第十一話『オリヴィエ』

 トリステイン魔法学院に戻って来た僕がまず初めに感じたのは、あまりにも静かだという事だった。今は夕食の時間の筈。いつもはこの時間、生徒達や使用人が忙しく歩き回っている筈だ。
 訝しみつつ、食堂のある本塔に向かった僕達の目の前で突然地面が捲れ上がり、あっと言う間に巨大な人型のゴーレムが出来上がった。

「ゴ、ゴーレム……?」

 僕のワルキューレとは比較にならない密度と大きさだ。
 僕は最大で七体のワルキューレを造り出し、動かす事が出来る。だけど、それはワルキューレの中身が空洞だからだ。中身までしっかり造ってしまうと、ワルキューレを一体造り出す事で限界だ。それに重量が大き過ぎて、まともに動かす事も出来なくなる。
 こんな巨大なゴーレムを造り出すなんて、一体、何者なんだ。僕は思わず息を呑んだ。ドットやラインには不可能だ。トライアングル……、ひょっとすると、スクウェアかもしれない。
 学院の教師が作ったのだろうか? 一体、何の為に……。
 不思議に思っていると、どこからか、声が聞こえた。何かを必死に否定する声だった。

「ルイズ!」

 ジテンシャ、とかいう妙な道具をコルベール先生の研究室に置きに行ったサイトが戻って来た。
 サイトは土のゴーレムに驚いている様だ。それはそうだろう。こんな巨大なゴーレムを見るのは僕だって始めての経験だ。
 女性の悲鳴の様な悲痛な叫びが聞こえた。声の方を向くと、そこには苦しみ悶える一人の女性が居た。ローブを目深に被っている為、その正体は分からない。
 僕は女性の体から白い靄が出ている事に気が付いた。ふと、どこかでその光景を見た事があるような気がした。一体、どこで? 思い出して、僕は愕然とした。

「ちょっと待ちたまえ、これってあの時と……」

 そうだ。一週間前のヴェストリの広場だ。あの広場で、僕は同じものを見た。マリコルヌの体から白い靄が噴出してきた。そして、その後にあの豚の様な怪物に襲われたのだ。
 ゴーレムの上で悶える女性のローブが捲れ上がり、その正体が分かった。ミス・ロングビルだ。
 どうして、ミス。ロングビルがゴーレムの上に居るんだ。僕は訳が分からなかった。
 モンモランシーが悲鳴を上げた。とにかく、モンモランシーを護らないと……。
 モンモランシーに手を伸ばそうとして、現れた怪物に恐怖し、凍りついた。
 50メイルを越える未知の材質で構成された超巨大ゴーレムが闇夜に紅い瞳を輝かせていた。
 怖かった。直ぐにでも逃げ出したかった。サイトやモンモランシーだって怖くて震えている。そうだ、こんな化け物を相手にするなんて馬鹿げている。
 一人だけ、僕に踏み出せない一歩を踏み出す影があった。
 ルイズだった。
 ルイズはあんなにも恐ろしい怪物に立ち向かった。愕然とした。いつも、魔法の才能ゼロの無能メイジと嘲笑われていた彼女が勇敢にもゴーレムに挑んだ。

『情け無いよな、まったく』

 ――――ッ!? 突然、どこからか声が聞こえた。直ぐ近くから聞こえている様な、とても遠くから聞こえている様な不思議な声だった。
 声はどこかで聞いた事がある気がした。とても嫌な気分になった。
 どうしてか分からないけど、この声をあまり聞きたくないと思った。

『怖くて怖くて仕方ない。元帥の息子が情け無いよな』

 謎の声の言葉が胸に突き刺さった。
 怪物を目にした時、恐怖に怯え、逃げ出す事ばかりを考えた。
 グラモン家の男である僕が、名を惜しまず、命を惜しんでしまった……。

『ルイズはかっこいいな。魔法も使えないのに、女の子なのに、それに比べて僕は……』

「敵に後ろを見せない者を、貴族と呼ぶのよ!」

 ルイズの叫びを聞いた途端、僕は息が出来なくなった。そうだ、逃げ出そうなんて、僕は何を考えていたんだ。
 サイトもルイズの言葉に胸を撃たれたらしい。怪物に立ち向かおうと、足を踏み出した。
 そうだ、こうしては居られない。僕も、ルイズとサイトと共に……。

『敵いっこないよ。あんな巨大なゴーレムを相手に勝てる筈が無い』

 黙れ! 僕は謎の声に怒りを覚えた。まるで僕が考えているみたいな口ぶりで勝手な事を言って、僕を侮辱する気なのか、一体何者だ!
 僕は声の主を探そうと周囲を見渡した。近くに居たのはモンモランシーだけだった。恐怖に顔を青褪めさせ、震えていた。
 そうだ、何をやっているんだ。まず、モンモランシーを逃がさないと駄目じゃないか。そうだ、戦う事も大事だけど、モンモランシーが怪我をしたら大変だ。

『モンモランシーを言い訳にして、やっぱり逃げようとしてるじゃないか』

 僕はモンモランシーの名前を呼ぼうとして凍りついた。僕は、モンモランシーを逃がそうと……それが、言い訳だっていうのか?
 違う、僕は逃げようとしてるんじゃない。ただ、モンモランシーは水のメイジなんだ。戦いには向いてないんだ。だから、逃がさないといけないんだ。

『ルイズは魔法が使えない。サイトは平民だよ』

 ルイズは失敗魔法とはいえ、爆発で戦闘が可能だ。それに、サイトはただの平民じゃない。

『そうそう、全力を出した僕を負かせる程に強いよね』

 ……そうだよ。サイトは僕よりも強いんだ。ペルソナとか言う、不思議な力まで持ってるんだ。

『生意気だよね。平民の癖に、貴族の僕を負かすなんてさ』

 ああ、……まったくだ。

『ゼロのルイズも、魔法を碌に使えないおちこぼれの癖にかっこつけて、生意気だよね』

 そうだ。生意気だよ、ゼロのルイズの癖に……。僕は逃げ出そうとしたのに、無能な癖に分を弁えないであんな怪物に挑んで、本当に生意気だ。

「離れるぞ!」

 サイトがルイズを抱き抱えて叫んだ。ああ、逃げる気になったのか、そうだよ、それでいいんだ。
 あんな怪物から逃げたって、仕方ないんだ……。

『ゼロや平民がかっこつけるなと言うんだ。まったく、動けなかった僕がまるで臆病者に映ってしまうじゃないか』

 怪物から逃げて、学院の正門まで来た所でサイトが立ち止まった。
 何をしているんだ。怪物は直ぐに来てしまうじゃないか。

『早く逃げないと……』

「このまま、奴を学院の外まで誘き寄せよう」

 誘き出す……? 何を言っているんだ、逃げるんじゃなかったのか?

「そうね……。せめて、学院の外に連れ出せれば……」

 ルイズまで訳の分からない事を言い出した。まさか、あの怪物を学院から遠ざける為に僕達で囮になろうというのか、巫山戯るな!
 そんな真似、出来る筈が無いだろ。怪物に追いつかれたら、死んでしまうんだぞ。

「何言ってるのよ! 冗談じゃないわ。あんな怪物の囮になれって言うの!?」

 モンモランシーが言った。そうだ、その通りだ。

「三人は隠れてろ」

 サイトはそう言うと怪物に青白い稲妻を放った。魔法なのだろうか、サイトが魔法を……?
 あれもペルソナの力なんだろうか……。ただの平民があんな力を……、羨ましい。

『そうだ、僕が負けたのはあの力のせいなんだ』

 欲しいな、あの力――。

『欲しいかい、力が?』

 ああ、欲しいね。そうしたら、みっともない姿を曝さなくて済むし、あんな平民ニモマケナクテスム。

『なら、目を閉じて、感情に身を任せてごらん』

 僕は言われるがままに目を閉じた。ああ、力が漲っていく感じがする。僕の内側から、ナニカ、凄い力を持ったナニカが飛び出した気がする。
 ああ、この力があれば、誰にも負けない。あの生意気な平民を叩きのめしてやれる。
 女の子達だって、今迄以上に好きになってくれる筈だ。この力があれば、父上や兄上達だって――ッ!

 突然、数度の爆発が起きた。不意に僕の意識が浮上した。いつの間にか、僕は濃い霧の様なものに包まれていた。その濃霧の一角に切れ目があった。その向こうにルイズが居た。
 ルイズは泣いていた。どうして、不思議に思っていると、ルイズの声が聞こえた。
 僕は愕然とした。怖かっただって? なら、どうしてあんな怪物に立ち向かったりしたんだ? 僕は理解出来なかった。そして、ルイズの言葉に叩きのめされた。
 自分を変える為に、泣くほど怖かった癖に、立ち向かっただって? 僕の頭は冷水を浴びせられた様に一気に冷めた。そして、自分の愚かな考えに身を震わせた。
 何を考えているんだ、僕は……。妬んだり、羨んだり、見下したり、どうしてそんな事を考えてしまったのか、僕は自分が恐ろしくなった。
 そして、巨大なナニカが直ぐ傍に居る事に気が付いた。見上げると、そこには巨大な影が揺らめいていた。あまりにもおぞましい影だった。

『我は影、真なる我……』

「はは……なんだ、これは。これが僕なのか。こんな醜いのが」

 それは蟲の様にも見えた。気持ちの悪い無数の足のある蟲。こんなのが、僕……。

「ギーシュ!」
「ギーシュ、どこに居るの!?」
「ギーシュ、返事をしなさいよ!」

 声が聞こえた。力強く、温かい響きのサイトの声。愛しいモンモランシーの鈴を転がす様な美しい声、そして、ルイズの声――。

『敵に後ろを見せない者を、貴族と呼ぶのよ!』

 はは……そうだ。眼を背けちゃいけない。情け無い、僕自身の事をどんなに必死に否定しても意味なんて無いんだ。眼を逸らさずにそんな自分が嫌なら、自分を変えればいいんだ。

『我はか……』

 そうだよ、ルイズが示してくれたじゃないか、あんな怪物、誰だって怖いんだ。それでも立ち向かう為に一歩を踏み出す事が重要なんだって事を――。
 そうだ、自分を変える為に僕も一歩を踏み出すんだ。ああ、認めよう。あの怪物に恐怖した。ルイズとサイトを見下してた。勇敢に立ち向かう二人に嫉妬した。僕はとってもかっこ悪い。
 だけど!

「一歩踏み出して、僕も変わるんだ!」

 二人のように、かっこよく、強敵に立ち向かうんだ――ッ!

 決意した瞬間、僕は手の中に不思議な温かさを感じた。
 手の中を覗くと、そこには一枚のカードがあった。不思議な仮面の様な絵柄が描かれている掌サイズのカードだ。
 カードを裏返すと、そこには深淵の闇が広がっていて、僕の脳裏に声が響いた――。

『我は――』

 心臓が早鐘を打ち、僕は全身の鳥肌が立つ感覚を覚えた。

『――汝、汝は我』

 声の響きが変わった――ッ!

 どうして、“これ”を僕が持っているのか分からない。

『双眸見開きて……汝、今こそ解き放て……』

 カードに描かれている闇を見つめていると、そこには僕の姿が映っていた。僕は息を呑みながら、知らず、呟いていた。

「ペ……ル…………ソ……ナ!」

 ただ、僕は自分を変えたい。その思いを抱きながら、気付けば手の中のカードを握りつぶしていた。
 目の眩む様な光が溢れ出して闇夜の草原を照らし出した。光の向こうで、サイトとルイズが目を丸くして僕を見ている。
 僕も君達みたいにかっこよくなりたいんだ。

「ウアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 一際強く、光が爆発した瞬間、僕の内側から飛び出した気味の悪いナニカの姿が一変していた。
 頭上を見上げた先には、サイトのローランに似た巨人が居た。
 その容姿はあまりにも美しく、その手には黄金の鍔と水晶の柄を持つ剣が握られている。
 緑の長い髪に端整な顔立ちで、僕は思わず見惚れてしまった。

『我は汝、汝は我……。我は汝の心の海より出でし者、オリヴィエ也。我、汝の盾とならん……。我、汝に安らぎを与えん……』

 頭ではなく、本能で理解した。僕は今、困難に立ち向かう為のもう一人の人格、ペルソナを手に入れた。
 今日、ここで僕は変わるんだ。
 巨大なゴーレムを睨み付ける。やっぱり怖い。でも、僕は踏み出す!

「僕は、ギーシュ。ギーシュ・ド・グラモンだ。この名を心に刻んで逝くがいい!」

ゼロのペルソナ使い 第十一話『オリヴィエ』

 白い靄が突然掻き消えた。ギーシュがそこに居た。だけど、そこに居たのはギーシュだけではなかった。ギーシュの頭上に浮遊する緑の髪の剣士が君臨していた。
 それが何なのか、俺には直ぐに分かった。ペルソナだ。

『我は汝、汝は我……。我は汝の心の海より出でし者、オリヴィエ也。我、汝の盾とならん……。我、汝に安らぎを与えん……』

 ローランが現れた時に聞こえた声に似た声が聞こえた。

「僕は、ギーシュ。ギーシュ・ド・グラモンだ。この名を心に刻んで逝くがいい!」
「ギーシュ、どうして……」

 ペルソナを使えるんだ、俺が言うと、ギーシュは力無く笑った。

「どうも、僕は情け無い男らしい。ただ、情け無い男なりに頑張ろうと思ったのさ」
「よくわかんねぇよ」

 ギーシュの言っている意味が俺には理解出来なかった。
 どうしてギーシュがペルソナを覚醒したのか分からないけど、俺は深く考える余裕が無かった。
 まだ、怪物は健在なんだ。ギーシュがペルソナに目覚めた事に注意が逸れて、直ぐ近くまで怪物が来ている事に気がつかなかった。

「サイト、あいつが!」

 ルイズの声でようやくギーシュから目を離して怪物が直ぐ近くまで迫ってきている事に気が付いた。
 俺はルイズを抱えてギーシュとモンモランシーの下に走った。
 近くに来ると、ギーシュが酷く憔悴していた。

「ギーシュ、どうしたんだよ、お前!?」

 モンモランシーが必死に杖を振るいながら呪文を唱え続けているが、ギーシュの額からは止め処なく汗が流れ続ける。どう見ても体に異常をきたしている。

「サイト、君はどうして平気なんだい?」

 肩で息をしながら途切れ途切れにギーシュが言った。

「平気って?」
「まるで、魔法を使い過ぎた時みたいだ……」

 どういう事だろう、俺は最初にローランを出した時、こんな風にはならなかった。
 違う、確かに戦っている時は大丈夫だったけど、俺も一週間眠り続けていた。

「多分、覚醒のショックのせいだと思う。俺が一週間も寝てたのはそのせいだって、イゴールがベルベットルームで言ってた気がするんだ」
「そうなのかい? しかし、あまり長く意識を保って居られそうにないな……」

 ギーシュは苦しげに胸を抑えた。無理をさせると危険だ。

「ギーシュ、モンモランシーと一緒に逃げろ。今のお前じゃ……」
「ああ、確かに足手纏いになってしまうね、このザマでは……」

 ギーシュは杖を握り締めて怪物に顔を向けた。何をするつもりなんだ、そう尋ねようとすると、ギーシュは不適な笑みを浮かべた。

「だから、一撃だけ……。それで駄目なら、後は君達に任せるとするよ」
「な、何を言ってるの、ギーシュ! 貴方、今、酷い顔してるのよ!?」

 モンモランシーが瞳に涙を溢れさせながら叫んだ。その通りだ。ギーシュは今にも倒れてしまいそうな程、顔を青褪めさせてフラフラしている。

「問答をしている時間は与えてくれないようだ」

 ギーシュの言葉にハッとなり、振り返ると、そこには既に怪物が迫っていた。

「クッ、止まりなさいよ!」

 ルイズが杖を振るった。怪物の目の前で大きな爆発が発生して、怪物が動きを止めた。

「この一撃に……全てを賭ける! さあ、怪物君、君の進撃は――――」

 ギーシュがバラの造花を模した杖を振上げると、頭上に浮かぶペルソナも同時に剣を振り被った。

「――――そこまでだ!」

 ギーシュの怒号と同時に、ペルソナが剣を怪物に向かって投げ飛ばした。
 あまりにも威力が大きく、剣が巻き起こした烈風に俺達は吹き飛ばされそうになった。
 銘はオートクレール。怪物の心臓部に激突した。そのあまりの衝撃に爆発でも起きたかの様な破壊音が鳴り響き、怪物の体が深く抉れた。
 そして、俺は見た! ギーシュが倒れこみ、ペルソナが消滅して、剣も消えてしまったが、怪物の抉れた場所にナニカが潜んでいるのを――ッ!

「ヌアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 ジオじゃ威力が足りない。拳を振るうには距離が遠過ぎる。切り裂かれた胸部は恐ろしい速さで再生を開始している。
 なら、方法は一つだけだ。考えるより先に体は動いていた。裂帛の気合と共に、切り裂かれた怪物の胸部に狙いを定め、オールド・オスマンに貰った剣を投擲した。
 剣が手を離れた途端に全身に凄まじい疲労感が襲って来た。何とか、倒れずに怪物から目を逸らさなかった。

「いっけええええええええええええええええええええ!」

 剣は再生中の怪物の黒光りする表面を貫いた。そして、中に潜んでいるナニカに到達したらしい、おぞましい悲鳴が周囲に響き渡った。
 怪物の再生が停止した。だが、怪物は崩れずに形を保っている。まだ、怪物を倒せていないんだ。俺は体に鞭を打って、残る力を振り絞ろうとしたけど、体は言う事を聞かず、ローランが姿を消してしまった。
 後一歩だというのに……。俺が歯を食い縛りながら絶望に打ちひしがれていると、俺の目の前に小さな影が躍り出た。

「お願い、当って! ファイアー・ボール!」

 怪物の腹部が爆発した。衝撃が怪物の全身に波紋の様に広がり、怪物の全身が一気に罅割れた。
 一気に崩れ落ちる怪物の中から、ナニカが弾かれた様に俺達の近くまで落ちてきた。それを見た途端、俺は目を丸くした。
 ソレは生き物だった。全身が紫で、秤の様な物を背負い、胴色のハンマーを握り締めている黒い鎧を身に纏った不気味な生き物だった。

「な、なにこれ?」

 ルイズも目を丸くしている。ルイズにも分からないらしい、試しにギーシュを抱き締めているモンモランシーに顔を向けると、モンモランシーも分からないと首を振った。
 ソレは突然、目を見開いた。俺達を見つけると、手に持ったハンマーを振上げて、襲って来た。

「なに、すんのよ! ファイアー・ボール!」

 見事にソレを爆発で吹飛ばしたルイズは、更に追撃を加えようと杖を振るった。

『家族を返して……』

 また、あの声が聞こえた。あまりにも寂しくて、胸を締め付ける様な声だった。

「ミス・ロングビル……?」

『家を返して……、家族を返して……、故郷に帰りたい……、寂しい……、助けて……、誰か助けて……、嫌だ……、嫌だ……、嫌だ……、嫌だ……、嫌だ……』

 ルイズが声を掛けると、怪物からロングビルの声がまた聞こえた。途中からは、まるで念仏の様に嫌だ、嫌だと繰り返し始めた。
 なにがそんなに嫌なのだろうか、俺達はどうしたらいいのか分からなかった。

「ミス・ロングビル!」

 突然、正門の方から老人の声が聞こえた。驚いて、顔を向けると、そこには腕から血を流したオールド・オスマンが杖に縋るようにしながら立っていた。

「オ、オールド・オスマン!? どうなさったんですか、その傷は!?」

 ルイズが悲鳴を上げた。モンモランシーは慌ててギーシュを地面に寝かせて治療をしようと駆け寄ったが、オールド・オスマンはやんわりと首を振った。

「儂の事はよい。それよりも、すまなかったのう。どうも、薬を盛られてしまったようでな。動けるようになるまで時間が掛かってしもうた。お主達を危険な目に合わせてしまった。どうか、許して欲しい……」

 オールド・オスマンは深々と頭を下げた。俺はどうしたらいいのか分からず、ルイズに顔を向けた。
 ルイズも戸惑っていたが、直ぐにオールド・オスマンに顔を上げるように言った。モンモランシーも酷く恐縮している。目上の人間にこんな風に頭を下げられるなんて、なんだかむず痒かった。

「オールド・オスマン、一体なにが起きているのですか? アレは一体? それに、ミス。ロングビルは……?」

 ルイズが矢継ぎ早に質問をするが、オールド・オスマンは少し待っておくれ、と言った。

「なにが起きているのか、その全貌は儂にも分からんのじゃ。恐らく、ミス・ロングビルに起きたのは、あの夜、ミスタ・グランドプレに起きた事と同じじゃろうが、それが何なのかは儂にも分からぬ。お主等から、また話を聞かねばならんじゃろう。じゃが、その前にミス・ロングビルをどうにかせねばならん」

 オールド・オスマンは紫の怪物に向かって杖を構えた。怪物は未だに嫌だ、嫌だと叫び続けている。
 オールド・オスマンは杖を油断無く構えながら、ゆっくりと怪物に近づいた。ルイズとモンモランシーが止めようとするが、オールド・オスマンは首を振って、二人を制止した。

「ミス・ロングビル、なにがそんなに嫌なのかね?」

 オールド・オスマンが穏かな声で尋ねた。

『嫌だ……、嫌だ……。ティファを嫌いになりたくない……。ティファを恨みたくない……』

 ティファというのは誰の事だろう、俺は声がオールド・オスマンの質問に答えた事に軽い驚きを覚えながら思った。

「ティファというのは、お主が仕送りをしている者の事かね?」

『……そう。可愛いティファ……。私の大切な宝物……。たった一人しかいない、大切な妹……』

「儂はお主を助けたいと願っておる」

『…………』

 オールド・オスマンの言葉に、怪物は沈黙した。そして、オールド・オスマンは驚くべき行動に出た。なんと、杖を捨てたのだ。

「オールド・オスマン!?」

 ルイズとモンモランシーが絶叫した。メイジが杖を捨てるという事は無防備になるという事だ。それも、あんなに恐ろしげな怪物の前で――――。

「儂にお主を助けさせてくれぬか?」

 オールド・オスマンが怪物に手を伸ばした。

『う、うるさい! 貴様に何が分かる! 私は平和に暮らしちゃいけないんだ!』

 怪物がハンマーでオールド・オスマンを振り払って、オールド・オスマンから離れて叫んだ。
 どういう意味何だ、俺には理解出来なかった。平和に暮しちゃいけないって、どういう意味なんだ?

「その様な事は無い。誰にでも平和を甘受する権利はある」

『うるさい! 私はいつだって牙を砥いでなきゃいけないんだ! でなきゃ……、ティファを護れない……』

 声は震えていた。オールド・オスマンが言った。

「ならば、ティファとやらの事も儂が……」

『無理さ! だって、あの娘は特別なんだ! ハーフエルフなんだよ!』

 ハーフエルフ、その単語にルイズとモンモランシーは悲鳴を上げた。青褪めた表情で怪物を見ている。

「ハーフエルフって?」

 俺が尋ねると、ルイズは震えながら答えた。エルフというのは、とても恐ろしい力を持つ砂漠に住むという民の事らしい。
 ルイズもモンモランシーも怯えている。

「そんなに恐ろしいのか、エルフって?」

 俺が呟くと、怪物が怒りに満ちた怒号を上げた。

『あの娘は恐ろしくなんかない! 誰よりも可愛くて、誰よりも優しい娘なんだ!』

「お主がそう言うのであれば、そうなんじゃろうな」

 オールド・オスマンは穏かな声で言った。ルイズとモンモランシーが絶句した。

「な、なにを言ってるんですか、オールド・オスマン! エルフは恐ろしい存在です! いくらミス・ロングビルの言葉でも……」
「確かに、エルフとは恐ろしい存在じゃ。儂等には仕えぬ先住の魔法を使い、儂等人間と幾度と無く、歴史の中で血で血を洗う争いをしてきた」
「なら――――ッ!」
「じゃが、それで全てのエルフが悪しき者と断ずる事は出来ん。ミス・ヴァリエール、ミス・モンモランシ。人の中にも他者を傷つける者は居る。逆に、エルフの中にも心優しき者が居るかもしれん。そうは思わんかね?」

 ルイズとモンモランシーは黙ってしまった。納得出来ていない表情だったが、オールド・オスマンに言われて、必死に考えているようだ。

「サイト君、お主はどう思うかね?」
「お、俺ですか?」

 オールド・オスマンに突然振られて、俺は慌てて考えた。恐ろしい存在とルイズとモンモランシーは言う。きっと、それがこの星の“人間”の常識なんだろう。
 俺は怪物を見た。怪物……ロングビルはハーフエルフのティファという人を優しい子と言った。

「俺にはエルフってのがどんなのなのか、そんなの分からない。でも、ロングビルさんは直接そのティファってハーフエルフ? の子と触れ合って、実感して、それで優しい子だって言ったんですよね? なら、そのティファって子の事は信じていいんじゃないですか?」
「サイト! そんな簡単な話じゃないのよ! エルフっていうのは……」
「ルイズはエルフに会った事があるのか?」

 俺が聞くと、ルイズは言葉に詰まった様で低く唸った。

「俺も会った事無い。だから、会った事がある人の意見を信じるしかないじゃん」
「その通りじゃ、儂等は実際にはエルフという種族について、あまり詳しくは無い。エルフを危険な種族と断じるのは、必ずしも正しいとは言えんのじゃ。もっとも、だからといって、エルフという種族が安全な種族だと断じる事も出来ぬがのう」

 オールド・オスマンは俺とルイズ、モンモランシーの顔を順に追いながらに言った。
 オールド・オスマンは怪物に顔を向けた。

「儂はミス・ロングビルを信じておる。そして、ミス・ロングビルが信じた者の事も儂は信じようと思う」

『…………』

 怪物は何も喋らなかった。ただ、呆然とオールド・オスマンを見つめていた。

「ミス・ヴァリエール、ミス・モンモランシ、そして、サイト君。今宵の事は誰にも語らんで欲しい」

 オールド・オスマンの言葉にルイズとモンモランシーは躊躇っている感じだった。俺には分からない葛藤があるらしい。

「ルイズ」
「何よ……?」

 俺が声を掛けると、ルイズは不機嫌そうに返事をした。

「別に、直ぐにティファって子を信じる必要は無いと思う。ただ、オールド・オスマンみたいにロングビルさんを信じたらいいと思う。それか、ロングビルさんを信じるオールド・オスマンを信じるってんでもいいんじゃないか?」
「……オールド・オスマン、ハーフエルフを学院に招こうというおつもりですか?」

 ルイズが怯えた表情を浮かべながら尋ねた。モンモランシーも同じ様な表情を浮かべている。

「場合によっては、そうなるかもしれんのう」
「それは……」

 ルイズとモンモランシーは自分の震える体を抱きしめる様にしながら必死に正気を保とうとしていた。

「オールド・オスマン、幾ら何でも、それは難しいんじゃないですか?」

 俺は堪らなくなって、オールド・オスマンに言った。

「ルイズやモンモランシーみたいに怯える奴だって居るだろうし、その子が安全な子でも、攻撃しようとするのだっているんじゃないですか?」
「確かにそうかもしれんな。当然、ここに招くとすればそれなりの措置は取る事になるじゃろう。エルフの特徴である長い耳を隠すなどでな。それに、当然じゃが、いきなり学院に招くという訳にはいかん。その前に儂自らその子に会って、話をする。そして、しかと見極めた上で判断するつもりじゃ」

 オールド・オスマンの言葉にルイズとモンモランシーは思い詰めた表情を浮かべた。
 どうしたんだろう、不思議に思っていると、ルイズとモンモランシーが同時に言った。

「その時は、私もご一緒します!」
「その時は、どうか私も連れて行って下さい!」

 ルイズとモンモランシーはお互いに驚いた表情で顔を見合わせた。だが、直ぐにお互いに不適に笑って頷き合った。

「オールド・オスマン。この件について黙秘せよと仰いましたが、それはここに居る私、ミス・モンモランシ、サイト・ヒラガを除く誰にも教えないという事ですよね?」
「うむ」

 ルイズは緊張した面持ちでオールド・オスマンに言った。オールド・オスマンは小さく頷いた。
 ルイズは物怖じしながらも必死に虚勢を張りながら言った。

「では、私達には知る者として責任があると思いますわ」
「ミス・ヴァリエールの言う通りです。私達もそのティファという人物を見極めねばなりませんわ」

 俺は二人の様子をただ呆然と眺めていた。口を出せる雰囲気では無いし、成り行きを見守る以外に出来る事も無い。

「それはハーフエルフと直接対面するという事じゃぞ? 仮に、ティファという娘がミス・ロングビルの言う優しい子が虚言であった場合、エルフと戦う事になるかもしれぬ。それでもかの?」

 オールド・オスマンの言葉にルイズとモンモランシーは低く唸った。やはり、エルフという存在に対面するのは怖いんだろう。

「それなら、モンモランシーは僕が護るよ」
「ギーシュ!?」

 なんと、ギーシュは起きていたらしい。今にも気を失いそうだと言いながらも、話を聞いていたらしい。

「エルフ……僕も怖い。だけど、モンモランシー、君の事は護ってみせるよ」
「ルイズの事は俺が護るし、それなら問題ないだろ? オールド・オスマン」

 俺とギーシュが言うと、オールド・オスマンは愉快そうに笑った。

「生徒の成長を間近で見る事が出来るのは、この職でしか味わう事の出来ぬ至上の喜びじゃな」

 オールド・オスマンは同行を許してくれた。ルイズとモンモランシーは怯えた表情を浮かべていたが、それでも決意を秘めた眼差しをしていた。

「そろそろ、本気で限界だ……。後は、よろしく頼むよ……」
「あ、ギーシュ!」

 ギーシュは完全に気を失ってしまった。モンモランシーは慌ててギーシュに寄り添って治癒の魔法を唱えた。

「ま、あんたのペルソナには期待してあげるわよ」
「そうかい、使うなって言われてるんだけどな……」

 まだ、怯えた表情を浮かべていたが、それでもルイズは皮肉を言えるくらいには持ち直したらしい。

「ミス・ロングビル、そういう訳じゃ。儂を……いや、儂等を信じてくれぬか? お主が信じた少女ならば、儂等も必ずや信じる事が出来る筈じゃ。お主の事も、ティファとやらの事も儂に任せてくれぬか?」

 オールド・オスマンは怪物の前で膝を折り、頭を下げた。

「この通りじゃ」

 その瞬間、怪物の額に亀裂が走った。亀裂は瞬く間に怪物の全身に広がり、一気に砕け散った。
 怪物の居た場所に涙で頬を濡らしたロングビルが居た――――……。

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