第七話「間桐さんの家はもっと大変な事になってたッス!」

 血に塗れた男が歩いている。背中には男と少女。血は彼らのものだ。
 数十分程前、突然二人の身に異変が起きた。体全体に奇妙なへこみが生まれ、夥しい量の血を吐いた。
「……私には手に負えぬ」
 間桐雁夜と間桐桜の体内には間桐臓硯の眷属である蟲が入り込み、肉体と同化していた。その蟲が一斉に消滅したのだ。湖の乙女に魔術の手解きを受け、多少の心得はあるものの、ここまで肉体が欠損していては手の施しようがない。おまけにマスターである雁夜の魔術回路は完全に機能を失っていて、彼への魔力供給も止まっている。このままではいずれ消滅するだろう。そうなれば、二人の命が尽きてしまう。未だに命を繋ぎ留めていられるのも彼が常に治癒魔術をかけ続けているからだ。時間がない。彼に出来る事は一つだった。
 新都の高台に位置する教会の前で彼は二人を降ろす。
 しばらく待つと、中から初老の男性が顔を出した。
「――――よもや、サーヴァントがここを訪れるとはな」
 深いシワの刻まれた顔を強張らせながら、言峰璃正は地面に転がる二人を見た。
「彼らは?」
「私のマスターとその庇護下にある娘だ」
 アヴェンジャーは地面に跪いた。
「どうか、彼らを救って欲しい」
 その言葉に璃正神父は言葉を失う。
 言峰教会は聖杯戦争を監督する為に聖堂教会によって建てられた。その役目の一つに脱落したマスターの保護という名目も確かにある。だが、実際に教会を利用した者は未だ嘗て一人もいない。
 しかも、サーヴァントが保護を求めるなど前代未聞。
「……それは出来ない。教会が保護する者はあくまでも聖杯戦争から脱落したものに限られる」
「ならば、この場で自害する。だから、どうか!」
 彼は|復讐者《アヴェンジャー》という忌まわしいクラスを得てまで現界した。それは叶えるべき願いがあるからだ。
 それでも、彼は騎士だった。雁夜から召喚に至るまでの事情を聞き、桜の身に起きた悲劇を知り、その二人が何も為せぬまま死ぬ事を容認出来るほどの残忍さは持ち合わせていなかった。二人をこのまま死なせるくらいなら、己の願いなどどうでもいい。この仮初の命を捧げる事も厭わない。
 必死に頭を地面に擦り付ける彼を見て、璃正は唸り声をあげた。
「……君が自害したとしても、二人を救う事は出来ない」
「何故……?」
「手の施しようがないからだ。むしろ、彼らは何故生きている? 素人目にも死体にしか見えない。特に男の方は死後数ヶ月と言われても信じてしまう程だ」
 言峰璃正も英霊という超越者が命を捧げてまで懇願する助命の言葉を無碍にしたくはなかった。だが、聖堂教会の秘跡は肉体を救うものではなく、魂を救うためのもの。ここまで損壊した肉体を修復する事など不可能だ。
「……頼む。他に頼れる者がいないのだ」
「頼むと言われてもな……」
 困り果てた表情を浮かべる璃正にアヴェンジャーはゆっくりと立ち上がった。
「……分かった。すまないな、迷惑をかけた」
 他にあてなど無い。だが、ここに居ても二人を救う事は出来ない。
 この上は他のサーヴァントと接触し、助命を請う他ないが……。
「――――待て、マキリのサーヴァント」
 マキリという言葉に覚えはないが、サーヴァントはこの場に彼一人。振り返ると、カソックに身を包む年若い青年が立っていた。
「綺礼……?」
 綺礼はアヴェンジャーの足元に転がる雁夜の体に手を当てた。
「……なるほど、これは重症だ。だが、多少の延命措置ならば取れる」
「本当か!?」
 綺礼は慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、頷いた。
「私の部屋に連れて行こう。そこで処置を施す」
 そう言うと、綺礼は雁夜の体を持ち上げて教会の方に戻っていく。
「ま、待て、綺礼!」
「どうしました?」
 慌てて呼び止める璃正。綺礼は立ち止まり、首だけを彼に向けた。
「そ、その者はまだ脱落したわけではない。今、教会の中に入れるわけには……」
「父上」
 綺礼は聖杯戦争のルールと倫理感の狭間で揺れている父親に微笑みかける。
「まだ、サーヴァントは出揃っていません。正式にスタートした後ならばともかく、今の段階でそこまで厳しい対応をする必要は無いのでは?」
「……一部の例外を認めれば、監督役としての地位の失墜にも繋がる。それは聖杯戦争に混乱を招きかねん」
「それでも、私には目の前で傷つく者を、そして、その者の為に頭を下げる者を無碍に扱う事は出来ません。ルールよりも尊ぶべきものは人としての倫理や道徳であるべきではありませんか? それが主の教えでもある筈です」
 その慈悲に満ちた言葉に璃正は唸る。聖杯戦争のルールを監督役が破れば、参加者達を律する事も出来なくなる。それは聖杯戦争による被害の拡大を招く可能性がある。
 そうなれば、数え切れぬ程の犠牲者が出る事だろう。
 息子の真っ当な主張を聞き入れてやりたい。だが、それは後の悲劇を容認する事になる。そんな事は許されない。
「……駄目だ」
「そうですか……。では、こうしましょう」
 綺礼は遠くにある新都のホテルを指差した。
「|教会《ココ》を使わなければいい。ホテルの一室を借り、そこで治療しましょう。少し待っていてくれ、サーヴァント。今、車を取ってくる」
「お、おい、綺礼!」
「父上。人を助けない理由を考えるより、人を助ける方法を考える方が素敵だとは思いませんか?」
 その言葉に璃正は何も返す事が出来なかった。
「……【われわれはみな汚れた人のようになり、われわれの正しい行いは、ことごとく汚れた衣のようである。われわれはみな木の葉のように枯れ、われわれの不義は風のようにわれわれを吹き去る】」
 イザヤ書第64章6節にある言葉。その意味は義のありか。正しい事をしたからといって、義は得られない。義は主の内にあり、人は自然によって義となる事は叶わず、主が人を義とするのだ。
 璃正は自らの考えを誤りだとは思わない。だが、同時に綺礼の考えも正しいものだと感じている。
 ならば、義はどちらにある? その応えなど、ちっぽけな人間風情には分からない。ならば、主に委ねる他はない。
「――――さあ、後部座席に二人を」
 車を取ってきた息子に璃正は言った。
「……ホテルの部屋は取っておく」
「お願いします、父上」
 車を走らせる事数十分。アヴェンジャーは自らの消滅が近い事を感じていた。
「もう少し耐えろ」
「……ああ」
 ホテルの駐車場にたどり着くと、アヴァンジャーは隠蔽の魔術を自身に施した。
 綺礼がルームキーを受け取り、部屋に到着すると二人をベッドに寝かせた。
「……さて、まずは間桐雁夜の方からだな」
 それは実に奇妙な光景だった。綺礼の手が雁夜の体内に沈んでいく。
「驚いたな。霊媒治療の心得があるのか……」
 霊体を繕う事で肉体を治療する特殊な魔術によって、雁夜の表情は劇的によくなった。
「……魔術回路の修復は不可能だが、君に魔力を供給するラインの修繕程度ならば可能だろう」
 言葉通り、少し経つとアヴェンジャーは雁夜から魔力を供給され始めた。
「見事な腕だ……だが、大丈夫なのか? 今の状態で私に魔力を送るなど……」
「そこまで大きな問題はない。そもそも、彼は彼女から送られてくる魔力を君に送っているだけのパイプ役に過ぎないからな」
 雁夜の施術が終わると、綺礼は直ぐに桜の施術へ移った。
 陽が昇り、その陽が落ち、再び昇った頃、ようやく二人の施術は完了した。
「――――私に出来る事はやった。当面は大丈夫な筈だ」
「かたじけない!!」
 アヴェンジャーは涙を流した。綺礼が見ず知らずの筈の二人を救う姿、寝る間も惜しむその献身振りに感動していた。
「……では、約定通り私は」
 自害するつもりで自らの愛剣を取り出すアヴェンジャー。すると、綺礼はその手を掴んだ。
「愚かな真似は止せ、アヴェンジャー」
「し、しかし、それが約定であった筈……」
「それは父上との話だろう。私には関係の無い事だ」
 綺礼は言った。
「勘違いをするな。彼らはまだ助かったわけではない。肉体の損傷をある程度修復する事は出来た。だが、命の危険が遠ざかったわけではない」
 その言葉通り、施術が終わったというのに二人が目を覚ます様子はない。
「どういう事……、ですか?」
「一命を取り留めたに過ぎないという事だ。だが、彼等の肉体と魂は常人と比べてあまりにも脆い。これ以上手を加える事は出来ない。彼等を救うにはそれこそ……、|神の奇跡《せいはい》に縋る他ないのだ」
 アヴェンジャーは綺礼の言葉に目を見開いた。
「……私が救った者を死なせてくれるなよ、サー・ランスロット」
 アヴェンジャーは頭を垂れた。
「感謝……、致します」
 
 ◆
 
 それが一週間程前の事。あの後、アヴェンジャーは屋敷の地下に二人を連れ帰った。
「マスター……。そして、サクラ。待っていて欲しい。私が聖杯を手に入れる……、その時を」
 誓いをここに……。
 聖者によって齎された奇跡を無駄にはしない。必ず、この哀れな者達を救ってみせる。
 例え、如何なる者が相手であっても負けるわけにはいかない。
 それが無数の宝具を持つ謎多き英霊であろうと、それが嘗て仕えた王であろうと……。

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