第八話「なんだか怖いッス!」

 拠点である郊外の森に聳え立つ城に戻ったライダーは弾丸と化した自らのマスターを受け止め、抱きかかえた。
「おかえり、ライダー!」
「ただいまもどりました、マスター」
 雪のように白い髪。ルビーのような真紅の瞳。妖精のような愛らしい顔立ち。彼女がライダーのマスターだ。名前はイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。
 イリヤスフィールはライダーの返事が気に入らず、プクーっと頬を膨らませた。
「マスターじゃないよ! イリヤはイリヤだよ!」
 そんな愛らしい仕草にライダーは負けを認める。
「申し訳ありません、イリヤ。どうか、機嫌を直して欲しい」
「じゃあ、お馬さんになって!」
「仰せのままに」
 ライダーは四つん這いになると、イリヤを乗せて歩き出した。
「はいよー、ラムレイ!」
「ヒヒーン!」
 この可愛らしいマスターをライダーがアインツベルンの城から攫ったのが数日前の事……。

 ◇

 イリヤがサーヴァントを召喚した後、アインツベルンは大騒ぎになった。
 彼女の両親やアインツベルンの当主は揃って令呪を捨てろと迫った。父親にサーヴァントを預け、大人しくしていろ、と。
「イヤ! イヤったらイヤ! ライダーはわたしのライダーなの! キリツグにもあげないの!」
 だが、イリヤは譲らなかった。自分のモノを誰にも渡したくないという幼子にありがちな我侭を口にした。
 そして、他ならぬライダー自身がイリヤの主張を認めた。
「その通りだ。私のマスターは彼女であり、お前達ではない」
 アハト翁はやむなくホムンクルス達にライダーの制圧を命じた。ライダーさえ大人しくなれば、後はどうとでもなる。そう考えた。
 だが、サーヴァントにも比肩する力を持つ筈のホムンクルス達が束になってもライダーには敵わなかった。いや、敵にすらならなかった。
 |冬木市《大聖杯》から遠く離れた|異国《この》の地ではまともに|供給《うしろだて》を受ける事も出来ず、マスターからの|供給《しえん》だけでは現界を維持する事がやっとな筈。にも関わらず、ライダーは十全に力を発揮した。
 ライダーの内には竜の炉心と呼ばれる特殊な臓器がある。それは少量の魔力でも莫大な力を生み出す事が可能な魔力の増幅装置。それにイリヤの莫大な魔力が流れこむ事で現界はおろか、宝具の発動すら可能とした。
 加えて、本来サーヴァントに貶められた英霊の力は大幅に劣化する筈なのだが、ライダーは通常よりも劣化が抑えられていた。
 彼女の知名度が最も高い欧州で召喚されたからなのか、召喚者が|イリヤスフィール《聖杯》だったからなのか、召喚時に莫大な魔力を注ぎ込まれたからなのか、明確な理由は分からない。
 一つだけ、確かに言える事がある。それはアハト翁にとって完全な誤算であった事。
 複数の強力な宝具を持つ事自体は彼にとっても喜ばしい事だった。だが、彼女にはそれらの宝具と比較しても遜色のない強力なスキルがあった。
 それが《|死者行軍《ワイルド・ハント》》。
 ライダーは死者の霊や精霊を操る事が出来る。精霊としての側面を持つホムンクルスも例外ではなく、彼女達は一斉に彼女に傅いた。
 その光景を見て、アハト翁は愕然となる。自らが鋳造した|者達《ホムンクルス》が手元から離れていく。まるで、真に忠誠を誓うべき王を見つけたかのように……。
「さて、行きましょうか、マスター」
「うん! って、どこに?」
「我々の戦場へ」
 彼女は無数のホムンクルス達を引き連れて歩き出した。
「ま、待て、お前達!」
 アハト翁の叫びに耳を貸す者は一人もいない。鋳造中のホムンクルスと融合しようとしていた自然霊や廃棄された筈の者達もその軍勢に加わろうとしている。
「――――待て!」
 その行軍を止めたのは彼女のマスターの父親だった。
「何か用か?」
「イリヤを連れては行かせない!」
 そう言って、銃を構える姿は滑稽以外のなにものでもない。
「それでは私に傷ひとつつける事は出来んぞ、|魔術師《メイガス》」
「……僕はその子の父親だ」
 ライダーはおおまかに状況を理解していた。本来、召喚を行う筈だったのは目の前の男であり、イリヤがマスターになってしまった事は手違いである事を。
 それでも、一度契約を結んだ以上、他の者に仕える気はない。
「そこを退け」
「退かない!」
 睨み合う二人。その間に挟まれたイリヤは泣いてしまった。
 怖かったのだ。いつもと違う父親の顔、穏やかに接してくれたライダーの苛立つ顔が……。
 何者も泣く子と地頭には勝てない。なんとかあやそうとするが、ロクに子供の世話をした事がないライダーには難しかった。
 そこに一人の女が現れる。イリヤとそっくりな顔立ちの女がイリヤを抱きかかえ、頭を撫でた。
「大丈夫。大丈夫よ、イリヤ。怖くない。なーんにも、怖くない」
 すると、イリヤの涙は引っ込んだ。母親に抱きつき、切嗣とライダーを睨む。
「二人共怖い顔イヤ!」
「うっ……、すまない」
「わ、悪かったよ、イリヤ」
 揃って頭を下げる二人にイリヤは憤慨した様子のままだ。
「……えっと、とりあえず落ち着かない? イリヤも、切嗣も、ライダーも。ほら、お茶でも飲みましょう」
 イリヤの母、アイリスフィールの提案に二人は渋々頷いた。

 ライダー達が話し合いをしている最中、アハト翁はホムンクルス達への命令権を奪い返そうと画策したが、悉く失敗し、その果てに地下室で幽閉されてしまった。
 その事をライダー以外が知らぬまま、話は進んでいく。
 イリヤとライダーを説得する為に切嗣は賢明に言葉を重ねた。彼のこれまでの人生の中でこれほど多くの言葉を喋った記憶はない。それ程、必死だった。
「イリヤは魔術の事を何も知らない。戦いに参加する事は――――」
 だが、イリヤはいつの間にか眠ってしまい、聞いていたライダーの表情も冷め切っていた。
 言葉が尽きてきた頃を見計らい、ライダーは言う。
「言いたい事はそれだけか?」
「なっ……」
 気付けば夜が明けていた。数時間にも及ぶ説得は何の成果も挙げられなかった。
 ライダーはイリヤ以外の主を持つ気などなく、目を覚ましたイリヤも切嗣とアイリスフィールが何を言っても譲らない。
 その後も切嗣の怒声が何度も響き、最後には涙を流して懇願までした。それでも、二人の意思は少しも揺らがなかった。
「話がそれだけなら、私達は行く」
「ま、待ってくれ!!」
 娘を連れ去ろうとする女に切嗣を縋った。
「……キリツグとやら。貴殿がマスターの身を案じる気持ちは分かった。ならば、ついて来るがいい。元よりマスターには傷一つ負わせる気など無いが、それならば安心出来よう」
 結局、マスター権はイリヤが維持したまま、ライダー達は冬木に入った。冬の城の地下に当主を置き去りにしたまま……。

 ◆

 今、この城にはアインツベルンの城から連れて来たホムンクルス達が跋扈している。ライダーの命令を受け、ホムンクルス達は独自に動いて日本までやって来た。
 他にも|現地《ココ》に到着するまでの間に引き入れた亡霊達も蠢いている。
「あっ、サムライだ! おーい、サムライ!」
「おや、これはこれは。相変わらず、仲睦まじい事で」
 藍色の陣羽織を羽織った美剣士が《幼子を背中に乗せて四つん這いになっている主人》に些かの動揺も見せず挨拶をした。
「なかむつまじいって?」
「仲良しという事だ」
 サムライの言葉にイリヤは顔を輝かせた。
「そうなんだよ! イリヤとライダーは仲良しなの! ねー!」
 天真爛漫なマスターの笑顔にライダーも笑顔で応える。その姿に侍は目を細めた。
 なんと……■■■■光景だ。
「では、私はこの辺で失礼する」
「バイバーイ!」
 |馬《ライダー》に跨がりながら手を振るイリヤに侍は手を振り返した。
「……くわばらくわばら。さて、仕事をするか」

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