第二話『少女二人』
目の前には川がある。逆巻く流れは赤い。それが血である事に臭いで気づいた。
嗅ぎ慣れた香りだ。足下に折り重なる亡骸の山も見慣れている。
ここはそういう場所であり、わたしはそういう生き物だ。地獄は過程であり、目的はその先にある。
振り向けば、生者が歩いてくる。苦痛にのたうちながら、想像を絶するありさまでわたしに縋ってくる。
全身を焼かれた人間。関節を捻じ曲げられた人間。水分を抜き取られて干からびた人間。眼球や四肢を喪った人間。薬物投与によって壊された人間。病魔を植え付けられ、蝕まれている人間。切り刻まれ、内蔵を露出させている人間。
わたしは彼らを迎え入れる。憎悪と憤怒を受け入れる。
――――それがわたしの|原風景《せかい》。
もう一度振り返り、川の対岸を見つめる。
そこには……、
◆
わたしはベッドで横になったまま、右手を真っ直ぐ天井に伸ばしていた。
ふかふかの布団のせいなのか、全身が汗でビッショリだ。夢を見ていた気がするけれど、内容は思い出せない。
ただ、凄く哀しい気持ちだけが胸に残った。涙が頬を伝い、顎から滴り落ち、パジャマに染みを作る。
「なんだろ、これ……」
溜息が出た。
「っていうか、ここはどこ?」
血が巡り始めたのだろう。頭が冴えてきた。
眠っていたベッドも、部屋の内装も、着ているパジャマでさえ初めて見る。
「たしか、わたしは……」
頭を整理してみると、昨日の事を思い出した。
聖杯戦争。サーヴァント。英霊。死者。魔術師。魔術協会。聖堂教会。遠坂凛。
「……うん、覚えてる」
眠ったおかげだろう。大分心が落ち着いている。
近くの椅子に折り畳まれた赤い服があった。わたしが着ていたものだ。
派手だし、見た目も奇妙だ。だけど、袖を通してみると、不思議と馴染む。
まるで、誰かに抱き締められているみたい。
「……あの子は」
部屋を出て、マスターを探す。昨日は見えなかったもの、分からなかったものが視える。これは彼女とわたしの間に繋がったラインだ。
ラインを辿ると、マスターはリビングの片付けをしていた。
「あら、起きたのね」
「……お、おはよう」
「おはよう。どうやら、落ち着いたみたいね」
「……手伝う」
マスターに掃除用具を借りて、一緒に片付け始めた。埃や何かの破片を掃きながら、マスターの様子を伺う。
どうやら、割れたガラスや破れたソファーの修繕を行っているみたいだ。
なんとなく、わたしにも出来そうだと思った。
「……これを」
壊れた椅子に触れる。すると、みるみる内に散らばった破片が壊れた椅子に集まっていき、一秒後には修繕が完了した。傷跡一つ残っていない。
「さすがじゃない。もしかして、記憶が戻ったの?」
「ううん。出来る気がして、やってみたら出来たの」
「そっか……。まあ、昨日の今日だしね」
壊れたモノは直して、汚れた所は掃いて、拭いて、一時間後にはすっかり綺麗になった。
「二人でやるとさすがに早いわね。ねえ、ご飯を作ろうと思うんだけど、食べられる?」
「う、うん! 手伝うよ」
話してみると、マスターは優しい女の子だった。それと、料理が上手。
「ここでパプリカ投入っと」
わたしも思った以上に料理が達者で安心した。
「フードプロセッサーとかは無いの?」
「なにそれ?」
話していると、時々会話が噛み合わない事もあったけれど、そこはサーヴァントと人間の違いなのだろう。
ソースを作るなら便利なんだけどな、フードプロセッサー。
「完成!」
作ったのはオムライス。それと付け合せのサラダ。
「マスターの作ったソース、ピリッとして美味しいね!」
「ふふん、そうでしょう。オリジナルなのよ、これ」
掃除をして、料理をして、わたし達は少し打ち解ける事が出来た。
料理を並べ終えて、席に座ったタイミングでわたしはマスターに頭を下げた。
「昨日はごめんなさい……」
「……何のこと?」
「その……、当たり散らした事……」
「それは貴女の謝る事じゃないわ。召喚の不手際はわたしの落ち度だし」
「……でも、ごめんね」
「わたしも悪かったわ。ごめんなさい」
マスターも頭を下げた。二人揃って顔をあげると、マスターはニッコリ笑った。
「これでお相子にしない? そろそろ食べないと、料理が冷めるわ」
「うん、食べようか」
食事をしながら、マスターの事をいろいろと教えてもらった。
聖杯戦争に挑む理由を聞いてみたら、それが遠坂家の宿願であり、挑むべき壁だからって答えが返ってきた。
聖杯そのものには特に執着が無くて、手に入ったら用途が見つかるまで倉庫にでも入れておくつもりらしい。
「マスターは変わってるね」
「そうかしら?」
「うん。いい意味でね」
料理を食べ終えたら、また二人で洗い物をした。
「さて、どうしたものかしらね」
「マスター?」
「貴女、魔術はある程度覚えてるみたいだけど、戦闘技術の方はどうなの?」
「戦闘……、うーん」
自分が戦う姿を想像してみる。
雑多なイメージが浮かんできた。剣で戦う姿。槍で戦う姿。斧で戦う姿。銃で戦う姿。
「なんとなく……、だけど」
「……質問を変える。貴女、戦える?」
彼女の意図は明白だ。敵と戦う己を想像すると、不安が過ぎる。
「分からない……。怖いと思うし、出来れば戦いたくないって思う……」
「オーケー。素直に答えてくれてありがとう。英霊なんだから、戦う術はあると思ってたけれど、やっぱり、戦闘に意欲的な方では無いのね。クラスがアーチャーである事といい、魔術スキルのランクから見ても、策謀を巡らせるタイプだったのかしら……」
「策謀……、うーん」
「……イメージが湧かないわね」
「って言うか、わたしってアーチャーなの?」
「……そこからか」
洗い物を終えて、リビングに移動しながらマスターはわたしのステータスについて教えてくれた。
「アーチャーで、魔術のランクがA……」
たしかに、それだけ聞くと策謀に優れたタイプの英霊に思える。
「でも、戦うイメージはどれも近接戦闘だったよ?」
「……うーん、分からないわね。アーチャーで近接戦闘って……」
「わたしって、どんな英霊なんだろ」
「一応、知る方法はあるわよ?」
「え? そうなの?」
そんな方法があるなら、あれこれ頭を悩ませる理由が無くなる。
さっさと教えてくれたらいいのに、どうして勿体ぶるんだろう。
「……令呪を使えば一発だけど、貴女の昨日の反応を見ると、無理に思い出させていいものか悩んでるのよ。だって、これは貴女の死因も同時に識る事になるのよ?」
「あっ……」
どうやら、彼女なりの気遣いだったみたい。
言われて、体が震えた。
「……うん。あんまり思い出したくないかも」
「聖杯戦争は開戦目前だし、あんまり悠長な事も言ってられないけど、わたしとしては自然に思い出す方がいいと思ってる。貴女、メンタル弱そうだし」
「ガラスのハートなの……」
結局、令呪による記憶の復元は必要に迫られるまで延期になった。
「とりあえず、今後の方針ね。一先ず、戦闘は極力回避しましょう。挑まれたら受けざるを得ないけど、こっちからは挑まない。貴女の記憶が蘇ったら、その限りでは無くなるけれど」
「……うん。それでいいと思う」
「なら、話し合いはここまでね。街に繰り出すわよ」
「え? こっちからは挑まないって……」
「挑まないけど、ジッとしてるのも性に合わないのよ。貴女には街の地形を頭に入れてもらう必要があるし」
「……分かった」
外にはわたし達以外のマスターとサーヴァントがいる。正直言って、すごく怖い。
だけど、何もせずにジッとしている事はわたしの性にも合っていないみたい。
「とりあえず、服を着替えないとね」
マスターはそう言うと、リビングを出て行った。
戻って来た彼女の手にはあまり彼女らしくない服が乗っていた。
「これはマスターの?」
「ううん、知り合いが押し付けてきたものよ。それと、わたしの事は凛でいいわ」
「リン……うん、わかった。わたしはどうしよう……」
「アーチャーって呼ぶわけにもいかないし……、とりあえずアリーシャでいいかしら?」
「アリーシャ?」
「てきとうに考えたけど、可愛い名前でしょ?」
「……うん。じゃあ、それで」
リンから借りた服を着ると、割りといい感じに決まった。
白のブラウスがわたしの赤い髪と思った以上に相性が良い。スカートは黒のフレアだ。
「うん、似合ってるわ。一応、他にも何着かあるんだけど、わたしの見立てに狂いはなかったようね」
「へへ、ありがとう」
二人で屋敷を出ると、昨夜走り抜けた坂道を今度はゆっくりと降りた。リンの屋敷は周囲の家々と比べると大分大きかったみたい。というか、この国の家は随分小さい。
途中でレストランや観光名所のような場所も巡って、最後は冬木市一の高所にやって来た。
ビルの屋上から見る夕日というのも良いものだ。
「あー、楽しかった!」
「そうね。誰かとこんな風に歩き回る機会は中々無かったんだけど、思ったより楽しめたわ」
リンはどうやら友達が少ないようだ。
「それにしても、ここは高いね!」
「ええ、ここなら冬木を一望出来る……ッ」
「どうしたの?」
リンは急に気まずそうな表情を浮かべて後退った。
「ううん、別に。ちょっと顔見知りがいただけよ。それより、冬木の地形は把握出来た?」
「うーん、たぶん」
「たぶん……。そう言えば、貴女って、千里眼のスキルがあったわよね? ここからだと、どのくらい視えるの?」
「えっとねー」
目に力を篭めてみる。すると、思った以上に色々と視えた。
「……うん。ここからなら深山町にある家の瓦の枚数でも数えられそうだよ。それに、その下の……地脈の流れも視える。っていうか、ここの地脈って、なんかグニャッとしてるね」
「それは聖杯戦争が原因かしらね。それにしても、さすがはアーチャーね。深山の屋根瓦なんて、双眼鏡を使っても見えないわよ」
「わたしって、結構凄い英霊なのかもね」
「……うーん、どうかしらねー」
「そこは同意して欲しかったなー」
それからしばらく二人でお喋りをしながら夜景を見た。
◆
「さて、夕飯は麻婆茄子よ!」
帰りに色々と食材を仕入れてきた。朝の料理が思った以上に楽しかったから、これから料理は二人で作る事に決まった。
わたしは茄子の下拵え。少し皮を剥いて、縦に切る。軽く塩水で揉んだら水で塩を洗い流して、油で軽く揚げる。
リンはその間に合わせ調味料を作っていた。彼女は中華が得意みたいで、手際よく調理を進めている。
「こっちは準備オーケーだよ」
「ありがと! じゃあ、中華鍋にじゃんじゃん入れてくわよ!」
油を引いた中華鍋にニンニクと生姜、それに唐辛子を入れる。そこへ更にリンが胡椒と醤油で下味をつけた豚ひき肉を入れる。
しばらく炒めたら合わせ調味料と牛脂、豆板醤、醤油、オイスターソースを入れて、いよいよ茄子とネギを投入。火を強めて、水溶き片栗粉を入れる。
「次はお酢、山椒、ごま油っと」
美味しそうな臭いが漂ってきた。リンが炒めている間に別の中華鍋で作った炒飯を皿に盛り付ける。この屋敷には中華鍋がなんと三つも備えられていた。
リンが麻婆茄子を豪快に掛けて完成!
「美味しそー!」
「ふふん、当然よ! 唐辛子も知り合いから貰った特別なヤツで、パンチが効いてるから絶品よ!」
初日はいろいろとあったけれど、一緒に過ごしていくうちに分かった。
リンとはきっと仲良くやっていける。だって、こんなに楽しいもの。
「いただきます!」
「えっと、いただきます!」
とりあえず、二人で作った麻婆茄子はとびっきり美味しかった。