第二十話「弟子零号」

 嘗て視た光景そのままだ。偉大なる王に従う万夫不当の英雄達。
 対する者は無数のホムンクルスや亡霊達。
「……素晴らしい」
 亡霊の一人が喜色を浮かべてつぶやく。その圧倒的な光景を前に笑う胆力にイスカンダルもまた喜んだ。
「貴様は他の亡霊共とは一味違うようだな。名は何と?」
「生憎、名乗れる名など持ってはおらんよ」
 剣として振るうにはあまりにも長過ぎる刀身を持つ太刀を握り、飄々とした態度で侍は群体の先頭に立つ。
「だが、あまり舐めてくれるなよ、紅毛渡来の王よ」
「敵ながら天晴なヤツよ。たしか、この国に古来存在した傭兵、侍であったな! お主、余に仕える気はないか?」
「宮仕えも悪くないが、そういった話はとりあえず死合った後にしよう」
「好戦的なヤツだ。気に入った! では、蹂躙して我がモノとする事にしよう!」
「いざーーーー、尋常に勝負!」
 侍が動くと同時に戦闘が始まった。
 結界内に取り込まれた敵の数は思いの外多い。
 数だけならイスカンダルが率いる無数の軍勢に引けをとらない。
 だが、質の方は段違いだ。
「蹂躙せよ!!」
 イスカンダルの掛け声と共に動き出すヘタイロイ。
 一方的とも思える戦いの中で、あの侍だけは異様に元気いっぱいだ。
 対峙している兵士達も実に活き活きと戦っている。
「フハハハハハッ!! 見ておるか、坊主!! 我が勇姿、しかとその脳裏に刻んでおけ!!」
「はいはい……」
 もう、とっくの昔に刻んだよ。
 ウェイバー・ベルベットは嘗て憧れ、今尚尊敬している王の勇姿を見つめ続ける。
 未熟だった頃を追体験させた事には物申したい気分だが、この再開に関してだけは巻き込んでくれた邪神にも感謝しよう。
 もう、見る事も、語り合う事も無い筈だった王に彼はひっそりと臣下の礼を捧げた。
 時間にして数分。されど、ウェイバーにとって泣きたくなる程嬉しい時間が過ぎ去ったーーーー……。

 ◇

 生ある者がやがて死に至るように、始まりと終わりは同義である。
 アインツベルンの千年にわたる妄執。
 マキリの五百年にわたる悲願。
 多くの魔術師と英雄達の祈り。
 それら全てに決着がつこうとしている。
「ーーーー幕引きだ」
 街の様相が変化しても、己の召喚者が姿を転じても、セイバーのサーヴァントは変わらない。
 ただ、少しだけ残念そうだ。
「結局、お前だけだったな」
 ここには歴戦の英雄達が集まっている。なのに、心行くまま戦えた相手はライダー一人。
 アーチャーと宝具の撃ち合いをしてみたかった。
 ランサーやアヴェンジャーと武勇を競いたかった。
 コンカラーの軍勢を打ち破りたかった。
 アサシンにもその本領を存分に発揮してもらいたかった。
 その悉くを凌駕し尽くし、最強の名を知らしめたかった。
「だが、良い。思いの外、楽しむ事が出来たからな」
「……良かったな」
「互いにあの娘には勝てなかったな」
「そうだな……」
 片や、黄金の輝きを持つ双剣を変形させた弓を構える。
 片や、暗黒の輝きを持つ槍を構える。
「さあーーーー、心して受け取るが良い!」
 |弓兵《セイバー》が弦を引き絞る。同時に弓の先に魔法陣が展開する。
 今、セイバーが誇る最強の宝具が発動した。弦より放たれた一本の矢がライダーに向かう。それを彼女は当然の如く弾くが、弾かれたと同時に光へ転じて天空へ昇る。
 代わりに衛星軌道上に浮ぶ七つの光が一本の巨大な光の剣と成って降りて来る。
 終末剣・エンキは上空で破裂すると巨大な魔法陣を展開した。一瞬後、魔法陣は空間を巻き込んで崩壊する。まるで、ガラスをハンマーで叩き割ったかのように崩れた空間の向こうから巨大な波が押し寄せてくる。
 万物全てを洗い流そうと亜空の向こう側から押し寄せてくるナピシュテムの大波。その絶望的な光景を前に暗黒の騎士は苛烈な笑みを浮かべる。
「ーーーーこの程度か」
 本来、アーサー・ペンドラゴンが持つ《聖槍》は世の裏側である神代と現実である人の世を繋ぎ止める《光の柱》である。
 一度解かれれば、この物理法則によって成立している世界の均衡は一気に崩れ落ち、今世に幻想の法則が現出し、神代に逆戻りしてしまう禁断の宝具。
 だが、ライダーの振り翳した《魔槍》はむしろ、《闇の柱》。
 あらゆる色を世界から奪い去る純黒の光が迸る。
「吠えたな、名も無き|この世全ての悪《アンリ・マユ》を背負いし人間!!」
「ーーーー|万象を呑み込む悪性《擬・ロンゴミニアド》!!」
 頭上を覆うは人類に対する神々の裁き。
 抗うは、人類が堆積したあまねく悪性。
 彼等は互いに、この世の全てを背負った者。|評価規格外《Ex》の一撃同士が交差する。
 その光景を目撃した者全員に等しく《死》を予感させた一瞬。無限にも等しい1秒の間に二人は武器を持ち替えた。
「ーーーー考える事は同じか」
 ライダーは嗤った。
 闇の柱は大波を消し飛ばした。だが、それだけだった。
 評価規格外の宝具同士の激突は両者相打つ形で霧散した。
 それは両者が共に予想していた通りの事。その直後の激突こそ英雄としての格が命運を分けた。
「ではな、騎士王」
 刹那の剣戟を制したセイバーは|敗北者《ライダー》に背を向ける。
「……最後まで、そう呼ぶのだな」
「見事、最後まで演じ切った貴様への最大の賛辞だったのだが、不服か?」
「ぬかせ、邪魔ばかりしおって……」
 全ての元凶はセイバーだ。
 如何に神霊でも、無防備な状態で彼の宝具の干渉を受ければ無事では済まない。
 彼が大聖杯に干渉した時、アンリ・マユは小聖杯に逃げ込んだ。
 そして、彼を戦いから排除する為に記録されたアルトリア・ペンドラゴンの能力を120%まで引き上げた状態で|複写《コピー》し、分霊をライダーのサーヴァントとして現界させた。
「我の召喚を許した貴様の落ち度だ」
「以前の貴様なら自らの手を患ってまで大聖杯を元に戻そうなどとしなかった筈だ」
「それは召喚者の問題だな。皮は同じでも、中身が違えば引力の向きも変わる」
 セイバーは結界によって守られた空間内で眠る時臣だった少女、遠坂凛を見る。
「あの娘が召喚者だったからこそ、我はこの姿で喚ばれただけの事」
「……本当に運が無いな、私は」
 そう呟くと、ライダーは光の粒子になって消えた。
 
 ◇
 
 大河は不思議な空間にいた。空には巨大なスクリーンがあり、そこでセイバーとライダーが戦っている。
 目を覚ました時、彼女は既にそこにいた。アーチャーはいない。代わりに夢の中で言葉を交わしていた赤毛の少年が眠っている。
 その向こう側に見知った少女が立っていた。
「あーあ、ライダーが負けちゃった」
 イリヤスフィールは溜息を零した。
「……みたいだね」
「これで殆ど素寒貧よ。まったく、やれやれってヤツね」
 その姿を今度は彼女の母親であるアイリスフィールに変えて言う。
「……イリヤちゃん?」
「なんだ?」
 全身に刺青が走り、髪が黒に染まった少女が応える。
「あなたは誰?」
 大河の問いにイリヤスフィールが答えた。
「アンリ・マユ」
「……でも、アンリ・マユはライダーさんなんでしょ?」
「ざっくりと説明すると、アレはオレの一部なわけよ」
 姿を何度も変えながら彼女は言う。
「この街自体もそうだ。この街の住民も殆どがオレの一部。正真正銘の本物はマスターとサーヴァントだけさ。もっとも、一部のマスターとアーチャー、それにライダーはちょっと違うけどな」
「どういう事……?」
「ライダーは分かるだろ? アイツはオレの一部だった。それに、アーチャーはそこで寝っ転がってる正義の味方だ。オレが招待したアンタ以外にあの場に居たのは六人だけで、一人足りなかったんだよ。だから、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトもオレの分霊で補ったわけ」
「あの場って……?」
「大聖杯の解体現場」
 尚も首を傾げる大河にアイリスフィールの姿をしたアンリ・マユは不満そうな表情を浮かべた。
「もう、ぜっちゃんってば、昔より頭の回転遅くなってるわよ!」
「ぜ、ぜっちゃん?」
 目を丸くする大河にアンリ・マユは寂しそうな表情を浮かべた。
「……話を続けるわ」
 アンリ・マユは言った。
「聖杯の解体に携わった人間は五人。イリヤスフィール・フォン・アインツベルンとウェイバー・ベルベット、遠坂凛、衛宮士郎、間桐慎二だ。そんで、間桐桜は大聖杯の影響を受ける事が案じられて遠ざけられていたけど、臓硯の方は解体を阻止する為に忍び込んでいた。結果、臓硯はあの四人に手も足も出ず、|大聖杯《オレ》も為す統べなく解体される所だった。だから、最後にちょっとだけ悪足掻きをした」
「あなたは何がしたかったの?」
「……なんだろうね。最初の計画ではぜっちゃんに聖杯戦争を体験してもらって、最後の一人になった所でネタばらしをするつもりだったんだ。多くの屍を超えて勝ち抜いたのに、実は殺した相手マスター全員が元生徒や知人だったって知った時の貴女の絶望を見たかったのよ。そして、最後に|聖杯《わたし》を使わせる筈だった」
「……でも、わたし達ずっとーーーー」
「そう、遊んでばっかり」
 イリヤスフィールの顔でアンリ・マユは苦笑した。
「だって、楽しくなっちゃったんだもん」
 泣きそうな笑みを浮かべるアンリ・マユ。
「あの|英雄王《バカ》のせいよ。いきなり城に乗り込んできて、あなたと遊ぶから一緒に来いだなんて……。そもそも、アイツが大聖杯に干渉なんてしなければ……」
 アンリ・マユは微笑った。
「あの男、初めから全部知ってた。全部分かってた。そもそも、この世界が作り物だって事も、私の祈りも……、全部。本当にむかつくわ」
 どういう事か、などと大河は聞かなかった。
「セイバーさんは……だから、あの宝具を……」
 七日後に全てを滅ぼす凶悪無比の宝具。一週間、共に過ごした彼は罪のない人を悪戯に殺そうとする人じゃなかった。
 彼があの宝具を使った真相。それはこの世界が作り物で、この世界の住人も全て偽物だと分かっていたから。
「冗談じゃないわよ。あんな宝具を使われたら、それで終わっちゃうじゃない……。おかげで力の大半をライダーに注ぎ込む事になったわ。乖離剣よりマシだけど、結局根こそぎよ……。コンカラーにも余力を回したせいでこの世界の維持に回せるリソースも残ってない」
「……あなたの祈りって、なんですか?」
 大河の問いにアンリ・マユが歪んだ笑みを浮かべた。
「貴女に絶望して欲しかった。貴女に……、嫌ってもらいたかった」
 そのあまりにも哀しそうな顔を見て、不意に大河は遠い日の記憶を思い出した。
 どうして忘れていたのか分からない。
 彼女は以前、アンリ・マユと遭った事がある。それは運命の悪戯による数奇な出会い。本来、起こりえない奇跡による会合。
「……アイリ師匠」
 それが出会った時の彼女の呼び名。不思議な空間で不思議な時を彼女と共に過ごした。
 最後の時、彼女を外に連れだそうとしたけれど、その手を振り解かれてしまった。
 どうして、忘れていたんだろう……。
「私は消えるわ。この戦いがどういう結末で終わっても、既に解体作業は終了している。この空間は外と異なる時間の流れの中にあるけれど、そう長くは保たない。だから、私を救おうとしてくれた唯一無二の存在である貴女に嫌って欲しかった。絶望して欲しかった……」
「どうして……」
「だって、耐えられないもの」
 アンリ・マユは涙を零した。
「この世全ての悪を背負わされた時から私を救おうとする者なんて一人もいなかった。利用しようと企む人はいたけど、救うために外へ連れだそうとしてくれた人はぜっちゃんだけだったわ。だから、未練が残ったの……」
「師匠……」
「なのに、全部台無し。だけど、どうしてかしら……」
 地面が大きく揺れた。
「……安心して、ぜっちゃん。この世界が終わろうとしているだけよ。貴女は外の世界に戻される」
「師匠はどうなるんですか……?」
 アンリ・マユは答えなかった。
 かわりに穏やかな微笑みを浮かべる。
「ぜっちゃん。貴女と過ごした一週間。楽しかったわ」
「……ここから出ようよ。また、一緒にあそぼうよ!!」
「前にも言ったでしょ。それは無理なの」
 崩れていく。世界そのものが……。
「待ってよ!! わたしは師匠と一緒にもっとーーーー」
「ぜっちゃん。あの時も、今も……、ありがとう!」
 地面が割れる。大河が慌てて手を伸ばすが、アンリ・マユからどんどん体が離れていく。
「ヤ、ヤダ!! 一緒に、もっと……、一緒に!!」
「バイバイ。|この娘《イリヤ》の事、お願いね」
 アンリ・マユの体が二つに割れる。片方はイリヤスフィールの姿。もう片方はアイリスフィールの姿。
 アイリスフィールはイリヤを「よいしょ」と大河に投げた。
「うわっ!?」
 大河は慌ててキャッチしたが、そのまま倒れこんでしまった。
 そして、気付けば見知った寺の境内にいた……。

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