
「うわっとと、なにこれ?」
「聖杯だ」
「……はえ?」
 戸惑う大河にセイバーは微笑みかける。
「此度の戦いの勝者は貴様だ。ならば、聖杯に祈りを捧げる権利も貴様にある」
「……勝者って、わたしはーーーー」
「我も……、|ライダー《アンリ・マユ》も、コンカラーも誰も貴様に勝てなかった。紛れも無く、貴様が勝者だ」
「だって、わたしはゲームで勝っただけだよ!?」
 結局、聖杯戦争とは名ばかりのゲーム大会だった。ただただ楽しかっただけの時間。
 辛い事も、怖い事も、なにもなかった。
「タイガ。言っておくが、殺し合う事だけが聖杯戦争ではない。聖杯を求め、争う闘争全てが聖杯戦争なのだ。そして、貴様は聖杯を求める者達がこぞって参加した闘争に勝利した。……まあ、それでも要らないと言うのなら処分してしまうが?」
 大河は手の中に収まっている綺麗な杯に視線を落とした。
 どんな願いも叶えられる万能の杯。それが手の中にある。
 何を願ってもいい。億万長者にも、不老不死にも、何にでもなれる。
「ねえ、セイバーさん」
「なんだ?」
「これを使えば、どんな願いも叶うんだよね?」
「そうだ」
「……じゃあ、それならーーーー」
 大河は杯を掲げる。
 使い方なんて知らない。だから、ただ思いを篭めて呟いた。
「……師匠ともっと一緒にいたいよ。一人ぼっちは寂しいもの」
 他にも願うべき事は山程ある。だけど、大河は選ぶ事もしなかった。思うままに願いを口にした。
 聖杯が光を放つ。多くの人、多くの時間、多くの犠牲を支払い作り上げられた万能の願望機がその真価を発揮する。
 
 地下、崩壊し始めた空洞内に聖なる光が満ち溢れた。
 空間一面に張り巡らされた聖女の魔術回路が中心部に収束していく。
 本来、聖杯とはアインツベルンが第三魔法を再現する為に造り上げた装置だ。
 大河の託した祈りは偶然にも聖杯の真価を最大限引き出すものだった。
 魂の物質化。無形の呪詛であるアンリ・マユが実体化を開始する。
「もっと一緒に……、か」
 実体化した少女は苦笑する。そして、その身は崩壊する洞窟から柳洞寺の境内へ移動した。
「上手い言い回しね、ぜっちゃん」
 大河はその少女を見て大きく目を見開いた。
 姿形はイリヤスフィールと似ている。肌が褐色である事を除けば同一人物かと思う程似ている。
「師匠……?」
「非力な貴女と一緒にいる為には私自身も非力になるしかない。そして、善良である貴女と一緒にいる為には……」
 アンリ・マユは大河の頬を引っ張った。
「まんまと人間に戻してくれたわね、ぜっちゃん。この責任は取ってもらうからね」

 本来、アンリ・マユに自我などない。その全てを生前奪われてしまったからだ。
 それでも、確かに彼、あるいは彼女は存在していた。
 無形である魂は大河と共に過ごした時間の中で培ったものを主軸に再構築され、生まれ変わった。
 あるいは、それはアンリ・マユを悪に貶めた過去の人々と同じ事をしたのかもしれない。
 だが、根本にあるものは変わらない。悪性に身を窶しても、再構築されても……。
「おい、アンリ・マユ」
 体を光の粒に変えながら、セイバーは問う。
「不服はあるか?」
「……全部見透かしたようなアンタの目。それだけね」
 生意気な表情を浮かべるアンリ・マユにセイバーは苦笑する。
「最後まで可愛げのないヤツだ。だが、良い。それでこそ人間というものだ。精々、人として幸福に生きろ。それが我の裁定だ」
 彼は言った。
《この|聖杯戦争《キセキ》に感謝する事だな、アンリ・マユよ。貴様の前には|王《オレ》がいる。我が人類の欲望を律してやる》
 今、この世全ての悪を背負わされた哀れな子羊は人類の|欲望《あくい》から解放された。
 ここに王の裁定は成った。役目を終えた彼はもはや用は無いと言わんばかりに呆気なく、その姿を光に変えて消滅した。
「……セイバーさん」
 人類最古の英雄王。彼の行動は終始、この結末に至るためのものだった。
「あなたは凄い人だわ……」
「すご過ぎよ。本当に腹が立つわ」
 
 ◇

 戦いは終わりを告げた。
 大聖杯無き後、ウェイバー・ベルベットに大英雄の現界を維持するだけの魔力を用意する事は出来なかった。 
 それ故に……、
「マスター! フラットが言ってたんだけど、絶対領域マジシャン先生ってニックネームなんだって? 僕もこれからそう呼んでもーーーー」
「いいわけあるか!! さっさと次の講義の準備を始めるぞ!! それから、あの馬鹿を後で部屋に来るよう言っておけ!!」
「わー、マスター・Vが怒ったー」
 コンカラーは少年時代の姿に戻っていた。魔力の消費を極限まで抑える事でどうにか現界を維持し、受肉の方法を探っている。
 世界征服もいいが、それは彼の生涯を見届けた後にするつもりだ。既に少年時代とは比較にならない成長振り故に今後が楽しみで仕方がない。
「はっはっは、伝説の英雄を叱り飛ばすとは、さすがだな」
 水銀のメイドを従える少女は自らが兄と崇める男をからかう。
 大聖杯を停止させるという暴挙に出た彼に粛清の手が伸びかけたが、コンカラーの存在が彼の教え子達の尽力と合わさり事なきを得た。
 多くの者から尊敬を集めるようになった彼の日常はコンカラーの存在によって更に面白おかしいものになっていく。
 それはまた別のお話……。

 ◇

 大聖杯解体の事後処理が終わり、衛宮士郎が冬木に戻って来たのは一ヶ月後の事だった。
 彼にとって不安の種だったアンリ・マユと呼ばれた少女は相変わらず大河やイリヤスフィールと騒がしい日々を送っているようだ。
「イリヤちゃん! クロエちゃん! 士郎が帰って来たよー!」
 肌が黒いからクロエと安直に懐けられた少女は士郎を見ると嫌そうな表情を浮かべた。
「正義の味方はわたしの敵なんだけどなー」
 その在り方は確かに正義の味方の対極にある。
 危険な存在だ。いつ、大河に牙を剥き、全人類に宣戦布告をするか分からない。
 正義の味方として、殺すべき対象だ。
「ダメよ、クロエちゃん! 士郎はわたしの大切な弟分なんだから!」
「はーい」
 バカバカしい。士郎は起動しかけた魔術回路を静まらせた。
 彼女は人間だ。生物学上も魔術的な視点から見ても、それは間違いない。
 魔術回路もなく、肉体も脆弱で、十歳前後の少女並の運動能力しかない。
 それに、この一ヶ月の間、どうしても大河を護衛出来る人間が居なかった時期がある。その間、彼女が大河に危害を加えた事は一度もない。
「……藤ねえ」
 だけど、どうしても怖い。彼女の身に危険が及ぶ可能性が1%でも存在する事が恐ろしくてたまらない。
 これはきっと、アーチャーのせいだ。あの泡沫の夢の中で士郎はアーチャーになっていた。彼の経験や記憶を自分のものとして感じていた。
 大河と再開した時の感情。大河の身に危機が押し寄せた時の感情。
「相変わらず、元気だな」
 彼女と過ごす時間を英霊・エミヤは全身全霊で喜んでいた。
 それほど、彼女が彼にとって大切な存在なのだと自覚させられた。
「もちろん、お姉ちゃんはいつだって元気いっぱいだよ! それより、士郎! もう一段落ついたんだよね?」
「ああ」
「なら、久しぶりに士郎の御飯を食べさせてよ!」
「はいはい。まったく、仕方がないな」
 彼女の笑顔が曇らないか不安で堪らない。見ていない間に彼女の身に何か起きないか心配で堪らない。
 藤村邸から衛宮邸に移動して、キッチンに向かう。冷蔵庫には食材が詰まっていた。
 大河が用意したものだ。
「……バカだな、藤ねえ。こんなにいっぱい……」
 彼女の真意は分かっている。
「俺は……」
 材料を適当に見繕い、調理を進めていく。
 気付けば彼女の好物ばかり山のように作ってしまった。
「出来たよ、みんな」
 料理を並べ終えると、士郎は三人に声を掛けた。
「ねえ、士郎……」
 大河は振り向かずに彼の名を呼ぶ。
「なんだ?」
 彼女が言おうとしている言葉が脳裏に浮かぶ。
 行かないでくれ。ここにいてくれ。
 きっと、彼女もアーチャーの正体に気付いている。士郎が今後どのような道を歩んでいくのかも……。
 だからこそ、引き止める。だからこそ、士郎は唇を噛み締めた。
 
ーーーーごめん、藤ねえ。

「士郎……」
 大河は言った。
「結婚しない?」
「いいよ」
 この間、五秒。

 そして、一ヶ月後、藤村大河は衛宮大河になった。
 遠坂、間桐、アインツベルンの末裔が鬼の形相を浮かべて暴れまわる珍事などもあったが、衛宮士郎は妻を愛しながら彼女を支える為に消防署に就職し、世のため人のため、そして妻の為に頑張るのだった。
 ジャンジャン!! END