第五話『コミュニティ』

 瞼を開くと、俺は青い光の部屋の中で横たわっていた。起き上がると、案の定、目の前には何も乗っていない高級そうな小机があり、その向こうの柔らかそうなソファーに鼻の大きな老人が座っている。
 このベルベットルームの住民であるイゴールだ。後ろにはアンがまるで仮面を被っているかの様に無表情で立っている。

「ようこそ、ベルベットルームへ。貴方は、“力”に覚醒したショックで、意識を失われたのです」

 俺がどうしてここに居るんだろうかと考えていると、イゴールは心を見透かした様に言った。
 力を覚醒したショックで意識を失った……? 俺は記憶を遡った。
 シエスタに仕事を教えてもらって、食堂でルイズと合流を果たし、一緒に食事をしていると、マリコルヌという金髪のふとっちょに絡まれて、喧嘩になった。
 ヴェストリの広場という二つの塔に囲まれた広場にギーシュという、金髪のキザな少年に案内されて、そこで……。
 思い出した。巨大な怪物が現れたのだ。俺は死を予感した。その時、俺はここ……、ベルベットルームに招かれたのだ。そして、“力”を手に入れた。
 あの力は何だったんだろう……。

「……しかし、ご心配には及びません。少し、休まれれば、直に目を覚ますでしょう。……ところで」

 イゴールはギョロッとした丸い目で俺を見つめた。体の内側を見透かされている風な、不気味な眼差しだった。
 イゴールは興味深そうに笑みを浮かべた。

「ほう……、覚醒した“力”は“ローラン”ですか。なるほど、興味深い」

 ローラン。聞いた事がある。確か、フランスの伝説的英雄の名前だ。
 突然、頭上に現れた鎧の巨人。あの時、脳裏に響いた声を思い出した。

『我は汝、汝は我……。我は汝の心の海より出でし者……、勇猛果敢なる戦士ローラン也!』

 一体、アレは何だったんだろう。

「貴方が手に入れられたそれは、“ペルソナ”という力……。それは、貴方が貴方の外側の事物と向き合った時、表に現れ出るもう一人の貴方自身なのです」

 ペルソナ……、それが、あの“力”の名前らしい。俺が俺の外側の事物と向き合った時に表に現れるもう一人の自分……、全く意味が分からない。
 ペルソナとは、一体何なのだろう。

「その力を直ぐに理解するのは難しいかもしれませんな。ペルソナとは、様々な困難に立ち向かって行く為の、“覚悟の鎧”……とでも申しましょうか」

 “覚悟の鎧”……、俺がこの先、困難に立ち向かう為の力。
 イゴールの言うとおり、直ぐに理解するのは、今の俺には出来そうに無い。

「しかも――――、貴方の為さった契約は、貴方に特別な力を与えるものだったようだ」

 特別な力……? ペルソナ能力の事を言っているのではない気がした。

「貴方自身の可能性に加えて、貴方のなさった契約はもう一つの“可能性”を貴方に与えたらしい……。“ペルソナ能力”とは、“心”を御する力……。“心”とは、”絆”によって満ちるものです。他者と関り、絆を育み、貴方だけの“コミュニティ”を築かれるが宜しい。“コミュニティ”の力こそが、“ペルソナ能力”を伸ばしていゆくのです」

 コミュニティ……? ネットのコミュニティみたいな感じだろうか。難しい事は分からない。
 ペルソナ能力を使うには、心を御する力が必要。心を御するには、絆を育む事が必要。その為に、コミュニティを築かないといけないらしい。
 コミュニティの力で、俺のペルソナ能力が強くなるって事なんだろうか? 俺がそう考えていると、アンが首を振った。

「“コミュニティ”は、単にペルソナを強くする為のモノではありません。ひいてはそれが、貴方様の行く末に真実の光を齎し、輝かしい道標ともなってゆくでしょう」

 やっぱり、俺には分からない。

「貴方に覚醒した力は、何処へ……向かう事になるのでしょうか……。ご一緒に、旅をして参りましょう」

 何処に向かうのか……、分かる日は来るんだろうか。
 だんだん、視界が揺らぎ始めた。

「さて……、貴方のいらっしゃる現実では、多少の時間が流れた様です。これ以上のお引止めは出来ますまい。今度お目にかかる時には、貴方は自らの意思で、ここを訪れるでしょう。では、再び見えます時まで……ごきげんよう」

 俺は闇の中に落ちるかの様に、ベルベットルームから遠ざかった――。

ゼロのペルソナ使い 第五話『コミュニティ』

 徐々に意識がハッキリしてくる。ゆっくりと瞼を開くと、突き刺す様な陽光に目が眩んだ。
 かなりの時間、俺は眠っていたらしい。全身に気だるさを感じて、起き上がる事が出来なかった。
 また、ここか……。この星に来て、目を覚ますと必ずここの天井が最初に視界に入る。俺が寝かされているのはトリステイン魔法学院の保健室のベッドだった。
 隣から耳障りな鼾声が聞こえる。首だけを向けると、金髪で恰幅のいい少年が隣のベッドで眠っていた。マリコルヌという少年だ。
 一発、殴ってやりたいという衝動に駆られたが、俺の体は殆ど言う事を聞いてくれない。
 喉がヒリヒリと痛む。水が欲しいな、そう考えていると、遠くの扉が開いた。入って来たのはタオルの入ったボウルを抱えた黒目黒髪のメイド服を着た少女だった。

「シ……ェ…………ス……タ?」

 喋ろうとすると、喉が酷く痛い。俺は掠れた声でシエスタの名前を呼んだ。
 シエスタは目を丸くして、慌てた様に駆け寄ってきた。

「サ、サイトさん。お目覚めになったのですね? 少し待っていて下さい」

 シエスタは俺のベッドから少し離れた場所にある大きめの机の上にボウルを置いて、そこに乗っている銀色の水差しからグラスに水を注いで持って来てくれた。
 俺はシエスタに手伝ってもらいながら何とか上半身だけを起して、シエスタからグラスを受け取ると喉を鳴らしながら一気に中身を飲み干した。足りない。
 俺はシエスタにグラスを向けた。シエスタも承知して直ぐに水を足してくれた。
 何度もお代わりをして、何とか一息吐くと、俺は何とか喋れる様になった。

「ありがとう、シエスタ」
「いいえ。それより、未だ安静になさって下さい。何せ、一週間も眠り続けていたのですから」
「一週間!?」

 俺は驚いて声も出せなかった。イゴールが多少の時間が過ぎたと言ってたけど、まさか、一週間も寝ていたなんて思わなかった。どおりで体に力が入らなかったわけだ。

「ご気分はいかがですか?」
「何だか、体が重いや」

 俺は肩を鳴らしながら言った。のびをすると、全身がパキパキと音を鳴らした。体を解すのが大変そうだ。

「あれ?」

 俺は自分の服が変わっている事に気が付いた。シャツとパーカーとジーンズを着ていた筈なのに、今俺が着ているのは白い着物みたいな服だ。

「シエスタ、この服って……」
「サイトさんの服は泥だらけになってしまっていたので洗濯しておきましたよ」

 シエスタは俺の寝ていたベッドの直ぐ脇にある机の引き出しから、俺の服を出してくれた。
 シエスタから受け取った俺の服は汚れ一つ付いて無かった。

「ありがとう、シエスタ」

 俺がお礼を言うと、シエスタはニッコリと微笑み返してくれた。俺はその笑顔に思わずドキッとしてしまった。
 改めて見てみると、シエスタはやっぱり可愛い女の子だった。ルイズとは違う種類の穏やかで優しい美少女だ。

「どこか痛みを感じる所はありませんか?」

 シエスタが心配そうに尋ねてきた。俺は少し体を動かしてみた。どこも痛い所は無い。
 それを伝えると、シエスタは安堵の笑みを浮かべた。

「良かったです……。ここに、ミス・ロングビルが運び込んだ時はそれはもう大変な怪我をしてらっしゃいましたから……」
「そんなに酷かったの?」

 俺は服の中を覗いてみた。怪我らしい怪我は無いし、怪我跡らしいものも見当たらない。

「サイトさんの怪我は、先生が治癒の呪文で治療をして下さったのです」

 治癒の呪文……、そんなものまであるなんて、やっぱり、この星では俺の常識は通用しないらしい。
 ゲームやアニメの治癒呪文なんかだと、あったかい光で傷が癒えるってイメージだけど、この星の呪文はどうなんだろう。ちょっと、見てみたかったな。

「シエスタはどうしてここに? もしかして、看病してくれてた?」

 俺はシエスタが少し離れた場所にある机の上に置いたタオルの入ったボウルを見ながら尋ねた。もしかして、体を拭いてくれようとしたのかもしれない。
 もしかして、着替えさせてくれたのもシエスタなのだろうか……。俺はちょっと恥しくなった。女の子に着替えさせてもらったり、体を拭いてもらうなんて経験は当然だが無い。

「大した事はしておりませんわ。それより、ミス・ヴァリエールが大変心配なさっておりました。直ぐにお呼びしてまいりますね? ついでに、お食事の方も運んで来ますから、もうしばらく、ゆっくりなさって下さい」

 シエスタはそう言うと出て行ってしまった。俺は着替える事にした。のろのろと着物みたいな服を脱ぐと、俺は見覚えの無い下着を着ていた。
 冷たい汗が流れる。もしかして、シエスタは俺の下着まで着替えさせてくれたのだろうか……。
 俺は顔を青褪めさせた。同い年くらいの女の子に体の隅々まで見られてしまったのだ。恥しくて死にそうになった。
 とりあえず、俺はジーンズを履いて、シャツとその上にパーカーを着た。机を支えにして、のろのろと立ち上がろうとするが、脚に力が入らなくて、直ぐに転んでしまった。何度もやって、漸く立っていられる様になった頃、シエスタが銀のトレイにお皿を載せて、ルイズを連れて戻って来た。

「ルイズ……、えっと、久しぶり……なのかな?」

 俺にとっては、ついさっき会ったばかりの様な感覚だが、ルイズにとっては一週間振りだろうから、俺はそう言った。
 片手を上げて挨拶をすると、ルイズは目を逸らしながら言った。

「……久しぶり」

 ルイズは俺の近くまで来ると、わざとらしい溜息を吐いた。

「随分だな。人の顔見て溜息吐くなんてさ」
「吐きたくもなるわよ。あんたには、色々と聞かなきゃいけない事がある。オールド・オスマンやミスタ・コルベールに色々質問攻めされたけど、殆ど、私も分かってないんだから」

 ルイズは俺の寝ているベッドの直ぐ近くに置いてあった椅子に座った。本当に、間近で見ると凄く可愛い。鳶色の瞳が俺の事を見ている。
 お互いに無言になる。何を話したらいいか分からなかった。

「で、あの巨人は何なの?」

 単刀直入に、ルイズが口を開いた。ルイズは鋭い眼差しを向けてくる。
 巨人というのは、間違い無く“ローラン”の事だろう。どう説明したらいいだろうか……。
 俺は隠し事をせずに正直に言う事にした。隠す必要性も無い気がしたからだ。

「ペルソナ能力って聞いた」
「ペルソナ能力……? あの力はそんな名前なの? でも、聞いたって?」
「俺だって、よく知らないんだ」
「知らない……?」

 ルイズは疑いの眼差しを向けてきた。当たり前だろうな。俺の力を俺自身が知らないなんて、そんな馬鹿な話は無いだろう。
 だけど、俺はまだ、ペルソナ能力について殆ど知らない。知っている事は、イゴールに聞いた事だけで、その内容もあまり理解出来ていない。

「ペルソナ能力を使ったのは、あの時が初めてだったんだよ」
「どういう事よ? あんな凄い力なのに、今迄使った事が無かったっていうの?」
「使った事が無かったって言うか……、ペルソナ能力を知った事自体、あの時だったんだよ」
「…………はぁ?」

 ルイズの目が据わり始めた。全然信じてないらしい。

「本当だよ。確か……契約、そう、契約だ。ルイズと使い魔の契約をした時に生まれたんだって、イゴールが言ってた気がする」
「使い魔の契約……コントラクト・サーヴァントで? そんな話、聞いた事無いけど……。でも、人間を使い魔にする事自体、前例が無いし……。その、イゴールっていうのは誰の事?」
「イゴールってのは……、時々、夢の中に出て来る爺さんなんだよ。鼻がでかくてさ、運命がどうのとかって言って、色々教えてくれるんだ」
「夢の中……? それ、本当? それって、夢魔やアルプみたいなモノかしら?」
「何だよ、その夢魔とかアルプって?」

 疑っているみたいだけど、いきなり切って捨てるって事はしないらしい。俺の話を信じてくれてるのだろうか……。
 妙な単語が飛び出してきた。俺が尋ねると、ルイズは言った。

「夢の中に入って、精気を奪うって言われてる妖精の一種よ。見た目も鼻の大きなドワーフみたいな姿をしてるって、聞いた事があるわ。でも、アルプの狙うのは女性の筈だし、知識を与える、なんて話は聞いた事が無いから違うわね」
「イゴールは確かに人外な感じがするし、この世であそこまで怪しい奴もそうそう居ないだろうなってくらい、怪しいけど、色々教えてくれたし、悪い奴って感じはしないな」

 俺が言うと、ルイズは顎に人差し指をつけながら唸った。考えを整理しているのだろう。

「えっと、整理すると、あんたの力の名前はペルソナ能力って言うのよね?」
「ああ、ちなみに、あのペルソナの名前は“ローラン”だ」
「ローラン……。何か、偉そうな名前ね。今、ここで出せるの?」

 どうなんだろう……。あの時は、俺は気が付いたら仮面の描かれたカードを握り潰していた。
 そう言えば、イゴールが言っていた言葉を思い出した。

『“ペルソナ能力”とは、“心”を御する力……』

 心を御する……、俺は心の中でペルソナが出て来る様に念じてみた。……何の変化も起きない。
 俺は目を瞑って、意識を集中してもう一度念じた。やっぱり、何も起きない。

「無理だ……」
「何で? あんたの力なんでしょ?」
「んな事言っても、心を御する力、なんて、言われてもな」
「心を御する……? あの時はどうやって出したのよ?」

 どうやってって、それは……、どうやったんだろう? 分からなかった。
 俺はあの時、自分が死ぬと思った。何もしなければ死ぬ。そう思ったら、ベルベットルームに居た。
 イゴールに促される様に、カードを手に取って、気が付いたらローランを出していた。

「少なくとも、今の俺には無理みたいだ……」
「そう……。あの怪物については聞いてない? その……、イゴールっていうのに」
「聞いてない。そう言えば、何で俺、聞かなかったんだろう……。ペルソナの事ばっかに意識がいっちゃって……」

 お互いに黙り込んだ。俺にも、ルイズにも、何も分かっていないんだ。

「分からないのは仕方ないわね……。多分、その内にオールド・オスマンに呼ばれると思うわ。学院にいきなりあんな怪物が現れたんだもん。少しでも情報が欲しいでしょうから」
「オールド・オスマン……?」
「ここ、トリステイン魔法学院の学院長先生よ。偉大なるオールド・オスマン」

 この学校の校長って事か……。俺は禿頭の話が無駄に長い老人を思い浮かべた。

「で、体の方はどうなわけ?」
「ん? 一応、痛い所はないぞ。けど、一週間も寝てたせいか、体が凄くだるい」
「あんたは私の使い魔なんだから、しっかりしてよね? 私は未だ授業があるから、夕方頃にまた来るわ。それまでに、動ける様になってなさいよ?」
「その事なんだけどさ……」
「…………?」

 俺はルイズに右手を差し出した。ルイズは俺のしたい事がよく分かっていないらしく、首を傾げた。
 これから長い付き合いになるんだから、ちゃんとやっておきたかったんだ。

「俺は才人。平賀才人。こっち風だと、サイト・ヒラガ。ゼロのルイズの使い魔だ」

 無理矢理ルイズの手を取って、俺は言った。それで、漸くルイズも俺の意図に気が付いたらしい。少し恥しそうにしながら、俺の手を握り返してきた。
 ルイズの手は小さくて、指も驚く程細い。ルイズは、俺に顔を向けると、胸を張りながら言った。

「ルイズよ。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。ヴァリエール公爵家の三女。二つ名は……“ゼロ”よ」

 最後だけ、ルイズは小さな声で言った。自分でゼロというのは嫌だったのだろう。
 これで、俺は本当に目の前の桃色の美少女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールの使い魔になったんだ。
 ルイズとの間に、ほのかな絆の芽生えを感じる。
 …………!? ……頭の中に、不思議な声が囁く――。

『我は汝……、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり……。絆は即ち、真実に至る一歩也。汝、“愚者”のペルソナを生み出せし時、我ら、更なる力の祝福を与えん……』

 俺はルイズとの絆に呼応する様に、”心”の力が高まるのを感じた。
 イゴールの言葉を思い出した――。

『“ペルソナ能力”とは、“心”を御する力……。“心”とは、”絆”によって満ちるものです。他者と関り、絆を育み、貴方だけの“コミュニティ”を築かれるが宜しい。“コミュニティ”の力こそが、“ペルソナ能力”を伸ばしていゆくのです』

 コミュニティっていうのは、多分、このルイズとの間に感じる絆の事なんだろうか……。

「それじゃあ、私は授業に行くわ。後でね」
「ああ、後でな」

 ルイズが保健室を出て行ってから、俺はこの部屋にもう一人居る事を思い出した。隣で寝ているマリコルヌの事じゃない、壁際に控えていたシエスタだ。

「あ、ごめんな、シエスタ。何か、無視したみたいになっちゃって」
「いいえ。ただ、スープが少し冷めてしまいましたから、ちょっと温めなおしてもらって来ますわ」
「いいよ。お腹ペコペコなんだ」

 俺は少し離れた場所にある机の上に置いてある銀のトレイを持ち上げ様とするシエスタに言った。
 脚に上手く力が入らないけど、ゆっくりとシエスタの所に向かう。

「あっ!」

 俺はカクンと脚が曲がってしまい、転びそうになった。
 手をつこうにも、腕にも力が入らず、咄嗟に動かせなかった。
 だけど、地面に倒れ込む前に、俺の体は真っ白で柔らかい感触に受け止められた。

「大丈夫ですか? サイトさん」

 シエスタだった。優しく抱き止められた俺は、思わず赤面してしまった。
 女の子の体の柔らかい感触と鼻腔を擽る女の子特有の甘い香り。
 俺は慌てて離れようとしたけど、体が言う事を聞いてくれなかった。

「ご、ごめん……。体に上手く力が入らなくて……」

 情け無い声を出す俺に、シエスタは優しく笑いかけてくれた。

「もう少しベッドでお休みになられて下さい。お食事をベッドまで運びますから」

 シエスタに支えられながら、俺はベッドに戻った。心臓がドキドキしている。
 シエスタが持って来たトレイの上に乗っているのは未だ温かそうなスープだった。

「ずっと眠っていらっしゃいましたから、体が吃驚しない様に、スープを持って来ました」
「ありがとう、いただきます!」

 俺はトレイに乗っていたスプーンでスープを一口飲んだ。おいしい! 俺はもう一口、口に運んだ。あまりの美味しさに、頬が落ちてしまいそうだった。
 俺は堪らずに直接、お皿に口を付けて、スープを一気に飲み干した。
 一息吐くと、シエスタがクスクスと笑っていた。

「余程お腹が空いてらっしゃったのですね。お代わりをお持ち致しましょうか?」
「頼むよ。凄く美味しかった」

 シエスタは楽しげに笑みを浮かべながら部屋を出て行った。戻って来ると、小さなお鍋も一緒に持って来た。

「お代わり、沢山ありますからね。マルトーさんが沢山下さったんです」
「マルトーさん?」

 聞き覚えの無い名前だった。俺が尋ねると、シエスタが教えてくれた。
 マルトーという男は、厨房のコック長を務めてるそうだ。
 貴族が使い魔の世話を疎かに事が多いらしく、憤って、時々、使い魔に餌を上げているらしい。

「サイトさんが人間なのに貴族の使い魔になって大変だろうって、小鍋に沢山注いでくれたんです」
「それって、何気に他の使い魔と同じ扱いって事?」

 俺が微妙な顔をすると、シエスタは苦笑した。

「ま、いいけどさ。こんなに美味い料理食べさせてもらってんだし」

 俺はシエスタと雑談を交わしながら鍋に入っていたスープを全て飲み干した。

「シエスタ、この後、時間ある?」
「申し訳在りません。学院側から、サイトさんが目を覚ますまでお世話をしろと言われているのですが、サイトさんがお目覚めになった以上、私もメイドの仕事に戻らないといけませんので……」

 申し訳なさそうに頭を下げるシエスタに俺は慌てて言った。

「い、いいよ。ごめん、ちょっとリハビリがてらにここを案内してもらおうと思っただけなんだ」
「本当に申し訳ありません」
「いいって。俺の方こそ、我侭言ってごめん」

 俺はシエスタに頭を下げながら、どうしようか悩んだ。
 夕方にならないと、ルイズは戻って来ないし、少し動かないと体はいつまで経っても解れない。
 そう言えば、コルベール先生の研究室に俺の荷物がある筈だ。

「シエスタ、コルベール先生って、今は研究室に居る?」

 俺が聞くと、シエスタは顎に手をやりながら少し思案して言った。

「どうでしょう……、ミスタ・コルベールは大抵研究室にいらっしゃいますが、授業があるかもしれませんし、図書室にいらっしゃる事も多いです。ご案内致しましょうか?」
「いいの?」
「ええ、図書室はここ、本塔の中にありますし、ミスタ・コルベールの研究室のある火の塔まで、そんなに離れていませんから」
「なら頼むよ」
「わかりました」

 シエスタは先にお鍋と皿を下にある厨房に持って行った。戻って来ると、移動の為の松葉杖を持って来てくれた。
 俺は松葉杖を突きながら、トリステイン魔法学院の図書室にやって来た。
 トリステイン魔法学院の図書室は、俺の想像していた図書室とは掛け離れた凄まじい場所だった。まず、本棚が途轍もなく巨大だ。どのくらいかと言うと、下手するとちょっとしたビルくらいありそうだ。
 高さだけでなく、空間自体が広く、コルベールを探すために歩き回るだけで、体が上手く動かない俺は汗びっしょりになってしまった。
 結局、コルベールは居なかった。仕方なく、俺はシエスタに火の塔にあるコルベールの研究室に案内してもらった。
 途中、マリコルヌや怪物と戦ったヴェストリの広場が目に入った。広場は何事も無かったかの様に破壊の痕跡が見つからなかった。魔法で修復されたんだろうか?
 コルベールの研究室の前に到着して、俺はコルベールの研究室をノックした――――……。

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