第九話『ヴァリヤーグ』

 溢れ出る冷や汗を止められない。目の前に聳える高層マンション程の大きさもある巨大な人形に脚がガクガクと震えている。
 動け、動け、動け、動け、動け、動け。
 呪詛の如く呟き続けるが、俺の体は金縛りにあったかの様に凍り付き、一歩も動く事が出来なかった。
 選択肢など存在しない。今直ぐ、脚が壊れ様とも、心臓が破裂しようとも、全速力で逃げなければ死ぬ! 平凡な日常に生きて来た俺でも分かる。目の前のコレと戦うなんて選択はありえない。

「……あっ、くっ」

 恐怖のあまり、呼吸すらもままならない。早く逃げないといけないのに、俺の体は動いてくれない。
 どうして、俺はこんな目に合ってるんだろう――――……。

ゼロのペルソナ使い 第九話『ヴァリヤーグ』

 トリステイン魔法学院の庭の隅で俺は朝焼けの靄の中、オールド・オスマンに貰った剣を振っていた。
 軽い、何度振っても腕に負担が掛からない。三回、四回、五回と連続で虚空を薙ぐ。剣なんて握った事が無いのに、これはどういう事だろうか、俺は不思議に思った。

「何か、斬ってみたいな」
「朝っぱらから恐ろしい事を言うね、君……」

 誰も居ないと思っていたから、俺は驚いた。顔を向けると、そこにはギーシュが居た。
 ギーシュは顔を引き攣らせている。

「おはよ、ギーシュ」

 俺は剣を鞘に納めてギーシュに挨拶した。ギーシュも片手を上げて挨拶を返した。

「おはよう、サイト。それにしても、朝から物騒な事を言わないでくれないかい?」

 物騒って、別に人を斬りたいとか思ってるわけじゃない。俺は顔を引き攣らせながら首を振った。

「ちょっと試し斬りしたいってだけだよ。だって、ただ振ってるだけじゃ、虚しいっていうかさ」
「試し斬りか……。僕はてっきり、昨日の晩みたいにいきなり暴走して誰か、人を斬りたくなったのかと思ったよ」

 ギーシュが俺の事を白い目で見て来る。

「は、反省はしたさ。昨日のは……その、無かった事にしてくれ」

 俺が言うと、ギーシュは呆れた様にアメリカのテレビショッピングばりに肩を竦めた。一々リアクションが大袈裟な男だ。

「それより、こんな朝早くに何の用だよ?」

 俺が尋ねると、ギーシュが言った。

「今日は虚無の曜日だからね。麗しのモンモランシーと街に出ようと思っているんだよ」
「虚無の曜日って?」
「君、そんな事も知らないのかい?」

 ギーシュは呆れた様に言った。そんな事言われても、この星の文化については知らない事だらけなんだから仕方ないだろ。
 俺は肩を竦めて見せると、ギーシュがやれやれと言った様子で教えてくれた。
 虚無の曜日というのは休日で、地球で言う所の日曜日らしい。虚無の曜日の次はユルの曜日、エオーの曜日、マンの曜日、ラーグの曜日、イングの曜日、オセルの曜日、ダエグの曜日と続くらしい。
 どうやら、地球では一週間は七日だが、この星では一週間が八日あるらしい。

「ついでに教えておくと、ハルケギニアの週歴は第一週がフレイヤの週、第二週がヘイムダルの週、第三週がエオローの週、第四週がティワズの週だよ。月歴も教えるかい?」
「ああ、頼むよ」

 どうやら、一ヶ月は四週間で固定されているらしい。一ヶ月が三十二日あるって事だ。
 ギーシュが本当に君は何も知らないんだね、どこの国から来たんだい? と呆れた様に教えてくれた月歴は地球と同じで十二ヶ月までだった。ただ、呼び名はやっぱり違った。
 ヤラの月、ハガルの月、ティールの月、フェオの月、ウルの月、ニューイの月、アンスールの月、ニイドの月、ラドの月、ケンの月、ギューフの月、ウィンの月っていう具合だ。
 今日はフェオの月のティワズの週の虚無の曜日という事らしい。……ギーシュの説明を聞いて、知識がガッツリと上がった。

「ちなみに、明日……つまり、ウルの月のフレイヤの週のユルの曜日には『フリッグの舞踏会』があるんだ」
「フリッグの舞踏会?」

 俺が聞き返すと、ギーシュはもったいぶった態度で頷いた。

「そうさ。愛しいモンモランシーと踊るのだよ。その為にモンモランシーに相応しいドレスを見繕ってあげようと思い、迎えに来たのさ」

 それにしたって早すぎるんじゃないだろうか、俺はまだ上りきっていない朝日を見ながら思った。
 俺はソファーから転がり落ちてしまって目を覚ましたのだが、普通はまだ寝ている時間だろう。俺がそれを言うと、ギーシュは凍りついた。

「少し興奮し過ぎていたらしい……」
「にしても、仲直り出来たんだな。良かったじゃん」

 俺が言うと、ギーシュはおかげさまでね、と言って笑った。

「なあ、時間があるならワルキューレ出してくれないか?」
「ワルキューレを? ああ、試し斬りの話か。だが、僕のワルキューレは青銅で出来ているんだよ?」
「分かってる。でも、ギーシュは自由に動かせるんだろ? 練習相手には丁度いいじゃん」
「なるほど、そういう事か。いいだろう、付き合ってあげるよ」

 ギーシュがバラの造花を模した杖を振るうと地面は盛り上がり、青銅のワルキューレが現れた。俺は剣を鞘から引き抜いて構えた。
 ギーシュの作り出したワルキューレは俺と同じくらいの身長で、緑の柄の剣を握っている。

「この方が、いい訓練になるだろう?」
「ああ、サンキュー!」

 俺とワルキューレの距離は一メートルも無い。まずは距離を離そう。
 俺は後退しようと地面を蹴った。

「お、おい! どこまで行く気なんだい!?」

 ギーシュの声に俺は目を見開いた。ほんの少し走っただけの筈なのに、俺はギーシュとワルキューレから遠く離れた場所に立っていたのだ。
 何かおかしい。漸く、俺は自分の体の異常に気が付いた。重い筈の剣が羽の様に軽い事も含めて、俺の身体能力が上がっているみたいだ。
 俺は試しに鞘を地面に放り投げて、ワルキューレに向かって一直線に駆け出した。

「は、はやい……」

 ギーシュの呆然とした呟きが耳に入った。体は驚く程軽く、地面を蹴る力は恐ろしく強い。俺の踏み込んだ地面が抉れているのが目に入った。
 どうなっているんだ、俺は自分の事なのに理解出来なかった。地球に居た頃、体育の授業やたまに友達と遊びに行く時以外、運動なんて殆どしてこなかった。
 こんな風の様に走り回れるなんて考えた事も無かった。あっと言う間にワルキューレとの距離を詰めた俺は、剣を斜め下から斜め上へと振上げた。

「わ、ワルキューレが……」

 まるでバターを切るかの如く、青銅で出来ている筈のワルキューレを俺は一刀両断にしていた。
 俺は自分のした事に驚いて凍り付いたように動けなかった。斜めに切り裂かれたワルキューレの切断面を見ると、滑らかな切り口だった。

「僕のワルキューレをこうもアッサリ……」

 ギーシュも何が起きたのか理解出来ていない様子だ。あの怪物の風の攻撃すらも耐えた青銅のワルキューレ。それがこうもアッサリと切り裂かれるなどと想像もしなかったのだろう。

「どうなってるんだよ、これ」

 俺は剣を握り締めたまま、呆然と呟いた。

「サイト、君は剣士だったのかい?」

 ギーシュが我に返り、俺に聞いてきた。俺はフルフルと首を振った。

「違う。剣なんて、握った事も無いよ。剣道だってやった事が無いんだ」
「は、初めてでアレだけの腕前だというのかい!?」
「俺だって分からないよ。おかしいんだ。今まで、あんなに早く動けた事なんてないのに」

 俺とギーシュは互いに無言になった。初めて握った剣で青銅を両断するなんて真似、普通は出来ない。

「ギーシュ、もう一回頼めるか?」
「あ、ああ、構わないよ」

 ギーシュが再びワルキューレを作り出した。さっきと違うのは、今度は七体だった事だ。

「ギーシュ?」
「今度は僕も本気を出すよ。これで、さっきのがまぐれなのか分かるだろう?」
「……おう!」

 俺は剣を強く握り締めながら頷いた。全身に力が漲っている。感覚が驚く程に研ぎ澄まされている。
 ギーシュがワルキューレを散開させた。直ぐ右の死角からワルキューレの動く音が聞こえた。

「そこだ!」

 ワルキューレの振り下ろした剣ごと、俺はワルキューレを真っ二つに叩き斬った。視界の中に、同時に襲い掛かろうとする三体のワルキューレを確認する。
 喧嘩もした事が無かったのに、恐怖や迷いが一切生じない。頭の中はどこまでも静かだった。

「おせえええええ!」

 俺は飛び掛って来た三体のワルキューレの背後に一瞬で回り込んだ。

「馬鹿な!?」

 ギーシュの驚愕の叫びを尻目に俺は三体同時に切り裂いた。これで、残るワルキューレの数は三体。
 三体のワルキューレは俺の周りを取り囲んで凄い速さで動き回った。次々に突き出される剣を捌きながら、俺は何となく思いついた事を実践してみた。
 出来ると思った。普通なら絶対に出来ないだろう行動だ。
 俺は跳び上がった。ワルキューレの頭上を飛び越し、ワルキューレの包囲網から離脱したのだ。

「フライも使わずにあんな……。クッ、往け、僕の乙女よ!」

 ワルキューレの三位一体の連携攻撃を仕掛けて来た。一体は真っ向から剣を振るい、残る二体が横から俺を狙う。
 逃げる必要なんか無い。俺はもう、ワルキューレを剣ごと切り裂いた実績があるんだ。俺は真っ向勝負を仕掛けるワルキューレに向かって足を踏み出した。

「でりゃああああああああ!」

 下から上に剣を一閃して、ワルキューレを一刀両断にする。そのまま二つに分かれたワルキューレを弾き飛ばして更に前に出る。
 背後で二体のワルキューレが俺に剣を振上げている音が聞こえた。俺は振り向き様に剣を大きく振るった。二体のワルキューレの上半身と下半身を分断し、俺は一気に後退した。
 地面に剣を突き刺して、周囲のワルキューレの残骸を見た時、俺は自分が息一つ乱していない事に気が付いた。

「俺、すげぇかも……」

 思わず呟くと、ギーシュが眼を剥いて俺に詰め寄って来た。

「一体何だい、今の動きは! 本当に剣を握った事が無かったというのかい!?」
「ほんとだって!俺だって驚いてるんだ。剣から手を離したらまた体は重くなったし、あの動きは剣を握ってる時しか出来ないみたいだ」
「ペルソナといい、君は本当に変だね」

 ギーシュが心底呆れた様に言った。剣を離した途端に襲って来た気怠い感覚に気持ち悪さを感じながら、俺はギーシュを睨んだ。

「変っていうな!」
「それ以外に、どう表現しろと? にしても、本気を出したつもりだったんだがね……」
「ギーシュ?」

 ギーシュは暗い顔でバラの造花を振るった。すると、ワルキューレが土に還って行った。

「全力を出したのに、平民に負けてしまった……」

 ギーシュは拳を握り締めながら呻く様に呟いた。心の底から悔しいみたいだ。
 声を掛けるべきか迷っていると、ギーシュは頭を振って俺に顔を向けて来た。

「そろそろモンモランシーも起きる頃だと思う。僕は行くよ。君もルイズの部屋に戻りたまえ」
「え、ギーシュ?」

 俺が声を掛ける前に、ギーシュはサッサと行ってしまった。何だか嫌な気分になった。やっぱり、根本的なところではギーシュもルイズやマリコルヌと同じ貴族なんだな、と実感した。
 俺に最初から気さくに話してくれたけど、やっぱり平民に負けたのが許せないらしい。
 前にシエスタに教えてもらった使用人の仕事を思い出して、俺は鞘を拾って剣を納めると、ルイズの部屋に戻る前に顔を洗う為の水を汲みに水場に向かった――。

 水場に到着すると、そこにはメイドの姿がちらほらと見掛けられた。その中に見知った顔を見つけて、俺は声を掛けた。

「シエスタ、おはよう」

 シエスタは洗濯をしていたらしい。俺の声に驚いたらしく、目を丸くしていたが、声を掛けたのが俺だと分かると安心した表情で笑いかけてくれた。

「おはようございます、サイトさん」
「今日は虚無の曜日なのに、使用人はやっぱり仕事なんだな」
「ええ、虚無の曜日は貴族の方々のお休みの日ですから。私達のお休みは交代制なんです」

 シエスタと他愛の無い話を楽しんだ後、俺はシエスタに木製の桶を貰って水を汲んでルイズの部屋に戻った。
 部屋に戻ると、ルイズはまだ眠っていた。起そうと思ってベッドに向かうとルイズはすやすやと寝息を立てていた。

「か、可愛い……」

 俺は思わず見惚れてしまった。長い睫や整った顔立ち、薄い桃色の唇。何だか、起してはいけない気がした。
 どうせ、今日は虚無の曜日なのだし、寝かせてあげた方がいいかもしれない。そう考えていると、ルイズが突然身じろぎをした。しばらくして、薄っすらと瞼を開いた。

「むにゅ……」
「お、おはよ、ルイズ」

 俺が声を掛けると、ルイズは上半身を起して瞼を擦った。

「ん、おはよ」

 とりあえず、起きてしまったのならさっさと目を覚ましてもらおう。

「顔洗うぞ」
「ん? ああ、うん」

 ルイズは眼を閉じたまま顔を俺の方に向けた。ちくしょう、何て可愛いんだ。白くてきめ細かい肌が愛おしい。
 俺は必死に自制心を働かせながら水を張った桶に手拭を浸した。手拭いもシエスタに貰った物だ。手拭いを絞って水気を飛ばし、俺はルイズに向き合った。思わず鼻血が出そうになった……。
 ルイズはネグリジェを着ていた。窓から差し込む陽光に照らされ、華奢な体がくっきりと柔らかいネグリジェの生地越しに確認出来た。
 わずかに自己主張している胸がネグリジェを通して薄っすらと透けて見えた。下着を穿いてないのかよ! 俺は思わず声を上げそうになった。
 恐る恐る、視線を下に向ける。ゴクリと唾を飲み込み、俺は見た。見てしまった……。
 ルイズは寝ている間、下着を身に着けない主義らしい。薄い布越しとはいえ、生まれて初めて見た女の子の神秘に俺はルイズが目を閉じている事に真剣に感謝した。

「何やってるの? 今日は用事があるんだから、さっさとしなさい」

 ルイズの叱責が飛んだ。ありがたい……。俺は吹き飛びそうになった理性を何とか手繰り寄せた。
 視線を無理矢理“ソコ”から引き剥がし、俺はルイズの顔にそっと濡れたタオルを押し当てた。軽く全体的に拭い終えると、ルイズはさっぱりした顔でとんでも無い事を言い出した。

「い、今なんと?」
「だから、着替えさせて」

 聞き違いでは無かったらしい。ただでさえ、理性を保つのが難しい状態だというのに、ご主人様は一体何を言い出しているんだろうか……。

「で、でもさ。ル、ルイズ……下着は?」
「洋服箪笥の下の段に入っているわ」

 俺の頭はオーバーヒートしそうだった。ルイズはネグリジェの下には何も着ていない。スッポンポンだ。そして、下着の場所を教えたという事は、あれだろうか……俺に下着を着せろというのだろうか……。
 彼女居ない歴イコール歳の数の俺はエッチな本やエッチなビデオを見た事は当然ある。だけど、それには当然“モザイク”という女の子の神秘の秘奥を守る結界が張られているわけで、生なんて見た事は当然無いのだ。

「了解しました、御主人様」

 俺は気が付くと平伏していた。下手すると一生拝む事は無いかとまで思っていた神秘を目の当たりにする。そう思うと、俺は洋服箪笥を開ける事に抵抗感を覚えなかった。
 女の子の洋服箪笥を開ける。それだって、俺には大事で大事件だ。だけど、これから女の子の神秘を眼にすると考えると、そんなのは試練ですらなかった。
 洋服箪笥の中から可愛らしく肌触りの最高なランジェリーを手に取った。この時点で俺はもう理性が決壊寸前だった。静まれ、静まるんだ、俺……。
 ゆっくり振り返ると、桃色に近いブロンドの柔らかい髪のルイズの鳶色の瞳が眼に入った。その眼は早くしなさいよ、と急かしている。
 俺は制服の上下とマントを出して、ゆっくりとルイズに近寄った。

「で、では……」

 手が震えた。足腰に力が上手く入らない。情け無い自分を叱咤しながら、俺はルイズに万歳をする様に言った。どうやら、この星にも万歳はあったらしい。ちゃんと通じて、俺はソロソロとルイズのネグリジェを持ち上げた。
 ネグリジェを脱がせると、俺は脳が沸騰する様な感覚に襲われた。生まれたての姿でルイズは俺の目の前に立っていた。押し倒してしまいたい。心の底からそう思った。
 唾をゴクリと飲み込み、俺はゆっくりと手を持ち上げかけて……、ガタンという音に我に返った。振り返ると、そこにはオールド・オスマンから貰った剣が倒れていた。
 壁に立て掛けていたのだが、自然に倒れてしまったらしい。だが、俺は剣に救われた。何とか理性を取り戻す事が出来たのだ。ありがとう、剣……そうだ、後で名前を付けよう。

「えっと、下着、着せるぞ?」
「え、ええ」

 俺は顔を真っ赤にしながらルイズの下着を手に取り、ルイズに片足を上げる様に言った。ソロソロと持ち上げると、下着が隠すべき場所が間近に眼に入った。ルイズ、まだ生えてないんだな……。
 俺は爆発しそうな感情を必死に抑えながら下着を上まで一気に引き上げた。キャミソールを着せ、スカートを穿かせた頃には、漸く感情をゆっくりと引いていった。
 危なかった、剣が倒れて音を立ててくれなかったらと思うとゾッとする。この世で最低最悪の馬鹿をやらかす所だった。俺は着替えが終わり、杖を手に取って外に出ようとするルイズの後を追いながら、倒れた剣を腰に差した。ありがとう、剣。お前は最高の相棒だよ。

「で、今日は何するんだ? 授業は無いんだろ?」

 俺が尋ねると、ルイズが目を丸くした。

「今日が休みだって、よく知ってたわね」
「さっき、ギーシュに聞いたんだ。剣の練習しててさ、その時に付き合ってもらって」
「そ、そう……。あ、朝からご苦労ね」

 ルイズが微妙に嬉しそうに言った。俺がちゃんと仕事しようとしているのが嬉しいらしい。まあ、朝からとんでもないご褒美をもらってしまったからには、数少ない仕事は頑張るよ、マジで。
 ああ、後で掃除もしよう。ご褒美に対して仕事が少な過ぎる気がする……。

「とりあえず、朝御飯ね。その後、街に出るわ」
「ん? ルイズもドレスを買いに行くのか?」

 俺が尋ねると、ルイズは首を傾げた。

「ドレス?」
「だって、明日はナントカの舞踏会なんだろ? ギーシュが言ってたんだ。ギーシュもモンモランシーのドレスを見繕いに街に行くって言ってたしな」
「ふーん、ご主人様の着るドレスを選びたいってわけ?」

 別にそんな事は言ってないけど、街に行くって言うから、ギーシュがモンモランシーとドレスを買いに行くって言ってた事を話したんだが、どう答えようか……。
 勿論、可愛いルイズに似合う最高のドレスを選ばせて欲しい……と言うには勇気が足りない上に実践する為に知識が足りない。

「ドレスを選ぶセンスは無いよ。けど、似合うかどうかくらいの意見でいいなら言えるぜ?」
「まぁ、いいわ。ドレスかぁ……、新しいのを買おうかしら。新学期なんだし、お金は結構余ってるし」
「ん? 最初からドレスを買うつもりだったんじゃなかったのか?」

 俺が尋ねると、ルイズは呆れた様に言った。

「あんたの服よ。昨日、あんたをソファーに寝かせる時……臭ったわよ?」

 俺は二重のショックを受けた。一つはソファーで寝ていた謎が解け、それはルイズが寝かせてくれたという事だった事に歓喜した。もう一つは、女の子に臭ったと言われて絶望した……。

「だ、だって、風呂にも入ってないし、着替えも無いし……」
「だから、買いに行くって言ってるじゃない! それに、貴族のお風呂は無理だけど、使用人用のお風呂なら入れる様に手続きしてあるわよ」
「マジで!?」

 嬉しかった。この星に着てから一週間ちょっと、寝ている間はシエスタが体を拭いてくれたらしいし、洗濯もしてくれたが、お風呂に入ってなかったから気分的に気持ちが悪かったんだ。
 服だって、同じのを何日も着続ける趣味なんて無い。

「マジでありがとう、ルイズ! 俺、本当に頑張るよ、使い魔の仕事!」
「……当然よ」

 ルイズは少しだけ頬を緩ませながら先を歩いた。俺も後に続く。使い魔っていうのも、悪く無い気がして来た。
 アルヴィーズの食堂に到着すると、中には人がまばらにしか居なかった。

「休日だもん、未だ寝ているのが多いのよ」

 ルイズと一緒に食堂の席に座ると、シエスタが食事を運んで来てくれた。
 仕事が忙しいらしく、あまり話は出来なかったけど、俺とルイズの食事は大盛りにしてくれたらしい。朝、ギーシュと特訓したからお腹がペコペコだったんだ。
 朝食のメニューは少し油の多い物が多かったけど、とても美味しかった。特にカレーみたいなスープが絶品で、パンを浸して食べると最高に美味しかった。

「ちょっと、下品よ!」

 ルイズに怒られてしまった……。
 食事を終えると、早速出かけるわ、とルイズが言った。

「街までどのくらいなんだ?」
「歩いたら二日掛かるけど、馬なら二時間で辿り着くわ」
「ふ、二日!? そんなに遠いのか……」

 俺は馬になんて乗った事が無い。とは言っても、二日も歩くなんて嫌だ。

「コルベール先生に自転車借りに行くかな」

 遠出するならやっぱり足が必要だ。馬には乗れないけど、俺には自転車がある。

「自転車?」
「乗り物だよ。コルベール先生が調べたいって言うから預けてたんだ。ちょっと待ててくれ、すぐに取って来る」
「あ、サイト!」

 俺はルイズに先に門で待ってる様に言って、コルベールの研究室のある火の塔に向かった。
 トリステイン魔法学院には五つの塔があって、火、水、風、土、虚無の名前が付いている。
 コルベールの研究室に着くと、中から金属を叩く音が聞こえた。ノックをすると、しばらくしてコルベールが出て来た。

「おや、サイト君。おはよう、どうしたんだい? こんな朝早くに」
「おはようございます。これからルイズと街に行くんです。それで、自転車を使いたいんで取りに来ました」

 コルベールの研究室に入ると、前には無かった物が沢山あった。その殆どが自転車のパーツだと分かった。

「色々と工夫をしているんだが、中々上手く出来なくてね。試行錯誤の最中だよ。材質についての解析は少しずつだが進んでいる。この金属を作り上げるだけでも素晴らしい成果になる筈なんだ」

 コルベールは目を輝かせながら言った。何だか、新しい玩具に眼を輝かせる子供みたいだ。
 俺は自転車をコルベールに窓からレビテーションで外に出してもらうと、お礼を言って外に出た。邪魔をしちゃ悪いと思ったんだ。
 自転車に乗って、トリステイン魔法学院の正門に向かった。途中で擦れ違ったメイジや使用人があれは何だ、と目を丸くするのが心地良かった。
 ちなみに、剣は背中に背負っている。前に籠はあるんだけど、さすがに剣を入れるには小さい。
 正門に着くと、ルイズが白毛の馬と並んで立っていた。

「よ、お待たせ」

 俺が片手を上げて言うと、ルイズはポカンとした表情を浮かべていた。

「ん?」
「それが……ジテンシャとかいうやつ?」
「ああ、そうだぜ。さすがに馬の方が速いだろうけど、俺は馬に乗れないからさ。何とかついて行くよ」
「実際走ってたけど……、妙な形をしているわね。馬みたいだわ」

 ルイズは颯爽と馬に飛び乗った。歩いて二日の距離っていうのはかなり長距離を走る事を覚悟しないといけないだろうな。
 俺はルイズの後に続いて門を潜った。考えてみると、これが初めての外出なんだ。この星の学院以外の外がどうなっているのか俺は高鳴る気持ちを抑え切れなかった。
 道はある程度整っていたけど、やっぱりでこぼこが多かった。でも、俺の自転車はこのくらいの道、どうって事無い。上り坂も無くて、割とすんなりと進む事が出来た。それでも、ルイズの乗る馬はとんでもなく速くて、全然追いつけない。
 たまにルイズが立ち止まってくれなければ、直ぐに見失ってしまいそうだ。

「あともう少しよ」

 街までどのくらいか聞くと、ルイズはそう返して来た。帰りもあるんだと思うとウンザリしてしまいそうだ。
 漸く辿り着いた時にはお昼になってしまっていた。

「ま、まさかこんなに遠いとは思わなかった……」
「あのジテンシャ、確かに速いけど、遠出する時は馬に乗りなさいね」

 自転車は街の入口の衛兵の詰め所に預けて来た。ルイズの実家の名前をルイズが出すと、直ぐに預かってくれた。
 ヴァリエール家っていうのは、相当な力を持つ貴族らしい。
 トリステイン王国の城下町、トリスタニアが俺達の居る場所の名前らしい。

「ブルドンネ街。トリステインで一番大きな通りよ。この先にトリステインの宮殿があるわ」

 道幅は五、六メートル程度で、白い石造りの街は、まるでテーマパークの様だ。トリステイン魔法学院に比べると質素ななりの人間が多い事に気が付いた。
 道端で声を張り上げて、果物や肉や、籠なんかを売る商人達の姿が外国に来たみたいな気分にしてくれる。まさに観光だ。
 のんびり歩いたり、急いでいる奴がいたり、老若男女取り混ぜに歩いている。道幅がかなりせまい上に人が多いせいで歩き難くて仕方ない。
 道端には露天が溢れていて、珍しい物を沢山売っていた。

「凄いな、面白いのが沢山ある」
「もう、子供みたいにキョロキョロしないの! スリだって多いんだから、気を付けてよね?」

 俺はルイズに財布を預かっていた。財布は下僕が持つものと決まっているらしい。随分と度胸がいいな、と俺はこの星の貴族に対して思った。下僕が財布持って逃げたらどうするんだろう……。

「ルイズもルイズのお金もちゃんと護るさ。でも、こんなに重いのスラれたりしないと思うぞ?」

 ルイズから預かった財布はかなり重い。中には沢山のコインが入っているんだ。ちなみにコインの価値も教えて貰った。
 銅貨がドニエ、銀貨がスゥ、金貨がエキューで、新金貨ってのもあるんだ。ちなみに、1スゥは10ドニエ、1エキューは100スゥで1000ドニエ、新金貨は75スゥで750ドニエだ。ルイズに教わって、……知識がガッツリと上がった気がする。

「魔法を使われたら一発よ」

 俺は周りをキョロキョロと見た。メイジっぽい人はどこにも居ない。貴族と平民を見分けるのは割りと簡単だ。マントをしてるかどうかだ。後、もったいぶった歩き方にも特徴がある。ルイズ曰く、貴族の歩き方らしい。

「貴族は居ないみたいだけど?」
「だって、貴族は全体の人口の一割居ないのよ。それに、城下町まで来る貴族は少ないわ。買い物は大抵下僕に行かせるしね」
「貴族がスリなんかするのか?」
「貴族は全員がメイジよ。まあ、ゲルマニアは一部そうでもないけど、トリステインではそうなの。だけど、メイジの全てが貴族ってわけじゃないわ。色んな事情で、勘当されたり、家を捨てたりした貴族の次男や三男坊なんかが、身をやつして傭兵になったり、犯罪者になったり……」
「貴族も大変なんだな」

 俺の居た地球で家を捨てたり勘当されたりなんて、滅多に無い。あるかもしれないけど、俺の周りでは見なかった。だから、あまり想像がつかなかった。
 捨てられたりした奴がどんな気持ちで、どんな風に生きているのか。犯罪に手を染めないと生きていけないっていうのがどんな気持ちなのか……。

「人には人の事情があるって事よ。それより、分かったら財布、気を付けなさいね」
「了解」

 しばらく歩いていると、俺は看板に興味を引かれた。まるでRPGのゲームに出て来るみたいな看板が眼に入ったのだ。
 壜の形をしたのはカフェか何かだろうか、ルイズに聞くと、酒場らしい。バッテン印は衛士の詰め所だ。

「ルイズ、ドレスを売ってるのはどの辺なんだ?」
「先にあんたの服よ。折角買うんだから、帰る時間ギリギリまで見たいから。あんたの服を買うのはもう少し行った場所にある“マリエッタの洋裁店”よ」
「マリエッタの洋裁店?」
「平民向けのお店だから私は利用した事無いけど、時々使用人達が利用しているって聞いたのよ。学院の使用人の給料は下手な貧しい貴族より上だから、それなりのお店の筈よ」

 その時だった。突然、背後に衝撃が走った。

「うわっ!」
「サイト?」

 俺は前のめりになって倒れそうになった。

「ちょっと、何やってるのよ?」

 ルイズが咄嗟に支えてくれた。柔らかい肌の感触と甘い香りに思わずドキリとしてしまった。

「あれ……?」

 俺は違和感を感じた。ポケットを探ると、財布が消えていた。

「やべぇ、スラれた!」
「な、何ですって!?」

 俺は慌てて周囲を見渡した。視界の向こうで逃げる様に走る男の背中が見えた。

「悪い、ルイズ。ちょっと、ここで待っててくれ!」
「な、ちょっと待ちなさいよ、サイト!」

 ルイズが呼び止めるが、待っている暇は無い。一刻も早く追い付かないと見失ってしまう。
 俺は背中に背負った剣の柄を握った。スリを追うには、ありえない動きをする必要がある。その為に、ありえない動きが出来る様にならないといけない。

「頼むぜ、相棒!」

 左手で剣の柄を握り締めた途端に、俺の体は羽の様に軽くなった。
 その場で地面を蹴る。俺の体は嘘みたいに軽やかに宙を跳んだ。一気に露天の天井の柱の上に飛び乗ると、建物の壁に跳び視界を巡らせる。

「見つけた! 待ちやがれええええええええええええ!」

 俺は鋭く研ぎ澄まされた視覚にスリの男を捉えた。ルイズや周りの人間が驚いた声を上げているが、全てシャットアウトする。
 一気に剣を引き抜いた。そのまま壁を伝って一気に駆け出した。
 俺とスリの間はかなり離れていたが、今の俺にはそんな距離は在って無い様なものだ。
 体を回転させながらスリの男目掛けて一気に攻撃を仕掛ける。男は悲鳴を上げながら逃げる足を速めた。
 俺は地面に降り立つと剣を握ったまま、空いた右手で拳を握った。今の俺なら一足で殴り飛ばせる距離にスリの男は居る。俺は男に飛び掛ろうとした、その時、男が小道から出て来た女性にぶつかった。

「ヒィ――ッ!」

 男は情け無い悲鳴を上げた。

「さっさとルイズの財布を返せ!」
「う、うるせぇぇぇ!」
「なっ――!?」

 男は懐からナイフを取り出して切りつけて来た。

「サイト!」

 ギリギリで後ろに退がって避けると、人混みの中からルイズが抜け出して来た。

「ルイズ、来るな! ナイフ持ってやがる!」

 俺は剣を構えて男を睨みつけた。すると、突然地面が捲れ上がり、男を拘束してしまった。
 男とぶつかった緑髪の女性が杖を握っていた。

「あ、えっと……」
「ミス・ロングビル!」

 俺が戸惑っていると、ルイズが驚いた様に声を上げた。

「こんにちは、ミス・ヴァリエール」

 ロングビルは鮮やかな緑の髪に眼鏡を掛けた美しい女性だった。ほのかに香る大人の女の色香を感じて、俺はドギマギしてしまった。
 ロングビルは杖を軽く振るうと、男に纏わりついていた土の一部が盛り上がり、中からルイズの財布が現れてロングビルの手に納まった。
 ルイズはロングビルから財布を受け取ると何度も頭を下げた。俺も慌てて頭を下げると、ロングビルは穏かに微笑んだ。

「最近は貴族崩れのスリが増えて困りますね。二人共、もうスラれない様に注意なさいね」
「は、はい! 本当にありがとうございます、ミス・ロングビル!」
「あの、ありがとうございます。ロンビルさん!」

 ロングビルは男を衛兵の所に連れて行くと言って去って行った。俺はクールビューティなロングビルに思わずポカンと口を開けて姿が見えなくなるまで見惚れてしまった。

「綺麗な人だな……」

 俺が呟くと、ルイズは俺を一瞬睨んだが、直ぐに溜息を吐いた。

「まあ、そうね。大人の女って感じね……。ミス・ロングビルはオールド・オスマンの秘書をしてるのよ」
「オールド・オスマンの?」
「ええ、今年の春からね」

 もしかして、オールド・オスマンの愛人だったりして……、俺は馬鹿な事を考えながらルイズと一緒にマリエッタの洋裁店に向かった。
 マリエッタの洋裁店は直ぐそこだった。スリを追って、かなり近くまで来ていたらしい。
 ルイズは俺を追い掛けて走ったせいで肩で息をしていた。

「それにしても、あんたって身軽なのね」

 ルイズは少し感心した風に言った。

「身軽っていうか、朝、ギーシュに特訓に付き合ってもらったって言ったろ? そん時に分かったんだけど、どうも、剣を握ったら跳んだり走ったり出来る様になるみたいなんだ」
「剣を握ったら……? どういう事かしら。もしかして、ペルソナ能力と何か関係があるとか?」
「分からないよ。イゴールも昨日は出て来なかったし」
「夢の中の老人よね? 何か、ちょっと不気味な感じがするわね」
「まあな。でも、ペルソナ能力のおかげか分からないけど、おかげでスリから財布を取り返せたし、今のところは助かってるよ」

 話をしながら店内に入ると、中は明るくてスッキリとした空間が広がっていた。地球のお店と似た感じがする。ハンガーに幾つ物服が掛けてあって、店員さんが忙しく歩き回っている。

「えっと、紳士服はどこだ?」

 俺がキョロキョロしていると、ルイズが近くの店員を呼び止めた。

「サイトに服を幾つか見繕って頂戴」

 ルイズが偉そうに店員の女性に言った。女性店員は気分を害した様子も無く、俺を紳士服の場所に案内してくれた。
 ルイズも後に続き、俺は店員さんが持って来る服を次々に試着する事になった。
 店員さんは俺の服を珍しがりながら、シンプルな服やファンタジーらしい、俺の感覚からすればちょっと変わった服なんかを持って来た。

「どうだ?」

 俺は気に入った服を選んで着替えると、ルイズに聞いてみた。我ながら、ちょっとイケてる気がする。
 俺が着ているのは黒の半袖のインナーに黒いジャケットみたいな服、それに黒いズボンという黒一色の服装だった。

「地味。それに趣味が悪いわ」

 酷い言われ様だ……。俺はガックリと肩を落とした。結局、店員さんが持って来てくれた服の中からルイズが選んでしまった。
 とは言っても、何気にルイズはセンスが良くて、俺が選ぶよりずっといいコーディネイトをしてくれた。
 皮の袋に買った上着とインナーなんかを合わせて十着とズボン五着、それに下着を五着入れて、俺は肩に背負った。かなり重い……。

「あ、ありがとな、こんなにいっぱい買ってくれて」

 俺は思い荷物を持ちながらノロノロと歩きつつルイズに言った。

「20エキューくらい、どうって事ないわよ」

 ルイズが少し誇らしげに言った。さすが、金持ちは言う事が違う。
 1ドニエが一円くらいだとしても、20エキューって言ったら2万円だ。俺だったらとてもポンッと出せたりしない額だ。
 それにしても重い……。俺はあの力を借りる事にした。剣の柄を握り締める。

「よし、これで軽く……ならない?」

 おかしい、全然体が軽くならない。どうなってるんだろう。

「何やってるのよ? 早く、ドレスを見に行くわよ」
「あ、ああ……」

 俺は訳が分からなくなり、とりあえず袋を背負いながらルイズの後を追った。今、スリが現れたらさっきみたいに捕まえる自信が無い……。
 ルイズに連れられてやって来たのは遠目に宮殿みたいなのが見えるくらいの場所にあるかなり大きな建物だった。

「“ジルの素敵な高級洋裁店”よ」
「胡散臭いと思っていいか?」

 素敵な、って付けるだけで何故か胡散臭い感じがする。ルイズは呆れた様に俺を見て、さっさと中に入ってしまった。
 俺も慌てて追いかける。中に入ると、マリエッタの洋裁店とは比べ物にならない品揃えだった。人の数もかなり多くて、貴族の姿もちらほらしていた。

「ドレス売り場は……あっちね。行くわよ」
「お、おう!」

 ドレス売り場に到着すると、これまた凄い量が並んでいた。

「す、凄げぇ……」

 量が多過ぎてわけがわからない。

「ちょっと待ってなさい」

 ルイズは近くに居た店員を呼び止めると、どこかへ消えてしまった。
 直ぐに戻って来るだろうと思いながら待っていると、全然戻って来なかった……。
 結局、MP3を聴きながら一時間も待った頃、漸く戻って来た。

「買い物は終わったわ」
「はい!?」
「これ、持ってちょうだい」

 俺は巨大な円柱状の箱を持たされた。

「え、いつの間に!? ちょ、俺もルイズのドレス姿見たかったんだけど!」

 思わず本音が駄々洩れになってしまった。ルイズはキョトンとすると、少し顔を赤らめて言った。

「舞踏会の時に見せてあげるわよ。それまで、箱の中覗いちゃ駄目」
「マジかよ……」

 感想聞くって言ったくせに、何てこった……。
 俺はガックリと肩を落としながら帰路に着いた。
 皮の袋に加えて巨大な箱を持っているせいで、酷く歩き難く、自転車と馬の場所まで来た時には疲労困憊だった。

「あんた、これから学院まで大丈夫なわけ?」

 ルイズが呆れた様に言う。

「っていうか、この荷物、馬に乗せられるのか?」

 俺は箱と袋を見ながら尋ねた。両方ともかなり大きいし、箱なんて、馬に乗せたら落ちてしまいそうだ。

「大丈夫……って言いたいけど、確かに落として汚したら大問題よね……」
「やあ、ルイズとサイトじゃないか」

 ルイズが唸っていると、後ろから聞き覚えのある少し気障っぽい声が聞こえた。
 振り向くと、そこにはギーシュが居た。ギーシュの手にはルイズのドレスが入っている箱と同じ箱があった。
 ギーシュの隣にはおでこの広い長い金色の巻き毛と鮮やかな青い瞳の少女が居た。やせ気味だけどルイズより頭一つぶんくらい身長が高い。確か、名前はモンモランシー。

「ギーシュとモンモランシー」

 ルイズは二人を見ると目を丸くした。

「そういや、ギーシュも街に来るって言ってたっけ」
「ああ、その帰りさ。それにしても、いいタイミングで会ったね」
「いいタイミング?」

 俺が首を傾げると、ギーシュは言った。

「一緒に馬車で帰らないかい? 勿論、お金は三人で割り勘で」

 三人っていうのは、当然だけど俺は数に入っていない。この星のお金なんか持って無いんだから当たり前だ。

「うん、馬車か、ちょっと乗ってみたいかも」

 馬には乗れないけど、馬車に乗るっていうのはかなり魅力的だ。映画なんかで、荒野の道をゆっくりと進む馬車のシーンなんかが割りと好きだ。
 実際に乗れるなら、乗ってみたいって思う。

「まあ、三人で分ければそんなに高くならないからいいかしらね」

 モンモランシーが言った。

「そうね。荷物が多いし、そうしましょ」

 馬車で帰る事に決まった。俺は自転車を引きながら馬車の駅にルイズ達に連れられながら向かった。

「ねえ平民、ソレは何?」

 モンモランシーが俺の引いている自転車を見て首を傾げた。
 それより、平民って呼ぶな!

「俺は平民なんて名前じゃない。これは自転車だ」
「別にいいじゃない。ジテンシャって何?」
「よくない! 自転車は乗り物だ」

 俺は憮然としながら言った。

「態度が悪いわよ、平民。無礼じゃない。それに、乗り物って本当?」
「俺は平賀才人って名前があるんだ! 平民って喚ぶんじゃねぇ! それに嘘じゃない、これは乗り物だ!」
「うるさいわね! 平民が貴族に怒鳴るなんて!」

 モンモランシーがギロッと俺を睨みつけてきた。

「知るか! 俺は平賀才人だ! こっちだと、サイト・ヒラガ。ちゃんと名前で呼べよ、モンモン!」
「誰がモンモンよ!」
「人の名前をちゃんと呼ばない奴なんて、モンモンで十分だ!」
「何ですってええええ!」
「君達、喧嘩はよしたまえ」

 俺とモンモンがヒートアップしていると、呆れた様にギーシュが止めに入った。

「モンモランシー、彼、サイトは僕の友人なんだ。ちゃんと、名前で呼んであげてくれないかい? それに、サイト。僕のモンモランシーを可愛らしいけど勝手に略称で呼ばないでくれ」
「ゆ、友人って、ギーシュ、相手は平民なのよ?」

 モンモランシーが目を丸くしながら言った。
 そんなモンモランシーにギーシュは諭す様に言った。

「本当だよ、モンモランシー。彼とは貴族と平民の間の溝を越えて友人になったんだ。頼むよ、モンモランシー」
「そ、そこまでギーシュが言うなら……」

 モンモランシーは心底嫌そうな顔をしながら俺を見た。

「モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ。二つ名は“香水”よ」
「サイト。サイト・ヒラガだ」

 俺も精一杯嫌味な表情を浮かべながら言った。

「よろしく、サイト・ヒラガ」
「よろしくな、モンモランシー」

 俺達は顔を引き攣らせながら自己紹介をした。ギーシュとルイズは呆れた表情を浮かべている。
 それから馬車の駅に着くまで誰も喋らなかった。時々、俺とモンモランシーが睨み合うだけだった。
 馬車の駅に到着すると、四人乗りの馬車の荷台に自転車と買った荷物を載せて、一路トリステイン魔法学院へと戻って行った。
 学院に到着する時には日が沈み始めていた。荷物を部屋に運ぶ様にルイズとモンモランシーが荷物をメイドに預けて、ルイズ達はそのまま食堂に向かおうと言ったから、俺は先に行っててくれって言った。
 自転車をコルベール先生の所に持って行かないといけないからだ。自転車に跨って、俺は本塔に向かうルイズ達と別れて火の塔のコルベールの研究室に向かった。
 コルベールは留守だった。俺は自転車を研究室の扉の前に置いて、戻る事にした。そして、火の塔から出て本塔に向かう途中で、信じられないモノを見た……。

「な、何だよ……アレ!?」

 本塔の近くに巨大な人の形をした物体が立っていたのだ。高さは三十メートルくらいある。その下に、何と、ルイズとギーシュ、それにモンモランシーが居た。

「ルイズ!」

 俺は一目散に駆け出した。巨大な土の人形はフラフラと動いていた。
 背中に背負った剣を鞘から引き抜く。今度はちゃんと体が軽くなった!
 俺は一気にルイズの下に駆けつけた。

「ルイズ!」
「サイト!」

 俺はルイズを護る様に土人形の前に躍り出た。すると、土人形の上の方から女の声が聞こえた。
 見上げると、そこにはローブを目深に被った人影が悶えていた。人影から断続的に白い靄の様なモノが溢れ出している。

「ちょっと待ちたまえ、これってあの時と……」

 ギーシュが青褪めた表情で呟いた。俺は思い出した。前にも似た様なものを見た覚えがある。
 喚くマリコルヌとマリコルヌの体を取り巻いた白い靄。目の前の現象はまさにあの時と同じだった。
 そして、喚き散らす人影の纏っていたローブが剥がれ落ちた。そこに居た人物を見て、ルイズが叫んだ。

「ミス・ロングビル!?」

 そこに居たのは、苦しみ悶えるミス・ロングビルだった。

「な、何!?どうなってるの!?」

 モンモランシーが悲鳴を上げる。その瞬間、白い靄が一気にミス・ロングビルと土人形を覆い尽くした……。

『我は影、真なる我……』

 霧の中から、ソレは現れた。黒光りする不気味な人の形をした物体。大きさは更に巨大になり、今や本塔を遥かに越える大きさになっている。
 月明りに照らされた、50m以上はありそうな巨大なソレは、赤い瞳を光らせながら俺達を見下ろしていた――――……。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。