第十六話『二人のお姫さま』

 俺達は大きな扉の前に立っている。ここまで案内してくれた衛兵の人が出て来るのを待っているんだ。
 俺達が連れて来られたのは謁見の間って部屋の前だ。これからこの国の王女様に会うのかと思うと、やっぱり緊張する。隣のルイズも緊張しているみたいだ。さっきから表情が硬い。
 ワルドは城門で別れたので居ない。城内に平民が武器を携帯するのは許されないみたいで、剣を預けたり、俺の入城の手続きに手間取りそうだったからだ。

「サイト、粗相の無いようにして頂戴ね。相手はこの国の王女様だって事を決して忘れては駄目よ」
「あ、ああ、分かってる」

 ルイズが硬い表情のまま言った。さっきから服の埃を何度も落としたり、髪を直したりと少し神経質になっているみたいだ。
 今から会う相手はこの国の王女様と異国の国の王女様で、二人共一国を治める王族だもんな。俺の星で言うなら、アメリカ大統領と日本の首相に同時に会うようなもんだろうしな。
 しばらくすると、俺達をここまで案内してくれた衛兵の人が出て来た。

「お待たせしました。どうぞ、お入り下さい」

 スマートに一礼をする衛兵に言われて、俺はルイズを見た。ルイズは小さく頷くと、先に中へ入って行った。俺も直ぐに後に続いた。
 中は体育館並みに広かった。ここが所謂『謁見の間』というものらしい。そこに一人の少女が立っていた。真っ白なドレスに身を包んだ、驚く程綺麗な顔立ちの女の子だ。この娘が王女様なんだろうか。

「よく、来てくれたわね、私のお友達」

 見た目に見合う、綺麗な響きの声色だ。王女様はルイズに微笑みかけた。ルイズはと言えば今にも泣き出しそうな感極まった表情を浮かべている。
 ルイズは王女様の前に跪いた。俺も慌ててルイズの真似をして、膝をつくと、ルイズは顔を上げて王女様に言った。

「お久しぶりにございます。このルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール、恐悦至極にございます」

 二人が談笑しているのをルイズの後ろで待機しながら見ていたけど、少し暇になって来たな。
 欠伸を噛み殺しながら、謁見の間を見渡していると、王女様が俺に気が付いた。

「ルイズ、そちらの方は?」
「サイト・ヒラガと申します。この度、使い魔の召喚の儀にて、私の使い魔として召喚致しました」
「まあ、人を使い魔にするなんて驚きだわ。ああ、ルイズ。貴女はいつも私を驚かせるのね」
「こう見えましても、剣はかなりの腕ですわ」

 話に混ぜてもらえるかと思ったけど、あっと言う間に俺の話題は終わってしまった。二人共、話題があっちにこっちに飛んで、完全に蚊帳の外だ。
 女三人寄れば姦しいとは言うけど、二人でも十分に賑やかだ。女同士の会話に男の居場所なんて無いのは星が違っても同じなんだな。
 しばらくすると、背後の扉がノックされた。王女様とルイズは談笑を止め、王女様が扉に向かって声を掛けた。
 すると、扉が開いて、綺麗な金髪の少女が入って来た。独特な服装と腰に差された見覚えのある形に俺は目を丸くした。
 少女はまるで着物を改造したような服に身を包んでいて、腰には剣をさしている。その形は日本刀のように見えた。
 目付きは少し鋭くて、眉が少し太めの思わず見惚れてしまい程の美人だった。

「アンリエッタ、私の通う学院への迎えが到着したと聞いたのだが」
「ええ、クリス。ここに居る私のお友達が貴女を魔法学院にお連れするわ。ルイズ、彼女がトリステイン魔法学院に編入するクリスよ」
「クリスティナ・ヴァーサ・リクセル・オクセンシェルナだ。よろしく頼む」

 クリスっていうのか。独特な喋り方だな。ルイズは面食らった顔をしながらも流れるような動作でクリスの前に傅いた。

「お初にお目に掛かります。わたくしはルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールと申します。この度は貴女様の御世話役を拝命致しました」
「そう堅苦しくなるな。私の事はクリスで構わない。学院では一介の学生として通うのだからな」

 人好きのする笑みを浮かべながらクリスが言うと、ルイズは戸惑った顔をしながらアンリエッタの顔を伺った。アンリエッタが頷くと、ルイズは少し間を置いてから立ち上がった。

「……わかりました。いえ、わかったわ。よろしく……クリス」

 三人が話している間、俺はどうしてもクリスというお姫様の腰に差してある刀から目が離せなかった。形が似ているだけならデルフリンガーだって片刃だ。
 だけど、握る部分が日本刀のソレとそっくりだ。どうしても、目を離す事が出来なかった。

「ん? そう言えば、先程からそこに立っているが、お前は?」
「あ、俺はサイト・ヒラガと言います。よ、よろしくお願いします」
「これが気になるのか?」

 そう言って、クリスは腰に下げていた日本刀を僅かに持ち上げた。

「……それ、もしかして……その、日本刀ですか?」

 クリスは目を大きく見開いた。

「分かるのか!? という事は、お前、ニホンを知っているのか?」

 クリスの言葉に俺は心臓が飛び出すかと思う程に驚いた。
 この星でニホンという単語を聞く事になるとは思っていなかったからだ。それに、クリスが腰に差しているのは間違いなく日本刀らしい。
 どうなってるんだろう。ここは地球じゃない筈だ。月が二つある事が何よりの証だ。なんで、クリスは日本を知ってるんだ? それに、どうして日本刀を持っているんだ?

「そう言えば、その肌色、その髪、その瞳の色。お前、もしや、サムライか?」
「へ?」

 飛び出した言葉は予想の斜め上をいった。サムライって、侍の事だろうか。
 俺のイメージする侍と言えば、暴れん坊将軍とか、上様とか、松平健とか、徳川吉宗とかだ。

「えっと、せ、『成敗』! ってやつか?」
「……おお、おおおおおおおおおおお!!」

 クリスはパッチリとした瞳から大粒の涙を流し始めた。

「ちょ、ちょっとサイト! な、何て事をしてるのよ!? 一国の王女様を、な、泣かせるなんて!?」

 ルイズのヒステリックな声に俺は何も言い返せなかった。
 なんで泣くんだ。俺は何か悪い事を言ってしまったんだろうか。混乱していると、クリスは首を振った。

「ルイズよ、違うのだ。嬉しいんだよ。よもや、再びサムライと会える日が来ようとは」

 サムライって、俺の事だろうか。俺は伊藤一刀流も二天一流も巌流も使えないんだけど、再びって言うのはどういう事なのだろうか。
 もしかすると、俺は期待に胸を膨らませた。

「あんた、日本人と会った事があるのか!?」

 いや、日本人に限らないかもしれない。むしろ、日本かぶれ野侍好きの外国人かもしれない。
 それでも、もしかすると地球に帰る手掛かりを持っているかもしれない。興奮に胸を躍らせると、いきなりルイズに頭を叩かれた。

「な、何するんだよ!?」
「あんた、本当に止めて。相手は王女様よ、王女様。その意味分かってるわけ?」

 涙目になって訴えるルイズに俺はハッとなった。そうだ、相手は一国の王女様なんだった。
 ルイズに何度も注意されたのに、事が事だっただけに思わず大声で叫んでしまった。

「ご、ごめんなさい」
「ごめんじゃないわ。不敬罪で捕まってもおかしくないんだからね」

 冷や汗が止まらなかった。そう言えば、時代劇でお殿様の前を横切ったからって、切腹させられた親子が居たような居ないような。

「せ、切腹は嫌だ」
「切腹? 確か、サムライは死ぬ時に腹を掻っ捌くのであったな」
「ちょ、ちょっと、サイト!?」
「は、腹って、お腹をですか!? つ、使い魔さん? は、早まってはいけませんよ!」

 クリスは切腹についても知っているらしい。アンリエッタとルイズが顔を青褪めさせているけど、ソレどころじゃない。

「あの、俺は日本から来ました。あ、あの、あなたも地球から?」
「チキュウ……? そう言えば、一度だけ師匠に聞いた事があるな。それは、日本があるという異世界の事か?」
「異世界? そういう言い方もあるのかな。うん。多分、それで間違ってないです」

 話を聞いていると、どうもお姫様自身は地球の出身じゃないらしい。
 俺は落胆を隠せなかった。話を聞くと、クリスの師匠がサムライを名乗っていたらしいけど、去年、病で亡くなってしまったらしい。

「師匠以外にも、このハルケゲニアに居たのだな、サムライが。私は嬉しいぞ。是非、友になってくれないか?」
「え?」
「な、何を仰るのですか、クリスティナ王女殿下」

 一国のお姫様に友にならないか、なんて言われて俺は空いた口が塞がらなかった。
 ルイズが慌てて止めようとしているけど、クリスは構わずに俺の手を取った。

「クリスで良いと言っただろう。サイト、お前も是非、私の事をクリスと呼んでくれ。それで、サイトは勿論、剣を使うのだろう?」
「え? あ、うん」
「では、学院に到着したら、私と手合わせをせんか?」
「え、手合わせって……もしかして、決闘の事?」
「い、いけませんわ! が、学院では貴族同士の決闘は禁止されております!」

 いきなり決闘を申し込むって、可愛い顔して意外と戦闘凶ってやつなのかな。

「何を言う。貴族である前に、私はサムライだ。サムライ同士は出会ったからには試合わねばならぬのだ。それが、サムライの挨拶なのだからな」

 そんな挨拶してるサムライは見た事が無い。少なくとも、ドラマや小説でいきなり出会い頭に決闘するサムライを俺は知らない。もしかして、本当のサムライはそうなんだろうか。

「まあ、驚きましたわ。あなたがクリスがよく話してくれるサムライ。よく分かりませんが、ニホンという国の剣士なのですよね? 確か、剣だけで竜や魔王を退治するという」
「それはサムライじゃなくて、勇者です」

 なんだか少しズレているな。アンリエッタは不思議そうな顔で首を傾げている。

「アンリエッタに中々分かってもらえなくてな。イーヴァルディの勇者を例えにしたんだ」
「ああ、なるほど。確か、世話をしてくれた女の子の為にドラゴンをイーヴァルディが退治しに行くって話だっけ」
「それは逸話の一つだな。他にも、魔王退治の逸話、吸血鬼退治の逸話など様々ある。サムライも似た様なものだと私も師匠から聞いてな」
「サムライはドラゴンとも魔王とも戦わねーよ。っていうか、居るのかよ、魔王」
「居ないわよ! っていうか、だから敬語!」
「あ、ごめん!」
「私に謝ってる場合じゃないでしょ!」
「ル、ルイズ。別に私は気には――」

 ルイズに髪を掴まれて、俺は無理矢理お辞儀をさせられた。ルイズも一緒になって頭を下げている。

「申し訳ありません。使い魔の無礼は主であるわたくしの無礼。どのような罰もお受け致します。」
「か、顔を上げてルイズ。本当に大丈夫だから。こんな事で貴女や貴女の大切な使い魔さんを罰するなどある筈が無いでしょう」

 アンリエッタは慌てた様子でルイズに言った。

「で、ですが……」
「いいのですよ、本当に。さあ、顔を上げてちょうだいな」
「ルイズ。私もお前の学院に通うんだ。どうか、一国の姫としてではなく、私の事をただの学友として扱ってはくれないだろうか」

 クリスが頭を下げると、ルイズは黙り込んでしまった。拳が白くなる程強く握り締めて、大理石の床を睨みつけている。

「……わかりました。いいえ、わかったわ」

 気丈に振舞ってはいるが、王族にタメ口で話す事に恐怖を感じているのが顔を見ただけで嫌という程伝わってくる。
 ルイズは俺にも挨拶するように小声で言ってきた。

「よ、よろしく……頼むよ、クリス」
「ああ、よろしく頼むぞ、ルイズ、サイト。ルイズ、ありがとう」
「……はぅ」
「ル、ルイズ!?」

 クリスが笑いかけながら手を伸ばすと、ルイズは目を回しながら倒れてしまった。慌てて抱きとめると、ルイズは完全に気を失っている。一体どうしたって言うんだ!?
 アンリエッタやクリスが声を掛けても、ルイズは全く起きる気配が無かった。
 水の魔法に長けているアンリエッタが具合を見ると、どうも強い緊張状態が過度なストレスとなってしまったらしい。そう語るアンリエッタは申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
 王族にタメ口で話すのが余程緊張したらしいな。それでも、クリスの願いを聞こうと勇気を振り絞ったんだ。

「すまんな、サイト。お前の主に無茶な事を頼んでしまった。だが、どうか許して欲しい。アンリエッタの友であるルイズとどうしても友になりたかったのだ」

 クリスはアンリエッタにルイズの話を聞いていたらしい。アンリエッタがルイズの話をする時、本当に楽しそうに話すものだから、クリスも是非会いたいと思ったそうだ。
 ルイズが目を覚ますまで、謁見の間のソファーにルイズを寝かせて、俺はアンリエッタに言った。

「あの、本当にルイズは罰せられないんですよね? あの、もし不敬罪で罰せられるなら、その……俺だけで」
「使い魔さん、本当に良いのです」

 アンリエッタは寂しそうに微笑んだ。どうしてそんな表情を浮かべるのかが気になった。
 アンリエッタは俺の内心を見透かしたように薄く微笑むと口を開いた。

「……少し、私の話を聞いてくれるかしら? 使い魔さん」
「い、いいですけど」
「私は王女という身分上、あまりお友達を作る機会には恵まれないのよ。だから、ルイズは私にとって掛け替えの無い存在。ずっと会えなくて、凄く寂しかったわ」

 王女様はルイズとの思い出を語った。山で泥まみれになるまで遊んだとか、オークという魔獣に遭遇して、見知らぬ狩人に助けられ、そのまま一晩を過ごしただとか、貝殻を巡って取っ組み合いの喧嘩をしただとか、見た目とは裏腹に結構なお転婆だったらしい。
 だけど、納得した。クリスが言うとおり、アンリエッタがルイズの事を話している間、聞いているこっちまで楽しい気分になれるような楽しげな笑顔を浮かべている。

「私はルイズにあの頃の様に接して欲しい。勿論、昔と今では立場という壁がある事は理解しているわ。それでも、ルイズにまた、あの頃の様に微笑みかけて欲しいと願わずにはいられないのです」

 アンリエッタは薄っすらと涙を浮かべながら言った。

「きっと、ルイズならお姫様の気持ちを分かってくれる。アイツ、意地っ張りで、強がってばっかりだけど……優しいからさ」
「……使い魔さん、貴女はルイズをよく知っているのね。ルイズの事をお願い。護ってあげてちょうだい。あの娘、結構泣き虫だから」
「……はい」

 アンリエッタのルイズへの深い思いが伝わって来た。アンリエッタとの間に、ほのかな絆の芽生えを感じる。
 …………!? ……頭の中に、不思議な声が囁く――。

『我は汝……、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり……。絆は即ち、真実に至る一歩也。汝、“女帝”のペルソナを生み出せし時、我ら、更なる力の祝福を与えん……』

 俺はアンリエッタとの絆に呼応する様に、”心”の力が高まるのを感じた。
 しばらく、アンリエッタとクリスと話していると、ルイズが目を覚ました。
 ルイズは最初は寝惚けていたけど、アンリエッタの顔を見ると、途端に目を覚ました。

「も、申し訳ありません、姫様。私とした事が、姫様の御前で――」
「待って、ルイズ」

 アンリエッタはルイズの手を握った。ルイズは戸惑った顔をしている。

「ルイズ、どうか、今だけは昔に戻れない?」
「……姫様?」
「お願いよ、ルイズ。私には時間が無いの」
「え?」

 アンリエッタはルイズに自分が近々、帝政ゲルマニアという国の皇帝でアルブレヒト3世という人物と結婚をするって話だ。
 ルイズはショックを受けた顔で凍りついた。

「そんな、ゲルマニアの皇帝と結婚だなんて!?」
「ルイズ、私にはもう自由は無いのです。だから、最後に……私の“自由”の象徴であるあなたに今だけでいいのです。王女と国民ではなく、ただのお友達として接して欲しいの。お願いよ、ルイズ」
「……姫様。わかり……ました」

 俺はクリスと一緒にアンリエッタとルイズから離れた。二人の時間を邪魔しちゃ悪いし、俺は俺でクリスと話がしたかった。

「お姫様ってのも、大変なんだな」
「王族の責務だ。私も覚悟はしているさ。いつかは、顔も知らぬ男と婚姻を結ぶかもしれない。だから、私は今を大切にしたいと思っている。アンリエッタもな」
「そっか……」

 王族の責務なんて、俺には分からない。好きでもない、顔も知らない奴と結婚するなんて、俺だったら絶対に嫌だ。
 でも、可哀想なんて思うのはきっとクリスやアンリエッタにとっては侮辱になるんだろうなって事だけは分かる。
 今を大切にしたい……か。クリスの魔法学院での生活をアンリエッタのルイズとの思い出くらい、楽しかったって思えるようにしたいな。

「クリス、学院でいっぱい楽しい思い出を作ろうぜ。俺、クリスが将来、王の責務って奴で、辛い思いをしても、思い出すだけで力が湧くような、そんな思い出が作れるように、手伝うからさ」
「ありがとう。やはり、サイトはサムライなのだな」
「へ?」
「サイト、改めて頼む。私の友となってくれ」

 クリスはよく分からない事を言いながら握手を求めて来た。本当に変わった御姫さまだな。平民の俺と友達になりたいだなんて。

「あ、ああ、こちらこそ頼むよ。よろしくな、クリス」
「ああ、よろしく頼むぞ」

 俺とクリスは手を握り合った。クリスの掌は剣だこに覆われていた。クリスの剣に対する思いが伝わって来た。クリスとの間に、ほのかな絆の芽生えを感じる。
 …………!? ……頭の中に、不思議な声が囁く――。

『我は汝……、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり……。絆は即ち、真実に至る一歩也。汝、“運命”のペルソナを生み出せし時、我ら、更なる力の祝福を与えん……』

 俺はクリスとの絆に呼応する様に、”心”の力が高まるのを感じた。
 ルイズとアンリエッタに呼び掛けられるまで、俺はクリスと話した。何度も手合わせしようと言われて、仕方なく、一緒に稽古をする約束をしてしまった。またルイズに怒られそうだ。

ゼロのペルソナ使い 第十六話『二人のお姫さま』

「こやつは上様ではない。上様の名を騙る不埒者じゃ! 斬れ、斬れい!」
「……成敗」

 シャキンと鍔を鳴らして、クリスは静かに呟いた。
 日本刀を構え、今まさに、殺陣が始まろうとしている!

「……なにしてんの?」

 どうやらアンリエッタとの話は終わったらしい。ルイズは呆れた顔をしている。
 クリスに時代劇の話をしたらやりたいって言い出したんだから仕方ないじゃないか。

「学院に戻ったらまたやろうな、サイトよ」
「おう! ギーシュにゴーレム作ってもらって雑魚役作ってもらって、もっと本格的にやろうぜ!」
「な、何の話をしているの?」
「サイトにサムライが主人公の演劇について聞いていたのだが、実にいいものだ」
「サムライの演劇?」
「ああ、俺の国の演劇でさ――」

 町人に扮して悪い事を企む代官を懲らしめる有名な痛快時代劇の話を簡単にすると、クリスは瞳を輝かせて聞いてくれたのに、ルイズはつまらなそうだ。
 話終えても、なんだか凄い温度差を感じる。
 何と言うか、教室で友達と盛り上がっていたら、何の話? ってクラスの女子が聞いてきて、話してあげると、しらけた顔で去って行ったあの時の感覚に似ている。
 物凄く切ない。ルイズに感想を聞くと、どうでも良さそうな声が返って来た。

「その上様って、一国の王なんでしょ? 町人に扮して護衛も付けないなんて、ちょっとどうかと思うわ」
「一応、お庭番がいつもコッソリと警護してるんだよ。たまに悪事の証拠を掴む為に動いたりしてて、殺陣の時も上様と一緒になって戦うんだ。かっこいいんだぜ!」
「そうなの? まあいいわ。それより、そろそろ学院に戻るからあんたも姫さまに挨拶なさい」
「うん、わかった……」

 もうちょっと反応してくれてもいいんじゃないかな。
 俺の国の事とか、ルイズは興味無いんだろうか。サッサとアンリエッタの所に戻るルイズに一抹の寂しさを感じた。
 すると、肩にクリスの手が置かれた。

「今のお前の気持ち、よく分かるぞ。初めはアンリエッタもサムライの話に全然興味を持ってくれなくてな、凄く寂しかった」
「クリス……」

 凄く切なそうな顔をしている。きっと、アンリエッタにサムライの事を理解してもらおうと頑張ったんだろうな。
 俺も頑張ろう。ルイズに時代劇を理解してもらうために。今はまだ、伝達力が足りない。話し上手くらいになれば、興味を示してくれるかもしれない。
 クリスに時代劇の説明をした事で伝達力がガッツリ上がった気がする。

 ルイズとアンリエッタは最後まで別れを惜しんでいた。クリスの送迎の為に用意された馬車の前で二人が見つめ合ったまま言葉を交わしている。
 馬車の周りには馬車の護衛をする兵士が居た。その中にはあのワルドの姿もあった。

「ワルドさん」
「やあ、また会ったね」

 馬の鬣を撫でているワルドに声を掛けると、ワルドは凛々しい笑みを浮かべて振り返った。

「ワルドさんも一緒に行くんですか?」
「いいや、私は他に任務があるのでね。これから向かうのだが、ルイズに一言くらい声を掛けようと思ってね」

 アンリエッタと話しているルイズを穏かな笑みを浮かべながらワルドは見つめている。
 もしかして、ワルドは今でもルイズの事が好きなのかもしれない。だけど、それを聞くには勇気が足りなかった。
 ワルドは顔を引き締めて俺の両肩に手を置いた。

「サイト、最近は城下が騒がしい。ルイズの事をよろしく頼むよ」
「ワルドさん?」

 最近、トリスタニアでは色々と事件が起きているらしい。
『土くれ』のフーケによる盗難。『爆弾魔』による建造物の爆破事件。他にも、ある日突然、人が行方不明になる事件が起きているらしい。
『土くれ』については俺は複雑な気持ちで話を聞いていた。ミス・ロングビルの事をオールド・オスマンに全てを託しているけど、ワルドの話を聞くと、それで本当に良かったのだろうかと迷いが生じた。
 今まで、被害があったのは裕福な貴族ばかりだったそうだ。だけど、裕福とは言っても、財産を奪われればダメージが無いわけでは無いらしい。
 ある貴族は家宝を盗まれて、それが原因で当主は隠居してしまい、まだ若い子息が後を継ぐ事になってしまい、上手く領地を治める事が出来ずに反乱が起こり、多くの平民が死亡した。
 ミス・ロングビルが心の底から悪人だとは思えない。だけど、実際に犯罪を起して、それで苦しんだ人が居る。本当に俺の選択は間違っていなかったのだろうか? 俺には分からなかった。

「『爆弾魔』については愉快犯の線が濃厚だが、『行方不明事件』については人攫いの可能性がある。万が一という事もあるからね、注意だけは怠らないでくれ」
「ひとさらい……ですか?」

 あんまり聞きなれない言葉だった。ワルドは険しい顔で言った。

「簡単に言えば誘拐だよ。攫われた者は……あまり口にはしたくないが、かなり惨い事になる。警備を強化しているのだが、恥しい話、中々糸口が見えない状況なんだ」

 誘拐事件。テレビでなら見た事があるけど、そんな事件が起きているのか……。
 物騒な話だ。ルイズが攫われないように確り見とかないと。

「あと、最近は街道に奇妙な姿をした魔物が現れるそうなんだ。護衛に着くのは優秀なメイジだから心配は要らないが、遭遇した場合は彼らの言う事をキチンと聞いて、ルイズの事を護ってくれ。頼んだよ」

 ワルドがアンリエッタとの話を終えたルイズの下に向かうと、クリスもアンリエッタに話しかけていて、俺は話し相手が居なくなってしまった。
 欠伸を噛み殺していると、さっき返してもらったばかりのデルフリンガーが声を掛けてきた。

『ようよう、相棒。暇そうだな』
「えっと、デルフリンガーだっけ? そう言えば、お前は喋れたんだったっけ」
『あ、ひっでーな。俺様の事をすっかり忘れていやがったな? ったく、暇そうだから話相手になってやろうと思ったのになー』
「悪かったって。まだ時間掛かりそうだし、話し相手になってくれよ」
『最初からそう素直に言やーいいんだよ』

 俺はルイズとクリスが話を終えるまで、デルフリンガーと適当に喋った。デルフリンガーとの仲が少しだけ深まった気がする。

「それにしても、ルイズとアンリエッタは本当に仲が良いのだな」

 学院に向かう馬車の中でクリスが言った。

「そ、そうかしら?」
「ああ、アンリエッタのあの嬉しそうな顔。私は今まで見た事が無かった。私とアンリエッタは友人ではあるが、国というしがらみからは抜け切れない。正直、友人を最高の笑顔に出来るルイズが羨ましいよ」

 ルイズは真っ直ぐにクリスに見つめられて顔を真っ赤にした。
 何て言うか、クリスって素直なんだよな。こういう事が簡単に言えちゃう辺りがさ。
 俺がそう言うと、クリスは少し感慨深げな顔をして言った。

「師匠にもよく言われたよ。お前は素直だから色々と教え甲斐があると」
「……クリスの師匠の事を教えてくれないか?」

 クリスの師匠。俺と同じ地球出身者であり、去年、病に倒れた人。どんな気持ちで生きてきたんだろう、どんな気持ちで死んだんだろう、俺は少しでも知りたかった。

「師匠は……流浪の旅人だった。ここではない世界から迷い込み、戻る方法を捜し求めていたそうだ。正直な話、それが真実なのかが私には分からない」

 日本はどこにあるんだ? 師匠の言っていた事は真実なのか? クリスは真剣な眼差しで俺にそう問うてきた。

「……本当だよ。異世界っていうより、俺は異星なんだと思ってる。日本は地球っていう星の国の一つなんだ」
「……星だと? 星とは、夜空に瞬く星の事を言っているのか?」

 クリスは疑わしそうな目を向けた。さすがにそう簡単には信じてもらえないらしい。

「そうだよ。俺は地球っていう星に住んでいた。信じてもらえないかもしれないけど、本当だ」
「……いや、信じるよ。目を見れば分かる。お前が嘘をついていない事はな」
「クリス……。クリスの師匠は見た目はどうだったんだ? 俺と同じ様な感じだったのか?」
「ああ、サイトと同じ様に滅多に見ない黒い髪と黒い瞳をしていた」
「やっぱり、日本人なんだな。クリスはどこでその人と出会ったんだ? 俺みたいに召喚されたわけじゃなかったんだろ?」
「ああ、十年ほど前に師匠は故郷への手掛かりを求めて我が国に立ち寄った。その時に我が領地の森で魔物に襲われていた幼い日の私を助けてくれたのだ」

 クリスは懐かしむような表情で語った。
 既に初老に差し掛かっていた身で剣を振るい、瞬く間に魔物を切り捨てた姿は鮮烈だったらしい。
 初老って事は四十歳くらいだったのかな。武士道が好きだったのか……。

「私は彼に礼をする為に身分を明かし、城に招こうとした。だが、彼は私の身分を知っても、名誉や金を要求せず、更には名乗りもせず、その場を立ち去ろうとしたのだ」

 その姿が衝撃的だったと、クリスは言った。

「王族である私に取り入ろうとする者は掃いて捨てる程居る。だが、その正反対の態度を取った者は師匠が初めてだった。彼が何故その様に振舞えるのか、私は不思議で堪らず、素直に尋ねたよ。『褒美が欲しくないのか?』と」

 そう言ったクリスにクリスの師匠はこう言ったらしい。

『そうか、それは凄いな。だが、俺にはお嬢ちゃんの身分なんざ、関係無い。お嬢ちゃんはいずれ、この国の女王様になるんだろう? 同じ様に、この刀の届く範囲が俺の国であり、俺は王なんだよ』

 幼い日のクリスは問い掛けた。

『ここがあなたの国?』
『そう、名も無い国だ。そして、王である俺が俺の国で困っているお嬢ちゃんを助けると決めた。それだけの事だ。だから、お嬢ちゃんは気にする必要なんか無い』

 クリスの話に俺はすっかりと聞き惚れてしまっていた。

「かっこいい……」

 俺は素直にそう思った。だけど、ルイズは不機嫌そうな顔になった。

「どうしたんだよ?」
「……一国の王を名乗るなんて、冗談にしてもやりすぎだと思うわ」

 ちょっとその考えは屈折し過ぎじゃないかな。そう思ったけど、予想外な事にクリスが同意するように頷いた。

「まあ、そう思うだろうな。しかし、幸いにも私は幼くて、彼を不敬だと思う事はなかった。ただ、彼を突き動かすものが何なのか、それを知りたくなって、なかば無理矢理城に招き、彼の説くサムライの生き様に感動してな。弟子入りを志願した。師匠は死の間際まで私に様々な事を教えてくれたよ」
「そっか……。会ってみたかったな」
「過酷の旅のせいで、肉体の年齢を重ねるのがずっと早かったのだろうな。師匠は死ぬ少し前に独り言を呟いた事がある。『帰りたかったな、俺の家に』と。恐らく、私に聞こえていないと思ったのだろうな」

 やっぱり、帰りたかったんだな。帰りたかったのに、帰れなかったんだ。俺はなんだか力が抜けてしまった。
 色々な場所を旅して回り、それでも帰る為の手掛かりを見つける事が出来なかったんだ。俺も同じ様に死ぬのかな。母さんや父さんに会う事も無く、家に帰る事も無く、この星で……。

「サイト……」
「サイトもやはり帰りたいのか?」
「それは……」

 ルイズとクリスが気遣わしげに声を掛けてきた。涙が零れ落ちていたみたいだ。
 帰りたいのか? 俺は……帰りたい。俺の帰る場所は日本しかない。いつかは故郷に帰りたい。

「……帰りたいよ。でも、今は帰れない。帰る方法がわからないし、それに……」
「それに?」
「俺はルイズの使い魔だ。その役目を途中で放り出したくないって気持ちもある」
「サイト……」

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